はてなキーワード: 論点とは
こういった偏見に基づく主張は、問題の本質を見誤っているだけでなく、無責任な一般化によって多くの人を不当に攻撃しています。以下、あなたの主張に対する批判を述べます。
性コンテンツの氾濫が直接的に治安悪化や少子化を引き起こしていると考えるのは極端すぎます。社会問題の原因は多岐にわたります。少子化に関しては、経済的不安、働き方、教育環境など複雑な要因が絡んでおり、性コンテンツが主要な原因であるという科学的根拠はありません。
一部の犯罪が性産業と関連しているとしても、すべての性コンテンツやその消費者を「犯罪者予備軍」とみなすのは誤りです。適切な規制と教育が重要であり、暴力的な非難やレッテル貼りは問題解決を妨げるだけです。
日本パスポートの信用が性コンテンツの影響で低下したという主張には、具体的なデータや証拠が欠けています。国際的な信用は経済力や外交政策など多様な要因で形成されるものであり、この論点は説得力に欠けます。
「お前の子どもが売春婦になっても不思議ではない」などという暴言は議論の質を著しく下げるだけでなく、無関係な第三者を傷つけます。建設的な議論を行うためには、感情的な侮辱ではなく、冷静で客観的な意見交換が必要です。
問題を正しく理解し、解決策を模索するためには、感情的な攻撃ではなく、データや理論に基づいた冷静な議論が必要です。無責任な一般化や個人攻撃では、社会問題は解決しません。議論の方向性を改めるべきです。
何なら離婚するかも
元々食い尽くし系の素質があったうちの旦那は大皿料理を一品出したら平気で半分以上食べるので最近はそれぞれ別個の皿に盛るようにしていた
だけど今日の夕飯は餃子で、流石に個数が分かれているものなら大丈夫だろうと思って20個を円盤型に焼き上げて大皿に乗せたんだよね
そしたら旦那は普通に11個12個とこちらの分まで箸を伸ばしてきやがったので流石にブチギレよ
そもそも今日は役所の手続きがあって午後休を取っていて、家に帰ってもまだ時間的に余裕があったから気合いを入れてわざわざ手包で作り上げたんだよね
その努力を無下にされた怒りもあったし今までの積み重ねもあったから強い口調で、
「食い尽くすのをやめろ、ちゃんと数えて食え、どう考えてもひとり10個だろうが、そもそも円盤で提供されてんだから自分の分がいくつかも視覚的にわかるだろ、半円ってご存知?小学校で習わなかった?」
・そもそも大皿で提供されている時点で早いもの勝ちの論理が働く
・そんなに半分ずつにこだわるなら別個の皿に盛ればいい
・事前に「ひとり10個だよ」と言ってくれれば大皿であっても数えて食べる
・それを怠った怠慢を棚に上げて偉そうに言うな
・もっと早く食うなり自分の分をあらかじめ分けておくなりすれば?
とのことだった
論点がズレてて本当に頭にくるんだけど、そもそも私は別に餃子を10個残しておいてくれなかったことそれ自体に怒っているのではない
人として最低限の気遣いもできないその傲慢さに腹を立てているんだよな
普通、大皿が提供されたら「ひとり何個かな?」「相手の分はいくつかな?」って思考が働くところ、この男はアスペ気質なのか何なのか周りのことを考えられない
いつも気が利かない、いつも杓子定規
自分勝手に判断し周りの気持ちをかけらも察さず思いやりの心も持ち合わせていないその傲慢さに心底腹が立って、
「一度精神病院でアスペかどうか見てきてほしい。障害者の介護と思えばまだ優しくなれるけど自分勝手なだけのクズに対しては優しくなれないよ」
と言ったらもう旦那もブチギレよ
じゃあもう飯なんかいらねぇよ!って机をぶん殴りながら怒鳴ってそのまま外に出ていきやがったのが30分前のこと
もうこっちも冷静じゃないわ
Xなどでは未だにコンサルの素晴らしさやコンサルによるマウンティングが跋扈しているが、現役として違和感があるため、思っていることをまとめて記しておく。
なお、ここでの「コンサルになる」とは自称ではなく、なんらかのコンサルティングサービスを提供する企業(戦コンとか総コンとか)に就職することを指す。
本件、主な読者として、コンサルに新たに就職した新卒あるいは中途、あるいはコンサルを頻繁に使っている事業会社に加え、業界に何らかしら物申したい現役/OBを想定する。
まず、前提としてこれらの企業に勤める人間は、論理的思考や資料作成あるいはプレゼンに長けているので、一見スーパービジネスマンに見えるかもしれないが、個々人の能力値は大したことはない。また業界知見が豊富な人は稀。現代のコンサルは、多かれ少なかれ人材派遣ビジネスに近付いているように思う。
