はてなキーワード: 軽蔑とは
音楽大学に進学しても良いと言ってくれた両親のことを、当時高校生だった私は信用できませんでした。アップライトピアノも買えない(買ってくれない)んだから音大の学費を出してもらうのは無理だろうと思ったし、両親は私に家計の話を詳細にはしてくれなかった。
私は音大に進学しても自分がお金に困ることになるだろうと予想し、受験することを諦めました。そして地元の一般大学に入りました。
妹の大学入学後、両親は、「見てわかる」作品を持って帰ってくる妹のことばかりを誉めるようになりました。私はそれが嫌でした。特に、父親。
私は文学部に入ったから課題ではレポートを書くことくらいしかやらなかったけど、そこそこ良い成績を取り続けた4(5)年間だったし、課外活動もそれなりに頑張りました。でも私は「見てわかる」成果をもっていなかったし、両親は私よりも妹に興味があるようでした。
当の妹は、家の外でのコミュニケーションはそつなくやるくせに、家族とのコミュニケーションを疎かにします。家事も全くしないし、食器洗いを私にやらせるし。近頃は明け透けに私を軽蔑した態度をとります。
両親は生活や学業にかかるお金を全て負担してくれたし、成人した子どもたち3人に対するケア労働を不足なくこなしました。こんなにも恵まれた家庭に育ったくせに甘えたこと言ってんじゃねえよ、と自分でも思います。でも私は実家のことが嫌いだった。私は実家に閉じ込められていました。
最近、仕事よりも家庭を重視する夫が増えてきた。本当に素晴らしいことである。浮気もしない(妻以外の女性に興味を示さない)、家事を妻よりも主体的にやる、仕事も真面目にこなす、休日は家庭優先、これが当たり前の夫が身の回りでも多い。
しかし、そんな夫でも妻からめちゃくちゃ怒られている。中には人格攻撃を受けている者もいる。私は彼らの話を聞いたり、あえてその妻からも背景を聞いて考えをまとめてみた。
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女性の恋愛は「上書き保存」だと言われているが、妻の夫への不満は「名前をつけて保存」である。
普通の人間関係であれば嫌なことがあってもそのうち忘れたり、もういいかと記憶の端に追いやっていく。
ただ夫婦関係においては「もういいか」にはならない。些細なコミュニケーションエラーが発生し、客観的にはお互い様な事案であっても、妻はそれを「名前をつけて保存」していることを忘れないで欲しい。
妻の保存したデータは精神状態がポジティブな時に開くことはないが、ホルモンバランスが崩れた時に(自分自身きっかけだったり夫の不用意な言動がきっかけで)「あの時のあれ、もう一度見返すか」とフォルダから夫の悪事データを開く。さらに都合が悪いことにひとつのデータではなく複数のデータを同時に見返してしまうのだ。
※その見返すデータはもともと嫌なこととして保存されているが、ホルモンバランスが崩れた状態なのでさらにネガティブな解釈で読み込みをされる。
上記の脳の状態になっているので、妻は過去の記憶を昨日のことのように次から次へと鮮明に思い出す。その結果、青天の霹靂のような夫への問い詰め・説教へと繋がるのだ。夫側からすると「急に何を話したいのか?過去の話をなぜいま?それは既に話し合って謝罪したはず。いまの議論と関係ないのでは?」と困惑する。しかし、妻は記憶のデータフォルダを大量に開けている状態だ。過去の嫌な出来事を『再放送一気見!』したばかりなので熱量が高く、夫が「私に嫌なことをする人間」にしか見えなくなっている。つまり長い目で見れば良いことも悪いことも山あり谷ありの時系列だったり、さまざまな人間性があるということは消え失せ、夫を"悪いことしかしていない悪事の集積"でしか見れなくなるのだ。だから夫が、線や面の思考で「ここまで家事をしているのに、ここまで家族最優先で動いていたのに、妻の望みも最大限叶えてきた」と訴えかけても妻の目の前にはその献身的な夫はどこにも存在していない。目の前には「嫌がらせ・気遣い無し・自分勝手の塊、傍若無人、そういった事実が積み重なった妖怪の夫」だけが存在しているのである。その状況で妖怪夫が妻に対して正しい認識や会話の整理、論理的な対応をしたとしても妻は妖怪の言うことなので耳を貸すわけがない。
