はてなキーワード: 第二外国語とは
第二外国語なのによく頑張ってるね
1年
選択授業や第二外国語、サークル活動など唯一大学生らしい大学生活を送れる。ただし2年次からパンパンに詰まっている必修単位のせいで時間割は毎日比較的詰まっている。
上下関係の厳しさが1つ上の先輩から示唆される。独特な文化を前にやや選択を後悔しだす。
2年
必須単位が牙を剥く。5年次まで時間割が必修単位で詰まっているため、この先の落単は=留年を意味する。また一般教養も同じ理由でこの先ねじ込む先がないため、やはりこちらも落単すると留年。6年次に国試があり留年組は不利になるため皆必死。
基本的に午前は座学、午後は実習(授業終わりの時間は決まっておらずレポート必須)のため、実家のサポートの有無(バイトをしなくてよい等)が成績の明暗をわけるが、実家が裕福な学生が多いため基本的には問題がない。
3年
基本的に2年と同じ。この2年間が1番キツい。
秋以降は4年次の研究室配属にむけて情報が錯綜し、緊張感が走る。成績の悪い学生は前評判の悪いアカハラ研究室に叩き落とされ、地獄の3年契約を交わす羽目になる。
4年
研究室配属。アカハラ教授、疲れ切った准教、5,6年の先輩に囲まれ、実験主義を教わりつつ研究室の雑用をこなす。掃除や備品管理、果ては忘年会の幹事など。
授業は臨床科目(座学)がメインを占めるようになり獣医学生らしい日々を送る。また面倒見のよい研究室では卒論の準備を始めるところも。
学年末にオスキーという仮免試験があり、こちらも落ちたらもちろん留年(来年の病院実習に出られないため)
5年
座学がかなり減り実習メインになる。大学病院での小動物診療だけでなく学校外での公務員や大動物診療の実習もここ。1番気楽な一年間。卒論を書き始めるが、テーマによっては気楽でなくなる。
民間企業への就職(ほぼいない)を考えているごく少数の人間は就活もするが、ハンデが凄まじく一般の大企業はだいたい落ちる。
冬、1学年上の先輩がノイローゼゾンビとして一日中国試勉強している姿を見て来年の今頃は…とゾッとする。
6年
授業はほぼなくなる。民間企業以外を希望する学生は春から就活開始。よほど選ばなければ病院、公務員、その他診療系、だいたい受かるので、キャリアセンターで取り急ぎの面接対策をしてゆるく過ごす。
夏からは秋冬の卒論〆切に向けてラストスパート。卒論で落ちることはほぼないため、内定後の夏から開始した自由研究並のクオリティの卒業研究を行う者もいる。
11月-12月の卒論提出後から国試対策を開始。この時ばかりはほとんど全員が朝から晩まで勉強し、大量の語呂合わせを作りながら2月の本番での合格を目指す。
出題範囲が膨大、過去問の解答はあっても解説がない、ノウハウ化されていない等の理由によりボッチは合格できないことが多い。不思議と毎年9割前後合格するが、合格率以上の難易度が確かにそこにある。
合格できなかった場合の大学側からのアフターケアはないため、卒業後も出入りできるよう研究室の先生や後輩とは極力仲良くしておくのが無難である。
なお、東大や北大の学生以外は就活は難易度と引き換えに獣医師免許必須の内定が出ている場合が多いので、落ちたら就活もやり直しである。
なお、数年後には小動物臨床に進んだ人以外のほぼ全員が獣医になったことを後悔しだすが、待遇は小動物臨床が1番悪い。
番外編
卒業試験: 私立にはある。国試の合格見込みがないものを強制留年とする親切なのか余計なお世話なのかよくわからない制度。
タイトルの通り。
ASDとADHDの併発をしているが、良い先生に巡り会えて勉強を頑張ることが出来て、現役で第一希望の大学に進学することが出来た。
上京する前までは「変わり者だが秀才」ポジションで周囲と何とか交流出来ていた。両親も哲学思想をやりたい自分を認めてくれている。
しかし、東京に進学して来ると「変わり者ではないが秀才」が山のようにいる。体育会系の体力お化けの秀才、容姿も人当たりも良い秀才などだ。そんな秀才たちを前に、私は「障害を持つただの変わり者」になった。
最初は、哲学や思想を学んで大学院にも行きたいと思ったが、「高校生の頃にフランス語やってた」とか言う東京育ちと、「親が地方の新聞社の社長」とかいう実家の太い田舎育ちに勝てる気がしない。私が一生懸命、第二外国語をやってる間にラテン語を学び、私がバイトをしてる間に読書や映画を楽しんでいる連中に、どう勝てばいい?
