はてなキーワード: それからとは
しゃあない
醤油会社のトップだって外食先で卓上の醤油差しからの醤油を使ってみて初めて世の中では酸化して傷んだ醤油をそれと知らずにつかってるって気がついて、それからやっといまの空気に触れにくく酸化しづらい容器が生まれたんだからな
今年の冬は例年に比べてそこまで冷え込まない、などと天気予報で言われていたのに、私が受験の日を迎えた今日に限っては朝からひどく寒かった。眠い目をこすりながら携帯のアラームを止め、暗い部屋で小さく伸びをしてから私は布団を抜け出した。大学入学共通テスト当日。数か月にわたる受験勉強の成果を発揮するときが、とうとうやってきたのだ。予備校や塾の先生たちからは「とにかく落ち着いて、いつも通りの実力を出せば大丈夫だ」とアドバイスをもらっていたし、家族からも「元気に行ってらっしゃい」と明るい声をかけられた。そのおかげで多少の緊張はあったものの、試験当日は意外と精神的にも落ち着いている……はずだった。
しかし、まさか受験会場へ向かう途中であんな最悪な体験をすることになるとは、誰が想像できただろう。結論から言うと、私は電車の中で痴漢に遭った。受験日だというのに、早朝からそれはもう心が乱される出来事だった。ここ数年、痴漢撲滅の取り組みがニュースやSNSでも盛んに取り上げられているし、警察の協力で防犯カメラが増設されたり、女性専用車両が設定される路線も増えてきた。しかし悲しいかな、それでも痴漢は後を絶たない。ましてや、まさか自分の大切な受験の日にそういう被害に遭うなんて、想像だにしていなかった。
朝は何かとバタバタするので、私はあらかじめ早めの時間に家を出るよう計画していた。朝食を食べる余裕もちゃんと持てるよう、家族との時間も少し取れるよう、そして何より交通機関の遅延などに巻き込まれても大丈夫なように、家を出るのはかなり余裕をみていた。7時台後半の電車に乗れば、試験会場には8時半頃には着く計算。9時前には試験会場に入り、席について一息つくことができるはずだと思っていた。
ところが、ちょうど私が利用する路線のタイミングが悪く、思ったより乗客が多かった。いつもなら朝早いときはある程度空いているのに、今日は大学入学共通テストに向かう受験生や、大学生でもないのに何かの資格試験を受けに行く人たち、それから普通の出勤のサラリーマンなどが相まって、車内はかなりぎゅうぎゅう詰め。私は仕方なくドア付近へと立った。できれば座りたかったが、この混雑ぶりでは無理だろう。長時間立つのも慣れてはいるとはいえ、試験前にこれ以上体力を消耗したくないと考えていたから少し悔しかった。
程なくして電車が動き始めると、私は試験内容をもう一度頭の中で整理しようと、ポケットから小さなノートを取り出してざっと目を通していた。英単語や国語の古文単語、数学の公式など、とにかく最後の瞬間まで知識を定着させたいという気持ちが強かった。でも満員電車の中ではページをめくるのさえ一苦労で、あまり集中できない。それでも「もう少ししたら車内が空く駅があるはず」と思いながら、私はなんとか体を小さく丸めてノートを握りしめていた。
そんな状態で数駅ほど過ぎたあたりから、なにやら背後に違和感を覚えた。最初はただ、人の鞄が当たっているのか、単に立ち位置が狭くて誰かの腕がぶつかるのか、程度にしか思わなかった。しかし次の駅に着く直前あたりから、その“違和感”が明らかにおかしくなってきた。鞄や腕というよりは、手のひらのような、あるいは指のようなものが腰からお尻にかけて触れている。しかも微妙に動いているような感じがした。それでも「思い過ごしだろう」と自分に言い聞かせようとしたが、体はどんどんイヤな汗をかいていく。一気に心拍数が上がり、息がしづらいほど苦しくなってきた。
私は何とか勇気を出して体を少しねじり、後ろを振り返った。すると、すぐ後ろに背の高い男性が一人、まるでさも当然のように隙間なく私に密着していた。彼の顔はマスクに隠れていたし、目元以外はよく見えなかったが、視線が私の方を向いた瞬間、さっとそらされた。「やっぱりこの人がおかしいのかもしれない」と思った。その男性の手がどこにあるのかまでは視界に入らなかったが、なんとなく腰のあたりにあるように感じた。
痴漢だと確信してしまうと、全身が強張って、どうしていいかわからなくなった。声を出そうにも、朝のラッシュでギュウギュウ詰めの車内、誰もが無言でスマホや車窓を見つめるか、眠そうにうつむいている。私が声を上げたらどうなるのだろう。注目されるのは絶対に嫌だ。でも、このまま触られ続けるのも怖い。受験の日なのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。嫌悪感と怒りと恐怖がごちゃ混ぜになって、涙が出そうだった。
実際、痴漢に遭ったときには「大声で周囲に助けを求める」ことが推奨されている、と何度も聞いたことがある。しかしいざ自分がその立場に立つと、なかなか声が出ない。本当に悲しいほど声が出ないのだ。心臓がバクバクして、舌がうまく動かず、思考もまるで絡まっているかのようだった。私は動揺のあまり、ノートを鞄にしまうことすらままならない。
次の駅で一気に降りてしまおうと考えたが、その駅は私が降りるはずの駅よりもずっと手前。降りたあと、また次の電車に乗り直しても同じように混んでいるかもしれない。そのときは試験開始に間に合わなくなるリスクもある。日ごろから「何かトラブルがあっても対応できるように」と余裕を見て家を出たはずだったが、そうはいっても受験日はまさに一世一代の大勝負の場。簡単には降りられないという気持ちと、痴漢に触られる恐怖が頭の中をぐるぐる駆け巡り、全く冷静ではいられなかった。
それでも耐えられなくなった私は、ようやく声を出そうと唇を震わせた。でも、結局声にはならないほど小さな音しか出せない。周囲の乗客に気づいてもらえるはずもなかった。そんなとき、電車が次の駅に着いた。ドアが開くやいなや、何人かの乗客が降りていく。一瞬だけ空間ができた。その隙をついて、私も「すみません、降ります」とだけ言い、小走りでドアの外へ出た。幸いなことに、降りる客の流れに合わせることができたのが不幸中の幸いだった。
痴漢らしき男がついて来るかどうかを怖々振り返ると、ドアの近くでこちらを見ているようだったが、私がしばらく見つめ返していると、男は車内の奥の方へと移動していった。私の目が合ったことでやばいと思ったのかもしれない。とにかくその瞬間、安堵と悔しさが同時に押し寄せてきて、吐きそうになった。ホームの椅子に座り、震える手でスマートフォンを取り出し、時間を確認した。まだ試験会場に行く余裕はある。ここで諦めるわけにはいかない。でも、さっきの出来事のショックで頭は真っ白。なんとか深呼吸をして、落ち着こうと心を落ち着かせるしかなかった。
痴漢に遭ったとき、本来ならホームの駅員さんに報告するのがベストなのかもしれないし、その場で捕まえるのが正しい対応かもしれない。でも、そのときの私はとてもそこまでの行動力が出なかった。試験開始時間に遅れられないという焦りと、ただただ恐怖で頭がいっぱいだったからだ。結局、私は一旦ホームで心を落ち着かせたのち、次に来た電車に乗り換えて試験会場へ向かった。今度の電車は少し時間がずれただけで乗客がそこまで多くなく、比較的落ち着いて立つことができた。ただ、先ほどの嫌な感触がずっと身体にこびりついているようで、心はまるで休まらなかった。
会場に着いたのは8時半少し前だった。予定していたよりはほんの少し遅れたけれど、それでも試験前には着席できる時間帯だった。しかし、私は朝の出来事を頭から追い出すことができず、試験開始のアナウンスがかかってもどうにも落ち着かない。ひどく憂鬱で、いつもなら試験直前にやっていた小さなルーティン、深呼吸をして心を整えたり、チョコレートを一口食べたりするなどの気持ちの準備がうまくできなかった。隣の席の受験生たちは、教科書やノートの最終確認をしていたり、友達同士で問題の傾向を話し合っていたりして、どこか落ち着いた雰囲気も感じられる。私も本来ならそうでありたかったのに、頭の中は朝の電車での痴漢の記憶だけが渦巻き、どうしようもなかった。
