はてなキーワード: 高校とは
高校のころから仲の良かった女友達が結婚した。昔から悪友みたいな関係だったし、お互いに交際に発展するような間柄じゃなかったから結婚には心から祝福を送りたかった。でも結婚式に呼ばれて新郎を見たら、いかにもなマイルドヤンキーでびっくりしてしまった。そういうタイプが好きだったんだ?
彼女は東大の学部時代から同じ研究室の人間と付き合っており、院を出るまで同じ人とよく記念写真をあげていたのだが、社会人になって数年で彼と別れて全く毛色の違う人と出会い、交際し、結婚するとは驚きだった。新郎は色黒でサーフィンとバーベキューが趣味の年上の男らしい。環境が変わると人の好みは変わるのか、それとももともとそういうタイプが好みだったのか。いずれにせよ、人って変わるんだな。
かけ算の順序史上最も重要なエントリ10選の続編として、学術文献・出版物を選んでみました。
読み手の評価は「こんな教え方ではよくない」「児童の特性に配慮した指導事例だ」に分かれているように思います。「学習支援教室」は「特別支援教育」ではない点にも注意が必要です。
1つの調査問題(4つの式にそれぞれ○か×を付ける)に、「たし算の順序」と「かけ算の順序」が入っています。
平成20年告示の学習指導要領に基づく内容ですが、小学校2年のかけ算の単元で、何を重視しているか、教科書ではどのように出題して学びを促すかについては、現行(平成29年告示)の学習指導要領や、令和2年度・令和6年度使用の教科書においても、大きな変化は見られませんので、現在においても参考にしてよいものと考え、取り上げました。
82ページの「第2学年や第3学年では,読み取った数を,「1つ分の数×いくつ分=全体の数」と表現できることが重要であり,逆に,この立式ができているかで,数の読み取りができているかを判断できる。」が真髄と言っていいでしょう。2011年の初版や、異なる著者による2018年の書籍にも、同じ趣旨の文が含まれています。
提言の中に「乗数や除数が整数から小数や分数になったとき、演算の意味が拡張し統合されることをより一層強調すべきである。」という文があり、翌年(平成29年告示)の小学校学習指導要領の算数に、「乗法及び除法の意味に着目し、乗数や除数が小数である場合まで数の範囲を広げて乗法及び除法の意味を捉え直すとともに、それらの計算の仕方を考えたり、それらを日常生活に生かしたりすること。」として反映されています。
学術会議で「かけ算には順序がない」を提言すれば、後の学習指導要領改訂の際にも反映される可能性がある、と考えることもできます。
高校までで学習する数の演算は、「環」や「体」で考えることもできますが、この文献では「Z-加群」を使用しています。担任教師とのやりとりに、Z-加群のほか、「私の子供は帰国子女だからごく自然に3×2と考えたのだと思う」が含まれています。
海外の乗法・除法研究(「かけ算の順序」に関する研究ではなく)を手早く知るのにおすすめです。
「かけ算の順序論争」における古典と言っていいでしょう。
2010年からのネットにおける「かけ算の順序」について、ひと区切りを付ける形になったものです。2017年6月に、同年告示された学習指導要領に基づく「小学校学習指導要領解説算数編」のPDFファイルが文部科学省サイトでダウンロードできるようになるまで、ネットの論争は下火となった(とはいえ、2015年には「足し算の順序論争」が発生したのですが)ように感じます。
「かけ算の順序史上最も重要な論文10選」にはしませんでした。査読付論文だけでなく、書籍やその一部、査読を経ていない文書からも選びました。
「かけ算の順序史上最も重要なエントリ10選」でリンクした「かけ算には順序があるのか」「日常生活の中で計算が活用できる子供の育成を目指した学習指導の一試み」、それと海外文献は、今回、対象外としています。
