「存在感」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 存在感とは

2025-01-23

腐女子機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-を見てきた感想

ついに公開された『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』、初日に飛び込んできた私の目はスクリーンに釘付けになりました。タイトルからしちょっと変わった雰囲気を醸し出していましたが、見始めてすぐに「あ、これは絶対に外せない新世代のGガンダムだ…!」と確信。いや、正確にはGガンダムというよりも、宇宙世紀の要素がバッチリ盛り込まれつつも、そこにアナザー要素が混ざり合った不思議感覚を覚える作品でした。今回の目玉は何といっても主人公メカであるガンダムジークアクス」の存在感。新たなフォルムが持つその圧倒的な威厳は、旧来のガンダムファンでもきっと興奮せずにはいられないのではないでしょうか。

さて、ここからが本題。私、何を隠そう腐女子目線ガンダムシリーズを愛し続けてきた人間です。モビルスーツのかっこいい活躍はもちろん大好物ですが、それ以上にキャラクター同士のドラマ関係性が気になって仕方がない! そして今作、私にとって特筆すべきポイントは「シャアが出てくるうえに、何とシャリア・ブルとマブダチ」という衝撃の設定。このふたり関係は“宇宙世紀のどこかで匂わせていたかもしれないけど公式ちゃん説明されなかった”ラインだっただけに、ファン的には「そこにスポットを当てるの!?」というサプライズでした。

まず、シャアシャリア・ブルが作中でどんな関係なのか。序盤こそ「旧知の仲」という雰囲気をにおわせる程度でしたが、中盤以降は「こいつらガチでマブダチなんだな…」と確信できるやり取りがふんだんに描かれています。とりわけ、シャリアパイロットとして圧倒的なニュータイプの才能を示す一方で、シャアはいものクール仮面の裏に隠された複雑な心情をちらりと見せるシーンが最高。表向きは常に飄々としているシャアが、シャリアの前だけでは少し弱音を吐いたり、逆に「お前はもっと自分信じろ」と熱い激励をする姿は、腐女子目線で見るとまさに “完璧なバディもの” の土台です。ここで萌えないはずがない!

しかも、シャリア・ブルといえば『機動戦士ガンダム』(一年戦争時)で悲運の死を遂げたキャラクター。あまりにも早く退場してしまったため、旧作では“シャアにとっての特別存在”だったのかどうか、確定的には語られませんでした。そのため今作での「生存ルート(?)」というか、まさかこの新たな timeline でシャアと肩を並べて登場するとは…ファンとしては胸が熱くなる展開ですよね。序盤の顔合わせシーンでは、シャリアさらりと「相変わらず真面目だな、シャア」と言い、シャアが「お前こそ、そういうときは黙っていてもいいんだぞ」なんて口調がやわらかいまま言い返す。このやり取りだけで、「はいはいはい! 尊いです!」と何度スクリーンを拝みたくなったことか!

そんな二人に加え、今作を牽引するニューカマーともいえる若き主人公パイロット名前は仮にルーカスします)が乗り込むのが、ガンダムジークアクス。これがまたすごい。視覚的にガンダムらしさを大きく踏襲しつつも、背部に印象的なウイングバインダーを備えていて、“ジーク”というドイツ語ニュアンスを感じさせる硬質なデザインが目を引きますビームサーベルの形状すら独特で、左右に展開する可変式。さらに、コックピットシーンではルーカス重力下と宇宙空間で別々の操作体系をとる描写リアルかつ斬新。ストーリー上でも試作機ゆえの不完全さが強調され、そこをシャアシャリアが「大丈夫、我々がいる」とサポートする展開は、“兄貴分”を感じさせてもうたまりません。

シャアシャリアが、主人公の成長のために陰日向から支えているような構造は、まるで兄弟一人っ子の弟を甘やかしつつも鍛え上げているかのよう。腐女子的に「いや、そこはお互い同士ももっと絡んで…!」と思わずはいられないところですが、この序盤の時点ではまだ二人の過去小出しにされている段階。きっと今後の展開でもっとディープな絆や秘められたエピソードが語られるのではないか、そんな期待を抱きました。

戦闘シーンはハイスピードかつ爽快。宇宙フィールド自由自在に動くジークアクスに、シャアの赤い専用機(やっぱり赤!)と、シャリアの機体が光の残像を残しながら連携するシークエンス胸熱一言しかしその華やかさの裏で匂いつのは“男たちの内面”。シャアがこれまで背負ってきた宿命や野望、シャリアが見据える新時代ビジョン…。それがどう交錯していくのかを想像しながら鑑賞すると、もっと奥行きが生まれます。加えて、ルーカスという若者を通して二人が何を託そうとするのか。腐女子の私としては、やはり「いつ裏切りが起こるのか」「いつ離反してもおかしくない危うい関係がどこかに潜んでいるのでは?」とドキドキしつつ、彼らの関係を見守りたくなるんです。

総じて、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』はガンダムシリーズの新たな可能性を提示する作品でした。ガンダムジークアクスという主人公メカデザインギミックの魅力は言わずもがなシャアシャリア・ブルのまさかの“マブダチ”設定がもたらすドラマ性はシリーズファンも思わず唸るところでしょう。個人的には「腐女子妄想が捗りすぎる…!」という感覚がありありと湧いてきて、今後の展開でさら多面的関係性が描かれることを期待せずにはいられません。今までは断片的だった二人の関係に光が当たることで、シャア人間的な弱さや優しさ、シャリアの持つ本来の魅力があぶり出される展開になる予感がします。

長年宇宙世紀シリーズを見守ってきた腐女子としては、こんなにも美味しい人間模様を出してくれるなんて…!と、思わず劇場を出るときには顔が熱くなるほど興奮していました。まだまだ始まりに過ぎない本作ですが、次回作や続編があるならば、さらに深堀りされたシャアシャリアエモーショナルな絡みを期待しています。そしてガンダムジークアクスは、そんな二人の物語を映す鏡のような存在として、更なる進化を遂げるのではないかと。今後の展開から目が離せない、大満足の一作でした!

SMAP中居くんの思い出

 私がSMAPというグループ出会ったのは、小学生の頃にテレビで偶然見た音楽番組きっかけでした。最初に目に留まったのは、センター付近に立って元気に歌い踊る5人の姿。その中でもひときわ明るい笑顔で、パフォーマンス中にも関わらず絶え間なく周囲にツッコミを入れたり、メンバーをいじったりしていたのが中居正広くんでした。当時は「歌っている最中なのに、こんなにしゃべっていて大丈夫なのかな?」と幼心にも不思議に思ったのを覚えています。けれど、その自由奔放な雰囲気がとても面白くて、気づけば私はすっかりSMAP番組を追いかけるようになっていったのです。

 バラエティ番組での中居くんは、他のアイドルとはひと味違う存在感がありました。いわゆる「アイドルらしさ」よりも、芸人さん顔負けの切り込み方や、気の利いたコメントで場を盛り上げる姿が際立っていたのです。もちろん、格好良く歌い踊る姿も素敵でしたが、それ以上に私が惹かれたのは中居くんが見せる“MC魂”のようなもの言葉で人を笑わせ、安心させ、時には厳しく指摘もするけれど、最後にはその場にいるみんなをちゃん大事にする。その姿勢SMAPというグループの垣根を超えて、多くの芸能人視聴者から愛される理由だと感じていました。

 SMAPを語るうえで欠かせない番組ひとつが、やはり『SMAP×SMAP』です。バラエティコントトーク、そして料理コーナーの「BISTRO SMAP」と、まさに総合エンターテインメント番組と呼べる内容でした。そこでも中居くんは、進行役やツッコミ役として重要ポジションを担っていました。毎回ゲストを交えながらのトークパートでは、中居くんならではの話の引き出し方が際立ちますゲストの経歴や最近出来事を聞きだしながら、時にはメンバーを巻き込んで笑いを作る。そして相手ちょっとした仕草失言絶妙につつきつつも、どこか愛情を感じさせる口調でまとめ上げる。そのやり取りを見ていると、ゲストも居心地の良さそうな雰囲気を醸し出していたのが印象的でした。

 さらに印象深いのは、メンバー間の関係性です。木村拓哉さんがグループの顔としてクールオーラを放ち、草彅剛さんが少し天然めいた穏やかさで空気を和ませ、稲垣吾郎さんが知的スマートな振る舞いを見せ、香取慎吾さんがアーティスティックかつお茶目なアイデアマンとして盛り上げる。その中心で、中居くんはまるでお兄ちゃんのように全員の特徴を把握し、それぞれに合わせた的確なツッコミフォローを入れていました。SMAPバランスを保つ“司令塔”というか、“まとめ役”としての役割があったからこそ、あの自由奔放な個性派集団が一つの大きなエンターテインメントを生み出すことができたのだと思います

 中居くんの思い出を語るなら、『うたばん』も外せません。石橋貴明さんとタッグを組み、ゲストアーティストを迎えてのトークは、時にアイドル番組とは思えないほど鋭いツッコミボケが炸裂し、毎回手に汗握るような面白さがありました。アイドルなのに、ここまで突っ込んで大丈夫なの?と心配になるほどの攻めた展開。でも中居くん石橋さんも、相手の魅力を引き立てるために全力で盛り上げているのが伝わってきました。ゲストとの絡みの中で、ちょっと厳しいことを言っても笑いに変える技術や、相手負担に感じないように言葉を選ぶバランス感覚は、まさに“番組MC”としての腕前そのもの。多くの人気アーティストが『うたばん』に出たがる理由の一つに、中居くんとの掛け合いが生む“ハプニングから面白さ”を求めていた、というのも納得でした。

 また、『FNS歌謡祭』や『NHK紅白歌合戦』など、大規模な音楽特番でも中居くんMCや司会として活躍してきました。特に時間生放送において、時間管理や進行、そして突然のアクシデントへの対処など、さまざまな能力が求められます。そんな状況でも、中居くんほとんど動じることなく、次に話を振る相手を見据えて瞬時にコメントをまとめあげる。その柔軟性と仕切りのうまさは、幼い頃にバラエティで見せていた“自由さ”と表裏一体だったように思います即興のやり取りが求められる中でも、彼が必ず忘れないのが「周りへの気配り」。カメラに映っていない場面でも、共演者に小声で指示を出したり、笑顔フォローしたりと、その人柄がにじみ出ていました。

 そして、一ファンとして忘れられないのが、ライブでの中居くん存在感です。ダンスや歌のスキルに関しては、他のメンバーのほうが得意とされることも多かったかもしれません。だけど、中居くんステージの真ん中で煽りの声を出すと、会場全体がぐわっと盛り上がるのを肌で感じた瞬間が何度もありました。MCタイムでは、時にメンバーからかいながら、時に客席に向かってユーモアたっぷりに語りかけながら、あっという間に空気を一つにしてしまう。あの空気感は、リーダーとしてファンとの距離を一番近くに感じさせてくれる、特別ものだったと思います