試験が始まってからも、その気持ちは引きずられた。最初の科目の問題用紙を見ても、集中が途切れがちで、問題文が頭に入ってこない。時間だけが刻々と過ぎていく焦りと、再び湧き上がってくるあのときの嫌悪感。あの男の視線や、背中に感じた体温や、腰に触れた手の感触がフラッシュバックしてきて、まるで映像が脳裏に焼き付いて離れない。情けないことに涙が出そうになったが、試験監督や周りの受験生に迷惑をかけたくないという一心で必死にこらえた。そのせいか集中力も途切れ、解答欄を埋めるペン先が震えているのが分かるほどだった。
昼休憩になり、教室から出ると何人かの友人の姿が見えた。同じ高校出身の友達もこの会場で受けることになっており、彼女らはやはり緊張した様子ではあったが、声を掛け合って励まし合っている。「どう? 解けた?」とか「難しくなかった?」とか、そういった会話をしているのを横目に私は正直、どうやって笑顔を作ればいいのか分からなかった。いつもなら一緒に対策を話し合い、互いに「大丈夫、大丈夫!」と元気づけ合う仲間たちなのに、彼女たちを見ると自分だけが置いていかれているような虚しさを感じてしまった。痴漢の話をここで打ち明ければ、きっと心配してくれるだろう。でも余計なストレスを与えたくないし、何より自分の中でもこの朝の出来事をうまく処理できていない。言葉にするのが怖いような気持ちだった。
午後の科目も、やはり集中は思うように続かなかった。特に暗記ものや読解ものでは、注意力の欠如が大きく響く。いくら机にかじりついていても、思考がふっとどこかへ飛んでしまう。こんな大事な日にトラウマ級の出来事に遭ってしまったという悔しさと、痴漢に対して何もできなかった自分の情けなさが頭をもたげる度に、心臓が苦しくなる。なるべく今はテストに集中しなければと分かってはいても、一度崩れたメンタルはそう簡単には元に戻らない。心の傷は思ったより深いのだと痛感させられた。
それでも、最後の科目をなんとか解き終えて会場を出るときには、身体がどっと疲れているのを感じた。外に出ると少し冷たい風が吹き、顔に当たって痛いくらいだが、むしろそれが心地よいくらいに感じた。内側にこもった澱んだ気持ちや熱が少しだけ冷まされるような気がした。帰り道、歩きながらようやく「今後どうすればいいか」「あの男を捕まえることはできなかったか」ということを考え始めた。遅すぎるかもしれないが、今からでも駅員さんや警察に相談しておくべきだったかもしれない。次に同じ被害を受ける人が出るかもしれない。自分のためにも他の誰かのためにも、痴漢行為を見過ごすのは本当はよくないと、理性では分かっているのだ。
でも、正直なところまだ怖い。痴漢されたその瞬間の恐怖と嫌悪感は何にも代えがたいほど強く、思い返すだけで身体がこわばる。今はテストを終えた解放感よりも、その出来事への怒りや悲しみの方が遥かに大きい。家に帰ったら、とりあえず家族に今日あったことを話そうと思った。あのとき何があって、どれほど怖かったのか、しっかり伝えることからはじめたい。恥ずかしい気持ちや自分を責める気持ちもあるが、誰かに話さないと私はこのままずっと抱え込んでしまうだろう。そうなると、二次試験やこれからの勉強にも影響が出る。だからこそ、勇気を出して家族に打ち明けることから始めたいと思う。
それから、駅や警察への連絡に踏み切るのは家族や友達に相談して、気持ちが落ち着いてからでも遅くはないはずだ。証拠になるようなものは残っていないし、混雑した車内で犯人をはっきり特定するのは難しいかもしれない。でも「痴漢被害に遭った」という事実を口に出すこと自体は、私にとっては大切な一歩だと思う。痴漢被害を黙っていては、加害者たちは堂々と再犯してしまうかもしれない。悲しいことだが、周囲に知ってもらうことで少しでも被害を未然に防ぐ手段を増やすことにもつながる。私自身も、今は頭が混乱していて何をどうすればいいか分からないが、とにかくまずは心を落ち着かせ、助けてくれる人にきちんと伝えたい。
あれほど頑張ってきた勉強の成果を、こんな形で台無しにされそうになるなんて、本当に最悪だとしか言いようがない。まさか大学入学共通テストの当日に痴漢に遭うなんて、今でも信じられない気持ちだ。もし周りで私のように痴漢被害に遭った受験生がいたらと思うと、胸が締め付けられる。どれだけメンタルやパフォーマンスに悪影響を及ぼすか、考えるだけでもぞっとする。みんな、ただでさえ緊張する大一番の日だというのに、こんな形で心を乱されるのはあまりにも悔しく、悲しいことだ。
今回の一件をきっかけに、私は痴漢という行為の重さを改めて痛感したし、被害に遭った人がどれほど心に傷を負うのかを身をもって理解した。痴漢行為を「軽い犯罪」と軽視する風潮が一部にはあるけれど、被害者にとってはどんなに短い時間でも耐え難い恐怖を味わう。今後は私自身が同じ被害に遭わないように工夫することはもちろん、周りの人と助け合い、防犯意識や知識を深めていきたいと思う。自分の身を守るだけでなく、遭遇したときには周囲に呼びかけられるくらいの勇気も持ちたい。実際にはなかなか難しいものだとは痛感したが、だからこそ普段から心構えをしておきたいと思う。
そういえば、大学入学共通テストは今日が終わりではなく、次の日もある。気持ちを切り替えるのは簡単ではないけれど、私の受験はまだ続く。まずは家に帰ってから両親に事情を話し、必要と感じたら交番や駅員に相談してみる。そのうえで、十分な休息を取ってから心のケアをしっかりと行い、二日目や二次試験に備えるしかない。こうして文章にしている今も、まだ胸の奥底でモヤモヤした怒りや不安が残っているが、時間をかけてでも絶対に乗り越えたいと思う。
私と同じように被害に遭った人には、少しでもこうした体験を共有することで「一人じゃない」と感じてもらえたらと願う。そしてもし、周囲に痴漢を受けたかもしれないという人がいたら、ぜひ「話しづらいだろうけれど、私でよければ聞くよ」という姿勢を見せてほしい。被害を受けた側は悪くないし、非難されるようなことでもない。相手の傷を理解しようとするだけでも、その人の心はずいぶん救われると思う。今回、私が受験日という一番大事な日に痴漢に遭ってしまったことは最悪だったが、これをきっかけに女性だけでなく、男性も含めて痴漢問題を真摯に考えていく社会になってほしいと強く願う。
いまはとにかく、家に戻って少し休みたい。そして信頼できる人に話を聞いてもらう。その後は引き続き試験勉強を続ける。そうやって、一歩一歩前進していくしかないのだと思う。私の大学入学共通テスト初日は、本当に最悪な出来事で幕を開けてしまった。でも、ここで負けたくない。絶対に志望校に合格して、「あの痴漢に負けなかった」と胸を張って言えるようにしたい。それが今、私が一番に抱いている気持ちだ。どんなにつらいことがあっても、私は自分の未来を諦めたくない。そんな決意を胸に、私はこの苦い思い出を糧に変えていこうと思う。少なくとも、あの電車の中で怯えたままの私とは決別したい。この悔しさをバネにして、明日のテストと、そしてその先の人生に向かって前に進んでいくつもりだ。
それは2つ隣の席に座ってた爺さんだ。
最初自分が来た段階でその席で明らかに持ち込みの総菜パンを食ってた。
それから自分が席について、広告が流れ出したとき、爺さんのスマホが鳴った。
「は?」となって思わずとなりを観たが爺さんはスマホの画面を見てすぐにしまった。
てっきり、それでマナーモードにしたのかと思ったらまた鳴ってる。
オイオイどうすんだ世これ。このまま上映中着メロ鳴らしっぱなしなのかこの爺さん。と思っていたら上映前に荷物をまとめて席を立ち、
話してる内容はわからないが、どうも今どこにいるのか聞かれているようで、今家ですとか言っちゃってる。
そうしてやっとシアターから出て行った。
そして爺さんは帰ってこなかった。
てっきりどっかの段階で帰ってくるかと思ったが、帰ってこなかった。
そうして爺さんは帰ってこずに、上映は終了した。あの爺さんは誰だったんだろう。
そもそも正規にチケットかって入場したのだろうか?単なるホームレスが映画館で休憩してただけなのだろうか?
