はてなキーワード: フリーとは
地上波の歌番組とかアニメのタイアップとか、そういうのにVTuberが起用されると言う人いるじゃん。
「Vとかいう絵畜生」「イラスト被せただけの素人」みたいなの。
Vは好きでも嫌いでもないので否定も賛同もしないけど、こういう考え方の人たちにとってプロと素人の違いってどこにあるんだろうっていつも思う。
声優をアーティストに置き換えても成立するけど、このへんのどれならプロでどれが素人ってことになるの?多分いちいち調べたりしないし、そこまで考えて言ってないよね?
そこそこちゃんとした事務所に所属してる声優がVやってるパターンなんて数えきれないほどある。
有名アイドルコンテンツの役を勝ち取ったけどそれ以外で芽が出なくて企業Vとしてバリバリ稼いでるけど声優事務所にも籍は残してる人とか。企業Vやってたけど声優として人気が出てきてV引退した人とか。
「好きなアニメの主題歌が知らないアーティストだった」の「アーティスト」が「VTuber」に置き換わった時だけ生まれる嫌悪感そのものは否定しないけど、「素人だから」を理由にするのはズレてるんじゃないのかと思った。
別に嫌いなものを嫌いな理由をいちいち紐解いて言語化する必要なんてないと思うけど、外野からはそう見えたよっていう疑問でした。
スマートフォンが主流になって久しい。街中を見れば老若男女関係なく、誰もが同じような長方形の端末を手にしているし、電車に乗ればみんな下を向いてSNSやらゲームやらに没頭している。いや、それ自体を否定するつもりはないんだ。だけどさ、本当にみんながスマートフォンを必要としているのかなって思うことはある。いまやスマホの機能はパソコンをも凌ぐものになってきているけど、それって果たして全員にとって必要不可欠なのだろうか。そもそもガラケーで事足りる人って、意外と多いんじゃないかと思うんだよね。
そりゃ、便利だよ、スマホは。アプリを入れれば何だってできるし、SNSだって投稿が簡単にできる。動画も地図もあれこれ全部一つの端末に詰め込んで、ポケットに入れて持ち運べるなんて、かつてのパソコン時代やガラケー時代から比べたら夢のようだ。それに加えて大容量のデータ通信が可能なプランを契約すれば、外でもガンガン動画を観られるし、リアルタイムでのやり取りもスムーズ。そういう意味では、確かにスマホはすごい。でも、その“すごさ”を真に活用できている人がどれほどいるのかは、ちょっと疑問だ。
たとえば、メールと電話、それにちょっとしたSNSやブラウザ検索くらいができれば十分という人は少なくないはずだ。その程度の用途なら、別にガラケーでもいいんじゃないの? と思うわけ。必要最小限の機能を備えていれば、そもそも「ネットが重い」「アプリが落ちる」「OSがバージョンアップできないからアプリが使えない」といった煩わしさとは無縁だし、バッテリーも長持ちする。なんせガラケーなら2〜3日は充電しなくても平気だ、なんてこともザラにあるからね。スマホだと日常的に毎晩充電しなきゃいけないから、その手間を考えるとガラケーの利点もやっぱり大きい。
もちろん、スマホにはカメラ性能が高いとか、決済機能があるとか、生活を快適にするいろいろな便利機能が詰まっている。でも、カメラだって一眼レフやデジカメを持っている人からすれば、スマホカメラじゃ満足できないこともあるはずだし、逆にスナップ写真くらいしか撮らない人ならガラケーのカメラで十分事足りる。決済についても、スマホ決済が便利なのは間違いないけど、クレジットカードや交通系ICカードがあれば大抵の場所で用は足りるんだよね。結局、なんでもかんでもスマホに集約して「スマホがないと生活できない」状態になるのは少し危うい気さえする。
思えば、ガラケーと呼ばれる前の時代は、みんなが当たり前にあの二つ折りやスライド型の携帯電話を使っていたわけで。それでも社会は動いていたし、人間関係だってきちんと成り立っていた。実際、あの頃は電話とメールだけでコミュニケーションが十分成立していたし、インターネットをしたいならパソコンを使えばよかった。そして何より、ちょっとしたネット閲覧や着うた・着メロのダウンロードには、ガラケー専用のサイトが用意されていたから、それを不便だと感じていた人は今ほど多くなかったんじゃないかと思うんだ。
