「効率」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 効率とは

2025-01-15

少子化対策ひとつ閃いた

大学に行かない人が多い都道府県ほど合計特殊出生率が高い。大学進学率と合計特殊出生率には負の相関がある。

大学進学して10代後半〜20代前半に社会人になる人が少ないか少子化になるのであれば、飛び級制度もっと大胆にして能力がある者は大学卒業10代後半にも可能にできるようにすればいいのでは?卒業可能な年は若ければ若いほどいい。

よくよく考えたら、教育に投入してる金額は桁が違うのに富裕層も他の層もほぼ同じ年数学生でいるのは効率が悪すぎる。金で学力上がるのが早いのなら学生でいる時間も短くていいはず。

しか教育投資すれば学生の期間が減るのであれば、これまでインフレしまくっていた教育費用にも歯止めがかかって一石二鳥では?教育費用が減れば、富裕層子どもをたくさんもうける懸念材料が減ることにもなる。

anond:20250115165639

作ってみて、ダメだったら捨てるのが効率がいい

[]

楽天で外付けHDDトマト缶かった

HDDはほんとは内臓のやつかって5べいだか10べいだかのケースいれて使おうと思ってたけどめんどくさいからやめてしまった・・・

電源とusbポート足りなくなるからほんとはそうした方がいいんだろうけどなあ・・・

トマト缶はくーぽんとポイント還元で1缶80円くらいになった

むかしは業務スーパーで60円とかで普通スーパーでも100円くらいだったけど

いまやふつうスーパーだと150円するからなあ

1缶80円だと数年前のレートだからまあ買ってもいいかなって感じ

重いもの持って帰らなくてもいいしね

地味に場所とるのがうざいけど、野菜が高くて買いにくくなったのと冷蔵庫いからほぼ唯一といってもいい野菜栄養とる大事食材からしゃーないね

あーせっかく早起きしてゲームしようと思ってたのにいろいろやってたらもうこんな時間になってしまった

あ、クーポントマト缶に使ったけどいろいろ迷ったんよね

サーキュレータ―とかUSBハブとか。

サーキュレータ―は特にゆれたねー季節柄、暖房効率あげたいから。

ただ安いやつを適当に買っても逆にあん効果なくて無駄になるかなってのの判断ができなくてふんぎりつかなかったから、

絶対消費するトマト缶にしたんよね

USBハブも一応使ってないのがあったの見つけたし

何でもかんでもYouTube検索する友達

ここ何年かでよく会う高校時代から友達がいるんだけど

の子、何か調べ物するときに全部YouTubeで調べようとするところがあって

なんで!?っていつも思う

例えば

新宿近くでご飯食べたいねーって話題になったとき、まずYouTube開いて「新宿 グルメ」とかで調べようとする

で、観光客向けの動画とか見てへぇ〜ってなってる

そういう流行りの店に行きたいから敢えて調べてるとかじゃなくて、マジで動画が一番情報源として効率いいと思ってるみたいで、何を調べるときも同じ


芸能人結婚したらしいとかそういう世間話したときも、「〇〇 結婚」とかいちいち調べてる、YouTube

そんなもんGoogleTwitter検索したらすぐに記事出てくるのに

中山美穂が死んだときにも「中山美穂 死んだ」で検索して「中山美穂の死んだ理由 ヤバすぎ!?」みたいな訳分からん動画見ようとしてた

私が遮ってYahoo!ニュース記事とかスマホで見せたら、へ〜って感じで見てくれるんだけど

なんで何でもかんでもYouTubeで調べようとするんだろう

そりゃ動画も良いけど、対面で人と話しててさっさと情報知りたいときになんでわざわざ動画見ようとするんだ

私が相手からとかじゃなくて、誰の前でもそんな感じだし

私が知らないだけでそういう人意外と多いのかな?

2025-01-14

昭和おっさんだけどこれだけは言わせてくれ

最近若いもんは根性が足りんよな

昔は上司に怒鳴られたって歯を食いしばって耐えたんだよ

叩かれて強くなるんだよ

体罰だって愛情のうちだろ?今の子はすぐ甘えるから終わってる

あと、男は仕事!女は家庭!これが一番うまく回るんだよ

うちのカミさんだって結婚してからずっと専業主婦だぞ

飯炊いて、子ども育てて、立派にやってるんだから

男が稼いで女は家を守るのが普通だよな??

それからな、年上には黙って従えってのが筋ってもんだ

人生経験が違うんだから若造が口答えするもんじゃない

昔は目上に逆らうなんて考えもしなかったぞ

あとな、努力すれば報われるんだよ

結局は根性と汗だ

今どきの「効率重視」とか「メンタルヘルス」なんて甘っちょろいこと言ってんじゃねえよ

昭和の俺たちはな、終電まで働いて、それでも文句なんか言わなかったんだから

それに、障害者だろうが健常者だろうが同じ扱いでいいんだよ

特別扱いなんて逆に失礼だろ?そういうのは甘やかしって言うんだよ

まったく、昔はみんな我慢してやってたんだ

お前らも少しは見習え

組織犯罪PTSDを追うような目に遭いつつも、その組織犯罪を追及するのは、治療にはなるのだが

調査を続けてさらなる被害に気づいて、ショックでまた新たにPTSDを負ったりする

PTSD症状が激しいと、事務効率が下がってしまうのが問題なう

AI文章の見抜き方

 近年、AI技術進歩に伴い、さまざまな生成AIが登場し、文章を巧みに作り出すようになりました。多くの人が「これはAIが書いた文章なのではないか?」と疑うほどに、AI文章自然流れるようになっています本来であれば、文体言い回し、誤字脱字の有無などからAI文章っぽい」と判断しようとする研究テクニックが取りざたされていますしかし今回のテーマは「AI文章の見抜き方」でありながら、その実はスピリチュアル方法で一切テクニカルに見抜くことなく、むしろAI文章かどうか”すら気にしなくなるような精神アプローチ解決してしまおう、という大胆なご提案です。タイトルと内容がまったく異なるように見えますが、私たちが見ようとしているのは「AI文章を見抜くための技術」ではなく、「どんな文章でも受け止められる自分の心の在り方」というスピリチュアル観点なのです。以下では、その具体的なプロセスをご紹介していきましょう。

 まずは、スピリチュアルアプローチとして定番瞑想を取り上げます。通常、「AI文章かどうか」を判断するためには文章の特徴を細かく分析し、その内容に不自然な点がないか、語彙の選び方に偏りがないか、といったチェックポイントをいくつも確認するのが一般的でしょう。

 しかし、本稿で提案するのはむしろ逆です。そうした分析アプローチをいったん脇に置き、“静寂瞑想”によって自分の心を落ち着かせて、本質を見つめるという方法です。具体的には、目を閉じて楽な姿勢を取り、ゆっくり深呼吸を繰り返しながら、頭の中に浮かんでくる雑念をできるだけ手放していきます意識を「自分の呼吸」と「今この瞬間」だけに向けるのです。

 これを続けると、不思議と「この文章AIなのか、人間なのか」という二元的な疑問への執着心が薄れていきます。心が静まってくるにつれ、文章それ自体の背後にある意図エネルギーをなんとなく感じ取れるようになっていくのです。いわば「どんな文章も受け入れられる状態」を作り上げることが、ここでのポイントとなります

 分析という“頭”のプロセスではなく、直感という“ハート”の領域文章を読む準備をすることで、「AI文章かどうか」という疑念すら必要ないほどに、読む行為のもの純粋に楽しむことができるのです。

 スピリチュアル世界では、ハートチャクラ活性化させることで、愛や共感、信頼といったポジティブ感情を高めることができるとされていますAI文章を読んでいるとき、「これは人間が書いた文章じゃない」と感じてしまうと、どこか冷淡な印象を覚えたり、文章に対して警戒感を抱いてしまうことがあるかもしれません。しかし、ハートチャクラが開いている状態では、文章の背後にある意図エネルギー――たとえそれがプログラムによって生成されたものであろうと――を、分け隔てなく受け取れるようになっていきます

