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はてなキーワード: おろしとは

2025-01-23

女さんの、夫が外で稼いでいることを忘れて「わたしだけ家事で大変」ムーブかまししまう件

ヒトの本能バグ一種、という仮説を持っている

 

狩猟採集生活なら、稼いできた夫はが妻に肉を手渡す、妻が料理する、という流れ。

その感じで、「猟から帰ったら子育てしろ」という女は、たぶん居ないんじゃないか

だって現物があるから。いま渡されたし。自然感謝も口から出るわ。

よかったねぇ~パパすごいね~とか言って子どもあやしたりして。

でも銀行口座に入っている金を、自分おろし場合は?

手に現物を出現させたの、自分なんだよね。渡されてない。

その瞬間「ありがとうございます…パパはすげぇ…」と思いながらATM使ってる妻、いる? 絶対少なくない?

感謝が頭にあるとしても、だいぶ高度な知性の働きだろ。反射神経のやることじゃない。

 

2025-01-22

ザ・ブルーハーツの「すてごま」を再評価した話

80年代から90年代活躍した、ザ・ブルーハーツってロックバンドがいるじゃないですか。

リンダリンダ」とか「夢」とかが有名ですが、30年以上経ってもまだ、たまに思い出す曲があるんです。

「すてごま」です。

初めて聞いた時は小学生だったので、疾走感のあるメロディと「おろしたての戦車でブッ飛ばしてみたい」という歌詞に格好良さを感じていたと記憶しています

それに続く

「何か理由がなければ正義の味方にゃなれない

誰かの敵討ちをして カッコ良くやりたいか

ちょっと行ってくれないか

すてごまになってくれないか

というフレーズに、子供心に「正義とは」なんて考えたりもしました。

要は「人は自分の虚栄心のために他人の不幸を望む」という心の闇を描いた内容なんですが、今見返すとより深い歌詞だなあと思ったわけです。

「あの娘に俺が何をやったのかなんて

覚えてるはずがないだろ 俺はやってない

何かきっかけさえあれば 次は俺の順番だ

今度こそやってみせる

やってやってやりまくるんだ」

この部分、かなりとんでもない話で、子共の頃は理解できていなかったと思います

冤罪をふっかけられた感想が「冤罪を防ごう」ではなく、「次は俺が誰かの醜聞をきかっけにヒーローになってやるんだ」なんですよね。

自分冤罪をふっかけられたらブチ切れて、同じことを他人にしようと決意する。

フィクションなら「ひでぇw」で済むような話ですが、本当にそういう人が少なからずおり、外れ値の極端な人ではないというのが昨今のSNS可視化されたのだと感じています

1993年当時、作詞された甲本ヒロトさんには既に見えていたんだなあと。

歌詞最後は、このフレーズで締められています

「君 ちょっと行ってくれないか

すてごまになってくれないか

いざこざにまきこまれ

◯んでくれないか

32年前の歌詞現実が追い付いてしまって、ちょっと笑えないんですよね。

2025-01-21

結局のところ人間なんて大根食ってればいいのよ

あと少々のネギ鶏肉

鍋いっぱいに適当に煮て味付けして食えば健康だし痩せるんだわ

上司大根おろしがねで擦れば無くなるンだわ

2025-01-18

やめて😢

チー牛は刺さるの😢

やめて!

チーズ牛丼好きなのにおろしポン酢牛丼しか頼めなくなったの😢

チーズ牛丼食べたいの😡もうやめて!

