はてなキーワード: 干渉とは
2021年の岸田政権から売国政策が加速したけど、やっぱなーって感じですわ
Japan fast becoming a nest of spies:
「六本木の星条旗通りや歌舞伎町の職安通りにスナックを開店しないかと誘われた」と、訪日外国人向けのホステルを経営するこの男性は、アサヒ芸能の記者に語った。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる訪日旅行者の激減で、彼のビジネスは当然ながら資金繰りに苦しんでいました。そんな時、ある中国人から「おいしい利益」を生み出す取引を提案されました。
「パンデミックのおかげで、倒産した店の跡地に進出するチャンスはたくさんあります。全額融資します。スタッフとして入店すれば、固定給に加え、利益率に応じた歩合給も受け取れます」と中国人から言われた。
「外国人に人気のエリアというだけで、本業との相乗効果で大儲けできるという直感がありました」とホステル経営者は語った。しかし、その後、彼の表情は一変した。
「店には隠しマイクと隠しカメラが設置されており、外国人要人や省庁の官僚が来たら必ず報告するように言われました。『最悪の場合、赤字でも構わない』と中国人男性は言いました」
日本は6月10日から外国人団体旅行客の受け入れを始めたばかり。警視庁目黒署は22日、講演会を開き「スパイから接触があったと感じた企業職員が相談しやすい環境を整えたい」と呼びかけた。
しかし、場合によっては、まったく見知らぬ人のアプローチから始まることもあります。
「2月の北京冬季オリンピック開幕の約2か月前、上海公安警察員を名乗る『李』という男から携帯電話に電話がかかってきました」と、アジアから商品を仕入れる貿易会社に勤める男性は語った。「彼はチベットやウイグルの政治活動家のリストを入手してほしいと頼んできました。どうやら日本当局はCIAからそのようなリストを入手していたようです。もちろん断りましたが、彼は『心配するな、日本の警察が金で売ってくれる』と言い続けました」
「日本における中国の諜報活動において、経験豊富な諜報員が関与している例はほとんど見られません」と、日本政府筋はアサヒ芸能に語った。「中国は日本の先端技術、特に医療と通信分野をターゲットにしています。そのため、日本の大学で学ぶ学生のリストを作成し、彼らの求めるものに応じてアプローチしているのです。」
これらのリストには写真も保存されており、魅力的な女子学生は、新宿の歌舞伎町や四谷付近のクラブでアルバイトをするよう奨励され、そこでアナグマの罠にかける日本人のターゲットを仕向けられる。
国際ジャーナリストの山田敏弘氏は、「中国国民や企業は、政府から指示があれば、スパイ活動に従事するのは事実上義務です。多くの場合、家族の年金の増額や帰国後のより良い仕事の約束といった特典が提示されます。しかし、拒否しても家族の安全は保証されません。いわば、家族が人質に取られているのと同じなのです。『祖国のために』と促されると、結局、断れる人はほとんどいないのです」と解説する。
ロシアのGRUと北朝鮮の工作員たちも日本の脆弱性を嘲笑している。
「日本は北朝鮮の貯金箱になっている」と政府筋は述べ、パチンコ店や焼肉店の経営者が北朝鮮の家族に送金している実態を指摘した。「北朝鮮軍の選抜メンバーは簡単に中国のパスポートを入手し、日本に潜入できる。しかも、彼らは中国のパスポートで渡航しているため、簡単に拘束されることはない」
アサヒ芸能によると、日本のこれまでの諜報漏洩対策は、諜報活動の監督を担う外務課長や警察署長を通じた「アウトリーチ」だった。こうした取り組みは、2018年からアメリカのFBIに設置された「チャイナ・イニシアチブ」を模倣したものとされている。
以下コメント
中国は他国の内政に干渉しないと主張してきたが、それは間違いだ。
現代における幕末2.0。日本は多くの外国人居留地に分割され、外国人居留地として機能するだろう。日本の未来を支配するのは、三大外国人人口の勢力だと私は明確に見ている。
中国系とベトナム系の住民は、農村部と都市部をまたいでチャイナタウンやベトナムタウンを形成するだろう。アメリカ人は、米軍基地周辺の広大な土地に家族を定住させようと争うだろう。
北朝鮮とつながりがあり、利害関係があり、日本の与党の暗黙の同意や承認を得て日本人から金を巻き上げている韓国の特定の略奪的カルトのように?
統一教会の騒動は、日本の超国家主義者たちが最初から騙されてきたことを如実に物語っています。このカルトは、日本人と韓国人を交配させて純潔を重んじるというメッセージを説き、日本の自民党エリートたちはムーニーの足元にキスをしています!
岸田政権から売国政策が加速したけど、やっぱりなタイミングやで。
Japan fast becoming a nest of spies:
「六本木の星条旗通りや歌舞伎町の職安通りにスナックを開店しないかと誘われた」と、訪日外国人向けのホステルを経営するこの男性は、アサヒ芸能の記者に語った。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる訪日旅行者の激減で、彼のビジネスは当然ながら資金繰りに苦しんでいました。そんな時、ある中国人から「おいしい利益」を生み出す取引を提案されました。
「パンデミックのおかげで、倒産した店の跡地に進出するチャンスはたくさんあります。全額融資します。スタッフとして入店すれば、固定給に加え、利益率に応じた歩合給も受け取れます」と中国人から言われた。
「外国人に人気のエリアというだけで、本業との相乗効果で大儲けできるという直感がありました」とホステル経営者は語った。しかし、その後、彼の表情は一変した。
「店には隠しマイクと隠しカメラが設置されており、外国人要人や省庁の官僚が来たら必ず報告するように言われました。『最悪の場合、赤字でも構わない』と中国人男性は言いました」
日本は6月10日から外国人団体旅行客の受け入れを始めたばかり。警視庁目黒署は22日、講演会を開き「スパイから接触があったと感じた企業職員が相談しやすい環境を整えたい」と呼びかけた。
しかし、場合によっては、まったく見知らぬ人のアプローチから始まることもあります。
「2月の北京冬季オリンピック開幕の約2か月前、上海公安警察員を名乗る『李』という男から携帯電話に電話がかかってきました」と、アジアから商品を仕入れる貿易会社に勤める男性は語った。「彼はチベットやウイグルの政治活動家のリストを入手してほしいと頼んできました。どうやら日本当局はCIAからそのようなリストを入手していたようです。もちろん断りましたが、彼は『心配するな、日本の警察が金で売ってくれる』と言い続けました」
「日本における中国の諜報活動において、経験豊富な諜報員が関与している例はほとんど見られません」と、日本政府筋はアサヒ芸能に語った。「中国は日本の先端技術、特に医療と通信分野をターゲットにしています。そのため、日本の大学で学ぶ学生のリストを作成し、彼らの求めるものに応じてアプローチしているのです。」
これらのリストには写真も保存されており、魅力的な女子学生は、新宿の歌舞伎町や四谷付近のクラブでアルバイトをするよう奨励され、そこでアナグマの罠にかける日本人のターゲットを仕向けられる。
国際ジャーナリストの山田敏弘氏は、「中国国民や企業は、政府から指示があれば、スパイ活動に従事するのは事実上義務です。多くの場合、家族の年金の増額や帰国後のより良い仕事の約束といった特典が提示されます。しかし、拒否しても家族の安全は保証されません。いわば、家族が人質に取られているのと同じなのです。『祖国のために』と促されると、結局、断れる人はほとんどいないのです」と解説する。
ロシアのGRUと北朝鮮の工作員たちも日本の脆弱性を嘲笑している。
「日本は北朝鮮の貯金箱になっている」と政府筋は述べ、パチンコ店や焼肉店の経営者が北朝鮮の家族に送金している実態を指摘した。「北朝鮮軍の選抜メンバーは簡単に中国のパスポートを入手し、日本に潜入できる。しかも、彼らは中国のパスポートで渡航しているため、簡単に拘束されることはない」
アサヒ芸能によると、日本のこれまでの諜報漏洩対策は、諜報活動の監督を担う外務課長や警察署長を通じた「アウトリーチ」だった。こうした取り組みは、2018年からアメリカのFBIに設置された「チャイナ・イニシアチブ」を模倣したものとされている。
以下コメント
中国は他国の内政に干渉しないと主張してきたが、それは間違いだ。
現代における幕末2.0。日本は多くの外国人居留地に分割され、外国人居留地として機能するだろう。日本の未来を支配するのは、三大外国人人口の勢力だと私は明確に見ている。
中国系とベトナム系の住民は、農村部と都市部をまたいでチャイナタウンやベトナムタウンを形成するだろう。アメリカ人は、米軍基地周辺の広大な土地に家族を定住させようと争うだろう。
北朝鮮とつながりがあり、利害関係があり、日本の与党の暗黙の同意や承認を得て日本人から金を巻き上げている韓国の特定の略奪的カルトのように?
