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2025-01-23

anond:20250122080443

40年まえから人物メモとりながら銀英伝読んでた俺。

今となっては軽くキャラデザ設定絵もねつ造できるので死角ナッシングとなった。

ここで言われた暴言逐次メモノート記載している

読み返して憎悪を深め、嫌なことがあればこれらのせいにする

俺を不快にした挙げ句、俺を不幸にしやがったのはこいつらのせいだと思いこむことで怒りに磨きをかける

ノート現在30冊を超えました、俺はノート30冊にビッシリ書かれた心無い言葉暴言煽りや見下しによって心を苛まれている

このノートに刻まれ言葉はすべて、俺に突き刺された凶器だぞ

お前らは俺を滅多刺しにしたんだよ、わかるか?お前らは切り裂き魔なの

2025-01-22

夢を忘れないようにメモしている増田酢魔ルみてしも目に紆余位慣れスワを目湯(回文

おはようございます

蛇に噛まれる夢を見たんだけど、

なんか今年は干支が巳の蛇の年だから何か縁起物じゃない?

これが正月初夢だったらなんかもっと縁起が良かった感倍増できたかも知れないけれど、

でも倍増とはいえ2倍じゃないってところが味噌よね。

細ーい緑色の蛇が飛び付いてきてーって感じ。

夢だから痛くないんだけど、

服のところに牙が引っかかってそこでぶら下がっているのよね。

私はノーダメージ。

でもなんとか振りほどく音して前を見たらまた同じような欲しい緑色の蛇がやってくるの!

今何かどっかで見たことあるような蛇だと良く思いだしてみたら、

ゼルダの伝説知恵のかりもの』のかりものの蛇のロープそっくりなの。

そのゲームはもう周回するほどではないなってところで1回クリアしちゃってからはやっていないけれど、

なんか思い出すとその蛇だったかも知れないロープのことだったわ。

あれ結構序盤で使いまくって敵を倒しに行ってもらってたので、

私が逆にその蛇の「ロープ」に襲われる夢だったのかしら?

まあこじつけだけど。

ちょうど今年の夢の干支が蛇なので、

夢調べしてみるけれど

緑色の蛇に噛まれるって調べてみても、

なんか調べるページによっては

意味が逆のことを言っていたりして、

どれを信じたらいいの?って感じになっちゃわない?

で、

そこでChatGPTちゃんなのよ。

でもChatGPTちゃんに訊いたとて解答はなんかマイルドでどちらとも言い難い

良くもあり悪くもあり、

結局夢は何を信じていたらいいのかよく分からなくなってきたわ。

私的にはまあ一富士二鷹三茄子級の縁起物で蛇出てきてわーいって感じで良いと思っていいのかしら?ってところが落としどころよね。

占いってよくある月別とか星座別とか見かけるけれど、

その時の自分が良い運勢だったらわーいってなるけど、

その占いが載っている新聞なり雑誌なりのその媒体を読み終わったころには

すっかり何が書いてあったっけ?って忘れているものじゃない?

ほんのその占いコーナーをチラッと見た瞬間だけの幸福というかまあ当然逆の幸運じゃないこともあるけれど、

すぐに忘れちゃいがちよね。

そんで

今日の私のラッキーアイテムヨットって!

ヨットって海のヨットよ。

そんなの街中に暮らしていたらヨットなんてヨットど見かけないわよね。

ラッキーアイテムとかもあれ何を根拠にって思うことがあるけれど、

キムチ炒飯って言われたとき

うーん、

キムチ炒飯提供している町中華とかなかなかレアじゃない?

自分キムチ炒飯作れってこと?

これもなかなかテクニカルポイントが高いラッキーアイテムで、

あんまりピンとこないわ。

でもそんなラッキーアイテム占いの良い悪いと同じようにすぐに忘れちゃうけどね。

あい占いを1日握りしめて信じて過ごしている人って本当にいるのかしら?

悪いことあったらどうすんの?

金運アップって書いてあったらロト6買うの?

あの通りに素直に生きている

生きていけるってのも逆に言うと羨ましい次第だわ。

もし私の緑色の蛇の夢が蛇注意!の暗示だったら、

どう街中で蛇に注意したらいいのかしら?って思うし、

タライが頭の上に落ちてくる確率よりは

蛇に遭遇する確率の方が高いかも知れないけれど、

仮にAIに凄い計算式でその計算を算出させて遭遇率を割り出してみたら

タライが頭の上に落ちてくる確率10億分の1!

緑色の小さい蛇に遭遇する確率は1千万分の1と

美事に計算叩き出してくれた答えはかなり信憑性のある確率よね!

蛇の方に気を付けた方がいいみたい。

それを暗示するかのように、

朝起きてラジオをつけて流れてきた話題

香港の蛇スープ話題

きっとこの話題のことを示唆していたのかも知れないわ。

試しに「香港の蛇スープ話題ラジオで流れてくる確率」を凄い計算式でAIに算出させてみたら、

100万分の1の確率だって

その確率で流れてきた香港の蛇スープ話題はかなりレアだったんじゃない?

今日ラッキーアイテムがもし蛇スープだったら、

ラジオでその蛇スープ話題を聞いただけでもポイントついたってカウント計上して欲しいわ!

それでラッキーアイテムの蛇スープを回収したってことにして欲しいの、

そのためのそれを示唆した夢だったかも知れないわね。

緑色の小さい蛇に噛まれたってのは。

まあ本当の真相はよく分からないけれど。

うふふ。


今日朝ご飯

チキンサンドしました。

チキンが挟まっているサンドイッチでたんぱく質が摂れますよ!ってウリのサンドイッチ。

新登場だったので、

わず手に取って食べちゃったわ。

もちろんお会計を済ませたあとでよ。

美味しくいただきました。

デトックスウォーター

昨日は珍しくミカンがあったので、

いわゆるコタツミカンの類いよ。

随分前に実家に行った寄ったときにもらってきたもの

その1つを皮を剥いて輪切りにして、

昨日の晩からこしらえて作って置いたもの

ミカンウォーラーオレンジね!

ほんのり蜜柑のかおりかしら?

残りの蜜柑も食べてしまわないと傷んでしまうわ。

ミカンウォーラーもう1つぐらいミカン追加してもよかったかも。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2025-01-20

ばあちゃんが死んだ。

ばあちゃんが死んだ。

僕の40の誕生日の前日に死んだ。

享年95歳の大往生

葬式など諸々終え、家に帰ってきて、やっと落ち着いたところ。

今の心情を自分自身でもいまいち掴みきれてないので、書いてみる。

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親族のみの葬式

とにかく人が多かった。

からない親族が多い。

子ども4人、孫12人、ひ孫19人、子どもや孫の配偶者、ばあちゃん兄弟、その子、その孫。

サマーウォーズより多いんじゃね?

ばあちゃんは寺の娘だったので、親戚には坊さんがいる。

3人の坊さんが経を読む。

坊さんはばあちゃんの甥、坊さん含め親族のみの葬式

先頭で経を読んだのは、ばあちゃんの甥の中で一番下の甥。

通夜葬式はひ孫達が騒ぐ騒ぐ。

ばあちゃんも坊さんも許すから全然オッケー。

ゆるい良い葬式だった。

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経を読み終えたタイミングで謎のフルート演奏

から聞いたのだが、斎場サービスらしい。

完全に場違いフルートに、皆ポカーンとし、奏者も可哀想だな…と思いつつ聴いて、葬式を終えた。

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親族の中でも近い人だけ火葬場へ。

僕も火葬場に向かった。

棺を焼く前に経を読み、最後挨拶

普通と違ったのは、坊さんも参列者と同じように、最後に声をかけた。

一番下の甥の坊さんは泣いていた。

僕は泣けなかったからか、何か知らんがそれを見て僕自身が救われた気がした。

その後棺は焼くことになり、焼けるまで1時間程度待つことになった。

後で聞いたのだが、そのドサクサに紛れて義理の息子である親父は泣いていたらしい。

なんでやねん

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孫の中で僕は上から2番目。

年長の孫であるいとこ、一番下の甥の坊さん、3人で話をした。

最初に、一番下の甥の坊さんに、フルートの時プルプルしてたから泣いてたかと思ってたらアレ笑いを堪えてなかった?とツッコむところから話は始まった。

坊さんあるあるとか色々話をしたあと、当然ばあちゃんの話に。

ばあちゃんの話になると必ずゲームの話が出てくる。

ばあちゃんがいつからゲームやってたのか、とか、何故やってたのか、とか、どんなゲームをやってたのか、とか色々話した。

俺の初めてゲームはばあちゃんお下がりディスクシステムのやつだった、パチンコにハマってたから抜け出すために息子(僕から見ると伯父)が買った、そういえばパチンコにハマってた時期もあった気がする、その前はルービックキューブだったらしい、俺が持ってないPS4とか持ってたぞ、ゲーム好きだったけど上手いわけじゃなかったかレベルアップでのゴリ押し結構多くて1セーブプレイ時間400時間とか700時間だったぞ、、、。