それに哲学思想を学んでも、初任給で両親に喜んでもらえるような物を買うような人生を歩めない。それどころか、大学院生が急に連絡途絶えて行方不明になる話が頻繁にあり、ヤバいんじゃないかと思う。しかし自分のような薬を飲んで何とか大学に通えてるような人間が、他の健常者と同じように就活出来る気もしない。
昔はよく抜け道として、まずは英文学を専攻し大学で英語を担当して食い繋ぎながら、徐々に専門を出していくというやり方があったようだが、日本は大学淘汰時代で、国外で「日本人の英文学者」にお客様以上のポジションが与えられる可能性は低いのではないか。
高専を卒業してからしばらく経つのだが、定期的に高専はうんぬんですごいみたいなXの投稿が流れてくる
実際のとこ世の高専卒のみなさんってその選択に満足しているのだろうか?
自分は高専卒業後に大学編入をして、以降は普通の大卒のルートに乗って社会人になっているので、キャリア的な不満は一切ない
高専卒でそのまま働いている人たちはみんな早婚で20代で2人子供がいる人もよく見かけており、それなりに幸せそうには見える。学生時代女性に縁がなさそうだったやつも子供がいたりするので、実質男子校に5年間幽閉されても恋愛面での影響はないのかもしれない
一方で学業的の不満はたくさんある。
5年間の学生生活で講義はフル単を要求され、受けないという選択肢がない。
きちんと出欠を取るのでサボることも難しく、それでいてどの科目も宿題があるので放課後も忙しい。高専は進級要件が厳しく全単位の平均点数が6割を超えてないと留年したりするが、自分の高専は下限の学生に合わせた救済措置がある。課題プリントの点数が最終点数のn割、中間期末試験の点数の10-n割が最終点数として計算されるケースが多かった。
まあ大学の講義でも似たようなシステムを採用してたりしますが、編入学志望の学生は大学受験と関係ないことにかなり時間を割かれるので厳しいわけです
高専は四半期に10科目以上の講義を受講し、それぞれの最終点数平均で席次が決まる。体育や第二外国語みたいな科目の点数も席次に影響してくるので、本当に5年間学生生活にコミットしないといけない。それに加えて受験科目の勉強も必要なので拷問
厄介なのが、就職希望の学生もいいとこの推薦が欲しいので成績ガチ勢になる。席次を上げるのが受験生活で1番苦しかった
推薦入試はこの席次の点数配分がめちゃくちゃに高いので受験までの4年間きちんと努力しないといけない。
特に苦しいのが、旧帝大などハイレベルな大学はそもそも一般受験を受けるために推薦が必要となるため、受験勉強に全振りすることができないところ。よく編入生は優秀なんていわれたりするが、単に受験難易度が高いから本来の適性の大学に進学できていないだけでは?と感じる。一方で地方駅弁レベルの大学はそれほど受験需要が高くないので、クラスで下位の学生が数ヶ月勉強して受かってたりする。上を見るときついが、とりあえず進学したいならたしかにコスパのよい選択肢かもしれない
編入のペーパー試験は過去問を公開している大学が少ない(特に旧帝大など)ので情報量の格差が大きい。それだけでも赤本というものが存在する普通受験が羨ましい。他にも模試が定期的に開催されるので自分の適正感を測ることもできるし、お金さえかければ学習塾でみっちり対策できる。編入試験は基本的に宅弁なのでね、内省力とか調査力が高くないと受験競争に勝てない
高専はどこも金がない、まともな論文指導ができる教員もいないし、講義の熱量は教員によって露骨に違う。授業時間の半分くらい高専卒は優秀、大企業にコスパよく入社するのが幸せを連呼する教授のせいでその専門科目が嫌いになった
大学の図書館のような時間を忘れて学業に専念できる空間もないし、そもそも専門科目が難しくなる時期は受験生なのでそれほど授業に集中できない。編入生は在来生よりも専門科目が得意っていうのは当時から大嘘だと思っている。東大の講義資料でクラウド構築して〜とかやってたりするのを見ると、高専ではBASICでGOTOしてましたとは言えない。
レポート作成も全部手書きだし(多分地元では今でもそうだと思う)、なにかと無駄が多い。大学はなにかと勉強するためのストレスが一切ないので楽しすぎワロタだった
あとはサークル活動もしょぼいし、恋愛模様も少ない。というか年齢層が中学卒業したてから大学4年生(専攻科)の年齢まで在籍している空間なので、校内恋愛が本当に歪で気持ち悪い。16歳と20歳で恋愛していることもザラだし、学校見学にきた中3と連絡先交換して付き合ってた奴はマジでキモかった。女性が希少すぎるのでとんでもないブスが高飛車になってたりして、男女双方に悪影響すぎる。女性の理系進学が推されている昨今ではあるが、自分が親ならせめて大学の理系学科進学にしときなさいと伝える
社会人になってから久々に高専出身の人間にあうと、みんなどこかズレてるなと感じることが多いが、いつまでもあの頃のノリで会話ができるのは嬉しかったりする。愚痴っぽくなったが、それなりに悪くはない選択だったと思っている
