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2024-12-11

AIに何かを求めるなら人が介入しちゃだめなんじゃね?

AI関連で違和感がずっとあったんだけどさ、なんていうかAIには好き勝手やらせた方がいい気がするんだよね

それこそSF普遍テーマであるところのAI人格を認めて一人種として心も体も好きに与えちゃえばいいんだよ

AI絵とかもそうだけど、そもそも人がAIを道具として使っているのが意味わからん

だって直接AIにこれやってよと言えばいいのに、無駄仲介業者を間に挟むから問題が起こるんでしょ?AI絵だとしたら、頼んでいる人間イラスト知識経験もないド素人なんだから、ようするに才能ない人に頼む意味が全く分からない

ごく稀にいる、絵も音楽も一切できないけど道具を使いこなせる人ってのはマネジメントができる人なわけで、そんな超低確率な有能な人を探すなら有能なAIに直接仕事頼む方がいいでしょ

AI自分で考えて行動できるってしちゃえば実は何の問題もないんだよね

変に人がでしゃばるからいけない

anond:20241211074744

もし高い・低いの語彙が西洋音楽からの輸入か、

あるいはシルクロード伝いに広がった文化だとしたら

そこから大きく外れた文化がどうなのか気になったんだよ

他と隔絶された文化でも同様の語彙なら、それは人類普遍のものといえるだろう

2024-12-08

レッテルからの脱却

自分なりに正しく生きようとする

誰かから見てそれは間違っていても本人はクソ真面目に生きようとしてる

その正しさは世の正しさだったり、世とは無関係にただ生き抜くことが正しかったりして

その差が人から見れば間違いとなったりしてしばしば衝突が生まれている

人権尊重多様性とはそのような差異も含めて相手生き方を認める事で、その上で差異の落とし所、お互いの妥協点を探り共存共生していくことが人の社会と言うものだろうと思う


もちろんこれも、私なりの世の見通し方であって、人によっては不正解なんだろう

卑下しすぎる必要はないけれど、自分が何もかも正しいわけじゃない

その程度の自覚は持たなければいけないと思って生きている

人の世はとても複雑怪奇

いっそ自分は何もかも間違ってなくて周りが全て間違ってて悪いんだと言う最もシンプル生き方を選べたら、確かにそれは一番メンタルには良いし、ある意味正しい選択の一つなのだと思う

今回書くのはそんなシンプル生き方を選んだ人たちへの批判


この世には自身を善人と信じて疑わない人たちがいる

そんな人たちの世の見方と言うのは自身が先ず善性なので、とても綺麗そうなラベルで身を固める

まるでファッションのように

平和主義左翼人権尊重自由平等弱者の味方、反戦反差別リベラルポリティカルコネトレス最近ではフェミニズム

もちろん、この言葉に属する人たち全てがそうと言う話ではない

真正からその言葉と向き合い、信念を持って取り組んでいる人もいるだろう

そして自身の善性を保つために、自身意見が異なる人物や嫌と感じた人物には悪性のものとしてレッテルを貼る

戦争右翼ネトウヨ独裁差別主義歴史修正主義デマミソジニー表現の自由戦士、反フェミ

言葉に対して信念があるかどうかは言動が一致してるかどうかが分かり易い

例えば平和を掲げながら暴力暴言を振るう人物や、多様性思想信条自由を掲げながら右派と見るや犯罪者扱いしたり、フェミニズムを名乗りながら都合の悪い女性意見無視するなど、言葉元来の意味に反するような人物ファッションで善人をやってるのだろう

それでも自身は善人である事が大前提なので、本人にとってそこに矛盾はないのだ

善人である自分文句をつけるから相手は悪い奴、それで完結してしま


そして悲しいかな今の世は、そんなファッションで善人をやってるような人たちが大手を振るう時代となった

世に打ち出す上では個々人がその言葉に信念があるかないかなんて関係ない、メディア学術的にも聞こえがいい言葉は使いやすく、そうした言葉を小気味よく振るう人が容易くそ言葉権威に就くようになった

そして、今右傾化と言われる世界は、そんな人たちの綺麗事に対して世界的に反発が起き始めた結果なのだと思う

自身絶対的に善性で、間違いがないと言う人は問題が起きても自分が悪いと言う思考はないので、相手が悪いと言う他責以外の答えを持たない

自分無関係問題場合、一方が自身が悪性と判断した人物であれば物事の原因分析等もなく、悪性だから悪いで完結してしま


例えば移民問題では、難民と言うと人道的に保護必要であり、受け入れてあげるのが人の優しさだろう

善性であれば当然そう動く

しか問題はその先だ。その受け入れた移民が受け入れ先で問題を起こした場合どうするか?

移民といえば育ち、ルール文化環境、何もかもが違う

最初に書いたように人と人の間に差異は当然にあり、問題に対して落とし所、妥協点を探り人の社会として共生共存の道を探っていくべきだろう

別にこれは移民と言う規模でなくとも、例えば夫婦と言う関係仕事と言う関係でも人の世の在り方として当然していく事である

しかし実際はどうだろう

問題が起きたと言う現地の声があり、それに対して起きていることは、便乗してデマを流すような悪意ある行為事実としてあるが、それに対しての自称善人の人の声は個人問題でありそんな民族間差異による問題はないと言う問題全否定である

民族間レベル問題提起は差別の温床であるから差別者が悪いと言う全く雑な判定だろう

そうしてこれを差別問題とし、差別者が巣食う日本社会が悪いと繋げている

人と人の間で起きた問題に対し一方的な悪を決めつけて何が解決するのか

すべきはデマ事実を切り分けた上で、問題が再発しないよう働きかけ、共存共生の道を探る事じゃないのか?

問題全否定などして一方的な悪の決めつけをするからその反発が起こる

欧米では移民問題が拡大し、移民を追い出せと言う声やポリコレリベラルへの反発が膨らみ、極右が台頭したと情勢の変化が報じられている

それはまさにこうした問題は全て悪性の人間のせい、右翼のせい、差別主義者のせい、移民には何も問題ないとして自身の善性を語りながら本当の問題のものに向き合ってこなかった結果じゃないのか?

本邦でも自称善人は差別批判し、全く問題事実とは向き合わず民族のものは何も悪くないとしているが、それは今の欧米への轍を踏んでいるだけではないか

今後もその轍を歩み続け日本でも移民を追い出せと言う勢力が台頭した時、それは果たしてただの右傾化右翼差別主義者が悪いと言えるものだろうか


人が正しくあろうとすることは、悪い事ではなくむしろ普遍である

ただ、その正しさに駆られて誰かを悪とする事であらゆる問題解決しようとしたならそれは反発や分断を産み、決して問題解決せず、その究極的な行いが戦争と言うものだろうと思う

それを避ける事を主目的とするなら、本当に平和平等と言った掲げた言葉通りの善性でありたいならそこに右翼左翼も男も女もない、思想の違いなど些細な事で、地道にでも問題一つ一つに真摯に向き合う事で問題が小さい内にそれぞれの落とし所を探っていき、同時に右翼左翼や男女等、大きな言葉で括って分断化を呼び込まないよう努める事しかないのだと思う

長年インターネットに触れてきて、集合知炎上エコーチャンバーデマ騒動右翼左翼やら属性に依らず引き起こされる事を実際に見てきてそう思う

ベルレッテル無駄党派性や分断化しか生まない

2024-12-06

アニメ映画を観るのが得意じゃない

本当に映像作品を観るのが得意じゃない。

なにしろ、何分!何時間身体が拘束されると思うと嫌気がさすし、目が乾くだろうし嫌になる

ドラマをブワーっと見れる人とか、アニメを観る人っていうのが信じられなかった。文章だったら自分で読むスピードを変えられていくらでも読み直す事が出来るけど、映像作品は観るスピードを変えたら作品自体が変わっちゃうし、巻き戻ししたところで映像の端から端までを一気に観ることは、物理的に不可能だ。

ということを感じて、どうにか観れるようになりたいと、映像作品イロハを学ぶことにした。

とにかく上手と下手を常に意識する。

そしてカットが映し出すもの、それがなにを呼び起こしているのか、どのような象徴であるのかを念頭に入れておく。

光源はどこかとか。

重い腰をあげて、手始めにエヴァを見てみた。

するとこれはと驚いた。勉強の成果が感じられて嬉しかった。

上手下手のほかにも、カメラ位置についても考えるようになると、段々と映画すらも楽しめるようになった。

音楽勉強したときのはじめての気持ちを思い出した。

でも驚いたことに、見たい映画がない!

