はてなキーワード: ごまとは
私には未来があると信じて疑わなかったけど、その未来は砂のように手ですくった瞬間から少しずつこぼれ落ちていた。
認めたくなかった。
友達よりも職場の同僚よりも私の人生はうまくいってるって思ってたけど、みんないつの間にか結婚して出産していった。
結婚が全てじゃないって言う人はたくさんいたけど、やっぱり私たちを囲む世界には独身か既婚かの壁が大きくてすごく辛かった。
既婚者の苦労はみんなわかってるけど独身の苦労は誰もわかってくれないし気に留められることもない。
そんな無視されてる存在でいるのがすごく嫌だったし、好きで独身でいるわけじゃないのに色々言われるのにもう疲れちゃった。
夜のティータイムが私のささやかな楽しみだけど、もう何も考えずにその時間を過ごすこともできなくなった。
もう年末だし実家に帰らなきゃ行けないなと思いつつ、お母さんやおばあちゃんに彼氏が出来たかどうか聞かれるのが嫌で帰りたくないって思ってる私がいる。
けど実家に帰らなかったら寒いワンルームに1人だし、気晴らしに外に出れば楽しそうに過ごしてるカップルを見なきゃいけないのも嫌だなぁ。
結局色々言いながら実家には帰ると思う。
小学校の時はよく男子にちょっかい出されたし、中学の時は部活の先輩に告白されたこともあった。
大学生になってからは友達より早めに垢抜けたし、年上の彼氏がいたから同い年の子達とは違う経験をしてた。
みんながサイゼでご飯食べてトリキで飲んで彼氏の学生寮のマンションに入り浸ってる間に私は色んなホテルや一見さんは入れないお店にも行けた。
キラキラしてないけど入りたい旅行会社の内定をもらえたし、同期の中では私が1番かわいかった。
大学のゼミの子達は先行と全然関係ない大手会社の受付とか事務に就職していった子が多かった。
受付とか事務って男の人にニコニコするのが仕事みたいでそういう仕事はしたくないって思ってた。女の子だからとか関係なく正当に自分の仕事を評価してもらいたかったし、
そんなに勉強をすごくする方じゃなかったし、若ハゲの教授のゼミで愛想笑いをするのも得意じゃなかった。
職場の人は良い人ばっかりだったけど、私はあの人たちみたいにはなりたくないしなれないなって感じるところもあった。
職場に入った頃はそんなゆるい温度感にすごく私は合っているな〜って思ってたんだけど、夏頃に同期に誘われて行った合コンであったベンチャー企業の人たちのポジティブさというか向上心のある感じを見ちゃうと自分の職場が急に違うなって思えてきて「ここは私の居場所じゃないかも」って感じ始めたの。
それがきっかけかわからないけど、会社帰りに夕食がてらカフェに寄ってTOEICや韓国語を勉強し始めた。
韓国トークをする友達と韓国で旅行したときは私が成長しているなって実感できたし、ニューヨークでメトロポリタン美術館に行ったときにイケメン外国人に話しかけられたときもちゃんと会話できてインスタ教えてもらえたのも勉強のおかげかなって思った。
でも、その頃からだろうか。私の中で何かが少しずつズレ始めた気がするのは。
韓国語や英語を勉強して、旅行をして、新しい人や世界と繋がるのは本当に楽しかった。そう思っていたはずなのに、いつの間にか周りの友達たちは結婚して、子どもを持って、話題が変わっていった。昔は一緒に旅行やショッピングの話をしていたはずなのに、今では子どもの習い事や夫婦の関係、家のローンといった現実的な話ばかりになっていた。
私が海外での思い出や、最近買ったお気に入りのコスメの話をしても、みんなの反応はどこか薄い。それなのに、ふとしたタイミングで言われる言葉がある。いいなぁ、自由で、とか。独身だからできることだよね、とか。そのたびに胸の奥がちくりと痛んだ。私は自由を楽しんでいるつもりだったのに、なぜかその自由という言葉が妙に重く感じられるようになっていた。
