はてなキーワード: 40代とは
出世も転職も結婚も難しくなり、体は衰え、同世代もみんな結婚して、残りの人生のイベントは親の介護と自分の老化、そして死のみ
何が楽しくて生きてるんだ?
自分は20代、相手は40代。子どもがいて、そこそこの頻度で会ってるらしい。
そして、それまでは結婚とか出産に興味がなかったんだが、自分の状況が比較的ドラマチックな気がしてきたので、結婚することにした。子供も欲しいと思っている。
正直、状況としては割と面白いと思うんだけど、意外とよくある話なのだろうか。
自分が子供だったら、生まれた時から知らない兄弟がいるのって、ドラマみたいで少し憧れるんだけど。
まあ、たまに年齢差による価値観の違いというか、ジェネレーションギャップを感じて疲れることがあるから、もしかしたら将来後悔するかもしれないが。
最近余ったお金があると話したところ、友人の紹介で最小金額が1億以上と大きめブリッジローンやらなんやらを紹介されている。
いくつかの案件に参加しているが、契約書締結+先方のファンド会社に金を振り込むだけで8%~12%の間の利回りで年に二回配当が振り込まれている。
業界では知られている会社だし期間が終わって償還されているものもあるためポンジ等ではない。
リスクとしてはそのファンド会社がなくなることだが、今のところ3億ほど入れて均して一年間でおおよそ3千万ほど配当を得られている。
これは何の対価で得られてているんだ?
商品説明もブリッジローンだから期間と最低チケットサイズと利回りくらいしかされない。
・少し前に「看護師と結婚して10年目」というタイトルの匿名ダイアリー(すぐに削除されたので内容は読めなかった…残念)があり、タイトルに親近感を覚えたので、触発されて書いてみようと思った。
・これを書いてるのはとある地方の都市部の端っこに住むアラフォーのおっさん公務員(閑職)
・今の生活に満足
・みんな幸せに暮らせるといいな
昨日(もう一昨日か)、地元で成人式があった。地方だと成人の日(月曜日)ではなく日曜日に成人式を行うところもあるのだ。東京とかから帰省し、旧交を温めてまた戻っていく若者達への配慮だろう。
自分の住んでいる地域は、都市部だが辺境ということもあってか、まだ小学校単位で成人式を行えるような人口規模を保てていて、こぢんまりとしているが、その分アットホームな感じの成人式だ。
少し前に運命のいたずらで地元の自治会のメンバーになってしまい、今年の成人式にも参列することになったが、やっぱり40代から見る二十歳の若者というのは本当にまぶしい。エネルギーに満ち溢れている。
小学校を卒業して8年しか経っていないはずなのに、こんなに大きくなるもんなんだな…自分の子どもも、あと10年もすればこうなるのだろうか。今から晴着姿が楽しみだ。
妻とはマッチングアプリで出会ったが、当時はまだマッチングアプリで出会って結婚、というのがそれほど普及していなかった。職場でも「どこで知り合ったの?」と聞かれるとマッチングアプリで…とは言いづらかったので、合コンで知り合ったということにしていた。
看護師といっても診療科や勤務先(病院・クリニック・訪看etc.)によって勤務形態も大きく異なる。当たり前だけれども。詳細は伏せるが、妻は深夜勤はないが夜勤が週に1~2回のナースだ。
妻が夜勤の日以外は、家族全員で夕食を食べているのだが、それが一日で一番楽しい時間だ。家族みんなで、その日の出来事を、あーだこーだいいながら晩御飯を食べるのだ。
「今日、学校の給食がおいしくておかわりした」だとか「いつもはぶっきらぼうなあの患者が今日はなんか機嫌がよさそうだった」だとか、本当にとりとめもない話ばかりだ。
私は数年前に仕事で精神的に追い込まれて心身に異常をきたした。
だが早期にそれを察知した妻が、すぐに受診できる心療内科を探し、予約してくれたおかげで、比較的短期間で復職することができた。
そのことがなかったとしても、妻のことが大好きで心から愛していることには変わりないと思うが、その経験があったからこそ、家族の何気ない時間のかけがえのなさに気付くことができたとしみじみ思う。
ちなみに婚活、マッチングアプリについて言うなら、私はアプリに登録してかなり早期に今の妻と出会ったので、いわゆる婚活の大変さをほぼ経験しなかったのであまり参考にならないかもしれないが、
