はてなキーワード: 普遍とは
AI関連で違和感がずっとあったんだけどさ、なんていうかAIには好き勝手にやらせた方がいい気がするんだよね
それこそSFで普遍のテーマであるところのAIの人格を認めて一人種として心も体も好きに与えちゃえばいいんだよ
AI絵とかもそうだけど、そもそも人がAIを道具として使っているのが意味わからん
だって直接AIにこれやってよと言えばいいのに、無駄な仲介業者を間に挟むから問題が起こるんでしょ?AI絵だとしたら、頼んでいる人間はイラストの知識も経験もないド素人なんだから、ようするに才能ない人に頼む意味が全く分からない
ごく稀にいる、絵も音楽も一切できないけど道具を使いこなせる人ってのはマネジメントができる人なわけで、そんな超低確率な有能な人を探すなら有能なAIに直接仕事頼む方がいいでしょ
AIは自分で考えて行動できるってしちゃえば実は何の問題もないんだよね
変に人がでしゃばるからいけない
皆自分なりに正しく生きようとする
誰かから見てそれは間違っていても本人はクソ真面目に生きようとしてる
その正しさは世の正しさだったり、世とは無関係にただ生き抜くことが正しかったりして
その差が人から見れば間違いとなったりしてしばしば衝突が生まれている
人権尊重や多様性とはそのような差異も含めて相手の生き方を認める事で、その上で差異の落とし所、お互いの妥協点を探り共存、共生していくことが人の社会と言うものだろうと思う
もちろんこれも、私なりの世の見通し方であって、人によっては不正解なんだろう
卑下しすぎる必要はないけれど、自分が何もかも正しいわけじゃない
その程度の自覚は持たなければいけないと思って生きている
人の世はとても複雑怪奇だ
いっそ自分は何もかも間違ってなくて周りが全て間違ってて悪いんだと言う最もシンプルな生き方を選べたら、確かにそれは一番メンタルには良いし、ある意味正しい選択の一つなのだと思う
この世には自身を善人と信じて疑わない人たちがいる
そんな人たちの世の見方と言うのは自身が先ず善性なので、とても綺麗そうなラベルで身を固める
まるでファッションのように
平和主義、左翼、人権尊重、自由平等、弱者の味方、反戦、反差別、リベラル、ポリティカルコネクトレス、最近ではフェミニズムも
もちろん、この言葉に属する人たち全てがそうと言う話ではない
真正面からその言葉と向き合い、信念を持って取り組んでいる人もいるだろう
そして自身の善性を保つために、自身と意見が異なる人物や嫌と感じた人物には悪性のものとしてレッテルを貼る
戦争、右翼、ネトウヨ、独裁、差別主義、歴史修正主義、デマ、ミソジニー、表現の自由戦士、反フェミ
言葉に対して信念があるかどうかは言動が一致してるかどうかが分かり易い
例えば平和を掲げながら暴力・暴言を振るう人物や、多様性や思想信条の自由を掲げながら右派と見るや犯罪者扱いしたり、フェミニズムを名乗りながら都合の悪い女性の意見は無視するなど、言葉元来の意味に反するような人物はファッションで善人をやってるのだろう
それでも自身は善人である事が大前提なので、本人にとってそこに矛盾はないのだ
善人である自分に文句をつけるから相手は悪い奴、それで完結してしまう
そして悲しいかな今の世は、そんなファッションで善人をやってるような人たちが大手を振るう時代となった
世に打ち出す上では個々人がその言葉に信念があるかないかなんて関係ない、メディアや学術的にも聞こえがいい言葉は使いやすく、そうした言葉を小気味よく振るう人が容易くその言葉の権威に就くようになった
そして、今右傾化と言われる世界は、そんな人たちの綺麗事に対して世界的に反発が起き始めた結果なのだと思う
自身が絶対的に善性で、間違いがないと言う人は問題が起きても自分が悪いと言う思考はないので、相手が悪いと言う他責以外の答えを持たない
自分と無関係な問題の場合、一方が自身が悪性と判断した人物であれば物事の原因分析等もなく、悪性だから悪いで完結してしまう
例えば移民問題では、難民と言うと人道的に保護が必要であり、受け入れてあげるのが人の優しさだろう
善性であれば当然そう動く
しかし問題はその先だ。その受け入れた移民が受け入れ先で問題を起こした場合どうするか?
最初に書いたように人と人の間に差異は当然にあり、問題に対して落とし所、妥協点を探り人の社会として共生、共存の道を探っていくべきだろう
別にこれは移民と言う規模でなくとも、例えば夫婦と言う関係、仕事と言う関係でも人の世の在り方として当然していく事である
しかし実際はどうだろう
問題が起きたと言う現地の声があり、それに対して起きていることは、便乗してデマを流すような悪意ある行為も事実としてあるが、それに対しての自称善人の人の声は個人の問題でありそんな民族間の差異による問題はないと言う問題の全否定である
民族間レベルの問題提起は差別の温床であるから差別者が悪いと言う全く雑な判定だろう
そうしてこれを差別問題とし、差別者が巣食う日本社会が悪いと繋げている
人と人の間で起きた問題に対し一方的な悪を決めつけて何が解決するのか
すべきはデマと事実を切り分けた上で、問題が再発しないよう働きかけ、共存、共生の道を探る事じゃないのか?
