はてなキーワード: ボリュームとは
日替わり定食を食べるごとに、
その都度日替わり定食を美味しくいただき噛みしめるように思い出しているんだけど。
なにを間違ったのか私は分からなかったけれど
アジフライのその今日ではない別の日の日替わり定食になっていて間違ったものが私のテーブルにやってきたことがあったの。
私は別に、
キリンさんも大好き!ゾウさんも大好き!なレヴェルと同様にアジフライも大好き!チキングリルも大好き!なので、
当初求めていて食べられなかったチキングリルは惜しかったけれど
そのまま味わって食べちゃったの。
その時はそれで今日の日替わり定食の冒険家としての活動は終わって
竜宮城で鯛や鮃の舞にアジフライの舞もセンターメンバーに加えていいと思っているぐらいの舞、
でも、
週半ばから、
その日替わり定食のいつもの定番のスケジュールが変わっていて変更になっていたの。
それを知らずに、
私は普通にノールックで今日の日替わり定食がアジフライの日替わり定食がてっきりやってくるものだと思って頼んだら、
自信満々にプレートに乗ってきた、
その日替わり定食には、
キャベツのステージの上に盛られたカツがいるランチプレートでやってきたのでビックリしたわけ。
揚げたての臨場感の様子を舞が踊っているというダブルミーニングで表現した妙!
私もカツの舞を披露しなくては!って。
やってきたカツにアジフライの舞を見られたら失礼で多分気分を悪くするかなと思って、
事なきを得まくりまくりまくりすてぃーで急遽カツの舞を踊ったの。
あれ?でも、
ジェイウォークさん文法で言うところの「何も言えなくて…夏」に正確に照らし合わせて言うところの、
「なぜゆえに…カツ」って思ったの。
今日はアジフライじゃないの?って目をこすりながら目がおかしいんじゃないかしら?って
おもむろにポーチに入れているビタミンBのピンクの色が眩しい目薬をケースから出して目薬を点眼したの。
そして、
悲しいかな、
私の大好きなアジフライがなくなっているの日替わり定食のラインナップから。
私は悲しさを抑えきれないような勢いで
その予想もしていなかったまま、
私のテーブルにやって来たカツの日替わり定食は現金にも美味しく食べたものの、
もうあの美味しいアジフライには二度と出会えないと思うととても切なくなったの。
何度見ても見ても新しい日替わり定食の掲載されたメニューにはアジフライのラインナップがなく、
私に最後のさようならを言いに伝えにランチプレートに乗って来たんだなって。
そこで私は気付いたの!
その時は、
なぁんだ普通に間違ってやってきたシェフの気まぐれで起こったアジフライの日替わり定食だとばかり思っていたのだけれど、
シェフがアジフライに操られて何かしらのスピリチュアルな作用で私にアジフライが提供されたんだと思うの。
チキングリルの思いをよそにアジフライの思いの方が強かったみたい。
私はその思いを一緒に揚げられたアジフライの気持ちに気づかないまま、
そして、
さようならも言えないまま、
もう二度と会えないのねってまた思ったの。
現金にもカツの日替わり定食は美味しく食べたけれどお支払いはキャッシュレス決済。
そして、
いくつかの季節が巡った頃。
私の心の中にはかつて夢中になっていた日替わり定食のアジフライのことなんてすっかり忘れていたの。
食べきってしまう意見が二手に分かれてしまうでお馴染みの最後のアジフライの尻尾の先の存在のように。
私は足繁く通うそのお店の日替わり定食にちょっと飽きてしまったことはここでは一応の日替わり定食探検家として活動していることを否定してしまいかねない言動だということは内緒にしておいてほしいんだけれど。
その時はそう思ったのよ。
それはまるで涙そうそうまだ涙を流して泣くには早いぐらいのランチメニューのページを古いアルバムのようにめくるかのように。
そしたらよ!そしたらよ!
私の中で湧き上がる、
いや揚げ上がる揚げたて美味しいアジフライへのかつての熱い気持ちを思い出したの。
そう華やかに!
ってそのボリューム満点の何種類かフライ揚げ物が入っているミックスフライ定食には、
お得なサラダもついていてコストパフォーマンスはもう最高で。
私はそのミックスフライ定食でのアジフライの再会を祝したってことなの。
うふふ。
ションテン上げたいときの手っ取り早いのは美味しい大好きなものをいただくに限る黄色い玉子は美味しくて元気になるわ!
ここのタマゴサンドはタマゴゾーン厚くなかなかの食べ応えがあって、
満足感も高いのよね。
そこもお気に入りだわ。
白菜は芯の部分を細切りにして、
それを入れて置いておくと
昆布は長く浸けておかないで
途中で取り出してもいいかもしれないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・おそらく世界で最も有名なロックバンドであり、最も多くのレコードを売り上げたロックバンドでもある。
・プロとしての活動期間は、1962〜1970年であるが、その間にオリジナルアルバムを13枚発表し、曲数としては200曲以上と極めて多作である。
・メンバーは、ジョンレノン(リズムギター)、ポールマッカートニー(ベースギター)、ジョージハリソン(リードギター)、リンゴスター(ドラムス)の4名であり、4名ともボーカルを取っている。
・1964年10月に録音、4枚目のオリジナルアルバム『Beatles for Sale』に収録されている。
・ポップソングとして初めてフェードイン(イントロで徐々にボリュームが大きくなる)が使用されている。
・1964年10月に録音、1964年11月にシングルとして発売されており、オリジナルアルバムには収録されていない。なおビートルズはシングルとして発表した曲をアルバムに収録しないというスタンスを持っていた。
・レコード史上初の意図的なフィードバック奏法が使用されている。
・1965年6月に録音、5枚目のオリジナルアルバム『Help!』に収録されている。
・言わずと知れたバンドの代表的なナンバーである。曲としてはポールマッカートニーのソロとなっている。
・ロックとクラシックを融合させたという点で画期的な曲である。
・この後も明らかに数曲ほどロックとクラシックの融合を意図した作品が見られる(Eleanor RigbyやShe's Leaving Home)
・1965年10月に録音、6枚目のオリジナルアルバム『Rubber Soul』に収録されている。
・ポピュラー音楽としては初めてインドの弦楽器であるシタールが使用されている。導入したのはジョージハリソンである。
