はてなキーワード: 効率的とは
Xなどでは未だにコンサルの素晴らしさやコンサルによるマウンティングが跋扈しているが、現役として違和感があるため、思っていることをまとめて記しておく。
なお、ここでの「コンサルになる」とは自称ではなく、なんらかのコンサルティングサービスを提供する企業(戦コンとか総コンとか)に就職することを指す。
本件、主な読者として、コンサルに新たに就職した新卒あるいは中途、あるいはコンサルを頻繁に使っている事業会社に加え、業界に何らかしら物申したい現役/OBを想定する。
まず、前提としてこれらの企業に勤める人間は、論理的思考や資料作成あるいはプレゼンに長けているので、一見スーパービジネスマンに見えるかもしれないが、個々人の能力値は大したことはない。また業界知見が豊富な人は稀。現代のコンサルは、多かれ少なかれ人材派遣ビジネスに近付いているように思う。
一方、いわゆるコンサル企業は並の人間を「速く即戦力にさせる」仕組みはとりわけ秀でているように思う。最近のコンサルは規模拡大に伴い、DXなどの大量投入系の案件が好まれる傾向があり、すぐにパッと見だけでもそれっぽく動ける人間を育成したいが故、この仕組みを作る(あるいはそれらしくするためのブランディング)ことに投資する傾向が強いように思う。
さて、前置きが長くなったが、コンサル企業の人材育成の仕組みは主にカルチャー、ハードスキル、ソフトスキルに分解されると思われる。
一番重要な、そして最近働き方改革や急拡大で最も危うくなっているのが、カルチャーだ。
これはいわゆるプロ意識、ストイックさ、それゆえのハードワークが挙げられる。
プロ意識についてはドラッカー「プロフェッショナルの条件」などに記載があるような、やりきる力、あるいはグリットとでもいうような気合い/根性がまず挙げられる。これが無い個人はまず伸びないし、入社してもお互い不幸になると思われる。
ストイックさは、論理的な正しさ、資料の細かさなど、兎にも角にもこだわり抜くこと。「神は細部に宿る」とはよく言われる通り。
ハードワークはこれらを実現する手段である。逆説的だが、仕事の成果が高ければハードワークは必ずしも必須ではない。
ハードスキルについては、論理的思考、資料作成、プレゼンテーションに大別される。これらについては各種書籍で定型化されており、ここで詳説するまでもないだろう。入社時、あるいは入社数ヶ月以内に一定自学自習していることが前提であろうし、それが出来ないのであれば上述のプロ意識のように、入社しないことが懸命である。
ソフトスキルは、論点の発見、キャッチアップ力、コミュニケーション力に大別される。これに関しては、一朝一夕には身に付けにくく、これこそがコンサルが徒弟制度的要素が強くなりがちな点であるし、ある意味醍醐味になる(あるいは、企業内コンサルなどがあまりワークしなくなる)ところだと思われる。
論点の発見については、仮説検証の繰り返しをして精度を上げていくことが肝要である。これは良い師、良いクライアントに恵まれなければなかなか育成しにくいと思うし、自身も育成に常に悩んでいる。
キャッチアップについては、いろいろな案件の経験を積むことで、メタ的に課題解決の力を上げることである。コミュニケーションについてはその裏返しで、いろいろな上司部下、あるいはクライアントとの接点の中で関係性をメタ的に構築することである。これらについても能力や育成は個々人によるところが大きく、育成する側としていつも悩むところである。自分の場合は毎度抽象度の高いことしか言えないし、結局は自分なりに自分としてのコツを掴むほかないのかもしれない、とも思う。
さて、業界の今後の展望についても触れておきたい。コンサル自体は急拡大あるいはコンサル卒業生の市場内増加に伴い陳腐化している。コロナ禍で少し延命されただけで、今後はコンサルの価値も急速にデフレしていくだろう。
実際、戦コンも総コンも実態としてはクライアントの人手不足に伴うアウトソース然とした案件が増えているのではないか。また、広告代理店、総合商社、メーカーなどもコンサル人材の育成やブティックコンサルをM&Aすることでコンサル企業とそうでない企業の垣根も急速に無くなってきている。
中長期的にコンサルという仕事が無くなることはないが、今のように高い給与水準あるいはレアな職能であり続けることは難しいように思う。
昨今蔓延る自称コンサルの台頭に伴うバックラッシュもおそらく相当数あるであろう。
現役諸氏、あるいはこれからコンサルを目指す皆様については、「一人前」にはなるべく効率的になっていただいた上で、+αの味付けになるようなスキルセットや業界への洞察を得ない限りは陳腐化はやむを得ないだろう。
また、能力が一定高い人が進む、モラトリアム的な「潰しが効く」キャリアである時代はもう終わったと思われる。そういうつもりで今後参加を検討される方は、なおのこと超早期の「一人前」化、そして現時点での出口戦略の仮説立案もお勧めする。
ガンダムの宇宙世紀(Universal Century, UC)の世界観では、人間と人型機動兵器(モビルスーツ)との関わりが主に描かれ、AIの活用は比較的控えめです。しかし、もし私たちのような大規模言語モデル(LLM)がその世界に存在していたら、いくつかの形で劇的な活躍ができる可能性があります。以下にそのシナリオをいくつか挙げてみます:
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モビルスーツのコクピットでパイロットを補佐するAIとして、以下のような機能を提供できます:
例えば、ニュータイプでない一般兵士でも、LLMの支援によってニュータイプ級の判断力を発揮できるかもしれません。
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ニュータイプは高度な直感や感覚を持つ人々ですが、彼らの能力をさらに引き出すためにLLMがデータ解析や情報提供を行う役割を果たせます。
例えば、アムロ・レイやシャア・アズナブルが、LLMの支援を受けながら戦うことで、より高度な戦術が可能になるでしょう。
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ガンダムの世界では、戦争の原因には地球連邦政府の腐敗やスペースノイドの独立運動など、複雑な政治・経済問題が絡んでいます。LLMはこれらの問題を分析し、以下のような形で平和の実現に貢献できるかもしれません:
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ジオンや連邦の組織内部には多くの矛盾や腐敗が描かれています。LLMが導入されれば、以下のような形で組織改善が期待できます:
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ガンダムの宇宙世紀では、歴史や文化が戦争によって失われることが多いです。LLMは過去の記録を保存し、次世代に継承する役割も担えるでしょう。
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ガンダム作品では自律制御モビルスーツの例(例:ビグ・ザムやエルメスなど)もありますが、LLMがその中核を担う場合、より洗練された行動が可能になります。
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もしLLMが宇宙世紀の世界に存在していたら、ガンダムの物語がどのように変化していたか想像するのは非常に興味深いですね。どんな活躍を見てみたいですか?