 また、中居くんは時に“ヘタレキャラ”を自称することもありました。運動会スポーツ番組などでほかのメンバーに比べて活躍が今ひとつだったり、本人が「オレ運動苦手だから」と照れながら言い訳をしたりする場面もしばしば。でも、そういうところも含めて、ファンとしては親しみを感じるポイントでした。完璧すぎないところがまた魅力で、「自分を落とすことで周りを立てる」というサービス精神根底にあるように思います

 バラエティの場面だけでなく、人をサポートする姿勢SMAP全体にも影響していました。メンバー同士がバラバラ仕事をたくさんこなす中で、それぞれが様々な経験を積み、時に悩んだり迷ったりすることもあったはずです。そのときに「チームとしてどう進んでいくか」を考える上で、中居くんリーダー立場から柔軟にメンバーを受け入れ、必要に応じて背中を押したり、時には厳しく叱咤したりしてきたのではないかと感じます。表向きには冗談混じりで「俺がリーダーだって言ったことは一度もないんだよね」なんて語ることも多かったですが、実質的には最年長としてグループをまとめる心配りを常にしていたように思えました。

 個人的に好きだったエピソードの一つは、番組収録の合間や楽屋で他メンバーと何気ない会話をしているときの話。メンバーが新しく始める企画ドラマに対して、中居くんは「それ、いいねえ!」とすごく興味を示しつつ、具体的にどう盛り上げられるかを一瞬で考えていたというエピソードです。それを聞いたとき、「ただ楽しいねって言うだけじゃなくて、どうやったら番組として面白くなるか、どうやったら視聴者がワクワクするかを常に考えているんだな」と感心しました。アイドルでありながらプロデューサー視点を持っている、そんなところが中居くんのかっこよさの一つだと思います

 SMAPが多くのヒット曲を世に送り出し、国民的なグループとして君臨した理由はさまざまあるでしょう。メンバー一人ひとりのスター性や楽曲の良さ、ドラマ映画での活躍などの要因が重なり合っての成功だったと思います。でも、その大きな渦の中心にいたのが、中居くん存在ではないでしょうか。ライブ番組構成を考え、グループ方向性を冷静に見極めながら、必要とき自分が矢面に立って場を和ませる。その絶妙バランス感覚が、SMAPを一つにまとめる大きな支柱になっていたように思います

 長い年月を経て、SMAPというグループは大きく形を変えました。それでも、私たちの中にはSMAPが残してくれた多くの思い出や楽曲番組での名シーンが色あせることなく生き続けています特に笑顔あふれる中居くんの姿は、当時のファンにとっては鮮明に焼き付いているはずです。自分たちが楽しむだけでなく、視聴者ファン、そして一緒に仕事をする仲間を思いやる彼の振る舞いは、バラエティ番組を中心にした日本エンターテインメント界にとって一つの理想像だったといえるのではないかと思います

 もちろん現在活動でも、その経験値をフルに活かして、さらに磨かれたトークスキルを見せてくれていますしかし、私たちファンが時々思い出すのは、まだ若くて少しやんちゃさもあり、どこかいじられキャラでもあった“旧SMAP時代”の中居くんの姿。テレビの前で腹を抱えて笑ったり、ライブ会場で一緒に声援を送ったりしていたあの頃は、私にとっても青春の一部でした。彼が楽しそうにメンバーとの掛け合いを見せてくれるたびに、「ああ、SMAPって本当に仲がいいんだな」と感じられて、それだけで明日からの元気をもらえたものです。

 今振り返ってみても、あれほど多種多様な才能を持ち寄りながら、しかバラバラ個性をしっかりまとめ上げるグループはそう多くないように思います中居くんはその中でも特に、「自分楽しいと思うこと」を軸に、周りの人たちにも楽しさを広げる才能があるのだと感じます。彼が時折見せる優しい表情や、言葉の端々ににじむメンバーへの思いは、画面越しでも十分に伝わってきました。だからこそ、笑いにあふれたSMAPバラエティコンサートを思い浮かべると、自然こちらも笑顔になるのだと思います

 旧SMAP中居くんを思い返すとき、私が一番大切にしているのは「温かさ」と「笑い」です。さまざまな番組ライブの中で、彼がファン共演者、そしてメンバーに注いでいたものは、アイドルを超えた一種の“人間らしさ”のような気がします。ステージの上でギラギラと輝くだけではなく、どこか隣にいそうな親しみやすさで、でも気づけばしっかりと中心に立って場を回している。そのギャップこそが、中居くんを唯一無二の存在にしている理由ではないでしょうか。

 私にとってSMAPというグループは、思春期から大人になっていく過程で、たくさんの楽しみや感動を与えてくれた存在でした。その中心でいつもバラエティ豊かな笑いを提供してくれたのが中居くんです。リーダーでありながら「リーダーらしくない」態度を取りつつ、それでも大事なところでメンバーを一つにまとめる。そんな中居くんの姿に、今でも私は元気や勇気をもらいます。たとえ環境が変わり、活動スタイルが変わっても、あのころの明るい笑顔と思いやり溢れるトークは、ずっと色褪せずに心に残り続けるのだと思います

 こうして改めて振り返ってみると、“旧SMAP”という一つの時代象徴する存在の中で、中居正広くんがどれほど重要役割を担っていたのかを再確認することができます。彼が築き上げてきたバラエティでのポジションメンバーを支えるリーダーシップは、簡単に真似できるものではありません。これから先、さら活躍の場を広げ、より自由な形でエンターテインメント創造していく中居くん。その姿に触れるたびに、私は「やっぱりあの頃のSMAPは最高だったな」と、懐かしさとともに温かい気持ちになるのです。今でも繰り返し見たくなる映像ライブ音源がたくさん残っていることを幸せに思いつつ、これからもずっと、あの輝かしい記憶を大切にしていきたいと思います

要潤中居正広引退を惜しむ男らしいお気持ちを発表

https://i.imgur.com/2QWWZEC.jpeg

要潤

@kanamescafe

辞めないで欲しかった。個人的仕事よりプライベートでのお付き合いが多かった。仕事の時よりプライベートの時の方がより人格者スターとしての存在感は強かった。

僕の目にはそう映っていました。

辞めても何も解決しないし、法に委ねて決裁が下って罪を償っても社会同調圧力によって社会的地位から抹殺されるのであれば法律は何のためにあるのだろうか。

加害者被害者も救済を受けられる社会になって欲しいと思う。

ヒムパシー

himpathy〔女性蔑視した男性や、性犯罪を犯した男性に対して(him)、他の男性不適切な同情(sympathy)を示すこと。〕

単語

お手本のような男らしい共感

anond:20250122212341

ブコメで「だったらみんなコマンドー見ればいいだろ!動けこのはてなブックマークが!ブックマークしろってんだよ!(ガンッ!)この手に限る。」というのがあったんだが、実に興味深いコメント

そもそも、このコメントの真価を理解するためには、1985年に公開された映画コマンドー」についての知識が不可欠。アーノルド・シュワルツェネッガーが主演したこ作品は、単なるアクション映画の枠を超えて、ある種の文化的アイコンとしての地位確立している。その理由は明快で、徹底的に突き抜けたストーリー展開、シュワちゃんの圧倒的な存在感、そして何より秀逸な台詞回しにある。特に台詞については、日本語吹き替え版の魅力も相まって、長年に渡ってネットミームの源泉となっている。

このブコメ構造を紐解いていくと、実に巧妙な技法が使われていることが分かる。まず「動けこのはてなブックマークが!」という部分。これは映画内の名シーン「動け、この腕(ポンコツ)が!」のパロディなわけだが、単なる言葉の置き換えに留まらない。主人公が負傷した腕に語りかけるという、ある意味で非合理的な行動を、はてなブックマークという仮想的なプラットフォームに対する呼びかけに転換することで、デジタルアナログ境界絶妙にぼかしている。

続く「ブックマークしろってんだよ!(ガンッ!)」という部分も秀逸。映画における主人公の荒々しい行動原理を、ネット上の行動に置き換えることで、現実バーチャル世界を交差させている。特に「(ガンッ!)」という擬音の挿入は、テキストベースコミュニケーション物理的な重みを持たせる効果がある。

そして最後の「この手に限る。」というフレーズ。これは映画内では、主人公が「敵を倒すにはこの方法しかない」といった、直接的で物理的な解決策(例えば「武力制圧する」「爆破する」など)を提示する際の決め台詞として使われている。

ところが、このブコメでは「ブックマークする」という、インターネット上の電子的なボタンを押すだけの穏やかな行為に対してこのフレーズが使われている。つまり映画における「力づくの解決」という文脈と、ネット上の「クリックつの行為」という文脈の間にある極端なギャップが、ユーモアを生んでいるわけだ。

これは単なる言葉遊びを超えて、バーチャルリアル境界を行き来する現代的な表現として捉えることができる。そして、そのギャップ理解して笑える人がいるということ自体が、インターネット文化の深さを物語っているんじゃないだろうか。

興味深いのは、このコメント全体が持つ多層的な意味構造。表層では「みんなの好きな映画」という問いに対する一つの回答として機能しながら、その表現形式自体が答えの正当性を主張する論拠となっている。つまり、このコメント真意理解できる時点で、その読者は既にネット文化の深層に触れているということを意味するわけだ。

こういった重層的な文化的参照を可能にしているのは、インターネットという場が醸成してきた共有体験の深さなんだろう。単なるパロディ引用の域を超えて、新たな意味を生成し続けるという現象は、まさにネット文化成熟を示す指標と言えるかもしれない。

それにしても、一見シンプルに見えるネタの中に、これほど複雑な構造が埋め込まれているというのは実に面白い

anond:20250123004739

「読まない」と「読めない」は明確に違うので

 

読めないならAIに投げたら読み方を投げてくれる

下記はそのままコピペして返ってきた回答

 

⭐️ ChatGPT-4o

スマホガチャゲーの関係

 スマホは「生活必需品」でありながら、SNSガチャゲーといった「暇つぶし」のプラットフォームとしても機能している。

 見た目のアピール要素としてもスマホ存在感は大きく、これが買い替え需要を生んでいる。

 

 これはコンソールPCの「重さ」だけでなく、そもそもその使用シーンがガチャゲーには適していないからだよね。

 外やベッドで寝転んで遊びたいライトユーザーが、クソ重いハードを使いたがるわけがない。

 

CS機のポジション限界

 最新のポータブルゲーミングPCSteam DeckやROG Allyなど)は、重量を許容してでも高性能なゲーム携帯したいユーザー向けに作られている。

 一方で、スマホは軽さと汎用性、そして遊びやすさに特化していて、まったく違うニーズに応えるものだよね。

 

 これらのデバイスを選ぶ理由は、ゲームゲームらしく楽しみたい」という動機が強いから。

 むしろガチャゲー疲れ」や「課金疲弊」した層が、Cities: SkylinesやCivilizationのような奥深いゲームに流れている。

 