一方、いわゆるコンサル企業は並の人間を「速く即戦力にさせる」仕組みはとりわけ秀でているように思う。最近のコンサルは規模拡大に伴い、DXなどの大量投入系の案件が好まれる傾向があり、すぐにパッと見だけでもそれっぽく動ける人間を育成したいが故、この仕組みを作る(あるいはそれらしくするためのブランディング)ことに投資する傾向が強いように思う。
さて、前置きが長くなったが、コンサル企業の人材育成の仕組みは主にカルチャー、ハードスキル、ソフトスキルに分解されると思われる。
一番重要な、そして最近働き方改革や急拡大で最も危うくなっているのが、カルチャーだ。
これはいわゆるプロ意識、ストイックさ、それゆえのハードワークが挙げられる。
プロ意識についてはドラッカー「プロフェッショナルの条件」などに記載があるような、やりきる力、あるいはグリットとでもいうような気合い/根性がまず挙げられる。これが無い個人はまず伸びないし、入社してもお互い不幸になると思われる。
ストイックさは、論理的な正しさ、資料の細かさなど、兎にも角にもこだわり抜くこと。「神は細部に宿る」とはよく言われる通り。
ハードワークはこれらを実現する手段である。逆説的だが、仕事の成果が高ければハードワークは必ずしも必須ではない。
ハードスキルについては、論理的思考、資料作成、プレゼンテーションに大別される。これらについては各種書籍で定型化されており、ここで詳説するまでもないだろう。入社時、あるいは入社数ヶ月以内に一定自学自習していることが前提であろうし、それが出来ないのであれば上述のプロ意識のように、入社しないことが懸命である。
ソフトスキルは、論点の発見、キャッチアップ力、コミュニケーション力に大別される。これに関しては、一朝一夕には身に付けにくく、これこそがコンサルが徒弟制度的要素が強くなりがちな点であるし、ある意味醍醐味になる(あるいは、企業内コンサルなどがあまりワークしなくなる)ところだと思われる。
論点の発見については、仮説検証の繰り返しをして精度を上げていくことが肝要である。これは良い師、良いクライアントに恵まれなければなかなか育成しにくいと思うし、自身も育成に常に悩んでいる。
キャッチアップについては、いろいろな案件の経験を積むことで、メタ的に課題解決の力を上げることである。コミュニケーションについてはその裏返しで、いろいろな上司部下、あるいはクライアントとの接点の中で関係性をメタ的に構築することである。これらについても能力や育成は個々人によるところが大きく、育成する側としていつも悩むところである。自分の場合は毎度抽象度の高いことしか言えないし、結局は自分なりに自分としてのコツを掴むほかないのかもしれない、とも思う。
さて、業界の今後の展望についても触れておきたい。コンサル自体は急拡大あるいはコンサル卒業生の市場内増加に伴い陳腐化している。コロナ禍で少し延命されただけで、今後はコンサルの価値も急速にデフレしていくだろう。
実際、戦コンも総コンも実態としてはクライアントの人手不足に伴うアウトソース然とした案件が増えているのではないか。また、広告代理店、総合商社、メーカーなどもコンサル人材の育成やブティックコンサルをM&Aすることでコンサル企業とそうでない企業の垣根も急速に無くなってきている。
中長期的にコンサルという仕事が無くなることはないが、今のように高い給与水準あるいはレアな職能であり続けることは難しいように思う。
昨今蔓延る自称コンサルの台頭に伴うバックラッシュもおそらく相当数あるであろう。
現役諸氏、あるいはこれからコンサルを目指す皆様については、「一人前」にはなるべく効率的になっていただいた上で、+αの味付けになるようなスキルセットや業界への洞察を得ない限りは陳腐化はやむを得ないだろう。
また、能力が一定高い人が進む、モラトリアム的な「潰しが効く」キャリアである時代はもう終わったと思われる。そういうつもりで今後参加を検討される方は、なおのこと超早期の「一人前」化、そして現時点での出口戦略の仮説立案もお勧めする。
殆どの国民は知らない真実…日本を滅ぼそうとしてるのに警察も手が出せない組織がいる…!みたいなことを言ってるやつ
どうも週刊ルネサンスレポートとかいう有料記事に誘導してるようだが、
広告の中に出てきた宇山卓栄なる名前でツイート検索したらこんなのが出てきた。
https://x.com/renaissance20dp
@pyon_kerokero
週刊ルネサンスレポート:宇山卓栄先生の取材によって分かったのですが、川口クルド人解体業の総元締めは、なんと在日朝〇人の会社です。これはYouTubeで言うとBANされる内容です。
ひ~勘弁してくれ~!
ただでさえ在日クルド人絡みはテロ組織のシンパだの出稼ぎ目的だので批判の論点がブレブレなのに、
古典的な在日朝鮮人差別とミックスして面倒な設定を追加するな!