統一教会の騒動は、日本の超国家主義者たちが最初から騙されてきたことを如実に物語っています。このカルトは、日本人と韓国人を交配させて純潔を重んじるというメッセージを説き、日本の自民党エリートたちはムーニーの足元にキスをしています!
このへんバラバラなんだよね。網羅もできない。自慰行為については秘匿する女が多いし(そんな情報を公開しても損しかしないから)、やたら声デカいのが社会性ゼロのノイジーマイノリティの可能性は濃厚だし、全女性のなかで割合がどうなっているのかなんて女オタク同士でも分からない。ガチパンピと隠れオタクの区別だってつかない。男性には更に分からないでしょう。だから秘匿する女が多すぎて何も分からないということを、全員がわきまえろ。全員がだよ。女もわきまえろ。「私たち女性は~」とか「私たち腐女子は~」「私たちオタク女は~」という代表代弁をやめろ。自分たちの属性にこうであってほしいお気持ちで女性代表なり腐女子代表なりして代弁すんな勝手に。気持ち悪い。境界線を引け。自分の話をしろ。わからないんだから。わきまえて、自分の範囲の話をしろ。
自分の話をする。二次創作は抜けない。「こんなキャラだったか?」となりやすく、特にエロだと「こんなこと言わないのでは」と、いわゆる解釈違いというやつで萎えてしまう。特に原作で賢いキャラクターが二次創作で絶対しなさそうな愚行を見せてくれると本当に萎える。エロ表現のために作られている創作男女だと、この解釈違いというやつが起こりようがなく、性癖で選んで一転突破できるので一番抜ける。
ただこういう表明に対しても、干渉的なうぜえ種類の女は、「一次創作のエロは積み重ねを大事にしていない。私たち女性は、年単位で原作で積み重ねられた関係性が結実した結果を二次創作として表現しているから、関係性にこだわらずに唐突で安直なエロを求める男性とは違って~」みたいな主張をしてくる。はい女性代表。正しい性癖の定義づけ。お前もまた自分の性癖を開陳しているだけのくせに随分と正義面だな?うるせえんだよカス。あとはBL興味ないから関係ないけど「私たちのBL消費活動はLGBTQ+への支援です」みたいなスタンスのやつも本当に糞。これに対してはゲイの当事者からはっきりと批判が出ていたけど、聞こえないふりして無視してんだよな。もしくはフィルターバブルの中にいると反論が入ってこないのか?マジで支援だと信じてるの?一方的に性的に見てるだけなのに?
「原作で賢いキャラクターが絶対しなさそうな愚行を二次創作で見せてくれる、自分はそれが抜けるんだ!」みたいな意見に対しては、相容れないけど握手はしたい。性癖が違うだけで、独立性を保っているお前のスタンスは好きだ。オタクの連帯にはスタンスの連帯がまだ足りていないように思う。あるいは見えにくい、少ない、力を持たない、比較的無視されているというべきか。性癖の繋がりが勝ち、スタンスの繋がりは数において負けやすい。
性癖が一致してスタンスが不一致の人間とも結果的に繋がってしまっているケースがよく見られる。そしてスタンスが「独立」として明確な人間もいるにはいるが(同カプから異常思想・異常言動するカスが出たときブロミュできるタイプ)、性癖しか頭になくて他は何も考えていない流動的な人間、強く言われるとそれが正しいような気がしてくる人間もいるので、流動層が声デカに飲み込まれていく。ボスが「美少女ドール、キモい!焼こう!」と言えばダチョウの群れみたいに追随する。
男オタも性癖のためにフォローしたエロ絵師がミサンドリスト化していって、絵を描くペース落ちて邪悪なゲボクソ表現規制フェミのポストばかりをRPするようになり、自分がクソフェミから直接攻撃を受けたわけでもないのにだんだんと影響を受けて自分も全女性をひとまとめに憎悪するようなミサンドリスト的なポストするようになっているの見かけるけどな。2年前はこんな憎悪者じゃなかったよな?という男性絵師を見かける。声デカの極端な憎悪者には飲み込まれるんだよ。絵を描けなくなって絵垢が政治垢化していくのもよくある。
本当に絵師のXをフォローすべきか?絵だけ見ていれば問題ないが、思想がTLに流れてくると、不幸な人間や支配的な人間、病的に不安が強い人間に感性まで汚染されるのでは?スタンスが固まっていて独立している人間と、影響を受けやすく流動的な人間がいる。影響を受けやすい人間は絵師の人格とは遠ざかるようにして絵しか見ないのもありだと思う。クリエイター、人格面では異常に被害者意識が強くてダブスタ上等の変な人(同僚だったら確実に特級呪物)も結構な確率で紛れているから、クリエイティブと抱き合わせで思想やスタンスまで影響受けると社会生活においてマイナスになることも多い。自分の界隈を棚上げして他界隈の表現叩きばかりしているショタコンの商業BL作家もこうした、性的クリエイティブ生産能力は商業ベースで活動できるほど評価されていながらも、思想・スタンスは完全なる害悪のダブスタ、という部類なわけで。
あとはこの抜くという表現に対して、男からお気持ち表明があったこともあるんだよな。
「抜く」という言葉は俺たち男のための言葉だから、女は使うな。女は「クチュる」を使うべきとわざわざ表明してきた。うるせえな気持ち悪いゲボ野郎。こういう「俺たち男は~~クチュると言うべきだと思っている!」みたいなのも気持ち悪いんだよ。どんな単語使用しようが他人事だからどうでもいいだろ。男性が一枚岩だと思ってて自分の意見に賛同するに決まっていると思うタイプの奴も本当に気持ち悪い。大声で騒ぐやつにダチョウの群れみたいに何も考えず追随するやつも気持ち悪い。
過干渉だからチー牛になるというより発達障害の因子が現れるとチー牛になるほうが正しい。
「発達障害 スクリーンリードタイム」でぐぐれば、その理由がわかる。
ちなみにググって出てきた論文だと「兄弟姉妹がいれば発達障害みたいにならないのでは?」と推測してるが、
おまけに祖母なんか兄弟姉妹がいたのに不安障害で救急車を何度も呼んでブラックリスト入りしたし、同じ環境で祖父も鬱気味だったりするんで、
