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はてなキーワード: ドイツ人とは

2025-02-16

anond:20250216104906

フランス人ウェーブのかかったロングの髪で片手を腰に当ててキザな感じ

ドイツ人ショートヘアで正面向いて腕を組んで厳しい感じ

イギリス人ポケットに親指だげ入れてフィッシュアンドチップスを食べてる感じ

2025-01-23

プのつく日はプリン半額の店があったら

ドイツ人17日に買えるんだろう

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する⑤

【前】anond:20250102174224

2-07「精霊たちの家」 イサベル・アジェンデ 木村榮一訳★★★★

世代女性たちの年代記であり、「百年の孤独」と対比されるんだけれど、こちらのほうがずっと読みやすい。ちなみにガルシアマルケスコロンビア人で、アジェンデチリ人

しかし、女性物語としての記憶は薄れていて、覚えているのは暴君として君臨していた祖父エステバン・トゥルエバのことだ。彼が地元女性強姦して産ませた息子が、因果が回って彼の孫娘を強姦する。因果というか、悪い行いの結果って一番弱い立場の人に最悪のしわ寄せがくる。しかし、孫娘の嘆きや苦痛強姦の苦しみの割にはごく短く語られている。

同じく、よしもとばななアルゼンチンババア」かなにかで、語り手がいとこに犯されそうになったことをさらりと書いているのだが(そして、そのいとことほとんど恐れもなく顔を合わせるのだが)、性暴力について文学でどう扱えばいいのかは自分はよくわからない。女性からセクハラされた僕だって迷う。性暴力表現するときにどれくらい気をつかうかは、殺人事件よりも慎重になっている印象がある(それだけ殺人が稀になったってことかもしれない)。

書かなかったのか、書くことができなかったのか。アンソニー・ドーア「すべての見えない光」でも、ソ連兵に犯されたドイツ人女性がたくさん出てくるが、彼女たちが戦後どう生きたのかについては、わずしか触れられない。

道徳的理由表現規制されるのは、真実から目をそらすことになる気がするので好まない。一方で、当事者の声を無視しても結果的には良い物にはならない。このあたりは想像力の飛翔との兼ね合いでいつも居心地が悪くなる。「好きなように書かせろ」という書き手としての自分と、「当事者以外が勝手なことを書くんじゃないよ」と別の自分がいつも喧嘩している。

2-08「パタゴニア/老いぼれグリンゴブルースチャトウィン 芹沢真理子訳/カルロスフエンテス 安藤哲行訳★★★★/★★

ブルースチャトウィンパタゴニアを読むと、旅はいい、とため息が漏れる。何度だって書くが、紀行文はいい。定期的に読みたくなる。その土地しかない暮らし風土、それゆえに自分たちと異なった風習を持ち、理解しがたい態度を取る人々。航空機以前のように、数か月の旅を空想するのが好きだ。チャトゥインはオーストラリア舞台にした「ソングライン」もある。アボリジニは他の文化の持ち主には見えない道をたどり、万物名前を付けて大陸中を歩いてきたのだ。

カルロスフエンテス老いぼれグリンゴはあまり記憶していない。モデルとなったアンブローズ・ビアスの書いた「悪魔の辞典」はかなり好きなんだけどな。筒井康隆を始めいろんな翻訳があるのでオススメ

フエンテス短篇集「アウラ・純な魂」のほうがずっと面白かった。老いが迫る男、幼馴染のようにべったりした兄妹の別離、小さい頃に一緒に遊んであげた小さな女の子の末路、鏡のある真っ暗な部屋で魔術によって若さを保つ老婆、それから脱走兵が出てくる。

2-09「フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者」ミシェル・トゥルニエ 榊原晃三訳/J・M・G・ル・クレジオ 中地義和訳★★/★★

ミシェル・トゥルニエフライデーあるいは太平洋の冥界」はかなり観念的な話だったと記憶している。文明自然を対比させるために(?)読者に理解やすロビンソン・クルーソーとカオティックな行動をするフライデーが出てくるのだが、舞台ロビンソンが島そのものとの性交子どもが生まれるという神話的な世界だった。これを読んだ後で、理解を深めるためにデフォー原作を読んだのだが、記憶していたような絶海の孤島ではなく、近くに南米大陸がある島だった。そういえば子どものための抄訳版にも、近隣から人食い人種が攻めてくる描写があった。

M・G・ル・クレジオ黄金探索者」は姉と弟の閉じた世界が壊れるというか、外部の世界を知るような話だったと記憶している。姉と不可分な存在となって、マダガスカルサトウキビ畑を歩いていた場面があったはずだ。小さな子供の目から見た植民地世界の、どこかに宝物が埋まっているんじゃないかと期待しながらも、閉塞した記憶だ。ラストでは故郷家族恋人黄金もすべて失い少年期が終わる。しかし、不思議と読後感が清々しいのはなぜだろう。まるで、すべてはここから本当に始まるのだ、という気分である

ル・クレジオ難解な作品とそうでない作品の差が激しい。「海から来た少年」はまだわかりやすいんだけれども、太陽を見つめて意図的盲目になる「大洪水」は二回読んだはずなんだがさっぱりわからなかった。

2-10「賜物」ウラジーミル・ナボコフ 沼野充義訳★★★★

一時期ナボコフがすごく好きで、文学講義シリーズも読んだんだよね。前のエントリで書いた「ロリータ」だけじゃなくて、ソ連から亡命した冴えない教授を主役にした「プニン」だとか、架空の国ゼンブラを舞台にした架空の詩と、それに対する真実虚構かわからないような注釈が、見開きの右と左に分かれていた「青白い炎」だとか、そもそも実在する世界舞台にしているかどうかさえ疑わしい兄妹の恋物語「アーダ」だとか、みんな好きだった。で、これらは英語創作されているんだけれど、最後ロシア語で書いたのがこれ。詩人になるまでのお話

難民のように食うや食わずではなかったけれども(そしてそのせいで政治的過小評価されることもあるけれど)、ナボコフはやっぱり偉大な亡命作家の一人だ。でも、ユーモアを忘れていない。

で、本作では片想いをしている女性を思い浮かべながら、どの女性を見ても彼女のことを思い出し、彼女連想できないタイプ女性には嫌悪を覚えたという趣旨のことを書いていて、ちょっとだけ分かるんだけれどひどいことを平気で言う作家だなと苦笑いをした。