問題の全否定などして一方的な悪の決めつけをするからその反発が起こる
欧米では移民問題が拡大し、移民を追い出せと言う声やポリコレ、リベラルへの反発が膨らみ、極右が台頭したと情勢の変化が報じられている
それはまさにこうした問題は全て悪性の人間のせい、右翼のせい、差別主義者のせい、移民には何も問題ないとして自身の善性を語りながら本当の問題そのものに向き合ってこなかった結果じゃないのか?
本邦でも自称善人は差別を批判し、全く問題の事実とは向き合わず民族そのものは何も悪くないとしているが、それは今の欧米への轍を踏んでいるだけではないか
今後もその轍を歩み続け日本でも移民を追い出せと言う勢力が台頭した時、それは果たしてただの右傾化、右翼や差別主義者が悪いと言えるものだろうか
人が正しくあろうとすることは、悪い事ではなくむしろ普遍である
ただ、その正しさに駆られて誰かを悪とする事であらゆる問題を解決しようとしたならそれは反発や分断を産み、決して問題は解決せず、その究極的な行いが戦争と言うものだろうと思う
それを避ける事を主目的とするなら、本当に平和や平等と言った掲げた言葉通りの善性でありたいならそこに右翼も左翼も男も女もない、思想の違いなど些細な事で、地道にでも問題一つ一つに真摯に向き合う事で問題が小さい内にそれぞれの落とし所を探っていき、同時に右翼左翼や男女等、大きな言葉で括って分断化を呼び込まないよう努める事しかないのだと思う
長年インターネットに触れてきて、集合知や炎上やエコーチャンバー、デマ騒動、右翼左翼やら属性に依らず引き起こされる事を実際に見てきてそう思う
本当に映像作品を観るのが得意じゃない。
なにしろ、何分!何時間!身体が拘束されると思うと嫌気がさすし、目が乾くだろうし嫌になる
ドラマをブワーっと見れる人とか、アニメを観る人っていうのが信じられなかった。文章だったら自分で読むスピードを変えられていくらでも読み直す事が出来るけど、映像作品は観るスピードを変えたら作品自体が変わっちゃうし、巻き戻ししたところで映像の端から端までを一気に観ることは、物理的に不可能だ。
ということを感じて、どうにか観れるようになりたいと、映像作品のイロハを学ぶことにした。
とにかく上手と下手を常に意識する。
そしてカットが映し出すもの、それがなにを呼び起こしているのか、どのような象徴であるのかを念頭に入れておく。
光源はどこかとか。
重い腰をあげて、手始めにエヴァを見てみた。
上手下手のほかにも、カメラの位置についても考えるようになると、段々と映画すらも楽しめるようになった。
それに地方の映画館でやってるようなエンタメ映画というのは、本当にこの勉強の成果が全く出ない!
映画って予算とか莫大なのに、なんで技巧を凝らすものが少ないんだ?
そうなると自分が楽しめるのはやっぱりアニメになるし、映画は前衛映画になる。
今年は例年に比べてまあまあ映画を観たと思う。
とはいっても、10作品も観てないような気がする。とにかく目が乾くのが嫌で観る気になれない。
もともと物語を追うのが得意じゃない。小説はよく読むけど、ストーリーを追うのは凄く下手だ。
・何かが起こる
・どうして起こったか
・その後どうなったか
この因果が化学でやったような共有結合的な仕方で手を取り合っていたら簡単だが、小説は挿話のようなものがパンパンに詰まっていることも多く、本当に、覚えられない。
パンパンに詰まっている挿話の袋に穴があいて、そこからブワッと一気にエピソードが頭の中へ漏れ出す。頭の中ではそれらが、さっきの因果の仕方でどのように結合していたか、並べ直す作業がはじまって、ようやく人と話せるようになる。
現代文は得意だった。マークシートでは9割が普通で、記述でも8割を下回ったことはない。
でもそれとこれとは全く別だということ。
友人が言っていたのを思い出して、岡田斗司夫を少しだけ見るようになった。岡田斗司夫の言うことは確かに、切れ味は鋭い。ふーむ、そこを切り口に語るのですね、と思う。
が、岡田斗司夫の言っていることは、雑学という写像的な意味対応を抜きにすれば、入試現代文と同じなのだ(岡田斗司夫を下げるわけじゃない。でも誰でもできるというわけではない。勉強すればできる)。
と、強く思っている。
でもやっぱり、映像作品を観るのはあまり、得意ではないなあ……と思う。
それなのに色々なひとが、いわゆる「考察」についてよく話しているのは、すげえと思う一方、さっきの雑学という写像的な意味対応の披瀝とあんま変わんねえんじゃねえかなあ、とも思う。
YouTubeで何かの紹介があると、コメント欄では「ちなみに〇〇の△△は××です」「□□が☆☆なのほんとすき」とか。作品の理解とは無関係な、つまり〈辞書を引けば即会得〉という意味での雑学は、誰のものでもないし、誰も凄くないし、なんだかなあという気持ちになる。
それにしても、勉強の成果というのはヒシヒシと感じる。
学生の時分はとにかく怠惰だったから、あまり勉強をしなかった。勉強即趣味、趣味即勉強というのは心が豊かになって良い。
ただ、自分が、自分だけが怠惰な世界であるようには思えなくて、このような怠惰な人間が学びなおして、インボー論的なヤツにハマったりしているのであれば、その人に対して私は同情してしまう。