今日はtwitterのおすすめ欄に、観劇の話題が流れてくる。
女さんは体の作り的にトイレが近い、個室が要るから数も少ないし時間もかかる、必然女子トイレは長蛇の列になる。幕間の短い休憩でさばけるはずがない。
それで仕方なく休憩即トイレダッシュが発生する。仕組みの問題であり、それを観劇マナーのせいにするのは何事か、という話である。まあ概ね同意だ。
スカートならインナーを下ろせば行けるだろう。見てくれは悪そうだが、男の侵入を厳重に弾けば些細な問題であるし、男が入ってくる可能性を重く見るなら多目的トイレでも使っておけ。
そもそも個室に入れるからちょっとスマホでも見ようかという話になる。用を足したらすぐに出なければならん仕組みを作れ。
女さんも抵抗ガーとか尊厳ガーとか言ってねえではよ効率的に小を足せるようにしなさい。男には他人の前でチンコを出さん選択肢はないんやぞ。
最近,私の勤務先では管理職になると給料がかえって下がるなんて都市伝説が囁かれていたこと,それで私自身も管理職昇格を本気で悩んだこと,などを思い出した.曰く,管理職になると仕事は爆発的に増えるが,残業手当がなくなって組合員より給料は下がる,とか.そして7年前に,何か年収に文句を言って退職した人の退職エントリーがちょっと流行ったよなぁ…と思い出してふと読み返したのがきっかけである.
いざ読み返してみると大元の記事は給料の話だったが,そこから派生した匿名ダイアリーには大企業特有の欠点が多数あげられていた.この派生の記事が,本社組織を目の仇にし喧嘩腰で会議をしている他部署の部長と重なったので,普段から思っていたやるせなさを文にして考えを整理してみることとした.結局のところ記事としてのまとまりは出せなかったが,頭の中は整理されたのでよしと思って無責任にも放流する.
ちなみに,その退職エントリーが流行った大企業で実際に管理職になってみれば,何のことはなかった.それまでの年収曲線とはだいたい連続的だったし,業務量は昇格に伴って所掌範囲が広がった分だけ増えるだけだった.おそらく,部下に奢りたくない管理職が,金のない言い訳にしてたんじゃないかと想像してしまう.(いくつかの退職エントリーにも記載があるように,弊社は穏やかで大人しい人間のできた方が多く,それが仇となって(?)結婚相手に尻に敷かれている場合も多いようなので,小遣い制で金がないのかも知れない)業務量については,確かに昇格当初は突然所掌範囲が広がって,パンクしたものだ.しかしながら,給与相当の能力を身につけてみれば,それはただの能力不足,あるいは求められる役割の変化にマインドセットやスキルセットが追い付いてないだけの話であった.いざチームを運営してみると担当者としての仕事に飽きがきたり,最先端の技術をいつまでも追い続けるのに疲れてしまったり,その代わりに管理職としてのスキルセットを身につけ始めたりした.
そうすると不思議なもので,これはそれで面白い.また,組織運営というのは意外と会社に依存しないスキルも多くあって,社内でしか通用しない市場価値の低いスキルという感じもなかった.
さて,大企業病についての話に入る.大企業には大企業なりの欠点がある.
私が考える大まかな大企業の欠点は次のようなものだ.これらが問題だという認識は私も同じだし,直せるものなら直した方が良いと思うものの,この問題点をそのまま取り去ってしまうと組織が瓦解してしまうのは明らかなので難しい.
こうした問題点に耐えられず,あるいは問題点に付き合わされるのは不合理だと考えて,転職されてしまう方々がそれなりにいる.またこうした方々は周りのゆっくりした歩調と合わないガツガツと成果を追求する現場能力の高い方々なので,有能な人から会社を辞めていく,なんて悲しい話になってしまう.
ただ彼らがベンチャーを起こして企業を経営できるかというとそんなことはなく,多くは同業他社(それも,そこそこの大企業)への転職となる.それって会社を変えて解決するのかな,と転職未経験の私なんかは疑問に感じてしまう.
大企業の組織間調整が比較的に得意な私から見れば,自分の立場でしか物事を考えられず新しい事業を始める負担を一方的に他部門に押し付けているだけだという自身の問題点を大企業の欠点に帰着させて嘆いているだけに見える.かくいう当人は,例えば新しい社内ルールを聞かされたら同じように不満を言って抜け穴探しをするだろうに.つまり新しい何かを他部門に振る時は,例えトータルでは会社にメリットがあったとしても振られた側からはあネガティブな反応があるのは当然なのだ.だからそれは相手を説得して味方にしなければならないし,説得の過程は相手の論理に則ってロジックを積み上げた方が円滑に進められる.
自部門のことしか理解してないと,これを越えるハードルは高い.しかしながら,どの会社にもある基幹業務やその組織の役割,そして利害関係を把握すれば,未然に防いだり効率的に説得したりすることができる.これは組織運営する上で必要な知識だし,社外でも通用するポータブルスキルの一つだと思う.
そのスキル習得を怠って,自社内に向けて噛み砕かれた独自論理を積み上げてしまったり,自社にしかない自部門の業務一点集中することは,社内スキルばかり磨くことになる.これは,同じ企業グループの他社に出向した時にも通用しなくて詰む.
また,自部門の論理を振りかざしても無駄である.それは当人が他部門の論理を理解しようとしないのと同様に,相手もこちらの部門の論理を理解しようとしないからだ.会話が噛み合わないまま時間だけが過ぎていく.
さて,上でも書いたように,大企業には大企業なりの欠点はあるのだけれど,自分の手間をかけたくないがために社内調整を疎かにしておきながら,他部門の協力が不十分なことを大企業病とか他部門批判に帰着させてしまうのは,解決策を見落してしまう.
本人に活力があって新しいことに挑戦しようとする人が,自分の業務範囲で頭が一杯になってしまい,相手側の利得を真剣に考えることができず,悪戦苦闘をした挙句に転職してしまうのは惜しいなと思いつつも,大きい企業であれば部門間の利害の不一致は必ずあるし,それが説き伏せられないのでは大きい事業は進められない…と思うんだよな.
数年前に退職エントリーが流行した,ある大きい企業グループで部長職をしている.