2025-01-15

クソを漏らした話

出来事

昨日、オフィスから家に帰る地下鉄の中で急激に腹が痛くなった。「もうダメかも知れない」などと考えながら、エレベーターで改札階に上がったら運良く多目的トイレあいていた。急いで個室に駆け込んで「なんてラッキーなんだ」と思いながらベルトを外しはじめた。それがいけなかった…

「勝った」という弛緩した気持ちベルトを外し始めた。私は腹が出ているのでサスペンダーを愛用している。前2つのクリップはすぐ外せたが後ろ側を外すのに手間取った。電車から降りた時点では存在していた「まさか漏らすのか?」という緊張感はトイレの前に立った時点ですでに消え去っていた。そしてサスペンダーが外れない焦りもあり、ケツの穴がクソを抑えきれなかった。

中途半端ズボンおろし状態脱糞がはじまった。ベチャベチャの泥みたいなブツ容赦なく下着ズボン便器・床に降り注いだ。出始めた一瞬の青ざめる感覚、そして出ている最中わずかなカタストロフィ。そして終わったあとにはずっしりとした失望感が残った。約10年ぶりのクソ漏らしだった。

教訓①

敗因は何だったのか? 電車の中かエレベーターの中でサスペンダーを外しておけばこの事態は防げた。「今、自分ができることを最後の一瞬まで考え続ける」という自責の発想を失い、成功を運に任せてしまった弱い心が敗因だった。

出来事

あたりに飛び散ったクソを、床や便器にべったり手が触れない範囲トイレットペーパーを使って拭いた。パンツはサニタリーボックスに捨てた。問題はクソまみれのズボンだった。捨てたらフルチンになってしまうので、多目的トイレに設置されたオストメイト用の水道ズボン全体を水洗いした。不可触であるべきクソが手に触れることは避けられない。汚れた水滴も上半身に飛ぶ。そして当然フルチン作業するしかない。マジで泣きそうだった。石鹸で手を洗って、ハンカチでその手を拭ったら少しだけ気分が落ち着いた。

水洗いしたズボンから水滴がたれないように絞ったあと、やむなくそれを履いて駅を出た。近くにセカンドストリートがあるらしかったので替えのズボンを買うためにそこを目指して歩いたが、足をあげるたびに太ももが冷えたズボンに張り付き、痺れるくらい冷たかった。というかビリビリと痺れた。途中でファミマを見つけたのでパンツを買うために入ったら、なんと「ジョグパンツ」という名前ナイロン製のズボンが売っていた。店員に「うんこくせーな」と思われたくなかったのでセルフレジ会計してトイレで着替えた。水洗いしたズボンコンビニの袋に入れて持ち帰ることにした。

電車で帰ると他の乗客迷惑なので1時間くらい歩いて帰ることにしたが、その時、LUUPのキックボードが目に入った。「キックボードなら汚れたズボンサドル接触させずに乗れるから迷惑にならない」と思ってキックボードを借りた。実際にはもうズボンを履き替えてたので自転車レンタルしても良かったはずだが、完全に頭が混乱してたんだろうね。あとはLUUPで家に帰ってズボンを手桶であらった。これが顛末だった。

教訓②

最近社会正義に関連するある哲学書を読んだ。その本にこんな事が書いてあった。「健康で自立しているように見える人でもいつ他者からの手助け無しに生きられなくなるか分からない。人には潜在的に”脆弱性”を抱えているのである。自立しているかどうかは、その脆弱性が潜在しているか顕在化しているかの違いに過ぎない。しかも、その脆弱性や、それが顕在化した時の”弱さ”は、普遍的ものではなく人それぞれ違った固有の物でもある。だから、人それぞれの弱さやニーズ気づき、それを手助けしていくことは、”慈愛”などというベストエフォートものではなく、社会の”責任”なのである。なぜなら、私達全員が脆弱性を抱え、幼児や老人という形でその脆弱性を全員が顕在化させる宿命にあるのだから。弱さに対する手助けは社会を支える根本なのである。」といった事が書いてあった。

