はてなキーワード: 年代とは
金だけ吸い取ったらコロして捨てるしかない連中とは違う
高齢未婚低身長男性が根拠にしたがる芸能界の年の差婚も一般人の金持ちチビおじは選ばれない 。
一般人の金持ちおじさんより、低収入の売れない無名や落ちぶれた芸能人や有名人が選ばれる。
60 名無しさん@恐縮です sage 2024/03/17(日) 11:48:04.04 ID:BQjpPzMO0
「ファザコンでおじさんが好き」なら自分の親父みたいな勤め人を選ぶ者が1人はいるはずだがゼロ
944 名無しさん@恐縮です 2024/03/18(月) 01:16:43.89 ID:9p7wnU0c0
そりゃどこの世界でも「連れ添う男の地位=自分の地位」だからな、女は
玉の輿や地位のある男をゲットすれば自分もその地位までひとっ飛び!だからw
加藤茶の嫁さんは財産目当てってより芸能界の重鎮GETで「あの加藤茶の嫁」に君臨できた事に満足そうに見える
芸能界の重鎮が集うパーティーでも加藤茶やその他大物と一緒に重鎮席に嬉しそうに座ってるからな
951 名無しさん@恐縮です sage 2024/03/18(月) 02:25:51.77 ID:Sctk1boS0
250 名無し募集中。。。 2024/05/20(月) 11:59:51.04 0
金があっても一般人のおじさんは選ばれない
2024/05/17(金) 01:06:46.18 ID:zM7ciUNh0
芸能人や業界人ならブサやデブやハゲやジジイでも女に不自由しない
何故なら「芸能界やその周辺にいる女は芸能界で働く男やセレブ有名人にしか興味がない」にすぎないから
「一般人の高収入の低身長男性」がアイドルや女優や女子アナやお天気お姉さんの旦那に選ばれた事なんか一度もないからな
元ももクロと結婚した医者は高身長かつ多数の有名アーティストの主治医
加藤茶の奥さんなど、芸能界に興味がある女も旦那の地位や知名度や人脈欲しさに容姿年齢関係なく芸能人を狙う
「あの◯◯の奥さん」として露出できるし、旦那の仕事関係や友達の業界人や芸能人やセレブにチヤホヤされたり顔見知りになれるからね
509 名無しさん@恐縮です 2021/12/07(火) 12:53:30.49 ID:5OgkSeRR0
248
アイドルにとって回りがオジサンばかりだから同年代で仕事してる奴ってだけで輝いて見えるからな
17歳でカメラマンやってた友人もロンブー淳みたいなツラして30年ぐらい前のアイドル10股してたし
まず友人の話
(中略)
10股の話は、友人が手を出したアイドルの一人が北野誠のサイキック青年団で
「高校(堀越)の時に付き合ってた人がいたけど、学校でその人の話をしたら『私も付き合ってる』と言う同級生が10人いた」と暴露して明らかに
54 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.5][新芽] (アウグロ MMff-ohih) sage 2024/05/25(土) 12:30:58.31 ID:IzWUjpbIM
「おじさんは若いイケメンキャラの声を担当する声優しか若い女にモテない」
本当だった
317 名無し募集中。。。 2024/05/21(火) 18:13:52.52 0
おじさん好きな女はお父さん要素を求めるから既婚者との不倫に行く
おじさんの人気芸能人は基本10代~20代の頃についたおばさんのファンしかいない
若いファンがいるおじさん有名人は二次元の若いイケメンキャラの声担当の声優くらい
一般男性は妻子がいて金があってと容赦なく老けるしメンテにかける金のある芸能人でも変なオジサンになるからね
67 安倍晋三🏺 ◆ABeSHInzoo 警備員[Lv.10][新芽] (ワッチョイW bb71-Yr3A) 2024/05/25(土) 12:42:40.13 ID:AAhpJtQP0
これは本当にそう