第二外国語で履修したはずやけど読めない😅
結論から言えば、高1で英検2級レベルを取ろうとしているレベルなら一度は止めたほうがいいかも。
実際に2年目くらいに就職のことを考えて教育やなんちゃら社会なんちゃら部に転部する人もそこそこもいる。
手前味噌だが、国際系の学部に行って一年留学してJTCに入社した子どもの中~社の過程でも書いてみる。
学校の定期考査くらいなら8,9割取れるけれど、
高校時代も英語の試験は苦手だったが、趣味と環境が変わったことで次第に好きに・得意になっていった。
趣味、というのはインターネットを通じて外国の人とチャットやゲームで交流を深めること。
環境、というのは、部活や校外活動を通して外国人と交流を深めること。
そういう経験と、手段としての英語に触れることで英語と海外について興味を深めていった。
なぜ行きたいか、について熱心なプレゼンを用意していたので結局折れて通った。
で、何でこんなことを言ったかといえば
英語ってのは、日本人にとってどこまで行っても所詮第二外国語なわけ。
そこらに十数年住んでるインド人や、中国人でもなんでもいいけど会話したことある?
日本語お上手ですね~という褒め言葉には、あくまで"外国人にしては"という枕詞が外れることはない。
だから普通は何か英語を手段としたコンテンツが前提あって然るべきなのよな。
だって、あらゆるコンテンツ(ゲームだろうが漫画だろうが小説だろうが)が日本語なわけで
そうであればまず国語の方が成績が高いはずで、次いで数学もついてくる。
英語が好きになった経緯を深堀りしたほうがいい。
例えば傾向的に女子が英語が得意なのは、コツコツ勉強すればすぐに結果に表れるから。
ゲームと同じ。単語と熟語を覚えて適当に口ずさむだけで点数取れるから。
そういう思考で英文科に行くのなら、反対したほうがいいと思う。
シェイクスピアだのギャッツビーだのヘミングウェイだの一冊でも読ませたことある?
まあ個人的には必修でなくてもいいよなというのは同意で。「英語以外の言語を通じて英語を相対視することが大事」的な話は後づけされた理由じゃないのかなあ……と。
ブコメでも書いたけど、20世紀初頭あたりまでは自然科学系でドイツ語やフランス語(特にドイツ語)が強くて、理系でも第二外国語としてこれらを抑えておかないと最新の動向を追うのがきつかった時代というのはあった(はず)なのだよな。"pH"の読み方が長らくドイツ語寄りだったあたりとか医師用語のドイツ語由来が多かったりとかもその名残り。
で、第一次大戦・ヒトラーによるユダヤ人迫害・第二次大戦という流れの中で欧州大陸から米国へ研究者が大量に流出し、さらに冷戦期のアメリカで学術振興策が当たった結果、現在のような「研究論文は英語で書くのが当然」な時代になった。
このあたりを定量的に検証しているデータは無いものかなと思って探していて見つけたのがこれ。化学での使用言語推移。
1961年からのデータなので上の流れがある程度定まったあとの情報ではあるものの、1961年時点でも英語の割合が43%程度なのだよな。あと冷戦期なのでロシア語割合が18%と高いものの、20世紀初頭のドイツ語圏のような「その分野での圧倒的な強さ」みたいな印象はあんまり無い(おそらく、東欧の研究者が論文書いたときに「まずロシア語誌に投稿」」みたいな感じの仕組みがあったんじゃないかな)。
そして1980年には英語割合が60%超え、1985年には70%超え、1995年には80%となり、「研究論文は英語で書くのが当然」 「研究動向を追いかけるには英語読めれば十分」が確立された(元のデータはあくまで化学だけど自然科学や工学系一般でも多分同じことが言えそう)。
話を第二外国語に戻すと、必修なのは、制度ができた当時(旧制大学時代?)に必要があったからでしか無いんじゃないかなと。これで思い出すのが「履歴書は手書き」問題で。
https://nordot.app/961097046650388480
戦前の履歴書は毛筆が当たり前だったのを「事務処理に必要とされるのは毛筆ではなくてペン字だろ!」という合理的な理由で改革したものの、手書きよりワープロなりPCなりでの書類作成能力が必要とされる時代になっても「ペン字でなければならない」という後づけ理由が発生した。第二外国語を必修する理由としての「英語以外の言語を通じて英語を相対視することが大事」的な話にも同じような印象を感じてしまうんだよな。
あと、「研究論文は英語で書くのが当然」 時代が将来的にいつまで続くかは分からないけど、この時代が終わったときの研究者サバイバルに第二外国語が効くか?というと微妙な。
個人的には、第二外国語自体は必要だと思うけども、ドイツ語がそのリストに入っている必要はないと思う。
いやだって、ドイツ語、そんな重要ですか? 西洋史専攻で履修させるならともかく、全学で履修が必要ですか?
