はてなキーワード: オーボエとは
(恥ずかしながら響け!ユーフォニアムは未視聴です)
吹奏楽部員のフルートの傘木希美とオーボエの鎧塚みぞれの2人が
曲の理解を深めるとともに自分たちの関係性を見つめ直す物語であった。(ちょうざっくり)
映画にも描かれている、合奏の空気感や曲作りに対する部員同士の対立なんかはあるあるなんじゃないかと思う。
偏見じゃん!といわれればそれまでだが、
わかるな〜と思いながらみていた。
だから、とても没入することができたし、いい作品に出会えたと感じた。
本題はここからだ。
自分が大人になってしまったことに映画を通して気付いてしまったのだった。
結構ショックだった。
ネタバレを含むが、
上位カーストという感じ。
ずっと傘木の後をついて回っている。
一方、傘木は自分の方こそみぞれなしではいられなかったということに気付くのだった。
まずこれがもう序盤で気付いてしまうのだ。
こういう子って急に大きくなるんだよなぁって肌で感じてしまう。
それはいい。
例えば恋愛漫画で、この2人どうせくっつくんでしょ?(その過程がみたい)というのは往々にあって
何がショックだったのかというと、
友達とのイザコザ(で片付けるのは失礼だが)が羨ましかったのだ。
今の私といえば
あんまりストレスが溜まったら、美味しいものを食べて仕事と関係のない友達に愚痴って消化、
気持ちがみえなくなってハグを求めて相手の気持ちを知ろうとする、
合奏の掛け合いがぎこちなくなって知らぬ間にできてしまった距離感に落胆する…
そして私にはわかるのだ、
ここまでイザコザしたとしても
でも安心して欲しい(?)
ひょんなことから連絡をとったりすると4年くらい空白があったとは思えないような時間を過ごせたりする。
そしてなにより
強烈にうらやましい!と思ったし、
作品を通して高校生の私に再会させてくれたリズと青い鳥は偉大だ。
素敵な作品を生み出してくださりありがとうございます。
もう一周観ようと思う。
響け!ユーフォニアムも観るべきなんだろうか?
トランペットで一番うまいやつは1番下手なのはオーボエだと言ったが、圧倒的にトロンボーンのトップへの悪口がひどい。ちなみにオーボエは他校と比べてすごく上手。
トランペット氏曰くトロンボーンは音の圧が小さいとか。真面目にやってないことになるらしい。
トロンボーンの一番うまいやつはトランペットの一番うまいやつについて、華があると褒めながら影で音痴と言っていた。私個人としてはピッコロとフルートのほうがやばかったと思う。
トランペットとトロンボーンの一番うまいやつは大抵となりになる。だから喧嘩になるのも仕方ないんだけど、さ。
クラシック音楽が好きでアニメも好きな奴なんて割とありふれていると思うので、これは俺自身のキモい感性が根底にあることを前提にした話。
オーケストラの楽曲の聴き所はたくさんあって挙げきれないが、その中に確実に入ってくるのが、オーボエのソロである。
知名度的には白鳥の湖を筆頭に、とにかくオーボエソロのない楽曲なんて、現在頻繁に取り上げられる名曲クラスの作品ではまずあり得ない。
つまり曲中の様々な名場面に必ず含まれるみたいな感じで、曲あるところにオーボエソロのシーンありと言っていい。
そして筆者は、このオーボエソロのシーンが来るたび、響け!ユーフォニアムの鎧塚みぞれが吹いているような錯覚にとらわれて久しかったりする。
奏者がおっさんだろうがじーさんだろうが、頭に思い浮かんでしまうのは鎧塚みぞれ。
しかも上述のように、どんな曲にもほぼ必ずオーボエソロが出てくるので、もはや自分のクラシック音楽は鎧塚みぞれとともにある状態。
それもこれも、響け!ユーフォニアムやリズと青い鳥の、美しく迫真的な映像が紡ぎ出すドラマとキャラ描写が、じわじわ効いてきたのだろう。
まさかこんな形で京アニの凄まじさを実感するとは思わなかった。
もちろん、そんな絵に命を吹き込んだ種崎敦美氏の演技、音を作り出した洗足学園音大の方々も見事である。
…などと言い訳がましく聞こえないよう、それっぽい言い訳をしてみた。
まあそうなるか。
最近映画やってるということで、仲のいいオタクがこれを機に全部見ろと言ってくれて、今更全部履修しました。
映画も行きました。最高だった。
で、なにか楽器をやってみたい。
そう思い立って、近所の一般吹奏楽バンドがいくつかあるので、見学に行ってみた。
いろんな楽器を吹かせてもらった。楽しかった。どうだったかは以下に。
フルート 鳴らない。どんだけ吹いても鳴らない。スコー!!!っていうだけ。のぞみが好きだったのでつらかった。のぞみすごい。
クラリネット ドレミファソラシドはできた。指覚えられる気がしない。
アルト?サックス ドレミファソラシドはできた。思ってたよりでかいし重い!
ファゴット 鳴りはした。
コンバス やらなかった
トランペット ドレミファソラシドはできた。れいなみたいな綺麗な音とか高い音だすのどんだけ大変なの?
トロンボーン 鳴はした。スライドむずいし腕が短いから遠くキツイ。
ユーフォ ドレミファソラシドはできた。思ったよりでかいし重い。
チューバ ドレミファソラシドはできた。はづきちゃん毎日こんなの吹いてんの?マウスピースでかすぎてびっくり。
とにかく楽器吹くのって見てるよりずっと大変なんだね。なんつーか、リコーダーみたいに吹けば鳴るってもんではない!
やっぱ何年も吹いてる人と今初めて楽器触った!って人との音色の差が歴然すぎる。
響け!みたいに美しい音楽をするのはすんごく大変なんだなあ。
やっぱり学生時代に部活動でやってないとキツいなあ。この年で始めるのしんどいかもしれない。
ヤマハ大人のレッスン教室とかあるけど…。ああいうのの利用者で実際に楽器演奏をモノにした人ってどのくらいいるんだろう。そういう統計とか見てみたい。
Dalbergia spp.、 Guibourtia demeusei、 Guibourtia pellegriniana、及びGuibourtia tessmannii (ブビンガ)に関する注釈#15は、ローズウッドとブビンガの附属書II記載が以下を対象としている旨を示しております:
楽器産業と楽器製造業向け木材供給者は、ローズウッド及びブビンガの保全努力とともに、その生物学的特性や保護措置及び取引について、さらに研究していくことを強く支持しております。これらの樹木を守ることが重要です。
楽器を作るのに必要となるローズウッドやブビンガの量はとても限られたものです。例えば、ギターやバイオリン、ビオラ、チェロ、ダブルバス、クラリネット、ピッコロ、オーボエ、フルート、サキソフォーン、そしてピアノで、ローズウッドやブビンガを使っているものは概ね、それらを実質10kgも含んでおりません。マリンバとごく少数のピアノ類ではもっと多く使われているかもしれませんが、それでも通常は楽器あたり30kgを超えることはないでしょう。バイオリン系のような特定の楽器においては、ローズウッドの使用は極めて少量でありながらも重要ですが、それは、例えば調律糸巻などに最も適した素材だからです。楽器製造業・小売業そしてミュージシャンは、生計のため、そして人類の経験を高めるアートを作り出すために、楽器の取引をよりどころにしております。総体として、ローズウッドやブビンガの全世界的取引のなかで楽器が占めている割合は、ボリュームで見れば極めて少ないのですが、発行される許可の割合は顕著なものです。
素材価格の高騰は、楽器製造業と関連事業者(例えばバイオリン・アクセサリ製造業のような)の限界収益性をむしばみ、生計を脅かす恐れがあります。楽器は使いづづけるものですし、小売業と個人の両方で長期間にわたって売却されるものですが、強制され発行してもらう許可のための費用と負担はその都度発生します。ミュージシャンにとって、特にオーケストラや合奏団にとって、楽器の移動や売却を制限されることは、生計と芸術活動を脅かすものとなります。
楽器や楽器部品の商業的、非商業的な移動が明確かつ完全に除外されていないことで、取引に重大な影響が生じ、国際的な文化活動は妨げられ、CITES管理当局に不必要なな負担をかけています。締約国が注釈#15を置き換えるか修正しないことには、音楽の世界と文化は、あの最高品質のトーンを生み出す楽器を失うことになりましょう……相応の保全利益もないのにです。
American Federation of Musicians of the United States and Canada.
American Federation of Violin and Bow Makers.
Bundesverband der deutschen Musikinstrumentenhersteller e.V.
Confederation of European Music Industries.
Dismamusica.
Fender Musical Instruments Corporation.
ForestBased Solutions, LLC.
French Musical Instrument Organisation.
International Association of Violin and Bow Makers.
International Federation of Musicians.
International Wood Products Association.
League of American Orchestras.
Madinter.
Music Industries Association.
National Association of Music Merchants.
Orchestras Canada.
Paul Reed Smith.
PEARLE*.
The Recording Academy.
Society of Music Merchants. The SOMM - Society of Music Merchants e. V.
Taylor Guitars.