そう考えると、やっぱり「ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?」と思うこともある。だって、通話とメールが使えれば連絡は取れるし、カメラも簡易的な撮影には不自由しない。さらに、多くのガラケーにはストラップを付けられる穴があって、そこにお気に入りのキャラグッズをぶら下げてアピールする楽しみ方なんかもあった。いまのスマホには、そういう「ケータイの個性化」を楽しむ余地が薄い気がするんだよ。スマホケースやカバーで差別化するっていう人もいるけど、昔のようにジャラジャラとストラップをぶら下げる感じとは違うんだよな。
ときどき言われるのが、「いやいや、いまの世の中はLINEでのやり取りが必須だから、ガラケーじゃ不便でしょう」という意見。でも、それって本当に全員が必要かな? たしかに仕事やサークル、あるいは家族・友人のグループチャットで情報を一斉共有したり、スタンプでカジュアルにコミュニケーションしたりするのは楽で便利だ。でも、電話やメールじゃダメなの? 昔はそれでやりくりしていたわけで、無理にLINEに縛られる必要はないんじゃないかと思う。もちろん「いや、仕事でどうしても必要なんだ」っていう人はいるだろう。そういう人はスマホを使えばいい。でも、誰もが「LINE至上主義」に合わせている現状に、ちょっと違和感を覚えるのも事実だ。
もっと言えば、「そんなにインターネットがしたかったらiモードもあるし」と言いたくなることだってある。そう、ガラケーにはiモードという独自のネット接続サービスがあって、昔はあれで天気予報やニュースサイトを見たり、ちょっとした調べごとをしたりしてたわけだ。いまはさすがに対応サイトが減ってしまったかもしれないけど、それでも基本的な情報収集ならできなくもない。「スマホじゃなきゃネットができない」わけじゃないんだよな。
とはいえ、世の中にはガラケーを愛用しつつも、必要最低限の用途だけスマホを使う「2台持ち」という人もいる。スマホは持っているけど通話はガラケーでする、みたいなスタイルだ。これってわりと理にかなっていて、ガラケーは通話用にバッテリーが長持ちし、スマホはSNSやアプリ専用と割り切ると、余計な通知に煩わされることも減る。料金プランをうまく選べば、そこまでコストも高くならないから、案外「スマホ1台より2台持ち」のほうがストレスフリーという人だっているわけだ。
ただ、「ガラケーとスマホを両方持つとか、管理が面倒くさい」という声もあるだろうし、そもそも二台持ちが一般的になると、街中で両手に端末を持って歩くようになるのかな? なんて想像すると少し滑稽でもある。そこまでしてガラケーにこだわらなくてもいいじゃないか、という意見があるのも理解できる。でも、一部のガラケーユーザーにとっては、あの折りたたみの感触や物理ボタンの打ちやすさ、そして着信音を選ぶ楽しみなんかが、今でも捨てがたいんだろうなって思うんだ。
ガラケーの物理ボタンは、スマホのタッチスクリーンにはない魅力があると思う。画面を見なくても、手探りでボタン操作ができるし、押した感触がハッキリしている。メールを打つにも、慣れればかなりのスピードで文字入力ができるから、指先が画面を飛び回るスマホよりも誤操作が少ないという人もいる。実際、ガラケー世代の人間からすると、あのテンキー入力のほうが「身体に染み付いている」感覚があって、スマホのフリック入力がどうにも馴染まないなんて話もよく聞く。だから、使い勝手という面では、ガラケーを「機能が少ない」と一蹴するのは早計だという気がする。
また、ガラケーには折りたたみやスライドなど、端末自体の形状にバリエーションがあった。そのせいか、端末のデザインにも個性が感じられたものだ。カメラ部分の形が凝っていたり、アンテナが伸びるタイプだったり、質感も金属やプラスチックなど機種ごとに違う。自分の好みや使いやすさに合わせて端末を選ぶ楽しみがあった。スマホは基本的に「大きなタッチ画面がどんっとある長方形」という形状が大半だから、デザイン的な違いはあっても機能面はほとんど似たり寄ったり。文字通り“画一化”している印象が強い。