このへんはわかるよ? 政治的経済的にも、あるいは語学的にも必修にする意味はわかるよ? でもドイツ語ってさぁ……
ってなるじゃん! 明治時代の名残で残ってるだけで、現代日本には別に要らないじゃん!
全学の必修からは外して、トルコ語とかウクライナ語とかアイスランド語とかと同列の選択科目にすればよくないですか???
普通にドイツ語を外して他のアジアの言語を必修にすべきなんだよな。特に東南アジアはドイツよりも日本との交流が多いわけだし。フィリピン語とかインドネシア語とかベトナム語とかヒンディー語とかを必修に入れてドイツ語を必修の二外から外そう(提案)。
あなたには役に立たなかった。だからといって他の人もそうだとは限りません。
大学ではいろんな授業をします。どの授業が人生の役にたって、どの授業が役に立たないかは、人それぞれです。
あなたには不要だったかもしれませんが、卒業生全体でみれば第二外国語で人生が変わった人もいるでしょう。
その知識があなたには役に立たなくても、他の人は役に立つ可能性があります。
(追記)
コメント見ていて「やっぱドイツ語はオワコンだったよな〜〜」「中国語か韓国語できてたら仕事に役だったのにな〜〜」とかいう気持ちになったんだけど、でもやっぱり、「別の言語をやったとて、必修二外程度でAI翻訳を超えるレベルに到達できるのか?」という疑問が残るのよね。
というのもここ最近のAIの進展は凄まじく、「機械翻訳に騙されないレベル」に到達するのに必要な労力が数年前と比べても爆上がりしている。ChatGPTはすでに東大英語で8割取れちゃうのよね。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC2103E0R20C24A3000000/
そういう意味では、「この単位を取る頃には、DeepLに騙されないレベルに到達できます!」とか「ChatGPTでできないこんなことができるようになります!」って明確な学習基準があったら学生もやる気出すんじゃないだろうか。まあ技術はどんどん進展するから難しいかもしれないけれど…大学教員の先生方、ご検討くださると幸いです。
あと、「必修で取っただけだけどまだうっすら読める」という人がそこそこいるのに驚いた。やっぱ丸ごと忘れた自分がアホだったのかもしれない。人によって適性がばらつくよな〜というのをあらためて思ったのでした。
↓本文
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文系はともかく理系の必修第二外国語ってほんま意義がわからんくないですか?選択科目ならわかるんですよ。
なんか「英語以外の言語を通じて英語を相対視することが大事」みたいな高尚なこと言ってる教員いるけど、理系必修だけでそのレベルに到達できるもんなんですかね?というか、具体的に何ができると「言語を相対化する」ことになるのだろうか?そしてそれは、具体的にどういう意義(実用でなくとも、大きな意味での学生の人生において)があるのだろうか?多様な学びが云々というのであれば、他の文系科目に比べて語学だけが特権的な位置にあるのがよくわからない。自分は結構文芸理論とか映画論とか好きで履修してたけど、語学が必修コマとして多くを占めるとその余裕も無くなってしまう。
ちなみに自分は
・大学理系学部で必修ドイツ語履修、1年次に8単位分授業を受けていた。ちなみに英語は10単位。結構当時負担大きかったな。簡単な文章はときどき辞書引けば読めて、自己紹介くらいの超短い文章を書けるレベルまでやった?ような覚えがある。
・そこからおよそ10年後にドイツに数年滞在。なお雇用主のご指名なので別に自分で国を選んだわけではない。ドイツ語の活用とか単語とかほとんど忘れてるからほぼゼロから現地の語学コースで再学習。
…という背景がある。
学生時代より遥かに今の方が勉強してるけど、ドイツ語と英語の単語とか文法を比べたところで別になんか大した感慨はない。そりゃ国が違えば規則も違うんじゃないですか、くらいの。一体なんですかね、言語が相対化されるとは??