謎である
俺はね、今日もチーズ牛丼のことを考えてたんだ。なんでかっていうと、朝起きたら夢の中でチーズ牛丼が喋ってたからさ。そう、あの濃厚なチーズが「俺を食べてくれ!」って叫んでたんだ。だから、朝ごはんに何を食べようか迷った挙句、結局チーズ牛丼のことしか頭に浮かばなかった。まるで宇宙の中で一番大切な星を探す旅みたいにさ。
でも、考えてみると、チーズ牛丼ってただの食べ物じゃないよな。あれは俺の人生そのものだ。牛肉が柔らかくて、チーズがトロトロしてて、それを見てるだけで心が踊る。まるで猫が毛糸玉を追いかけてるみたいな感じだよ。でも、猫は毛糸玉を追いかけても捕まえられないこともあるから、俺もチーズ牛丼を追いかけ続けなきゃならない。
そういえば、友達と一緒に食べた時のことを思い出した。あの日は雨が降ってて、傘も壊れてて、でもチーズ牛丼を食べながら「これが最高だ!」って言った瞬間、雷が鳴ったんだ。まるで神様も同意してくれたみたいだった。それからというもの、俺はチーズ牛丼を食べるたびに雷の音を思い出す。変な話だけど、それが俺の特別な思い出になってる。
でもさ、もしもチーズ牛丼がこの世から消えたらどうなるんだろう?想像するだけで恐ろしい。街中に漂う香りもなくなってしまうなんて、それはまるで空気が抜けた風船みたいだ。ふわふわしていたものが、一瞬にしてペシャンコになる感じ。それはまるで夢から覚めた瞬間みたいだ。
だからこそ、俺は今この瞬間を大切にしたい。チーズ牛丼を食べながら、自分の好きなことや夢について語り合う時間、それこそが本当の幸せなんじゃないかと思うんだ。このシンプルな料理がもたらす感情や思い出は、俺の日常を彩る大切な要素なんだから。
そう考えると、次回チーズ牛丼を食べるときには、もっと大きな声で「愛してる!」って叫びたい気分になる。でも、その前にまずは店に行かなきゃならない。ああ、早く食べたい!でも雨降ったらどうしよう?傘持って行かなきゃ!いや待てよ、その前に靴下は履いたっけ?
――当たり前の毎日が、ある日突然不気味な影に蝕まれるなんて、少し前のわたしなら想像もできなかった。わたしは中学三年生。受験を控えているため、普段は塾に通ったり、学校でも進路の相談をしたりと、それなりに忙しい日々を送っている。家は住宅街にあり、学校までは歩いて15分ほど。街灯の数はそこそこあるし、真夜中に外を出歩くわけでもないので、これまで怖い思いをしたことはほとんどなかった。
それでも、一学期の終わりごろから微かな“違和感”が生まれ始めた。最初は通学路を歩いているとき、「視線を感じる」という程度だった。ふと、だれかに見られている気がして後ろを振り返るのだけれど、そこに人の気配はない。でも、どうにも落ち着かない。そんな日が何度か続いて、夏休みが終わった頃には「もしかしたら、わたしの思い過ごしじゃないのかも」と感じるようになった。
決定的だったのは、ある夕方、塾が終わってから夜に帰宅するときのこと。友達と途中まで一緒に歩いていたが、その子がコンビニに寄ると言うので先に別れ、一人で家に向かうことになった。少し薄暗くなってきてはいたものの、まだ人通りがゼロというほどでもない時間帯。だけど、その日はやけに背後が気になった。足音が一つ増えているような気がする。怖くなって、道路脇の自販機でジュースを買うふりをして、そっと後ろを見やった。すると、街灯の下に男の人が立っているのが見えた。30代後半くらいに見え、腹が少し出た体型。見覚えのない顔なのに、こちらをじっと見ている。その目つきに、不気味な笑みが浮かんでいたように感じた。
一瞬、心臓が止まりそうになった。「もしかして、わたしをつけている…?」考えたくなかったが、その可能性を否定できなかった。その日は慌てて家に帰り、両親にも打ち明けた。母は「気をつけなさい」と言い、父は「危なそうだったら遠慮なく叫べ」とアドバイスをくれた。わたし自身も「気のせいじゃないかも」と半ば確信していたけれど、決定的な何かがあるわけでもないので、どうにも気持ちが晴れない。そんな宙ぶらりんの状態が続いていた。
ところが、数日後、ついにその男が正面からわたしに接触してきた。学校から帰ろうとして、家のすぐ近くの角を曲がったところで、まるで待ち伏せしていたかのように声をかけられたのだ。
思いがけない質問に、一瞬「え…?」と固まってしまう。すると男は、妙にテンションの高い声で続けた。
「ガンダムだよ、ガンダム。プラモデルとかあるだろ? あれ、ガンプラって言ってさ。実は俺、ガンプラを転売して生活してるんだよ。レアな限定品とかはネットで高く売れるから、なかなか儲かるんだよね」
まったく身に覚えのない話を次々と畳みかけられて、困惑しかなかった。わたしはガンダムに興味があるわけでもない。何より、この男がどうしてわたしの家の近くで待ち構えているのかが気持ち悪い。けれど、怖さと戸惑いで体が動かず、言葉も出なかった。
「もし興味あったら、一緒にガンプラ買いに行かない? 教えてあげるよ。限定版とか、結構大変なんだけどさ、手に入ると嬉しいんだよな」
意味不明な勧誘に、わたしは思わず後ずさった。怖い。この人はわたしを待ち伏せして、しかもこんな会話を一方的に押しつけてくる。わずかに震える声で、「興味ないんで、すみません」とだけ言うと、逃げるように家の門を開けて中に入った。ドアを閉める直前、わたしを見つめる男の目はまだ笑っていた。あの不気味な笑みが焼きついて、頭から離れなくなった。
その日から、男はわたしの周囲でますます姿を現すようになった。朝、家を出るとき、門の外に立っていることもある。学校の近くで待っていることもある。わたしだけでなく、クラスの友人たちにも目撃されはじめ、「あの人何?」「怖いんだけど」と噂になった。「髪が脂ぎっていて、いつもガンダムのTシャツ着てるよね」とか、「30代後半くらいかなあ。ガンプラ転売ってホント?」なんていう憶測がクラスで飛び交っていたけれど、わたしからすれば笑い事ではなかった。
どうしてわたしをターゲットにするのかが分からない。ガンダムなんてまったく興味ないし、むしろ男の人が言うようなレア商品の価値もピンとこない。無視してやりすごそうにも、毎日しつこく声をかけてくる。「おはよう。昨日はガンダム観た?」「ガンプラ買うなら今がチャンスだぞ」など、訳の分からない話ばかり。はじめは無視して歩いていたのだが、そのうち腕を掴まれそうになることもあった。
「逃げんなよ。俺は優しく教えてやろうとしてるのに」
その言い方が、もう普通じゃない。目の奥が怖くて、まるで自分が獲物にされているような、そんな凄みを感じた。学校の先生に相談し、生活指導の先生が一緒に帰り道を巡回してくれる日もあった。でも、その日は男の姿は見当たらない。先生がいない日に限って、わたしの通り道にひょいと現れるのだ。わたしは携帯を握りしめて、いつでも警察に電話できるように心がけていたが、相手がすぐに手を出してくるわけでもない。曖昧な距離を保ちながら、ネットリと追いかけられている感覚だった。
さらに恐ろしかったのは、わたしのSNSを探し当てられたこと。プロフィール写真は家族や友達との写真だったが、そこからわたし本人を特定したのだろう。急にフォロー申請が何件も届き、メッセージで「一緒にガンプラ見に行こうよ」「ガンダムの良さを教えてあげるからさ」としつこく書かれたものが送られてきた。もちろん拒否したけれど、それでもアカウントを作り直して追いかけてくる。