大金かけて必死にメンテしまくってる郷ひろみだって持ち上がりのババアファンしかいない。若い女のファンとか話に聞いたこともない
ネットで声のでかい未婚中年男性は「若い頃非モテだったがおっさんになって高収入を得てモテた」という幻想を好むが
実際に年の差婚してるのは若い頃から女が寄ってきたバツありや芸能界()の遊び人おじさんだからね
初婚男性と女性の平均年齢差は1歳であり、芸能人の年の差婚も一般人の金持ちのおじさんはまず選ばれない
女は収入のない有名人や業界人のおっさんを選んでも金のある一般人のおっさんを選ばない
金で色恋や身体を売る不細工な売春婦に結婚を全財産要求されて言いなりになる事件が定期的に起きるほど異性に飢えてるのはおじさんだけだから
若い頃にモテなかったおじさんは大金があっても女選び放題になれない証明
403 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.6][新芽] (エムゾネW FFb3-VwcR) sage 2024/05/28(火) 16:27:49.67 ID:wH7v8L1bF
芸能界やその周辺の年の差婚のニュース見ても女側が金だけがある一般男性を選ぶことはまずない
一般人の年の差婚も若い頃からヤリチンのバツありおじさんに集中
若い頃すら女に相手にされなかった未婚ボンクラおじさんは相続や訴訟や投資で金が手元に転がり込んでも年の差婚できない
しかし後者は「金さえあれば女は手に入る」とイキって、大金を要求する得体のしれない詐欺師に全財産を捧げてしまう
普通の人間は金で色恋や身体を売る人種派ヤバいから関わらないのに、高齢未婚のおじさんはホスト狂いの発達障害風俗嬢レベルの判断力しかない
そして全財産取られたり「女が悪い!俺は被害者!」と逆ギレして事件を起こす
448 安倍晋三🏺 ◆ABeSHInzoo 警備員[Lv.5][新芽] (ワッチョイW a1e5-akMj) 2024/05/28(火) 20:57:31.10 ID:08Xwo3280
前澤のモテない原因て顔面や身長じゃねーからな。やることなすことがびっくりするレベルでダサいのよ
あれじゃ女には全く相手にされない
それでも肩書きがあるうちは紗栄子みたいな金目の女が寄ってきてたけど肩書き失って宝くじの高額当選者と変わらない状態になった今やゴーリキにも棄てられる
449 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.20] (ワッチョイ d3a2-Av8/) sage 2024/05/28(火) 21:08:08.43 ID:06XOmaU90
暇空も6億円持ってるって言って何年間も婚活したのに結婚できていない
■一般人のチビイケメンやチビ医者より低収入の有名人や高身長の方がモテる
https://anond.hatelabo.jp/20240829181430
僕は都内のIT企業で働いていて、役職こそ管理職ではないものの、年収はおおむね750万円ほどある。正直、一般的にはそれなりに悪くない水準だと思っていたし、実際に自分自身も贅沢さえしなければ生活には十分ゆとりを感じている。しかし、いざ婚活を始めてみると、なぜか自分が思っていたほど女性からの評価が芳しくなく、「それしか稼げないの?」という冷たい反応をされることもあった。いわゆる“ハイスペ”には遠く及ばずとも、平均以上だと思っていた僕からすればかなりのショックだった。どうやら都市部の婚活市場では年収750万円では決して高収入に分類されるわけではなく、下手をすれば“弱者男性”扱いされてしまうらしいのだ。僕はこの現実を知ったとき、一体何が原因なのかと自問自答するようになった。そもそも750万円という金額が本当に低いのか、あるいは僕自身が何か別の面で期待外れなのか。自分が誇りに思ってきた数字が、婚活においては必ずしもアドバンテージになっていない現実に戸惑いを感じた。だが、これが現代の婚活市場の厳しい実態の一端なのだろう。多くの女性は男性を条件で仕分けする際、年収1000万円以上を理想に掲げることが少なくない。僕の750万円は、それらの女性にとっては妥協ラインにすら満たない場合がある。自分の中では“そこそこ頑張っている”つもりでも、市場のルールに照らし合わせると弱者認定されるなんて、複雑な思いだ。もちろん、全ての女性がそうではないとわかってはいても、やはり婚活で不利を感じる場面があるのは事実である。
