はてなキーワード: 日課とは
「絶対に反対」と言った私の意見を無視して、妻は犬を連れて帰ってきた。小さな柴犬の子犬だった。妻は「かわいいでしょう?」と目を輝かせ、私は「世話は全部お前がやれよ」と突っぱねた。
散歩は妻の担当。餌やりも妻の担当。トイレの始末も妻の担当。私は犬との距離を保ち続けた。それでも夜中、妻が「チョコ、静かにして」とトイレに連れていく足音を、時々聞いていた。
飼い始めて3年目の春、妻に癌が見つかった。告知を受けた日、妻は「チョコの散歩、お願いね」と、それだけを私に頼んだ。抗がん剤の副作用で歩けなくなった妻に代わり、私は初めて犬の散歩を引き受けた。
チョコは、妻の体調が悪い日は決して無理にねだることはなかった。ベッドの横で静かに待っている姿に、私は少しずつ心を開いていった。妻が他界する2週間前、「あなたとチョコを残して、ごめんね」と言った妻の手を、チョコは静かに舐めていた。
あれから2年。今では散歩が日課になった。近所の人は「奥さんによく似てきましたね」と言う。確かに、チョコの世話を焼く自分は、かつての妻に少し似ているかもしれない。夜、テレビを見ていると、チョコは決まって私の膝に顔を乗せてくる。
妻は分かっていたのだろう。この犬が、私の救いになることを。反対する私を押し切ってまで飼い始めたのは、きっと私への最後の贈り物だったのだ。
今日も夕暮れ時、チョコと散歩に出かける。短い足で必死についてくる後ろ姿に、妻の面影を見る。「お散歩行こうか」という私の声は、少し妻に似てきた気がする。
年末ぐらいから日課リマインダー(5こぐらいいれてHabitNowに落ち着いた)入れたんだが調子いいわ。
「筋トレ」とか「いいこと探し」とかのちょっとしたことが埋まるのが楽しいね。
まあソシャゲのデイリークエストみたいなもんなんだが、ソシャゲでいくらレベル上げても人生は変わらんけど自分のデイリークエストはやると自分のレベルが上がるから達成感ある。
これがゲーミフィケーションなんやなあ。
ようやく人生に型が出来たわ
しかし男はホモでもない限り、普通以上のスペックで人並みの地位や人脈や身長のある人間は例外なく結婚してる
例外は槇原敬之やジャニー喜多川や美輪明宏や美川憲一やおすぎとピーコみたいなゲイだけ
家事及び産む機械になってくれる相手がおらず女に見向きされないまま終わる生涯や、「あなた独身なのね(やっぱりねw)」という反応に耐えられないのは男
女性が男尊女卑を叩き込まれているはずの九州筆頭に南日本の離婚率が高く、共同親権制度推進など悪あがきしてるのも夫側のみ
「犬猫とのささやかな暮らし」に満足してる女は掃いて捨てるほどいるけど、男は子供を産んで家事してくれる女をあてがわないと満足しない
https://anond.hatelabo.jp/20250112150901
男は女と会話の機会がない童貞がセックスや子作りしたい本能に突き動かされ「(見知らぬ)女をあてがえ」と訴えるけど
女はパートナーを手に入れてから「結婚したい、彼の子供を産みたい」という流れになるので前者のような訴えはしない性差を無視するのがアンフェ高齢未婚おじ
女と会話したことない童貞でも相手がいないのに子作りしたい性欲だけは女の万倍あるから
男だけが権力者に知らない女をあてがってもらうという発想になるんだよね
女は多数の非モテ低身長男性が結婚も子作りも出来ず死んでいく事実にも何も思わないし無関心だけど
男(高齢爺)は「私はもう30歳のババア!結婚したい!子供が欲しい!誰でもいいから私をもらって!」と昭和のおっさんが作ったコントやギャグ漫画みたいな作文を延々量産するから終わってるよ
■女性が左右や思想信条問わず自称弱者男性を本能的に嫌うのが判明
https://anond.hatelabo.jp/20241224161010
また、綾小路きみまろの持ちネタにもあるように、妻や離別・死別した男性は再婚しない限り未婚男性同様に寿命が短くなるが、同様の女性は長生きする
「1日2回公演のときもありますから、そのときは1日5時間立ちっぱなし。セリフ覚えは早いし、声も奥の席までちゃんと通ります。体は健康そのもの。風邪さえひきません。人間ドックを受診したら、“まったく問題なし”の血液検査の結果に医者が驚くぐらいです」
154センチ、37キロ。肌はツヤツヤ。秘訣をぜひ知りたいところだ。
「生まれもったものじゃないかしら。お酒、たばこはやりません。食事は1日2食で、マネジャーさんが用意してくれます。赤身のお肉が好きですね。1回130グラムいただきます。苦手なのはウナギとアナゴぐらい」
朝5時半に起床し、大好きなアンコを大さじ1杯口にしてから、近所の公園にラジオ体操へ出かけるのが日課だ。
「雨の日も雪の日も欠かさない。ラジオ体操のあと、ラジオ体操友だちとファミマで120円のコーヒーを飲んでから帰宅。朝食をとって、毎日洗濯して、掃除は週2回徹底して。それから、韓国ドラマを見ながら韓国語の勉強でしょ、散歩でしょ、カラオケでしょ……ジッとしていられない性分なんです(笑)」
64歳のとき、“ヨン様”にハマり、韓国へ語学留学し話題になった。
「今はチョ・スンウさんにハマっています。コロナが明けてから、彼のミュージカルを見に行きお会いしました(笑)。今は海外旅行はほとんど韓国。近いから。豪州に姪がいて一昨年、会いに行ったけど、もう長時間飛行機に乗るのはしんどいわね」
「それで良かった。もし自分の子ができていたら、甘やかしてダメにしていたと思います。妹の子どもや孫と行き来しているので幸せです」
うつみ宮土理さんは81歳でも舞台に 元気の秘訣とは? 愛川欽也さんを亡くしたショックの様子も語った(あの人は今)
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a35624ab10e9b1113a8719842ac0bedd6abb0a9
https://anond.hatelabo.jp/20250113160549
https://anond.hatelabo.jp/20250105165945
上の記事を読んで、ドワンゴの中の人として糸柳で思い出したこと、彼を雇ったドワンゴがどんな会社だったのかを書いてみようと思う。
糸柳を雇ったのは、ドワンゴのエンジニアのトップだったS君だ。ここでは鉄男(仮名)と呼ぶことにする。
糸柳を雇う少し前、僕は鉄男を叱責したことがある。「お前は自分の使いやすい人間しか採用してない。だからてめえは小物なんだ。自分にない能力をもった奴を採用しろ」みたいなことを言った。
鉄男は中卒だ。そう、ドワンゴのエンジニアのトップは中卒だった。いや、鉄男だけでなく、ドワンゴの幹部エンジニアの半分以上は中卒、あるいは高卒だった。
これは当たり前で、当時のドワンゴは天才エンジニアみたいなやつがゴロゴロいる職場だった。同じ天才エンジニアなら、高校も大学も行かずにずっとプログラミングをやっている中卒エンジニアが一番能力が高くなる。プログラムを書く速度が圧倒的に速い。実装力が桁違いだ。