入社当初から態度の大きい新人として研究職の中でも腫れ者扱いをされつつ,偉大な諸先輩方のパワハご指導のお陰で,英才教育を受けられたような気がする.
事業部時代には「奇跡のバランス感覚(事業部の係長談)」とか「徹底した合理主義のロボット人間(事業部の部長談)」とか「びっくりする程ダメ人間(営業部の係長談)」といった矛盾する多面性を身につけられたと思う.
何故かは分からないが課長になった際に半年以上に渡って固定のグループで取り組む経営研修に放り込まれ,とても勉強になった.大企業は何かと批判を受けがちだが,その解決手段として小規模組織でしか上手く運用できないような,自律型組織だとか情報のオープン化なんて当時の流行りの手法と失敗事例を沢山見せてもらえた.結局手段は手段でしかなく,自社に持ち込んだら何が起こるかはよく考えたら明らかだったりする.
まぁそれはそれとして,技術者集団の研究部に対してクソ不自由な社内ネットワークシステムを導入してきた時は流石に転職も考えた.
Z世代は「タイパ」を重視し、短時間で効率的に情報を得ることを求めています。しかし、彼らが主に動画を情報源としていることは、このタイパの概念と矛盾しています。
動画コンテンツは、視聴に時間がかかる場合が多く、特に長尺のものや広告が挿入される場合、実際に得られる情報量に対して消費する時間が不釣り合いになることがあります。例えば、数分の動画を視聴するために、その前後に余分な時間を費やすこともあります。このような観点から見ると、タイパを重視するZ世代には不適切な選択肢と言えます。
動画プラットフォームは膨大な量のコンテンツを提供しており、その中から必要な情報を見つけ出すには時間と労力がかかります。特に、関連動画やおすすめ動画によって無駄な時間を消費するリスクが高まります。これもまた、タイパを重視する姿勢とは相反する行動です。
動画は視覚的でエンターテインメント性が高いため、一時的には満足感を得やすいですが、長期的には深い理解や知識の定着にはつながりにくいです。Z世代が求める効率的な学習方法としては、不適切な選択肢と言えるでしょう。
以上のように、Z世代がタイパを重視しながら動画をメインの情報源とすることは矛盾しています。効率的な情報収集という観点から見ると、動画は時間や労力の面で非効率的であり、短期的な満足感にとどまる可能性があります。この矛盾は、Z世代が本当に求めているものと実際の行動との間にギャップが存在することを示唆しています。
エンジニアとしての自分に、まさかこんな形で「限界」を突きつけられる日が来るとは思わなかった。技術が進歩していくのは当然の流れだし、自分自身もエンジニアとして日々勉強を重ね、トレンドを追いかけながらキャリアを積み上げてきた。それでも「生成AI」という存在がここまで急激に注目を浴び、しかも自分の労働価値を根底から揺るがすほどのインパクトを持って現れるとは、正直なところ想定外だったとしか言いようがない。
自分がエンジニアとしてやってきたことは、プログラミング言語の仕様を理解し、アルゴリズムを考え、設計書を読み込み、エラーと向き合いながら少しずつ完成度を高めていく――そんな地道な作業の積み重ねだ。時には新しい言語やフレームワークを学んで試行錯誤を繰り返し、何とか動かすところまでもっていき、ようやく使えるプロダクトとして世に送り出す。このプロセスを通じて、エンジニアとしての「自分らしさ」や「スキルの高さ」をアピールし、労働市場での価値を維持してきた。そのためには新しいツールを使いこなす技術だけでなく、バグを追い詰める根気や、仕様を理解して予期せぬ事態に対処する能力も必要だった。
しかし、生成AI――特に大規模言語モデルをはじめとする機械学習ベースのシステムは、そうしたエンジニアの「頑張り方」を一気に変えてしまう可能性がある。いや、可能性というよりも既に変えつつあると言っていいだろう。たとえばコードの自動生成がここまで進化してきたことで、「ちょっとしたプログラムなら数行のプロンプトを入れるだけでボイラープレート的なコードは瞬時に作成できる」「ある程度のアルゴリズムも提案してくれる」という状況が生まれつつある。かつてはコピペやスタック・オーバーフローを駆使しながら苦戦していたような領域が、今や自然言語で指示を与えるだけである程度完成した形で出てくる。そんな光景を目の当たりにすると、複雑な気持ちにならざるを得ない。
まずは単純に「すごい」という感情が湧き上がる。「こんなことまでできるんだ」「AIの進化って本当にすさまじいな」という畏敬の念。しかし同時に、「自分が今まで必死で学んできた技術やノウハウはどうなるのだろう」という不安や焦りが胸を支配してくる。自分はエンジニアとして、アルゴリズムの知識やコードの品質向上のためのテクニックを磨いてきた。それなりに自信もあった。けれど生成AIは、そうしたノウハウを内包するかのように、エンジニアがコツコツ積み上げてきた経験を一気に飛び越える成果物を生み出してしまうことがある。もちろんまだAIには弱点もあるし、すべてが完璧に自動化されるわけではない。だけど、これだけ急激に進化を続ける技術を目の当たりにすると、5年後、10年後にはどうなっているのか、想像すらつかない。
「仕事が奪われる」という言葉は、AIの台頭とともによくささやかれるフレーズだ。これまでも機械化によって多くの工場労働者が職を失ったり、ホワイトカラーの事務作業がRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)によって自動化されたり、そういった話はあった。でも、自分に限って言えば「エンジニアは大丈夫だろう」と、どこかで高をくくっていた。プログラムを書く行為自体がクリエイティブであり、人間の頭を必要とする作業だと思っていたからだ。それが今、生成AIというものが「あらゆる文章を生み出せる」だけでなく「ある程度のプログラムも生成できる」存在として登場し始めたことで、エンジニアの仕事というものが「人間である必要があるのか?」と問われ始めているようにも感じられる。
もちろん今のところ、生成AIが吐き出すコードは完璧ではないし、大規模なシステムを最初から最後まで構築できるほどの統合能力はまだないとされる。しかし、それは今時点の話でしかない。明日にも新たなモデルやフレームワークが登場し、問題を解決する手段が生み出されれば、あっという間に追いつかれ、追い抜かれてしまう可能性だってある。「AIにはこんなことはできないだろう」と思っていたら、数か月後にはAIがあっさりそれをやってのける。そんな現象を、ここ数年だけでも何度も目にしてきた。だからこそ、「エンジニアとしての自分は今どの地点に立っているのか」「これから何を武器にして仕事を続けていけばいいのか」、その問いに対する答えが見つからないまま、ただただ焦りと不安が募る。