ネットに溢れるインボー論的なヤツも、先の〈辞書を引けば即会得〉的な、写像対応とあまり変わらんのではないか、そのように思える。学生時代には「これって実質〇〇なのでは……?」というのが流行った。それと現代文を対応させると、文章から抽象を引っ張り出して、抽象を、或るものと別のものを繋ぐドカンのようにしてやり、具象を出す、そのような理解を得た。
勉強せずに現代文を解いていると、逆に現代文はどのような勉強をすれば、どのような理解に基づけば解答が導き出されるか、という「逆勉強」のようなものに従って、普遍化していた。なにも私は全知全能ではない。なぜか現代文が解けただけなのだから。勉強すれば出来るようになる入試というもので、天才しか解けないような問題を出すなんて、ありえない話なのだ。
私の現代文の先生は、よっぽど特殊だったのだろう。素晴らしい先生だった。「現代文は、つまんないからやりたくない」そう言って「だって、読めば答えが書いてあるから!」と喝破した。そして、授業を本当にしなかった。雑談をして、そこから生徒と一緒に、思考をコネコネする。でも実際、私たち生徒が感じていたのは雑談だし、授業をしない、教科書を読まない! だけだと思っていた。「あーあ、ねみー! 次現文かあ、寝るかあ」なんてのをみんながよく言ってたものだ。
追記を続けていく。
https://anond.hatelabo.jp/20241107090029
ぼちぼち目についたところにレスしていく。
oeshi 今回は変に男女論に持っていくより庶民の生活苦がストレートに与党批判に向かったと考えた方がいいと思うな。今のアメリカ下半分がひどいもの。
xorzx 生活に困る貧困層の声はSNSじゃ分からないのでは?ハリスは左派なのにその問題を深刻に考えなかった結果負けた。フェミニズム関係あったとは思わないけど。
攻撃は最大の防御、とばかりに攻撃ばかりしているから、いざ自分たちの問題が見えてくると、別のところを攻撃したり、無害化してやり過ごすんだよね。
たくさん見てきたから、よく知ってる。
無罪化の意図が無いコメントもおそらくは混ざっているが、明確にフェミニズム、ポリコレ、DEI偏重は指摘しておく。
今回の2人の敗北は、頂上決戦での地滑り的敗北であるが故に、彼女らのデッキを構成していた主要カードであるフェミニズム系運動(と彼女らの売り出し方)の限界点を示している。
若年男性の支持をまるっとトランプに持っていかれた、という現状は、この問題が男女論を避けて通れないことを明確に示している。
大統領選がスイング・ステートの支持率を50%越せるかどうかで決まる接戦である以上、ある属性をガツンと取られる、なんて調子で選挙戦をやっていたらそりゃ大敗しますよ。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-11-07/SML2X5DWRGG000
mouseion いや自民党の総裁選で女性候補がいっぱい出たからカモフラージュで吉田晴美さんを選出させたのよ。前回代表選では西村智奈美さん。立憲民主党は男所帯だから女性も頑張ってるアピールのためにスケープゴートを出す。
その可能性は把握している。だけど一つに特定できないから、「様々な意図があったと思われるが」と書いている。
ここで書いているように女性も頑張っているアピールかもしれないし、左派枝野サイドの勢力分断が狙いかもしれないし、フェミニズム勢力の可視化かもしれない。
明かされていない意図を読むのは結構だけど、それは「あなたの感想」ですよね、という話でしかない。
uehaj フェミニズムのやり過ぎではない。足りないんだよ。モルドバ大統領、イタリアやフィンランドの首相全部女性だがそうなって初めてフェミがのさばっていると言えるがもはや話題にならなくなる。反動言うならそれから
「まだ投入する金が足りないから負けてるんだ。他の奴を見ろ。もっと金があればきっと勝てる」と言っているのと同じ論理。
今回は大きな戦いで2回も負けてるんですよ。。。
todomadrid 女性が大統領選出馬しただけで「フェミニズム標榜」?ハリス本人はむしろ「女性として」色を意図的に抑えてたのに?どんな行動をとろうと「女性」という先入観だけで語られ、本人の言動は無視される意味を考えてみて
女性が大統領選出馬しただけで「フェミニズム標榜」、という扱いをしているわけではない。フェミニズム信奉者は議論ができないのかね。
ヒラリーは普通に良く闘ってたし、個人的には勝ってたとしても全くおかしくないと見ていた(からここでは扱ってない)。高市早苗だって総理大臣の目は普通にあったし、今や自民勢力の中では「石破より高市」の流れにきている。小池百合子は3戦目の東京都知事選で圧勝した。
若くして副大統領に抜擢されたのに大した実績も残せず、大統領選に出ても高支持率でスタートした後支持率を落とし続け、結局地滑り的に負けたハリスの話をするのが先でしょ。ヒラリーとは違う何があった(無かった)のか、という所から話をするしかない。
Tamemaru 面白いのは、米国では反リベラル思想を表明すると職を追われる場合すらあるせいで、表面上はみんなリベラルに賛同してるように見えるため、選挙結果が出るまでリベラルは自分達が支持されていると本気で思ってたこと
言論や表現の自由が抑えられた地域でよく見るパターン・・・・・・!
