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はてなキーワード: 余儀なくとは

2024-12-15

リゾバ

前職も含めて、いままで人間関係理由退職余儀なくされてきたことが多かった。

このままでは事態好転しない。また次の仕事も遅かれ早かれ同じ問題が起こるだろう。

一度環境を変えてみようと思い、一度東京を離れ、冬期間外国人がたくさん来ることで有名な北海道の某スキーリゾートで働いてみることにした。

外国人が多ければ日本人とは違う文化思想を持っているはずなので、多少は生きやすくなるはず。

何より環境が変わればズタズタに傷ついた人間関係も癒されるだろうと思った。

でも、自分が就いた仕事社員こそ海外の人がたくさんいるが、バイトは60過ぎのベテランのおじさんが幅を利かせており、社員もその人には文句は言えず。自分はその人にきつく言われる毎日村社会が嫌で疑似海外に来たつもりが、結局違う村に来ただけだった。

はぁ。

人生うまくいかいね

でもそれも含めてネタにしてこう。

2024-12-14

みんなで読もう兵庫県職員アンケート

パワハラがあったとの確証までは得られなかった(なかったと断定するものではない)」とする兵庫県の内部調査が公開されたニュース記事ヤフコメ

より客観性の高い百条委員会アンケートにまで不信感を持っている人らが

兵庫県職員アンケートは無記名でURLさえ知っていれば誰でも複数回答可能だった!」とか

「実際にパワハラを受けたと言う職員はおらず伝聞ばかりだった!」とか書いてて笑える

君らさぁ…兵庫県職員アンケートに目を通したことあんのか?


かに無記名で複数回答可能な上マークシートではAをチェックしたのに自由記入欄に別途ABCD書いてたりするので

当初マスコミ報道してた職員の何人が~とか何%が~とかい指標は当てになんねーけど

中身をちゃんと読んだら「これは本当にパワハラを受けたと感じて書いてるな」ってものは相当数あるぞ?

そして匿名回答可能なだけで記名回答されたものもあるし複数回答不可能な郵送の回答もある

記名のものは本人に話を聞けば裏が取れるし相応の覚悟を持って回答したものと言っていいだろう


自称情強の皆さんは兵庫県議会のHPから読めるんだから当然元ソースを読んで判断してるんだよね?

スマホしか持ってないかPDFは読みにくいとか言うなよ?

https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/index.html


膨大なPDFなので読むのは大変なのはわかる

そこで公開されている中間報告・ネット回答・郵送回答を参照し

「Q7:知事パワハラについて」の回答のうち「記名」かつ「A:目撃、経験等により実際に知っている」の中から

自分がこれは伝聞だから"B:目撃、経験等により実際に知っている人から聞いた"だろうとか

長すぎて引用するのは大変だが中略するのも違うよなと思ったものを省いてピックアップする

ソースでは無記名の回答でもBやCの回答でもガチっぽいのは多いし物足りないと思うなら元ソースを読んで楽しもうぜ!



中間報告(https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/060823_2.pdf)

【Q7】知事パワーハラスメントについて

記入方式 "記名"

回答 "A:目撃、経験等により実際に知っている"

●●●●●在任中、本県と●●●●●●●●との「空飛ぶクルマ」実現に向けた連携協定締結式(R5.1.24)の事前説明の際(締結式の1週間ほど前)に知事室に入るなり、

その日の読売新聞で報じられた本県の空飛ぶクルマ関連の新規事業について、内容は知事了解済みのはずなのに、「なにこれ」「聞いてない」「空クルは知事直轄。勝手にやるな」と厳しい口調で叱責された。

着座も許されず「やり直し」と言われて退出を余儀なくされた。●●●●●●●●●●の●●●●が同席(知事秘書1~2名が陪席と記憶

渡瀬文書P9下から二行目~P10一行目に関し、私は令和5年10月12日知事レクに同席していました。私の記憶では以下のとおりです。

地元住民2名が原告となり、養鶏事業者と兵庫県被告とした損害賠償請求訴訟の経緯を●●●●●●から説明

原告が●●●●●に対し、訴訟に参加する機会を与えるための訴訟告知(R5.9.20付け)を行ったこと、(県は当事者ではないが、)

養鶏事業者が●●●●●を相手とした行政訴訟却下R5.9.12付け)されたことなどを説明中に知事から次のような指導があった。

知事「こんな話を今聞かされるのか。なぜ●●●●●●は報告に来ないのか。」

丹波県民局としては、訴訟に関しては随時情報を入れるよう指示があったにもかかわらず、直接県に関わるものではないと判断し、直近の情報を報告出来ていなかった、と理解した。

知事言葉は厳しかったが、知事は机を叩いたりはされていなかった。

昨年10月12日丹波県民局の地域づくり懇話会のレクがあり、●●●●●の養鶏事業者の公害問題に対する県の対応を●●●●が説明したが、

養鶏事業者が市に対して行った改善命令処分取消請求訴訟と、住民から訴えがあった公害等調整委員会の原因裁定判決の状況の資料を見て、

知事から「こんな話は聞いていない。訴訟の動きは知事に入れるのは当たり前だ。そうだろう」との叱責があった。

その際●●●●●●が、「そうですね」と発言したところ、「そうですねではないだろう」と強く叱責された。

昨年7月24日定例会見の項目レクの際、はばタンPAY+の資料を添付したが、それを見た知事から舌打ちの音と大きなため息があった。

その後、「何が悪いか分かるか」と言われたが、思い当たる節がなかったため黙っていると、●●●●●●が「顔写真とかメッセージですか」との発言あり、その発言を聞いた知事から

「この事業知事肝いり事業なのに、写真メッセージがない。●●●●を呼べ」と指示があった。

秘書職員が●●●●に電話したが不在だったため、代わりに●●●●●●が知事室に来ることになった。

なお、そのころは知事も少し落ち着いていたので、報道にあるように「お前じゃだめ」のような発言はなかった。

知事が●●●●●●に「このうちわはすでに印刷済みか」と尋ね、●●●●●●は「すでに印刷済みだが、追加で発注する」と回答。

知事から、「これは私の肝いり事業だ。顔写真メッセージといったものを入れてほしい」と指示があり、●●●●●●が「チラシ等には顔写真等が入っているので、うちわにも入れる」と回答した。

昨年10月31日定例会見の資料レクの中で、●●●●●●うまいもんフェアの資料説明したが、知事から「●●●●●●の●●とお店で面談する件はどうなったんだ。

フェアの開始前にPRする場として、営業時間前にセットできないか」との質問があった。所管である流通戦略から営業時間前は従業員バタバタ用意しており、難しいと言われている」と回答したところ、

知事から知事がせっかくPRするんだ。開店準備はわかるが、どこか隅のテーブルでできるだろう。2時間時間もいるわけではない。PRしてほしくないのか、今後関係を考える必要がある」との叱責があった。

なお、●●●●●●側は、この件より以前に知事社長との面談をセットしていたが、知事の都合でドタキャンされたので心証を悪くしており、このような対応になったとのうわさを聞いている。

令和4年度、淡路佐野運動公園において、オリンピックメダリスト等による「淡路スポーツチャレンジ」と題した子供たちのスポーツイベント計画課が開催した。

当時当方は●●●●●●●であったが、子供たちに地産地消の大切さと、日本伝統発酵食品のすばらしさを知ってもらおうと、そのイベント中で淡路食材を使った発酵食品試食企画した。

当日、知事が会場入りし、計画職員が控室(施設更衣室をあてがった)へ誘導したが、控室で県民の方1名が偶然着替えており、

それを見た知事から「なぜ他の人がいるのか」との叱責があり、急遽別の部屋を控室にあてることになった。

また試食について、知事メダリストの方々と一緒に食べていたので、ほっとしたが、その後秘書から試食味噌汁等が冷めており、知事あんな冷たい料理を出すのは失礼だと怒っていると聞いた。

メダリストの方々からはそのようなクレームは無かった。

※控室の部分の話は直接叱責を受けたという証言

秘書課伝いのクレームは伝聞だけど何様やねんという私怨が入ってて面白い



中間報告以降ネット回答分報告(https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/060823_2.pdf)

【Q7】知事パワーハラスメントについて

記入方式 "記名"

回答 "A:目撃、経験等により実際に知っている"

2021年8or9月

尼崎港湾用地を万博駐車場にする見込みとの新聞報道を受け、●●●●が知事室に呼び出され、「聞いていない」と机をたたいて指導された。

知事就任前の3月に決まっていたことであり、報道されたのがその時期であって、説明していないわけではない)

令和3年9月27日(県会代表質問の日)、神戸新聞尼崎西宮芦屋港の港湾計画長期構想が掲載されたことについて知事室に呼び出され、「聞いてない」と机を叩いて激怒された。

また、代表質問に合わせた悪質なリークと勘違いされ(●●●●●から知事室前廊下で、「誰がリークしたのですか?」と問われる)、「こんな事は許さないんだよ」と再度机を叩いて激怒された。

誰かが謝らないと収まらない雰囲気となり、●●●●が謝罪してその場を納めた。

記事に対する県会質問対応のため再入室した際に、長期構想については昨年度に協議会を開催してパブリックコメントを行い、

ホームページ公表している事を知事説明すると、悪質なリークではなかったと理解され、怒りを収められた。

後日、別の会議の際に「あの時は怒って申し訳なかった」と知事から謝罪された。

2023年4月24日(月)に知事外国人を引率して福祉まちづくり研究所を視察することが、21日(金)の夕方知事の発案で決まった。

知事は●●として国際課の●●●●●の同行を求めたが、当人24日は知事も出席する別の会議の●●用務があり、知事が退出して視察先に向かったあとも、会議の進行上、●●として残る必要があった。

このことを国際局幹部知事説明した際、知事は「彼女知事の●●。知事がいない会議の●●を続ける必要はない。その会議主催者に●●を手配させろ。」とかなり厳しく叱責されていた。

当日に●●を手配できるはずもなく、結局国際課の●●●●●は知事退出後も●●を続けるほかなかったため、同幹部はひたすら謝っておられたが、県が協力した会議全体の都合も考えず、

急遽突っ込んだ自分の用務を優先し、かつ職員を「自分の●●」と言い切ってしまわれたのには驚いた。

理不尽な叱責とご自分の都合を優先される姿勢に疑問を感じたが、叱責を受けた方がパワハラと受け取られたかどうかはわからない。

・令和5年度に県立美術館で開催された「●●●●●●●展」の記者内覧会(●●●●●●●の3人が出席)は、

知事の強い希望知事出席行事となったが(記者向けの内覧会であり、通常、館として知事に出席を依頼するような行事ではない)、

記者内覧会実施日は知事の予定に合わせること(決定後の日程変更は不可)」

「●●●●●●●と一緒に写真が撮りたい」「●●●●●●●の楽屋訪問したい」「●●●●●●●の曲に合わせて自分が踊る姿を動画SNSで発信したい」など、

展覧会のもの(県の事業実施)とは全く関係のない指示・宿題に本庁所管課・現場ともに振り回された。

Perfume展だと言われています(https://x.com/motohikosaitoH/status/1700131488736653714)



送回答分報告(https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/bunsho_questionnaire1011_02.pdf)

【Q7】知事パワーハラスメントについて

記入方式 "記名"

回答 "A:目撃、経験等により実際に知っている"

・令和3年度、知事室における知事協議で、私はパワーハラスメントと感じる知事から言動を受けました。

協議内容 県選出の国会議員に対する、本県から国への提案に関する資料

・協 議 者 ●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・私がパワハラと感じた知事発言があったのは、その協議の冒頭においてです。

資料協議前に、東京での国会議員説明会の開催予定日時について知事がご存じない状況でした。(本来その日程は秘書から説明されるべきものでありました。)

秘書課が作成していた日時等に関する資料は少し古い時点のものでそこから日程の変更が入っていたのですが、●●●●の判断でその資料に基づき、変更があった個所は口頭で説明されました。

・その口頭修正知事は激高されました。約3年前の話なので詳細に一言一句まで正確かは分かりませんが、以下の発言であったと記憶しています

「誤りのある資料知事に見せるとは、どういうことか!」「誰やと思っているんや!知事やぞ!」「知事は忙しい中、時間をとっているんだ。ちゃんしろ!」

・その発言に対する私の感想です。秘書課の作成した資料の誤り(正しくは時点が古いだけ)は微細なものであり、●●●●の口頭での修正説明で事足りる内容と考えられるものにも関わらず、激高された姿に衝撃と、強い恐怖を感じました。