よく引用されていることや、入手が容易であることは、選定の際に考慮しましたが必須の要素ではありません。「かけ算の順序」について直接主張していない文献も、取り入れています。
両親から聞く話では、もともと言葉が遅い方だったそうだ。幼い頃には心配をかけたらしい。幼い頃の自分を育てていた両親は、自分を混じりっけなしののバカだと思っていたに違いない。
小学校に入り、テストで良い点を取り出すと、案外頭が良いぞとなって中学受験を受けた。
といっても西日本の田舎だから、偏差値50もいかないところだ。開成や灘みたいな魔境とはレベルが違うし、平凡な子供でも塾に行けば十分受かるくらいの学校だ。
公立中学校でもテストの点は良かった。コツコツやってたら落ちた中学のトップ層くらいの成績になった。
しかし、優等生らしい生徒だったかというと、怪しい。普段の挙動が愚鈍すぎて頭が良いとはにわかに信じられなかった、と当時の同級生がよく語る。高IQのADHDにありがちな騒がしい馬鹿らしさではない。「愚鈍」だ。
高校でも同じような様子が続いた。成績は良いけどバカっぽい、というのがいつもの評価。だがそれくらいがキャラ付けとしても気安くて、ストレスなくやっていた。
あとは特にとりたてて話すこともない。普通に頑張ってたら普通に東大に受かった。
それまでの人生では、自分のバカさをなんとなく理解しつつ、でも深刻に捉えることはなかった。だって大抵のことは深く考えないでいられた方が楽しいからね。なのに成績が良いって、良いとこどりじゃん、とも思ってた。
今思えば、周囲との知能レベルが大きく乖離していなかったから気楽だったんだろうな。
塾が嫌いだった。成績至上主義が蔓延る教室内で、生徒たちは心身を削って過剰に勉強し、問題児であるはずの自分を先生は怒らないどころか贔屓する。歪んだ笑顔に嫌気がさす。
東大はそんなところだった。
もちろん、成績で優劣をつけようなんて幼稚なこと、東大生といえどもしない(嘘。一部の人間はする)。ただ、塾通いで内面化したメリトクラシーは、成績が評価基準たりえなくなった後に人格と融合しちゃうみたいだ。
東大生の好きなもの=「同じ知的レベルで話せる人」。つまり自分ではない。教養はある方だと思うが、当意即妙な返しはまったくできない。
それからというもの、優秀だったり意識が高い東大生からはほとんど初対面で難色を示される。そして、なるほど怠惰なやつなんだな、と思われてしまう。いや結構勤勉ちゃんなんですが。
話を東大に絞りすぎたかもしれない。多分、東京という場所がそうなんだろうと思う。
アメリカよりもずっとスケールは小さいけど、これも人種のるつぼだ。いろんな種類の人間が集まる。だからこそ、人より優れた長所が目立ち、格差が生まれる。
しかも若者は他者評価に敏感だから(自分ももっと一丁前に扱われたいと思ってしまうし)、他人と自分を比較せざるを得ないんだろう。
自分が、見下される対象になったのをやんわりと感じる。あるいは、性格の良い人だったらかわいそうとか、大変そうとか思っているのかもしれない。
ふと、自分の今の苦しみは、中学や高校で自分の隣の誰かが経験していたものなのかもしれないと思った。
その人たちは場所が違えば輝けたかもしれないし、さらにいえば別に劣っているからといって見下される必要はどこにもない。
あの人たちが元気でやってるといいなあ、と思った。
陰謀論の話だ。
2016年の覚醒剤での逮捕から、2019年の解散、Chageへの批判、そして陰謀論への傾倒。
陰謀論を信奉する人々にとっては陰謀論こそが真実なのかもしれないが、「月は人工物」とまで言い出している。