 ハートチャクラを開く簡単方法ひとつとして、胸の真ん中に集中して、ピンク色または緑色の光が広がっているイメージを思い描きながら深呼吸するというものがあります自分の胸のあたりが温かく、柔らかい光で満たされていく感覚意識し、それが全身を包むイメージを持つと良いでしょう。

 この状態キープしたまま文章を読んでいると、「これは本当にAI文章なのだろうか」といった些細な疑念や「もしAI文章ならどうしよう」という不安自然と和らいでいきます。むしろ、人の手による作品AIの生成物かという区別を超え、「そこにある何かしらのメッセージ」を愛の視点で受け取ろうとする姿勢が生まれてくるのです。

 続いては、もう少しスピリチュアル色の強いテクニックとして“エネルギーリーディング”をご紹介します。本来は人のオーラ空間波動を読み取るための方法ですが、文章にも“エネルギー”が宿っているという考え方から文章を通じて送り手の波動を感じ取ることができるとされています

 やり方はとてもシンプルです。瞑想ハートチャクラのワークで心身を落ち着かせた状態で、文章全体をざっと読むだけではなく、文と文のあいだの“間”にも意識を向けてみます文章によっては、なんとなく重たい感じがしたり、逆に明るく軽やかな印象があることに気づくかもしれません。そんなときは、自分が何を感じ、どんなイメージを受け取ったかを素直にメモしてみてください。

 AI文章であっても、人間文章であっても、読む側が「エネルギーを感じ取る」という意識を持つことで、文章との向き合い方はガラリと変わります。これはもはや「見抜く」ためのテクニックではなく、「どんな文章もそれが持っているエネルギーを受け取る」という“受容の姿勢”を高める方法だといえます。結局のところ、テキストAI由来かどうかを超えて、その文章からなにを感じ取れるか――そちらの方がはるかクリエイティブで、豊かな体験となるのです。

 スピリチュアルな探求においては、私たちが生きる宇宙のものを大きなエネルギーフィールドとして捉え、その源流と繋がることによってインスピレーション洞察を得る、という考え方があります。「AI文章かどうか見抜きたい」という疑問が浮かんだときも、さらに広い視点で「そもそも私たちは、なぜAIをこんなにも発達させてきたのか?」という宇宙的な視野に立って考えてみるのです。

 私たち人類の集合意識が“便利さ”や“効率性”を求める中でAI進歩してきましたが、これをネガティブに捉えるのではなく、「人類意識が大きく変容するプロセスの一端」として肯定的に捉えることもできますスピリチュアル視点に立つと、AIの発展も宇宙全体の進化の流れの中で起こる一現象であり、そこには何ら否定的な要素はないのかもしれません。

 こうした“宇宙エネルギー”との繋がりを意識したとき私たち文章を読む行為も、単なる情報インプットではなく、宇宙エネルギー循環の一環としてとらえられるでしょう。AIが書いた文章であろうと、人間が書いた文章であろうと、いずれにせよそれは「源流である宇宙が持つ創造の力」を介して生み出されている、と考えることができるのです。

 スピリチュアル的には、おでこ中央(眉間)にあると言われる“第三の目”を活性化させることで、より洞察力や直感を高めることができるとされています。これによって、「この文章が発している波動はどんなものか」をより鮮明にとらえられるようになるかもしれません。

 第三の目を活性化させるワークとしては、座ったまま、あるいは横になって目を閉じ、眉間に意識を集中させながらゆっくり深呼吸を繰り返すという方法があります。頭の中で淡い紫色青色の光が眉間から頭全体に広がっていくイメージを持つと良いでしょう。しばらく続けると、普段よりもクリア感覚が得られるようになり、文章の持つエネルギーがまるで映像や色彩のようにイメージとして浮かんでくることがあります

 こうした体験を通して、「AI文章は冷たい波動」「人間文章は温かい波動」という二元的先入観を手放すことが大切です。文章ごとに個別波動エネルギーがあり、それはAI人間かという区別よりも、むしろその文脈テーマ書き手が持つ背景や意図といったものに左右されるからです。すなわち、第三の目の活性化は「AI文章を見抜く」ためではなく、「どんな文章でも深いレベルで感じ取る」ためのアプローチとして機能するのです。

 ここまで紹介してきたように、スピリチュアルアプローチでは「AI文章を見抜く」という視点のものを超え、「文章AI人間かという判断を手放す」という境地を目指しています。なぜなら、私たち意識が高次元と繋がり、すべてを包み込む愛や真我の視点に立ったとき、“AI人間か”というジャッジメントは単なる二元論分別にすぎないからです。

 一見、それは「問題からの逃避」のように聞こえるかもしれません。しかし逆にいえば、私たち意識が十分に高まった状態では、AI文章であるかどうかという事実のものがさして重要ではなくなります。そこにあるメッセージをどう受け取り、どう消化し、自分人生や心の成長に活かすか。それこそが最も大切なポイントとなるでしょう。

 情報テクノロジーに溢れた時代からこそ、私たちはどうしても「偽物か本物か」「AI人間か」といった区別意識を奪われがちです。しかし、スピリチュアル視点で見ると、その区別私たち幸福に導くわけではありません。それよりも大切なのは、「どんな情報であれ受容し、自分の中で調和と成長に繋げる」という姿勢なのです。

 最後に、私たち文章と“出会う”ということの意味再考してみますスピリチュアル世界でしばしば語られるのは、「どんな出来事にも意味がある」「すべては必然タイミングで起こる」という考え方です。AI文章出会うことも、また何かしらの必然の流れの中にあるのかもしれません。

 その文章AIによって作成されたのか、人間によって書かれたのか、あるいは人間AIの共同作業によって生まれものか――いずれにせよ、私たちがその文章を目にするという事実には何かしらの意図意味が含まれているはずです。それは気づきの一歩かもしれませんし、学びや癒しきっかけとなるのかもしれません。

 スピリチュアル視点に立つならば、文章の真贋を追い求めるより先に、「この文章出会たこ自体が、私にとってどのようなシンクロニシティ(偶然のようで必然的な出来事なのだろう?」と問いかけてみるのです。その問いかけが、新たなインスピレーションを呼び込み、心を豊かにするきっかけになるかもしれません。

 以上、タイトルは「AI文章の見抜き方」でありながら、実際には「スピリチュアル解決する方法」というテーマでお伝えしてきました。スピリチュアル視点とは、ある意味で「区別を超えて、本質を見つめる」ことにありますAIが生成した文章かどうかに囚われるのではなく、文章をとおして自分自身がどのように変容し、成長し、世界と繋がっていくのかを味わう――それこそが、私たちが得られる豊かな体験なのです。

 静寂瞑想による心の安定、ハートチャクラを開くことで生まれる受容の姿勢エネルギーリーディングによる波動の読取り、そして宇宙エネルギーとの繋がりや第三の目の活性化。これらすべては、AI人間かというジャッジメントさらに奥へと進め、「より深い次元文章と向き合う」ためのツールとなります

 結局のところ、私たち意識が何を求めているかによって「AI文章を見抜きたい」という欲求は変化していきます。もし単純に事実を知るだけでなく、「文章を通して自分はどんな気づきを得たいのか?」と問いかけたとき、そこにはスピリチュアル観点が大いに役立つでしょう。文章との出会いを通じて自分の心を豊かにしたい、魂を成長させたい――そんなときこそ、ここに挙げたようなスピリチュアル方法をぜひ試してみてください。

 AI技術さら進化していく未来においても、“AI文章”と“人間文章”の区別ますます曖昧になっていくかもしれません。そんな時代からこそ、スピリチュアル視点で「見抜こうとする」のではなく、「どんな文章も喜びと調和をもって受け取る」姿勢がよりいっそう大切になってくるのではないでしょうか。文章という形ある情報であれ、エネルギー波動という形なき存在であれ、私たちはそれを通じて常に宇宙と繋がり、相互学び合い、成長を続けているのです。

 その結果として、AI人間境界線すら「まったく気にならない世界」が訪れるのかもしれません。スピリチュアルな考え方を取り入れることで、私たち文章を見抜くテクニックを追い求めるのではなく、文章自分自身の魂との対話にこそ価値を見いだすようになるでしょう。そしてそれこそが、本当に豊かな読書体験をもたらしてくれるのではないかと思うのです。