僕なりに分析すると、婚活では「条件ありき」の人が多く、感情や相性以前にフィルタリングされる傾向が強いと感じる。大まかな目安として、相手を探すときに女性は年収や職業で手っ取り早く候補を絞り込むことが多い。その結果、僕のプロフィールを見た女性のうち、高収入を望む層からすれば750万円は魅力に欠ける数字になってしまうのだ。実際にやりとりの中で「実家はお金持ちなの?」とか「昇給の見込みはある?」などと探りを入れられたり、「将来は家を買えそうですか?」と露骨に経済的基盤を問われたりすることもある。もちろん結婚生活にはお金が必要なのは百も承知だし、将来設計を真剣に考えるからこその質問だというのもわかる。ただ、そのハードルが想像以上に高い。30代後半にさしかかっている今、さらに年収が跳ね上がる見通しが自分の中ではそこまで描けていないとなると、どうしても結婚相手の理想から外れがちになるようだ。共働きでいっしょに頑張ればいいのに、と思う僕の感覚と、婚活をしている女性たちの感覚にはまだまだギャップがあるのだろう。
一方で、僕自身にも問題がないわけではない。見た目は中の中くらいで、特別おしゃれに気を使うタイプではない。どちらかというと社内では地味な存在で、人付き合いもそこまで広くはない。婚活という場では、やはり外見やコミュニケーションスキルも強力な武器になる。女性に対してガンガンとアピールできるタイプではない僕は、収入にそこまで突出した魅力を加えられない場合、選ばれにくくなるのも仕方ないのかもしれない。実際にマッチングアプリなどを利用しても、プロフィール写真や職業・年収を公開している状態であまり興味を示されないこともある。もしかしたら、僕よりもう少し年収は低くても、トーク力があって積極的な男性のほうが人気が高い場合だってあるのだろう。結局は総合的な魅力が婚活市場ではものを言う。年収一つだけでは足りず、雰囲気や会話のテンポ、そして容姿への最低限の気配りといった部分も軽視できない。そこで僕が“地味”な自分を変えようと、服装や髪型に気を配り、エステに行って肌の手入れまで始めたのは、婚活において少しでも有利になりたいからだ。
ただ、こうして自分磨きをしても、いざ会話に入ればやはり「年収1000万円以上の人を探しているんですよね」というストレートな言葉を聞くこともある。それが悪いわけではなく、それぞれが自分の理想を追い求めるのは自由だと思う。でも、僕にとっては大きな壁だ。女性からすれば当たり前かもしれないが、「自分より年収が高い人で、なおかつ家事や育児を分担してほしい」「余裕ある暮らしをしたいから、最低でも1000万円台の年収は欲しい」といった希望を堂々と掲げているのを見ていると、僕の年収750万円はやはり埒外なのだろうかと感じざるを得ない。自分の仕事は手に職があって、ある程度安定しているが、爆発的に収入が上がる職種でもない。となれば、将来的に1000万円のラインを突破できる自信は今のところ薄い。そこを理解してくれる人を探すしかないのだが、そもそも高収入志向が強い層には見向きもされないのが現状だ。