僕らは子どもの頃に話して以降30年近く話をしてなかったが、話題は尽きなかった。

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あっという間に、時間が過ぎ、ばあちゃんは骨になった。

なんというか、あっけなかった。

色々終わって帰ってきた、子どもらも寝かしつけ、一息ついたのが今。

微妙に落ち着かずふわふわする感じがあったので、消化するために文章に残すことにした。

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ばあちゃんがどんな人だったのか。

性格キャラ的なものを今風に言えば、天然系、不思議ちゃん、なのに、生命力強い、どんな環境でも楽しんで生きる、そんな感じ。

やたら印象に残る言動をする人だったので、ばあちゃん話題には事欠かない。エピソード力が強い人だった。

何故か鞄を持ち歩かず、ショルダーバックくらいの袋に荷物を詰め、そして下着の胸の辺り、ちょうどブラのパッドのあたりに、その袋を縫いつけ、小太りというか巨乳に見える感じになっていた。

何かを出す時は胸元から出すことになるが、昔は服の中に手を突っ込みゴソゴソして荷物を取り出してたが、そのうち上手く取り出せないからと、半分脱いで取り出すようになった。

普通に外でもそれをやるようになったので、買い物行く時は子どもや孫の誰かが連れていき、事前に財布を預かって、ばあちゃんの財布から支払う、というのが慣習となった。

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そういえば、ばあちゃんから直接昔の話を聞いたことはほぼなかったことに気付いた。

年寄りは昔話が好きな印象あるけど、ばあちゃんから思い出話をほとんど聞いたことない。昔手に入れた意味分からん謎のハックテクニック、を教えてもらえる程度。こちらの心配する、子どもや孫など周りのこと、ゲームのこと、とにかく今の話しかしなかったからかもれしない。

でも、ばあちゃんの周りからは、ばあちゃんの今まであったことはよく聞いた。

ここからのばあちゃんの昔の話は、皆の話の集合での話なので、何が本当なのかは分からない。

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ばあちゃんは、山奥の陸の孤島のような村にあるお寺の娘だった。

それが若い頃、じいちゃん駆け落ちで峠を越えた、と聞いた。

結果、じいちゃんが良いとこの人だと分かり、許してもらい帰ってきた。昔っぽい。

あとで聞いたのだが、じいちゃんバツイチ寡夫?だったらしく、ばあちゃん結婚した当時、ばあちゃん20、じいちゃんは44。そりゃ反対するわな。

それに加え、じいちゃんを知るであろう寺近くの老人達から稀にじいちゃんの話を聞いたことがあるのだが、どれも掴みどころがない。水墨画を描いてた、木こりだった、スキー板を作って売ってた、馬に乗って駆けてた、等々。皆のいうことが毎回違いすぎて何をしてた人なのかがマジでからない。今で言うフリーターだったのでは、と思ってる。

その後、ばあちゃん子どもを4人産んだが、3番目の子である僕の母が4,5歳のときに、じいちゃん結核で死んだ。

ばあちゃん身体を壊し、病院入院

生活ができないので、子どもらは、伝手のある寺が運営する児童養護施設生活することに。

何年かそんな生活が続き、長男(僕から見れば伯父)が中学卒業してすぐ働き始め、生活ができるようになったので、ばあちゃん兄弟らを集め、また一緒に生活し始めた。なんという「ひとつ屋根の下」。(ひとつ屋根の下、当時母はめっちゃハマって見てた)

その後しばらく経ってから長男は僕の母を除いた兄弟とばあちゃん自営業を始めた。

ここから人生に関しては、ばあちゃんにとって比較順風満帆人生だったと思う。

たぶん。

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僕はばあちゃんに一番可愛がってもらった孫だったように思う。

ばあちゃんファミコンをやるひざの上に乗ってたのが僕だった。

おかげで、僕は立つのより早くゲームをやっていた。

ある程度大きくなると、ばあちゃんの家によく泊まりに行った。

今思えば理由は単純で、高橋名人名言ゲームは1日1時間!!」を家では親が守らせようとするが、ばあちゃんの家では、朝から晩までゲームをやっていても怒られない。

ばあちゃんも、ゲーム攻略に詰まると、孫を積極的に呼んで、攻略方法を聞いたり、分からなくてもプレイしてやってみてくれとせがんだ。

僕が一番可愛がられたが、他の孫達も顔を出せば、同じように攻略をせがまれたので、孫らは皆ばあちゃんとみんなゲームをした経験が一度はあるように思う。

息子(僕から見て伯父)の自営業職場とばあちゃんの家が一緒になっていて、ばあちゃん生活は、昼間は働き、ご飯風呂趣味の畑仕事、残った時間はほぼゲーム、が大半だった。

昔はマリオとかアクションをよくやっていたが、途中からドラクエFFといったRPGが好きだった。

先にも書いたようにゲームやるからといって賢かったり上手かったりするわけじゃなかった、いわゆる下手の横好きだったので、とにかく朝から晩までゲームをし、攻略ノートを作ってメモをし、自分攻略ノートを見ながらプレイしていた。

何度も何度も飽きずにトライエラーを繰り返しまくるので、ばあちゃんセーブデータは、装備やアイテム微妙なのに、レベルが異常に高いことが多かった。

おかげで、途中からやった僕ら孫たちは、ばあちゃん説明するハマりポイントをひと通り振り返ったあと、装備を整え、ちゃんゲーム内の説明みてやれば、案外すんなり先に進めた。

ゲームをやるとばあちゃんから駄賃がもらえた。

ばあちゃんの駄賃は、できるだけゲームにつかった。

他の孫たちもゲームプレイし終わったら、中古屋でなく、ばあちゃんゲームを流した。

ばあちゃん自分ゲームを買っていた印象がほぼないが、とにかくばあちゃんの家にはゲームがたくさんあった。

ベッドの下の収納ボックスには、ソフトがギッシリ詰まっていた、

初代ファミコンスーパーファミコンPSPS2、64、ゲームキューブ、xbox…僕も大きくなるにつれ頻度が減り、就職地元を離れてからさらに頻度が減ったので、僕の知らないゲームハードもありそう。

見た記憶では、古いハードソフトはなかった気がするので、時折捨ててたのかも。

孫らで集まって話をした際に出てきたゲームタイトルは皆違ってた。

FFドラクエテイルズスターオーシャンゼルダ武蔵伝、等々。

ばあちゃんの妹の孫とかい若い男の子も来てて、ばあちゃんとのゲームの思い出話をしてたのは驚いた。

それもあって、親族のみの家族葬だったのに、縁のある親戚までも集まり、やたら人数の多い通夜葬式になった。

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ばあちゃんの僕の可愛がり方、溺愛ぶりはちょっとすごかった。

親戚一堂からは、溺愛しすぎて恋人みたいだ、と笑われていた。

義理の息子である親父もかなり溺愛してたので、本物の息子一堂から、本物の息子より息子してる、と親父も笑われていた。

ばあちゃんは、下駄が好きでよく履いてたのに、胸元に袋が入っていたから、ハキハキ歩くことができず、ペンギンみたいな歩き方になっていた。

不安定ゆっくりな歩き方だったので、当然荷物はまともに持てないし、隣を歩く僕の服の袖のあたりをつかんだりすることが多かった。

僕がいない時は、親父が並んで服の袖をつかまれていた。

僕や親父はその認識だったのだが、妹いわく、妹と一緒だと、不安定な歩きのままズカズカ先に歩いて荷物を持ってる妹に早く行くぞと先行してく、僕や親父の前だと猫を被ってる!!男尊女卑だ!!と愚痴っていた。

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孫らから流れてきたゲームで躓くと、当然元々ゲームの持ち主の孫に攻略を聞くことが多かった。

ひとつ印象に残っているのは、FF 10

平原マカラーニャの森あたりにいて、攻略手伝って欲しいからと、泊まって欲しいと、ばあちゃんにせがまれ、泊まることになった。

一緒にプレイし、ご飯も食べ、風呂も入り、寝る前にもう1プレイ

ちょうどそこで、マカラーニャの森の超ロマンティックなラブシーン。

当時、高校生だった僕は、真夜中に部屋を暗くして、ばあちゃんと並んで何観てるんだろう……と絶妙な気分になっていた。

ふと、横目でばあちゃんを観ると、キラキラした目で、★★素敵★★みたいなリアクションで、滅茶苦茶一生懸命みてたので、まぁいいか、と諦めにも近い気持ちになった。

その後少し経って、新しい孫がまた産まれ、ちょうどその孫の名前FF10ヒロインと同じ名前だったので、滅茶苦茶喜んで良い名前だ、と褒めていた。

葬式最後フルートが、美空ひばりの「川の流れのように」だったので、「ザナルカンドにて」をかけてあげれば良かったのにな、とフルート演奏を聴きながら、このことを思い出していた。

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葬式の参列者の話などを聞くに、僕がばあちゃんのところにあまり行けなくなった後も、他の親戚やゲームの関わりもあって、楽しくは過ごせていたようだった。