弱さとニーズ固有性について

もしクソを漏らしたのが多目的トイレではなく普通の個室だったらどうなっていたか。フルチンで手洗い場でズボンを洗う羽目になっていたのである多目的トイレオストメイト水道はクソを漏らした人に対する手助けを目的に設置されたものではない。ただ、クソの付いたズボンを洗いたいという私の”固有”のニーズがこの水道に救われた。また、ハンカチで手を拭ったところで全身に汚い水滴が飛んだ私にとって衛生面での意味はなかっただろう。ただ、清潔なハンカチで手を拭う行為気持ちは救われた。これも私のその時の心境における”固有”のニーズである。なぜかコンビニで売ってるズボン店員と話さずに済むセルフレジ・ケツを付けずに乗れるキックボード、これらは別に私のニーズを満たすために用意されたものではないが、たまたま、すべてが私の”固有”のニーズを満たしてくれた。それにどれだけ救われたことか…。人には固有の弱さとニーズがある。これを実感した。

誰しもが脆弱性を抱えているということについて

そして、私は地下鉄に乗った時点ではクソを漏らす可能性なんて毛ほども考えてなかった。しかし1時間後にはクソまみれのズボンを泣きそうになりながらフルチンで洗っていたのである脆弱性は確かに誰にでも顕在化しうるのだ。あなたにも。

これから人生について

「人に手を差し伸べることは慈愛ではなく責任」この言葉を胸にこれから人生を生きていこうと思う。

anond:20250115172026

描きおろしじゃない流用のものもあるんじゃないの

アニメブルーレイの特典でさ、キャラクターデザインor原作者描きおろしジャケットイラストって必ずと言っていいほど特典の一つにカウントされてるけどさ

これってわざわざ言うほどのものなのかな?当たり前じゃない?

2025-01-12

女性AEDを使ったら訴えられた話

 街中で突然倒れた人を見かけたら、まず声をかけて反応を確認し、必要に応じて救急車を呼ぶ。そして意識がない、呼吸もないといった状況なら、AEDを使って心肺蘇生を試みる。――これは、学校での救命講習や各種啓発イベントなどで何度となく耳にしてきた基本中の基本だろう。わたしも何度か講習を受けた経験があるし、いざというときに手をこまねいてしまわないよう、頭ではしっかり理解していた。実際、その知識が役に立つと思った瞬間があった。まさか、その行為が原因で後に大きな問題に巻き込まれるとは想像していなかったのだが……。

 あの日わたし会社帰りに駅前広場を通り抜けていた。残業続きでクタクタだったとはいえ、そこまで遅い時間ではなかったし、人通りも多かった。目の前で、一人の女性がふらふらと歩いていて、そのままバタリと倒れ込んだのだ。最初は何が起きたのかわからず、周囲の人も「大丈夫ですか!?」と声をあげていた。わたしは少し離れた場所にいたが、一瞬で「AED必要かもしれない」と頭をよぎった。

 近くに設置されているAED場所は、駅前広場にある公衆トイレの壁に設置されたケースの中だったはずだ。わたしは意を決して走り出した。「AEDを持ってきます!」と周囲の人に声をかけると、誰かが「お願いします!」と呼応してくれた。すぐに赤いボックスを取り出し、倒れた女性のもとへ戻った。

 女性は目を閉じ、完全に意識を失っているように見えた。周囲には数人が集まっていたが、どうやらCPR(心肺蘇生法)を施せる人はいないらしく、誰も直接触れることができずに戸惑っていた。わたしはできるだけ落ち着いて「誰か救急車を呼んでください!」と叫び、同時に脈や呼吸の確認を試みた。わたし医療資格を持っているわけではないが、研修で学んだことを思い出しながら、AEDのパッドを貼る準備をした。

 そのとき女性服装は薄手のブラウススカートだった。AEDを装着するには上半身露出させなければならない。わたしはできるだけ周囲の視線を遮るように上着を掛けるなどの配慮をしたつもりだった。そしてパッドを貼り、「解析中です」という機械アナウンスに従いながら、電気ショック必要判断されたタイミングボタンを押した。まるでテキストで習った通りの手順だった。