あえて言うとすれば「この人とは、肩ひじ張らず自然体の自分でいられるなあ」と3回目くらいのデートで確信したので、あとはそのまま機会を捉えて告白→婚約→結婚という感じだった。
今現在、婚活をしている人たちはいろいろな要素で悩む部分はあると思うが、そういう直感も大事かなと思う。
仕事では、完全に出世ルートを外れてしまって幾星霜だが、「この組織に貢献したい」という思いは変わらず持ち続けているので、この先どんなところに飛ばされたとしても、それなりにやりがいを見つけてやっていけるんじゃないかな、と思っている。
給料も世間一般で見ればよい水準だし、もう十分なのかなと思う。
かつては大好きで独身の頃に休日は一日中やっていたゲームも、もういいか…という気分になってきた。というか土曜日は子どもの習い事への送り迎えがあるし、日曜日は何かしら地域の活動が入っていたりで、趣味に打ち込める時間は正直ない。でも別にそれでいい。加齢とともに感受性は落ちてくるものなのだ。コンテンツをまっさらな気持ちで楽しめないとでも言おうか。
そんな私が今思うのは、自分の子ども世代が大人になったときに、幸せを感じられる世の中であってほしい、ということだ。
少子化に歯止めがかからず、日本全体がシュリンクしていくのは確定している。
残念だが、子どもを産み・育てていくことが、コストとしてばかり捉えられてしまっている。まあ経済合理性から判断すれば至極当然だが、とても残念だ。
それでも。
級友の誰それが亡くなったって話をされた。
いじめられてたから全く繋がりないんだけど、同窓会参加したら欠席が多そうだなと思った。
同僚も、60歳の同窓会に参加したら半分が欠席だったと話していた。
身の回り見てたら40前後で、昔かっこいいなと思ってたバイクを買って、ゆるーくツーリングを楽しんでる知り合いが何人かいるけど楽しそうだよ。
車に比べると値段も維持費も低いし色々楽しいみたいだよ。
40代、50代が周りには多いけど、サウナ巡りはじめたり、秘湯巡りしたり、ジム通い始めたり、新しい趣味を初めて楽しそうな人が大勢いるよ。
なんでもいいんと思うけど、知り合いが増えそうな趣味を1つ始めてみては?
心から愛した人が衰弱し、苦しむ様を見守り、そして見送る悲しみは筆舌に尽くしがたい。想像するにもまだ足りない。
それでも、増田がいたからこそ、奥さんは幸福に感じる時間がたくさん増えたはずだと感じる。
増田が果物を口に含ませてあげたとき、おいしいという言葉が出たのだから、奥さんにとっては間違いなく幸福な瞬間だったと思うよ。
40代は早すぎるね。増田がどうか寂しさや苦しさ、辛さと悲しさから立ち上がれる日が来ますように。本当にお疲れ様でした。無理をしないでね。
妻のがん治療を続けてきたが、どの治療も効果を上げることができず、先月から自宅で終末期の緩和ケアを行っていた。
訪問看護の助けを借りながらも、落ち着かない日々が続いていたが、とうとうその時が来たようだ。
妻とは二人暮らしで、お互いの家族とは遠距離に住んでいるため、すっかり疎遠になっている。
妻ががんと診断されてからは、毎回診療に付き添い、できる限りの支えを続けてきた。
しかし、治療の甲斐なくがんの進行を抑えることができず、病状が急激に悪化して入院。その後、自宅で緩和ケアを行うことになった。
自分は毎日、家事と妻の介護をこなしながら、訪問看護師の対応や手伝いに追われる日々を送っていた。
毎日数回、看護師が来るという生活は思いのほか慌ただしく、自分も妻も十分に休むことができず、心身ともにしんどい日々だった。
それでも、クリスマスには少し奮発して豪華な食事とケーキを楽しみ、年末は年越しそばを作り、正月には鍋物を作ってあげたりした。
しかし、次第に妻が眠る時間が増え、食事も少ししか摂れなくなり、次第に水や果物だけが頼りの生活になっていった。
この頃、自分も妙に疲れてしまい、看護師が来る時間以外は寝てしまうことが多かった。
起きている時は二人でYouTubeを見たりして、わずかな時間を過ごしていた。
妻のアレフガルドに来たばかりのプレイ中のドラクエ3HD2Dを起動したままで。(ラーミヤがもっさりし過ぎて数日やめなかったらクリア出来ていただろうか?)