だから、ドワンゴでは中卒高卒エンジニアが情報学部を出たような大卒エンジニアを見下す風潮があって、ぼくはそれを懸念していた。
天才中卒エンジニアは創業メンバーみたいな連中だけで、新卒で入ってきて補充されるようなことはない。インターネットはUNIXの文化で、ようするに大学などのアカデミックな世界からやってきた技術だ。
ドワンゴもコンピュータサイエンスを学んだ大卒エンジニア中心に変えていかないと将来的には戦えないと、ぼくは危機感をもっていた。
だが、ドワンゴでは実装力でエンジニアの格を判断する文化があって、そういう基準で新卒の採用も行われすぎているとぼくは思っていた。
自分にない能力をもったエンジニアを採用しろと鉄男を叱ったのは、個人技ではないチーム開発、スクラッチから全部自前でコードを書くんじゃなくて、世の中にあるライブラリを活用してソフトウェアを組み上げていくのに長けているような、つまりは今後主流になっていくだろうが、これまでの鉄男やドワンゴのスタンスとは違うエンジニアをイヤかもしれないけど積極的に採用しろ、という意味だ。
しかし、なにを勘違いしたのか、鉄男が連れてきたのが糸柳だった。
ぼくに叱責されて反省し、使いやすい社員じゃなく、圧倒的に使いづらいネットでも有名な頭のおかしい問題児を採用したのだという。
「凄いというわけではないですが・・・、まあ、ふつう、ぐらいですかね」
「ふつうで問題あったら普通以下ってことじゃん。なんで採用すんだよ」
ドワンゴはプログラミングの能力が高ければ、メンヘラだろうが、コミュ障だろうが、性格に問題があろうが、もちろん学歴があろうがなかろうが、採用するという方針だった。
これはベンチャー企業だと、そういう難ありの人間でないと優秀なエンジニアなんて採用できなかったからで、なにも難ありを好き好んでいるわけではない。
難ありはプラスじゃない。難ありでも優秀な社員であれば結果的に得をするから雇っているだけだ。
鉄男は自信ありげに答えた。
「ドワンゴの評判が上がります。いえ、世の中全部で上がるわけではないですが、ネットの中の一部で糸柳を雇うなんてドワンゴはなんて懐の深い会社だという評判になります」
「それってかなり偏ったネットの一部だよね。それって本当に得なのかな?」
ぼくは鉄男とその後もしばらく話したが、どうしても糸柳を雇いたいというので、その怪しげな理屈を一応は信じてみることにした。ただ、会社は慈善事業じゃないから、宣伝だけのために頭のおかしい社員を雇うわけにはいかない。ちゃんと普通のエンジニアとして仕事をさせることを条件として糸柳を雇うことを了承した。ちなみにぼくはドワンゴで糸柳を庇っている側の人間と思われていることが多いと思うが実際は違う。鉄男には早く糸柳はクビにしろとよく言っていた。ぼくが庇ったのは糸柳を庇おうとしているドワンゴ社員の気持ちであって、結果的に糸柳を庇うように見えてただけだ。
糸柳は本当に頭がおかしかったが、とにかく普通の社員として扱う、そう決めた。
例えば、当時、糸柳は毎日、twitterに世の中の全ての人間を自分は憎んでいて滅んでしまえとか、なんかおどろおどろしい呪いの言葉を連投して書き込むのが日課だった。
そういう書き込みを見かけたら「おはよー。今日も元気そうじゃん」とレスをつけることにした。返事はなかったが、やがて呪いのツイートは減っていった。糸柳と仲のいい社員から後から聞いたけど、彼はぼくのつけたレスを、さすがだと喜んでいたらしい。
糸柳の数々の奇行はどうせ構って欲しいだけの拗らせだと思っていたので無視して、興味も持たないことにした。なので、よくは知らない。ただ、文章が上手いのは本当だと思ったので、それだけ褒めた。彼は自分は昭和初期の私生活を晒す系の純文学者みたいな文章しか書けないんだと謙遜しながらも嬉しそうだった。
糸柳はドワンゴに入って自分の居場所と幸せを手に入れた。しかし、それはとても不安定なものだった。
糸柳にとって不幸だったのは当時のドワンゴのエンジニアの中では、彼の能力が足りてなかったことだと思う。少なくとも彼はドワンゴで技術力でマウントが取れないと判断したのだと思う。実際のところはともかく、彼が組織で仕事として安定したアウトプットを出すと言うことに向いてなかったのは間違いない。
だから、糸柳は自分がドワンゴに入れたのは、自分が狂っているからだという妄想にしがみつくことになり、一層の奇行に走った。
糸柳の周りの社員から聞いたところによると、ドワンゴ時代の糸柳は年に1回のペースで失踪し、警察から連絡があったという。定期的に暴れて、物を壊したり、他人に迷惑をかけた。会社の階段の壁を殴って穴を開けたのも彼だという。
また、糸柳を雇ったことで、ドワンゴに変な奴の応募が増えた。変だけど優秀な奴の応募もあったが、それ以上に、自分には能力ないですけどメンヘラです、とか謎のアピールをするような応募が増えた。糸柳の周りにはドワンゴの中でも変な社員が集まってきて、いろいろ変なことを始めた。
彼らは頼んでもいないのに糸柳の周辺の近況報告をぼくに教えたがった。
曰く、ネットでニートが集まって共同生活をするギークハウスという企画が話題になったことがあり、彼がいろいろ現代アートみたいなことをやりはじめて話題になり、テレビでも特集された。そこでニートとして紹介されたメンバーのうち半分は糸柳周辺のドワンゴ社員だった。ドワンゴ社員はニートじゃねーだろ。そして彼らが作った現代アートを村上隆が面白がって高額で買い取ってくれた。それらはガラクタの寄せ集めみたいな物なんだが、その中にある冷蔵庫の中身は糸柳が作ったものだ、等々。
糸柳は自分をドワンゴに救ってもらったという感謝の念から、自分も他の誰かを救いたがった。ある日、糸柳が地方から出てきて食べるものがないとネットカフェで呟いていた高校生を拾ってきた。
これは糸柳だけでなくドワンゴエンジニアの多くにいえる特徴だが、人生の進路に悩んでいる若者への助言はワンパターンだ。「なるほど、よくわかった。お前はプログラミングを覚えてエンジニアになれ」。プログラミングの腕だけあれば人生が変えるという神話を信じているのだ。
ネットカフェで拾ってきた高校生はドワンゴのバイトになり、優秀だったのでやがてエンジニアとして正社員になった。
しかし、糸柳は上野で浮浪者を拾ってきて自分の部屋に住まわせ始める。浮浪者がプログラミングを覚えてエンジニアになったという話は聞かなかった。
代わりに浮浪者の一人に女の子がいて、糸柳が恋をしたという話を聞いた。
糸柳に救われた元高校生のエンジニアが糸柳のためを思って、その恋を止めようとしたが、糸柳は逆上し殺害予告をした。糸柳は本当に刃物とかを振り回して実行しかねないので、元高校生をぼくの長野の別荘に匿った。
糸柳はぼくのところに怒鳴り込んできた。ぼくも糸柳と揉み合いになり怒鳴り返した。
半年後、もう大丈夫だから、そろそろ戻ってこいと長野に見に行くと元高校生は彼女を連れ込んで同棲していた。早く会社に戻れと追い出した。
そうこうしているうちに運命の東日本大震災が起こる。糸柳が悪ふざけで、サーバールームに閉じ込められたので助けてくれとかいう、デマツイートをして日本中のネットユーザーが彼のツイートを拡散するという事件が起こる。