 しばらくすると、女性はうっすらと意識を取り戻し、救急隊員が到着。たしかに緊迫した状況ではあったけれど、結果的にはAEDが功を奏したのか、彼女は命を取り留めたようだった。救急隊員が女性を運び出すとき「応急処置ありがとうございました」と言ってくれたのを覚えている。わたしは内心、ほっと胸を撫でおろしたし、自分がやったことが正しいはずだと信じて疑わなかった。

 ところが、それから数日後、衝撃的な出来事が起こった。わたし会社仕事をしていると、受付から内線が入り、「警察の方が訪ねて来られています」と呼び出しがあった。慌てて応対に出ると、どうやら先日のAEDの件について話を聞きたいという。救助活動に関して事情聴取をすることがあるのは知っていたから、そのときは「あの日の状況説明かな」と思い、素直に協力するつもりだった。

 しかし、警察署で説明を受けて初めて知ったのは、「助けた女性わたしを訴えようとしている」という事実だ。正直、意味がわからなかった。そのときわたしに与えられた情報では、彼女が主張しているのは「不必要に胸を触られた」「身体を晒されて恥ずかしい思いをした」というものしかった。わたしAED使用するためにやむを得ず、服をめくり、胸にパッドを貼っただけだ。わいせつ目的などあるはずもない。警察担当者からは「いまはまだ疑いの段階で、詳しく事情を聞かせてください」と言われ、まるでショックで頭が真っ白になった。

 訴えられると言っても、すぐに裁判になるわけではない。まずは警察事実関係を捜査し、検察に送るかどうかの判断が下される。その流れ自体ニュースなどで聞いたことがあるが、まさか自分当事者になるなんて思いもしなかった。警察の取り調べは冷静で丁寧だったが、いざ尋問されると「AED必要だったんです」と言いながらも、自分がきちんと説明できているのか不安でたまらなかった。どんな些細な言葉尻を捉えられて、好ましくない形で記録されるかわからいからだ。

 わたしが行った行為は「緊急避難」「正当行為」という文脈正当化されるはずだ――多くの人がそう言ってくれた。会社の同僚や友人も「むしろ表彰されるようなことだ」「訴えられるなんて信じられない」と口々に励ましてくれた。それに救急隊員も「早い段階でAEDを使ってもらったことが幸いだった」という言い方をしていた。だからこそ、訴えられること自体理解しがたいし、憤りすら感じる。

 当の女性は、倒れたとき記憶曖昧なまま搬送され、その後で周囲の人から「胸をはだけられていた」「男性が服を脱がせていた」といった断片的な情報を聞いたのだろう。さらにその“目撃情報”の内容が正しく伝わっていない可能性もある。結果として、「あの人に性的意図身体を触られたのかもしれない」という不信感が芽生え、誰かの入れ知恵もあって警察に訴えるという流れになったのではないか……そんな推測をするしかない。本人から直接話を聞ければいいのだが、今は弁護士を通じた対応しかできないとのことだった。

 その後、警察での事情聴取は何度か続いた。具体的な手順を改めて説明するたびに、「AEDのパッドを貼るために胸を露出させる必要がある」「女性場合下着を外す、またはずらしてパッドを貼ることもある」といった、あまりデリケートな部分の話を繰り返さなければならなかった。担当警察官は専門知識を持っていて理解を示してくれたものの、自分自身のことをどこか客観視してしまうというか、いつの間にか「本当にやましい気持ちはなかったのか」と自問してしまう始末だった。わかっているのに、言葉を尽くしても、どこか孤独な気分になる。こういうのが"疑われる側"の心理なのかもしれない。

 さらに、女性代理人からは「意識のない状態で胸を晒されたことに強い精神的苦痛を感じている。損害賠償検討している」といった内容の通告もあったと聞いた。その文言わたしの耳に「感謝ではなく金銭要求する」というふうにしか響かなかったが、本人の主張としては、「意図的に身体を見られたかもしれない」「AEDを使わなくてもよかったのでは」とまで思い込んでいるようなのだAEDに関する知識が乏しいまま、自分が倒れていたあいだに行われたことを全て悪意として捉えてしまっている可能性が高い。たしか医療現場知識を全く持たない人からすれば、ショックも大きいのかもしれない。でも、それでも納得いかないのが正直なところだった。

 わたしとしては誠実に説明し、「あなたが助かって本当に良かった」と伝えたい。しかし、直接連絡を取ることは叶わない。救急隊員や目撃者証言が集められ、また街頭カメラ映像からも、わたし行為に「過剰さや悪意はなかった」と証明されるはずだと弁護士には言われている。「AED必要のない状況だった」という可能性は極めて低いし、第一現場判断としては心停止かもしれない、という最悪の事態に備えるのが当然の行動だ。むしろ何もしなければ、そのまま命を落としていたかもしれない。

 結論から言えば、結局は不起訴処分で終わった。それでも、女性代理人民事での損害賠償請求を取り下げるまでにはもう少し時間がかかった。最終的には裁判所で「わたし行為は緊急対応として必要不可欠であったこと」「医学的にもAED使用は正当な手段であり、やましい意図がなかったこと」が認められ、相手側も引き下がる形で決着した。長い長い時間精神的な疲労を強いられたが、無事にわたしの"無実"が確定した形だ。

 もしかしたら、「AED使用で訴えられたらどうしよう」という話は都市伝説のように囁かれていたのを聞いた人もいるかもしれない。わたし自身、その噂程度には耳にしたことがあるが、実際にそこまで発展するのは極めて稀なケースだろう。しかし、可能性としてはゼロではなかったのだ。女性本人のショックや、その周囲の偏ったアドバイス、あるいは金銭的な思惑が絡むと、こんなにもおかしな方向へ転がってしまうのかと痛感した。AEDを使うことが推奨されているにもかかわらず、こうした事例が広がると、いざというときに誰も助けようとしなくなるかもしれない。それが一番怖い。

 今回の経験を通じて、わたしあらためて「いざというとき、人を救う行動をとるのは大事」だと思う反面、「誤解やトラブルリスクゼロではない」ことを強く意識するようになった。だからといって、それを理由救命行為をためらうのは本末転倒だし、AEDの普及や救命講習の啓発に逆行する。実際、わたしももう一度同じ状況に遭遇したら、必ず行動に移すだろうと思う。命を守るために必要行為が「訴えられるかもしれない」と萎縮されるような世の中になってほしくないし、そうならないように、どうにか制度理解もっと進むことを願うばかりだ。

 いま振り返ると、一番辛かったのは「そういう意図はなかった」ということを何度も何度も説明し、あたかこちらが加害者であるかのように扱われる時間だった。無罪を勝ち取るとか、問題なく終わるとか、そういう言い方では表せないくらい、人を救おうとした行為否定される精神ダメージは大きい。世の中にはやはりいろいろな考え方があるし、誰もが医学知識を十分に持っているわけではない。だからこそ、「AEDを使うときの手順や必然性プライバシーへの配慮」について、もっとしっかりと周知される必要があるのだと思う。

 最終的に女性とは直接会話をすることはなかったが、代理人を通じて「結果的に命を救っていただいたことを感謝しています」という伝言けが届いた。それが真に彼女本心なのか、あるいは形だけの言葉なのか、わたしには判断できない。だけど少なくとも、彼女健康を取り戻したという事実のものは素直に喜びたい。誰かの命を救う可能性があるAED存在意義は、決して否定されるべきではないからだ。

 この一連の出来事は、わたしにとって大きな教訓になった。AEDの使い方や救命措置の手順を頭に叩き込むのは大切だが、それだけでなく、助ける側も「法的トラブルリスク」を認識し、適切な配慮をしたうえで行動する必要がある。現場ではなかなか難しい話とはいえ、できる限り第三者の協力や証人を確保する、周囲の目がある場所で行う、といった工夫も大事なのかもしれない。救助者の立場を守るための仕組みも、行政社会全体で整備されてほしいと切に願う。

 結局のところ、人を助ける行為尊いが、そこに伴うリスクを完全に排除することは難しい。それでも、誰かが命の危険さらされているなら、迷わず手を差し伸べる世界であってほしい。わたし自身も今回の苦い経験に折れることなく、次に同じ状況が起きたら、やはり躊躇なくAEDを使うだろう。命を救うために必要行為を、社会として後押しできるような意識ルール作り――それが進んでいくことを強く願っている。

2025-01-09

何で未だに雪おろしとかしてるんだろ

屋根バッタンバッタン動いて雪を落とすとか、屋根がアチアチになって雪を溶かして落とすとか、めっちゃ雪がつもりにくい形状の屋根作るとか、めっちゃ雪が滑り落ちやすい素材を作るとが、屋根がなければいいからタワマンに皆で住むとか、何か対策あるやろ。

人が死にそうで見てて怖いわ。

2025-01-08

髪の長い人間電車に乗るな

腰より長い髪をまとめるでもなくおろしてる人間

汚いんだよ。

満員までいかなくとも肩と肩が接触する程度の電車に乗るならきっちりまとめてくれ。

背中に下ろしてる状態だと本人気づかないかもしれないけど、ボッサボサのぐちゃぐちゃで汚えから掃除した後の箒顔面に向けられてるみたいなもんだから

私は綺麗にしてるから関係ないと思ってるお前。お前だよ。お前に言ってんの。

からカバン持って駅まで行って電車20〜30分乗って降りて、そのままの背中写真撮ってもらえ。ぐっちゃぐちゃだから。そのぐっちゃぐちゃを毎日赤の他人押し付けてる事実に気づいてくれ。

肩甲骨くらいまでの一般的なロングヘアならともかく、腰くらいまでの長さになるとケアとセットに相当金か時間かかけてないと目も当てられない汚らしさなんだよ。本人は綺麗に整えた状態しか認識してないんだろうけど。

都内だとたまに男でもスーパーロング見かけるから男女関係ない。

髪を伸ばすなとは言わない。ヘアドネーションとかもあるし。

伸ばした髪が人に迷惑かけないようにしてくれ。

2025-01-04

ホモサピエンスと、何か違うもの

俺の息子(小学校3年生)の今日言葉 「チー牛おいしい、明日もチー牛がいい!おろし牛めしも好き~!」

ネットの何か達 「チー牛wwwチーチーwwww弱者男性はいらねーんだよwクソオス死ねwwwチーチーチーチーチギュアァアアァアアアアアwwwwww」

ネットの一部女連合さん、取り返しがつかない位醜い…

このネットの何か達の喚き声、俺の妄想だったら俺一人が狂ってるだけだからしたこと無いんだけど現実から

anond:20250103214428

サプリ飲めるなら亜鉛を上限ぎりぎり飲む

ジンジャーエールを飲む(生姜使ってる本物)

コカ・コーラホットコーラにして飲む(生姜パウダーを足すとなお良い)

 

このあたりはアメリカ民間療法

ただしホットコーラ自己

向こうの人は体温下げたがるので、風邪ひいても炭酸冷たいまま患者に飲ませようとする

 

あとハチミツを飲むなら大根のすりおろしか輪切りをかぶるまでハチミツ入れてしばらく置いておいたもの

大根消化酵素ハチミツの咳を鎮める作用の相乗が狙える

2025-01-03

家族休日とか台無しにするやつなんやねん

例えばの話だけどな、家族子どもたちがものすごく楽しみにしたテーマパーク旅行に行ったとするじゃん。

家族水入らずで子どもたちもキャッキャ言いながら楽しみだねーとか幸せいっぱいの車の中に電話してくるジジイ

家族にとってものすごく大事イベントをしていると、途端に体調が悪いからすぐに帰ってきてくれとかいいだすジジィとかなんなん?

もう死にそうみたいな調子電話してきてすぐに帰ってきてくれ救急車は呼んだ、とか言ってくるジジイなんなん?