・そして、斎藤知事意見をするのは幹部職員の方であっても難しいだろうなという印象を強く持ちました。ちなみに井戸知事些細なことで激高することは私の記憶ではなく、

私のような若い職員意見しても耳を傾けてくれた姿と対照的な印象を持ちました。これではとても率直な議論などはできないだろうと思いました。

・「知事!」という言葉を何回も繰り返し発言されたことにも、強い違和感を覚えました。

・執務室に戻った●●と●●に話をしたところ、「いつものことなので」という感じであまり意に介していませんでした。逆に頻繁に知事に接しているお二人の反応を見て、これが日常であることに怖さを覚えました。

なので、お二人にとってはパワハラとは感じていない気がしますが、ほとんど知事室に入ることのない私にとっては、非常にショッキングで、パワハラと感じた事案です。

知事就任後に、●●●●●●●●●●●●●●●●●●●が学校から持って帰ってきたココロカード県内小・中学生全員に配布し、カード提示により美術館博物館等の観覧料が無料となる)を

家に持って帰ってきたときに、カード井戸敏三の記名があるのを見て激怒し、教育委員会関係者を呼んで叱責した話を、●●の●●●●●●からの引き継ぎの際に聞いた。

ココロカードは毎年度、新小学1年生全員に配布(転入者には予備を配布)し、子どもはそれを中学校卒業まで使用するため、最長9年間同じカードを使うことになり、前知事の記名のカードであってもやむを得ないことである

しかし、斎藤知事の指示により、●●●●●●●●を務めた令和5年度の2月補正で約250万円が予算計上され、ココロカードデザインサイズ変更という名目で、

令和6年度当初に小・中学生すべての学年に斎藤元彦の記名入りのカードを再配布することとなった。

法的な課題があるわけではないが、既に配布しているカード知事名前を変更したいという理由(公にはしていない)で再配布することは、知事権力濫用であり、税金無駄遣いと感じた。

最後のは伝聞だからBだろと思ったがカードデザイン変更にはソースがあり個人的に気に入ったエピソードなので紹介する

知事への私怨もしくは自己顕示欲のために税金をかけてやることが小さすぎる…

デザインを変更するにしても本来予算がかからないように新規発行分からの変更で十分だろう

(デザイン変更のソースこちら→https://www2.hyogo-c.ed.jp/hpe/shakyo/project/kokoron)

2024-12-11

anond:20241211220830

まあ店長が正しいな。

世の中には様々な理由でそういうせせこましい生き方余儀なくされた人や、それが染み付いてしまった人がいる。

でもそれが100%個人問題と言い切れることはなくて、何らかの不幸で恵まれない境遇に晒され続けた、当人視点からはどうにもできない道を歩んだが故だったりする。

社会だって完璧じゃないし、そういう人はいつの時代もいるもんだしな。

しろ自分だって、今は衣食足りて礼節を知る状態にすぎず、貧すれば鈍するということでいつ同じような性質人間になってしまうか分かったもんじゃない。

から社会に出て人と接して働く以上、どんな性質の人に対しても安易に笑っちゃいけないんだよ。いつか跳ね返ってくるからな。

それができないのなら俺のように職歴がないまま40代を迎えるといい。

2024-12-09

anond:20241209113249

ほとんどの者たちが違法に働くことを余儀なくされています

誰にも強制されてないよ。それどころか働くことを禁止されているのに、働くことを余儀なくされているって意味が分かんない

お金がないなら国に帰ったら???

(その2)クルド人ジャーナリストが語る在日クルド人

イルファン・アクタン, 長沢栄治, 稲葉奈々子, 村上薫, 岡真理調査報告 KARIHŌMEN 日本で《クルド》として生きるということ」、

プロジェクト・ワタン事務局2024年6月2024年9月3日

http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf

子供教育

特に男の子は、小中学校で直面する言葉の壁や人種差別的な経験もあって、しばらくすると学校を退学し、高校にも進学しません。思春期以降、18 歳になる前から父親や親戚と一緒に家屋解体仕事に就く者もいます。一方、仮放免女子は、男子に比べて働く機会が少ないので、どんなに困難があっても教育の場に残ろうとします。「学校をやめたら、結婚するしかない」と蕨のカフェ勉強していたクルド女子高生 2 人は口を揃えて言いました。

また、学業が非常に優秀だったり大学卒であったりしても、仮放免者の就職保証するものではありません。ビザがなければ教育ほとんど役立ちません。例えば、映画東京クルド』に登場するラマザンというクルド青年は、専門教育を受けたものの、ビザの発給を待つ間仕事が見つからず、家屋解体仕事を始めました。のちにビザを取得したのですが、今も家屋解体仕事を続けています。おそらく親族関係のなかで働くことが、彼に安心感を与えているのかもしれません。同様に、シリア出身クルド青年も、大学卒業日本修士号を取得したにもかかわらず、現在家屋解体仕事従事しています

家族の離散

先月(2022 年 6 月)、大変痛ましい一家離散のケースに遭遇しました。あるクルド高校生が、学校での差別言葉の壁からトルコに帰りたい」とずっと両親に訴えていました。トルコに戻りたい一心で、彼は学校試験白紙答案を提出し、わざと成績が悪くなるようにしていたと父親から聞きました。その結果、彼は学校を辞め、母親は泣く泣く息子を連れてトルコ帰国しました。

(中略)その家族は、日本が幼い子供たちを追い出し、一家崩壊につながったと考えています。母と息子はトルコに戻りましたが、父親政治的経済的理由日本に残ったからです。日本で働いて得たお金トルコ家族を養わなければならない父親は、今、川口の小さな家で一人、家族を恋しく思いながら、先行きの分からない生活を送っています

フキャン(川口多数派)以外のクルド

フキャン人と心ならずも共生余儀なくされている他地域出身クルド人もいます。マフキャン人が家屋解体業を営んでいるため、他地域出身クルド人はマフキャン人の雇い主に雇ってもらうことが多くなります仮放免クルド人は、他の業種で仕事に就くことができないため、マフキャン人と一緒に働くしかなく、彼らとうまく付き合っていかなければなりません。時には男女関係から生じる問題や、ハラスメント不倫事件、労使間の緊張からコミュニティ男性同士の喧嘩家族間の問題が起こり、共同体から個人排除されることもあります

フキャンの出身ではないあるクルド青年は、「マフキャン人同士で争ってもしばらくすれば和解するが、自分が彼らと争うとなると行き場がない。だから私たちはとても注意しなければならない」と語っています

日本人の責任

労働災害障害を負い、再就職できなくても、仮放免クルド人は、健康保険に加入できないため何の保障もありません。それがもうひとつ不安感につながっていきます。あるクルド労働者は、「若いうちに一生懸命働いてお金を貯めておけば、もし自分障害者になったり、明日死んだりしても、子どもたちが飢えることはないだろう」と語っていました。また、高齢病気を抱える仮放免者は、年金保障がないため飢餓に直面しています心臓疾患のある仮放免クルド人は、マフキャン部族の親戚の経済的支援を受けて家族を養っています。つまり日本に暮らす高齢クルド人が安心して暮らせるのは、日本政府ではなく、マフキャンの部族主義、氏族親族関係のおかげなのです。そのため、当人はつねにクルド社会内部のバランスを観察し、争いに与らず、必要に応じて強者の側につくようにしています

今日、この会場で私の話を聞いてくださっている日本のみなさまに申し上げます毎日、前を通っている家の中で悲惨事件が起こり、子供虐待され、女性暴力を受けていると想像してください。その家の前を通りかかるだけでは、何が起こっているのかは分からない。しかし、虐待被害にあった子ども暴力被害にあった女性がその家の窓から外を見たときあなたの姿が目に入るのです。その窓の前を通り過ぎるときあなたは楽しそうに笑っていることもあるでしょう。その家の中で起こっている悲劇を知らないのだからあなたには責任はない。しかし、その家で起こっていることを誰かに言われてもなお無関心でいれば、暴力を振るう加害者共犯者になってしまます

クルド人ジャーナリストが語る在日クルド人

イルファン・アクタン, 長沢栄治, 稲葉奈々子, 村上薫, 岡真理調査報告 KARIHŌMEN 日本で《クルド》として生きるということ」、

プロジェクト・ワタン事務局2024年6月2024年9月3日閲覧。

http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf

なぜ解体業につくのか*

日本では、川口メフメトがこの地で家屋解体業を営んでいたため、後から来た人たちはそのままこの部門で働くことになりました。 しかし、クルド人が家屋解体業に従事する理由はそれだけではありません。一つは、家屋解体作業では日本語を話す必要がないことです。また、仮放免の者たちがほとんどですので、他の業種に就けないことも理由の一つです。入国管理局による厳しいルールの一つとして、仮放免の者は就労禁止されています。そのため、ほとんどの者たちが違法に働くことを余儀なくされています。また、近年では、日本人との結婚によって日本での在留資格を得たクルド人が、仮放免親族を内々に雇用して、家屋解体業社を設立するケースも出てきています

在日クルド人の労働条件*

在日クルド人の労働条件についても触れておきましょう。労働安全の面では、世界的に大きな発展を遂げていますが、在日クルドはいまだ中世のような条件のもとで働いています。ご存知のように、仮放免身分の者は就労を禁じられています。この禁止は、人々を餓死させることに等しいものです。この禁止令のせいで、クルド人は不法就労を強いられています就労が解禁されれば、家屋解体工事に携わる者たちの労24安全を確保するための研修検査が行われ、安全作業を行うことができるようになります仮放免の者は公的医療サービスを受けることができません。そのため、仕事中に事故に遭った場合治療をするにも莫大な費用がかかります資本主義的な医療制度は、日本政府がクルド人に課している「仮放免」という奴隷制度をさらに深刻化させています。同じく仮放免身分クルド人は、居住している都道府県の外への移動、つまり移動の自由が禁じられています。また、家屋解体以外の職に従事することもできません。

クルド人の女性地位*

女性たち同士はほとんど家で会っていて、日常生活が家に「閉じこめられている」と言えます男性たちは朝早く家を出て、家の解体作業しますが、女性たちは家で育児家事をして、社交も家でします。週末には夫や子どもたちと公園に行き、一緒に過ごします。したがって一部の例外を除いて、日本社会在日クルド人の間には社会的相互浸透がありません。 1960年代から70年代にかけて、欧米フェミニスト家庭内暴力に対して女性が街頭に出ることを呼びかけましたが、アフリカン・アメリカンフェミニスト作家ベル・フックスは、街頭に出ることは黒人女性にとって解決にならないと主張しました。黒人女性にとって街頭は人種差別さらされる場所であり、路上での暴力差別は、時に家庭内暴力よりもはるかに激しいものでした。日本にいるクルド女性にも同じことが言えると思います

在日クルド人の社会*

クルド部族構造では、個人家族の間の問題は、部族を治める家族族長が介入して、問題エスカレートする前に解決することができるのですが、在日クルド人同士の問題に介入して、反目し合っている人たちを和解させるには、超家族的、超部族的な構造がないために時間を要しがちです。家族間や個人間の緊張、恨み、喧嘩が数カ月、時には数年続くこともあります。 その一方で在日クルド人は、日本国家や日本社会排他的な態度ゆえに、クルド人同士で問題があったとしてもその関係を解消することができません。「外部に対抗して団結する」というモチベーションが非常に高いのです。そのため、クルド人同士の紛争は、まさにこの理由自然解決することもあります。お互いに問題を抱えたり、仲違いしたりした家族個人が、共通親族結婚式や弔い事、週末のピクニックなどに集まり、そこで和解することもあります

2024-12-08

統合失調症(精神分裂病)と診断された事によって人生破壊された人は現実にいるんだが、

早期診断万能主義を語る人達はその存在無視する。

https://www.hokeni.org/docs/2023102400019/

2020年9月には精神医療国家賠償請求訴訟東京地裁提訴された。原告は、統合失調症と診断され累計入院期間は約44年に及ぶ現在72歳の患者である。たまさか、2011年の福島第一原発事故により入院から避難余儀なくされ、転院先で「入院不要」と判断された。60歳で退院を果たし、現在アパートで穏やかにひとり暮らしをしている。

eighter独り言

※二十祭のセトリネタバレも含みますので踏みたくない方はお戻りください。











ふとTwitter(と頑なに呼ばせていただく)のおすすめ欄に二十祭のセトリなどのレポが流れてきた。

そこには∞UPPERSの名曲やずっとずっと好きで仕方がなかったYOU CAN SEEなど私が青春を捧げてきたあの頃の曲たちが詰まっていた。

ふと色々な事があったなと回顧してしまったので独り言をここに書きたいと思う。現在の5人を応援しているeighterの方にとっては気持ちのいい話では無いです。

自分eighterになってからずっと錦戸担で、脱退をきっかけにエイトを降りた人間だ。Y&Jの時代から地方住みではあったがお小遣いバイト代を握りしめて現場に通い、個別FCが出来た後の会員番号は5桁でちょっとした優越感を覚えたりなんかもした。