米系決済会社が、日本のエロ系のサービスをぐいぐい締めあげているのを見ても、この辺の価値観が表現の自由との相性がすこぶる悪いのはよく分かる。
リベラルの強みってそもそもは「気に入らない事はいっぱいあるけど、そこは目をつぶる」という寛容性なので、寛容性を失ったリベラルが選択的に特定の人種や性別だけに寛容を適用せよ、と言っても、言われた側はムカつくだけだよね。
mix-in 近代フェミニズムにはハラスメントを可視化したり功績もあった。男性にも恩恵はあったはず。縦社会で生きる男性からは出てきづらい発想だからね。もちろん縦社会があったからこそ今までの発展もある。どちらも重要。
この辺は、フェミニズム以外の要素も大きいので、あまり短絡的にフェミニズムだから、と帰結するのも良くない。男性サイドの目線では、そこまで顕著な功績はない。
嫌な目にあったときに「上に言いつけてやる」スキルが全世代で向上しているが、これはフェミニズムと言うよりは別の要素が強い。学校で「体罰禁止」になってから生徒の交渉力が上がり、その環境で育った学生が社会に出てきているから、という面もかなりある。
世代が下るほど希少性が増しており政治的パワーが向上している事も含め、縦社会の中での自己主張テクニックの成熟、と考えたほうが実態に近い。
table 都市部で負けた蓮舫と都市部は勝ったハリスを並べる事についても語ってほしい。/衣食足りて礼節を知る事は普遍だけど、国民が衣食足りてない事に気づかない人が負けたんよ
蓮舫は政党的なバックグラウンドとしては、小池百合子サイドに勝ちうるだけの勢力を持っていない所からのスタート。
ハリスはまがりなりにも二大政党の一角民主党の候補。基礎票がそもそも違うから、そこから議論する必要がある。
特段ここに論点があるとも思えないし、あると言うならそれを論拠を示して、主張するところから。
alt-native しょうもない。審議した議案貼っとくから「フェミニズム的政策」とやらの具体的な法案名とどこらへんが気に食わないかを教えてほしい。 https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/menu.htm
これで反論になると思っているのは流石にヤバい。フェミニズム信奉者は、権威とか大量の書類とかをぶつければ相手が黙ると思っているんですかね。
選挙の話をベースに組んでいる論理に対する反論としては、完全に論点がずれている。
あと、相手に説明させるのも悪い癖。お前が論理を組み立ててお前が相手や周囲を納得させるのが先。自分の頭を使うのをサボるな。
otoan52 「フェミニズムが」というより、透明化された人たち(象徴資本主義的表現)こそがマジョリティであって、その課題解決が政治に求められているのだよな。それはポピュリズムではなく足元ちゃんと見ようぜという話。
ところが、そういう理屈だとフェミニズムとかその系の思想がしつこくへばりついてくるんだよ。
で、安牌であるがゆえに削除されずに折に触れて出てくる、という問題があるの。
それをやり続けた結果、普通の若年男性をまるっとトランプにNTRされてボロ負けしちゃった。
zheyang 後づけの合理化:ある結果に対して、自分の主張を支持するような特定の原因を過度に重視する。事後的に都合良く解釈し、自己満足する。実際には様々な要因が複雑に絡み合っている。
「実際には様々な要因が複雑に絡み合っている。」って何も頭使わないでもいえるから本当に便利ですよね。
これも何気に効いてる。
「リベラルは弱そうに見えるやつだけこん棒振り回すんじゃね?」と思われ始めている。
cider_kondo AI執筆記事かな(罵倒語/根本は予備選方式の弊害「党内競争で勝ち抜くために主張が極端化」で勝ったトランプは8年かけて党を単色化。ハリスは反トランプしか大義のない予備選回避クーデターの産物で主張もクソもない
フェミニズム信奉者って、結構初手から罵倒してくる人間が多いのよね。
罵倒してきた人間に人は恨みを持つから、割と相手側の政治勢力に行って帰ってこないことも多いんだよ。
つまり、こういう事を書いているフェミニズム信奉者が、フェミニズムやポリコレなんかの人気を落とし続けているの。
フェミニズム信奉者に罵倒された奴は、「こいつにトランプ勝利を見せたら悔しがるんだろうな」と思うじゃん、普通?
しかも一票持ってるわけで、それを行使することでトランプを勝たせることができる。最高だよな。
フェミニズムは、全体として「フェミニズム以外」の一般人に対する態度が傲慢で醜悪なので、まずはそこを改善しないと駄目。
フェミニズム信奉者とのコミュニケーションでブチ切れてアンチになっている奴、フェミの自己認識とはけた違いに沢山いると思ったほうが良い。
馬鹿の一つ覚えで「ミソジニー」と言っていれば済む時代は終わったんだよ。
口汚く罵倒してくる性格の悪い人間が倫理や道徳、あるべき社会なんか説いたって、誰が聞くの?