それが、6年前、真夏の早朝に、もうひとつ趣味であった畑仕事の途中で、脳卒中で倒れ、近くの通行人発見され救急車で運ばれた。

ばあちゃんは、脳死状態になった。

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主治医や長年お世話になっているかかりつけ医によると、意識回復する可能性は万に一つもない、そんな状態とのことだった。

ばあちゃんは、これまで大病患って、入院して死にかけたことは何度かあった。

入院のなか、どうしても回復傾向が見られない、という状況になってから、僕に連絡が来て、急遽地元に帰ってお見舞いに行くと、ばあちゃんゲームの話になり、そういえばプレイ中だったあのゲームの続きがやりたい、早く治して退院せねば!!と急にやる気になって、そこから超回復、という展開があった。

今回は流石にダメそうだった。

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流石にばあちゃんももう90だったので、そういう覚悟をしておかなきゃ行けないことは分かっていた。

病院に見舞いに行った際、分かっていても、それがただ寝ているようにしか感じられなかった。

手術のあとに寝てます、みたいな感じで、ただ寝てるだけ。

もう起きることは無いのに、そんなふうにしか感じられなかった。

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僕がその後ばあちゃんの顔を見れたのは、少し経って、ばあちゃんの家で介護するようになってからだった。

ばあちゃん介護に行く母について、ばあちゃんの家に行った。

病院よりも設備簡素になったためか、ああ、これは本当にもう目覚めないんだな、と今さらながら実感した。

そんな中、母はばあちゃんの世話をしながら、前よりちょっと良くなったとか、こうやってやると反応する、など色々話をした。

もう目覚めない、と分かると同時に、まだ生きてる、とも感じられる。

死んでるのだが、生きてる。

ばあちゃんが死んだと聞いて、葬儀の一連の流れを終えた今、本当に死んだ今この時よりも、あの瞬間が正直しんどかった。

今、思い出すだけでも、心が重い。

死が突きつけられるのに、世話をすればちゃんと生を感じられる。

その中で世話をし続けられるのか。

母すごいな……と。

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あとは死ぬだけ。

それを受け入れるための有余の時間が与えられた感じだった。

ゲームができない、楽しみに一生懸命になれないばあちゃんは、ばあちゃんなのか。

身体なのか、脳なのか、心なのか、それとも人格なのか、習慣なのか。

生と死に対することをぼんやり思いにふける。

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そういえば、ばあちゃん霊感が強い、というのがもっぱら周りの評価だった。

悪霊や死んだ人が見える、というより、死ぬ寸前の人が魂だけになって飛んでいるのを虫の知らせのような感じで分かるのだ、とか。

それで、遠方や疎遠になった知人の安否を確認し、それを当てることが多かったので、霊感が強いとされていた。

稀に、じいちゃんが迎えに来ると、まだやりたいことがあるから迎えに来んどいてくれーー!!と必死にお経を読むことがあるのだ、とか。

僕は実際にどの話にも立ち会ったことは無いが、確かにばあちゃんはその辺りの勘が冴えているような雰囲気があった。

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ばあちゃんの話を信じるとすると、脳死のばあちゃんには、ばあちゃんはいないことになる。

ばあちゃんがどこに行ったかは分からないが、ばあちゃんは生きているが死んだ。

あとは身体死ぬまでに、その死を受け入れてくしかない。

幸い、受け入れるまでの時間を6年も貰ったので、ばあちゃんの死、葬儀はなんとか受け入れることができた。

コレがポックリいかれていたら、悲しすぎてどうなっていたか想像できない。

正直助かった。

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心の準備は整えていたとはいえ、僕の誕生日の前日に亡くなり、僕の40歳誕生日がばあちゃん通夜になるとは、流石に予想つかなかった。

何もできないはずの死ぬ瞬間まで、印象を残す人だった。

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ばあちゃんの教え、みたいなのは、本当に全然覚えてないのに、ばあちゃんとの思い出はたくさん出てくる。

老人介護おむつを買いに行った際には、コレ凄く便利でトイレに行かなくても良いかゲームができる!!とドヤ顔したり……

我が弟が母の付き添いでばあちゃんの買い物に付き合うため家に呼びに行ったら全裸ゲームしてたり……(前日夜風呂上がりに服着替える前にゲームをやり始めたら止まらなくて翌朝までやり続けていたのが真相

僕がいとこと一緒に富士山近くに旅行した際、いとこに「富士山のかけらだ」と言って渡したそこら辺に落ちてた溶岩石が、何故か数年後ばあちゃんちの神棚に飾ってあり、いつの間にか凄い石だとして御神体みたいになってたり……

なんかあり過ぎて、もう思い出せない。

でも、何かあるたび、何気ない面白かった思い出が掘り返される。

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自身もばあちゃんと同じく、子どもが4人いるので、悲しみに暮れている暇はない。

悲しくてしんどい、みたいな感覚はないのだが、なんか気持ちふわふわして落ち着かず、何かにつけてやる気が起きない。

この文章も、このままではいけないと思いを決して、何度かに書き分けながら、書き進めている。

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やる気がでないので、ぼーっと異世界転生ものアニメを観ても、ばあちゃんだったらマジで異世界にすら行きそうだな、行ってて欲しいな…と想像してしまう。

ココまで書いた文章自分でも振り返ってみると、ばあちゃんの最大の教えは楽しむこと、それ自体のような気がしてきた。

から初七日とか四十九日かに法要やるってことは、亡くなってからそれくらいの日数はこの感覚は抜けないのかもしれない、と諦めることにした。

とりあえず楽しめるようになるまで、このままぼーっとふわふわすることにしよう。

2025-01-19

最高の新年会(サシ飲み編)

友人と年1で新年会をしている。

お互い家庭の事情仕事の状況でこんな間隔だが、1年空くとそれなりに変化や積もる話があって話題が尽きることがない。

今回は自分の街に来てくれたので、店選びから力を入れたのでメモ

という流れ。

お店を2人の合意で選ぶのがポイント夕方スタートなら、もう一軒行きます?っていう流れもスムーズ

そんなんで二次会も行って、16〜21時まで飲んだ。最高だったよ。

仕事中以外は勉強しないプログラマー20年やってきたけど限界がきつつある

入社最初の3年ぐらいは休日勉強してたんだけど、ある日「いくら頑張っても給料上がらねえし、仕事中に学べる分だけでええわ」と気づく。

そこから20年、ずっと休日勉強せずに遊んできた。

でもいよいよ限界が来たっぽい。

ぶっちゃけ今までは仕事時間中に色々検索して勉強してたんだけど、それやってる時間労働時間カウントしてはいけないってルールになってきた。

俺はそれに対して「えぇぇぇ!?じゃあ何も調べずに今知ってる知識範囲適当に組めばいいんですかぁぁぁぁあ!?」とわざとらしく煽ってやったんだがそれが良くなかったらしい。

勉強時間仕事としてカウントすることが一切禁止というお触れが出てしまった。

そこで俺はすかさず「えぇぇぇ!?じゃあ仕事中に調べないと分からないことが出てきたら、勉強のために時間休でも取れってことですかい旦那!?」と更に煽ってやったんだが、これがまたしても失敗だったらしい。

「わからないことがあったらメモをしておいて、就業時間が終わってから自分時間勉強するように」という意味不明ルールが始まったのだ。

もう終わりだよこの会社

転職活動しなきゃなあ。

機動戦士ガンダム最大の名作といえば「第08MS小隊しかあり得ない。

なんて意見の人は少数派かもしれない。

根強い人気はあるもの歴代ガンダムシリーズの中では一番人気とは言えないのは本当のところだ。

その主な原因は、監督の途中交代にあるといえるのかもしれない。

元々の監督であり、ストーリー原案者でもある

神田武幸氏が体調不良から監督降板

その後急逝されたことで残されたスタッフたちが、

神田氏が残したノートメモ書きを使って、

ストーリー構成して最後まで作り上げたのだ本作である

当然というべきか神田氏以外に

そのストーリーの魅力の核心部分を理解していた人間がおらず、

話の筋そのものは同じでも、

その魅力の軸となる部分を大きくズラしていかざるを得なかったのが

本作の一貫性のなさであり弱点である

神田降板以降は、

機動戦士ガンダムミリタリー面をより強調した

マニアックな方向へと作品の魅力の軸足を移すことで

なんとか一つの商業作品として成立させている。

交代した監督

「正直に言うとこのお話のどこが面白いのかが全く理解できなかった。」

というような本音雑誌インタビューで答えていたような記憶がある。

そのような状況では本来の今作の魅力を再現することな不可能であるのは当然としか言いようがない。

では、その噛み合わなさの原因はどこにあるのか?