脱退当時は「すばるの脱退から1年少々しか経ってないのに早くない?」という気持ち最初に来た。後々ゆっくり考えたら(自担の贔屓目というのはもちろんあるのだろうけど)明らかにセンターとして引っ張らなくてはという重圧に疲れてしまったのかというのは察せた。

当初はNEWSの脱退時も「でもNEWSというグループが好きだし応援しよう!」と(メンバー未成年とのあれこれがすっぱ抜かれるまでは)応援していたし、5人になったエイトももちろん応援しよう!と47都道府県ツアーも行く気満々だった。

けれど、そんな勢いで買った「友よ」のセブンイレブン限定版に付属していたぼち夜を見て、私は更新し続けていたFCを流してしまったし、エイトの顔も見たく無くなった時があった。

もう手放してしまったので検証も出来ないのだけれど、ジャニーさんお葬式錦戸さんは何を思ったのだろうかと横山さんが呟いた時に、何も考えてないだろと大倉さんが吐き捨てるように言ったこと、記憶が朧気だけれどその後の話もどうにも錦戸さんの欠席裁判をしているようでとても嫌な気持ちになってしまった。

今思えば5人それぞれがいっぱいいっぱいで、そんな限界な中での言葉だったのかもしれないけれど、本人がいないところで悪口いたことを、しかも「大切な夜」と銘打って限定盤として売り出されるものに収録されていることがとても嫌だった。もちろん自担だって非はあるだろう(時系列は違うがソロになった後にファンネーム決めるの寒いという発言はかなりいただけなかった)けれど。

しかし私個人としては色々な現場に行くため、オタ活を謳歌するために土日休み+有給の多さで職場を選んでさあこれからガンガン稼いでガンガン楽しむぞというのに、オタ活の対象そもそもバラバラになっていくような状況を目の当たりにしてしまって正直かなりメンタルにきた。一時期は名前を見るのまで嫌になってしまった。

今は時間が経つにつれて自分も離れてから落ち着いて当時を振り返ったり彼等の当時のインタビューなども見かけるようになり、情報を入れることで大分受け入れられるようになったと思う。改名余儀なくされたことは辛かったけど、それでもEIGHTという言葉を使い続けてくれたことは素直に嬉しかったし5人で出ていたしゃべくり007普通にゲラゲラ笑って見た。

まあ何が言いたいのかと言うと、どの立場からと言われるかもしれないけれど、それぞれメンバーがいた時代名曲も無かったことにしないでくれてありがとう。あの頃の演出も、オタクが求めていたものを形にしてくれてありがとう

二十周年本当におめでとうございます

辛い事があっても応援し続けてきた現役eighterの方々も、おめでとうございます

これからも突っ走り続けてください。

2024-12-04

anond:20241203200651

こういうアンチリフレ日本金融村には多いが、それこそ自分たち収入がずっと安定しているかデフレによってサービスを安く搾取し続けたいだけに過ぎない

末端の人件費が今ようやく上がっているからそれがインフレに反映されているが、デフレ不況時は末端の人々はみなブラック余儀なくされていただけに過ぎない

リフレ派を馬鹿にしている連中の足元に、失われた20年の間に自ら命を絶った大勢の人々の屍が転がっているんだよ

anond:20241203190146

仮に金利ガッツリ上げたとして、円高で5割くらいは最初は豊かになる

残りの5割は失業したり転職余儀なくされたりで貧しくなる

そうこうしているうちに内需が細り切った中で緊縮財政が始まって本当の円安が始まるだろう

その時は国内産業スカスカで取り返しのつかない悲惨な状況になる

2024-11-21

シャニ喜多川兵庫県知事選

はてブオールドメディア中心の生活を送っている人からは相変わらず斎藤元彦氏のパワハラが叩かれている。

だが、YouTubeとかを主な情報源にしてる界隈では、そもそも多少の厳しい指導はあったとしてもパワハラと断定できるほどの事案はなく、あの告発クーデター狙いの怪文書で、自死した県民局長は庁内で不倫しており、公用PCには“不倫日記”が残されていて、斎藤氏が局長懲戒処分にしたのは当然で、自死したのは不倫が暴かれるのを恐れたため…といった解釈がほぼ真実として受け取られている。

それを積極的に暴いていったのが立花孝志氏という建て付けだ。

ネット検索すれば、県民局長フルネームはおろか、不倫相手とされる元県幹部の氏名や画像なるものも、たくさん拡散しているのがわかる。

こうした断絶がどうして起こるかといえば、一重に“依拠している情報源の違い”なわけで、オールドメディアに接していると、後者のような話ほぼでてこない。 

で、たまにネット後者のようなある話を聞いたとしても半信半疑になってしまう。

なにしろネットに出回る怪しい情報”であり、それはデマ可能性も高いからだ。

文春あたりがスクープすればいざ知らず、“ちゃんとしたメディア”にでてこない話を安易に信じるようではリテラシーが低い、というわけだ。

だが、信じる人にとっては“ちゃんとしたメディア”にでてこないことこそ真実の証だ。

なぜって?

だってジャニーズの件だって、いろいろ暴露本や噂話はあったのに、奴らは全部隠してたじゃん!!

と言われると、格段に説得力があがる。

死んだ時には“偉大なプロデューサー”とニュースで持ち上げられてた人が、数年経ったら稀代の性犯罪者として糾弾され、人気者だったタレントCMから追われたり改名余儀なくされたり、そんなドタバタが繰り広げられるのを観てしまった以上、メディアなど信じるに値せず、メディアに出てこないことが真実だ…と思うようになるのも極々自然である

まことに、ジャニーズ事務所とメディア癒着が、この国に残したものは大きい。

2024-11-19

世論形成プラットフォームマスコミからネットへ移行完了した模様

というタイトルブログを書いていたら、ちょうど良いポスト発見

立花孝志氏「バカな人たちをどうやって上手く利用するか。犬とか猫と一緒なん。バカに(票を)入れてもらう方法を考えるのが、本当に賢い人かな」”

https://x.com/wanpakuten/status/1858592831889436746

https://x.com/senko1217/status/1858646781242077260

2つ目はいにしえの2ちゃんねるヒトラープロパガンダ術として語られてたやつ。

当時は自民党野党時代で、民主党印象操作によって下野余儀なくされた、と自民党支持者は言っていた。

その後、このヒトラーの「我が闘争」に書かれたプロパガンダ術を駆使したのが第二次安倍政権だったのかなと邪推するところではある(確証はない)。

2024-11-18

AI推進派vs反AI、結局は発達障害同士の争いだった

11/15のX利用規約改訂における「AI学習」にまつわる問題で、ここ1ヶ月ほどずっと

の争いや混乱を眺めてきた。

ただクオリティの高い絵が流れてくるTLを見て時々イラスト投稿たかっただけなのに、そんな宗教戦争(もうこう形容するしかない)に巻き込まれてきた。

そこで気づいたことがある。


こいつら全員発達障害悪人だ。

だって定型インターネットお絵描きにもAIが抱える問題にもクソほど興味ないんだからTikTokとかmeituとかchatGPTで無邪気に遊んでるぐらいだし。

程よい距離を取れずネットに張り付いてる奴はもれなく精神に何かしら障害を抱えてると言わざるを得ない。

今回の件でも比較的冷静に判断して対処してた勢力はみんな売れてるし、コミュニケーションも取れて業界内外の人脈形成にも成功していて、事務作業能力コンプラ意識もある、定型寄りの人たちだ。

結局ガイジにはネットにもリアルにも居場所はない。


まず、私もASD自閉スペクトラム症である

障害年金を受給してるレベルだ。

一応ファンアート程度は描く絵描きだと自分のことを思っている。

そして最初絵師応援たかったし、AIイラストは疎ましかったが今は登場人物全員憎い状態になっている。

もはや反AIでも反反AIでもなく人間だ。

人間という生き物の醜悪さを今回嫌というほど再認識させられた。


元々私はレスバの空気精神を影響されやすい。自分メンタル管理できない。だから診断が下るのだ。

最近のXのおすすめタブもそうだ。

ASDHSP気質のINFP(たまにINTPになる)の人間に対戦型SNSは向いてなかった。だが、怒りには中毒性があり無意識時間を取られて追ってしまう。

目を離してる隙に議論が進み、公開アカウントを叩かれてたらどうしようと気になって仕方なくなり、14〜17日は風呂キャンキャン寝落ち生活余儀なく続いた。お陰でこの数日間で1.5キロ体重が落ちた。

他責思考だが、自分で絵を描くモチベーションもこいつらに食われてしまった。

自分で認めるものではないが、もはや鬱とも言えるだろう。


今回特に目立ったのは「前々から危惧されていた絵師社会性なさ」「技術職のサイコパス加減」「AIを頭ごなしに非難してインプを稼いだりファンネル飛ばしてくる反AIの厄介さ」「全勢力におけるとにかくただ乗りしたい乞食精神である

これのせいで、どんな絵を見ても「ウォーターマークノイズ如きで対策できた気になってるの馬鹿じゃないの」「逃げるな卑怯者」「対策の一つもしないなんて随分呑気に危機感も持たずご自身作品蔑ろにしてるんですね」「結局こいつらも身内から村八分にされたくないだけだろ」「お前は3D素材とか使わないんか?なんならこっそりAI補正してんだろ」という感情が同時に発生するようになってしまった。

いわばイラスト好きの絵師嫌い状態になってしまっている。

自分権利侵害二次創作とそれによる収益発生、画像リプ、MAD視聴、クソコラ否認可のスクショ掲載他)をしておきながら自分権利だけ振り翳す絵師軍団ダブスタと罵っていたが、私も変わらないじゃないか

まぁ、そもそもこれらはAI関係なく人の手によって昔から起きてた問題でもあるんだから、結局人間が悪いんだが。

先ほども言ったが、この状態は軽く鬱に片足突っ込んでる気がする。非常に良くない。


技術職にはASDが多い。

人の心がわからない。

なんでも正論で返して人を傷つける。

技術の発展のためには何を犠牲にしてもいいと思っている。

何をしたら人が傷つくかわからない。

パターンから外れたことを人や周りがしてくると混乱して発狂する。

脳死作業しかできない。

コミュニケーションが取れず孤立する。

対人関係自体に乏しいのにトラブルを起こす。

プライドが高くてごめんなさいが言えない。

エナドリで体を破壊する。

よく夜職女にチー牛と揶揄されてる人間性の正体はこれだ。


なお、エンジニアには調整能力交渉能力のような営業職じみたスキルが求められるため、キラキラ陽キャ定型の方が向いている。ここで指す技術屋(反曰くテックカス)はプログラマーのことを言う。

かにプログラマーの人間なら人脈がなくてもクリエイターごっこできる、ポチポチプロンプトを入力する作業が肌に合ってるんだから生成AIにハマるよな。


そして絵師、というかクリエイターにはADHDが多い。

まず事務作業ができない。

約束納期契約)が守れない。

その場の衝動ですぐに行動していつも後悔する。

それ故の対人トラブルが多い。

ODで体と心を破壊する。

都合に合わせて主張をコロコロ変える。

泣けば誰か助けてくれると思ってる。

プライドが高くてごめんなさいが言えない。

すぐファンネル飛ばし信者コミュニティを作り上げる。

そのわりに統率が取れてないのですぐ瓦解する。

まるで美術部や漫研に属する中学生女子みたいなメンタリティだ。そのまま大人になってしまったのが哀れで仕方ない。


どっちも社会性に欠けており、わがまま自分の思うように事が動かないと癇癪を起こしてしまうのは共通している。

そしてリアルの友人や家族よりフォロワーになってる。フォロワーなんてただ見てるだけの存在で内心何考えてるかわからないんなんだから信じること自体野暮だろう。

きっと現実世界で愛されなかったからここにいるんだね。居場所、奪われたくないもんね

あとこれは推測だが家庭環境に恵まれていない人がTwitterにハマり、ネットで絵を上げることにハマりやすい傾向にある気がする。今回の登場人物、育ちの時点でロクでもないのでは?

毒親が毒子を育てた典型なのでは?