妖怪は人間でない。人間ではないので「これを言うと相手は傷つくかな?気持ちが落ち込むかな?」という相手を思いやる気持ちを妻は持たない。ただただ目の前の妖怪に"ここ最近で受けた仕打ち"の仕返しをして、妖怪を改心させようとするのだ。
もちろん夫は妖怪でないため、何を言われているか分からないし理解もできない。何なら過去の記憶にない話から最近の言動、パーソナリティを全てネガティブに捉えられて、終わりがなく長々と話されるため、当然パニックになる。大きな不満があるならば根本を解決をしたり、今後に向けて改善したいと思い提案するも妻は「そういうことではない」と全否定する。そりゃそうだ、妖怪の話を聞く人間なんてこの世には存在しない。
こうやってお互いが見えているものが全く異なるため、夫は妻のことを"理解不能の宇宙人"と捉えるしかなくなり、自分に対して敵意を持つ人になってしまうのだ。夫が妻の話を聞かないのは妻が嫌いなのではなく、宇宙人の言語が分からないのだ。
これがお互いがお互いを「話がわからない人」と罵る構造なのである。
この状態の解決策は今のところない。おそらく妻側のホルモンバランスが落ち着いてくれば妖怪だった夫が徐々に人間の姿に戻るだろう。夫は自分が妖怪になっていることを自覚し、ひたすら妖怪然として妻の話を聞いて改心すべきである。間違っても相手を宇宙人扱いにしたり、自分は妖怪ではなく人間だと言ってはならない。なぜならば妻の目の前に写っているは妖怪だからだ。
ちなみに予防策もない。日々の行動を改めようにも人間なので何かしらのコミュニケーションエラーは必ず発生してしまう。なのでこの事案は対処療法案件なのだ。
もちろん全てうまくいっている夫婦もいると思うが、大なり小なり夫婦関係が折り合わない事象が発生しているだろう。上記は夫婦の性別を入れ替えても当てはまるケースがあると思う。もしかは上司・部下の関係でも発生するかもしれない。この文章は特定の個人・属性を中傷したり軽蔑したりするのではなく、全人類がホルモンバランスによって受ける挙動を言語化したものである。3日後に私がそうなるかもしれないし、10日後にあなたがそうなるかもしれない。大切なのは起きた事象を客観視して書き起こしをして、メタ認知の共有としてリレーしていくことだと信じている。
諸君の健闘を祈る。
理由はわかってる。反抗心だ。
「こうすべき」に反した行動をすることで、自分にコントロール権みたいなものがあるって確認したいのだ。イヤイヤ期の子供と同じだ。
食事や睡眠に関する「こうすべき」は外から押し付けられた基準じゃなくて、自分でも望んでいる自分のための基準なのに。
他人に面と向かって反抗するのが怖いから、自分だけで完結して、かつ「思い通りにはならないぞ、反抗してやるぞ」と思えることをやってるんだ。
本当に反抗すべきは不満やストレスの源、今だったら仕事、なんだけどな。
この内なる幼児の反抗衝動は結構強くて、不満とかストレスとか溜まってくると抑えられなくなる。
頭では矛先を間違ってる反抗だってわかってるから、正直自分のこの幼児部分を軽蔑してる。それに抗えない自分の行動も。
だから食べすぎたり夜更かししたりすると、反抗心が満足するわけじゃなく、自分に失望する気持ちが蓄積する。何もいいことがない。
従っても何もいいことがない反抗衝動、どうすればいいんだろうな。