文化が相対化されるのは結構わかるんですよ。今やってる授業だと、ドイツの日常生活とか文化を教材にして、そこを発端に自国の文化を説明させられるので。他の生徒もみんな違う国から来てて話面白いし。でも結局、理系必修ぐらいではそこまでは無理でしょう。それに、言語の相対化、というのはこういう話とはちょっと違う気もする。
個人的な主張としては、英語帝国主義と言われようが、大学時代の必修くらいはもうちょっとばかし英語に集中すべきではなかろうか? こっちで「日本人ってエリートでも英語下手なやつ結構おるよな」って思われがちなので余計そう思う。二外が本当に必要になったらどうせもっとintensiveに学びなおさなきゃならないし。それとも10年でほぼほぼ忘れた自分がアホすぎるだけか?(ちなみに言語的に英語と日本語は差異が大きいので全国民が英語できる必要はないと思ってるけど、他のアジア圏のエリートっぽい層は大概もっと流暢なのでそこそこの有名大卒くらいはもうちょっと…と思ってしまう。どうすかね、最近の若い人はみんなもっとできるのかな?)
あと二外をやると英語学習に役にたつみたいなのもよくわからん。言語によるのかもしれないけど、自分はドイツ語学習後に英語のIELTSのスコアに特に良い影響はなかった。というかコロケーションの前置詞とかごちゃ混ぜになって余計苦労している。役に立つとは一体?どういう状況でそうなるんだろう?
英語とドイツ語が両方わかると朧げながら見えてきたんです、オランダ語の意味が、という瞬間はある。とはいえ全く使えるレベルではない。意味はない。
いや、第二外国語で書かれた内容が理解できて外国の文化がわかると面白いみたいなのはわかるよ。でも粗く読むだけならDeepLが圧倒的にすごい。当然誤訳もあるけど、理系必修二外で到達できるレベルよりははるかに上等ではないでしょうか。ドイツ人も翻訳の質には誇らしげなご様子(DeepLはドイツ発の会社なので)。
まあこんなふうに思うのはドイツ語というチョイスが悪かったのかもしれないな。英語に近すぎるし。どうせあいつら英語喋ってくれるし。そんなんだから、ドイツ語なんてもんを喋らなきゃいけない環境ってマジョリティとしてのドイツ人にマイノリティとして溶け込む場合になるんで、オルタナティブの言語やってる感もないし。同じアジア圏の中国語とか韓国語とかやってたら違う感想だったかもなあ。
あとは海外に滞在すると道具としての言語を必死に学ばざるを得ないので、「学びは心を豊かにする」みたいな言説に、余計にケッっとなってるところがあるかもしれない。ジョブ型雇用の世界でもあるし。まあ別に大学時代の学びが楽しかったかと言われたらそれもどうですかね…どうでしたかね…
ということで、極めて個人の感想ですが、結局大学で(特に理系が)、英語なり他の文系科目なりのコマ数を犠牲にしてでも第二外国語を全員やる意義がまだいまいちわかってません。繰り返しますが選択科目で選べる環境があるのは極めて大事だと思うよ!!日本語でドイツ語を学べるって超貴重なので。
せっかくここにぐだぐだ文をしたためたので、うっかり野生の有識者の意見が聞けちゃったりすると嬉しいな。なんで理系が必修二外、やる必要あるんでしょうか?
【追記】
こんなに反応あるとは思ってなかった!ありがとう!
気になるコメントを返信したよ。
https://anond.hatelabo.jp/20240622221530
【追記終わり】
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暇つぶしでネットサーフィンをしていたら「国際結婚に憧れある!」「国際結婚したい!」「ハーフのかわいい子が欲しい!」といった掲示板や投稿を見かけた。
私の母は中国人だ。私は国際結婚した両親の子供である。ハーフである。投稿を見て「そういえば自分と同じハーフの子供たちの悩みを見てみたいな」と検索してみると「ハーフで良かったことはと聞かれるけど、悪い事しかない」との記事がある。俺もそう思う。国際結婚ってそんなに羨ましいか?ハーフってそんないいか?
記事が少ないので、自分語りでもネットに置いておこうと思った次第だ。同じくハーフの人が「そうそうw」と思い、私はこれが辛かったなと吐いてくれるといいな。
ただつらつらといろんなハーフと関わってきたうえで、ハーフの悩みや辛みを書いていく。書いていたら筆が乗って長いが、興味があって読んでくれると嬉しい。
個人差・地域差は当然あると思うので、こんな人もいるんだなと念頭においてくれよな!
