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はてなキーワード: 筒井康隆とは

2025-01-09

anond:20250108223146

似たような話、半世紀前に筒井康隆が郵性省って作品で書いてる

オナニーテレポートする能力を授かった少年立身出世する、みたいな

2025-01-04

年末年始休み中に見て面白かった地上波テレビ番組

NHKスペシャル 量子もつれ アインシュタイン 最後の謎
内容はいくらなんでもマニアックすぎたが、人生をかけ自身意思を実行する人というのはカッコ良いと思った。
シリーズ徹底討論 Vol.9「宗教政治」 「信教の自由」を問う
素養がないのであんまり理解はできないけど面白い憲法については理解を深めたいと思い続けている。
あけましてねほりんぱほりん2025
ドキュメンタリーと比べてテーマ選定がニッチなところがいいのかな。それを成立させる力量もかな。
皇室一家 新春スペシャル2025
事前に番組表をチェックして見つけた皇室系の番組は基本全部録画予約して見た。妻が好むのもあり。
世界春日プロジェクト ニューヨークへ行く
単純に笑った。前向きになった。
100分de筒井康隆
出演者から情熱を受け取りドキドキした。モノホンオタクはすごい。
マツコ、リアルする
地元感というかリアル感が良かった。こういう刺激的な番組が増えても良いのになと思った。

2025-01-03

筒井康隆小説、ChatGPTに読ませたらBANされそう

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する⑤

【前】anond:20250102174224

2-07「精霊たちの家」 イサベル・アジェンデ 木村榮一訳★★★★

世代女性たちの年代記であり、「百年の孤独」と対比されるんだけれど、こちらのほうがずっと読みやすい。ちなみにガルシアマルケスコロンビア人で、アジェンデチリ人

しかし、女性物語としての記憶は薄れていて、覚えているのは暴君として君臨していた祖父エステバン・トゥルエバのことだ。彼が地元女性強姦して産ませた息子が、因果が回って彼の孫娘を強姦する。因果というか、悪い行いの結果って一番弱い立場の人に最悪のしわ寄せがくる。しかし、孫娘の嘆きや苦痛強姦の苦しみの割にはごく短く語られている。

同じく、よしもとばななアルゼンチンババア」かなにかで、語り手がいとこに犯されそうになったことをさらりと書いているのだが(そして、そのいとことほとんど恐れもなく顔を合わせるのだが)、性暴力について文学でどう扱えばいいのかは自分はよくわからない。女性からセクハラされた僕だって迷う。性暴力表現するときにどれくらい気をつかうかは、殺人事件よりも慎重になっている印象がある(それだけ殺人が稀になったってことかもしれない)。

書かなかったのか、書くことができなかったのか。アンソニー・ドーア「すべての見えない光」でも、ソ連兵に犯されたドイツ人女性がたくさん出てくるが、彼女たちが戦後どう生きたのかについては、わずしか触れられない。

道徳的理由表現規制されるのは、真実から目をそらすことになる気がするので好まない。一方で、当事者の声を無視しても結果的には良い物にはならない。このあたりは想像力の飛翔との兼ね合いでいつも居心地が悪くなる。「好きなように書かせろ」という書き手としての自分と、「当事者以外が勝手なことを書くんじゃないよ」と別の自分がいつも喧嘩している。

2-08「パタゴニア/老いぼれグリンゴブルースチャトウィン 芹沢真理子訳/カルロスフエンテス 安藤哲行訳★★★★/★★

ブルースチャトウィンパタゴニアを読むと、旅はいい、とため息が漏れる。何度だって書くが、紀行文はいい。定期的に読みたくなる。その土地しかない暮らし風土、それゆえに自分たちと異なった風習を持ち、理解しがたい態度を取る人々。航空機以前のように、数か月の旅を空想するのが好きだ。チャトゥインはオーストラリア舞台にした「ソングライン」もある。アボリジニは他の文化の持ち主には見えない道をたどり、万物名前を付けて大陸中を歩いてきたのだ。