ストレスが大してない時はそもそもこの衝動が生まれない。衝動が生まれてしまうと手に負えない。
どっか合宿みたいに生活習慣強制的に整えさせてくれるとことかないもんかな。栄養バランスは自分で設定できるやつ。断食したいわけじゃないし。
見て見ぬフリをしていたら、軽蔑はする
AEDで騒いでるやつは役に立たないというのは同意だが無視していいというのは同意できない。
デマってのは中心にいる頭おかしい集団だけでなく周縁のまともな人にも徐々に伝播して刷り込まれていくからな。
暇空茜がやばいやつだと思ってる人でも、なんとなくColaboはおかしいと思ってる人いっぱいいるでしょ。
他にもネトウヨでもネトサヨでもツイフェミでもアンフェでもなんでもいいけど、そういうやつらを軽蔑してるのにトピック単位で見るとそいつら発の情報をふんわり信じちゃってる人たくさん見てきたよ。
最初から数に入らない狂信者はさておき、数に入るであろう一般人の脳裏に少しでも「AED使用はリスクがある」なんてよぎらせちゃったらダメなんだよ。
神戸の震災から30年、当時もメディアの悪行は爆音ヘリを筆頭に散々言われてきたが、今日も今日とてメディアへの信頼は地を這っている。
ジャニー喜多川の性加害問題がBBCの外圧によってようやく動いたのがわずか2年前の2023年。そして翌2024年はまたしても過去の性加害をめぐって、テレビから松本人志が消え、ネットは擁護派と糾弾派の罵り合いで溢れた。
現在進行形で中居の冠番組は差し替え・出演シーンカット・降板と惨憺たる有様だ。ここまでの騒ぎになった以上、いくら名を馳せた人物であっても表舞台にぬけぬけと戻ってくることなど120%ないだろう。
そのうえで、ジャニーズ性加害の報道が出た折からしばしば沸き起こっていた「報道していながら所属タレントには目を瞑るテレビって何なの?」ひいては「かくいうお前らテレビ局側はどうなの?」という議論。中居正広の蛮行を巡っては、特にフジテレビが槍玉に上がっている。
とりわけ今回は、被害者とされる人物の痛ましい姿が既に世に知れ渡っている事、先輩女子アナやプロデューサー・スポンサー幹部など上位層に悪役が揃っている事などもあって、一段とセンセーショナルな受け止められ方をしている。
正直、今日フジが開いた「会見」とやらも酷い有様だった。まして、普段政治家やアスリートにしつこくぶら下がって迷惑がられている連中が、自らの不祥事には一方通行のお気持ち表明をするだけ。過去からテレビに限らず色んな場面で繰り返されてきた事とはいえ、「組織」の脆さを思い知らされる。ただでさえ斜陽の業界で、試行錯誤しながらもコア視聴率がどうこうとか、活路を見出そうとしていた会社とは思えなかった。
数あるスキャンダルの中でも、ご時世柄もあって「性加害報道」はそれまで培ってきた功績を無に帰すほどの不可逆的なダメージを与える。こうした"格好の餌"を「週刊誌」が我先に見つけ出さんと、スパイ紛いの偵察を繰り返している。
本当に人の営みというのは醜いものだ。
取材対象者の自殺さえ戦績としか考えていない連中。心底軽蔑する。
でも、目下「オールドメディア」の矢面に立たされている「ワイドショー」だって、ネットが普及する遥か前、人間の「噂好き」な捻くれ根性から自然発生的に生まれたものと考えると、今更真人間らしく糾弾することが我ながら白々しくなってくる。
特にここ最近、レスバ大好き暴れマスクがSNSを乗っ取ってからというもの、正義ヅラした批判がことごとく薄っぺらく見えるようになってきた。「テメーが言えたことか。」
そんな発想があらゆる弁論を見るたびに沸々と煮え繰り返る。
とはいえ、批判めいた事をXの海に投下するなど、切り抜きし放題の小画面に燃料をぶち撒けるに等しく、その後の尻拭いを考えると到底そんな気は起きないのだが、「サイレント陰謀論」とでも言おうか。口には出さなくても野蛮な感情はしょっちゅう湧き起こる。