『リズと青い鳥』への寄り道を経てTV版2期のその後を描いた正統後継作品。いつもの『ユーフォ』であり、それはつまりすっげー良かったと言い換えていい。
最初に細かいところなんだけど、久美子麗奈がめちゃくちゃ良かった。
いやーほんと好きだあの距離感。見てるだけで幸せな気分になった。気の置けない関係を映像にするとこうなるのかって感じ。無闇矢鱈と近いし、遠慮なく蹴るし、ほんとに来るとは思わなかったとか言っちゃうし。そして何より声がいい。どこまでも自然体な、相手との友情を信じ切った声。人間関係がヒリついたり、腹の中を探り合ったり、外面と内面の温度差が激しかったりする『ユーフォ』(やや語弊のある表現だがw)においてあの気の置けない声はただそれだけで音楽のように心地いい。
久美子と麗奈が急接近したのは1期#8――つまりはあの大吉山でのことがあってからだが、あの時の麗奈は抜き身の日本刀のようだった。久美子を試していたし、久美子の特別になりたいという気負いが見え隠れしていた(麗奈が言った「特別になりたい」は久美子の、ではないが、それをわざわざ久美子の前で宣言したり「愛の告白」という強いワードを使ったりする意味は当然あったんだろうと思う)。今はそれがもうない。互いが互いの特別であるという自覚は声から一切の緊張を奪うし、麗奈が「いいよ」と優しく言ったあのトーンを耳にできるのは久美子だけという確信がある。そういうところが好きだ。
話が脇道にそれてしまった。
話を本筋に戻すと、今回もコンクールの描写が圧巻で最高だった。『ユーフォ』の華といえばやはりコンクールだが、何が素晴らしいって久美子たちの努力に音と映像が全力で応えてくれるところだ。『響け!ユーフォニアム』は努力の物語。努力に努力を重ねて汗をかいて涙を流して奏者たちはあの舞台に立つ。そして『響け!ユーフォニアム』はその成果を、結果を、観客のリアクションを描くことなしに表現しきる。今回もまたそうだった。
曲目は「リズと青い鳥」。「三日月の舞」は華やかでキラキラしていて聞いているだけで心が躍るような曲だったが、「リズと青い鳥」は童話をモチーフにした組曲ということもあって物語性や感情の波を感じられる構成になっている。どの楽章も映像が浮かんできそうなほど叙情的で良いのだが、やはり大空を自由に羽ばたく青い鳥を表現したオーボエのソロ、そしてそこから始まる希望に満ちた明日を表現した第四楽章は「リズ鳥」のふたりだけじゃなく北宇治の音とがんばりも表現する構成で本当にたまらなかった。特に終盤、金管の高らかなファンファーレに合わせてそれぞれの表情を映し出していくシーンはみんなの努力がこの音を作り上げてきたんだと叫んでいるようで感極まってしまった。終わったときは映画館なのに拍手しそうになるほどだった。
今作のテーマは「がんばるってなんですか?」「わたしはがんばれば何かがあるって信じてる。それはぜったい無駄じゃない」。そのとおりだし、付け加える点は何もない。ただひとつ言うなら努力は夢を叶えてくれるかどうかを保証しない、だけど努力は努力をした分だけ見せてくれる景色を変えるってのはあると思ってる。「悔しくて死にそう」と涙を流せるのはそれだけの努力をしてきたからだし、その末に紡いだ最高の音もキラキラした舞台も万雷の拍手もそれ自体が価値だと思う。そういう『ユーフォ』の持ってる基本的な価値観を改めて見せてもらったな、と満足満足でした。
というわけでこの続きも見たい! 3年生編も絶対やってくれ! ってことでまだ劇場で見てない人はGWだし行ってくれるようお願い申し上げます。よろしく頼むぞよ。
なおほんの少しだけ水着シーンがありました。で、久美子と麗奈が色違いのおそろだったんだけど!! マジかコイツら!! これ絶対、ふたりで水着買いに行っただろ!!(原作未読なのでそういうシーンがあったのかは知らないが!!)
ということは当然こんな会話があったに違いない!! 「久美子、どれにするの?」「わたしは……これにしようかな」「ふーん。じゃ、私はこれ」「え!? お揃い?」「いいでしょ別に」「うーんでも高校生にもなってお揃いっていうのはちょっと恥ずかしいっていうか……」「気にしすぎ。誰もそんなとこ見ないわよ」「そうかなあ……」みたいな!! あーーー!!(ゴロゴロゴロゴロ)。
教科書として手頃とはずいぶん失礼な話だな。
実際に取り組んでいて、過去の遺物として仕舞われるどころか、今でも歴史的価値に恥じない凄さがあるから人気を保ってるのだと思うけど。
てか、そんな見解が許されるのなら、近現代の楽曲はそれこそラーメンで言ったら二郎みたいなもんじゃん。
そんで下に書いたように、見方によっちゃゲテモノ嗜好な代物を無闇矢鱈に押し付けてくる手合が本当に多い。
音大受験ではほとんどの管楽器が古典派の楽曲を吹かされる(例えばトランペットはハイドン、オーボエやファゴットはモーツァルトとか)ことからして、プロが古典の曲をまともに吹けないのはダメだろう。
一方でアマは遊びでやってるんだから好きなのやれっていうのは正論だが、現実に大抵のアマオケでは管楽器の近現代嗜好ばっかり優先されるじゃん。
そうしたくなかったら、管楽器の人数を極端に絞って、かつトロンボーンとチューバは必要に応じてトラ呼ぶような「室内管弦楽団」にでもしないと無理なわけ。
ハッキリ言ってウザい。
全員が全員、近現代やドビュッシーシベリウスをやりたいわけじゃないのに、どういうわけかそういうのばっかり取り上げられる。
でもオケの中核である弦の人間で、近現代ばっかりやりたい奴なんて変わり者扱いだから。
そういう「弦の縄張り」であるはずのオケを、好き勝手に蹂躙するのが管楽器という認識なんだよね。
せめて「(美味しいところがたくさんある)オケの曲を吹きたい」じゃなく「(豊かな響きを作る)弦と一緒に吹きたい」くらいの意識で来てくれれば、少しは違うんだろうけど。
そんなの、
で解決するじゃん。
そしたら、日曜だってのに皆で集まって、朝っぱらから日が暮れるまでコンクールに向けて延々練習して擦り切れる…なんてバカげたことは起こらなくなるよ。
最初からプロに習い、レッスンで言われたことを信じて励めば、コンクール至上主義なんてアホな価値観に染まりようがないから。
てか、そんな朝から晩まで合わせる練習したからって、合奏が上手くなるなんて思ってもらっちゃ困る。そんなに音楽は甘くない。
もちろん努力は嘘をつかないが、努力した時間が多ければいいってもんじゃない。
あと、大してレベルの違わない先輩にいじくり回され、潰されるなんてリスクも回避できる。
そんで、見込みのある子はレッスンの先生が音大受験を勧めればいい。まあレアケースだろうけど。
そもそもレッスンで何を習い、何を目指すかだけど、基本的にはクラシックの協奏曲かジャズのいずれか、もしくは両方でソロを吹けるレベルを目指すべき。
そうした個人競技ベースの技量がないのに、合奏のイロハなんて教えても時間の無駄。
だって、音に芯のないフルート、ピッチの狂ったオーボエ、濁った音のクラリネット、音に品がないサックス、いつも苦しそうな音のファゴット、高音が出ないトランペット、毎度のように音を外すホルン、間抜けで汚い音のトロンボーン、存在感ゼロのユーフォニアム、やけに音が細いチューバとか、そんな下手くそが集まっても、足の引っ張り合いにしかならないし。
楽器を買うべきなのは、楽器の手入れだって演奏の一部だし、ピアノみたいな例外を除いて、どこに行っても自分の楽器で演奏するのが基本という観点による。
ちなみに安物(ただしゴミでないことが条件)でいいのは、そもそも管楽器は消耗品=買い替え前提なので、最初の楽器が壊れるレベルで使い込むくらいじゃないと、どのみち上達しないから。
https://anond.hatelabo.jp/20180808075938
要は、器楽部に演奏実態ができる様に適切に演奏者を追加してくれということである。現状器楽部は殆ど何も合奏できないし存在意義が謎だ。
この3つは最低限の合奏をやるために少なくとも必要な楽器である
最低限の合奏をやるためには同じ楽器を演奏する複数の奏者の存在が不可欠だ
そして彼らは特別な絆で結ばれる。いわゆる「パート」というやつだ。この尊い関係に感じるものはないのか?