カルロスフエンテス老いぼれグリンゴはあまり記憶していない。モデルとなったアンブローズ・ビアスの書いた「悪魔の辞典」はかなり好きなんだけどな。筒井康隆を始めいろんな翻訳があるのでオススメ

フエンテス短篇集「アウラ・純な魂」のほうがずっと面白かった。老いが迫る男、幼馴染のようにべったりした兄妹の別離、小さい頃に一緒に遊んであげた小さな女の子の末路、鏡のある真っ暗な部屋で魔術によって若さを保つ老婆、それから脱走兵が出てくる。

2-09「フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者」ミシェル・トゥルニエ 榊原晃三訳/J・M・G・ル・クレジオ 中地義和訳★★/★★

ミシェル・トゥルニエフライデーあるいは太平洋の冥界」はかなり観念的な話だったと記憶している。文明自然を対比させるために(?)読者に理解やすロビンソン・クルーソーとカオティックな行動をするフライデーが出てくるのだが、舞台ロビンソンが島そのものとの性交子どもが生まれるという神話的な世界だった。これを読んだ後で、理解を深めるためにデフォー原作を読んだのだが、記憶していたような絶海の孤島ではなく、近くに南米大陸がある島だった。そういえば子どものための抄訳版にも、近隣から人食い人種が攻めてくる描写があった。

M・G・ル・クレジオ黄金探索者」は姉と弟の閉じた世界が壊れるというか、外部の世界を知るような話だったと記憶している。姉と不可分な存在となって、マダガスカルサトウキビ畑を歩いていた場面があったはずだ。小さな子供の目から見た植民地世界の、どこかに宝物が埋まっているんじゃないかと期待しながらも、閉塞した記憶だ。ラストでは故郷家族恋人黄金もすべて失い少年期が終わる。しかし、不思議と読後感が清々しいのはなぜだろう。まるで、すべてはここから本当に始まるのだ、という気分である

ル・クレジオ難解な作品とそうでない作品の差が激しい。「海から来た少年」はまだわかりやすいんだけれども、太陽を見つめて意図的盲目になる「大洪水」は二回読んだはずなんだがさっぱりわからなかった。

2-10「賜物」ウラジーミル・ナボコフ 沼野充義訳★★★★

一時期ナボコフがすごく好きで、文学講義シリーズも読んだんだよね。前のエントリで書いた「ロリータ」だけじゃなくて、ソ連から亡命した冴えない教授を主役にした「プニン」だとか、架空の国ゼンブラを舞台にした架空の詩と、それに対する真実虚構かわからないような注釈が、見開きの右と左に分かれていた「青白い炎」だとか、そもそも実在する世界舞台にしているかどうかさえ疑わしい兄妹の恋物語「アーダ」だとか、みんな好きだった。で、これらは英語創作されているんだけれど、最後ロシア語で書いたのがこれ。詩人になるまでのお話

難民のように食うや食わずではなかったけれども(そしてそのせいで政治的過小評価されることもあるけれど)、ナボコフはやっぱり偉大な亡命作家の一人だ。でも、ユーモアを忘れていない。

で、本作では片想いをしている女性を思い浮かべながら、どの女性を見ても彼女のことを思い出し、彼女連想できないタイプ女性には嫌悪を覚えたという趣旨のことを書いていて、ちょっとだけ分かるんだけれどひどいことを平気で言う作家だなと苦笑いをした。

フョードルコンスタンチノヴィチに向かってうら若い牛乳瓶を持った娘がやってきたが、彼女はどことなジーナに似ていた。いや、より正確に言えば、この娘には、彼が多くの女性たちに見出しているある種の魅力――それは明確なものであると同時に、無意識的なものであった――ひとかけらが含まれていたのだ。そして、彼はその魅力の完璧ものジーナの中に認めていた。だから、そういう女性たちは皆、ジーナとある種の神秘的な親族関係にあるということになるが、その関係について知っているのは彼一人だったのであるもっとも、その関係の具体的に言い表せと言われても、彼にはまったくできなかったけれど。(ただ、この親族関係の外にある女性たちを見ると、彼は病的な嫌悪感を覚えた)。