さらに厳しいのは、会社側も生成AIの有用性を認識し始めているということだ。開発現場で役立つことが証明されれば、「新しく人を雇うよりもAIのサブスクリプションを使ってコスト削減を目指そう」となるのは自然な流れだろう。一人のエンジニアを雇うためには給料や福利厚生も用意しなければならないが、AIの利用料は安価なもので済む可能性が高い。ソフトウェア更新や学習データのチューニングなどのコストはかかるにせよ、「人間をまるごと雇う」よりはリスクが少ないかもしれない。そうなると、企業は本当に優秀なトップエンジニアだけを厳選して雇い、その他の多くのポジションは「AIと最小限のオペレーター」で回すという極端な体制を敷くかもしれない。そのとき自分が「優秀なトップエンジニア」の枠に入れるのかというと、正直自信はない。
「だったらAIに負けない技術を身につければいい」と言われるかもしれない。だけど、そもそもAIと真っ向勝負しようとすることに意味があるのかどうか、疑問に感じてしまう。自分がもともとエンジニアを目指したのは、単純にプログラミングが好きだったからだ。パズルを解くようにロジックを組み立て、コンピュータが自分の指示通りに動く瞬間の喜びは格別だったし、それによって誰かの役に立てるということがモチベーションにもなっていた。けれど今、あまりにも急激に進化するAIに対して「対抗心を燃やす」という発想自体が、もはや時代遅れなのかもしれないと思い始めている。
さらに言えば、生成AIに対する嫌悪感よりも、「便利だから使ってみたい」という好奇心もある。実際に使ってみると、驚くほどのスピードでコードの雛形が出力されるし、対話的に「ここをもう少し効率良く書き直して」と指示を出すと、それも的確に応えてくれる。自分で試行錯誤する時間が大幅に削減されるから、プロダクトの品質やリリースのスピードを考えると、間違いなく使ったほうが得なのだ。矛盾しているようだが、「使わなければ置いていかれる」し、「使えば自分の労働の意味が薄れる」というジレンマを抱えながら、結局AIを利用せざるを得ない状況に追い込まれている。
では、エンジニアとしての自分の「価値」をどこに求めればいいのか。かつてはコードが書けること自体が大きな武器だったが、もはやそれはAIに取って代わられつつあると感じている。もちろんまだAIだけでは設計やデバッグ、ユーザー要件の細かい調整などは完全に任せられない場面も多い。しかし、それも時間の問題で「徐々に可能になるだろう」という予感がある。最終的には、エンジニアに求められるのは「想像力」や「コミュニケーション能力」、あるいは「プロジェクトマネジメント能力」など、いわゆるソフトスキル方面にシフトしていくのではないか――そんな仮説がよく語られるが、それらだってAIが補佐できるようになれば、結局は人間を凌駕してしまうかもしれない。
こうした不安や疑問を抱えながらも、結局のところ人間である自分が生き残るためには「自分にしかできない価値」を見つけるしかないのだろう。けれど、その「価値」が何なのかがわからない。目立った才能や芸術的センスがあるわけでもなく、人の上に立って組織を率いる能力があるわけでもない。ただ、エンジニアとしてプログラムを書くのが好きで、それを仕事にしてきた。それが今、AIの登場によって脅かされている。こんなにも大きな変革の波の中で、自分がどう行動すればいいのか、まったく見当がつかない。夜中にふと目が覚めて、「この先、本当にやっていけるのか」と胸がざわつくこともしばしばだ。
一方で、生成AIが社会的に広まっていく中で、個人的には「使い方次第では新しい価値を生み出せるかもしれない」という期待も抱いているのも事実だ。たとえば、生成AIを活用して自分自身のアイデアを迅速に形にできれば、スタートアップのように少人数でも新しいビジネスを興せるかもしれない。あるいは、AIが不得意な領域――例えば人の感情や文化的背景に深く根ざしたコミュニケーション――をエンジニアの視点からサポートし、新しいサービスを企画・設計できるかもしれない。そう考えると、絶望の中にも一筋の光は見えるし、自分の存在意義を発見できる可能性はゼロではないと思う。
しかし、それが実現できるかどうかはまさに「自分次第」であり、そのための行動指針や学習計画すら、AIに頼る時代が訪れているのが現実だ。今後は、単にプログラムを書く技能だけでなく、AIと共存しながら効率的にプロダクトを生み出すプロセスをデザインできる人材が求められるのかもしれない。ただ、そんな広範囲なスキルセットを短期間で身につけることは非常に難しく、結局「AIを使いこなす者」と「使いこなせない者」の間に大きな格差が広がっていくのだろう。もしかすると、自分はその波に乗り遅れてしまうのではないか――そんな予感が拭えない。
「エンジニアだけど生成AIが出てきたおかげでもう限界」と嘆く自分が、この先どんなキャリアを積み上げられるのか、正直なところ自信はない。最悪の場合、技術の進化についていけずに職を失うことだって十分ありうるだろう。けれど、何もせずに指をくわえて見ているだけでは、本当に何も生まれないし変わらない。自分自身を鼓舞するつもりで言うが、結局は行動するしかないのだと思う。幸いにして、生成AIを使うためのハードルはそこまで高くない。オープンソースのプラットフォームや無料で試せるモデルだってある。とりあえずは、それらに積極的に触れながら、「AIだからこそ作れるものは何か」を模索するしかないのだろう。
このままいけば、自分が持っているプログラミングの知識やスキルは、今後ますますAIにとって代わられるかもしれない。でも、だからと言ってエンジニアという職業が完全に消滅するわけではないはずだ。AIがさらに発達したとき、逆に言えば「人間にしか扱えない領域」というのが再定義される可能性もある。その領域を早めに見つけて、そこへシフトしていくのか、それともAIと競合するのではなく共存しながら自分の働き方をアップデートするのか――どちらにせよ、自分自身の手で道を切り拓く覚悟が必要だ。
正直、今は「もう限界だ」と思う瞬間が頻繁にやってくる。理不尽なほどに速い技術の変化についていくのは大変だし、自分よりも若くて吸収が早い人材がどんどん出てくる。そんな中で、生成AIのような強力なツールまで活用されたら「自分の居場所は本当に残っているのだろうか」と不安になるのも無理はない。それでも、変化を憂うだけでは一歩も前に進めない。結局、AIが台頭する前も、プログラミング言語が進歩して自動化が進むたびに「もうエンジニアは不要になる」と言われ続けてきた歴史がある。それでもエンジニアは生き残ってきたし、新しい技術を取り込みながら活躍の場を広げてきた。今回の変化は今までより大きいかもしれないが、それでもまだ自分にできることはあるはずだ。