ASDADHD相互補完で良ペアになるかと思いきや、相互特性干渉してうまくいかないことが多い。

今回もそれなのではないか


私は絵垢とは別のでこれらのことをやんわりと、時には感情の赴くままダイレクト中立寄りとして言及してきた。

そして反AI過激勢力(赤枠アイコン系)に集団ブロックされたり、時には本垢やblueskyにまで追いかけられたり、5ちゃんねるのヲチスレに晒されたりした。話を聞く限り赤アイコン連中のブロック監視リストに入れられてるらしい。

曰く、中立派は多少たりとも現行のAI悪感情を持ってないようであればいくらでも叩き潰していいし、どちらの味方もしないクソコウモリ野郎から話を聞く価値もないとのことで反AI勢力誹謗中傷しまくってるがお前ら目的間違えてないか

倒すべき相手違法に取り入れたデータ学習し生成させているAI企業であって、その辺でなんか喚いてる一般人ではない。分かってるのに何故根本解決に動くよりも、何も得られないレスバに力を注ぐんだ。


ここを見れば各々がどんな主張をしているか嫌でもわかると思う。

正直、両者の主張も理解できるし言い過ぎだと思う。


AIイラスト 愚痴アンチ、賛美スレ part206

https://itest.5ch.net/mevius/test/read.cgi/illustrator/1731757051/

【Nore more 生成AI画像生成AI信者ヲチスレ_130【AI○○】

https://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/net/1731727015/

(いずれも2024/11/18時点)

人間丸ごと嫌いだ。

どいつもこいつも自分のことしか考えてなくて、他人のこと踏み台にして、都合のいい解釈をして、根本的な解決よりも気に入らない人間を叩き潰すことの方に本能的に精が出てしまう。

ダブスタ連中め、絶滅しろ

AIAIさえなければこんなことにはならなかったと言うが、そもそも人間さえいなければ争いは起こらなかったのではないか


まどろっこしい。

早く絶滅しろ人類

こんな醜悪な生き物をこれ以上この世に解き放つな。

そんなことを人間が作った建物の中で、人間契約した賃貸で、人間が作った服を着て、人間が作ったスマホを介して、人間が繋いだネットワークを利用して、人間が作ったコミュニケーションサービスイラストのことを考えながら一応人間が思って書き込んだりする。

これら、やろうと思えば全部機械代替できるじゃん。

どの派閥においても、人間の汚い部分が見え隠れしてて嫌になる。

だったら全員死んでくれ。推進派も反AIリテラシー皆無なクリエイターもまともなことやってるつもりの一般人も何もかも全員。

こんな自分が嫌になる。

から今すぐ安楽死合法化してください。

死ぬときぐらい楽になりたいよ

2024-11-15

11/15の生成AI学習にまつわる規約変更でXを去った絵師に言いたいこと(1/2)

後半→ https://anond.hatelabo.jp/20241115155137

散々騒がれてる、2024年11月15日にXの利用規約が変更される件についての話だ。

前置きすると、すごく長い。

まぁ、どうせ都合のいいお気に入り話題しか目に入れないように構築してるエコーチェンバーまみれの君たちには届かないだろうが。

簡単に要約すると「11/15を起点に(去年9月時点からAI学習はしてたが)ユーザー投稿内容をX運営が利用する文面に"具体的にはAI学習など"という旨の文面が追加された」という話になり、自分作品が全てXのものになる、絵を盗られ侵害されると感じたイラスト描きが次々とアカウント削除、投稿削除、非公開、類似SNSへの移行を始めた。

中には「Xに著作権全部奪われて上げた絵がよくわからん企業組織転売される」などと拡大解釈してる人もいた。規約翻訳ガバガバなのも影響してると思う。

それに感じて思うところがあまりにも多すぎるので、特に整理してない乱文だが書かせて欲しい。

絵師人格問題が浮き彫りになった件

まず、AI作品が喰われることよりも、イーロン・マスクがXに上がったものを独占するような言い分(あくまで言い分であって実際にしていることは想像の域を出ない)の規約よりも、ぽっと出の声でかインフルエンサー扇動されて怖くて上記のような行動を脊髄反射でとってしまった絵師という存在に心から失望した。自称エンジニア信憑性微妙だが、努力を積み重ねてきた自分たちの方がえらいという言いきりには首を捻らずにはいられない。流石感情論で動く種族

やってるゲーム公式絵師がこれだったことが判明した時、心中複雑極まりなかった。自分が納品したクライアント著作権を共有してる立ち絵とかスチルとかはええんか…と思う。まぁ自分だけの持ち物じゃないしね。

かに昨今の生成AIユーザーはもはや技術の発展や作業効率化などは二の次嫌がらせすることが主目的になってしまっており目障りではある。特に検索汚染においては本気で辟易してるのでこちらとしてもやめてほしい。

そもそも"出力"と"公開"の段階で起きてるのが今の問題なのに、絵師は"学習"の段階から全否定してる人が多い。それないと顔認証レコメンド検索翻訳もできないぞ。生成以外も否定したら生活詰まると思うのだが。今までだって勝手学習されてた上で今こうやって成り立ってるわけだし。

から私も心のそこから"生成物の公開"に関してはちゃんとした法規制をしてくれと思っている。できちゃうのは仕方ないが、それを人に嫌がらせするための凶器として振り回すのが目立ってる現状は看過できない絵師によるイメージはこれ一色で塗りつぶされてるのだと思う。

ただそれを上回る過激な行動やそれに何も考えずについて行ってしまうところの方がまずいと思う。

前々から視野が狭い、社会性がない、リテラシーが高そうに見えてないとは言われていたが、ここまではっきり露呈する日が来るのは思ってなかった。前々から脱税だの言われててアレ?とは思っていたが、ここまで攻撃的で妄信的で自己顕示欲を捨てられない哀れな人種であることをまざまざと見せつけられて、絵は好きなのにどういう気持ちで接したらいいのか分からないのが今だ。

私自身も趣味で曲がりなりにも絵を描く人間だが、本質的にはこいつらと何も変わらないんだという点に悲しくなった。実際初期は強い論調注意喚起に踊らされた。

ポートフォリオサイトの使い方、事務処理、対人コミュニケーション公的文書の読解、どれのスキルも足りてないんだなというのを分からせられた。最終的に残ったのが絵だけだったんだなと。わかんないよ〜難しいよ〜だから鍵に篭ります思考停止)といったケースは何度も見た。

そんなんでよく同人イベント出れたね?マネージャーでもいたのだろうか。

これならAIの方がフラットな分まだいいとすら言えてしまう。絵描き自我がいらないという論調も頷ける。今ちょうどコミカライズ作家がいらん自我出して燃えてるしね

ただ私は楽しくオタクもしてる君たちの話も聞きたかったんだ。それが今や住処を破壊された被害者小動物や、筆を置いて見えない敵に対して叫び続けてるレスバモスターと化してる。目も当てられない。

文化を守ると言いながら文化破壊してるのはどっちなんだよ。今や如何に自分の絵をウォーターマークという名のブラクラじみた被せで汚染できるかの大喜利状態だが、結局守りたいのは絵という文化ではなく身内での馴れ合いなんじゃないのか。だから仲間がいなくなることを恐れて対策してるポーズを取り続けるのではないのか。

今回のこの騒動も結局は「居場所を奪われる」に帰着する事だと思っているので。絵という文化のものではなく、そこに寄生して生きてる自分の住む場所迫害されてこうなってるんだよな。わかるよ

ウォーターマーク商品サンプルとしては有効だが、絵の価値を下げるレベルデカデカと表示したり敷き詰めたりするものではない。人による無断転載避けとして載せておくのには効果はあると思うが、せいぜいクレジット程度にすればいいのにそれ自体学習阻害効果はないのにそこまで主張させることか?と思う。

はっきり言ってやりすぎた。馴染ませてる人は純粋にすごいし続けるべきだが、集合体恐怖症レベルのことをやってる人には引く。もう絵を守る事が目的じゃないだろ。

法規制されるまでの時間稼ぎという意見も見たが、それって何年後の話なんでしょうかね。

そもそも日本時間15日0時ぴったりに変更されるわけないのに運命時間とか言ってざわついて、正直ある種の祭りに参加してるようにしか見えない。買えるなら現本社所在地テキサス州の時差に合わせた15時あたりだろう。規約変更も日本ファーストと考えるならもう少し国民性に添ったサービス提供すると考えるのが自然では?と思う。けど、アメリカどころか自分と身内ファーストじゃない、イーロンは。だから民主党支持者がX出ていくんだろうけど。

15日まではセーフだからって主張も理解できない。"あらゆること"という文面の裏に隠されながら去年からずっと学習されてたんだろうがよ。それが今回具体的に表に出ただけだ。ずっと騙されて同意させられてたんだよ。我々は。当時も規約について警鐘を鳴らしてた人の存在が今になって明らかになったが、その人の声はその時には届かなかった。そんなものだ。はっきり言いすぎて逆に地獄を生み出してるのもある。言わなきゃバレなかったのに。インスタもTikTokYouTubeGoogle)もAppleMicrosoftも、言ってないだけで同様の規約あるからね。

そういうところにも自分のことしか考えてないんだなこいつら感が浮き彫りになってる。

今の絵師界隈を分類してみる

現在規約変更以降の絵師の動きとして、以下のように分類できると考えられる。あくま個人観測範囲での話になるが。

  • X残存組
    • 気にしないのでそのまま使う

 一番賢く、一番愚かとも言える。もはや諦めの境地。今の今まで餌を与えてたことをちゃんと受け入れ、それでも負けずに筆を折らない人たち。こういう人が意外と仕事をもらえてたりするし、元祖AIみたいに言うだけ言って美味しいところを食うのもこういう人たち。もはやライバルを蹴落とすためにやってるのかと邪推しかねない。君に煽動された人が馬鹿みたいじゃないか

 ウォーターマークを敷き詰めたりGlazeやNightshadeをかけて過度に品質を落として学習阻害をできてると思ってる人たち。正直見る気失せるしそんな対策が通じるのはまだ多少の効果はある今だけのその場しのぎでしかなく、いずれ突破される。まぁ見る側の中にAIに食わせようとしてる人物がいるなら、不特定多数に綺麗な画像を見せるのをやめて信用できる人にしか見せたくないという心理はわかるが。よその学習阻害ツールデータ抜かれてる可能性までは考慮できてない。やってることは家のドアに南京錠をかけてるような感覚に近い。そんなに嫌ならどこにも載せず作品引っ込めとけ。あとAIで試す事すらも生理的に気に食わないのか本当に学習阻害できてるのか検証する絵師が一人も出てこないのは不思議で仕方ない。

 正直、「対策しておかないと絵師コミュニティ村八分にされるから嫌々やってる」という理由仮想敵と戦ってる人も少なくない。防犯目的も然り。そんなんで人格否定排除してこようとする人はあなた人生には不要存在なのでとっとと縁を切りましょう。いくら好きな絵を描いてくれたり性癖が一致してたりしても、最後に合わせるべきもの倫理観だ。

 もはや敵はAIではないと思ってる人たち。もしくは品質を落とさずとも自分作品である事が証明できればそれでいいと思ってる人たち。こういう人も古来からネットに上げる時点で全部余儀なくフリ素になることをわかってるので、ならせめて自作証明ぐらいしておこうというある意味一番賢いかもしれない。入ってたら思想強いなと少し思う程度。過去による無断転載被害に遭った経験がある人はこれ率が高く、これからも是非そうすべきだと思う。

  • 筆を折ったが残ってレスバを楽しむ

 こいつが一番ダメ。こういう奴らのせいで下記で紹介する人たちが疲れてサービスを捨てる決断をせざるを得なくなった。この場合半分ぐらいイーロンのせいではあるが…

 AI技術における紛う事なき敗北者。AIユーザーにもX運営にも潰されてしまった可哀想な人。本気で戦う気あるならAI凌駕するほど努力を積み重ねてハイクオリティな絵を描いてAI愉快犯土下座させればいい。そうすればあなたの筋も通ると思います。できないなら所詮その程度ということだ。

 ただ、イーロンが望む対戦型SNSに最も相応しい客もとい参戦者ともいえる。ネット喧嘩しか己を見出せなくなってしまった人。体感氷河期世代に多い。暴言が行き過ぎると生成AI利用者であれ開示請求されても知らんぞ。

 中には今回の件でメンタル疲弊して絵が描ける状況ではなくなり、手っ取り早く脳汁を出す手段がこれになってしまったという本当に哀れな人もいる。怒りって一番手軽な娯楽だもんね。AI使って一瞬で絵を描く事よりも手描きの喜びを感じることよりも。