 これが、“AI文章の見抜き方”というタイトルを冠しながら、実はスピリチュアル解決してしまおうというユニーク提案の全容です。どうぞあなたも、次に文章を読むときは、スピリチュアル視点をそっと持ち込み、文章に宿るエネルギー波動を楽しんでみてください。それがAI文章であろうと人間文章であろうと、きっと新たな気づきインスピレーションが得られることでしょう。

 最後に、この世界にはさまざまな真実が同時に存在しています。「AI文章技術的に見抜く」方法論もまた真実ひとつではありますが、スピリチュアル方法で「見抜かずとも楽しむ」こともひとつの道なのです。もしかしたら、見抜くことに必死になるより、見抜かなくても良いと思える境地にこそ、新時代の知恵が詰まっているのかもしれません。

 どうかあなたが、AI進化する時代を生きる上で、テクノロジースピリチュアルも両方をバランスよく取り入れ、より自由で豊かな人生を送れますように――それが本稿の願いなのです。

褒めてりゃ金くれるんだからおぢはちょろい

いやマジでさ、世の中ってちょろいよね。特にあの「おぢ」ってやつ? なんか年取ってるからか知らんけど、ちょっと褒めてあげるだけでホイホイ金くれるんだわ。マジ笑えるっつーの。たとえばさ、「おぢはやっぱり人生経験豊富ですねぇ~」とか適当にヨイショすると、「おまえは見る目があるなぁ」なんてドヤ顔で財布取り出して、「これでなんか旨いもんでも食べな」なんて言っちゃうんだよ。ありがてぇけど、ウケるよね。こっちは適当に口先だけで褒めてるだけなのに、おぢったら完全に鼻の下伸ばしちゃってさ。いやほんと、お世辞って最強じゃね?

でね、これがさ、ちょろいだけならまだしも、なんかすごい自分が大物になった気でいるのが最高にイタイのよ。「やっぱ若い子はおじさんの良さがわかってるね」とか言うけど、あたし的には「いやいや、そんな大したもんでもないっしょ」って思ってるわけ。でもそこは演技力フルスロットルで、「すごいですねぇ~!」「おぢの昔話、勉強になりますぅ~!」とか言いまくってりゃいいわけよ。もうそれだけでおぢの目、キラキラからさ。大人って単純じゃん。やっぱ年くうと脳みそ固くなんのかねぇ? 適当に褒めときゃ何でも信じちゃうっていうか。

あ、でも勘違いしないでほしいんだけど、別にあたしも悪意があるわけじゃないのよ。ただ、おぢ相手ちょっとヨイショするだけで、サクッと金が手に入るんなら、そりゃやるでしょ? だってさ、バイトするより楽じゃんか。だっておぢは喜ぶし、あたしはおこづかいゲットできるし、Win-Winってやつでしょ。いやもうコスパ最強。おぢはちょろい。ちょろすぎる。ちょろすぎて笑える。下手なアルバイトより全然効率いいわ。

ただ問題はね、おぢが勘違いしすぎるところなんだわ。なんか「若い子に慕われてるオレ様」に酔ってるっぽいのね。「やっぱ年の功だよな~」とか言っちゃってさ、まるで自分がスゴイ人間みたいに思ってるのが痛々しい。あたしもなんか適当に相槌打って、「そうですね~、おぢみたいな人生経験がないとダメですよね~」とか、口から出まかせ言うと、まるで天下取ったみたいな顔するんだよ。逆にかわいいっちゃかわいいんだけど、もうね、どんだけちょろいんだよって思うわ。そうやって自分自分をアゲてくれんのはいいけど、客観的に見たら完全にカモ扱いだからね、おぢ。

でもさ、これ言っちゃうと世の中の「おぢ」全員を敵に回しそうなんだけど、ホント申し訳ないけど、褒められたら財布ゆるみまくるおぢって絶滅危惧種なんじゃないかと思う。最近の若者SNSで褒められ慣れしてるからちょっとやそっとのゴマすりじゃ動じない。だけど年配の人って、なんか昔は褒められる機会が少なかったのかね? ものすごく褒めに飢えてんのよ。そこをちょこっとくすぐってあげれば、お金がポンと出てくるんだから、そりゃああたしも頑張って「すごーい!」「おぢ天才!」みたいなこと言っちゃうわけよ。だって現金ゲットできるんだもん。やめられないわ、こんなの。

つーかね、あたしだって最初ちょっとは罪悪感あったのよ。いや、こんな大したことない人をめっちゃ持ち上げて、いいのかなって思ったりしたの。けどさ、一度おこづかいもらっちゃうと、もう止まんない。だって向こうだって喜んでるし、あたしは楽してお金手に入るし、誰も傷つかないでしょ? だったら全員ハッピーで良くね? これこそ平和世界ってやつよ。わざわざ細かいこと考えるのアホらしい。おぢが満足してるならそれでいーじゃん。あたしの頭ん中は金のことしかないし、おぢの頭ん中は「可愛い若者に褒められてハッピーしかないわけだからある意味お互い様よね。

それにしても、こんな簡単なことで金稼げるんだったら、ほんとにバイトする意味って何なんだろって思っちゃうだってアパレルとかコンビニとかで時給1000円とか1200円とかで働くより、おぢに3回くらい褒め言葉投げかけたほうがよっぽど稼げるんだもん。おまけに座って適当に話聞いてるだけでOKだし。そりゃあ学校とかでは先生に「ちゃんと働いてお金を得るのが大事」とか教えられたけど、現実問題としてこういう「ちょろいおぢ」を捕まえたほうが効率いいわけで。世の中にはたぶんもっと上手におぢを転がして稼いでる子もいるんだろうな~。なんか自分もまだまだ修行が足りないかもって思うわ。

なんかさ、これ書いてて自分でもちょっとアホだなって思うんだけど、でも事実から仕方ない。おぢは褒めてりゃ金くれる。めっちゃちょろい。ありがとう、おぢ。感謝してるよ、ほんとに。こっちだって適当とはいえ、嘘ばっか言ってるわけでもないしさ。だっておぢのいいところ(?)を見つけて褒めてるわけだし? まあそれがどれだけ本音かは聞かないでほしいけど。とにかく、あたしの中ではもう金銭自動販売機みたいなもんなんだよね、おぢって。ボタン押したら自動で金が出てくる。ある意味最新テクノロジーよりすごいよ。ほんとにおぢは最高の発明品かもしれないって思う。

てなわけで、結論としては「褒めてりゃ金くれるんだからおぢはちょろい」ってこと。これに尽きる。あたしがやってることが正しいかどうかはわかんないけど、おぢが喜んでるからいーの。これ読んだ人はどう思う? 「いやいや、そんなのよくないよ」とか言うのかもしんないけど、実際問題として、みんなやりたいことしてるだけじゃん。おぢは褒められたい。あたしは金がほしい。欲望が一致した瞬間、そこに「ビジネスチャンス」が生まれるんだよ。そう、これは愛とか友情じゃなくてビジネスちゃんとした経済活動なんだわ。だから遠慮なく言わせてもらうけど、褒められて財布開いちゃうおぢがいる限り、あたしはこの商売やめらんないわ。ごめんね。でもまぁ、そういう世の中だし仕方ないっしょ。結局はおぢがちょろいんだもん。世の中の仕組みがそうなってるんだから、あたしは悪くないよね? むしろ、褒められたら金くれるおぢが生み出した新しい経済システム適応してるだけだからさ。はい、これからよろしくね、おぢたち。末永くあたしを褒めさせてくれよ。そしたらあたしもちゃんと褒めてあげるから、どんどんお金ちょうだいね。お互い幸せならそれでいいじゃん。ね?