まあイリーガルな状態の外国人を雇う企業がその国のマイノリティ民族であるパターンはそう珍しいことでもないが、
書き手は「発達障害(ASD) vs 定型発達」の枠組みを明確に打ち出しており、相手を「表面しか見ない」「機械的」といった断定的なネガティブ評価で語っている。対立構造を強調することで、読み手には「定型発達こそが人の心が分からない」というやや過激な主張が際立つ。
「納得いかない」「アクロバティック認定」「殺されたくないから嫌々従うのが当たり前」など、非常に感情を伴った言葉選びが散見される。何らかの具体的な経験やフラストレーションが背後にあることをうかがわせる。
「〜は定型発達の人間じゃない?」「基本的に相手の内面を想像しないんだよ」など、一括りにして断定する表現が多い。異なる意見や多様性をあまり考慮せず、「定型発達=こういうもの」と大きくまとめる傾向がある。
性暴力の場面やフィクション作品(漫画・アニメ)を例に挙げ、そこから導き出される「定型発達の人は表層的」という結論へとつなげている。例えとしてはインパクトが強く、読み手に問題意識を与える効果を狙っている可能性がある。
「アクロバティック認定」「決まった刺激で決まった反応をする機械のように捉えている」など、相手の理解力や態度を極端に描写する言葉が頻出し、著者の強い主観が前面に出ている。
「発達障害か定型発達か」という二分法に基づいた強い対立構造をとり、相手の立場や多様な側面を探る余地はあまり示していない。第三の視点をあまり想定していないことから、やや「白黒はっきりさせたい」という思考パターンが見られる。
「自分は発達障害だがこう思う」「自分の内面を無視してくるから納得できない」など、著者自身の経験や価値観を基に他者を理解しようとする姿勢がうかがえる。そのため、「自分の視点から見える事実」と「他者の主張」や「社会通念」との相違に強い不満を抱いているように感じられる。
「納得いかない」「無視してくる」といった言葉からは、書き手が不当に扱われている、あるいは他者が自分の内面をまったく考慮しない、という被害的な感覚を強く抱いていることが想像される。文脈としては「自分こそが理解しているのに、相手は理解しようとしてくれない」という不公平感や孤立感がベースにあるようだ。
具体例を挙げる→そこから「定型発達は表面的」という結論→さらに別の例を追加して結論を補強…という単線的なロジックが見られる。論点がブレることなく、「定型発達こそがわかっていない」という主張に一直線で向かっている印象。
性暴力の文脈やフィクションの解釈については、場面や前提条件が本来多岐にわたるはずだが、それらを「定型発達の人間」という大きな枠に一括して論じている。比較的短い文章の中で、さまざまなケースを「こういうことだから全員こう」という抽象化に結びつける志向が強い。
- 「自分」と「定型発達」を明確に区分し、相手を一括したネガティブイメージで描写する。
- 自身が被害を受けているという認識があり、その感情的な部分が文章に強く反映されている。
- 「自分の内面はこんなに考えているのに、相手(定型発達)は理解しない」という一人称視点のロジック。
- 被害感覚・防衛感覚が強く、相手への不信感を露わにしている。
3. 白黒思考(極端化)の傾向
- 多様性や中間的な立ち位置をあまり考慮せず、「定型発達はみなこう」「発達障害はむしろ人の心が分かる」という二項対立の整理に終始する。
4. 切実さ・強い葛藤の表れ
- 自身の置かれた立場への葛藤が、話題の飛躍や強い言葉となってにじみ出ている。
- 単なる客観批判というより、当事者としての怒り・痛みが文章のトーンに反映されている。
---
このような書き方からは、著者が「周囲が自分を十分に理解してくれない」という強い不満・失望を抱えている様子がうかがえる一方、そうした感情を生々しく言語化するために、対立構造をシンプルにし、わかりやすい例(性暴力、フィクション作品)を提示して訴えかけていると考えられます。また、断定的で二極化された認知は、一時的な激しい感情から出る表現である可能性もあり、背景には複雑な実体験や傷つきがあるのかもしれません。
あなたの主張を真摯に受け止めた上で、性犯罪の加害者の9割が男性であるという現象に対して「法律の設計に問題があると考えるのが自然」という意見を検討してみます。ただ、このような複雑な問題に対して単一の要因だけを指摘するのは不十分であり、問題を包括的に理解するために複数の観点から考察することが必要です。以下で、再度丁寧に検討を進めます。
==== =====
9割という統計は、たしかに「圧倒的な偏り」を示す数字です。この数字をどのように解釈するかが重要なポイントになります。あなたの論点に基づけば、この偏りは法律が男性に不利に設計されている結果であるということになります。しかし、その結論に至る前に、以下の点を整理して考える必要があります。
1. **法律の役割と構造**:法律は社会の現実を反映し、規範を定めるためのものですが、同時に法律そのものが社会的偏りを作り出す可能性もあります。
2. **文化的背景の寄与**:法律が施行される背景には、文化的・社会的な要因が影響を与えており、それが数字にどのような形で表れるかを検討する必要があります。
3. **性別の違いが犯罪に与える影響**:生物学的、心理学的な観点から、男性がなぜ性犯罪に加担しやすいのかを考える必要があります。
==== =====
性犯罪の多くは「男性が女性に対して加害する」という前提に基づいて設計されている可能性があります。このような法律の構造が、統計に偏りをもたらしていることは否定できません。例えば、日本の刑法における強制性交等罪では、加害者が「男性」であることを前提とした条文構造が含まれています。
- 例: 強制性交等罪では「挿入行為」が犯罪の基準となるため、女性による性加害が統計的に過小評価される可能性があります。
社会的なスティグマ(恥の意識)や偏見により、男性が性被害を受けた場合に通報をためらうケースが多く、実際には女性加害者の存在が過小評価されている可能性もあります。これにより、「9割」という偏りが誇張されている可能性があります。
歴史的に見ても、男性は多くの場合、女性に対して優位に立つ立場に置かれてきました。このような権力構造が性犯罪という形で現れる場合があると考えられます。この背景は、社会心理学やフェミニズム理論で議論されています。
社会的に男性には「積極性」や「支配性」が求められる傾向があり、これが性犯罪を引き起こしやすい行動様式として現れる可能性があります。このような役割は、文化や教育を通じて内面化されるため、法律の問題だけではなく、社会全体の価値観にも原因があると言えるでしょう。