神田氏の代表作は銀河漂流バイファムであるといっていい。

あの作品を覚えている人にとっては理解やすいかもしれない。

異星人との戦争状態という非日常の中で、

宇宙船の中の日常を描くという巧みな演出の積み上げで、

大きな感動を生み出したハートフルなあの作品である

思うに08小隊もそのような非日常の中での日常の積み上げでもって最後に大きな感動を持ってくるような構成になっていた予感をさせる作品だ。

その作品他人監督したときにどのような料理をすればいいのか困惑してしまうのは致し方がないとしか言いようがない。

戦争に行った若い半人前の脇役兵士恋人だけを心の支えになんとかかんとか戦争を生き抜いていたのに、

その恋人が別の男を作ってしまって深いショックを受ける。

なんて話をガンダムという枠組みでもってやってどのように面白料理すればいいのかわからないのは当然といえば当然だ。

そうとなれば元々08小隊が一側面として持っていたミリタリーを描く方向へと演出の軸を移していくのも致し方ない。

ただひとつ言えるのは、神田氏が作品の完成までご健在であれば、全く違った作品となっていただろうことは想像に難くない。

なお本作のヒロインは当時17才井上喜久子が演じている。

2025-01-18

言葉遣いを変えると人格が変わる

注目エントリ見てて考えた事を備忘メモ

3,4年前に大手から中小企業転職した。

新卒で入った大手ゼネコンに近い業界

建設、素材系の業界に勤めてる人は何となくかると思うのだけど、この業界は高圧的な人が多い。

元請け特有の「舐められたら終わり」みたいな意識が強くて若手でも態度が大きくて他人を下に見る人が割といる。

そんな環境新卒から育った自分はもれなく上下に厳しくて意味もなく高圧的な人間だった。

3.4年前に色々あって法律系の専門職に憧れて中小事務所転職した。

そしたら周りの人達が圧倒的に親切で腰の低い人だらけになった。

転職したての頃、無意味に高圧的な自分はかなり浮いてた。

自分がイキった発言して周りが大人対応してくれるから場が収まる事が多くて1人で反省会して死にたくなる、みたいな。

その中で何でこんな偉そうになっちゃうのかなって考えてみて、単純に人に対する敬意が足りないんだなって気がついた。

意識だけ変えてもすぐ元通りになりそうだから思い切ってアウトプットも変えることにした。

お客様対応用の言葉遣いを先輩、上司にも不自然になりすぎないように使うことにして、後輩にもさん付け敬語を徹底するようにした。

不思議なんだけど、丁寧な言葉遣いを心がけているうちに言葉遣い見合いの振る舞いを心がけるようになった。

元々ガサツでイライラやすかったのが言葉遣いに合わせて穏やかになったし、自信のなさから来る高圧的な態度も収まった。

無駄な見栄もはらずに実力見合いの態度を心がける癖がついて、がさつになってしまった部分を俯瞰して反省出来るようになった。

言葉遣いけが人格を変えた訳じゃないんだろうけど、個人的入り口としてめちゃくちゃ効果があったなって思ってる。

2025-01-17

ガンダムオタクストーキングされた話

――当たり前の毎日が、ある日突然不気味な影に蝕まれるなんて、少し前のわたしなら想像もできなかった。わたし中学三年生。受験を控えているため、普段は塾に通ったり、学校でも進路の相談をしたりと、それなりに忙しい日々を送っている。家は住宅街にあり、学校までは歩いて15分ほど。街灯の数はそこそこあるし、真夜中に外を出歩くわけでもないので、これまで怖い思いをしたことほとんどなかった。

それでも、一学期の終わりごろから微かな“違和感”が生まれ始めた。最初は通学路を歩いているとき、「視線を感じる」という程度だった。ふと、だれかに見られている気がして後ろを振り返るのだけれど、そこに人の気配はない。でも、どうにも落ち着かない。そんな日が何度か続いて、夏休みが終わった頃には「もしかしたら、わたしの思い過ごしじゃないのかも」と感じるようになった。

決定的だったのは、ある夕方、塾が終わってから夜に帰宅するときのこと。友達と途中まで一緒に歩いていたが、その子コンビニに寄ると言うので先に別れ、一人で家に向かうことになった。少し薄暗くなってきてはいものの、まだ人通りがゼロというほどでもない時間帯。だけど、その日はやけに背後が気になった。足音が一つ増えているような気がする。怖くなって、道路脇の自販機ジュースを買うふりをして、そっと後ろを見やった。すると、街灯の下に男の人が立っているのが見えた。30代後半くらいに見え、腹が少し出た体型。見覚えのない顔なのに、こちらをじっと見ている。その目つきに、不気味な笑みが浮かんでいたように感じた。

一瞬、心臓が止まりそうになった。「もしかしてわたしをつけている…?」考えたくなかったが、その可能性を否定できなかった。その日は慌てて家に帰り、両親にも打ち明けた。母は「気をつけなさい」と言い、父は「危なそうだったら遠慮なく叫べ」とアドバイスをくれた。わたし自身も「気のせいじゃないかも」と半ば確信していたけれど、決定的な何かがあるわけでもないので、どうにも気持ちが晴れない。そんな宙ぶらりんの状態が続いていた。

ところが、数日後、ついにその男が正面からわたし接触してきた。学校から帰ろうとして、家のすぐ近くの角を曲がったところで、まるで待ち伏せしていたかのように声をかけられたのだ。

「ねえ、中学生だよね? ガンダムって知ってる?」

思いがけない質問に、一瞬「え…?」と固まってしまう。すると男は、妙にテンションの高い声で続けた。

ガンダムだよ、ガンダムプラモデルとかあるだろ? あれ、ガンプラって言ってさ。実は俺、ガンプラ転売して生活してるんだよ。レア限定品とかはネットで高く売れるから、なかなか儲かるんだよね」

まったく身に覚えのない話を次々と畳みかけられて、困惑しかなかった。わたしガンダムに興味があるわけでもない。何より、この男がどうしてわたしの家の近くで待ち構えているのかが気持ち悪い。けれど、怖さと戸惑いで体が動かず、言葉も出なかった。

「もし興味あったら、一緒にガンプラ買いに行かない? 教えてあげるよ。限定版とか、結構大変なんだけどさ、手に入ると嬉しいんだよな」

意味不明勧誘に、わたしは思わず後ずさった。怖い。この人はわたし待ち伏せして、しかもこんな会話を一方的に押しつけてくる。わずかに震える声で、「興味ないんで、すみません」とだけ言うと、逃げるように家の門を開けて中に入った。ドアを閉める直前、わたしを見つめる男の目はまだ笑っていた。あの不気味な笑みが焼きついて、頭から離れなくなった。

その日から、男はわたしの周囲でますます姿を現すようになった。朝、家を出るとき、門の外に立っていることもある。学校の近くで待っていることもある。わたしだけでなく、クラスの友人たちにも目撃されはじめ、「あの人何?」「怖いんだけど」と噂になった。「髪が脂ぎっていて、いつもガンダムTシャツ着てるよね」とか、「30代後半くらいかなあ。ガンプラ転売ってホント?」なんていう憶測クラスで飛び交っていたけれど、わたしからすれば笑い事ではなかった。

どうしてわたしターゲットにするのかが分からない。ガンダムなんてまったく興味ないし、むしろ男の人が言うようなレア商品価値もピンとこない。無視してやりすごそうにも、毎日しつこく声をかけてくる。「おはよう。昨日はガンダム観た?」「ガンプラ買うなら今がチャンスだぞ」など、訳の分からない話ばかり。はじめは無視して歩いていたのだが、そのうち腕を掴まれそうになることもあった。

「逃げんなよ。俺は優しく教えてやろうとしてるのに」

その言い方が、もう普通じゃない。目の奥が怖くて、まるで自分が獲物にされているような、そんな凄みを感じた。学校先生相談し、生活指導の先生が一緒に帰り道を巡回してくれる日もあった。でも、その日は男の姿は見当たらない。先生がいない日に限って、わたし通り道にひょいと現れるのだ。わたし携帯を握りしめて、いつでも警察電話できるように心がけていたが、相手がすぐに手を出してくるわけでもない。曖昧距離を保ちながら、ネットリと追いかけられている感覚だった。

さらに恐ろしかったのは、わたしSNSを探し当てられたこと。プロフィール写真家族友達との写真だったが、そこからわたし本人を特定したのだろう。急にフォロー申請が何件も届き、メッセージで「一緒にガンプラ見に行こうよ」「ガンダムの良さを教えてあげるからさ」としつこく書かれたものが送られてきた。もちろん拒否したけれど、それでもアカウントを作り直して追いかけてくる。

そのSNSアイコンガンダム関係のものばかり。タイムラインにアップされている写真には、大量のプラモデルの箱が積み上げられており、「最近ゲットした限定版。転売すれば倍になるけど、コレクションにしてもいいよな」とか「本当に好きな子出会えたら、このコレクションを見せてあげたい」など、怪しいコメントが並んでいた。わたしは背筋が凍る思いだった。どうやってブロックしても追いかけてくるし、日に日に執着が深まっているようにすら感じられる。