世間は長い連休だったようだが、その休みが明けた頃、妻との意思疎通が急にできなくなった。
がんが脳に転移して、その症状が出たのだろう。
それ以降は水分補給も難しくなり、弱っていく妻を見守るしかなかった。
1日に数秒だけ、言葉を理解しているように見える瞬間があるが、意識が覚醒するたびに「体が痛い」「苦しい」という訴えが繰り返される日々だった。
最後に妻が口にした食事は冷凍の果物だった。意思疎通があやふやな状態でも少しだけ食べることができたのだ。
水はもう飲めなくなっていたが、氷や冷凍果物はなんとか口にできた。
氷を口に含ませながら、「これで水分補給ができるね」と話していたことを思い出す。
その夜、冷凍みかんと冷凍イチゴを用意すると、妻は「おいちい、おいちい」と嬉しそうに食べていた。
「ごちそうさま、もういい」と言うので冷凍庫に片付けたが、戻ってくると妻は手をテーブルに置き、「もうない、残念。もっと食べたい。残念」と哀しそうにつぶやいた。
「まだまだあるよ、食べる?」と聞くと、妻は「もっと食べたい。眠い。1時間後に食べる。起こして」と言って眠りについた。
しかし、1時間後に起こした時には意識が朦朧としており、氷を食べるか尋ねると「食べたい」と答えたものの、嚥下が難しくなっていたため、すぐに口から取り出した。それ以来、意識がはっきりすることはなかった。
今思い出しても悲しくなる。すぐに果物を出していっぱい食べたと言わせるべきだった。今も冷凍庫の中にたくさん残っているというのに…。
その後の日々では、意識が覚醒するたびに体の痛みを訴える妻に麻薬を追加投与する生活が続いた。機械のボタンを押せば投与できるのだ。
さらに、痰が詰まる苦しみが加わり、ひどくなった時に看護師を呼んで吸引器で対応してもらったが、妻はそれをとても嫌がった。苦しいし気持ち悪いし辛いと言うのを前に入院した時に聞いていたので良く分かるが、それでも少しでも痰を取り除くしかなく、その間、妻の苦しむ表情を見るのがつらかった。
そんな日々でも、一日の中でほんの数秒でも、言葉を理解して反応してくれる瞬間があったことは、ささやかな救いだった。
そんな日々に何もできない自分が悔しくて、泣きながら「苦しませてごめん」と謝るしかなかった。
それに「愛してるよ」「大好きだよ」と元気なうちに最も伝えるべきだったと後悔した。
麻薬の効果が十分ではなく、体の痛みを完全にコントロールできない中、昼夜を問わず追加投与する日々が続き、自分もほとんど寝られなかった。
心身ともに追い詰められる中で、先日、点滴で眠らせるような薬を追加することになり、ようやく妻は安らかに眠れるようになった。
その穏やかに眠る姿を見て、久しぶりに自分も体を休めることができた。
妻の脈は次第に弱くなっていき、今日か明日にも…と医師から告げられた。
子供はおらず妻が居るからと生きてきた数十年。自分はこれからどう生きたものかな。
よく分からないや。
疲れてしまったのでここまで。
他に、家族に容体を伝えたこと、妻の友人に伝えたがちょっと迷惑な反応で心労が溜まったこと。看護師さんの何気ない言葉が妻をひどく悲しませたこと。終活の準備が全然出来ていないことなどを書くつもりだった。
元気や機会があれば書くかもしれない。
長文書ける人ってすごいな。
いずれも通常回の(再)放送はありません
BSジャパネクストがリニューアル BS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
・01 (2)大寒
・04 (1)トキ
・06 (3)45(個
・07 (2)ソクラテス
・08 (3)むかつく(半島
・09 (1)四 十円
・02 [植物]すいれん
・04 [動物]かなりあ
・05 [国]スペイン
・06 [魚]めだか
・08 [食べ物]けんちんじる