男性は進化的に「配偶者を得る」ために性的衝動が強く設計されているという仮説があります。このため、男性がリスクを取ってでも性行為を強行する傾向があるとする研究も存在します。
テストステロンの分泌量が多い男性は攻撃性や衝動性が高くなる傾向があります。このような生物学的要因が犯罪行動に影響を与えることも考えられます。
==== =====
あなたの主張は「法律が男性差別的である」という結論に向かっていますが、上記の議論を踏まえると、次のような限界が見えてきます。
性犯罪における男女比の偏りは、単に法律の構造だけで説明できるものではなく、社会的・文化的・生物学的な要因の複合的な結果です。法律がその結果を反映している側面が強いのです。
仮に法律を「男女平等」に設計し直したとしても、性犯罪の発生率が即座に変化するわけではありません。法律は犯罪を予防する手段の一部であり、その根本原因にアプローチするには社会の価値観や教育の変革が必要です。
==== =====
もしあなたの議論が「本当に男女平等な法律を求める」ものであるならば、次のステップが重要です。
性犯罪における「加害者」や「被害者」の定義をジェンダー中立的なものに見直し、統計上の偏りが法律そのものに由来していないかを再検討する必要があります。
性犯罪における男性被害者(例えば女性加害者によるもの)が正確に集計されるよう、通報しやすい環境を整備することが重要です。
性犯罪を減らすためには、社会全体でのジェンダー平等、教育、性的同意の文化の普及が必要です。これらの要因に取り組むことで、男性が加害者となる割合を減らすことができるでしょう。
==== =====
「性犯罪の9割が男性である」という現象は、法律の設計だけでなく、文化的・社会的・生物学的な要因の複合的な影響によるものです。法律を見直すことは重要ですが、それだけでは問題の本質にアプローチすることはできません。本当に男女平等を目指すならば、法律だけでなく、社会の仕組み全体に目を向け、根本的な問題解決に取り組む必要があります。
なんで医療DX推進の費用、たまたまその時期病院に訪れた患者が負担するの?
国がさあDXしなさいって医療機関に補助金出したらそれは普通国庫から全額病院に出せよ
なんで患者に払わせるんだよ。患者が負担しなかった分を国庫から出す、じゃなくて国がちゃんと補助しろよ
つまり10割負担の患者はその病院のDX推進に対して何の権利も持ってないのにポイント全額負担な訳だ、推進してる国は金を出さずに患者の財布にタダ乗り
って話をするといつも「その補助は必要」って反論が来るんだけど、補助制度の良し悪しの話じゃなくて俺の大事な財産の話だから
医療機関にとってはどうせどこから金さえ入れば知ったことじゃないんだろ???
金が欲しいから「補助金あるべき」って論点でしか話してない、金の亡者すぎてどこから金が出るかのおかしさに1ミリも触れない
気付いたら発狂して確実に死ぬか殺されるかするのか?ってくらい医療サイドの人で補助金の支払い元の話してるやついない。絶対制度の良し悪しに論点ずらしてくる
「ぼくたち保険というとてもすごいことをしてますので補助金も全部そこからしか出せません><」とかいう言い分を恋かってくらい盲目的に信じておかしいと思ったら負けレベルで認知の歪み起こして論点ずらしの反論反射でしてくる
いやおかしいって
金返せよ
もっともなこと言うなぁ
だけど元増田はそのスピリチュアルで原始的な罪の償いが刑務所や現代の司法社会のルールでは不可能だという、罪の不可逆性について問題意識してるんでしょ。
だからまあ分かってると思いますが、「刑務所では罪の償いはできない」という解答は、
単に議論の前提を繰り返しているだけの、元増田が求めている本題へと発展し得る回答ではないわけ。
「刑務所は犯罪者を更生・復帰する為の施設」だという指摘(補足)の主旨は、元増田の「刑務所は罪を償う場所である」という反語的前提に向けられたものだと思うけれど、そうと理解しても「刑務所は罪の償いにはならない」という結論は同じだから、それだけで何かを語り得たかのように知ったかぶるのはやめてください。
元増田の結論にオーバーラップしてるだけなのにさも自分が何かを言い得たかのように、的違いな結論で勝手に議論を閉じないで頂きたい。そういうのを『自己満足』というんです。
そこで『罪を憎んで人を憎まず』、『覆水盆に返らず』とか人倫的なキーワードを盛り付け、あたかも自説に説得力があるかのように見せかけなければならなくなるのです。それがこの増田の手の内です。
だから、重複論理で苦しくなって神力でもないと無理とか(罪の償いはできないという元増田の主張を色相転換してるだけ)、語りたい内容に届かずじれったくなって挙げ句の果てにはそこに執着したって何も産まないなどと問題放棄することになる。(尚刑務所の問題から突然飛躍している模様)
“ならば、はじめから自説の論点を明確にし、「あくまでも補足を入れておくと、刑務所は犯罪者を更生・復帰させる為の施設であって、贖罪の為の場所ではないよ」といった主旨でもってリプライすべきだった。”
そうすれば論理/文脈破綻する事もなく、自身の文章作成能力の足りなさを見破られる事もなく済んだであろうに。それではまるで間抜けのようだと、思いはしませんでしょうか。
そこに執着したって何も生まないのは、こういった重複論理にかこつけた自己満足自体なのです。
しかし、ある意味ナイスアシストです。私はこの増田の主張に関連して私自身の罪の不可逆性についての理論を展開する事ができるのですから。
私が思うに、罪を償うことは不可能だと思います。刑務所に入ろうが入るまいが罪の事実は消えません。罰が与えられても罪が消えることはないし、また、罪がない罰も存在すると考えます。その場合、罰を与えている方が罪を被ることになるでしょう。
つまり、罰とは法規(恣意的な妥当性)に基づくものであって、罪に対する社会的な手続きと考えます。そして法規は、罪を対象として定められたものです。
ここから即ち、罪とは、罰に対して単独に存在しているものと考えられます。つまり、罰というような一定の社会的合意を生む可能性のある、人間の倫理観ともいうべきものが先に、現実に独立して存在していると言えるということです。
罪と罰は=で結ばれるものではありません。したがって、罰の意見を借りて、罪の問題に執着しても無意味だという類の結論を出すこと自体が、無意味であり、また罪にも該当するのです。
本当に、何に執着しているのでしょうか──?