「過干渉でチー牛になる」だの、ちらとでも思ってるだけでも「思春期女子に色気づいたな発言」と同じくらいやべー思想だから。
思想の話かセクハラの話かはっきりしねえな。思ってるだけなら自由だよどんな非人道的なことも。
なんで「過干渉でチー牛になるという思想」が「思春期女子に色気づいたな発言」と同等なんだよ。前者は思想。後者は女児への明確なセクハラ。加害行為は後者のみ。
お前みたいなロジカルシンキングできない感情脳さんが人に何か物申したくなった時は自分の発言はすべてクソバイスになるという自覚を持って発言してね。
愚痴吐くのはいいと思うけど、これからここに書かれるクソ文章隅から隅まで読んで
ひとつも反論せずに子育てに活かせよ。あなたの思考回路は相当に歪んでいる
小1の長男がおとといから1人で隣の県の義実家に泊まりに行ってる。
夏休みで暇だし、義父も定年退職して暇だから行ってるんだ。プール行ったり温泉行ったり楽しんでるみたい。(水の事故にはマジで気をつけて欲しいが…。)
私は育休中で赤ちゃんの世話とかあるし、保育園児の次男もいるし、外は暑すぎるし、1日に1回くらい一緒にスマブラしたりマリオカートやるくらいしか、長男にがっつり構ってやれてない。
でもな、全然寂しそうでもないし、やっぱり家が良いとかもないみたいだし、正直寂しく思っちゃうんだ。
私の親は、かなり過干渉で、こういう時、もうそっちの家が良いならずっとそっちにいれば良いじゃんとか嫌味を言うタイプだったんだよな。
私はそうはならないぞと思ってたのに、頭の中にそういう嫌味がバンバン出てきちゃう。
今まで頑張って育ててきたのに、義実家の方が良いんだね、もうお母さんいらないねみたいな、お母さんヒス構文が延々と頭の中を回るんだ。
こんなこと絶対に言っちゃダメだってわかってるのに、楽しかったんだ、良かったね、きっと美味しいもの食べて、たくさん構ってもらえて、こんな家にいるよりもずっと良いね、とか言っちゃいそう。
なんて自分が情けないんだ。
少しは寂しがって欲しかったんだろうな…。
なんか、鹿の赤ちゃんとか、人間の臭いがつくと育児放棄されるとか言うじゃん。
なんでかなーとか思ってたけど、こういう気持ちなんだろうな。
まあ昨日は津波速報とかあって、守らなきゃってずっと思ってた長男がそばにいないから落ち着かなくて、なんかイライラしてたってのもあるかもしれない。超内陸だけど…。
こういう感情を抑えられなくて、私が守らなきゃってずっと息子に干渉してたら、いわゆるチー牛的な感じになるんだろうな…。
はあ………。長男無事に帰ってきて欲しいし、無事に嫌味を言わないで過ごしたいわ…。
若手社会人。はてなは学生の頃からしてる。はてブが主で増田は少ない。ランキングは見るけど。
今年5月上旬のある日のことだ。一応商社で働いてるのだが、仕事で疲れた帰りに、学生時代に通っていた六本木にある居酒屋の暖簾をくぐった。学生がたくさん来るお店である。
カウンターの隅に腰を下ろして、生ビールを注文して、ほかに話せる常連いないかな~と思ってたら、いい感じにメンツが集まってきた。小一時間もすると、楽しそうな笑い声が耳に入るようになった。
4~5人の会話グループが、俺がいるカウンター席のあたりにできていた。社会人じゃなくて大学生もいた。一応は大学の後輩である。
それで若い頃が懐かしくなって、最後は飲み比べとかやってた。大学生らも、店員と気さくに話しながらさ、勢いよくグラスを空けてたよ。このフワフワ雰囲気がいい。
誰かが音頭を取って飲みコールが始まるんだよな。なんかやんやで、いろいろあって、ある男子大学生の子が顔が赤くなってた。これが最後だ!!って感じで、彼は周りの連中が囃し立てる中、ハイボールグラスをグイっと傾けた。
コールに合わせて、彼は苦笑いを浮かべながらハイボールを飲んでいた。
その時、マジで大学生だった頃の懐かしい記憶が蘇ってきた。俺もそこまで年は取ってないのだが。
このイッキで、彼の飲みはすべて終わったと思ってたが、ここで若い店員の一人が「ホラッ」て感じで、彼に新しいグラスを差し出したのだ。
カウンター上にドン!て置いた。「はいおかわり」って感じ。その時だった。
「バカなことをするな。何をしてるのかわかってるのか!」
ここでタイトルのやつ。近くのテーブル席にいたおじさん客が怒鳴ったんだ。
おじさんは、俺らから少し離れたテーブル席にいたけど、こっちに来たよ。
見るからに疲れ切った中年だった。齢を取ってもああはなりたくない。険しい表情だった。
当然のごとく説教が始まった。以下要約。周りは静まり返ってた。
・いい歳して、そんな無茶な飲ませ方をしたらダメ
・その子が帰ってる時、事故にあったらあなた達は警察から事情聴取を受ける
女子学生の1人は「え、別に、みんなで楽しく飲んでるだけなんですけど…」ってまっとうな反論をしたけど、おじさんは「体を壊したら~」とか「君たちはまだ若いんだから」と言ってた。
俺も会社員やって数年が経つから、おじさんが言ってることはわかる。うちの商社も、公的にはコール禁止だ。22時以降の飲み会も禁止。ついでに二次会も禁止。若い連中が集まる会だと、どの社員もコールするけど。
でもここ、六本木じゃん。お酒飲む場所じゃん。よくないことしてるのはわかる。学生時代は、大学の学生部から飲み会コール禁止令が出ていた。やったら学内処分になるという。
それでも、体育会サークル活動では飲み会でコールをやっていた。でもそれは、ただやってたんじゃなくて、「悪いことしてる」っている罪とか悪の意識があって、俺はその意識と正面から向き合って乗り越えてきた。
"本当はいいことだ"って言い聞かせてごまかすみたいに、惰弱なことはしてない。
めんどくせーと思いながらおじさんの話を聞いてたら、しまいには「君らの話聞いてたけど、○△の学生だろ。大学近いし、コールの感じとか。俺も一緒の大学だったから」とか言い出したところで、キレそうになった。空気読めやおっさん。今はどうでもいいんだよ。