・ジョージハリソンはシンセサイザーを導入したり、自分の曲のギターをエリッククラプトンに弾かせたりなど、バンドサウンドに新しい風を吹き込むことを度々行っている。
・1966年4月に録音、7枚目のオリジナルアルバム『Revolver』に収録されている。
・極めて実験的な曲であリ、テープの逆回転やサンプリングループが多用されている。テープの逆回転については『Rain』という曲が先に発表されているが、録音はこちらの方がわずかに早い。
・技術的には初めて「アーティフィシャル・ダブル・トラッキング(擬似ダブルトラッキング:ADT)」が用いられている。
・ADTとは言うなれば任意の部分のコピペであるが、ごくわずかにタイミングをずらして再生することで、独特の音が得られる点も発明である。
・ザ・ビートルズの技術的に重要な曲は、活動中期(1964〜1966年)に集中している。
・これは、当時のレコーディングの技術が日進月歩の進化中だったことと、バンドメンバーがレコーディングの主導権を握り始めた時期と大体一致する。
山梨観光ってしてないなと思い、11月に金曜夜から2泊2日してみた
スーパー銭湯に併設のビジネスホテル。施設内の飲食も幾つもあるしコンビニや居酒屋なども隣接してる、風呂は当然ながら大浴場使い放題ということでコスパ良好
長野善光寺の本尊を武田信玄が「避難」させて設立とあるが、まあ大義名分で押し切って日本有数の古刹を強奪したということだろう
諏訪大社の諏訪氏に自分の血統を押し付けるの含め、織田信長より信仰対象への不遜ぷりが際立つ信玄の戦国大名らしいバイオレンス事績を代表する史跡で、ある意味、信玄すげーを一番感じられるかも
近くにある「かいてらす」という観光土産物館のレストランが美味しかった
信玄の本拠地である躑躅ケ崎館跡。神社そのものは江戸時代以降の武田ブームのアイテムが置いてるだけなので、館って言ってもちゃんと塀も堀も馬出もあるんだー、有名な武田の馬出の現物ってこんななんだー、なるほどこれは領土が広がったら手狭だなー、などなどを実感するぐらい
隣接する信玄ミュージアムでやってた柳沢吉保特集(柳沢家は元武田家臣、甲府の藩主時代に武田家の名誉復興に政治力を使いまくる等々)が全く知らなかったので面白かった
予想に反して戦国大名武田氏の展示はごく一部であり、ブラタモリ的に土地の状況から歴史解説へシームレスにつなげる解説が印象的な展示。江戸期や明治以降の展示も充実、というか史料的に戦国以前が乏しいので史料的に乏しいものを無理に拾うよりも史料が豊富なものをちゃんと見せる方向でまとめてるんだと思った。近代以降の実業家たちの紹介はかなり興味深いのでもっと知りたい
特別展としてまとめられていた「縄文時代の不思議な道具」展がボリュームが思ったよりも多く充実していて今回の観光旅行では最押しだった(終了してるけど)。各分類ごとの物量が多いぶんだけ次の展示に移る前に頭の棚が作りやすいというか解像度がかなり上がるというか、考古学は奥が深いでしょ、を物量で殴ってわからせるというか
アタマ縄文にわからされた後に、常設展示の縄文土器の優品を見せられると「美」って感じで惚れる
ミレーがいっぱいあるところで有名な、ミレーで集客してるミレー推しの美術館だが、県内の画家の作品が普通に良い
というか、ミレーはどうしても小品だし、王政復古やなんやかやの頃の絵なので古典の範疇であり、近代以降のキャッチーな絵画のが見栄えがいいので、昨今の思想動向的にもミレーの労働、自然、リアリズム、うーむ渋い、みたいなのは受け取る側としてなかなか消化しづらくなってると思う。理念の崇高さみたいなのを勝手に感じ取らないとありがたみがないというか。なお、ミレーの生涯を紹介するアニメが見てて楽しいのでお勧め(ホームページで見れる)
さておき企画展含めた国内作家の作品が良いのが多かったので、ミレーに釣られて行ったら日本人画家を好きになる、が正しい鑑賞態度なんじゃないかと思う
施設内レストランは諸事情あるのか、オペレーションが壊滅的で順番待ちをうまく捌けてなかった(料理自体は悪くない)ので、利用時はゴリゴリっとゴリ気味に状況を確認したほうがいいと思う
体験版的なやつが先日公開されたみたいなので早速飛び込み前転をする構えの勢いでダウンロードよ!
『はじめてのグランツーリスモ』
結論!
車は急に止まれない!
F-ZERO99脳なので、
コーナーに時速999キロで突っ込んで時速256キロまで減速して曲がりきる私のテク!
そのテクニックがグランツーリスモでも通用するかと思う乗りいやバイブスで曲がろうとしたらコースアウト!
ぜんぜん曲がれないの!
そんなスピードじゃ!
でも、
お手本運転を見るのね。
ええ!
こんなにまで減速しないとヘアピンカーブ曲がれないものなの?って
ドリフトしてしまえば謎のレールの上を滑走する時速何キロの速さでもどんなコーナーでもそんな感じで曲がれちゃう挙動のレースゲームとは違って、
ちゃんとヘアピンカーブには時速256キロから時速16キロぐらいまで減速しないと曲がれないの!
つーか!
コースに追突!
F-ZERO99みたいに
インターファックス通信社が報道したいほどのあのロイター版みたいなジャンプ台でコースをショートカットできるジャンプの仕掛けなどもちろんなく、
「はいやりなおし」
私はやけくそになって「はいよろこんで」って何度も何度も挑戦するのよ。
こんなのへっちゃらよ!って思っていたけど、
なかなか減速とコーナーの曲がる加減の感触が掴めなくて!
私はしげの秀一先生の『MTゴースト』読んだら強くなれるのかしら?って思ってるの!
でもそんなその時はそれ読んでいる暇がなかったので、
とにかく走るのみ!
あと、
なんかクラシック的ななんとかの行進みたいな
たぶんラーメン屋さんでその曲がかかっていても似合うようなAMラジオじゃないその調子の曲はなんか年配層を意識してない?ってそう思うの。
やっぱ!ユーロビートじゃね?って思いながら
あのハンドルコントローラーも欲しくなったけれどシーディーが20枚入る20連奏のチェンジャーのプレイヤーを搭載したいと思ったわ。
でもハンドルコントローラーってちょっとやってみたくなるぐらい、
あれって高いわよね。
あれ実際の車のハンドルみたいに、
手を離すと自動運転してくれるの?
手を離すと、
ハンドルが真っ直ぐ車が走りたいようにハンドルのなんていうの?フィードバックってあんの?
あるのなら、
その方がたぶん臨場感できると思うし
これから読む『MTゴースト』の知識も十分得られて実践出来ると思うのよね。
まだ読んでないけれど。
そんなわけで
私は『はじめてのグランツーリスモ』で走りまくりまくりすてぃーで頑張って残り1つのライセンスを残すところまで行ったのよ!