僕は実際、結婚相談所でも「年収○○万円以上」のように検索条件を設定されてしまうとひっかからないこともしばしばだ。だからこそ年収を軸に選ぶ女性とは最初から相性が悪いのかもしれないし、むしろ早い段階で合わないと判明するのはお互いにとっていいことかもしれない。ただ、問題はそこに留まらず、年収軸が合わない女性を外したとしても、次の壁として年齢や容姿、コミュ力など、さまざまな要素でふるいにかけられるのだ。僕は30代後半になっており、相手の女性は同年代か少し年下を希望するが、彼女たちは往々にして“もっと条件のいい男性”を探していることが多い。この“条件のいい男性”の定義は幅広いが、やはり年収や学歴、職歴、ルックスまで総合的に見られることが多く、僕が唯一そこそこ自信を持っていた年収も、望まれる条件に届かないケースが少なくない。「750万円では不満」という声は直接的に聞かなくても、相手のリアクションやプロフィールの希望条件を見ていると察することがある。
また、自分が“弱者男性”扱いされるのを痛感するときは、女性側が「一般的にはそこそこの年収」と理解しながらも、なお「もっと上がいい」と言ってくることだ。しかも、そういう女性がなぜか“ちょっと高飛車な態度”を取りがちなことも多い。上から目線でジャッジされる感覚があるのは、婚活をする男性としてはやはり居心地が良くない。もちろん、全ての女性がそうではないし、中には一緒に働きながら共に家庭を支えていく意欲を示してくれる人もいる。でも、婚活市場全体を見渡すと、「さらに上、さらに上」という条件のインフレが起きていて、僕程度の収入では“もっとがんばってよ”と背中を押される立場になってしまう。ネットなどでは「750万円なら十分高収入だ」と言う人もいるが、それは会社や業界、地域によって価値観が異なるからだろう。少なくとも都会の結婚相談所やハイスペ志向の女性が多い場では“あと一歩及ばない男性”という扱いが現実にあるのだ。
実際のところ、僕はこれまでの仕事人生で必死に努力してきたつもりだ。年収750万円に到達するまで残業や休日出勤も多かったし、役職に就くことを目標に自己啓発もしてきた。それでも婚活においては、もっと若い時期から違う職種や外資系企業に転職し、バリバリ稼げる道を選ばなかった自分を後悔するような瞬間がある。なぜなら、そこに大きな差が生まれてしまうからだ。同年代でも外資系やベンチャーで成功して1000万円超を稼いでいる人たちは、婚活市場で女性から“勝ち組”として扱われがちだ。あるいは医師や弁護士、コンサルなど、資格や肩書きでわかりやすく高収入を証明できる男性が一気に目立つ。その陰で、僕のような「努力してようやく平均以上」に到達した層は埋もれがちになるように思う。自分では弱者とは思っていなくても、婚活市場のメガネで見られたときに、僕はあっさりと“弱者男性”に分類される。
もちろん、こうした状況に不満を抱くだけでは前に進めないし、自分の理想の相手にも巡り合えない。だからこそ、婚活の仕方をもう少し工夫する必要があるとも思っている。年収を最重視する女性ばかりを相手にすると疲れてしまうから、同じように共働きを希望している女性や、年収よりも性格の相性を重視してくれる女性が多い場を探すべきだと感じる。実際、そのような女性たちと話してみると、僕の現在の年収を大きな問題と捉えず、むしろ「安定していていいですね」と評価してくれることもある。ただ、それでも容姿やコミュニケーション能力がある程度高い男性がモテるのは変わらないらしく、根本的には世の中の風潮として“強者男性”が注目されがちなのは避けられないようだ。
また、年収に対する女性側の感覚を変えることは僕にはできないのだから、自分がさらにスキルアップして収入を上げる道を探るのも手だろう。現時点で750万円が限界と思っていたが、もしかしたら資格取得や副業、転職などでキャリアアップすることができるかもしれないし、5年後には年収1000万円を目指せる可能性もゼロではない。そうなれば婚活市場での立場も変わるだろうが、あくまでお金目的で近づいてくる女性を求めているわけではない。それでも、経済的な安心感を大切にする女性が多いのも事実だから、“努力次第で大台を狙える存在”になることで、多少は評価が変わるかもしれない。