フョードルコンスタンチノヴィチに向かってうら若い牛乳瓶を持った娘がやってきたが、彼女はどことなジーナに似ていた。いや、より正確に言えば、この娘には、彼が多くの女性たちに見出しているある種の魅力――それは明確なものであると同時に、無意識的なものであった――ひとかけらが含まれていたのだ。そして、彼はその魅力の完璧ものジーナの中に認めていた。だから、そういう女性たちは皆、ジーナとある種の神秘的な親族関係にあるということになるが、その関係について知っているのは彼一人だったのであるもっとも、その関係の具体的に言い表せと言われても、彼にはまったくできなかったけれど。(ただ、この親族関係の外にある女性たちを見ると、彼は病的な嫌悪感を覚えた)。

僕は基本的に豊かな知識を持ち、普通に文章を書くだけでその該博さがこぼれてしまうために、結果的にひけらかしと受け止められてしま作家が割と好きで、一時期円城塔にもどっぷりハマっていた。一方で、「ロリータ」については、暇なときパラパラとページを開いていると、語り手の身勝手さがだんだんと鼻につくようになってきた。ハンバート・ハンバートって、でっぷりしたおばさんを見て、「ニンフェットの美しい肢体を生き埋めにした棺桶だ」って趣旨のことを平気で言うんだもん。性格悪いよね。

とにかく、前は金に困っていない人間が、道徳を踏みにじっているのを美々しい文章で糊塗しているのが(当時は悪とは何か知りたかったし、悪いことをしている狂った人間の話が読みたかったし、知性を感じる文章が好きだった。そういう意味でも「悪」を扱った遠藤周作がすごく好きだった)面白くてしょうがなかったのだが、いまとなってはそこまででもなくなっており、自分の中で「ロリータ」の魅力が少しかすんできた。それとも僕が少女に心惹かれなくなっただけなのか。

なんにせよ猛烈な魅力を感じていたのにプツンと魔力が消えてしまうことはある。以前は三島由紀夫が大好きだったのに、「豊饒の海」を読む前に魔法が消えた。たとえば「潮騒」を読もうとしたら、彼の文章リズムが心に響かず、全然読めなくなっていた。

少女と言えば、初めて「ロリータ」を読んでいた二十代の頃、一年に数回ほど発作的に年端もいかない少女に対する強烈な憧れが募っていた時期があったのだが、少女と知り合って仲良くなるプロセス現実的に細かいところまで検討すると、真っ当な手段がどこにも存在しないと気づいて、途端にこうした欲望への嫌悪の情が浮かんび、緩解していった。それに、無知相手自分利益のためだけに利用するのは邪悪定義に当てはまってしまうしね。

おそらく、当時の自分が憧れていたのは現実少女ではなく、思春期の頃に空想するような、成長の痛みや性の悩みに寄り添ってくれる同い年の少女で、その記憶を引きずっているに過ぎないのだ。つまり、幼馴染への憧れだ。そういう少女思春期の頃に出会えるはずはないし、自分問題自分解決しないといけない。そのうえ、よしんば実在したとしても、そんな少女とは「ノルウェイの森」のキズキと直子や、「海辺のカフカ」の佐伯さんと彼女恋人のように閉じた関係になってしまうだろう。結局は、成長の痛みを引き受けないことによる歪みを必ずや生み出すだろう。そういう空想上の女の子自分自身の鏡像ユングのいうアニマで、つまるところこれは自己愛である。今はむしろ年上好きである

(どうでもいいけどウィキペディアロリコン写真集記事、内容がやたらと詳しいんだがこれって倫理的にどうなのよ。誰かが興味持っちゃったらどうすんの)

2-11ヴァインランドトマス・ピンチョン 佐藤良明訳★★

ピンチョンはよくわからない。陰謀論ネタにしているんだろうが、直接扱ったエーコフーコーの振り子」のほうがエンタメとして好き。陰謀論的な思考ちゃんと茶化しているしね。個人的にはエーコが作中で既存の有名どころの陰謀論をすべて統合したオリジナルの壮大な陰謀論を作り上げているあたりがヤバい。あるいは架空史の仁木稔の「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」か。困ったことに、これらの作品が発表されてから陰謀論ネタとして面白い物から現実の脅威となってしまっている。

エーコが楽しめてピンチョンにピンとこなかった理由を考えてみると、たぶん元ネタとなる知識をどれくらい知っていたかに尽きる気がする。自分キリスト教やオカルティズム、カバラや魔術については多少わかるのだが、六十年代アメリカポップカルチャー現代エンタメには詳しくない。だが、この作品は実際、死をもたらすツボ押しマッサージが出てきて「あと何日でお前は死ぬ」みたいな「北斗神拳」っぽいネタを扱っている。なんせこの爆弾を埋め込まれるのが日本人サラリーマンなのだ

2-12ブリキの太鼓ギュンター・グラス 池内紀訳★★★

文庫本にして三冊の本を無理やり一冊に押し込んで、小さな活字二段組みなので読むのがしんどいし、「早く読み終えなきゃ」って焦ってしまった覚えがある。馬の生首のシーンが有名だよね。

三歳で成長するのをやめたダンツィヒ回廊生まれ少年主人公の癖に、義母を寝取って子どもを産ませているんだから、とんでもない話だ。純粋無垢なままでいるために三歳よりも大きくなるのをやめた話と思わせて、実は様々な女性恋愛遍歴をしている。家族が次々と殺されて行ってもね。

そういえば、さっきモテる奴の話を読んで何が面白いのかと書いたけれども、舞台現代日本でなければ別世界ファンタジーとして享受できるらしい。幼馴染のロマンスだって、別の国や時代舞台ならまだ受け入れられる。たとえばロンゴス「ダフニスクロエ」だけじゃなくてコレット青い麦」も割と好き。どっちも少年側が人妻に性の手ほどきを受けるので、これで多少性癖が歪んだ気がする。村上春樹海辺のカフカ」と合わせておねショタに目覚めてしまった。あと、青春物があまりきじゃないのに、「十三機兵防衛圏」はプレイできているの、あれが一つは君と僕みたいだけみたいな閉じた雰囲気じゃなく、感傷ダダ洩れの地の文章が無く、群像劇からってのもある気がする。