カバーやケースを付ければ見た目も変えられるし、画面上の壁紙やアイコン配置で多少の個性を演出できる。でも、ガラケーの時代にあったワクワク感、たとえば「次はどんな機種を買おうかな?」みたいな楽しさは、スマホ時代とはちょっと違う。「新作スマホが出た」と言われても、画面のサイズやベゼルの細さが変わったくらいで、そこまで大きくは変わらない印象がある。もちろんカメラ性能やCPUの進化もあるんだけど、日常的にそこまで性能を使いこなす場面がない人にとっては、あんまり魅力を感じない場合もあるだろう。
それに、スマホはついつい「時間泥棒」になりがちだ。SNSをちょっと見るだけのつもりが、いつの間にか1時間も経っていたとか、寝る前にスマホを触っていたら気づけば深夜になっていたなんて話は、ザラにある。ガラケーだと、動画視聴やSNSのタイムライン閲覧はそこまで快適とはいえないぶん、長時間だらだら触り続けるということはあまりない。そもそも画面が小さいから、がっつり見るには不向きだし、ネット料金が従量制だとしたらむやみに使えないという制限がある。そのおかげで、自分の時間を無駄にしすぎない、という利点すら感じることがある。
「ガラケーの時代には戻れない」とよく言われる。確かに通信インフラや社会の仕組みがスマホを前提とした形に急速に変わりつつあるから、一人で頑固にガラケーを使い続けるのは不利かもしれない。銀行のアプリや役所関係の手続きなんかも、スマホ前提で設計されていたりして、ガラケーだけでは対応できないことも増えている。そこはちょっと残念なところだ。時代の流れに逆行するとなると、どうしても不便を甘受しなきゃいけない部分が出てくるのは仕方ない。
でも、その不便を受け入れてでも「ガラケーだけでいい」と思う人がいるのは、やっぱりそれなりの理由があるんじゃないか。何より、常に最新のSNSやアプリの動向を追う必要がないし、スマホをいじりすぎて疲れることも減る。コミュニケーションや情報収集に追われないから、心に余裕が生まれるかもしれない。実際、スマホをやめてガラケーに戻した友人が、「今までSNSやブラウザの更新ばかり気にしていた時間を、ほかのことに使えるようになった。すごく楽になったよ」と言っていた。まさにデジタルデトックスの効果だろう。
さらに言えば、ガラケーを持っていると周囲から興味を持たれたり、「まだガラケー使ってるんだ」と話のネタになったりすることもある。ひと昔前には、最新のスマホを持つことがステータスのように扱われていたけれど、いまはみんなが同じようなスマホを持っているから、逆にガラケーのほうが個性として面白がられるんだ。「なつかしい!」なんて言われると、そこから会話が広がったりして、それはそれで悪くない。
もちろん、ガラケーの提供を続けるキャリアもどんどん減っているし、新品の端末を購入するのは難しくなってきている現実がある。将来的には4G・5Gの通信環境に完全移行して、ガラケー時代の通信方式が廃止される可能性もある。そのときは、事実上ガラケーが使えなくなるかもしれないし、いわゆる「ガラホ」と呼ばれる、ガラケー風のAndroid端末に移行するしかない時代が来るかもしれない。とはいえ、今すぐに「ガラケー文化がすべて滅びる」わけではないだろうし、それまでガラケー愛好家はしぶとく生き残るはずだ。
結局、「スマホとガラケー、どっちがいいか」っていうのは、その人の使い方や好みによる。スマホが便利で手放せないという人もいれば、ガラケーのシンプルさがちょうどいいという人もいる。世の中にはいろんなライフスタイルがあっていいはずだから、無理に合わせる必要はないと思う。誰かが「スマホを使ってないなんて遅れてる」と言ってきても、それを「押し付けがましいなあ」と聞き流すくらいの心の余裕があればいい。結局、自分が何をしたいかが重要なんだから。
もし「周りがみんなスマホだから自分もスマホにしなきゃ」と思っているだけで、本当はそんなにSNSやアプリを使わないという人がいるなら、思いきってガラケーに戻すのも手だと思う。通話とメールだけならガラケーのほうが圧倒的にバッテリーも保つし、料金も抑えられるかもしれないし、「端末をどこかに置き忘れても、スマホほど重要な情報が入ってないから不安にならない」なんていうメリットだってあるだろう。「みんなと同じだから安心」じゃなくて、「自分の必要な機能がちゃんとある」ことこそが大事なんじゃないか。