 

FPSや他ジャンルゲームについて

 その点、PS5はPC比較するとやや劣るものの、CS機同士では十分な競争力を持っている。

「どうしてもCSでやらなきゃいけない」のであれば、PS5が応答速度や安定性で優位性を保つのは納得。

 

ガチャゲーの未来

世界的に見ても、ゲームデザインや収益構造の転換期にあると言えるね。

結果として、ガチャ要素が強いゲームに飽きた層が、インディーゲームや高品質CSゲームに流れている流れは続きそう。

 

まとめると:

スマホガチャゲーを遊ぶのが大多数派で、ハード選択ゲームジャンル使用シーンに応じて変わる。

「PS5を使ったFPS」と「スマホを使ったガチャゲー」は全く異なる需要を満たしているから、無理に重ね合わせる必要はない。

コンソールゲーム市場ガチャゲーとは違う価値軸を打ち出していくべきで、その軸にはPS5のような高性能機がまだまだ活躍余地がある、という感じだね。

2025-01-21

2024年って、意外な日本勢が中韓勢に存在感を示したよな

ソシャゲ界は原神ブルアカが圧倒すると思われていた中颯爽と学マスが現れたし、アイドル界でもK-POP無双するかと思いきやFRUITS ZIPPERとき宣のような日本らしいKawaiiアイドル活躍した

中韓コンテンツももちろん好きではあるんだけど、日本コンテンツが盛り上がるとやっぱ嬉しいね

機動戦士ガンダムジークアクスが大人気らしい

 2025年の春先、突如としてガンダムファンの間で熱い話題となった新作アニメーション映画機動戦士ガンダムジークアクス』。本作は “パラレル宇宙世紀” という新たな設定を掲げ、シリーズ従来の魅力を活かしながらも、大胆な再構築を試みた意欲作として注目を浴びている。公開直後から口コミを中心に爆発的な支持を獲得し、つい先日、興行収入が6億円を突破したと公式発表があった。いわゆる大御所監督メディアゴリ押しがあったわけでもないが、作品のものクオリティ話題性により、多くのファン劇場へと足を運んでいるのだ。

 そもそもパラレル宇宙世紀” とは何なのか。ファーストガンダムをはじめとする既存宇宙世紀作品と設定を共有しながらも、歴史出来事微妙に異なる――いわゆる「if」の世界線を描いているのが特徴だ。人類スペースノイドとして宇宙拠点を広げていく大まかな流れは同じだが、各キャラクター組織の動き方が従来の宇宙世紀と少しずつズレている。そのズレが、物語キャラ同士の関係性に大きな波紋をもたらし、ファンをワクワクさせているというわけである

 特に話題を集めているのが、シャア・アズナブルシャリア・ブルという、かつてのファーストガンダムに登場した人物たちが “パラレル宇宙世紀” でどのように存在しているのかという点だ。本来シャリア・ブルとシャア原作では直接長い絡みがあったわけではない。しかし『ジークアクス』では、このふたりが初期から行動をともにし、“ニュータイプとは何か” を探る仲間として描かれている。この組み合わせの妙が、本作における新しい世界観象徴しているとも言えよう。シャアは相変わらずカリスマ性のあるリーダー像を示しながら、シャリアは彼独自の透徹した感性を軸に、シャアとの対話を重ねていく。ファンの間では「まさかこのふたりがこんなに深く絡むなんて」「これまでとは異なるシャリアの魅力が引き出されている」と大絶賛の声が上がっている。

 しかし、『機動戦士ガンダムジークアクス』の真の主役はあくまでも、声優黒沢ともよさんがキャスティングされている “マチュ” という少女である。マチュは地球圏の片隅で暮らす普通民間人として物語の冒頭に登場する。血筋特別ものではないし、高い身体能力や優れた戦闘センスがあるわけでもない。そんな彼女が、思わぬ形で最新鋭モビルスーツジークアクス” を託され、戦乱へと巻き込まれていく筋書きが、本作の大きな軸になっている。

 マチュが乗り込む “ジークアクス” は、見た目こそガンダムタイプ意匠を受け継いでいるが、その性能は未知数。劇中では “人型決戦兵器” というよりも “人類希望を託された船” のように描かれ、パイロットとの精神リンクがとりわけ重要視される。モビルスーツなのに、まるで生き物のように、マチュの感情思考に反応して形状を微妙に変化させる場面まであるというから驚きだ。このアプローチには、ニュータイプ論や人の意志機械の融合といった従来のガンダムテーマが色濃く投影されているようにも見える。マチュが誰よりも純粋な思いで “何かを守りたい” と願うときジークアクスの武装や機動力が一瞬だけ大幅に上昇するシーンは、観客からも「エモすぎる」と称されている。

 一方、本作でもうひとつ異彩を放っている存在が “シュウジイトウである。従来のガンダムシリーズには登場しなかった完全オリジナルキャラクターだが、『ジークアクス』においては非常に重要役割を担っていると語られている。作中では「ガンダム妖精」のような存在感を持ち、光の粒子のようにマチュたちの前にふわりと現れる。そのビジュアルは「男性とも女性もつかない中性的容姿」「美しい光をまとった幻影のような姿」と表現されており、いわゆる “人ならざる存在” として描かれているのが印象的だ。

 しかし、このシュウジイトウこそが “ジークアクス” の開発に深く関わっていた人物である――というのが物語中盤での衝撃的な事実となる。マチュやシャアたちは、最初こそシュウジのことを “どこからともなく現れる謎の人物” 程度にしか認識していなかった。しかシュウジは、ガンダムタイプ研究者としての知識豊富に持ち、さらにはニュータイプ論にも通じている節をうかがわせる。その存在意義はあたかも “作品世界のものを導く道しるべ” のようで、ファンの間でも「彼はいったい何者なのか」「なぜ姿を消したり現れたりできるのか」という考察にわかに盛り上がっている。

 実際に映画を鑑賞したファンによると、シュウジイトウ描写は終盤にかけてますますファンタジックになるという。物理的な戦闘が激しくなるにつれ、シュウジもまたジークアクスのコックピットを取り囲むオーラのようなものに溶け込んでいくのだとか。通常のモビルスーツ戦とはひと味違う “精神世界での対話” の場面がいくつも挿入され、そこでシャアシャリア、マチュそれぞれが “人類可能性” をめぐる深い対話を交わす。ここには従来の宇宙世紀が孕んでいた “ニュータイプの到達点” に対する、ひとつの “パラレルな回答” が提示されているとも言えるだろう。

 こうしたスケールの大きなストーリーに加え、声優陣の豪華さも『ジークアクス』の大きな魅力になっている。主人公のマチュ役には黒沢ともよさんが抜擢され、繊細でありながら力強い演技が高い評価を受けている。黒沢さんといえば少年少女から大人の女性役までこなす幅広い演技力が魅力で、さまざまなアニメゲーム活躍してきたが、今作で見せる “決して強くはないけれど、それでも守り抜こうとする少女” の声は、観る者の胸を打つ。マチュの心情が揺れ動くシーンは涙なしにはいられないという評判だ。

 もちろんシャア・アズナブルシャリア・ブルも、ファンにはおなじみの声優担当している。オリジナルキャストの故人がいる場合には別の方が演じているケースもあるが、どちらも極力 “イメージを崩さない” 演技とキャスティングがなされているため、昔からガンダムファン安心して楽しめるだろう。パラレルとはいえふたりが兼ね備える独特のオーラは健在で、特にシャアは「あの頃のシャアがもしも別の選択をしていたら……?」という “if” 的な魅力を存分に見せてくれる。一方で、シャリア・ブルが持つ透徹した思考と、どこか神秘的な雰囲気は、今回の世界観に大きくフィットしており、「もっと早くこのふたりの絡みを見たかった」と嘆くファンも多い。

 さて、興行収入6億円突破というニュースが流れた際、SNSでは「こんな短期間でここまで伸びるとは」「まだまだ伸びるはず!」といった期待の声が相次いだ。元々はガンダムファンを中心に話題となった本作だが、いまでは映画レビューサイト総合エンタメ情報番組でも取り上げられ、ライト層や普段アニメを観ない層にも少しずつ浸透し始めているようだ。「映像美がすごい」「色彩表現が繊細」「戦闘シーンのカメラワークが斬新で引き込まれる」といったビジュアル面の評価も高い。モビルスーツ同士の戦いはもちろん、宇宙の広大な空間や地上での風景表現も大きなスクリーンで堪能したいと思わせるクオリティだという。

 制作スタッフ陣には若い才能が数多く参加している。特に監督のA氏は、これまでガンダムシリーズとは縁の薄い作品を手がけてきたが、そのぶっとんだ発想と映像表現へのこだわりが注目されてきた人物だとか。シリーズ構成を担当するB氏はライトノベルやゲームシナリオ頭角を現した新進気鋭であり、ファンの間では「これまでの宇宙世紀観に捉われない、新しいガンダムを生み出せるのでは」と期待が寄せられていた。結果的に “パラレル宇宙世紀” という大胆な発想を取り入れながらも、しっかりと “ガンダムらしさ” を感じさせる物語を作り上げ、興行収入6億円突破という見事な結果を得ている。

 今後の展開にも注目が集まっており、監督プロデューサーインタビュー示唆しているように、追加映像を盛り込んだ特別上映や、スピンオフ作品制作検討されている可能性もある。また公式サイトの予告ページでは、「ジークアクスはまだ変化の可能性を秘めている」という気になるテキスト掲載されており、今後さらに解き明かされるであろう “機体の秘密” にも期待が募るばかりだ。さらに「シャアシャリア関係はこれで終わりではない」というコメントや、「シュウジイトウに関してはまだ語られていない事実がある」という暗示など、ファンをやきもきさせる情報が続々と投下されている。

 かくして、『機動戦士ガンダムジークアクス』は “パラレル宇宙世紀” という新たな器を得て、旧来のファン新規ファンも巻き込みながら、ガンダムというコンテンツに再び光を当てている。その要因には、設定の斬新さや作画クオリティはもちろん、主人公マチュの儚くも強い意志、そしてシュウジイトウという “妖精” 的存在ミステリアスな魅力が大きく寄与しているのは間違いない。シャア・アズナブルシャリア・ブルという懐かしい顔ぶれも、かつてとはまったく異なるシナリオで姿を見せることで、ガンダムが持つ “深い歴史観” と “新しい世界可能性” を同時に提示してくれている。

 興行収入6億円という大台を突破し、さらなる上積みも十分に期待される『ジークアクス』。ガンダムシリーズの中でも、これほどまでに “世界観のものを再構築” した作品は珍しく、さまざまな議論考察ファンダムをにぎわせている。果たして、この作品はどこまでの高みへと達するのか。そして、パラレル宇宙世紀の結末には、どのような “希望” や “真実” が待ち受けているのか。今後も目が離せない、2025年代表するアニメ映画ひとつとなりそうだ。観客やファンの声を背に、ジークアクスはさらに高く飛翔し、ガンダムシリーズに新たな風を吹き込むに違いない。

