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2024-12-13

グスコーブドリの逆襲

増田はグスコーブドリの逆襲というタイトル童話を知っているかな。

昔々、豊かな森に囲まれた小さな村がありました。その村には聡明で優しい心を持った青年、グスコーブドリが住んでいました。彼は村のために尽力しており、自然を愛し、村人たちからも愛されていました。しかし、ある日、村の平和を脅かす存在が現れました。それは、宇宙からやって来た謎の男、シャア・アズナブルでした。彼は何かを探しており、その手掛かりを得るために村を混乱に陥れようとしていました。

ある晩、グスコーブドリは森の奥で奇妙な光を発見しました。そこにはシャアが操る巨大なロボットがありました。彼はそれを使って美しい森を破壊し、何かを手に入れようとしていたのです。グスコーブドリは村を守るために立ち上がり、独自知識と森の神秘的な力を結集して対抗しました。

グスコーブドリはシャアに戦いを挑みましたが、シャア技術冷徹さに圧倒されそうになりました。しかし、シャアの本当の狙いは宇宙の遥か彼方にあり、村には直接的な害を及ぼすことはないと知ったグスコーブドリは、シャアにある条件を提案しました。村と森を守る代わりに、彼が探しているものを一緒に見つける手伝いをすることです。

シャアはグスコーブドリの提案を受け入れ、二人は協力して宇宙秘密を解き明かす冒険の旅に出ました。そして、その過程で互いの信頼を深め、最終的にシャアは村を襲う意図を捨て去り、宇宙の未知なる可能性に目を向けるようになりました。

こうして、村には再び平和が戻り、グスコーブドリは村人たちからさらに大きな尊敬感謝を受けました。そしてシャアもまた、真の友情を知ることができました。

教訓:対話と協力には、お互いに新たな道を切り開く力がある。

ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.

2024-12-05

資源の枯渇とか、気候変動とか、新型のウィルスとか、人類の叡智を結集しないと文明が滅ぶってわかってるところまで来て、つまらん争いで世界混沌としてきてるの、マジ人類

やっぱり滅びるしかないんやろな

2024-12-03

もし、AKIRA原作漫画ではなく小説であったならば、

ポエムにはならないはずなんだよね

小説ポエム書いちゃうと、ラヴクラフトの詩もそうだけど、映像化は不可能というか、寧ろ詩から想像をかなり膨らませて映像にすることになっちゃ

例えば、ラノベ涼宮ハルヒだとかでもいいけど、小説文字表現からアニメになる、映像になると、基本的にはストーリーが詰まってる

文字で言い表せるんだよね、物語ちゃんとしてる、当たり前だけど元が小説から

でも、AKIRAというか、特に初期の大友とかは漫画から、絵だから表現できたわけで、絵で描かれたポエムなんだよね

物語として考えるとフワフワしてる、でも、エヴァもそうだよね、雰囲気だけでも、漫画以上の映像アニメではそれが可能になる

絵で表現されたポエム理屈はどうでもよくて、視覚効果として気持ちが良ければいい、究極的にはモーションタイポグラフィーとかにもなる

とにかく、観ていて気持ちがいい、その場その場で取り繕ったようなシーンだろうが、セリフ回しが気持ち良ければいい

押井作品とかもそう、宮崎駿押井氏をそんな風に評価してたこともあったよね、難解な台詞とか表現してるけど、実際は中身がない

でも、それが作品雰囲気というか、重い空気を作り出したりしてる、繰り返しになるけどエヴァもそう

涼宮ハルヒアニメ小説に逆変換することは当然可能で、逆変換すれば元の小説になる、それなりの厚さの文字列になる

でも、AKIRA小説にしても、なんか薄っぺらなっちゃう気がする

こんな爆発をする、こんなビルがある、そういう映像凄さ文字表現にしたら、凄い薄っぺらなっちゃうと思う、AKIRAみたいな映像重視の作品

別にそのどちらかが正解というわけではなくて、作品の構築方法、攻め方が違うだけであって、どっちも凄いし、どっちも存在していい

まあ、でも、AKIRAエヴァも、あー、雰囲気ポエムきたー、みたいにツッコミながら視聴ちゃうんだけどね、それも楽しいんだよね

まあ、スタッフロールが全員、末端動画まで日本人だし、まだバブル崩壊後でも余裕がある日本だった時期の映画でもあるし、

今だったら、中国人韓国人スタッフ名前が並ぶけど、まあ、それなりのクォリティーになってきたというか、

中国国内政治とかがああでなければ、もっと自由表現日本を超えるぐらい面白いものを作れる可能性も出てきたけどね

やっぱ、AKIRA全日本アニメ勢力スタジオとかを結集した感じがあるよね

それだけ結集できたのは、みんなが大友氏の漫画に、絵に、表現に魅了されたわけで、やっぱりそれって凄いよな、って思う

鳥山明でさえ影響受けてるよね、AKIRAアニメ見るたびに思っちゃうけど

荒川弘もそうだし、魍魎戦記マダラもそうだし、バスタードは当然そうだし、なんかもうみんな大友記号として受け入れてるよね

ガイバーも球状に壁が凹むとか普通にやるしね

なにかってと球体とか好きだよね、AKIRA見てると

老人とか子供を描くのが好き、女性はつり目でツンツンしてる娘が好き、球体とか単純幾何学形状を大枠に、それをまた緻密に描くのが好き

2024-11-17

もう老人やサヨやマスメディアスクラム組むと逆効果とはっきりしたでしょ

1 流れが読めぬ老人たち

おれ兵庫の件は全然知らんし興味薄い

趣味の場で週2回会う同年代高卒自営業(彼は斎藤立花支持)から情報だけなんだけどさあ

  

まず

20くらいの市の市長が連名で斎藤に反対の声明だしたって聞いて

うわーそれはマジで不味いと思ったんだよな

 

だってそんなことは市長に口出されることじゃないぜ?

有権者からすりゃ「指図された」ってなるに決まってる

市長が言ってるから従おうなんてなるべきじゃないし、ならんよ

異様な印象を刻み付けるだけ

 

で、たいして親しみのないどっかの市長20人と

斎藤さん」「立花さん」の解像度になってる親しみのある人物像と

明確な対立構造なんか作られたらどっち味方すると思う?

 

こんなの本当にガキでもわかることだぞ

市長の連名声明やろうなんて言い出したバカ

斎藤再戦の功労者だぞ

スパイか超無能かどっちかだぞ

 

「指図された」になるのはまだいいほうで

陰謀論強度高い有権者は「やはり何かある」と確信を深めるよな

高卒自営業も多いに不信感を持ってたよ

斎藤陣営のノリを見ててそういう効果予想できなかった?