もちろん、スマホが悪いわけじゃないし、ガラケー至上主義を唱えたいわけでもない。ただ、「必要以上にスマホを使って疲れちゃうくらいなら、ガラケーで十分なんじゃないの?」という提案をしたいだけなんだよね。実はわたし自身、仕事用スマホとは別にガラケーをサブ機として使っているんだけど、やっぱりガラケーをパカッと開いてガシガシと文字を打つ感覚は良いもんだよ。慣れ親しんだ操作性と、あの独特の押し心地には、どこか安心感がある。電車でスマホの通知に追われずに済むのもストレスが少ないし、本を読んだり音楽を聴いたりする時間が増えた気がするんだ。
そういうわけで、ガラケーという選択肢は決して時代遅れのものではない、と声を大にして言いたい。機能の充実や最新テクノロジーに目を奪われるのも悪くはないけれど、シンプルに生きるための道具としては、いまだガラケーは捨てがたい魅力を持っている。もしあなたが日常のほとんどをスマホに奪われていると感じるなら、一度ガラケーで過ごす日常を思い出してみるのもいいかもしれない。通話とメール、それに少しのネットがあれば不自由しない生活に戻るのも、ある意味では豊かな選択なのではないだろうか。
繰り返すが、「ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?」とまでは言わなくても、ガラケーで十分足りるような人もたくさんいるんじゃないか。昔みたいに、キーボタンをカチカチ押しながら、「そうそう、あれこれこうだよね」とメールを送るのだって味わい深い。意外と悪くない、というかむしろ懐かしくて温かい気持ちになれるかもしれない。少なくとも、ガラケー派の人たちを「時代遅れ」とバッサリ切り捨てるのはもったいない話だと思うんだ。最新のスマホだけが正解じゃない。だからこそ、みんなが自分にとってベストな形で“ケータイ”という道具を選べる社会であってほしいと思う。
もしあなたが、いつの間にかスマホでの習慣に疲れているなら、こう考えてみてはどうだろう。「ケータイって何のためにあるんだろう?」と。連絡手段として割り切るなら、ガラケーこそ理想的な答えかもしれない。もちろん人によっては、「やっぱりスマホがないと生活が成り立たない」という人もいるだろう。それでいいんだ。それこそ「自由」じゃないか。だから、「スマホが当たり前」という常識に縛られず、自分に本当に必要な機能がどれくらいなのかを見極めるのが大事。いまの時代だからこそ、逆にガラケーを見直す価値があるんじゃないかと思う。
最終的には「そんなにインターネットがしたかったらiモードもあるし」、通話とメールで十分ならガラケーでもいい。そこにプラスアルファでスマホを持つか持たないかは、個人の自由。要するに、スマホ一辺倒の世の中だからといって、ガラケーを諦める必要はないんだよね。わたしはそう信じている。あなたのケータイライフに、少しでもガラケー復権の可能性を感じてくれたら、これほど嬉しいことはないよ。
こんなこと書いたら一部の人は発狂しそうだけど、女を通貨にして回ってる界隈が日本の上の方にあんのよ。まぁ正確には「あった」かな。昔の話になったから、最近上納システムがスキャンダルとして出るようになっただけ。
基本上から。血筋の良い政治家や官僚や企業の創業者、旧財閥あたりは、血族同士で女を交換し合って結束を高める。小学生でも許嫁とか普通。
芸能界とテレビは女を差し出しあったり上納して金玉握り合ってた。男同士で。女を介してね。
稀に男同士もあったみたいだけど。
堅い会社だと女の子はいいとこの子でお嫁さん候補だとか、上司が仲人したりとか昔はあった。
そゆしがらみから外れたのが、フツーの幸せな結婚てやつで。そこまでフリーって事は上の階層じゃなくて後ろ盾や旨味がないって事だからね。
日本全体が傾いてるので相互の旨味が消えて女のやり取りってのは珍しくなったけども、基本は人間なんて部族で、羊か女かをやりとりして金玉握り合ってんのよ。しょーもな。
フリーレンっておばさんじゃないの?