ライセンスが取れなくて難しいわ。
これ幸いか、
迷ったらとにかくアクセルを踏めば良い!
赤くなったら止まればいい!って感じね。
ヘアピンドリフトだー!って思って突っ込んだら全然曲がれなくて、
もー!ってこれちゃんと曲がれんの?って四苦八苦十六苦三十二苦といったところで
私は休憩がてら十六茶を飲むのよ。
少なくとも十六茶で三十二苦は半分になったわ。
私の走りってなんかカッコよくない!って思いながらそれはまだたぶんしげの秀一先生の『MTゴースト』を読んでないからだと思うのよね。
だからその『MTゴースト』を読むか最後のライセンスを走り合格できるかが
どちらかが先だと思うわ。
そんな聖者の行進の曲に耳を傾けながら
難しいわ。
車は急に止まれない!ってことを身にもって体験感じたところよ。
これ私上達できるのかしら?って不安になるので
今本編の『グランツーリスモ7』が半額セールらしいけどとてもじゃないけど手が出せないわ。
私にはきっとF-ZERO99がちょうどいいって言われているみたいね。
でも新しいコースに飛び出るには
『グランツーリスモ7』も体験してみたいPlayStation5を持っていたら見てみたい凄いコンピューターグラフィックスの世界じゃない?
まだよく完全には分かり切ってないけれど、
また全部の要素を実績100パーセントになっていない『はじめてのグランツーリスモ』をとりあえず全部やり切ってからの話ね。
しっかり減速して曲がる!その勇気!
時速999キロでコーナー突っ込んで走り抜けるF-ZERO99脳ではとてもじゃないけど完走すら出来ないわ。
調子に乗ってぶっちぎりアクセル全開だったら急にはやっぱりレクサスでも止まれないみたいね。
車は急には止まれないってことを
三歩歩いたら忘れちゃうってことを思い出して
止まれないことを思い出したわ。
もうさ
ゴール最後目前の最終コーナーでコースアウトして「はいやりなおし」は
さすがに「はいよろこんで」とはニッコリとは言えないわね。
車が急に止まれなくて辛いわ。
うふふ。
ぱりぱりしゃっきしゃきの活きの良いレタスにチーズが挟まってあって、
軽くいただくには美味しくて今の私にはちょうどいいボリュームね!
たまに食べたくなるのよね。
ルイボスティーのパックを入れてーのの
今朝なんか一気に寒くなってきたので
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
体調悪かったけど、息子が「焼きそばがいい」って言ってて、夫は焼きそばが作れない(というか、ほぼなにも作れない)ので、なんとか焼きそばを作り始めた。
そうだ!夫にも作り方を教えておこう!
と思って、「焼きそばの作り方を教えるから〜。まずキャベツを切ります」ってキャベツを切り始めたんだよね。
そしたら、夫が来て「で、キャベツ何g?」って聞いてきたんで「え、適当だけど」って答えたら、「何gか言ってくれないとわからないよ!」と言うので、「……じゃあ、それはレシピ見て……」って、なんかガックリしたんだけど、どうすればよかったの。
焼きそばのキャベツって、なんとなく「2人分ならこのくらいのボリュームかな。焼くと少し嵩がへるからこのくらい」って思ってたけど、その「2人分の適当」を、スケールではかって伝えればよかったんだろうか。
【追記】
最近だと京都府立植物園に行ったよ。開園100周年おめでとう!
モミジとかイチョウがあるエリアの紅葉がまさに見頃で最高だった。
この植物園には植物生態園っていうゾーンがあって、植物を本来の生態で育てているらしく
最低限の手入れにとどめられた迷路のような小道を探索するのが楽しかった。
そして温室!すごかった。
小1時間はかかるボリュームで巨大な食虫植物から高山植物、熱帯植物等々実に豊富。
バニラの香料見本が置いてあって木からあのおいしそうな香りがプンプンするのを実体験できて
「ほんとにバニラ!」とヘンに感動した。温室全体の手の入れようもすごかった。
新宿御苑もかなり前だけどいったなぁ。
あの温室もよかった。バナナがおいしそうになってた。
だよね、そうだと思う。
許してほしいとは言わないけどわかってほしい。
入場料も安く、公営とかだと200円くらい。
当日なら再入場自由とかゆるゆる。
広いうえに込み合うほど人はおらず、みんな穏やかな顔した人ばかりで
季節の移ろいを味わえる木々花々を気のむくまま愛でる。
わりと一人でいる人もいる。
おすすめ。
ざっくばらんに書きすぎて誤解が生まれてる箇所があるようなので弁明と所感の補記。長くなった。
あとちらほら男性認定されてるから一応明記しておくと私は30代前半女。文章の書き方がおっさん臭いとは言われたことはある。
まず食費にお米は含んでない。ご実家から貰うらしい。調味料は元々あるけどちょこちょこ買い足したので微妙。
まとめ買いやらお勤め品やら駆使してお弁当は8品前後、食卓には一汁三菜並ぶように意識してるけどまあ2人なので何日か同じものが続くこともあるし、生野菜不足してる感はさすがにある。水菜高すぎ。
ものすごく切り詰めている訳ではなく、かと言ってノールックでシャウエッセンをカゴに入れるような買い方はしてないよというバランスの取り方に及第点はほしいなという程の意味。
日中の過ごし方については、色々述べたけどつまるところはご指摘の通りゴロゴロしてるだけ。家最高。あと掃除について言及があったけど、彼に「なんか家中がピカピカしてる…」と言わしめたので一応やってるということでいいと思う。ただ基本的には彼の家のため触られたくない所は自分でやってるようなので私がやってるのは蛇足な部分かも。
飼われてる発言の発端は、私から「飼い猫のようにしおらしく毎日あなたの帰りを待ってるよ」みたいなことを言い出したのに対し「猫?雌ライオンでしょ」という返しつきで彼が乗っかってきて、その後もふいに始まった不思議なこの共同生活を表現するときに「飼ってる・飼われてる」が使われるようになっただけでお互いに他意はないはず。
お弁当箱は自分で洗ってるし食後の皿洗いもやってくれる、いつもありがとうという文脈で外食に連れてってくれたこともあるので、今のところ2人の間にだけ伝わる愛のある冗談だと私は受け取ってる。
これはモラ夫のケがあるってことなのかな、それは避けたいけどどうしたら。
***
彼の一存で私をどうにでも出来てしまう現状が不健全なのは自覚してる。私がいなくなったところで彼はまた一人暮らし仕様の生活水準に戻るだけで、私が彼を失うのに比べて彼が究極的に困ることはない。だからこそずっと愛されるように(="飼い"続ける価値がある)女性としての魅力を保つ努力をしたいと思っている。