何にせよ、「年収750万円」という数字は世間一般で見れば決して低いわけではないものの、都会の婚活市場では“中の上”にも届かず、むしろ“中の中”程度か、それ以下に認識されることがあるという厳しい現実がある。僕はそれを実感しているからこそ、理想だけを追いかける女性を恨むのではなく、自分が本当に必要とするパートナーとはどのような人なのかを改めて考え直す時期に来ているのだろう。いくら条件が整っていたとしても、結局は二人で過ごす時間が楽しく、困難を乗り越えられる相性が大切だ。
今は、条件重視の婚活に疲れた女性たちと出会える場を探しながら、自分自身もステップアップを図るという二正面作戦で進めている。その中で、年収以外の僕の魅力に気づいてくれる人と出会えたら最高だと思うし、さらには「あなたとなら共に頑張れる」と言ってくれる女性がいれば、年収750万円の現状でも十分に幸せな家庭を築ける自信がある。むしろ、結婚後にパートナーと力を合わせて世帯収入を増やすという方法だってあるのだから。最終的には、自分を“弱者男性”と決めつけるかどうかは他人の評価による部分が大きいのは確かだが、自分が本当に何を望んでいるのか、どんなパートナーと人生を共に歩みたいのかを明確にすることでしか、理想の未来は手に入らないのだと思う。僕は今の年収を出発点として、相手を条件で選り好みせず、地道に活動していくつもりだ。自分に合った女性は必ずいると信じて、これからも婚活を続けていこうと心に決めている。結局、結婚とはお互いの価値観や人生観を共有していくもの。スタートラインで少し不利に感じようとも、それを自分の武器に変える努力をすることで、幸せにたどり着けると信じたい。そう思いながら、僕は今日も婚活の場に足を運ぶのだ。
世界がね、そこで閉じるんだよ。
アラフォーの壁があるんだ。
可能性の果てみたいなのがグイーっと立ち上がってきて世界の輪郭が変わる。
そんな悪夢を頭の後ろでいつも見ている。
見下ろす夜の大都会、どこへ飛び降りようかと上から目線だった頃の自分が、気づけば摩天楼を見下ろし二度と届かない空の遠さを思い路地裏にその身を横たえる。
そんな夢を見るんだ。
ああ、俺の人生はもうすぐ檻の中だと。
肉体の檻、生まれの檻、才能の檻、そんな自分の内側にある檻の中で藻掻いていた日の温さを思う。
年収が1000万円を超えた同級生、仕事を楽しいと語る同年代の友人、もう彼らになれることはない。
つまらないつまらないといいながら平均収入ギリギリの仕事を毎日続ける。
貯金は笑える程にない。
酒に消えたのか?
作り方がもうわからない。
俺の人生が閉じていく。
ただ、閉じて、冷えて、輝きを失い、終わる。
人生の終わりが始まる。
長い長い下り坂だ。
生きながらに下る黄泉平坂だ。
振り返るな。死ぬぞ。
何も見るな。足元だけを見ろ。
そしてゆっくりと降りていけ。
死に向かって降りてゆく。
人生の後半が始まる。
何も生み出せず、何も勝ち得ず、真面目に生きてきたと口先ばかりで語りながら怠惰に過ごしてきたツケの精算。
恐怖しかない。
この先の世界の冷たさに心が慣れてしまえば、もう何も動じないだろう。
死に向かい足掻く日々が、死の受容が始まる。
判決が下るのだ。
相手に対して色々求めてる自分に気付かされるだけで何の意味もない活動だよ婚活は
相談所もアプリも平場で異性に相手にされない人達が集まってるの、本当に
形だけ相手を見繕っても同年代の人達の配偶者と比べて惨めになるだけだよ
30歳超えたら結婚は諦めたほうが良い
読んだ感じ同年代だと信じ切ってた
けどふとした投稿で一回りくらい上らしいと分かった
たしかにそれくらい年上というなら納得するところはあるかも
そりゃたしかに気の毒だけど、マンガで読むにはいまいち弱いのよ
一生に一度の成人式だとか、思い出の◯◯が、って、どうしてもお気持ちの問題になってしまう