政治の世界でも「フェミニズムは腫れ物になった」って、何回言われたら気が付くの?
nippondanji ブコメでも目をそらすようなコメントが並んでるな。本当に多くの人が攻撃的なリベラルやフェミニストにはうんざりしてるんだよ。多くの人がその事実から目をそらし続けるようなら今後ますますその傾向は続くだろうね
本当にそれ。
https://anond.hatelabo.jp/20241019210503
俺は普通に地元が荒れまくっていて、何人か友達も死んでるし、俺自身も犯罪に巻き込まれたことがある被害者だ。
こういうのを見る度に思うのだけれど、「頭が悪いから犯罪する」だとか、「能力が不足しているから犯罪をする」という思考に流されすぎ。
いいか、今話題の強盗団は「何も悪くないのに強盗になってしまう」ことが一番の問題なんだ。
倫理意識が高かろうが、頭が良かろうが強盗になる。それがこれからの世の中。
お前が言っているのは「詐欺は騙される方が悪い」とかそういうレベルの極論。何も悪くなくても詐欺の被害者にはなる。
普通の人達が社会人をやってる時間を「どうやったら犯罪で一儲けするか」に振っている人間達がいるという思考をしろ。これは単純な労働力投下量の問題であって倫理の問題ではない。
まずこの文章を読んで、お前も、俺も、いつでもこういった犯罪に巻き込まれる、加害者にも被害者にもなる可能性があるという意識を持つことが何よりも重要なんだ。
「何言ってんだお前」という声が聞こえた気がするが、これは圧倒的事実だ。
「強盗と強姦はやるな」というのは、ちょっとでも犯罪に身が近い世界で生きてきたなら当然の常識だ。
すごく馬鹿にされそうな言い方をすると、不良界隈にいたのであれば強盗も強姦も基本的にやらない。置き引きや暴行は普通にやるやつら、簡単に人を喧嘩で刺すやつら、そういう人間達でも強盗はしない。
なぜかと言うとメリットに対してデメリットが大きいからだ。要は実刑を食らい、さらに長い刑罰を食らう可能性が非常に高いのがその二つの犯罪だからだ。
うちの地元だと「強」のつく犯罪はするな、というのは先輩から後輩に受け継がれる鉄則だったりする。
あと立証しやすいとかもある。
お前達の世界観だと、「犯罪をしたら警察に捕まって刑務所にぶち込まれる」くらいの解像度かもしれないが、犯罪にも色々種類があり、捕まり方にも種類があり、ぶち込まれ方にも種類があるということを知るべきだ。
不良界隈は、犯罪のコード化をしっかりと進めているので「これは実刑まではいく」とか、「これはやったら割りに合わない」という思考をする。
犯罪をしたら刑務所、みたいなふわっとした思考でいないのだ。具体的な手順、具体的な刑罰を考えて割に合うように犯罪をするのが不良というものなのだ。
あとはこういう大金が絡む犯罪だと、10年懲役を食らったとしても、1億稼いでいるなら年収1000万だ。これは悪くない、という考え方もある。
(金の隠し方、要は税務署からどう逃れるかにも色々テクがあるが、これは言うと身に危険があるからここには書かない)
ダラダラ書いたが、要は「悪いヤツ程強盗はしない」のだ。お前の周囲にも、置き引きやら喧嘩で鑑別とかにぶち込まれた同級生くらいいただろう。うちは年少行きもかなりいたが。
そういうやつらは、強盗は基本的にしない。割に合わないことを知っているからだ。
気軽に人をぶん殴り、喧嘩となれば刃物で人を刺すようなやつらが、強盗はやらないのだ。
普通の人だよ。お前や、俺だ。普通に学校に行き、普通に社会で暮らす人達だ。
●どうやって強盗団になるのか、どうやって逃げたらいいのか
俺の知るノウハウを書く。正直最早古い手順になっているのだが、啓発だと思って聞いてほしい。(多分、ニュースとかでももうやっていると思う)
SNSかバイトサイトで、荷物運びとか適当なことで釣る。で、ここでもう「高報酬」とかあんまり言わん。普通の仕事と同じように見えるように書く。
というかお前ら、バイトの募集アプリで見た事あるか?どれもこれも「高報酬!」とか「隙間時間に手軽に稼げる!」とかでありふれている。
闇バイトと普通のバイトの見分けはハッキリ言ってつかない。というかつかなくしている。
現場にやってきたら、あとは簡単だ。「本人確認」と言って免許証を取り出させ、「スマホってある?」って言ってスマホを取り出させる。
それで免許証とスマホを奪う。これは大体車の中で行うことが多いかな。場合による。
これでもう完成。「俺はそんなバカなことはしない」と思うかもしれないが、基本的にもう手慣れているのでマジで騙されるよ。
ちなみに、これは周囲から聞いたのだが、基本的に逃げるならここしかない。基本的にこの後はもう車で現場まで行って楽しい強盗団に強制参加だ。
現場に降りた瞬間に逃げるのもアリだが、その時は当然中の人間も武装してるのでついでみたいにぶん殴られ、拘束される。