・09 [日本の市]のおがた
・01 7(年
・02 300(点
・03 6(画
・04 36(キロメートル
・05 4(人
・01 カナダ
・02 スワロフスキー
・05 跳馬
・06 三日(天下
・07 MAZZEL マーゼル
・09 ベル・エポック
・10 パク・ソジュン
・12 雪はふりつつ
・13 [何の略]ノックアウト
・14 [略さず]社会保険労務士
・15 黒幕
・16 4(年
本選
・02 プッチーニ
・06 ベテルギウス
・08 シカゴ・カブス
・09 [近似値]2204万9544人
・14 おしくらまんじゅう
・15 クリストファー・ロビン
・17 6(年
・19 ネオン
・21 織田裕二 おだゆうじ
・25 きりたんぽ(鍋
・27 簡易(裁判所
・28e 坂本龍一 さかもとりゅういち
夜の部のアップは後日になります
自分が考えたキャラを出し合ってマッチングさせて恋愛して創作イラストをかく。
いいね毎回押して、他人を褒めて仲良くして、コミュニティの中でどうのこうのやって、
会話して想像膨らませてキャラ交流するみたいな遊びのジャンルがある。
時には恋人みたいに毎日通話し合ってリアコガチ恋みたいなクソデカ感情のやり取りをするっていう
会話内容は、多分自分のオナニー用BLエロトークとかがよく見える。
この激ヤバ?そうな遊びを、30代40代の主婦とかまでやってる。
少し前まで、日々の仕事にやりがいを感じながら、どちらかといえば「真面目に働くタイプの人間」だと思っていた。大学を出てから、ずっと同じ会社で働いてきたから、仕事の内容にも慣れていたし、同期や先輩との人間関係もそこそこ良好だった。「このまま長く勤めて、社内のいろいろな仕事を覚えていきたい」――そんなふうに思っていたのに、今はもう会社を辞めることにした。しかも自分の口からではなく、退職代行サービスを使って。理由ははっきりしている。上司からのパワハラが原因で、鬱状態になってしまったからだ。
ここまで精神的に追い詰められるなんて、少し前まで想像もしなかった。自分は割と打たれ強いと思い込んでいたし、辛いことがあっても耐えてこられるタイプだと思っていた。でも、あの上司の言動は想像以上だった。人格を否定するような暴言が積み重なっていくうちに、心が少しずつすり減っていき、「もうこれ以上は無理だ」と限界を感じるまでに、あっという間だった。
その上司がうちの部署に異動してきたのは、今から約1年前。前任の上司は女性で、とても柔らかい雰囲気を持っており、チーム全体のバランスをうまく取ってくれる人だった。困ったことがあれば真っ先に相談に乗ってくれ、仕事の調整もしやすいよう配慮してくれていたので、部署の雰囲気はかなり良かったと思う。ところが、新たに来た上司はまったく違った。40代後半くらいの男性で、外見こそ落ち着いた印象を与えるものの、その実、部下に対しては恐ろしく攻撃的な態度をとることが多かった。
とにかくミスに厳しいのは仕方ないとしても、怒るときの言葉遣いがあまりにも強烈で、度を越えている。たとえば、資料の誤字脱字が見つかっただけで、「こんな低レベルな間違いをするなんて信じられない」「お前に仕事を任せたのが間違いだ」と、社内のほかのメンバーがいる前で平気で怒鳴り散らす。しかも、そのあとすぐに「女はこういうとこでダメなんだ」「使えない」などの言葉を続ける。あまりに一方的で、意見を言おうものなら「言い訳すんな」と遮られるだけ。言葉の暴力が終わったころには、周りも気まずい空気に包まれ、誰も口を開かなくなるのが常だった。
最初のうちは「この人も、新しい部署で実績を出さなきゃならないから焦っているのかも」とか、「ちょっと厳しいタイプの上司なんだろう」と自分に言い聞かせて耐えていた。でも、その叱責は明らかに個人攻撃の域に達していた。周りの同僚たちも、その上司に呼び出されては怒鳴られ、どこかで誰かが泣いている……なんて光景もあった。部署内の雰囲気は日に日に悪くなり、みんな上司の機嫌をうかがいながら働くようになっていった。