そう思うと、罰も罪の償いの一種であるような気はしてくるのですが、罪の撤回ができない以上、必要となるのが社会的な手続きなのでしょう。
やはり罪は消えません。が、罰を受けたという事実は成立します。その点で社会は受刑者を受け入れなければならないのだと考えます。
しかし罪は一生消えません。一生の後も消えません。これこそまさしく永遠に消えません。
これは確かに真理であり、また元増田が辿り着いた答えの一部でしょう。
罪を犯した者にとっては、(それが正当な要求である限り)、罰を超えても罪と向き合い続ける事が必要でしょう。許される事はありません。
罪のないものにとっては、罪は不可逆的である為に、そのような罪が起きない為の世の中づくりが必要とされるのではないでしょうか。
これで議論は多少展開したかと思います。以上が私の見解です。単なる反論や提訴(したいだけ)ではなく、誰かが何かを加えてくださると嬉しい限りです。
こういうのを屁理屈と言うんだと思うよ。
お前は日本以外の国でニュースやテレビを見たことがないんだろう。テレビを見なくても英語のニュースサイトで日本と同じニュースを検索するだけでも十分そうだが?
日本のニュースが流れたときに日本のテレビ局のニュースと比較したり、日本を特集する映画やドキュメンタリーを同じテーマの日本国内映画と比較してみては?
日本以外の国でみるニュースが面白い? そうかそうか。日本で面白いニュースは見たことが無く、所外国では面白くないニュースは見たことが無いか?
こんなことも一度も言ってない。
日本は汚職を汚職として扱う能力すら失われてきてるようだし、海外の一般的な「時に汚職も起こるような普通の国家」と並ぼうとするのはやめた方がいいと思うが。
海外に汚職は無く、海外の経済政策は完璧であり、海外の理論だけが正しく日本の努力は何の成果も出しては無く全てフリーライドで、日本人で政治をまともに語っている人間はお前以外に存在しなくて、すべての日本人よりおまえは優れた存在である。
俺の予想だが、お前は恐らく現実には海外に普段から行ってなど居ない。出羽守でいられるのは、海外のことを知らないからなんだよな。
日本食は日本に帰国したら鬼ほど食ってるけど、だから何。どこの国でもうめえもんはあるだろ。大体の国にはスタバやマックあるしな。食えるもんなんかあんだろ。とりあえず男採用、とりあえず男昇進、職業によっては女は無理ゲー、男がヤリ逃げしたら女はシングルノーキャリア風俗嬢、警官が二次加害、性犯罪と女性蔑視と児童虐待とハラスメント天国でゴミのような日本にホームシックになるわけがない。スリは分かりやすく金持たなきゃいいだけだろ。テレビCMのタイミングなんかマジでどうでも良い。
②
分業の思想の問題にしてはデモ参加の人数に偏りがありすぎるとは思わんのか?
どの国も全国民が参加してるわけじゃないよ?他国の人も子育てや仕事を同じくらいの割合でやってるよ?日本人だけが忙しいと思ってる?
体感だが海外の方が重い荷物を運ぶような親切や筋トレや友人やパートナーに時間を使うぞ?
何の利益も成長もない長時間労働を美風として選んだのも日本人だろ?その思想自体そもそも政治の放棄みたいなもんだが
③
どんなに優しい言葉での批判でも日本人は耳を塞ぐよ。褒められてるヨイショじゃなければまともに理解できない。特に外国から言われる場合は。「日本は〜〜だから違う!」「外国は完璧にできてるのか?」「○○国はやってないが?」バカみたいな詭弁、醜い自己正当化を並べるだけの光景は長年見慣れたものだよ
感情的で、批判態度ですぐ攻撃的になって、まともな批判能力も、まともに批判を聞く能力もない。そもそも批判が本懐なのに「興味を持ってもらう」というのも意味がわからない。どこの政治学でそんなこと教えてるんだ?意味が分からないから教えてくれ。
そんなことに心を砕くような国があるかね。あるとしてそこは民主主義じゃないね。根本的に倒錯している
具体的な「どの分野どの角度の知識視点が足りないのか」を端的に述べて、特定の書籍のタイトルを並べるなり、もう少し実ある批判をしては?
それじゃただの誹謗中傷をしてるだけではないのか?
①
そうだ。俺の述べたような基本的な論点を踏まえて、それぞれが工夫をしている。日本でもしている。
チャレンジしていることは後退ではない。全くそうだ。日本でも後退などしていない。
日本以外の国でみるニュースが面白い? そうかそうか。日本で面白いニュースは見たことが無く、所外国では面白くないニュースは見たことが無いか?