ここで、店長さんが間に入って止めてくれた。結局、俺らはそのまま帰ることになったよ。白けたわ。
でも、学生時代から世話になってる店長さんに「他のお客様のご迷惑になりますので」とか言われたらさ、お開きにするしかないじゃん。
俺も騒いでたやつらも、しょんぼりとした表情で店を出てった。
飲みなおそうと思ったけど、気分が上がらなかったのでやめといた。
お店を出る時、最低1人は「せっかく盛り上がってたのに最悪」みたいなことを言ってた。
あのおじさんは、俺らの楽しい雰囲気をぶち壊した。せっかくの空気を壊してくれた。
一体何をして、そんなに怒らせたんだって、俺には(感情的な意味で)わからない。あんたの席は割と離れてたじゃん、別に若い連中がカウンター席で騒いだっていいだろ。自己責任なんだから。
おじさんおばさん世代って、SNSで若い連中を批判することが多いけど。あいつら、若い子が楽しそうにしてるのがムカつくだけじゃねーの。自分達の人生がつまんないからって、未練がましく若者に当たって憂さ晴らしすんなよ。
あのおじさんの気持ちはわかる。心配してくれたんだ、ていうのはわかる。
けど、わざわざ他人に対してあそこまで干渉する理由がわからん。あれから何か月も経ってるから書かせてもらったけど。
ただ、こちらとしても相手を理解したい気持ちはある。俺もいつかは、おじさんになるわけだから。
もし、あのおじさんの気持ちが分かる人がいたら教えてほしい。
Japan fast becoming a nest of spies:
「六本木の星条旗通りや歌舞伎町の職安通りにスナックを開店しないかと誘われた」と、訪日外国人向けのホステルを経営するこの男性は、アサヒ芸能の記者に語った。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる訪日旅行者の激減で、彼のビジネスは当然ながら資金繰りに苦しんでいました。そんな時、ある中国人から「おいしい利益」を生み出す取引を提案されました。
「パンデミックのおかげで、倒産した店の跡地に進出するチャンスはたくさんあります。全額融資します。スタッフとして入店すれば、固定給に加え、利益率に応じた歩合給も受け取れます」と中国人から言われた。
「外国人に人気のエリアというだけで、本業との相乗効果で大儲けできるという直感がありました」とホステル経営者は語った。しかし、その後、彼の表情は一変した。
「店には隠しマイクと隠しカメラが設置されており、外国人要人や省庁の官僚が来たら必ず報告するように言われました。『最悪の場合、赤字でも構わない』と中国人男性は言いました」
日本は6月10日から外国人団体旅行客の受け入れを始めたばかり。警視庁目黒署は22日、講演会を開き「スパイから接触があったと感じた企業職員が相談しやすい環境を整えたい」と呼びかけた。
しかし、場合によっては、まったく見知らぬ人のアプローチから始まることもあります。
「2月の北京冬季オリンピック開幕の約2か月前、上海公安警察員を名乗る『李』という男から携帯電話に電話がかかってきました」と、アジアから商品を仕入れる貿易会社に勤める男性は語った。「彼はチベットやウイグルの政治活動家のリストを入手してほしいと頼んできました。どうやら日本当局はCIAからそのようなリストを入手していたようです。もちろん断りましたが、彼は『心配するな、日本の警察が金で売ってくれる』と言い続けました」
「日本における中国の諜報活動において、経験豊富な諜報員が関与している例はほとんど見られません」と、日本政府筋はアサヒ芸能に語った。「中国は日本の先端技術、特に医療と通信分野をターゲットにしています。そのため、日本の大学で学ぶ学生のリストを作成し、彼らの求めるものに応じてアプローチしているのです。」
これらのリストには写真も保存されており、魅力的な女子学生は、新宿の歌舞伎町や四谷付近のクラブでアルバイトをするよう奨励され、そこでアナグマの罠にかける日本人のターゲットを仕向けられる。
国際ジャーナリストの山田敏弘氏は、「中国国民や企業は、政府から指示があれば、スパイ活動に従事するのは事実上義務です。多くの場合、家族の年金の増額や帰国後のより良い仕事の約束といった特典が提示されます。しかし、拒否しても家族の安全は保証されません。いわば、家族が人質に取られているのと同じなのです。『祖国のために』と促されると、結局、断れる人はほとんどいないのです」と解説する。
ロシアのGRUと北朝鮮の工作員たちも日本の脆弱性を嘲笑している。
「日本は北朝鮮の貯金箱になっている」と政府筋は述べ、パチンコ店や焼肉店の経営者が北朝鮮の家族に送金している実態を指摘した。「北朝鮮軍の選抜メンバーは簡単に中国のパスポートを入手し、日本に潜入できる。しかも、彼らは中国のパスポートで渡航しているため、簡単に拘束されることはない」
アサヒ芸能によると、日本のこれまでの諜報漏洩対策は、諜報活動の監督を担う外務課長や警察署長を通じた「アウトリーチ」だった。こうした取り組みは、2018年からアメリカのFBIに設置された「チャイナ・イニシアチブ」を模倣したものとされている。
以下コメント
中国は他国の内政に干渉しないと主張してきたが、それは間違いだ。
現代における幕末2.0。日本は多くの外国人居留地に分割され、外国人居留地として機能するだろう。日本の未来を支配するのは、三大外国人人口の勢力だと私は明確に見ている。
中国系とベトナム系の住民は、農村部と都市部をまたいでチャイナタウンやベトナムタウンを形成するだろう。アメリカ人は、米軍基地周辺の広大な土地に家族を定住させようと争うだろう。
北朝鮮とつながりがあり、利害関係があり、日本の与党の暗黙の同意や承認を得て日本人から金を巻き上げている韓国の特定の略奪的カルトのように?
統一教会の騒動は、日本の超国家主義者たちが最初から騙されてきたことを如実に物語っています。このカルトは、日本人と韓国人を交配させて純潔を重んじるというメッセージを説き、日本の自民党エリートたちはムーニーの足元にキスをしています!