両親も事態を重く見始め、警察相談したほうがいいのではないかという話になった。わたしは「でも、実際に身体的な被害には遭っていないし…」と気が引けていた。学校先生も「警察通報して相手を刺激するのが心配だ」という雰囲気で、結局「注意して帰りましょう」というアドバイスのまま、なかなか大きく動くことができない。その間にも、わたし不安はどんどん募っていった。

そして、ある日の夕方、決定的な恐怖に襲われる事件が起きた。学校文化祭準備があったため、いつもより帰りが遅くなったわたしは、友達と途中まで一緒に歩いたあと、一人で家に向かっていた。塾の時間も迫っているし、ちょっと急ぎ足だった。ふと曲がり角を曲がった瞬間、目の前に男が立っていた。わたしは思わず悲鳴を上げそうになったが、声にならない。

「こんなに遅くまで学校にいたのか。女の子が危ないよ」

まるでわたしの行動を全部把握しているかのような口ぶり。彼はあの不気味な笑みを浮かべながら、何か箱のようなもの差し出してきた。ガンプラパッケージだ。派手な色のモビルスーツが描かれている。

「これ、新作の限定ガンプラ転売したら高いけど、お前にやるよ。あ、でもただじゃないよな? 俺の好意ちゃんと受け止めてくれるなら、ってことだけど」

彼の言葉の節々に感じる狂気めいた雰囲気。逃げなければ、と思っても、足がすくんで動かない。必死に頭を回転させ、「受け取るふりをして箱を落として、その間に逃げる」という作戦を瞬時に思いついた。わたしは手を差し出すと同時に、わざと勢いよく箱を地面に落とした。

「何してんだよ!」

彼は怒鳴り、落ちた箱のパーツが散らばる。わたしはその隙に走り出した。涙があふれて、視界がにじむ。背後から乱暴足音と、「待て! ふざけるな!」という声が聞こえた。息が苦しくなりながらも、どうにか大通りまで走りきり、人通りが増えたところで立ち止まる。彼は少し離れた場所に立ち尽くし、苛立ったようにわたしを睨んでいたが、さすがに人目が多いのか追っては来なかった。

恐怖と悔しさが混じった感情で、わたしはその足で交番に駆け込んだ。そこで出会った警察官は、最初は「どうしたの?」と優しく声をかけてくれた。わたし必死に息を整えながら、ここ数週間の出来事を話した。ストーカーまがいの執着や待ち伏せ行為SNSでのつきまとい……警察官の表情が真剣になっていくのが分かった。

連絡を受けた両親が交番に駆けつけ、わたしが受けた被害を詳しく話すと、警察官は「これ以上放置できない」として本格的に捜査に乗り出すことを約束してくれた。わたしはそこでようやく少しほっとしたが、同時に「もっと早く相談しておけばよかった」と強く思った。

それから数日後、警察が男を逮捕したとの連絡があった。わたしの塾の前で、再び待ち伏せしているところを張り込んでいた捜査員が確保したらしい。男は「自分はただガンダムの良さを伝えたかっただけ」などと弁明していたようだが、わたし写真を無断で撮影して保存していたり、行動パターンメモに書き込んでいたりと、数々の“ストーカー行為”の証拠が見つかり、転売目的で集めたガンプラの山とともに押収されたと聞いた。

ニュースサイト地域欄に、小さく「30代男性ストーカー規制法違反逮捕」と載っていた。名前は伏せられていたけれど、間違いなくあの男だろう。あの不気味な笑み、尋常ではない執着心、SNSのしつこいメッセージ……わたし普通生活は、そんな彼の行動で大きく乱されていた。いま思うと、本当に怖かったし、もし警察に駆け込むのが遅れていたら、もっと大きな被害に遭っていたかもしれない。

男が逮捕されたと聞いてからわたしはようやく外に出るときの恐怖から解放された気がする。とはいえ、すぐに「もう安心」とは思えず、しばらくは父や母に迎えに来てもらったり、友達と一緒に行動したりして、用心深く過ごした。学校先生友達わたしを気遣ってくれたおかげで、少しずつ心の傷が癒えていったように思う。

受験勉強が本格化するにつれ、わたしはあの出来事を少しずつ振り返る余裕もできた。中学生のわたしには、あの男の「ガンダム転売」という仕事自体がピンと来なかった。好きなものを売買することで生計を立てている大人がいることは分かったが、それを理由他人を追い回し、恐怖に陥れる行為正当化されるわけがない。何より、彼自身ガンダムの魅力を熱く語る一方で、人の気持ち無視した行動ばかり取っていたことに、強い矛盾を感じる。

今では、わたしが夜道を歩いているとき、あの男の足音想像してしまうようなことはかなり減った。完全にトラウマが消えたわけではないけれど、警察家族学校先生など、わたしを守ってくれる大人いたことで「一人じゃない」という安心感を得られたのが大きいと思う。

この一件で学んだのは、「変だな、おかしいな」と感じたらすぐに誰かに相談することの大切さだ。最初は「大げさかな」「気のせいかな」と思って、なかなか行動に移せなかった。でも、もしもう少し早い段階で大人相談していれば、あんなに怖い思いをしないで済んだかもしれない。今はその後悔を活かして、少しでも不安を感じたら周囲に声を上げるようにしている。

ガンダムオタクストーキングされるなんて、わたし人生まさか起こるとは思わなかった。だけど、最終的に彼が逮捕されたことで、わたし生活は再び平穏を取り戻した。この先も、いつどこで危険が潜んでいるかからいからこそ、小さなサインを見落とさないように、そして自分の身を守るための行動をためらわないように――そう心に刻みながら、わたしはこれからも前を向いて生きていこうと思う。

2025-01-16

俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった

 俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。

1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん

 俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコン自在に使いこなし、テレビラジオ流れる新しいテクノロジーニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語祖母解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。

 「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名のもの祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しか子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。

2. 図書館よりも頼りになる知恵袋

 祖母知識の幅はとにかく広かった。歴史地理科学文学芸術、果てはゲームまで。どんなジャンル話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいしか自然彼女をそう呼ぶようになった。

 人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢はいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。

 大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母生き方のものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。

3. 日常を彩る“歌”と“人生レシピ

 祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。

 ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。

 彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身ゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたこなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。

4. パソコン越しにつながる世界

 祖母パソコンを扱うだけでなく、インターネット世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンライン海外博物館映像や、世界ニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。

 「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母サクサク辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。

 そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休み自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休み特別に充実していた気がする。

5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ

 祖母機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータ検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかときユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。

 高校生になると、友達関係部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこからもっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。

 そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃん仕分け検索やすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。

6. そして別れの日

 俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。

 そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅く病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつものコンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。

 祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母のものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。

7. 祖母が残してくれたもの

 葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真ノート、そして祖母パソコンが出てきた。パソコンの中には、家族写真データ日記のようなファイルさらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンル知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。

 そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。

 さらパソコンデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞アレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方のものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生象徴だったのだろう。

8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”

 祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。

 そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手立場気持ち想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。

9. 最後

 もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉ファイル、そして一緒に過ごした時間記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。

 歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。

 祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから

2025-01-15

anond:20250115155453

例に挙がってる道路の間違いに関しては、航空写真と照合して事実だろうと言える時は反映するから問題いかなぁ

ただ、実際見かける匿名メモは「○○ **店」みたいな書き込みが多くて、これは真偽判定しにくい(街路写真有か実際行った場所じゃないと判断できない)からスルーされがちなのはそう

anond:20250114190650

匿名で残せるけど匿名メモ元に編集をしていくのは不審行為の一つらしく誰も触らない

なるべくアカウント作成してログインした上で地図メモを残した方がいい

anond:20250115084005

過去にハマった再現性のない自炊増田だけどまさにイグザクトリィそうよレシィピをちゃんと真面目にメモしておかないとなれない自炊レシィピの料理再現性不可能なこともあるから二度と出逢えない自分で作っておきながら出逢えない切なさの美味しさを再現するには大切なことだと思ったのよねこれもでも逆に言うとメモしなくてもいいぐらい何回も何回も作り続けていたらそれこそレシィピいらない秘伝の奥義が繰り出せるようになるかも知れない山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ!またお粥圧力鍋で作るわ。

過去にハマった再現性のない自炊増田酢魔の椅子時否の緯線芸さタッマはニコか(回文

おはようございます

私の今までの増田を集めてて全部は森の熊くまなくは全部目は通して読めないんだけど、

チラッとそれでも目に入るじゃない。

その時に、

私その瞬間それにハマってたんだなぁって。

振り返られることがあんのね。

中でもスパイスにハマっていた時期があったみたいでその流行なに?私のその流行!って

そんなことあったっけ?って

思い出しても調味料の棚にはクミンしかないんだけど、

あーでもエスビーの赤いカレー粉の缶はあんので、

その時に買ったもので何か作ったのかしら。

なんか1回鯖缶カレー適当に1回だけ作ったぐらいの微かな記憶カレー味になぞらえて思い出しても、

反射的にカレーを味わったとて、

私のあの頃のなんかスパイスブームムーブメントにいた頃の味が思い出せないのよね。

うーん、

かに鯖缶カレーを作って適当に作ったけれど美味しく食べたのは覚えてる多分1回きり。

なんかさ、

自炊で美味しいのができたとしても、

調味料とか計ってない適当な配分の適宜よろしく適当にパッパッと入れちゃうじゃない。

から完全再現不可能なのよね。

二度と自分のその味には巡り会えない。

いつも作り慣れているものなら、

適当適宜よろしくなんか再現性はあるものはあるけれど。

こんな感じで1回ぐらいしか作ったことのないサバカレーなんかは再現不可能で、

いや逆に言うと今作ったらその当時を超える美味しくできちゃう可能性もしかり。

同等には出来ないけれど、

以下かそれ以上かのどっちかに振り切れて出来栄えの味になると思うの。

そんなスパイスにハマっていたブームムーブが動いた私の心に覚えているといえば、

そのぐらいなのよね。

鯖缶サバカレー作ったぐらい。

ここで書くつーことは相当なんか作り込んでいたと思うんだけど、

その1品のことしか思い出せないのよね。

まあそんな適当な私の適宜に作った調味料を放り込んで作っている自炊研究の記録も

あれは思い出したわ!