冗談だったという事実が分かると、彼はあっという間にパブリックエネミーとなり猛烈な批判にさらされることになった。糸柳の脆い精神は極めて不安定になった。
ぼくは糸柳に金を渡して、すぐに被災地に支援物資を持ってボランティアに行けと言った。そして被災地に支援に行くことは絶対にネットで書くな。言い訳に使うなと厳命した。同時に、ぼくは絶対にネットでは会社の件で謝罪をしないというポリシーでTwitterを使っていたが、この件で、はじめて会社を代表して糸柳の代わりに謝罪をした。
こんなことで糸柳を辞めさせるわけにはいかないと思った。糸柳がやったのはただの悪ふざけだ。こんなので辞めさせるんだったら、糸柳はとっくに100回ぐらいはクビになっている。なんだかんだいって糸柳を雇ったのは善いことをしようとしたからで、そのためにこれまで散々な苦労をしてきたんだろう。糸柳を非難するネット世論からよく思われたいために糸柳をクビにするとしても、それはよく思われたいだけで善ではない。偽善だ。善とはそもそも人知れずにやるものだし、なんなら世界中から非難されても正しいと思うことを貫くことだ。今回の件では、糸柳はクビにしないと社内で宣言した。
しかし、もともと糸柳の存在を心良く思ってなかった人間は社内に多く、批判の声も大きかった。糸柳はドワンゴのエンジニアとして平均的なパフォーマンスを出していない。宣伝効果があるとか言っていたけど、デマツイートの件で、むしろマイナスの宣伝効果になった。糸柳はもう庇えないんじゃないか。理屈としては正しかった。
糸柳の代わりに自分がその分もっと働くからクビにしないでくれという社員が何人も現れた。そういうことを言って守ろうとする社員がいるのであれば、会社としてはやっぱり守るべきだという新しい理屈を、ぼくは社内に宣言した。
しかし糸柳の精神状態は不安定になっていて、仕事のパフォーマンスは出ないばかりか、周りに迷惑をかけ始めた。糸柳を守ろうとした社員が、糸柳の世話をするうちに次々とメンタルをやられ始めた。
もう糸柳を守る理屈はなかった。1人の社員を守るために2人以上の社員が犠牲になるなら、もう会社としては守れない。ぼくは最後の理屈を社内に宣言した。
糸柳が退職した時、鉄男は泣いていた。ぼくは「これに懲りちゃダメだ。もう、一回やろう」と鉄男に言った。「これで僕らが諦めたら、糸柳みたいな人間に関わるなという前例を世の中に残すことになる。そんなことになったら、僕らのこれまでの努力は無駄になるじゃん。絶対に懲りちゃダメだ。何度でもやろう」
鉄男は「正直、自信がない。でもやってみます」と言った。
しかし、その後、中卒の鉄男はドワンゴに増えた大卒エンジニアたちの突き上げにあって、エンジニアのトップを追われた。ドワンゴも大卒の優秀なエンジニアが中心の会社になった。その後、糸柳のような人間を雇ったという話は聞かない。
1年後だか2年後だか、風の噂で糸柳が真面目にエンジニアとして働いていてしかも優秀だという話を聞いた。なんだと思った。ドワンゴ以外ではやっていけないんじゃないかという、僕らの思い込みは傲慢な思い違いだったんだと思った。ドワンゴで奇人変人を無理に演じるより、そんなことでは許してもらえない実社会の荒波に揉まれた方が結局は良かったんだなと思った。
糸柳がよく言っていたのは、自分は糸柳家のエリートだ、という話だ。聞くところによると家族は全て精神病患者で自殺したり入院したりで、糸柳自身も障害者手帳を持っている精神病患者ではあるものの、ちゃんとまともに社会生活を送っているただ一人の人間なのだという。だから、自分は糸柳家に珍しく生まれたエリートなんだと自慢していた。
人間は誰しも与えられた環境で勝負している。遺伝子だったり家庭環境だったり、所属するコミュニティや経済的制約の中で生きていて、それによって人生の選択肢は決まってくる。
世の中の多くの失敗者と呼ばれる人たちは人生の最初からウルトラハードモードのゲームをプレイしているだけであって、彼らの失敗をイージーモードやノーマルモードのゲームプレイヤーが見下したり笑ったりする資格が本当にあるのだろうか。
ぼくにも子供が出来て思うのは、小さい子は全ての瞬間を一生懸命に生きているということだ。その健気な姿に感動するし、誇らしくなる。一生懸命に生きるということこそ、人間のもっとも美しい本来の姿ではないか。
人生をもっとも一生懸命に生きている人間とは、どういう人なのか?それは大谷翔平でもイーロンマスクでもないと思う。彼らは成功者であり、彼らの一生懸命は成功によって報われていて、本人の自覚としては、それほど苦労した努力をしているわけではないのではないかと思う。
生涯を一生懸命に生きている人とは、一生懸命に生きざるを得ないような人たちであり、それはいくら努力しても認められず、仲間はずれにされ、敗者の烙印を押されて、それでもなお生きようと足掻きながら死んでいくような人たち、なんなら自ら命を断つような人たちの中に存在しているに決まっていると、ぼくは思う。
冒頭のドワンゴ以降の糸柳の人生についての記事を読んだが、それでも糸柳は最後まで与えられた過酷な人生の中で一生懸命に戦って立派に死んでいったとぼくは思う。そして僕たちもドワンゴで短い間ではあるが糸柳に対して一生懸命に向き合った。それは良い思い出というにはいくばくかの悲しみを伴う思い出ではあるが、大切な思い出だ。
おしまい。合掌。
最近忙しすぎて、職場で晩ご飯を食べて仕事をして、終電で帰って風呂入って寝るという生活を続けていたため、そもそも早く寝たいという気持ちが強すぎて
半月程度はオナニーから遠ざかっていた(これまでは、1週間に何回かはオナニーをするのが日課だった。)。
昨晩ふと自分のちんちんをいじりながらいつもオカズにしているエロ漫画を読み、きちんと勃起することは確認できたものの、疲れで絶頂前に寝てしまった(自分はおっさんになって性欲が落ちたし、勃起力も確実に弱まった。そのため、勃起するかどうかの確認は、割と大事なことなのだ。)。
たぶん寝る前に読んだエロ漫画の影響があったんだと思う。
内容はぼんやりとしか覚えてないけど、マジで尋常じゃなく興奮した事だけはぼんやり覚えている。
なかなか絶頂しないな…という所で目が覚めたので、寝ぼけながらエロ漫画みたいなとんでもないことを言ってる気がする。
ちゃんと定期的にオナニーをして、愚息を可愛がってやろうと思いながら、三度寝に入ります。
おやすみなさい。
一気に寒くなってきてやっぱり年明けると寒さ増しまくりまくりすてぃーよね。
寒いって言って縮こまってなくて温かいものをとりつつってところかしら。
こう寒いと頭が回んないわ。
雪だってちらほら朝降ってたのよ。
あ!雪の降る街のわわわわを彷彿する感じで、
より一層寒さが増してくるわ。
そうそう、
でね、
最近私のやる気パワーというかそう言うのが下がってきてこれは何かなって色々試して考えて見るところによると例の炭水化物不足はここでも唱えたんだけど、
食べたからってそんな急に効く?