僕は基本的に豊かな知識を持ち、普通に文章を書くだけでその該博さがこぼれてしまうために、結果的にひけらかしと受け止められてしま作家が割と好きで、一時期円城塔にもどっぷりハマっていた。一方で、「ロリータ」については、暇なときパラパラとページを開いていると、語り手の身勝手さがだんだんと鼻につくようになってきた。ハンバート・ハンバートって、でっぷりしたおばさんを見て、「ニンフェットの美しい肢体を生き埋めにした棺桶だ」って趣旨のことを平気で言うんだもん。性格悪いよね。

とにかく、前は金に困っていない人間が、道徳を踏みにじっているのを美々しい文章で糊塗しているのが(当時は悪とは何か知りたかったし、悪いことをしている狂った人間の話が読みたかったし、知性を感じる文章が好きだった。そういう意味でも「悪」を扱った遠藤周作がすごく好きだった)面白くてしょうがなかったのだが、いまとなってはそこまででもなくなっており、自分の中で「ロリータ」の魅力が少しかすんできた。それとも僕が少女に心惹かれなくなっただけなのか。

なんにせよ猛烈な魅力を感じていたのにプツンと魔力が消えてしまうことはある。以前は三島由紀夫が大好きだったのに、「豊饒の海」を読む前に魔法が消えた。たとえば「潮騒」を読もうとしたら、彼の文章リズムが心に響かず、全然読めなくなっていた。

少女と言えば、初めて「ロリータ」を読んでいた二十代の頃、一年に数回ほど発作的に年端もいかない少女に対する強烈な憧れが募っていた時期があったのだが、少女と知り合って仲良くなるプロセス現実的に細かいところまで検討すると、真っ当な手段がどこにも存在しないと気づいて、途端にこうした欲望への嫌悪の情が浮かんび、緩解していった。それに、無知相手自分利益のためだけに利用するのは邪悪定義に当てはまってしまうしね。

おそらく、当時の自分が憧れていたのは現実少女ではなく、思春期の頃に空想するような、成長の痛みや性の悩みに寄り添ってくれる同い年の少女で、その記憶を引きずっているに過ぎないのだ。つまり、幼馴染への憧れだ。そういう少女思春期の頃に出会えるはずはないし、自分問題自分解決しないといけない。そのうえ、よしんば実在したとしても、そんな少女とは「ノルウェイの森」のキズキと直子や、「海辺のカフカ」の佐伯さんと彼女恋人のように閉じた関係になってしまうだろう。結局は、成長の痛みを引き受けないことによる歪みを必ずや生み出すだろう。そういう空想上の女の子自分自身の鏡像ユングのいうアニマで、つまるところこれは自己愛である。今はむしろ年上好きである

(どうでもいいけどウィキペディアロリコン写真集記事、内容がやたらと詳しいんだがこれって倫理的にどうなのよ。誰かが興味持っちゃったらどうすんの)

2-11ヴァインランドトマス・ピンチョン 佐藤良明訳★★

ピンチョンはよくわからない。陰謀論ネタにしているんだろうが、直接扱ったエーコフーコーの振り子」のほうがエンタメとして好き。陰謀論的な思考ちゃんと茶化しているしね。個人的にはエーコが作中で既存の有名どころの陰謀論をすべて統合したオリジナルの壮大な陰謀論を作り上げているあたりがヤバい。あるいは架空史の仁木稔の「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」か。困ったことに、これらの作品が発表されてから陰謀論ネタとして面白い物から現実の脅威となってしまっている。

エーコが楽しめてピンチョンにピンとこなかった理由を考えてみると、たぶん元ネタとなる知識をどれくらい知っていたかに尽きる気がする。自分キリスト教やオカルティズム、カバラや魔術については多少わかるのだが、六十年代アメリカポップカルチャー現代エンタメには詳しくない。だが、この作品は実際、死をもたらすツボ押しマッサージが出てきて「あと何日でお前は死ぬ」みたいな「北斗神拳」っぽいネタを扱っている。なんせこの爆弾を埋め込まれるのが日本人サラリーマンなのだ