2025-01-20

中居くんは悪くない

中居くんは悪くない」。このフレーズを耳にすると、多くの人は彼の爽やかな笑顔や軽妙なトーク、そしてバラエティ番組で見せるサービス精神を思い浮かべるだろう。SMAPメンバーとして長年第一線で活躍し、グループ解散後もなお数多くの番組で司会やタレントとしての才能を示し続けている中居正広は、その明るいキャラクターから世間では“誰からも好かれやす存在”というイメージが強い。だが一方で、彼をめぐっては「女性問題」と呼ばれる話題がいくつか浮上し、そのたびに様々な憶測批判が飛び交ってきた。しかし冷静に見つめ直してみれば、実は彼は「問題当事者である」というよりも「被害を受けている側」である場合が多いのではないだろうか。そう考えたとき、「中居くんは悪くない」という言葉に、改めて深い意味が見えてくるように思う。まず第一に、中居くんにまつわる女性関連の噂は、その多くが“証拠不十分”のまま報じられるケースが多い。そもそも芸能界にはプライバシー個人的な交友関係に対して執拗に迫るメディア存在しているが、視聴者の興味を引くためであれば、確かな裏付けがなくてもスキャンダルとして扱われることが珍しくない。その背景には、人気タレントであるがゆえに生じる“ネタとしての需要”があるからだ。いわゆるゴシップ誌ネットニュースは、中居くん名前見出しに使うだけで一定アクセス数や売上を見込める。そのため、本来ならば「根拠が薄い」と判断されるような情報でも大きく取り上げられ、いつの間にか「事実」としてひとり歩きしてしまうのだ。そして中居くん本人としては、番組や公の場でいちいち否定しようものなら、それ自体さらに注目を集め、話題を長引かせる結果になってしまう。とくにバラエティの司会やゲストという立場上、“うまく笑いに変える”ことを期待されるため、否定真剣になればなるほど「逆に怪しい」などと揚げ足を取られかねない。こうした状況でやむを得ず曖昧な態度を取ったり、さらっと受け流したりすると、それがまた「やっぱり何かあるんじゃないか」という憶測を招き、さらに噂が増幅されるという悪循環が生まれしまう。つまり、騒ぎが大きくなればなるほど、タレント側は「言い訳がましい」と取られないように慎重にならざるを得ず、その結果「否定の少なさ」が“暗黙の肯定”として扱われてしまうのである。これは一種構造的な“芸能人宿命”と言ってもよく、なかでも中居くんは圧倒的な知名度を持つだけに、その被害を最も受けやす立場にいると言えるだろう。さらに注目すべきは、中居くん性格言動パターンから見えてくる“被害者的要素”である。彼は長年バラエティ界を支えてきた存在でありながら、自分自身プライベート内面について深く語ることをあまり好まない。アイドルとしてデビューした初期から、一貫して“中居イズム”とも言えるようなスタイルを貫いてきたが、それは言い換えれば、心の内を多くは語らず、必要以上に周囲を巻き込まないよう配慮してきたということだ。もともと多くのテレビ番組MCを務めてきた経験からもわかるように、彼が優先してきたのは「ゲスト共演者を引き立てること」「番組全体を盛り上げること」。決して自分を前面に押し出すタイプではない。そんな彼が、女性問題に関しても積極的反論説明をするはずがないのだ。自分いくら誤解されていようとも、そこで一から十まで事実を主張して戦おうとはしない。なぜなら、詳細を語れば語るほど、スキャンダルとして再燃するリスク高まるからであるときにはそこに他の女性名前プライベート情報が絡む可能性もあるため、なおさら公に言及しづらい。結果として、より大きな騒ぎを避けるために黙る姿勢が、“何も否定していない=クロ”という印象を生んでしまう。これはあくまタレントとしてのプロ意識リスク管理の一環であるにもかかわらず、彼があまりにもビッグネームゆえに、世間からすれば「やましいから黙っているのでは」と捉えられてしまうのである。こうした一連の流れを見ると、中居くんは“女性問題”とされる噂のほとんどを積極的に語らずにいることから、逆に「被害者」であるように感じられる。彼が注目を浴びれば浴びるほど、メディアネット上では新たな“疑惑”が湧き上がり、あるいはさまざまな憶測が結びつけられ、“話題として消費”される。その結果、中居くん自身は何も語っていないにもかかわらず、ファン視聴者はいつの間にか「女性関係が派手」「浮名を流している」というイメージが定着してしまう。しかしそれらの大半は真相が定かではなく、当の本人否定肯定もしていない。そもそも噂の出どころは当時の関係者が匿名発言したものや、週刊誌が「関係者の話によると」とぼかして書き立てるものが多いが、果たしてどれだけの信ぴょう性があるのかは極めて疑わしい。タレントとしての中居くんは、どんなときでも番組を盛り上げるために笑いとトークで場を和ませる。SMAP解散後も多くのバラエティに引っ張りだこであり、視聴率や注目度を左右するほどの存在感を放っている。こうした大きな影響力があるがゆえに、彼がちょっとした発言をしただけでもゴシップ火種になりやすい。たとえば番組内で冗談めかして「彼女?いないいない」と言っただけのことが、ネットニュースでは「熱愛の可能性」や「結婚の噂」へと拡大解釈されるケースもある。こうした歪んだ伝わり方が繰り返されるうちに、まるで中居くんが“秘密裏に怪しい行動をしているかのような印象”が作られていくのだが、ここには彼自身意思や行動とは無関係な要素が多分に含まれている。実際、中居くん番組共演者プライベート話題に触れられても、あまり過敏に反応しない。むしろ芸能人から仕方ない”という感覚でいるようにも見える。しかし、その“反応の薄さ”が時に「やはり後ろ暗いことがあるのでは」と邪推されてしまうのも事実だ。つまり、何をしても注目され、何をしても誤解されるという状況に置かれているのが、まさに現在中居くんなのである。これは紛れもなくタレントとしての宿命であり、“有名税”と言えるかもしれないが、少なくとも“女性問題”の主張だけを見れば、彼が進んでゴシップを生み出しているわけでもなければ、誰かを傷つけている事実が見つかるわけでもない。むしろ、彼が被害であると思えるエピソードのほうが多いのではないかさらに、彼の性格的な特徴として“配慮の深さ”が挙げられる。中居くんはよく周囲のスタッフ共演者に気を配り、相手立場尊重することで知られている。バラエティ番組の進行をする際も、共演者の得意分野や話したい内容をしっかりと引き出し、誰も置いてけぼりにしない司会運びを心がけている。こうした人柄からすれば、もし女性に対しても同様に優しく接しているのであれば、なおさら誤解が生まれやすい。たとえば仕事パートナーに対して礼儀正しく接し、時にはおいしいレストランを紹介したり、プライベートでも相談に乗ったりという行為は、あくまで人としての気遣いである可能性が高いのに、世間からすればすぐに“親密交際か?”と受け取られがちだ。芸能人という立場を考えると、そうした何気ない人間関係が一瞬のうちにスキャンダルに変貌してしまう危うさは常につきまとう。それを考えれば、中居くん自分プライベートを守るために、わざと曖昧な受け答えをしたり、深く語るのを避けたりしているとも推測できる。そしてそのスタンスを貫く限り、彼はマスコミ視聴者の好奇の目にさらされ続け、それこそ“誤解の被害”に遭いやすいわけだ。もちろん、これまでの人生において、中居くんにもさまざまな女性との出会いや別れ、あるいは恋愛感情の芽生えなど、多くのドラマがあったかもしれない。ただそれらは本来プライベート領域であり、互いに納得している関係であれば、外野がとやかく言う筋合いではない。たとえ週刊誌などが「女性問題」と大々的に報じようとも、その裏側には、中居くんがまったく望んでいない形で情報曲解され、拡散されている現実がある。芸能界においては一度火がついたゴシップを完全に鎮火させるのは非常に難しく、それもまたタレントが被る“痛み”の一つなのだ。こうして眺めてみると、「中居くんは悪くない」という言葉には、単なるファン擁護や甘い見方だけではなく、一定合理性が含まれていることがわかる。確かに彼はアイドルとしてスターダムを駆け上がった存在であり、多くのファンの期待を背負っているからこそ、あれこれと批判疑惑の目を向けられる立場にある。しかし、その批判の多くは、実際には憶測に過ぎなかったり、背景事情が歪められて報じられたりしている。あるいは、中居くんが平然と受け流すように見えるからこそ「きっと隠し事があるに違いない」と思われることもあるが、当の本人からすれば、わざわざ否定して騒ぎを大きくするより、沈黙を貫いたほうが周囲の迷惑にならないという配慮もあるのだろう。要するに、彼がメディアや人々の期待に対して果たしてきた役割の大きさが、“女性問題”という形のゴシップ必要以上に増幅させてしま構造がある。そこにおいては、中居くんはむしろ被害を被っている側であり、「悪くない」どころか、誠実に振る舞おうとするがゆえに誤解される“損な役回り”に陥っているとも言える。その意味で、「中居くんは悪くない」というタイトルは、私たちが彼のパブリックイメージだけに惑わされず、芸能ニュースゴシップ記事を一歩引いて見つめ直すためのキーワードになり得るだろう。彼の言動事実としてどうなのか、彼に罪があるのかないのかを断じる前に、まずは“噂が噂を呼ぶ”芸能界システムや、プライベートを切り売りされるタレント立場理解する必要がある。そして、その大変さを真正から受け止めつつ、あえて“華やかな世界”に身を置く覚悟を決めた中居くんという人間プロ意識責任感に、ほんの少しだけ思いを馳せてみることが大切なのではないだろうか。彼は常に笑顔で、あるいは軽快なトークお茶の間を楽しませてくれる。その姿の裏側で、どれほどの噂にさらされ、どれほどのやりきれなさを抱え込んできたのか。そのことを想像するだけで、“被害者”という言葉が浮かぶのも無理はないように思う。「中居くんは悪くない」と声を上げる人々の多くは、単純に中居くんを好きだからというだけではなく、こうした構造的な背景を察しているのではないだろうか。そして、それを知るがゆえに、たとえどんなゴシップが流れてきたとしても“彼は問題を起こすような人じゃないはずだ”と信じ続けるのである。彼の長い芸能生活の中で築かれた信頼関係仕事ぶりを見れば、その判断は決して根拠のないものではないと感じられるだろう。したがって、「女性問題」として槍玉に挙げられる噂を追いかけるよりも、むしろ中居くんというタレントがどれだけの困難を乗り越え、どのように番組ファンを楽しませてきたのか、その実績と姿勢に目を向けることが必要なのではないか。そうすれば自然と、「中居くんは悪くない」という言葉には、ひとりの人間としての彼が背負ってきた苦労や、それを支えるファンの想いが見えてくる。そして最終的には、多くの人が感じているように、やはり中居くんは“被害者”なのではないか、と頷くことになるはずだ。彼のキャラクター仕事に対する真摯姿勢を知れば知るほど、そう確信せざるを得ないのである