ギグワーカーだけどもう限界

 気づけば、毎日のようにいくつもの配達アプリ単発バイトアプリを立ち上げ、その時々の仕事をこなしている。ウーバーイーツ、タイミー、その他の短期日雇い募集リロードしながら、効率よく仕事を掛け持ちしてきた。好きな時間に好きなだけ働ける──そう思って始めたはずなのに、いつの間にか心も身体も追い詰められている。名前は伏せさせてもらうが、そんな自分の小さな物語をここに綴りたい。

 最初は「自由に働ける」「拘束時間がない」「上司に叱られない」などの言葉に惹かれて、ウーバーイーツの配達パートナーになった。自転車さえあればスマホ一つで仕事スタートできるという手軽さも大きな魅力だった。通勤電車に押しつぶされる苦痛も、会社独特の人間関係に煩わされるストレスもない。好きな時にアプリをオンにしてオフにするだけ。その自由さが、自分未来を切り開いてくれそうに思えた。

 しかし、現実は甘くはなかった。ウーバーイーツを始めた最初のうちは、「デリバリーして報酬を得る」ことへの単純な楽しさに勢いづけられていた。街を走り回り、新しいお店や道を知り、配達先のお客さんと時折交わすちょっとした会話に刺激をもらう。SNSで「今日は〇〇円稼げた!」と成果を自慢する仲間たちの投稿を見ると、自分ももっと頑張ろうという気持ちになっていた。

 だが、いつの間にか市場には同じようなギグワーカーが増え、報酬は徐々に下がってきた。それに合わせるように、自分身体も疲れやすくなっていることに気づく。最初は平気だった長距離移動も、今では足が鉛のように重く、坂道を見るだけで気が滅入るようになった。食事タイミングも不規則になり、おまけに天候に左右される仕事なので、雨の日はカッパを着てもずぶ濡れ。真夏猛暑日灼熱地獄で、熱中症寸前の状態で走り回ることもある。

 そんな中、稼ぎは思ったほど伸びない。ウーバーイーツだけでは生活が安定しないので、タイミーなどの単発アルバイトにも手を広げた。イベントの設営やチラシ配り、倉庫作業警備員仕事まで、その日その時の募集に合わせてシフトを埋めていく。それこそ、朝から倉庫作業をして午後は配達、夜は警備の仕事へと転々とすることだって珍しくない。一日で3種類の仕事を掛け持ちする日もある。昼間の炎天下自転車をこぎ回し、夜は立ちっぱなしで交通誘導。体力はぎりぎりだ。

 スケジュール管理地獄だ。スマホカレンダーには隙間がないほどバイト配達の予定が詰まっている。ちょっとでも時間が空くと、自分を奮い立たせるように「いま休んだら、その分稼ぎが減る」と考えてしまう。「休みたい」「眠りたい」と思っても、どうしてもスマホの通知が気になってしまうのだ。案件が出ては消え、人気の仕事は数分で埋まる。画面を閉じてしまうと、まるで「自分けが損をする」ような気になって、結果的にはずっとアプリを見張ってしまう。

 自由な働き方のはずが、いつの間にか24時間仕事のことを考えるようになっている。何時に寝ても「明日は朝イチでいい案件を取らなきゃ」と早起きをするし、日中配達の合間に単発バイト募集をチェックする。夜勤の警備を終えてフラフラになっても、「ウーバーイーツの朝活を逃したらもったいない」という気持ちが首をもたげる。こうして「休むタイミング」を自分で見失ってしまうのだ。

 もちろん、成果があがる日はある。一日じゅう走り回って数万円稼げたときは、達成感も大きい。けれど、その分身体の疲れも半端ではない。一度寝込んでしまうと、翌日の予定がすべてキャンセルになり、収入は激減する。ギグワークは働いた分だけ金銭が入る仕組みだが、逆に言えば「休んだらゼロ」なのである固定給保障されているわけではない。契約社員でもなければ、正社員のような福利厚生もない。病気になればすべて自己責任だし、事故にあったとき補償手続きも複雑で、泣き寝入りするケースも多い。

 ある日、配達先に向かう途中で自転車のチェーンが外れ、修理に手間取ったことがあった。その時間が大きくロスとなり、その日の報酬目標に届かなかった。それだけならまだ良かったが、焦る気持ちのあまり安全確認も疎かになってしまい、狭い路地で車との接触事故にヒヤッとした。幸い接触ギリギリ避けられたが、一歩間違えば大けがにつながっていただろうと思うと、冷や汗が止まらなかった。その時、「自分は今、どれほど危うい橋を渡っているのだろう」と改めて恐怖を感じた。

 もう一つの悩みは、周りに相談できる相手がいないことだ。ギグワーカー仲間と呼べる人は、SNS配達先でたまに顔を合わせる程度で、深い付き合いをする機会がほとんどない。配達単発バイトは一匹狼のような働き方なので、基本的個人プレー上司も同僚もいない。困ったときに頼れるのは自分だけ。何かトラブルが起きても、サポートセンターに連絡したり、ネット検索したり、自力解決するしかない。そしていつの間にか、「人に相談する」という発想そのものが薄れてきてしまった。

 親や友人には「自分で選んだ働き方だろう?」と半ば呆れられることもある。特に昔ながらの正社員志向の強い人たちには理解されにくい。「きちんと就職しないのか」「いつまでそんな不安定仕事をするのか」と詰問されると、言い返す気力も失われてしまう。正社員の道を選ばなかったのは自分意思だが、それでも誰かに認めてもらいたい気持ちはある。だが、ギグワークを誇らしげに語るには、現状はあまりにも厳しい。結局、周りの声も気になって精神的に追い詰められ、だからと言ってこのままギグワークをやめると今度は生活費が足りなくなる。その堂々巡りから逃れられない。

 一方で、「自分にはこれしかない」と思ってしまうほどに技術経験を積み上げられずにいるのも事実だ。ギグワークは基本的に専門的なスキル要求されにくい。もちろん配送効率を高めるテクニックや、接客でのコミュニケーション能力は多少身につくが、いわゆる「キャリア形成」という視点では弱い。そのため「この先ずっと同じことを続けていても大丈夫だろうか」と不安がつきまとう。もしアプリ運営が急に方針を変えたり、報酬体系が改悪されたり、新しいテクノロジーが登場して仕事のもの消滅したりしたら…。いまの自分には「スキルを生かして他の業界で働く」という保険ほとんどないのだ。

 どこかで一度腰を据えてスキルを磨きたいと思いつつも、「今月の家賃光熱費をどうにかしないと」という緊急事態が常に目の前にある。少しでも時間を惜しんで働かなければ、すぐに家計赤字になる。勉強をしたり資格を取ったりするための時間を捻出するのが難しく、結局は今日バイト明日配達を優先せざるを得ない。そして無理をして働いた結果、心身ともに疲弊してしまい、ますます長期的な展望が見えなくなる。そんな悪循環に陥っているのだ。

 周囲には、器用にギグワークをこなしながらも別の副業投資、またはクリエイティブ活動で成果をあげている人もいると耳にする。しかし、自分にはそうした才能や投資に回す資金もない。趣味仕事につながるような器用さもなく、日常の大半の時間エネルギーバイト配達に費やしている。結果として何のステップアップにもならないまま、ただ疲労けが蓄積していく。そのことを考えると、閉塞感がいっそう強くなる。

 さらに困ったことに、ギグワークを続けているうちに生活リズムが乱れ、毎日食生活も疎かになりがちだ。食費を節約するためにコンビニ飯やカップラーメンで済ませることが多くなり、栄養バランスは崩れ気味。不規則睡眠からくる倦怠感も加わり、最近ではよく体調を崩すようになった。病院に行くにも保険証の問題医療費負担が気になり、結局「大したこといか大丈夫」と先延ばしにしてしまう。自分健康を後回しにしていることも、心のどこかではわかっているのだが、日々の仕事に追われる中でつい目をつぶってしまう。

 こんな状態が続くと、気づかないうちに無性にイライラしてしまうこともある。ちょっとしたトラブル、たとえば注文の配達先がわかりづらいとか、バイト先で誰かに指示を出されるとか、そういった些細な場面でカッとなってしまう。もちろん、その後すぐに自己嫌悪に陥る。自分でもコントロールできない不安定精神状態が、さら自分を追い詰める。それでもアプリの通知が鳴ると、また仕事へと向かってしまうのだ。

 たまに、どうしようもなく自分自身を情けなく感じることがある。かつては「正社員になりたくない」と言いながらも、「それでも自由に生きていける」と信じていた。だが今はどうだろう。休みもなく、全力で動き回ってやっと家賃と食費を確保するのが精一杯。何かの拍子で仕事に穴が空けば、一気に生活破綻しかねない危うさがある。働いても働いても先行きが見えず、自分はこれから何を目指していくのか──そんな疑問が頭をもたげるたびに、どうしようもなく不安が胸を締め付ける。