楽器の違いでキャラに個性をもたせようしているなら今すぐやめてくれ
そんなにそうしたいならカズーでも吹かせておけばいいだろう。楽器とはびっくりどっきりメカではないのだ
人類初のワグナーチューバ専に関係する話である。要は彼女をホルン奏者にすればいいのだ
ホルン奏者だが、ふと聞いたワグナーチューバの音色に取り憑かれ…そういう形でマイナー楽器を愛するようになった奏者は沢山いるだろう
普段はメイン楽器吹いて食っているが、チャンスさえあれば本当に自分が愛する楽器を皆に聴いて欲しい…
ピアノ調律師、実に素晴らしい夢ではないか。そしてピアノは万能の楽器である
なぜここを明らかにしてプッシュしていかないのか真剣に謎である
実はここにはさして文句はない。それは創作者の選択の問題であり、それは創作者の自由である
ただ、一つ言うことがあるとすれば「絶対音楽」という言葉を知ってほしいぐらいかな
まあコレ自体がクラシックの気難しさを象徴するような語だがこれは「歌詞を持たない音楽の中で
物語その他文学的な何ものか(標題)を音楽で表現しようとする音楽でなく、音楽そのものを表現しようとするような音楽」のことである
要は「音楽の音楽による音楽のための音楽」である。多くのクラシック曲がこれに分類される
つまり相当数のクラシック曲には「メッセージ性」というものがないのだ
ららマジというコンテンツがある。「キミと奏でる、音と魔法の学園RPG。」だそうだ。こんなこと言ってる時点でもう丸わかりだが、完全なる未プレイのままこれを書いている
そして自己紹介をすると、クラシックオタである。オタクと言ってもどれくらいかという話だが、バッハからギリギリウェーベルンまでと言った感じである
(ルネサンスの完全ポリフォニー音楽は正直よくわからんし、ウェーベルンで十二音音楽がギリギリって程度で、ベルクとか分からんし、セリエル音楽とか完全にダメである)
まあ要はクラシックオタとしては及第点ぐらいなのではないかという感じだ。自分で思っているだけだが、流石に新ウィーン楽派必修はキツすぎるしこんなもんだろう
そして、ららマジの存在は知っているのだが、それ故に全く手を付ける気になれない
要はミリヲタが艦これに文句つけてるアレである。知ってるとどうしたってアラが見えてしまうのだ
というわけで以降アラをあげつらう。ただ、最初に書いておくが、クラシックを題材に据えてくれたことそれ自体には感謝したい。大概な過疎界隈なので…
まず最初に引っかかったのがこれである。ワグナーチューバ専がいたのだ。おそらく人類初のワグナーチューバ専の演奏者ではないか?
どういうことか説明する。ワグナーチューバとかその名の通りリヒャルト・ワグナーが導入した楽器である
問題はその役割である。ワグナーチューバというのは、端的に言うとホルン奏者が持ち替えで吹くチューバ、要は補助楽器なのである
まず楽曲に登場する際もその様な管弦合奏の中での役割しか無い。無論ワグナーチューバの独奏曲なるものも地上には殆ど存在していないと思われる
ワグナーチューバ専の彼女が何の為に生きているか深刻に謎なのだ。もっと彼女の存在意義を明らかにして欲しい
単にワグナーチューバがちょっと奇を衒ったチョイスだと思ってこんなことをしたのなら…正直それは最もオタクが憎むところである
さっきの発想を拡大していけば自然とこういう結論が導き出されるのだ
まず編成が滅茶苦茶である。ワグナーチューバは勿論だが、なぜか胡弓がいる。譚盾でもやるのか?
ピッコロ・フルート奏者と、ファゴット・コントラファゴット奏者とそれぞれ別々ににいるし、オーボエもいないのになぜかイングリッシュホルンがいる
というか弦楽合奏の縁の下の力持ち、ヴィオラがいない。クラシックやる気ねえだろお前
まず、各楽器一人づつしかいないのが致命的におかしい。これで合奏なんかできるわけないじゃないか
一応確認してみたが、弦楽合奏はヴィオラが居ないのでまずどの編成も無理だし、金管五重奏をやるにはチューバがいないし
オーボエも居ないので木管五重奏も出来ない(イングリッシュホルンの奴を強制的にオーボエに持ち替えさせればイケなくはないが)
率直に言ってこの部活、端から演奏活動をする気があるとは思えないのである。演奏活動をしない音楽部ってなんだ?
まだ楽器弾けないクラシックオタが放課後に集まって一緒にクラシック聞く方がよほど真面目に部活動してると言えそうである
まず何のチューナーなのかが全く聞こえてこない。そこ、いちばん重要な情報である
…が、状況を見れば十中八九ピアノの調律師であろう。そうすると次の問題が出てきて、器楽部なんかで遊ばずにピアノ調律師の専門学校へ行けということだ
ピアノの「チューニング」自体は、実は器具さえあればクソ簡単である。あれは打弦楽器であり、本質的にギターのチューニングと同じなんだから当然だ
ピアノ「調律」のミソはピアノ全体の調整、とりわけハンマーの調整である。逆にここは素人が立ち入れるところでは全く無い
というかピアノ調律師は国家資格なのである。苟もこんな場所で遊んでいる暇などないはずなのだ
(ただ、ピアノ調律師なのではないかという推測は、チューナーくんがあれほどモテモテな事実への一つの根拠となる気がしている
ピアノ調律師はピアノ全体の調整をやらなきゃいけない都合上、一定程度のピアノ演奏の腕を持っていると考えていい
…そうピアノ奏者である。室内楽をやりたい器楽部に致命的に欠けていたピアノ奏者がここにいるのだ
ピアノとの二重奏による室内楽ソナタというのは各楽器に果てしなくあり、というかほぼその楽器の独奏曲レパートリーと言っていい
ピアノ演奏ができる、そして部員としてそれぐらいしかすることのないチューナーくんは引っ張りだこになること請け合いなのである)
ここまではららマジの方に100%非があることだと思っているが、これはららマジの方の非が50%、この増田の方の非が50%ぐらいだと思う
その前置きをした上で言うが、ららマジの曲チョイスはクラシックへの愛が欠片も感じられず、はっきり言って嫌悪感がするのである
Act 1「いばら姫」:バレエ音楽「眠れる森の美女」(チャイコフスキー)
Act 3「どうにもとまらない」:「どうにもとまらない」(山本リンダ)
Act 4「マイフェアレディ」:ミュージカル「マイ・フェア・レディ」(フレデリック・ロウ)
Act 5「ある晴れた日に」:歌劇「蝶々夫人」(プッチーニ)
Act 7「マランドリーノ」:喜歌劇「怪盗団/山賊の仕業」(スッペ)
Act 9「美しく蒼きドナウ」:「美しく青きドナウ」(ヨハン・シュトラウス2世)
Act 11「ハッピーアンバースデイソング」:映画「ふしぎの国のアリス」(オリバー・ウォレス)
Act 12「カノホナピリカイ」:フラソング「カノホナピリカイ」(ケアリィ・レイシェル編曲)
クラシック好きと言うのはガチの選民思想的なところがあり、こういう事をされると相当カチンと来るのである
そんなPOPなチョイスしたいなら吉松隆でも選べばいいじゃないか
数少ないクラシックのチョイスにしても、スッペの怪盗団を選んだ所以外全く評価できるところがない
24の前奏曲から第15番を選び、更にそれに「雨だれ」の題名を冠するのとか最悪である
今どきベト5を「運命が扉を叩く音」と言い出すぐらい古臭い最低なセンスである
音楽を、ただ音楽それ自体を聴いてくれ。エピソードはそれをやったもののみが語るべき要素である
ネタバレ有なのでそれでも構わない方のみご覧下さい。
昨日レイトショーに駆け込んで観てきました。
まず初めに、私は吹奏楽におおよそ10年青春を捧げた男です。担当楽器はユーフォニアムとトロンボーンでした。
久しぶりにパンフレットを買いました。
吹奏楽部出身者として映画を観ながら思ったことを書いてみたいと思います。
まず、冒頭のシーンからずっと希美さんとみぞれさんは少しずつ演奏がズレています。
二人で吹いていればそれとなく寄せて合わせていこうとするのが普通です。
冒頭の演奏ではそういった様子が2人からは感じられませんでしたし、
音からだけでも2人は、ほんの少しだけずれた
平行線を辿っているような、
そんな印象を受けました。
吹奏楽部において人間関係の不和が音に影響する、というのは良くあることでして、
ある程度歳を重ねると人間関係を音楽に持ち込まない、ということが出来るようになったりもするのですが、
高校生というのはその辺りむき出しです。
良い演奏を聴いて耳が肥えてきても
お世辞にも上手とは言えない高校生の演奏に胸を打たれることがあるのは
その子たちがどういった高校生活を送って来たのか、それが演奏から透けて見えるような気がするからです。
冒頭のシーンを見たときに、
オーボエやファゴットなどのダブルリードという楽器はアンブシュア(吹く際の口の形)がやや特殊でどう頑張っても横顔が若干不細工になってしまうんですよね
3年生の、しかもフルートという花形の楽器の中心人物で、コンクールの自由曲でソロがあるような子の名前をトレーナーの先生がうろ覚えだということは、まずあり得ません。
希美さんの挫折感を更に煽る結果になったとも言えるかもしれません。
あそこまでの状況はないにせよ、
他人の才能に嫉妬する瞬間、というのは吹奏楽をやっていると感じたことがある人は多い気がします。
この人には敵わないなと思わされた経験は
その後、諦めず努力して、上手くなってやろうという気持ちはとても大事ですし、
高校生であれば追いつき、追い抜くということも不可能ではないでしょう
しかし、高3のコンクール、これで最後だというタイミングでそれを見せつけられることは
絶望です。
希美さんの心情を考えると胸がしめつけられるような気持ちにはなりましたが、
あのシーンはただ、ただ素晴らしかった。
アニメにさほど詳しい訳ではありませんが、
後世に残る映像なのではないでしょうか。
京アニの楽器演奏シーンというとやはり思い出すのは涼宮ハルヒの憂鬱のGod knows…のギターソロですが、あれから10年が経ち、ここまで表現は進化したのかと、圧倒されました。
被写体深度が次々と移り変わり、映像がボヤけ、直接希美さんの視界を映している訳ではないのにまるで泣いているかのような表現、