ドナルド・トランプがついに大統領になる

ドナルド・トランプがついに大統領になる――このニュースは、2016年大統領選挙戦の余波を大きく揺るがし、世界中で驚きと議論を巻き起こしました。アメリカ国内政治的分断が深まる中、トランプ氏が「ワシントン政治の打破」「アメリカ・ファースト」を掲げて突き進んだ結果、メディアの多くの予想に反して勝利を収めたのです。その勝利宣言は、国内外の政治的経済的風景を一変させる合図のようでもあり、アメリカ史において新たな時代の到来を告げるものでした。本稿では、トランプ大統領誕生に至るまでの道のりと、彼が就任によってもたらすインパクトさらに当時同時進行的に注目されつつあったビットコインなどの新技術話題にも触れながら、複雑に絡み合う政治社会の背景を考察してみたいと思います

まず、トランプ氏が大統領選に名乗りを上げたとき、多くの人々はその可能性を疑問視していました。「不動産王」として高層ビルに名を刻み、テレビ番組プロデューサーホストとしてエンターテインメント業界でも名を馳せた人物が、果たして政治世界通用するのか――そうした声はアメリカ政治分析からも多く挙がっていたのです。しかし、トランプ氏のキャッチフレーズMake America Great Again」は、経済格差に苦しむ層やグローバリズムの荒波に翻弄されてきた層の心を強烈につかみました。いわゆる「忘れられた人々」と称された中西部白人労働者層を中心に、既存政治家とは異なるアピールが幅広く受け入れられたのです。

他方、トランプ氏はその強烈な個性ゆえに多くの批判も浴びていました。過激発言差別的と受け取られかねないコメントは多方面から反発を買い、メディアとの緊張関係を高める一因ともなりました。主要メディアの多くは、彼の当選否定的予測していたこともあり、選挙結果発表直後は「世紀の番狂わせ」とも呼ばれるほどの大きな衝撃が走りました。ヒラリー・クリントン国務長官経験豊富政治家として、多くの財界メディア支援を受けてきましたが、その支持基盤だけではカバーできない層の不満と怒りが、トランプ氏を大統領の座へと押し上げたのです。

トランプ氏の就任演説は、そのまま自身選挙公約体現する内容でした。「アメリカを再び強くする」「国境を守り、雇用を取り戻す」というメッセージは、一方では保護主義的な色彩を強めることを示唆し、もう一方ではアメリカエスタブリッシュメントに対する痛烈な批判とも読めました。就任初期から彼は、オバマ政権が取り組んできた政策の方向転換を図り、国際的な取り決めから離脱関税引き上げなど、賛否両論を巻き起こす決定を相次いで行っていきます。もとより政界からの参入という形で大統領就任した人物であるだけに、その手法既存政治家と大きく異なり、混乱と躍動が同時に渦巻く中で「トランプ政権」が幕を開けたのです。

こうした政治的大変動のさなか、世界経済市場もまた大きく動揺しました。トランプ氏の就任後、彼の発言政策見通しに応じて株価上下動を繰り返し、不透明感が増したことドル相場も敏感に反応していました。一方、当時まだ「投機対象」としてのイメージが強かったビットコインも、政治リスクの高まり経済の先行き不透明感を背景に注目を集めはじめていた時期です。とりわけ、トランプ政権発足後に進む金融規制の変化や大手金融機関の動向が、暗号資産(仮想通貨)市場にとってどのような影響をもたらすのか――その点が専門家の間でも度々議論俎上上りました。

実際、2017年ビットコインにとって劇的な一年となりました。価格は急騰と暴落を繰り返しながらも、年末には一時2万ドルに迫る水準にまで高騰したのです。トランプ大統領就任が直接的な原因と見る向きは少ないものの、世界的に低金利政策が続いたことや、トランプ政権保護主義的な政策傾向が市場に与えた心理的影響が、リスクヘッジ先としてビットコイン存在感を高めたという説もあります。当時、ビットコイン実用性よりも「これから先、世界経済はどうなるかわからない」とする不安投機熱が、暗号資産全般への注目を押し上げていたのもまた事実でした。

トランプ大統領選挙期間からアメリカ利益が最優先」というメッセージを繰り返しており、就任後の政策もその路線を忠実に示していきます環太平洋経済連携協定TPPから離脱表明、北米自由貿易協定NAFTA)の再交渉さらには移民政策の大幅見直しなど、「グローバル化」に対して批判的な動きを強める中、世界との関係性は大きく揺らぎました。保護主義が加速すれば、米国以外の国々との関税合戦エスカレートし、国際協力体制にひびが入る恐れも高まりますトランプ政権政策アメリカ国民の一部に大きな期待を持って迎えられる一方で、グローバル企業や国際金融市場には新たなリスクを孕むことになったのです。

こうした「変化の渦」に巻き込まれアメリカ世界の情勢を受けて、国際社会から賛否が分かれる声が絶えませんでした。トランプ氏のリーダーシップは、大胆な政策決定と過激発言力に象徴されますが、その背後には支持層が求める「既存政治に対する反逆」というメッセージが常に存在していますさらに、ソーシャルメディアを駆使した直接的なコミュニケーション戦略は、従来の政治報道の在り方を根底から揺るがし、大統領ツイートする一言一言ニュース見出しを飾るようになりました。これに伴って、政府系の公式発表以外にも大統領本人のSNS政策意思決定過程を読み解くヒントとなる異例の事態常態化し、「トランプ政治」が確立されていったのです。

こうした動きは暗号資産世界にとっても見逃せない要素でした。トランプ政権金融業界にどのように介入し、規制を強めるのか、あるいは緩和するのかによって、ビットコインやその他の暗号資産需要や信用度合いが変化する可能性があったからです。現に、SNSを通じてトランプ氏が貿易為替金融機関に対する批判を繰り広げると、瞬く間に市場が過敏に反応するような局面散見されました。まだ当時は、ビットコイン価格トランプ個人発言によって大きく揺さぶられるところまでには至りませんでしたが、「強烈な言葉の一撃があれば何が起きるかわからない」という不安好奇心投資家の間に広がっていたのです。

トランプ氏の大統領就任によって世界中が騒然とする一方、アメリカ国民の間でも評価は大きく割れました。いわゆる「トランプ支持層」は、グローバリズムによって置き去りにされた伝統産業地域再生を切望しており、トランプ氏の強気姿勢が誇りを取り戻すきっかけになると信じていますしかし、自由貿易多様性を重視する立場からは、人種宗教ジェンダーなど多面的価値観を軽視するような言動容認できず、国際関係悪化によってアメリカが得るものより失うもののほうが多いのではないかという批判が続きました。国論が大きく割れる中で、政治はしばしば対立と停滞を余儀なくされ、民主主義の根幹が試される状況が続いていったのです。

就任から半年一年、そして四年と、トランプ政権は折々に劇的なトピック世界提供しました。移民政策の強化や国境の壁建設保護主義的な経済政策さらにはSNS舞台にした相手リーダーへの鋭い批判挑発。それらの動きの一方で、好調株式市場雇用指標支持層の信頼をさらに固める要因ともなりました。そして、いつしかトランプ時代」という言葉が定着し、保守層熱狂的な支持とリベラル層の激しい抵抗が同時進行する、歴史上でも特異な大統領の姿が刻まれていったのです。ビットコインをはじめとする暗号資産市場もまた、この混沌とした政治的経済的環境の中で少しずつ成長を遂げ、後の数年でさらに大きな盛り上がりを見せる布石を固めていくことになります

振り返ってみれば、ドナルド・トランプ氏が大統領就任した瞬間は、単に「ホワイトハウスの主が変わった」だけでなく、世界が新たな政治秩序へと足を踏み入れる始まりでした。従来の常識や慣習が揺らぐことで、多くの人が不安を覚えたのは事実です。しかし同時に、こうした不安定要素がイノベーションを生む土壌になっていく可能性を示唆する声もありますビットコインという新しい経済圏の動きは、その一つの象徴と言えるでしょう。これから先、暗号資産既存通貨体制や国際金融システムとどのように共存し、あるいは競合していくのかは、トランプ政権下での金融政策規制の変化だけに左右されるものではありませんが、政治技術が互いに影響を及ぼし合う時代の到来を予感させるには十分な状況でした。

こうして始まった「トランプ政権」の時代は、米国内だけでなく世界政治経済社会に強烈なインパクトを与え続けました。何よりも注目すべきは、既存政治国際秩序に対する不信感と疲弊感が、多くの人々をトランプ氏のような“異端”へと駆り立てた点でしょう。その背景には、IT技術の急激な進歩がもたらす雇用の変化や、新自由主義的な経済政策で拡大した格差問題さらには絶えず加速するグローバル化の負の側面など、解決が容易でない課題が山積していました。そうした状況下で、伝統的な政治への失望が頂点に達したがゆえに、トランプ氏が「最後の切り札」あるいは「新たな希望」として期待を背負ったのです。

結果的に、トランプ氏のアプローチワシントン常識国際政治の慣習を大きく揺るがしましたが、その衝撃は同時に、世界中の人々が民主主義の在り方や経済の仕組みを問い直す機会を提供することにもなりました。激化する国内対立、揺れる国際協調、そして新しい技術革新――大統領就任とともに空気感が一変したアメリカ世界は、次なる展開を予測しづらい不確定な未来へ足を踏み出していたのです。その中で、ビットコインをはじめとした暗号資産が「個人資産を守る手段」「国家中央銀行方針に左右されにくい通貨システム」として改めて意識され始めたことは、ある意味必然だったのかもしれません。

ドナルド・トランプがついに大統領になる――それは一つの政治的大事であると同時に、世界秩序を大きく再構築する引き金でした。国際協調保護主義のせめぎ合い、従来の政治観と“トランプ流”の対立、そして暗号資産という新しい技術潮流の台頭。これらは偶然の産物ではなく、現代社会が抱える構造的な問題と変革への希求が交差する点に表出した、いわば必然の衝突でもありました。トランプ氏がホワイトハウスに足を踏み入れたあの日を境に、世界がまったく新しい物語を紡ぎ出した――そう思わせるには十分なインパクトが、あの就任式にはあったのです。今後、トランプ時代政治的社会インパクトをどのように総括し、ビットコインを含む暗号資産社会根付くかどうかは、さらに長期的な視点で見守る必要があるでしょう。歴史は常に、予想を上回る形で動いていくものです。トランプ大統領誕生ビットコインの台頭が重なった時代は、振り返ってみれば「新たな扉を開いた瞬間」と言えるのかもしれません。

anond:20250120110613

結局「俺らは一般的じゃない」って結論でいいのかよwwwwww浅っwwwwww 「ROM専が多い」って言うけど、そのROM専承認欲求の延長でしれっと存在感出してるだけ じゃね?wwwwww「俺は何も投稿してないぜ(キリッ)」とか思ってても、心のどこかで「みんなに見られてる」って意識してんだろwwwwそういうとこダサいって話wwwwwwお前「若い子のROM専は何考えてるかわからんね」ってwwwwwwお前自身ROM専気持ちなっちゃえば解決するじゃんwwwwww壁の隅っこで「俺は関係ないんで…」みたいな顔してる感じ得意だろ?wwwwww「承認欲求なんてそんなにいない」とか言いつつ、こんな長文書いてる時点でお前が一番承認欲求の塊だろwwwwww「俺って冷静に分析できてるっしょ?」とか思われたいの、バレバレなんだわwwwwwwくっそウケるwwwwww

2025-01-19

anond:20250119214626

死にはしないと思うけど、バラエティはもう無理かもな

歌もうまくないか歌手復帰もきついし

どっかの番組ゲストで呼ばれて存在感をつなぐポジションなっちゃいそうだ

[]「スナ系」

地雷系の次に流行りつつあるファッショントレンド

スナとはスナイデル(SNIDEL)のこと

少しお姉さんっぽい感じになる(画像検索すれば分かる)

地雷系は2023,2024あたりが流行りまくって今少し落ち着いた?