やがて、私への攻撃がさらに厳しくなったのは、備品管理システムの更新作業のときだった。小さな入力ミスをしてしまい、社内の在庫数に多少のずれが生じた程度で、実害はほぼなかった。それでも上司は「チェック体制が甘い」「仕事をなめるな」と息つく暇もないほど叱責を続け、最後には「こんなやつはいらない」とまで言い切った。周囲の人がとりなしてくれようとしても、「口を挟むな」と追い返される。あのときの恐怖と屈辱は今でも鮮明に覚えている。「自分が悪いのかもしれない」と思い込もうとしたが、それにしても言い方が尋常ではなかった。
当然、私だけでなく他の部署メンバーも疲弊しきっていた。ミスをしないよう神経をすり減らし、確認作業ばかりに時間を取られる結果、ますます残業も増えていく。そのうえ「報告が遅い」「段取りが悪い」と叱られるのだから、どうしようもなかった。とりわけ私は、直接の部下としてもっとも近い距離で仕事をすることが多く、ターゲットにされやすかったのかもしれない。
気がつけば、朝起きるだけで胸が苦しくなり、通勤電車に乗ると息がうまくできないような気分になることが増えた。夜も、次の日に怒鳴られるかもしれないという不安で眠れなくなり、不安感で涙が止まらなくなることもあった。週末にゆっくり休んだはずなのに、仕事が始まる日曜の夕方から頭痛と動悸がする。完全にストレスで心身のバランスを崩していた。
そんな状態で限界が来て、とうとう心療内科に通うことにした。はじめは会社の近くの病院に行く勇気がなく、少し離れた駅のクリニックを選んだ。そこで「鬱状態ですね。しばらく休養が必要です」と診断を受け、会社宛てに診断書を書いてもらったが、それを提出するのも怖かった。部内の同僚や先輩たちは「よく頑張ったね」「しっかり休んで」と言ってくれたけれど、問題の上司は「精神面が弱い」「仕事への意識が足りない」と言い放ち、机に診断書を投げるように置いた。その瞬間、「ああ、この人の下ではもうやっていけない」と確信した。
診断書を理由に休職を取ることが許可され、しばらく自宅で過ごしたが、その間も「戻ったらまたあの上司と顔を合わせなければいけない」という恐怖が頭から離れなかった。「辞めたい」という考えが何度も浮かぶのに、一方で「こんなことで逃げたら負けなのでは」と自分を責める気持ちもあった。会社に長く勤めることを前提に頑張ってきたし、同期や先輩ともこれまで築いてきた関係がある。それを手放すのは怖かったし、何より「上司に怒鳴らされて鬱になりました」と言って辞めるのは、なんだか自分が弱い人間だと認めるようで嫌だった。
でも、休職が終わるころ、夜になるとまた眠れない日々が戻り、朝になると動悸がして足がすくむようになった。食欲も落ちていき、やっとの思いで職場に行っても、上司を見ただけで胸がぎゅっと締めつけられるように痛んだ。試しに少しだけ仕事を再開してみたものの、以前のように頭が回らないし、資料を読んでも内容が頭に入ってこない。周囲のフォローがあったとしても、上司は「いちいち言われないとわからないのか」「ブランクを言い訳にするな」ときつい言葉を浴びせてきた。結果、結局また体調が悪化していくばかりだった。
そんなとき、友人から「退職代行という方法があるよ」と教えられた。それは文字通り、本人の代わりに会社へ退職の連絡をしてくれるサービスのことらしい。正直、「そんなことまでして辞めるなんて、社会人としてどうなの?」という偏見が、私の中にはあった。でも、今の精神状態ではとてもじゃないが直接上司と話し合うことなんてできない。一度「辞めます」と切り出そうと試みたが、怒鳴られる光景が頭に浮かぶだけで呼吸が苦しくなり、体が固まってしまいそうになる。「もう、このまま心が壊れるくらいなら、世間体なんて気にしないほうがいいのではないか」――そう考え始めたら、気持ちがいくぶん楽になった。