私は90年代の後半、チャゲアスが全盛期を少し過ぎた、しかしそこにあった圧倒的な輝きがまだ感じられる頃にチャゲアスを聴いていた。
というか、姉がファンだったので、広く浅く当時の曲全体を聴く機会があった。
そして、その頃からどこかしら、こんな日が来ることを予感していた気がするのだ。
それについて少し書いてみたいと思う。
予め言っておくと、途轍もなく偏見まみれで客観性に欠けているので、その点ご了承されたい。異論は認めるけどスルー大推奨です。
ネットの掲示板にはAskaが圧倒的才能の持ち主で、Chageが凡庸のように書かれている。だが、当時の曲を聴いていた自分の見方からすると少し違う。二人の持ち歌やソロ曲はこんな感じだった。
<Aska>
・恋愛至上主義。
・ロマンチックなシチュエーションを好む女性や男性に対して強烈な訴求力がある。
・ソロ曲ではエッジはそこまで効いておらず、キレの良さがやや影を潜める。
・声がとにかく独特。一度聞いたら忘れない声。
・天然。高校時代、Chageの歌っていた井上陽水の「夢の中へ」を知らなかったという話があった気がする。
・案外Chageへの対抗意識が強い。ビートルズ的なサウンドを追求する人を否定する発言も。
・売れる。
<Chage>
・やや小賢しい。
・メロディラインが難解な曲を歌いこなすものの、ノリづらいこともある。
・エッジの効いた曲を作るが、本人の声は高音寄りで柔らかく、パンチ力はいまいちなことがある。
・稀にパンチ力極大になる。(ロマンシングヤード、NとLの野球帽など)
・冗談好きでトークが上手い。深夜ラジオのDJは相当人気があった。
・基本そんなに売れない。
とにかく、一般への訴求力という面からするとAskaの方が上回るが、ChageはAskaにない部分がある。
二人が揃うことで弱点を克服し長所を増幅させていたのだが、どうしてそれができたのかはなんとも説明しがたい、そんなデュオだった。
だがまあ、本題はAskaのことだ。
Askaの世界観は少女漫画とうちの母親は言っていた。少女漫画と呼ぶにはは多少の男っぽさもあるにせよ、テーマの中心は理想の恋愛と理想の自分、理想の「きみ」だ。
恋愛という場面において最高の自分を演じる、そのためのシチュエーションを紡ぎ出すことに凄まじく尖った才能を発揮していた。
ChageもAskaもイケメンではない、せいぜいフツメンだ。
どちらかというと面白い顔のChageと比べるとイケメン系ではあるAskaも造作が素晴らしいわけではない。そのイケメン性はもっぱら自己演出によるところが大きい。
ただしその自己演出も、当時ですらそんなに時代には合っていなかった。
いつか時代に完全に取り残された時に、イケメンでもなく最高の男でもなく、弱くなった自分と相対した時にこの人は音楽が作れるのだろうか。歌が歌えるのだろうか。
それから何十年も経った今がある。
彼の才能を輝かせるためには、「最高の恋愛」からインスピレーションを受け続けなければならない。
インスピレーションが枯渇すればなんとかしてそれを補わなければならない。
クスリでも不倫でも、許されることではないにせよ、それだけの刺激を得ていないと止まってしまう。泳ぐのを止めたら窒息して溺れる魚のように。
友達すらいるのだろうか。本当のところは曖昧ではあるにせよ、ヤクの売人に徹底的に漬け込まれたり、陰謀論者に取り込まれたりするところを見ると人間関係の頼りなさは明らかに気になるところだ。
そんな自分を支えて引き上げる手立てはおそらく彼にはない。井上陽水を知らなかったように、ビートルズ的なサウンドを否定したように、Askaの世界観は他の世界と切り離されている。Askaは奇妙に孤独で真空だ。
だから、今のAskaは、傍から見ると怪しげな陰謀論としか見えないそれを大事に抱えて生きて、未だに残るかもしれない才能の煌めきの残滓に火を灯し、その人生をその人生の通りに駆け抜けるしかないのだろう。