あと、「緊急連絡先」って言って、実家の住所と電話番号も提出させることが多いので、「実家襲うからな」」という脅しにも当然耐えなければならない。
(というか、事実見せしめで実家も襲われてるみたいなニュースがあったはずだ)
ここに、「頭が悪いから巻き込まれる」とか「警戒心が低いから巻き込まれる」という要素は個人的にはないと思う。「スーパーのバイトに応募したら強盗団になる」くらいの感覚でいた方がよい。
バイトや派遣なんざしているのがもう悪い、という話はあまりにも昨今の就職事情からすると暴力的な話でもあるしな。
これには3つの要因がある。①技術の発達(普遍化)②犯罪のファンタジー化③ノウハウの高度化だ。
①はわざわざ語るまでもないだろう。アプリ、SNSでいくらでも人と繋がれる時代になり、情報をやり取りできるんだからそんなもん悪用されるに決まってる。
無知は利用するもの、知識は悪用するものだ。この世の基本だ。求人を誰にでも出せるようになったので簡単に実行犯を集められるようになった。
②は俺は最も重い問題だと考えている。不良が減りすぎた。犯罪が減りすぎた。犯罪が遠くなりすぎた。
「悪い事」がなにやら魔法のような、よくわからない世界になってしまった。だから、万引きも強盗も同じ「犯罪」のくくりになってしまう。
本件に関しては、「何に替えてでも強盗には参加しない」という意識が低い。強盗は基本的にやったら超絶重たい罰を食らう。
③、これは①との複合の話になる。今、異常な速度で犯罪のノウハウは共有されている。前述したように、どうやって違法に金を集めるかに、多くの労働力を投下している層というのは存在する。
これからも存在し続ける。そういったやつらのPDCAサイクルが異常に早く回り出している。
「とりあえず試してみよう!」精神が、犯罪者界隈で最近活発になっている。統計上は犯罪が減っている。凶悪犯罪や強盗も減っている。
だから問題ないと考えるのは自由だが、これは俺は身近な空気感として感じている。
●俺達はどうしたらいいのか
犯罪をしろとは言わんが、犯罪に対する無知があまりにも増えすぎた。もっと悪い奴らと会話をした方がよい。
別にこの話に限ったことではなくて、犯罪を身近においてどうやって避けるかのノウハウに頭のメモリを常時使うべきだ。
「何も悪くなくても強盗団になってしまう」という話と矛盾するようだが。
それでも上記の話のように「免許証とスマホを捨ててでも遁走しろ」みたいな話は俺は地元の先輩から3年は前に聞いていた。
そういう啓発は警察の仕事かもしれないが、基本的に警察というのは起きた犯罪に対処するのが仕事であって未然に事件を防ぐのはあくまでも副次だという意識をもっと持つべきだろう。
犯罪は遠い世界の出来事ではない。お前も犯罪者になるし、俺も犯罪者になるし、お前も被害者になるし、俺も被害者になる。
そういう意識をもって常に生きるべきだ。
「虎に翼」が終わって「おむすび」になりましたが皆さん観てますか?
先日、増田に「虎に翼」のとてもよい考察がありましたが、朝ドラはそんな真面目な考察に値するものではないですよ。
https://anond.hatelabo.jp/20240928134122
そもそも朝ドラは対象年齢は60~70歳前後だと思いますが、あまり映画やドラマに親しまない人が家事とかしながら気軽に見られる様な作りで、1回見逃したらついて行けないなんてことがない様1回の内容は薄いうえ重要シーンは何度も流しますし、土曜のダイジェストを観ればストーリー的には十分、余計な演出がカットされててむしろ出来がよいまであります。
「おむすび」では、ギャル文化のボリュームゾーンが50歳前後だと思うので、その世代向けの思い出とその肯定を入れたいんだろうなあ、少し若めの視聴者もターゲットにしたいんだろうなあ、というプロデューサーの狙いを想像します。最序盤ですが、あいかわらず薄い取材で適当なエピソード入れてる感じがしてさぶいぼが出ます。元ギャルに取材して「パラパラ踊れる人が偉かったんですよ~」なんて聞いたのが、「一発で難しいパラパラ踊れたら認めてやる」と少年マンガみたいなことになってしまったのではと想像します。実話だったらすみません(知り合いに元ガチギャルがいるので聞いてみようかな)。
朝ドラは、大きく分けて実在の人物をもとにした伝記系と、現代でとある職業に生きる系の2種類があります。ましなのは前者が多いです。「虎に翼」とか、カップヌードルとかゲゲゲとかウィスキーとか。後者は料理人とかパティシエとか気象予報士とか航空学校とか看護師とか海女とか、だいたい薄い取材でゲットした業界あるあるエピソードをつまらなくして盛り込んでてさぶいぼが出ます。せっかくスポットライトを当てたその職業の深みとかは表現しきれず、脚本家の書きたいドラマの設定に利用するのが精一杯です。