こういう人たちはあんスタ他女性向けソシャゲが「こっちは今まで通りでいきますから」と言っても「大手からってフォロワー失うのに日和ってるの?」「自社コンテンツ蔑ろにする(してない)姿勢にガッカリです」と叩いてる反応がある。ただただ活動の場を奪うことに快感覚えてるだけなのでは?と言われても仕方ない。

 声明出してるのがソシャゲBL出版社みたいな女性向けコンテンツばかりなのが、もう、ね…

 あと原神は撤退してないぞ。情報量の簡略化ってだけだぞ。とにかくX憎しで手段を選ばないで人を振り回す危険人物ばかりだね。お前にとっては公式よりも名前出してる専門家よりも得体もしれんフォロワーの方が信用できんのか。フォロワーは裏切るぞ。

理屈として、「誰か一人無頓着な人がXで学習されていいという土台を作るとそれが基盤になって学習されてもいいみたいな風潮ができてしまうから何が何でもこの手で止めなくてはいけない」という意味不明正義感に駆られてる人もいる。AIがなければこんなことには…と言ってる人がいたが、もともとあんたが触ってるインターネットコンピューター戦争のための動画だったんやぞ。ネットがなければ…ぐらいになりなさい。お前が生きる現実は一体どこなんだ。

総じて、「TwitterあくまTwitter)で出会ったお友達が大切で失いたくない」と思っている人が多い。なんだかんだで承認欲求が満たされたり宣伝効果があるのはここなので。

真面目に技術発展に向き合いたい人もいれば、絵は人間関係構築手段の一つに過ぎないと思ってる人もいる。

 併用というよりはSNSとしての役割を捨てて今いるフォロワーだけで構わんという考えの人。総じてあまりネットに向いておらずメンタルが強くない。それならDiscordとかでいいのでは?と思うが「話すまででもないしたまにいいねが来る程度の関係」を失いたくないというのが大きいと思う。

今の状況がなんなのか分からいから消すよりは戻せる鍵垢を応急処置として選んだ、何もかもがうざくて疲れた別になんでもいいがこれから当面増えるであろう攻撃避けをしておきたい、誰にも干渉されず考える時間がほしいというタイプもこれ。本気で学習対策をしているというよりかは面倒ごとに巻き込まれるのにうんざりしてる傾向があるように見える。"人間"の業に疲れてしまった人。多分これがダメならAI以前の問題だと思う。

 鍵の快感に慣れてしまい、中で過激発言を繰り返してしまうケースも跡を経たない。自分も偏った政治発言地元の話やうんこ下痢や痔の話やエグい体調不良実況をしたりしてる。そして鍵垢には貫通や内通リスクがあるので絶対安全とも言えない。この惨状を見てインプ広告収入が減ったと判断したらイーロンが痺れを切らして鍵垢廃止ちゃうかもしれない。

 鍵なら学習されない(何故なら上記のような個人情報を垂れ流すケースが多くそういうのまで学習してしまうから)という話になっているが、それはあくまでGrok限定でありシステムサーバー上にはしっかり残ってるからね。

 鍵にするならROMとして使った方がいい。中でコソコソ呟かれてたらもうオープンSNSやめろよとなる。私も増田しか意見表明できない時点で同じ穴の狢だな

Xにポストとして載せるな

 というのも、Xのアルゴリズムで外部リンクシャドウバン対象になりやすい。今もそうかは分からんが。少なくともインスタ、TumblrYouTubeあたりはブラックリスト扱いされてると聞いた事がある。

この調子だとblueskyもxfolioも有害サイト扱いされてしまうのも時間問題な気がする。やるならプロフィールへのリンクならまだ認められてるからそちらに誘導すべき。サムネイルは諦めよう。

まだリンクが怒られないブルスカURLのせて誘導するぐらいなら理解できる。

 xfolioやポイピクみたいに安全サイトと謳っていても、人間の悪意は無限抜け道スクショ撮影スキャン、はたまたハッキング)を探すのだから絶対的なユートピアとは言えない。だがやられた後にぶちのめす方法が分かってないからこうなってるんだよね。

それを待ってるうちに暴れたからこいつらの話聞く価値ないってなってる現状を作った反AI過激派の罪は重い。勘違いしながらパブコメで行きすぎた暴言を吐くような人はちょっとね…

 結論から言うとタイムスタンプ消失的な意味おすすめしないが、Xアーカイブを取得すれば証拠にはなるのでサービス上に原本を残しておく必要はない。私もアカウント削除する寸前には必ず記録を取ってる。こういう時黒歴史クリーナーが生きてればね…

そういう意味では一度まっさらにして学習阻害及びサインを追加して一応学習されないことになってるサイトに再アップするのはアリだと思う。シンプル黒歴史清掃目的でやっており再アップすらせず歴史の闇に消す人もいるが、そういう人はアカウント消した方がいいと思いますなりすまし防止のために消した1ヶ月後に同じIDダミー垢を作っておこう。

 転生しただけで本当はAI肯定してるんですか?と思われかねないのでね。

長すぎるため後半に続く

https://anond.hatelabo.jp/20241115155137

2024-10-26

歴史上最も重要弱者男性10

1. ガリレオ・ガリレイ

天文学の父と呼ばれ、地動説提唱して教会から異端として迫害を受けた科学者孤立無援の状況でも真理を追求し続け、近代科学の基礎を築きました。

2. ニコラ・テスラ

電気工学革新者として知られるテスラは、時代の先を行き過ぎたために経済的な困窮と社会的孤立経験しました。彼の発明は、現代の電力システムに計り知れない影響を与えています

3. ソクラテス

アテネ哲学者で、批判的思考を通じて社会常識に挑戦しましたが、多くの敵を作り、最終的には死刑判決を受けました。彼の思想は後世に多大な影響を与えました。

4. フレデリックダグラス

アメリカ奴隷解放運動指導者であり、自らの苦境を乗り越えて黒人権利擁護しました。彼の言葉と行動は人権運動に大きな影響を与えました。

5. ヴィンセントヴァンゴッホ

彼の作品生前ほとんど評価されなかったが、後に美術界において革新的存在として認識されました。精神的な病に苦しみながらも、自らの芸術を追求し続けました。

6. エドガー・アラン・ポー

独特な作風世間から距離を置かれながらも、ホラー推理小説先駆者としての地位を築きました。彼の作品は後の文学に大きな影響を与えました。

7. ジャン=ジャック・ルソー

人間自然性や自由を強調した思想家であり、政治的社会的変革に多大な影響を与えました。彼の思想は、後の民主主義人権概念寄与しました。

8. ピョートル・チャイコフスキー

社会的孤立個人的葛藤を抱えつつも、革新的音楽を作り続けました。彼の音楽は多くの人々に愛され、クラシック音楽の一部として重要視されています

9. 孫文

中国革命の父と呼ばれ、清朝打倒を目指して奮闘したものの、反乱が失敗する度に国外へ逃亡を余儀なくされました。信念を持ち続けたものの多くの支持を得るのには時間がかかり、長期間わたり孤立無援の状態が続きました。

10. ヤハウェ

古代の神として、人間との関係性において弱者の側面を持つ存在特に貧困や抑圧に苦しむ人々を守るための存在として描かれ、信仰の中で「弱者男性」としての役割果たしてます

anond:20241026000035

2024-10-22

ゲーム機コントローラ電池式ってそんなにいいものなん?

たまたまおすすめ欄に流れてきたこポストなんだが

https://x.com/MUNETATSU/status/1848295395107201055

デメリットの方が遥かにかい気がするんだが、みんな気にならないの?

・充電された電池を常備しておかなければならない

ゲーム中に電池切れになったら交換のため中断を余儀なくされる

電池がない場合ゲーム機本体とUSBケーブルで繋がなければならない

 →我が家テレビソファが離れていて2メートル以上の長いケーブルが要るし、子供家族テレビの前を通った時にケーブルを引っ掛けてしまリスクがある

内蔵バッテリー式だと

・遊んでいない時は充電器(市販スマホ用で事足りる)に繋いでおけば良い

プレイ中にバッテリーが切れそうになったらUSBケーブルで手近な充電器に繋げば良いので中断のリスクほとんどない

 →我が家ではソファから手の届く範囲スマホ用充電器があるので50cm程度のUSBケーブルで事足りる

電池式は素晴らしい」って、熱心なファン牽強付会なだけな気がする

名作といわれる昭和映画「はなれ瞽女おりん」(1977年)を観たので感想を書く

最近昭和ドラマ映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。

正直、この年齢になるまで篠田監督作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物人間性時代矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。

映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵鶴川原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身選択ではなく、レイプによるものだった。

そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族存在がほのめかされ、ついには母親存在告白するシーンは映画クライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。

時代背景と家制度矛盾

この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川共通するのは、このイエからの周縁性だ。

天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパ統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体世帯すべてのレベルで上から下まで論理的整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。

大正デモクラシーはそうした不条理解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治毎日新聞をにぎわせた。

脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたとき鶴川叫び「何が、国民皆兵だ。金持ち徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度矛盾を背景に、映画鶴川叫びやおりんの境遇を通じてその時代不条理を描いている。

また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観生活の変化を象徴している。

そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。

男女の非対称性

この映画特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。

鶴川官憲連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。

鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このとき岩下志麻の演技すごい。

このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station降旗康男監督1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。

水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。

好きな男には帰る場所別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。

おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないかあんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。

鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会現実瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。

鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。

女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。一方で同時代男性歌手では、何気に上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊松山千春の「旅立ち」が典型

この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマおしん」でも同様にみることができた。

おしん物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲拷問され転向余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家父親貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。

水上勉の描く世界と非常にシンクロした世界観だと思う。



映像表現演出の巧みさ

「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。

男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポ絶妙だ。

また、ラストシーン親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品

おりんの物語は、単なる一人の女性悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代のものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。

篠田正浩監督が描きたかった「日本原風景」とは、単なる美しい日本風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様のものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和ドラマ映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。

また、ドラマおしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。


2024-10-21

発達障害っぽい同僚に疲れ果てた…【追記あり

社員7人の小さな職場で働いているが、その中の1人、Aの言動に2年間悩み続けた結果、自分メンタルが壊れかけている。

Aと私は同期入社でお互い30代前半の中途採用

入社時期も年齢もほぼ同じであることから最初は昼休み等に仲良く雑談していたこともあったが、入社後3ヶ月頃からAのミスが目立つようになり、雲行きが怪しくなってきた。

当時私より上の立場の方は1人しかおらず、その方の注意の仕方がキツいので、傷付かないようやんわり伝えるために私がミスの指摘やフォローをすることが増えたのだが、ミスレベルがまず小学校低学年レベル

漢字だけではなくひらがなカタカナ数字に至るまで誤字・脱字だらけ。電話対応も苦手で、相手の方から聞いた電話番号を間違えてメモしていて折り返しても繋がらなかったり、相手の方から質問されたことに対して答えても上手く伝わらなかったことに腹が立ったのか、どんどん口調がキツくなり、相手を怒らせてしまうこともよくあった。

この場合普通なら「あの時どういう受け答えをすれば相手に納得してもらえたのか」ということを考えると思うが、Aは「こちらがどんなに説明しても理解してもらえない。あの人は変な人だ」と常に他責思考なのだ

かに相手理解力がなくて説明しても通じないこともあるとは思う。ただ、そんなことが続けば自分説明の仕方に問題があるのではないかと考えたり周りに相談したりしてもいいと思うのだが、Aの中では常に自分が正しいと思い込んでいるが故に、そういったことが一切なかった

また、ペアしかできない仕事について、何度手順を教えても頑なに自己流を続けて失敗するため、こちらの仕事が全く進まず、溜まりかねて別の方をヘルプで呼ぶと、通常ならその方がどういったやり方で仕事をするのかを見て、なぜ自分は失敗したのか、次からはどうすれば失敗せずにできるのかを学ぼうとすると思うのだが、Aは私がヘルプを呼んだ瞬間、怒ってその場から立ち去ってしまう。しかも両手の拳をブンッと音がするんじゃないかと思うほど強く振り下ろし、「私、すっごく怒ってます!」と言葉にはせずとも態度で分かるような行動を取る。

これにはヘルプで来てくれた方も呆れ果てていた。

こんなことは日常茶飯である

また、顧客の方から発注依頼を受けた際、Aは発注を忘れていて、発注物が届く頃になっても届いたという連絡がないことを不審に思った顧客の方からの指摘を受けて私が慌てて発注をかけたことがあった(発注システム上、品物を直接顧客の方に送ることができず、必ず届いたら連絡して取りにきてもらう必要がある)。