現代の政治的対立の根源を探ると、「Woke」「アイデンティティ・ポリティクス」といった左派ポピュリズムが社会の分断を深刻化させた側面が浮かび上がります。
一般的にポピュリズムは弱い立場の人々の味方としてエリートや既得権益層に対抗する運動として現れますが、近年注目される「Woke(ウォーク)」に代表される動きは、その人種・性別・性的志向によって既得権益層を一方的に認定し徹底批判する急進性から新たな対立軸を生み出しました。
この動きは、人種やジェンダーなどの問題に対する正義を追求する一方で、その基準に合わない意見を「キャンセルカルチャー」のように排除する傾向を見せました。こうした排他的な姿勢は、自らの正義を絶対視する一種の「集団的利己主義」と見なされ、多くの人々の間に強い反発や嫌悪感を引き起こしました。結果として社会は対話や妥協の余地を失い、感情的な亀裂が深まることになりました。
このような左派の先鋭化に対するカウンターとして、日本では参政党のような右派ポピュリズムが勢力を拡大しました。参政党の躍進は単なる政治不信だけでなく、「左翼ヘゲモニー」とも表現される既存の言論空間やメディア、エリート層への強い反発をエネルギー源にしています。
参政党の思想的特徴は、「反知性主義」あるいは「エリート嫌悪」と評されます。彼らは既存のエリートに代わり「子育て中の母親」や「現場の農家」といった“当事者”の感覚こそ真実であると訴え、多くの共感を呼びました。
この「既存エリート層への不満と憎悪」が過激な変革を求めるエネルギーとなる構図は、ポル・ポト政権を誕生させたカンボジアの状況と不気味なほど酷似しています。
1975年、プノンペン市民は腐敗した旧体制への不満から、解放軍として現れたクメール・ルージュを大いに歓迎しました。しかし、その先に待っていたのは、ポル・ポトという高学歴のエリートが主導する、人類史上最も極端な反知性主義政策でした。通貨や学校、病院は廃止され、「組織(オンカー)」の決定が絶対とされました。これは、民衆が自らの思考や自由を権力者に明け渡した結果であり、その代償はあまりにも大きなものでした。クメール・ルージュの政策は、外国の干渉を排した純粋な農業国家の建設という、一見すると民衆のためであるかのような理想を掲げていました。しかしその実態は、権力者の利己的な支配欲を満たすための暴力装置でした。国民は強制労働、飢餓、虐殺によって、1975年から1979年のわずか4年間で、当時の人口の約4分の1にあたる150万~200万人が命を落としたとされています。
カンボジアの悲劇は、民衆の素朴な不満や正義感が、利己的な指導者によって利用された時、国全体を破滅に導きかねないという歴史的教訓を示しています。
この負の連鎖を断ち切るためには、まず、左派側に内省と自浄作用が求められます。排他的で独善的になりがちな急進的な動きと一線を画し、より幅広い人々との対話を可能にする穏健な路線への自己改革が必要です。
その上で、台頭する右派ポピュリズムや反知性主義に対しては、「参政党の支持者は境界知能」などの差別的で感情的なレッテル貼りで応酬するのではなく、データやファクトに基づいた冷静なアプローチが不可欠です。しかし、現代はAIによって精巧なフェイク情報が容易に生成され、陰謀論が拡散しやすい「ポスト・トゥルース時代」でもあります。そのため、単にデータを提示するだけでなく、そのデータが信頼できるものであることを示し、対立する相手とも共有できる客観的な土台を粘り強く構築していく努力が求められます。
健全な民主主義は、多様な意見の衝突の中から、熟議を通じて合意を見出すプロセスそのものです。左派ポピュリズムの独善性を乗り越え、データという共通言語を用いて反知性主義と向き合うこと。それこそが、分断の連鎖を断ち切り、社会を破滅的な結末から守るための唯一の道筋ではないでしょうか。
それぞれの解釈は、同じ物理法則を異なる視点で映し出し、観測・現実・意識の意味を問い直す。
さあ、それぞれの解釈を一つずつ、観測問題という核心に迫る光のプリズムとして見ていこう!
🔮 核心: 観測によって波動関数が収縮し、初めて「現実」が定まる
状態は観測されるまで確率的な波動関数として存在。観測 = 「現実の創造」。古典的測定装置との境界(量子と古典の断絶)が鍵。波動関数の収縮は物理過程ではなく、観測の結果。
🧠 創始者: ヒュー・エヴェレット
🔮 核心: 波動関数は収縮しない。観測は世界の分岐を意味する。
すべての可能性が現実に分岐する無限の宇宙を作る。波動関数の進化は常にユニタリ(収縮なし)。観測は「分裂した観測者」がそれぞれの結果を体験。
状態は主観的な確率(ベイズ推定)として扱う。観測とは、観測者が世界と関わる行為。宇宙の記述は観測者ごとに異なりうる。
🧠 提唱者: カルロ・ロヴェッリ
客観的な状態は存在せず、「Aから見たBの状態」のみ意味がある。全ては関係性の中にのみ存在。情報論的な視点に近い。
🧠 提唱者: ジョン・フォン・ノイマン、ユージン・ウィグナー
観測の最終段階に人間の意識が関わる。意識が無ければ、現実は定まらない。
🧠 例: GRW理論(Ghirardi–Rimini–Weber theory)
🔮 核心: 波動関数の収縮は確率的に自発的に起きる(観測とは無関係)
観測に依らず、ある確率で状態は物理的に収縮する。巨視的な物体では、収縮の頻度が高くなり、古典的世界を再現。客観的、実在論的。
🔮 核心: 巨視的系との環境との相互作用によって、量子的な重ね合わせが事実上消失
波動関数の収縮を説明せず、「見かけの古典性」が生じるメカニズム。相互作用により位相関係が崩れ、干渉が不可能に。
解釈名 | 収縮の有無 | 主観 vs 客観 | 意識の関与 | 世界の数 |
---|---|---|---|---|
コペンハーゲン | あり(観測で) | 混在 | 無し | 1 |
多世界 | 無し | 客観 | 無し | ∞ |
Qbism | なし(信念更新) | 主観 | 関与 | 1 |
RQM | 状態は関係性次第 | 相対的 | 無し | 状況次第 |
フォン・ノイマン–ウィグナー | あり(意識で) | 主観的 | 必須 | 1 |
客観的収縮理論 | あり(物理的) | 客観 | 無し | 1 |
デコヒーレンス | 無し(ただし実質的収縮) | 客観 | 無し | 1 |
先週、子供の仲良し3家族で科学館に行ってきたんだけど、その時の各家庭の反応の違いに絶望を感じた話。
見事にうちの一家は(俺も含め)誰も何が楽しいのかわかってない感じ。
長男には俺もよくわからないながら、一生懸命説明するも彼は興味を持たず「あっちの光ってるやつ見たい!」みたいな反応。
終わってから妻に「何が一番楽しかった?」と聞いたら「ん~(長考)いや、特にないかな」
子供は二人とも「楽しかった!」とは言うけど「どれが?」と聞くと「全部!」みたいな感じで、解像度が低い。
それにひきかえ、文系理系大卒の家族は親も熱心に説明を読んで、ひとつひとつをじっくり見て回って、子供も割と芯を食った質問などをしている。
例えば俺が文系家族に「これって何が面白いんですかねー」と聞いてみたら「これは波の干渉をあらわしていて量子力学のなんちゃらかんちゃらに繋がる云々」みたいなすごい早口で教えてくれるんだけど内心「(あ、聞かなきゃ良かった)」とか思いながら長男に「ほら、よく聞いてなさい」とか言うのが限界だったのに、そのうちの小学生の女の子は「あ、前に教えてくれた二重スリット実験のあれ?」とか聞いてるわけ。
なんというか、子供らにごめんって思った。
何に興味を持つか、というのは、生まれ持った知能の高低が関係してくるんだろうか?