例を挙げる。
今みた限りだと16程の星が付いていて注目コメント入りしている。
内容は回想で弟子入りした男性キャラが一級試験合格の特権に何が欲しいかと聞かれたときの応答の一部だ。
自分は「ん?ゼーリエの声優死んでたっけ?フランメの声優だけじゃなかったのか」
と思うくらいで特に何とも思わなかった。
勿論この「ゼーリエの声優が死んだ」というのは嘘だ。こんなあからさまな嘘に騙されるなんて、と書いた奴は笑いが止まらないだろう。
確かに田中敦子が死んだのは知ってる。その訃報聞いたときは、最近の訃報の中で始めて心を動かされた。
にもかかわらずこんな嘘にも気づけなかった。
しかし、このような感情に訴えかけるエピソードは時として真実よりも、「本当のこと」として語られやすい。
自分も指摘入るまでボンヤリとそんなこともあるかと思い、検証すらしてなかった。
昨今流行りのSNSで煽動されて斎藤都知事を応援してる奴やトランプを応援してる奴を笑えない。
本当にバカだ。
こんなバカなことは自分はしないとご大層に上から目線で語ってて、騙されるバカと同じだ。
追加:
俺の貴重な正月の時間を食いつぶしたゲームの話を聞いてほしい。
はるか昔に○ァイナル○ァンタジーというゲームがあって、それを作っていた人の最新作(?)というRPG。
最新シリーズも手を出してみたりはしているのだけど、説明不足な独自用語や俺の考える最強のモテ仕草みたいなのが頻発して全くついていけずに投げ出してしまうことがほとんどだった。
自分としてはクリスタルが主題の5までが好きだったんだけど、その頃やたらと名前が出ていたプロデューサーが手掛けた作品ということで気にはなっていた。
それでこの正月の時間をつかってやってみたのだけど、一応60時間かけてクリアまではしたものの、もう二度と起動する気持ちにはならないほどにクソだった。
口コミなんかを見ると操作性についての悪い評価は見られるものの、その辺はまだまだ序の口。
前半はまだなんとか楽しかったものの、とにかく後半がずっとクソ。
※ネタバレあるかもなのでこれからやろうという人は読まないほうがいいかも。責任は負いません。
後半は色々な要素が開放されてフリーシナリオになるんだけど、基本的に全然フリーじゃない。
その理由はいくつかあるものの、大きな理由としては1つ目のクソ要素、疑似レベルキャップシステム。
まず35レベルのときに最初のキャップ、取得経験値大幅減少がある。(必要経験値大幅増大かも)
それまでのボス戦は、きついなって思ったら雑魚と何回か戦ってレベルを上げてから望めばなんとかなったんだけど、レベル35をすぎると何十回(敵の数でいうと千体以上)と戦わないとレベルが上がらなくなるので、必然的に今の強さでボス戦に挑むことになる。
これによって結局行けるところが限られるので、全然フリーな感じがない。
それ以降もさらにこのあとひたすらボス戦が続くんだけど、そのボスを倒して次のエリアに進んでもまた一定レベルまで上がると急に減速するようになってて、毎回ボスとはギリギリのレベルでしか戦うことができない。
そのせいで、基本的なゲームの流れが、ギリギリのレベルで勝つ→次のエリアに入ったらレベル上げをする→ギリギリのレベルで勝つ→次のエリアに入ったら、、、というクソみたいな繰り返しになる。
様々な状態異常無効アイテムや属性耐性アイテムがあるのだけど、そういうのをちゃんと装備してないとまともにボスと戦えないようなシステムになってる。
更にクソなのは、そういうシステムを採用しているくせに戦闘中は装備を変更できないところ。
例えばボスキャラが毒を垂れ流して、自分のターンごとに毒に侵される攻撃を仕掛けてきても、毒無効の装備に変えることができない。
さらに解除のスキルはあっても戦闘中に無効にするスキルはないので、つまり、装備を変えるために戦闘をやり直す必要がある。
今までのRPGって、「そういう装備があると楽に倒せる」程度の要素だったのに、このゲームは「しないと詰む」ような作りになってる。