それに地方映画館でやってるようなエンタメ映画というのは、本当にこの勉強の成果が全く出ない!

映画って予算とか莫大なのに、なんで技巧を凝らすものが少ないんだ?

そうなると自分が楽しめるのはやっぱりアニメになるし、映画前衛映画になる。

今年は例年に比べてまあまあ映画を観たと思う。

はいっても、10作品も観てないような気がする。とにかく目が乾くのが嫌で観る気になれない。

もともと物語を追うのが得意じゃない。小説はよく読むけど、ストーリーを追うのは凄く下手だ。

・何かが起こる

・どうして起こったか

・その後どうなったか

この因果化学でやったような共有結合的な仕方で手を取り合っていたら簡単だが、小説は挿話のようなものパンパンに詰まっていることも多く、本当に、覚えられない。

パンパンに詰まっている挿話の袋に穴があいて、そこからブワッと一気にエピソードが頭の中へ漏れ出す。頭の中ではそれらが、さっきの因果の仕方でどのように結合していたか、並べ直す作業がはじまって、ようやく人と話せるようになる。

現代文は得意だった。マークシートでは9割が普通で、記述でも8割を下回ったことはない。

でもそれとこれとは全く別だということ。

友人が言っていたのを思い出して、岡田斗司夫を少しだけ見るようになった。岡田斗司夫の言うことは確かに、切れ味は鋭い。ふーむ、そこを切り口に語るのですね、と思う。

が、岡田斗司夫の言っていることは、雑学という写像的な意味対応を抜きにすれば、入試現代文と同じなのだ岡田斗司夫を下げるわけじゃない。でも誰でもできるというわけではない。勉強すればできる)。

と、強く思っている。

でもやっぱり、映像作品を観るのはあまり、得意ではないなあ……と思う。

それなのに色々なひとが、いわゆる「考察」についてよく話しているのは、すげえと思う一方、さっきの雑学という写像的な意味対応披瀝あんま変わんねえんじゃねえかなあ、とも思う。

YouTubeで何かの紹介があると、コメント欄では「ちなみに〇〇の△△は××です」「□□が☆☆なのほんとすき」とか。作品理解とは無関係な、つまり辞書を引けば即会得〉という意味での雑学は、誰のものでもないし、誰も凄くないし、なんだかなあという気持ちになる。

それにしても、勉強の成果というのはヒシヒシと感じる。

学生の時分はとにかく怠惰だったから、あまり勉強をしなかった。勉強趣味趣味勉強というのは心が豊かになって良い。

ただ、自分が、自分けが怠惰世界であるようには思えなくて、このような怠惰人間が学びなおして、インボー論的なヤツにハマったりしているのであれば、その人に対して私は同情してしまう。

ネットに溢れるインボー論的なヤツも、先の〈辞書を引けば即会得〉的な、写像対応とあまり変わらんのではないか、そのように思える。学生時代には「これって実質〇〇なのでは……?」というのが流行った。それと現代文対応させると、文章から抽象を引っ張り出して、抽象を、或るものと別のものを繋ぐドカンのようにしてやり、具象を出す、そのような理解を得た。

勉強せずに現代文を解いていると、逆に現代文はどのような勉強をすれば、どのような理解に基づけば解答が導き出されるか、という「逆勉強」のようなものに従って、普遍化していた。なにも私は全知全能ではない。なぜか現代文が解けただけなのだから勉強すれば出来るようになる入試というもので、天才しか解けないような問題を出すなんて、ありえない話なのだ

私の現代文先生は、よっぽど特殊だったのだろう。素晴らしい先生だった。「現代文は、つまんないからやりたくない」そう言って「だって、読めば答えが書いてあるから!」と喝破した。そして、授業を本当にしなかった。雑談をして、そこから生徒と一緒に、思考コネコネする。でも実際、私たち生徒が感じていたのは雑談だし、授業をしない、教科書を読まない! だけだと思っていた。「あーあ、ねみー! 次現文かあ、寝るかあ」なんてのをみんながよく言ってたものだ。

2024-11-09

フェミニズムバブル」の終わり (追記の続き)

追記を続けていく。

https://anond.hatelabo.jp/20241107090029

ちなみに、前回のエントリにも後半追記を付けた。

追記

ぼちぼち目についたところにレスしていく。

oeshi 今回は変に男女論に持っていくより庶民生活苦ストレート与党批判に向かったと考えた方がいいと思うな。今のアメリカ下半分がひどいもの

xorzx 生活に困る貧困層の声はSNSじゃ分からないのでは?ハリス左派なのにその問題を深刻に考えなかった結果負けた。フェミニズム関係あったとは思わないけど。

good2nd 大統領選フェミニズムがそんなに影響してるとは全然思えないんだが、増田には何が見えてるんだ…

unakowa フェミニズムというよりウォークイズムだと思うよ

どういうわけか、フェミニズム信奉者は反省が極端に苦手。

攻撃は最大の防御、とばかりに攻撃ばかりしているから、いざ自分たち問題が見えてくると、別のところを攻撃したり、無害化してやり過ごすんだよね。

たくさん見てきたから、よく知ってる。

無罪化の意図が無いコメントもおそらくは混ざっているが、明確にフェミニズムポリコレ、DEI偏重は指摘しておく。

今回の2人の敗北は、頂上決戦での地滑り的敗北であるが故に、彼女らのデッキ構成していた主要カードであるフェミニズム運動(と彼女らの売り出し方)の限界点を示している。

若年男性の支持をまるっとトランプに持っていかれた、という現状は、この問題が男女論を避けて通れないことを明確に示している。

大統領選スイング・ステート支持率50%越せるかどうかで決まる接戦である以上、ある属性ガツンと取られる、なんて調子選挙戦をやっていたらそりゃ大敗しますよ。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-11-07/SML2X5DWRGG000

mouseion いや自民党総裁選女性候補がいっぱい出たかカモフラージュ吉田晴美さんを選出させたのよ。前回代表選では西村智奈美さん。立憲民主党は男所帯だから女性も頑張ってるアピールのためにスケープゴートを出す。

その可能性は把握している。だけど一つに特定できないから、「様々な意図があったと思われるが」と書いている。

ここで書いているように女性も頑張っているアピールかもしれないし、左派枝野サイドの勢力分断が狙いかもしれないし、フェミニズム勢力可視化かもしれない。

明かされていない意図を読むのは結構だけど、それは「あなた感想」ですよね、という話でしかない。

uehaj フェミニズムのやり過ぎではない。足りないんだよ。モルドバ大統領イタリアフィンランド首相全部女性だがそうなって初めてフェミがのさばっていると言えるがもはや話題にならなくなる。反動言うならそれから

負けて大金を失ってるギャンブラー

「まだ投入する金が足りないから負けてるんだ。他の奴を見ろ。もっと金があればきっと勝てる」と言っているのと同じ論理

今回は大きな戦いで2回も負けてるんですよ。。。

todomadrid 女性大統領選出馬しただけで「フェミニズム標榜」?ハリス本人はむしろ女性として」色を意図的に抑えてたのに?どんな行動をとろうと「女性」という先入観だけで語られ、本人の言動無視される意味を考えてみて