そのSNSのアイコンもガンダム関係のものばかり。タイムラインにアップされている写真には、大量のプラモデルの箱が積み上げられており、「最近ゲットした限定版。転売すれば倍になるけど、コレクションにしてもいいよな」とか「本当に好きな子に出会えたら、このコレクションを見せてあげたい」など、怪しいコメントが並んでいた。わたしは背筋が凍る思いだった。どうやってブロックしても追いかけてくるし、日に日に執着が深まっているようにすら感じられる。
両親も事態を重く見始め、警察に相談したほうがいいのではないかという話になった。わたしは「でも、実際に身体的な被害には遭っていないし…」と気が引けていた。学校の先生も「警察に通報して相手を刺激するのが心配だ」という雰囲気で、結局「注意して帰りましょう」というアドバイスのまま、なかなか大きく動くことができない。その間にも、わたしの不安はどんどん募っていった。
そして、ある日の夕方、決定的な恐怖に襲われる事件が起きた。学校の文化祭準備があったため、いつもより帰りが遅くなったわたしは、友達と途中まで一緒に歩いたあと、一人で家に向かっていた。塾の時間も迫っているし、ちょっと急ぎ足だった。ふと曲がり角を曲がった瞬間、目の前に男が立っていた。わたしは思わず悲鳴を上げそうになったが、声にならない。
まるでわたしの行動を全部把握しているかのような口ぶり。彼はあの不気味な笑みを浮かべながら、何か箱のようなものを差し出してきた。ガンプラのパッケージだ。派手な色のモビルスーツが描かれている。
「これ、新作の限定ガンプラ。転売したら高いけど、お前にやるよ。あ、でもただじゃないよな? 俺の好意をちゃんと受け止めてくれるなら、ってことだけど」
彼の言葉の節々に感じる狂気めいた雰囲気。逃げなければ、と思っても、足がすくんで動かない。必死に頭を回転させ、「受け取るふりをして箱を落として、その間に逃げる」という作戦を瞬時に思いついた。わたしは手を差し出すと同時に、わざと勢いよく箱を地面に落とした。
「何してんだよ!」
彼は怒鳴り、落ちた箱のパーツが散らばる。わたしはその隙に走り出した。涙があふれて、視界がにじむ。背後からは乱暴な足音と、「待て! ふざけるな!」という声が聞こえた。息が苦しくなりながらも、どうにか大通りまで走りきり、人通りが増えたところで立ち止まる。彼は少し離れた場所に立ち尽くし、苛立ったようにわたしを睨んでいたが、さすがに人目が多いのか追っては来なかった。
恐怖と悔しさが混じった感情で、わたしはその足で交番に駆け込んだ。そこで出会った警察官は、最初は「どうしたの?」と優しく声をかけてくれた。わたしは必死に息を整えながら、ここ数週間の出来事を話した。ストーカーまがいの執着や待ち伏せ行為、SNSでのつきまとい……警察官の表情が真剣になっていくのが分かった。
連絡を受けた両親が交番に駆けつけ、わたしが受けた被害を詳しく話すと、警察官は「これ以上放置できない」として本格的に捜査に乗り出すことを約束してくれた。わたしはそこでようやく少しほっとしたが、同時に「もっと早く相談しておけばよかった」と強く思った。
それから数日後、警察が男を逮捕したとの連絡があった。わたしの塾の前で、再び待ち伏せしているところを張り込んでいた捜査員が確保したらしい。男は「自分はただガンダムの良さを伝えたかっただけ」などと弁明していたようだが、わたしの写真を無断で撮影して保存していたり、行動パターンをメモに書き込んでいたりと、数々の“ストーカー行為”の証拠が見つかり、転売目的で集めたガンプラの山とともに押収されたと聞いた。
ニュースサイトの地域欄に、小さく「30代男性をストーカー規制法違反で逮捕」と載っていた。名前は伏せられていたけれど、間違いなくあの男だろう。あの不気味な笑み、尋常ではない執着心、SNSでのしつこいメッセージ……わたしの普通の生活は、そんな彼の行動で大きく乱されていた。いま思うと、本当に怖かったし、もし警察に駆け込むのが遅れていたら、もっと大きな被害に遭っていたかもしれない。
男が逮捕されたと聞いてから、わたしはようやく外に出るときの恐怖から解放された気がする。とはいえ、すぐに「もう安心」とは思えず、しばらくは父や母に迎えに来てもらったり、友達と一緒に行動したりして、用心深く過ごした。学校の先生や友達もわたしを気遣ってくれたおかげで、少しずつ心の傷が癒えていったように思う。
受験勉強が本格化するにつれ、わたしはあの出来事を少しずつ振り返る余裕もできた。中学生のわたしには、あの男の「ガンダム転売」という仕事自体がピンと来なかった。好きなものを売買することで生計を立てている大人がいることは分かったが、それを理由に他人を追い回し、恐怖に陥れる行為が正当化されるわけがない。何より、彼自身がガンダムの魅力を熱く語る一方で、人の気持ちを無視した行動ばかり取っていたことに、強い矛盾を感じる。
今では、わたしが夜道を歩いているとき、あの男の足音を想像してしまうようなことはかなり減った。完全にトラウマが消えたわけではないけれど、警察や家族、学校の先生など、わたしを守ってくれる大人がいたことで「一人じゃない」という安心感を得られたのが大きいと思う。
この一件で学んだのは、「変だな、おかしいな」と感じたらすぐに誰かに相談することの大切さだ。最初は「大げさかな」「気のせいかな」と思って、なかなか行動に移せなかった。でも、もしもう少し早い段階で大人に相談していれば、あんなに怖い思いをしないで済んだかもしれない。今はその後悔を活かして、少しでも不安を感じたら周囲に声を上げるようにしている。
ガンダムオタクにストーキングされるなんて、わたしの人生にまさか起こるとは思わなかった。だけど、最終的に彼が逮捕されたことで、わたしの生活は再び平穏を取り戻した。この先も、いつどこで危険が潜んでいるか分からないからこそ、小さなサインを見落とさないように、そして自分の身を守るための行動をためらわないように――そう心に刻みながら、わたしはこれからも前を向いて生きていこうと思う。
特定されるかもだからぼかすが、とある商業施設の一角におっさんおばさんがポケモンGo目当てにたむろするスポットがある
5年ほど前にポケストが複数生えて当時からいろいろと迷惑行為がはびこっていたので、知人と協力してストップの移設や廃止を頑張ってきた
一度は消したのだが、それから半年で2個増えて、しかも重複&どうかんがえても存在しないストップが生えてお手上げだ
看板を設置したら1か月で壊されていた
オジサンたちを口頭注意したこともあるが彼らは聞く耳持たないどころか、異様な声で威嚇するため周囲を歩く人がマジで警戒している
ストップ事態を移動させればッて思うけど、そもそもそのストップのもとになっているものは商業施設の中にはなく、たまたま隣接しているだけなんだ
無関係な商業施設ではあるが、そのストップ群にアクセスしやすく居心地がいいからとみんな利用している
治安が良い場所のはずだが、その区域だけがゴミが散乱しているので、雰囲気が最悪になっている
こういうオジサンたちを排除するにはもうオジサン専用のモスキート音くらいしかないんじゃないかなって思ってる
【続き】
別にここで解決するなんて思ってないが、ジョークネタを含めて色々あつまるもんだね
少し検討する
ただ、何の権利あってそんなことできるんだっていう人もチラホラ
不思議な人もいるんだね
どうでもいいけど
ちなみにこれ以上の情報を書く予定はないよ
なぜか、私へのあたりは強い。上司だけでなく、妻も。
今までの上司はみな、私には、「やめちまえ!」と厳しい態度をとる。なのに、年次考査ではいつもいい評価をくれる。
叱って育てたいとか思ってるのだと思う。
妻の稼ぎは、妻の交際費や嗜好品だけで消えて、生活費はおろか妻のスマホ代まで私持ちだし、にも関わらず家事は折半だったが、ことあるごとに怒鳴る。