というよりも、
美味しいものを食べてほっこりしてご機嫌!になっただけじゃないの?って思うけど、
食べることによって生まれる幸せホルモン「セロトニン」が作用するってことらしいのよ。
へーって思いながらこれはご飯食べてほっこりしてるときに出るものだそうなので、
あながちそうなのかも知れないわね。
てっきりさ、
ある程度の炭水化物も重要なことに気付いたかも知れない鴨鹿なそんな鰯気になっていたところに、
それ自分自身で気付いて良かったのかも知れないわ。
とはいえ、
デブまっしぐらなので食べる量も気を付けないとすぐにまた天高く馬が肥える秋から続き冬もそうなっちゃいがちかも知れないわ。
いろいろこうやって今さらながらバランスのことを真面目に考えてみると、
食品を色んな物を細かく買わなくちゃいけないチャレンジ精神に求められる買い物競争をするべく!
リストアップしてみると、
結構細かいものバランス良くって重視の買い物になるとリストが増えちゃって。
逆に今までの食生活ほぼノールックで買って好きな物をある程度の分量をって思っていたけれど、
それでよく体調が良く悪くなく回ってたわよねって逆に思うの。
見直してみる良い機会かも知れないってことを知らしめさせられたわ。
夜の急激なやる気のなさの現れを解消しつつ、
朝はわりかし平気だけど
夜ってさスプラトゥーン3とかやりたいじゃない!
でもここ数日ガチャだけ回してって感じが1日1ノルマの1勝利をあげるのが日課だと思っていたけど、
それすらもこなせないぐらいなもう早く寝ちゃおうってやる気のなさ。
夜やお休みの日の遊びパフォーマンスの可処分時間を有意義にってやるためには
あと、
面白いのが寝る前にやっぱりちょっと胃に入れておく炭水化物系のを摂り入れておくと、
夜中の目覚めのなにか
夜中に不意に目覚める覚醒時間も少なくなってる気がするのよね。
これらのなにか悪い連鎖が繋がるとパフォーマンスが落ちてしまうので、
今に至るわけなのよね。
これはメニコン鱗だわ。
まあまだそれ意識して日が浅いので、
意識して炭水化物をグラム単位で考えると大変になっちゃうから、
そこはある程度のイキフンと雰囲気でのりこえて
実験を続けてみたいと思うわ。
うふふ。
普通盛りをしっかり噛みしめて食べつつ意識してみるといいかもしれない最近は炭水化物意識期間だわ。
ちょっとサンドイッチ1つのいつものだけじゃ栄養素的には全然足りてないってことらしいわ。
雰囲気やイキフンは満たされていたから満たされていると思っていたのにね。
朝めちゃくちゃ寒かったから
沸いている70℃のホッツ白湯ストレートウォーラーは身体を中から温めてくれる手っ取り早い方法で、
もう何かのフレーバーを入れている暇もないぐらいホッツ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
肩がこっている、気がしていた。
実のところもうずっと昔から、首の後ろから肩にかけての張りが続き過ぎていて、もはや自分の中で異常と認識できないレベルになり、肩こりと自分が同化していた。
仕事柄パソコンや携帯をよく触るので、その影響かと自分では何とも思っていなかった。
コロナ禍以前は美容室で施術の合間にマッサージがあり、毎回、アシスタントの子に「すごく肩がこってますね」と言われた。
膝を痛めたときに人に勧められて整骨院に初めて行った。毎回、整体師が私の肩を揉むたびに「肩こってますね~」と言ってくる。
そこまでくると、「よく言われます」と答えていた。
整体師から、体がゆがんでいること、足を組むこと、猫背なこと、呼吸が浅いこと、運動不足で筋肉が無いことを指摘された。
私は健康体だったしそれぞれが病的な程ではないが、年を取ってくるとそれぞれが相乗して身体を悪くしていくのかな、と不安に駆られた。
整体はしばらくまめに通ったが、高額の施術の勧誘が嫌になり行くのをやめてしまった。
それから数年経ち、今度ははっきりと自覚するレベルの違和感が襲ってきた。
まず、夜になかなか寝付けない。
首から肩甲骨付近までががちがちに緊張していて、頭の置き所がない。どんな体勢でも寝にくい。
ここ1か月ほどうまく眠れないことが続き、体のあちこちに弊害が出た。
そこで初めて肩こりを治したいと思い、「肩こり」と検索をした。
そうすると整形外科のページが出てくる。整形外科は考えたことがなかった。
近くの整形外科を検索し、良さそうなところを選んでさっそく受診した。
「肩こりで眠れないです」というと、首のレントゲンを撮ってくれた。
結果、首の骨には異常は見られなかったが、頸椎の間にある椎間板が年齢によってややヘタっていることがわかった。
先生曰く、運動不足やパソコンは直接的原因ではなく、消耗品の椎間板がヘタってその辺を通っている神経を圧迫することで痛みが発生しているとのことだった。
これには大変納得した。
どれだけ運動をしても、どれだけマッサージをしても、風呂に入り血行を良くしてリラックスしても、肩こりのせいで眠れていなかったのだから。
神経のブロック注射か、神経に効く薬の処方で対処できるとのことで、薬を選んだ。
その薬は飲んだら眠くなってしまうとのことだったが、眠りたい私にはピッタリだと感じた。
結果、肩の緊張もなく深い眠りにつけた。
スマートフォンを手に取るたびに、起動していたあのゲームアプリ。毎日の日課としてログインし、イベントに心躍らせ、時には財布の紐を緩めて課金もした。数年間、私の生活の一部だったソーシャルゲーム(以下、ソシャゲ)を、ついに辞めた。この文章では、私が長年続けてきたソシャゲを辞めた理由、辞めるまでの葛藤、そして辞めた後の変化について、赤裸々に綴っていきたい。
私がそのソシャゲに出会ったのは、今から遡ること約5年前。当時、仕事で大きなプロジェクトを終え、心身ともに疲弊していた私は、何か手軽に楽しめるものを探していた。そんな時、友人に勧められたのが、そのソシャゲだった。ファンタジー世界を舞台にした、キャラクター育成とバトルがメインのゲームで、個性豊かなキャラクターたち、美麗なグラフィック、そして奥深いストーリーに、私はすぐに魅了された。
最初は暇つぶしのつもりだった。しかし、ゲームを進めていくうちに、次第にのめり込んでいった。毎日ログインしてクエストをこなし、キャラクターを育成し、他のプレイヤーと協力して強敵に挑む。ゲーム内のコミュニティで他のプレイヤーと交流するのも、日々の楽しみの一つだった。いつしか、ゲームのことは常に頭の片隅にあるようになり、通勤時間や休憩時間、寝る前のひとときなど、あらゆる隙間時間をゲームに費やすようになった。
熱中が生んだ変化
ソシャゲに熱中するにつれて、私の生活にはいくつかの変化が現れた。
時間の使い方: 自由時間のほとんどをゲームに費やすようになった。以前は読書や映画鑑賞など、他の趣味にも時間を使っていたが、それらは徐々に後回しになっていった。