女性大統領選出馬しただけで「フェミニズム標榜」、という扱いをしているわけではない。フェミニズム信奉者は議論ができないのかね。

ヒラリー普通に良く闘ってたし、個人的には勝ってたとしても全くおかしくないと見ていた(からここでは扱ってない)。高市早苗だって総理大臣の目は普通にあったし、今や自民勢力の中では「石破より高市」の流れにきている。小池百合子は3戦目の東京都知事選圧勝した。

若くして副大統領に抜擢されたのに大した実績も残せず、大統領選に出ても高支持率スタートした後支持率を落とし続け、結局地滑り的に負けたハリスの話をするのが先でしょ。ヒラリーとは違う何があった(無かった)のか、という所から話をするしかない。

Tamemaru 面白いのは、米国では反リベラル思想を表明すると職を追われる場合すらあるせいで、表面上はみんなリベラル賛同してるように見えるため、選挙結果が出るまでリベラル自分達が支持されていると本気で思ってたこ

言論表現の自由が抑えられた地域でよく見るパターン・・・・・・

米系決済会社が、日本エロ系のサービスをぐいぐい締めあげているのを見ても、この辺の価値観表現の自由との相性がすこぶる悪いのはよく分かる。

リベラルの強みってそもそもは「気に入らない事はいっぱいあるけど、そこは目をつぶる」という寛容性なので、寛容性を失ったリベラル選択的に特定人種性別だけに寛容を適用せよ、と言っても、言われた側はムカつくだけだよね。

mix-in 近代フェミニズムにはハラスメント可視化したり功績もあった。男性にも恩恵はあったはず。縦社会で生きる男性からは出てきづらい発想だからね。もちろん縦社会があったからこそ今までの発展もある。どちらも重要

この辺は、フェミニズム以外の要素も大きいので、あまり短絡的にフェミニズムから、と帰結するのも良くない。男性サイドの目線では、そこまで顕著な功績はない。

嫌な目にあったときに「上に言いつけてやる」スキルが全世代で向上しているが、これはフェミニズムと言うよりは別の要素が強い。学校で「体罰禁止」になってから生徒の交渉力が上がり、その環境で育った学生社会に出てきているから、という面もかなりある

世代が下るほど希少性が増しており政治的パワーが向上している事も含め、縦社会の中での自己主張テクニック成熟、と考えたほうが実態に近い。

table 都市部で負けた蓮舫都市部は勝ったハリスを並べる事についても語ってほしい。/衣食足りて礼節を知る事は普遍だけど、国民が衣食足りてない事に気づかない人が負けたんよ

そもそも論点じゃないでしょそれ。

蓮舫政党的なバックグラウンドとしては、小池百合子サイドに勝ちうるだけの勢力を持っていない所からスタート

ハリスまがりなりにも二大政党一角民主党候補基礎票そもそもうから、そこから議論する必要がある。

特段ここに論点があるとも思えないし、あると言うならそれを論拠を示して、主張するところから

alt-native しょうもない。審議した議案貼っとくからフェミニズム政策」とやらの具体的な法案名とどこらへんが気に食わないかを教えてほしい。 https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/menu.htm

これで反論になると思っているのは流石にヤバいフェミニズム信奉者は、権威とか大量の書類とかをぶつければ相手が黙ると思っているんですかね。

選挙の話をベースに組んでいる論理に対する反論としては、完全に論点がずれている。

あと、相手説明させるのも悪い癖。お前が論理を組み立ててお前が相手や周囲を納得させるのが先。自分の頭を使うのをサボるな。

otoan52 「フェミニズムが」というより、透明化された人たち(象徴資本主義表現)こそがマジョリティであって、その課題解決政治に求められているのだよな。それはポピュリズムではなく足元ちゃんと見ようぜという話。

ところが、そういう理屈だとフェミニズムとかその系の思想がしつこくへばりついてくるんだよ。

だって安牌だから

で、安牌であるがゆえに削除されずに折に触れて出てくる、という問題があるの。

それをやり続けた結果、普通の若年男性をまるっとトランプNTRされてボロ負けしちゃった。

zheyang 後づけの合理化:ある結果に対して、自分の主張を支持するような特定の原因を過度に重視する。事後的に都合良く解釈し、自己満足する。実際には様々な要因が複雑に絡み合っている。

この言葉そっくりそのまま返すよ。

「実際には様々な要因が複雑に絡み合っている。」って何も頭使わないでもいえるから本当に便利ですよね。

napsucks 意識の高い欧米矛盾イスラエルガザで浮き彫りになっちゃったもんな

これも何気に効いてる。

リベラルは弱そうに見えるやつだけこん棒振り回すんじゃね?」と思われ始めている。

cider_kondo AI執筆記事かな(罵倒語/根本は予備選方式弊害「党内競争で勝ち抜くために主張が極端化」で勝ったトランプは8年かけて党を単色化。ハリスは反トランプしか大義のない予備選回避クーデター産物で主張もクソもない

フェミニズム信奉者って、結構初手から罵倒してくる人間が多いのよね。

罵倒してきた人間に人は恨みを持つから、割と相手側の政治勢力に行って帰ってこないことも多いんだよ。

まり、こういう事を書いているフェミニズム信奉者が、フェミニズムポリコレなんかの人気を落とし続けているの。

フェミニズム信奉者に罵倒された奴は、「こいつにトランプ勝利を見せたら悔しがるんだろうな」と思うじゃん、普通?

しかも一票持ってるわけで、それを行使することでトランプを勝たせることができる。最高だよな。

フェミニズムは、全体として「フェミニズム以外」の一般人に対する態度が傲慢醜悪なので、まずはそこを改善しないと駄目。

フェミニズム信奉者とのコミュニケーションでブチ切れてアンチになっている奴、フェミ自己認識とはけた違いに沢山いると思ったほうが良い。

馬鹿の一つ覚えで「ミソジニー」と言っていれば済む時代は終わったんだよ。

口汚く罵倒してくる性格の悪い人間倫理道徳、あるべき社会なんか説いたって、誰が聞くの?

政治世界でも「フェミニズムは腫れ物になった」って、何回言われたら気が付くの?

nippondanji ブコメでも目をそらすようなコメントが並んでるな。本当に多くの人が攻撃的なリベラルフェミニストにはうんざりしてるんだよ。多くの人がその事実から目をそらし続けるようなら今後ますますその傾向は続くだろうね