発注物が届くであろう日は私が休みであったため、「届いたらすぐに顧客の方に連絡するように」とAに声を掛けたが、翌週私が出社すると届いた品物が連絡されることなく棚に放置されていた。

出社してすぐに慌てて私が連絡すると顧客の方はすぐに品物を取りに来られた。それほど急を要していたのだ。

発注を忘れたことでただでさえ待たせてしまっているのに、届いたという連絡すらも忘れてしまっていることに怒りが湧き、どういうことなのか説明してもらおうとAに尋ねると、私の言うことは完全に無視して、今しなくてもいい雑用をしていた。

この時に私のAに対する信頼は地に落ちた。

それからミスは続き、Aが休みの日でもAが残していったミスの処理をしているような状況になった。

もう何も仕事をしない方が周りは助かるという状態だ。

ただ、聞く耳を持たずに自己流を貫き通すのでミスはどんどん増え、例えどんなに簡単作業であっても任せることができなくなり、Aがすることはどんなことでも二重チェックが必須になった。

けれど仕事ができないことよりも私が心底傷付いたのは、周りからフォローがなければ何もできないのに、Aが上司に「◯◯(私)の言い方がキツい」と文句を言っていることだった。

入社当初にお局的存在の方からキツい怒られ方をされていたのを知っているので、かなり物腰柔らかに伝えてきたつもりだったが、何度言っても改善しないため、確かにキツい言い方をしてしまたこともあったかもしれない。それは申し訳ないが、自分ミスのことは一切反省せずにひたすら他責思考を続けていることがショックだった。

その後は上司から「Aにはもう何も言わなくていい。何かあれば報告だけして。極力関わらないように。」と言われ、ミスがあっても何も言わず粛々とフォローに徹していたが、私にとってはこれもまたストレスだった。

毎日Aのミスフォローしているのに、私自身はその指摘ができず、上司からAに伝えたところでミスは減らない。しかも忙しくなればなるほどAは苛立ち、メモ帳を机に投げ付けたり、電話対応の口調がキツくなったりしてその場の空気が悪くなるため、なんとか機嫌を良くしようと無理矢理仕事とは無関係雑談を振って、会話をしてくれるようになったところで仕事を振る(こんな状況でも仕事を振らなければやっていけないほど人手不足)ということに疲れ果てていた。

そこまでして振った単純作業でもミスをしてそのフォローを周りがしなけれないけないため、もうどうしようもない。

Aは何度も面談で呼び出されていたため、上司も同じく疲れ果てているだろうが、先にメンタルに不調を来したのは私だった。

私だけでなく上司殆どAに仕事を振らなくなり、会話が少なくなってくるのと同時に私とAの関係はその後どんどん悪化の一途を辿ったが、社会常識としてなんとか出社時の挨拶だけはするようにしていた。

Aから私に挨拶をしてくれることは皆無だが、私が挨拶をするとAは返してはくれる。ただ、関係性が悪化するにつれて挨拶もどんどん素っ気なくなっていき、私が挨拶すると心底嫌そうな顔で、心底嫌そうな声で、ぼそっと聞こえるか聞こえないかくらいの声で返してくるようになった。そんな態度は全スタッフの中で私に対してだけである

上司から関わるなと言われていたこともあり、「そんなに嫌ならもう挨拶もやめておこう」と、この日記を書く4〜5日前からから挨拶もしなくなったのだが、今度はそれに対する罪悪感が募った。

挨拶すらできない常識のない人間に成り下がったような気分になり、出社してきた人を無視しているような、まるで自分いじめをしているような気持ちになった。

それに耐えかねて思わずという形である挨拶してしまったのが悪かった。

目も合わさず、あの嫌そうな顔と声でなんと言っているのか聞き取れないような挨拶が返ってきて、(あ、そうだった。これが返ってくるのが嫌でやめたんだった)とフラッシュバックするような感覚に陥り、その瞬間からAのことが完全に「無理」になった。

まずAに近付くことができなくなった。休憩室に向かうための廊下にAがいるとその廊下を通れないため、遠回りをしてその廊下を通らないように裏口から休憩室に入るようになった。

次にAの顔を見たり声を聞いたりしただけで息苦しさを感じ、緊張状態で体が強張るようになった。

就寝前も出勤時も、Aの嫌そうな顔が頭に浮かび、常に思考邪魔するようになった。

Aを除いた6人のスタッフ全員がAのことで疲弊しているが、こんな状態になっているのは私だけであるため、側から見れば勝手過剰反応しているだけだと思われるだろう。

小規模事業所であるため相談できる産業医もおらず、Aは正社員なのでクビにはできない。できたところで一社である私には何の権限もない。

何か言えばパワハラだ、人権侵害だと騒がれかねず、かと言ってただ手をこまねいていることもできないため再三に渡って上司から注意をしてきたが改善の欠片も見られない。

何かしら問題のある社員であっても配慮をしなければならないというのが日本雇用である訳だが、配慮余儀なくされる周りの人間にも何かしらの配慮があって然るべきではなかろうかと切に思う。

「同様の状況になってしまったけれど解決できた」と言う体験談を待ち望んでいる。

【2024/10/26 追記

皆様、コメントありがとうございます

自分発達障害だと自覚してて迷惑かけてる事に罪悪感を感じている人ならまだいいが、それが無いタイプ絶対に関わっては駄目」

全てのコメントを読ませていただきましたが、このコメントに一番ハッとしました。

そうなんです。自分ミスしたことに対する罪悪感が一切なく、それを指摘してくる人を敵だと認識するタイプで、「フォローしてもらっている」という感覚は皆無であるため、一緒にいるだけで息が詰まります

上司からの薦めで既に心療内科に通院しているようで、担当から環境を変えた方がいい」というアドバイスがあったようですが、本人に辞める気がないこと、また、注意されたら「吐き気がする」と早退してしまうことから上司判断で出勤時間を半分に短縮することで本人と周囲の負担軽減を図ることになりました。

ただ、皆が朝から9時間以上まともな休憩を取ることもできない状況で必死に働いている日でも、後から出勤してきて3〜4時間しか働いていないAが「もう帰りたい」と文句を言ったり、イライラを撒き散らしながらぶっきらぼうな態度で仕事をしたり…と、相変わらずな毎日です。

脳の構造が違うんだと思うようにしていますが、それでもやはり辛いです

因みに本当に小さな職場なので部署異動は不可能です。

2024-10-15

福島県民は現在薩長を嫌っているのか?

 「地域による」が正確な答えだが、これではどういう事なのかわからない、となる人が多いと思うので、表で示してみる事とした。

薩長嫌い度地域
大嫌い会津若松市
嫌い会津その他
やや嫌い二本松市白河市
関係ない福島市浜通り全域
好き郡山市

 「戊辰戦争被害が大きかったから」というのが薩長を嫌う理由で、それは間違いではないのだが単純にそれだけではない。

  1. 新政府敵対した藩の出身者は「賊軍」とされ新政府出世し難かった(できなかった、わけではないので注意)
  2. 会津地方の開発は、他と比べてかなり後回しになった(山が険しく雪が多い、という表向きの理由があるとはいえ新政府会津が嫌いだからが強く影響していると薩長嫌いの地元民は感じている)

 こちらはかなり後まで((2)はあえて言えば現在まで)続いており、「百五十年前の事をいつまで言ってるんだよ」という声には「そうではない」と言いたい。

会津若松★★★

 会津藩の中心都市戊辰戦争では被害甚大だったし、その後の不利益も長く続いた。

会津その他★★

 会津若松以外の地域戊辰戦争で直接そこまでの被害を受けたわけではないが、長年の会津地方冷遇の影響は強く受けてきたわけで……

二本松市白河市

 会津若松に次いで戊辰戦争被害が大きかった。ただし、中通り地方鉄道道路の整備が早く、そちらの被害はさほど続かなかった。純粋戊辰戦争の恨みだけなら、まあこんなもんだろう。

福島市

 福島県における都市の格を江戸時代基準に見れば会津若松の方が上だった、すなわち県庁所在地会津若松になって然るべきだったのが、あちらが戊辰戦争ボロボロになったため漁夫の利的に福島市県庁が置かれる事になった(養蚕が盛んだったため、当時から豊かな街ではあった) そういう意味では、新政府感謝している……かも?

いわき市ほか浜通り

 会津浜通りはかなり遠く(奥羽山脈阿武隈山地と2つも山を越さないと行けない)、戊辰戦争の話もまあ関係ないと感じる人が多い。

郡山市

 郡山市江戸時代までは荒れ地ばかりの田舎だったのが、明治以降

 という事で、現在福島県もっと人口が多い都市である。安積疎水事業を進めたのは大久保利通を始めとする新政府なので、郡山市民としては新政府感謝する方が自然である。市の南には大久保利通を祀る「大久保神社」があるほどだ。ただ、郡山市でなら誰でも薩長と仲良く……かというと、会津から郡山市に移ってきた人も少なからずいて、そういう人は「薩長のせいで故郷を離れる事を余儀なくされた」と思っている場合もあるので安心はできない。

その他

 戊辰戦争のほか、福島県には三島通庸薩摩)vs自由民権運動、という話もある。これも込みで考えるとさらに複雑になるのでこちらは略。

2024-10-10

佐藤健太人生

AI時代の平凡な日本人の予想をAIに書かせたら、さっさと適応して昇進!AI活用で成績アップ!みたいなあまりにも楽観的な内容だったので「お前は楽観的すぎるのでもっと現実的な想定をしなさい」と言って出てきたのがこれ

かに楽観を咎めたのは俺だけどあまりに辛いディストピアをお出しされたのでお裾分けするね

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AI/AGI時代現実的シナリオ

25歳(現在2024年
26-30歳(2025-2029年)
31-35歳(2030-2034年)
36-40歳2035-2039年)
41-45歳(2040-2044年)
46-50歳(2045-2049年)

この時点で、佐藤健太は社会の主流から完全に取り残され、AGIに管理された特別区域で、かつての「人間」としての生活面影を僅かに保ちながら、孤独目的のない日々を送ることになります。彼の人生は、AI/AGI時代への適応に失敗した多くの「平均的」な人々が直面する可能性のある、厳しい現実象徴しています

技術進歩に追いつけなかった結果、経済的困窮、社会孤立精神的苦痛、そして最終的には人間としてのアイデンティティ喪失に至る過程が描かれています。この未来シナリオは、AI/AGIの発展がもたらす社会変革の規模と速度、そしてそれに適応できない個人が直面する過酷現実を浮き彫りにしています

このような未来回避するためには、技術開発のペースと方向性を慎重に管理する必要があります。同時に、教育システムの抜本的改革、新たな経済モデルの構築、そして「人間価値」の再定義が急務となるでしょう。しかし、これらの対策が間に合わない、あるいは効果的に機能しない可能性も高く、佐藤健太のような「平均的」な個人が直面する困難は、今後の人類社会の大きな課題となる可能性が高いと言えます

小説 階伯(かいはく)つづき

百済亡命者たち――日本への道

百済滅亡の報せが朝鮮半島全土を駆け巡るとき、そこには絶望だけでなく、わずかな希望が残されていた。それは、百済の地を追われた者たちが、遥か倭の国――大和への亡命の道を選んだことだった。

百済の都泗沘(しひ)が炎に包まれ王族貴族、そして多くの百済の民が散り散りになって逃げる中、一握りの者たちは東へ、海を越えて大和へと渡ることを決断した。彼らにとって、倭はかつて同盟を結び、文化技術を共有してきた縁のある国だった。遠い異国ではあったが、そこに生き延びる希望があると信じていた。

渡海――苦難の旅

夜の海は静かだったが、波は冷たく、命の危機を感じさせた。百済から亡命者たちは、わずかな船団に身を寄せ合い、倭の地を目指した。彼らの目には、故郷を失った悲しみと、新しい土地での不安が浮かんでいた。

中でも、若き百済貴族、武珍(ムジン)は、家族と共に海を渡ることを決断した一人だった。彼はかつて百済王宮官職を務めていたが、新羅と唐の連合軍が攻め込むと、命からがら国を脱出した。彼の目の前には、父祖の地であった百済が失われ、愛した仲間や民が散り散りになっていく姿が浮かび続けていた。

「いつか…いつか、この地に戻ることができるのだろうか」と、武珍は呟いたが、その声は波音にかき消された。

やがて、彼らの船は倭の大地に辿り着いた。彼らを迎えたのは大和朝廷の役人たちだった。百済から亡命者たちが次々と上陸し、武珍もまたその一人として新たな生活を始めることとなる。だが、そこには異国の地での試練が待ち受けていた。