本文含め私のスタンスをフェミ的な観点から問題視する向きもあるかもしれないけど、要は単純に好きな人からずっと好きと思われるためにお互いに努力したいよねってだけ。私も向こうには尽くすに値する素敵な男性でい続けてほしい。ちょっと言葉が乱暴だったのは申し訳ない。
経済的に立ち行かなくなった時、恋心が褪せた時、彼に依存しすぎて戻れなくなった時、要は現状の満足を構成する要素が欠けた時への備えについてのご指摘はまさに正視できないでいる点なのだけど、今は休ませてほしい。仕事をしたくない訳ではなく通勤電車と人間関係の維持に疲れたのです。とにかく家から出たくない…。
結論としては、好きな人とお互いを捧げ合って毎日一緒にいることで得られる安心感の素晴らしさを知ったということが言いたかった。
色々言及頂いて、現状や自分自身に対する客観的な認識を補えて有り難い気持ちになった。
人の世話を焼くことで自己肯定感の確認してるのではというのは確かにその通りかもと思った。子どもがいればそっちの特性はより活かせるかもしれないけど、ママ友とかPTAとかに参加することで、また延々人間関係という大縄跳びをやり続けないといけないと考えるとうんざりする。
あとは久しぶりに彼以外の人間の生の声を受け取った気がして、文章越しとは言え新鮮だった。ありがとうございます。以上。
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仕事辞めてから彼氏の家に転がり込んでみたところ、セルフネグレクト寄りだったはずの自分がきちんと主婦業できそうなことが分かった。
朝食を調えて駅まで送り日中は家事をして、夕方には夜ご飯の用意などしてから駅まで迎えに行く生活をして早数ヶ月経った。
駅まで送った帰宅後に何をしてるかと言えば家事とネットサーフィンたまに勉強、献立の検討。食事にこだわりがある彼に対し私が時間を割けるので、天ぷら大会やら魚を丸ごと買ってきてお刺身にするやら少し凝ったものを用意できるのが楽しい。彼も満足してくれているようなので、無償で与えられた住環境に対してせめて報いれるものがあるとするならばこちらも嬉しい。
食(材)費は 30,000円/月ほどでほぼ自炊で2人分の朝昼晩を賄えている。悪くない数字ではないか。
話は逸れるけど、人に食べさせる料理を毎食毎日作ることの一人暮らしとの大きな違いがこの共同生活の中で一番労力がかかってる部分かもしれない。
食べる人の好き嫌いやこだわりや気分、日ごと食事ごとに対してのジャンルと食材のバランス、ボリューム、食べ合わせ、彩り、衛生環境、ご家庭で食べるに見合った値段で、使い切れる量の買い出し、……
一人でいれば毎食冷凍うどんでいいやとほとんど作業と割り切ってる食事が誰かに差し出すとなると途端に検討要素と作業工程が倍増する。
これを絶え間なく、その他日常生活の運用に必要なプラスアルファを加味して何年もつつがなくこなすと考えると、世間で揶揄されるほど専業主婦は暇ではないなと実感してる。これに子育てが加わったら私には無理だな。
ただ社会人期間と比べてあまりにも人と会わなさすぎ(コミュニケーションがなさすぎ)るので人嫌いの自分もさすがにおやとなり、巷でよく聞く「寂しくて不倫」の機序はこういう心理の自覚から始まるのかもなとは想像がついた。
最近は彼の帰りが遅い上にちょっと大きめの言い争いがあったためぎくしゃくしてるのも相まって「他の人と会いたいなー」という気持ちもなくはないけど、人と関わっても結局面倒くさくなる自分の質も数十年人間やってみてよくわかったので、あえて外界に出ようという気は起こらない。
こと自分に関しては基本的に出不精だから日中もほとんど活動しない。この数ヶ月スーパーと家の往復だけ。たまに喫茶店に寄り道したり近所を散歩するくらい。
初期の頃はお昼寝タイムもあったけどここ最近はずっと起きてる。これで上述のように過ごしてると意外にも早く過ぎて夕方には翌日のお弁当と夕飯の準備を始める。すこぶる健康に過ご(させてもらって)る。
不安ごとがあるとするならば、今は完全に無収入で彼の生活にフリーライドしてるのでそれが少し申し訳ない。怖くて聞けないし向こうも言ってこないけど、光熱費とかすごいことになっているのではないか。
勤労意欲は沸かないけど目の前の人のためになにかしたい気持ちはある。まあそうなると今のグレードを維持した家事炊事は無理だろうが。
あとは自分で家事しなくて済んで時間が浮いたことにより付け上がった彼が仕事と嘘ついて外で女作ってきたらどうしようとか表情筋動かしていなさすぎるからか顔がデカくなってきた気がするとかか。
彼は「一人暮らしのやり方忘れた」と言い出し始め私のことを「飼ってる」などと笑うが、私も自分が食べ切れない料理を感想付き(ここ大事)で食べてくれて、必要以上に他人と関わらず、人権の欠片も感じられない地獄のようなあの通勤電車にも乗らないで済むこの生活を続けたいので割と冗談抜きでこのまま飼われたい。
仕事に打ち込むにあたって悪くない環境を提供できてると思うのでこのまま家事炊事送迎機能付きセックスができる長生きペットとして養ってくれないかな。
だらだら所感を述べたけどそれより何より一番の驚きは、こんな機会ないだろうし共同生活してみるか他人と毎日一緒なんて絶対飽きちゃうだろうけどな、という諦め込みの試みだったはすが(数ヶ月経った現時点で)楽しいと思っている自分がいること。
朝起きたら好きな人が隣で寝てて、朝も昼も夜も好きな人のために食事を用意して、夕食後の他愛もない時間を過ごして、また夜も隣で寝てくれる日の繰り返しに言い様のない安心感を覚えている。
他人と過ごすことに向いてないと自分が自分を理解したから家族からも離れて一人暮らししていたはずで、結婚生活なんてとても出来ないだろうと諦めていたのに、この感覚はなんなのだろう。
先日行われた文学フリマで発行された某アンソロジーに私は寄稿した。
きっかけはTwitterで「公募でエッセイを募集します」というツイートを見たから。ただのエッセイ集ではなく、ひとつのテーマが決められているエッセイ集であり、「面白そうだな」「ちょうど書きたいことがあるな」と思って参加することを決めた。
限られた文字数制限の中、決められたテーマに沿ったエッセイを執筆し応募した。そしてありがたいことに掲載が決定した。内容次第では掲載出来ないと書かれたいた中でその連絡はすごく嬉しかった。特に報酬はなくアンソロジーの献本1冊のみだったが、読みたい本を頂けるだけで非常にありがたかった。