これも一時期ハマってたお粥研究

そのお粥テーマは「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」

私その時の私を思い出すために

なんかその時はそういったレシィピを書き残す習慣がなかったので、

お粥研究に際しては多少のレシィピ、

お米の分量と水加減と鍋の煮る時間はいい加減書いていたと思うわ。

それ掘り起こして

そうなの、

私はお粥を作ってみることにした再ブーム到来か!って感じに私の中で吹き起こる自炊やりたい欲をヒシヒシと湧き出てきたわけ。

そこで、

久しぶりに私の中で一番火力のある調理器具といえば!

そうハイドラント!

いや違う違うそれはスプラトゥーン3のブキの火力の強いやつ!

私の持っている一番の調理器具で火力の強いのと言えば、

そうよ圧力鍋

それを引っ張り出して、

よかったわ。

私窓から圧力鍋は放り投げ捨ててなかったみたい。

だってさすがに鍋を窓から投げ捨てたら下に落っこちとき危ないじゃない?

早速圧力鍋を取り出して、

いつもは小鍋で作っているお粥研究だけど、

今回は高火力圧力鍋よろしくこれで作ってみようとふと思ったのよね。

また忘れちゃうといけないので簡単にレシィピを書いて残しておく私のためにとって感じで

お米半合

水1000ミリリットル

サツマイモ半分

モモ肉1枚

あとお塩小さじ半分

以上!

サツマイモ適当に乱切りに切って、

モモ肉1枚はそのまま切らずに鍋に投下!

これは圧力鍋でほろほろになって、

箸を入れたら崩れちゃう効果を狙ってあえて包丁で切らずに1枚そのままどーんと鶏モモ肉を入れる作戦なのよ!

私のお粥テーマである「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」にぐっと応えそうな鶏モモ肉1枚そのまま!って感じじゃない?

鍋に全部の具材調味料塩だけだけどを入れて

火にかけるのレッツスターティング

鍋が加圧されて蒸気が出てきたら弱火にして加圧加熱15分!

そして15分経ったら火を止めて

減圧されて鍋の蓋が開けられるようになったら出来上がりねっ!

さて、

早速実食よ!

お皿に盛ったサツマイモと鶏モモ肉のお粥

期待通りの仕事をしてくれて

思った通り箸でほろほろと崩せるぐらいの柔らかさの鶏モモ肉はサツマイモの甘さと鶏の脂とが絡み合って甘くいい味になってんのよ!

お粥のお米の加減も若干形が残るぐらいのいい歯触り!

多少ちょっと塩味が物足りなかったけれど

これは適当ポン酢を乗せたら大丈夫よ。

味付けは加減してオーケー

バッチリ美味しくできたわ!

これは簡単なので、

結構再現性高い繰り返し作れるレシィピだと思うので、

美味しくできたからまた作ることができんのよ!

なんでも圧力鍋に入れてお粥作るって

今まで思い付かなかったから新境地よ。

小鍋で作るよりも火加減見なくていいか圧力鍋様々ね。

15分の加圧加熱時間さえ弱火でことこと火の前に居ればいいだけなので

あとは火の前から離れられるし、

ある意味時短っちゃー時短私の担当時間は短くあとは圧力鍋が担ってくれるのよね。

そんな訳で

久しぶりの圧力鍋の試し切りつーか久しぶりに使うそ威力を改めて実感したと共に、

美味しいお粥でご機嫌さんで食べることができたし、

それに再現性もバッチリというまさに16拍子揃った感じの美味しさね!

またリピして作るわ。

たまにはこうやって思い出も振り返ることも必要な時期と良いタイミングだったのかも知れないわ。

しか

なんでその時スパイスブームだったのか何がきっかけだったのかは

よく分かんないのよね。

なんかまたサバカレー鯖缶で作ってみようかしら?

今度は再現性あるようにレシィピメモしながらやってみるわ。

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドしました。

それと今日はヒーコーじゃなくて牛乳に。

いつもヒーコーばかりで

意識して乳製品を摂ってなかったところもあるので、

たまには牛乳も飲みたいとき身体の声を聴き逃さないようにしたいわ!

タマサンドは相変わらずションテン上がって美味しいしね。

ルンルンよ。

デトックスウォーター

ホッツルイボスティーウォーラー

冬のホッツの定番のホッツルイボスティーウォーラーも夏のお茶っ葉昨シーズンから持ち越しもうちょっとで使い切れるわ!

温かくして朝の温活で1日をスタートよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

anond:20250114183131

道や建物が間違ってたらメモつけておけば誰かがそのうち直してくれるよ

自分でやるのもそんなに難しくはなくて、国土地理院地図航空写真とを比較しながら、建物の形を描いたり、道をつなげ直したりできる

異常に複雑な交差点とかでなければはじめは見様見真似でぜんぜんok

osmは現地調査データを稼ぐのが基本だけど、エディタ内で表示できる地理院地図Bing航空写真とかは情報源に使っていいことになってる)

2025-01-14

食品価格(仙台市メモ)📝

買う場所ビッグヨークベニマル。セイユー。コープ。ウジエスーパー。モリヤ。ロピア。つかさ屋。仙台駅1階の3007。むらぬし。あとはお安い八百屋で言えば長町のまるしんなど。あとはカワチや薬局も行く。仙台市外では道の駅など。

🦑メモ

キャベツ。500円以上

ナス。300円以上

ハクサイ。500円以上

トマト。一個80円以上

キュウリ。一本70円以上

ニンジン。概ね複数個で230円以上

コメ。5kgで3300円以上

ナットウ3パック。80円以上

レタス。280円以上

ホウレンソウ。230円以上

タマネギ。3個で240円以上

ミズナ。158円以上

コマツナ。158円以上

ジャガイモ。ひとまとめで200円以上

サンマヨークベニマル20時ごろ安い!

ブタニク。ビッグが豚ロースが100g128円

トリニク。トリムネが100g68円

ギュウニュウ。低脂肪で138円

anond:20250114183131

報告に近いものとして「メモを残す」というのがあるから使うと良さそう

編集アカウント必須だけどメモは非ログインでもできるはず

AI文章の見抜き方

 近年、AI技術進歩に伴い、さまざまな生成AIが登場し、文章を巧みに作り出すようになりました。多くの人が「これはAIが書いた文章なのではないか?」と疑うほどに、AI文章自然流れるようになっています本来であれば、文体言い回し、誤字脱字の有無などからAI文章っぽい」と判断しようとする研究テクニックが取りざたされていますしかし今回のテーマは「AI文章の見抜き方」でありながら、その実はスピリチュアル方法で一切テクニカルに見抜くことなく、むしろAI文章かどうか”すら気にしなくなるような精神アプローチ解決してしまおう、という大胆なご提案です。タイトルと内容がまったく異なるように見えますが、私たちが見ようとしているのは「AI文章を見抜くための技術」ではなく、「どんな文章でも受け止められる自分の心の在り方」というスピリチュアル観点なのです。以下では、その具体的なプロセスをご紹介していきましょう。

 まずは、スピリチュアルアプローチとして定番瞑想を取り上げます。通常、「AI文章かどうか」を判断するためには文章の特徴を細かく分析し、その内容に不自然な点がないか、語彙の選び方に偏りがないか、といったチェックポイントをいくつも確認するのが一般的でしょう。

 しかし、本稿で提案するのはむしろ逆です。そうした分析アプローチをいったん脇に置き、“静寂瞑想”によって自分の心を落ち着かせて、本質を見つめるという方法です。具体的には、目を閉じて楽な姿勢を取り、ゆっくり深呼吸を繰り返しながら、頭の中に浮かんでくる雑念をできるだけ手放していきます意識を「自分の呼吸」と「今この瞬間」だけに向けるのです。