海外に汚職は無く、海外の経済政策は完璧であり、海外の理論だけが正しく日本の努力は何の成果も出しては無く全てフリーライドで、日本人で政治をまともに語っている人間はお前以外に存在しなくて、すべての日本人よりおまえは優れた存在である。
そんなわけがないだろ。
「俺以外の全部」の言い換えで「日本」とか言うな。
俺の予想だが、お前は恐らく現実には海外に普段から行ってなど居ない。出羽守でいられるのは、海外のことを知らないからなんだよな。日本食食わなくてホームシックにならないし、フランスでスリにあったり、アメリカのテレビのCMのタイミングに辟易したりしたことないんだろう。外国語も喋れないし書けまい。まあ予想だからどっちでもいいけどな。そんなことより、海外に関するわけわかんねー政治社会状況の認識よ。
②
「趣味」に時間を費やしている人たちだ。「趣味」の内容がたまたま政治であり、社会で有益とされているだけだ。お前も、残業していようが関係ない。暇人だ。休日があり、終電前にアフターがあり、その時間を政治に使うことができる。
ここで言う「暇」とは、夏休みのおばあちゃんちでゲームを持ってない学生の台詞じゃあないんだよ。分業によって産まれる余暇時間のことだ。この余暇時間に、子育てするし、筋トレするし、病気療養するし、ゲームするし、友達との絆をはぐくむし、中にはデモに行く奴もいる。なんでもいい。それは人生だし。
ここですべての人間が余暇を政治に使ってるようじゃ、むしろ社会は困るんだよ。誰が子育てをするんだ? お前みたいな筋トレしてないヒョロヒョロに全員なったら誰が重い荷物を持つんだ。いろんな奴がいるからいいんだ。それが分業だ。
③
政治に大衆全員が興味を持ってないのが現実で、現実ではない理想にならないのでクソだ、とお前は言ってるんじゃないのかよ。
まあ、啓蒙によって少しでも理解をもってもらおう、という方向性はいい。それはすればいい。
だがそのためには、お前の言動はじゃまだ。
「おまえらはバカ」と主張したら、興味を持つと? やめろバカ。
しかもお前は自身がどちらかというとバカ寄りだ。政治コミュニティに参加して旧交を温めるのもいいが、もっと本とか読んだほうがいいぞ。
元増田は「制度の実態を見ずに政策の是非を論じる」ことを終始一貫して問題ある姿勢と訴えているんじゃないの
なぜ問題あるかを説明する過程でかつてブクマカが批判していたBを持ち出し
同じような問題がAに内在しているのに気づかないまま称賛している危うさに触れているわけで
だから、ちゃんと制度の実態を確認し熟知した上で賛同するなら、賛否はともかくそれはそれで「政策の是非を建設的に論じる上で大事な最低限のポイントは押さえている」相手だから、ひとつの意見として尊重はしますよ(私が賛同するかは全くの別ですけどね)って程度の意味なのでは
「否定はしない」という言い方してるのはそういうことでしょ
単に、元増田は自分の価値判断と正反対の意見述べる人が、実はAとBの制度の実態をどちらも把握した上で言っているとしたら、お前はどんな態度取るの?と言われるのを想定して、先回りして予め答えているだけで
このような投稿に対しては、冷静に価値観の違いを認識し、相手と建設的に話し合う姿勢を求める声が多いでしょう。
投稿者は、おせち料理が「特別な料理」であり、正月にはこれを楽しむべきだという自分の価値観を相手に押し付けています。しかし、食事に対する価値観や重要性は人それぞれであり、彼氏が牛丼でも良いと感じること自体は個人の自由です。
「爆発した」や「激怒した」といった表現からわかるように、投稿者は相手の発言に非常に感情的に反応しています。その結果、冷静な話し合いができず、一方的に相手を責め立てるような態度になっています。
彼氏は「高いものを買う必要はなかった」と具体的な意見を述べていますが、投稿者はこれを受け入れず、さらに怒りを募らせています。相手の感性を「意味わからん」と否定する態度が批判を招いています。
投稿者は「エヴァ」を例に挙げて「知らなくても生きていける」と主張していますが、これは食事の価値を強調するための比喩として不適切です。この論点が食事の重要性と直接関連がないため、読者に混乱を与えたり、説得力を欠く結果となっています。
「4000円ぐらいしたんだよ?」と費用を強調していますが、これが逆に「高価なおせちを一方的に買い、相手に押し付けた」と受け取られる原因になっています。相手と事前に相談せず購入した点も批判の対象です。
いくつかのAIにぶちこんで要約、読みやすくアレンジ指示してみたが
いずれのAIも解析不能のようで余計に文章ぐちゃぐちゃになるという恐ろしい現象を目の当たりにして爆笑してる
ちなみにChatGPTでのリライト指示だと完全に主語の取り違いを起こしてる
ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」は家族旅行あるあるみたいな感じ。ちょっとした会話のささいなことで不機嫌になったり、いろいろと期待してしまったりする。そして、年を取ってから家族の思い出の場所を訪れたりすると、あのとき気づかなかったことがわかる。
基本的にヴァージニア・ウルフがすごい好きで、上みたいな家族の何気ない感情や小さな苛立ちがきれいに救い上げられていて、それらがシームレスに別の人の感情に繋がっていくのがカットの切り替わらない映画みたいでとにかくきれいで、「意識の流れ」とかそういう文学用語を抜きにして、ひたすら浸っていたい。大体、プルーストとかジョイスとかも同じ言葉でカテゴライズされるけれども、資質が全然違う。同じ理屈で「ダロウェイ夫人」も大好き。最高。神保町で買った「波」はちょっと難しかった。