自分の文章が載らなかったとしても購入したいと思っていた。なんでもない、自分となんら変わりない人間の考えていることや人生だったりをエッセイやブログを通して読むことが元々好きだった。同じテーマでみんなは何を書くのか、気になって仕方が無かった。「匿名で掲載することも可能」と応募要項に書かれていたことから、かなり癖のあるエッセイが読めるのではないかと密かに期待していた。(特に尖っていなくても大抵面白いと思って読むが)
文学フリマ開催2週間ほど前に、企画アカウントからイベントに向けた告知ツイートがされた。
見てみると、告知画像に私の名前は無かった。たくさん並んだ執筆者の名前の最後に「他」と書かれていただけ。
たくさん参加者がいたんだなくらいにしか思っておらず、特別自身の名前をアピールしたかったわけでも無かったので、この時点では不思議に思っていなかった。
この告知ツイートの直後、企画主催者から「出来れば告知ツイートを拡散してほしい」という旨の連絡が届いた為、自身のアカウントで引用ツイートした。
告知画像に自分の名前が載っていないのに「このアンソロジーに寄稿しました」というのはなんだかおかしい気がしたが、なるべく多くの人の手に渡って欲しいと思ったので喜んで協力した。
企画アカウントの方で参加者と思われる方の宣伝ツイート(「寄稿しました」「是非お手に取ってください」等)がリツイートされて回ってくる。しかし私の告知ツイートはリツイートされることは無かった。まぁ見逃してるのかな、別に告知の宣伝を全員分リツイートしなくてもいいしな、とあまり深刻に考えていなかった。
リツイートされているアカウントをふと眺めていると、全て告知画像に名前が載っているアカウントばかりだった。リツイートされたアカウントをひとつずつチェックすると、全て1万人以上フォロワーがいるアカウントだった。
一方私のアカウントは、日常をツイートするだけのフォロワー数3桁のアカウント。
それから「力になれば」と思って告知ツイートを何度かしたが、もちろん企画アカウントにリツイートされることはなかった。その間も万単位のフォロワーがいる、名前の掲載されたアカウントばかりが企画アカウントにリツイートされていた。
動けば動くほど、恥ずかしかった。
文学フリマ当日、アンソロジーは完売したらしい。それは非常に嬉しく思ったが、なんだか恥ずかしくてあまりちゃんとツイートは見れなかった。
文学フリマ開催日から数日後、企画主催者から献本が届いた。恥ずかしく思ってはいたが、本自体は楽しみに思っていたので読み進めていく。そして異変に気付く。
自分が応募した際に規定されていた文字数制限を大幅に超えて執筆している人ばかりなのだ。
おや、と思いつつもエッセイ自体が面白かった為、あまり気にせず読み進める。6人のエッセイを読んだが、どれも文字数制限を大幅に超えている。
そして7人目のエッセイを読み進める。公募募集時に「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きがあったにもかかわらず、このエッセイは自分語りだらけで、なんならテーマにも沿っていなかった。
あまり面白くないなと思いつつ最後まで読んだ。そして最後の文章は以下の通りだった。
"普段文章なんか全然書かない。お金貰わなきゃ一生書かなかったと思うから、今回この機会貰えて嬉しかったすw"
ああ、なるほど。
企画主催者が自分の好きな著名人に文章を書いて貰う為の口実として作られた企画だったんだ。
本をパラパラとめくると、企画主催者がお金を渡して文章を書かせたであろう十数人には、来歴についてのページが用意されていた。映画監督、写真家、小説家など。何年生まれでどの大学を出た、こういう大きな仕事をしている等、書店で売られている本に掲載されているような紹介ページが個々に用意されていた。
一方自分の掲載されているページを見た。もちろん後ろから数えた方が早い位置に掲載されており、名前のみの掲載だった。
恥ずかしいというよりも、やるせなさがあった。
私はこのアンソロジーを、一読者として楽しみにしていたのに、「私が好きなクリエイターに文章を書かせるためのきっかけ」でしかなかったことをハッキリとわかってしまった。
企画主催者が公募でエッセイを募集したのは、本のボリュームを出したかったからであって、「このテーマで色んなエッセイを読みたい」という気持ちからの募集ではなかったのだ。企画主催者は特に著名人でもなんでもない素人の書いた文章に、ページを割きたくはなかったんだろう。
公募募集時の「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きも、素人の自分語りは聞くに堪えないが、自分の好きなクリエイターの自分語りなら大いに結構というスタンスだったのであろう。
別にお金を貰いたかったわけでもないし、来歴ページを用意して欲しかったわけではない。献本を頂けただけでも非常にありがたく思っている。
せめて、せめて自分から頼んでお金を積んで文章を書いて貰った人にはそうとわからないようにして欲しかった。参加者全員平等に扱って欲しかった。
「このテーマで文章を書きたい!」という強い気持ちがあるわけでもない、ただただお金を貰って文章を書いている人ばかりのアンソロジーだとわかってしまってから、ひどく陳腐なものに見えてしまって以降この本を読めていない。
テーマが魅力的で期待していたばっかりにガッカリしてしまった。
所詮趣味の同人活動なので、別にこの企画主催者のようなやり方があってもいいと思うが、一参加者として良い気持ちではなかったということをここに残しておく。
以下、ごちゃまぜという意味の言葉は「ちゃんぽん」、料理のほうは「チャンポン」と表記する。
まず辞書では、
1 2種類以上のものをまぜこぜにすること。また、そのさま。「日本酒とウイスキーをちゃんぽんに飲む」「話がちゃんぽんになる」
たいていは先に書かれるほうが古い用法なので、ごちゃまぜの「ちゃんぽん」のほうが先にあったということだろう。
しかしWikipediaで「ちゃんぽん」を調べると、いくつかの語源説が出てくる。
なかでも「攙烹」説「吃飯」説「喰飯」説などは、明らかに料理が前提にあるので、「チャンポン」が先でないとおかしいように感じる。
ざっと検索したかぎり、「どちらが先にあったか」を明言しているところがほとんどなかったので、ちょっと調べてみた。
「ちゃんぽん」は江戸時代からあった言葉で、三好一光『江戸語事典』や、
ちゃんぽん 交互、又は両天秤にかけるをいう。
ちゃんぽん ①彼と此と入り混じること。まぜこぜ。ごちゃまぜ。文政五年・花街鑑 下「芸者の滑稽、チリツンテン、ちやんぽんの大さはぎ」②交互。かわるがわる。文政九年・契情肝粒志 二上「何時でも下馬一枚を棒組とちやんぽんで」
ただ、前者は「鉦」が中国の楽器、「鼓」が日本の楽器だから、という説明がくっつくことがある。
また後者は、中国人を「ちゃんちゃん坊主」などと言ったのは「鉦の音」に由来するというので、この2説は薄っすらとつながっていることになる。
一方、料理の「チャンポン」が生まれたのは明治30年代だとされる。
長崎で明治32年に創業した「四海樓」という中華料理店の「陳平順」という人が中国人留学生向けに作ったというのが定説である。
ちゃんぽんのルーツは福建料理の『湯肉絲麺(とんにいしいめん)』である。湯肉絲麺は麺を主体として豚肉、椎茸、筍、ねぎなどを入れたあっさりしたスープ。これに四海樓の初代 陳平順(ちんへいじゅん)がボリュームをつけて濃い目のスープ、豊富な具、独自のコシのある麺を日本風にアレンジして考案したものが『ちゃんぽん』である。
今日では缶詰や冷凍など保存技術の発達により食材が年中あるが、当時は、そういうわけにもいかず苦労していた。そこで長崎近海でとれる海産物、蒲鉾、竹輪、イカ、うちかき(小ガキ)、小エビ、もやし、キャベツを使い、ちゃんぽんの起こりとなった。
ただ、これもなかなか難しいところで、「支那うどん」と呼ばれる同種の料理は他にもあったらしい。
四海樓でも当初は「支那うどん」という料理名で出されていて「チャンポン」とは呼ばれていなかったという。
以下、チャンポンや支那うどんに関する、明治末から大正にかけての記述を並べてみる。
「チヤポン」(書生の好物)
今は支那留学生の各地に入込めるが故珍しきことも有らざるべし。市内十数個所あり。多くは支那人の製する饂飩に牛豚雞肉葱を雑ゆ故に甚濃厚に過ぐれば慣れざるものは、厭味を感ずれども。書生は概して之を好めり
「チャンポン」ではなく「チャポン」になっているのは誤字なのかわからないが、後述の「吃飯」説の傍証としてよく引き合いに出される。
明治41年『中學文壇』では「支那うどん=チャンポン」であり、長崎固有の料理だと言っている。
明治41年『ホトトギス』でも同じく「支那うどん=チャンポン」。やはり「チャポン」は誤字だったのではないか…?
大正3年『長崎一覧』には「支那饂飩の元祖は三角亭だ」と書かれている。
支那うどんも亦長崎名物の一つである 名の如く支那より伝つたうどんである 日本人の初めて製造せし人は大波止三角亭の上田百十郎氏である。氏は初め今の九州日の出新聞の所で飲食店を営んで居た、支那うどんを創めたのは明治三十二年であつて、創めた当時はあまり歓迎せられなかつた
大波止の三角亭は大正年間に「支那うどんノ元祖ハ大波止角三角亭」という広告をあちこちに出していたようだ。創業年の明治32年は四海樓と同じ。
大正7年『漫画巡礼記』の著者は「近藤浩一路」という人で静岡育ち東京住まいらしいが「支那うどんについては皆さんご存知だろう」という書きぶりである。
長崎名物のうちにチヤンポンといふがある。チヤンポンとは支那うどんの異名と聞いたら何だつまらないといふかもしれぬがこれが仲々莫迦に出来ない代物である。エビ豚、牛肉、蒲鉾、ねぎ其他種々のものがチヤンポンに煮込んであるから其名が起つたのであらう、先祖支那うどんと銘うった家が長崎市中到る処に見られるが、これが皆なチヤンポンだから驚く
また四海亭(四海樓のことか)の紹介もある。
しかし其中でも支那町の突当りにある四海亭が最も代表的なチヤンポンを食はせるといふので我等はK君の案内で此四海亭に始めてチヤンポンなるものにお目通りしたのである。見た所は他の支那うどんと大差はあるまいが、何せい材料と料理法が違ふ。
ちなみにWikipediaには「明治初年には既に長崎人の本吉某が長崎市丸山で、支那饂飩をちゃんぽんの名で売り出していたともいう」と書かれているが、これは昭和13年『長崎談叢』がソースらしい。
チャンポンの濫觴は明治の初年我が長崎人本吉某が丸山にて支那饂飩をチャンポンと名づけて開業したるものにして終にチャンポンは支那饂飩の固有名詞となり了りぬ。
総合して、
といったあたりが気になる。
いずれも確証はなく「発音が似ているから関係があるかもしれない」程度の話に尾鰭がついただけのようだ。
「吃飯」説だけは、四海樓が主張しているという点において説得力があるが、それにしたって確証はなさそうである。
以上。
「ちゃんぽん」と「チャンポン」に関係があるかどうか、については結論が出なかったが、普通に関係がない可能性もあるということがわかったので、とりあえず良かった。
Wikipediaの説明がまさにそうだが、「ちゃんぽん」の語源説と「チャンポン」の語源説がごちゃまぜになっている、つまりちゃんぽんになりがちなので、そこだけは気をつけたいところである。
ビッグマックはワッパーへの対抗馬だったとか、そのバーキンもマクドナルド兄弟が生み出した効率的なキッチンのノウハウを使って大きくなったとか、ほ〜んと思った。
今朝まんまとマクドナルドへ吸い込まれてた。というか家を出る時既にマックの口だった。
ソーセージマフィンが食いてえ。
エッグベネディクトを参考に、朝食にもハンバーガーを食う習慣を、と発明され、メニュー増やしたくないレイ・クロックが渋々採用したら当たったマフィンを。
モバイルオーダーで滑り込もうかと道すがらにアプリ入れてみたけど、時間指定とか出来ないらしい。絶妙に不便だな。レジで並ぶ必要がないというだけか。
まあ多少受け取りが遅れるくらい別に大丈夫なんだろうけど、あんまりせかせかするのも嫌なんで諦めた。
店に着きテーブルオーダーしようと思ったら、なんか知らん間に中止だか廃止だかになってる。テーブルの番号も剥がされてるし、セルフレジの脇の札も消えてる。
まあ客のちょっとした横着心を満たすのに割く店側の労力としてはあんま割に合わないよなとは思ってた。
辛ダブチ食おうと思ったら終わってた。普段ならフィレオフィッシュでも頼んでただろうけど、ダブチからフィッシュはあんまりスムーズな妥協ではない。ザ・メニュー内でも言及無かったし、あまり気分も乗らない。
ビッグマックにしといた。ドリンクは密かに気になってたコーク辛口ジンジャーを。
席ついてドリンク吸引。マジでコーク辛口ジンジャーだな。それ以上でもそれ以下でもなく、ジンジャーエールとの間の子とかそういう感じでもなく、本当にコークで辛口でジンジャーだ。
ビッグマックを頬張る。レタスが溢れる。マジで溢れる。設計ミスだろ。そんなに細かく刻むなレタスを。
なんか、ハンバーガーとして美しくない。味のりとか韓国のり巻いたおにぎりみたいで。
箱の中に散乱するレタスを手掴みで食うか否かで迷って味に集中出来ないけど、ワッパーの満足感に程遠いのは確か。ほんまにあのわざとらしい炭火風味とボリューム感にこれで対抗しよ思たんか?
まあ時代も国も違うしな。
別に全然マック嫌いじゃないけど、どのバーガーもコアになるパーツの流用が多いし、どこまで行っても最弱のバーガーからそう遠くない延長線にある感じがする。高くなればなるほど飛躍的に割高感が増す。
年末も近くなり、皆さんも帰省について考え始める頃だとは思うが、一方、旅行に行ったり、自分ではなくパートナーの帰省に随行するなどで飛行機や新幹線を調べる方もいるだろう。
その中で、北海道に来る人。
北海道のお土産というのは、個人的に質・量いずれも全国トップクラスだと思っており、札幌駅のお土産店や新千歳空港でよく知らないお菓子を適当に選んでも、そうそう外れる事はないのだが、道民として「これ美味いのに道外の知名度低いんだよなぁ」というものが結構ある。
北海道土産の王者白い恋人や、価格と品質のバランスでばら撒き菓子戦線上位に確固とした足場を築いた札幌農学校、ロイズのチョコレート、ルタオのチーズケーキなどは当然のように美味いし、あったら喜んで食べるのだが、今回はメジャーすぎるということで選外とし、もうちょっと「あれ美味しかったです」「そうでしょ、北海道では有名なのよ」となって内心ニヤけるようなものを紹介したい。
六花亭は北海道のお土産お菓子で女王のような存在感があり、特にマルセイバターサンドなど全国メジャーなものを擁しているのだが、個人的に買うべきだと思っているのはこの大平原
表面の食感が少し硬めのシンプルなマドレーヌなのだが、特に注意も払わず食べた瞬間に二度見するような豊かな風味がある。
次々と斬新なお菓子が現れる北海道にあって、直球のマドレーヌで違いを見せてくる、そのスタンスが感動的だ。
お土産でキャラメル出てきて胸が高鳴る人って少ないと思うが、このマルセイキャラメルは知っている人にとっては価値がわかる一品だ。
ナッツの入った食感は独特で、一口食べた同僚が「く〜!」という顔をしていた。
六花亭に関してはまだまだ掘りきれていないものもあって、ザ・マルセイというアソートを今回のお土産としたのだが、最近シリーズに加わったマルセイバターケーキも好評だった。
1982年販売開始なので、そこそこ歴史はあるはずだが、全国区になりきれていない印象がある。
自分は食味で白い恋人やマルセイバターサンドと同格を張れると思っており、職場や友人などのお土産でこれが外れるとは思えない。
ホワイトチョコレートを挟んだアーモンドのガレットで、袋を開けて口に入れた瞬間にアーモンドの香りとザクザクとした食感で「!、美味いな!」となる。
お土産として広がりが少ないのは、枚数が少なく価格がやや高めだからだろうか。
とはいえ、サイズを小さくしたりして無理に価格を下げるのが正しいとも思えない。
これを宣伝したくて書いたと言っていい。
元々、長い歴史を持つ三方六という、表面をマーブル状にチョコレートでコーティングして白樺の樹に似せたバームクーヘンがあり、道民にとってはお馴染みの味だったのだが、一本が結構大きいので、ばら蒔きに適さないという個性があり、家族用、自分用などに広がりが限られていた。
しかし、これを薪のようなフィンガーサイズに小分けにした商品が開発され、ばら撒き菓子としての可能性が一気に広がった。
ホワイトチョコレートの甘さと、しっとりしたバームクーヘン、そしてお菓子としての美しさなどを兼ね備えた今いちばんおすすめしたい一品だ。
これなんで道外にないんだろう、と上京した時に感じたお菓子ナンバーワン。
こし餡の入ったずっしりとしたパイで、パイ生地の香りと餡子の上品な甘さが一体となった和洋折衷の良品。
千秋庵が札幌農学校のきのとやと提携したことによって、ノウハウが入ったのか、パッケージが北欧風の可愛いデザインにリニューアルされた。
実際お土産を買う立場になって「この重さと大きさ、容量の少なさだな」という「道外にあまりでない理由」がわかったのだが、道民だったらみんな知ってる味なので、同僚に道民のいる方、余裕のある方は考慮してみてほしい。
ちなみにパイ生地の中にアンコとクリームを入れた生ノースマンという商品もあり、こちらは半分生菓子のようなものなのでそれこそばら撒きには全く向かないのだが、これはノースマン復活の狼煙となった商品であり、自分用、ご家庭用、帰省でご家族などとぜひ味わってほしい。
「♪でてきた でてきた 山親爺 ささの葉かついでシャケしょって スキーにのった山親爺 千秋庵の山親爺」
最近、パッケージがリニューアルされて、トレードマークとも言えるヒグマがスキーに乗って滑り降りてくるスマートでレトロなイラストパッケージとなった。
数に限りがあるのでいつまでなのかというところはあるが、缶24枚入りを買うと、シャケを担いだ結構リアルなクマがスキーに乗ったフィギアが封入されている。
「小麦粉、卵、牛乳、バター、以上!」というシンプルを極めたような洋風煎餅で、パリッとした食感で一点突破してくる。
アイスクリームに添えるなど、食べ方に工夫をしても楽しいかもしれない。
本当にメロンの味がするゼリーで、他のお土産でこういったものが思いつかない。
従来カップサイズのものが主流だったが、フィンガーサイズの小容器のものも登場し、ばら撒きやすくなった。
ホリはどうしてこう、道外に対する宣伝力に欠けるのだろう。いい商品があるのに。
北海道を代表する穀物、とうもろこしをホワイトチョコレートで包んだクランチで、口に入れた瞬間にとうもろこしの香りが広がる。
北海道に自生する固有ベリー、ハスカップのジャムとミルククリームをしっとりしたクッキー生地で挟み込み、縁をチョコレートでコーティングした高級感のあるひとくちケーキ。
紫のハスカップジャムには強い酸味があり、チョコレートもしっかりとした甘みで、全体的に強くて引き締まった味わい。
店舗がそれほど多くないので、ノースマンや三方六ほど書いやすいわけではないが、意外と根強いファンがいる。
チョコレート部分が溶けてしまうので、職場でのばらまきなどには適さない。
甘い系に飽きたらしょっぱい系もどうぞ。
数の子の香りとぷちぷちした食感、チーズの乳味・塩味が口の中に溢れ、子供も喜ぶし、酒のアテにもピッタリだ。
これは以前ブクマでも上がってきた。
繁華街すすきのの外れにある24時間営業のサンドイッチ店で、価格、ボリューム、味と三拍子揃ったサンドイッチが常時30種類以上販売中。
大体の時間帯でお客さんがおり、行列ができることも珍しくない。
あまりの人気のために、札幌駅に「サンドイッチの自動販売機」が2台設置されたが、自販機に行列ができるという、なかなか見ない現象になり、日に5回ほど補充されるにも拘らず夜にはほとんど売り切れるという脅威の販売力を見せている。
札幌にサンドイッチを目掛けてくる人はあまりいないだろうが、駅でも買えることだし、ぜひ1食くらいは試してほしい。
おすすめはコーヒーを練り込んだパンにフルーツとクリームを挟んだコーヒークリームです
これもはてなではお馴染み。
札幌駅から徒歩5分、六花亭本店の2階にある喫茶室では、季節折々のピサを食べることができる。
しっかり焼きの入った厚めでザクザクした生地に、旨味がギュッとしまった牡蠣がゴロゴロと乗っており、栄養が身体に染み渡るのを感じる。
これは本当に道外の人知らないんじゃないだろうか。
市中心部から数駅のところにある北海道神宮の境内のすぐ脇に、お土産屋と休憩所を兼ねた六花亭の茶屋店が出ており、ここでは茶屋内で調理される焼き饅頭、判官さまを無料のほうじ茶と共にいただける。
蕎麦粉を練り込んだモチモチの生地で餡子を包んだアツアツ焼き饅頭を白い息を吐きながら食べると清涼な幸福感に包まれる。
あと食べた記憶が朧げなんで書かなかったけど、札幌スープカリーせんべい カリカリまだある?もかなりエッジの効いた辛さだった記憶がある。
はてなー、意外と道民多いからここらへん「知ってるよ!」ってのもあると思うけど、道外からくる人は参考にしてみてほしい。
みなさん北海道のお菓子の良さを知っている人たちばかりでほっこり。
そういえば忘れていたの思ったのが菓か舎 札幌タイムズスクエア。
カスタードクリームと餡子を包んだふわふわのスポンジケーキで、類似商品として仙台の萩の月があるものの、詰め物が餡子で独自性があるのとスポンジの食感が違うので別物だと思っている。
ただパッケージサイズが異様にデカいことが「嵩張る」という理由でお土産に選ばれない理由と直結しており、手に取るかどうか悩ましいいところだ。
わかさいもは山親爺と並んで北海道最古のお土産菓子のグループに位置しているが、ノスタルジー枠で喜ばれるかどうかいまいち自信が持てない。
ただ、新千歳空港のわかさいも本舗では餡子入りのソフトクリームなどを提供しており、店舗は立ち寄る価値がある。
じゃがポックルはメジャー枠という認識、うまさが確定的になったあまり、追随商品も現れて、食味の驚きが薄れてしまった。うまいんだけどね。
よいとまけは小分け商品があるものの、職場でのばらまきなどだとあの食べづらさがどうなのか気になるところ。
他にThe Sun 蔵人 蔵生というフニャッとした食感の生サブレがあり、これも遠征勢などに人気。実際食べてみて「うん、これは美味い。ソフトクッキー好きというのは一定数いる」となったが、不勉強で個人的な馴染みがなかったので選外となった。
あとは、軽食枠で、もし北海道に来るときにair doを使うことがあれば、機内食としてオニオンスープを提供するという独自性のあるサービスがあるので、こちらもおすすめ。
最後に、久しぶりにホテルでHTBを見たら、大泉洋と安田顕、TEAM NACSがいまだに夜中のローカルバラエティに律儀に出ていてびっくりした。
以上となります。
Masanovski
とうとう無茶苦茶な言いがかりでオタクから表現の自由を奪う集団に成り下がったか
女BLオタクへの攻撃は彼らの動機が女性への憎悪と犯罪被害者への憎悪でしかないことの証明 増田
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241123220158
表現の自由に多少なり関心持っている人ならみんな知ってることだと思うけど
「表現規制に血道を上げるフェミニスト」かつ「BL愛好者」っていうのが無視できないボリュームで居るんだよね。
「BL本の方がよっぽど書店でゾーニングされてないじゃん!」というツッコミも散々されてるし
そもそも「表現が児童に悪影響だけどエグい濡れ場のあるBLはOKってどういう論理だよ…」と困惑されて
これに関しては表自の間で
「同じようにBL本が規制されるように動いてわからせよう、あいつらは殴られないとわからないんだよ」派(小山派)と
「表現の自由を唱えて規制に与することは義に反する」派(青識派)と
激しい対立になったりもしてる。
はてなでもBL無罪系表現規制フェミニストについては何度も話題になってた気がするし
増田ですら関連エントリがある。https://anond.hatelabo.jp/20210729143953(まだ沢山あった気がする)
もしくは全部わかっててとぼけてこういうこと書いてるか、
どっちかだと思う。
(いつも思うけど暇空に関することをここに報告する増田は
アマゾンのアダルト小説のトップランキングを独占するようになってるから
「AKIRAの中身がない」と感じる理由についてもう少し考えてみよう
この肩透かし感はすごい
だが鉄雄と金田の物語としては普通に成り立っているし中身がないとはとても言えない
強いて言えば金田側の物語が足りない。これは漫画版も同じである。
金田にはなんの葛藤も成長もない。物語の主人公としては感情移入しにくい存在である。
それを持って中身がない、と感じることはあり得る。
金田のキャラクターを説明するには自分で言っている通り「健康優良不良少年」という言葉に尽きる。
この特異なキャラクター設定、不良のリーダーなのにお坊ちゃんヘアという奇妙なキャラクター造形
ができた時点で作者は満足し、それ以上金田を掘り下げるつもりがなかったのだろう。
漫画版の序盤で金田の幽霊みたいなものが突然現れる伏線らしき描写があるが、
この伏線回収が全くドラマに関わってこないことは大友がドラマを語る気が当初から全くなかった
なんか使えそうな伏線を配置しといたけど上手く活かせなかった、というだけの気もする。
だとするとやはり大きな物語を作る能力がそもそもないということになる。
しかしながら、漫画版はAKIRAが登場して東京をもう一度吹っ飛ばすシーンが白眉だ。
ボリューム0にしなきゃ...