 

個人的にはSNIDELってそんな界隈化するほど人気だったんだ?と思った

俺が知ってるくらいだから存在感は大きいんだろうけど

こういうのってブランド作った側からすると名誉だよな?

GRLやINGNIもスナ系らしいんだけど、そう考えるともうちょい良い言葉無かったのか

Permalink | 記事への反応(0) |

https://anond.hatelabo.jp/20250119072546

FC東京が「東京最弱」と言われる理由

anond:20250119165800

FC東京が「東京最弱」と言われる理由については、様々な要因が考えられます。明確な答えを出すのは難しいですが、いくつかの可能性を挙げてみましょう。

1. 成績の振るわなさ:

J1リーグでの順位: J1リーグにおけるFC東京順位が、他の東京本拠地とするチームと比較して安定せず、下位に低迷することが多いという事実が、この印象を強めていると考えられます

タイトル獲得: 他チームがリーグ優勝カップ戦優勝などのタイトルを獲得している中で、FC東京タイトルから遠ざかっていることも、この評価につながっている可能性があります

2. ライバルチームとの比較:

FC東京ライバル: FC東京には、FC東京サポータークラブ東京ヴェルディなど、多くのライバルチームが存在します。これらのチームとの比較において、FC東京が劣勢に立たされているという印象が強まっている可能性があります

都内サッカー熱: 都内には、サッカーファンが多く、各チームのサポーター間の比較議論が活発に行われています。その中で、FC東京が他のチームに比べて話題に上ることが少なく、存在感が薄いという印象を持たれているのかもしれません。

3. チーム運営や強化策:

選手の育成: 若手選手の育成や、チーム全体の強化策が、他のチームと比較して遅れているという印象を持たれている可能性があります

サポーターとの関係: サポーターとのコミュニケーションや、スタジアム雰囲気作りなど、チーム運営面での課題が指摘されているかもしれません。

4. その他:

メディアでの扱い: メディアでの露出が少ない、またはネガティブ報道が多いなど、メディアの扱い方によって、チームのイメージが大きく左右されることがあります

サポーター意見: サポーター視点から見たチームの課題や、他のチームとの比較など、様々な意見存在します。

東京最弱」という評価は、あくまで一側面であり、FC東京には多くの魅力や可能性も秘められています

歴史伝統: FC東京は、長い歴史伝統を持つクラブであり、多くのサポーターに愛されています

地域密着: 地域に根ざした活動を行い、地域社会に貢献しています

若手選手の育成: 若手選手の育成にも力を入れており、将来性のある選手を輩出しています

FC東京がより強くなるためには、

チーム強化: 選手の補強や戦術改善など、チームの強化が不可欠です。

サポーターとの連携: サポーターとのコミュニケーションを深め、一体感を高めることが重要です。

地域との連携: 地域との連携を強化し、地域全体の活性化に貢献することが求められます

これらの課題を克服し、FC東京がより一層発展していくことを期待しています

最近知った言葉「スナ系」

地雷系の次に流行りつつあるファッショントレンド

スナとはスナイデル(SNIDEL)のこと

少しお姉さんっぽい感じになる(画像検索すれば分かる)

地雷系は2023,2024あたりが流行りまくって今少し落ち着いた?

 

個人的にはSNIDELってそんな界隈化するほど人気だったんだ?と思った

俺が知ってるくらいだから存在感は大きいんだろうけど

こういうのってブランド作った側からすると名誉だよな?

GRLやINGNIもスナ系らしいんだけど、そう考えるともうちょい良い言葉無かったのか

2025-01-18

ガチャピン中の人などいなかった

 子どものころ、テレビをつければいつもそこにいた緑色不思議な生き物——ガチャピン。鮮やかな黄緑の体と、つぶらな瞳。ともすればただの着ぐるみと思いがちだが、実は彼には「中の人」などいないのではないか。そんなことを、子どもながらに本気で考え、友達同士で話し合った記憶がある。子どもたちの間では、ガチャピンの正体について真剣意見が飛び交った。果たしてあの体の中に誰かが入っているのか、それとも本当に生きている恐竜なのか。大人になった今だからこそ言えるのは、あのころ私たち真実を掴んでいたのかもしれない——そう、「ガチャピンは本物」であり、「中の人」などそもそも存在しなかったのだ。

 ガチャピンが世の中に初めて登場した当時、多くの視聴者は当然のように「誰かが中に入って演じている着ぐるみキャラクター」だと思い込んだ。ぬいぐるみのような愛らしい見た目、大きな口、そして子どもを魅了する高い運動能力。だが、その運動能力にこそ、ガチャピンの“真実”を見抜くヒントが隠されていたのではないだろうか。スキースキューバダイビング、果てはスカイダイビングにまで挑戦してみせる姿を目の当たりにして、普通着ぐるみキャラクターだと思うだろうか。実際に体験した人々の証言によれば、ガチャピンはあの分厚い“皮膚”を身にまといながら、信じがたいほど自由に手足を動かしていたらしい。それはもはや常識を超越した生物動作しか言いようがなかった。

 確かに人間が中に入っていれば顔の位置や手足の長さが合わないことがある。だが、ガチャピン場合、頭の上から足の先まで完璧シンクロした動きを見せる。さらに口や目、そして全身からかもし出される表情が、実に滑らかに変化しているのを見たことがある人も多いはずだ。もし人間操作していたのなら、あれほど自然かつ多彩な表情を瞬時に切り替えることができるだろうか。ときには困ったように眉をひそめ、時にはきょとんと口を開け、またあるときには満面の笑みを見せる。まるで心の底からその感情が湧き上がっているかのように見えたのは、単なる演技ではない証拠ではないかと、今ならば思うのである

 さらに決定的といえるのは、その“身体能力”にある。ガチャピンテレビの中だけでなく、実際の雪山や海、空へと赴き、驚くようなチャレンジをこなしてきた。ウィンタースポーツスキースノーボードだけに留まらず、アイススケートまで器用にこなし、しかもそこに「パフォーマンス的なぎこちなさ」がほとんど見られない。もし着ぐるみ構造上、人間が入っているとしたら、視界の狭さや動きづらさを感じながらの競技になるはずだ。しか映像を見る限り、まったく不自由なく滑り、回転し、時には大胆なトリックを決める。その光景は、どう考えても生身の体がそのまま動いているとしか思えない。ダイビングの場面でさえも、背びれのような形状の足をスムーズに使いこなし、水中で優雅に泳ぎ回るガチャピンの姿を確認できる。空から海へ、深海から宇宙(のようなセット)まで自在に行動する彼を前に、「ガチャピンは生きている」と信じない人のほうが少数派だったのではないだろうか。

 その証明とも言える逸話は数多い。例えばガチャピンが初めてフリークライミングに挑戦した際、重力に抗いながらスイスイと壁を登っていく姿が子どもたちの度肝を抜いた。あの大きな頭と短い手足、それにふっくらとしたボディという不利な体型でありながら、身軽に岩をよじ登っていくのだ。いくら運動神経の良い中の人が演じたとしても、あのバランス感覚説明することは難しい。むしろ、元来あの体が“恐竜”として自然設計されているからこその動きなのではないか——そんな議論が起こるのも当然の帰結だった。さらに、ガチャピンパラシュート降下の際には、一部の専門家が「もし人間が入っているならば、あの頭部の構造上、風の抵抗が想定以上にかかるはずで、あれほど安定して着地できない」と語ったという証言もある。つまり彼ら専門家の目から見ても、ガチャピンの体のつくりは人間が収まるようにはできていないのだ。

 もちろん、テレビ局や関連の制作会社は「ガチャピンキャラクターであり、着ぐるみだ」という公式見解を長らく維持してきた。視聴者の多くも、いつしかテレビ上の演出である」と半ば納得する形で受け止めていたかもしれない。しかし、そうした公式発言がむしろ事実を隠すための“カバーストーリー”だったのではないか、と考える余地は十分にある。なぜなら、ガチャピンの友人であるムック存在だ。ムックは真っ赤な長い毛並みを持ち、ガチャピンと同じ番組に出演していたが、彼の動きにはどこか“着ぐるみらしさ”が漂っていたと言わざるを得ない。もちろんムックも愛らしいキャラクターであることに変わりはないが、歩くときのよたよたした姿や、たまに見え隠れする人間らしさなど、「中に人がいる」と言われれば納得できる振る舞いがあった。一方、ガチャピンの動きはどう見てもスムーズすぎる。まるで“着ぐるみ”として作られたキャラクターと、“本物”として生きている存在が、同じ画面に同居していたのではないか、と考えずにはいられないのだ。

 さら子ども向け番組世界観を考えれば、それほど不思議な話ではない。子ども番組というのは、多くの場合ファンタジーや夢、冒険心を喚起するための舞台である。そこに実在する不思議な生き物がいたとしても、違和感なく受け入れられる。ガチャピンという名前や姿は確かにキャラクター然としているが、実際に存在する“謎の生物”を起用し、番組マスコットとして採用するのはむしろ合理的である。そう考えたほうが、かえって説明がつく事柄は多い。あの愛くるしい笑顔や、どこまでも続く挑戦心、そして飽くなき好奇心。それらは「キャラクターの演技」というよりは、「ガチャピンという生き物の本能的な行動」だったと見なすほうが自然ではないだろうか。