お金の使い方: 好きなキャラクターの限定ガチャや、イベントを有利に進めるためのアイテム購入など、月に数千円から多い時には数万円を課金するようになった。
人間関係: ゲーム内のコミュニティとの交流は深まったが、現実世界の友人との交流は減ってしまった。オフラインでの集まりに参加する機会も減り、連絡を取る頻度も少なくなっていった。
体調: 長時間スマホを操作することが増えたため、視力の低下や肩こり、睡眠不足などを感じるようになった。
これらの変化に気づきながらも、「ゲームをやめよう」という決断には至らなかった。ゲーム内のコミュニティとの繋がり、キャラクター育成の達成感、イベントへの期待感などが、私をゲームに繋ぎ止めていた。
私がソシャゲを辞めることを意識し始めたのは、ある大きな出来事がきっかけだった。それは、ゲーム内で長年親しくしていたプレイヤーが、突然ゲームを引退したことだった。そのプレイヤーは、私にとってゲーム内の大切な友人であり、一緒に強敵に挑んだり、イベントについて語り合ったりする、かけがえのない存在だった。そのプレイヤーがいなくなったことで、私はゲームに対するモチベーションを大きく失ってしまった。
しかし、それでもすぐにゲームをやめることはできなかった。長年積み重ねてきたデータ、課金してきたお金、そして何よりも、ゲーム内で築いてきた人間関係が、私を躊躇させた。まるで長年連れ添った恋人と別れるかのような、複雑な感情が入り混じっていた。
「今やめたら、これまで費やしてきた時間とお金が無駄になるのではないか」「ゲーム内の友人たちとの繋がりが途切れてしまうのではないか」という不安が、私を何度も引き留めた。しかし、同時に「このままゲームに時間を費やし続けるのは、自分の人生にとって本当にプラスなのだろうか」という疑問も、日に増しに大きくなっていった。
決断、そして変化
数ヶ月間の葛藤を経て、私はついにゲームをアンインストールすることを決意した。最後のログインをした時、ゲーム内の友人たちに別れを告げた。多くの友人たちが、私の決断を惜しんでくれたが、同時に応援もしてくれた。
ゲームを辞めた直後は、ぽっかりと心に穴が空いたような感覚だった。毎日欠かさず行っていた日課がなくなり、自由な時間が大幅に増えた。その時間をどう使えばいいのか、最初は戸惑った。
時間の有効活用: 増えた時間を使って、以前から興味があったプログラミングの勉強を始めた。また、読書や映画鑑賞など、他の趣味も再び楽しめるようになった。
お金の有効活用: ゲームに課金していたお金を貯蓄に回せるようになった。将来のための資金を貯めることができるようになり、精神的にも安定した。
人間関係の再構築: 現実世界の友人との交流を積極的に行うようになった。以前は断っていたオフラインの集まりにも参加するようになり、友人たちとの絆を再び深めることができた。
体調の改善: スマホを操作する時間が減ったため、視力の低下や肩こり、睡眠不足などの症状も改善された。
最後に
長年続けてきたソシャゲを辞めることは、私にとって大きな決断だった。辞めるまでは様々な葛藤があったが、今振り返ってみると、辞めて本当に良かったと思っている。ゲームに費やしていた時間を、自分の成長や大切な人との時間に使えるようになったことは、私にとって大きなプラスだ。
もし今、長年続けているソシャゲをやめようか悩んでいる人がいるなら、この記事が少しでも参考になれば幸いだ。大切なのは、自分が本当に何をしたいのか、何が大切なのかを考えること。そして、勇気を持って一歩踏み出すことだ。
ゲームは楽しい娯楽の一つだが、それが自分の生活を支配してしまうのは本末転倒だ。自分にとって最適な距離感で、ゲームと付き合っていくことが大切だと、私は今回の経験を通して学んだ。
兄の陽斗(はると)と妹の月菜(るな)は、幼い頃から常に寄り添うように生きてきた。両親は共働きで多忙を極め、幼い二人はいつも家で二人きりだった。陽斗は明るく活発で、誰とでもすぐに打ち解ける人気者だったが、月菜は内向的で人見知りが激しく、陽斗以外の人と話すのを極端に避けた。陽斗はそんな妹をいつも気遣い、優しく守っていた。
月菜が小学校に入学した頃、いじめに遭うようになった。休み時間になると、決まって数人の上級生に取り囲まれ、持ち物を隠されたり、からかわれたりした。誰にも相談できずに一人で抱え込む月菜にとって、唯一の救いは家に帰って陽斗に会うことだった。陽斗はいつも月菜の話を辛抱強く聞き、時には冗談を言って笑わせ、不安でいっぱいの月菜の心を温かく包み込んでくれた。陽斗の存在は、月菜にとって暗闇の中の一筋の光だった。
中学校に進学すると、月菜の陽斗への依存はより深刻になった。学校では常に一人で過ごし、友達を作ろうとしなかった。放課後になると、まっすぐ家に帰り、陽斗が帰ってくるのをひたすら待つのが日課となった。陽斗が部活動や友達との付き合いで帰りが遅くなると、月菜は不安と孤独に押しつぶされそうになり、何度も陽斗に電話をかけ、居場所を確認せずにはいられなかった。陽斗は妹の気持ちを理解していたため、できる限り早く帰るようにしていたが、友人との関係も大切にしたかったため、板挟みの状態だった。
高校生になった月菜は、将来の進路を考える時期を迎えていた。周りの友達は大学進学や就職など、具体的な目標を持ち始めていたが、月菜は何も考えられなかった。彼女の頭の中を占めているのは、ただ陽斗と一緒にいたい、という切実な願いだけだった。将来の夢も、目標も、月菜にとっては陽斗と一緒にいること以外、意味を持たなかった。
ある日、月菜は意を決して陽斗に相談した。「私、将来どうしたらいいんだろう?何もやりたいことがないんだ…」
陽斗は優しく微笑みながらも、どこか困った表情で言った。「月菜、自分のやりたいことを見つけるのは、すごく大切なことだよ。俺と一緒にいたいって気持ちは嬉しいけど、それだけじゃ…自分の人生を生きられないよ」
陽斗の言葉は、月菜の胸に深く突き刺さった。陽斗もいつかは自分から離れていくかもしれない。その考えが頭をよぎると、月菜は激しい不安に襲われた。まるで足元の大地が崩れ落ちていくような、底知れない恐怖を感じた。
その夜、月菜は陽斗に懇願するように言った。「私、お兄ちゃんと一緒の大学に行きたい。だから、お兄ちゃんと同じ学部を受けることにする」
陽斗は驚きを隠せない。「月菜、本当にそう思ってるのか?俺に合わせるんじゃなくて、自分の本当にやりたいことを考えた方が…」
しかし、月菜は聞く耳を持たなかった。「私はお兄ちゃんと一緒にいたい。それだけなの。お兄ちゃんがいないと、私は…」と言葉を詰まらせ、涙をこぼした。陽斗は妹のあまりの執着に、言葉を失った。
結局、月菜は陽斗と同じ大学の同じ学部を受験し、合格した。大学に入ってからも、月菜は常に陽斗の影のように行動した。授業もいつも一緒に受け、昼食も必ず同じテーブルで食べた。陽斗が新しいサークル活動に参加しようとすると、月菜も同じサークルに入り、陽斗がアルバイトを始めると、月菜も同じアルバイト先を選んだ。月菜にとって、陽斗のいない世界は存在しなかった。