2-12ブリキの太鼓ギュンター・グラス 池内紀訳★★★

文庫本にして三冊の本を無理やり一冊に押し込んで、小さな活字二段組みなので読むのがしんどいし、「早く読み終えなきゃ」って焦ってしまった覚えがある。馬の生首のシーンが有名だよね。

三歳で成長するのをやめたダンツィヒ回廊生まれ少年主人公の癖に、義母を寝取って子どもを産ませているんだから、とんでもない話だ。純粋無垢なままでいるために三歳よりも大きくなるのをやめた話と思わせて、実は様々な女性恋愛遍歴をしている。家族が次々と殺されて行ってもね。

そういえば、さっきモテる奴の話を読んで何が面白いのかと書いたけれども、舞台現代日本でなければ別世界ファンタジーとして享受できるらしい。幼馴染のロマンスだって、別の国や時代舞台ならまだ受け入れられる。たとえばロンゴス「ダフニスクロエ」だけじゃなくてコレット青い麦」も割と好き。どっちも少年側が人妻に性の手ほどきを受けるので、これで多少性癖が歪んだ気がする。村上春樹海辺のカフカ」と合わせておねショタに目覚めてしまった。あと、青春物があまりきじゃないのに、「十三機兵防衛圏」はプレイできているの、あれが一つは君と僕みたいだけみたいな閉じた雰囲気じゃなく、感傷ダダ洩れの地の文章が無く、群像劇からってのもある気がする。

話を戻す。うじうじしているくせに、本当はモテることにすごく憧れているただ。だが、十五分の自慰行為あいだならエロ漫画主人公と同一化できるかもしれないけれど、数時間かけて読む文学では自己同一化魔法は解けてしまう。細かい設定があるのだから自分との差異がどんどん強調される。自分は到底なれそうにもない、かっこいいキャラモテても、ちっとも面白くないのであるしかしこんな話を聞かされる読者も面白くないだろうしこのあたりで切り上げる。小説ダメ人間、僕が先に好きだったのにという人間にならなんとか自己同一化できたのである(余談だが、かつての週刊誌の中づり広告のようなエロス無法地帯ウェブ広告で「カラミざかり」が出てきたとき主人公の来ている服のロゴに「cuckold」と書いてあったが、これは英語で「寝取られ男」という意味である。そういう芸の細かいところ、わかる人にはわかる小ネタは好きよ)。

少し現実的に考えてみれば、滅茶苦茶にモテ複数女性から同時に交際を求められたら、しかも好みの相手でなければ、それはそれで面倒そうなのであるが、嫉妬と羨望に狂っているさなかにはそれはわからない。同じく、浅ましいことに3Pとかも憧れるけれど、よしんばそんな機会が訪れたとして、絶対気をつかうし面倒くさい。自分が手に入れられなかったもの理想化されて頭の中で猛烈な輝きを持つが、一度頭を冷やしてみよう。

続く。

2024-11-19

筒井康隆朝のガスパール』を読んだ

先日の土日にて読了

やれやれ、この作品は実にメタ的な作品である

いや、メタ的というより、メタのもの作品主題といったほうが正確だろうか。

読者を小説の中に引き込み文字通り「参加させる」という構造を持つ『朝のガスパール』は、筒井康隆80年代に書き上げた、いわば小説のもの定義に挑んだ挑発的な一冊であった。