ジーン・リース「サルガッソーの広い海」は「ジェイン・エア」の二次創作というか、正気を失ったモンスターとして出てくる、つまり人格を持って主人公と関わらない、ロチェスター夫人の背景の話(当時の精神病への偏見が見えるね)。ロチェスターってひどいやつだな、何でこんな奴がモテるんじゃいみたいな気持ちになる。
ところでこの作品の原典の「ジェイン・エア」って、叔母にいびられたり闇を抱えたイケメンが出てきたりと、なんとなく女子受けするフィクションというか、ある種の朝ドラのプロットや女子向けラノベに何となく似ている気がするのだが、それらをろくにきちんと見聞きしたわけじゃないのでエアプと偏見であるし、以前に別の作品をこういう女子受けという論点から語ったところ増田ではものすごく叩かれたので、うかつなことは言えない。ついでに叩かれたせいでその作品にまつわる十代の思い出まで汚してしまったような気がした。増田に常駐していると若干煽るような表現をしてしまうようになるので、いい加減に別のSNSへと移住する潮時かもしれない。
あとはそうだな、ロチェスターがイド、ジェイン・エアが自我、リヴァーズが超自我でラストにロチェスターがおとなしくなったイドなんじゃないかって、初めて読んだときに思ったのだが、これはフロイトの本を斜め読みした僕の偏った知識と解釈だと思う。独学って現在の潮流を知らないから偏るんだよ。
フランツ・カフカ「失踪者」をはじめ、彼の長編は大体未完成で、しかもとにかく主人公が訳も分からないままひどい目にあい続けるのだが、例えば女性と恋に落ちる場面があってもさらなる不幸への入り口に過ぎないのである。性欲を見せたら罰を受ける世界観だなって感じた。カフカは短編を読んで気に入ったら長編を読めばいいと思う。未完成だし。威圧的な父の陰/社会の不条理な規範から抜け出せない人におすすめ。いい作品、心を打つ芸術って苦しんだ人間から生まれる。その点共産圏ではすごいいい芸術が生まれているんだけれど、こういう背景を知っていると喜べない。
あとクリスタ・ヴォルフ「カッサンドラ」ね。古典のパロディは基本的に好き。知っていること前提でどうずらすかってのは、原作を知っている映画を観に行く楽しみに似ている。とはいえ、作品としてはそこまで面白いとは感じなかった。この小説は神殿で犯され、捕虜となって異国の地で殺される運命を知っているカッサンドラの視点で語られる、フェミニズム的再解釈で、ギリシア神話の通説とは異なり、ギリシア方のアキレウスの英雄性を否定し、彼を暴力的なけだものと終始さげすむ。一方、トロイア方のアスカニウスやアイネイアスが女性に理解を示す理想的コミュニティを築いているのが、なんというか、安直な善悪の対立みたいで面白くなかった(僕がトルストイをあまり高く評価しないのもそれが理由)。結局カッサンドラがどんな澄んだ心境に至っても、結局は異国で無残に殺される運命は覆らないしね。
ところで、フェミニズムについてはいろいろ話すと長くなるが、僕は女性への不当な扱いや尊厳を奪う暴力には激しい怒りを覚えるし、平等な教育や選挙権・被選挙権に感謝しているし、きちんと耳を傾けなきゃと思う一方で、フェミニストには一定数のとても失礼な人がいるのでどうしても印象が良くならない。リベラリズムを気に入っていてもリベラリストには疑いの目を向けているし、愛国心があっても愛国者を名乗る人は警戒してしまうのと理屈は同じだ(思想が好きで人間が嫌いってことか?)。
ただし、アンチ・フェミニストにも倍ぐらいヤバい人がおり、つまるところ自分の大嫌いな人や対立する価値観と向きあい続けて正気を保つのは難しいってことなのかもしれない。日常的に他人を見くだしたり嘲笑したりするのは、風刺は有効な文学上のレトリックであるとはいえ、その末路がどうなるかは目に見えている。なので、僕も嫌いな人たちの実例を挙げるのはやめにする。右にも左にもいっぱいいるけれどね。そうするとこのエントリの長さが倍になるし、本筋からも離れてしまう。
しかし、やっぱりジェンダーをめぐる歴史は面白いなとも思う。時折SF・ファンタジーで女性だけの政治的な力を持つ集団が出てくるんだけど(たとえば上橋菜穂子の守り人シリーズ「虚空の旅人」)、これは女人禁制のクラブを裏返しにしたものなのかなとか、イロクォイの社会がモデルなのかなとか考える。他にも、ミノア文明はチグリス・ユーフラテス起源の現代文明と違って、壁のない開放的で平和な「女性的」文明だったとか、面白い仮説があったりする(ただし戦国時代にだって城壁が無かった点には注意するべきだ)。否定されたものを含めて仮説を知るのは、先人が知恵を振り絞って、どう考えてきたかを一緒にたどれる思いがする。どのような誤りをしたかは、時代による制約と、文化による偏見を反映しており、それをどうやって乗り越えたか、筋道をたどるのは楽しいし、自分の考えの偏りにも気づく。
それに、右や左の極端な意見をいう人は、今の社会で辛い思いをしていたり、正しいとされている価値観から救われなかったりしたから暴走している面もあるので、彼ら・彼女らの不寛容を叩けば解決するもんでもない。