無能すぎるだろ

  

2 嫌われてるのを自覚したがらない左翼たち

それで有田ヨシフとかしばき隊とかが兵庫入りしたのもダメすぎた

俺は立花有田しばき隊区別なく同レベルのアレだと思ってるけど

立花は機を見るに敏というか変なカリスマ性はあるのにたいして

有田しばき隊なんて本当にただただ鼻つまみもん嫌われもん

参戦することにマイナス効果しかないだろ

 

この間の選挙でもそういう行儀悪いオール左翼候補応援体は総崩れだったんだから

世間はもうあの手の人たちにたいして明確にマイナス好感度だってわかったろ

  

から稲村を勝たせたいなら家でじっとしておくべきだったのに

現場応援に行ったりするから頭を抱えるんだよな

彼等の参戦を狂喜して拡散したのは稲村応援側じゃなく斎藤応援側だったよ

「あれが敵陣営ならやっぱり我々は正しい」ってなもんよ  

  

3 説得力で負けるメディア

メディア説明が負けてるのよ

立花の語りの方が有権者の頭に入ってくる

なのにメディアは公正中立と行かずに

はっきり方向性を感じさせちゃうじゃん?

 

有権者脳内ではメディアから方向性感じた時点で

メディア立花は同レベルなっちゃうのよ

どっちも方向性のある人たち

 

そしたらより人間味を感じさせて

より解像度の高い語り口の方に親しみ持つに決まってんじゃん

まりメディア無能な上に不偏不党ですらないか

そういう「信頼」を毀損されきってて

口のうまさや距離の近さ対決になってるわけ

 

そしたら立花には勝てないよな、

だってメディアの中の奴らは大体あのトップチンピラより無能だもん

気迫胆力場馴れ口の上手さ顔の近さ

メディア立花に勝てないね

 

 

別に立花がはじめて現れた英傑とかじゃなくて

扇動者ってのは人類社会には繰り返し現れてきたけど

近代社会健全ジャーナリズムってものがそれを封じ込める筈だった

 

でも実際にはマスメディアって全部クソだろ?

現代メディア中の人間一人一人の知能や人格に触れられてしま

社会の木鐸でもなんでもない、

頭が悪いのに思い上がった老人がだらしない人格で片寄ったこと書いてる落書き帳だとバレた

  

既存メディア権威信頼性を自ら毀損たか

これからはもう立花みたいなのに対抗する手段がないの

これは陰謀論じゃなくてただの人気勝負だよ

 

老人世代のサヨとマスメディア

やってはいけないことをやりつづけた

そのせいで立花みたいなのと平場で腕力勝負する羽目になってる

立花は人品卑しいけど奸雄的な能力には優れてて

なんの能力もないサヨやメディア腕力勝負で勝てやしない

  

 

もう老人やサヨやメディアスクラムしても

誰もそこに権威や信頼を感じなくなってしまった

当人たちの傲慢無能と長年のズルのため

スクラムするほど逆効果にすらなるようになったってこと

  

老人にとってこの先の社会はずっと悪夢だと思うから

はよ死んだ方がいいよ

それか端末閉じて田舎晴耕雨読の余生を送るのがいい

  

  

ブコメ

akutsu-koumi

結果が出てからあれが勝因だ、これが敗因だと理屈を付けて解説するのは誰でもできる。なのでこの記事にもパーを出した相手に後からチョキを出して勝った人を見かけた程度の気持ちしかならない。なんの啓発もない。

2024/11/18

もう一人も個性のない同じことかいてるけど要するに

「お前の書いてることは事前にわからなかったことだー!」

だってw

   

さすがに負け惜しみがすぎるでしょ

都知事選では蓮舫石丸にも負けて落選

衆議院選では有田萩生田にも負けて落選

兵庫県知事選でまた斎藤に負けて落選

 

いずれも不祥事直後でメディアに物凄い叩かれてる奴に

必勝の構えで挑んで負けてんだよな  

まりパヨパヨした中高年が結集した選挙

勝てなきゃおかしいだろみたいなとこでも落としてるの連続

  

こう同じパターンと同じ結果を繰り返してるのに

予測不能だった!」「後知恵だ!」「偶然だ!」

そんなこと言い張ってなんになるの

オジジもオババももう向き合おうよ、現実

  

 

石丸に勝った後任はここにある負けパターンあんまやってない

プレーンで真面目でちゃん仕事できます、だけ

小池百合子乱闘には全く乗ってこなかった

相手瑕疵があるんだからそれが当然の正解なのに

わざわざボルテージあげて人気対決にして負けてんだよ

 

そう、好感度対決にしちゃって負けてんの何度も

からもう自分たちが嫌われもんなことくらい自覚して作戦たてりゃいいのに

しろ人気者やスターぐらいの立ち居振舞いするよな

   

社民党党首が来てくれました!」 

有田さんが来てくれました!」

しばき隊が来てくれました!」

これで一般有権者から歓声上がると思ってるのマジどうかしてる

間内で誉めあったりしてるから感覚バグるんだと思うぞ

世間からずれきった白髪頭ども

  

あーだから

負け惜しみだろ」とは書いちゃったけど

こいつらマジで事前にこれが見えてないのかもな

  

何がどういう風に自分達の不利に働いてるのか、

どういう負けパターンになってるのか、

ってことが 

  

ブコメ2

ireire

逆効果だと思ってるなら、泳がせればいいと思うんだけど、なんで書くんだろ

2024/11/18

彼等には修正能力なんかないので

こんな話してもキーッて怒るだけだよ。

彼等は目的のためじゃなくて自己実現のためにやってるから

  

俺は彼等に邪悪目的があるとかは少しも思ってなくて

ひたすら低能なんだと思ってるの。

からもし俺のこの話聞いて反省して修正できたなら

それはもう俺の嫌悪するサヨではないのよ。

出来ないけどね彼等には。  

  

「壺はどうなんだ」みたいなブコメあるけど

あいつらは老人サヨに比べりゃ極めて正気だぞ。

あいつらの内部には「人類最高のお母様韓鶴子マンセー」みたいなノリがある筈だけど

選挙応援するときにそんなことおくびにも出さねーだろ。

ひたすら裏方の労働力に徹してる。

 