3ヶ月ほど前に会社を辞めた。
事業がなくなるからということで会社都合退職になった、一応余分に金はもらった。
日常生活を送れるくらいには回復したので、いい加減職探しを始めようと思って準備を進めている。
自分は自己都合、会社都合を半々くらいの割合で職を転々としキャリアが虫食い状態なのだ。
必ずしもそうではないが30才くらいまでに今後のキャリアというのはある程度決めておくべきだと思っている。
だがリーマンショック世代の自分は「とにかく食えればなんでも良い」と
目先のことだけ考えてとりあえずどこかしらで働きながら常に条件の良い転職先を探していた。
幸い働いた分だけ蓄えはあるし、友達もいて趣味もあるから日常的にそんなに暗い気持ちにはならないが
昔から親に言われた通りに勉強し推薦で高校に入り、大学も自分の学力で行けそうなところに適当に入った。
何もやりたいことがないので就職先も入れそうなところで適当に決めた。
転職先にしても「やりたいこと」ではなく「食えそうなところ」をこれまた適当に選んだ。
30代まででなんとなくそれでこなせていたかもしれないがもう40超え、流石に厳しいと痛感しているがどうしたら良いかわからない。
なんでこんなことを思ったかというと先日、近所の友人宅で飲み会があった。
20代丸々付き合った相手もいるが結婚は意識できなかった、一人で生きていくので精一杯だったからだ。
うだつのあがらないおっさんではあるがありがたいことに10代で初めての彼女ができて以来
大抵の期間は彼女がいたが最近はそういった欲もなくからっきしだ。
(2年ほど前に告白されたが一緒にやっていけそうな相手ではないので振ってしまった)
話しを戻そう。
家庭のことは良いとして飲みの場で出た仕事の話しというのが
「大学の研究室ではこういう分野をやっていて今はこんな仕事をしている」という話しが中心だったのだ。
モラトリアムを延長したいから適当な文系の大学に入って対して勉強もしないままなんとなくIT企業に入って遊んでいた自分と違い
彼らは10代の頃からきちんとキャリアプランを練って今の地位にいるのだ。
40になるまでちゃらんぽらんな意識で適当にリーマンやってた自分が勝てるわけがないし
職種も業種も頻繁に変えてきた今の自分の転職市場における価値など塵芥なのだ。
一応いくつか資格は持っているのと一番歴が長いのがITなのでそっちの線で行ってみようと思っている。
週明けはエージェントと打ち合わせだがどうなることやら。
という独り言。
「通信制高校のブス」
ほんまにこの言い方腹立つ。通信制高校で今働いとるけど生徒たち皆色々と大変な中勉強頑張ったり高校の中で出来た友達と喋ったりして毎日楽しんでるんや
通信制に通ってるのは皆大小あれ生きづらさとか抱えてた訳やけどそれひっくるめて高校通って人生の中でかけがえのない時間過ごしとるんや
この人が言うような"通信制高校のブス"も確かに存在するけどその子の中にだって面白い考え方とか大切なものとか、一人一人にさまざま存在してる
『断罪された悪役令嬢は、逆行して完璧な悪女を目指す』を読んだ
王子の婚約者だったが陰謀によって破滅し娼館に落ちた悪役令嬢が性病で死に、気づけばタイムリープしていたので今度は破滅しないよう頑張る話だ
娼館ではお世話になった先輩娼婦がいて、彼女は主人公よりも先に性病で死んだ
人生をやり直した主人公がまず最初にやることは、まだ娼婦落ちする前の先輩を探し出し、彼女が同じ死を迎えないよう保護し自分のメイドにすることだった
主人公が先輩を抱きしめ「私たち両思いだわ」と言うところは百合百合しかった