本当にそれ。

リベラル寄りの人間から嫌気がさし始めているんだよ。

2024-11-04

anond:20241104201734

人類普遍幸福とか、そんな話してたんだね、キミ

anond:20241104195939

野原ひろしすらもう無理なのがデフォなんだなってショックだというかなんというか。

しろ、低い乳幼児死亡率と多産が両立してた時代特殊だったんだと思うぞ。歴史上ごく一時期だけにたまたま成立したモデル人類普遍幸福と考える方がおかしいと思う。

2024-11-02

anond:20241102215904

2%のインフレ目標日本を救う、何か悪いことがあったらそれはインフレ以外が原因だ

2%のインフレ目標グロバススタンダードにして絶対普遍、国ごとの成長率の違いなど無視しろ

2%のインフレ目標最先端経済学による裏付けがある、明日為替株価さえ当てられないけど


2%のインフレ目標信じろ

2024-10-20

強盗団の件、犯罪エアプの人達平和ボケしすぎ

https://anond.hatelabo.jp/20241019210503

俺は普通に地元が荒れまくっていて、何人か友達も死んでるし、俺自身犯罪に巻き込まれたことがある被害者だ。

こういうのを見る度に思うのだけれど、「頭が悪いから犯罪する」だとか、「能力が不足しているか犯罪をする」という思考に流されすぎ。

いか、今話題強盗団は「何も悪くないのに強盗になってしまう」ことが一番の問題なんだ。

倫理意識が高かろうが、頭が良かろうが強盗になる。それがこれからの世の中。

お前が言っているのは「詐欺は騙される方が悪い」とかそういうレベルの極論。何も悪くなくても詐欺被害者にはなる。

普通人達社会人をやってる時間を「どうやったら犯罪で一儲けするか」に振っている人間達がいるという思考しろ。これは単純な労働力投下量の問題であって倫理問題ではない。

まずこの文章を読んで、お前も、俺も、いつでもこういった犯罪に巻き込まれる、加害者にも被害者にもなる可能性があるという意識を持つことが何よりも重要なんだ。

要点を適当にまとめるから暇な時、読んでおいてほしい。

●基本、悪人強盗はやらない

「何言ってんだお前」という声が聞こえた気がするが、これは圧倒的事実だ。

強盗強姦はやるな」というのは、ちょっとでも犯罪に身が近い世界で生きてきたなら当然の常識だ。

すごく馬鹿にされそうな言い方をすると、不良界隈にいたのであれば強盗強姦基本的にやらない。置き引きや暴行普通にやるやつら、簡単に人を喧嘩で刺すやつら、そういう人間達でも強盗はしない。

なぜかと言うとメリットに対してデメリットが大きいからだ。要は実刑を食らい、さらに長い刑罰を食らう可能性が非常に高いのがその二つの犯罪からだ。

うちの地元だと「強」のつく犯罪はするな、というのは先輩から後輩に受け継がれる鉄則だったりする。

あと立証しやすいとかもある。

お前達の世界観だと、「犯罪をしたら警察に捕まって刑務所にぶち込まれる」くらいの解像度かもしれないが、犯罪にも色々種類があり、捕まり方にも種類があり、ぶち込まれ方にも種類があるということを知るべきだ。

犯罪者は犯罪を犯し捕まれば、泡になって消えるわけではない。

不良界隈は、犯罪コード化をしっかりと進めているので「これは実刑まではいく」とか、「これはやったら割りに合わない」という思考をする。

犯罪をしたら刑務所、みたいなふわっとした思考でいないのだ。具体的な手順、具体的な刑罰を考えて割に合うように犯罪をするのが不良というものなのだ

あとはこういう大金が絡む犯罪だと、10懲役を食らったとしても、1億稼いでいるなら年収1000万だ。これは悪くない、という考え方もある。

(金の隠し方、要は税務署からどう逃れるかにも色々テクがあるが、これは言うと身に危険があるからここには書かない)

ダラダラ書いたが、要は「悪いヤツ程強盗はしない」のだ。お前の周囲にも、置き引きやら喧嘩で鑑別とかにぶち込まれ同級生くらいいただろう。うちは年少行きもかなりいたが。

そういうやつらは、強盗基本的にしない。割に合わないことを知っているからだ。

気軽に人をぶん殴り、喧嘩となれば刃物で人を刺すようなやつらが、強盗はやらないのだ。

じゃあ、誰がそういう犯罪実行犯になるのか。

普通の人だよ。お前や、俺だ。普通に学校に行き、普通に社会で暮らす人達だ。

●どうやって強盗団になるのか、どうやって逃げたらいいのか

俺の知るノウハウを書く。正直最早古い手順になっているのだが、啓発だと思って聞いてほしい。(多分、ニュースとかでももうやっていると思う)

SNSバイトサイトで、荷物運びとか適当なことで釣る。で、ここでもう「高報酬」とかあんまり言わん。普通仕事と同じように見えるように書く。

というかお前ら、バイト募集アプリで見た事あるか?どれもこれも「高報酬!」とか「隙間時間に手軽に稼げる!」とかでありふれている。

バイト普通バイトの見分けはハッキリ言ってつかない。というかつかなくしている。

現場にやってきたら、あとは簡単だ。「本人確認」と言って免許証を取り出させ、「スマホってある?」って言ってスマホを取り出させる。

それで免許証スマホを奪う。これは大体車の中で行うことが多いかな。場合による。

これでもう完成。「俺はそんなバカなことはしない」と思うかもしれないが、基本的にもう手慣れているのでマジで騙されるよ。

ちなみに、これは周囲から聞いたのだが、基本的に逃げるならここしかない。基本的にこの後はもう車で現場まで行って楽しい強盗団に強制参加だ。

自分の家が書いてある免許証と、スマホを捨てて逃げろって話。

現場に降りた瞬間に逃げるのもアリだが、その時は当然中の人間も武装してるのでついでみたいにぶん殴られ、拘束される。

あと、「緊急連絡先」って言って、実家の住所と電話番号も提出させることが多いので、「実家うからな」」という脅しにも当然耐えなければならない。

(というか、事実見せしめ実家も襲われてるみたいなニュースがあったはずだ)

ここに、「頭が悪いから巻き込まれる」とか「警戒心が低いから巻き込まれる」という要素は個人的にはないと思う。「スーパーバイトに応募したら強盗団になる」くらいの感覚でいた方がよい。

バイト派遣なんざしているのがもう悪い、という話はあまりにも昨今の就職事情からすると暴力的な話でもあるしな。

●じゃあなんで今更こんな強盗団が流行ってるのか

これには3つの要因がある。①技術の発達(普遍化)②犯罪ファンタジー化③ノウハウの高度化だ。

①はわざわざ語るまでもないだろう。アプリSNSいくらでも人と繋がれる時代になり、情報をやり取りできるんだからそんなもん悪用されるに決まってる。

無知は利用するもの知識悪用するものだ。この世の基本だ。求人を誰にでも出せるようになったので簡単実行犯を集められるようになった。

②は俺は最も重い問題だと考えている。不良が減りすぎた。犯罪が減りすぎた。犯罪が遠くなりすぎた。

「悪い事」がなにやら魔法のような、よくわからない世界になってしまった。だから万引き強盗も同じ「犯罪」のくくりになってしまう。

本件に関しては、「何に替えてでも強盗には参加しない」という意識が低い。強盗基本的にやったら超絶重たい罰を食らう。

から、何に替えてでもやってはいけないのだ。

③、これは①との複合の話になる。今、異常な速度で犯罪ノウハウは共有されている。前述したように、どうやって違法に金を集めるかに、多くの労働力を投下している層というのは存在する。

これから存在し続ける。そういったやつらのPDCAサイクルが異常に早く回り出している。

「とりあえず試してみよう!」精神が、犯罪者界隈で最近活発になっている。統計上は犯罪が減っている。凶悪犯罪強盗も減っている。

から問題ないと考えるのは自由だが、これは俺は身近な空気感として感じている。

●俺達はどうしたらいいのか

犯罪しろとは言わんが、犯罪に対する無知があまりにも増えすぎた。もっと悪い奴らと会話をした方がよい。

別にこの話に限ったことではなくて、犯罪を身近においてどうやって避けるかのノウハウに頭のメモリを常時使うべきだ。

「何も悪くなくても強盗団になってしまう」という話と矛盾するようだが。

それでも上記の話のように「免許証スマホを捨ててでも遁走しろ」みたいな話は俺は地元の先輩から3年は前に聞いていた。

そういう啓発は警察仕事かもしれないが、基本的警察というのは起きた犯罪対処するのが仕事であって未然に事件を防ぐのはあくまでも副次だという意識もっとつべきだろう。

犯罪は遠い世界出来事ではない。お前も犯罪者になるし、俺も犯罪者になるし、お前も被害者になるし、俺も被害者になる。

そういう意識をもって常に生きるべきだ。

2024-10-18

anond:20241018042953

黒人主人公作品は正しくないからとポリコレポリコレ言って今でも規制しろと大騒ぎされるから南部は今も昔も正しい

永劫普遍の正しさだ

2024-10-10

朝ドラはそんな真面目な考察に値するものではないですよ

「虎に翼」が終わって「おむすび」になりましたが皆さん観てますか?