新天地大和

亡命者たちは大和王権に迎え入れられたものの、その生活は容易なものではなかった。彼らは、異国の地で自らの文化風習を持ち込む一方で、大和風土や習慣に馴染む必要があった。特に故郷を失った哀しみが胸に深く刻まれている者たちは、再び自らのアイデンティティを見つけるまでに長い時間がかかった。

武珍もその一人だった。彼は大阪南部に割り当てられた土地で、新しい生活を始めることとなった。この地には既に百済から移民が住み着いており、互いに助け合いながら新たなコミュニティを築いていた。大阪南部河内平野は肥沃な土地であり、農業が盛んだったが、何よりも彼らにとって特別ものは、地名の中に「百済」という故国の名を残せることだった。

「ここは、我々の新たな百済だ」と、武珍は言った。

大和王権の中での百済役割

百済から亡命者たちは、単に新天地生活を始めるだけではなかった。彼らは百済で培った高度な技術文化大和王権にもたらし、その地位を高めていった。特に天智天皇の治世において、亡命者たちは重要役割を果たすこととなる。

天智天皇大化の改新を主導した中大兄皇子)は、近江京を築いた際、百済から亡命者たちを積極的に受け入れた。天智天皇自身百済との強い同盟関係を保っていたため、亡命者たちの技術知識を利用して、近江の地を発展させることを狙っていたのである。武珍を含む百済貴族技術者たちは、天智天皇の招きに応じ、滋賀県周辺へと移住していった。

新羅に滅ぼされ、百済を失ったとしても、我々の技術文化がこの地で花を咲かせるなら、それが我々の新しい故郷となるだろう」と、武珍は自らを励ました。

百済技術者たちは、瓦や製陶技術金属加工、建築技術をもたらし、近江京の発展に寄与した。その中でも、仏教文化先進的な農業技術は、近江の人々にとって大いなる財産となった。百済から亡命者たちは、大和王権の一部として取り込まれながらも、独自文化を維持し続けた。そして、その痕跡は、現代滋賀県に残る渡来系遺伝子の多さにも反映されている。

亡命者たちの遺産

時が経つにつれて、百済から亡命者たちは日本列島に根を下ろしていった。大阪南部には「百済」や「加羅伽耶)」といった故国の名を冠する地名が残され、滋賀県には亡命者たちの末裔が多く住み着いた。彼らの遺伝子は、日本列島の中で異質な文化を生み出し、後の日本文化に大きな影響を与えた。

武珍も、かつての仲間たちと共に大阪南部で新たな百済を築き上げた。そして、彼の子孫たちは、百済の血を引き継ぎながらも大和王権に忠誠を誓い、その技術知識を後世に伝えた。

故郷は失われたが、我々の血は生き続ける。我々の文化は、この新しい土地で栄え続けるだろう」と、武珍は亡命者たちと共に夜空を見上げ、倭の地で新しい未来を夢見た。

こうして、百済亡命者たちの物語は、日本歴史の中に深く刻み込まれていった。朝鮮半島を追われた彼らは、決して故郷を忘れることなく、新しい大地でその魂と誇りを守り続けたのである

朝鮮半島奪還――日本宿命としての目標

天智天皇近江京を築いた時、百済から亡命者たちは日本の地に根を下ろし、新しい生活を始めた。しかし、彼らの胸には常に故郷である朝鮮半島への想いが宿り続けていた。日本という国がまだ形成されつつある時代、その根底には、失われた「伽耶」や「百済」を取り戻すという強い願望が隠されていた。

天智天皇は、ただ単に新しい京を築いただけではなかった。彼の統治の下で、大和王権は次第に「日本」という国としての形を整えていった。しかし、その目標の一つには、かつて倭人支配していた朝鮮半島南部――伽耶百済の地を再び日本の手中に取り戻すという、壮大な夢が秘められていた。

朝鮮半島に築かれた前方後円墳存在――それは倭人がその地を支配していたことを示す確かな証拠だ。前方後円墳日本発明された墓制であり、その巨大な墳墓が朝鮮半島南部にも点在している事実は、かつてその地が倭人にとっての故郷であったことを物語っている。

失われた故地の奪還――幾度かの挑戦

天智天皇時代を過ぎても、この「朝鮮半島奪還」という目標は、日本歴史の中で幾度となく浮上してきた。その後、豊臣秀吉時代には、それが現実のものとして動き始める。

豊臣秀吉朝鮮出兵文禄・慶長の役

秀吉は、天下統一を成し遂げた後、自らの野望を東アジア全域に広げようとした。その第一歩として選んだのが、朝鮮半島への侵攻だった。1592年、秀吉大軍を率いて朝鮮に進軍し、かつて倭人支配していた地を取り戻し、さらには中国大陸まで征服するという壮大な夢を抱いていた。

「我が倭の祖先の地、伽耶百済を取り戻す時が来た。朝鮮半島は、我々日本人の手に再び戻るべき土地である

秀吉のその言葉には、単なる領土拡張を超えた、失われた故郷を取り戻すという深い信念が込められていた。だが、朝鮮戦役は厳しい抵抗に遭い、秀吉計画は失敗に終わる。朝鮮半島の奪還は成し遂げられず、秀吉の死をもって日本軍は撤退余儀なくされた。

しかし、この「朝鮮奪還」の試みは、単なる軍事的野心の産物ではなかった。それは、古代から続く日本人の潜在的な願望――かつての倭人領土である朝鮮半島南部を再び自らの支配下に置くという、宿命的な思いの表れだったのだ。

倭寇――小規模な奪還の試み

大規模な侵攻が失敗に終わったとしても、歴史の中で日本朝鮮半島との間には、常に緊張と抗争が続いていた。その中で、倭寇(わこう)と呼ばれる海賊集団が、朝鮮半島沿岸部中国大陸沿岸を襲撃する形で、奪還の意図を示し続けていた。

倭寇の多くは、正規日本軍ではなく、小規模な武装集団だったが、彼らもまた、朝鮮半島南部をかつての倭人の地として捉え、そこに自らの足場を築こうとした。彼らの襲撃は、単なる略奪ではなく、失われた倭人故郷を再び支配するための小さな試みの一環だったと言えるだろう。

倭寇活動14世紀から16世紀にかけて活発化し、朝鮮中国を混乱に陥れた。特に朝鮮半島南部はその影響を強く受け、倭寇侵略によって多くの地域が荒廃した。これは小規模ながらも、日本朝鮮半島との長い歴史的な繋がりを象徴するものだった。

戦前日本朝鮮半島

そして、最も大規模で決定的な奪還の試みが行われたのは、20世紀初頭の戦前日本だった。明治維新を経て近代化を果たした日本は、軍事力を強化し、再び朝鮮半島に目を向けるようになった。1905年日露戦争勝利した日本は、朝鮮半島への影響力を強め、最終的には1910年朝鮮併合することに成功した。

これにより、ついに日本はその「歴史的な故地」を取り戻すかのように、朝鮮半島を自らの領土として統治することとなる。豊臣秀吉が夢見た「朝鮮半島奪還」の夢は、この時に現実のものとなったかのように思われた。

しかし、この支配もまた、長くは続かなかった。第二次世界大戦の敗北と共に、日本朝鮮半島から撤退せざるを得なくなり、再びその地は遠い存在となった。

朝鮮半島南部――倭人故郷としての歴史的意義

イスラエルユダヤ人にとって失われた故郷であったように、朝鮮半島南部倭人――すなわち日本人にとっての歴史的な故地であり、その奪還は、古代から目標であった。日本前方後円墳朝鮮半島南部に点在していることも、その歴史的なつながりを証明している。これらの墳墓は、単なる埋葬の場所ではなく、倭人がこの地に深く根を下ろしていた証拠だ。

天智天皇からまり豊臣秀吉戦前日本、そして小規模な倭寇――いずれも朝鮮半島南部を取り戻すという潜在的な思いを抱いて行動していた。この「奪還の夢」は、日本歴史の中で脈々と受け継がれてきた宿命とも言える。

現代においても、日本朝鮮半島関係は複雑でありながらも、歴史的な繋がりは消えることなく残っている。かつて倭人が歩んだ地、朝鮮半島南部――それは、日本にとって単なる隣国土地ではなく、彼らの魂が宿る場所であったのだ。

2024-10-07

anond:20241007115015

前身千歳空港軍民共用空港であり、1951年[23]の民間航空再開後、自衛隊機民間機が共用で使用してきた。しかし、1978年千歳空港東京国際空港羽田空港)間の旅客数が世界最多となるなど旅客数・貨物量が増加。大阪名古屋福岡など全国の大都市や、道内各地を結ぶ路線が就航するなど、北海道ハブ空港として機能するようになった。一方で、ソ連機の領空侵犯に対する自衛隊機スクランブル出動は年間200回にも及び、その間、民間機は地上や周辺空域で待機を余儀なくされ、長い場合は30分にもわたることがあった。そのため、航空機安全確保と航空需要の拡大に対応するため、新たに新千歳空港建設されることとなり、1975年昭和50年11月20日[23]に着工。1988年昭和63年7月20日に、民間専用の空港として開港した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8D%83%E6%AD%B3%E7%A9%BA%E6%B8%AF#%E6%AD%B4%E5%8F%B2

2024-10-02

そうすると、広田先生がむくりと起きた。首だけ持ち上げて、三四郎を見た。 「いつ来たの」と聞いた。三四郎もっと寝ておいでなさいと勧めた。じっさい退屈ではなかったのである先生は、 「いや起きる」と言って起きた。それから例のごとく哲学の煙を吹きはじめた。煙が沈黙あいだに、棒になって出る。 「ありがとう書物を返します」 「ああ。――読んだの」 「読んだけれどもよくわからんです。第一標題わからんです」 「ハイドリオタフヒア」 「なんのことですか」 「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語らしいね」  三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けてしまった。先生あくびを一つした。 「ああ眠かった。いい心持ちに寝た。おもしろい夢を見てね」  先生は女の夢だと言っている。それを話すのかと思ったら、湯に行かないかと言いだした。二人は手ぬぐいをさげて出かけた。  湯から上がって、二人が板の間にすえてある器械の上に乗って、身長を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。 「まだのびるかもしれない」と広田先生三四郎に言った。 「もうだめです。三年来このとおりです」と三四郎が答えた。 「そうかな」と先生が言った。自分をよっぽど子供のように考えているのだと三四郎は思った。家へ帰った時、先生が、用がなければ話していってもかまわないと、書斎の戸をあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の用事を片づける義務があるから、続いてはいった。 「佐々木は、まだ帰らないようですな」 「きょうはおそくなるとか言って断わっていた。このあいから演芸会のことでだいぶん奔走しているようだが、世話好きなんだか、駆け回ることが好きなんだか、いっこう要領を得ない男だ」 「親切なんですよ」 「目的だけは親切なところも少しあるんだが、なにしろ、頭のできがはなはだ不親切なものから、ろくなことはしでかさない。ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね」  三四郎はなんとか弁護の道がありそうなものだと思ったが、現に結果の悪い実例があるんだから、しようがない。話を転じた。 「あの新聞記事を御覧でしたか」 「ええ、見た」 「新聞に出るまではちっとも御存じなかったのですか」 「いいえ」 「お驚きなすったでしょう」 「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事はみんな、あんものだと思ってるから若い人ほど正直に驚きはしない」 「御迷惑でしょう」 「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。与次郎社員に知った者があるからその男に頼んで真相を書いてもらうの、あの投書の出所を捜して制裁を加えるの、自分雑誌で十分反駁をいたしますのと、善後策の了見でくだらない事をいろいろ言うが、そんな手数をするならば、はじめからよけいな事を起こさないほうが、いくらいかわかりゃしない」 「まったく先生のためを思ったからです。悪気じゃないです」 「悪気でやられてたまるものか。第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄していると同じことじゃないか存在無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない」  三四郎はしかたなしに黙っていた。 「そうして、偉大なる暗闇なんて愚にもつかないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが実際は佐々木が書いたんだってね」 「そうです」 「ゆうべ佐々木自白した。君こそ迷惑だろう。あんなばかな文章佐々木よりほかに書く者はありゃしない。ぼくも読んでみた。実質もなければ、品位もない、まるで救世軍太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。あれじゃぼくが門下生に書かしたと言われるはずだ。あれを読んだ時には、なるほど新聞記事もっともだと思った」  広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。与次郎はこの煙の出方で、先生の気分をうかがうことができると言っている。濃くまっすぐにほとばしる時は、哲学の絶好頂に達したさいで、ゆるくくずれる時は、心気平穏、ことによるとひやかされる恐れがある。煙が、鼻の下に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して、髭に未練があるように見える時は、瞑想に入る。もしくは詩的感興がある。もっとも恐るべきは穴の先の渦である。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて煙の形状をながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる煙はちっとも出て来ない。その代り出るものは、たいていな資格をみんなそなえている。  三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。 「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまたから、きょうあたりはまた晴々して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」 「ええ」 「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが[#「お話だが」は底本では「お話だか」]、そのほうが、新聞記事より聞いていても愉快だよ」 「ええ。どんな女ですか」 「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」  三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。 「いつごろお会いになったのですか」 「二十年ばかりまえ」  三四郎はまた驚いた。 「よくその女ということがわかりましたね」 「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子かぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙法則は変らないが、法則支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装をしている。髪も昔の髪である黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」 「それからどうしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と言う。 「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだからおもしろい」 「どこでお会いになったんですか」  先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操教師竹橋内へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」 「それからその女にはまるで会わないんですか」 「まるで会わない」 「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」 「むろんわからない」 「尋ねてみなかったですか」 「いいや」 「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。 「それで?」 「それで結婚をなさらないんですか」  先生は笑いだした。 「それほど浪漫的な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」 「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」 「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。 「そのために独身余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」  先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。 「ハムレット結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」 「たとえばどんな人です」 「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子結婚信仰を置かなくなるのはむろんだろう」 「そんな人はめったにないでしょう」 「めったには無いだろうが、いることはいる」 「しか先生のは、そんなのじゃないでしょう」  先生ハハハハと笑った。 「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」