メイドにはもちろん初周の記憶はないので、なんで主人公が自分を探しにきて救ってくれたのかわけが分からず、とにかく恩義を感じて忠実に仕える
しかし救済したらもうそれで終わりとばかりに以降先輩との百合展開はない
もっとイチャラブしてほしい
TLほどではないがちょっとエロい感じがあり、主人公は普通にノンケ王子とイチャラブしてしまう
初周で娼婦をやっていたので男の扱いには慣れているが、現在は15歳処女に戻っているといるので若い肉体はイケメンに対応する時にドキドキしてしまうというギャップがある
タイムリープ時の14歳の時には貧乳だったのに15歳になったら巨乳化する
悪役令嬢のやり直しものは、初周で険悪な関係だった者と円満な関係にやり直すというのがよくある展開だが、主人公を破滅に追いやった義妹はやり直してもクソ女のままでそこは残念
Xで「親よ、就職先は置いといて希望の学部学科には行かせてやれ」という内容のポストを見た。でなければ、心身を病むことになると。
行きたいところに行けばいい。高校生の時点で大学に行く意思が明確にあり、己の得意科目や向いている考え方を自覚しており、学部を選べるくらいには自分の活かし方を知っているのはとても誇るべきことなのではないだろうか。
大学進学率が高い昨今。高校に入学したら大学に行って、そのまま就職して、……が当たり前みたいになっている。実際はそんなことないのに。
親は当然、さきをみすえる。つまりコイツがひとり立ちできる道を選んでいるのか見定めている。
せっかく頑張って大学に行ったのに望まない授業を取らされて病んで休学して……。勿体なすぎる。
私がこう思うのは多分、私の親が私に好き勝手させてくれたからだ。よく分からない大学の聞いたこともない学部に行き、「お仕事何してるの?」と問われても特殊すぎるので「…………公務員」としか言えない。大学で勉強したことと同じ感じだよ〜で納得してくれる。適度な無関心、ありがたや。
人生なんとかしようと思えばある程度なんとかできる、とそこそこ恵まれてしまった私はそのマインドで生きている。
たとえ希望するところに入れなくたって、大学卒業さえしてしまえば関係ないところに就職したっていい。自分のお金で学び直してもいい。
それだとまるで無印がオシャレなブランドみたいじゃん、そういうにのは高校か大学生ぐらいまでで卒業していくよ。
田舎で唯一遊びに行ける商業施設のテナントに入ってる無印良品が「おしゃれなもの」代表になってる可哀想な人以外はそんなに良いと思ってないでしょ。
https://anond.hatelabo.jp/20241214160546
便乗して書く。順不同です。
不法移民を乗せた船が地中海に度々沈んでいるとニュースで話題だが沈んだ/打ち上げられた彼らの遺体は果たしてどう扱うべきか。大量死した移民難民の検死という大プロジェクトに立ち向かったイタリア法医学者の奮闘の記録。身元の照合なんてDNA鑑定すれば簡単やろ、なんて素人考えは早々に打ち砕かれ、うーんこれは大変だぞと読んでて途方に暮れてしまうが、それに立ち向かう筆者ら法医学者の技術と志には非常に頭が下がる。法医学の本なのに序文が筆者の肉親の死を描いたエッセイから始まるのが意外だったが、読み終えたあとにはその意図がよくわかる。ちなみにグロ写真は出てこないがグロ文章は出てくるので俗な好奇心も満たされた。
噂には聞いていたがおもろすぎる。特に『オムファロス』が好きだが読書メモを見返してみると『不安は自由のめまい』からの引用も多く、かなり自分の心に響いたようだ。あまりに面白かったから、SFマガジンの息吹刊行特集号を中古で探してきて、短編集未収録作(『2059年なのに、金持ちの子(リッチ・キッズ)にはやっぱり勝てない -DNAをいじっても問題は解決しない』)まで読んじゃった。