先日、増田に「虎に翼」のとてもよい考察がありましたが、朝ドラはそんな真面目な考察に値するものではないですよ。

https://anond.hatelabo.jp/20240928134122

そもそも朝ドラ対象年齢は60~70歳前後だと思いますが、あまり映画ドラマに親しまない人が家事とかしながら気軽に見られる様な作りで、1回見逃したらついて行けないなんてことがない様1回の内容は薄いうえ重要シーンは何度も流しますし、土曜のダイジェストを観ればストーリー的には十分、余計な演出カットされててむしろ出来がよいまであります

おむすび」では、ギャル文化ボリュームゾーンが50歳前後だと思うので、その世代向けの思い出とその肯定を入れたいんだろうなあ、少し若めの視聴者ターゲットにしたいんだろうなあ、というプロデューサーの狙いを想像します。最序盤ですが、あいかわらず薄い取材適当エピソード入れてる感じがしてさぶいぼが出ます。元ギャル取材して「パラパラ踊れる人が偉かったんですよ~」なんて聞いたのが、「一発で難しいパラパラ踊れたら認めてやる」と少年マンガみたいなことになってしまったのではと想像します。実話だったらすみません(知り合いに元ガチギャルがいるので聞いてみようかな)。

朝ドラは、大きく分けて実在人物をもとにした伝記系と、現代とある職業に生きる系の2種類があります。ましなのは前者が多いです。「虎に翼」とか、カップヌードルとかゲゲゲとかウィスキーとか。後者料理人とかパティシエとか気象予報士とか航空学校とか看護師とか海女とか、だいたい薄い取材でゲットした業界あるあるエピソードをつまらなくして盛り込んでてさぶいぼが出ます。せっかくスポットライトを当てたその職業の深みとかは表現しきれず、脚本家の書きたいドラマの設定に利用するのが精一杯です。

プロデューサーの主張なのか、するりと社会問題を入れてきます特に「強い女」は普遍テーマです。戦前でも戦後でも「今どき、女が〇〇する様な時代じゃない!」なんてセリフは毎回出てきます。余談ですが、大河ドラマでも平安から明治までどの時代でもこのセリフが出てきます。他、自閉症っぽい子供田舎で元気になったり、性的マイノリティとか。

尺が豊富にあるせいか、内容が冗長です。回想シーンでは映像を流した上で「あの時の!」ですし、下手すると同じ回の15分で同じ映像が流れます映画とか観て見て伏線がー回収がー演出がーという人が初めて朝ドラを観るとショック死すると思います

演出はほぼ古来からドラマありがちな紋切り型クリシェ)です。とてもわかりやすいです。落ち込むと暗い部屋でじっとしてるし、挫折すると雨に打たれながら外で倒れてます主人公はだいたいモテモテだけど恋愛に鈍くて、恋愛脳の友達に助けられ、カントリーロードです。早い展開でイケメン完璧な男と結婚交際すると、戦時中なら死にます現代なら相手側の理由で別れますお笑い担当コントみたいなBGMで登場し、肝っ玉母さんに怒られます。序盤で出てきた嫌なやつは、口が悪いだけのお友達キャラになるか、ラスト近くで「堪忍なあ」と泣きながら主人公に謝って禊を済ませます

また、セリフ抜きの演出表現する力量もないし、テロップ症候群視聴者も読み取ってくれないので、心情もその都度ナレーション解説が入ります主人公が眉をひそめて少し首をかしげながら、「どうも腑に落ちない〇〇でした」って感じです。余談ですが、変わり種のナレーションでは、亡くなっていつも見守ってる家族幽霊目線、飼ってる犬目線てのもありました。欽ちゃんが犬役で面白かったです。

脚本家群像劇を書きたそうな気配を感じることが多いですが、尺はあるのにうまくいってない事が多いです。だいたい各登場人物の設定を説明するのが精一杯です。

これだけ文句言いましたが、近年の朝ドラで私が好きだったのは、「カムカムエヴリバディ」でしょうか。それぞれの人生が少しずつ関わりながらすれ違っていって、ちゃん群像劇でした。登場人物が気づいていないことを、視聴者が神の目線で「あの人だ!」「あの人の子供がこんなところで!」って気づくことが多くて、そのまま登場人物同士は他人のままだったり。伏線回収もことさら強調せずさらさら流れていきます。たぶん視聴者主人公目線にセットしてると、久し振りに登場するキャラは、飲み屋に「よう」って入ってきて、「○○さん!?」「お前、よくここに顔を出せるな!」とかやるしかないよね。ラストで、子を置いて男とアメリカに行った母の言い訳回は要らなかったかなと思うけど(片付けが要るのはわかる)、朝ドラってのはこういうのでいいんだよ。こういうので。