 これを続けると、不思議と「この文章AIなのか、人間なのか」という二元的な疑問への執着心が薄れていきます。心が静まってくるにつれ、文章それ自体の背後にある意図エネルギーをなんとなく感じ取れるようになっていくのです。いわば「どんな文章も受け入れられる状態」を作り上げることが、ここでのポイントとなります

 分析という“頭”のプロセスではなく、直感という“ハート”の領域文章を読む準備をすることで、「AI文章かどうか」という疑念すら必要ないほどに、読む行為のもの純粋に楽しむことができるのです。

 スピリチュアル世界では、ハートチャクラ活性化させることで、愛や共感、信頼といったポジティブ感情を高めることができるとされていますAI文章を読んでいるとき、「これは人間が書いた文章じゃない」と感じてしまうと、どこか冷淡な印象を覚えたり、文章に対して警戒感を抱いてしまうことがあるかもしれません。しかし、ハートチャクラが開いている状態では、文章の背後にある意図エネルギー――たとえそれがプログラムによって生成されたものであろうと――を、分け隔てなく受け取れるようになっていきます

 ハートチャクラを開く簡単方法ひとつとして、胸の真ん中に集中して、ピンク色または緑色の光が広がっているイメージを思い描きながら深呼吸するというものがあります自分の胸のあたりが温かく、柔らかい光で満たされていく感覚意識し、それが全身を包むイメージを持つと良いでしょう。

 この状態キープしたまま文章を読んでいると、「これは本当にAI文章なのだろうか」といった些細な疑念や「もしAI文章ならどうしよう」という不安自然と和らいでいきます。むしろ、人の手による作品AIの生成物かという区別を超え、「そこにある何かしらのメッセージ」を愛の視点で受け取ろうとする姿勢が生まれてくるのです。

 続いては、もう少しスピリチュアル色の強いテクニックとして“エネルギーリーディング”をご紹介します。本来は人のオーラ空間波動を読み取るための方法ですが、文章にも“エネルギー”が宿っているという考え方から文章を通じて送り手の波動を感じ取ることができるとされています

 やり方はとてもシンプルです。瞑想ハートチャクラのワークで心身を落ち着かせた状態で、文章全体をざっと読むだけではなく、文と文のあいだの“間”にも意識を向けてみます文章によっては、なんとなく重たい感じがしたり、逆に明るく軽やかな印象があることに気づくかもしれません。そんなときは、自分が何を感じ、どんなイメージを受け取ったかを素直にメモしてみてください。

 AI文章であっても、人間文章であっても、読む側が「エネルギーを感じ取る」という意識を持つことで、文章との向き合い方はガラリと変わります。これはもはや「見抜く」ためのテクニックではなく、「どんな文章もそれが持っているエネルギーを受け取る」という“受容の姿勢”を高める方法だといえます。結局のところ、テキストAI由来かどうかを超えて、その文章からなにを感じ取れるか――そちらの方がはるかクリエイティブで、豊かな体験となるのです。

 スピリチュアルな探求においては、私たちが生きる宇宙のものを大きなエネルギーフィールドとして捉え、その源流と繋がることによってインスピレーション洞察を得る、という考え方があります。「AI文章かどうか見抜きたい」という疑問が浮かんだときも、さらに広い視点で「そもそも私たちは、なぜAIをこんなにも発達させてきたのか?」という宇宙的な視野に立って考えてみるのです。

 私たち人類の集合意識が“便利さ”や“効率性”を求める中でAI進歩してきましたが、これをネガティブに捉えるのではなく、「人類意識が大きく変容するプロセスの一端」として肯定的に捉えることもできますスピリチュアル視点に立つと、AIの発展も宇宙全体の進化の流れの中で起こる一現象であり、そこには何ら否定的な要素はないのかもしれません。

 こうした“宇宙エネルギー”との繋がりを意識したとき私たち文章を読む行為も、単なる情報インプットではなく、宇宙エネルギー循環の一環としてとらえられるでしょう。AIが書いた文章であろうと、人間が書いた文章であろうと、いずれにせよそれは「源流である宇宙が持つ創造の力」を介して生み出されている、と考えることができるのです。

 スピリチュアル的には、おでこ中央(眉間)にあると言われる“第三の目”を活性化させることで、より洞察力や直感を高めることができるとされています。これによって、「この文章が発している波動はどんなものか」をより鮮明にとらえられるようになるかもしれません。

 第三の目を活性化させるワークとしては、座ったまま、あるいは横になって目を閉じ、眉間に意識を集中させながらゆっくり深呼吸を繰り返すという方法があります。頭の中で淡い紫色青色の光が眉間から頭全体に広がっていくイメージを持つと良いでしょう。しばらく続けると、普段よりもクリア感覚が得られるようになり、文章の持つエネルギーがまるで映像や色彩のようにイメージとして浮かんでくることがあります

 こうした体験を通して、「AI文章は冷たい波動」「人間文章は温かい波動」という二元的先入観を手放すことが大切です。文章ごとに個別波動エネルギーがあり、それはAI人間かという区別よりも、むしろその文脈テーマ書き手が持つ背景や意図といったものに左右されるからです。すなわち、第三の目の活性化は「AI文章を見抜く」ためではなく、「どんな文章でも深いレベルで感じ取る」ためのアプローチとして機能するのです。

 ここまで紹介してきたように、スピリチュアルアプローチでは「AI文章を見抜く」という視点のものを超え、「文章AI人間かという判断を手放す」という境地を目指しています。なぜなら、私たち意識が高次元と繋がり、すべてを包み込む愛や真我の視点に立ったとき、“AI人間か”というジャッジメントは単なる二元論分別にすぎないからです。

 一見、それは「問題からの逃避」のように聞こえるかもしれません。しかし逆にいえば、私たち意識が十分に高まった状態では、AI文章であるかどうかという事実のものがさして重要ではなくなります。そこにあるメッセージをどう受け取り、どう消化し、自分人生や心の成長に活かすか。それこそが最も大切なポイントとなるでしょう。

 情報テクノロジーに溢れた時代からこそ、私たちはどうしても「偽物か本物か」「AI人間か」といった区別意識を奪われがちです。しかし、スピリチュアル視点で見ると、その区別私たち幸福に導くわけではありません。それよりも大切なのは、「どんな情報であれ受容し、自分の中で調和と成長に繋げる」という姿勢なのです。

 最後に、私たち文章と“出会う”ということの意味再考してみますスピリチュアル世界でしばしば語られるのは、「どんな出来事にも意味がある」「すべては必然タイミングで起こる」という考え方です。AI文章出会うことも、また何かしらの必然の流れの中にあるのかもしれません。

 その文章AIによって作成されたのか、人間によって書かれたのか、あるいは人間AIの共同作業によって生まれものか――いずれにせよ、私たちがその文章を目にするという事実には何かしらの意図意味が含まれているはずです。それは気づきの一歩かもしれませんし、学びや癒しきっかけとなるのかもしれません。

 スピリチュアル視点に立つならば、文章の真贋を追い求めるより先に、「この文章出会たこ自体が、私にとってどのようなシンクロニシティ(偶然のようで必然的な出来事なのだろう?」と問いかけてみるのです。その問いかけが、新たなインスピレーションを呼び込み、心を豊かにするきっかけになるかもしれません。

 以上、タイトルは「AI文章の見抜き方」でありながら、実際には「スピリチュアル解決する方法」というテーマでお伝えしてきました。スピリチュアル視点とは、ある意味で「区別を超えて、本質を見つめる」ことにありますAIが生成した文章かどうかに囚われるのではなく、文章をとおして自分自身がどのように変容し、成長し、世界と繋がっていくのかを味わう――それこそが、私たちが得られる豊かな体験なのです。

 静寂瞑想による心の安定、ハートチャクラを開くことで生まれる受容の姿勢エネルギーリーディングによる波動の読取り、そして宇宙エネルギーとの繋がりや第三の目の活性化。これらすべては、AI人間かというジャッジメントさらに奥へと進め、「より深い次元文章と向き合う」ためのツールとなります

 結局のところ、私たち意識が何を求めているかによって「AI文章を見抜きたい」という欲求は変化していきます。もし単純に事実を知るだけでなく、「文章を通して自分はどんな気づきを得たいのか?」と問いかけたとき、そこにはスピリチュアル観点が大いに役立つでしょう。文章との出会いを通じて自分の心を豊かにしたい、魂を成長させたい――そんなときこそ、ここに挙げたようなスピリチュアル方法をぜひ試してみてください。

 AI技術さら進化していく未来においても、“AI文章”と“人間文章”の区別ますます曖昧になっていくかもしれません。そんな時代からこそ、スピリチュアル視点で「見抜こうとする」のではなく、「どんな文章も喜びと調和をもって受け取る」姿勢がよりいっそう大切になってくるのではないでしょうか。文章という形ある情報であれ、エネルギー波動という形なき存在であれ、私たちはそれを通じて常に宇宙と繋がり、相互学び合い、成長を続けているのです。