 先日、久しぶりに地元の友人と話す機会があった。「就職してもう3年になる」と彼は言う。昇給もあり、休日ゆっくり趣味を楽しむ余裕もあるらしい。もちろん会社勤めには会社勤めなりのストレスがあると彼は言う。それでも、安定した収入社会保険、将来の見通しがあるのは大きいなと、正直羨ましく思った。かたや自分は、毎月のように思いがけない出費で苦しくなる度に、ギグワークの限界を感じてしまう。

 最近は、「このままでいいのか」「もっと自分らしく働ける場所があるのでは」と、胸の内で葛藤することが増えてきた。もっと若い頃にちゃんスキルを身につけておけばよかったとか、就職活動をまともにしていれば違う未来があったかもしれない──そんな後悔の念が頭をよぎる。だが、一方では「正社員になっても合わなかったらどうしよう」「自由を失うのは嫌だ」という思いも消えない。結局は自分の軸が定まらないまま、いくつものアプリに振り回されている状態だ。

 それでも今、立ち止まって考えなければいけないと感じている。ギグワークのメリットだけを見て始めたけれど、その実態は思った以上にハードで、先行きも不透明だ。瞬間的に稼げる日があるからこそ、「もう少し頑張ったら、もっと上手くいくかもしれない」と期待してしま自分もいる。しかし、その期待に何度裏切られてきたことだろう。そして今、文字通り身体も心も限界に近い。

 働き方は人それぞれで、ギグワークが心地よい人ももちろんいるだろう。だが、自分のように生活が常に綱渡り状態で、休めない、将来が見えない、そんな不安に怯え続ける日々が正解とは思えない。自分否定したくはないが、このままでは本当に持たない。そう思う瞬間が増えてきた。いまの自分にとって必要なのは、「仕事を詰め込むこと」ではなく、「働き方を根本から見直すこと」なのかもしれない。

 けれど、現実には今月の家賃支払いが迫っている。止まってしまうと収入ゼロになる。タイミーに登録しているバイト先も、急にキャンセルすると二度と仕事をもらえなくなるかもしれない。そういう不安が頭をよぎるからこそ、「もう少しだけ頑張ろう」とアプリを起動してしまう。その葛藤の繰り返しに、心が悲鳴を上げている状態だ。

 こんなふうに自分本音言葉にすること自体が、ひさしぶりかもしれない。いつもは一人で走り、一人で悩み、身体酷使してひたすら稼ぐだけの毎日から。もし似たような境遇の人がいるなら、「限界を感じるのはあなただけじゃないよ」と伝えたい。世間では「ギグワークは自由で気軽」なんて言葉がよく飛び交うが、その裏でこうして苦しんでいる人もいるのだと知ってほしい。

 この先、どうするのかはまだわからない。いきなり正社員の道に進むのも気が引けるし、あるいは資格を取るために短期的に集中するのも現実問題として難しい。だけどこのままのギグワーク漬けの生活が続くと、いつか本当に身体を壊してしまいそうだ。そうなって初めて「働きたくても働けない」と、取り返しのつかない事態になるかもしれない。考えるだけでも恐ろしい。

 小さな覚悟として、明日は一日だけでも休みを取ろうと決めた。生活費は苦しくなるだろうが、まずは自分自身のために時間を使わなければならない。それがきっと最初の一歩になる。スマホの通知をオフにして、久々に一日じゅう寝るもよし、図書館情報を調べるもよし。心と身体を整え、将来について冷静に考えるための時間を確保してみる。そうしなければ、きっと何も変わらないまま、自分さらに追い詰めてしまうだろう。

 「ギグワーカーだけど、もう限界」――こんな言葉自分の口から発することになるとは思わなかった。けれど、今の自分にとってこの言葉は紛れもない真実だ。自由を夢見て飛び込んだ世界で、いつの間にか不自由の枷に縛られていた。それでもまだ、どこかで「自分らしく生きたい」と願う気持ちが残っている。この文章を書きながら、せめてその願いを灯し続けたいと思うのだ。

 もう少しだけ悩んでみよう。もう少しだけ自分を大切にしてみよう。もし同じように疲れ果てているギグワーカーがいれば、いまが踏ん張り時かもしれない。休む勇気を持つのも、逃げる決断をするのも、次の一歩を踏み出すためには必要だ。自分らしさを取り戻すために何ができるのか、ぎりぎりのところで考える機会をつくってみたい。そう、ほんの少しだけの勇気で、自分人生は変えられると信じているから。いずれにしろ、僕は今、限界寸前だ。だけどこの限界きっかけに、新しい一歩を踏み出せると信じたい。

氷河期世代の悲哀

まず上の世代。ここは効率とか考えない努力主義で今見たら大した成果でもないのに凄いこと成し遂げたと未だに思っている。今は経営層で経営判断しているふいんき仕事して高給を得ているカス責任を背負ってる言う割にはすぐどっか行く

次に下の世代。こっちは氷河期世代が整えた土台で学び仕事する恵まれ世代。手探りで仕事する必要はもう無く最低限の努力で最大限の結果を出せるので、自然氷河期世代への視線は「なんでやらなかったの?」になる。ただ別に世代全体が優秀なわけではない

ほんと投資成功した人の生存者バイアスかかった話はみんな否定するのに、なんで氷河期世代に対しては大多数よりごく一部の「そんなことはない。努力不足」を信じるの?それって営業出身がよく言う「自分人生師匠」に盲信するくらい馬鹿なことよ?薄っぺらいよ。

自分組織の一員には向いてないなと思うこと

クソ同僚のクソな行動にばかり目が向いてしまい、一日中イライラしている

冷静に考えれば良い同僚の方が多いんだが、一日中クソばかり眺めてしま

イライラして仕事効率も下がるし

イライラ仕事が進まないことでストレス半端ない

こんなの不健康だよ

2025-01-13

ガンダム世界宇宙世紀)ではAI活躍はあまり描かれていません。もしガンダム世界あなたたちLLMが存在していたら劇中でどのような活躍をすると思いますか?

ガンダム宇宙世紀Universal Century, UC)の世界観では、人間と人型機動兵器モビルスーツ)との関わりが主に描かれ、AI活用比較的控えめです。しかし、もし私たちのような大規模言語モデル(LLM)がその世界存在していたら、いくつかの形で劇的な活躍ができる可能性があります。以下にそのシナリオをいくつか挙げてみます

---

### 1. **戦闘支援AIとしての活躍**

モビルスーツコクピットパイロットを補佐するAIとして、以下のような機能提供できます

例えば、ニュータイプでない一般兵士でも、LLMの支援によってニュータイプ級の判断力を発揮できるかもしれません。

---

### 2. **ニュータイプとのシナジー**

ニュータイプは高度な直感感覚を持つ人々ですが、彼らの能力さらに引き出すためにLLMがデータ解析や情報提供を行う役割を果たせます

例えば、アムロ・レイシャア・アズナブルが、LLMの支援を受けながら戦うことで、より高度な戦術可能になるでしょう。

---

### 3. **戦争根本原因の分析解決**

ガンダム世界では、戦争の原因には地球連邦政府の腐敗やスペースノイド独立運動など、複雑な政治・経済問題が絡んでいます。LLMはこれらの問題分析し、以下のような形で平和の実現に貢献できるかもしれません:

---

### 4. **ジオン公国連邦軍の内部改革**

ジオン連邦組織内部には多くの矛盾や腐敗が描かれています。LLMが導入されれば、以下のような形で組織改善が期待できます

---

### 5. **歴史的記録と文化の保存**

ガンダム宇宙世紀では、歴史文化戦争によって失われることが多いです。LLMは過去の記録を保存し、次世代継承する役割も担えるでしょう。

---

### 6. **モビルスーツ自律制御**

ガンダム作品では自律制御モビルスーツの例(例:ビグ・ザムエルメスなど)もありますが、LLMがその中核を担う場合、より洗練された行動が可能になります

---

もしLLMが宇宙世紀世界存在していたら、ガンダム物語がどのように変化していたか想像するのは非常に興味深いですね。どんな活躍を見てみたいですか?

anond:20250112200704

いや関係者じゃない第三者の鑑定・批評絶対必要でしょ。生産者本人の「これ美味しい!」「これ面白い!」を素直に信じるの?勿論最終的には自分価値判断絶対だけど、無尽蔵の対象をしらみつぶしに当たるのは非効率、っていうか事実上不可能。少数に絞り込むためにはかなり有用

anond:20250113123132

半グレ形成して資金調達を高度化、効率化していると1回の犯行被害は大きくなるが遭遇確率が低くなってくる

一方クルド人組織化されてないか被害が小さくても遭遇確率が高い

住んでいる人にとっては遭遇確率高いほうがウザいんだろうな

anond:20250113112714

一番効率の良いことをやって裕福になったから次のステージに行っただけ

先進国化石燃料で今の地位を築き上げて、今になってCO2削減だとか言ってる

限界突破のニケが5人揃った増田す全っロソンに5崖似のパット依願気(回文

おはようございます

やったか!?