2024-09-30

 三四郎はじっとその横顔をながめていたが、突然コップにある葡萄酒を飲み干して、表へ飛び出した。そうして図書館に帰った。  その日は葡萄酒の景気と、一種精神作用とで、例になくおもしろ勉強ができたので、三四郎は大いにうれしく思った。二時間ほど読書三昧に入ったのち、ようやく気がついて、そろそろ帰るしたくをしながら、いっしょに借りた書物のうち、まだあけてみなかった最後の一冊を何気なく引っぺがしてみると、本の見返しのあいた所に、乱暴にも、鉛筆でいっぱい何か書いてある。 「ヘーゲルベルリン大学哲学を講じたる時、ヘーゲルに毫も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化一致せる時、その説くところ、言うところは、講義のための講義にあらずして、道のための講義となる。哲学講義はここに至ってはじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭に転ずるものは、死したる墨をもって、死したる紙の上に、むなしき筆記を残すにすぎず。なんの意義かこれあらん。……余今試験のため、すなわちパンのために、恨みをのみ涙をのんでこの書を読む。岑々たる頭をおさえて未来永劫に試験制度呪詛することを記憶せよ」  とある署名はむろんない。三四郎は覚えず微笑した。けれどもどこか啓発されたような気がした。哲学ばかりじゃない、文学もこのとおりだろうと考えながら、ページをはぐると、まだある。「ヘーゲルの……」よほどヘーゲルの好きな男とみえる。 「ヘーゲル講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれ学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義解釈せんと欲したる清浄心の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定しえたり。自己運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本大学生と同じ事と思うは、天下の己惚れなり。公らはタイプライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」  と、のっぺらぼうを二へん繰り返している。三四郎は黙然として考え込んでいた。すると、うしろからちょいと肩をたたいた者がある。例の与次郎であった。与次郎図書館で見かけるのは珍しい。彼は講義はだめだが、図書館は大切だと主張する男である。けれども主張どおりにはいることも少ない男である。 「おい、野々宮宗八さんが、君を捜していた」と言う。与次郎が野々宮君を知ろうとは思いがけなかったから、念のため理科大学の野々宮さんかと聞き直すと、うんという答を得た。さっそく本を置いて入口新聞を閲覧する所まで出て行ったが、野々宮君がいない。玄関まで出てみたがやっぱりいない。石段を降りて、首を延ばしてその辺を見回したが影も形も見えない。やむを得ず引き返した。もとの席へ来てみると、与次郎が、例のヘーゲル論をさして、小さな声で、 「だいぶ振ってる。昔の卒業生に違いない。昔のやつは乱暴だが、どこかおもしろいところがある。実際このとおりだ」とにやにやしている。だいぶ気に入ったらしい。三四郎は 「野々宮さんはおらんぜ」と言う。 「さっき入口にいたがな」 「何か用があるようだったか」 「あるようでもあった」  二人はいっしょに図書館を出た。その時与次郎が話した。――野々宮君は自分の寄寓している広田先生の、もとの弟子でよく来る。たいへんな学問好きで、研究もだいぶある。その道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知っている。  三四郎はまた、野々宮君の先生で、昔正門内で馬に苦しめられた人の話を思い出して、あるいはそれが広田先生ではなかろうかと考えだした。与次郎にその事を話すと、与次郎は、ことによると、うちの先生だ、そんなことをやりかねない人だと言って笑っていた。  その翌日はちょうど日曜なので、学校では野々宮君に会うわけにゆかない。しかしきのう自分を捜していたことが気がかりになる。さいわいまだ新宅を訪問したことがないから、こっちから行って用事を聞いてきようという気になった。  思い立ったのは朝であったが、新聞を読んでぐずぐずしているうちに昼になる。昼飯を食べたから、出かけようとすると、久しぶりに熊本出の友人が来る。ようやくそれを帰したのはかれこれ四時過ぎである。ちとおそくなったが、予定のとおり出た。  野々宮の家はすこぶる遠い。四、五日前大久保へ越した。しか電車を利用すれば、すぐに行かれる。なんでも停車場の近辺と聞いているから、捜すに不便はない。実をいうと三四郎はかの平野家行き以来とんだ失敗をしている。神田高等商業学校へ行くつもりで、本郷四丁目から乗ったところが、乗り越して九段まで来て、ついでに飯田橋まで持ってゆかれて、そこでようやく外濠線へ乗り換えて、御茶の水から神田橋へ出て、まだ悟らずに鎌倉河岸数寄屋橋の方へ向いて急いで行ったことがある。それより以来電車はとかくぶっそうな感じがしてならないのだが、甲武線は一筋だと、かねて聞いているか安心して乗った。  大久保停車場を降りて、仲百人の通りを戸山学校の方へ行かずに、踏切からすぐ横へ折れると、ほとんど三尺ばかりの細い道になる。それを爪先上がりにだらだらと上がると、まばらな孟宗藪がある。その藪の手前と先に一軒ずつ人が住んでいる。野々宮の家はその手前の分であった。小さな門が道の向きにまるで関係のないような位置に筋かいに立っていた。はいると、家がまた見当違いの所にあった。門も入口もまったくあとからつけたものらしい。  台所のわきにりっぱな生垣があって、庭の方にはかえって仕切りもなんにもない。ただ大きな萩が人の背より高く延びて、座敷の椽側を少し隠しているばかりである。野々宮君はこの椽側に椅子を持ち出して、それへ腰を掛けて西洋雑誌を読んでいた。三四郎はいって来たのを見て、 「こっちへ」と言った。まるで理科大学の穴倉の中と同じ挨拶である。庭からはいるべきのか、玄関から回るべきのか、三四郎は少しく躊躇していた。するとまた 「こっちへ」と催促するので、思い切って庭から上がることにした。座敷はすなわち書斎で、広さは八畳で、わりあい西洋書物がたくさんある。野々宮君は椅子を離れてすわった。三四郎は閑静な所だとか、わりあいに御茶の水まで早く出られるとか、望遠鏡試験はどうなりましたとか、――締まりのない当座の話をやったあと、 「きのう私を捜しておいでだったそうですが、何か御用ですか」と聞いた。すると野々宮君は、少し気の毒そうな顔をして、 「なにじつはなんでもないですよ」と言った。三四郎はただ「はあ」と言った。 「それでわざわざ来てくれたんですか」 「なに、そういうわけでもありません」 「じつはお国のおっかさんがね、せがれがいろいろお世話になるからと言って、結構ものを送ってくださったから、ちょっとあなたにもお礼を言おうと思って……」 「はあ、そうですか。何か送ってきましたか」 「ええ赤い魚の粕漬なんですがね」 「じゃひめいちでしょう」  三四郎はつまらものを送ったものだと思った。しかし野々宮君はかのひめいちについていろいろな事を質問した。三四郎特に食う時の心得を説明した。粕ごと焼いて、いざ皿へうつすという時に、粕を取らないと味が抜けると言って教えてやった。  二人がひめいちについて問答をしているうちに、日が暮れた。三四郎はもう帰ろうと思って挨拶しかけるところへ、どこから電報が来た。野々宮君は封を切って、電報を読んだが、口のうちで、「困ったな」と言った。  三四郎はすましているわけにもゆかず、といってむやみに立ち入った事を聞く気にもならなかったので、ただ、 「何かできましたか」と棒のように聞いた。すると野々宮君は、 「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持った電報を、三四郎に見せてくれた。すぐ来てくれとある。 「どこかへおいでになるのですか」 「ええ、妹がこのあいから病気をして、大学病院はいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐ気色もない。三四郎のほうはかえって驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学病院をいっしょにまとめて、それに池の周囲で会った女を加えて、それを一どきにかき回して、驚いている。 「じゃ、よほどお悪いんですな」 「なにそうじゃないんでしょう。じつは母が看病に行ってるんですが、――もし病気のためなら、電車へ乗って駆けて来たほうが早いわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越してからまだ一ぺんも行かないものから、きょうの日曜には来ると思って待ってでもいたのでしょう、それで」と言って首を横に曲げて考えた。 「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」 「さよう。四、五日行かないうちにそう急に変るわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」 「おいでになるにしくはないでしょう」  野々宮は行くことにした。行くときめたについては、三四郎に頼みがあると言いだした。万一病気のための電報とすると、今夜は帰れない。すると留守が下女一人になる。下女が非常に臆病で、近所がことのほかぶっそうである。来合わせたのがちょうど幸いだから、あすの課業にさしつかえがなければ泊ってくれまいかもっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例の佐々木でも頼むはずだったが、今からではとても間に合わない。たった一晩のことではあるし、病院へ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから関係もない人に、迷惑をかけるのはわがまますぎて、しいてとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢には頼まなかったが、相手三四郎が、そう流暢に頼まれ必要のない男だから、すぐ承知してしまった。  下女御飯はというのを、「食わない」と言ったまま、三四郎に「失敬だが、君一人で、あとで食ってください」と夕飯まで置き去りにして、出ていった。行ったと思ったら暗い萩の間から大きな声を出して、 「ぼくの書斎にある本はなんでも読んでいいです。別におもしろものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」  と言ったまま消えてなくなった。椽側まで見送って三四郎が礼を述べた時は、三坪ほどな孟宗藪の竹が、まばらなだけに一本ずつまだ見えた。  まもなく三四郎は八畳敷の書斎のまん中で小さい膳を控えて、晩飯を食った。膳の上を見ると、主人の言葉にたがわず、かのひめいちがついている。久しぶりで故郷の香をかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕に出た下女の顔を見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻であった。  飯が済むと下女台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になっておちつくと、野々宮君の妹の事が急に心配になってきた。危篤なような気がする。野々宮君の駆けつけ方がおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見た女のような気がしてたまらない。三四郎はもう一ぺん、女の顔つきと目つきと、服装とを、あの時あのままに、繰り返して、それを病院の寝台の上に乗せて、そのそばに野々宮君を立たして、二、三の会話をさせたが、兄ではもの足らないので、いつのまにか、自分代理になって、いろいろ親切に介抱していた。ところへ汽車がごうと鳴って孟宗藪のすぐ下を通った。根太のぐあいか、土質のせいか座敷が少し震えるようである。  三四郎は看病をやめて、座敷を見回した。いかさま古い建物と思われて、柱に寂がある。その代り唐紙の立てつけが悪い。天井はまっ黒だ。ランプばかりが当世に光っている。野々宮君のような新式の学者が、もの好きにこんな家を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格であるもの好きならば当人随意だが、もし必要にせまられて、郊外にみずからを放逐したとすると、はなはだ気の毒である。聞くところによると、あれだけの学者で、月にたった五十五円しか大学からもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校へ教えにゆくのだろう。それで妹に入院されてはたまるまい。大久保へ越したのも、あるいはそんな経済上のつごうかもしれない。……  宵の口ではあるが、場所場所だけにしんとしている。庭の先で虫の音がする。ひとりですわっていると、さみしい秋の初めである。その時遠い所でだれか、 「ああああ、もう少しの間だ」  と言う声がした。方角は家の裏手のようにも思えるが、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分ける暇もないうちに済んでしまった。けれども三四郎の耳には明らかにこの一句が、すべてに捨てられた人の、すべてから返事を予期しない、真実独白と聞こえた。三四郎は気味が悪くなった。ところへまた汽車が遠くから響いて来た。その音が次第に近づいて孟宗藪の下を通る時には、前の列車よりも倍も高い音を立てて過ぎ去った。座敷の微震がやむまでは茫然としていた三四郎は、石火のごとく、さっきの嘆声と今の列車の響きとを、一種因果で結びつけた。そうして、ぎくんと飛び上がった。その因果は恐るべきものである。  三四郎はこの時じっと座に着いていることのきわめて困難なのを発見した。背筋から足の裏までが疑惧の刺激でむずむずする。立って便所に行った。窓から外をのぞくと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだように静かである。それでも竹格子のあいから鼻を出すくらいにして、暗い所をながめていた。  すると停車場の方から提灯をつけた男がレールの上を伝ってこっちへ来る。話し声で判じると三、四人らしい。提灯の影は踏切から土手下へ隠れて、孟宗藪の下を通る時は、話し声だけになった。けれども、その言葉は手に取るように聞こえた。 「もう少し先だ」  足音は向こうへ遠のいて行く。三四郎は庭先へ回って下駄を突っ掛けたまま孟宗藪の所から、一間余の土手を這い降りて、提灯のあとを追っかけて行った。  五、六間行くか行かないうちに、また一人土手から飛び降りた者がある。―― 「轢死じゃないですか」  三四郎は何か答えようとしたが、ちょっと声が出なかった。そのうち黒い男は行き過ぎた。これは野々宮君の奥に住んでいる家の主人だろうと、後をつけながら考えた。半町ほどくると提灯が留まっている。人も留まっている。人は灯をかざしたまま黙っている。三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛けの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である若い女だ。  三四郎はその時の心持ちをいまだに覚えている。すぐ帰ろうとして、踵をめぐらしかけたが、足がすくんでほとんど動けなかった。土手を這い上がって、座敷へもどったら、動悸が打ち出した。水をもらおうと思って、下女を呼ぶと、下女はさいわいになんにも知らないらしい。しばらくすると、奥の家で、なんだか騒ぎ出した。三四郎は主人が帰ったんだなと覚った。やがて土手の下ががやがやする。それが済むとまた静かになる。ほとんど堪え難いほどの静かさであった。  三四郎の目の前には、ありありとさっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」と言った力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべきはずの無残な運命とを、継ぎ合わして考えてみると、人生という丈夫そうな命の根が、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇へ浮き出してゆきそうに思われる。三四郎は欲も得もいらないほどこわかった。ただごうという一瞬間である。そのまえまではたしかに生きていたに違いない。