 その結果として、AI人間境界線すら「まったく気にならない世界」が訪れるのかもしれません。スピリチュアルな考え方を取り入れることで、私たち文章を見抜くテクニックを追い求めるのではなく、文章自分自身の魂との対話にこそ価値を見いだすようになるでしょう。そしてそれこそが、本当に豊かな読書体験をもたらしてくれるのではないかと思うのです。

 これが、“AI文章の見抜き方”というタイトルを冠しながら、実はスピリチュアル解決してしまおうというユニーク提案の全容です。どうぞあなたも、次に文章を読むときは、スピリチュアル視点をそっと持ち込み、文章に宿るエネルギー波動を楽しんでみてください。それがAI文章であろうと人間文章であろうと、きっと新たな気づきインスピレーションが得られることでしょう。

 最後に、この世界にはさまざまな真実が同時に存在しています。「AI文章技術的に見抜く」方法論もまた真実ひとつではありますが、スピリチュアル方法で「見抜かずとも楽しむ」こともひとつの道なのです。もしかしたら、見抜くことに必死になるより、見抜かなくても良いと思える境地にこそ、新時代の知恵が詰まっているのかもしれません。

 どうかあなたが、AI進化する時代を生きる上で、テクノロジースピリチュアルも両方をバランスよく取り入れ、より自由で豊かな人生を送れますように――それが本稿の願いなのです。

anond:20250112124139

さいきんOpenStreetMapにはまってる。ネット上の有志で地図を描くウィキペディアみたいなやつ

アパート名前とか、建物の階数とか、商店街の店の名前とか、コインパーキング場所とか、公衆電話の置いてある位置とか、植木品種とか、散歩に出るたびになにかしら決めたことを白地図メモして帰ってくる

それをPCぽちぽち入力すれば数分後にはアップデートされた地図世界中からみれるようになる。これを一ヶ月も続けるといつもの散歩コースに限ればどの既存地図にもまけない立派な地図ができているはず

それを暇な時にながめてると、この通りの向こう側行ったことないなとか、この路地って通り抜け可能なのか? ここの隙間になってる土地になにかあったはずでは?みたいな疑問がどんどん出てきて、早く散歩に行って目で確かめたい気持ち我慢できなくなってしま

追記: 興味もってもらえた人いてうれしい。地図を描くのに必要なのはひとえに土地勘と地元愛なので一人ができるのは隣町くらいまでが限界で、みんなちょっとでもいいので自分の近所の進捗状況をみてみたりしてほしい

2025-01-13

anond:20250113152328

書いた後疲れて寝てて起きたらブコメコメントいただいて嬉しかったです。

優しい言葉に泣いちゃった。本当にありがとうございます

自分メモにもなるので、ここに今思ったことをいくつか書きますね。

今回は校正してもらってないので、ところどころおかしかったり、読みにくいかもしれません。半分メモだし…ということでお願いします。

ブコメ読んで訪問看護してもらって、またブコメや反応を見ながら書きました。

今日も夜に訪問看護看護師さんが来てて皮膚に転移していたガンの処置をして帰っていった。放置すると患部とパッドが貼り付いてしまうので、念の為にと可哀想だが体を動かして処置必要なのだ。(妻が痛く無いように自分も体を動かすのを手伝う)

看護師は「昨日は苦しそうだったけど、今日はよく眠れていそうで良かった」なんて言ってた。本当にそうだ。

自分ができるのは様子見をていることと、たまに口が乾燥しないように水を少量含ませたスポンジで口の中を拭うこと、体を拭いてあげること、みんなが言うように声をかけてあげることだ。

声をかけたら反応が欲しくなるけど、それよりも苦痛が無いことを願うばかり。

妻の喉が呼吸をするたびガラガラ言っていて痰が心配だ。より酷くなったら看護師電話で呼ぶ予定だが、吸引は本当に苦しむので出来る限りしたく無い。良い状態のままであって欲しい。

(ちなみに口に含ませるスポンジは水を切らないと窒息の恐れがあると言われてていて、絞ってごく少量の水を含ませるだけとなる)


主治医に「もう長くは無い」と言われ退院して自宅で終末期を過ごすことにしたこの一カ月、この選択で良かったのだと思えてきた。

ずっと続けていた、つらい本当につらい抗がん剤の通院は無いし、手料理ケーキなど美味しい好きなものを食べさせられたし良かった。看護師さんも自宅で過ごした意味はあったねと言ってくれていた。

ゲームも少しできたし。

しかし一カ月しか経ってないんだな…前の時間を思い出せないかもっと長い時間だった気がしている。

仕事介護休業などを利用して、前々から休み続けているが、それが無かったらとてもじゃ無いが生活は成り立たなかっただろう。

今、家で一人で妻を見ながら書いてるけど、ブコメ見るたび泣いちゃった。再度、ありがとう

気がまぎれるよ。

妻を看取った人が何人もいて、その後もしっかり生きてて尊敬した。本当にすごいと思う。

ここ一週間くらい、疲れとつらさ、寝不足などで動悸がしていたが、少し寝たり泣いたりした所為か少し収まった気がする。

書くこと、話すこと、誰かが自分気持ちを代弁してくれること、誰かが気持ちに寄り添ってくれること、どれも助けになっていると思う。

妻にはアドバイス通りいっぱい声をかけてるよ。でも喉が疲れてちょっと痛いや。

ブコメなどの反応はできる限り全部見てるよ。本当にありがとう

心に響く反応には言葉に表しきれないほど感謝をしている。本当に。


あ…「ラーミア」だったね。ちょっとクスッとした。

先月プレイしている時、妻はラーミア世界を快適に移動するのをすごい楽しみにしていたのに、もっさりしてることにとてもガッカリして辞めそうになってたんだ。「バラモス倒してゾーマも倒して次のゲーム行こう!」と急かしてやっと進んだ感じだ。

プレイ時間は約750時間

ほとんど放置しているから実際の操作時間全然からない。収集癖があるので、小さなメダルや宝箱、まものを集めるのは楽しかったようだ。

バラモス撃破時の勇者レベル52とだいぶ高そうだ。

妻が「賢者への転職遊び人で魔力かくせいを覚えて転職させる!」と言いレベル上げを続けて一週間。すぐに寝てしまうので全然上がっていない。

自分が「代わりに上げようか?」と手助けを申し出て数時間レベル上げをしたからその時に大分レベルアップさせてしまった気がする。

起きたとき目標レベルに達したことを教えてあげると「大変だったでしょ〜。ありがとう!」と喜んでいた。

すぐ賢者転職してまたレベル上げし始めて寝ていたが。

そう言えば「ぱふぱふを女勇者で出来ない!おもしろくない〜」と不満を言っていた。男の仲間キャラを作って先頭にすれば出来るらしく、近いうちに試そうと思っていたところだった。女パーティなので試すのが億劫だったのがいけなかった。

不満を書いてるけど、ドラクエ3をすごく楽しんでたよ。

レベルを上げて圧倒的パワーでボス撃破していくスタイルで。

ドラクエ1,2は無理だろうねと以前から妻と話をしていたが、やはりそうなるようだ。

自分が妻の冒険を引き継いでやろうかな。出来るかな?

ドラクエと言えば、ビルダーズ1,2がとても好きだった。

妻は2週はクリアしていて、それでも「またやろうかな」なんて言ってたものだ。

何回も買っていて、

自分クリアしたり妻がクリアしたり。

「3が出ないかな」ともよく話をしていた。



(ついでだけど自分で読み返して見つけた誤字で「最も伝えるべきだった」は「もっと伝えるべきだった」と書いたつもりだった。最も伝えたいことでもあるけど)


次にやるゲームとしてロマサガ2リベンジオブザセブンハウスリッパーDLC候補になっていた。

ハウスリッパー2はかなり楽しみにしてたから元気な時に買ってプレイさせていれば良かったな。セール大分安くならないと「いらない」と言うので買ってなかったんだ。

ロマサガ2は期待してなかったのに体験版が「難しいけど面白い!」と言うので買っていたが、結局起動することはなかった。

なんだか、最近ゲームの思い出ばかりが浮かび上がってしまった。


もう疲れてしまったので、ここまでです。

思ったより書いていましたね。こんな時にこんな文章を書いていてちょっとバカみたいですが、まあ自分はそんな人間なんだと納得するしかありません。気が楽になったのは本当ですし。

これから妻に話しかけてて痛くなった喉を休ませたり、食欲は無いけど食事を少しは摂ろう思います

風呂は、側を離れるのが不安で困りますね…。

改めて、みなさん読んでくださってありがとうございます。「ひとりじゃないんだ」と孤独感を忘れることが出来て本当に助かっています

ブコメ必勝法(仮説メモ

中立を装い、ブクマカ界隈で多数派のほうに花を持たせるコメント

例:どちらも気持ち理解できるが、夫側のほうが分が悪いように思えるのだが(この「のだが」エンドがポイント?)

2025-01-12

  10月2日に浅賀友里恵と締結した示談書は裏に何かをメモした後に、留置施設内で捨てたから、持っていない。

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