それでも私は自分らしく生きたいと思っていた。誰かに縛られることなく、自分の人生を自分で選びたいと。でも、ある日ふと気づいてしまった。自分らしくと言いながら、私が選んできた道は、本当に私が望んだものだったのだろうか、と。
年末が近づいて、とうとう実家に帰る日が来た。駅から家までの道を歩きながら、冷たい風が頬を刺す。玄関を開けると、お母さんとおばあちゃんの明るい声が出迎えてくれた。おかえり、寒かったでしょ、と言われて、一瞬ホッとしたのも束の間。食事の席で案の定、彼氏は?の話題になった。
焦らなくていいのよ、とおばあちゃんが優しく言った。でも、そろそろ考えないとね、と続けた言葉が胸に刺さる。私は無言で笑ってごまかした。
その夜、部屋に戻って荷物を整理していると、古いアルバムが目に入った。開いてみると、幼い頃の私がそこにいた。誕生日のケーキを囲む家族、学校の運動会で笑う友達たち。どの写真も明るく、未来に向かって輝いている私が写っていた。
その写真の中の私を見て、思わず涙がこぼれた。未来があると信じて疑わなかったあの頃の自分。けれど、今の私はどうだろう。いつの間にか、周りの価値観や目線に振り回されて、自分自身を見失っている気がする。
その瞬間、紅茶に入れるために買った豆乳のパックが思い浮かんだ。あれはきっと何かの象徴だった。冷たい豆乳を注ぎながら、自分の心を冷たい孤独で覆い隠していたんだと思う。
私、何してるんだろう。
そう呟いた夜、翌朝、私はひとつの決心をした。このままじゃいけない。未来は砂のようにこぼれていくけど、それをただ見ているだけじゃ、本当に全てを失ってしまう。私の人生を作るのは、周りの誰でもなく、私自身だ。
年が明けたら、何かを変えよう。大きくなくてもいい、小さな一歩でいい。でも、その一歩を踏み出さなければ、私は一生、同じ場所に立ち尽くしたままだ。
そう心に誓った瞬間、外の空が少しずつ白んできているのが見えた。新しい年は、もうすぐそこに来ている。
こう書くと他人をバカにしないと気が済まない暴走人間にしか聞こえないが
細かく言うと、「他人をバカにしようとする心が常に自分の中にあるので、それを内心にとどめて過ごすように頑張っている」
とでも言えばいいだろうか。
どっちにしろヤバい奴じゃないか?という気もするが、これが私のいつわりない本心である。
他人をバカにしたい!と思うときはどんなときか考えてみたことがある。また、なぜそうしたいのかも考えた。
箇条書きにするとだいたいこんな感じだ
・自分より知識、能力が劣っている相手を貶めて優越感に浸りたいから
・劣っている(と私が思っている)相手をあざ笑うことで自分を大きく見せたいから
・自分に自信がなく、逆に自分が対象にされるのを恐れて自分はバカにする側だと確認したいから
・安全圏から弱いものをいじめるのは楽しいぞい♪という攻撃的な快楽で気持ちよくなりたいから
・自分が劣っている存在であると勝手に思っているため、下に見れる相手を探さないと怖い
・物事がうまくいかないので自暴自棄になり、他社を思いやる余裕がなくなり、攻撃的になる
思いつくかぎり書いてみたが、自分の弱さを受け入れたり、認められずにごまかそうとするときに
他人をバカにしたい!という気持ちがわいてくるのだと思う。あとは単純に調子が悪いとき…
数年前から自分が人をバカにしたくなるときってどういうときだろう?と
ひたすら考え続けて最近やっと少し文章にできるようになったのでこれを書いている。
あと、ネット上でそんなふるまいをするようになったらもちろんたくさんの人に嫌われるだろうし
自分もどんどん手がつけられないモンスターになっていって…そんなんデメリットしかなくね?と思い
意識的に人を傷つけるような言葉を使うのはやめよう!と気を付けていた。時間割全部道徳か?