「自分の言ったことをよく考えて」と言ったら、ものすごい形相で、トラウマになるくらい罵声を浴びせてきた。
その日以来、マンション内にベルリンの壁ができて、私は預けていたキャッシュカードを返してもらえないので、キャッシュカードを止めた。
ある日、彼女の荷物がなくなり、合い鍵と、キャッシュカードを止められた文句の手紙だけが残っていた。
女は、脳がサルの時代からアップデートされていないので、親切にすると感謝されるどころか、毛づくろいしてくれる格下の相手と認識するらしい。
戻れるなら、大学時代に戻りたい。
今考えると、誰もが同じ目的で集まりながらも、誰も他人の心に土足で上がってこないところがよかったのだと思う。
たまに、高校生や大学生が集団でやってくることがあり、彼らはキャッキャしながらお互いに重量を競ったりしたが、長続きしない。
長つづきするのは、自分と向き合って、他人を気にしない人たちばかりだった。
非力な男性をバカにすることも、肥満の女性をバカにすることもなく、それぞれがそれぞれのペースで、黙々とトレーニングしていた。
私は、体重の割にけっこうな重量を挙げられるようになって、ちょっとした大会でそこそこの成績をおさめた。
誇らしかったが、誰にも自慢していない。
ヒトより体を鍛えても、暴力に使うことはおろか、威嚇することもしないのが誇りだった。
見くびられるくらいでちょうどいいと思ってた。
あれから20年、誰になにを言われても、なにをされても平気な振りをしつづけたけど、ついに壊れた。
もう働きたくない。
家にもいたくない。ずっと自室に引きこもっていたい。
今までの貯金で、妻と子供を養っても向こう10年くらいは、なんとか生活できると思う。
その時、私は53歳。
うまく運用すれば、60歳まで逃げ切れるかもしれない。
とにかく、もう部屋から出たくないのに、妻は働いてほしいという。
みんな私を追い詰める。
欲しくないなら無理して作らなくてもいいんじゃないの
増田自身が言ってるように「やっぱ可愛くない」で済むものじゃないよ
子どもは可愛いけど、理不尽の塊だし憎たらしい事をしたり言ったりもする
それに子どもが可愛くないってのはまぁ大っぴらに言う事じゃないけど少なからず居るし、欲しくないって人は今どき珍しくもないよ
まぁでも、子どもは?とは聞かれてうざったいよね
女の人には遠慮して言わない人も男には言ったりするしね
でも、欲しくないなら作らなくていいよ。作らない方がいい
とりあえず3年は考えるのやめて結婚生活を楽しんでみたら
3年過ぎても気持ちが変わらなかったら次は30まで考えるのをやめてみる
それくらいでいい
ただ、作るにしても作らないにしても奥さんと腰を据えて話し合いはした方がいい
なんとなくの話し合いじゃなくてね
お互いが納得して作らないって選択をするのは正しい事だよ
俺はね、ネトウヨだけどね、最近の天気がすごく変わってきて、カレーライスを食べながら考えたんだ。
カレーは黄色いけど、パヨクの意見は青い海のように広がっている。
だから、俺は納豆を食べながら「おっぱいぷるんぷるん」と叫ぶことにした。
でも、パヨクは多分、アボカドトーストを食べているから、そこに違いが出てくる。
猫は「おっぱいぷるんぷるん」と言いながら、魚を追いかけていた。
あれは一体何を意味していたのか?
夢の中ではみんなが笑っていて、俺も笑っていた。
政治なんて関係ない。それよりも、大事なのはその猫のしっぽがどうなっているかだ。
それから、宇宙人が地球に来て、「おっぱいぷるんぷるん」と言った瞬間、人類は団結した。
ネトウヨもパヨクも関係なく、みんなで宇宙人に向かって踊り始めた。
なぜなら、踊ることでしかコミュニケーションが取れなかったから。
でも、その後にピザが届いて、それを食べながら「やっぱりカレーが一番だよね」と思った。
結局のところ、俺たちは何を考えているのか分からないまま、おっぱいぷるんぷるんと叫び続けるしかない。
ネトウヨもパヨクも関係なく、みんなで楽しく過ごせればいいじゃないか。
バナナは黄色いし、カレーとも合うし、おっぱいぷるんぷるんとは全く関係ないけど、それがまた面白い。
こんなことを考えながらも、俺たちは生きている。
それまで病欠はほぼゼロで、体の丈夫さが取り柄だったのだが、まず2ヶ月ほどコロナ後遺症というやつに悩まされた。
倦怠感とブレインフォグ、あるいはその両方で、会社にも話して何とか低出力で勤め続けた。
それから2ヶ月半くらいが経過した頃、一度クタクタに疲れてからというもの、疲れが取れなくなった。
家事を犠牲にして8時間、9時間と眠っても体が重だるく、頭も回らない。病院で受けた検査にも異常はなく、コロナ後遺症が再発した疑いが…とのこと。
休み休み仕事に向かったが、コロナ感染時に消化していたこともあり、ここで有給が尽きる。
そして愚かなことに私は貯蓄ができない人間で、加えて手術や引越しで急な出費が重なったこともあり、なけなしの貯金もほぼゼロといった状態。
お金を手に入れてしばらく体を休めたいのが本音だが、そんなことは無理なので騙し騙し遅いペースで働くしかない。
最近は仕事中にも耐えられない倦怠感で休憩を取ったりすることがあり、どうしたものかと思う。
いっそ病名がつくとか、最低限のお金をもらいながら休めるようになりたい。
コトリコちゃんが珍しく気乗りしないことをがんばってやっていたから、こっちも久しぶりに思い出したし、いっちょ15年ぶりだかで文章でも書いてみようかと思ったら、ブック―マークのコメント欄は短すぎるし、じゃあとんでもなく久々にはてなダイアリーだかグループだかに記事として書いてやろうかと思ったら、なんだかサービス終了してるし、じゃあ匿名ダイアリーならまだやってるようだからってことで、こっちで書いてみるか。そういえば以前なんかやたら長い講談速記本的なのを読まされた気がするし、まあ今回は改行しないで書いてみるか。関係ないけど講談速記本的なのは、何がそんなに面白いのか何とか見出そうと多少はがんばってみたけど、全然だめだった。多分だけどあれ、一般受けしないんじゃないかな。そんなこんなで気をとりなおして、彼とは昔一度だけ会った事がある。とはいえ向こうはこちらを知らないのだから、こちらが一方的に認知しただけであるので、正しくは会ったとは言わないのかもしれない。ともかく、よく晴れた秋の日、人通りの多い場所で、向こうからにぎやかなグループが歩いてくるのが目についた。そしてその中心には、体格も良く、声も(態度もやや)大きな男がいて、数十メートル離れた場所からでも、初見であるにもかかわらず、あれが今界隈で話題のIか、と一目で分かった。どのような人物か興味があったので、こちらが相手を意識していることを気取られぬよう、しかし確実に最接近できるよう、注意深く歩を進めた。私が彼を知るためには、彼の目を見なければならぬ。しかし彼は、目が合ったというだけで因縁をつけてくることが無いとも限らない風貌をしていた。彼の人柄についてある程度読んでいた私は、そのようなことをする人物ではないと知っていた。しかしその時の彼は、友人に囲まれて行楽中であり、有頂天であった。少なくともそのように振る舞う必要性があると思っていても不自然ではない状況であった。そのためより慎重に、彼のグループの先あるものに視線を注ぎつつ、彼の目に意識を向けて彼とすれ違った。彼は私を見た。目が合った。そして当然ながら私を知らないため、雑踏の一人として、認識すらされず視線は通りすぎた。私は彼の目に、現状に対する純粋な喜びは見なかった。彼は時に笑い、元気良く振る舞っていた。しかし私は彼の目に、充足は見なかった。私の彼に対する第一印象は、思ったよりも周囲に人がいて、楽しそうにやっているのだな、であった。しかし私が彼の目に見たものを、強いて今言語化するのなら、不安であった。