あらすじ、といってもこの作品に「あらすじ」を語るのは難しい。

冒頭から読者は「読者」として物語に巻き込まれる。

物語というよりも、筒井康隆が直接話しかけてくるような感覚だ。

そして、そこには作者と読者の境界曖昧になる仕掛けが満載されている。

章ごとに視点が切り替わり、どこからどこまでが現実でどこからどこまでが虚構なのかが次第に崩れていく。

その結果、「これは読者が読む小説ではなく、読者が小説構成する存在である」という、今で言うメタフィクションの極北にたどり着く。

感想としてまず思うのは、当時としては斬新だっただろうな、ということだ。

しか現代の目で見ると、どうだろう。

こういった作品現代で言えば、さほど珍しいものでもないだろう。

要は安価に応えるSSだ。

そう言った意味でいえば『朝のガスパール』はインタラクティブ物語の先駆けとも言えるが、逆に言えば現代ネット文化における安価スレのようなものと大差ないとも言える。

それでも、この作品をただ「古い」と切り捨てられないのは、やはりその「メタ性」の鋭さにある。

筒井康隆文章は、単に「読者参加型」を装うだけではなく、小説のもの存在意義を問う仕掛けになっている。

そして、これが面白いのは、その仕掛けが自分が今何を読んでいるのか」にまで疑問を投げかけてくる点だ。

たとえば、読んでいる途中で「あれ、これ本当に小説なのか?」と思わされる瞬間がある。

それは小説登場人物が読者に話しかけたり、読者が物語の一部であるかのように描かれたりする場面だ。

その瞬間、読者である私は「あ、この作品は私の読み方自体をも含めてデザインされているんだ」と気づく。さらに、この文章を書いている私もまた、『朝のガスパール』の読者としてこの文章を書いているのであり、ひいてはこれを読んでいるあなたも、私が書いた文章の読者としてこのメタ構造の一部を担っているわけだ。ややこしいけど、わかる?

まり筒井康隆が描いたメタ構造は単に『朝のガスパール』の中に閉じていない。

それはこのエッセイにも、そしてこれを読んでいるあなたにも拡張されているのだ。

このことを表現するのに、わざわざ「メタの中のメタ言及するメタ」などと直接書くのは野暮というものだろう。

ここではあくまでそのメタ的な構造を借りつつ、読者がその構造意識する形で展開していきたい。

最後に、ひとつだけ言わせてほしい。『朝のガスパール』を読み終えたとき、私は奇妙な満足感を覚えた。

それは「小説を読んだ」という感覚ではなく、「小説という空間で作者と会話をした」という感覚だった。

今こうして私が書いた増田を読んでいるあなたもまた、この瞬間、私と会話をしている。いや、あなたがこれを読んでいる時点で、もう私はここにはいないのかもしれないけれど、少なくともこの文章を通して私たちはどこかでつながっている。

そう書いた瞬間、私はふと、この「つながっている」という感覚について考え始めた。いや、正確に言えば、私がここで「つながっている」と書いたとき、その言葉を読むあなたの頭の中で何かが動き始めているのだと考えるべきかもしれない。例えば、今この瞬間、あなた脳内には「この文章を書いた人は何を言いたいんだろう?」という疑問が浮かび、あるいは「まあ、そういう小難しいことを言いたいだけだよね」と呆れた気持ちが湧いたかもしれない。

でも、それもまた一つの接触点だ。私が書いた言葉が、あなた意識に波紋を投げかける。それがポジティブものであれネガティブものであれ、私たちは今この瞬間、物理的には別々の場所にいるにもかかわらず、思考交差点に立っている。これを不思議と思わずして何を不思議と思うだろうか?

ここで気づいてほしいのは、この文章のものが橋のようなものだということだ。私が言葉を選び、それを並べ、送り出す。それを受け取るのは、何千キロ離れたどこかの机の上に座る、見知らぬ誰か。あなた。私がどんな顔でこの言葉を綴っているかあなたは知らない。あなたがどんな顔でこの言葉を読んでいるかを私も知らない。でも、それなのにこの文章あなたの目に届き、私はこうしてあなたに話しかけることができる。