そんなグダグダ考えずともインターネット、SNS、はてなブックマーク、YouTubeのコメント欄を見るのすべてやめて生きろ!が正解っぽい気もするが
そうなるとコミュ障の私は孤独まっしぐらなので、ネットで友達や趣味の知人などと穏やかにコミュニケーションをとって生きていきたいので頑張って考えました。
ちょうど実家で貰った大根が少し余ってたので、それと新しく買った大根を使った。
鮮度とか品質が違うので、実家大根が溶けかけて美味しくなかった。新しく買ったほうも、半分以上は美味しかった(柔らかさ、味の沁み方)が、ちょうどよい感じの手前や煮込みすぎが多発した。
鶏肉はだいたい美味しかったけど、皮が剥がれて皮だけ食べても皮と大根食べても美味しくない皮が生まれてしまった。
剥がれてない皮も、あったほうが美味しいのと、お肉と食べても微妙なのがあった。
鶏肉が余ったので、シチューを作ろうと思った。鶏肉を買い足そうと思って、ちょうど近所のお肉屋さんの金券があって、スーパーの返りに寄った。
様々な事情により鶏肉じゃなくて柔らかい牛肉になった。明日休みだしかなり安くしてもらったけど、本来シンプルに焼いて食べたほうがよいぐらいのお肉で割引されても結構なお値段。
せっかくなので大きめのサイコロ状に切って、焼いてちょっとスパイス塩かけて味見して、後は煮込んだ。
お肉はめっちゃ美味しいんだけど、脂率が高いところは噛んでて嫌になるし、鶏もものほうが安定はしてる。
ほんとに美味しく作ろうと思ったら、お肉を見て合う料理合わない料理を見極めないといけないし、同じ塊でも場所場所で切り方サイズを変えないといけないのだろうし、そもそも合わないというケースもある。
自分は結構どっちの食感も楽しみたいって感じで、カレー作るときには、めっちゃ炒める細めのたまねぎとほぼ煮込むだけの玉ねぎとか両方入れたり、具財も絞らずに多種使うタイプで、鍋とか八宝菜とか、ごまかしがききがちな料理だとそれでよかったんだけど
鶏と大根みたいに具が少なかったり、よいお肉の活かし方考えたら奥が深すぎると思った
しりしりの失敗は味が薄いか濃すぎか出汁が不足してるか、コク(油?)不足なので、簡単なほうなんだと思う。玉子入れる前の水分量がいい感じじゃなくて、玉子が美味しくならないのはあるけど
プログラミングの話でいうと
次にAIが出てきて設計と実装まとめてやってくれるかも?みたいなところだけど
偉い人は全くわかってないのが、たとえAIが設計実装全部面倒見てくれる場合においても
AIが設計実装するために必要なものは利用者がそろえて渡さなければいけない
AIはママじゃないから、利用者が泣きわめこうが、渡された情報をもとに設計する
魔法のランプで精霊がどんな願いでもかなえてくれるが、こんなはずじゃなかったを連発するように
利用者はAIに作ってもらいたいものが何なのかよくわからないので、適当な指示をAIに出して(指示の出し方や必要な材料をAIにサポートしてもらうとしても)失敗する
これは相手が人間であっても同じなのだが、相手が人間だと脅してごまかして丸投げして責任転嫁できる点で使い勝手がいい
夢かなってるよね?
もしかして現実は、ただの研究補助職で単純作業してるだけじゃないかな。
自分の中での色んなごまかしと、捨てられない変なプライドがあるのかな。
社会人にもなって未だに高校の履修課程を誇るのって変なプライドだよ。
数学3って、複素数と微積だよね?高校レベルの微積勉強したことを社会人になって言ってるのは変だよ。
旧帝院卒とかもただの学歴ロダンダリング?見栄えを良くするためにわざわざ院に行ったのかな。
4年で卒業したい、お金がないのに、なんで2年も修士課程を履修したんだろう。
臨床検査技師って高校卒業後、短大とか専門課程などで3年程度で取得できる資格で、業務独占権はない弱い資格。
残念ながら、6年間勉強頑張った成果がそれだけじゃもったいない。
今でも数学3が得意、学生時代も勉強頑張ってたなら、微積、ベクトル、統計学は得意なはず。
今でも勉強得意なら、機械学習ディープラーニングとプログラミングをある程度勉強したら、AI系で強い人材になれるよ。
そのうえで、医療系AI企業に転職してみては?給料3倍以上も可能だよ。
お金なくても編入してバイトや奨学金もらいながら医師担ってる人は多いよ。これも1つの手段。
変な昔のプライドは捨てて、今できることを考えてみては?