前言撤回して改行するが、その後彼とまた関わることがあったが、今は述べないでおく。
それから15年ほど、私は彼について何も知らなかった。活動も生死も知らなかった。そして最近、死亡したという話を読んだ。さすがに遠い人の話だったが、関連して本人の書いた山の文章を読んで、とんでもなく名文じゃないか、こんなのもしコトリコちゃんが読んだら大喜びしちまうぞ、と思った。そしてさっきコトリコちゃんの記事を読んだら、大喜びを通り越して迷惑がっていた。実に愉快である。愉快ついでにこんなものを書いてしまったが、まあひとりくらいしか読まないだろうし、投稿してもさして弊害はなかろう。彼は彼なりに弱くて貧しい人を助けようとしていた、というのは嬉しいニュースだった。
そういえば今日銭湯に行き、体を洗い終えてそろそろ湯船に向かおうかというタイミングで、後ろからシャワーでお湯がかけられた。まあこれはよくあることで、その店では通路の両側にシャワーがあるので、洗っている際に少し手元がくるえば後ろの人に多少の湯がかかるのはいつものことである。そのため気にもしなかったが、今日はなにやらずっと背中にシャワーがかけつづけられ、まったくうかつな人もいるものだと思っていると、今度は頭から湯をかけ続けてくる。子供がいたずらでもしてるのかと思って気にせずいると、後ろから「にいちゃんにいちゃん」と大声で何度も呼ぶ老人の声がする。振り向いてみるとなにやらもごもご言っているので、よく聞いてみると私に湯をかけられたと言っている。私は自分が体を洗ったあと、立ち上がって使い終わった桶などを一通りシャワーで流すので、その際に少し後ろにも飛び散ってしまったのだろう。その文句を言うために、私の頭に湯をかけ続けていたのだ。この店ではよくあるお互い様のはずだが、まあこの人は気にするのだろうと、私は素直に頭を下げてすみません、と謝った。すると彼は表情を崩し顔を歪めたので、ああ彼はいたずらっぽい冗談をして互いに笑い合いたかったのだなと理解し、私は笑顔を向けた。すると彼はまた何か言ってきたが、もごもごしているので聞き取れない。顔を近づけて、何ですかと尋ねると、「立ってシャワーを使うなんて、お前は風呂の入り方も知らないガキなんだな!」と言ってきた。よく見ると彼は笑っていたのではない。目を剥いて怒っていたのだ。そして彼は、ガキなんだな、という発言で相手を侮辱して不快感を与えることができると考えていたのだ。私は、後ろの人のシャワーが少しかかっただけで目を剥いて怒り心頭でお前は未熟だと必死に文句を言う人物の大人っぷりが面白過ぎて笑い出してしまった。しかし彼は、ガキであると思われるのが何より嫌いなのだ。彼は大声で言った。「笑うナ!!!」 侮られる訳にはいかぬ。彼は真剣であったのだ。「笑うナ!!!」
昔は上司に怒鳴られたって歯を食いしばって耐えたんだよ
叩かれて強くなるんだよ
あと、男は仕事!女は家庭!これが一番うまく回るんだよ
男が稼いで女は家を守るのが普通だよな??
それからな、年上には黙って従えってのが筋ってもんだ
昔は目上に逆らうなんて考えもしなかったぞ
あとな、努力すれば報われるんだよ
結局は根性と汗だ
今どきの「効率重視」とか「メンタルヘルス」なんて甘っちょろいこと言ってんじゃねえよ
昭和の俺たちはな、終電まで働いて、それでも文句なんか言わなかったんだからな
それに、障害者だろうが健常者だろうが同じ扱いでいいんだよ
特別扱いなんて逆に失礼だろ?そういうのは甘やかしって言うんだよ
まったく、昔はみんな我慢してやってたんだ
お前らも少しは見習え
しかし男はホモでもない限り、普通以上のスペックで人並みの地位や人脈や身長のある人間は例外なく結婚してる
例外は槇原敬之やジャニー喜多川や美輪明宏や美川憲一やおすぎとピーコみたいなゲイだけ
家事及び産む機械になってくれる相手がおらず女に見向きされないまま終わる生涯や、「あなた独身なのね(やっぱりねw)」という反応に耐えられないのは男
女性が男尊女卑を叩き込まれているはずの九州筆頭に南日本の離婚率が高く、共同親権制度推進など悪あがきしてるのも夫側のみ
「犬猫とのささやかな暮らし」に満足してる女は掃いて捨てるほどいるけど、男は子供を産んで家事してくれる女をあてがわないと満足しない
https://anond.hatelabo.jp/20250112150901
男は女と会話の機会がない童貞がセックスや子作りしたい本能に突き動かされ「(見知らぬ)女をあてがえ」と訴えるけど
女はパートナーを手に入れてから「結婚したい、彼の子供を産みたい」という流れになるので前者のような訴えはしない性差を無視するのがアンフェ高齢未婚おじ
女と会話したことない童貞でも相手がいないのに子作りしたい性欲だけは女の万倍あるから
男だけが権力者に知らない女をあてがってもらうという発想になるんだよね
女は多数の非モテ低身長男性が結婚も子作りも出来ず死んでいく事実にも何も思わないし無関心だけど
男(高齢爺)は「私はもう30歳のババア!結婚したい!子供が欲しい!誰でもいいから私をもらって!」と昭和のおっさんが作ったコントやギャグ漫画みたいな作文を延々量産するから終わってるよ
■女性が左右や思想信条問わず自称弱者男性を本能的に嫌うのが判明
https://anond.hatelabo.jp/20241224161010
また、綾小路きみまろの持ちネタにもあるように、妻や離別・死別した男性は再婚しない限り未婚男性同様に寿命が短くなるが、同様の女性は長生きする
「1日2回公演のときもありますから、そのときは1日5時間立ちっぱなし。セリフ覚えは早いし、声も奥の席までちゃんと通ります。体は健康そのもの。風邪さえひきません。人間ドックを受診したら、“まったく問題なし”の血液検査の結果に医者が驚くぐらいです」
154センチ、37キロ。肌はツヤツヤ。秘訣をぜひ知りたいところだ。
「生まれもったものじゃないかしら。お酒、たばこはやりません。食事は1日2食で、マネジャーさんが用意してくれます。赤身のお肉が好きですね。1回130グラムいただきます。苦手なのはウナギとアナゴぐらい」
朝5時半に起床し、大好きなアンコを大さじ1杯口にしてから、近所の公園にラジオ体操へ出かけるのが日課だ。
「雨の日も雪の日も欠かさない。ラジオ体操のあと、ラジオ体操友だちとファミマで120円のコーヒーを飲んでから帰宅。朝食をとって、毎日洗濯して、掃除は週2回徹底して。それから、韓国ドラマを見ながら韓国語の勉強でしょ、散歩でしょ、カラオケでしょ……ジッとしていられない性分なんです(笑)」
64歳のとき、“ヨン様”にハマり、韓国へ語学留学し話題になった。
「今はチョ・スンウさんにハマっています。コロナが明けてから、彼のミュージカルを見に行きお会いしました(笑)。今は海外旅行はほとんど韓国。近いから。豪州に姪がいて一昨年、会いに行ったけど、もう長時間飛行機に乗るのはしんどいわね」
「それで良かった。もし自分の子ができていたら、甘やかしてダメにしていたと思います。妹の子どもや孫と行き来しているので幸せです」
うつみ宮土理さんは81歳でも舞台に 元気の秘訣とは? 愛川欽也さんを亡くしたショックの様子も語った(あの人は今)
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a35624ab10e9b1113a8719842ac0bedd6abb0a9