話を戻す。うじうじしているくせに、本当はモテることにすごく憧れているただ。だが、十五分の自慰行為あいだならエロ漫画主人公と同一化できるかもしれないけれど、数時間かけて読む文学では自己同一化魔法は解けてしまう。細かい設定があるのだから自分との差異がどんどん強調される。自分は到底なれそうにもない、かっこいいキャラモテても、ちっとも面白くないのであるしかしこんな話を聞かされる読者も面白くないだろうしこのあたりで切り上げる。小説ダメ人間、僕が先に好きだったのにという人間にならなんとか自己同一化できたのである(余談だが、かつての週刊誌の中づり広告のようなエロス無法地帯ウェブ広告で「カラミざかり」が出てきたとき主人公の来ている服のロゴに「cuckold」と書いてあったが、これは英語で「寝取られ男」という意味である。そういう芸の細かいところ、わかる人にはわかる小ネタは好きよ)。

少し現実的に考えてみれば、滅茶苦茶にモテ複数女性から同時に交際を求められたら、しかも好みの相手でなければ、それはそれで面倒そうなのであるが、嫉妬と羨望に狂っているさなかにはそれはわからない。同じく、浅ましいことに3Pとかも憧れるけれど、よしんばそんな機会が訪れたとして、絶対気をつかうし面倒くさい。自分が手に入れられなかったもの理想化されて頭の中で猛烈な輝きを持つが、一度頭を冷やしてみよう。

続く。

2024-12-29

「月が綺麗ですね」の歴史

以前「夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る」という記事を書いたのだが、いろいろ追記することがあったので改めて整理しなおそうと思う。

大雑把に言えば、この「夏目漱石I love you を月が綺麗ですねと訳した」という話は、

に分解できる。ひとつずつ追っていこう。

I love youは訳せない」

まず、夏目漱石は「I love you日本語にない表現である」と書き残している。これは漱石イギリス留学時代である1901年から1902年にかけて書き留められたメモ書きの一つで、ジョージメレディスの『Vittoria』という小説言及したものである。ただし、この台詞はヴィットリア(Vittoria)がラウラ夫人(Signora Laura)に向けて言った台詞なので、恋愛の「I love you」ではなく親愛の「I love youである

formula ノ差西洋日本I will excuse myself to you another time,” said Vittoria. “I love you, Signora Laura.”――Vittoria p. 113. 此 I love you日本ニナキ formula ナリ.

dl.ndl.go.jp/pid/12443067/1/168


1908年の『明治学報』に掲載された、上田敏の「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにも、同様に「I love youは訳せない」というような記述がある。上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンためいきの」などの詩訳で知られる。漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だった。

日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです

dl.ndl.go.jp/pid/1890371/1/24


同じく1908年劇作家益田太郎冠者という人物も次のように書いている。

欧羅巴人にはアイ・ラブ・ユーといつた、美しい詞があり、此の詞の中には、女の身上を刺激する意味が十分に含まれて居るが、日本人には斯ういふ詞が無く、その上「言はぬは言ふにいや優る」などといふ事が古来から上品としてあつて、万事詞が引込み思案になつて居るのです。

dl.ndl.go.jp/pid/3545704/1/40


やや遅れるが、1922年刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村近代恋愛観』にも、同様の主張が書かれている。厨川白村漱石の教え子で、恋愛観について議論を交わしたこともあったという。

日本語には英語の『ラブ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you" や "Je t'aime" に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。さう云ふ英語や佛蘭西語にある言語感情が、全く日本語では出ないのある。『わたしあなたを愛してよ』、『わたしや、あなたいろはほの字よ』では、まるで成つて居ない。言葉が無いのは、それによつて現はさるべき思想が無いからだ。

dl.ndl.go.jp/pid/977872/1/11


以上からすると、夏目漱石最初に言い出したかどうかはともかく、この時期にさまざまな人が「I love you日本語に訳せない」と主張していたことは確かなようである

「月が綺麗ですね」

そしてこの「I love youは訳せない」という話から「月が綺麗ですね」が派生する。いまのところ見つけられたかぎりでは、1927年の『帝人タイムス』に掲載されたコラム東方へ」での記述が最も古かった。

西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス

dl.ndl.go.jp/pid/2348792/1/6


1935年刊行笠間杲雄『沙漠の国』にもそうした表現がある。元になった記事雑誌掲載されたのは1926年ごろのようなので帝人タイムスの記事より早いかもしれない。

第一欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味外国人に答へると、然らばあなた日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。

dl.ndl.go.jp/pid/1155407/1/164


以降も「月が綺麗ですね」という話は散見される。たとえば1950年雑誌英語研究』。

月下に若い男女が語らい合つている. 男が女に愛の言葉をささやくとして, この場合の純日本的な表現は今夜はいい月ですねえ!ということであり, 女がほんとうにいい月ですこと!といつたとすれば, それは男の愛を受け入れたことになる.

dl.ndl.go.jp/pid/2331222


1957年雑誌産業産業人』の対談記事ニッポン居よいか住みよいか」。

三宅 その言葉が昔からないんだね。向うはアイ・ラブ・ユウ、実に簡単ですよ。ところが日本はそういう表現はない。「ああいい月ですな」というのが、ほれたと翻訳しなきゃならんのだ。(笑)

大山 「いい月ですね」ってそのくらいのことは言われたような気がしますけど……。(笑)

三宅 アイ・ラブ・ユウと直接には言わない。古来そういう文学表現方法日本にはない

dl.ndl.go.jp/pid/2234540/1/22


1961年早川東三『じゃぱん紳士周遊記』。こちらは「月が青いですね」である

ドイツ人学生日本女の子に夢中になった。日本語で愛の告白は何と言うのだい、と切なそうに聞くから、「われわれは皆んな詩人からね、イヒ・リーベ・ディヒ(わたしはお前を愛する)なんて散文的なことは言わない。月が青いですねと言うんだ」と教えてやったが、ご使用に及んだかどうかは知らない。

dl.ndl.go.jp/pid/2976285/1/110


1962年日本人の知恵』。これは朝日新聞に連載された記事をまとめたものらしい。

さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき西洋人のように、

「私はあなたを愛していますI love you)」

などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、

「いいお月さんですね」

そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。

dl.ndl.go.jp/pid/2985145/1/38


以上のように、戦後にも「I love youは訳せない」や「月が綺麗ですね」はそれなりに広まっていたと思われるが、しかし、この時点ではまだ夏目漱石とは結びついていなかった。

夏目漱石が訳した」

それらの話を夏目漱石と結びつけたのは、おそらくSF作家豊田有恒だろう。たとえば1978年の『SF文迷論入門』(雑誌掲載1977年)では以下のように書かれているが、他のいくつかの著作でも同様のことを書いており、いわゆる「持ちネタ」のようなものだったことが窺える。