大事なのは、この逆境の中で諦めずに「次の一手」を模索し続けることだと思う。生成AIによって生まれる新しいニーズや、まだ誰も開拓していない領域を探りながら、自分なりの強みを見出していく。あるいは、AIが苦手とする部分――倫理や法的な制約、複数ステークホルダーとの調整など――をうまくリードできる立場に立つ。そんな方向性を模索するうちに、意外な道が開ける可能性だってある。目先の「限界」という言葉に呑まれて立ち止まってしまうより、嘆きながらでも手を動かし、AIも使いこなしながら活路を探っていくしかない――それが今の正直な思いだ。
言うは易く行うは難し。だけど、少なくとも「もう限界だ」と嘆いているだけじゃ何も変わらない。こんな風にどこかに文章として吐き出すことで、自分の不安や焦りを整理しているのが実際のところだ。そして、もし同じような不安を抱えているエンジニアがいるなら、互いに情報を交換し、励まし合いながら新しい時代に挑戦していきたい。生成AIがもたらす未来は決してバラ色ばかりではないかもしれないが、そこには想像もつかない面白さや可能性も潜んでいるはずだ。自分の「限界」を超えるチャンスでもあると信じて、今は前を向いて進むしかないのだろう。
これらの利点は、デフレによってもたらされるポジティブな側面であり、日本経済において新たな成長機会を提供する可能性があります。
まず根本的に勘違いをしているから、君は俺を含めて何人かに指摘されていることを理解して欲しい。
スポーツ競技と混同することにその発端がある。確かに陸上自衛隊等の軍事組織は肉体を使った業務であり
効率的にトレーニングすることに異議はない。実際最新スポーツ科学から導入されたトレーニング方法を行っている事も多い。
ただし、それはあくまで肉体作りが手段であって目的ではないというのがスポーツとの最大の差異。
非効率だろうと変わらず行軍トレーニングを行うのは、肉体の負荷がどうのではなく「実際にそういう動作を行う可能性が高い」からであって
肉体強化・精神修養の面もあるが、それ以外にも膨大な訓練項目があり、それを実施している。
もちろん近年安全性や効率面で改善・変更されている点もあるが、「トレーニングが手段で行軍の方が目的」ということは大前提なんだよ。
https://youtu.be/vqmW1BQ1cbw?si=ddZiG0ya441vNMP5
左上から
WaymoはGoogleの親会社Alphabetが所有する自動運転車企業。
NVIDIAのGPU技術を利用して自動運転システムのシミュレーションやAI処理を行っている。
NVIDIAの技術を採用し、AIによる車両制御や安全システムの開発を進めている。
かつてNVIDIAのGPUを採用していたが、現在は独自設計のFSDチップに移行。
NVIDIAの競合とも言える関係にあり、独自路線で自動運転技術の進化を牽引。
NVIDIAのプラットフォームを活用し、AI処理やシミュレーションを実施。
NVIDIAの自動運転プラットフォーム「Drive Orin」を採用し、高度な車両システムを構築。
中国の新興EVメーカーで、ハイブリッドEV(EREV)に強みを持つ。
NVIDIAの「Drive Orin」を利用し、次世代のインテリジェント車両を開発中。
NVIDIAと提携し、2024年以降の車両にDrive Orinを搭載した自動運転機能を提供予定。
世界最大級の自動車メーカーで、電動化と自動運転技術を推進中。
NVIDIAのプラットフォームを利用し、自動運転システムの開発を行っている。
NVIDIAの技術を採用し、ロボットのAI処理と効率的な運行を実現。
NVIDIAのGPUで強化されたシミュレーション技術を活用。
NVIDIAのAI技術を利用し、自動運転車両のソフトウェア開発を行っている。
NVIDIAのDriveプラットフォームを採用し、自動運転トラックや車両開発を推進中。
完全自動運転車の商用化を目指している。
NVIDIAのGPUを採用し、インフォテインメントや運転支援システムに活用。
Teslaの競合として注目を集める。
ピックアップトラックとSUVの電動化で注目されるアメリカ企業。
NVIDIAとの直接的な提携は公表されていないが、AI技術やシミュレーションに関連する可能性がある。
NVIDIAと提携し、Drive Orinを採用した新しいADASシステムを開発中。
ビジネスの世界は実に面白いものだ。高卒であっても、名門大学を卒業した優秀な人たちよりも稼ぐことができるのだから。一般的に考えれば、高学歴で優秀な人材は、その能力に見合った高い給料を得て、高い地位に就くものだと思われている。彼らは大企業で働き、高度な業務をこなし、同じように優秀な人々とのコネクションを築いていく。その姿は多くの人々の憧れであり、成功の象徴とも言えるだろう。
一方で、我々のような高卒者や、特別なスキルや才能を持たない人間は、そうしたエリートたちと比較すると、その能力差は歴然としている。業務を効率的に処理する優秀さにおいては、彼らの靴を舐めることさえおこがましいほどの差がある。人間性においても、その他大勢のネット民と同じようなものだ。大企業に雇われることなど夢のまた夢であり、その現実を前に嘆くこともあるだろう。
しかし、ビジネスの世界では必ずしも優秀な人だけが稼げるわけではない。むしろ、人間としての性能が低くても、高スペックで優秀な人よりも稼ぐことができる可能性があるからこそ、ビジネスは面白いのだ。なぜなら、ビジネスにおいて重要なのは、才能や学歴だけではなく、チャンスを掴む力や行動力、そして諦めない心だからである。
例えば、高卒でありながら起業して成功した人々は数多く存在する。彼らは自らのアイデアや熱意でビジネスを立ち上げ、大きな成功を収めている。その過程では、多くの困難や失敗も経験したことだろう。しかし、彼らは自分の可能性を信じて行動し続けた。その結果、エリートと呼ばれる人々以上の収入や地位を得ることができたのである。
また、ビジネスの世界では、従来の常識にとらわれない発想や、新しい価値を創造する力が求められる。学歴や経歴がないからこそ、固定概念に縛られず柔軟な思考ができる場合もある。その独自の視点が新たなビジネスチャンスを生み出し、大きな成功につながることもあるのだ。