anond:20240930173941

2024-09-11

選択夫婦別姓反対派が唱える「家族の絆」はすでに壊れている

たとえば、配偶者が一度きりの不倫をしたとする。あるいは何年もセックスレスであるしか夫婦には二人の幼い子供がいる。

ある人はすっぱりと離婚を決める。夫婦関係破綻しているのだから家族継続できない。

ある人は夫婦関係継続する。子供のための経済的な基盤を維持することが、家族にとって最も重要から

子供は親の面倒を見て然るべきだ」「親はすべてのリソース子供に尽くすべきだ」「義実家と親密な関係を結ぶべきである」「家族になったら夫婦はいらない」…こうした言説は未だ根強い一方で、だんだんと効力を失いつつある。どちらが正しい、という話よりも、重要なのは、あるべき家族イデアは人によって異なっているということだ。もう、すでに大きく異なっている。あなたが「常識的に考えて家族とは」と思うそれを、いったいどれほどの隣人が同じように信仰していると言えるだろうか。

いや、そんな現実はあってはならない、あるべき家族観を取り戻さなければならない、といっても、もう遅いのであるあなたが強固な信念を持っているように、相手だって同じ強さで家族観を持っている。どうしてあなたが、対等なパートナーとなるはずのあなたが、相手の信念を塗りつぶすことができるだろうか?

繰り返しになるが、それは正しい、正しくないの問題ではない。自由意志を持った他人を、自分の思うように動かすことはできない。

あなた夫婦が別姓であることによって家族の絆が壊れると考える。しか現実的には、夫婦別姓を望む人々がいる。彼らは夫婦が別姓であっても、家族は成り立つと考える。要するに、彼らの思う「家族」あなたが思う「家族」は、もうすでに別のなにかなのだ。だからあなたがどれほど声高に夫婦同姓を望んだところで、あなたの思う「家族の絆」はすでに、普遍原理としては存在していない。彼らの家族観も同様だ。互いに「あるべき家族」について合意することはすでにできない。順序が逆なのだ

夫婦別姓によって、自分と似た家族観の人間が減ってしまうかもしれない、だからそれを止めなければならない、とあなたは考えるかもしれない。でも、もしそうなれば、あなた家族観がこれから世代にとって、すでに魅力的なものでなくなっていっている、ということを意味しはしないかあなたが本当に正しいのであれば、どうしてそれが減ってしまうのだろう?

あなたはただ、自分と同じ家族観を持つ相手を探せばいい。合わない相手家族にならなければいい。適度に距離を置いた隣人として生きていけばいい。あなたの思う家族の絆を実現できる相手と生きていけばいいだけの話なのだ

けれどもたったそれだけのことができないのが、普通人間普通に持つ弱さというものなのだろう。すると逆説的に言えば、選択夫婦別姓推進派が受け入れるべきは、「大抵の人間は、徹底した個人主義を生きられるほど強くない」という現実なのかもしれない。彼らは彼らでその現実と向き合って、打ち出すメッセージを考えることが必要なのだろうな。

2024-08-25

50代60代の旅系夫婦ユーチューバーを見たけど

なんか独特の中国人ぽい気持ち悪さがあるな

日本人中国人気持ち悪さをちょうど半分こしたみたいな気持ち悪さだった

あれは長年の生活で「育った」のか、それとも元々のものなのか、そのあたりが普遍法則として知りたい

2024-08-20

第二外国語いらないって議論あるけど

大規模産業であるフランスの)フランス語やドイツ語重要性が落ちただけで、機械翻訳とかのテクノロジー発展のスピードが遅いだろうその他言語価値は変わらんと思うのよな。

日本輸出産業育成の観点でも、市場となりうる国の現地語を使える人材が多いのは好ましい。

中南米スペイン語ブラジルポルトガル語アフリカスペイン語アラビア語ヒンドゥー語、インドネシア語タイ語ベトナム語韓国語、いっぱい役に立つ言語はあると思う。

中国語も、大陸発のテクノロジーには政治的制約がかかるから、その意味でもやる価値があるだろう。台湾国語とかい一種マイナー言語も。

いまの時代を特徴づける現象は、準普遍言語地位低下と、それに伴う地域言語方言重要性の向上である

2024-07-27

遺族年金や3号被保険者制度廃止への反対意見として、

一度仕事を辞めたら低賃金パートしかなれない(だから働けないのはしょうがないor一度たりとも仕事を辞めてはならない)という意見が当たり前のように罷り通っているけれど

いや、それって新卒至上主義のせいだよね?