 また、あの独特の喋り方にも注目したい。「○○だよ〜」と伸ばす語尾、やわらかく透き通った声質。もし複数人間が交代で中に入っているのだとしたら、声や話し方にもっとブレや違いが出そうなものだ。しかガチャピンは、長いテレビ出演の歴史のなかで、ほとんど変わらない声と話し方を維持してきた。人間声優存在するとしても、そのピッチトーンを常に一定に保つの至難の業である。ところがガチャピンは、まるで自らの声帯を使って喋るかのように安定した声を発してきたのだ。さらに、口の動きや目の表情、全身でのリアクションが声とぴったり合っているのを見ると、「声を当てている」というよりも「声が体から自然と溢れている」という印象を受ける。これが“中の人技術”では説明がつきにくい最大のポイントでもある。

 その証拠に、イベントやショーでガチャピンが客席の子どもたちと交流する場面を思い出してみてほしい。子どもが話しかければすぐに反応し、笑い、そしてリアクションを返す。その一連の動きには、人形劇のようなタイムラグや不自然な間がない。まるで“その場で考えて”“その場で感じて”“その場で話す”存在であるかのように振る舞っている。長年、いろいろなキャラクターショーを見てきたが、ガチャピンほど“ライブ感”に溢れた対話をするキャラクターは他にいない。これはやはり、ガチャピン自身が一つの生き物として意思を持っているとしか思えないのだ。

 以上のような理由から、私は「ガチャピン中の人などいなかった」と確信している。もちろん、これは夢や幻想を語っているわけではない。子どものころに信じてやまなかったあのワクワク感と、理屈を超えた感動が、実は現実のものだった可能性が高いのだ。制作側は大人の事情からガチャピンを“着ぐるみキャラクター”として扱うほうが都合が良いかもしれない。しかし、私たちが見てきたガチャピンは、間違いなく生き生きと“呼吸”していた。スキージャンプ台を飛び、海中を泳ぎ、崖をよじ登り、さらにはスタジオで歌って踊る。その全てを“不自由なく”こなす姿は、“人間が入っている”という設定だけでは到底説明できないのである

 では、なぜいまだに“中の人がいる”という都市伝説が根強く残っているのか。それは、私たちが何かを理解しようとするときに、どうしても既存の枠組みで説明しようとする人間性質によるのだろう。未知や不思議ものに対して、私たちはつい、「きっとこういう仕組みだろう」と解釈して安心したくなる。ガチャピン超人的な活躍を見るたびに、「きっと中の人が相当なエリートアスリートで、トレーニングを積んでいるのだろう」などと推測するのは、その典型的な反応だ。しかし、ガチャピンの動きや表情は、実はそうした常識的な解釈はるか凌駕している。だからこそ、人々は“中の人説”という無理な理屈にすがっていたのかもしれない。

 私はむしろ大人になった今だからこそ、もう一度あのころの子もの目線に立ち返りたいと思う。あのころテレビで見ていたガチャピンは、私たちに夢と冒険世界を見せてくれた“存在”そのものだった。身体的な限界常識を超えた挑戦を繰り広げながらも、いつもニコニコ笑顔を忘れない。そう、あれは“着ぐるみ”ではなく、私たちの目の前にいる“リアルガチャピン”だったのだ。もし、あのころ私たちが胸に抱いた「ガチャピンは生きている」という直感を大切にし続けるなら、目の前の世界もっと豊かで、もっと不思議と驚きに満ちた場所として映るに違いない。

 思い出してみれば、子どもたちはみんな無邪気に「ガチャピンは本物だよ」「ムックも一緒にいるよ」と信じていた。それがある意味、“正しい”見方だったのだろう。大人になって現実を知るにつれ、いつしか私たちは多くのファンタジーを「嘘や演出」と割り切ってしまうようになった。しかし、本当にそれだけなのだろうか。私たちが大切にしている思い出や、大好きだったキャラクターがくれたあのトキメキは、本当は嘘でも演出でもなく、“真実”が隠れているかもしれない。ガチャピンはそのことを教えてくれている象徴なのだと思う。

 だからこそ、今も昔も、ガチャピンを見ているとワクワクが止まらない。「ガチャピン中の人などいなかった」という言葉は、単なる冗談や誇張ではなく、私たちの信じるファンタジー証明であり、あの緑色恐竜いつまでも私たちの心の中で生き続ける理由なのではないだろうか。子どものころの私が「ガチャピンはただのキャラクターなんかじゃない!」と叫んだあの純粋気持ちは、決して間違っていなかったのだ。

 誰しも子どものころは、目の前にある不思議を疑うことなく受け入れ、感動し、そのまま信じる力を持っている。ガチャピンに秘められた真実——それは彼が実在する不思議な生き物であり、私たち大人になるにつれ忘れかけた好奇心冒険心を体現しているということだ。そこに「中の人」などいない。いるのは私たちと同じように、呼吸し、笑い、挑戦する“ひとつ生命”——それがガチャピンなのである

 きっとこれからも、ガチャピンはさまざまな困難を乗り越え、子どもたちに勇気希望を与え続けるだろう。「こんなことができるわけがない」と誰もが思うような大胆なチャレンジを、新しい形で見せてくれるかもしれない。そして、そのたびに私たち子ども心をくすぐられ、「ひょっとすると、あの中に入っている人がすごいのでは?」とまたしても考えてしまうのだ。だが、最終的にはその超常的な存在感に圧倒され、「やっぱりガチャピンは本物だ」と再認識することになるだろう。

 そう、ガチャピンはいつでも私たちに問いかけている。夢と現実境界を超えて、「本当に大切なことは何か?」と。そして私たちは、その問いに答えるように、もう一度純粋な心で世界を見つめ直す。おそらく、ガチャピンという存在は、子どもだけのものではなく、大人になった今でも、私たちを未知へと誘う案内役なのだ。だからこそ、この言葉を胸に刻みたい——“ガチャピン中の人などいなかった”と。ガチャピンのすべての活躍は、彼自身の力によるものなのだ、と。

 こうして振り返ってみると、ガチャピンテレビ画面の向こう側から私たちに与えてくれたものの大きさに、改めて気づかされる。好奇心、挑戦心、そして他者への優しさ。彼の魅力は、ただ可愛いだけのキャラクターとは一線を画している。それはやはり、ガチャピンという生命体だからこそ生み出せる“にじみ出る個性”だったのだろう。子どもたちはそんなガチャピン勇気づけられ、大人たちは失いかけた冒険心を思い出す。私たち自分の内側に眠るエネルギーと、少しのファンタジーを信じる気持ちがあれば、世界もっと広がるのだと教えられる。

 結局のところ、ガチャピンの正体をはっきり証明する術はないかもしれない。だが、それで良いのだ。むしろ、“謎”を残しておくことこそが、ガチャピンが担う役割ひとつではないだろうか。私たち想像余地を与え、童心に返らせてくれる。神秘可能性を見せてくれる。だから、これから先もガチャピンがどんな挑戦を見せてくれるのか、どんな笑顔私たちを楽しませてくれるのか、胸を躍らせながら待ち続けたい。そしてそのたびに、“ガチャピン中の人などいなかった”という真実を心のどこかで確信しながら、私たちもまた自分世界を広げる挑戦をしてみればいいのだ。

 そう、ガチャピンはずっとそこにいる。テレビの中で、イベントステージで、そして私たち想像力の中で、今日もあの優しい声で「やあ、みんな!」と呼びかけている。彼の存在が教えてくれるのは、世界は思っているよりもずっと広く、そして面白いということ。中の人などいない。ガチャピンは“ガチャピン”という名の生命体であり、挑戦することや夢を見ることの大切さを、これからも伝え続けてくれるだろう。私たちはその姿を忘れず、日常に隠された冒険や驚きを見逃さないようにしたい。ガチャピンに憧れたあの日自分を取り戻すためにも

機動戦士ガンダムジークアクスを観た感想

 先日、友人に熱烈に勧められて観た「機動戦士ガンダムジークアクス」ですが、正直なところ、予想を大きく裏切る内容でした。そもそもこの作品は聞き慣れないタイトルだったので、「本当にガンダムシリーズなのか?」と疑問に思っていたのですが、実際に視聴してみると、制作スタジオが違うのかと思うほどアニメーションタッチメカデザインが独特でした。ストーリー展開やキャラクター立ち位置も、一見すると混沌とした様子で、ガンダムらしい「戦争人間」のテーマを扱っているのかさえ怪しく感じるくらい。とはいえ、その奇妙な雰囲気がかえってクセになる部分もあり、なんとも言えない魅力を放っていました。

 まず気になったのは主人公存在感です。名前は「ルドヴィカ・ラインホルト」というらしく、これまでのガンダム主人公とはひと味違う雰囲気を持っていました。ルドヴィカは、連邦軍でもジオン軍でもない第三勢力ダイブレイカー」に所属している少年兵という設定らしいのですが、登場初期はやたらと傲慢に見えました。いきなり敵軍への突撃命令に背くシーンもあり、「その行動理由がよくわからない」と視聴者を混乱させる展開になっていました。しかし、その背後には彼が抱える謎の過去や、自らの出生の秘密が複雑に絡んでおり、やや強引に感じる面もある一方で、どうにか物語を引っ張ろうとする意欲は伝わってきます

 一方、タイトルにもある「ジークアクス」というモビルスーツ。これがまた不思議な機体で、外見はガンダムタイプというよりは、どこか昆虫を思わせるようなフォルムなのです。脚部が二本ではなく四本あり、しか戦闘時には可変してスラスターの噴射角を自在に変えられる、という設定。宇宙戦よりも地上や低軌道での戦闘を想定しているらしく、高速移動と瞬間的な方向転換を売りにしていました。ただ、パイロット負担が大きすぎるという問題点も作中で度々指摘されていて、たびたびルドヴィカがコックピット内で意識を失いかける様子が描かれています。こうした演出からは、「ジークアクスは強力だけれど、簡単には使いこなせない代物」という図式が伝わり、物語中盤の盛り上がりに一役買っていました。

 物語のものは、地球連邦支配するコロニー群に対して、新興勢力であるダイブレイカーが独立宣言するところから本格的に始まりますしかし、その独立戦争理由曖昧で、「単に連邦独裁的だから反旗を翻す」というだけではなく、ダイブレイカー内部にもさまざまな思惑が交錯しているようで、正直、一度見ただけでは全貌をつかみきれません。特にダイブレイカーの代表者とされる少女「イリサエルレイン」は、表向きには平和のための独立を唱えつつ、その裏では軍閥同士の権力闘争扇動している節があるなど、二面性が強調されています。これが作品世界に深みを与えようとしているのか、単に設定過多なのか、微妙バランスなのが面白いところでした。