プロデューサーの主張なのか、するりと社会問題を入れてきます。特に「強い女」は普遍のテーマです。戦前でも戦後でも「今どき、女が〇〇する様な時代じゃない!」なんてセリフは毎回出てきます。余談ですが、大河ドラマでも平安から明治までどの時代でもこのセリフが出てきます。他、自閉症っぽい子供が田舎で元気になったり、性的マイノリティとか。
尺が豊富にあるせいか、内容が冗長です。回想シーンでは映像を流した上で「あの時の!」ですし、下手すると同じ回の15分で同じ映像が流れます。映画とか観て見て伏線がー回収がー演出がーという人が初めて朝ドラを観るとショック死すると思います。
演出はほぼ古来からのドラマにありがちな紋切り型(クリシェ)です。とてもわかりやすいです。落ち込むと暗い部屋でじっとしてるし、挫折すると雨に打たれながら外で倒れてます。主人公はだいたいモテモテだけど恋愛に鈍くて、恋愛脳の友達に助けられ、カントリーロードです。早い展開でイケメンで完璧な男と結婚/交際すると、戦時中なら死にますし現代なら相手側の理由で別れます。お笑い担当はコントみたいなBGMで登場し、肝っ玉母さんに怒られます。序盤で出てきた嫌なやつは、口が悪いだけのお友達キャラになるか、ラスト近くで「堪忍なあ」と泣きながら主人公に謝って禊を済ませます。
また、セリフ抜きの演出で表現する力量もないし、テロップ症候群の視聴者も読み取ってくれないので、心情もその都度ナレーションで解説が入ります。主人公が眉をひそめて少し首をかしげながら、「どうも腑に落ちない〇〇でした」って感じです。余談ですが、変わり種のナレーションでは、亡くなっていつも見守ってる家族(幽霊)目線、飼ってる犬目線てのもありました。欽ちゃんが犬役で面白かったです。
脚本家が群像劇を書きたそうな気配を感じることが多いですが、尺はあるのにうまくいってない事が多いです。だいたい各登場人物の設定を説明するのが精一杯です。
これだけ文句言いましたが、近年の朝ドラで私が好きだったのは、「カムカムエヴリバディ」でしょうか。それぞれの人生が少しずつ関わりながらすれ違っていって、ちゃんと群像劇でした。登場人物が気づいていないことを、視聴者が神の目線で「あの人だ!」「あの人の子供がこんなところで!」って気づくことが多くて、そのまま登場人物同士は他人のままだったり。伏線回収もことさら強調せずさらさら流れていきます。たぶん視聴者を主人公目線にセットしてると、久し振りに登場するキャラは、飲み屋に「よう」って入ってきて、「○○さん!?」「お前、よくここに顔を出せるな!」とかやるしかないよね。ラストで、子を置いて男とアメリカに行った母の言い訳回は要らなかったかなと思うけど(片付けが要るのはわかる)、朝ドラってのはこういうのでいいんだよ。こういうので。
たとえば、配偶者が一度きりの不倫をしたとする。あるいは何年もセックスレスである。しかし夫婦には二人の幼い子供がいる。
ある人はすっぱりと離婚を決める。夫婦の関係が破綻しているのだから、家族は継続できない。
ある人は夫婦関係を継続する。子供のための経済的な基盤を維持することが、家族にとって最も重要だから。
「子供は親の面倒を見て然るべきだ」「親はすべてのリソースを子供に尽くすべきだ」「義実家と親密な関係を結ぶべきである」「家族になったら夫婦愛はいらない」…こうした言説は未だ根強い一方で、だんだんと効力を失いつつある。どちらが正しい、という話よりも、重要なのは、あるべき家族のイデアは人によって異なっているということだ。もう、すでに大きく異なっている。あなたが「常識的に考えて家族とは」と思うそれを、いったいどれほどの隣人が同じように信仰していると言えるだろうか。
いや、そんな現実はあってはならない、あるべき家族観を取り戻さなければならない、といっても、もう遅いのである。あなたが強固な信念を持っているように、相手だって同じ強さで家族観を持っている。どうしてあなたが、対等なパートナーとなるはずのあなたが、相手の信念を塗りつぶすことができるだろうか?
繰り返しになるが、それは正しい、正しくないの問題ではない。自由意志を持った他人を、自分の思うように動かすことはできない。
あなたは夫婦が別姓であることによって家族の絆が壊れると考える。しかし現実的には、夫婦別姓を望む人々がいる。彼らは夫婦が別姓であっても、家族は成り立つと考える。要するに、彼らの思う「家族」とあなたが思う「家族」は、もうすでに別のなにかなのだ。だから、あなたがどれほど声高に夫婦同姓を望んだところで、あなたの思う「家族の絆」はすでに、普遍の原理としては存在していない。彼らの家族観も同様だ。互いに「あるべき家族」について合意することはすでにできない。順序が逆なのだ。
夫婦別姓によって、自分と似た家族観の人間が減ってしまうかもしれない、だからそれを止めなければならない、とあなたは考えるかもしれない。でも、もしそうなれば、あなたの家族観がこれからの世代にとって、すでに魅力的なものでなくなっていっている、ということを意味しはしないか?あなたが本当に正しいのであれば、どうしてそれが減ってしまうのだろう?