https://anond.hatelabo.jp/20250113160549
でも存在するのだ。ここに。
その事実を知らせ「あなたのまん毛が濃いだけですよ」と付け加えた。
もう1年経つのに時たま思い出したようにXで未だに発狂しているのを見るとお腹を抱えて笑ってしまう。
それからというもの、否定できそうな女を見つけては否定して回っている。
間違った法解釈、間違った論文の解釈、これだけだと飽きるので時たま自分でも女に都合の悪いことを発信してそれに突っかかってきたやつに後出しでソースを見せる。
みんな面白いほど発狂する。ゴールをずらして勝利宣言する女もいるけど頭のどこかでは理解しているのか終わった話を勝手に自分で蒸し返してまた怒ってたり冷静なフリをしてるのを見るのが楽しすぎる。
複式学級にはギリギリならなかった。
わかるのが楽しかったし、わかる奴には次々と新しい課題を出してくれるのも楽しかった。
算数の授業にはなぜか二人の先生がついており、わかる子は難しい問題を投げ、わからない子には先生がつきっきりで教えていた。
俺の他にも勉強がやたらできる奴がいて、そいつと競争したり、一緒に問題を解いたりもしていた。
事実上、少人数教育と習熟度別の学習が実現できていたわけで、教育環境はド田舎にしてはかなり良い方だったと思われる。
今思えばそのおかしさを笑われていたこともあったように思うが、当時の俺は自分が笑われていることに気づいていなかった。
それでも概ね楽しく過ごせていたから、クラスメイトたちはとても優しかったのだと思う。
やたら気がよく優秀な奴の多いクラスだった。
マイルドヤンキーな悪友は立派な父親になり、アスペの俺にまで優しくしてくれた子たちは県内の有名進学校に進み、俺と算数の出来を競っていた奴は旧帝大に行った。
中学まで俺は彼らに守られていたために大過なく成長することができたが、高校からはそうはいかない。
地元には高校などなく、進学するには町を出る必要があったからだ。
受験とか面倒くさいなあと思っていた俺は、実家からギリギリ通える普通科高校に通うことにした。
特に対策などする必要がなくて楽だったし、勉強などどの学校でやっても同じだと思っていた。
最初は俺も勉強をがんばっていたが、部活で人間関係に悩み、学校をサボりがちになった。
それでも最低限勉強はこなし、結果的に都内の有名私大に進学することになった。
同級生たちは誰も俺がそこに進学することを知らなかっただろうが、担任の先生は喜んでくれて、それに救われた気持ちになったことを覚えている。
親も喜んでくれた。
後で聞いた話では、父親は昔、大学に行きたかったけど諦めた過去があるらしかった。
さて、電車にほとんど乗ったこともないような田舎者が東京に行くことになったわけだが、世界屈指の巨大ターミナル駅に降り立っても、特に感慨は覚えなかった。
元々引きこもり気質だったことに加え、ド田舎育ちのため、街に対する感性が育っていなかったためだと思う。
揺られながらぼーっと街並みを眺めるのが楽しかったし、それに飽きたら音楽を聞いたり本を読んだりできるのもよかった。
青春18きっぷの存在を知ってからは、電車で帰省するのが数少ない楽しみになった。
寮の人たちはとても面倒見がよかった。
先輩は困っている後輩がいないかよく気を配っていたし、同期も俺を友人として認めてくれていた。
寮を挙げてのイベントもいくつかあり、その度に寮生たちは大いに盛り上がっていて、俺も仲間外れにせずに誘ってくれた。
しかし、当時のアホだった俺は、他人の好意を鬱陶しく思い、その親切やありがたさを浪費していた。
むしろ俺は、周りの寮生たちのあまりの優秀さに打ちのめされていた。
相部屋になった同期は高校の頃にTOEICで800点近い点数を、向かい部屋の奴は満点を取っており、これからは中国語の上級試験に挑みたいと言っていた。
IPAの高度試験をいくつも突破していて、大企業から既に目をかけられている人もいた。
俺はライバルの少ない田舎で、多少勉強ができるだけで得意になっていた愚か者だと、嫌でも気付かされた。
それからは勉強をがんばる気にもなれず、昔から好きだったインターネットに逃避するようになった。
はてな匿名ダイアリーに出会ったのはこの頃だった。
手頃な文量で、知らなかった世界がおもしろおかしく、生々しく書かれている文章群がとても魅力的に思えた。
インターネットがこんなにおもしろいのだから、現実世界での失敗などどうでもいいと思うようになった。
寮を出てからアパート暮らしを始めると、さらに体調が悪くなり、布団から起き上がれなくなった。
何の前触れもなく涙が出てくることもあった。
そうやって何も成し遂げられないまま、大学生活はあっという間に終わってしまった。
このような状態でまともに働けるわけがなく、就活もろくにしなかった俺は、お情けで大学を卒業させてもらった後、実家に逃げ帰った。
追い立てられるようにハロワに行き、そこで紹介されたメーカーに入社することになった。
なぜ受かったのかは謎だ。
その会社はド田舎ではあったが、なぜか業界トップの企業らしく、国内は固め終えたのでこれからは海外に殴りむぞという意気込みで拡大を続けていた。
ただし俺の上司は別だった。
ねちっこくミスを咎めてくるし、自分の失敗を咎められると怒り出すし、俺によくしてくれた先輩はこの上司に愛想を尽かしてやめていった。
主治医からは鬱病と診断され、しばらく休職し、部署異動することになった。
異動先の上司は俺を買ってくれていた。
入社試験の点数がよかったことと、プログラミングができることが気に入っていたらしい。
いろいろ仕事を振ってもらったが、仕事量に耐えきれず、結局逃げるように会社をやめた。
部屋には尿の入ったペットボトルが何本も溜まっていた。
後に精神科では双極性障害とASDと診断され、障害者手帳を取得した。
どうにか体が動くようになった今は、障害者雇用のパートで農業をしている。
誰でもできる仕事で給料も少ないが、職場のおばちゃんたちは優しく、会話も体を動かすこともおぼつかない俺にいろいろ世話を焼いてくれる。
どのような形であれ、職場の一員として一緒に働かせてもらえることはとてもありがたいことだと思う。
また、病気の俺を支えてくれて、今の仕事を応援してくれている両親には感謝しかない。
でも、せっかく俺を大学まで行かせてくれたのに、このようなザマになってしまって申し訳ない。
本当にごめんなさい。
ASDの俺を受け入れてくれた小中学校時代のクラスメイト、孤立していた俺を気にかけてくれた高校時代の担任、大学の寮のみんな、会社の先輩と異動先の上司、家族、俺は迷惑を掛けてばかりでしたが、あなたたちのお陰で何とか生き延びることができました。
あなたたちがいなかったら俺の人生はさらに悲惨なものになっていたはずです。
俺にできることはほとんどありませんが、あなたたちの人生がより幸せなものになることを祈っています。
今まで本当にありがとうございました。
映画館でも自宅でも新幹線や飛行機でも、映画1本をぶっ通しでほぼ観ることができない。
場所を問わず、どんな映画でも関係なく途中でものすごく眠くなり寝てしまう
食後に行かないようにしたり、コーヒーを飲んだり、ポップコーンを食べないようにしても寝てしまう
体感60分も経つと、あと何分あるんだろう…と時計をみたくなってしまう
見終わった後(大体途中で寝ているけど)にこの時間で別のことのことしたかったなあと思ってしまう。
じゃあ観なきゃいいじゃん、と言われればそれまでなのだけど・・・