土を語るには色が欠かせない、ということで新書なのにフルカラー、本を開くと不思議な匂いがする。永久凍土、チェルノーゼム等等、高校の地理の授業で学んだものだが、実際に足を運んでみると結構ものが違ってたり、正確かつ詳細な分布記録はどこにもなかったり(なので国際プロジェクトが立ち上がり筆者もそこに参加した)教科書には載っていない地質研究のリアルが知ることができ面白かった。筆者の語りも軽妙でぜひ次回作が読みたいと思っていたら、ちょうど今月末にブルーバックスから『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』という本を出すようで興奮が止まらない。絶対読もう。
新卒時代に神経内科学に携わった経験があり、仕事内容はAD(アルツハイマー病)ではなかったもののアミロイドβ仮説の問題点については小耳に挟むことも多かった。ということで課題図書的に読まなければならないと思っていた本でようやく重い腰を上げて読んだのだが過たず面白かった。同時期に『失敗の科学』も読んだのだが、それに載っていてもおかしくないような事例ではある。認知症は確かに存在するのだろうが、アルツハイマー病という病気が本当にこの世に存在するかどうかは読み終わった今かなり疑問だ。病をどのように定義するか……。脳の病気は、脳以外の臓器と違ってすぐさま生検というわけにもいかないし、死後解剖も難しく(愛する人の頭を暴かれたいとはなかなか思えまい)、そもそも脳という臓器が複雑なブラックボックスすぎて、病態と組織学的所見とを適切に紐付けることが元々非常に困難なんだろうな。
わたくしごとだが11月末に待望の第一子が産まれ、本書はその産前休業期間中に読んだ(産後は集中力が低下して活字があまり読めなくなったので、今から思えば産前に読んでおいて本当に良かった)。薄めの本だが、発達心理学のエッセンスがぎゅっと詰まっている。ベテラン大学教授の発達心理学連続講義の第一回総論といった趣の本(というかそれそのもの)。筆者は障害児心理学で長年教鞭を執ってきていて、定型発達児・障害児の双方に平等に愛を注ぐ筆致に心を打たれた。医学では病める臓器の研究が進むことでその臓器そのものの生理についても知見が積まれるものだが、障害児心理にはひとのこころの成り立ちを考える上での重要な視点が詰まっているのだろうなと思う。
新生児の頻回授乳のお供にオーディブルを再開した。眠いと活字はなかなか頭に入らないのだが耳からならなんとかという感じである。今読んでいるのは『サピエンス前史 脊椎動物の進化から人類に至る5億年の物語』で、新生児のしゃっくりを見ながら古代脊椎動物が獲得した横隔膜に思いを馳せたりしている。次にオーディブルで読む本は未定なので、おすすめあったら教えてください。ちなみにわたしのオーディブルおすすめ(読み終わって好きな本)は『北関東「移民」アンダーグラウンド』です。2025年も色んな本に出会いたいものです。
ネットや世間では学歴やら偏差値やらたわけた数値で溢れかえっているが、そもそもこの国だっていつ凋落するかわからない。
それで決めるのが学校だ
幼稚園ではかけっこ一位だったんだが、高校になって1500メートル走が後ろから2番目だった
進学校だったので衝撃を受けた
それでも15年前にジムに行き始めて、最初は走ってばっかだったので数年後に中学生出しの平均くらいの速度は出せるようになった
数年練習して平均かよと思うが
そんなことも忘れて、ここ二年運動不足で久しぶりにジムを再開して二ヶ月経った
ようやく1500メートルを7:50で走れたんだが(あくまでランニングマシン)、これが女子中学生のかなり遅いタイムらしいとわかり、やはり遅いんだなと改めて思った
てかほんとに皆そんな速いのか??
ほんとかよ、まず1500メートル走れないだろ?