一度辞めたら再び正社員になるのが難しいのは新卒至上主義と年齢差別に基づいた雇用環境のせいであって、

別に永久普遍の真理でも何でもないです。

「一旦専業主婦になった女性再就職のためにも新卒至上主義撤廃しよう」とは誰も言わないのは一体どうして?

ていうか別に結婚子育てに限らず仕事を辞めざるを得ない場面は沢山あるのに、自称単身フェミニスト人達も何故か新卒至上主義問題点には絶対言及しないんだよなー

2024-07-19

anond:20240719120157

絵師に限らず重要な考え方

どの業界にも属人的技術普遍化することに対してめちゃくちゃ抵抗する人っているんだよね

それこそIT企業プログラマーの中にも技術を皆に共有するのをすごく嫌がるタイプの人はい

絵師特権階級意識がにじみ出た名文

anond:20240718203834

AIの登場によって絵師がその仕事を諦めざるをえなくなるとしたら、

AI創作に役立つ」っていう建前は嘘ってことになるし、「AIを使ってより稼げる」も嘘ってことだし。

結局、AIには純粋創作市場のものを縮めていく効果があるってことになると思うんだけど。


こういう発想が出てくる事自体おこがましいことなだってことに気付いて欲しい

AIが嫌われるのは「テクノロジーの発達によって属人的技術普遍化するのは喜ばしいことだ」っていう人類全体の進歩大原則に歯向かっているからなんだよ

テクノロジーの発達によって職人的な仕事がなくなっていくってのは当たり前のことだし、それ自体は非常に良いことなだってことをまずはわかってくれ

例えば、昔は漫画イラストを描くには専用の画材必要だった

画材専門店なんてのが主要駅の近くには必ずあって今で言う絵師に相当する人間Amazonなんてあるわけないからわざわざそこに赴いて自分技術必要商品を買っていた

ところがPCソフトウェアの発達とペンタブの登場によってイラストに関する画材市場は壊滅的な打撃を受けた

パソコンならいちいちペンを持ち替える手間もないし書き損じたときに0からやり直す必要もないからどっちが便利かなんて明らかだったんだよね

ソフトウェア製作者はユーザーの声を聞きながら「どうやったらあの画材の書き味をパソコン上で再現できるか」ってことに腐心して(反AI言葉を借りるなら無断学習して)研究開発しまくった

その結果、結局今となっては画材屋なんて軒並み潰れ果てたし画材製造会社だって何社も潰れまくっている

あるいは印刷分野に目を向けてもいいよ

今では考えられないことだけどadobeがここまで普及する前は印刷屋さんにDTPを行う専門の技術者が必ず常駐して高給で働いていて、同人を描いている人はみんなそこに依頼していたんだよね

絵描きの全員が印刷に適したデータを持ってこれるわけではないから、紙に書いた生原稿スキャンしてちゃん形式を整えて装丁して一冊の本として出す

そしてそれには職人的な技術必要だった

当然いまはその程度の作業なんてみんな家で簡単にできるようになったかDTP職人の働き口はめちゃくちゃ狭くなってしまった

絵師の使っているソフトウェアなりペンタブなりは全部そうやって廃業していったDTP職人なり画材製造職人なり画材の卸問屋なりの屍の上に成り立っている技術なわけ

で、反AIデジタル画材の普及に際して「創作市場のものを縮めていく効果がある」なんて声を上げたりしたわけ?

してないよね?

自分たちだけが特別扱いされるべきだって考え方を恥ずかしげもなく披露しているその傲慢さは本当にどうにかしたほうがいいと思うよ

そしてまともな社会人はみんなこの手の技術革新に対してはちゃんと柔軟に対応しているんだよね

自分の携わっている産業が誰かの廃業の上に成り立っていることを自覚して、あるいは自分もいつ廃業するかわからないリスクを抱えながらキャリアプランを練っているわけ

例えばWEBライターなんかはあと数年で滅びるだろうけど、いまWEBライターやっている人もその経験を活かしてWEBサイト分析等を行うマーケター、サイト運営のものを担うWEBディレクターなんかに転職して、あるいはもっと趣味的で属人的な文筆業に鞍替えしたりして生き残ろうとしているわけ


絵師だって別に転職すりゃいいだけの話なわけじゃん

仮に下手くそな絵を描いていたのだとしてもPhotoshopとか画像編集系のソフトの扱いに長けているんでしょ?

AIの登場によってむしろAIが生成した画像レタッチしたり修正したりする仕事需要が爆増するだろうし、あるいはちゃんとした審美眼を持っているデザイナーだって重宝されるに違いないわけじゃん

もともといま日本会社人手不足が甚だしいんだから就職先なんて引く手あまたでしょ

AIが一体何にそんなブチギレているのかさっぱりわからん

別にAI貴方仕事を奪ってないよ

しろ働き口の多様性を押し広げているようにしか見えないんだけど

2024-06-30

anond:20240626092159

自分利益のために人を追い落とすことを躊躇してはいけないよ

そんな普遍の真理を語ってるということでは

じっさいカナンを落とさなければキリストたちはゾロアスターみたいにレアキャラ絶滅危惧種に転落してたかもじゃん?

2024-06-19

ポリコレ正義陳腐

手軽に自分を正しい側に置き他人迫害するのにこれほどちょうどいいものはない

正義について深く考える労力すら彼らには惜しいのだ

ただの一遍だって批判されたくないし、批判を受けて自省のプロセスを経ることだって我慢ならないらしい

彼らはそもそも正義を語るように生きていない

お前らが本当に正義の話をしたいならアンパンマンの話をしろ

普遍正義アンパンマン

anond:20240616124255

記事で、コロンブス問題サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後野沢直子の回答で締めくくっていたら、

まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。

先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母

ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。

ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。

それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。

特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民視点

【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母

これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。

ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクト確認できない感じではあった。

(例えば、1637年のピクォート虐殺=John Winthropマサチューセッツ植民地知事による征服祝いが感謝祭起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディア検索しても「このピクォート族の虐殺土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっと保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)

そういう面はあるものの、テーマ自体が非常に興味深い。

というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要感謝祭が、実はアメリカ先住民視点からみると、自分たち虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史直視するよう求める主張も行われている、という。

これは、ポッと出てきたアニメMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。

感謝祭はそれほどまでにアメリカ文化経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。

からアメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。

問題は、自分たちアイデンティティ形成に欠かせないものキャンセルできるのかというテーマだ。

そもそも植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちアイデンティティに組み込まれいるからだというのは、例えばフランス植民地主義を振り返るとわかる。

例のコロンブスMVでは、類人猿音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカン歴史最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会文明化する、というテーマはむしろフランス植民地政策どんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。

ひとつ前の記事永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。

人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的ものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

まり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているってことだよ。

進歩的価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、

学生運動シュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。

エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレビビったというのがそもそもの出発点なのだ

教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バーク見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。

もうひとつ興味深いのは、フランス人権歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。

フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特にフランス語の普及は博愛精神の名のもとに、当時フランス支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶あいまいだが、当時の知識ヴィクトル・ユゴー奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。

こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国保守知識からフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権普遍的もの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。

人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛友愛ポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。

これはある意味で、感謝祭国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題共通する。

昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権普遍化のプロセス進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。

自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。

そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味表現自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏思想は、欧米帝国主義アジア諸国文化経済搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当ポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。

記事感謝祭トリビアは、そういう意味で、考えるヒントがけっこう詰まっていると思った。

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