明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代から、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。

dl.ndl.go.jp/pid/12564223/1/57


ほぼ同時期に、つかこうへい小田島雄平との対談で同様のエピソードを語っているが、こちらの記事の初出は1978年なので豊田有恒よりも後ではある。つかこうへい豊田有恒記述を読んだのか、それとも共通元ネタがまだどこかにあるのか。

古くは夏目漱石I love you はどう訳せるかって言ったという有名な話がありますよね。生徒たちがそれは「愛してます」って訳すると言ったら、夏目漱石が教壇からばかやろうとどなりつけて、「月がとっても青いから」って訳すのだと言った話がありますけど、そういう翻訳リアリティーっていいますか、それは、時代とともにいろいろ変わっていってるんでしょうね。

dl.ndl.go.jp/pid/12582572/1/121


以降の流れは「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証に詳しい。

余談

ツルゲーネフの『片恋』における「Yours」という台詞二葉亭四迷が「死んでも可いわ…」と訳したという話を、「二葉亭四迷I love youを死んでもいいわと訳した」に変形させた犯人探しも行われているが、それはおそらく土岐善麿だろう。1957年の『ことば随筆』にこう書かれている。

「アイ・ラブ・ユウ」を日本語に直訳すれば「われ、なんじを愛す」であろうが、二葉亭四迷はそれを「死んでもいいわ」と表現したことがある。ツルゲーネフの「あいびき」の中にあるのを読んで、その訳しぶりのすばらしさにおどろいた記憶がある。

dl.ndl.go.jp/pid/2484010/1/109


この記述は、のちに金田一春彦がいくつかの著書で引用しており、そのあたりから広がっていったのだろう。たとえば金田一春彦1975年日本人の言語表現』ではこういった具合だ。

土岐善麿氏によると、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフのある小説女性の言うI love you.を訳すのにはたと困ったそうだ。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面であるが、男がI love you.と言い、女もそれに答えてI love you.と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単だ。が女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のないあばずれ女ということになる。女のI love you.を日本語で何と訳すべきか、二葉亭は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている日本語を思いついた。それは「死んでもいいわ」という文句という文句だという。

dl.ndl.go.jp/pid/12446973/1/120


いかがでしたか

2024-12-26

anond:20241226082716

花畑ドイツ人なんて素のわけないだろ

 

資本主義経団連)の問題点

1531年の世界初証券取引所の開設

1532年の最高裁判所の開設(カロリー憲法

66年に早くも暴動が起きオランダ独立

やっぱり30歳ぐらいになれば気づくんだな

バカ日本人は60でも騙される

証券の切れ端を買って浮かれる

2024-12-24

anond:20241224024248

効率厨ってそーゆー患者じゃん🙄

…ああ、「毎回毎回食事のこと考えるなんてやってられっかドイツ人」「調理に労力を費やすなんて贅沢は宗教上の理由で不可イギリス人」と同レベルビョーキってことね😁

2024-12-13

バレンタインの悲しい思い出

中学生の頃に白人ドイツ人友達がいた。近所に同世代の子供が自分しかいなかった事もあり、よく遊んでいたのでかなり仲が良かった。

小学生の頃に大学先生だった父親に連れられて日本に来ていた。まあまあな田舎だった地元では結構目立つ存在だった

彼は消臭力ミゲルくんみたいな美少年美青年?)で、とにかくモテた。(以下ミゲルくんと呼ぶ)

同学年はもちろん上下の学年にもモテてたし、話しかける勇気がない層も含めるとかなりの数のファンがいただろう。

一緒に電車に乗って街に遊びに行ったときには社会人らしき成人女性から話掛けられて連絡先を貰っていた(もちろん自分無視されていた)。まぁそれについては今考えるとヤバいなと思うけど

 

そんなモテモテの彼だからバレンタインデーにはとんでもないことになる。学校チョコを持っていくのが固く禁じられている為、放課後に彼の家にチョコを渡しに来る女子が大挙して押し寄せるのだ。田舎で1つの家に人だかりが出来るのは餅まきの時ぐらいしかないのだが、それに匹敵するほど女子の群れが出来ていた。

 

もちろん自分蚊帳の外なのだが、自分の家のチャイムを鳴らす女子が現れた。

急いで玄関に走りドアを開けたのは自分ではなく母親だった。

母親ミゲルくんの家の盛況に気づいていたのだろう。そしてその中でもミゲルくんではなく自分の息子にチョコを渡してくれる女子が現れたのだと思ったのだろう。

増田友達が来てくれたよ!」

母が嬉しそうに呼びに来る。

でも自分は気づいていた。彼女たちは自分チョコを渡しに来たのではないのだろうと。

 

「これミゲルくんに渡してくれる?」

目立たないタイプ女子2人組から、きれいに包装された小箱を受け取る。

ミゲルくんに直接渡す度胸のない女子からチョコ配達係に任命されたのだ。

やっぱりねと思いながらも、ミゲルくんに渡すことを約束した。

2人が帰った後、自室の学習机に備え付けてあるの一番広い収納スペースに小箱を保管し、夜になってからミゲルくんに渡した。

 

その日一日母はご機嫌だった。けれど何をもらったのとかは聞いてこなかった。思春期で恥ずかしがるだろうからとの気遣いだろう。

それが苦しかった。母に申し訳なかった。異性から見向きもされない息子でごめんって。(ちなみに裏で一部の女子から金魚のフンと呼ばれていた)

 

ミゲルくんとは高校別になって会う頻度が減り、高1の夏休み終わり頃に彼は父親と一緒にドイツへ戻った。

というような話をブラックウォッシュ関連の話題で思い出した。

誰が悪いとかいう話では無いので気持ちの持って行く場所が分からず、未だに思い出しては傷ついている

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(補遺

 anond:20241213001612の補足編(多分続くので1とした)である

 こんな話題に食いつく人などいないと思ったが、いたので嬉しい驚きだった。今回はコメントを見てみたいと思う。あとやっぱりヴィルトゥオーゾ系の曲はまた別に七選作ろうと思う。超絶とパガ超パガ大が別にあるとはいえ演奏会練習曲集1つとノルマの回想だけではさみしい。

リストリスト

前期のブコメちょっと笑ったが、実はリストの両親のスペルはListである(マジ)。

ピアノソロ曲じゃないけど、リストピアノ協奏曲第1番を聴くと過度にゴージャスでなんか笑えてくる。フリードリヒグルダチェロ協奏曲を聴いたときの笑いに似た感じ。

トライアングル協奏曲命名リスト政敵エドアルト・ハンスリック)ねw スター時代の曲だが、実は循環形式を大々的に活用した野心作で、ピアノソナタ ロ短調の前段階にあたる曲の一つという。