あのマンガは実話を元にした奇跡的な恋愛譚、としてのまとめ方だったけど
それよりは、美容室の施術ミスを具体的に説明したり、ミスした施術の訴訟に向けての資料作成などの段取りなんかを詳細にしてくれたら、興味深く読めたのにと思う
30代以降は、周囲の同年代とのギャップが大きく成りすぎて、本人も周囲もしんどいから、どうしようもない。利益を追求する企業は、社会不適合者にいつまでも付き合うこともできない。それに対応できるのは、行政、社会福祉の領域。
なぜ規制派オタクは同じオタクを見下すのか。その「異常」な同族嫌悪の理由をわかりやすく説明するよ。
https://somethingorange.jp/entry/otakusabetu
若いオタク達と触れる機会もある人間として、この記事には一部同意する所と、微妙に意見が違う部分が有る。
意見が違う部分はブコメでコメントされてもいる「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という所。
私もこのブコメに同意で、そもそも今の「オタク」とオタクを見下し批判している高齢オタクは全然層が違う。だから本当はこれは「同族嫌悪」ではない、そもそも同族ではないから。
そしてその部分こそ今の高齢オタクの醜い部分が凝縮した側面だと私は思っている。
私も一部のオタクに対する批判には頷く部分もある、確かに一部のオタクの言動はミソジニーやその他問題に溢れる事が有るからだ。
しかし大半のオタク批判は批判する範囲を間違えている。多くの場合(全て、完全に、ではないが)そうした問題を抱えるのは高齢オタクであり、批判を「オタク」全体に向けた瞬間関係のない多くの若いオタクを巻き込んでしまうからだ。
例えば、昔の2chでは女叩きが横行していた、という話がある。それは事実だ。この目で見てきた。しかし当然ながらその頃生きていなかった若いオタクには関係の無い話だ。
これは先程の層の違いでも同じ事が言える。そもそも今のオタクは「根暗」「陰キャ」といった古いオタクの層とは異なる、昔なら「リア充」と呼ばれていたような陽キャの層も含んでいる。
例えば昔のオタクが非モテ故にミソジニーをこじらせていたとしても、そもそもリア充も含む現在のオタクでは同じ現象は起こらない。
要するに、同じ「オタク」という言葉で呼んでも今と昔では全然層が違うのだ、いっそ、非常に強引だが「非リア充(昔のオタク)」と「リア充(今のオタク)」と分けて読んで考えた方が、「オタク」と同じ名前で呼ぶことで生じる錯覚を減らす事が出来るかも知れない。
勿論リア充ならミソジニーを抱えない訳ではないが、少なくとも非リア充の場合とは発生する経緯も種類も割合も全然違う。
勿論単純な年代の問題もある、今の高齢者は今の若い人たちと比べて、差別的な価値観を抱えている割合が単純に多い、これはオタク内でも同様だ。
現在の若い人達は価値観は概ねリベラルで、差別に関しても昔より差別を忌避する感覚が強い、勿論個人差は大きくあるが、全体的な傾向はそうなっていて、若いオタクも同様になっている、というのが彼らと触れる機会のある私の肌感覚。
従って、少なくとも割合で考えれば、ミソジニーや問題を抱え、女叩き等の現実の実績も有るのは、若いオタクよりも圧倒的に高齢オタクだ。
つまり前述の通り、高齢オタクによるオタク叩き・オタク差別は、同族嫌悪や自己批判といった「高邁」なものですらない。
高齢オタクが自分達の罪を若いオタクという関係の無い層を巻き込む形で擦り付け、最後に「自分は違う」と逃げる、極めて醜悪な責任転嫁でしかない。
かつての「オタク」が抱えたミソジニーや、それによって生じた様々な問題は、飽くまでそれを実際に行っていた高齢オタクの中の問題だ、若いオタクは関係ない、高齢オタクの中で解決するべきだ、関係無い層を巻き込むな。
しかも、そうした理不尽な巻き込みは、ミソジニーを抱えていない若いオタクにフェミニズムへの嫌悪感や反感を抱かせる契機にも成り得る、百害あって一利無い。