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【前提】
母…高校?の頃ぐらいから日本へ行くことを決意。「こんな国にいてられるか!」と親の反対を押し切って中国を脱出したらしい(日本へ留学)。日本で、日本人と結婚。結婚を機に日本国籍を取得。もう日本にいる年数の方が多い。
増田…生まれ育ちも国籍も日本。日本語しか話せない。自分がハーフだと知ったのは物心ついてすぐ。
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母は通訳の仕事をしており、外国人とは思えないほど日本語が流暢だ。初見で気が付くことは不可能だと思う。見破った奴はいない。「え?!お前の母親、日本人じゃないの?!」となるくらいにはわからないらしい。ちなみに中国人に小籠包や麻婆豆腐を「日本語で発音してみて」というと「ポ」と「ボ」の発音が日本人と明らかに違うのがわかると思う。bao1やpo2の影響が抑えきれないらしい。母もよ~く聞くと違う。よく聞かないとわからないから日本語は上手いのだが。
日本語がおかしいというか、日本語がぱっと出てこなくなったらしい。「えっと、あれだよ…あれ…えっと…」と悩んだ末に「○○!日本語でなんだっけ?」ってなる。
「中国語で話していいよ」というとスラスラ話す。やはり母国語の方が話しやすいらしい。方言強すぎて訳すのは大変である。
…今のところは元気だが、認知症やボケたらどうしようとは思っている。
ちなみに夢はどっちなのか聞いたが、普段は日本語がメインで疲れている日は混じるらしい。
ずっと認知していなかったのだが、大学生の時、論文を見てもらったら「ちょっと日本語おかしいよね。ハーフだったりする?」と教授に言われてびっくりした。どこが変ですか?と聞くと「文法としてはあってるけど、どことなく文章の形が日本語じゃない」と言われた。驚いた。語学系の教授だからか?
そういえばと、高校の頃に「増田のイントネーション違うって」と言われたことが何度かあった。母親に改めて聞いてみると実は中国語の発音(イントネーション)だったりする。
成人したが改めて国語の教科書を読み直したりした。意外と間違えてていまだにそうだったのかとなることがある。
これが!これが大変だった。2にも書いたように変になる原因だと思う。
日本で育って生活は日本語である。しかし、母は「せっかくハーフなのだから二か国語話せたらいいよね」と、家に帰ったら中国語を学ばせていた。あろうことか「これからは英語もできないとね」と英語も習っていた。
幼少期の自分はキャパオーバーだった。ただでさえ幼稚園・学校では新しい言葉・漢字を習っているというのにさらに別の言葉が入ってくる。
しかも中国語と日本の漢字がまざる!!!それに英語が来たところで「これ日本語で言うところのなに?」となって何もわからん。ピンインと英語の発音が混じる!日本語がわからんのに英語がわかるわけあるか!
母は当然外国語ができるから国際結婚しているわけだ。英・日・仏話せる。大学で外国語の論文を書いたレベルの語学力だ。語学ができる人間なのだ。語学が"できる"人間なのだ!だから子も一緒だと思っているのだ!
小学校にあがったタイミングで親が「あ、これ混乱しているな?」と気が付いたのか家で学ぶことはなくなった。
結果、日本語が怪しい日本生まれ日本育ちハーフという人間が爆誕したのであった。大学になって中国語を選択したが案の定何にもわからん。
これは自分の家だけかと思ったのだが、国際結婚をするとバイリンガルにしようとしてくるらしい。出会ってきたハーフは8割くらいそうだった。ちなみにどっちも話せる人間は帰国子女くらいで、日本育ちだと「多少訳せる」が限界みたいだ。
ちなみに年に数回帰省していたせいもある。帰省したら強制中国語シャワーだ。方言強すぎる中国語でな!