話が逸れたが、根っからの噂好き根性を活力に、テレビより更に古い出版社界隈が生き残りを懸けんとばかりにスキャンダル発掘に鎬を削る現代。
私はこのスキャンダル合戦の末路として「ミイラ取りがミイラになる」オチをどうしても夢想してしまう。
まず浮かんでくるのは、なぜ被害者が揃って「過去の体験を"今"になって訴えているのか」という疑問。
でもコレは元から自分でもそこそこ納得がいっていて、要は「加害者側の影響力がスキャンダルが出る前から既に低下していた」点は否めない。
ジャニーズの件も喜多川ジジイがメリー諸共死んでお局ジュリーに権力が移った後のこと。松本人志の件も中田敦彦に「そろそろどいてくれ」と言われ、ワイドショーに「キリトリ記事禁止」などというみみっちい落書きを置くようになってからのこと。そして中居正広もジャニーズ爆散以降、毎週4曜日のゴールデンタイムのMCに居座るなどしていたが、いよいよ周りからウザがられ始めていたのだろう。そこに在りし日の影響力・権力が残っていたらここまで騒がれることもない。
ただ、もう1つ腑に落ちないのは、なぜ被害者側がこぞって「週刊誌」を使ったのかということ。それも、法的には「終わった話」なことを。
それこそテレビの影響力低下を追い風に、被害者が腹立ち紛れに加害者達を道連れにしたように映るのだが、だとしても「ネット」ではなく「週刊誌」を使っている事にどうしても違和感を感じてしまう。
誰の力も借りず、独自に発信しようとして自滅したマリエを教訓にしたのだろうか。とはいえ、下手をすれば自分さえコキ下ろしの対象にされかねない出版社相手に、なぜあそこまで赤裸々に語れたのだろうか。
私はここに「出版社にも悪いチンポが生えている説」を唱えたい。要は、被害を訴えている連中は「俺なら力になってやる」という者達にすがっているだけで、その助け舟を出した側も決して本心から救ってやろうという気持ちはない。単に自らの手柄を上げたいだけのこと。そんな構図が思い浮かぶ。自らの不利な過去を口に出来る場など、密室以外にあり得ないだろうに。
結局、男のする事など、文明社会を背負った人間とはいえ本能を辿れば生殖活動に帰着するのは取り繕うのない現実。女も然りだろう。それを、さも「我こそが正義」と言わんばかりに被害者ビジネスを展開するハイエナ共には、ほとほと反吐が出る思いだ。
いずれ、いよいよ「週刊誌」やら「出版業界」のエネルギーも尽きた頃に「あの時○○記者に脅されてウソを吐かされた」と宣う女が間違いなく現れる。その時が週刊誌の最期だろう。
これが「ミイラ取りがミイラになる」の真意である。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。
どっかで必ずひっくり返る。絶対に。
最後にもう1つ。かつてあれだけ心躍っていた「娯楽」に対する切々とした感情を書き留めておきたい。
私は確かに、テレビを通じてジャニーズのアイドル達にときめき、ダウンタウンのバラエティで笑い転げていた。その評価を翻すつもりはない。むしろ、違法アップロードされた過去の映像を見るたび、「あの頃は視聴者の俺もウキウキワクワクしていた…」と、例の「昔は良かった」教に苛まれる。何なんだろう、このやるせなさは。
(時折、近年の日本のエンタメのゴタゴタは、失われた30年を経て娯楽に現実逃避するしかない日本人社会に仕掛けられた一種のハイブリッド戦争ではないかとさえ思うことがある)
そんな目でしか見れなくなったらそれはもう娯楽じゃない。今楽しめるものも楽しめなくなってしまう。ハナっからヤクザと紙一重の世界で「頑張る」人間達には心の底から同情する。そんな事を気にする必要のない楽しみをめげずに作り続けて欲しい。
以上放言。
きんにくんは何かを軽蔑していた…?