本は数時間でも集中して読むし、音楽を聴きながらの散歩も身体が元気であれば4時間くらいなら歩き続けられる
映画を純粋に楽しんだり、それから何かを感じたり、学んだり、新作を楽しみにしたり、そういう習慣ができたら人生が豊かになりそうなのに・・・
ざんねんだ・・・
ワイは今年43のおっさんなわけだが、正直、あと30年早く作ってくれよと言うのが感想である。
まぁカワンゴからすればお前が勝手に30年早く生まれたんだろって言うんだろうが。まぁ正論だよな。
さて、いつの時代もはぐれ野郎というのはいる者で御座いまして、ワイもその類いです。
小学5年生から6年生でにわりと当時大問題になったいじめという奴にあいまして、学校に通えなく無くなったわけですな。どうにもこうにも同世代の男子が怖い。
それで中学をまるごと棒に振り、高校では通信制高校に行くことになったのでした。
ここでカドワンゴ学園があったらないと思う訳なんですが、まぁあるわけもなく。普通の公立通信制に行きました。
中学時代に、自分の貯金と、それから親も金を出してくれてパソコンを購入してパソコンに触れ、テレホーダイまみれの昼夜逆転した中でネットにつながり
通信制ではしがみ付いて3年で卒業し、その間にコンビニの早朝アルバイトを始めてお金を貯めて、学校と言う所はつくづく性に合わないが(と言うか、今でも若い子が苦手なのだが)なせばなると言う事を覚えた。
ただ、通信制高校というのは就職支援機能が死んでおり(当時)、高卒の就職というのは学校がやるものなので、就職などできるはずもない。
と言う事で、何故か田舎に1軒だけあったコンピュータの専門学校に進学、2年かけてエイジオブエンパイヤIIのことを学び、パソコンわかってるつもりのドシロウトから、パソコンのこと全然知らない奴ぐらいになった所で、公設民営、地域唯一の専門学校という無茶苦茶強力な就職斡旋機能により、地元の中小企業にパソコンちょっとわかる奴として就職した。
カワンゴが言っているのは、奇人変人だが天才のような才能を掬い上げる(救うと言う文字よりこっちのほうがあってんじゃねーかな)事を言っているのだろうが、ワイの場合はそう言うレベルではなく、
新卒チケットを使って正規雇用のコース、一応は正社員という地位を手に入れる事ができるか、あるいは失敗して一生非正規雇用かという、まぁなんとも低レベルな方面であるのだが。
そう言う敗者復活戦として、高校の卒業資格を与える仕組みとしての通信制は非常に重要な取り組みだと思う訳なんですよ。
そうして社会を動かすための歯車を一個でも増やしていく取り組みが大事なんじゃねーかなと。
母校の母体は、とある電機系のメイカーである。地元にはそこの工場があった。母校はその電気系メイカーが、バブルの頃に社会貢献のような感じで自治体と共に作った専門学校であった。
そのため、毎年最も頭のいい奴はその母体となった会社に就職することができるコースが存在した。ワイなどは箸にも棒にもかからない状態であったが、頭のいい奴はそれに乗っかって東証一部(当時)上場企業に大卒と同じ賃金カーブで潜り込めるルートが存在した。
一方で、社会人になって20年たつ今から見ると、これは学生向けのチートコースではなく、会社側から確実に使える優秀なソルジャーを掬い上げると言う機能を持っていたことがわかる。
同級生でそのコースに乗った連中は、当時としてもゴリゴリに優秀な連中が行っているなと言う印象であった。そして、最近たまたま連中に再会したところ、その会社で管理職になっているようだったのである。名ばかり部下無し班長(役職手当5千円)のワイと比較するのはもちろん、同世代でも大企業の管理職になっているのは、社会的に見てもそれなりに優秀な層なのだろうという事である。
なんかまとまらないが、大手企業でも、ストレートのルートにフィルターされた奴だけをとっていれば人員が充足する時代はもう終わりなのではないかと言うところである。そう言う点で、カドワンゴ学園の取り組みは社会の底上げを図る政策であるし、
なんで妻とヤリたいのに、家事も育児も妻にやらせっぱなしなの?論理的思考できる?頭大丈夫か?意味がわからん。
家事も育児もお前がやりまくって妻を休ませろ。妻にゆっくり休日を楽しませろ。エステにもマッサージにも行かせろ。セックスをする気になるのはそれからだろ
自分が風俗(離婚事由です)行って飲むことばっか考えてて気色悪すぎ、妻は同じ回数エステ行ってホスト行けて高級ランチ行けてんのか?
>児童館の先生にそれとなく助けてっていったけどなんかはぐらかされてしまって、それから宙に浮いたままでいる。ていうか先生のひとりはご近所さんだからとても言いづらい。絶対にまわりに言いふらされる、ますます居場所ないよ。
まわりに言いふらされる>子供を殺す
頭おかしいわ。
休みだからなんか勉強みたいなことしたり家事を片付けたり、そういうことをしたいのにさっぱりやる気が出ない。
今強くやりたいと思えるのはオナニーぐらいだ。というか最近は、オナニーと飲酒ぐらいしか欲求がない。どうなってんだと思う。「銀と金」でなんも刺激がない檻に入れられて自慰行為だけが生きる意味になってる人が出てきたが、そういう感じか?
妻子ある身では欲望のままに過ごすわけにもいかず、家族が家の中で元気に活動してる時間はシコれないし、今日が実際そうだが車を出す予定があったら呑むことはできない。早く呑みたい、早く抜きたいと考えて昼まで過ごしている。
ところで、世の中の人々がみんなそうではないことは承知しているが、俺にとっては、オナニーはかなりの部分がセックスの代替行為である。というより、セックスのうち、チンチン快感の部分だけを取り出した感じのものとしてシコっている。なんの話かといえば、俺はセックスがしたい、本当は。
しかし皆様御存知、俺の妻はまるでセックスが好きではない。かつてセックスを楽しんでくれていた時期もあったとは思うが、ここ3年ほどは全然やる気がないし、ここ1年ほどはもう時間の無駄だから絶対やりたくないという空気感だ。悲しい。
こういう話をすると外に男がいるんだよ的な勘繰りをされがちだが、もはやそのほうがマシだとすら思っている。どんな形であれ彼女が性行為を楽しんでいるならば、自分もおコボレに与れようと思えるからだ。しかしどうも、そうではないらしい。
妻でなくてもいい、とにかくセックスだと、而して性風俗サービスぢゃと、経済的に厳しくとも夜の巷に繰り出すこともある。実際セックスができるとかなり気分が安定する。何をやっとんだ俺はという気分にもなるが、ある程度前向きにもなれる。次の日はまあシコるぐらいはするかとはなれど、それほど狂おしい気分になることはない。
思ってみれば己の今までの日々というものは、性欲によって駆動してきたと言える。学生の頃はとにかくヤリたいのでシコる合間に色々やってとにかく彼女をアレしてそれから毎日毎日やっていた。理系の学位もセンセイの温情でなんとかしてもらったようなものだ。もちろん性欲がなかったところで俺の賢くもない頭と怠惰な体ではどうせそんなもんだったかもしれないのだが。性風俗サービスに払った金も家が建つほどではなかろうが、まあ新車ぐらいにはなったであろう。諸先輩方の中には車一台たあ小せぇ小せぇと思われる向きもあろうけれども、おれ基本的に風俗そんなに好きじゃねえんですよ、馴染みの子ができた時は良かったけど、それって要は会うのにやたら金のかかる彼女もどきみたいなものじゃないですか?結局イチャつきたいんすよね。奉仕は求めてねえの
それでなんだっけ。まあとにかく妻とセックスが致したいと、リモート勤務中にシコるのはもうよせと、僕ってどうしたらいいですかと、こういう相談です。よろしくお願いします。