特に幼稚園~小学校低学年が酷かった。幼さゆえの「それが差別や偏見だとわからない」というべきか。
なんでバレてるのかなと思ってたんだが、どうやら保護者会→保護者会で外国人同士で仲良くなる→そこに母がいた→ハーフバレ みたいな感じ。母コミュニュティも大変だな。そこから子供に伝わっちまうんだから。
ハーフ同士というのもあってアメリカ人のハーフの子(Aとする)と自分は仲良くなった。お互いに「外国人だ。怖い」「外国人が日本人に混じんないで」などと言われてみんなと距離を取っていた。
ドッチボールの最初のトス?二人向き合ってボールを陣地はじくやつ。それでちょうど背の高かった私とAが選ばれた。その時に「アメリカvs中国だなwこれは大きな国の戦いだ!どっちが取るかなw」と先生が言ったのだ。Aと私は子供ながらに「こいつやべぇな」となり乾いた笑いしか出なかった。(おそらく「外国人であること=羨ましい・特別な事」という思考から言ったんだと思う。悪気どころか良かれと思ってやっていたと思う。なんかこの先生、「外国最高!」みたいな思想強かったから)
それもあってか私とAはますますいじられた。他のハーフもいたが、背のでかさや上記の事件もあって目立ってしまった。名前ではなく「中国人」「アメリカ人」と呼ばれたり、「中国人だから卑怯」「アメリカ人だからうるさい」となにかと○○人だから言われた。幼稚園・小学低学年でもこれだ。これは昭和ド田舎の話じゃない。00年代、23区の私立幼稚園・公立小学校の話だ。
というか私もAも日本生まれの日本育ちの日本語しか話せない日本国籍なんだがな。どっちかといえばというか普通に日本人だったわけで。
ハーフと言っても私はアジア系なので日本人と変わらない。幼稚園だと外国人というポイントだけをいじられていた。容姿については何にも言われてない。
「中国人だから目が細い」だの「アメリカ人だから天パ」だの「中国人だからデカのっぽ竹」だの「アメリカ人だから鼻高いエイリアン」だの。ことあるごとに「○○人だから××だ」と直結させる奴ばかりだった。容姿についてとことんいじり始めるのだ。
私とAは近所だったので同じ小学校に進んでいたのだが、互いに「そんなことないよ」と慰め合っていた。Aは白人青目茶髪で顔立ちもいいのに、それでも容姿をいじられていた。よくわからない洋画のウザくてすぐ死ぬ奴に似ているからザコって言われたり、青目=魔女でちょっと変なことをすれば黒魔術だ・悪魔は消えろなど、白すぎて幽霊みたいでキショイなど。
私らが「やめろ」と怒っても「これだから外国人はすぐキレる」「日本人のノリがわからない」とかいうもうどうしようもない切り返しをされるので無視するしかなかった。(はい、バリアー無敵~くらいのノリなので相手するだけ無駄)
先生たちは何していたか?「中国人は目が細いんだよ」とか「アメリカ人は鼻が高いんだよ」とか全然擁護になっていない解説しかしなかったわ。
むしろ親が外国人であることを何故か授業中とかに暴露しやがる。社会の授業で外国が出てくると「○○さんのお母さんがここの生まれなんですね!今度この事件のお話聞いてきてよ!」とか。これがまじで数人いる。どんな教育しとんねん。×××区だよ。お前んとこのだよ。ちなみに私は天安門事件、Aは9.11の時に言われた。バカだろ。またそっからいじられんだよ。「うわ~w(戦車と同じように)引かれる~w」「(飛行機のように)突っ込んでこいよ~w」とかってな!ガキに不謹慎なんてねーんだよ!!!
普通の人なら「話すのはできないんだよ」と言えば「そうなんだ」で終わる。
しかし、世の中にはダルいやつがいる。「え~wもったいな~w」だの「ハーフなのに話せないの?w」だの「ハーフの意味ある?w」とか。まぁまぁな遭遇率でクソ。ただダメージを受けるだけである。ゲリラ豪雨みたいなもんで遭遇したら最悪。
損の方が多いし、得を感じたことはない。得…得…得?八角に抵抗ないとか?本場の中華料理作るのがうめぇとか?