そういった適切な装備をした上で、さらに適切なメンバーで戦わないとまず勝てない。
例えばターンを見誤って間違った行動を一つしただけで終わりかねない感じ。
さらにレベルキャップとの兼ね合いでボス戦前にレベル上げができなくなってて、どうしたってギリギリの戦いを強いられるようになっている。
そういうのは低レベルクリアとかを目指す人がやるものであって、カジュアルゲーマーは望んでないのよ。
これだけ聞いたらやりがいがあるって思えるかも知れないけど、さらにクソなのがボスの数。
3つ目のクソ要素、ボス多すぎ。
レベルキャップのせいでゴリ押しもできず、適切な装備、適切なメンバーで適切な行動をしないと勝てないようなボスが、後半だけで30体近くいる。(クエスト合わせるともっともっといる)
しかも事前情報では正しい装備を把握できるわけもなく、戦ってみて致命的な行動をくらったら死ぬかゲームをリセットして装備の入れ替えやメンバー変更、適切な行動選択を試行錯誤するの繰り返し。
さらにどのボスの体力もかなり多めに設定されているので、ボス戦一つだけで20分は普通にかかる。
あと一歩のところで行動パターンがいきなり変わって全滅なんてことはざらで、そのために装備を変えると火力が落ちてさらに時間がかかったりする。
結果的に最適装備も最適メンバーも最適行動も、答えが一つみたいな感じになってくる。
死に覚えゲーのくせに自分なりの攻略の幅とかほとんどなくて、全くの手探りで相手の答えを探すっていうクソみたいな展開にしかならない。
攻略サイト見て、事前に不足している装備を手に入れて、必要なメンバーに必要なスキルを覚えさせて、あとは書いてあるとおりに戦うだけ。
その通り戦えば確実に勝てるのだから、後は時間かけて山程残っているボスを倒せばいいだなんて、なんて素敵なゲームなんでしょう!
さらにこのボスを倒すにはこのスキルや装備が必要で、それを手に入れるにはこのボスを倒す必要があってと、もっと有効な手段もあるけどレベルキャップのせいで今はそのボスは倒せなくて、と、結局フリーシナリオでも何でもなくて最適ルート一択。
それも手伝って、後半はずっと攻略ページを開きながらのプレイ。
それでもボス戦はギリギリで、最後の最後にアドリブが必要になったりもするのだけど、それが別に手に汗を握るかというとそうではなくて、うざいだけ。
死んでやり直しになろうものならコントローラーぶん投げるくらいには腹が立つ。
ニートみたいに死ぬほど時間があるなら別かもしれないけど、貴重な正月休みの時間を削ってやってると、ずっとストレスにしかならない。
それでもなんで続けたのかと聞かれると、自分でもよくわからない。
ストーリーや登場キャラが良かったんじゃないかって思ったそこのあなた、ハズレです。
古い。とにかく展開が古い。
「何も知らないプレイヤーと同じ目線になれますキリッ」みたいな感じが溢れすぎて、恥ずかしい通り越して虚無。
主人公はずっとハーレムだし、作られたピンチに作られたギリギリ演出でまったく手に汗をかかないし、とにかく異世界設定がガバガバ。
要するに幼稚。
なんかもうずっと背中のあたりがむずむずしてた。
おそらくは、最後までプレイした一番の動機は訣別だったのだと思う。
今過去作品やってみたら当時は気にならなかった設定のガバガバさとかもかなり感じるんだろうなって思うと、それはもう自分のせいだよなって思う。
そういった期待にもう二度と裏切られないために、自分で最後までプレイしすることで「やっぱりね」って訣別したかったのかなって。
ゲームがクソというと主語がでかいけど、自分には最後まで合わなかったです。
興味があって、そういうの耐えられるしむしろ好きっていう人は是非。
「三大~」「教えて系」「ネタがすぎるやつ」「挙げてけ系」「政治」みたいなのは除外
抜けてるNoは削除されてた投稿
被炎上側が炎上した事実を認めることになり、訴訟や誤報のリスクがなくなるためマスコミも挙って報道し始め、さらなる拡散、延焼に繋がる。