統一教会信者キチガイでも

指導部は極めて正常な認知能力があるんだよ。

「ウチとソト」を使い分けてる。

自分達が外部の一般から見ればキモいだけとわかってる。

内部の感情論理では素晴らしいスター級の人物でも

一般有権者から歓声もらうことなんかないと理解してる。

 

その程度の認知判断すら出来てないんだぜ老人サヨや旧来メディアは。

壺よりはるか能力劣るわけ。

2024-11-09

トランプの第二期って、ちょっと面白いんじゃない?ちょっとクワクしてきた

イーロン・マスク政権に参加したりしてさ。

今までのつまんない民主主義がどうのこうの、とかいいながらロシア人を怒らさないように限定的リミテッド支援しかウクライナにしないような賢いだけの馬鹿たちの政治よりもずっと面白いと思う。

これまでの世界秩序?的なもの固執する老人たちには受け入れがたいんだろうけれど、これまで世界を固定していたつまらない枠が外れて変化が起こることは決して悪いことじゃないよ、きっと。

なんかこれまで無視されてきたようなアメリカのパワーを全部結集していくような政治になっていくんじゃないかな。

2024-11-05

生成AIエロ画像、こんなに捗るとは

近頃pixivエロ画像検索すると更新されているのはAI生成の画像ばかりである

同じようなシチュエーション同じような絵柄を使い回している投稿者もしばしば。そんなパターン化したエロ画像で抜けるかよ、そう思っていた。

待てよじゃあ俺の脳内なら無限シチュエーションが具現化できるんじゃね?こんなにポンポン出せるなら俺も出来るんじゃね?やってみるか!

やってみた。できた。すごい。

どこかの誰かがおそらくはブラック手法学習させたモデルを読み込むと本編とみまごうようなクオリティ二次創作エロ画像簡単に出てくる。たまに解剖学的に変な絵も出てくるが気にしない、またボタンを押すだけだ。そもそもエロ画像に正確な描写なんて求めちゃいない、嗜好が合えば大体のことは目をつぶれる

なんといっても最高なのは割と化石のようなキャラクターモデル存在する事だ。

俺のようなジジイ学生の頃にお世話になった、旬をとっくに過ぎ去って忘れられたキャラクターたち。エロ同人など到底見込めないレガシー

それらがボタン一発だ。トッピングも盛り放題だ。俺の性嗜好はだいぶ歪んでおり、マイナーキャラにかけ合わせるとまずストライクゾーンに入る二次創作にであえないが、こんな解決方法があったとは。

なんてことだ俺の青春がこんな形で帰ってくるとは。

キャッキャしながらエロ画像を山盛り出力したあとに見て気付く。

同じようなシチュエーション同じような絵柄ばっかりである。俺もpixivのやつらと同じやんけ。

なんのことはない、自分にとって最も使える要素・嗜好を結集させたら同じようなものが並ぶわけだ。パターン化待ったなし。

以来pixivを眺めると「なるほどそれが君のストライクゾーンか」と彼らを理解した気持ちになれた。

もっとも、グレーな手段作成した画像投稿する気持ちだけはよく分からないままだが。

2024-10-29

来年大地震が起きてハンバーガー大王地獄から復活する

ハンバーガー大王は巨大化し日本列島で暴れまくる

そのときハンバーガー派五人衆は再結集

暴力によるハンバーガー帝国創建日本支配を目論む

これを受けてお米ちゃんラーメンくんとその他は手を組みこれに抵抗する

陣営に分裂した自衛隊警察官民間義勇兵をそれぞれ指揮し激突するのだ

お米ラーメン陣営が健闘虚しく敗走していくなか

ついに禁断の手段

酢豚男を檻から解放する

真の力に目覚めた酢豚男は巨大人兵器へと変貌しJAXAホンダ理研共同開発したバイオライフルを引っ提げてハンバーガー大王に挑む

果たして勝利玉座には誰が座るのか?

2024-10-17

急募リアル美緒48歳なんだけど、体重が100kg超えてしまって困ってます

誰か、なにかいい案ありませんか?👩

どんなものを食べたらいい、どんなものは食べるな、どんな運動しろ、なんでもいいです!

今こそ、はてなの優れた集合知結集するべきとき

2024-10-11

ワクチンを見ていると真の超党派連合が見られて心が躍る

左翼過ぎて左翼に賛成できなくなった人を極左と呼ぶ」とどこかに書いてあったけど、

ワクチンには極左から極右まで、エリートから古事記まで、日本反政府団体から仮想敵国某国反政府団体まで、あらゆる政治カテゴリー結集していて熱い。

熱すぎて、ふーふー吹きながら表面のちょっと冷めたところを啜るだけでお腹いっぱい。

あいうのを煽って儲ける仕事も、おもしろいっちゃおしろいんだろうなあ。

2024-10-08

石破総裁爆誕で、自民を見限ったネトウヨはてっきり日本保守党にでもいくのかと思ったら、党首百田右翼界隈でも揉めるせいで、なかなか右翼勢力結集とはならないらしい。

代わりに維新国民民主あたりが伸びそう。

2024-10-05

anond:20241005141824

おじいちゃん結集するより、サルかに合戦に参加したメンバーを再招集した方がよほどドリームチーム感ある。

なんか、アッセンブル!な感じあるからね。あの人たち。

2024-09-24

万博成功に導く方法

考えよう

増田の叡智を結集させて

我々は、批判するだけしかできないのではない

思考によって何かを生み出す、

そのために、増田を始めたという節もあるはずだ

うんこ漏らしてばっかだった

でも最後に笑ったものがぜんいん優勝です

考えたか

じゃあ、おれからいくぞ

準備はいいか

3!

2!

1!

0!

「お客をいっぱい呼んで、楽しんでもらう!!」

どうだ?

さぁ、次はお前の番だ

3,2,1、ハイ

2024-09-15

世の中の物語は、極端なファンタジーか極端なリアリティに逃げ過ぎな気がする

足が地に着いた物語が読みたいが、コンプラとか言うやつのせいで、本当のリアルは描けなくなってしまっているのだろうか?

訴えられるリスクがあるからお話ファンタジーに逃がすか、お話を超局所的な内輪話に逃がすしかないのだろうか?