現在の立場が不満なら、今からでもまだまだやり直す方法はあるよ。
ただ愚痴を言ってても人生は変わらないし、前向きに努力してみては?
まじでくそむかつくわ
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
新規サービスの開発とか機能追加とかやってるならわかるが、積極的になにか追加されるわけでもないサービスっていっぱいある
サーバー落ちたら対応したり、負荷グラフを眺めたりするんか?普段は暇そうだな
バグ報告があったら対応もあるだろうけど、長く機能の追加もせず運用してるならほぼバグもないだろうし
基本的なスキルだけあれば誰でもできそうなものかなって思うけどなにかと要求が多かったりする
新規開発で多くの人がほしいわけじゃないなら人抜けた穴埋めくらいかと思うけどたまに見るのじゃなくて普段からそういう求人出してるところ多い
面接受けてみて聞いたこともあるけどやっぱり外部の人には言えないのか言語やフレームワークとかは言ってくれるけど詳細はごまかされる感じ
たぶん日本との会談は許可されなかったけどフランス・ウクライナとの会談は政府から許可された(あるいは非公式会談)って事だろうけど
いずれにせよ日本とは非公式に会談する価値すらなく政府に許可を求める気にもならなかったのを「法律上の制限だからしゃーない」みたいに日本側がごまかしてるのがみっともない
政府関係者によりますと、トランプ氏側から、「民間人が政府の許可なく他国と交渉することを禁止する国内法がある」として、就任前に各国首脳との正式な会談は行わない方針が伝えられたということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241117/k10014640951000.html
大統領選挙後、初めてとなる外国訪問でフランスを訪れているアメリカのトランプ次期大統領はウクライナのゼレンスキー大統領、フランスのマクロン大統領との3者会談に臨みました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241208/k10014661611000.html
あの日、ぼくはいけないことをしてしまいました。小学校五年生頃です、おるすばんをしていたぼくのお家に誰かがやって来ました。
「こんにちは、だれですか?」と聞いたら
しゃがれた声で「あなたを殺す者です」と
誰かは言いました。
ぼくはいたずらに違いないと思い
「ばーか、殺せるならやってみろー」と
扉に向かってあっかんべーしました。
大きなノコギリの刃が伸びました。
幸い、距離は置いていたので、ぼくはけがする事は無かったですが、これはまずいなと
ぼくは困りだしてしまいました。
でも、困ってばかりいればただのいいこだったのでしょう、人はそうもいられません。
そうだ、この人をなんとかすれば色んな人からちやほやされるのでは?ぼくはなぜだそう
思い、扉から更にきょりを置いて、にやぁと
笑いました。
まずはこう言ってみました
「そんなことしたらおかあさんが悲しんじゃうよ」
テレビで見たのです、悪い人はこれで悪いことをやめることがあるって。
ところが誰かさんは
「わたくしの両親はここ数十年、顔を合わせておりません。生きているかどうかも知ろうとしない私がおかあさんなどでこの殺意を消せるはずがありません」と言うのです
「そうですか…」ぼくは心臓の動くのが少し
早くなるのを感じました
どうやら失敗みたいです
ならばこう
「ぼくを殺してけいさつにたいほされたら
だから最後にあなたを殺しておきたいのです。お願い…だからここをあけて」
だから以降は泣き出しそうな言い方でした。
そう言えば読んでいる人の中には「けいさつを呼んだらいいのでは?」と思った人もいるでしょう、だけどぼくのうちは数年前に固定電話をやめてしまったし、携帯電話はお母さんとお父さんしか持っていないのです。