すとぷりのライブに行ったら自ジャンルが情けなくてボロボロに泣いた件。
自ジャンルのことが本当に好きだった、今でも形は違えどその気持ちに変わりはあまり無かった。
実質の天井が追加されるまでは出るまでいくらでも課金は惜しまなかったし、正月の青天井ガチャも限界までお金を用意した。
グッズもほぼ全て買ってきたし、ランキングも一桁をとったりしてきた。
運営がキャラに夢女行為をしても耐えてきたし、パクリ疑惑がでても信じてついていった。
大事な周年のお祝いが激安ケーキだったのには少し腹がっ立ったけど。
好きだったからこそなんでも許せる、と自信をもって言いたかったがそうはいかなかった、そんな信仰心も一蹴出来てしまう程に民度が悪かった。
ここまでが前置き。
演者への印象に関しては全く印象はなく、ファンの民度も信用がないどころかむしろ悪い印象を抱いているばかりだった。
実際に誘われた際も友人の推し活をみて楽しみたい気持ちが半分、過激なファンに気圧されてしまう不安が半分といったところだった。
結果はタイトル通り、自分のいたジャンルへの情けなさが押し寄せてきて涙が止まらくなってしまった。
あれだけ不信感を抱いていた相手が自分の見ていたものの何百倍も民度がよかったのだ。
・後ろの方のうちわが後頭部を触っていた時、その人はきちんと謝ってくださった。自ジャンルはこっちが大きな怪我をしても一度振り返ったきりで一言もなかった、未だに誰推しか覚えているし、あの
なんだよワキって、本当に気持ちが悪い。
これがオタクの当り前なのか?もちろんそんなことはなく、すとぷりさんのオタクは皆演者に気持ちを伝えようとしたいたり、ファンサを希望するものだった。
自ジャンルでワル目立ちしていた気持ちが悪いものの大半がSNSでバズるのが目的の物、周りの人間も称賛して自浄作用の一切もない。自分たちが面白ければいい奴らばっかり。
・銀テ目当てで退場を乱す人間がいなかった。
退場と共に逆走して銀テを拾いに行く、気分は悪いがいつも見ていたためこれも余所でも当たり前かと思っていた。
勿論そんなわけもなく、酷い争いもなければ列を乱す人もいなかった。
退場もスムーズでそこで時間をくって興ざめ、なんてこともなかった。
・撮影禁止のルールを演者からも間接的にアナウンスし、ファンもそれを守っていた。
これも自ジャンルで本当に嫌だった。
撮影禁止の会場内で写真を撮る、何の後ろめたさもなくSNSにあげる知能の低さ。
すとぷりさんライブ内でも撮影禁止の場で撮影する人、ストーリーを上げる人、正直視界に入る限りで数人は見えた。
ここでもか、という思いもありながら自分のところは警備の人に捕まって消させられてる人もいたなと悪い意味で比べてしまった。
ライブ内では演者からのアナウンスもあり、これも見える限りではあるが皆守っているように見えた。
これは、すとぷりさんとファンの間で出来た信頼感があってのことだと思ったしこんなお気持ち文の中からだけど誇って欲しいと思った。
その他、細かい点で
・嫌いなキャラ(演者)に罵倒、ペンライトを消すなどの失礼行為
どれもなかった、UO人間ってどこにでもいるわけじゃないんだね。
この日を迎えるよりも前に数度お誘いで他のライブにもお供していた。
その時はどれも拍子抜けというかそういうこともあるか、程度の感想だった。
内心「どこも同じだ」と思いたかったのだと思う、だけど評判が芳しくないところでもそれがなかった。
本当に悔しかったし情けなかった。
嫌いなものが好きになったというより、好きだった物の嫌なところはやっぱり自浄作用の無さが原因なんだろうなと。
素晴らしい信仰心をお持ちだから、キャラを叩いていた過去を美化したり、今も嫌われている体で自分たちが被害者になりたがっている。
映画効果で新規が増えれば新規のせいで民度が~、元から悪いしお局ぶってるやつが一番カスだってーの。
身内でだけ盛り上がってればいいキャラヘイトタグを大っぴらにひりまく。
素晴らしく熱心な信仰心をお持ちの割には自己顕示欲が最優先で決まりは守れず他人を傷つける。
10周年だかなんだか知らないが異常だよ、何にも成長していない。
多様な人種に触れて、その全てを許し受け入れねばならない、みたいなこと考えてるからそういう悩みになるんだと思う。
多様な人種に触れる。その中にクズがいる。クズにどうするかを学ぶことが一番大事だろ。
不倫の誘惑をしてくるやつを跳ねのける。
ムカツクやつが居たら煽り返すし、煽られてもノーダメのメンタルを持つ。
しかし、それらのバカどもでも、ガチで死ぬほど食うに困っていたら、まずは飯をおごって助けてやる。
そういうことが大事なんであって。
一切を、暴力の反撃も怒りも拒絶もなく助ける、なんてことを考えるべきじゃない。
お前の子供が、多様な人々に出会ったとして、学んでほしいのもそういうことだろう。
ちゃんと向き合うことだよ。
向き合う、ということには、嫌な目にあったらちゃんと殴り返すことも含まれると俺は思う。何も知らない奴は、殴られて棒立ちになったりするからね。