だとしたら、物語はもう人間結集する力はない気がする。同じ物語に皆が集うことはない気がする。

ファンタジー現実の分断、超局所と超局所の分断のためにしか存在しない気がする。

2024-09-11

anond:20240911101150

歌舞伎の実技の才能はわからないが、海老蔵とか、顔面スタイルに才能が結集してるのはわかる

2024-08-30

anond:20240829195553

教養」って知のデータベース(と、それへのアクセス権限)なので、

 ・教養があることで省略できることが多い(いちいち車輪から発明する必要がない)※1

 ・新しい出来事に対しても自分一個でなく結集された英知を結集して思考できる ※2

 ・それらの経験を通して自分という一個の人間能力自体も成長が期待できる ※3

……みたいな効果があるっちゃある。ぶっちゃけ教養があることで「できること」の範囲は広がるし、その「できること」の範囲が拡大すれば、大げさに言えばその「人」自体も変化する。そんな感じ。

言ってみれば、教養のある無しというのはネットにつながってるスマホとつながらなかったころのガラケーくらい違う。だから教養なんて無くても別によくね」とか言われると、「俺のガラケー辞書機能もあるし写真も撮れるし音楽も聴ける、ネットとかつないで何すんのw」とか言われてる感じがする。批判とかそういうのじゃなく「気の毒に…」「つなげばすぐ分かって顔真っ赤になるだろうに…」「でもつながない限りこの人には永遠に分からんのか…」「かといってお金ないとか事情があるなら無理に勧めづらいし…無くて死ぬものでもないし……」「本人が納得してないのに押しつけるわけにもいかないし……まあ放置しとくか……」みたいな、同情というかスルーというか、そういう微妙な反応しかできない人が多いと思う。あなたが、「教養って必要かも」と少しでも思ったのなら、たとえあなたが何歳であっても躊躇せずさっさと教養を身につけるよう努力した方がいいと思う。

まあ、教養を身につけた上で「こんなもん、俺の人生には不要!」と言っているのなら、あー、そりゃまあそういうこともあるかもね、Not for youだったんだね、ネットの無い世界にも人生はあるもんね、という感想かな。ただ、教養ある人が回してる世界恩恵を受けて生活している以上、「俺には教養はいらん」とは言えても「世の中に教養不要」とは言えないかもな、ということは理解していただけるとありがたい。

※1 … たとえば「標的のシステム内に、一見無害又は価値あるデータを装って取り込まれたあと、気付かれないうちに活動を開始して、標的システム自体に致命的な影響を与えるプログラム」のことを「トロイの木馬」と名付けられるのは教養のなせるワザだし、それで話が通じるとメチャクチャコスパいい。いちいち毎回「標的のシステム内に…」から説明してまわったり、それに全く新しい名前概念を与えるのは不便過ぎる。

※2 … 一般的に、人生で人が出会うであろう悩みなら、過去数千年間の中で膨大な人が悩んできており、相当な数の人がそれについて人生をかけて思考してきている。それらを用いて自分思考するだけではなく、同じ「教養」を身につけた人同士であれば、それらを前提にして議論や新しい発展を図ることもできる。ネット集合知じゃないけど、そうやって関わる人間の数が増えれば、思考決断スピード、深さが桁違いになる。

※3 … ここまで教養の「幅広さ」の利点だけを述べたが、教養の真価は、それを使いこなすことで人間自体が深まり、成長できるところにある。物事の「深み」を知ることは、「深く知る」ことへの欲望を生み行動を変える。深みを知るなら、実は幅広さというものはそこまで重要ではない。世界中のワインを飲み比べる人の見ている「世界」の広さに、一つの村に住み同じハウスワインだけを数十年飲み続けて出来年とそうでない年の微妙な味の違いを判断できる人の知る世界の「深さ」は、決して劣るものではない。そして、その両方を身につけることができるなら、ワインを知らない人とはもはや見える世界も違えば経験する人生も異なってくるだろう。

2024-08-29

呪術廻戦オタでありフジファブリックファンが抱いた巻頭カラー感想

Twitter(X)でもいいけど、TLの雰囲気を悪くしたくないからとりあえずここに吐き出しておく。お披露から二晩三晩経っても、脳内から感情が消えなくて生活に支障が出だしたので供養の意味も込めてる。割と感情のままに書き殴ったから乱筆乱文。

先に本旨を要約すると、私はポジティブ感情からネガティブ感情に変化し、今は少しずつ前向きになってきている。

雑な言い方をすると、呪術オタが雑考察してフジを腫れ物扱いして燃やしてんのがキツすぎ。作者よりも呪術オタの挙動フジファンの傷を抉ってる。でもだんだん立ち直ってはきてるしついでにお願いがあるよ。ということ。

【↓↓↓↓↓以下約5,500字↓↓↓↓↓】

8/25の夜、配信でじゅじゅフェスを観ていて、最後巻頭カラー絵のお披露目があった。人生の半分をフジファブリックにどっぷり浸かって生きた私は、ひと目でアルバム『CHRONICLE』を模していると気付いた。

結論から言うと、好きなバンドと好きな作品が思わぬ形でコラボしたことに驚きと歓喜が止まらなかった。

そのとき感情Twitter本垢(フジファブリックはじめ音楽日常メインにつぶやく)に突発的に書きなぐって投稿した。ひと目見て気付いたこと、そして作者も私の好きなバンドファンであることが伝わってきたことなど。

そして、呪術廻戦にハマってから作った、漫画アニメだけをつぶやいたり、ファンアートにいいねしたりするアカウントで、ファンたちの感想(じゅじゅフェス)を拾っていった。

そこで私はショックを受けた。呪術廻戦ファンの間でイラストに対して「正気を疑う」「倫理観ない」「不謹慎」「バンドファンや遺族に失礼」などの言葉が並んでいたからだった。

さらにはひと目見て「犬がいる!かわいい!」と好意的に受け取っていたアカウント主すらも「オマージュ元を知って地獄に落とされた」という主旨の投稿をしていた。

このショックを言語化するのに時間がかかって、友達の力も借りながら受け止めて今に至る。

正直に言うと、これらの呪術廻戦ファンの声を受けて、私は ①悲しみ ②怒り を感じている。

そして今は、これらを踏まえて ③祈り に近い感情も浮かんでいる。

①悲しみ に関して

私の人生をかけて愛したバンドアルバムの名を用いて作者にヘイトを向けている投稿散見されること。

フジファブリックという文字志村正彦人生結集といえるアルバム『CHRONICLE』の文字と、「吐きそう」「気持ち悪い」「正気を疑う」「地獄に落とされた」「倫理観おかしい」という強い批判、もとい軽蔑言葉が並んでいること自体が悲しくて悲しくてたまらない。