インターネットで「退職代行」と検索してみると、思った以上に多くの会社や事務所が存在しているのに驚いた。料金やサポート内容を比べ、24時間対応してくれそうなところに連絡してみた。電話をかけるのも勇気がいったが、担当のスタッフは穏やかな口調で話を聞いてくれ、「大丈夫ですよ。お任せください」と言ってくれた。今までずっと、上司から怒鳴られる恐怖で身を縮めてきたから、誰かが味方になってくれるというだけで涙が出るほど安心した。
手続き自体は思っていたよりもシンプルだった。こちらの基本情報や状況を説明し、後日担当者が会社に連絡をして、私の退職の意志を伝えてくれる。「もう本人は出社せず、やり取りもこちらですべて代行します」という流れだと聞かされたとき、「こんなにスムーズに辞められるの?」と驚いたと同時に、ほっとした気持ちになった。もちろん、その後会社がどんな反応をするかは想像がつかなかったが、少なくとも私自身があの上司と直接対峙しなくて済むと思うと、体の力がスッと抜けていくのを感じた。
そして、退職代行会社から「正式に連絡しました。もう出社は必要ありません」と伝えられた日。ほっとしたような、罪悪感のような、言葉にしがたい感情が湧き上がった。実際に通用するのだろうか、後からまた連絡が来たりしないだろうかと不安になったが、その後しばらくして会社の総務担当から、残りの手続き(健康保険証や書類の返却など)について連絡があり、郵送でのやり取りができることになった。すべてが終わったとき、「本当にもう会社に行かなくていいんだ」という実感が湧いた。
退職代行を使ったと知ったら、上司は「逃げたな」と笑っているかもしれない。しかし、私はもうその笑い声を聞かなくていい。ミスを責められ、人格を否定される恐怖に晒されることは、少なくとも今の段階ではなくなった。会社を離れて数日経つと、今まで何があってもままならなかった睡眠が少しずつ落ち着き、朝起きたときの胸の重さも和らいできたのを感じる。こんなにも心が楽になるものなのか、と自分でも驚くほどだ。
もちろん「もっと別の方法がなかったのか」とか、「最後くらいきちんと上司に辞意を伝えるべきだったのでは」と考えることもある。でも、あの状況では冷静に話し合うなんて無理だったと思う。パワハラや言葉の暴力は、人の思考力や判断力を奪うほどに強い影響を与える。あのまま耐え続けていたら、きっともっと取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
会社を辞めた今、まずは心身を回復させることに専念しようと思っている。体力が戻ってきたら、また新しい仕事を探すなり、勉強を始めるなり、別の生き方を模索するつもりだ。昔からずっと会社に勤め続けるのが当たり前だと思っていたが、必ずしも一つの組織にしがみつく必要はないのだと痛感した。世の中にはいろいろな仕事や働き方があるし、自分が生きる場所はきっと他にもあるはずだ。
あの上司の下で続けるという選択肢が消えた今、逆に視野が広がったようにも思える。少なくとも、また毎朝動悸に悩まされながら通勤することはなくなった。体調に余裕が出てきたら、久々に本を読んだり、散歩をしたり、友人とゆっくりお茶をしたりして、少しずつ自分を取り戻していきたい。
もし同じように、パワハラに悩んで鬱状態になっている人がいたら、「退職代行」を使うことも一つの手段として考えてほしい。たとえ「逃げるように見える」としても、限界まで頑張って心や体を壊すよりはずっとマシだ。職を失うことはたしかに不安もあるけれど、無理をして最悪の結果を招くよりは遥かにいい。退職代行のようなサービスがあるのは、「会社を辞めたいけれど上司に言えない」「顔を合わせるのが怖い」という人がたくさんいる証拠なのだと思う。