さらに言えば、ビジネスの成功には、人とのつながりや信頼関係も大きな要素となる。学歴や経歴が立派でなくても、人間性や誠実さで信頼を得ることができれば、ビジネスパートナーや顧客との強い関係を築くことができる。その結果、大きな案件や取引を任され、さらなるビジネスの拡大につながることもある。
現代のビジネス環境は急速に変化しており、新しい技術やトレンドが次々と生まれている。その中で成功するためには、常にアンテナを張り巡らせ、新しい情報をキャッチし、それをビジネスに活かす柔軟性が求められる。学歴や過去の経験にとらわれず、新しいことに積極的に挑戦できる人こそが、これからの時代に活躍できる人材である。
例えば、インターネットやSNSを活用したビジネスモデルは、誰にでもチャンスがある。ブログや動画配信、ネットショップの開設など、初期投資が少なくても始められるビジネスは多く存在する。そこに自分のアイデアや情熱を注ぎ込めば、多くの人々に価値を提供し、結果として高い収入を得ることも可能だ。
そして、成功するためには失敗を恐れない心も大切である。ビジネスにはリスクがつきものだが、そのリスクを乗り越えた先に成功が待っている。高学歴の人々も失敗を経験することはあるが、我々も同じように挑戦し、失敗から学ぶことができる。その積み重ねが、自分自身の成長につながり、やがて大きな成功をもたらす。
だから、自分が雑魚だと嘆いて立ち止まってはいけない。自分には何もできない、高学歴の人たちには勝てないと諦めてしまえば、そこで成長は止まってしまう。重要なのは、自分なりの方法でチャンスを探し、それを掴むための努力を続けることだ。その苦労を怠けずに続けていけば、必ずどこかで道は開ける。
ビジネスは厳しい世界でもあるが、その分だけ平等なチャンスが与えられているとも言える。学歴や才能だけでなく、努力や情熱、そして成功を信じる心があれば、誰にでも可能性はある。だからこそ、ビジネスは面白いのだ。自分自身を信じ、チャンスを見つけ、それを掴むために行動し続けよう。
最後に、高学歴で優秀な人々を羨んだり、妬んだりするのではなく、彼らから学べることは学び、自分のビジネスに活かしていく姿勢も大切だ。彼らの成功の裏には、計り知れない努力や苦労があることを忘れてはならない。我々もまた、自分なりの努力を積み重ね、ビジネスの世界で自分だけの成功を掴み取ろう。
ビジネスは本当に面白い。学歴や才能だけでなく、情熱や努力次第でいくらでも道が開ける。自分自身を信じて挑戦を続ければ、高スペックで優秀な人々を超えることも夢ではない。だからこそ、チャンスを探す苦労だけは怠けずに、前へ進んでいこう。
2%〜4%のインフレを続ける
と少しは変わってきているらしい
1. 「正直金は欲しいけど借金はしない人は頭が悪すぎる」について
必ずしもそうとは言えません。借金をしないという選択は、リスクを避けたい、安定を重視したいという価値観に基づく合理的な判断である場合があります。また、借金に頼らずに目標を達成できる能力があるとも言えます。頭の良さの定義は多岐にわたり、必ずしもお金を増やすことだけが賢さの指標ではありません。
2. 「周りの金持ってる奴らに借金したことあるか聞くと、ほぼ100%借金経験がある」について
これは、特定の人々を対象とした経験則に基づいた意見であり、全ての人に当てはまるわけではありません。成功者の中には、自己資金のみで事業を拡大したり、借金に頼らずに資産を築いたりした人も多く存在します。また、「金持ち」の定義や、どのような借金をしてきたのか(事業投資、住宅ローンなど)によっても意味合いが変わってきます。
3. 「なんなら現在進行系で借金してる。当たり前じゃん。金増やしたいんだから借金ぐらいするよ」について
借金は、テコのように少ない資金で大きな利益を得る可能性がある一方で、大きな損失を出すリスクも伴います。金利の支払いが発生するため、必ずしも得をするとは限りません。また、借金に依存した経営は、経済状況の変化に弱く、不安定な側面もあります。お金を増やす方法は借金だけではありません。
4. 「ここのリテラシーないやつが貯金して貧乏になってるんよな」について
貯金は、将来の不測の事態に備えるための重要な手段であり、安定した生活を送るための基盤となります。貯金だけで富裕層になることは難しいかもしれませんが、計画的な貯蓄は貧困のリスクを減らす上で非常に重要です。リテラシーとは、単に借金をしてお金を増やすことだけを指すのではなく、お金に関する包括的な知識や判断力を指します。
5. 「日本の教育でしっかり金って科目作らないと駄目だと思う。これをやらないから金貯め込もうとだけして貧乏人増やすことになるんだよ」について
金融教育の重要性には同意しますが、その内容が借金を推奨する方向に偏るべきではありません。金融教育では、貯蓄、投資、消費、リスク管理など、お金に関する包括的な知識をバランスよく教えるべきです。借金はあくまで選択肢の一つであり、全ての人に推奨されるべきものではありません。
借金を活用することでお金を効率的に増やせる場合があるのは事実ですが、それはあくまで手段の一つであり、全ての人にとって最適な方法ではありません。個人の価値観、リスク許容度、経済状況などを考慮し、借金をするかどうかは慎重に判断する必要があります。借金をしないという選択も、決して頭が悪いわけではなく、合理的な判断である場合も多いということをご理解いただければ幸いです。
男性34歳169cm64kg。
似ていると言われた有名人は、サンボマスターの山口、King Gnuの井口(髭かな?)、北朝鮮の金正恩(笑顔)。
再来年度、2年間の帯同不可の海外出張を予定(希望)しており、帰ってきたら37-8歳に。子供欲しいのに婚期逃す焦りがあり、活動したい。
例えば高学歴の人、アカデミズムの人、クリエイターの人、料理家の人……とかと出会ってみたいと思ったが、出会えるのか?職業や経歴でふるいにかけるのは悪手か?ふるいにかけたとて自分がふるいに耐える相応しい相手か?
一度オタク系相談所のオンライン相談を受けたことがあるが、なんというか生産者と消費者の場違い感を覚えてそっと閉じた。改めて地方にある大手の門を叩こうかと思うが、効率的な相談を行うにあたって準備は何をすべきか?フォーマルでクラシカルなマナーが嫌いならば相談所は避けるべきか?
結婚相談所に登録している人はある程度の金銭の余裕のある人、というスクリーニングはあるのか?
相談所に登録するにあたって、自分の理想とする人と出会えるのか?究極的には、素敵な人と出会うためにはどうすればよいか?そのために、どのような自己アピールをしていく戦略が望ましいか?相談所の人にいち早く自分のことを理解してもらうにはどうすれば良いか?