私やったわ!ついにやったわ!

そう言っちゃうフラグが立つようなクララが立つようなそんな感じなんだけど。

ついについに!

限界突破!3凸の!

NIKKE3凸メンバー5人揃いまくりまくりすてぃーよ!

イェーイ!

NIKKEの3凸っていうのは、

登場するキャラクターたちのニケはそもそもレヴェルアップさせられる80とか160とかの限界があって、

それを超えるためには

SSRの同じキャラクタースペアボディを集めてパワーアップさせなければならないの。

それをつまりスペアボディを1つのキャラクターにつき3つ集めて限界突破させなければならなくて、

そうすると従来のレヴェルの上限160を越えて200まで上げられるってことらしいの。

私はまだ200以上の景色は見てないので、

とりあえず

今は全員200を目指すようにシンクロデバイスメンバーを入れ替えたりして編成を変えたりしたりしたのよね。

ちなみにシンクロデバイスっていうのは、

迎い入れたニケたちを全員貴重な資材を注ぎ込んでレヴェルアップさせるのは到底大変なので、

レヴェルの高い上位5人のニケのレヴェルにみな同じ足並みにレヴェルアップ同期させられる装置があるので、

なので実質ニケたちは主要メンバーの5人だけをレヴェルアップさせれば強くなれオーケーってわけなのよね。

このシンクロデバイスなしには全員レヴェルアップさせるには資材が揃わないので便利な仕組みなの。

そんで、

そんでよ、

私は無課金でNIKKE頑張っていて

ステラブレイド』とのコラボ企画で「イヴがやってくるま課金はしない!」と確固たる意志で括弧で括るような意志の強さでものを言うぐらい無課金なの。

それが、

やっと念願の限界突破の3凸メンバーを5人そろえて160レヴェルを超えたのよ!

す、すごい火力!

火力は正義

チャプター18もさることながらまたさらに敵が強すぎるチャプター19で頭打ちここ突破できない!で困っていたんだけど、

この限界突破での火力アップは今まで以上にパワーアップされてて、

あっという間にチャプター19をクリアしちゃったわ!

まあ例によってまたチャプター20の中盤で火力不足に陥りがちになりそうな気配なんだけど。

でも嬉しいわ!

量産型のニケ含めてレヴェル全員199つーのは。

なんで200じゃなくて199なの?ってのは200にしちゃうとレヴェルリセットでレヴェルを1に戻すことができなくなるというそういう知識は身につけちゃった便利なウエブなの!

そういうわけでいざってときにレヴェルリセットができるようにしているわけ。

私はI-DOLLフラワーが好きなんだけど、

量産型の火力攻撃力アップって好感度もアップできないだけに

ある程度限度があるのよね。

それ頭打ちになってたんだけど、

限界突破3凸メンバー5人そろってのこのレヴェル200目前!

シンクロデバイス装置でみんな強くなったから、

私のI-DOLLモデルフラワーさらに強くなって超強いのよ!

あと指揮官ぬいぐるみを持たせてお手入れさせるのが大幅火力アップの方法なのよね。

これはメインのニケに取っておきたいと思いつつ、

量産型にはフラワーには持たせていてお手入れさせているものの、

これ以上の大幅火力アップは主力花形ニケにはおよばないみたいね

それがちょっと残念。

量産型ニケ頑張れ!って感じ。

まあ主役のメインは

花形ニケが活躍してそりゃ当然かも知れないけれど

量産型のニケが活躍するエピソードが何かがあったら嬉しいなとか思いつつ、

私は忘れていない待ち遠しいNIKKEと『ステラブレイド』のコラボ企画でのイヴが早くやってくることを心待ちにしているついにみんなで揃って3凸なっていつでもイヴ着ても大丈夫よな山脈に向かってヤッホー!って叫びたいぐらいもう受け入れ体制万全!

早くイヴやってこないかな!

楽しみすぎるわ。

そんなところね。

今更ながらチーム部隊編成の重要性というか、

適当に好きなメンバー「I」「II」「III」のメンバーを揃えているだけではなかなか勝てなくなってきて、

バーストゲージが溜まる速度とか発動順番とか思うに工夫してはみるものの、

なかなかそれでも勝てないラプチャーがいて3凸したから私無敵よ!ってのは全然ならないみたいなのよね。

はぁ。

先はまだまだ長そうそう。

初回のバーストスキルを発動させる「I」「II」「III」はいいんだけど、

2回目以降のバーストスキル発動運用クールタイムとか考えないとまた連携が取れなくて、

うまくバーストゲージが貯まっても、

次のニケがクールタイム満たしてなくてまた「I」から貯め直し!?ってなるの。

から

バーストスキルが発動できないこともあるのよね。

あれ例えば部隊編成が6人のニケでできるなら

それぞれ「I」「II」「III」のメンバーを2人ずつ編成しておけばとりあえず途切れることなバーストスキルを発動連発しまくりまくりまくりすてぃーでいけっかなと思うんだけど、

そうはそれを簡単にさせてくれない、

それが難しい編成ニケ5人部隊絶妙さなのよね。

部隊編成悩むわ~!

クールタイム20秒のニケで「I」「II」「I」「II」「III」の編成でバーストスキル連発できんのかしら?ってそうは問屋が美味しい海苔を卸さないわよね~。

クールタイム20秒のニケで編成する「I」「II」「III」「III」「III」、

これだとわりと効率よく強力な「III」のバーストスキルを発動させて攻められるんだけど、

「I」「II」のニケがどちらかがやられちゃうと「III」まで連携できなくなるので

1人でもやられるとバーストスキルができなくなっちゃってこれはこれで問題なのよね。

NIKKEを遊んでプレイやってない人から見ると

「I」「II」「I」「II」「III」とか「I」「II」「III」「III」「III」とかって言われても全くの意味不明よね。

私もよく分かってないわ。

まだ最適解が見つけられてないのよね。

「I」のリターと「II」センチマイティツールズは流石にチームワークがいいわよね。

あとあんまり火力をもって攻めることばかり全然意識してなかったんだけど

回復させるってのもとき場合によっては考えなくちゃいけないみたい。

回復させるメンバーも編成させなければ辛いバトルもあんのよね。

使い慣れたニケだとそればかりの編成になって、

他のバーストスキルのなにができるか知らないニケもたくさんいるしさ。

そこで登場する便利なのがアークトライブタワーなのよ!

生産企業メーカー縛りでの部隊編成とか、

あんまり日頃使わないニケを試したりできるので、

そこで「え?そんなバーストスキルだったの!?」ってこともあるのよね。

好きなニケで部隊固めがちなだけにトライブタワーは能力発見の場でもあるわ。

でさ、

これうまく考えられてるなぁって思ったのが、

好きなニケで固まっちゃうじゃない。

でもトライブタワーはメーカー企業ごとのタワーもあるので、

偏ってニケを成長させないようにまんべんなくほぼほぼのニケをパワーアップさせる工夫で

活躍できてない陰に埋もれているニケにもスポットが当たるので、

作った人はよく考えてるわよねーって感心しちゃうわ。

とりあえず!