それとも子供に普段から何を話しているか、とかが関係してくる?
俺は子供らにどうしてやれば良いんだろうか?もう何をしても無駄なんだろうか?
追記:
ブコメへ
「科学館が好きではなかった」のかなぁ?楽しかったらしいから、好きではあるのでは?でも個別に説明をされる事に興味がない、みたいな?もしくは「友達が居たから楽しかっただけ」とか?どういう状況なんだろ、これ?
増田の返信でも書いたけど、図鑑とか知育玩具は沢山あるんだ。でも子供が興味を示さないからほぼ新品なんだ。俺や妻がたまーに見るぐらい。
あと学歴云々とか言われてるから、何でだろうと思ったら、俺の分類のせいか。
これは普段は意識してないんだけど、3家族についてどう書くか悩んで、簡単に名前を付けた、という感じだから、学歴を強調したかったわけじゃないよ。後付けというか、説明用というか、、うーん、、伝わってる?
あと、学歴なんか気にしてるのがおかしいってコメントあったけど、本当か?会社ではめっちゃ気になるんだけど。ただ、今回は単にわかりやすく説明用に分類しただけで、彼らに関してはそこまで学歴は意識してなかった。
さて、一通りブクマや増田は全部読んで、レスしたい人にはレスしたかな。色々と参考になったよ、ありがとう。
あのさあ、おまえら何なの?何かの保険なの?「俺は騙されてませんよ。頭良いですよ」みたいな?その勝利宣言は何?何と戦ってるの?何が嬉しいわけ?
俺だけじゃなく、せっかくちゃんとレスくれてる人にも失礼だと思わないの?
例えば「仲良し3家族で出かけてんのに子供たちがそれぞれの親と話しながら行動してる時点であり得ん」とか、おまえの想像力が無い事を開陳して何か楽しいわけ?
そんなもん、ずっと3家族、子供らと一緒に行動してるわけねーだろ。親も子供もあっち行ったりこっち行ったりしとるわ、ぼけ。
あと「二重スリットのあれ?」がどうバカなんだよ。おまえこそ、なんの情報もない、ただの罵倒じゃねーか、ぼけ。
あと単なる嘘認定とかAI認定な。具体的にどこが嘘だったりAIかは書かない単なる卑怯者が!
それを書かないのは、書いたら反論されるのが怖いんだろ、ぼけ。しね。
この間、婚姻届を役所に提出したのだが、今の若者目線で言ってこの婚姻とかいう制度キモすぎないか?と思ったので書き残しておこうと思う。アラサー男性はまだギリギリ若者を名乗って良いはずである。
ひとりで目指せや床のシミだった私の人生に、共に歩んでいくパートナーができたのだ。人生を預け合える人ができたのである。その責任は重いが、こんなに嬉しいことはない。
で、じゃあ何がそんなにキモかったのかというと、社会制度が期待する婚姻像と、実際の当事者が持つ考えに乖離がありすぎるんじゃないの、ということである。なお、若者というデカい主語を最初に使っておきながら、その実は個人的経験に基づくただの愚痴であることを先にお断りしておく。
では、もう少し詳しく話させてほしい。
私達夫婦が結婚の話を進めるにあたって、一番苦労したトピックは姓の選択だった。早い話が、どっちも苗字を変えたくなかったのである。
双方理由を挙げればきりがない。長年名乗ってきた名前の一部で愛着がある、現状の通称利用ではカバーされない範囲がある、嫁ぐ/婿入りするようで嫌である(この点は実質としてはそのように扱わないことをお互い確認していたが)、などなど。
こうなってしまえばもう感情同士の争いである。どちらかが諦め、どちらかは相手に姓を変えさせた罪悪感を背負い続けることでしか整理がつかない。
さらに、姓の話ということで親の干渉があった。特に夫側、つまり私の方である。長男は姓を変えるものではないとか、日本人は代々そうしてきたのだとか、当人が頭を悩ませているのとは全く違う方向から矢を飛ばしてくる。話の性質もセンシティブなものだからか、当たりも強めで感情的であった。自分の人生は自分が責任を持って道を決めていくもので、最後は当人が決めるものと理解しているが、親が何を言っているのかはわかるだけに、内心とてもつらいものがあった。妻にはこのことで多大な心労をかけてしまい、今も申し訳ない気持ちで一杯である。
私が変えるの妻が変えるのと話は行ったり来たりを繰り返し、結局妻が姓を変えることとなった。同時に私は妻が叶えられなかった思いを背負って生きていく覚悟を決めることとなる。
私と妻の考えの根底にはお互いが平等であるという意識があった。それだけに、自らの思いを主張をしたい、一方で相手の思いを汲み取りたいという相対する心情を抱え、悲しい言葉の殴り合いを重ねた。
そこに外から飛んでくる日本の家意識に則ったお気持ち表明は、無碍にできないとは思いつつも、ひたすらに心身を疲弊させるばかりであったというのが正直なところだ。
私が感じたキモさというのはまさにここなのだと思う。少し話が飛ぶが、幼い頃から男女は平等、共同参画と教え込まれ、人は男女関係なく活躍することができる、と価値観のアップデートを促されてきた。友人にしても恋人にしても、女子供はすっこんでろなどと言うことは当然なく、性別に関係なく親しい中に平等というか相手をリスペクトする意識を当然に持ち、その人らしさを持って生きることの価値を強く感じてきた。妻に対して抱いていた尊重の気持ちと自らの気持ちの二律背反と衝突は、ここに端を発するように思う。
ところがいざ婚姻となったところで、今の社会システムはさも当然のように旧態依然としたイエ制度の仕組みに取り込まれることを要請してくる。周囲からもその価値観に基づいた意見が飛び込み、両者のアイデンティティの尊重など二の次、旧来的な家督制度と嫁入りを基本とする価値観に従わない者は異物扱いされ、誹りを受ける。これは何なのだ。
お勉強ができて言うことをよく聞くいい子ちゃんが評価されるモラトリアム期から、自発的に考えて行動する人間が評価される社会人になったとき、一部の人達が覚えるという価値観のギャップに近いものがあると思う。今までの人生で是とされていた規範と、その先の人生で是とされる規範が違うのである。これは何なのだ。