彼らにはもっと前向きで明るい言葉が似合うのに。「変態的かつ普遍的な美しさ」「クセになるサウンド」「新境地」「世代を越えて愛される」など、フジファブリックを応援してきたファンメディアは素敵な言葉を紡いできた。

作者に批判言葉を向けさえすれ、誰かを不快にさせる行為言動行為者の一面に過ぎず、行為者そのもの価値観人間性否定するものではないと私は思う。

そして私は同時に五条悟オタでもあり、作中で亡くなったことに悲しんだ経験もある。

ちょうどその話が掲載されてから1年弱経とうとしていることも思い出し、その当時は私の落ち込んでいる様子を見かねた友達や同僚が励ましてくれた。一方で、デリカシーなく「死んじゃったねw」と心のヒビを直接割る言葉をかけてきた人にも遭遇した。

このようなことを、五条悟を愛する人なら、少なから経験したのではないだろうか。

同じように、五条悟を愛するがあまりフジファブリックファンの心に残る微かな傷を、その強い言葉でほじくり返しているかもしれないことは考えられないだろうか。

作者はこういうことも勘定に入れて、「諸々の意味を込めて」とあえて濁したコメントしたのではなかろうかと私は思う。

6年半も続く大作を描き上げるにあたって、これだけ出版業界不況の中、掲載誌の売上を落とさぬよう、耐え難いプレッシャー責任を感じながら物語を続けていく自身を、軸となるフロントマンを喪って再始動した経歴をもち、過酷プレッシャーの中それでいて15年も走り続けたバンドと重ねたのかもしれない。

②怒り に関して

こっちのほうがショックの中に占める割合が大きい。

前述した強い軽蔑言葉フジファブリックを並べてほしくないという怒りは先立つ。

次に、メンバーのパーソナルな情報が、漫画ファンによる考察(という体裁下衆の勘繰りと言いたいくらい)の道具として利用されたことに怒りを感じている。

ご存知の通り、志村正彦2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去った。これは揺るぎない事実である

しか本来、生年月日と同じように命日も非常にデリケート個人情報である。彼がミュージシャンとして世に出ることがなければ、近親者は知れども、世界中の誰もが知り得なかっただろう。

対して創作物登場人物はどうだろうか。物語において読者は、登場人物の動きを第三者的に、いわば神視点で見守ることができる。キャラクター同士の内緒だって筒抜けだ。そうした舞台上の人物たちと観客とはいわゆる“恋愛テクニック”のように「秘密の共有」ができる。この恋愛にも似た興奮を私たち読者は楽しんでいる節があると思っている。

フジファブリックはバンドという周縁はコンテンツだとしても、メンバー実在人物であるがために、当然プライバシー尊重されるべきである。実際、ファンインタビュアーメンバー私生活に関して踏み入ったり聞き出そうとしたりしない。

命日や享年というデリケート情報を持ち出して、その事実安易に繋げたうえに、尾鰭をつけてありもしないストーリー勝手に繋げていく行為が、私には他人の家に土足で上がりこむ行為に見えてならない。

曲がりなりにもオタクなら、プライバシー情報コンテンツたらしめるものを分けて考えてほしい。

例えば、2つの事実にA、B、C、Dの4つの共通点があるとして、AとBとを繋げば万人が心地よく終われるものを、いくら線で結べるからといって、CとDを繋いで、恣意的ストーリーを生み出されては、どちらの側も良い気持ちはしないだろう。

から、「この位置五条悟が配置されているから…」「バンドは存続しているか五条悟は死から復活する」など、死去の事実からの逃避や不確かな根拠を並べ立てられるのは、両者のファンとして理解に苦しむ。

Twitter(X)では常日頃からしょーもない話題炎上しているが、よくある例として「これでは〇〇が可哀想」という構造をしているものがある。

こんな親に育てられて可哀想、こんな飼い主に育てられて可哀想、こんな環境に放り込まれるなんて可哀想…など枚挙に暇がない。

それと同列で、当人感情勝手想像してバンドファン家族に対して「嫌がっている」「失礼だ」とレッテルを貼る行為はそれ自体が失礼に値するように思える。

私自身、人生の半分といえど他と比べるとまだまだファン歴は浅いものだと自覚しているが、

曲がりなりにも十数年応援してきた身としては、苦しみや悲しみを押してまで志村正彦の全てを提供してくださっている志村家と地元有志の皆様には感謝してもしきれない。どんなに苦しもうとも、それ以上に彼の生きた証を残したいという使命のもとご尽力くださっている姿を見れば、どんな形であれ、一人でも多くの人に彼の存在が知られることは彼らへの報いではなかろうかと私は考えている。

からこそ、彼を取り巻く話題は明るいものであってほしいし、そうなるよう関係者ファン努力している。

それを、「ファンではないけど」「バンドは存じ上げなかったけど」と枕詞を載せて外野から関係者ヅラして物申していることが腹立たしくて仕方ない。許可取り云々の話ではない。無知蒙昧を晒し、それがフジファブリック関係者に届くことこそ最大の無礼ではないのか。

あとイチャモンついでに、現体制の3人のメンバーを「残りのメンバー」って言ってるのは何なんだ。3人は残りものなんかじゃない。言葉尻を捉えるようだが、夫を亡くした妻を未亡人と呼ぶような気味悪さが残る。甚だ不快だ。

個人的言い得て妙だと思ったのが、志村時代リアルタイムで知っている先輩ファンの「ファンでもない奴らが騒いでいる」「不謹慎厨じゃねーか!」という発言だった。正直この発言のお陰で少し溜飲が下がった。

フジファブリックはメンバー関係者ファンも優しい人ばかりだから、強い言葉に対して萎縮する(私もその内の一人)のではと思っていたが、ファンコミュニティで軽蔑ではない言葉で真っ当に怒りを表出できる人の存在に救われた。持つべものは信頼の置ける先輩ファン

もちろん、一連の話題モヤモヤが抑えきれず、私が呆れた呪術廻戦オタクのように作者や作品への痛烈な批判を長文で述べた先輩ファンもいた。

奇しくもこれの執筆最中更新され、何周も読んだが、確かに納得できる内容で、その視点も勿論いちファンとして持ち合わせている自分認識できた。

あらゆる表現物すべてにおいて、意味意図が付随する。それら全てを拾ったとして、特に何を取捨選択するか、とりわけ「何を言わないでおくか」も巷で話題の“教養”とやらに含まれるのではないだろうか(一つ留意しておきたいのが、表現意図として無意識に語られるもの特に特定属性への偏見差別に関しては無視してはならない)。