陽斗は、妹の自分への過剰な依存に、内心では深く悩んでいた。友達と遊びに行こうと誘われても、月菜を一人にしておくのが心配で、なかなか出かけることができなかった。何度か恋人ができたこともあったが、月菜に紹介することができずに、関係が長続きしなかった。恋人たちは皆、月菜の存在に戸惑い、陽斗との間に見えない壁を感じて去っていった。
ある日、陽斗は意を決して月菜に真剣に話をした。「月菜、お前はもっと自分の世界を持った方がいい。いつも俺のそばにいるんじゃなくて、自分のやりたいことを見つけて、自分の友達を作って…」
月菜は悲しそうな顔で、震える声で言った。「お兄ちゃん…私を置いていくの?私、お兄ちゃんがいないと…何もできない…」
「置いていくわけじゃない。ただ、お前にはもっと自分の人生を生きてほしいと思ってるんだ。俺がいなくても、ちゃんと生きていけるんだってことを、知ってほしいんだ」
陽斗の言葉に、月菜は何も言い返せなかった。しかし、月菜の心の中では、陽斗への依存はますます強まっていった。陽斗が自分から離れていくかもしれないという恐怖が、月菜をさらに陽斗に強く縛り付けようとしていた。それはまるで、螺旋階段を登るように、依存の度合いが日に日に増していくようだった。
大学3年生になった頃、陽斗は大学から留学の話を持ちかけられた。海外の大学で1年間、自分の専門分野を深く学ぶことができるという、またとないチャンスだった。陽斗は迷ったが、自分の将来のためには、この千載一遇の機会を逃すわけにはいかないと考えた。
留学することを月菜に伝えると、月菜は今まで見たことのないほど激しく動揺した。「お兄ちゃん、行かないで!私を置いて行かないで!お願いだから…」
「月菜、これは俺の将来のためなんだ。お前だって、いつまでも俺に頼ってばかりじゃ…」
「私…お兄ちゃんがいないと…生きていけない…」月菜は泣き崩れ、陽斗にしがみついた。陽斗は、妹のあまりの依存ぶりに、どうしたらいいのか分からなくなった。自分の夢と妹の未来の間で、深く苦悩した。
結局、陽斗は留学することを決めた。出発の日、月菜は空港まで見送りに来たが、ずっと泣いていた。陽斗は月菜を抱きしめ、「必ず帰ってくるから」と何度も言ったが、月菜の涙は止まらなかった。月菜にとって、陽斗との別れは、世界の終わりを意味していた。
陽斗が留学している間、月菜は完全に心を閉ざしてしまった。大学にもほとんど行かなくなり、薄暗い部屋に閉じこもってばかりいた。食事もろくに取らず、日に日に痩せていった。まるで魂が抜け落ちてしまったかのように、生気のない日々を送っていた。
心配した両親が月菜を病院に連れて行くと、月菜は重度の依存症と診断された。医師からは、専門のカウンセラーによるカウンセリングを受けることを強く勧められた。
カウンセリングを通して、月菜は過去のトラウマや、陽斗への過剰な依存の根本原因と向き合うことになった。幼い頃から陽斗に依存してきた理由、陽斗がいなくなることへの過剰な恐怖、そして、自分自身の弱さ…。カウンセラーとの対話を通して、月菜は少しずつ自分自身を見つめ直し、自分自身の足で立って生きていくことの大切さを学び始めた。それは、長く暗いトンネルの中で、かすかな光を見つけるような、希望の兆しだった。
陽斗が留学から帰国した時、月菜は以前とは別人のように変わっていた。以前のような陰鬱さは消え、穏やかな表情を浮かべていた。以前は陽斗のそばから片時も離れなかった月菜だったが、空港では少し離れた場所から、笑顔で陽斗を見つめていた。
空港で陽斗を出迎えた月菜は、少し照れくさそうに、でもはっきりと、笑顔で言った。「お兄ちゃん、おかえり!」
陽斗は、妹の劇的な変化に驚き、そして心から安堵した。月菜の瞳には、以前のような不安や依存の色はなく、力強い光が宿っていた。
その後、月菜は自分の本当にやりたいことを見つけ、新たな目標に向かって力強く歩み始めた。陽斗との関係も、以前のような病的な依存関係ではなく、互いを尊重し、支え合う、健全な兄妹関係へと変わっていった。それは、まるで螺旋階段を降りて、地上に降り立ったような、解放感に満ちた変化だった。
二人は
前どっかの掲示板で「システム含めてまるごとインフレしてくるとか、もう完全に世界のルールが変わっちゃってるじゃん。この規模のインフレが許されるのは三体だけだろ。ガンダムだって数字しかインフレしてねえよ」みたいな書き込みがあってな。
その言葉にずっと呪われている。
助けてくれ。
ソシャゲが何かしら加速度的なインフレをした時、それもシステムに関わる要素、たとえば「キャラクターに専用武器を追加したので育ててね」「第2覚醒を追加したから頑張って覚醒させてね」みたいなのが起きた時、俺はもうこのことを思い出してしまう。
「三体でしか許されないようなインフレをしてきやがった」と考えると、本当に本当に許せない気持ちが沸き上がってくる。
運営や開発がその世界の神なのは間違いないが、神であるからといって踏み込んでいい領域とダメな領域も区別できないのかよと。
滅びゆく宇宙の姿、暗黒の世界、無限に広がる絶望、そういった概念が頭の上をスーッっと流れていき、俺の指はそっとアンイストールボタンへと伸びてしまう。
漠然とした失望感が、呪の言葉によって現実味を帯びた絶望となり、俺を逃亡主義者へと変貌させる。
やってみたら案外何とかなったかも知れないのに、俺はもう「絶望の未来が来ることを感じながらも日課を続けること」に耐えられなくなってしまった。
許せねえよ。
今日は、僕の知的探求と社会的義務のバランスを取るために非常に重要な一日だった。
7時ちょうどに起床し、オートミールを食べながら量子力学の新しい論文を読み始めた。
これが僕の日課だ。
どうやら、量子ビットの相互作用が新しい計算モデルに応用できるらしい。
僕の頭の中では、すでにこの理論を基にした新しい実験計画が練られている。
午後には、友人たちと会う予定があった。
彼らとの会話は時折ストレスになるが、彼らのオタク文化への理解は僕にとって貴重だ。
特に、彼らが僕の理論的な議論を受け入れてくれることには感謝している。
ただし、彼らがマーベルとDCの違いについて熱く語る時は、少々辟易する。
夕方には、自宅でスター・トレックのエピソードを観ることにした。
宇宙旅行や異星人との接触は、僕の科学者としての夢を刺激する。
そして、エピソードの中でキャプテン・カークが論理的思考を重視する姿勢には共感せざるを得ない。
もちろん、僕が一番好きなのはスポックだ。論理は感情を超えるという言葉が心に響く。
今日もまた充実した日だった。
明日は新しい実験を計画しつつ、友人たちとの交流も楽しむつもりだ。
そして何よりも、宇宙の謎を解明するための一歩を踏み出せれば、それが僕にとって最高の喜びとなるだろう。
リアリティがある。
だ・か・ら!