我々は誤った教育を受けてきたのか。我々は日本人として失敗作なのか。そうではない、と言わなければならない。ジェンダーと婚姻に関する今の社会構造は、教育と制度の間に重大な価値観のねじれが生じているんじゃないか。
急速な価値観の変化に社会制度の整備が追いついていないのか、単なる世代間のギャップなのか、はたまた私達がマイノリティなだけなのか。
さらに話が飛躍するようだが、昨今なんだか話題になっているようななっていないような不思議な立ち位置にある選択的夫婦別姓というのは、このキモさを解決するガス抜きとして非常に有用なツールなのではないか、と思う。
いろいろな社会課題には明るくないため細かい言及は控えるが、この先男女の平等感が先細りする方向に動くことはないだろう。人口が減っているのに男女平等に先細りが生じれば国の勢いも先細りするのは流石にわかる。男女平等だなんだと言うのなら、その過程で強固なアイデンティティを持って育成される私たちの次の世代の人々が、自分らしく生き抜ける環境を整備する必要がある。それにあたり、夫婦別姓というのは必須アイテムなんじゃないだろうか。
とにかく、結婚という慶事にあたり、こんなしょうもないことでクソほど揉めるなんてことがなくなればいいと切に思う。少なくとも私たち夫婦の場合、夫婦別姓の制度があればこんなに苦しむことはなかったのだ。
ところで以下は余分な話の垂れ流しなのだが、この問題の本質が仮に世代間のギャップだとしたら、私がギャーギャー騒いでるだけで、私より年上のどの世代も、話題は違えどこういう底の見えないクレバスのような隔絶に苦しみ続けてきたのだろうか。ということは私もそう長くないうちにこのキモさを若者に押し付ける側になるのか。それは困る。こんなはずじゃなかった。今すぐ首を括って妻に保険金を残したい衝動に駆られる。ちなみに生命保険には入っていない。
すぐふざけたくなってしまう上に面白くもないのでこのあたりで終わりしておくとして、最後にこの結婚を通して得たこれから守りたい信条を書き残しておく。
家族でも恋人でも友人でも、愛する人には優しくしよう。受け止めきれないことはそう伝えて静かに身を引き、心からその道行きを応援しよう。無理にでも止めなければならないのは、その選択が命を失うことに直結するときくらいだと思うのだ。
誰もが他者でありながら、自分と関係を結んでいることを、心から喜べる人間になりたいなあと思うのである。(動物の鳴き声のような心情の吐露)
先日、近所のカフェで昼ごはんを食べようと思って入った。ナチュラルウッド調の家具に観葉植物。最近よくある「体にいいもの出してそうな店」だった。
カウンターで注文をすると、店員さんが笑顔で話しかけてきた。「あれ、このへんの人ですか? 初めて見ました」
たぶん、常連さんが多い店なんだろう。ちょっと微笑んで「近くです」とだけ返したけど、そこから矢継ぎ早に話しかけられた。「お仕事の途中ですか?」「こっちのランチもおすすめですよ」みたいな営業トークと雑談のあいのこみたいな会話が続く。
最初は愛想がいい人だなと思った。でも、食事を待っている間も、サラダを出してくれたタイミングでも、ひとことふたこと話しかけてくる。落ち着かない。
結局、スマホを見ることもできず、ただ食べて出てきた。味は悪くなかったのに、もう二度と行かないと思った。
こういう「仲良くなろうとしてくる店」が苦手だ。
たとえば、街の美容室でも似たようなことがある。髪を切りながら「最近暑いですね〜」「今日お休みなんですか?」って聞かれる。リラックスしに来たのに、社交のスイッチを入れさせられる。スマホを見ながら黙ってても「何読んでるんですか?」とか言われてしまう。ほっといてくれ、と思う。
もっと気まずいのは、たまに行く飲み屋で「この前来てくれたときも〇〇頼んでくれましたよね」と言われるパターン。顔を覚えられると、自由に注文できなくなる気がして窮屈になる。「あ、今回は違うの頼むんですね」とか言われたら、なんかこっちが悪いことしたみたいな気分になる。こっちはただ飲みに来てるだけなのに、急に人間関係を構築させられる。
もちろん、こういうのが好きな人もいるのは分かる。話しかけられてうれしいとか、常連として扱われたいとか、そういう人も一定数いるのは理解している。
でも、誰もがそれを望んでいるわけじゃない。特に、1人で外食するときって、たいていは静かにひと息つきたい時間だ。忙しい仕事の合間だったり、何も考えたくない休日だったり。そこで過剰に距離を詰められると、ぐったりしてしまう。
「お客さんに気持ちよく過ごしてもらいたい」という気持ちはありがたい。でもその方向性が「話しかけること」や「フレンドリーさ」だけになってしまうのは、ちょっと違うと思う。
本当にありがたいのは、「気にかけてくれてるけど放っておいてくれる店」だ。
たとえば、静かに水を置いてくれて、こっちの空気を読んで声をかけてこない。目が合えば軽くうなずく。それだけでいい。そういう接客のほうが、ずっと快適に感じる。
私はスタバみたいなチェーン店の「マニュアル対応」の方が、むしろ安心する。誰にも覚えられず、過剰に気を使われず、注文したものが出てきて、終われば出る。ただそれだけの関係が心地よい。
よく「人とのつながりが希薄な時代だからこそ、対面での温かさが大切」なんて言われるけど、私は逆だと思っている。つながりが希薄だからこそ、余計な干渉をしたくないし、されたくない。お互いの生活を持ち込まない、匿名性の中での静かなやり取りのほうが、今の時代には合っていると思う。
「どうも〜また来てくれたんですね! この前の話、どうなりました?」みたいな再会がうれしいときも、もちろんある。でも、それは自分から求めた場合に限る。向こうからガンガン距離を詰められて「常連化」していく感じが、どうしても苦手だ。
誰にも話しかけられず、誰にも覚えられず、誰の記憶にも残らない場所で、ただ飲んで、食べて、ひと息つく。
それだけで十分だし、それこそが、私にとっての「やさしさ」なのだ。
お前らどう思う?