そして涙を堪え切れなくなった希美さんのフルートが息絶え絶えになってしまって音がかすれ、抜けてしまう表現、
そして何より、あのオーボエ。
上手なオーボエは、
音が飛ぶんです。浮くんです。
それこそまるで鳥が飛び立ち、自由に空を舞っているような、本当にそんな音がします。
あのシーンはそれまでのみぞれさんの音にはなかったオーボエの独特な浮遊感が表現されていました。
名演としか言いようがないです。
音響の良い映画館であればオーボエの音が上から降って来るような感覚に襲われた人もいるかもしれません。正直、あの演奏を聴くだけでも映画館に行く価値があると思います。
あのシーンを見たとき、
「音だけで、こんなにも繊細にものを語ることが出来るんだ」と、
そう思いました。
エンドロールに奏者の名前がありませんでしたが、あれはどなたが吹かれたものなんでしょうか。
あの演奏は、音で、芝居をしていました。演技をしていました。ブラボーと言わせて下さい。
最後に、
劇場版のけいおん!!が公開された後に、宇多丸さんがラジオで評論していたのを思い出しました。
宇多丸さんは映画を観るにあたってTV版も全て視聴されたらしいです。
概ね絶賛されていましたが、一つだけ、
軽音部の面々が同じ大学に進学するという選択をしたことに苦言を呈していました。
というのも、軽音部は本来高校だけの期間限定、終わりがあるからこそ、儚いのだと
まぁそんなようなことをおっしゃっていたような気がします。(記憶が曖昧なので大分脚色が入ってる気がします)
私も当時その通りだと思いました。
だからこそ楽しくて仕方ない一瞬一瞬が
一種の切なさを纏うのだと。
リズと青い鳥の終盤、希美さんとみぞれさんは各々別の進路選択をします。
そのことがハッピーエンドなのかどうなのかというのは微妙なところだと思いますが、
この選択によって
リズと青い鳥という映画の切なさ、儚さ、美しさ、そういったものは際立ったのではないかなと
また、平行線だった2人が別々の方向を向くことで、コンクールに向けて1つに交わることが出来たんじゃないかな、と、そう思いました。
以上です。
とにかく、映画館で観ることが出来て良かった。機会があればもう一回観たい。
やったぜ。 投稿者:変態オーボエ女 (8月16日(水)07時14分22秒)
昨日の8月15日にいつものフルートの希美(高3)と先日音大のパンフレットくれた木管好きの指導員のおばさん
(?歳)とわし(高3)とその他大勢で北宇治にある高校の音楽室の中で盛りあったぜ。
今日も明日も部活なんで図書館で絵本を借りてから滅多に人が来ない所なんで、
そこでしこたま毛布を敷き詰めてからやりはじめたんや。
全員で楽器くわえながらコンクールメンバーだけになり持って来たダブルリードを3本ずつ入れあった。
しばらくしたら、リズの気持ちが理解できないし、鳥が出口を求めてカゴの中でぐるぐるしている。
担任のおっさんに進路調査票をなめさせながら、フグに餌をあげてたら、
先に希美がわしの胸に反射光をドバーっと出して来た。
それと同時に希美もわしも進路希望を出したんや。もう顔中、disjointまみれや、
プールに剣崎を誘って希美の顔を曇らせたりした。ああ~~たまらねえぜ。
しばらくやりまくってから又おばさんと話しあうともう気が狂う程鳥の気持ちがわかるんじゃ。
指揮者のおっさんに合わせてわしのオーボエを突うずるっ込んでやると
黄前も高坂の口にトランペット突っ込んでユーフォをつかって居る。
吐息まじりの希美のフルートを聞きながら、思い切り演奏したんや。
それからは、もうめちゃくちゃに希美と大好きのハグをキメあい、
図書委員を煽りあい、二回もハッピーアイスクリームした。もう一度やりたいぜ。
やはり君はあすか先輩じゃないんやで。こんな、変態女とあがた祭に行かないか。
ああ~~早くjointまみれになろうぜ。
北宇治の高校であえる奴なら最高や。橋本は163*90*53,アールトは165*75*60、や
塚本、至急、部費くれや。
気付いた事とか順不同で色々書いていく
・劇中作について
動きが取りっぽいよね
例えば、初めてパン屋に行った時に、ピョンピョンと跳ねて動くシーンとか
リズが作ったジャムを指から舐めるシーンで、上半身を前に倒すシーンとか
理科室での最後のシーン、自分とは行ける場所が違う事に気付いたがために「みぞれのオーボエが好き」としか言わなかったのか
みぞれが初めて話しかけてもらった時の事を話した際「ごめん、覚えてないんだよね」と返すが
希美が抱いているのは、嫉妬と羨望と絶望か、それとも愛ゆえの決断なのか
心やからね
通じる事も繋がることもないけど
それでも、何か一つ伝われば
それで生きていかれるのかも知らへんね
たった一つのそれで
伝わったん?
冒頭の音楽「wind,glass,bluebird」、ラストシーンでの音楽「wind,glass,girls,」はどちらも「噛み合わなさ」が印象的な曲だ
二人の「disjoint」が見ている側としては印象的であった
2コマに一度かみあわない
5秒に一度強烈な勘違い
disjointといえば、ネットの感想では「ハッピーアイスクリーム!」の意図に希美が気付かないシーンがある
繋がったり離れたりを繰り返すこの二人なのであった
個人的には、その時にのぞみが見せた笑顔が「もうしょうがないなあ」「これでも幸せ」みたいな感じで好き
もう善いよ そんな恋なんだ
sasakure.UK「コイサイテハナ*
少女と少女が無邪気にじゃれ合う様子と、思いの一方通行さが印象的なシーン
流れる音楽は「reflexion,allegretto,you」
reflexionは勿論「反射」という意味だろう
allegretto(アレグレット)が何か分からなかったので調べると、「やや急速に」という意味で、音楽の速度標語の一つという意味だった
鼓動が早くなるという意味でもあるのだろうか
・剣崎梨々花との関係について
みぞれが剣崎梨々花と仲良くなり、それに希美が言葉を失うシーンがある
希美がもみぞれに対して、一種の独占欲とかがあったのだろうかと下衆の勘繰り
さらに言えば、みぞれも希美の嫉妬を煽りたかったのではという妄想
いや、単純に後輩を可愛がってるだけなのかも知れないけど
「ほんとにあるの?」みたいな、ネタ的なタイトルがあった気がする
どのシーン化は明言しないとのことだが、実際どこなんだろうか
思ったのが、希美は
「私は“みぞれのオーボエが好き”以外に好きな所を何一つ言えない。私はみぞれのことなんて好きじゃなかったんだなあ」
「自分には何もないこれだけの愛情を向けられる理由なんて一つも」
と、自分の醜さや空虚さに気付き、自己嫌悪と馬鹿らしさから笑ってしまったのではと感じた
・青い羽
希美への「好き」と「独占」を綯い交ぜにした、何とも官能的で危うげなシーン
「リズは冬になったらどこに行くの?」
「どこにも行かないわ、ここにいる」
このシーンで、うるっとくる
希美もどこにもいけないんだろうなあと
劇中作でのリズの家は柵に囲われている
家やドア自体もそうだが、まさに鳥籠
ただ、そういう物質的な物よりも何よりも
「置いて行かないで、ずっとここにいて」という言葉のほうが、ずっとずっと強固な檻になるんだろうなあと見ていて感じた
1・2期も見たけれども
・監督
きれいな人だよね
・足の動き
また理科室でのシーン
足だけで表現する凄いシーン
告白されて「ありがとう」ってのが肯定の言葉でないのが普通であるように
でも、みぞれはその気持を分かってるのかなあ
・鑑賞者の視点
「理科室のビーカーかシャーレか壁になりたい」という感想を書く方もいた
明確な解答みたいなもんを提示しないタイプの作品なので、人々は勝手に感じたことを勝手に感じればいいと思う
映像と演出がすごくて音がとてもすごいっていうのは全員の共通認識でいいと思う
ストーリーについて、というかのぞみはお前何を考えて何をしとんねんという点についてですが
みぞれが好きでみぞれのオーボエが好きなので、みぞれを突き放すことによってみぞれの自分からの独立を促した(リズをやった)のだと思った
みぞれが好き、というのは、みぞれがダブルリードの後輩と打ち解けてたのを見てすごい微妙な表情をしてたことから
ただの鈍感糞ポニテではないと感じたし、依存されて嬉しいタイプの結構危ないやつであるとすら感じた
リズをやったという点について、
ぱっと見のぞみなんもしてない、最後に「青い鳥は自分じゃなくてみぞれ」だと気づいただけ、に見えるのにみぞれ勝手に飛んでってんじゃん、というのが結末として気持ち悪く感じられるところだと思う
でも、やっています
「飛んでった青い鳥、また戻ってくればいいのに」みたいな台詞はやっていないと出てこないです
自分のやっていきが功を奏したってことは、みぞれは飛んでっちゃうので
もう一押しだと感じたのぞみは、理科室で最後の一芝居を打ちます
このやりとりでみぞれはもう大丈夫だと察し、リズ役から降り、リズ役から解放されたのぞみはみぞれを抱き返します
「ずっと手加減してたんだね」の突き放しが芝居であることのネタバラシは、直後の「あんまり覚えてないんだよ〜」を引くほどバッチリ覚えていたことがそれです
のぞみは嘘つきです しかも全部が嘘ってわけじゃないので、神から目線の観客にも何を考えてんのか全然わかりません
いつからやってたんですかね
先述のなつきとの会話の時点ではもうやっています
つまりみぞれのハグを拒否する時点ではもうバリバリやっています
バリバリやっている時の表情がアレです
劇中であの表情を初めてしたのは、多分音大のパンフを見てからのやりとりです
そんな感じです
ポニテがハグしよ的なこと言うし、相手の将来のために無理矢理送り出すし、これもう実質ラブライブだろ。
それはともかく、悪くはないけど映画でやるほどの話か?という感想。
まず「依存されてる方が実は依存してました」って展開はいい加減見飽きた。
この前も宇宙よりも遠い場所で見たばかりだぞ。
そしてめぐっちゃんが見事なオチを提示したのに対して、こちらは受験勉強始めただけ…普通っすね…。
百合的にも、みぞれの重いレズを希美がどう思ってるのかさっぱり分からない。
満更でもないの?
辟易してるの?
スルーを決め込んでるの?
TV2期なら鈍感な奴めハハハで済んだが、今回はそうもいかんだろう。
百合としてはみぞれの一方通行のまま才能の話に移ってしまった感。
んで才能の理不尽なまでの差が云々…って、既にTV1期でやったじゃん…。
親友と後輩の両方の才能に追い詰められ、それでも必死で立ち向かい、潔く負けを認めた香織先輩はマジ天使だったし俺も泣いた。
あの時はあれだけのドラマを見せてくれたのに、希美は普通にショック受けて普通に愚痴言って普通に妥協しただけって…。
まあ、たまラブも話自体はよくある少女漫画でしかなかったので、山田作品はそういうものなのかなとも思う。
とにかく空飛べやオラ!というリズの大きなお世話に対して、それがリズの望みで変えることもできないなら叶えようっていう。
リズとしても束縛してるって負い目抱えたまま生きてくのも不幸やしなあ…。
一つの愛の形ではあるね。
ラブライブサンシャインの果南と鞠莉の話は率直な感想としては駄目な時の花田で、そのすれ違い方は無理があるやろという感じだったけど、こういう話なら良かったのかもなあ。
みぞれは今後もオーボエ自体は大して好きでもないけど、希美が望んでるから音大行くのかな。
それも切ない話やね。
なんだこれなんだこれなんだこれ。
あまりにスッキリしなくて映画館でてからも身震いのような気持ち悪さが引かず肩を縮こまらせてみたり腕を拭ったりぴょんこぴょんこ跳ねてみたけどそれでも気持ち悪い感覚が引かず最寄りの喫茶店に駆け込んでカフェラテを飲みながらこれを書いてる少し落ち着いてきた。
アニメ映画に限らずエンタメであることが求められるこのご時世にこれだけ監督が気持ちいいもの垂れ流しました的な物語が劇場公開できてかつ絶賛されてるのをみると世の中健全だなあというか捨てたもんじゃないなあと思うけどやっぱ許せそーにねーわっていうか辛い(言えたじゃねえか)。
でまあ何が気持ち悪いかっていうと希美なんなのアイツってことなんだけど。
本音言わないにもほどがない? ずっと嘘くせー笑顔うかべてるしさあ。一番「あ、こいつキチガイだな」って思ったのは優子がキレてるところでもニヘラニヘラしてたところだな。あそこは普通なら申し訳ない顔をするなり逆ギレするなり何なりリアクションがあったはずなんだよそれを普段と変わらない笑顔でやりすごすとかさすがに何なのコイツってなるわ。
そういう本音を一切語らない希美が描かれた末にみぞれが羽ばたいてあーこっから変化きますわ変化って思ってたら何も起きずむしろ語らなさが強化温存されてENDってさすがにねーわ音大行くのやめたのみぞれにけっきょく言ってねーだろ何だコイツ。
それでもメタ的にそれを指摘するパースペクティブが用意されてるならいいんだけど(嫌だけど)でも作品として「disjoint→joint」ってやっちゃうわけじゃん。いやこれで解決されてるとか主張するのはさすがにソシオパシス疑うわwww
もう少し話を整理する。
この話はTVシリーズからずっと続いていたみぞれの希美に対する一方通行的な気持ちにどう決着をつけるかって話だ。
みぞれは希美に対してオンリーワンだけど、逆はワンオブゼムにすぎない。お互いがお互いに抱いている感情が等価ではないという問題はこのふたりにずっと横たわっていて、TVシリーズ2期の序盤でこれを取り上げることによって一定の解決をみた(が、実はTVシリーズは視聴者を慮ってか原作に比べてかなり手加減したつくりになっている。原作ではこの落差を青春が持つ残酷さとしてストレートに描いており、解決がつくどころか希美の無理解さが強調されるエグみを持っていた)。
さて『リズと青い鳥』においては同名の架空の海外小説とそれを原作とした吹奏楽曲を補助線とすることでふたりの距離に改めてスポットを当てている。
『リズと青い鳥』はひとりぼっちのリズのところに彼女を哀れんで青い鳥が少女となってやってくるという話である。最初ふたりは幸せに暮らすが、リズはやがて少女が青い鳥だと気づき、彼女は大空を自由に羽ばたくべきだと主張する。ひとりぼっちだからといって己が鳥かごになって大空を自由に飛べる青い鳥を閉じ込めることは許されないというわけだ。それはリズの愛である。青い鳥はそれを悲しむが、リズの気持ちに応える形で大空へと旅立つ。
当初みぞれはリズに自分を重ね合わせる。闊達で皆の中心にいる自由な希美を遠くから眺め、自分なら青い鳥を手放しはしないのに、リズの気持ちはわからないと言う。だが臨時コーチの新山との対話の中で、青い鳥がリズの愛に応える形で飛翔することへは理解を示す。良かれとおもって彼女の元に来たことが却って彼女を苦しめるなら大空へと羽ばたく姿を見せることをもって彼女を幸せにするのだ、という解だ。だがそれは現実のみぞれと希美の関係にはそのままオーバーラップしない。
吹奏楽『リズと青い鳥』においてみぞれオーボエ希美フルートはそれぞれソロパートを担当する。曲の成否を決める重要なパートだ。だが希美のクオリティが低く、みぞれが無意識的にそれへ合わせることで滝も麗奈も納得しない出来になっていた。それをみぞれが「羽ばたく」ことで解消する。しかし希美はリズじゃない。覚悟を決めて申し出たリズと違って、希美にとってみぞれの「羽ばたき」は寝耳に水で目をそらしていたみぞれと自分との力の違いをまざまざと見せられることになってしまう。希美はみぞれに「手加減してたんだね」「みぞれはすごい。自分のような凡人とは違う」と醜い感情をぶつける。ここまでは理解できる。が、ここから先がないことは理解できない。事件は起きた。が、解決とまでは言わないまでも変化がないことは理解できない。みぞれと希美の関係は、あのなんか表面だけを取り繕っている妙な関係に戻ってしまうのである。本当に理解できない。
希美が音大進学を諦めたことは参考書を借りている描写からもわかる。くどいほどに強調されていた希美が一歩先を行きながらみぞれといっしょに音楽室に向かっていた今までから希美は図書室に勉強へ、みぞれは音楽室に練習へ行っていることからも道が分かたれたことは明確に描写されている。
だが音大進学をやめたことを伝える描写はないし、おそらくみぞれもそれに気づいていない(それぐらいノーリアクション)。希美はみぞれの目の前で参考書を借りているし、練習したみぞれが図書室で勉強していた希美と落ち合ってお茶して帰る描写があるので、現象として「希美音大進学あきらめた」はみぞれの目の前で展開しているのであるが、みぞれはノーリアクションなのでやはり気づいていないと考えるべきだろう。気づいてなお普段を演じているのだとしたら、希美以上にみぞれがぶっ壊れている(付言しておくと図書館が普通科の大学、音楽室が音大を暗喩し、それぞれを出て合流してお茶するところが、道が別れても一緒にやっていけることを暗喩してはいる(映画けいおんのセルフオマージュ感はあった)。しかしそれは言葉だけでそう表現されているに過ぎず、何も解決されていないことから額面通りに受け取ることはできない)。
事件は起きた。が、変化が起きないどころかお互いの距離と無理解が強化温存されてしまった。それなのに「disjoint→joint」とやってしまうのは、さすがに気持ち悪いとしか言いようがない。
ただ歩いてるだけであんな音はぜってーしねえと冒頭からツッコミ待ちな辺りそうとう振るっている。音がもたらす強烈な違和感によって、アニメーションだからこそ描き得る「体温」とでもいうべき何かが嫌でも強調され、作品の表現したい内容がプリミティブな形で視聴者の前に突き出される。
映像にしてもそうである。潤む瞳や流れる髪などアニメーション的誇張を重ねて表現された絵は、アニメーションであることの自覚ぬきに成しえない。アニメーションだからこそようやく可能な表現に挑戦した意欲作だと言える(アニメ『めぞん一刻』において、五代が「なんで泣くんだよ。なんで……」と言った響子さんの涙を思い出した。あれもアニメでなくては表現できないし、成立しない映像表現である)。
■2018/4/28追記
https://anond.hatelabo.jp/20180427225401
いやいや。
希美は内面を表情に出さない本心を語らない(いつも嘘くさい笑顔をはりつけている)キャラクタとして設定されていて、その強調として彼女を中心とするクラスタが表面的な付き合いに見えるような描写は繰り返しされている(むろん希美にはみぞれ以外の友人が沢山いる、希美しかいないみぞれとは違って、というためのものでもあるが)。
みぞれの後輩である剣崎梨々花が「先輩といっしょにコンクールに出たかった」と号泣するのはそれとの対比であり、畢竟、希美とみぞれ及びそれぞれのキャラクタの周りにいる誰が本心を語っているのかということを浮き彫りにするためにほかならない。
優子に詰められた時の対応などを見ても、希美が(本心を語らないという意味で)信頼できない語り手的登場人物として描かれていることは疑いようがない。そこから彼女が「変化」したと捉えうる描写もないため、増田が「濡れ場」と称する場面でも彼女の表情や言葉を額面通りに受け取ることはできない。
そもそも(原作)ユーフォは、みぞれと希美がそれぞれ相手に寄せる好意の量の差異を赤裸々に露わにし、青春とはかくも残酷なのだと描写した物語だ。物語がその残酷さに直面したとき、原作においては久美子が「うわこれキッツ」というようなリアクションを密かにすることで、それをどう物語として扱うかというパースペクティブが用意されている。が、リズと青い鳥にはそれがない。
希美が相談なく吹部をやめたことでみぞれはショックを受けた。相談がなかった、知らされなかった、自分はその程度の友人でしかないのだという事実が彼女を傷つけた。希美の音大やっぱやんぴはそれの繰り返しであり二度目だからこそ余計につらいわけ。だから優子はキレた(なのにニヘラニヘラしてやりすごす希美!)。じゃあ実際みぞれがそれを知ったとき彼女はそれをどう感じるのか、ということは「食事やトイレに行」く描写があるかどうかとかとはまったくもって次元の違う、映画において回避すべきではない描写にもかかわらず映画はそれ回避してしまう。ずいぶんと不誠実ではないか。
みぞれは最後、オーボエを続ける選択をする。それをどう解釈すべきか。
みぞれは希美といっしょにいるためにオーボエを吹いていた。一歩下がってついていくようなみぞれは希美に嫌われたくない。だからオーボエも、希美に合うようにもっと言うなら彼女を超えないように抑えられていた。鳥が自由に羽ばたくところを見れば、地べたを這いずり回るしかない人間はあるいは鳥を嫌いになってしまうかもしれない。そういう恐れを鳥が抱いても不思議ではない。だが青い鳥は、リズに励まされ、大空を舞う。翼はもともと持っていたものだが、リズの励ましによって青い鳥はもういちど空を自由に舞うことを選択する。それこそが、あなたがわたしに望んでくれたことだから。だからこそ大事にしたい、続けたい。
という読みが妥当だろうが、納得してそう受け取るには希美が音大に行くことをやめたと知ったみぞれの描写なくしては無理だし、リズが青い鳥を支えたように希美がみぞれのオーボエを支えると口にされても、希美への信頼がゼロなのでそれは難しい。そういった明らかな構造的不足を映画は無視したまま終わってしまうので、信頼もへったくれもない。
ところでこういった感想は、映画を見て心で感じたことを言語化して初めてでてくるものであって、「小難しい理屈」などでは決して無い。ということぐらい最低限理解してからコメントをつけるべきだろう。
序盤、希美先輩と鎧塚先輩がなんかギャルと童貞コミュ障みたいやな
最後、結局元鞘かーい
友達いないコミュ障だから初めてできた友達に依存しちゃうよね。
でも、友達が全部とか大学の進路を友達が行くからでなんも考えずに決めるってかなりヤバい。依存度激高。
新山先生と続く第三章の演奏のシーンでは鎧塚先輩が希美先輩を送り出すこと、別れを受け入れるって流れだったように見えたんだけど、そのあとで鎧塚先輩が「希美が全部だ、音楽始めたのも、音大行くのも、全部希美がそうするからだ」って言っちゃう。
で、そのあとに希美先輩は模試の勉強、鎧塚先輩はオーボエの練習のシーンが入って進路が分かれることを暗示させるんだけど、鎧塚先輩大丈夫?ちゃんと進路分かれること理解してる?一人で生きていける?って思っちゃった。
結局あすか先輩の慧眼のとおり希美先輩は吹部戻らなかったほうが鎧塚先輩にとってはよかったんじゃねーかなー。
後輩には慕われてたみたいだし、夏紀先輩もでかりぼん部長もそれなりに気にかけてたみたいだし。
あとは、鎧じゃなくて剣崎さんがかわいいとか久美子と麗奈は相変わらず百合百合しくて大変よろしいとか鎧じゃなくて梨々花ちゃん後半出番なくて寂しいとかなんでプールのシーン飛ばしたしとか夏紀先輩とでかりぼん先輩いっつもいちゃいちゃしてんな大学まで一緒かよとか葉月とサファイアちゃんはハッピーアイスクリームだけかよとかというかハッピーアイスクリームとか知らなかったよググったら80年代にはやったとか書いてるしなんで知ってるんだよとか色々あったけど、全体的な感想としては鎧塚先輩の将来が心配です。
あ、演奏シーンは相変わらずよかった。
ちょっと前に仕事の都合で遠隔地に異動となり、練習に行くにも移動時間がえらいことになったので、今は別の団体を探しつつ、たまに他団体の助っ人に行く程度。
10年以上の活動を通し、当然そのオケの美点も欠点も見えてきたわけだが、欠点と言っても、当時は特に移籍する(というか逃げ出す)ほどの強い理由にはならなかったため、なんとなくそこで弾き続けてきた。
しかし、そこをやめてから他団体の演奏を聴いたり、スポット参戦で合奏する機会が増えた結果、昔は違和感程度に感じていたオケの欠点について、だんだん怒りがこみ上げてきた。
良い思い出もある反面、その部分については「よくもやってくれたな」という気持ちが収まらない。
そしてその欠点は、恐らく日本中のアマチュア団体で散見されることだと思ったので、苦言として書き置くことにした。
問題となったのはただ一つ、吹奏楽癖の抜けない管楽器に尽きる。
とにかく木管も金管も、管弦楽という音楽がどういうものなのか、真面目に考えたことある?とツッコみたくなる吹き方なのだ。
そりゃ中学高校、人によっては小学校高学年から毎日のように練習してきたんだろうから、その貯金で演奏技術は色々と身に付いていると思う。少なくとも大学で始めた弦の人よりは。
でもねえ、だから何?って感じなんだよ。
それだけの積み重ねがあって、そんな無神経で無節操な音しか出さないんなら帰ってくれよ。
反感を買うのを承知で言うと、オケは弦の縄張りなんだよ、人数だけじゃなく音楽的にも。少なくとも現在頻繁に演奏される曲は全部そうだと思っていい。
つまり、弦が主体で音を出している(だから弦の音符の数は管楽器より遥かに多い)所に、管楽器が彩りを添えるようになっているのは、ハイドンから現在に至るまで不変なの。
例えるなら「ケーキの主体はあくまでスポンジであって、そこにクリームやフルーツがあるの!」って話。
それが何だ、「こっからソロ、私が主役としてガチで吹く」ということしか頭にない木管・ホルン、「ずーっと休符…はいここ4分音符あるから吹く、せーの!」という音しか出さない金管。
どっちも、「自分が登場するまで、弦を主体とした皆が、どんな物語を紡いできたか」を全然意識してねーじゃん。
ハナから「そんなのかんけーねー」という音で吹いて、それがどれだけ場違いかも分からない、それが気にならないことが信じられない。
オーケストラ舐めてる?
なんかもう「このケーキのクリームやフルーツはこうあるべきだから、その通りになるように全力を尽くす、ケーキはまあよろしく焼いといて」みたいな事をしている。
その結果、ケーキとクリームの味がケンカしようが、上に乗っけたフルーツの重みでケーキがクリームもろとも圧壊しようが気にしないとか、本当にそんな仕上がりになっているのだ。
これが
「そんな音でお膳立てされて、どんな音で入ればいいんだよ。もっとちゃんとやってくれないとこっちも困るんだけど」
という文句だったら全然いい。それは責められて当然であって、頑張らないといけない所だから。
「そんな不味いケーキじゃ、どんなクリームやフルーツを合わせたって美味しくならないから」みたいな話だし、それは「このケーキはこういう味と食感で攻めてきたか、そしたらクリームの味付けは…フルーツの切り方は…」という意識と気遣いがあってのことでしょ。
勿論、上の文句に当てはまらない、本当に上手な人もたまにいる。
でもそういう人は、漏れなくプロのレッスンを受けて研鑽を惜しまない人で、吹奏楽上がりというだけの人は大概ダメ。
信じられるか?社会人になってからレッスンでオーボエを始めた人が、技術面はともかく、音楽面では中学からの吹奏組よりセンス良い音してるんだぜ?
吹奏組は全員「ヘビが出てきそうな音」がチューニングにおけるデフォルトである。お前そのヌメヌメした音でソロ吹くのかよ?そうじゃないならソロの音でA出さなかったら意味なくね?そもそも合ってるように聞こえねーし。
一方、個人レッスンやってる人は本当に合わせやすい音を出してくる。聞けば「やっぱりぶら下がった音とかじゃなく…」と言っていて、全くその通りという感じだ。というか、綺麗な音で吹いてくれたら弦の人間は何も文句言わない。この感覚も、吹奏上がりには理解されないんだよなあ…当たり前だと思うんだけど。
といっても「響け!ユーフォニアム」で再確認したという話ではない。
いや、確かに上述のアニメでユーフォに興味を持ったのだが、本当にこの楽器の魅力を知ったのはオケでの起用だったりする。
「この楽器の最高の音はこれ!」
という、ある種の予定調和ありきの起用という点にある。
なので、オケでの使われ方だけを見て、その楽器の全てを知った気になるのは早計である。
しかし、オケでの使われ方を把握することで、「楽器の一番美味しい所」を再認識するにはもってこいなのである。
さて、今回聴いたのはユーフォ登場曲ではド定番と言われる、ホルスト作曲の組曲「惑星」から「火星」である。
組曲中、最も有名な「木星」に次ぐ知名度を持つ、「心太が食べたい」のリズムがキャッチーな曲だ。
例の有名なソロは、確かにユーフォの持つ暖かでまろやかな音色を良く活かしている。
これこそ、他の楽器では代わりがいない音だ。
そして曲が進むとトランペットと掛け合いを演じるのだが、向こうがフォルテシモのペット2本で来るのに対し、こちらはフォルテかつユーフォ1本で受ける。
これは鋭いけど細身の音のペットに対し、柔らかく太い音のユーフォでバランスを取った結果だろう。
これまたユーフォの音の特徴を良く勘案したオーケストレーションだと思う。
(動画→https://www.youtube.com/watch?v=L0bcRCCg01I 奏者の自撮りによるダイジェスト→https://www.youtube.com/watch?v=RERBcMwHi34)
「今後更にこの楽器の魅力をオケで光らせるのは、正直相当厳しいかも」
と。
なぜなら、ユーフォの担当する中低音域は、絵に描いたようなレッドオーシャンだからである。
さっきオケの楽器の使われ方は予定調和と書いたが、言い換えるならオケの歴史というのは、作曲者が新しいサウンドを求めて新たな楽器を試し、執拗に篩いにかけてきた歴史でもある。
即ち現在頻繁にオケで見かける楽器は、そうした淘汰をくぐり抜けてきた、いわば選りすぐりなのだ。
そしてユーフォの音域を既に担っている楽器には、金管だけでもホルン、トロンボーンという強力なライバルがいる。
ホルンはオケ草創期からのレギュラーメンバーだし、トロンボーンはレギュラーこそ逃したものの、ベートーヴェンの時代から頻繁に起用されてきた、いわば準レギュラーである。
更に金管以外でもチェロ、ファゴット、バスクラリネットといった楽器が控えている。どれもこれも、数多の名曲で不動の実績を築いてきたメンツだ。
そんな彼らに割って入ってポジションを獲得できる個性がユーフォにあるか…という話である。
同様の話は、サックスにも当てはまる(こちらはオーボエ、コーラングレ、クラリネット、ホルン、トロンボーン、ヴィオラ、チェロ等とカブる)。
一方、ユーフォやサックスと同年代に発明されたチューバは、登場するやいなやオケに起用され始め、今では準レギュラーの地位を勝ち取っている。
「登場した年代が新しい楽器」どうしでハッキリ明暗が分かれた形だが、これはチューバが担う、オケの最低音域にはコントラバスとコントラファゴットしか存在せず、ブルーオーシャン戦略で行けたということだ。
やはりユーフォの活躍する舞台は軍楽隊と英国式金管バンド辺りという結論になるのだろうか。
自分がユーフォという楽器を初めて耳にしたのはEテレの小学生向け音楽番組で、でもオケにいないし「なぜそんな楽器が?」と思ったものだが、あれも金管バンド~吹奏楽の流れがあるからだろう。
作曲者の創意工夫に期待したい。
#9観た。一期からの伏線である、田中あすかの瞳に世界はどう映ってるのか、彼女の本音は何なのかというところに一応の決着がつく回だった。手放しで絶賛するほどではないものの、けっこう興味深いところもあったので書く。
一言でいうと嘘つき。もうちょっと言うと過干渉を嫌い、それを笑顔とジョークによって躱す処世術は身につけたものの本音が外に漏れるぐらいまで一杯一杯になってる普通の女の子だった。
「あの人のこと嫌いってわけじゃないの」
(中略)
「嫌いじゃないって言いましたけど、嫌いなんですよね、お母さんのこと」
あすかと久美子のやり取り。嘘を即座に看破され、その後もっともらしい言い訳を述べるが、内心は母親をそうとう嫌悪しており、それを体のいい言葉で取り繕っている――ということは直前の香織とのやり取りを見ても明らかだ。
https://i.gyazo.com/cce45435ce91ef4c1afafb65ed403306.png
https://i.gyazo.com/c73ef75ed14157800b37d979b5fa2c4a.png
この過干渉に対する露骨な嫌悪は、パターナリスティックな母親を想起してのものだろう。しかし香織が顔を上げるや笑顔になり、別れを見送りつつ「カワイイでしょ、香織って」と久美子に語りかける。直前の表情からすれば「ウザいでしょ、香織って」とでも言いそうなものなのにそう口にすることはない(みぞのぞの結末を目撃した我々は、一見すると仲の良い友人であってもそこに温度差があることはすでに承知しているはずだ)。
父親から贈られた曲を否定してほしいのかもと言いつつ、実際に思ってるのはその逆だ。ということは吹く前に「……本当に聴きたいと思ってる?」と不安げに確かめるところから察することができる。
そもそも久美子を家に呼んだのは、私利私欲に走った自分の苦しい胸の裡を誰かに話したかったからだ。そこからもあすかは特別なんかじゃなく、弱いところも持った普通の少女だということが判る。
むしろ特別なのはそんなあすかがハッとすることを折に触れて言う久美子のほうだ。
特別なあすかや麗奈に比べれば普通といっていい久美子は、しかし実際のところ作中における特異点だ。それは1期から麗奈によってしばしば語られてきており、今話でも強く指摘された。
「久美子ってなんか引っかかるの。普通のフリしてどっか見透かされてるような、気づいてなさそうで気づいてるような……」
「なにそれ……」
「そして、いちばん痛いときにポロッと言葉になって出てくる。……『本気で、全国行けると思ってたの?』」
「あれは……、あの時は……」
「だからなんか引っかかる。ギュッと捕まえてその皮はがしてやるって」
「あすか先輩も……?」
「判らないけど」
あすかにも府大会の直前に「今日が最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」と言って意味深な笑顔を浮かべさせたり、「嫌いじゃないって言いましたけど、嫌いなんですよね、お母さんのこと」とか「あすか先輩がいつもと違うんですよ」などと言ってハッとさせる。
これは久美子の失言王(http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A4%B1%E8%A8%80%E7%8E%8B)というキャラと密接に結びついている。1期の開幕では「本気で、全国行けると思ってたの?」と言って麗奈に睨まれ、吹部の新歓を聴いては「ダメだこりゃ……」と零し葉月に聞き咎められる。いずれも“失言キャラ”というキャラ立ての一環であると同時に、本人の意図によらないところであっても本質を思わず突いてしまうという側面にもなっている。そしてそれは1期#8で結実し、今話においてより大きな伏線の回収という形を描いた。思わず「おおう」と唸るところだ。
「……本当に聴きたいと思ってる?」
「はい!」
「?」
「私、自分のことユーフォっぽくないってずっと思ってたんだ。だから黄前ちゃん見たときびっくりしたの。こんな……こんなにユーフォっぽい子がいるんだって」
「……褒めてます?」
ここであすかが吹いたのは父親から贈られたユーフォのソロ曲だ。ユーフォだけで構成された、独りで吹ける、あすかのためだけの曲。ただ本質的にユーフォはソロ向きの楽器ではないし、吹奏楽においてもペットのような花形にはなりえない。オーケストラにおけるチェロになぞらえられるように、オブリガードや伴奏などで曲に深みを与えるところで活躍する。ユーフォは集団の中でこそ輝ける楽器なのだ。
久美子は楽器を習い始めた当初からユーフォを吹奏楽の一部分として捉え、楽しんできた。集団の中にあることを疑わず、まっすぐ素直に受け容れてきた。
あすかにとってユーフォは父親と自分をつなぐ唯一の存在だ。みぞれにとってのオーボエのように大切な誰かとつながる唯一無二の手段。だから「私は遊びでやってるわけじゃない。独りで吹ければそれでいい」とさえ言う。そんなあすかにとって父親から贈られた曲は心の支えだったろう。だけどそれは同時に、父親に囚われているということでもある。あすかは母親だけじゃなく父親からも囚われている。そんなずっと独りで吹いてきたあすかが久美子に聴いてもらうために吹くということは、大げさな言い方をすれば初めて誰かに聴いてもらうために吹いたと言えるのかもしれない。
https://i.gyazo.com/d7feee576db6903d3c5c9e15d8b3f22f.png
卒業するとき、あすかは久美子に父親のノートを託す(2期#1冒頭)。それは父親が審査員を務める全国大会を経て完全にその呪縛から解き放たれたことを意味するのだろう。残る4話のうちにそこに至るまでのあれやこれやが画面いっぱいに描かれるはず。そう思うと終局に向けて動き出した『ユーフォ2』からますます目が離せない。
長尺を使って描かれた関西大会における北宇治の演奏。凄すぎて凄い以外の語彙を失ってしまった感はあるのだが、いくつか思ったこともあるのでそれを書きつけておく。
そしてそれは府大会と関西大会の演奏の違いであり、結論を先述べしておくと、
の二つが論点になる。
端的にいえばみぞれと希美の確執および和解にまつわるエトセトラがそれ、ということになるのだが、最も説明しやすいのが麗奈のソロパートなのでそこに触れる。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29961964
上記は府大会と関西大会の演奏シーンを並べた動画だ。見てもらえれば判る通り府大会では香織の表情を映してるのに対し、関西大会ではトランペットのソロを下支えする久美子と彼女が幻視した大吉山でのシーンが描かれている。
府大会は直前にトランペットのソロを麗奈が吹くか香織が吹くかで揉め、再オーディションをする事態にまで発展した。「三年間やってきたんだもん、最後は吹きたい」という香織の想い。彼女を慕う優子の想い。しかし麗奈はそれらを音でねじ伏せ、ソロパートの奏者となった。コンクールにおける当該シーンでは、その音を聞きながら最初はうつむき、そして最後には“納得”したように微笑む香織が描かれる。つまり麗奈のソロパートは、香織の心の決着の場でもあった。
関西大会はそうじゃない。今度は麗奈の音に久美子の回想が乗る。なぜ久美子かというと演奏の直前に「私も久美子のために吹こうかな」と麗奈が言い出したことによる。「みぞれ、ソロがんばってね」「わたし希美のために吹く」というみぞれと希美のやりとりを見てそう口走ったのだ。
『ユーフォ2』#1-4は言うまでもなくみぞれと希美のお話がメインだった。その中のひとつの切り口に、誰のために何のために吹くのかというのがあった。みぞれは「楽器だけがあたしと希美をつなぐもの」だから吹いていた。片や麗奈は「考えたことない。……強いて言うなら自分のため、かな」と答える。そんな麗奈も、みぞれ希美のコンテクストを受けて、「久美子のために吹」くという形でソロパートに臨んだ。
ここでとても面白いのは、麗奈のソロパートを下支えしてるのはユーフォニアムという点だ。府大会ではシーンに登場したファゴットがここでは描写されず、それによって久美子の下支えが、その低音が強調されている。そうして絡み合い一体化していくふたつの音。それは大吉山での“愛の告白”の回想へとつながっていく。あまりに、あまりに美しい光景だ。
正直いちばんうなったのはこれ。音による裏打ち。
ぜひ府大会と関西大会の演奏の音を聴き比べてほしい。みんな本当に上手くなっているので。……と言いつつ、当方の耳は非常にボンクラ(部長の声を「はやみん? いや……能登かわいいよ能登?」などと言って周りに白い目で見られてしまうレベル)で、合奏はその違いがよく判らなかった。なので麗奈のソロパートを聴き比べてみた。ここはその差が如実に判った。それぐらい違った。
たとえばソロパートの始まりの「ぷぁー」という音。府大会は出だしのこれが鈍重かつか細いのだ。例えるなら冬の海。冷たく重い海水から頭を浮かすことができず潜ることを余儀なくされたような、重力を含んだ音。メロディの終わりも唐突で、次の音も焦ったように早く始まって伸びや豊穣さが感じられない。対する関西大会はどうだろうか。こちらは非常に伸びやかで、春の海のような、その上を軽やかに滑るような明るさがあるのだ。音の終わりもビブラートを利かせて情感がたっぷりこめられており、次の音への繋がりもとても心地よい。聴き比べてみると驚くほど違いがあったのだ(これは大げさでもなんでもなく、実際そうなのでぜひ聴き比べてみてほしい)。
続く「ぱーらりらりらー」も関西大会では楽しげに舞い上がるような音になっている。まるで夏の夜、意中の相手との初めてのデートに浮足立つ少女を想わせるような。その(久美子を想って吹かれた)つやっぽい音色を聴いて、久美子が大吉山での出来事を思い出すのは無理ないことというか、音それ自体が、その時のことを語りだすかのようですらある(府大会の当該シーンに、そういった抑揚はない)。
これは、臨時講師の橋本が言っていた「君たちの演奏は(中略)表現力が足りない」というコンテクストにも乗っている。みぞれのオーボエに対して「もっと感情だせない?」という話から始まったこれは、どんどん上手くなっている北宇治に大きく欠けているものだった。みんな練習や、みぞれに関しては希美との和解によって「表現力」を獲得していくが、麗奈のそれは、半ば冗談めかして言った「私も久美子のために吹こうかな」により久美子が夏の大吉山を思い出すような艶めかしい表現につながっていき、そして何より音がしっかりとそれを裏打ちしていた。『ユーフォ』は本っっっっっっ当に芸が細かい。
傘木希美は現在フルートパートを担当する三年を凌ぐ実力の持ち主で、南中では吹部の部長を務めていた。南中での最後の府大会でまさかの銀賞と涙を呑み、高校に入ったら絶対に金賞を取ろうとみぞれたちと誓い合っていた。しかし今は卒業してしまった去年の三年との確執によって退部を余儀なくされてしまう。みぞれとの和解を経てサポートメンバーとして部に復帰し、じっさい献身的にみぞれやAメンバーを支えている。
しかし、だ。希美はもともと辞めたくて部を辞めたわけじゃない。フルートが好きで、金賞を取りたいという目標もあった。フルートパートを担当する奏者は自分より明らかに劣っている。おくびにも出さないけど、奏者として吹けないことが悔しくてたまらなかったはずである。
それが、「わたし希美のために吹く」というみぞれのオーボエソロのときに初めて顔に出る。
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舞台から、みぞれのオーボエソロから背を向け、笑みを浮かべず、中空を見つめる希美。
府大会のオーボエソロには「きゅーん!」となったにも関わらず、希美への感情が乗って表現力の増した関西大会のそれにはそうならないのだ。
ここから一貫してみぞれは舞台に対して背を向け続ける。サポートメンバーはみな舞台を覗き込んだりしながらAメンバーたちの演奏が無事に終わることを祈っている。しかし希美がその輪に加わることはない。
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それぞれ演奏終了直前、全国大会進出が決まった直後の表情。特に最後の表情は、周りと違って手放しで喜んでいる様子はない。良かったとは思っている、でも自分がそこに居ないのは悔しい。
少ないカット、一瞬の表情。しかしそうやって希美の感情がフィルムに乗ることで、関西大会の演奏がより豊かになる。そして希美の悔しさは、来年のコンクールにつながっていくことだろう。コンテクストがまたひとつ積み上げられ、『ユーフォ』の世界が豊穣になっていく。
関西大会を終えた今になって一期の#13、府大会の演奏直前のあすかと久美子のやりとりを見返すと、あすかの曰く言い難い表情に、その胸の裡の複雑さを思わせられる。
「なんか、ちょっとさみしくない? あんなに楽しかった時間が終わっちゃうんだよ? ずっとこのまま夏が続けばいいのに」
「なに言ってるんですか。今日が最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」
「そうだったね。そういえば、それが目標だった」
久美子のまっすぐな瞳から虚をつかれたように視線を外すあすか。そして眉尻をわずかに下げ、とても複雑な笑みを浮かべるのだ。
これは関西大会直前の「私はここで負けたくない。関西に来られて良かった、で終わりにしたくない。ここまで来た以上、なんとしてでも次に進んで北宇治の音を全国に響かせたい」と部員たちの前で宣言するあすかにつながってくる。
あすかは、あるいは部の誰よりコンクールにかける想いを持っているのかもしれない。これからそれは明らかになっていくことだろう。そのあすかのコンテクスを踏まえた全国大会の映像、それが今から楽しみでならない。