スイカ太郎はスイカから生まれた。自分でスイカの皮をぶち破って、外へ出た。そしてそのまま鬼ヶ島に行った。鬼ははあまりにもそのスイカ太郎が可愛かったので、スイカ太郎を育てることにした。そしてスイカ太郎は立派な戦士になり、村に行き、鬼と一緒に掠奪を繰り返した。
あれ…ごめん…バッドエンドになっちゃった。
作り直すから見てて!!
スイカ太郎は別にスイカから生まれていない。ただスイカというかSuicaが好きだった。生まれた時、すでに手にSuicaを持っていた。そして改札でSuicaをタッチするのが大好きだった。Suicaを持っていれば泣き止む、かわいい女の子だった。
ごめん…また変な話になっちゃった。才能ないのかな。ラストチャンス!がんばるよ!
スイカ太郎はスイカを一日1個食べるのを日課にしていた。食費が高いのでお母さんはすごく困っていた。だからスイカ太郎を殺めることにした。しかしそこはさすがスイカ太郎、殺されるくらいならスイカを諦めることにした。そしてスイカ太郎は普通にご飯が大好きな、特にごはんですよが好きな男の子になった。そう、桃屋のごはんですよを。そして桃屋のキャラクターとして雇われた。そのキャラクター名前は、桃太郎。
ごめん!!!スイカ太郎の話してたのに、桃太郎になっちゃった。もうこれ以上お話を書ける力が残ってないので、これで終わるね。おやすみなさい。
最近、「増田で音声サークル主とバトルしてから4ヶ月が経った話」という増田を書いた。
その増田では、この人がいかに成果と発言が乖離し、発言に食いついた人に自分が作った赤字を肩代わりさせているかを書いたわけだが…今回はこの人の発言のヤバさについて紹介したい。
この人は、自分がシナリオライターとして頑張った一年を振り返って
という文章で振り返ってる。
「メスだなぁ〜」
と正直思った。
男にとっては、涙は勲章じゃない。恥ずかしいことだ。
だが、女は泣けば許されるし、自分で泣いたことを暴露すると「がんばったね」という空気になる。
いま書き込みが残っているかどうかは知らないが、サブアカウントに使っていたアカウントでは、様々なフェミ発言をしている。
私に言わせれば、「フェミニスト」を名乗る割には、女性だから許されているものの上でふんぞり返っているようにしか見えない。
男は涙を流すほど悔しいこと・努力したことがあろうとも、表で「泣くほど厳しい環境でがんばりました」なんて言わない。
泣いた時点で、負け判定されるから。
泣きたくなるような努力は私にも、他の男性たちにもあるだろうが…男はそんな事は言わない。
だから、女であることをいいことに「がんばった」などという結果以外を評価して欲しい子どもみたいな心情を、「死ぬほど泣いた」と表現したようにしか見えない。
…いや、その文章を覚えていたからこそ、その先についても語るべきか。
と本人が書くほどに頑張った割に、結果がついてきてない。
そもそもの話、「死ぬほど書いて」も、「泣かせる」ぐらいの返答になるものしか書けない時点で、その人はその仕事に向いてない。
ハラスメントを肯定したいわけじゃないが、「仕事で泣く」ほど失敗する人は、その仕事に適性がないよ…。
仕事とは、誰かができることだから職業として成立してるはず。あなたにとって泣くほど辛いことも、頼むべき人にとっては日課に過ぎない。…その適正差・実力差が問題なんじゃないの?
それを、誰が頼んだわけでもなく、自分で続けて
と努力だけを誇る独りよがりにしか見えない(少なくとも客観的な評価や結果がそのつぶやきの中に組み込まれていない)ことしか言えない時点で、ダメダメだったんじゃないですか?
男なら書くこともはばかれるほど恥ずかしいことを、女の人は書ける。
この時点で、フェミニズムなんて存在しないほど日本は女尊男卑だよ。
それをあなた自身の言動で証明しておきながら、何がフェミニストなのか…。
えこひいきという下駄を吐いて、自由・平等・博愛の精神を説かれても、そんなもの寝言だよ!
フェミニズムに謝れ!