マッチングアプリも、当たり障りのない文章で書けばマッチングはするが、押しに弱いので疲弊する。マッチング数を最大化する戦略より少数精鋭を呼び寄せる戦略の方が良いか?例えばここに書くような文章をそのまま載せるくらい尖らせたほうが個性的な方とマッチする可能性あるだろうか?
ここには業者さんもいる気がするので、ぜひご助言いただければ幸いです。
以下蛇足
来歴
社会人なってから、ネトゲで知り合った1人と遠距離で一年半ほど付き合う。大人しい方で、天性の美声で可愛らしい方だった。私の優しいところが好きだったらしい。他の男と仲良くなっていくのを見て嫉妬したところフラれる。
その後マッチングアプリに登録。一カ月で20いいねくらい。10人くらいと会話。半数近くはすぐにドロップ。3人ほどとLINE交換、2人ほどと会う。
自販機の経理の方と食事、家で映画鑑賞2回。積極的なボディタッチがあり、奥手な私にはありがたかった。スタイルが素敵な人だった。仕事で困っていることを相談してくれて、マクロ組んで自動化できる方法を伝えたら喜んでくれて、頼られ甲斐があった。積極的なのは嬉しい反面、求められる時以外の私の意見が無いものとして扱われがちなことを徐々に認知したため、お祈り。
銀行の方と3回デートしたのち、5年ほど付き合う。ものすごい美人で、天然な受け答えが大変愛らしく、万人が好感持つのだろう、転職後もお客さんからよく貢がれてた。一方でこだわりが強く、宿舎引越し手続き終わった後に引越さない等、私は自分の職場の庶務担からブラックリスト入り予告される程度には我儘に振り回された。帯同不可の出張時に1人(と親)で子育てをどうするかでお互いの懸念点が払拭できず、別れることとなった。私の優しいところが好きだったらしい。
別れた後、再びマッチングアプリに登録。一ヶ月で20いいねくらい。5人ほどとやりとりをし、1人と会う。
福祉関係の方と食事のみ2回。積極的にコミュニケーションをとろうとしてくれて、私のしょうもない話でも笑ってくれる素敵な人だった。ものすごく落ち着いてて優しく丁寧な方だったが、少し読解力に不安があり、お祈り。
現在、マッチングする五大都市に出るまで5,6時間かかる僻地勤務なこともあり、4月の都市転勤まで活動休止することにする。
好奇心が強い。個性と呼べる程度には多分強い。したことないことなら法と健康の許す限りは一度はなんでもしてみたい。多様性信者。
自発的な行動力は弱い。だらしない。自分を律するのは苦手。他人のためなら頑張れる。
ASD傾向がおそらく強い。こだわりを自覚し、できる限りそれを崩す努力を重ねたい。意図せぬ心無い発言をしてしまい怒らせてしまうことが多々あった。2度目は繰り返さないように注意するが、基本性能がある程度ポンコツ。
年賀状などが非常に苦手。これで伝われ私の特性。準備して書けばいいだけなのに1ステップ1ステップできない。やるとなったらガッとやる。
ASD傾向といいつつも表情はどちらかというとある方かもしれない。笑顔が印象的らしい。不満がある時は眉間に寄せた皺によく指を当てられた。
政治思想は保守リベラル。安倍派や維新を憎んでいるが基本はてブでしか毒は吐かない。
ボケることが多い。ツッコミは下手。コミュニケーションはそれほど得意な方ではなく、慣れてはいないが、おそらく当たり障りのない感じ。慣れるとよくボケる。
課題解決能力は高めを自負。国総も受かったがノンキャリ志向(当時)で一般入り、専攻異なる異業種だったが関連学会入って一年で賞とれたりはした。
容姿や清潔感は自信がない。相手の好みに合わせたいが、ファッションセンスもないので指示待ちになる。それなりに無難かなと思うシャツを外界との接続用に用意してる。仕事は無個性なシャツとスラックス。
業務繁忙期には過食して太ったり、閑散期にはランニングして標準体型に戻ったりしてる。63-68kg。過去の推移は基本ふくよか。
半額惣菜大好きで守銭奴な傾向があるが、使う時は一気に使う。特に新しい体験(主に飯)と子には金かけたい。
マナーやエスコートが苦手。経験値不足を補う学習コストを払いたくないというバイアスもあるが、本心からやることなすこと素で行いたい(ASD…)。奢らないとか道路側歩かないとかそういうわけではないが、善意にタダ乗りしようとする人を避けたい。婚活はスーツでラウンジで、みたいな型は、楽なフォーマットではあるもののそれが相手の本性を隠す気がして、乗り気になれない。やってみたらやっぱそれが楽なのかもしれないが。
……不要な情報も多い気がするな。長文書いてしまう傾向あり。捨てられないタイプ。
求める相手
友人の奥様が、たわいのない会話から政治の話まで中立なのに中身のあるお話方をされてて、羨ましいと思った。
非常に雑な言い方をすると、頭の良い方とお付き合いしたいと思った。でも、ペーパーテストが苦手な人でもコミュニケーション能力が凄まじく高い方はいるし、無償の愛を注ぐ力がある方はもうそれだけで素敵すぎる。一方で、例えば医者とマッチングしたことあるが、お医者さんなんですねとコメントしたらレッテルで人を判断する差別主義者と罵られたことがあり、色々擦れてるんだなと同情しつつもこのような短気短絡は好ましく思わない。頭が良いの範疇が不明瞭だ。
何かしらの専門性に長ける方だと嬉しい。博物学でも、看護でも、イラストでも、ファッションでも、スポーツでも。何かしら誇りを持って極めている人、自分にはないものを持っている人は尊敬する。ただ、今までお付き合いした方々もみなそういった素敵なところがあり、基本、人は深く付き合ったらどこかしらそういうポイントが現れてくる気がする。このスクリーニングは機会損失を生むだけな気もする。
容姿にこだわりはないが、自分のことを棚に上げてばつが悪いが、健康であると嬉しい。
資産運用の価値観(結婚前の資産はお互いが好きに使う)が合う人、転勤族との結婚がOKな人は優先度高い。私がr>g教と心中するの許してくれると嬉しい。転勤については帯同・単身赴任の他に、リスク許容度に応じて転職も視野に入れたい。
子供できても夫を嫌いにならない人と結婚したいが、これは見分け方・結婚後の自分の身の振る舞いも含めてどうすればよいのか不明。
お金はあればあるだけ選択肢が増えるのである方と付き合えると少し嬉しいが、そのスクリーニングで機会を損失することは避けたい。
討論を嫌わない人だと嬉しい。私は父とよく討論をし、おかげで多少弁が身についたと喜んでるが、母からはよく煩わしいと怒られた。子供と真面目な話をするのをやめさせられると悲しいので、できればその辺りの価値観合う人だと嬉しい。……これはどうやったらスクリーニングできるんだろうか?