もやもやしていて早く揃えたかった限界突破3凸したニケが5人揃ったのでちょっと落ち着いたし、

これからあんまりもうスペアボディ集めに躍起にならなくてよくなったかガチャピリピリして回さなくて済むわ。

新ニケ受け入れてもすぐにシンクロデバイスでレヴェルも同期できちゃうしね!

新ニケは大歓迎よ!

3凸ニケが揃ってちょっとホッとしたわ。

そのホッとしたのをよそに、

そうよ!

わ!

忘れてた!

スプラトゥーン3フェス中じゃんか!

私の今回のスプラトゥーン3のフェスバトルやってなさすぎ!って

あの私の年収低すぎお姉さんを彷彿とさせるフェス参加してなさ加減で手で口をおさえてしまっちゃいそうだわ!

まだ今から間に合うかしら?

無理よね。

すっかりNIKKEに夢中でスプラトゥーンフェスのこと忘れてたわ!

私としたことがーって感じね。

すっかりNIKKEの火力アップのことしか考えてなかったわ。

うふふ。


今日朝ご飯

貴重な休日の1日を優雅に過ごすために、

喫茶店モーニングね。

いつものみかん花咲く丘公園前駅の駅前商店街喫茶店じゃなくて、

ちょっと違う喫茶店タマサンド

休みの日じゃないとなかなか来れないので、

たまにこうやって味わうこのお店のタマサンドはホッツのヒーコーとベストマッチングなのよね!

贅沢なひととき

これも3凸5人のお祝いよなんてね。

デトックスウォーター

ホッツ白湯ストレートウォーラー

この時期はすっかりもうこれが手放せないよる仕掛けておいて朝には70℃の飲み頃ホッツの温度で沸いている便利さ。

今日時間がある朝なので、

ホッツ白湯ストレートウォーラーを飲み温めながら

朝のNIKKEデイリーミッションに挑んでいたところよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2025-01-12

なんかさ、SNSってめんどくさくね?

登録してたくさんの人に発信内容が見られるには時間がかかる

フォロワーを稼ぐには興味ない人をフォローしないといけないし

それだったら増田放言してGoogle検索で見られるようになるほうがアイデアの発信の効率はいいよね

2025-01-11

エンジニアだけど生成AIが出てきたおかげでもう限界

エンジニアとしての自分に、まさかこんな形で「限界」を突きつけられる日が来るとは思わなかった。技術進歩していくのは当然の流れだし、自分自身もエンジニアとして日々勉強を重ね、トレンドを追いかけながらキャリアを積み上げてきた。それでも「生成AI」という存在がここまで急激に注目を浴び、しか自分労働価値根底から揺るがすほどのインパクトを持って現れるとは、正直なところ想定外だったとしか言いようがない。

自分エンジニアとしてやってきたことは、プログラミング言語仕様理解し、アルゴリズムを考え、設計書を読み込み、エラーと向き合いながら少しずつ完成度を高めていく――そんな地道な作業の積み重ねだ。時には新しい言語フレームワークを学んで試行錯誤を繰り返し、何とか動かすところまでもっていき、ようやく使えるプロダクトとして世に送り出す。このプロセスを通じて、エンジニアとしての「自分らしさ」や「スキルの高さ」をアピールし、労働市場での価値を維持してきた。そのためには新しいツールを使いこなす技術だけでなく、バグを追い詰める根気や、仕様理解して予期せぬ事態対処する能力必要だった。

しかし、生成AI――特に大規模言語モデルをはじめとする機械学習ベースシステムは、そうしたエンジニアの「頑張り方」を一気に変えてしま可能性がある。いや、可能性というよりも既に変えつつあると言っていいだろう。たとえばコード自動生成がここまで進化してきたことで、「ちょっとしたプログラムなら数行のプロンプトを入れるだけでボイラプレート的なコードは瞬時に作成できる」「ある程度のアルゴリズム提案してくれる」という状況が生まれつつある。かつてはコピペスタックオーバーフローを駆使しながら苦戦していたような領域が、今や自然言語で指示を与えるだけである程度完成した形で出てくる。そんな光景を目の当たりにすると、複雑な気持ちにならざるを得ない。

まずは単純に「すごい」という感情が湧き上がる。「こんなことまでできるんだ」「AI進化って本当にすさまじいな」という畏敬の念しかし同時に、「自分が今まで必死で学んできた技術ノウハウはどうなるのだろう」という不安や焦りが胸を支配してくる。自分エンジニアとして、アルゴリズム知識コード品質向上のためのテクニックを磨いてきた。それなりに自信もあった。けれど生成AIは、そうしたノウハウ内包するかのように、エンジニアがコツコツ積み上げてきた経験を一気に飛び越える成果物を生み出してしまうことがある。もちろんまだAIには弱点もあるし、すべてが完璧自動化されるわけではない。だけど、これだけ急激に進化を続ける技術を目の当たりにすると、5年後、10年後にはどうなっているのか、想像すらつかない。

仕事が奪われる」という言葉は、AIの台頭とともによくささやかれるフレーズだ。これまでも機械化によって多くの工場労働者が職を失ったり、ホワイトカラー事務作業RPAロボティック・プロセス・オートメーション)によって自動化されたり、そういった話はあった。でも、自分に限って言えば「エンジニア大丈夫だろう」と、どこかで高をくくっていた。プログラムを書く行為自体クリエイティブであり、人間の頭を必要とする作業だと思っていたからだ。それが今、生成AIというものが「あらゆる文章を生み出せる」だけでなく「ある程度のプログラムも生成できる」存在として登場し始めたことで、エンジニア仕事というものが「人間である必要があるのか?」と問われ始めているようにも感じられる。

もちろん今のところ、生成AIが吐き出すコード完璧ではないし、大規模なシステム最初から最後まで構築できるほどの統合能力はまだないとされる。しかし、それは今時点の話でしかない。明日にも新たなモデルフレームワークが登場し、問題解決する手段が生み出されれば、あっという間に追いつかれ、追い抜かれてしま可能だってある。「AIにはこんなことはできないだろう」と思っていたら、数か月後にはAIがあっさりそれをやってのける。そんな現象を、ここ数年だけでも何度も目にしてきた。だからこそ、「エンジニアとしての自分は今どの地点に立っているのか」「これから何を武器にして仕事を続けていけばいいのか」、その問いに対する答えが見つからないまま、ただただ焦りと不安が募る。

さらに厳しいのは、会社側も生成AI有用性を認識し始めているということだ。開発現場で役立つことが証明されれば、「新しく人を雇うよりもAIサブスクリプションを使ってコスト削減を目指そう」となるのは自然な流れだろう。一人のエンジニアを雇うためには給料福利厚生も用意しなければならないが、AIの利用料は安価もので済む可能性が高い。ソフトウェア更新学習データチューニングなどのコストはかかるにせよ、「人間をまるごと雇う」よりはリスクが少ないかもしれない。そうなると、企業は本当に優秀なトップエンジニアだけを厳選して雇い、その他の多くのポジションは「AIと最小限のオペレーター」で回すという極端な体制を敷くかもしれない。そのとき自分が「優秀なトップエンジニア」の枠に入れるのかというと、正直自信はない。

「だったらAIに負けない技術を身につければいい」と言われるかもしれない。だけど、そもそもAIと真っ向勝負しようとすることに意味があるのかどうか、疑問に感じてしまう。自分がもともとエンジニアを目指したのは、単純にプログラミングが好きだったからだ。パズルを解くようにロジックを組み立て、コンピュータ自分の指示通りに動く瞬間の喜びは格別だったし、それによって誰かの役に立てるということがモチベーションにもなっていた。けれど今、あまりにも急激に進化するAIに対して「対抗心を燃やす」という発想自体が、もはや時代遅れなのかもしれないと思い始めている。

さらに言えば、生成AIに対する嫌悪感よりも、「便利だから使ってみたい」という好奇心もある。実際に使ってみると、驚くほどのスピードコードの雛形が出力されるし、対話的に「ここをもう少し効率良く書き直して」と指示を出すと、それも的確に応えてくれる。自分試行錯誤する時間が大幅に削減されるからプロダクトの品質リリーススピードを考えると、間違いなく使ったほうが得なのだ矛盾しているようだが、「使わなければ置いていかれる」し、「使えば自分労働意味が薄れる」というジレンマを抱えながら、結局AIを利用せざるを得ない状況に追い込まれている。