引き続き2024年、炎上しても謝罪せず見事鎮静化に成功した事例を振り返っていこう。
こしあんというXユーザーが、モデルハウスの階段からネジが飛び出しているのを見つけて写真を投稿。
その後1月27日、こしあん氏は自宅にタマホーム社員がやってきて投稿削除を迫られたと投稿。タマホームの対応が批判される。
タマホームは過去に何度も炎上したことがあり(社長反ワク、風俗レビュー、パワハラセクハラ証言)、それも掘り返され批判された。
2月2日、タマホームはこしあん氏に損害賠償請求の準備をしていると表明。
2月6日、タマホームはこしあん氏と和解が成立したと発表、同時にこしあん氏も謝罪文を投稿した。
個人に圧力をかけて黙らせたとも取れる対応が引き続き批判されたがその後の進展はなかった。
3月頃、サシハラスメントと称して嫌がる素振りを見せる未成年の後輩アイドルにキスしたり、
松本人志の性暴力報道について「何年前であっても被害者の気持ちには関係ない」
という旨のコメントをしていたこともブーメラン的な材料として扱われた。
しかし指原サイドは全く反応せず何も影響なし。
3月23日、大学の卒業間際で単位不足が判明し、教授に泣きついて救済措置をしてもらった自身のエピソードを投稿。
過去に出身大学を明かしていたこともあったため、単位の不正取得だなどの批判が相次ぐ。
3ヶ月ぶりの更新ではテレビ番組「ジャンクSPORTS」アカウントで使われたPRイラストをリポスト。
12月には書籍イラストの実績を告知、この頃には粘着も居なくなっていた。
4月3日、本人公式Xアカウントが突如「水瀬いのりさんの注意喚起が読めないバカ」と投稿。
これは暴言や他声優に対する中傷が問題視されていたドヤコンガというユーザーとそっくりな文体であった。
ドヤコンガが過去に関係者しか知りえない情報や水瀬本人の特徴と合致する内容を投稿していたこともあり、
水瀬いのり(あるいは関係者)はドヤコンガで、件の投稿はアカウントを間違えて誤爆したのではないかという疑惑が浮上した。
ドヤコンガという名前がキャッチーだったせいか声優オタク以外にも拡散されたが本人は沈黙を貫き、活動に影響なし。
6月、同県警の野川明輝本部長(当時)が署員の犯罪複数件の隠蔽を指示したという内部告発があった。
さらに告発者を守秘義務違反として国家公務員法で逮捕するなど、県警の隠蔽体質が批判された。
記者会見に現れた野川本部長は隠蔽を否定、警察庁も隠蔽疑惑についてコメントを避けた。
全国ニュースで報道された時の瞬間風速こそあったものの、およそ1週間後に兵庫県斎藤元彦知事の件が大きく報道されるようになった影響で
こちらはあまり取り沙汰されなくなりネット上で話題に挙がることもなくなった。
11月、野川本部長は警察庁へ転出。その後も県警は一貫して隠蔽を否定し続けている。
7月7日、朝日新聞デジタルが『「子どもの少ない人は反省を」笹川尭元総務会長が自民会合で発言』と題した発言録の記事を配信。
諸事情で子供を作れない女性や家庭への差別発言だなどと批判される。
この記事は他のニュースサイトにも配信されそこそこ拡散されたが関係各所からの反応はなかった。
7月29日、人気配信者コレコレが自身に届いたタレコミを紹介。
それは、お笑い芸人アインシュタイン稲田が、インスタグラムのDMを使い番組の企画を騙って複数の女性に性的画像を要求していたという内容であった。
稲田はアカウントの乗っ取りだとして否定するも、画像要求後もインスタグラムが本人によって更新されていたことが指摘された。
その後進展はなく、彼のテレビ出演にも影響はなかった。
8月11日、動物写真をAVのパッケージ風に編集した2017年12月水族館Xの画像投稿が5chユーザーによって発掘される。
これを見たと思われるXユーザーが取り上げたところ一部界隈に拡散され、気持ち悪い、女性への恐怖を煽るなどと批判される。