まあまあ中高生の平均を目指していこうと思う
だらしない社風の会社を選考応募前にあらかじめ見抜く方法ありませんか?(こういう特徴があると危ない、とか)
例えば、
・一旦自分で立替えた経費や、年末調整などの申請を期限のまさに当日に行って何が悪いの?という感覚が一般的な職場
・「ローンでギター買ったんだけど、この前引き落とし間に合わなくて焦ったわ(笑)」
みたいな世間話をする同僚がいても、「(こんなだらしない奴は現時点で仕事で問題なくても良い評価はできないなあ)」なんてマイナスの扱いをされることがない職場
・「貯金なんてしてない。毎月使い切ってる」という同僚が別に周りから顰蹙を買わない職場
・暇な時に自分からとにかく何でもいいからやることを見つけて時間を無駄にしない、
なんてことはせずに周りの人と仕事に全く関係ないおしゃべりを可能な限り続けるのが普通で悪いことである認識すはない職場
・交通費を貰っているのにもかかわらず「最近自転車にハマってる」なんて理由で、報告してある通勤方法や経路を曲げて自転車通勤をする同僚がいても、周りが問題視するどころか「運動不足解消にいいね」なんてふうに軽く受け止めている職場
・新人の教育係を頼まれても「負担が増える分、給料上乗せしてくれるか、通常業務を減らしてくれるかされない限り引き受けたくない」と平気で宣う同僚がいて、別にそういう考えでも顰蹙を買わない職場
これらの例の多くは全部自分がサークルやアルバイト先で実際に遭遇しただらしない場面です。
自分は小中とバスケ、高校は吹奏楽をやっていて、実力の有無を問わず、当たり前のことを当たり前に1から10まで徹底して出来ていないと皆厳しく指導されてきました。
ですので、自分にだって何らかのだらしない面もあるとはいえ、大学に入ってからサークルやアルバイト先でこういうタイプのだらしない人を見てきてショックを受けたし、たとえ自分に害が及ばなくても物凄いストレスを感じてきました。
だらしない社風の企業をインターンで見抜くのは時間効率が悪いし、そもそもインターンを雇っていないところもたくさんあります。
だらしない企業を応募前に足切りし、また入社してからそういう理由で後悔しないようにするために、皆さんの知恵をお借りしたいです。
千葉県の北の方の市から、神奈川県の横浜より西の市に引っ越してきたので感想。
神奈川の人って、普通の人でもヤンキー的な文化に共感というかシンパシーがあるよね?
どこでもヤンキー的なワルの人たちって先輩後輩のタテの繋がりがあったりするけど、そのダサさというか、ダサいと思ってる人が少ない。
それは結構タテの上の方の先輩がそのままカッコいい大人になってて、店やってたり職人やってたりして、
なんかライフスタイル(バイクとかファションとか嫁さんとか)ごとカッコよく暮らしてたりして、
ああこりゃ確かにカッコいいのね、尊敬されるかもねという元不良の大人が街ごとに、そこかしこにいる感じ。それが神奈川。
で、同級生同学年がワルでダサいと思ったとしても、ああいう上の方のカッコいい先輩を認める気持ちでは共通してるから、
なんかわかるよお前のその気持ち、という感覚があるよね?ヤンキー的なワルが排除されないでいられる雰囲気。
でも高校や大学が偏差値高めの県外、という人はそのまま県外に就職するコースなので、そこで地元で就職した人とはちょっと分断があるらしいんだが、その辺は自分にはわからない。
共働き女性と比べて得していて不公平だから廃止する、という論点なんだよな
これなら高等教育無償化政策の場合、明らかに高校や大学に行かない同年代と比べて得をしていて不公平なんだから、無償化を廃止するか、働く同年代に同額の給付金を与えなきゃおかしいことになる
中学生の頃に白人のドイツ人の友達がいた。近所に同世代の子供が自分しかいなかった事もあり、よく遊んでいたのでかなり仲が良かった。
小学生の頃に大学の先生だった父親に連れられて日本に来ていた。まあまあな田舎だった地元では結構目立つ存在だった
彼は消臭力のミゲルくんみたいな美少年(美青年?)で、とにかくモテた。(以下ミゲルくんと呼ぶ)
同学年はもちろん上下の学年にもモテてたし、話しかける勇気がない層も含めるとかなりの数のファンがいただろう。
一緒に電車に乗って街に遊びに行ったときには社会人らしき成人女性から話掛けられて連絡先を貰っていた(もちろん自分は無視されていた)。まぁそれについては今考えるとヤバいなと思うけど