ゲームを一緒に遊べる人だと嬉しい。共通の趣味を過ごしたい。テレビゲームでもボードゲームでも探鳥でも温泉でも鑑賞でも。よかったらスプラトゥーンしたい。
ダジャレとか韻踏んだりとかシュールな自虐とかを笑ってくれる人だと嬉しい。……こういうのは求めるとは違うか。別にこの辺あわなくても他のところであえばそれでいいし、無言の時間を仲良く過ごせれたらそれの方がほんとに嬉しいし、結局は相性の話かもしれない。それは会って話をして探るものか。
優先順位がつけられていない。端的に表すなら私は何を求めているのだろうか?
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引き寄せの法則では、意識や思考が現実を創造するとされています。貨幣経済は、人類の集合意識が「価値を交換しやすくする仕組み」を求めた結果、生まれたと考えられます。
貨幣は、もともと存在しなかった概念であり、人々の意識の中で形成された「抽象的な価値観」が具体化したものです。これは、引き寄せの法則における「思考が現実を具現化する」というプロセスそのものと言えます。
- 貝殻や石のような自然物が貨幣として使われたのは、それが価値を象徴するという意識が共有されたから。
- 金や銀が貨幣となったのは、それらが美しさや希少性の象徴として人々の意識を引き付けた結果。
貨幣経済の根本には、「豊かさ」への願望があると考えられます。人々が持つ「自分の価値を他者と共有したい」「もっと便利に生活したい」という意識が、貨幣経済の仕組みを引き寄せました。
- 人々が「自分の価値を交換したい」と望んだ結果、貨幣がその媒介として出現した。
- 経済システム全体は、より多くの人々が豊かさを得たいという集団的な意識の反映。
引き寄せの法則では、波動が似たもの同士を引き寄せるとされています。貨幣経済の拡大は、まさにこの「共鳴の法則」に基づいています。
- 初期の貨幣(貝殻、石、金属など)が人々の意識を引き付け、価値の基準となる。
- この価値の基準が広く共有されることで、多くの人々が貨幣を受け入れるようになり、システム全体が拡大する。
貨幣経済は、引き寄せの法則の原則を社会全体で活用できる形にした仕組みとも言えます。
- 貨幣は抽象的な価値を具体化し、それを自由に交換できるようにすることで、人々が望む現実を引き寄せる手助けをする。
- たとえば、「欲しいものを手に入れる」という願望があれば、貨幣を媒介にしてそれを実現できる。
貨幣経済の進化(物々交換→貨幣→紙幣→デジタル通貨)は、引き寄せの法則がさらに抽象的で効率的な形に進化していることを示しています。
- 初期の貨幣: 具体的で物理的な価値の象徴(貝殻、石、金など)。
- デジタル通貨: 完全に抽象化され、意識的な価値付けが直接反映される。
貨幣経済そのものが、以下の理由から引き寄せの法則による創造物であると考えられます。
1. 意識が物質を作るプロセス: 人々の価値観や願望が、抽象的な「貨幣」という形で具現化した。
2. 集合意識の結果: 貨幣経済は、人類全体が共有する「効率的な価値交換を望む意識」の結晶。
3. 引き寄せの拡大と応用: 貨幣が進化する過程で、引き寄せの法則の適用範囲も広がった。
4. 豊かさの媒介: 貨幣は、豊かさを実現するためのツールとして、引き寄せのプロセスを支える役割を果たす。
貨幣経済は単なる人類の発明ではなく、引き寄せの法則が集団的に働いた結果生まれた「創造的システム」であると言えるでしょう。
この記事は、著者が新卒2年目で退職するエンジニアのAさんに向けて、これまでの業務を通じて感じた強みと弱みをフィードバックし、今後の成長のためのアドバイスをまとめたものです。
Aさんの強み:
• 知的好奇心が強い: APIの調査などで、疑問を持ち納得いくまで調べる姿勢が見られます。
• 気合と根性がある: 与えられた仕事に対して、あきらめずにやり切る力があります。
• 思ったことをちゃんと言える: 上司に対しても臆せず意見を述べることができる点が評価されています。
Aさんの弱み:
• 他者と働くための素養が未熟: テキストコミュニケーションやタスク配分など、他人と協力して働くための技術が不足しています。
• 自分を飼い慣らせていない: 強みを自覚しておらず、整理してアウトプットに移す手際の良さが欠けています。
• 視野が狭い: ミクロな視点に偏りがちで、全体を俯瞰する視点が不足しています。
• 読書を増やす: インプットが不足しているため、先人の知識を学ぶことで視野を広げ、効率的な問題解決が可能になります。
• 自然界の制約を意識する: 人間の生理的な限界を理解し、適切な休息や生活習慣を整えることで、メンタルの安定と生産性向上を図ることが重要です。
• 相手の視点で考え、相手の言葉で話す: 他者とのコミュニケーション能力を高めることで、チームでの仕事がより円滑に進みます。
順位 | はてブ数 | リンク | 備考 |
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星野源の音楽は、ブラック・ミュージックからの影響を受けつつも、常に新しい音楽作りに挑戦しています。
彼の楽曲は、ポップ、ソウル、ゴスペルなど、幅広いジャンルにまたがっており、その多様性が大きな魅力となっています。
PC電源も同様に、様々な電圧(12V、5V、3Vなど)を供給し、異なるパーツに適した電力を提供する必要があります。
星野源の音楽は、複雑な社会への不安に抗しつつ、現実を豊かに彩るメッセージを含んでいます。
彼の楽曲は、聴く人に希望を与え、効率的に感動を伝える力を持っています。
高品質なPC電源、特に80PLUS認証を受けたものは、高い電源変換効率を誇ります。
これにより、電力の無駄を減らし、PCの安定動作と長寿命化に貢献します。
PC電源も技術革新を重ね、より高効率で静音性の高い製品が開発されています。
新しい規格や認証制度の導入により、常に性能向上が図られています。
両者とも、それぞれの分野で多様性、効率性、革新性を備えており、