更にまた、今の若いオタクはライトなオタクが多く、現行の萌え(も既に死語になりつつあるが・・・・)が標準化した文化に慣れ親しんだ人が多い。
一方で古いオタク、特にオタク批判(の名を借りた醜悪な責任転嫁)を進んでするようなオタクの中には所謂「硬派なオタク」が多い、中には萌えにも拒否感を示す人もいる層だ。
ここで興味深いのは、一般的にオタク批判はオタク文化のなかでも萌え文化を指して糾弾する物が多いが、その実、上記の通り「硬派なオタク」の方が高齢オタクの率が高く、従って、ミソジニーや差別的な価値観を抱えた層も、割合としては多い可能性がある事だ。
当然ながら、「硬派」である事と「ミソジニーでない」ことはイコールではないし、阻害要因となる訳でも無い。従って、硬派から萌えへなされるオタク批判は、むしろミソジニー等を多く抱える層から別の層へ向けられている、という実態がある可能性がある。
実際の所はデータでも無い限りなんとも言えないが、年齢層だけ考えればそうなる蓋然性が高いとは言えそうだ。
ただの醜悪な責任転嫁でしかない事を明らかにしたので、既に明らかだが、どれだけオタク批判した所であなたのミソジニーや差別意識が洗い流される訳ではない。
オタク批判をし、体面上はフェミニズムの見方であるようなポーズをとっておきながら、なおも内面にミソジニーを抱えた人は幾らでも居る、何人も見てきた。
そうした人達は、主にオタク批判の中で尻尾を出す、例えば女性のオタクや創作者や、リベラルフェミニストと対立した際に、その言葉遣いや態度、スタンスに隠していた筈のミソジニーが溢れ出す、何度も見てきた。
また、オタク批判そのものが旧態依然とした、昭和的なマッチョイズムまみれという場合も有る、むしろ多い。結局の所、彼らのオタク批判は皮肉にも昭和的マッチョイズムと有害な男性性に支えられ、構成されている。
オタク批判をするからミソジニーが無いのではない、差別者でないのではない、あなたがオタク批判をするとしても、依然あなたにはミソジニーがあり、マッチョイズムがあり、有害な男性性があり、差別者である。
現在の若いオタクはリア充も非リア充も含み、陰キャも陽キャも含む、かつての様な偏りを含まない為、ミソジニーへと直接繋がるような契機を持たない。
唯一有り得るのは、古い高齢オタクの責任転嫁をまに受け、そこに有った問題や対立を継承してしまう事だ。
それが好ましい人間も、そうなって欲しい人間も居るだろう、あなたはどうか?この醜悪な伝統がこれからのオタクにも引き継がれて欲しいと思うか?
高齢オタクに必要なのは、「オタク」というもう既に層が変わって別物になってしまった層に、昔のオタクの罪を擦り付けることではない、高齢オタク内の問題を高齢オタク内で完結させ、自分達の中だけで解決する事だ。
無関係な他者を巻き込むな。批判するならまず自己を批判しろ、自己に見せかけた(名前が同じだけで他人である)「オタク」ではなく、自分自身がちゃんと射程に入り、関係ない人を巻き込まない批判をしろ。(差し当たって、「高齢オタク」がとりあえずオススメだが、勿論そこでも巻き込まれる人が出る事は注意)
いい加減、この醜い対立から無関係な若いオタク達を解放しよう。
高齢オタクや氷河期オタクの全員が女叩きやミソジニーに染まっている訳ではないのなら、若者オタクだってそうだしオタク全体だってそう、何なら「表自戦士」だってそうだよ。
高齢オタクや氷河期オタクは同世代のオタクが女叩きやってた時に何してたの?止められなかった感想はどう?そんな奴知らない、他人だ、連帯責任なんかないと言うなら、若いオタクもオタク全体も表自戦士もそうでしょ。
これらは全てある程度無辜の人を巻き込む藁人形であり、「藁人形論法が迷惑だと主張するために、新たな藁人形を人身御供にしている」という指摘は正論だし正しいと思うけど、