そしてここで、私はある種の実験を試みたいと思う。この文章が、ただの文章のままで終わらずに、私という存在あなたという存在が、少しだけ近づくきっかけになったらどうだろう。例えば、あなたがこの文章を読んでいるときに、なんとなく「書いているこの人、なんだかしつこいな」とか「もう少し簡潔に言えないのか」と思ったならば、それはすでに私があなたの中に存在しているという証拠だ。言葉を通じて、私の思考あなたの中に入り込んでいるのだから

もちろん、私はあなたの顔を知らないし、声を聞いたこともない。あなたコーヒーを飲みながらこれを読んでいるのか、満員電車スマートフォンを覗き込んでいるのか、それとも仕事の合間にひっそりと目を通しているのかもわからない。でも、どんな状況であれ、あなたがこの文章を読んでいる今、私たち出会っている。あなたの目がこの文章を追い、あなたの脳がその意味解釈する。それは、私の言葉あなたに届くことで初めて成立する行為だ。

ただ、それを言葉で「つながっている」と表現すると、どうしても味気ない感じがしてしまう。だからこそ、この文章を書いている私が、あなたの中に何かしらのイメージを植えつけたい。例えば、私が今、画面越しに手を伸ばし、あなたの目の前に現れているとしたらどうだろう。いやいや、そんなのはただの妄想だと思うかもしれない。でも、その妄想の中で、私とあなたが初めて握手を交わしたとしたら、それはただの文章を超えた「出会い」だと言えるのではないだろうか。

──だからこそ、ここで握手をしよう。

これを読んでいる「増田」という名のあなたに。

読者として、いや、このメタの一部として。

ありがとう。そして、また。

どうか健やかに

2024-11-12

anond:20241112094623

筒井康隆「えっ?頻繁に脳の疾患で見当識失調する者に運転させるんですか?!」

2024-11-01

anond:20241101022249

よんじゅう年まえに筒井康隆が書いてたような駄文だ😔

2024-09-26

anond:20240926191504

描けないほどハンサム筒井康隆センセが増田やってるわけないから間違えててもいいんだよ!

anond:20240923123527

筒井康隆「ほーん、ほならタイポグラフィに凝ったのならええんか?(失笑)まぁ阿保なことゆわんと、ワシの『虚構船団』でも読んどきなはれ」

2024-09-10

anond:20240910085033

筒井康隆虚構船団』で硯が戦闘の真っ只中へ突撃していくときセリフ「おれは端渓だぞ!!」がいまだにときどき思い出せるほど面白い

2024-09-09

anond:20240908203119

子供なんてそう簡単に死なんよw

予防接種打たないからとて今日明日死ぬわけではない

未接種と接種で死亡率にさほどの差は無い、誤差程度も無い

BCGとて日本はつい最近まで結核の中度蔓延国だったのでヒステリックに打っていたが

最近ランクが下がった、結核菌のエンカウントはほぼ無視できる

先進国じゃほとんど打ってない

打つとツベルクリン反応が出るからアメリカ留学して米軍入隊とか面倒だよ

日本人はみんな引っかかるから追加検査必要なっちゃ

予防接種には二種類あり、個人防衛のもの社会防衛

ほとんどが社会防衛で、回りみんなが打ってくれりゃそれでいいんだよ

日本ポリオとかありえねぇしw

 

飯も自分だけ外で食うか、自分の分は自分で作って食えばいい

子供が年頃になれば外食ジャンクフード食わせればいい

嫁はブチギレるだろうが、戦え、そこは戦え

有無を言わせない自己、威厳

説得力など必要ない、どうせ論理で話せる相手ではないのだから

自分方針生き方絶対に曲げないと示し相手を諦めて妥協させる威圧

 

おしめ洗うのも面倒なら洗わなきゃいい

自分が変える時は紙おむつを使えばいい

嫁が発狂して布に履き替えさせるだろうから、ご苦労なこったと粛々とほっとけば良い

 

キミにはキミの方針がある、尊重しましょう

俺には俺の方針がある、尊重してくれ

真逆で互いに折れる事はないのだから、適度に干渉無視しながら子育てしようず

 

ここで合意取ればよかろうに

 