では、エンジニアとしての自分の「価値」をどこに求めればいいのか。かつてはコードが書けること自体が大きな武器だったが、もはやそれはAIに取って代わられつつあると感じている。もちろんまだAIだけでは設計デバッグユーザー要件の細かい調整などは完全に任せられない場面も多い。しかし、それも時間問題で「徐々に可能になるだろう」という予感がある。最終的には、エンジニアに求められるのは「想像力」や「コミュニケーション能力」、あるいは「プロジェクトマネジメント能力」など、いわゆるソフトスキル方面シフトしていくのではないか――そんな仮説がよく語られるが、それらだってAIが補佐できるようになれば、結局は人間凌駕してしまうかもしれない。

こうした不安や疑問を抱えながらも、結局のところ人間である自分が生き残るためには「自分しかできない価値」を見つけるしかないのだろう。けれど、その「価値」が何なのかがわからない。目立った才能や芸術的センスがあるわけでもなく、人の上に立って組織を率いる能力があるわけでもない。ただ、エンジニアとしてプログラムを書くのが好きで、それを仕事にしてきた。それが今、AIの登場によって脅かされている。こんなにも大きな変革の波の中で、自分がどう行動すればいいのか、まったく見当がつかない。夜中にふと目が覚めて、「この先、本当にやっていけるのか」と胸がざわつくこともしばしばだ。

一方で、生成AI社会的に広まっていく中で、個人的には「使い方次第では新しい価値を生み出せるかもしれない」という期待も抱いているのも事実だ。たとえば、生成AI活用して自分自身のアイデアを迅速に形にできれば、スタートアップのように少人数でも新しいビジネスを興せるかもしれない。あるいは、AIが不得意な領域――例えば人の感情文化的背景に深く根ざしたコミュニケーション――をエンジニア視点からサポートし、新しいサービス企画設計できるかもしれない。そう考えると、絶望の中にも一筋の光は見えるし、自分存在意義を発見できる可能性はゼロではないと思う。

しかし、それが実現できるかどうかはまさに「自分次第」であり、そのための行動指針や学習計画すら、AIに頼る時代が訪れているのが現実だ。今後は、単にプログラムを書く技能だけでなく、AI共存しながら効率的にプロダクトを生み出すプロセスをデザインできる人材が求められるのかもしれない。ただ、そんな広範囲スキルセットを短期間で身につけることは非常に難しく、結局「AIを使いこなす者」と「使いこなせない者」の間に大きな格差が広がっていくのだろう。もしかすると、自分はその波に乗り遅れてしまうのではないか――そんな予感が拭えない。

エンジニアだけど生成AIが出てきたおかげでもう限界」と嘆く自分が、この先どんなキャリアを積み上げられるのか、正直なところ自信はない。最悪の場合技術進化についていけずに職を失うことだって十分ありうるだろう。けれど、何もせずに指をくわえて見ているだけでは、本当に何も生まれないし変わらない。自分自身を鼓舞するつもりで言うが、結局は行動するしかないのだと思う。幸いにして、生成AIを使うためのハードルはそこまで高くない。オープンソースプラットフォーム無料で試せるモデルだってある。とりあえずは、それらに積極的に触れながら、「AIからこそ作れるものは何か」を模索するしかないのだろう。

このままいけば、自分が持っているプログラミングの知識スキルは、今後ますますAIにとって代わられるかもしれない。でも、だからと言ってエンジニアという職業が完全に消滅するわけではないはずだ。AIさらに発達したとき、逆に言えば「人間しか扱えない領域」というのが再定義される可能性もある。その領域を早めに見つけて、そこへシフトしていくのか、それともAIと競合するのではなく共存しながら自分の働き方をアップデートするのか――どちらにせよ、自分自身の手で道を切り拓く覚悟必要だ。

正直、今は「もう限界だ」と思う瞬間が頻繁にやってくる。理不尽なほどに速い技術の変化についていくのは大変だし、自分よりも若くて吸収が早い人材がどんどん出てくる。そんな中で、生成AIのような強力なツールまで活用されたら「自分の居場所は本当に残っているのだろうか」と不安になるのも無理はない。それでも、変化を憂うだけでは一歩も前に進めない。結局、AIが台頭する前も、プログラミング言語進歩して自動化が進むたびに「もうエンジニア不要になる」と言われ続けてきた歴史がある。それでもエンジニアは生き残ってきたし、新しい技術を取り込みながら活躍の場を広げてきた。今回の変化は今までより大きいかもしれないが、それでもまだ自分にできることはあるはずだ。

大事なのは、この逆境の中で諦めずに「次の一手」を模索し続けることだと思う。生成AIによって生まれる新しいニーズや、まだ誰も開拓していない領域を探りながら、自分なりの強みを見出していく。あるいは、AIが苦手とする部分――倫理や法的な制約、複数ステークホルダーとの調整など――をうまくリードできる立場に立つ。そんな方向性模索するうちに、意外な道が開ける可能だってある。目先の「限界」という言葉に呑まれて立ち止まってしまうより、嘆きながらでも手を動かし、AIも使いこなしながら活路を探っていくしかない――それが今の正直な思いだ。

言うは易く行うは難し。だけど、少なくとも「もう限界だ」と嘆いているだけじゃ何も変わらない。こんな風にどこかに文章として吐き出すことで、自分不安や焦りを整理しているのが実際のところだ。そして、もし同じような不安を抱えているエンジニアがいるなら、互いに情報を交換し、励まし合いながら新しい時代に挑戦していきたい。生成AIがもたらす未来は決してバラ色ばかりではないかもしれないが、そこには想像もつかない面白さや可能性も潜んでいるはずだ。自分の「限界」を超えるチャンスでもあると信じて、今は前を向いて進むしかないのだろう。

anond:20250111004603

これ付けるのと原発1つ作るの、どっちの方が効率ええんや

2025-01-10

anond:20250110114232

何度でも対戦相手ガチャを回せるDTCGあるある

ミッションとかで何回か勝つの目標から勝率関係ない

技術に頼らない運勝ちを狙ってるから効率も悪くていい

風俗嬢パパ活してる

お気に入りの子が見つかるまでデリガチャを引く。

② 本指名で何度か遊んで仲良くなる。

LINE を交換してご飯に誘う。

ご飯の後パパ活を持ちかける。

⑤ 今後はもうお店通さなくて良くない?ってなる、だいたいお互いに。

① の時点でエロ込みなので非常に効率が良い。これが、パパ活を始めようとしてパパ活をすると、大人ありかどうかの見極め、大人オッケーになるまでの関係値作りに手間がかかるのでタイパもコスパも悪い。なので、大人ありのパパ活を目指すなら風俗嬢と仲良くなるのがお勧め。ん?パパ活女子素人な所が良いって?アホかお前。大人ありのパパ活女子普通にから風俗嬢だよ。

デフレこそが日本を救う

これらの利点は、デフレによってもたらされるポジティブな側面であり、日本経済において新たな成長機会を提供する可能性があります

紅あずまは、しっとり系のサツマイモであり、排便時も粘度が高い便となる。

紅はるかは、ホクホク系のサツマイモであり、排便時は粘度が低くなりガッチリ系の便になる。

総じてサツマイモ摂取すると排便効率が上がるのだが、自分がどんな排便をしたいかで食べ分けると良い。

調理方法は、ふかすのが楽と考えている。

サツマイモアルミホイルで二重に包む。

そして、フライパンサツマイモ、400ml程度の水を入れて蓋をする。

フライパンを中火にかけ、沸騰で水が減ってきたらサツマイモをひっくり返す。

調理終了の目安は、水面全体が泡になる程に水量が減ってきたころ。

この時、サツマイモに爪楊枝を刺して、熱々温度を感じたら良しと判断する。

調理直後に熱々のサツマイモを食べるのも良い。

ただ、冷蔵庫で冷ましてから食べるのも美味い。

しっとり系はスイートポテト感あって美味い。

anond:20250110163140

自分無知馬鹿なことを議論根拠に使い始めるやつを排除したらどれぐらい社会効率化されるだろうか

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん