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はてなキーワード: UNIXとは

2025-02-20

anond:20250220150724

大体メインフレームはおろかiSeriesだとかいわゆるオフィスコンピューターの信頼性Linux程度はもちろんHPだのAIXだのSorarisさえ凌いでる(た)のは実際関わった人間なら常識

UNIXWindowsとかとは桁違いに安定しててオフコンさらに桁違いやで

2桁下のプラットフォームに載せ替える意味がないんだよね

もうなくなるから信頼性2桁さがってもやらざるをえないって状況以外

しかし「メインフレームモダナイゼーションジャーニーを加速」は笑えるw

大丈夫AWS

2025-01-28

anond:20250128003928

LAMPとは?

ソフトウェアにおける「LAMP」とは、Webアプリケーション開発や運用のためのオープンソースソフトウェアの組み合わせを指します。

この名前は、それぞれの頭文字を取って構成されています

主な特徴

それ以前は?

LAMP登場以前のソフトウェア開発環境は、現在に比べて選択肢が限られており、多くの場合コストが高かったり技術的なハードルが高かったりしました。

以下にその時代の特徴的な開発環境をいくつか挙げます

1. 商用UNIXシステム

1990年代初頭まで、UNIXベースシステムエンタープライズレベルで広く利用されていました。これには、Sun MicrosystemsSolarisIBMAIXなどがあり、これらのシステムは高価でありながら強力なサーバーとして機能しました。

2. プロプライエタリデータベース

OracleIBM DB2などの商用データベース一般的で、これらは高価なライセンス料が必要でした。MySQLのようなオープンソースデータベースが広まる前は、大規模なデータ管理には高い投資必要でした。

3. CGIスクリプト

Webアプリケーションにおいては、CGICommon Gateway Interfaceスクリプトが利用されていました。これにはPerlがよく使われており、サーバーブラウザ間のデータ交換を扱っていました。しかし、CGIプロセスごとに新たにスタートするため、スケーリングには不向きで、リソースを大量に消費する傾向がありました。

4. 初期のWebサーバー

Apache登場以前は、NCSA HTTPdのような初期のWebサーバーソフトウェアが利用されていましたが、設定や管理が複雑で、今日ほど柔軟ではありませんでした。

5. フロントエンド技術

フロントエンドの開発では、HTML基本的であり、JavaScriptが登場し始めたばかりで、CSSはまだ普及していませんでした。このため、デザイン機能性は限られており、ユーザー体験今日見られるようなリッチインタラクティビティには程遠いものでした。

そのような環境下でLAMPが登場しどのような影響があったのでしょうか?

LAMPスタックの登場は、ソフトウェア開発とインターネットWebサービス領域に大きな変革をもたらしました。

以下に、その主な影響を挙げます

1. コスト削減

LAMPスタックの各コンポーネントLinux, Apache, MySQL, PHP/Perl/Python)はオープンソースであり、無料で利用可能です。

これにより、企業個人開発者は高額なライセンス料を払うことなく強力なWebアプリケーションを構築できるようになりました。

この低コストアプローチ特にスタートアップ企業や小規模プロジェクトに大きなメリットをもたらし、革新的アイディア資金の制約なく試される土壌を提供しました。

2. 技術の普及とアクセシビリティ

LAMPスタックは、その設置と運用のしやすから、多くの開発者に受け入れられました。

オープンソースであることからコードカスタマイズや改良が可能で、コミュニティからサポート豊富でした。

これにより、Web開発の敷居が大きく下がり、より多くの人々が開発活動に参加できるようになりました。

3. 性能とスケーラビティ

Apache Webサーバーは、高いカスタマイズ性と拡張性を持っており、MySQLは大規模なデータセットでも高性能を発揮することができました。

PHPは動的なWebページの生成に適しており、これらの技術が組み合わさることで、性能が要求される大規模アプリケーション効率的運用可能になりました。

4. プラットフォーム成熟

LAMPスタックの普及により、Web開発プラットフォームとしての成熟が進み、企業開発者は、安定した基盤の上でさらに複雑なアプリケーションを構築することが可能になりました。

これにより、電子商取引コンテンツ管理システムCMS)、およびその他多くのWebベースサービスが急速に広がりました。

5. 革新の促進

コストかつ高機能な開発環境が広く利用可能になったことで、新しいタイプWebサービスビジネスモデルが登場しました。

LAMPを基盤とする多くのスタートアップが、業界新風を吹き込み、既存市場構造を変革する原動力となりました。

LAMPスタックの影響は、テクノロジー業界全体において、コスト効率化、アクセスの拡大、そしてイノベーションの加速という形で現れました。

これらは今日においても続いており、新しいテクノロジーの基盤として機能しています

2025-01-22

anond:20250122132203

俺は全部そこそこやってるからお前がなんか言ったらそこそこわかっちゃうんだなあ笑

Java中心バックエンド中心っていってるからその辺せめていいよ

Reactとかは全然俺は適当にやってるだけって公言してるけど

多分君よかできるのでそっちでもいいよ

AWSなんかもね

有償UNIX上の大規模ソフトとかが本当は得意分野だよ

2025-01-17

[] The Comprehensive Compendium of Programming Wisdom: Navigating the Multidimensional Landscape of Software Craftsmanship

Programming proficiency necessitates a comprehensive understanding of multifaceted concepts, paradigms, and philosophies that underpin the art and science of software development. The Unix philosophy, with its emphasis on modularity, simplicity, and composability, serves as a foundational ethos for elegant code design. This philosophy advocates for creating small, focused programs that excel at singular tasks, facilitating the construction of complex systems through the judicious composition of these atomic units.

Algorithmic Mastery and Data Structure Optimization

Proficient programmers must possess an encyclopedic knowledge of algorithms and data structures, enabling them to architect solutions with optimal time and space complexity. This encompasses a deep understanding of sorting algorithms (e.g., quicksort, mergesort), searching techniques (binary search, depth-first search), and advanced data structures (red-black trees, B-trees, Fibonacci heaps) The ability to analyze algorithmic efficiency using Big O notation is paramount for creating scalable solutions.

Paradigmatic Versatility

Object-Oriented Programming (OOP)

OOP principles—encapsulation, inheritance, and polymorphism—form the bedrock of modern software architecture. Mastery of design patterns (e.g., Singleton, Factory, Observer) and SOLID principles is crucial for creating maintainable and extensible codebases.

Functional Programming (FP)

The FP paradigm, with its emphasis on immutability and pure functions, offers a powerful approach to managing complexity and facilitating parallel execution. Proficiency in higher-order functions, currying, and monads is essential for leveraging FP's full potential.

Advanced Language Features and Metaprogramming

Expertise in language-specific advanced features, such as C++'s template metaprogramming or Python's metaclasses, allows for the creation of highly generic and reusable code. Understanding compiler theory and the ability to write domain-specific languages (DSLs) further expands a programmer's capabilities.

Concurrent and Parallel Programming

In an era of multi-core processors and distributed systems, mastery of concurrent programming models (e.g., actor model, communicating sequential processes) and parallel algorithms is indispensable. This includes proficiency in lock-free data structures, memory models, and synchronization primitives.

Systems Programming and Low-Level Optimization

A deep understanding of computer architecture, operating systems, and memory management enables the creation of highly optimized, low-level code. This encompasses knowledge of cache coherence protocols, CPU pipeline optimization, and assembly language programming.

Security and Cryptography

In an increasingly interconnected world, a thorough grasp of cryptographic principles, secure coding practices, and common attack vectors (e.g., buffer overflows, SQL injection) is crucial for developing robust and secure systems.

Version Control and Collaborative Development

Proficiency in distributed version control systems (e.g., Git) and collaborative development practices (code reviews, continuous integration) is essential for effective team-based software development.

Testing and Quality Assurance

Advanced testing methodologies, including property-based testing, fuzzing, and formal verification techniques, are indispensable for ensuring software reliability and correctness.

 

In conclusion, the pantheon of programming knowledge extends far beyond mere syntax mastery. It encompasses a rich tapestry of theoretical concepts, practical skills, and philosophical approaches that, when harmoniously integrated, enable the creation of elegant, efficient, and robust software systems. The relentless pursuit of this multifaceted expertise is the hallmark of a truly accomplished programmer.

2025-01-13

糸柳ドワンゴの話

https://anond.hatelabo.jp/20250105165945


上の記事を読んで、ドワンゴ中の人として糸柳で思い出したこと、彼を雇ったドワンゴがどんな会社だったのかを書いてみようと思う。

糸柳を雇ったのは、ドワンゴエンジニアトップだったS君だ。ここでは鉄男(仮名)と呼ぶことにする。

糸柳を雇う少し前、僕は鉄男を叱責したことがある。「お前は自分の使いやす人間しか採用してない。だからてめえは小物なんだ。自分にない能力をもった奴を採用しろ」みたいなことを言った。

鉄男は中卒だ。そう、ドワンゴエンジニアトップは中卒だった。いや、鉄男だけでなく、ドワンゴ幹部エンジニアの半分以上は中卒、あるいは高卒だった。

これは当たり前で、当時のドワンゴ天才エンジニアみたいなやつがゴロゴロいる職場だった。同じ天才エンジニアなら、高校大学も行かずにずっとプログラミングをやっている中卒エンジニアが一番能力が高くなる。プログラムを書く速度が圧倒的に速い。実装力が桁違いだ。

からドワンゴでは中卒高卒エンジニア情報学部を出たような大卒エンジニアを見下す風潮があって、ぼくはそれを懸念していた。

天才中卒エンジニア創業メンバーみたいな連中だけで、新卒で入ってきて補充されるようなことはない。インターネットUNIX文化で、ようするに大学などのアカデミック世界からやってきた技術だ。

ドワンゴコンピュータサイエンスを学んだ大卒エンジニア中心に変えていかないと将来的には戦えないと、ぼくは危機感をもっていた。

だが、ドワンゴでは実装力でエンジニアの格を判断する文化があって、そういう基準新卒採用も行われすぎているとぼくは思っていた。

自分にない能力をもったエンジニア採用しろと鉄男を叱ったのは、個人技ではないチーム開発、スクラッチから全部自前でコードを書くんじゃなくて、世の中にあるライブラリ活用してソフトウェアを組み上げていくのに長けているような、つまりは今後主流になっていくだろうが、これまでの鉄男やドワンゴスタンスとは違うエンジニアをイヤかもしれないけど積極的採用しろ、という意味だ。

しかし、なにを勘違いしたのか、鉄男が連れてきたのが糸柳だった。

ぼくに叱責されて反省し、使いやす社員じゃなく、圧倒的に使いづらいネットでも有名な頭のおかし問題児採用したのだという。

そいつプログラマとして凄い能力持っているの?」

「凄いというわけではないですが・・・、まあ、ふつう、ぐらいですかね」

ふつう問題あったら普通以下ってことじゃん。なんで採用すんだよ」

ドワンゴプログラミング能力が高ければ、メンヘラだろうが、コミュ障だろうが、性格問題があろうが、もちろん学歴があろうがなかろうが、採用するという方針だった。

これはベンチャー企業だと、そういう難ありの人間でないと優秀なエンジニアなんて採用できなかったからで、なにも難ありを好き好んでいるわけではない。

難ありはプラスじゃない。難ありでも優秀な社員であれば結果的に得をするから雇っているだけだ。

そいつを雇って会社は何の得があるの?」

鉄男は自信ありげに答えた。

ドワンゴの評判が上がります。いえ、世の中全部で上がるわけではないですが、ネットの中の一部で糸柳を雇うなんてドワンゴはなんて懐の深い会社だという評判になります

「それってかなり偏ったネットの一部だよね。それって本当に得なのかな?」

ぼくは鉄男とその後もしばらく話したが、どうしても糸柳を雇いたいというので、その怪しげな理屈を一応は信じてみることにした。ただ、会社慈善事業じゃないから、宣伝だけのために頭のおかし社員を雇うわけにはいかない。ちゃん普通エンジニアとして仕事をさせることを条件として糸柳を雇うことを了承した。ちなみにぼくはドワンゴ糸柳を庇っている側の人間と思われていることが多いと思うが実際は違う。鉄男には早く糸柳はクビにしろとよく言っていた。ぼくが庇ったのは糸柳を庇おうとしているドワンゴ社員気持ちであって、結果的糸柳を庇うように見えてただけだ。

糸柳は本当に頭がおかしかったが、とにかく普通社員として扱う、そう決めた。

例えば、当時、糸柳毎日twitterに世の中の全ての人間自分は憎んでいて滅んでしまえとか、なんかおどろおどろしい呪い言葉を連投して書き込むのが日課だった。

そういう書き込みを見かけたら「おはよー。今日も元気そうじゃん」とレスをつけることにした。返事はなかったが、やがて呪いツイートは減っていった。糸柳と仲のいい社員からから聞いたけど、彼はぼくのつけたレスを、さすがだと喜んでいたらしい。

糸柳の数々の奇行はどうせ構って欲しいだけの拗らせだと思っていたので無視して、興味も持たないことにした。なので、よくは知らない。ただ、文章が上手いのは本当だと思ったので、それだけ褒めた。彼は自分昭和初期の私生活晒す系の純文学者みたいな文章しか書けないんだと謙遜しながらも嬉しそうだった。

糸柳ドワンゴに入って自分の居場所幸せを手に入れた。しかし、それはとても不安定ものだった。

糸柳にとって不幸だったのは当時のドワンゴエンジニアの中では、彼の能力が足りてなかったことだと思う。少なくとも彼はドワンゴ技術力でマウントが取れないと判断したのだと思う。実際のところはともかく、彼が組織仕事として安定したアウトプットを出すと言うことに向いてなかったのは間違いない。

から糸柳自分ドワンゴに入れたのは、自分が狂っているからだという妄想にしがみつくことになり、一層の奇行に走った。

糸柳の周りの社員から聞いたところによると、ドワンゴ時代糸柳は年に1回のペースで失踪し、警察から連絡があったという。定期的に暴れて、物を壊したり、他人迷惑をかけた。会社階段の壁を殴って穴を開けたのも彼だという。

また、糸柳を雇ったことで、ドワンゴに変な奴の応募が増えた。変だけど優秀な奴の応募もあったが、それ以上に、自分には能力ないですけどメンヘラです、とか謎のアピールをするような応募が増えた。糸柳の周りにはドワンゴの中でも変な社員が集まってきて、いろいろ変なことを始めた。

彼らは頼んでもいないのに糸柳の周辺の近況報告をぼくに教えたがった。

曰く、ネットニートが集まって共同生活をするギークハウスという企画話題になったことがあり、彼がいろいろ現代アートみたいなことをやりはじめて話題になり、テレビでも特集された。そこでニートとして紹介されたメンバーのうち半分は糸柳周辺のドワンゴ社員だった。ドワンゴ社員ニートじゃねーだろ。そして彼らが作った現代アート村上隆面白がって高額で買い取ってくれた。それらはガラクタの寄せ集めみたいな物なんだが、その中にある冷蔵庫の中身は糸柳が作ったものだ、等々。

糸柳自分ドワンゴに救ってもらったという感謝の念から自分も他の誰かを救いたがった。ある日、糸柳地方から出てきて食べるものがないとネットカフェで呟いていた高校生を拾ってきた。

人間自分成功体験押し付けたがる。

これは糸柳だけでなくドワンゴエンジニアの多くにいえる特徴だが、人生の進路に悩んでいる若者への助言はワンパターンだ。「なるほど、よくわかった。お前はプログラミングを覚えてエンジニアになれ」。プログラミングの腕だけあれば人生が変えるという神話を信じているのだ。

ネットカフェで拾ってきた高校生はドワンゴバイトになり、優秀だったのでやがてエンジニアとして正社員になった。

糸柳ドワンゴ内の評価が少し上がった。

しかし、糸柳上野浮浪者を拾ってきて自分の部屋に住まわせ始める。浮浪者プログラミングを覚えてエンジニアになったという話は聞かなかった。

代わりに浮浪者の一人に女の子がいて、糸柳が恋をしたという話を聞いた。

糸柳に救われた元高校生のエンジニア糸柳のためを思って、その恋を止めようとしたが、糸柳は逆上し殺害予告をした。糸柳は本当に刃物とかを振り回して実行しかねないので、元高校生をぼくの長野の別荘に匿った。

糸柳はぼくのところに怒鳴り込んできた。ぼくも糸柳と揉み合いになり怒鳴り返した。

半年後、もう大丈夫から、そろそろ戻ってこいと長野に見に行くと元高校生は彼女を連れ込んで同棲していた。早く会社に戻れと追い出した。

そうこうしているうちに運命東日本大震災が起こる。糸柳が悪ふざけで、サーバールームに閉じ込められたので助けてくれとかいう、デマツイートをして日本中ネットユーザーが彼のツイート拡散するという事件が起こる。

冗談だったという事実が分かると、彼はあっという間にパブリックエネミーとなり猛烈な批判さらされることになった。糸柳の脆い精神は極めて不安定になった。

ぼくは糸柳に金を渡して、すぐに被災地支援物資を持ってボランティアに行けと言った。そして被災地支援に行くことは絶対ネットで書くな。言い訳に使うなと厳命した。同時に、ぼくは絶対ネットでは会社の件で謝罪をしないというポリシーTwitterを使っていたが、この件で、はじめて会社代表して糸柳の代わりに謝罪をした。

こんなことで糸柳を辞めさせるわけにはいかないと思った。糸柳がやったのはただの悪ふざけだ。こんなので辞めさせるんだったら、糸柳はとっくに100回ぐらいはクビになっている。なんだかんだいって糸柳を雇ったのは善いことをしようとしたからで、そのためにこれまで散々な苦労をしてきたんだろう。糸柳非難するネット世論からよく思われたいために糸柳をクビにするとしても、それはよく思われたいだけで善ではない。偽善だ。善とはそもそも人知れずにやるものだし、なんなら世界から非難されても正しいと思うことを貫くことだ。今回の件では、糸柳はクビにしないと社内で宣言した。

しかし、もともと糸柳存在を心良く思ってなかった人間は社内に多く、批判の声も大きかった。糸柳ドワンゴエンジニアとして平均的なパフォーマンスを出していない。宣伝効果があるとか言っていたけど、デマツイートの件で、むしろマイナス宣伝効果になった。糸柳はもう庇えないんじゃないか理屈としては正しかった。

糸柳の代わりに自分がその分もっと働くからクビにしないでくれという社員が何人も現れた。そういうことを言って守ろうとする社員がいるのであれば、会社としてはやっぱり守るべきだという新しい理屈を、ぼくは社内に宣言した。

しか糸柳精神状態不安定になっていて、仕事パフォーマンスは出ないばかりか、周りに迷惑をかけ始めた。糸柳を守ろうとした社員が、糸柳の世話をするうちに次々とメンタルをやられ始めた。

もう糸柳を守る理屈はなかった。1人の社員を守るために2人以上の社員犠牲になるなら、もう会社としては守れない。ぼくは最後理屈を社内に宣言した。

糸柳退職した時、鉄男は泣いていた。ぼくは「これに懲りちゃダメだ。もう、一回やろう」と鉄男に言った。「これで僕らが諦めたら、糸柳みたいな人間に関わるなという前例を世の中に残すことになる。そんなことになったら、僕らのこれまでの努力無駄になるじゃん。絶対に懲りちゃダメだ。何度でもやろう」

鉄男は「正直、自信がない。でもやってみます」と言った。

しかし、その後、中卒の鉄男はドワンゴに増えた大卒エンジニアたちの突き上げにあって、エンジニアトップを追われた。ドワンゴ大卒の優秀なエンジニアが中心の会社になった。その後、糸柳のような人間を雇ったという話は聞かない。

ドワンゴ糸柳の話はこれで終わりだ。

1年後だか2年後だか、風の噂で糸柳が真面目にエンジニアとして働いていてしかも優秀だという話を聞いた。なんだと思った。ドワンゴ以外ではやっていけないんじゃないかという、僕らの思い込み傲慢な思い違いだったんだと思った。ドワンゴ奇人変人を無理に演じるより、そんなことでは許してもらえない実社会の荒波に揉まれた方が結局は良かったんだなと思った。

でも、結局は糸柳はうまくいかなかったらしい。

しかし、糸柳は本当に失敗したのか。

糸柳がよく言っていたのは、自分糸柳家のエリートだ、という話だ。聞くところによると家族は全て精神患者自殺したり入院したりで、糸柳自身障害者手帳を持っている精神患者ではあるものの、ちゃんとまともに社会生活を送っているただ一人の人間なのだという。だから自分糸柳家に珍しく生まれエリートなんだと自慢していた。

人間は誰しも与えられた環境勝負している。遺伝子だったり家庭環境だったり、所属するコミュニティ経済的制約の中で生きていて、それによって人生選択肢は決まってくる。

世の中の多くの失敗者と呼ばれる人たちは人生最初からウルトラハードモードゲームプレイしているだけであって、彼らの失敗をイージーモードノーマルモードゲームプレイヤーが見下したり笑ったりする資格が本当にあるのだろうか。

ぼくにも子供が出来て思うのは、小さい子は全ての瞬間を一生懸命に生きているということだ。その健気な姿に感動するし、誇らしくなる。一生懸命に生きるということこそ、人間もっとも美しい本来の姿ではないか

人生もっと一生懸命に生きている人間とは、どういう人なのか?それは大谷翔平でもイーロンマスクでもないと思う。彼らは成功者であり、彼らの一生懸命成功によって報われていて、本人の自覚としては、それほど苦労した努力をしているわけではないのではないかと思う。

生涯を一生懸命に生きている人とは、一生懸命に生きざるを得ないような人たちであり、それはいくら努力しても認められず、仲間はずれにされ、敗者の烙印を押されて、それでもなお生きようと足掻きながら死んでいくような人たち、なんなら自ら命を断つような人たちの中に存在しているに決まっていると、ぼくは思う。

冒頭のドワンゴ以降の糸柳人生についての記事を読んだが、それでも糸柳最後まで与えられた過酷人生の中で一生懸命に戦って立派に死んでいったとぼくは思う。そして僕たちもドワンゴで短い間ではあるが糸柳に対して一生懸命に向き合った。それは良い思い出というにはいくばくかの悲しみを伴う思い出ではあるが、大切な思い出だ。

おしまい。合掌。

2024-11-07

anond:20241107011547

そもそもおれGoogleじゃないって2度目か3度目だが

普通Big Techは端末なんかなんでもありです

前のBig Techにいた時は俺の部署Windowsラップトップ支給だったけど

何万人も開発者だけでいるんだからMacだろうがなんだろうがありだよ

仮想化Windowsマシン100台くらい持ってたし

UNIXSolarisからHP/UXからAIXからあったし

なんならiSeriesまであったしメインフレームある部署もあったとおもうよ


君の想像とO^nくらい違うんですよ

2024-11-02

80年代以前(1989年まで)で最も重要コンピュータゲーム10

○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。


元ネタ1:

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

元ネタ2:

https://anond.hatelabo.jp/20241026213447


最初ファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードから移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。

ついでに他のハードも含め、80年代以前のコンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。


(追記)

コメントでの指摘を受け、ポートピアジャンルグラフィックアドベンチャー修正


1.ポン(1972年/アタリ/アーケード

アメリカアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲームコンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカアタリ時代が花開くことになる。

日本では翌年にタイトーセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。


2.ブレイクアウト1976年/アタリ/アーケード

アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的ゲームの一つとして知られている。

日本ではタイトーナムコ正規ライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本ゲーム産業が花開くきっかけとなった。

いまでは有名なメーカーが、正規ライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。


3.スペースインベーダー1978年/タイトー/アーケード

初の日本メーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本お茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品

日本アーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店スナックテーブルがこのゲームテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。

数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲーム面白さの本質が詰まっている。


4.ゲーム&ウオッチシリーズ1980年/任天堂/ゲーム&ウオッチ)

単独ゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。

初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、

そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。

横井軍平代表作の一つであり、シャープ提携して電卓技術で作られた玩具。この横井軍平シャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。


5.パックマン1980年/ナムコ/アーケード

ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本アーケードの大ヒット作第二弾。

敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。

日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし日本ゲーム世界通用することを知らしめた。80年代ゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品


6.ウィザードリィ1981年/サーテック/Apple II

ウルティマとどっちを選ぼうか迷ったが、こちらを選択

ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品

ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPG基本的システムが完成されており、

ウルティマと共に、後のドラクエFFに大きな影響を与えた。堀井雄二坂口博信もこのゲームをやり込んだという。


7.ゼビウス1983年/ナムコ/アーケード

スペースインベーダーギャラガと続くシューティングゲーム系譜を完成させた作品

シューティングゲームフォーマットを決定付けた作品であり、これ以降に出たすべての縦シューは(あるいは横シューも)、このゲームの子である

また初めて隠れキャラ採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。

グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素グラフィックゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。

何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。


8.スーパーマリオブラザーズ1985年/任天堂/ファミコン

説明不要宮本茂の生み出したゲーム黎明期最高傑作の一つである

その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である

どこまでも広がる世界解放感、至るところに隠されたアイテムボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン

どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲーム古典的教科書の一つである

アーケードから移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場アーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法適用されたことも影響している。)


9.ドラゴンクエスト1986年/エニックス/ファミコン

ウィザードリィウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPG日本人向けに大幅にアレンジして生まれ作品

これ以前にも日本メーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自RPG=JRPG市場開拓されることになる。

とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などから批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲーム国民作品になることはなかっただろう。

反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。

ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画ラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。


10.ゼルダの伝説1986年/任天堂/ディスクシステム

宮本茂最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム

このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。

しかゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。

近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。



◆◆◆


以上、10選終わり。

以降は選外となった作品


Tennis for Two1958年/ブルックヘブン国立研究所/非売品)

世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。

研究所見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品


平安京エイリアン1979年/東京大学理論科学グループ/アーケード

学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲーム草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか


ローグ(1980年/マイケル・トイ, グレン・ウィックマン/Unix

ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。


ウルティマ1981年/リチャード・ギャリオット/Apple II 他)

コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲーム元祖である


ドンキーコング1981年/任天堂/アーケード

正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。

宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。


ポートピア連続殺人事件(1983年/エニックス/PC-6001/mkII)

グラフィックアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作PC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。

コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。


テトリス1984年/アレクセイ・パジトノフ/Electronika 60)

最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連科学である

ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっと重要ゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋パズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。


三國志1985年/光栄/PC-88他)

光栄歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。

これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。

歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在歴史物のゲームにも影響を与えている。


ハングオン1985年/セガ/アーケード

世界初の体感ゲームにして、セガ体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム

ゲームの主戦場アーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードしか実現不可能臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケード復権する鍵の一つとなる。


ザナドゥ1985年/日本ファルコム/PC-88他)

ドラクエ以前の日本RPGで大きくヒットした作品日本PCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。


悪魔城ドラキュラ1986年/コナミ/ディスクシステム

コナミ代表するシリーズの一つとなった作品任天堂メトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンル形成フォロワーが多数現れている影響力を評価したい。


アウトラン1986年/セガ/アーケード

セガ体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲーム元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。


ファイナルファンタジー1987年/スクウェア/ファミコン

スクウェア本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要作品



80年代末期は、シリーズ物の二作目、三作目がヒットの中心であるため、ここまでとする。

PCエンジンやメガドライブからも選出したかったが、ここに挙げたものに並べる作品がなかった。

2024-09-21

anond:20240920235724

あれをダメと言ってしまうとUNIX周りやmp3周りも今の姿を受け入れられなくなるからなあ

2024-09-12

anond:20240912144259

ゲーム専用機って囲い込みのためだけの商品からそうだよ、細かいこと言えばLinuxじゃなくてUNIXだとかグラフィックスAPI独自とか色々あるけど

anond:20240911223505

俺は自分の端末は今はMacだけど

サーバー用途で使うのはLinuxでもUnixでもWindows Serverでもいい(最後のは俺はよくない)けど

コンシューマー向けの素Windowsターミナルサーバー立ち上げてという用途とは一番かけ離れたやつなんっすよ

あとサーバーターミナルで立ち上げないように

2024-08-03

中高生UNIX与える意味はあるんじゃないの?

余計なことさせないためにも…😟

やりあっててクッソワロタ

TakamoriTarou ここでWindowsを選んだことで、娘の人生可能性が広がった。もしこれがMacでは、可能性を狭められ未来選択肢が大幅に減っただろう。信者商売Mac普通にプロの道具として使えないしな。普通Unixではもはやないし

ustam ここでMacを選ばなかったことで、娘のIT人生は終わった。初めて扱うコンピューター端末がWindowsでは、苦手意識を持って積極的に触ろうとしないだろう。UIとかデザインとか、普通にダサいしな。UNIX系じゃないのも辛い。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/edu.watch.impress.co.jp/docs/report/1609983.html

2024-07-12

anond:20240712144103

じっくり考えた事はあまりないんだが、もしかしたら

UNIX的ではないOSを広めて金儲けに成功してしまたから」

なのかも知れない

WindowsPhoneが消えた時の心情を少し覚えてて

「やった、これでスマホUNIX的なOSのみになった」

と考えて安心した記憶がある

でもそれが真実理由かどうかは知らん

自分の心なんて自分ではなかなか分からんよね

2024-06-20

anond:20240620135402

> なんだ、単なる妄想か。


「その後、富士通SPARCを使ったUNIXサーバーを作り続けてはいたが、大きくアーキテクチャ改善する開発は行われないまま」

なんてこと書く人が、俺よりも詳しいとは思えないな。

結局発売されなかった次世代SPARC64が、A64FXと同一マイクロアーキテクチャであることは富士通公式発表にあるわけで

その程度の知識があれば「大きくアーキテクチャ改善する開発は行われないまま」なんてことは口が裂けても言えない。


妄想元増田の方でしょう。

2024-06-18

プロジェクトX、出演NGなのでは。あるいは富士通半導体の敗北の歴史

富士通忖度してるとか言ってるけど、あれ、普通に取材NGだったんじゃないかな。

当時の経緯を知ってると「私の名前は出さないでください」ってなったとしても不思議じゃないと思う。そうなれば当然NHK富士通も触れないし、本人が拒否したんですなんて発表するわけもないし(例え親族が声を上げたとしても)

コンピュータって、富士通半導体最後打ち上げ花火だったんだよ。

当時の話

京の開発が進み、実際に生産されるころは、経営方針として富士通半導体撤退をするかどうかで揉めていたころだった。

コンピュータは、富士通自社工場で作った最後スパコンであると同時に、国のトップ開発のHPCにおいて、富士通が単体で作り上げた初めてのHPCでもあった。

これは、富士通が優れている、というよりも、逃げ遅れたと表現してもよいかもしれない。HPCプロジェクトからは、NEC東芝が次々と撤退していたのだ。

当時半導体の重い投資に堪えられなくなった電機各社とその銀行団は、自社から半導体部門、少なくとも工場を切り離したがっていた。まさに、それどころではなかったのだ。

しか富士通はまだ撤退決断せず、他社とは一線と画した対応をしていた。

ようにみえた。

富士通撤退戦を開始

コンピュータCPUは、45nmのプロセスで作ると言うことで言っていたためか、富士通はなんとか自社で開発した。けれど、京に乗せたプロセッサ最後になった。次のプロセスは開発されていない。

https://news.mynavi.jp/techplus/article/architecture-467/

さらに、当時、45nmのプロセスは安定して無い状況で無理矢理作ったと言う話もあったはずだ。これは京コンピュータ以降はTSMC委託することが決まっていたため、既に投資が絞られていたためでもある。

(後にTSMC版の進んだプロセス製造されたSPARCを使ったミニコンピュータが何個か作られたのだが、ノード辺りの性能が30%以上アップしたと言う。これはプロセスが細分化された以上の性能向上であった)


富士通が、自社の半導体部門富士通セミコンとして切り離したのが2008年。京コンピュータ用のプロセッサ生産したのが2010年三重工場であった。

その三重工場2013年さらに別会社として切り離され、現在は完全に売却されて富士通に残ってない。

また、同じく半導体工場としては福島県の會津富士通があったんだが、その時の工場撤退エピソードは、今でも大企業黒字でも簡単工場撤退させる事例として有名になった。かなり悲惨事態だったと言える。

そうして重荷になっていたとされる工場を切り離しファブレスに近い業態にしたのは、富士通半導体を残すためだったと思われる。

しかし、そうした建前などなかったかのように2014年にはシステムLSI/SoCの開発部隊分社化を決定。それが現在のソシオネクストであるPanasonicLSI部隊と合弁した会社で、分離した当時、富士通設立当初40%の株式を保持していたが、現在は完全に売却してしまった。

現在富士通半導体部門はFeRAMや光回路用の超特殊ものを除いて完全売却で撤退している。


なお、その後、ルネサステクノロジ(※富士通は合弁に参加していない)が組込向け半導体でほぼ世界首位と同率2位まで上り詰め、国内半導体必要性が新たに叫ばれTSMC国内半導体工場建設。Rapidusという日米政府が関わる半導体企業ができる流れになっている。もし将来、RapidusがプロジェクトXになるときには、大手電機産業からリストラされた技術者達の奮起という文脈が語られそうな気がする。閑話休題

2012年。京が世界一を取ってその後、富士通半導体の敗北が確定した年

件の方がご退任をされたと言う2012年は、半導体さらなる切り離し、売却などの決断と、次期スパコン(つまり富岳)がSPARCを捨ててARMになるという決断が行われた年であったと考えられる。(発表は後になる)

半導体を専門にされてずっとやってきた方には堪えられないもだったのではないかと拝察する。仮に、思い出したくもないし、宣伝にも使われたくないと判断されても仕方がないことでは無いかと思う。(もちろん 出演NGされたと言うのはワイの妄想なので注意)


その後、富士通SPARCを使ったUNIXサーバーを作り続けてはいたが、大きくアーキテクチャ改善する開発は行われないまま(保守設計は続けられていたが)メインフレームとともに撤退が発表された。これはやむを得ないことだろう。

また、ARM化された富岳は、確かに能面や利用面、汎用性では高い成果を出したが、富士通ビジネス的にはさっぱりだったと思われる。


アーキテクチャARMに切り替えた理由は、ビジネス面でもあった。高性能タイプARMを作ることによって、旺盛なクラウドDC需要などに対して食い込んでARMサーバを大きく拡販していくことだったと思われる。

が。富岳に乗せたARMプロセッサを利用した波及製品はみられなかった。

なぜか。それはAWSMS AzureGoogleなど膨大な需要を持つ企業は、需要が巨大すぎてARMが搭載されたコンピュータを買うのではなく、自社でARMIPを購入し独自開発することを選んだためである

彼ら相手には商売にならなかった。それ以外のクラウドベンダーは無きに等しい。ARMなどアーキテクチャが影響しないのはPaaS以上の象徴度を持つサービスだが、寡占状態にある大手以外まともに提供出来ていないため、市場が無いのだ。


ただし、この時富士通ARMの競業によってARMは成果をあげた。アウトオブオーダー実行など、ARMは高性能コンピュータ必要技術富士通から取り込んで現在に至る。

それ故、富士通商売は上手くいかなかったが、世の中的には良かったとは言えるのではあるのだ。そのIP大手クラウド各社は自社向け半導体を作って商売をしているのだから

エピローグ または今後について

今、富岳の次のHPC予算要求の山場を迎えている。

https://newswitch.jp/p/41595

から今のタイミングプロジェクトXに乗ったのだと思うが、綺麗事では語れない話がたくさんありすぎる。


受注はまず間違い無く富士通だと言われている。と言うのは、開発の一部は既に行われているから。

https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2310/12/news074.html

そして、国内にもう国産HPCを作ることの出来る会社NEC富士通ぐらいになってしまったためである

富士通は新しいHPCは1位を目指さないかもしれないという考えから計算効率の方に大きく振った開発を進めおり、国内トップHPC採用されたという実績を背景に売り出そうというつもりではあると思われる。富岳の夢再び、だ。

しかし、富士通は今年1月ハードウエア会社を分離した

https://cloud.watch.impress.co.jp/docs/special/1560540.html

この新会社、分離時には綺麗事を書いてあるが、

https://www.fsastech.com/about/

ご覧の通り、富士通ブランドを一切使っていないのだ。既存商品から富士通マークを取り払っている。さらに、会社概要株主欄がなく、富士通名前が出てこない。(他の関連会社はそういった記載がある)

半導体がどうなったかの流れを知っていると、暗い予感しかしない。

そして、HPCレイヤーの低い、ハードウエアに近い部分、さらメカニカル設計や冷却など物理的な部分のノウハウが多く必要とされる。それを富士通分社化して製造能力を失っていく中で、果たしてまともにHPCが作れるのだろうか?