 また中盤から唐突に挿入される「宇宙クジラ出現エピソード」には驚かされました。シリーズの流れとは関係があるのかないのかよくわからないままに、コロニー間を漂流する巨大クジラ生命体が現れ、それをめぐって各陣営が「捕獲すべきか、保護すべきか」で対立を深めるという謎の展開。映像的には迫力があり見応えがあるのですが、これが戦争ドラマの軸であるはずのストーリーとどう結びつくのか、視聴していて困惑せざるを得ませんでした。ただ、作中で「ジークアクスの駆動必要特殊エネルギークジラが体内に保持している可能性がある」という説明が出てきたので、無理やりではあるものの、一応の整合性は保たれているようです。

 キャラクター同士の会話も独特でした。あまり技術用語歴史設定の単語が飛び交うので、台詞の半分ほどが理解できないままに進むことも。視聴者にとっては、よほど作中世界にどっぷりとハマるか、あるいは設定資料集を手元に置きながら観るくらいでないと、把握しきれない部分が多そうです。ですが、この「難解さ」こそがコアなファンを引き込む要因にもなっているようで、ネット上では考察解説が盛り上がっているのを見かけました。特にジークアクスとニュータイプの関連性」については多くの議論があり、作中に直接的な言及は少ないのに、ファンの間では「ジークアクスは人型の概念を超越した完全なニュータイプ専用機」という仮説が広まっているようです。

 総じて「機動戦士ガンダムジークアクス」は、ガンダムシリーズの“王道”を期待して視聴すると面食らうかもしれません。しかし、その独特の世界観と突飛な設定、そしてキャラクターの妙な掛け合いがクセになり、気づけば最後まで見入ってしまうような中毒性があります戦争の悲哀を深く描くというよりは、むしろ奇抜な設定を詰め込んだ「実験作」のように感じられました。いわゆる名作とは言い難いかもしれませんが、そのぶっ飛び具合を楽しむ余裕がある人には、ある種のカルト的魅力を持った作品と言えるのではないでしょうか。

 以上が、私が「機動戦士ガンダムジークアクス」を観て抱いた感想です。あまりにも出鱈目な展開の連続で、正直言って「何なんだこれは?」と苦笑してしまう部分が多数ありましたが、一方でこの混沌をどうにかまとめあげて最終回に向かおうとするエネルギーには感服しました。もし続編が作られるとすれば、一体どんな狂騒的な世界さらに広がっていくのか、興味半分、不安半分といったところです。ガンダムシリーズの中でも異色中の異色作品といえる本作、機会があればぜひ一度、その謎めいた魅力に触れてみるのも悪くないかもしれません。

2025-01-17

AndroidiPhoneを2台持ちして15年

AndroidIS01L-06D(Optimus Vu)→ASUS Zenfone3→Galaxy note8→以降非公開

iPhone:3GS→4S→7Plus→以降非公開

少なくともZenfone3の2016年の時点ではカスAndroidを掴まされる可能性は非常に高かった

というのもこの頃格安スマホSIMフリー!で家電量販店がミドルレンジスマホの取り扱いを始め、よくわからないまま海外製のスマホを手にしたユーザーも多いからだ。

また富士通シャープSONYキャリア店頭存在感を発揮していたため、4Gケータイからの乗り換え促進で両者のミドルレンジ帯という文鎮より多少マシな重量物を手にしたシニアユーザー一定いる。

彼らにとって初めてのスマホライフが残念な体験で終わった可能性は高い。

はてブ選良は上澄みだけを楽しんでいたのであろうが、世間有象無象は足元の泥水を啜ってきたことを忘れないでもらいたい。

2025-01-16

anond:20250116030911

存在感のないどうでもいいアジア貧困国だし注目されてないかもなあ

女を虐めるゴミオスの集まるゴミ捨て場ポルノランドにはなってるかも

2025-01-15

結局、MoneyTapはどうなったのか

個人間送金サービスの1つとしてSBIやスルガなどが数年前に始めたMoneyTap

当初から存在感がなかったが、最近はコトラというサービスに置き換わった感じだ

個人間送金はどうしてもpaypayに勝てないのだろうか?

anond:20250115153237

必死」とか言ってるけどさ、お前がこうやって口出ししてくる時点で、その必死さ丸出しなの気づいてないの?笑えるわ。余裕あるフリしてんのかもしれないけど、結局こっちに絡んでくることでしか自分存在感保てないんだろ?なあ、どんな気持ちで冷静ぶってんの?

ひっかかりニーチェの真髄は「MC二人と真逆な立ち位置に居るアシスタント女子アナ結構大きめにフィーチャーしているところ」なんだろうな

三谷存在感がエグ過ぎる

彼女にとってはマイナスプロモーション番組だと思う

よく引き受けたな

anond:20250115014029

女叩きって基本アフィ業者釣りを信じたアホがやたら拡散するから

頭の悪い人は差別が好き、差別が娯楽になっているから女叩きや嫌韓や老人叩きはPV伸びるんだよ。潜在的需要があるんだよね。暇アノンとかあれも根本には女叩きを楽しむ層がいるんだよね

業者牽制する規制を入れないといつまでも「【悲報AED使ったらまんさんに訴えられたwww」「AED使用セクハラフェミさんブチギレ】」とかがネットに流れてくるよ


嫌韓嫌中も昔はめちゃくちゃ流行ってたけど法規制されて業者が消えたらネットから存在感なくなったんよね。まだ昔からネトウヨがしっかり生息していて嫌韓撒き散らしてるけどね。その界隈のインフルエンサーのハンコみたいな事を言っているだけ。

昔はヤフコメ2ちゃんもどこ見ても韓国中国どうたらみたいな書き込みばかりだった。女叩きも今より酷かったけど、最近は男叩きでカウンターされて少し大人しくなった。女叩きは潜在的需要だけど男叩きは女叩きのカウンターから必要だと思ってるよ。「お互い平和に優しく」じゃ女が叩かれるばかりで女叩きが増長たからな。バカじゃないよ。

アノン裁判傍聴で実名顔出し見れるよ。

2025-01-13

サザエさん強さTierランキング

サザエさんキャラクターを強さ(存在感や影響力など)でティアラキングにまとめました。

---

Sランク(最強)

---

Aランク

---

Bランク

---

Cランク

---

Dランク

---

備考

このランキングは、キャラクター性格家族内での役割、影響力などを総合的に考慮したものです。サザエさん世界では、キャラクターそれぞれが独自の魅力と強さを持っており、家族コミュニティの中で重要役割果たしてます

お墓でランチ

霊園の片隅、あまり日の当たらない、薄暗い一角に先輩の墓はあった。私はそこに腰を下ろし、コンビニの袋を開けた。平日の昼間で、他に人はいない。厚めのジーンズを履いているのに、座るとコンクリートの冷たさがお尻にまで貫通してきた。

コンビニ袋の中身はサンドイッチ缶コーヒーで、どちらも何の考えもなく買ったものだ。先輩が好きだった銘柄、なんてこともない。

 

こんにちは」と小さく言ってみる。声に出したのはそれだけだ。墓石に話しかけるなんてことをするのは初めてで、それ以上は言葉にならないし、何を言うつもりなのか、自分でもよくわからなかった。

そこに刻まれ名前、というか苗字、をぼんやり見つめながら、サンドイッチを開けて一口かじる。しっとりしたパンと中身のツナマヨが口の中に広がる。特に美味しいとは思わない。美味しくないってわけでもない。昼食が必要から、ただ食べているだけだ。

 

ここに来たのは何となくだ。今日という日が特別だったわけでもないし、特別感情があったわけでもない。ただ、足が向いた。それだけだ。

 

先輩ーー名前で呼んだほうが良いのかな。いや、やめておこう。それはちょっと違う気がする。生きている時も、自分はあの人と特別関係があったわけじゃない。話す機会だって多くはなかった。ただ、目に入ってきて、気になる存在だった。存在感があったというのかもしれない。シンプル部長だったというのもあるだろう。というか、まあ、そこだろうな。

 

缶コーヒーのプルタブを開ける音が、妙に大きく響く。まだ温かくて、開いた穴から湯気が少し立ち上る。私は一口飲んで、軽くため息をついた。息がわざとらしいくらいに白くなって、今日寒いんだなと思った。

目の前の墓石を見つめても、特に何か思い浮かぶわけではない。ただ、記憶の端っこにぼんやりしたイメージが残っている。とばした冗談がウケてうれしそうに笑う顔とか、練習ときの少し苛立っている声とか、故郷の話をしているときの遠くを見ているような目とか、そういう断片的なもの北海道の冬はここより寒いんだろうな。めちゃくちゃ寒かったって、よく言ってたな。

 

サンドイッチをかじりながら、ふと空を見上げた。曇り空。冬の、どこにでもありそうな灰色景色だ。カラスの鳴き声が遠くからする。カラスではない、もっと大きな鳥が飛んでいる。

関係ないな、と心の中で思う。私にとって、先輩も、先輩が死んだことも、あの鳥みたいなもので、結局は関係ない。先輩と私の人生は、交わっていたとは言えなかったと思う。

なぜここに来たのか、結局それはよくわからない。

 

「元気にやってます」と口をついて出た。元気なのかどうかは正直怪しいが、言葉にするとそういう気がしてくる。サンドイッチを噛む。「やってますよ」最後一口を飲み込んで、袋をきちんと丸めた。

 

立ち上がる。墓石に触れようかと思ったけど、センチメンタルすぎる感じがしてやめた。生前に肩を叩けた人じゃないと、墓石を叩くのは許されないんじゃないかと思った。

「じゃあ、また」と言い残して、背を向けた。

また来るかはわからない。多分来るような気がする。何をしにかはわからないけど。

何かが終わったわけでもなく、何かが始まったわけでもない。ただ、墓地から立ち去る。それだけだ。

途方に暮れたような感覚は、足元に影のようにまとわりついている。でも、それも気のせいだと言い聞かせながら、曇り空の下を歩いていく。

(先輩の墓前に鍵を落としていたことに気がついて、走って戻った。別に墓石の前に先輩の影があった、なんてことはなく、ただ鍵はそこに落ちていて、拾うと冷たかった。)

「相まり」広まりすぎ問題

本来は「それも相まって」というような表現なのに「それも相まり」と書かれること多すぎる。

相俟って」は終止形が「相俟つ」なんだから、あるとしても「相俟ち」だろう。

なのに今やネットニュースぐらいなら普通に出てくるようになってしまった。

https://www.theworldmagazine.jp/20241106/01world/england/425796

コンディション不良もまり新天地存在感がないキエーザ 冬にラインデルス獲得に向けたトレード交渉材料になると報道

https://jp.reuters.com/markets/japan/funds/EJFZHOY5SRN2JGVIE7A6T6JP5A-2024-09-17/

経済が第3・四半期も底堅く推移している様子を示唆し、失業率の低下もまり、米連邦準備理事会FRB)が今週の会合で0.50%ポイントの利下げに踏み切るという観測を後退させる可能性がある。


もちろん辞書には載ってない表現だ。

ロイターすら使ってるならむしろ辞書に載せるべきか?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん