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はてなキーワード: 聖母とは

2024-12-23

今夜もしあわせなオナニーをした

けがれなき聖母のしあわせ会

おやすみなさいみんな

2024-10-28

⬛︎

鬱で自称HSP友達との付き合い方難しくない?

何でも否定されるのも毎回私から謝るのも疲れる

聖母じゃないんだが

2024-10-02

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

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一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

2024-09-20

anond:20240919122024

なんか任天堂ママみたいに思ってる人いるな。

聖母じゃねーのよ!」ってキレてるみたいな

2024-09-05

主にアビドス三章とプロジェクトKVについて

色々と情報錯綜しているプロジェクトKV関連について、内情に関する不確定な情報に関しては正直何とも言えない。

ただ一連の話の中でクリエイターは良い物さえ作ってくれれば構わない、という意見を見ることがある。これに関しては問題の内容にもよると思うのだが、出された物で評価するのであればライターの方が最後に携わった対策委員会編三章に関しても作った物であるし、アニメテキスト差し替えがあったイベント等への影響等も同様に評価するべきではないか

 

まず、対策委員会編三章に関して

ストーリーの根幹部分は本当に良かったとは思う。クジラのように息を止めていた=本音吐露できないでいたホシノ(アニメ水族館回のシロコとの会話より)が先輩に弱音を吐いた上でこれからも進んでいく覚悟をしたし、シロコ*テラーやプラナは自分たちが元いた世界では守れなかった人たちを守ることができた。最終編の続編的なストーリーとしては本当によかったと思う。

 

ただ、気になる箇所がいくつかある。これが単に尺や締切の問題ならまあ仕方ないとは思う(明らかに話数が多く、可能な限り設定にケリをつけようとしたことは分かるので)。ただ退社と新プロジェクト立ち上げの一連の流れを見ていると、その描写に関して何か含みがあるような気がしてしまう。

 

私募ファンド、ネフティスの執事さん、プレジデント対立のくだり

この辺りに関しては敵対者コロコロ変わるし執事は心変わりしたかと思うと反省してフェードアウトするし、プレジデント大人のやり方というわりに子供の癇癪めいた方法で話を反故にする。

この辺りは直近のイベント等でちゃん説明すれば協力してくれるアクアパークのオーナー反省してサオリを気遣ってくれるようになるDJ等が出てきていたのもあって、アビドス関係だけこうなの?となってしまう(エデン条約編三章〜四章のトリニティモブトラブル担当にされていたので、モブNPC性格が悪いのはライターの手癖なのかもしれないが)し、エピローグにも居たこともありコレがアビドスの生徒にとっての今後の隣人かぁ…と思うとなんとも言えない。

アニメや最終編でノノミ描写から実家問題の掘り下げを期待していたので肩透かしを喰らったのが正直なところだ。シナリオ単体だとそのくらいなのだが、退社の件と合わせて考えるとプレジデントとのやり取りは退社のきっかけとなる社内でのトラブルが元になっているのではないか…?という疑念が湧いてしまう。もちろんそんな明言はされていないし、退社の経緯に関しては知る由もないのだが。

 

シロコ*テラーがみんなの武器を捨てるシーンに関して

スチルを見た時の第一印象は捨て方が雑すぎないか…?というところで、ホシノがユメと言葉を交わして前に進む=きちんとお別れをする、大切な人を弔うというのがこの章の話であるなら、尚更砂漠に打ち捨てるのではなく、綺麗に埋めるとか溶かして別の武器にするとか、やりようはあったと思う。

果たして乱雑に打ち捨てる必要性があったのか、古巣を離れることに対する表現だとすると切り捨てられた感があるし、お話のコアになるキャラクター大事なシーンに変な文脈が乗ってくるのは正直かなり嫌な気持ちになる。

 

地下生活者に関して

今回の章での先生結論は、本当にざっくりした纏め方をすると大人として自分が今やれることをやる、というものだった。それに敵対する存在が、子供のように癇癪を起こし、無敵の空間から一方的に何の責任も負わず干渉し、チートめいた現実干渉本来あり得ない現象を起こすというのは対比がバッチリと決まっていたと思う。

だがその上で、どこまでが地下生活者仕業で、どこまでがそれぞれのキャラクターの動きなのかがハッキリ説明されておらず、よく分からない。先述の私募ファンド執事プレジデントに関して、心変わりが早すぎるのもあり、この辺りは操作されていたんじゃないか?と予想することはできる。朝霧スオウの挙動も、プレジデントを裏切って以降はホシノの強さ(キヴォトス最高の神秘としての、ゲマトリア視点のホシノの解釈しか見ていない様子で、地下生活者台詞呼応して動いているので何かしら干渉されているのは間違いない。ホシノへの精神干渉がどの程度なのかは分からない。テラー化直前かもしれないし、三章の合間に頻繁にホシノの回想が挿入されるのはこの時点で干渉を受けていて夢と現実認識曖昧になっていたのかもしれない。

しかし実際どこからどこまでがキャラクター本人の挙動なのかは明言されない。自己顕示欲の塊ゆえに全部説明してくれたベアトリーチェや暗躍しているシーンをキッチリ映している申谷カイなど、方向性の違う黒幕でもどこからどこまでが黒幕仕業でどこが本人の問題なのかはわかりやすかったのだが、単純に説明不足だ。

先生の爆破というファンコミュニティではさんざんアロナバリア無効化されてきた手段意気揚々と繰り出してきたり(よりにもよってそこで一旦シナリオ更新ストップするし)、先生の指揮の人数制限問題に関しても制約解除決戦以前からストーリー戦闘内で操作不可の味方が援護してくれる演出なんかもあったわけで、先生が打倒するにあたってのカタルシスが異様に弱かったように思う。対比構造とかモチーフにこだわるあまり動かし方が稚拙ではないだろうか。

メタ的な攻めをするわりに解釈が雑ですぐ癇癪を起こす大人なのに子供みたいなキャラクター、というとファンコミュニティでたまに見かける過激ユーザー揶揄しているようにも思える。先生への攻撃に関してもファンコミュニティでたまに発生する死ネタ・負傷ネタ風刺であるがゆえこういう手段になったのかもしれない。二次創作へのお気持ちで作られたキャラ造形、と言ってしまうのはさすがに邪推が過ぎるだろうが、ゲマトリアというメタ的な属性を与えられている立ち位置を考えればプレイヤー元ネタになるのも自然な話だし、それ自体別に良いと思う。しかユーザーの層を考えると、ある種の「チー牛」的な属性キャラを繰り出すのは不用意すぎるし、最後に関わったシナリオでそのキャラを地下へと追い返して退社というのはちょっと危険メッセージ性が生まれてこないだろうか。

ただ問題キャラクター設定よりもむしろシナリオ上での動かし方で、地下生活者が三章においてもたらしたもの説明不足なゴチャついた展開と列車砲やセトなどの扱いに困って途中で流れでサクッと処理した設定ばかりで、ホシノやシロコ*テラーの苦悩と決断など、三章の良かった部分とは関りが薄い。シロコ*テラーとプラナとは元の世界悲劇に関して因縁があるわけだし、アビドスの問題を一段落させたうえでプレナパテスの関係者メインできちんと対決するお話を用意してあげてもよかったのではないか

表現したいことがあるならそれでいいと思う。けれど実際何がしたかたかそもそもどこまでやらかしてるのかが分かりにくいし、ユーザーへの不快感の表明だけが文脈としてハッキリしてしまうのだとしたら、ちょっとさすがにどうなんだという感じだ。

 

朝霧スオウに関して

よくわからないといえば朝霧スオウだ。エピローグでの出番を見る限り確実に何か彼女彼女で設定がある筈なのだが、ホシノの台詞の通り本当に何だったのかよくわからないまま終わってしまった。最初対立関係にあると言われてたノゾミとヒカリ対策委員会との交渉時には遠ざけようとしていたり、ノノミ誘拐時には思うところがありそうだったり、なんやかんやノゾミとヒカリが助けているあたりホシノへの執着だけのキャラではないのは確かだろう。

ただ結局地下生活者がどこからどこまで操っていたのかわからないので、対策委員会編三章の動向だけでは本当によく分からないとしか言いようがない。雷帝関連が今後掘り下げられることもあり、シェマタ建造ぐらいの時期の話に関わってくるのかもしれないが……。

ただまあ思い返せばエデン条約編三章でも先の話を知らないとアツコを傷つけられて激怒するサオリのシーンなどはどの口で言っているんだ、と捉えられても仕方のない描写だったりするし、先のシナリオで裏事情を明かすキャラに関して事前には特にフォローが無い描き方をしているだけなのかもしれない。

 

セトに関して

ホシノのテラー化のついでに副産物のような形で出てきて、ホシノが復帰した後は何故か地下生活者切り札のような扱いになって、なんか凄いらしいけどそのまま倒されたのでよくわからなかった。

セトに関しては戦闘フィールド名前元ネタから明らかにアビドスに関係するボスとしてデザインされているし、新規コンテンツとして無からまれボスではなく三章実装にあたってデザインされたボスだろう。

それが新規コンテンツボスとしてはあまり歓迎された仕様ではなく、シナリオ的にもホシノの復活ついでに処理されているのは単に要素が渋滞したせいなのか、それともわざとなのだろうか。どちらにしろ無茶振り的な実装で調整不足なボスだと思う。

 

ホシノとヒナの対決に関して

スチルもアニメーションも潤沢な頂上決戦……の割には直前でホシノがシロコに一度競り負けているし、決着としても列車破壊による無効試合なので、演出は凄いのに脚本上の盛り上がりからは妙にズラされている。

ホシノの話に終始すると暗くなってしまうので派手なバトルでバランスを取ろうとしたのかもしれないが、心情的にそれどころではないタイミングで熱いバトルをされても集中できないというのが正直なところだし、その本人を巻き込んでるとなると尚更だ。

ヒナに関してはホシノのテラー化直前の台詞回しに関して、事実に即した言葉淡々提示して諭そうとしている。これは単にシナリオ上の都合の台詞ではなく、水着衣装のボイス等から推定するとヒナというキャラクターが確かな事実を礎にして動いており、不確定なものが苦手であるがゆえ、こういう台詞回しになっているわけだ。

事実真実に関する話はクライマックスでも再度言及されるわけだが、今回の章を経てホシノが辿り着いたのが真実であり、ヒナ重要視しているのは事実である。おそらくはこの対比関係を前提にした上でホシノとヒナをぶつけたかったのだろうが、戦闘時のホシノは絶賛迷走中で、ヒナゲヘナ編のシナリオがまだ来ていないので、関係煮詰まってないけどスケジュール的に不可能なのでとりあえずノルマでバトらせたようなバトルだ。正直なところ現状の描写だけではアニメで謎に往年のライバルキャラみたいな扱いをされていたシロコとアルと大差無い関係性だと思う。

頑張っていることを認めてくれると嬉しい、人助けが生きがい、確固たるものが心の拠り所……という、今は先生が適切な距離感で接しているので安定しているものの、ヒナ精神性はもともとコミュニケーション不安を覚えやすい子のそれだ。そういう部分でヒナの人柄を見て仲良くしてるキラキラ部の二人やまあ……偏愛を向けてるアコちゃんあたりの、頑張りとかが関係ない人間関係大事になってくる気がするのだが、その辺りは来たるゲヘナ編に期待したい。

 

後輩の成長に関して

ホシノを止めるために雨雲号を持ち出したり生徒会長立候補したりと、アヤネの凄さを感じさせるシーンが幾つかあったわりに、普通にそのまま撃退されたりプレジデントには発言無効にされたり結局会長職は返上したりとなんというか不憫描写が多かったように思う。

セリカに関してはあまりにも派手でスケールの大きいシナリオと相性が悪かったように思う。アニオリの水族館回でのノノミへのフォローなど、日常パートだといい立ち回りができるだけにもう少しなんとかしてあげてほしい。

今回の章で後輩メンバーたちがしっかり成長してしまうと、ホシノの未練が無くなってしまうので後輩の力で助ける・問題解決するというストーリーにしにくかったのだろうという推測はできる。だが見せ場を作った上でそれに水を差す形で否定する、という見せ方をする必要はあったのだろうか?

 

ユメに関して

ホシノの物語登場人物としては特に文句は無いのだが、プレイヤー視点としては先生として世界観測するゲームで、生徒には無限可能性があると示したのと同じ口でどうすることもできないと言うのは果たしてどうなのか。

全てを許してくれる聖母のような立ち位置先生として庇護すべき生徒を配置した上で、先生には責任がないと許してもらう(しか先生と会話したユメは本編の状況を何も知らず、先生とホシノと三人でアビドスにいるパラレル存在だ)のは些かグロテスクな構図に思える。ヒナの件も後出し列車砲の件で招集した、という描写で「先生は地下生活者と違って自分の生徒同士を将棋の駒みたくぶつけるようなことはしませんよ」と説明してるわけだが、そこを説明するより地下生活者干渉範囲ネタばらしとかもっと描写するところがあったんじゃないかと思う。

どうも三章は生徒に対する先生よりも「シャーレの先生」という立ち位置世界の命運を左右する存在としての在り方に寄った描写が多く感じた。描きたいお話と相性が悪かったんだろうか。でもまあ確かに最終編でアリスが命を賭けるシーンとかもプレイヤーとしては分かった上で生徒を送り出してるわけだし、セカイ系先生概念が相性悪いという話なのかもしれない。

ユメの死因に関してはそんなに明確に言及する必要があるか? と思うのだが、動いてないのに暑いよのミームへのカウンターとして描写したという説がどうもあるらしい。眉唾な話ではあるが仮にそういう意図だとすると三章完結後の現在、露悪要素のない二次創作に対して面白がってユメの死因をネタにしたコメントを書き込んで不謹慎大喜利をする風潮がミームの代わりに蔓延っているのだが、果たしてこれが望んだ光景だったのだろうか。結局ネタバレや不謹慎な内容を避ける流れでホシノサクサク代替としてバズったりしていたし、ミームは変わらず蔓延り、残ったのは悪ノリキャラを愚弄して面白がる空気感だけ。

しかギャグパートシリアスパートで同じ台詞がぜんぜん違う文脈になる、というのはブルーアーカイブお家芸なので何かしらの目的でわざとやってるのはそうなのかなぁとは思う。

ミームの件も合わせて考えると自分シナリオ以外で動かされるのが嫌だったから完全に死人として扱ってるんじゃないかと思わないでもない。そういう都合でキャラクターの結末が歪められたとしたら、三章の根幹部分のお話の受け取り方も変わってくる。

 

対策委員会編二章とエデン条約編の焼き増しではないか

対策委員会編に関しては正直初期のストーリーということもあるし、ホシノをメインに据えた話をするにあたってストーリーラインが似通ってしまうのは仕方ないのかもしれない。そこはおそらく三章の問題ではなく一章二章の方が未来でやる話と被ってしまった、というのが正しいのだろう。

ただ、先生の負傷による一時的退場でその間に加速する情勢、精神的に不安定な強い生徒が暴れてるけどそれとは別に対処しなきゃいけない問題がある、という構図はエデン条約編三章と四章そのままの構造だ。対策委員会編だけならまあホシノの問題は二章では何も解決していないから…と言えるのだが、これに関しては単に話のレパートリーが少ないだけではないだろうか。

本筋以外の部分はスケールが大きいが列車砲+スオウやカイザー軍勢は裏で片付けられているのもあり、ワンパターンを外そうとして派手な設定を入れ、結局扱い切れずに諦めた感もある。頻繁に挿入されてるスチルもこの後負けて即落ちするんだよな…とかカッコつけてるけど後輩の静止振り切って突っ走ってるだけなんだよな…と、シナリオを合わせて見ると微妙感想になるものが多く、手間と内容が釣り合っていない。

 

最近イベント

細部が気になるのは退社とプロジェクトの件だけが原因ではない。直近のイベントストーリーでは出来ている部分が出来ていないからだ。

ーve Alive!ではアイリ意図勘違いしながらもがむしゃらに手を伸ばすメンバーの姿が見られたが、このイベントでのアイリがいなければスイーツ部が存続する意味がない、という言葉こそ対策委員会編三章でユメの意思を継ぎアビドスの為に自分犠牲にしようとしていたホシノに対して、目的否定より何より先に掛ける言葉であったのではないか

say-bing!ではコノカ副局長の立ち回りがブルーアーカイブの根幹となるコミュニケーションであったように思う。カンナにとって大事ものを本人の意図関係なく尊重し、しかアクアパークから帰ってきたカンナが楽しそうだった理由はよく分かっていない、というのは他人はどこまでいっても他人である、だけどそれでも、という古則への回答そのものだ。

seaside outsideでは、人殺し教育しか受けてこなかったような生徒に居場所はあるのかという問いに対してアリウススクワッドのメンバーがそれぞれのやり方で他人と関わる様が見られ、彼女たちにも居場所はあるのだということが示唆されていた。栗浜アケミとそれを慕うスケバンが出てきたのが象徴的で、道を外れた生徒でも受け入れてくれる人がいるというお話を立体的に表現していたように思う。

月下夢騒に関しては続きがある以上結論は出せないし、実質的卒業済みの生徒=大人であるカイの処遇に関しては大きな不安が残る。しかし、黒幕であるカイが何を仕組んでいるかは明白であり、カグヤの暴走もキサキ門主就任仕事が手順を無視してのカイの追放だという部分を加味すると山海経の生徒がキサキ Permalink | 記事への反応(1) | 19:52

2024-08-24

ウクライナ人Alex Kさんの思い出と、キリスト教の話

ゼロ年代インターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語ウィキペディアで、ウクライナに関する有益記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。

しかし、Alex Kさんウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナ歴史上の人物や、都市や、教会についての記事執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事修正しようとした。それが問題のはじまりだった。

話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由キリスト教布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自日本語聖書を作った。正教会宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめし文体日本語聖書を作った。カトリックプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。

正教会カトリック
主教司教
顕栄変容
生神女聖母
至聖三者三位一体
イイスス・ハリストスイエス・キリスト

これがいいかいかは、その人の価値観によるだろう。他の教会共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利日本人の正教徒しかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。

このようにキリスト教各派が使っている用語バラバラなので、日本語ウィキペディアでは、「各派の独自用語尊重する」というデファクトスタンダード確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自呼称である教皇」が採用された。カトリック教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。

ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。

  1. 日本語ウィキペディアでは、各派の用語尊重することになっている。正教会事物は、日本語ウィキペディアでは日本正教会用語に従って書かれるべきだ。
  2. 日本正教会があえて違う訳語を使っているのではない。歴史的経緯から各派がバラバラ訳語を使っているだけである日本正教会用語だけ特殊扱いするのはおかしい。
  3. キリスト教徒は日本において人口の1%程度しかいない。したがってキリスト教用語の多くは国語辞典に載っていないかキリスト教用語としての意味が書かれていないので、国語辞典基準にしてしまうとウィキペディアにおけるキリスト教関係記事の多くが成り立たない。実際に、Alex Kさんが参照している国語辞典の「変容」の項には「キリストの変容」という意味は書かれていない。国語辞典基準にするなら、まずAlex Kさんが推す「変容」からしてアウトではないか
  4. 仮に「一般通用しているか」を判断基準にするなら、ウクライナ固有名詞の多くはロシア語読みで書くべきということになるはずだ。Alex Kさんウクライナに関しては慣用表記ではなく当事者呼び方を優先すべきだと主張するのに、日本正教会に関しては当事者呼び方ではなく慣用表記を使うべきだというのはおかしい。
  5. Alex Kさんが振り回す辞典の「顕栄」の項には、「立身出世」のほかに「名があらわれ、身のさかえること」という語義も書かれている。キリストの「名があらわれ、身がさかえる」というのは教義的におかし表現とはいえないだろう。そもそも顕栄は漢語であり、「えある姿をす」と解釈できる言葉だ。Alex Kさん漢文を読めないのか?

このような反論Alex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ投票に参加しなかったにもかかわらず勝手記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさん日本語ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。

Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会ロシア正教会の一部なのである

それの何が問題なのだろうか。日本カトリック教会は、全世界信徒を統べるカトリック教会地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会ロシア正教会支部であって何か問題があるのか? カトリック正教会組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界組織ピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだコンスタンティノポリスの全地総主教あくまで同輩中の首席にすぎない)。

正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会ブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自組織存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的日本人信徒神品聖職者)で決めているが、教会トップモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会ロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジア独立教会がない。中国正教会ロシア正教会の傘下だし、韓国香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。

まりウクライナ民族主義であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会尊重せよ」というのは、「ロシア正教会尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会カトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリック差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたこからウクライナ民族主義の核になっている)。

しかAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会日本人によって運営されている教会、という点である。確かに教会設立ロシア人によるものだし、ある時期まではトップロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒自分たち教会組織運営するようになり、ここ半世紀は教会トップ日本人が務めている。しかも、日露戦争ロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話であるロシア正教会が気に食わないというウクライナ人気持ち理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。

ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人あいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロコロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会用語法を意図的無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会管轄である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイート公然としている。まあ、こういうツイートウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教精神双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。

そもそもウクライナ正教会日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒基本的日本正教会聖堂に通うべきだからだ。とはいえ移民移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワ許可必要なんだ?」と嘯いたそうだ)

さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教日本正教会自治権を認めておらず、韓国派遣したギリシャ人神品日本正教会トップに任命しているのだ。彼は韓国正教会トップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情理解できる。だがそこでも、日本正教会日本人運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人日本正教会トップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?

ロシアウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンプーチン盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人特にウクライナ正教会関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。

ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。

На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].

この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナル記述である

Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».

Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法モスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<

2024-06-29

anond:20240628160129

女にも性欲はあるけど、いついかなるときでも性欲オンってわけじゃないし、現実問題として世の男の過半数対象外でしょ。誰でもOKって聖母みたいな人はそんないない。

女の性欲って「スタバで新作出てるから飲みたい」「疲れたからなんか甘いものがほしい」みたいな感じかもしれない。常に渇望してるわけじゃない。好みじゃない味の缶コーヒー出されても飲みたくないし、飲みたくもないものをわざわざ飲んで太りたくない。

一方、男の性欲は「むちゃくちゃのどが渇いててなんか飲みたい」みたいな感じなのかなと思う。個人差はあるだろうけど。

世間には「男はムラムラ来るから性犯罪を許容しろ」とか言う意見も多く、そういう意見の人から見ると性犯罪は飢えた子供パン万引きするような同情に足りる犯罪なんだろう。そのへんは男と女でわかりあえない。

女にありがちな「性欲はあるけど相手は選ぶ」「いつでもどこでもやりたいわけではない」「エロ表現は好きだけどフィクションから興奮するのであり自分がやるのは嫌」ってスタンスは男にはなかなか理解されづらい。

エロ動画サイト女性人気ジャンル痴漢という記事を見て「本当は女さんも痴漢されたがってるんじゃん、イケメンになら痴漢されてもいいんでしょ」とか言うヤツが普通に湧く世の中だし。

実際、食欲に置き換えたら「お腹空いた」っていいながら食べ物は選り好みして嫌いなおかずは捨ててるのと一緒だし、ギルティだと思われても仕方ないのかもしれない。

そりゃ、女だって、好ましい男性チヤホヤされるのは楽しいことだと思う。

でもさ、実際に女が性的オープンスタンスを取れば取るほど、ターゲット外のキモいクズがグイグイやってくるし、それを避けると恨まれて加害のきっかけになるって現実あるじゃん

男の性欲がある程度無差別ものであるとするなら、選り好みがある性欲って一種差別って取られるから差別者として攻撃を受けるリスクは常にあるんだよ。

サークルクラッシュ現象クラッシュされた男のほうが被害者意識を持って語ることが多いけど、サークルクラッシャーだと言われる女はそうやって加害者として非難されて恨みに思われるわけだから良い体験とは言えない

なので、増田おっさん説あるけど、もしかしたら高校生大学生、それも中学時代モテずに高大デビューした子かなと思った。まだ夏休みにもなってないから今が一番楽しいときだよね。

昔、これぐらいの時期にビアガーデンサークル合同飲み会をしたときに、ミニスカートパンツ丸見えで座ってた目つきのおかし女の子がいたのを思い出したけど、そういうタイプだと思ったら合点がいった。

短いスカートなんて履いたことないから、足をとじて座るとか所作がわからないんだろうね。

ASD傾向あって女子コミュニティに馴染めなかったメンヘラビッチってそういう感じ。

ちょっと前にも、セックスボランティアやりますっていってどうしても無理な男を断ったら晒し者になった女の子いたよね。

女が「私性欲ありまーす」「ミサンドリーフェミとちがって男の性欲に理解ありまーす」って公に主張することって、本当に何のメリットもない。(本当に誰とでもセックスできる人以外は。たまにそういう逸材はいる)

「性欲はないんだけど、不思議あなたとだけはセックスしたい」っていうほうが男からもありがたがられてお得という現実がある以上、処世術的にそういうスタンス取ってる女が多い。

そういう一般的女性サービストークと、ガチミサンドリー本音が両方「女には性欲ない」って同じ意見になってしまってるから、いろいろややこしい。

2024-06-20

聖母みたいな虫も殺したこと無いような善人

悪いことのリミッターが無いからすんごいエグかったりするのよね。女子イジメとかそうじゃん

2024-06-12

anond:20240611121613

多分、この母親擁護する人達根底にあるのは

母親子供を殺すにはよっぽどの理由があるに違いない」という思考なんだと思うんだけど。

それって要は形を変えた母性信仰聖母信仰だと思うんだよね

普段母親母性押し付けるなとか言ってる人達は、そういう思考無頓着

世の中には大した理由もなく子供を殺す母親だっているって認めた方がいい

2024-06-05

今の非モテ論争、あれ見てて一番やべえなと思うのが、他人への関心の薄さなんだよなあ

すごい矛盾したこと言ってるように感じると思うんだけど、あの元増田みたいな人って他人に興味がないよね

自分の足りないものを補うために彼女が欲しいだけで、その子自分が受け入れよう、受け止めようって気持ちはないよね、自分を受け入れてほしい、受け止めてほしいばっかでさ

きな子ができたって言ってもちょっと理想と外れてたり嫌なとこ見たり冷たくされただけで「やっぱり違った」「傷つけられた」ってすぐ完結するじゃん

「この子こんな一面もあるんだなあ」とか「なんでこんなことするんだろう?」とか「相手自分のどっちが悪かったんだろう?」とか、自分にも原因があったりしないか本当に相手性格が悪かったのか単純に状況が悪かったのか、そういうこと考えずにサーッと引いていくじゃん

相手を見極めたいとか、本当はどういう人間なんだろうって深掘りするほどの興味はないんだよね

現実世界理想どおりの相手なんているほうが奇跡だし、アニメキャラクターみたいにたかが13回見たくらいで理解できるような薄っぺら人間はいないのに、ほんのちょっとのズレで「わかった、さようなら」って尻尾巻いて逃げてくんだよ

なにもわかってねえよ、なんなら十年二十年一緒にいたって「こんな奴だったのか」って思うこともあるのが人間面白さだろ

それに興味が持てないなら最初から現実の女に行くなよ、だれも強制してねえよ

 

で、こういうこと言うとだいたい過去トラウマを持ち出してくるじゃん

過去人間関係で辛い経験をした、だから心に傷があって他人と接するのが怖い、でも彼女は欲しい」っつってな

うん可哀想だね、自分大事にしてね、でもおまえを大事にするのはおまえ自身であって今現在まったく赤の他人女の子じゃねえんだよ、って話なんだよな

過去におまえを傷つけた誰かの責任を別の誰かに取らせようとするんじゃねえよ

過去の誰かと今の誰かの区別がついてねえんだよ、勝手自分の中にあるいくつかの人物像当てはめて自分の中でお人形遊びしてるだけだろ、それが「人間扱いしてない」って言われてんだよ

おまえに冷たくしたその子は実は過去にひどいいじめを受けて心は傷だらけでそれをおまえが知らないうちに抉ったのかもしれないじゃん

嫌な態度取ってたその子は今家族問題を抱えてて心の余裕がなかったのかもしれないじゃん

そういう「相手には相手事情があるかもしれない」ってことを考えずに「可哀想自分を受け入れてくれないなんて」って傷つくの、すごいお門違いの我儘だろ

女の子聖母じゃねえんだよ、ただの人間なの

おまえが心の傷を持ち出すなら、相手だって心の傷を持ち出す権利があるんだよ

自分けが傷ついてると思うなよ、むしろ心の傷なんてない人間のほうがレアだよ、みんな必死こいて自分で埋めてんだよ

でもこういうこと言うと、でも自分ものすごく傷ついてるからって特別扱い要求するんだよな、おまえの傷の深さなんか知らねえよ、おまえだって他人の傷の深さなんかわかんねえだろ

それでもおまえが傷ついた自分を受け入れてくれって言うなら、おまえは傷ついた相手を受け入れる義務があるんだよ、必死こいて相手の傷を埋めてあげなきゃいけないんだよ

それができないと思うならまだ早いんだよ、行くんじゃねえよ、だれも強制してねえよ

それでも行きたいなら心の傷くらい受け入れる度胸を持てよ、怖いとか言ってる場合じゃねえんだよ

だいたい、なんの過失もない相手を怖がるってものすごい失礼なんだよ、夜道やエレベーター勝手痴漢疑惑かけられて怖がられる善良な男のことを考えたらわかるだろ

そんで、男だってだって失礼な奴は嫌いなんだよ、「なんで勝手に怖がられて怯えられなきゃいけないんだよ、自分が何かした?」って思って当然だろ、わけもわから自分に怯えてる人間好意なんて持てないんだよ

からおまえは煙たがられるんだよってこと

 

ぬいペニ論争からペニスの出し方の話が出てきてたじゃん、あれ正しいし、頑張れる人はあれで頑張ればいいと思うんだよ

なんだけど、すごい絶望的だなとも思ったんだよな、だって拗らせた奴はあれができないわけじゃん、ていうかあれができる関係性すら築けないわけじゃん

それがなんで築けないのかっていうのはもう彼女云々じゃなくて人間関係構築の問題じゃん、彼女が欲しいとか言ってる場合じゃないんだよ、問題もっと深刻なんだよ、もっと別のとこで危機感持てよ

の子に興味があって好きになって彼女になってほしいじゃなくて、彼女が欲しくて周囲から見繕ってこの子が好きかもってなるのはもうなにもかも違うんだってことがわかってないわけじゃん

まずはさあ、自分が欲しいのは本当に生きてる人間彼女かってことを冷静に考えたほうがいいと思うんだ

彼女なんか作るほど、自分他人に興味があるのかっていうことな

うん、長々書いたけどまあこれ、過去自分に言ってんだけどね

2024-05-07

永井豪フェミニズム

永井豪漫画家としての功績とフェミニズムについて言うならば、それは「少年漫画における少女像の変遷」について語る必要があります

少年漫画には歴然エロ枠があり、その中からも常に漫画史に名を残すべき作品が生まれてきたことは間違いありません。日活ロマンポルノが多くの映画人を輩出してきたのと同様に、少年漫画エロからも多くの才能が巣立っていきました。しかし、その枠内で当時の漫画関係者のもっていた女性自体の変革を試み、実際に成功した人と言えば、それはやはり数少ないと思います永井豪は、間違いなくそのうちの一人です。

永井は、1970年前後少年4誌で同時連載を実現したほどの売れっ子漫画家でしたが、彼の出世作が「ハレンチ学園」(ジャンプ,1968~)であることは間違いないでしょう。この作品で彼は「柳生十兵衛」という少女ヒロインに設定しました。十兵衛は、侍ガール(!)であり、そして、男のエロ攻撃に対して敢然と戦うヒロインです。もちろん、エロ枠ですからいろいろな目に遭うわけですが、それでも永井の中にある「凛々しく強い女性」への憧憬が原型として誕生したわけです。続く少年チャンピオンでの連載で彼は、それまで少年漫画では御法度とされていた「少女主人公」で連載をやりたいと編集部に訴えます。が、却下されました。そこで彼は「では悪党一家主人公ということで」と言い抜けて、実際は一家の長女を主人公として連載をしました。それが「あばしり一家」(1969~)です。菊之助は、強くて悪くてセクシーで、そして底抜けに明るい戦う少女です。以後、彼の代表作の数々において、このような女性たちが大活躍することになります。(「デビルマン」のヒロイン「美樹」は、登場当初から主人公を圧倒する気の強い少女として登場し、終盤では前に立って戦う……そして……姿まで見せます(それまで少年漫画あんな目に遭うヒロインがいたでしょうか?)。「キューティーハニー」はエロ枠でありながら、遂に堂々と少女主人公しかつヒットを飛ばしました。また、「デビルマン」の後に書かれた永井代表作といってよい「バイオレンスジャック」では、頼りない主人公(男)を守る「戦う女性たち」が凄絶な美しさをもつ存在として、そして、ジャック自身性別を超越した存在として描かれます。)

実際、一般的に言ってエロ枠における女性像というのは、1980年代以後の超有名作で言えば「まいっちんぐマチ子先生」にみられるように”セクハラを許容する都合の良い無力な聖母”みたいな所にありました。そういったもの比較すれば、永井作品いか先進的であったか理解できると思います

強く、カッコよく、セクシーな戦う女性たち、そして何よりも、主人公として活躍する少女今日少年漫画女性主人公、自立した強い少女、守られるのでなく前に立つ少女、戦う少女は少なくありません。彼女らはどこから来たのか。また、プリキュアなど「戦う少女像」がどこに源流をもつのか。もちろん全てがとは言いませんが、永井をはじめとする多くの表現者が、女性エロネタ扱いすることに飽き足らず(表現者良心として)挑戦を続けてきた結果であろうと思っています

私は、永井作品が、1970年から以後のガールズ・エンパワメントの一翼を担い、その後の同種の作品先鞭をつけたという点で、フェミニズム史に大きな貢献をした人物として評価してよいと思っています。まあ、彼自身は「単に女の子が好きで書いてただけですよ」というだけかもしれませんが、彼の仕事は大きな意義のある仕事でした。

そんな永井先生仕事の意義も当時の時代状況も理解せず、ただ単に身の回りの身内に受けのよさげなことを口走る自称フェミニスト」がいるとしたら、それは歴史についてもフェミニズムについても理解の精度が低く、底が浅い存在と言うしかないでしょう。残念なことです。増田書き込みが、ただの風聞に過ぎないことを祈ります

anond:20240506130556

2024-01-31

anond:20240130130430

沈黙が何故悪手なのかというと、沈黙してしまうと解釈100%相手に委ねることになるので、いくらでも曲解できてしまうからなのだ復讐聖母に書いてあったのだ。

2024-01-30

セクシー田中さんの作者は宗教的イコンになるだろう

原作厨聖母マリアとして、ドラマ映画で改変がなされた際に「また聖母悲劇を繰り返したいのか?」と製作陣を脅す武器になるだろう

契約が云々カンヌンという話も薄れ、ただ原作を改変することは悪であるという教典が広まるだろう

すでに「攻撃たかったわけじゃない」という言葉本心ではなくただ原作を改変されたことに心を病んだことが原因という解釈が広まっている

これから原作厨聖母マリアの遺志を継ぎ、原作改変者を攻撃して回るだろう

2024-01-13

ON STAGE オンステージ Z-PK30(S)

曲目

Google翻訳アプリを利用して画像から文字を取得したため、曲名歌手名が正しく表記されていない場合があります

愛燦燦 美空 ひばり

愛人 テレサ·テン

愛の終着駅 八代 亜紀

蒼い星くず 加山 雄三

青葉城恋唄 さとう 宗幸

アカシアの雨がやむとき 西田 佐知子

秋田おばこ 秋田民謡

アケミという名で十八で 千 昌夫

あざみの歌 伊藤 久男

あじさいの雨 渡 哲也

あずさ2号 狩人

あなた 315 小坂 明子

あなたと生きる 1252 石原 詢子

あなたならどうする 329 いしだ あゆみ

あなたにあげる 1253 西川 峰子

あなたブルース 208 矢吹

あなたへ 1254 香西 かおり

あの鐘を鳴らすのはあなた 286 和田 アキ子

あばれ太鼓~無法一代入り~1255 坂本 冬美

天城越え 16 石川 さゆり

雨 1256 三善 英史

酒場 313 香西 かおり

雨の西麻布 とんねるず

雨の慕情 八代 亜紀

雨の御堂筋 欧陽 菲菲

雨の連絡船 田川寿美 1257

嵐を呼ぶ男 石原裕次郎 1258

わずに愛して 内山田洋とクール・ファイブ 13

あんたの花道 天童よしみ 1259

192 山口百惠 いい日旅立ち

石原裕次郎 33 粋な別れ

22 小柳ルミ子 漁火恋唄

漁火の宿 1260 鏡五郎

346 北原ミレイ 石狩挽歌

396 一円玉の旅がらす 晴山 さおり

449 いちご白書をもう一度 バンバン

熊本県民謡 1552 五木の子守唄

射手座の女 敏いとうハッピー&amp;ブルー 232 愛しき日々 堀内孝雄 40

命くれない 瀬川瑛子 108

命の花 大月みやこ 383

さらジロー 1261 小柳ルミ子

祝い酒 坂本冬美 26

455 門脇 陸男 祝い船

うそ 110 中条きよし

ザ・ピーナッツ ウナ・セラ・ディ東京 355

裏町酒場 368 美空ひばり

越冬つばめ 216 森昌子

襟裳岬 429 森進一

演歌兄弟 北島三郎鳥羽一郎

演歌はいいね 1263 岩本公水

217 松原のぶえ 演歌みち

東京都民謡 1553年 お江戸日本橋

大阪しぐれ 都はるみ 72

角川博 大阪ものがたり 348

大阪ラプソディー 海原 千里·万里 27

奥飛騨慕情 111 竜鉄也

贈る言葉 海援隊 220

小樽運河 都はるみ 352

男侠(おとこぎ) 1264 坂本冬美

日時ミミ 男と女お話 1265

男と女の破片 100 前川清

松原のぶえ 461 男なら

493 杉良太郎 男の人生

位山太志郎 29 男の背中

村下孝蔵 23 踊り子

お久しぶり小柳ルミ子 30

おふくろさん 331 森進一

221 おまえとふたり 五木ひろし

日野美歌 332 想い出グラス

おもいで酒 小林幸子 195

想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ 199

想いで迷子 116 チョーヨンピル

父親(おやじ) 1266 北島三郎

お嫁においで 加山雄三

お嫁にゆけないわたし ジジサン 222

俺ら東京さ行ぐだ

鳥羽一郎 1267 おれの人生始発駅

原田悠里 1268 おんな坂

三笠優子 223 女の一生

さくらと一郎 1269 女のきずな

松原のぶえ 305 おんなの出船

宮 史郎とぴんからトリオ 309 女のみち

八代亜紀 117 おんな港町

鳥取県民謡 1554年 貝まつり

ジジサン 474 海峡

ガロ 454 学生街喫茶店

ペギー葉山 233 学生時代

堀内孝雄 136 影法師

鹿児島はら鹿児島民謡 1555

ちあきなおみ 31 喝采

悲しい色やね 34 上田正樹

1270 悲しみの恋世界 前川清

137 哀しみ本線日本海 森昌子

がまん坂 18 北島三郎

12 北島三郎

川の流れのように 美空ひばり 35

黄色シャツ 浜村 美智子 209

木曽路の女 原田悠里 87

木曽節 1556年 長野県民謡

北へ向かう夜想曲 118 多摩幸子

和田 弘とマヒナスターズ

北国の春 320 千昌夫

北酒場 193 細川たかし

北の旅人 石原裕次郎 20

北の漁場 41 北島三郎

1271 島倉千代子

君こそわが命 205 水原弘

君といつまでも 42 加山雄三

君は心の妻だから 119 鶴岡雅義&amp;東京ロマンチ

君は薔薇より美しい 1272 布施明

今日でお別れ 菅原洋一 314

京都の恋 196 渚 ゆう子

よしのズンドコ節 1273 氷川きよし

霧の摩周湖 布施明 120

銀色の道 321 ザ・ピーナッツ

空港 テレサ・テン 146

空港ラプソディー 1274 中村美律子

草津群馬県民謡 1557

くちなしの花 462 渡哲也

147 グッド・ナイト・ベイビー ザ・キングトーンズ

黒の舟唄 1275 加藤登紀子

1569年 軍艦行進曲 軍歌

圭子の夢は夜ひらく

369 藤圭子 恋あざみ

431 盛彩業 恋唄綴り 堀内孝雄

岸洋子 326 恋心

小林明子 148 恋におちて

323 ピンキーとキラーズ 恋の季節

奥村チヨ 353 恋の奴隷

45 ザ・ピーナッツ 恋のバカンス

ザ・ピーナッツ 479 恋のフーガ

石原裕次郎 457 恋の町札幌

中村雅俊 150 恋人も濡れる街角

46 五輪真弓 恋人

403 香西かおり 愛のボート

大月みやこ 432ものがたり

塚田 三喜夫 434 五月のバラ

富山県民謡 1558年キリコ

高山厳 152 心凍らせて

292 藤あや子 こころ

細川たかし 153 心のこり

343 森山良子 この広い野原いっぱい

ペドロ&amp;カプリシャス 154 五番街マリーへ

284 ロス・インディオス コモエスタ赤坂

ごめんねジロー 奥村チヨ 1276

伊東ゆかり 197 小指の思い出

1559年 香川県民謡 金毘羅舟々

1560年 宮城県民謡太郎祭り

市川由紀乃 1277 さいはて海峡

森若里子 嵯峨野の女 235

酒場にて 492 江利チエミ

酒と泪と男と女 285 河島英五

酒よ 36 ジジサン

さざんかの宿 大川栄策 88

さそり座の女 294 美川憲一

チコ ニック・ニューサー 481

佐渡おけさ 新潟県民謡 495

里がえり 嶋三喜夫 1278

サバ女王 グラシェラ・スサーナ 357

さよならだけの人生に 398 堀内孝雄

サライ 121 加山雄三/谷村新司

三都物語 谷村新司 306

四季の歌 芹洋子 382

布施明 シクラメンのかほり 37

435 河島英五

時代おくれ 311 伍代夏子 忍ぶ雨

田端義夫 483 十九の春

北島三郎 123 終着駅は始発駅

シャオリンシュウ 342 純子

鳥羽一郎 1279 昭和北前船

菅原洋一 201 知りたくないの

大橋 純子 155 シルエット・ロマンス

加藤登紀子 65 知床旅情

島倉千代子 194 人生いろいろ

五木ひろし 241 人生かくれんぼ

ジジサン 90 酔った歌

杉良太郎 47 すきま風

60 谷村新司 1 森田公一トップギャラン 若者 小林幸子 1280 雪泣夜(せつないよ) 小柳ルミ子 48 瀬戸の花嫁 森進一 1281 セビアの雨 ジローズ 7 「戦争を知らない子供たち 平和勝次とダークホース 360 宗右衛門町ブルース 北海道民1561年 ソーラン節 内山田洋とクール・ファイブ 2 そして、神戸 49 五木ひろし そして・・・めぐり逢い 布施明 50 そっとおやすみ にしきのあきら 187 空に太陽がある限り 増位山太志283 そんな女のひとりごと位山太志郎 157 「そんな夕子にほれました 上田正樹 301 たかこ 真木 柚布子 1282 黄昏ルンバ

加山雄三 1283 旅人

トワ・エ・モア 480 誰もいない海

三船和子 198 だんな様

石川さゆり 1284 暖流

パープル・シャドウ125 小さなスナック

五木ひろし 442 契り

五木ひろし 93 千曲川

津軽海峡・冬景色 39 石川さゆり

津軽恋女 282 新沼謙治

津軽じょんから1562年 青森県民謡

つぐない 458 テレサ・テン

津和野1285 島津悦子

デカンショ1563年 兵庫県民謡

敵は幾万 1570年 軍歌

天使の誘惑 138 黛ジュン

東京 やしきたかじん 77

東京砂漠 内山田洋とクール・ファイブ 129

どうにもとまらない 426 山本リンダ

都会の子守歌 山本譲二 1286

時には娼婦のように 130 黒沢年男

時の流れに身をまかせ テレサ・テン 63

年上の女 206 森進一

和田アキ子 160 どしゃぶりの雨のなかで

445 小林幸子まり

370 天童よしみ 道頓堀人情

五木ひろし 1287 長崎から船に乗って

内山田洋とクール・ファイブ 191 長崎今日も雨だった

内山田洋とクール・ファイブ 131 中の島ブルース

五木ひろし 66 長良川艶歌

神野美伽 1288 浪花の春

島津亜矢 1289 波

坂本九 392 涙くんさよなら ステージ

殿さまキングス 204 なみだの操

三好鉄生 132 涙をふいて

ペギー葉山 202 南国土佐を後にして

岩手県民謡 1564 南部の牛追い

1571 軍歌 日本海海戦

1572 軍歌 日本海

384 弘田三枝子 人形の家

角川博 1290 人情つれづれ

328 山本リンダ 狙いうち

133 北島三郎 年輪

山川豊 161 函館本線

平浩二 162 バスストッ

山形県民謡 1565 花笠踊り

163 島津たかから花へと

14 村田 英雄 花と竜

ザ・タイガース 164 花の首飾り

78 金田たつえ 花街の母

165 はしだのりひことクライマックス 花嫁

167 佳山 明生 氷の雨

伍代夏子 440 ひとり酒

火の国の女 350 坂本冬美

百万本のバラ 加藤登紀子 351

広瀬中佐 軍歌(文部省唱歌) 1573

釜山港へ帰れ 67 渥美次郎

二人でお酒を 308 梓みちよ

白市 459 八代亜紀

冬のリヴィエラ 460 森進一

ブランデーグラス 252 石原 裕次郎

ブルー・シャトウ 169 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

ブルーライト・ヨコハマ 189 いしだあゆみ

ベット煙草を吸わないで 141 沢たまき

ヘッドライト 1291 新沼謙治

望郷酒場 253 千昌夫

望郷じょんから 細川たかし 496

王翔旅カラス 1292 千昌夫

インパチェンス 74 島倉千代子

箱崎晋一郎 抱擁 142

星のフラメンコ 西郷輝彦 170

171 平尾昌晃 星はなんでも知っている

敏いとうハッピー&amp;ブルー 62

星降る街角 497 北海盆唄

北海道民謡 北帰行 365

シャオリンシュウ 島津たか 172

ホテル 386 チェン・ジュオエ

骨まで愛して 大泉逸郎 96 孫

尾崎紀世彦 173 また逢う日まで

美空ひばり 451 真赤な太陽

2391 松平健 マツケンサンバ

75 北島三郎 まつり

桂銀淑 176 真夜中のシャワー

山形県民謡 1566 真室川音頭

坂本九 83 見上げてごらん夜の星を

サーカス 259 ミスターサマータイム

伍代夏子 441 水なし川

渡哲也 51 みちづれ

山本譲二 52 みちのくひとり旅

軍歌 1574 道は六百八十里

中村美律子 1293 港町情話

シャオリンシュウ 419 昔の名前で出ています

香西かおり 260 静けさ

53 尾形大作 無錫旅行情報

東八郎 261 娘へのバラード

藤あや子 377 むらさき雨情

1294 中村美律子 めおと恋

都はるみ 70 夫婦

262 三笠 優子 夫婦

もしもピアノが弾けたなら 71 西田敏行

盛岡ブルース 1295 青江三奈

1567 群馬県民謡 八木

矢切の渡し 細川たかし 10

安来節 島根県民謡 1568年

やっぱすきやねん やしきたかじん 84

北島三郎 378

ゆうべの秘密 小川 知子 340

雪国 59 ジジサン

スノーチュン 11 小林幸子

雪の進軍 1575 軍歌

雪の降る街を 268 高英男

夢追い酒 76 渥美次郎

夢芝居 179 梅沢富美男

千里 1296 キム・ヨンジャ

夢の夜 181 南こうせつ

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2023-12-17

anond:20231217180132

女性の捉え方が売女聖母しかないのは家父長制男の特徴だもんな

2023-11-27

ONE PIECEマザーカルメルが山姥って言われてルのは

マザーテレサ聖母と言われながら、身近な人には冷淡と言われてたからなんかな…

2023-11-17

凄まじすぎた夢

※嘘乙、と思われることを前提として本当に覚えてることを書いている

今日みた夢

推しに振られる夢。

推しバーチャル人類なので、バーチャルの姿で出てきてる。

推しに気があるそぶりを結構ぐいぐい見せてしま自分で、例えばみんなで座ろうという席の隣を座ろうとするとか、手に触れようとするとか。

その時にすごい戸惑いというか、嫌な顔をされて「え…?」と言われた声色がかなりリアルで、今なぜか申し訳なくなってしま推し配信を見に行けない……クラス女の子えっちな夢見て気まずいみたいな感じかもしれない。よくある話。

でも途中でなんか、ふとした瞬間に髪の毛をサラッと触られたり、「かわいい……」ってぼそって呟いたのが聞こえたりするんだよ!そんなのさあ!あげておとすなんてさあ!卑怯だよ!

凄まじいのがそのあと。まじで10年ぶりくらいに淫夢を見た。あっちじゃない。

なぜか急にシチュエーションゲームシナリオ解説が始まる。

推し好感度20になった瞬間の傷ついたあなたの顔は、その場面を見ていたAというキャラクター逆鱗に触れる。強制イベント

Aはなんというか、犬みたいな子だ。これは完全に自分の中の創作キャラ黒髪短い髪の毛、いぬっぽいまろ眉に八重歯、吊り目、赤い瞳。

ここでわかるのは自分はこのゲーム主人公というところ。そして夢あるあるだけど見た目は現実自分とは違う。

そして気まずくなった理由好感度20になってたから、らしい。色々間違えたっぽい。何してんだ。

そしてその様子を見ていたAの行動は、というと、

「なんでこっちの方が主人公のこと好きなのに、アイツにばっかりアピールするんだ?アイツもなんであんなに可愛い主人公のこと冷たい目で見るんだ?意味がわからない!!こっちの方が好きなのに!!主人公もアイツもおかしい!!……いや、おかしいのは主人公だ。あんな冷たい目をしたやつのどこがいいんだ?……こっちのほうが愛してやれるってわかってもらわなきゃ」

こんなことを言っていました。

ちなみにここまでセリフ一言一句わず覚えている。

詳しくは書きませんけど、ヤンデレになったAによる、主人公睡眠中の強制パーティータイム発動。

しかミニゲームで起きたか起きないか判断される。どんな仕様だよ。

しかもなぜか魔法世界。暗くて埃っぽい美術館みたいな一室の中央にある燭台の上。月明かりに照らされている、みたいな謎きれいシチュエーション

果たして主人公はAと推し、どちらと結ばれるのか。はたまたBADエンドなのか。

強制パーティー聖母的な像の陰からみていた物静かなBのため息の意味とは。(BはAの親友らしい)(青髪長髪ジト目)

続き見れるのかな。どうしたら見れるんだ。見れないなら自分で書くしかないよなあ。

2023-10-25

anond:20231025171510

書く。

作品名 感想

未来少年コナン

[コナン超人すぎる。普通の人にはラナを助けられない。ダイスモンスリーはずるい] ← 古代人の生き残りだから理由があるだろ(全部は見てないけど)足指の動きがおもろい。昭和少年のふとももと足指を鑑賞するアニメ

カリオストロの城

[クラリスピュアすぎる。あんな娘存在しない。ルパンが奇麗すぎる。五右衛門がナンパすぎる] ←アニメファンは気づいていたのに上映館が少なくテレビ金ローで枠とった。999やヤマトなどはタイアップ曲がものすごく浮いていてバカにされてるのにカリシロは歌までしっかりよくて全体のヨーロピアン雰囲気がよい。わざわざヨーロッパ(今より円が安いころ)いかなくても実写や特撮と戦えるところをじっくりみせてもらった。ハイジでためてた高原ヨーロッパの清涼感からするとあれくらいはキレイじゃないとダメだろ。人は添え物。というか地上波モンキーパンチセックスアンドシーフみたいなやつだせるわけねえだろが(原作レイプ1)

風の谷のナウシカ

[死んだのに生き返るなんて原作全然違うじゃん。あと、土鬼どこいった]←原作派のいいぐさじゃん。まあ俺も原作の後半のきれいなジャイアンみたいなやつらをたたきのめす現地民ナウシカ好きだけど。映画は、ほぼクロトワの映画やぞ

天空の城ラピュタ

[パズーホストかってくらいホスト。見張りの時飛行船の上でやってるよあれ]←今のホストってあの程度でいいのか?なら50代男性マジで全員おまえらより男子力たかいわ…おまえら全員誘い受けなんだな…

となりのトトロ

[声優トトロの息臭そう]←25年たってもスキャンダルおこさな声優っていいよね(鈴木なんとかとか櫻井なんとかとかだったら今頃大変なことに)トトロおまえら世代でいうピカチュウちょっとおぼえて書いてやるとめちゃ絵が上手い人っていわれる

魔女の宅急便

[ニシンパイは実際見るとグロいよねぇ。あと、パンツ]←宮崎駿パンツ罪を直視したければパンダコパンダを見ろ。あいつはロリ。あとこの辺から堂々と原作レイプしはじめるの巨匠とはいえどうかとおもう。

紅の豚

[なんで豚になるんだよ] ←書いてる宮崎自画像1。鳥山明とおなじで一生フィギュアジオラマつくっていたかった性癖がでてて割と好きだが。それより、併映が問題覚せい剤スキャンダルをおこしたチャゲアスのOnYourMarkが封印されてるの解せぬ。オタクだの表自戦を名乗って「作品評価と作者の行状は切り離せ」いうならまっさきにこいつを騒ぐはずなんだが?性犯罪ばっかりなのおかしいよな。

もののけ姫

[タタラ場で働く女たちの服装が乱れているのが気になって集中できない]←若者リビドーがあれで騒ぐならおまえら日活ロマンポルノみたら爆発しちゃうんじゃねえの。緊縛そば打ちでも見てろ。26年前の映画がいまだに歴代興行収入7位にいる。ちなこれつくったとき宮崎57。女性から異議なし。ジャージでもどうでもいいんだよ。働く女性表現トロフィーワイフ化されてない女性表現として宮崎にしてはとても正しいほうだ。

千と千尋の神隠し

[カオナシって結局何だったん] ←ネットで強いくせに人前では「ア」しかいえなくなるおまえらのものだよ

ハウルの動く城

[動く城のハウルでよかったんじゃない?タイトル] ←もはやそこしかケチがつけられんのか… まあ観客全員ハウルが抱くから(開始3分で)あとは多少カエル化しても宮崎大泉洋経験豊富なばあさんズがなんとかしてくれます

多少原作レイプみがあって重病女性をおこらせたがゲドではもっと盛大に怒らせている 

崖の上のポニョ

[狂気] ←ほぼ新海誠やろがい

===

ハイジ赤毛のアン 

原作をいい方向にレイプ。というかわりと文章通りなんだがデコの可愛さは民衆にはまだ早かったんや

名探偵シャーロックホームズ(犬)

キャラデザ声優と二人乗りの自動車が最高。原作は馬車だから原作レイプだけど。唯一ブロマンス深読みができる宮崎作品だが完全ヘテロ夫人に全員メロメロいっちゃうのでワトスンヒロインにしてあげてほしかったんよ(cv内海賢二だけど)…。(完全ヘテロメロメロ、ではないドリカム編成という意味オンユアマークはよいぞ)

猫の恩返し

 (ここから追記バロンと豚猫の階級差がすごいんだけど実は豚猫のほうがかっこいいというこれも宮崎自己投影がここちよい(そう、俺たちは怠け者が実は好きだ。あれっオレなんかやっちゃいました?の元祖だろあの豚猫)。元増田原作未読だけどもはや東京西部田園都市線あたりに生息していたラクロス女子を伝える文化遺産として永久保存したほうがいい。バロンはのちのハウルというかわりと連荘ででてきて急にどうしたとおもった

耳を澄ませば 

追記ここまで)原作レイプだけど黒歴史共感性羞恥をおぼえる腐女子多数。聖司の解釈がブレすぎて最近実写がでてしま

おもひでぽろぽろ 

昔でいうモーションキャプチャースターシステムにちかい男性アイドルが実はヘテロではないお方だったような気がしてヘテロ役として固定されてしまうのが今みるとちょっと気の毒(龍が如くジャニー報道でそういう気の毒がまじるんだけど)追記 ギバちゃんが界隈に人気だったのは人気だっただけらしいや、よかったな…

かぐや姫の物語 

顎でパワセクハラのいやらしさをいっぱつ表現。さすがやで。最後飛びまわるのはちゃん性交比喩してます。たのしいね

火垂るの墓 

鴨を鬱にしちゃった。原作が息継ぎないけどこれはいい原作レイプだったとおもう(だって下痢たれてやせほそって死ぬ子供なんか地上波で放映できないじゃん)ちなみに原作者を妹のミルクを盗みのみしたことを一生悔いていた。それを宇野挿絵かかせて夢野久作がごときまがまがしさですごいかおまえら骨餓身峠でも読んでろ

平成狸合戦ぽんぽこ+おじゃまんが山田君 

鈴木色強め

ゲド 

跡継ぎィ… 一番原作レイプがひどかったのはこれ。原作ファン俺も怒ったし原作者が怒るのもやむなし(主人公ホワイトウォッシュしちゃってる)。

原作は2巻が至高。名前が大きな意味もつ世界名前をうばわれ意味のない神々に仕える巫女。その庭に遠くから使命を帯びて忍びこんだ黒人おっさんを閉じ込めて飼ってるうちに実在をうたがっていた神の怒りが黒人の上に具現化、なんと巫女をつれて脱出し、…てのを日本人の秘島あたりに翻案したほうがずっとおもしろかったんじゃなかろうか。まあもう二度と許可がおりない(原作者死亡)ので新海が別の方面から達成しちゃったので満足するしかないわな。

映画化は3巻の王子とのブロマンス的なやつなんだけどあの心理描写はなかなか映像化できんとおもう。あと1巻師匠との修行のくだりはぶかれてるのも世界説明がなくて意味わからんだろ。

のちに巫女とゲドは原作で結ばれるんだが、それも非常にいい話でポテンシャルがあった。

なんで息子にやらせたんだよ…。

 

海がきこえる 

宮崎少女漫画ときつくらすな感。京兄か新海がやれ(のちの京アニスタッフだったらまことにすまねえというか近藤さんか…)

風立ちぬ 

自画像2。日本には地震とか地震とかあったけどずっとスタジオ入りして毎日絵をかいてた宮崎であった。

君たちはどう生きるか 

原作レイ…、もう名前つかわんでええやろ。おもろいけど。ヒチコックの鳥くらい鳥がこええ。

 

 

本宮崎駿は「ヨーロッパ風景」「多摩風景」に「世界童話全集」「聖母スーパー女性像(ババアからロリ人妻まで幅広く)」と「ダメ男のダメこだわり」をのせてすごいパースと動きでごらんくださいと調理する腕前が世界に誇れる巨匠で、だんだん女性像とかがこなれてきておもろくなるばかりなので次もマジがんばってほしい CGアイフォンはつかえないけど鉛筆と紙で何億稼ぐ男だからゆるしてやれ

おまえらの新海はどうなるんだろうな

庵野人間的成長したけどその分特撮部分が不評だったのでもう人間ドラマあんまりつくらんでええとおもう 庵野青春の日の幻影

===

ちょこちょこついきした。ありがとうツッコミ

テーブルタグは俺にはつかえん

しょうがねえなあはてな気泡ならつかってやんよ

anond:20231025125105

メジャーシーンに押し上げてワラワラ寄ってきたところを一網打尽にした、聖母頭脳プレイが光る

弱者男性という名の娯楽

みんな好きだよな。

このジャンルテーマを変え次から次へと話題が出てくる。

弱者自分より下の人間見つけて藻掻いてる姿見て楽しんでるし、弱者は同士を見つけて自分だけじゃないという安心感を得る。

この言葉を一気にメジャーシーンに押し上げた聖母おさやにもっとみんな感謝すべきやと思うで。

2023-10-07

聖母断罪

ようやく最初読んだときから楽しみにしてたツインテ女のターンだわ

わくわく!

2023-09-16

[] 柴田道子 被差別部落生活伝承 (ちくま文庫)を読んだ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210810181919

https://web.archive.org/web/20210810225700/https://anond.hatelabo.jp/20210810181919

原著刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別苛烈で激しかった時代大正デモクラシーの波にのった解放運動記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、本当に大変貴重な証言ばかりだった。

(まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西しか無い、関東関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀処刑人農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレ仕事)全般を請け負っているので、基本的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか)

この本はまず信仰の話から始まるんだけど極貧の生活のためか日頃より信仰心が篤いのに死んだら畜生と同じ埋葬方法で墓が作られても墓地北側の日のあたんねえ所とか、雑で差別的な戒名つけられたり、それでも檀代は一般(部落外)より高い額ふんだくられてたりもうさんざんで、序盤からひどい話ばっかりなんだけどこのあともひどすぎてこれがジャブ程度に思えてくる。長野といえば教育県を掲げているけど部落民は一般と同じ学校に行かせてもらえない、行かせてもらえても徹底的なイジメが待っている、教師すら[チョオリッポをチョオリッポと呼んで何が悪い]と差別に荷担する。さら生活苦ゆえに家の仕事を手伝わなくてはいけないといった理由も加わってまともに学校通った人の方が珍しくて、聞き取り対象の老人のなかにはいまだに文盲の者も少なくない。それから公衆浴場も別々で回り風呂といって運搬が可能なお風呂部落じゅうを回ったりしてたらしい。ケガレ仕事だけでなく、今でいう巡査牢屋の見張りのような危険仕事押し付けられたり、農家の手が足りないときだけ日雇い従事したり季節労働をやったり等収入が安定しない..

もう要するに公権力が徹底的にそうやって差をつけている。また、同じ人間であると思わせないためか、部落民は睾丸が四つある、あばらが足りない、血の色が違うなどいわれのない身体的特徴をでっちあげられてそれを理由侮蔑される。今でこそ誰もが馬鹿馬鹿しいとわかるけどこんなことが真剣に信じられていたんである

それから今でこそ同和事業で部落インフラが整備されて、見かけは一般と変わらない町並みになり、住民流出流入が容易になり、その結果元々部落だったと知らずに引っ越してきてずっと知らない人などたくさんいるけど、明治の末ごろの話だけど比較的裕福だった部落の老人が一般大通りに家を建てたら村じゅう大騒ぎになって、

村役場が主導して執拗嫌がらせを開始。果ては物理的に家ぶっ壊されて(!)老人は訴訟をするけど村役場殺し屋差し向けてきたり費用問題などで訴訟断念するしか無かったらしい。役人殺し屋を雇う???????????????? ???????

?????????????????

明治といえばその初頭に四民平等令、部落解放令がやっと出た時代なのに..この解放令ってやつもうほっとんど意味なくて、差別は続いて、でも以前は免除されていた税金一般と同じように徴収されるようになっていっそう生活が苦しくなっただけらしい..てかまじ、体制側が一市民殺し屋差し向けてくるとかまるでフィクションの話みたいであまりに信じがたくてここ読んだとき一日くらいずっとポカーンとしてた。殺し屋て…殺し屋て..明治の末とかって歴史からみたらほとんど最近じゃん 最近の話じゃねえか ひでえやばすぎる。どーなってんのよ

どこそこの地域部落みたいな程度の浅い知識ならネットでちょこっと調べれば出てくるけど、こういう具体的な差別事例ってこんなふうに本でも読んで能動的に調べないとわからないんだよね、、まぁこういう時代からは随分ましになったとはいえいまだに部落の人にたいして暴言吐く人、差別する人はゼロにはなってなくて、全然過去問題じゃないんですけど、同じ部落の人のなかでも[部落問題を知ってほしい][寝た子を起こさないでほしい、学校なんかで教えるから差別再生産されるんだ][もう差別なんかないんだからほっとくべきだ]とさまざまに意見が分かれていて人間から当然と思う。

でも悲惨歴史にふたをして忘却してしまうと過去の人々の苦しみまで無かったことになってしまわないか?というのと、現代人間過去から教訓を得られなくなってしまう、それと苦しみだけでなく部落にも豊かな文化生活があり、(著者は部落文化遺産と呼んでいたが)文化のものも葬られてしまう。そういう理由から現在の、部落の[ぶ]の字すら言ってはいけないようなタブー空気はいやだなと思うので積極的に気軽に部落の話をするようにしてる。

でも後述するけどこのタブー化が差別の緩和に繋がったわけで、でもそれを加味してもやはりもうそろそろタブ一の段階は終わっていいだろうと思う。

私は部落民ではない女性なんで女性差別しか興味がありません。主にどうして被差別部落がここまで差別を打破できたかの部分に興味があって調べておりその歴史女性差別に対抗するすべを学べないかとそう思い何年も前からあれこれ勉強しています

はっきり申し上げておきます部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈差別事例を知った上で言うことです。その理由ひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性女性であることから逃げる手段自殺しかありません。

(当然、無徴ゆえにだれも[被差別部落][部落民]とはなんなのかをはっきりと定義できないゆえに権力側に恣意的身分を決められていた歴史もあるでしょう。それも知っています。でも、なお..なのです。ちなみに、部落民とは一般先祖ルーツが違う別人種なのではと思う人もいるでしょうが一般人でも部落民になったりするし、どうもそのへんあいまいというかはっきりしていないようです。本書には、とある部落民にむかって自分たち先祖が同じだ]と言った一般民がいたという証言もあります差別根拠など全くないのです。さらに言うなら死にまつわる仕事ケガレというのも恐らく権力恣意的に決めたことがし、ケガレ仕事ではない、たとえば内職などしかしない部落民も沢山あってケガレともイコールで結びつかないのです。)現在進行形でさ女は毎日女ってだけでなぐられ殺され犯されおとしめられてんだよ

から一歩出るだけで醜いおっさんジーロジロ品定めここから逃げる手段ないんすよ

公権力が女の味方してくれたことないんすよ

女性参政権だってGHQ鶴の一声であって日本の男はんなもん女に与えてくれたこと無いんですわ

すいません話それました!

国を動かしての解放令発布でもやむことがなかった差別現在ここまで緩和されもはや部落問題を全く知らない人も多くなった、その主たる理由はやはり水平社(のちの部落解放同盟)の強硬な、時には暴力的闘争姿勢によるものだったのではと思います。著者の柴田いわく、長野のなかでも東信地方は寒風が吹きつけてひどく底冷えがする地域で、昔から気骨のある男、気性の荒い男が多く、それが東信で水平運動がさかんだった理由ではないか分析しています。逆に寒さがゆるやかな地域では[寝た子を起こすな]の論調が強かったり水平社よりも穏健だった同仁会がさかんだったらしい。でも同仁会も交渉の場では「水平社の連中よぶぞ]が殺し文句だったらしく虎の威を借りてたとか..そして水平社と同仁会、歴史に名を残したのはどちらかというともうこれは言うまでもありません。ふだんから竹槍の戦闘訓練も行い、武力闘争も召さなかった水平運動こそ歴史を変えた。彼らが起こした暴力事件の仔細はネットでも簡単に読めます部落民は乱暴だ、奴らは犯罪者だといった風評も辞さない徹底的な闘争で、部落は怒らせると怖いと、部落がなんなのかよく知らない人すら何となく感じて、アンタッチャブル話題だと感じる。タブーだと思う。その空気を牽引したのがテレビマスメディアの徹底的な自主規制でしょう。部落解放同盟にらまれたら厄介だという理由で前述のように部落のぶの字も出さない、触らぬ神にたたりなし。先日もエタヒニンと発音しただけのアイドル活動自粛に追い込まれたけどそういう過剰なまでの自主規制が、差別存在のものを透明化した。長い間メディアは頼まれてもないのに四本指の表現すら自主規制していた。

そのような、暴力脅迫で勝ち取った自由歴史勉強していると、心底彼らがうらやましく、やっぱり権力もなにもあてにならずとにかく徹底的に相手に恐怖という根源的感情を植え付けて支配するしか対抗の方法は無いのかなと思ってしまう。なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります

しかしながら水平運動に加わった男たちがそこまで暴れることができたのも男という性別ゆえかなと、同時に諦念を抱きます

女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的ものか、それとも後天的ものか、両方だろうか?とにかくフェミニスト自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません..

この本書のなかにはある村の一般村長が出てきます。彼は比較リベラルで、部落の子でも学校入学できるようはからったとのこと。そのせいで彼は妻の実家の敷居をまたぐことを拒否されるなど反発され、水平社の者も彼のそのような行いを知っててもそれでもダメな所は徹底的に糾弾したので、「両方から突き上げ食らってもうさんざんだ]といったことを自嘲してるんですけど女性たちも同じように全く糾弾の手を緩めないってことが可能かと考えると難しい。

男の攻撃性が本当にうらやましくなります

痴漢の手に安全ピンぶっさそうという(本来痴漢は殺されてもいいくらなのだから穏当すぎるくらいなのに)呼び掛けにすらいい子ぶりっこがそういうのよくないよとたしなめるしまつ。

繰り返すけど殺されてもいいのに。

やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?

この本の巻末、作者の生前の夫だった人による復刊によせての解説言及されてた2014年長野県連続差別事件やばい部落民の女性に対して、真ん前に引っ越してきた男が差別語連発で罵倒するのをやめない。裁判所から禁止令が出てもやめない。逮捕されても執行猶予で、けっきょく彼が万引きという別件で再逮捕され収監されるまでの2年間なにも解決しなかったそうです。

昔も今も権力なんてなんのあてにもならないどころか被差別階級にとっては敵でしかないんじゃないのとますます不信感がつのます2014年とか最近じゃん昨日じゃんか

みんな本気で、ハッシュタグ(笑)だのツイッターデモ(笑)なんかで女の現状が救われるとおもってんのかな..こんなのなんにもならんってうすうす気づいてるんじゃないかな。男に殺される女が一人でも減るかそんなんでって思う。やってる感だけ得られたらいいんすか? けっきょくレベルを上げて物理で殴るしか無いんじゃないのか。それもわたし一人がやったところで社会的インパクトいか組織だってやるしかないけど、以下ループ

水平運動の男たちは献身的に支えてくれる妻がいてそれで運動なりたってた部分でかいと思うけど女には妻おらんのですよな~

暴力ができないならせめて男がみんな自分に正直にホモ願望を解放してホモセックスし、抑圧している内的女性現実女性投影するのをやめればミソジニー無くなって平和になると思うんですけど、でこう書けばホモ差別語だから差別はいけませんとかほざくぶりっこフェミニズム邪魔をしてくるのでもうどうしようも無いです! バーカ!ちんこ

それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシュー在日朝鮮人差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きますイシューを抱え込まないことがやはり運動成功秘訣ひとつであったのかと感じます女性女性というだけでやはりシングルイシューはいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバー死ねでございます女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお

ところでこの本の作者柴田道子は童話作家部落民じゃない一般です。長野市に引っ越してきて被差別部落接触し、興味を持ち、この本を上梓したあとは狭山事件被告サポートに尽力、当該事件の本を執筆わずか41歳の若さで急死したとか。

解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったか部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!何が正しいか間違っているのか、どう思うべきか、どう行動すべきかって本当は一切なにもないのかもしれない。なのでフェミニストならこうすべきだ、こう思うべきだ、こう感じるべきだみたいな考えに固執している人はちょっと考え直したほうがいいな、正しいか間違ってるかなんて時代によって基準がぐにゃんぐにゃんで明日にでも真逆になるけど、なんか結果だけ見て、他人ジャッジしてもシャーナイつか、結局ね、なにかにかい真剣にがんばったりさえして、懸命に生きさえすれば、それはもう…だれにも、文句は..まあいいや

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