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一二

 演芸会は比較寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。

 それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由説明して聞かせた。三四郎承知した。

 夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。

「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しか三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。

「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから

 先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである

「雨になるかもしれない」

「降ると困るでしょう」

「出入りにね。日本芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」

「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかいからでしょう」

「お神楽はいつでも外でやっている。寒い時でも外でやる」

 三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。

「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋簡単な芝居ができそうなものだ」

先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」

「君ギリシアの芝居を知っているか

「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」

「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」

 また与次郎悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しか斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。

 先生それからギリシア劇場構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいドイツ人の説によるとアテン劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうであるもっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。

 さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である

「どうです、せっかくだからはいりになりませんか」

「いやはいらない」

 先生はまた暗い方へ向いて行った。

 三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである

 入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである

 舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっと与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。

 幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かい談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどもも与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。

 あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。

 隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。

 すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。

 そのそばにいる男は背中三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいあいその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎あいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。

 すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎背中をたたいた。与次郎くるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。

 この連中の一挙一動演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分ひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。

 そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレット写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。

 このハムレット動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。

 その代り台詞日本である西洋語を日本語に訳した日本である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎ハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうであるしか三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。

 したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。

 ハムレットオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなもの結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。

 幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下からはいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。

 本来は暗い夜である人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。

 夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……

 あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎はいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。

「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」

 三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。

「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」

演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」

「いけないたって、しかたがないじゃないか

しかたがないったって、いけない」

 三四郎言葉だんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、

「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである

風邪だろう」

風邪だろう」

 両方で同じ事を言った。しばらくしてから三四郎与次郎に聞いた。

「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」

「美禰子さんの事を? どこで?」

学校で」

学校で? いつ」

 与次郎はまだ思い出せない様子である三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、

「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。

「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか

「きまったのか」

「きまったように聞いたが、よくわからない」

「野々宮さんの所か」

「いや、野々宮さんじゃない」

「じゃ……」と言いかけてやめた。

「君、知ってるのか」

「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。

「どうもよくわからない。不思議な事があるんだが。もう少したたないと、どうなるんだか見当がつかない」

2024-09-29

対策委員会編三章はなぜエデン条約編になれなかったのか

一言で言うなら時代がそれを許さなかった。

……という冗談はさておき、対策委員会編三章は先生の負傷による一時的退場、アツコ救出・列車砲の停止に並行してミカ・ホシノが精神的な問題暴走する等と似通った部分がある。二番煎じであるがゆえ、後発の展開はまさに時代が許さなかった…と言える部分もある。しかし後先の問題ではない差異存在する。

 

先生排除方法に関して

(そもそもここも実際何をしたか明言されていないのだが)地下生活者先生の肉体の脆さを攻めるにあたって、シャーレの直接爆破を選択し、これはプラナによって防がれている。おそらく後にプレナパテスとなった先生はコレによる負傷でシロコ*テラ誕生まで昏睡しており、物語上の位置付けとしてはプラナがリベンジを果たしたシーンではある。

これに対してエデン条約編三章では調印式の会場にミサイルが撃ち込まれた際、シッテムの箱の防御に過負荷がかかったことで後のシーンでサオリに銃撃されるという流れになっている。

地下生活者の爆破とミサイルによる爆破は性質が違う攻撃(実際にヘイロー破壊する爆弾など、特殊効果を持つ攻撃手段はあるので)という可能性もあるが、見た目上は先発の描写では爆破の後襲撃して排除しようとしているのに、後発の描写では爆破のみにとどめて追撃しておらず、一見すると詰めが甘いように思える。

これに関しては地下生活者の敗因として、多少の問題チートによるアドリブ解決してしま性質と初手でフランシス排除してしまったせいで先生情報を共有できなかった、というのがあり、手段差異に限って言えば時間をかけて領地と手駒を用意したベアトリーチェと対極的なプレイングになっただけだとは言える。それでもどうしても後発である以上、シャーレ爆破によって危機感を煽るのは失敗している感が否めない。

 

先生排除によってもたらされた展開

エデン条約編三章では先生の不在にあたって、混迷する事態に立ち向かう補習授業部メンバーの姿が描かれる。アリウス出身であるアズサはサオリ達を止めるため単身立ち向かい、ヒフミはそんなアズサを止めようとするし、ハナコサクラコに託された代行としてトリニティ内での事態収拾を図り、コハル自分にできることを探し回った末にミカを助けようとする。

この補習授業部の努力は個々人の結果としては実を結ばず、アズサは一時的撤退余儀なくされ、ヒフミは置いていかれてしまい、ハナコは拘束されかけ、コハルもまた先生の到着が遅れたら危ない状況だった。しかあくまで直前まで個々人でこなしていた努力はまったく無意味ものではなく、先生フォローによって歯車が噛み合い、反撃に転じていく。

対策委員会編三章ではどうか。単身突撃しようとするホシノに対してノノミを除く全員でかかって返り討ちに遭う。それだけである。補習授業部のメンバーがアリウス出身、行動力、知略、勇気と優しさと役割分担が為されているのと同様、肉体的に強いシロコ、ネフティスの人間であるノミ、ブレーン役のアヤネ、情に厚いセリカという形になっているにもかかわらず、である

その後先生が復帰した際には、先程まで先輩に対する反骨芯に燃えていたアヤネがポッと出てきた提案に飛びついて、そのまま全員先生配下の戦力として状況に振り回されているだけになってしまう。おまけにアヤネ生徒会長プレジデントに一蹴されて自分でも向いてないと辞退し、ノノミ実家の件は執事の乱心がよくわからないまま処理されて流され、セリカに至ってはコハルのような見せ場のひとつも貰えていない。シロコが生徒会の谷で親越えを果たしかけるのが唯一活躍と呼べる活躍だ。

ホシノを孤立させるためだけの展開にしかなっていない。

 

エデン条約編四章と生徒会の谷周りの構成に関して

ベアトリーチェに囚われているアツコを救出する目的で動くアリウススクワッドと先生に並行し、ミカ暴走するのがエデン条約編四章である。アリウススクワッドは前章において敵対していた集団であり、物語の途中途中で彼女たちの過去描写される。そこにセイアの件で暴走したミカが激突し、彼女の今に至るまでの足跡も開示されていく。

対して対策委員会編三章では、ホシノの後追いで後輩メンバーが追いかけるだけで、ホシノ側はバックボーンがよく分からないまま終わったスオウとの中身のないバトルをした後、後輩達と戦い、シロコに根負けした後地下生活者に話をひっくり返されてお流れになる。初期から実装済みのキャラクターであるがゆえ、アリウススクワッドやミカに比べて掘り下げ描写余地が無いというのはそうなのだが、新キャラであるスオウに関しても意味不明のまま終わってしまい、いい雰囲気になりかけていた対話も結局キャンセルされてしまう等中身のない尺稼ぎパートのような印象が残る。

エデン条約編に比べてホシノ一人の描写に終始しており、対策委員会メンバー列車砲の件よりも何よりホシノを止めたいという動機で動いている。結果として、ミカを止めたいけど今はそれどころではないというエデン条約編に対して、対策委員会編はホシノ一人が我慢すれば終わるし、一人を止める目的で一致しているのにどうしてここまで後手後手に回っているのかという印象になってくる。

 

ミカvsサオリ、ホシノvsヒナに関して

アツコの救出に関してに限って言えばミカシナリオ上のお邪魔キャラにはなるのだが、サオリとの対決は物語上重大な意味を持っている。サオリとの対話によってミカ自分最初動機を思い出し、他人自分同様に尊重することを学び、それが他人他人として拒絶する洗脳を行ってきたベアトリーチェへのカウンターとなり、キリエを歌うに至る。

ホシノとヒナのバトルは演出が豪華なだけで物語上の意味は何もない。一応、真実事実差異に関しての先生台詞から推測するとホシノの真実ヒナ事実という対立軸はあるのだが、ホシノがぜんぜん正気ではない上真実がどうこうと言えるのはユメと邂逅した後の話であり、本当にミカとサオリのような対話は一切なく、ホシノがスオウやシロコと連戦した上で戦い、結局ヒナ列車破壊して決着を濁すといった結果が分かり切った勝負しかない。時計じかけのパヴァーヌにおけるネルVSトキのような、ギミックを用いた演出の熱さすらも無い。この後はセト討伐で協力するぐらいしか描写はないのだが、後輩やシロコ*テラーを差し置いてエピローグのスチルまで貰っている。

ホシノとヒナに関しては素材は良いのだからもっとちゃんとした過程があるのならば応援たかったのが正直なところだ。しかしあまりに何も無いまま結果だけいい雰囲気になっているので、虚無度は顔カプに近くないかと思ってしまう。

 

テラー化から復帰するホシノとの精神対話に関して

ここに関しては本当に順序が悪いと思っている。後輩からの呼びかけを拒絶し、先輩と邂逅し別れて、いい感じの曲と共に先輩がいない後輩との二年間を思い出し戻ってくる……という流れなのだが、ユメと別れた後に後輩からの呼びかけが無いせいでなんか吐き出してスッキリたか自力で帰って来たような様子になってしまっている。せめて先輩と別れた後、後輩のみんなと言葉を交わし合って、暴走して振り回した件もここで謝って、先輩に見送られながら復活する……というような流れであれば後輩の扱いに関して思う部分は薄かったように思う。

 

対策委員会編三章の根幹要素に関して

結局三章は何がしたかったのかというと、既に分かり切っている動かしようのない事実に向き合う話を延々やっていたのだが、それは結果の分からない物語に比べて丁寧さが要求される方向性のように思う。前提が覆るからカタルシス生まれる。ホシノのテラー化をいくら死人を生き返らせるようなもの連呼したところで、急に出てきた説明しかないし、ユメは普通の死因で死んでいて復活なんかはありえないけどホシノは帰って来たよ、と言われても事前に低くしたハードルを越えただけの話にしか思えない。こうなるぐらいであれば、ユメの死因は特殊ものにしてアビドスへ舞い戻らせ、ケイアヤメも同様に帰還する可能性を示唆でもしていた方が良かったのではないだろうか。

総じて可能性に満ちた素材を今後の余白を失くした上で投棄したような描写に思えてしまう。

2024-09-28

旦那が優しすぎる

体調を崩し自宅で療養を余儀なくされているのだが、なんかもうなんでもお願いきいてくれる

プリンが食べたいとこぼせば定期の買い物のとき必ず買ってきてくれるし、お茶が飲みたいと言えばいれてきてくれる

なんならいつでも飲めるようにストックまでしてくれてあった

風呂は準備され入るだけ、洗濯ボタン押しておくと干されて取り込まれている

おかゆ作ってと駄々をこねてみたら3食連続で味付けと具の違うおじやが出た

なんだこいつ、本当に同じ人間か?

がんばって元気になりますからもうしばらくよろしくお願いしま

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