少し脱線するが、ネットで語られるような“教養”と“雑学”はしばしば混同されているように感じる。いたずらに知識量を増やし自己のための娯楽として完結するものではなく、悲劇の再来の抑止や自分自身や後進の未来社会を豊かにするために、蓄えた知識の中から取捨選択し、それらを原動力として行動することを教養と私は呼びたい。

祈り に関して

簡潔に言えば、こんな言いがかりイチャモンをつけている暇があったら、問答無用フジファブリックを聴いてください!ということ。

件の『CHRONICLE』でいえば、志村くんの犬(モジャっていいます)だけが正面を向いていて、それ以外の総くんダイちゃんかとをさんの犬は横を向いています

対して、巻頭カラー絵は、五条悟と虎杖悠仁の犬が正面を向いています

この背景には、『CHRONICLE』まで(厳密には志村Vo.時代最後アルバムMUSIC』まで)のフジファブリックは、明確に「リーダー志村正彦」という線引きがあって、いわばフジファブリックという物語主人公をずっと務めてきた事実があります

そしてリーダー亡き後、3人がパワーバランスを強化しながら調和させ、いわば三位一体の形でそれぞれが主人公になって物語を作っていきました。

これを踏まえて考えてみるとどうでしょう

映画化も決定した懐玉・玉折編で主人公だった五条悟、そして本編で主人公の虎杖悠仁、両者は同格に物語主人公であることが示唆されるでしょう。

さらに、アルバムスウェーデンメンバーが寝食を共にして制作されたこともあり、寮生活を送る4人とレコーディングに勤しむ4人の仲睦まじさを重ねることができます(詳しくはアルバム同梱のDVDドキュメンタリー映像が収録されています)。

また、10thシングル及び3rdアルバム収録の「若者のすべて」が現在進行形で大ヒットしたこともあり、そこだけを世間一般に切り取られがちという煮え切らなさをファンは常々抱えています。「五条悟?イケメンから人気なんでしょ?」にも通ずる消化不良です。

フジファンなら同意してくれるかもしれませんが、志村正彦変態で捻くれていて一途でお茶目で繊細で孤独な男なんです。

暇つぶし花屋女性店員デートする妄想をしたり(花屋の娘)、酒の力を借りないと甘えられなかったり(ロマネ)、海辺で泣いている女性お嬢さんと呼ぶ気障ったらしさがあったり(NAGISAにて)、自分を獣に喩えて思いっきり飛び出す大胆さがあったり(モノノケハカランダ)、

それなのに、否定される事が怖かったり(バウムクーヘン)、大切な人を亡くして何年経っても忘れないと覚悟を決められるのに(黒服の人)、相手自分のことをすぐに忘れてしまうと悩んだり(クロニクル)、そんな卑屈な考えをを誰かに否定してもらいたがったかと思えば(エイプリル)、君がいなくても元気でいられると強がるふりして泣いちゃったり(Bye Bye)、非常に魅力的な人物です。

そんな男の姿も、たった一人の大切な人に素直になれなくて、だけども本当はすごく寂しかった不器用な男の姿も、どこか似ている気がするんです。

ちなみに私の見解としては、志村正彦は相当なハジケリストです。

北欧の熊と太極拳使いの髭面の男性を戦わせたり(熊の惑星)、踊ろうぜと誘っておきながら黙れと言ったり(TAIFU)、走る足音ドラえもんタラちゃんの比ではない異音だったり(銀河)、かなり尖ってます

このハジケリズムは3人にも受け継がれ、サルバドール・ダリが発起人となってタコスパーティーをうやむやに開催したり(アンダルシア)、言い間違いから曲を生み出したり(東京)しています

最後に、現体制の3人のメンバー言わずもがな、たくさんの名曲を生み出し、私たちを慈しみ寄り添ってくれています

ツアーラストや周年のホールでも、招待されたフェスアリーナでも、地方の観客がすし詰めになるような小さいライブハウスでも、必ず「僕たちは誰かの居場所になりたい」「今フジファブリックでい続けられるのは皆さんのお陰」と伝えてくださってます

Twitterにも書いたのですが、私の本心は、「どんな形であれメンバーが生み出した楽曲を愛してもらいたいし、バンドと共に豊かな人生を送ってほしい。生きていようが亡くなっていようが、その人が存在した事実バンドの曲が生まれ事実楽曲が様々な人の人生に関わった事実は消えないので、悲しみも抱えつつ前を向いて生きていく糧になってほしい」ということです。

フジファブリックのお陰で人生が豊かになって、呪術廻戦に生き様を教わったオタク感想でした。

P.S.それっぽいキーワード検索したら筆者を特定やすいように書いたつもりです。もしそれっぽいな〜というアカウントを見つけたら、私事ですが現在就活中ですので、オススメホワイト企業を教えてください✌️

2024-08-20

イナバ物置物理エンジン再現しようとしたら喧嘩になった

職場での昼休み、暇だったので俺たちはふと、イナバ物置のあの有名なキャッチコピー100人乗っても大丈夫!」について話し始めた。

なんでまたそんな話題になったかと言うと、最近俺が物理エンジンをいじるのにハマっていて、その延長で「イナバ物置シミュレーションしてみたらどうなるんだろう?」と思い立ったわけだ。

興味が湧くとつい試してみたくなる性分だから、さっそくモデル作ってみたんだよ。

設定は当然、「100人乗っても大丈夫!」の頑丈なイナバ物置

いや、むしろその広告に忠実に再現しようとして、できるだけ強靭な設定にしてみた。

鉄板の厚さや構造、素材の特性なんかも考慮してね。

そりゃもう、なんというか「これ以上はないだろう」というくらいの頑丈さで。

で、シミュレーションを回してみると、案の定、ビクともしない。

100人が上に乗っかっても、物置はしっかりとその場に立ってる。まさに、「100人乗っても大丈夫!」そのまんまの結果。

興奮気味にその結果を同僚のAに見せたんだけど、彼は意外にも首を傾げて、「いやいや、それはさすがにあり得ないだろ」とか言い出した。

「え?どうして?」と俺が聞き返すと、Aは、「だって現実あんなに頑丈な物置があったら逆に怖いだろ?」と真顔で言ってくる。

どうやら、彼はイナバ物置の実際の耐久性懐疑的らしい。

「いや、待てよ。イナバ物置はあのキャッチコピーで何年も商売してきたんだぞ?」と俺は反論した。

「それなりの自信と裏付けがあるはずだし、実際に100人乗ってもビクともしないくらいの強度を持ってるんじゃないか?」

「でも、それって宣伝文句じゃないの?実際には、そんな物置があったらそれこそ物理法則無視してるってことにならないか?」

Aは意外に頑固で、引き下がる気配がない。

「いやいや、ちょっと待て。イナバ物置はただの宣伝だけじゃない。あの物置は、日本職人技術と最新の工業技術結集して作られた逸品なんだぞ。鉄板特殊加工で強化されてるし、耐久性はもちろん、耐風・耐震設計までしっかりしてる。どこかの安物とは違うんだよ!」