それでもういいや、逃げちゃえと思ったぼくは勝手口から外に出ようとしました。しかし、勝手口のドアノブを回そうとしたその
瞬間
もっとめんどくさい事になったなぁ…ちぇっ
ぼくはいらいらして、つい台所のゴミ箱をけっとばしてしまいました。
もう一度、ぼくは扉に戻り気になっていた
事を質問してみました
答えが返ってくるまで数分…願いむなしく
転校した田中湊月を覚えていませんか?」
誰かはそう言いました
田中湊月…確かに小学校一年生の時にお別れをした中でその名前の女の子がいました。だけど、聞こえてくる声は大人、しかも男の人です。これは嘘だ…はっきりぼくはわかりました。でもそうだったらおかしな事があります、扉の向こうにいる誰かさんは湊月の名前を知っているのです。
「湊月…?そうならさくらの公園に埋めた動物がわかるはずだよ。答えてくれ」
「ちぇ…っ」
とりあえず、ぼくはコップひとつの水を飲み、心を冷やしました。
「それで?もしぼくを殺せなかったらどうするんだい?」ひどくぶっきらぼうにぼくは扉の向こうに話しかけました
「その時は隣の家の人を代わりに殺します。
それが出来なかったらその隣でもいい」
「めちゃくちゃだよ、あなた」
重なってぼくを苦しめている様でした
乱れた呼吸のまま、今度は二階に行ってみる事にしました。二階からなら誰かの姿が分かるかもしれない、そう思ったからです。
ところが、二階の窓からは屋根と道路しか見えません。かろうじて庭が見えましたが、そこに誰かの姿はありませんでした。
こうなったらぼくも恥ずかしいとかそんな
扉のすぐ近くまで来たぼくは大きな声で
「いやだぁ…こわいのやぁだ…あっちいってぇ…」と言いながら、めそめそ泣いてるふりをしてみたのです。ところが聞こえて来たのは気持ちがいい程の大笑い
「はるったら…相変らず演技へたっぴだなぁ!
誰かは言いました。それを聞くと、忘れていたはずなのにみんなの前で着ている服を全部盗まれたみたいに身体が熱くて熱くて逃げ出したくなってしまいました。
そして、本当にぼくは泣いてしまいました。
家の中いっぱいに響くぐらいに大きな声で
そうしたら、とびらの向こうから小さく
「ごめん…言いすぎた」と聞こえてきました
「じゃあ、殺すなんて言わないでよ!」ぼくは
叫びました
「それは変わらない、私はあなたを殺さなければいけないんだよ」やはり誰かはそう言いした。ぼくはもうその場から一歩も動けなくなってしまいました。
しばらくして誰かがこう言いました
「かけ?」ぼくはなんとか立ち上がりました
それはまた変わった"かけ"でした。誰かが
勝手口かとびらの前に先に立つ、ぼくが開けた時、目が合えば負け、合わなければかち。
それだけの話
まず先に誰かがどちからの扉に立つために
五分、ぼくが待ちました。時計の針がかちり
となったらぼくは考えました。勝手口かとびらかどちらか
水をたくさんのみました、はいてしまいました。冷蔵庫のけーきを手づかみでたべました。こんな時でもケーキはあまくておいしかったです。そうして、ぼくは勝手口に向かいました、が、やはり扉に戻りました。
そう思ったからです
耳をドアにくっつけてみました。なんにも
聞こえません
「おーいおーい」と呼んでみましたが、返事がありません。水道が涙をひとつこぼしました。そう、もっと大切にしてあげたかった
なにもかも
ぼくはドアをあけました、あけてしまったのです
そこには学校に向かう道と前のおうちのへいだけがありました。きょろきょろして見ましたが、誰も見つかりません
ひざをついて、その場に座った時、プラークまみれの口の中いっぱいに空気がおしこまれるのを感じました。ぼくはたしかに生きていた…らしいのです
「どうしたの?人でも殺してきた様な顔をして」おとなりのおばさんがぼくにそういいました。
ぼくは無理やり笑って
「しあわせって…きづかないものだね」と
言いました。