大学に入ったら保護者会もないしハーフなのはバレないだろ…と思ったんだが、第二外国語で中国語を取ったときに先生が「お~中国語ネイティブだね!」からばれちまった。幼いころ親から習ったのはすっかり忘れて話すことはできなかったのだが、母の帰省付き添いをしているうちに染み付いたっぽい。予想外の方法でバレてしまった。
そこからどうやって広がったのかは謎だが、「中国人嫌いなんだよね(お前も嫌い)」「中国人なら日本嫌いなんだろ?なんで帰らないの?」とか冗談でも言うやつ出てきた。「ざんね~ん日本国籍で~す」って言いたいがスルー安定。しかし絡まれたという事実がストレス。
詳細を書くと別の論争になりそうになるのでざっくりと書くが、常識の違いでよく喧嘩した。日本の思想と違いすぎる。大まかはアジア系で一緒なのだが、やはり儒教らしい考えなのか、大陸らしい考えなのか、いわゆる日本の礼儀とか考え方と全然違う。
小さいころの話だが、母と喧嘩して父に助けを求めたとき「母さんの国だと常識なんだよ」と言われたこともあった。はえ~と思いながらそのまま母に怒られた。母と父は基本仲良しだが、小さな常識の違いで険悪になることはあった。明らかに母の日本語の語彙が足りないという場面にも出くわした。それで父がさらにイライラするということもあった。家族としては仲がいいと自負できるが、やはり細かいところで日本人同士(同じ国同士)だったらしないような喧嘩をする。改善のしようがないので辛いところである。時間の考え方とかお金の考え方とかね。
高校時代、「昨日こんなことで喧嘩したんだ」と同じく中国人ハーフの友人に話したら「それ、中国だと怒られるやつなんだよね~」と言われたことがある。これが国柄の性格強めの親だと辛いな~と思う。
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大人になればなるほど差別的なことをいう人は減っていくし、親の常識も理解できるようになった。なおさら幼少期は大変だったなと思える。
社会人になって、社内にフランス+日本人のハーフがいて、彼はフランスで幼少期を過ごしたらしいが、同じ様にいじられていたとのこと。「学校行事で動物園に行ったとき、猿のコーナー行ったときにアジア人として晒しもんにされたよハハハ!」と言っていたが笑い事じゃないだろ…と思った。今だから笑えることになってるが。
「じゃあ親が外国人だってバレないなら…」と思うかもしれないが、Aのように明らか外国人と分かる場合は避けられない。アジア系ならまだ大丈夫かもしれんが、おそらく何かしらでバレると思う。
ちなみに小学4年?のころにフィリピン人のハーフの子とも同級生だったが、彼女は本当にひどかった。見た目は褐色系だったのですぐハーフとバレていた。つか名前が日本語+外国語だった。褐色で大きな瞳、綺麗な黒髪でいわゆる美女だったんだが、容姿をいじられにいじられまくった。「フィリピン人の髪の毛は油まみれ」「(授業で発展途上国だと習い、貧しい国=不衛生だと思われて)蠅がたかる。くっせ~」と言われてた。匂いがきついのは事実だったんだが、おそらく香辛料か香水?の匂いだったと思う。汚い匂いではなかったよ。私はその子の隣の席だったからな。フィリピンのお菓子を貰ったことがある。私は普通に接していたのだが、次の学年ではいなかったから転校したんだと思う。幼少期は根も葉もねぇ偏見を言われることは多かった。
私はメンタルがたまたま強かったからよかったものの、弱い子なら幼少期のいじり(いじめ)でボロボロになってしまうだろう。フィリピンの子だって、転校したわけだし。
振り返るとあまりハーフであることのメリットはなかったと思う。ハーフ同士で仲良くなれるとか、外国人に対して偏見をもたないとか、容姿・血筋で誰かをいじめない?とか?
あぁ、帰省が外国だから「海外旅行いけて羨まし~」って言われるくらい?だけど日本人が祖父母の家行くのダルいと一緒で、小さい頃はめんどくて仕方がなかったけどな。だって言葉通じないし、気候も空気も食生活も違うから体調崩しまくりだし。何度も食生活でゲボり、体調崩したことか。羨ましい?母国で帰省できる君らの方が羨ましいけどな。祖父母と隔たりなく会話したかったよ。たまたま外国に興味があるような性格に自分が成長したからいいものの、兄弟は興味がないのでいっつもダルそうだった。
最初に戻るが、ハーフ・国際結婚の何が良いのだろうと思う。マウントとかあこがれ?だと思うけど、子供を産むのなら覚悟くらい持ってほしいと思う。かわいい子が生まれる保証もないし、十中八九子供特有の差別・偏見に晒されると思う。いじめられる率は上がる。バイリンガルにさせたいと思っても出会ってきた人のだいたいが「両方も中途半端にわからない」という状態になる。国特有の考え方っていうので喧嘩は発生しやすい。これは経験則なので絶対そうかと言われれば自信ない。国際結婚の離婚率が高いのも納得である。
私の母は「中国から逃げたかったから必死に勉強して進学して留学して結婚した。親には申し訳ないことをしたが結果として旦那も家族も認めてくれた」というちゃんとした理由で国際結婚したので納得している。当時の中国で大学って本当に努力したんだって思うから。自分がいじめれてしまっても、親のせいにはできない。これが「憧れがあって、素敵だから!母国の男とか無理w」とか薄い理由だったら「は?幼き頃いじめられたあれは何だよ」ってぶちギレてしまうところだった。
子供を産まない場合でも外国人と結婚かぁ、大変だと思うんだけどな。第二外国語って完璧にできると思ってもやっぱり母国語には劣るわけだし。現に母は年で第二外国語が怪しくなってきてるからな。大人になった今、軽い気持ちで「国際結婚に憧れある」という人に出会うとちょっとビビっちゃうよ。