私はこの人達が藁人形を手放す事は絶対にあり得ないと思ってる。だからせめてなるべく巻き込みの少ない藁人形を渡すべきだろうと。
本当は藁人形を一切使わせないのが理想なのは正しい、でも出来る?不可能でしょ、オナニーにハマった猿にオナニーを止めさせるのと同じ位無理だよ。
あなたたち自身出来ると思わないでしょ?藁人形を手放せる?無理でしょ。
私の主張はシンプル。
・従って次善の策として、藁人形はできるだけ小さく、巻き込みが少ない方がいい
・そのため、新たな藁人形は「高齢オタク」が推奨(「オタク」よりはかなりマシ)
・別に「表自戦士」でも構わない(確かにそっちの方が更に巻き込みが少ないかも)ただし、それも藁人形であることには変わりない(例えば、エロや萌え表現だけじゃなく、表現の不自由展や教科書等の表現の自由にも関心を持つ表示戦士は居るし、ミソジニーを抱えない人も居るだろうしね)
「発達障害大全」より。
「ニューロダイバーシティー」というのは、脳の特性に基づく発達障害の診断を、病気や障害とみなすのでなく、脳の少数派(ニューロマイノリティー)として捉える考え方です。英語圏で始まった「自閉症権利運動」から、1990年代後半に生まれた概念で、今、発達障害の関係者たちの間へと広がっています。 この立場に立つと、発達障害と定型発達の違いは、「脳の多様性」で説明できます。発達障害者がニューロマイノリティーであるなら、定型発達者がニューロマジョリティー(脳の多数派)ということになります。誰もが皆、一人ひとり、脳の多様性のなかを生きているということです。
婚活アプリのプロフィール欄、年収と身長を入力する手が止まる。「正直に書いて、また門前払いか」という諦めと、「盛るのは、もう疲れた」という正直な気持ちの間で揺れる。
四十路を過ぎた私の市場価値は、婚活市場では既に底を突いている。休日に参加する婚活パーティーでは、同年代の女性から「子供は諦めています」という自己紹介の言葉が、決まって聞こえてくる。
先日、実家の母が電話口で「もう、こだわらなくていいのよ」と言った。その優しさが、逆に胸を締め付ける。確かに私は、もう若くない。だが、人生の伴侶を選ぶことに、妥協の選択肢はあるのだろうか。
婚活サイトの画面に映る自分のプロフィール写真。少しでも若く見えるよう加工した笑顔の奥に、四十年分の孤独と希望が透けて見える。今夜も、送信ボタンに指がかかったまま、躊躇している。
世間ではひろゆきさんを誤解している方が多いようだがそれが少し我慢ならない。
私はネットでのひろゆきさんしか知らない人たちよりはちょっとだけひろゆきさんに近い立場の人間だ。
なので私の知っているひろゆきさんについて少しだけ語りたい。
彼は公式で2ちゃんねるについて語る時暇つぶしにはじめたと語る。しかしこれは真実ではない。
まだネットの普及していない1900年代において弱者の声は世間では無いも同然だった。その声なき人たちの声を出せる場所をつくりたいとしてつくったの本当の理由だ。
彼の生まれ育った環境では生活保護を受けるなど貧困家庭が多かったそうだ。おそらくそうした環境から考えに至ったのだろう思われる。
2ちゃんねるによって弱者でも声を上げる場所ができたのだ。2ちゃんねるによって救われた人は数多くいたはずだ。
しかし副作用も多かったのも事実だ。そのためかSNSが普及しはじめた2010年代には徐々に2ちゃんねるからフェードアウトしていったのだ
2ちゃんねるからフェードアウトした後しばらくして、彼は世間に顔を出すようになった。
聞くところによると2ちゃんねるで日本社会を変えたがその反動も大きく悩んだ末に困難にあっている人を一人一人出来うる限り自分の手で救いたいとの考えに至ったそうだ。
それが現在のYoutubeでの人生相談やAmebaTVでの活動につながっている。
私は僭越ながらひろゆきさんは未来において歴史に名を残すことはないかもしれないが、よくも悪くも現代日本をつくった偉人だと考えている。