「それでも100人は無理だろ?100人って言ったら、何トンにもなる重さだぞ?」

「だから、そこがイナバ物置のすごいところなんだよ!普通の物置じゃ考えられないくらいの強度を誇るんだ。それに、実際に試したわけじゃないかもしれないけど、少なくともそのくらいの耐久性を目指して作られてるってことだろ?」

Aはまだ納得してない様子で、「じゃあ、君は本当に100人乗っても大丈夫だって思ってるのか?」と問い詰めてきた。

「もちろん、思ってるさ!」と俺は即答したけど、正直言うと少しだけ不安がよぎった。

かに、実際に100人乗せるっていうのは、実験したわけじゃないし、何かあったら大惨事になるかもしれない。

でも、ここで引き下がるわけにはいかない。

「いや、やっぱりイナバ物置はすごいんだ。何十年も売れてるのが何よりの証拠だし、品質絶対の自信があるからこそ、あのキャッチコピーを掲げてるんだろう」

「ふーん、まあ、増田がそう言うなら…」

Aは渋々納得したようだが、まだ腑に落ちてない顔をしていた。

その後も俺たちは物置の話題を引きずりながら、結局何が正しいのか結論が出ないまま昼休みが終わり、仕事に戻った。

でも、俺としてはやっぱり、イナバ物置のあの頑丈さには信頼を置いている。

だって100人乗っても大丈夫!って言い切れる物置なんて、他にないだろ?

2024-08-11

anond:20240810225339

民主主義機能勘違いしてるね

 

多数の叡智を結集して間違いの無い意思決定を行うシステム、だと

ちゃう

投票はただの多数決しか無い

多数決はどこまでいっても多数決に過ぎず無謬フィルターにはならんの

簡単に言えば多数派が間違えれば結果も間違える

 

封建独裁政治場合独裁者意思決定を間違えた場合

ステークホルダー国民革命を起こして次の支配者に置き換えるしか無い、莫大な犠牲が伴う

 

この部分を簡略化したのが民主主義

半数が損をして被害を被れば置き換えが出来る

 

為政者戦争を始めたとする

敵に反撃され領土を奪われ、国土荒廃し、王宮の壁まで敵が来ても、独裁者ワンチャンに賭け生き残り最後の衛兵一人にまで「行け」と命令するだろう

しか民主主義なら民主的戦争をはじめ、しかし半数が「あ、こりゃアカン」と気づいたなら、選挙平和主義者を選び直すことで転換できる、こっちのほうが犠牲は少ない。

 

昨今の若者抽象的な例示は通用しないので念の為に注意しておくが上述は観念的なイメージ図に過ぎないよ。

選挙までの期間がどーのとかそういう反論はクソなので死ね、先に申し伝えておく。

 

ともかく、民主主義を間違いないルール作りの仕組みだと勘違いすると、バカ選挙権を与えるなという思考になってしまうわけだが

間違えはどうしても起きるが多数派気づきさえすれば被害最小で軌道修正できる仕組み、と正しく理解していれば、多様性を認め平等を徹底するしか仕方がない、例外ご法度であることに気がつくだろう。

例外を設定した時点で民主主義は瓦解する、為政者は際限なく例外を都合よく広げる、一度例外を認めると例外例外では無くなるのだよ

 

民主主義は高コストで鈍重で時に理不尽なんだけど

それでも今のところこれが一番マシって政治システムに過ぎないのだよ

2024-08-04

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-07-08

選挙行った?

民主主義とは、複数選択肢の中から多数決で正しい答えを探るシステムである

一人の独裁者の考えでは無く、国民全員の叡智を結集し正答を見つける

まり選挙落選者に投票していた人は誤答したわけ、わかる?猛省しろ無駄な一票

 

次回の選挙では正しい答えを投票箱に入れなさい、今回は見逃してやる

皆がどこに投票するか、多数派か、よーく考えて投票しなさい

 

自民党公認がいればとりあえずその人が正解

東京なら都ファ

大阪なら維新で間違いない

簡単だろ?ややこしく考える必要はない、裏読みとか無駄普通に選択すりゃ間違えない

 

不祥事起こした直後のみそぎ選挙とか難しいときもあるが

その時は無投票でいいんです、気持ち悪ければ白票OK

多数派に従うという意思表示なのだからしろ大正解である

2024-07-07

anond:20240706090130

日本に限っては人間性他国に比べて陰湿すぎる。

日本戦後復興から高度成長期まで急速に経済発展できたのは日本人が一致団結できたから。


という事でもう一度原爆更地にしてもらい

日本人の団結力を再結集しましょう。

2024-07-03

転載厳禁】テロは許されない

よいこのみんな、テロは許されないぞ!

から宗教カルトの次はネオリベカルトをブチ殺そう!」なんて考えちゃだめだぞ!

大企業会長社長でありながら「年収100万で働け」だの「45歳定年」とかほざくネオリベカルトのクソ野郎(※おいおい、そんな奴いるわけ無ぇだろ)にパイプ銃やパイプ爆弾をぶち込んで、

物言わぬミンチ肉にしてやろうとか考えちゃダメだぞ!

ましてやネオリベ政策積極的実践して無敵の人大量生産して、それでも「批判されても殺されることはない」と豪語しておきながら、

安部元総理銃撃事件が起きた途端に役職を全て辞めてトンズラぶっこきやがったネオリベ真理教教祖様(※おいおい、いくらなんでもそんな傲岸破廉恥なクソ野郎はいないって)は、

もはやフリだよな!

「僕を探し出してごらん。そして僕のハートを撃ち抜いてごらん」というフリとしか思えないけど、お望み通りブチ殺してやろうなんて絶対に考えるなよ!

無敵の人ネット民が総力を結集して場所特定してパイプ銃やパイプ爆弾をしこたまブチ込んで、この世に髪の毛ひと筋すら残さぬほどのミンチ肉にしてやろうなんて、絶対に考えるなよ!