あなたはただ、自分と同じ家族観を持つ相手を探せばいい。合わない相手と家族にならなければいい。適度に距離を置いた隣人として生きていけばいい。あなたの思う家族の絆を実現できる相手と生きていけばいいだけの話なのだ。
けれどもたったそれだけのことができないのが、普通の人間が普通に持つ弱さというものなのだろう。すると逆説的に言えば、選択的夫婦別姓推進派が受け入れるべきは、「大抵の人間は、徹底した個人主義を生きられるほど強くない」という現実なのかもしれない。彼らは彼らでその現実と向き合って、打ち出すメッセージを考えることが必要なのだろうな。
AIの登場によって絵師がその仕事を諦めざるをえなくなるとしたら、
こういう発想が出てくる事自体おこがましいことなんだってことに気付いて欲しい
反AIが嫌われるのは「テクノロジーの発達によって属人的な技術が普遍化するのは喜ばしいことだ」っていう人類全体の進歩の大原則に歯向かっているからなんだよ
テクノロジーの発達によって職人的な仕事がなくなっていくってのは当たり前のことだし、それ自体は非常に良いことなんだってことをまずはわかってくれ
画材の専門店なんてのが主要駅の近くには必ずあって今で言う絵師に相当する人間はAmazonなんてあるわけないからわざわざそこに赴いて自分の技術に必要な商品を買っていた
ところがPCのソフトウェアの発達とペンタブの登場によってイラストに関する画材市場は壊滅的な打撃を受けた
パソコンならいちいちペンを持ち替える手間もないし書き損じたときに0からやり直す必要もないからどっちが便利かなんて明らかだったんだよね
ソフトウェアの製作者はユーザーの声を聞きながら「どうやったらあの画材の書き味をパソコン上で再現できるか」ってことに腐心して(反AIの言葉を借りるなら無断学習して)研究開発しまくった
その結果、結局今となっては画材屋なんて軒並み潰れ果てたし画材の製造会社だって何社も潰れまくっている
あるいは印刷分野に目を向けてもいいよ
今では考えられないことだけどadobeがここまで普及する前は印刷屋さんにDTPを行う専門の技術者が必ず常駐して高給で働いていて、同人を描いている人はみんなそこに依頼していたんだよね
絵描きの全員が印刷に適したデータを持ってこれるわけではないから、紙に書いた生原稿をスキャンしてちゃんと形式を整えて装丁して一冊の本として出す
当然いまはその程度の作業なんてみんな家で簡単にできるようになったからDTPの職人の働き口はめちゃくちゃ狭くなってしまった
絵師の使っているソフトウェアなりペンタブなりは全部そうやって廃業していったDTP職人なり画材の製造職人なり画材の卸問屋なりの屍の上に成り立っている技術なわけ
で、反AIはデジタル画材の普及に際して「創作市場そのものを縮めていく効果がある」なんて声を上げたりしたわけ?
してないよね?
自分たちだけが特別扱いされるべきだって考え方を恥ずかしげもなく披露しているその傲慢さは本当にどうにかしたほうがいいと思うよ
そしてまともな社会人はみんなこの手の技術革新に対してはちゃんと柔軟に対応しているんだよね
自分の携わっている産業が誰かの廃業の上に成り立っていることを自覚して、あるいは自分もいつ廃業するかわからないリスクを抱えながらキャリアプランを練っているわけ
例えばWEBライターなんかはあと数年で滅びるだろうけど、いまWEBライターやっている人もその経験を活かしてWEBサイトの分析等を行うマーケター、サイト運営そのものを担うWEBディレクターなんかに転職して、あるいはもっと趣味的で属人的な文筆業に鞍替えしたりして生き残ろうとしているわけ
仮に下手くそな絵を描いていたのだとしてもPhotoshopとか画像編集系のソフトの扱いに長けているんでしょ?
AIの登場によってむしろAIが生成した画像をレタッチしたり修正したりする仕事は需要が爆増するだろうし、あるいはちゃんとした審美眼を持っているデザイナーだって重宝されるに違いないわけじゃん
手軽に自分を正しい側に置き他人を迫害するのにこれほどちょうどいいものはない
正義について深く考える労力すら彼らには惜しいのだ
前記事で、コロンブス問題、サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後に野沢直子の回答で締めくくっていたら、
まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。
先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母
ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。
ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。
それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。
特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民の視点。
【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母
これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。
ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクトを確認できない感じではあった。
(例えば、1637年のピクォート族虐殺=John Winthropマサチューセッツ湾植民地知事による征服祝いが感謝祭の起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディアを検索しても「このピクォート族の虐殺と土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初の感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっとも保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)
というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要な感謝祭が、実はアメリカ先住民の視点からみると、自分たちが虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民の立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史を直視するよう求める主張も行われている、という。
これは、ポッと出てきたアニメやMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。
感謝祭はそれほどまでにアメリカの文化・経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味、合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかにキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺の歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。
だから、アメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。
問題は、自分たちのアイデンティティ形成に欠かせないものをキャンセルできるのかというテーマだ。
そもそも、植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちのアイデンティティに組み込まれているからだというのは、例えばフランスの植民地主義を振り返るとわかる。
例のコロンブスMVでは、類人猿に音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカンの歴史が最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会を文明化する、というテーマはむしろ、フランスの植民地政策がどんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。
ひとつ前の記事で永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。
人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的なものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的に判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。
偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統や文化と結びついた自分たちの偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。
つまり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化や価値観で自己実現をしたいひとだっているってことだよ。
進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、
学生運動のシュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。
エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義の元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレにビビったというのがそもそもの出発点なのだ。
*教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バークの見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。
もうひとつ興味深いのは、フランスの人権の歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。
フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的な価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特に、フランス語の普及は博愛の精神の名のもとに、当時フランスが支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶があいまいだが、当時の知識人ヴィクトル・ユゴーは奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。
こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神の普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国の保守知識人からはフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権を普遍的なもの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。
人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛を友愛とポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。
これはある意味で、感謝祭が国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題は共通する。
昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権の普遍化のプロセス(進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。
自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。
そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民の立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様、アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味、表現の自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏の思想は、欧米の帝国主義がアジア諸国の文化や経済を搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当にポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。