自分の気力や体力が限界を超えると、人は思考がままならなくなる。そんな状態で「社会人としての責任」だの「根性が足りない」だのと言われても、その言葉が追い打ちとなって心を壊してしまうことだってある。どんな人も、自分が危険だと感じる環境からは逃げる権利がある。ましてや命を削ってまで働く必要はないのだと、今回の経験を通じて実感した。
退職代行という選択は、まだ世間的には議論の余地があるのかもしれない。でも、あのときの私には、それが唯一の「安全な出口」だった。その出口をくぐって初めて、これからの人生を見つめ直すことができるようになった気がする。あの上司には、もう二度と会いたくはないけれど、あの体験を通して「自分を守る決断の大切さ」を学んだと考えれば、無駄な時間ではなかったとも言えるかもしれない。
いま、退職してから少しずつ日常を取り戻しつつある。朝日を見て「今日も一日頑張ろう」という前向きな気持ちになれる日はまだ多くはないが、以前のように「また怒鳴られるかもしれない」「どうせ自分なんかダメだ」と怯える時間は確実に減っている。これだけでも大きな進歩だ。今後どうするかはゆっくり考えればいい。焦らず、無理せず、自分らしく生きる道を見つけたい。
最後に、もし同じような境遇で苦しんでいる人がいれば、「辞めるのは負けじゃない」と伝えたい。パワハラ上司に立ち向かう以外にも、逃げるという選択肢がある。何を言われても構わない、自分の命と心を守ることが最優先だ。退職代行の利用を迷っているのなら、一度情報を調べてみるだけでもいい。「こんな方法があるんだ」と思うだけで、少しは気が楽になるかもしれない。そして、ほんの少しでも希望を見いだせたなら、自分の一歩を踏み出してほしい。会社はほかにもある。働き方もいろいろある。自分の人生は自分のもの。だからこそ、どんな形であれ、生き延びてほしい。その先でまた、新しい道が必ず見えてくるのだから。
10代20代は若さと可愛さを武器にできて、30代になっても可愛いアピールしてたら、きついけどそこが良いと言われ、40代になったら母性があって良いと言われ、50代になったら熟女が好きと言われ…
一方で男はずっと顔、金、地位。
そういえば昔、当時40代くらいの先輩が10個下くらいの後輩に奢る時に「俺は奢れるくらいもらってるから気にすんなよ」みたいな物言いをするのを後輩たちがすごい嫌ってたんだけど、自分はふーんと思うだけで別に嫌に思わなかったけど男同士で奢る奢られる、収入マウントみたいなのってやっぱ嫌われるんかな
40代くらいまでの人はだいたい煙の中で育ってる。
今となっては信じられないが、子供の頃は飛行機もレストランも職場も職員室もどこに行ってもタバコの煙が充満してた。ホテルもタクシーもタバコを吸うのが普通だった。タバコの灰皿がない場所なんてなかった。ここは喫煙などと言うと非常識扱いされて、無視して吸う人が大多数だった。マッチもどこにでもあった。家の壁はみんな茶色かった。うちの実家も白い壁紙の貼られた壁の上の方60cmくらいだけ茶色になってる。壁に飾ってる額を外すとその裏だけ白い。
それでもまあみんな元気に育ってるわけよね。この辺の疫学的な研究ってなされてるのかな。
別に大袈裟と言いたいわけではないし、喫煙者と隔離した方がいいに決まってるんだけど、ここまで価値観が変わったのすごいなと心底思う。変わったのは1990年代頃か。工場や車の排気ガス規制がようやく効いてきて、空気が本来透明であることにみんな気づき始めたのだろう。それまで外に出ても工場や車の排気ガスや野焼きの煙により汚れた空気が普通だったのでタバコの煙くらいだれも気に留めなかったのが、きれいな空気の中でタバコの煙が目立つようになったのだと思う。