6,7年前だけど中学校音楽で習ったよ

今はやるのか。前期編でうかつに音楽史上の重要性はバッハベートーヴェンに劣ると言ってしまったのだが、音楽史上重要作曲家というのは、ナショナリズム時代様式となった近代以降現在までの歴史認識の上で成り立っていることが多い。バッハが再評価されたのはドイツナショナリズムの高揚なくしては考えられない。ベートーヴェンだってそうだろう(彼の曲にはフランス革命への共感という要素が強くあるが、一方でドイツ民族古典の頂点とみられている)。リストナショナリズム歴史認識からは扱いにくい。リスト音楽史上最も評価されているのは新ドイツ派の旗手として、特に交響詩様式確立させたことであり、紛れもなくドイツナショナリズム文脈だ。ピアノ表現技法を著しく拡大させたという点については、扱いが薄い。ピアノ楽器王者だが、一方で知名度の壁を貫通して義務教育レベルまで到達してくるピアノ曲がどのくらいあるか。タールベルクをはじめとして同じような貢献をした19世紀ヴィルトゥオーゾたちの名前ピアノ史を詳しく調べなければ出てこない。

リストの両親はドイツ系だが、ドイツナショナリズムに含めにくいオーストリア人※でしかも当時のハンガリーまれ(ということはハンガリーではリスト少数民族になる)、生活パリフランス語話者とつかみ所がない。ショパンパリ活躍したコスモポリタン的な人物ほとんどの曲がピアノ曲だが、生まれも育ちもワルシャワからそう遠くない近郊地帯といっていいと思う。何よりポーランド分割に憤り、ロシア皇帝のお誘いを断ってでも「亡命ポーランド人であることを貫き通した生き様は、ナショナリズム歴史認識に乗せやすい。彼の「革命」(op. 10-12)などが記憶されているのも多分にそのせいのはずだ。

オーストリア支配するハプスブルク支配多民族帝国チェコスロヴァキアハンガリールーマニアetcの「民族牢獄」と呼ばれた)なのでドイツナショナリズムによる国家統一不可能である歴史上「大ドイツ主義」が挫折したのはそのせい。

生演奏を聞いた伊藤博文が「連れて帰れないか」と言ったそうな。

そう言い出したので慌てて西園寺公望が止めたという話がありますけど本当なんでしょうかね。無理を言ってでも連れて来てくれれば、日本音楽界も違ったものになっただろうになぁ。

巡礼の年イタリアチョ・ソンジンが最高だった。ダンテで涙出た(リサイタルで聴いた)けど、音源は出してないんだ。。。/ロルティも好きです。

浜松ピアノコンクールライブ映像があるがやばいhttps://www.youtube.com/watch?v=_nG3CyuNC00/このライブ録音のCDがほしい)。本当に15歳だったのかこの人(結果は優勝)。

有名なラ・カンパネラはパガニーニ練習曲に含まれる曲。改訂を経て、軽薄だけどわかりやす演奏効果の高い第3稿を決定稿としたリスト時代を見抜く目があったと思う。

やべぇよやべぇよガチの人来ちゃったよ・・・

いつも見ております。おかげさまでピアノ協奏曲のオレイニチャク盤に巡り会いました。ありがとうございます

コメントしたアーノンクールこと「コスモピアニスト」氏はショパンラヴェルCDレビューを大量にHPに書いている(https://www.asahi-net.or.jp/~qa8f-kik/index.html)。

ショパン元カノマリーとの関係をぜひkwsk(もはや音楽関係ない。いや、むしろ音楽性に影響があったとか?w) あの時代作曲家界隈のドロドロネタで本が書けそうですね。

サロンありがちなドロドロした人間関係の方がもはや興味あるの分かる。正直私にはちんぷんかんぷんなので誰かマリーに焦点当てた本書いてくれないか

良し悪しはさておき重要曲としては音楽史的にも無調のバガテルは外せないのでは?

え?入れたけど

学生時代エステ荘の噴水を弾いて大人になりローマ近郊のエステ荘の噴水を見に行きました ^_^ https://maemuki.hateblo.jp/entry/2013/01/26/005305

リンク拝見しました。10年以上前にこの記事読んでました。実はこの記事を読んで本格的に「エステ荘の噴水」に開眼しています。そんな人が逆に読んでくださって本当に嬉しい。

クラシックはよーわからんけど超絶技巧ピアノといえばワイはやっぱり東方Projectピアノアレンジが好きやで(以下略

話題についていけないならとっとと負けを認めればいいのに

https://anond.hatelabo.jp/20241212212539

 言及でついた※から後者の下についてるコメント(前者の反論?)がいうように勝ち負けの問題ではないから好きにやれば良い。それよりたったこれだけしかないんですか? もっとあるでしょ。MIDI音源で作ってる人も含めて。ピアノ編曲の善し悪し含めて知らん奴に布教してくれたら最高や。

ブコメ

詳しくない分野の熱烈なテキストを読む快楽は他に代え難い。みんなどしどし書いてほしい。

が言う通りだと思う。

リストは手が大きい。彼の曲は日本の小柄な女性はいくら手を広げても弾けない曲がある。そしてその曲の美しさよ。どうやっても届かないあの美しさに悔しさと羨ましさで恍惚となってしまう。

ロルティペトロフ、あるいはヴォロドスのようにその恵まれまくった体から繰り出される力強い響きと(特にロルティは)恐ろしく繊細な音色コントロールを見ると確かにそうだなあと思う。でも、ノ・イェジンのように、小柄な体で「ノルマの回想」を弾いている人もいる(映像あった/https://www.youtube.com/watch?v=gostiJcVod4)。小柄な日本女性ピアニストリストの曲に果敢にチャレンジしている動画結構ある。昔何かのコンクールリスト編の「ギョーム・テル」序曲を弾き出した勇者がいて驚いたことがあったが、その人も女性だった(多分これだったかな?/https://www.youtube.com/watch?v=GRYLy8O3VIQ)。アムラン同様大変なテクニシャンであるティーヴン・ハフも痩身小柄な体型をしている。何度かコンサートに行ったが「ダンテを読んで」では顔を真っ赤にして渾身の力で演奏していた。多分手や体が小さいなりにやれることはあるのだと思う。日本人が無理してドイツ人のような歌唱法を真似して喉を痛めるみたいな話を声楽をやっていた人からいたことがあるのだが、似たような問題なのかな。

追記

anond:20241213202638 で以下のような有難い指摘があった(リストハンガリー人としての意識からLisztと綴ったという旨)。なるほどと思うと同時に、自分の話は出典が思い出せなかったので、消しておいた(できれば何か出典があると助かる)。

マジャル語ではszの綴りで/s/を表すので

音通リスト発音させるためにLisztと綴ったのだ。

単なるsはマジャル語で/ʃ/になるから

Listだとマジャル語読みでリシュトになってしまう。

ファーストネームリスト自身はFerenczと綴っていたことがうかがえる。

それと多分同じ人だと思うが、ハンスリックの上の名前はまったくの誤記で、こちらも感謝する。訂正しておいた。

(再追記ウォーカーの本でしたかありがとうございます!!!

2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(中期)

 anond:20241212205415の続きである

 マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリスト風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフ軍人ザインヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌ出会う。コンサートツアーリストキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目リストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベル金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストピアニストとしての活動打ち切りカロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマール宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌ博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということであるカロリーヌ身分を巡る微妙問題に加えて、音楽界の動向的にもリストドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規ピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリスト確立する重要時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年パガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。

1. 超絶技巧練習曲 S.139(1852年出版

 リスト代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれた。

 この曲集の決定的な録音はウラジーミルオフニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。

2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版

 1840年出版パガニーニによる超絶技巧練習曲改訂版。元々の第4曲は単音アルペッジョになり大分おとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げて今の形になった。

 40年のパガ超と違い録音は多い。有名なのはアンドレワッツEMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるがどれも安定の演奏。その他だとフィンランドピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCDNAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを聴くのがいいだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。これも大変安定していると思う。

追記)レカリオはNMLにもiTunesにあった(Raekallio Lisztででてくる)。YouTubeにもあった。https://www.youtube.com/watch?v=SkuWa2HDk58&list=OLAK5uy_kN6U4dNkOzK4Cv1DZfZDWoidTcP7yPxr8

3. ピアノソナタ ロ短調 S.138(1854年出版

 ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタ落ち目ジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンリストソナタはその例だろう。リストソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララタラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリスト最高傑作の一つとして評価されている。

 リスト最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリSONY)の演奏をよく聴いている。

 なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコHyperionHelios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。

4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版

 ショパン1832年パリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏女性たちの心をわしづかみにした。リストショパン演奏に狂った一人である(またかよ)。リストショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リスト片思いだったのかもしれない。ただし、ショパン練習曲作品10リストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパン練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である

 これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネスEMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。

 (追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソンゲルナーレーベル覚えてない)の演奏もの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTube動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09oコンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな

(再追記ゲルナーあった!(https://www.youtube.com/watch?v=m90vsN3SjvM配信もあるのかな。

5. ハンガリー詩曲第1~15番(1851/53年出版

 トムとジェリーで有名なハンガリー詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リスト採録しているのはハンガリーマジャール)ではなく、ロマ音楽なのだが、リストは、ロマ民謡を素材に使ってハンガリー民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャールからドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。

 ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーリストの再来とされていたかシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自カデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作ジャズカデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニスマツーエフBMG)、ラフマニノフカデンツァ使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCD廃盤倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。

 第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。

 なお、15番以降19番までハンガリー詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。

6. タンホイザー序曲(1849年出版

 リストドイツ宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナー作品積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分タンホイザー序曲が単独では最上作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。

 ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューローワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナー不倫し、リスト激怒する(後に和解)のだが、自分マリーやカロリーヌやらせいたことだ。

 タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリン気合いが入った演奏https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リスト編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである

7. 詩的で宗教的な調べ(1853年第3稿出版

 30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリスト敬虔さが音楽昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。

 この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽

 全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白いグバイドゥーリナシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。

 宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢劇場でのトラブルカロリーヌ身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。

追記

 前期のところに、ベートーヴェン交響曲ピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。

 リストベートーヴェン交響曲を全曲編曲しているが、初版出版1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別出版されていたようだ。リストピアニスト時代からベートーヴェン作品布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンベートーヴェン記念碑建設のために多額の資金提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマン作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。

 リスト作品の中でも記念碑的なものになるが、コンセプトは幻想交響曲編曲同様なので泣く泣く割愛した。

anond:20241211120632

なぜか敵(かたき)役がナチスドイツイメージなのでドイツ人が切れた、とか、、

2024-11-30

11月

11月。私は、フロと出会った。

ベルリンの、秋だった。

彼はルドウという、東京でいうと府中のような所に住んでいた。

穏やかで大きな家が立ち並び、お行儀よくベンツ玄関先に停まっている。

道路日本における未開の地、名古屋のように広く、礼儀正しく整備されている。

空がひらけている。

私はコンサートを見終えた後、深夜11時ごろに彼と出会った。

彼は相変わらず、といってもその時は初対面だったが、眉尻の下がったあまりにも優しい世捨て人のような風貌で、パンクな黒いパーカーを着ていて、手をあげ、私にやあという合図をした。

彼の身長は私とあまり変わらないくらいだった。

私はヒールを履いていて、私の身長は165センチ位ある。

彼はたぶんそれをどこかで気にしていて、同時に気にしていないと私は思う。

今、二人が出会たことを思い起こすと、その時から3週間は経っているのに、胸が張り裂けそうで、ただ喧しいくらいの大きな声で「アイシテル」と叫びたい。まるでサンボマスターボーカルの人みたいに。愛してる、フロ。愛してる、愛してる、愛してる…。

そのくらいに彼は衝撃を、私の人生を大きく変えた人だった。

彼は本当に誠実だった。真摯で、当然ヨーロピアンさながら紳士で、真剣すぎるくらい真剣で神経質だ、人生事柄に対して。

愛している。

実をいうと、私たちワンナイトだった。

私がアプリで彼に寝ようと誘った。

彼は、後から聞いた話でいえば、ただ友達として出かけたかったので、面食らったと言っていた。

それでも彼は、パンクな骸骨の描かれた、着古した彼の黒いパーカーを着てやってきた。彼は27歳なのだが、そのラフな歩き方、なんて可愛らしいんだろう。

さて、なぜ彼がそんな尻軽な女の面食らわせてきたメッセージに応じてのこのこやってきたかといえば、もう簡単だった。答えは、「僕は日本女の子が本当に本当に好きだから…」だそうである。幸あれ、フロリアン天国

そうして私たちはルドウの夜に邂逅した。今は彼を深く愛している、しかし、私はその時彼を愛していなかった。

暗い、暗い地方の闇夜だった。小さいガス灯を思わせるオレンジ道路灯が目に滲んだ。幼いころ、行楽から帰る首都高速の、父の運転する後ろからまなじりに涙を溜めて眺める首都高の街灯みたいに。私は、ただ地方のような広く、文化的に浅く、人の暮らすただの町にいた。(ルドウは正しくは村だ)

そしてベルリンマツモトキヨシであるDMドラッグストアの前にいた。23:45。シャッターは降り、背後にはバス停が寂しく光り、完全に町は休息して沈黙していた。

今、私の股から男の精液が零れ落ちる。私は先ほど過ちを犯したばかりだ。さあ、今、書かなければ。私を、ルドウにこのパソコンが連れて行ってくれる。繋ぎとめて。フロリアン、フロ…。しかし不義を犯した女に彼を呼ぶ資格などない。ああ。

そうして私たちは、ルドウを歩き始めた。

彼は最初に尋ねたのだ、ドライブがいい?散歩がいい?

散歩がよかった。そしてそれを伝えた。

彼は非常に控えめな口調で自分散歩を愛していることを告げた。

私たち英語は拙かった。フロリアンあなたドイツ人なのにね。(ドイツ語英語は非常によく似ている。)

愛している。ああ、繋ぎとめて…。

さて、我々は拙い英語のようなものを駆使し、日本について話した。彼は日本庭園が好きだと告げた。

侘び寂びの話をした。

ルドウの秋の道が流れていく、私たちの歩が進む度に。私は非常に感嘆の声を上げ、何度もルドウという町を称賛した。

彼は東京の方がプリティだと言った。

フロはルドウに生まれルドウに暮らしている。

私たちは寝た。

そして寝た男女の例によってピロートークをした。

翌朝私たちは新しい白い朝、ルドウの退屈さを前面に押し出したみたいな住宅街の朝を歩き、彼はその時に私に伝えた、ルドウに生まれたんだ、と、そう言った。

そうだ、いい調子だ。パソコンキーボード。そうだ、私たちは寝た。

我々は非常にアニメの話で意気投合し、彼は私を気に入った(ように見えた、少なくとも。)

そしてふっと、道が交差点になったところでフロリアンが言った。僕の家はここから歩いてすぐなんだ。

私は彼のお眼鏡に適ったようだ。喜んでお受けし、我々は本格的にルドウの住宅地の画地に割き入りこんでいった。

彼の家は普通に平屋でびっくりしたのを覚えている。あ、普通に実家?!と。

ベンツが停まっていた。芝生は大変健康そうに、茂っていた。

部屋に上がる。玄関ハリウッド映画で見たアメリカ居間のようなものが広がっていて恐縮した。似顔絵がある、おそらくフロではない誰か家族の…。バラ。活けられている。奥に見える暗い、秩序と富を感じるキッチン

フロはいきなりキスをするようなことはしない。彼は真摯なのだ

そのため我々はお馴染みのオタク的ゲーミングPCの前に、ゲーミングチェアによっかかり、当たり前にYouTubeを広げ、検索語句を伝え合い、タイプし、そして、たまに肘を触れ合わせ…。きゃあ。修学旅行イケてる男女みたいだ。ははは。

そしてやっぱりときめいてしまう。あなたを愛している。好んでいる、かな、正しくは。

話はお互いの好きな音楽ジャンルの話になり、移り、成り、そして宴もたけなわになった。彼はふとベッドを見、ベッドに腰掛け、私はベッドにあったぬいぐるみを彼から受け取り、ぬいぐるみの鼻で彼の鼻にキスをした。彼は大変可愛らしく笑い声を立てた。ふふっ。そう、顔は笑顔だった。ああ、フロリアン

そして一度ハグし、それから…。ああ、私は自分の取ったアクションしか仔細に書いていないではないか

フロリアンには強い、強いエンパシー共感性)がある。私は共感する力はとても弱い。

おそらくフロリアンだったらもっとこの文章を違う風に書けただろうなと思う。しかし、私は書いている。今、私は書いているのだ。

トラウマが目の前を歩いてよこぎる…。垂れゆく精液…。ああ、ああ。嘆かわしい。

しかし私には私の視点しか思い出すことはできない。恐縮だ、ご容赦あれ。

私たちはそ…っと、本当に自然に、風のように、しかし照れくさく、春風のように、期待を孕んでキスをした。直後めちゃくちゃ口臭が気になって、私から頼み込んで歯磨きを二人して始めた。なんて滑稽な。

満を持してキスをする。交わされる腕。彼の口元は本当にふんにゃりと湿っていて心地が良く、性感において気持ちがよかった。要はキスうまい質の口に生まれついていた。

そして、キス自体も。

彼は全身全霊をキスという言語で伝えるかのように私を愛した。本当に、驚異的な宇宙が彼の中と、二人の間にこだましていた。

そして私が横たわりたいと言った。

二人は横になった。フロリアンが私にまたがり、彼が心をキスで満たし、伝える。私は口臭を気にしながら、少しづつ応える。息が上がっていく。

彼は自分から私の服を脱がせなかった。なぜかはこうして今になっても分からない、不可思議だ。

しかし彼は私の背中にそっと手を差し入れ、円を描くようにさすった。私は感じた。

我慢ができなくなるまでそれは続いた。

卑怯な言い方だったと思う、だがまあ、私は問うた。何かしたいことはない?あなたがしたいこと、なんでも、私は叶えたい。

すでにその時彼のことを大分好ましく思っていた。

服脱ぐ?と彼は言った。愉快な話である

私がオーダーし、彼が私の服を脱がせた。スカートパンツ自分で脱いだ。

ああ、私はとても眠い

寝ようと思う。

私たちは愛し合った。

そして翌日の飛行機ももう何もかもをかなぐり捨てて彼を、おそらく彼も、昨夜ってやつを反復した。舌で、心の目で、何度も、何度も。何度も何度も。

私は、もう彼に恋に落ちていた。

そして私は彼に付き合いたいと迫る。

彼は私に愛を返そうとし、しかしいろいろな私の自分勝手さに嫌気がさす。

私は自分を見つめなおす。

彼は私の新しい人生を、彼の言葉を用いて拓く。

私の新しい、喜ばしい生が彼の作品として私が生き続ける間続く。

彼に連絡先をブロックするように話し、それは実行される。

私、男友達と寝る。

現在、狂ったようにパソコンに向き合う。

フロリアン、私はもうあなたには会う資格がない。

でも、おいしいものを食べて、生きていくよ。あなた生命をくれたから。

もう言えないかもしれない、この言葉がある。

愛してる。

2024-11-18

斉藤の再選によせて または パワハラって減ってんだなあ

パワーハラスメント報道がたくさんされていたが、これを現実味を持って実感出来る人が減ってる気がする。

それだけ世の中からパワーハラスメントが減ってるって事じゃないかなって思った。良い時代です。これは素直によいことです。ただ、これによってパワハラって事の具体的なイメージが無くなって来ている、実感として悪い事だという事がイメージしづらくなってるんじゃないかな。