画像の加虐的な文言や、当時に印刷物を水族館内で掲示・販売していた様子もあったためその点も批判された。
水族館はXの更新を1週間停止(平時は2~3日間隔で更新している)、その後何事もなかったように更新を再開。
粘着も現れたが、もともとファンの多いアカウント(粘着してもファンのリプライで埋まってしまう)であるためかすぐに居なくなった。
8月30日、東京ガールズコレクションの共催記念として期間限定で女性の食べ放題料金が半額になるキャンペーンを発表。
この頃、フリーアナ川口ゆり契約解除、しまむら靴下販売中止と男性差別を理由にキャンセル成功した事例があったため、この件も続くのではないかと期待された。
しかし牛角は批判に一切の沈黙を貫き、キャンペーンは無事敢行された。
なおこの件はワイドショーに取り上げられたが各局いずれも擁護する内容であった。
アインシュタイン稲田の件の翌週、フワちゃん「予選敗退でーす」投稿事件があった。
乗っ取りだと主張して逃げ切った稲田と自身の投稿だと認めて謝罪するも干されてしまったフワは対照的で、謝罪しない方が得をすると知らしめた事件と言えよう。
筆者の体感だが、最近は炎上トピックが現れるペースが上がってきている気がする。トピックが増えてきた分、個々の粘着も弱く少なくなるため、
ほとぼりが冷めるまで沈黙するという対処がより有効になっていると感じる。
一方、ランサムウェア感染で話題になった某社の放流された資料を見ていると、炎上対応に関する研修スライドがあった。
炎上したらすみやかに上司に相談してどのようなメッセージを出すか考えよう、という内容だった。
未だ「炎上したら何かしら反応すべし」という風潮は残っている。
2024年は川口ゆり、しまむら、牛角と男性差別を理由とする炎上事案があった。これは筆者の望むものではない。そして見事流れを食い止めてくれた牛角に感謝したい。
これらを批判していた者の多くは、女性差別を理由とした数々の炎上事案に不満を抱えていて、やり返してやろうという意図を持っている。
気持ちはわかる。だがやり返して何になるというのだ。男性差別が許されないとするならばより女性差別も許されなくなるだろう。
私には彼らが愚かな自傷行為をしているようにしか見えなかった。
彼らがするべきは、容認する意思を表明してお互い様だとアピールすることではないかと思う。
usi4444 【答え合わせ】成田悠輔氏、発言を謝罪撤回しなかったら総理大臣からキャンセルを指示されました。おい増田、何とか言いいなさいよ。「首相、老害発言「極めて不適切」 成田悠輔氏巡り」https://nordot.app/1141338079713444084 炎上 増田 これはひどい 成田悠輔
2024/03/16
私の主張は、沈黙していれば無傷で切り抜けられる、という意味ではない。
もし成田氏が謝罪撤回しても過去に問題発言をしたという誹りは免れない。
謝罪の有無にかかわらず「あの人物・企業は過去に○○したような奴だ」と評されつづける。冒頭で述べた通り、謝罪はさらなる拡散・延焼を招くのでやるだけ損なのだ。
謝罪すべき論者は「誠実な謝罪をすれば鎮火できる(だからするべき)」と主張する。理屈は正しいかもしれないが、それは実質不可能な注文だ。
炎上とは炎上側と被炎上側との価値観の違いによって発生するものなのだから、被炎上側がどれだけ頭を捻っても炎上側を納得させる謝罪文を書き上げることはできない。
炎上側を見事納得させた謝罪文の事例をひとつだけ知っている。2021年8月、尾瀬ガイド協会の事例だ。
知らない人、忘れている人はぜひ検索して読んでみてほしい。批判意見を完璧に織り込んだ全く非の打ち所がない謝罪文だ。
【追記】現在検索しても出なくなっているようなのでこちらのURL(InternetArchive)からご覧いただきたい。
そして、これを書ける者が世の中にどれだけ居るか考えてみてほしい。
この文章をわざわざ読んでいるほどの人なら書けるかもしれない。