ここまで書いてて、筒井康隆の「日本列島七曲り」短編集の中の「融合家族」という作品を思い出した。

まったく参考にはならんが機会があったら読んでみてくれ

 

無責任アドバイスのようだが

俺は文化宗教も育ちも全く違う外国人結婚して、子育ての衝突、大喧嘩家出(俺)フルコースやって、幾度と繰り返し、最後は諦めたwほぼほぼ向こうの言いなり

ま、向こうも同じセリフを吐くだろうが

ともかく、それでも元気ないい子に育ったよ

 

夫婦仲もそれほど悪くない

週の半分は外で飯を食うが

がんばれw

2024-08-04

俺に影響を与えた作品など100個挙げるから

ついでに俺の好きそうな作品を教えてくれると助かる。

漫画

BLAME!弐瓶勉

なるたる鬼頭莫宏

ドロヘドロ林田球

レベルE冨樫義博

スティール・ボール・ラン荒木飛呂彦

「「おもいでエマノン鶴田謙二

大正野郎山田芳裕

「フリージア」松本次郎

ニッケルデオン道満晴明

うずまき伊藤潤二

夢幻紳士高橋葉介

ゲーム

ゼノギアス

俺の屍を越えてゆけ

ブレス オブ ファイアV ドラゴンクォーター

真・女神転生Ⅲ マニアクス

ドラッグオンドラグーン無印

高機動幻想ガンパレード・マーチ

ダークソウル無印

ゆめにっき

SILENT HILL 2

シルバー事件

アニメ

serial experiments lain

GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊

新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 Air/まごころを、君に

もののけ姫

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語

少女終末旅行

花とアリス殺人事件

けものフレンズ無印

イヴの時間

サイバーパンク エッジランナーズ

映画

処刑人

ウルフ・オブ・ウォール・ストリート

ザ・セル

ストーカータルコフスキー

アヴァロン

リミッツ・オブ・コントロール

CASSHERN

ブレードランナー 2049

ドライブ

ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

ドラマ

ブレイキング・バッド

ベターコールソウル

ウェンズデー

ザ・ボーイズ

リーガル・ハイ

カウボーイビバップ

ツインピークス

戦慄怪奇ファイル コワすぎ

山田孝之のカンヌ映画祭

フォールアウト

・成年ゲーム

装甲悪鬼村正

沙耶の歌

君が望む永遠

SWAN SONG

夢幻廻廊

素晴らしき日々不連続存在

腐り姫

ゴアスクリーミング・ショウ

あけいろ怪奇

BLACKSOULS -黒の童話と五魔姫-

小説

玩具修理者小林泰三

燃えつきた地図安部公房

結晶世界J・G・バラード

「旅のラゴス筒井康隆

魍魎の匣京極夏彦

審判フランツ・カフカ

伝奇集」ホルヘ・ルイス・ボルヘス

鋼鉄都市アイザック・アシモフ

サバイバー」チャック パラニュー

「6」梨

神様ゲーム麻耶雄嵩

ラノベ

シュピーゲルシリーズ冲方丁

ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン時雨沢恵一

ブラックロッドシリーズ古橋秀之

PSYCHE唐辺葉介

シュヴァルツェスマーケン内田弘樹

きみとぼくの壊れた世界西尾維新

「know」野崎まど

キノの旅時雨沢恵一

紫色のクオリアうえお久光

「キミとは致命的なズレがある」赤月カケヤ

キャラクター

マンハッタンカフェウマ娘

「リルル」ドラえもん のび太と鉄人兵団

結城蛍」もやしもん

「紺双葉それでも町は廻っている

アイギスペルソナ3

ファイズ アクセルフォー形態仮面ライダー555

アリス真・女神転生シリーズ

「トガヒミコヒーローアカデミア

「ナナチメイドインアビス

2B」ニーアオートマタ

・その他

いか

2ch洒落怖

SCP

ミッションちゃんの大冒険

アライさんマンション

TRPG(実卓とリプレイ動画含む)