これは、他の同種のうねり(繰り返す波)に、戦争関係のれきしがある。戦争のものも、そして、戦争を直接知っている世代と接したことがない世代も増えて、戦争が起きないようにすると言う施策活動が力を失っている事がある。これが振り戻しが実際に現れたわかりやすい例だと思う。


中国の台頭とか、アメリカ第一トランプ政権から圧力などに直面する前。

日本防衛費無茶苦茶削られてて、GDP1%と言う枠の中で、港湾の整備費や飛行場修繕費など、それって防衛費じゃないよねみたいな金まで支出されてカツカツだった。

実はアメリカですら、9.11を迎えてしまう前はそうだった。これは、戦争現実の脅威と考えられなくなっていたからだ。

逆方向には、草の根平和活動とか、そういったものバカにされる風潮もそれだったと思う。戦争反対ってなんだよ、戦争なんて起きるわけないだろ、みたいな。

その状態ヨーロッパなどでも起きていたし、彼らにとってアフガニスタンとか中東系の戦争は違う世界戦争だったわけだけど、その状態を付いたのがウクライナ危機であり、ウクライナ危機は同じヨーロッパ人が侵害されたと言う事で一気に動いた。

日本台湾情勢に、スプラトリー諸島問題などで現実問題として認識されたわけだ。

ただ、これはそのまま防衛意識が高いままで警戒がされていたら、中国ロシアなどの暴発など、こういったことが起きていただろうか?と言う議論がある。


一方で今回のモラハラパワハラ斉藤が再選した件も、それなのではないか

まり、世の中からパワハラが大きく減っていて、それに晒されている人が少なくなったから、実感を得られていないのではないか

たかつて石原慎太郎らが仕掛けた怪文書などによる選挙工作昭和選挙ファンタジー扱いされつつあり、実際に痛い目に遭ったことがある人、あるいは痛い目にあった事のある人から情報を見聞きする事が少なくなったのではないか

その結果、それらを問題視する人の声をリアリティ持って受け止める事ができず、問題への支持が広がらず。

一方で「不倫問題」のような、現代でより身近に現れて、インスタントに分かりやすく「経験」と結びつきやすい、実感を得やすものが登場し、共感を得やす問題によって印象が上書きされたことによって、ご覧の有様になったのではなかろうか。


愚者経験に学び、賢者歴史に学ぶ」と言う言葉ある。これは元々ドイツ人ビスマルク格言だが、この「経験」は意訳で、実際には「失敗」という言葉が宛てられている。どうやらそちらの方が原文の意図に近いらしい。

愚者は失敗に学び、賢者歴史に学ぶ

そして、私も含めてほとんどの人が「歴史に学ぶ」事のできる領域は、恐らく自分の専門分野のみなのだ

それ以外では愚者なので、今回のようなことは無数に引きおこされて、歴史は繰り返してしまうのだと思う。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。しかし、忘れて熱湯を飲んで死ぬようなことになったら致命的だ。

大事な事は、できるだけ小さな失敗に留めて、そこから多くの事を学べるようにすることぐらいしかない。

各自衝撃に備えねばならない。

2024-11-16

英国植民地になった事がなくてもフランス人ドイツ人英語できるんだから

単に言語体系が違いすぎるせいだよ

つーか戦後は実質米国植民地なんだから、その時に日本国を徹底して排除して英語統一してくれてたら今こんなに苦労しないで済んだのに

うぃっちわっち(丁稚)

@Witchwatch99

Q:日本人はなぜ英語が苦手なのですか?

A:英国植民地になった事が無いからです

https://x.com/Witchwatch99/status/1857548640002388078

2024-11-13

安部晋三暗殺された週の米国工作員ものビビり様は非常に興味深かった

先日ドイツ人和歌山失踪死亡したあとも、いつも日比谷公園でうだうだしてた白人系のお客さんがあっという間に消えたし

震えて眠ってるかなぁ

2024-10-18

ピラティスとは何ですか?


ピラティスとは、ドイツ人看護師のジョセフ・H・ピラティス氏が、第一次大戦で負傷した兵士リハビリのために開発したエクササイズです。 体の深層部にあるインナーマッスルを強化し、体全体のバランスを整えることで、背筋が伸びた美しい姿勢、しなやかで自由自在に動く肉体など、理想的な体と健康に導いてくれます

2024-10-16

アニメは30年もすれば「ダッセwwww今どきアニメかよwwww」って扱いになると思う

歴史物語ってるんだよね。

50年前ぐらいまでは「軍隊オタク」が世界トレンドだった。

世界一かっこいいはずのドイツ人ですら「ナチ Ist cool!」だったからね。

でも気づいたら軍隊オタクは格好悪くてキモくてニキビ面でカードショップみたいな臭いがする連中って扱いになっていった。

それこそバブルが弾けるようにあまりにも突然にそれはやってきたんだよ。

他にも「皇族王族好き」や「ヤクザ好き」といったブームがあったけど、完全にキモくてダサくてどうしようもなく時代遅れななにかへと変わった。

時代の変化はいだって突然だ。

綺羅びやかだろうが庶民派だろうが関係ないんだ。

今、アニメ世界的に凄いブームCOOLだ。

アニメ好きといえば言語化能力障害があって死ぬまでバージンの憐れな生き物だった。

それがいまや「アニメが好きなのが普通。未だにアニメを叩いてるような老害って太陽の季節センズリしてるような奴らでしょ?」って扱いだ。

スピードブームが来てるね。

まり、このバブルが弾けるまでのタイムリミットも早いってことだよ。

10年は持つと思う。

20年後、怪しいよね。

30年後、多分きっとおそらくもう駄目だろう。

アニメなんて未だに好きな奴って、手紙を認めるとき俳句にしてそうwww」ぐらいの扱いになっててもおかしくないよ。

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