フェミニズムはフランス革命の時に、「女性だって革命に参加したのに、選挙権が男性だけなんて平等でも博愛でもねえぇよ」と憤慨した女性たちが作った思想だよ。
日本の女尊男卑の社会の上でふんぞり返っている人が、安易に使うこと自体がフェミニズムへの侮辱だよ。断頭台に送られるべき冒涜だよ…。
あっいえいえご丁寧に。
私も思い返せば子供の頃から不注意での失敗が多く、大人になって最近やっとADHD診断をもらったのでよくわかります。
若いうちは体力でなんとかカバーしてたことが、子供を産んで体力が落ちると色々できなくなってきたりして。
私も色々できない自分を責め続けて鬱症状も出たりして、家族もイライラするのでそれが一番きつかったです。
心療内科でその話をして、今は診断も出て薬もらってます。(一応他に認知症の検査もしましたが、認知症ではなかったです)
何種類か薬があって、人によって効く効かないあると思うんですが、私は集中力が上がって仕事や家事の効率が良くなったような気がします。
でも使いこなせるまでは気持ちの浮き沈みが激しくて逆にしんどかったりとかもあります。
あとまあ不本意ながら自分はそこまでできる人間ではないんだって諦めてみて、楽になったけれどなんとなく自分に失望したりとかもしてます。
そこを突っ張れるくらいの気力や体力があったらよかったんですが…
遅ればせながら筋トレ始めました。
体力がないからそうなってるのに筋トレを日課にするの、逆につらいんですがこれ以上後回しにもできないしな…と。
昔々、ある小さな村にアンアンと呼ばれる若者が住んでいました。アンアンはとても好奇心旺盛で、何でも試してみたくなる性格でした。彼は村の外れにある不思議な森に興味を持ち、毎日そこを探検することが日課となっていました。ある日、アンアンは森の奥で光る石を見つけます。それはただの石ではなく、村に繁栄をもたらす魔法の石でした。
しかし、アンアンは勢いだけを頼りにその石を持ち帰ろうとし、石の封印を解いてしまいました。すると、森に眠っていた昔の悪霊が蘇ってしまったのです。村は大混乱となり、人々はアンアンを非難しました。若気の至りで引き起こした災難に責任を感じたアンアンは、自ら悪霊を封じるため再び森の奥へ向かいます。
そこで、彼は勇気と知恵を駆使して、見事に悪霊を再び封じ込めることに成功しました。村人たちはアンアンの勇気を称え、その後は村全体が協力して石を安全に管理し、村は再び平和を取り戻しました。
昔々、ある村に「おぢ」と呼ばれる、年を取ったけれども心優しくいつもニコニコしている男性が住んでいました。彼は貧しくて質素な暮らしをしていたのに、どうしてこんなに幸せでいられるのかと、不思議に思った村人たちはいつも話題にしていました。
おぢは毎朝、村の中を散歩するのが日課でした。彼は道端の小さな花や鳥たちのさえずりに目を輝かせ、まるで子供のように無邪気に喜びます。また、村の子供たちが彼を見ると、必ず声をかけて一緒に遊んでくれるので、子供たちはおぢの姿を見かけるたびに駆け寄りました。
ある日、村の豪商が、大きな銀の鐘を村に寄贈することになり、そのお披露目式が催されました。村中の者が鐘の音を聞きに集まってきました。しかし、その鐘の音を耳にしたおぢは、周囲の人々と異なりあまり喜びませんでした。村人たちが理由を尋ねると、おぢはこう答えました。「鐘の音は確かに美しい。しかし、私は毎日、風の音や鳥たちのさえずりの方が、もっと心に響くのです。」
おぢの言葉を聞いて、人々は物事の本質を見つめることの大切さを理解しました。彼が毎日幸せでいられるのは、どんなささやかなことでも感謝の心を持って受け入れているからだと知ったのです。
卵子が生み出されて排卵される、精子の量と運動量が十分あって卵子のところまで辿りつける。卵子の膜を抜けて受精できる。うまく細胞分裂して胚盤胞になる。遺伝子異常とかなくて、子宮の受け入れ条件も良くて子宮に着床する。胎嚢が確認できる。心拍が確認できる…とね。
ここで、妊娠5週くらい。やばない?
心拍確認できても、生理で剥がれ落ちてくる子宮の壁(ナメクジみたいな塊が出てくる)よりちーちゃい謎の組織の塊だよ。化学流産しても気付かずトイレに流すレベルよ。
なのに、不妊治療って上記に挙げたすべての過程で問題が発生する可能性があるよ。
うちは受精に問題があって、人の手で卵子の中まで精子を送り届けてあげないと、胚盤胞にならなかったよ。自然妊娠的なやり方だと、受精卵0だったよ。
この前でももちろん、そもそも排卵がないとか、無精子症とか、沢山の問題があるよ。
ここまでは序の口。うちはお陰様で、保険が適用されるから手術が辛かろうが、仕事の調整しんどかろうが頑張れました(ほんまありがとうございます)
ようやく胚盤胞になっても、移植は、6回までしか保険が適用されないよ。
1回、2回、3回…全部!全部陰性!!終わりが迫ってくるよ。
でも禁煙もしたし、禁酒もしたし、日課のランニングもお休みして、カフェイン断ちも、やれることはやった。
子持ちに言われるんよ。
「心の持ち方次第で妊娠できるよ!私はプロジェクトひと段落した時に妊娠したよ」って
やめろ!叱咤激励なのかもしれないのにお祝いしたい理性を上回って、祟り神になるやろがい。
最悪、夫と2人で生きていければって思うのにさ、夫何にも言わねーのよ。
保険適用終わったら、断腸の思いで妊活辞める人たちが多いよ。嘘でも「子供がいる方が、人生楽しいですよ」とか言っちゃダメなんだぜ。
20代そこそこに、この仕組みに気付けたら良かったね。
大学時代俺は弱者男性だった。学費を得るためバイトをやらされ、ラボに居残りさせられ、いっぱいいっぱいだった。当然モテないし貧乏だった。
だから嫌儲で安倍晋三への恨み節を書きまくったしP社やD社の「中抜き」への怒りを書き込むのが日課だった。
嫌儲はれいわ新選組と日本共産党の支持者が多い。それらがバイトや学生、嫌儲民(ケンモメン)に多い非正規雇用や氷河期世代に寄り添う政策を掲げていたのは明白だった。
大学時代に数回あった国政選挙ではいつも「比例はれいわ 小選挙区は共産」の嫌儲コンボをキメてたし、自治体の選挙も共産支持。
れいわオーナーや民青にもガチで入ろうかと検討していたくらいだ。
れいわ大石議員や共産宮本議員が推しだった。彼らはP社やD社と自民のつながりを激しく国会で追及し、中抜きと戦うヒーローだった。
れいわと共産がケンモメン全員の大救星だった。自民は理系・バイト・貧乏な弱者男性の俺とケンモメンの同志を搾取する悪の存在だった。そう信じていた。
ところが就職したとたん、それが誤りに気が付いた。
勤めているのは電機メーカー。電機連合系組合のユニオンショップ制がとられ、組合を通じて政治家と会うイベントに参加した。
電機連合系労組は国民民主党を支持しているので会った議員も国民党の議員だった。
そして、政治情勢の実際に触れることができ、大学生時代嫌儲で見聞きしていたことが大きくズレていることに気づかされた。
仕事でも発注者側に立ったことでモノの値段の決め方というものを俯瞰できるようになった。そこで感じたのは
企業がいかに値段を上げ下げしやすいか、利幅がどれだけあるか、営業の裁量の大きさといったことだ。
そこから得られた体験は物価は消費税よりも企業の駆け引きにより決まるものだということだ。
だから消費税を下げれば万事解決というれいわ新選組・日本共産党の主張は大嘘だ。
発注者側やBtoBをやったことがない人間が稚拙な論で物価高の原因を消費税に転嫁している姿に絶望し、過去の自分がいかに愚かであったかがよくわかった。
年収は大卒2年目にして580万円に達した。ふるさと納税も6万近くするようになった。マチアプも初めてすでに3人と会って現在交際中で今や私は強者男性だ。