そんなモテモテの彼だからバレンタインデーにはとんでもないことになる。学校にチョコを持っていくのが固く禁じられている為、放課後に彼の家にチョコを渡しに来る女子が大挙して押し寄せるのだ。田舎で1つの家に人だかりが出来るのは餅まきの時ぐらいしかないのだが、それに匹敵するほど女子の群れが出来ていた。
もちろん自分は蚊帳の外なのだが、自分の家のチャイムを鳴らす女子が現れた。
母親もミゲルくんの家の盛況に気づいていたのだろう。そしてその中でもミゲルくんではなく自分の息子にチョコを渡してくれる女子が現れたのだと思ったのだろう。
母が嬉しそうに呼びに来る。
でも自分は気づいていた。彼女たちは自分にチョコを渡しに来たのではないのだろうと。
「これミゲルくんに渡してくれる?」
目立たないタイプの女子2人組から、きれいに包装された小箱を受け取る。
ミゲルくんに直接渡す度胸のない女子からチョコの配達係に任命されたのだ。
2人が帰った後、自室の学習机に備え付けてあるの一番広い収納スペースに小箱を保管し、夜になってからミゲルくんに渡した。
その日一日母はご機嫌だった。けれど何をもらったのとかは聞いてこなかった。思春期で恥ずかしがるだろうからとの気遣いだろう。
それが苦しかった。母に申し訳なかった。異性から見向きもされない息子でごめんって。(ちなみに裏で一部の女子からは金魚のフンと呼ばれていた)
https://shueisha.online/articles/-/252430
例のパーカー着てるおじさん批判の人の集英社からのインタビュー見たんだけど
どうもこの人はもう27歳なのに若者の立場として色々言ってるっぽいんだよね
パーカーどうこうの前にその27歳が若者ぶってる姿が痛々しいと思う
はてなとかだと20代なら若いとか言うが、「おじさんおばさん」という言葉を使って何かを批判する時点で
その「おじさんおばさん」と言われるような存在に自分も入っている事を忘れちゃいけないと思う
数年前に自分より上の世代を批判していたEXITの兼近さんとか見ても思ったけど
もうすぐ30歳になる人は大人なんだから若者ぶらずそういう客観視はしようよって話です
彼ら彼女らはもしかしたら普段から40代以上とかの人達を相手にしてて
ただ自分は数年前に大学に20代後半で入ったから思ったんだけど
周りの大学生が中学高校の話をつい最近かのように…いや最近だな…
サークルの飲み会や徹夜麻雀とかやってる時はもう関係ねえ!とばかりに
一緒に盛り上がる事も出来たが、大学生活で何もかも新鮮な事として経験してく人達と
18歳のころ、大学はいってゲーム業界目指してたんだけどさ、PS1が高校の時だったかに出てC言語で開発されてるとかいう話も雑誌なんかで読んで
業界がC/C++の採用に動いてると書かれてて、だから大学でC言語頑張ってたんだけど
そしたら当時の2chに
お前らは大変だなこんな時代にゲーム業界目指すなんて、俺らのころは雑誌に載ってるBASICをマネしてたらヒーローだったよ楽な時代だった
って書かれてたんだよ、まぁその時は何とも思わなかったけど
そんで就職のときになってけっきょくWEBにしたんだけど、今同じ気持ちだな
俺らのころは糞セキュリティガバガバなPHPとHTMLとCSSで飯食えたけど
いまはReactとかでやらないといけないのかとかな
ポートフォリオもなんか半年頑張んないとこんなの無理だろみたいなレベルのものばかり
すげーわさいきんの若者は
昨晩は printf() しながらビンゴの玉(?)をスプライトで表示ところを作ったよ。
いわゆる画面演出やね。
オブジェクトが出てくるときは減速 オブジェクトが出ていくときは加速 コレ常識
こういうのは手癖でもう作れるようになってるンゴ!
へたっぴが作ると「パッと出て、パッと消える」みたいな感じになるけど算数ができないとこうなるんだよね。
減速も加速もレトロゲーム()なら整数の計算だけでもできるよん
高校の数学で習ったと思うけどn(n+1)/2 で 1+2+3+4+5+6...+n が求められるから
終着点から n フレームの時の距離とすればいい感じに減速にできる逆算すれば加速になるって寸法よ
これがわからない人は二次曲線とかの少数をつかうから動きがカクカクになって草
止めずに素早く動かすならそれでもいいけどとまるときにカクカクってなるのだけは後味わるいから散々つくらされたのでもう手癖で覚えてるンゴ