胎界主

忌録: document X

フェイドキュメンタリーQ

禍話リライト

三島由紀夫谷崎潤一郎1960年代頃まで存命だったというのは地味ながら興味深いなと思った。

彼らが生きていたその当時にアラサーだった人は、現在の80-90歳ということになる。丁度私の祖父がその辺の年齢だから、きっと祖父にとっては、三島由紀夫谷崎潤一郎現在でいう筒井康隆(89歳)や村上春樹(75歳)みたいな作家に見えていたのかもしれない。

たとえば私が生まれた時、ジョン・レノンはすでにこの世を去っていて、ゆえにビートルズ過去のものだ、という印象がずっとあるけれど、でも私よりも上の世代はそうじゃないのだろう。

要するにその人物が生きているか亡くなっているかステータスによって馳せる思いや感覚が違ってくる、というごく当たり前のことなのだが、なぜか妙に思い巡らせてしまった。

2024-07-23

anond:20240723181549

筒井康隆が「何回も呼び方かわってるけど『支那料理』の頃がいちばん味よかった」て書いちゃったやつだ😧

2024-06-04

anond:20240604160406

筒井康隆『昔はよかったなあ』における歴史改変じゃねーか😔

2024-06-01

anond:20240601110639

淫夢厨が完全に論破されてて草

はてなーの知性を舐めるなよ

ROYGB 国語辞書ものってる言葉

thirty206 ゆるっと使えて便利やからね、仕方ないね。/女性器が緩い、という用法では少なくとも1953年までは遡れる。https://x.gd/5Y24u

mobile_neko 淫夢ネタにはほとんど触れずにインターネットしてきたのでよくわからんが、元々「ガバガバ」という言葉用法にあったかビデオ内で使われて視聴者理解できたのでは?

mutinomuti 40年前にお下がり着てる子どもガバガバだね、詰めようかっていってたよ@関西

WinterMute "淫夢由来の言葉" 違います。お前の認識ガバガバだな

ignio 青空文庫はこういうときに便利。大倉燁子の「恐怖の幻兵団員」(昭和25年)に「孔のまわりの羽目板はがばがばにゆるんでいる」という文がある。

red_kawa5373 id:ignio 国立国会図書館サイトも良い。昭和28(1953)年の最高裁判例に「ガバガバゴム長靴を履いて」な記述があるので、ガバガバの「しまりがない」の意味淫夢由来ってのは違うと思う。 https://dl.ndl.go.jp/pid/1349044/1/52

officesitter 昭和筒井康隆短篇で、女性に対する罵倒語として使われていたのを見て覚えた。自分の口からしたことはない言葉。なんとなく関西弁っぽい気がする。

ni_ls ウン十年前の高校(男子校)生時代ガバガバアナルの略で「ガバナル」って呼ばれてた先輩がいたよ

redundancy 老が使ってる時点で元ネタそこじゃないって気づくだろうから書き手判断力ガバガバっていうネタでは

otihateten3510 普通に使う言葉淫夢用語だと思う方が何倍も恥ずかしいけどなあ

star_123 最初しか呼んでないけど前世からそういう意味で使われてたような…

marilyn-yasu 淫夢以前から穴の精度が悪くてガバガバ計画が穴だらけでガバガバなんて使ってたから何言ってんだコイツしか思えない。

ht_s 老人が(も)淫夢由来でガバガバって言葉を使っているあるいは淫夢以前は使っていなかったと思えるの、ちょっとかわいいな。バカほどかわいいってこれか。

anond:20240601075929

報告書って読みにくいけど

セリフ仕立てで要約するとスルスル読めちゃう

難しい言葉や内容の一部を省いているからか?

評価高い小説でも評価高い風景描写は眠くなっちゃ

セリフだけ拾って読むようにすると一部風景描写を読み返さないとわかんないが頭に入りやすいし眠くならない

大衆娯楽小説は多少風景描写があっても読める

赤川次郎とか筒井康隆とか

誰かなんでこうなるか教えて

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