いか絶対にやるなよ!絶対にだぞ!おちんちん祭!

2024-06-05

状況認識:今後10年の展望 -- はじめに

X (twitter) で SITUATIONAL AWARENESS: The Decade Ahead https://situational-awareness.ai/ というのが回ってきて非常に示唆に富むものだったので、DeepL (無料API経由) で訳してみた。

レオポルド・アッシェンブレナ2024年6月

サンフランシスコに行けば、まず未来が見える。

この1年で、街の話題100億ドルコンピュート・クラスターから1000億ドルクラスター、そして1兆ドルクラスターへと移り変わってきた。半年ごとに、役員室の計画にまたゼロが追加される。その裏では、残りの10年間に利用可能なすべての電力契約と、調達可能なすべての電圧変圧器を確保しようとする熾烈な争いが繰り広げられている。アメリカ大企業は、アメリカ産業力を結集させるために、何兆ドルもの資金を注ぎ込む準備を整えている。ペンシルベニア州シェールフィールドからネバダ州太陽光発電所まで、何億ものGPUが稼働する。

AGI競争が始まったのだ。私たち思考し、推論できるマシンを作りつつある。2025年から26年にかけて、これらのマシンは多くの大学卒業生凌駕するだろう。10年後までには、これらのマシンは私やあなたよりも賢くなり、本当の意味での超知性を手に入れるだろう。その過程で、この半世紀には見られなかったような国家安全保障の力が解き放たれ、やがて「プロジェクト」が始動する。運が良ければ、中国共産党との全面的競争になり、運が悪ければ全面戦争になる。

今、誰もがAIについて話しているが、何が自分たちを襲おうとしているのか、かすかな光明を感じている人はほとんどいない。Nvidiaアナリストは、まだ2024年ピークに近いと考えている。主流派評論家たちは、「次の言葉予測するだけだ」という故意盲目に陥っている。彼らが見ているのは誇大広告といつも通りのビジネスだけで、せいぜいインターネット規模の新たな技術革新が起こるのを楽しむ程度なのだ

やがて世界は目を覚ますだろう。しかし、今現在、状況認識を持っているのはおそらく数百人で、そのほとんどはサンフランシスコAI研究所にいる。運命不思議な力によって、私はその中に身を置くことになった。数年前、このような人々はクレイジーだと揶揄されたが、彼らはトレンドラインを信頼し、過去数年間のAI進歩を正しく予測することができた。この人たちが今後数年についても正しいかどうかはまだわからない。しかし、彼らは非常に賢い人々であり、私がこれまでに会った中で最も賢い人々である。おそらく、彼らは歴史の中で奇妙な脚注となるか、あるいはシラードやオッペンハイマーテラーのように歴史に名を残すだろう。もし彼らが未来を正しく見ているとしたら、私たちはとんでもないことになる。

私たちが見ているものを教えよう。

目次

エッセイはそれぞれ独立したものですが、シリーズ全体として読むことを強くお勧めします。全エッセイPDF版はこちら。

はじめに 【このページ】

歴史サンフランシスコで生きている

I.GPT-4からAGIへOOM(Orders of Magnitude)を数える

2027年までにAGIが実現する可能性は極めて高い。GPT-2からGPT-4までの4年間で、私たちは~未就学児から~賢い高校生までの能力を手に入れた。計算能力(~0.5桁またはOOMs/年)、アルゴリズム効率(~0.5OOMs/年)、および「趣味のない」向上(チャットボットからエージェントへ)のトレンドライントレースすると、2027年までに再び未就学児から高校生サイズ質的ジャンプが起こると予想される。

II.AGIから超知能へ:知性の爆発

AI進歩人間レベルでは止まらない。何億ものAGIがAI研究自動化し、10年に及ぶアルゴリズム進歩(5以上のOOM)を1年以下に圧縮することができる。私たちは、人間レベルから超人的なAIシステムへと急速に進化することになる。超知能の威力危険性は劇的なものとなるだろう。

III.課題
IIIa.兆ドルクラスタへの競争

驚異的な技術資本の加速が始まっている。AI収益が急増するにつれ、10年末までに何兆ドルもの資金GPUデータセンター、電力の増強に投入されるだろう。米国の電力生産を数十%増加させるなど、産業界の動員は激しくなるだろう。

IIIb.研究所の封鎖AGIのセキュリティ

米国の主要なAI研究所は、セキュリティを後回しに扱っている。現在、彼らは基本的にAGIの重要な機密を銀の皿に載せて中国共産党に渡している。AGIの秘密とウェイトを国家機関の脅威から守るには膨大な努力必要であり、我々はその軌道に乗っていない。

IIIc.スーパーアライメント

我々よりもはるかに賢いAIシステムを確実に制御することは、未解決技術問題である解決可能問題ではあるが、急速な知能の爆発が起きれば、物事簡単にレールから外れてしまう。これを管理することは非常に緊張を強いられるだろう。

IIId.自由世界勝利しなければならない

スーパーインテリジェンスは、経済的にも軍事的にも決定的な優位性をもたらすだろう。中国はまだゲームから抜け出してはいない。AGIをめぐる競争では、自由世界の存亡がかかっている。我々は権威主義的な大国に対する優位性を維持できるのか?そして、その過程で自滅を避けることができるのだろうか?

IV.プロジェクト

AGIへの競争が激化するにつれ、国家安全保障が関与してくる。アメリカ政府は眠りから覚め、27~28年までに何らかの形で政府によるAGIプロジェクトが立ち上がるだろう。どんな新興企業も超知能を扱うことはできない。SCIFのどこかで、終盤戦が始まるだろう。

V.おわりに

もし我々が正しかったら?

――――――――

私はかつてOpenAIで働いていたが、これはすべて一般に公開されている情報私自身のアイデア一般的な現場知識、あるいはSFゴシップに基づいている。

Collin Burns、Avital Balwit、Carl Shulman、Jan Leike、Ilya Sutskever、Holden Karnofsky、Sholto Douglas、James Bradbury、Dwarkesh Patel、その他多くの方々の有益議論感謝する。初期の草稿にフィードバックをくれた多くの友人に感謝する。グラフィックを手伝ってくれたジョー・ローナン出版を手伝ってくれたニック・ウィテカーに感謝する。

イリヤスーツバーに捧ぐ。

続き I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える(1) https://anond.hatelabo.jp/20240605203849

2024-05-16

未だに豚の角煮100gが500円ぐらいするのは日本技術力の敗北

日本技術力を結集すれば100g200円で買えてしかるべき

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