さらに、確かに2010年代半ばのころはワークロード不足に陥ってコンピュータは安売りに陥っていたが、現在AIと言う巨大な需要が生み出され、価格回復ハードウエアが再び重要と考えられ始めている。ハードウエアと同時に提案できる能力が強みになりつつある。

しかし、既に富士通はそれらに対応するための強みを、はした金と決算数字をよくするためだけに売り払った後である案の定、粉飾紛いの異様に高い目標に対して、結果が出ないと言う発表を繰り返している。

富士通アクセンチュアを真似ていると言われる。以下の記事にはこうある

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00848/00049/

目指す先はアクセンチュア富士通が主力工場を総務に移管する理由

時田社長2019年9月に開いた初の記者会見で「開発製造拠点をどう整理するのか」という質問に「既に方向は定まっている。後は状況判断と時期の問題富士通サービスに集中する企業になる」と応じていた。

時田社長方針は「アクセンチュアにないもの富士通もいらない」とみてよい。

そこまでやったのに、ここ3年ほど株価は伸び悩みが続いている。アクセンチュアの真似をしますと言ったときは撥ねたがが、その後は同業他社業界全体の株価上昇率に及ばない状況が続く。
それはそうだ。アクセンチュアの真似をしていてはアクセンチュアには勝てない。まして工場売却を通じ、元々の強みを捨て弱みまでアクセンチュアの真似をしているのだ。富士通この先生きのこるにはどうすればいいのか?


これがプロジェクトXの真のエピローグではないかとワイは思いました。

2024-03-29

anond:20240329225642

Linuxを扱えないやつのほうが断然「旧い」だろ

WindowsMacチンパンジーが扱える形態で作られているからな

FreeBSDなどのUnixなら尚更チンパンジー向けではない

2024-03-10

anond:20240310133758

UNIXというのは、「わかってないバカは使うな」の精神があり、それがLinuxにも残ってるよ

からサーバサイドではLinuxが広く普及してるし、Windowsサーバーなんて情弱しか使わない

2024-03-01

月末日の取得方法

ライブラリにある標準的実装使用する

言語によっては標準的に月末日を取得できる関数が用意されている

それを使うのが一番簡単バグが出ないが

用意されてない場合もそこそこあるし

サードパーティー的なライブラリだとライセンスなどメンテナンス含めて面倒になるので避けることも多い

月末日にせずに28日にする

そもそも仕様を「月末日」などという不確定なものにせずに28日にしてもらう

どの月にも28日はあるので問題無い

ちゃん仕様を決める部門連携が取れていれば多くの場合28日にしてくれるし

28日支払い」が多いのもこのためだと思ってる

翌月マイナス1日で計算する

割とよくある実装がこの「次の月初めから1日(1秒)引く」という実装

2024年2月の月末日を取得する場合2024年3月1日UNIX時間から24*60*60秒を引いて計算する

ただし、実装を間違えると12月31日ときに失敗するので注意が必要

自分実装する

各月の月末日をマップとして保持しておいて取得させる

関数実装するなら if(month==1) return 31 とかを12行書けば実装できる

この場合閏年考慮していないと4年に一度バグが発生する

閏年の判定はライブラリ標準的実装されていることが多いが

自分実装する場合プログラミング教科書にあるぐらい有名なのでコピペでもChatGPTでも使えば良い

ただ仕様をそのまま実装せずに「4で割り切れたら閏年」でも問題無い(やったことはないが)

「それだと2100年でバグる!」

などと騒ぐやつがUNIX時間を使ってるのはなかなか興味深い

ちなみに過去の日付であっても2000年バグらない(そのための400年処理だし)ため

1900年を入れない限りは問題無い

最高齢の人でも1900年からなので基本的には問題無いだろう

たまにプルダウンで1901年からしか入れられないシステムを見るが、「もしかして閏年のせい?」と思ってる

2024-01-31

anond:20240131174453

地方からの声です。

ひとえに、IT云々に関わらず、リモートかどうかに関わらず、発注者と受注者の信頼関係だと思います

 

私は二十数年前まで、メインフレームCOBOLやJCL、UNIX上のCなどを扱うインフラシステムを切り盛りするエンジニアでしたが、脱サラに失敗して非正規を今まで続けて参りました。

結局は現役から離れた期間が長くなり、50も過ぎますと、さすがに現場技術者は務まりません。

 

まぁ・・・簡単なCですとか、EXCEL関数を駆使したシートくらいは作れますが、そんなレベルでは通用しませんよね。

受注者は自分能力をどう宣伝できるのか?発注者はどう能力を測るのか?それが難しい。

実際、私も地方の中枢都市在住ですが、なかなか、中央レベル仕事できますよ!って主張するのは不安があります

番手っ取り早いのは、とりあえず出勤してもらって、ある程度レクチャーして、その結果どれだけのレスポンスがあればリモートにしても良いかなぁ・・・って感じなんだろうなぁと思います

2024-01-07

anond:20240107205412

個人的には初心者プログラマUNIX哲学周りの本読んでハマるか、キャリアアップできなかったエンジニアが使うのがシェルスクリプトだと思っているが。

クラウドとかでシェルを大規模に使用したシステムを推奨している公式プラクティスないっしょ

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