「リベラル」「リベラリズム」という言葉は、時代や場所、政治文脈によって意味が微妙に変化しており、一言で定義するのが難しい用語のひとつです。
以下では、歴史的・思想的な流れに沿って、わかりやすく整理して説明します。
「リベラル(liberal)」の語源は、ラテン語の"liber"=自由。
よって、「リベラリズム(liberalism)」は本来、「自由を重んじる思想」という意味を持ちます。
「自由」とは、国家権力や他人から干渉されないこと(消極的自由)。
📝この時代のリベラルは、**「政府の干渉から自由に」**という意味合いが強く、
現代の「リベラル=福祉国家・左派」的イメージとは異なります。
自由市場の格差や貧困の放置が、かえって自由を奪うことを認識。
「真の自由」のためには、教育、最低限の生活保障、労働の保護など国家による積極的支援が必要。
公平な社会制度の構築、平等な機会の確保、多様性の尊重などが重視される。
市場の自由も大切だが、それが基本的な正義や平等を壊すなら調整が必要。
特にロールズは「公正としての正義(justice as fairness)」を掲げ、弱者にも配慮した自由を設計。
📝この現代的リベラルが、アメリカで「リベラル派=民主党系」とされる思想的背景です。
地域・文脈 | 「リベラル」の意味 |
🇺🇸 アメリカ | 左派的・社会民主主義寄り(福祉、平等、多様性、人権) |
🇪🇺 ヨーロッパ | 経済自由主義者(自由市場・規制緩和)を指す場合も多い(例:独自の「自由主義党」) |
🇯🇵 日本 | 漠然と「リベラル=反権力・人権重視・進歩的」なニュアンスが多い |
📖 思想史的用語 | 自由主義全般を指す(古典的自由主義から現代リベラリズムまでを含む) |
価値観 | 内容 |
自由 | 言論・表現・信教・身体・経済活動など、国家や他人からの不当な干渉を排す |
個人の尊重 | 集団ではなく、あくまで個人を基本単位とし、個人の権利と選択を重視 |
平等 | 法の下の平等、機会の平等を重視(結果の平等は立場によって賛否あり) |
多様性 | 異なる価値観や生き方の共存を肯定、マイノリティの権利を擁護 |
寛容 | 他者の意見・思想・信仰への寛容な態度を尊重 |
合理主義 | 啓蒙主義の流れをくむ。伝統や宗教よりも理性・対話・説明可能性を重視 |
法の支配 | 国家も市民も法の下に平等であること、恣意的な権力を抑制 |
思想 | 中心価値 | 経済政策 | 社会観 |
リベラリズム | 個人の自由、寛容、法の支配 | 市場+一定の調整 | 多様性の共存 |
保守主義 | 秩序、伝統、家族、道徳 | 慎重な改革、自己責任 | 伝統的価値の維持 |
社会主義 | 平等、労働者の権利、連帯 | 公共部門拡大、再分配 | 階級的な構造への疑念、連帯感 |
歴史的に意味が変化している(古典的自由主義⇔現代リベラリズム)。
地域によって用語の意味が逆転している(特にアメリカとヨーロッパ)。
日本では、「リベラル=なんとなく人権派・反権力・優しそうな人」というぼんやりしたイメージだけが流通し、思想的理解が浅いまま政治用語として消費されている。
リベラリズムとは、「個人の自由と尊厳を最大限に尊重し、そのために社会制度や国家の介入をどう調整するかを考える思想体系」である。
現代においては、自由だけでなく平等・多様性・寛容・人権を含んだ、より総合的な価値観となっています。
ただし、すべてのリベラリズムが同じではなく、「どの自由を重視するか」によって保守自由主義・リベラル自由主義・社会自由主義などに分岐しています。
必要であれば、例えば「ロールズ的リベラル」と「ハイエク的自由主義」の対比など、より深掘りもできます。
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続けて
では続きとして、ルソー思想の位置づけと、それに対する後世の重要な思想家たちの評価と批判をいくつかの対比構造で掘り下げていきます。
ルソーは、「近代的個人主義」と「公共善重視の共同体思想」という、一見対立する二つの潮流を内包しています。
そのため、以下のような思想的対立構造において、分岐点あるいは接合点として理解されることが多いです。
観点 | ジョン・ロック | ジャン=ジャック・ルソー |
自然状態 | 自由で理性的、所有権を持つ | 善良だが腐敗していく、所有権は社会的産物 |
社会契約 | 国家は「所有権の保護」のための契約 | 国家は「一般意志の実現」のための契約 |
自由の定義 | 他者を害さない限りの自己決定 | 公共意志への服従が真の自由 |
国家の正統性 | 合意による限定的統治 | 一般意志に従うことが正統性 |
→ ロックは自由主義的リベラルの祖、ルソーは共和主義的共同体思想の祖と位置づけられることが多いです。
アレクシ・ド・トクヴィルは『アメリカの民主政治』で民主主義の発展を評価しつつ、**「多数派の専制」**という危険に警鐘を鳴らしました。
トクヴィル的視点から見ると、ルソーの「一般意志」は少数派を沈黙させる口実になりうると見なされる。
よって、「多数の名のもとに個人が抑圧される」構造への懸念が近代自由主義の立場から出てくる。
フリードリヒ・ハイエク(オーストリア学派)は『隷属への道』などで、国家による計画経済や福祉政策の拡大が全体主義につながる道だと批判。
ハイエクから見れば、「個人が“真の自由”のために国家に服従すべきだ」というルソー的発想は危険な入り口。
特に「一般意志」や「公共善」への強調は、主観的な価値観の押しつけとして警戒される。
アイザイア・バーリンは有名な論文「自由の二つの概念」で、
消極的自由(negative liberty):干渉されないこと
積極的自由(positive liberty):自己を支配し、自らの目的に従うこと
を区別。
ルソーの「真の自由」は後者の「積極的自由」に近いが、この概念が権力の正当化に使われる危険があると警鐘を鳴らした。
ハンナ・アーレントもまた、ルソー的な「人民の名による強制」が全体主義の思想的温床になりうると分析している。
現代の政治哲学・思想史では、ルソーに対して以下のようなバランスの取れた評価が一般的です:
合意形成の現実的プロセスを無視しがち(→ロールズやハーバーマス以降の理論で補完)
ジャン=ジャック・ルソーは、近代思想の中でももっとも誤解されやすく、かつ強い影響力を持つ思想家の一人です。
彼の理想は、現代の民主主義・福祉国家・教育思想に深く根を張っていますが、同時に彼のロジックの危うさ――特に「一般意志」の概念――は、20世紀の全体主義や権威主義の中で反転・利用されることもありました。
したがってルソーを評価するには、「彼が言ったこと」と「それがどう読まれ、どう使われたか」を区別して考えることが不可欠です。
Q.
山本一郎氏の指摘は、
というものではなく
ロシアの情報機関が(参政党の意向とは無関係に)参政党への支持と政府への批判を煽っている
というものですよね?
そうであれば参政党党首としても即座に否定できるものではなく、また憶測が事実だったとしても参政党に責任がある話でもないと思います。
A.
ご指摘の通り、山本一郎氏の主張は「参政党とロシア情報機関が直接結託している」という内容ではありません。
山本氏は、参政党の側の意向や関与の有無にかかわらず、「ロシアの情報工作集団やボットが参政党支持を装ったり、日本政府批判を煽ったりすることで、日本の世論やSNS空間に影響を与えようとしている」と指摘しています。つまり、
- **ロシア側が独自に情報戦・世論操作を実施している**
- **その拡散の一部が参政党の主張や活動と重なる部分がある**
- **参政党が意図的にそれに協力した証拠はなく、むしろ党の意向とは無関係の「外部要因」としての影響を懸念している**
という整理になります。
したがって、参政党の代表として「ロシアの影響」は一方的に否定するよりも、「自分たちの関与とは別次元の疑念」として扱うのが筋であり、仮に外部工作が実際にあったとしても、それだけで参政党の責任を問うのは難しい話です。
スプートニク日本編集部は、直近のインタビュー投稿をめぐる論争の展開を注意深く見守っております。
この選挙前に人為的に拡大されたインターネット空間における「ロシア恐怖症」の波や「干渉疑惑」のなかで、影響を受けたすべての論者の皆様の不屈の精神と忍耐に、尊敬と感謝を表明したく存じます。
私たちが参政党を含む特定の政党を支持したり、いわんや投票行動を呼びかけたりすることはありません。過去には与野党問わず、様々な政党の国会議員の方の取材も行っております。
また近頃、参政党について批判的な専門家の意見をも含む分析記事を掲載しております。
こうした背景を考慮することなく、今回のインタビューのみを理由に、スプートニクが同党を応援していると決めつけるようなコメントが目立ちます。
事実に基づかない憶測による誹謗中傷に対しては、厳正に対処させていただきます。
https://x.com/sputnik_jp/status/1945110654987202927