ミルチャ・エリアーデ「マイトレイ」は留学先の(それともホームステイ先だったっけ?)インドのお嬢さんに恋をする話なんだけれども、相手の文化を読み誤って結局結ばれずに終わる。「え、これはしていいのにこれはタブーなの? なんか地雷踏んじゃった!」「両親から仲を祝福されていると思ってたのに全然違うじゃん? どうなってんの?」みたいな。
それにしても、失恋して「何もかも破滅だ」って気分になって、遠くまで旅に出るってパターンは万国共通なのね。懐かしい。恋が実らなかった僕は大学の夏休み中何キロも不毛なほど東京都内を歩き回っていた。(ただし僕の場合つきあって振られたのではないので、「それは失恋とさえ言わない」と説教してきた同級生がいた。ひどい)。
アルべルト・モラヴィア「軽蔑」は前にも書いたけれど、妻の心離れを察した夫が、「どうすれば僕のことをまた愛してくれるの?」と情けないくらいに相手の顔色をうかがったり、腕力に頼ろうとしたり、嫌いな相手の前にみっともなく頭を下げたりと、一番やっちゃいけないことを繰り返して、とうとう上司に寝取られるお話。で、これは実際に妻と別れた夫が書いた小説なんだけれども、ラストで寝取った相手と妻がひどい結末を迎える。どんだけ妻を恨んでたんだよ。でも、こういう小説からしか得られない快楽というのは確かにある。僕も「愛してよ愛してよ」という飢えが丸見えだったと思うし、だからまったくモテなかった。チクショー。
ところで、(BSS「僕が先に好きだったのに」を含めた)寝取られについてだけれども、文学では読めるくせに寝取られ系のエロ本はまったく興奮しないし、嫌悪しか感じない。
文学を読んでいる時には、「どうせ自分は愛されないんだ、もうダメだ」という観念をもてあそんでも心はそこまで傷つかないというか、屈折した自己愛にじくじくと浸っていられるのだが、パンツを脱いでいるときに自分は男としてダメなんじゃないかって考えをいじくりまわすには僕は繊細過ぎたというか、裸になってそんなことを認めてしまっては、理想からかけ離れた自分に対する嫌悪と、現実社会の中で何とか自分が機能していくための自己愛の、微妙なバランスが崩れてしまう。知的な文学という鎧をしているときと、本能丸出しの全裸のときとでは、股間にパンチを受けたときのダメージが違うのだ(増田で本音を徒然書いて叩かれるとしんどいのもそれ)。
結局のところ、海外文学という幻想に逃げていて、同世代の人間が普通にセックスしていることが受け入れられなかったし、高校生がセックスしていると考えると嫉妬に狂いそうになっていた。倒れそうなほど空腹なのに目の前でご馳走を食べる人を、指をくわえてみているような痛みだった。十代の激しい性欲を受け止めてくれる誰かがいる空想は自分をさいなんだ。今にして思えば、セックスをしているからと言って、良好な関係であるとは言えないとわかる。なんであれだけ文学を読んできたのに、それがわからなかったんだろう? 手に入らなかったものがとても素晴らしいものに見えるからだろうか?
大学生の僕は文学サークルの後輩カップルが普通にセックスしていることを聞いても、上野動物園を一角獣がうろついていることを考えるほうがまだリアリティがあった。こういう人間が、幸せなカップルが出てくる真っ直ぐな十代向けのフィクションを読めると思うか?
三十代になってから、中高生の頃に現代文の先生が教材として使った石田衣良「4TEEN」やその続編で「6TEEN」を読んだのだが、主人公が美少女と知り合い、幸運なことに彼女が処女を卒業したがっていると聞いてそのままラブホに直行してベッドインし、童貞を卒業するシーンを見つけ、とにかく馬鹿馬鹿しい気持ちになり、なぜこんなものを読まなきゃならんのかと腹が立ってしょうがなかったのである。
ウワァァ━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━ン!! それ以外は男子の友情を描いた割といい作品だと思う。
こんなJ-POPの歌詞やポカリスエットのCMのような感傷マゾに浸っていた僕が(どれくらいの感傷マゾヒストだったかっていうと、カラオケではポルノグラフィティの失恋ソングばかり歌っていたし、深夜までネットをしてて、さすがに寝ようかという前に、EOEの「Komm, süsser Tod」、「雲のむこう、約束の場所」ED「きみのこえ」、坂本真綾「tune the rainbow」を聞いてすごく感傷的になって布団に入る習慣だった。新海アニメのなかでヒロインが名前を呼んでくれるシーンがあって、それで情緒をぐちゃぐちゃにされていたのである。絶対ラブプラスをやっちゃいけない人間だったと思う)、何でラノベを読まなかったのかというと、ライトノベルではどうせエロイベントがあっても本番はしないだろうと思い込んでいたからだ。そうやって背伸びをし続けた結果良くも悪くも今の自分がある。
とはいえ、今にして思えば、普通に現代の小説を読んでおけばよかった気がしないでもない。
続く。
橋下徹も言ってたけどあれは左翼か?/それよりも「議論相手に対して差別認定すれば勝ち」というルールの方が謎。「ダブスタ認定すれば勝ち」と一緒で論点ずらしでしかない。藤田の論点もそこじゃないと思うよ。
worris 2025/01/02 01:07
https://b.hatena.ne.jp/entry/4764223403417372448/comment/worris
おそらく週刊朝日の記事絡みの発言だと思うけれど、「出自を根拠にした批判は差別」は「差別とは出自(のみ)を根拠にしたものである」とイコールではないからね?