どうしようもなくて私だけ近くの駅でおろしてもらってそしたらチビが泣き始めてでも上はテーマパーク行きたいがってとかもう地獄の車中を置いて電車に乗ってさ。

ほんで病院行ったらちょっと熱が出ただけで救急車呼ばれると困るんですよねみたいなの、なんなん?

なんなん?

2024-12-31

👦おとなのひとたち、おとしだま、じゅんびできたかな?

👦こんびにでおろしてきたらまだまにあうからね!

2024-12-25

白菜のシラチャーソース浅漬けレシピ

白菜のシラチャーソース浅漬けは、シラチャーソースピリ辛さがクセになる簡単でおいしい超時短メニューです。

冷蔵庫で冷やせば、シャキシャキとした食感と爽やかな辛味が楽しめます

材料(2人分)

白菜:1/4個

塩:小さじ1/2

シラチャーソース:大さじ1〜2(お好みで調整)

米酢:大さじ1

砂糖:小さじ1/2

ニンニク3かけ。おろし金でおろしておく。

ごま油:小さじ1/2

作り方

白菜の下準備:

白菜を洗って、食べやすい大きさに切る。

ボウルに入れ、塩を全体にまぶし、15分ほど置く。

水分を切る:

白菜の水気をしっかり絞る。

調味料を混ぜる:

別のボウルに、シラチャーソース、米酢、砂糖ニンニクごま油を入れて混ぜ合わせる。

混ぜ合わせる:

水気を切った白菜調味料を混ぜ合わせ、味が全体に馴染むようによくもみ込む。

漬け込む:

密閉容器に移し、冷蔵庫で30分〜1時間ほど漬け込む。

完成:

冷蔵庫から取り出して、器に盛り付ければ完成。

ポイント

シラチャーソースの量:

シラチャーソースの量は、お好みで調整してください。辛いのが好きな方は多め、そうでない方は少なめにするなど、お好みの辛さに仕上げましょう。

漬け込む時間:

30分〜1時間ほど漬け込むと味がなじみますが、お好みで漬け込み時間を調整してください。

他の野菜:

白菜だけでなく、きゅうり人参大根など、他の野菜と一緒に漬け込んでも美味しくいただけます

アレンジ

ごま:

ごまを振って風味を加えると、さらに美味しくなります

ラー油:

シラチャーソースの代わりに、ラー油を使ってもピリ辛浅漬けになります

唐辛子:

赤唐辛子鷹の爪などを加えると、より一層辛味が引き立ちます

シラチャーソースピリ辛さが食欲をそそる、簡単でおいしい白菜浅漬けです。お酒おつまみにも、ご飯のお供にもぴったりです。ぜひお試しください。

2024-12-24

ホットクックにおける最強レシピ

肉球せんせいさん作の、豚バラ塊のトマト煮込み

バラ水炊き鶏肉 に変更

リーキ白菜とすりおろし人参を追加

トマト缶はベストプライスの一缶129円のもの

調味料トマト缶を除く全食材は、1週間前にカットして手順毎にアイラップで冷凍保存、全部凍ったまま突っ込んだ

信じられないおいしさ、これを自分が作ったのか?!(ホットクックが作った)

トマトと煮込み料理が苦手な家族もこれはなんだうますぎると大絶賛

時間がある時にちょこちょこ下拵え冷凍して、今日全部ホットクックに突っ込んだだけ、信じられないおいしさのものができてしまった

最高のクリスマスイブだわ

ホットクック持っている人全員試してほしい

2024-12-19

中学生殺したのも、六実幼女殺したのも、土地持ちだったな

京王線笹塚駅から北東に400メートルの好立地で不動産賃貸収入ガンガン入ってくるところで酒屋やってたところの息子も無職で、

「近所の家がシャッターおろした」程度の環境の変化に意味不明にブチ切れて奇声を発してクレームをいれるとかいう完全な病気で、

でも賃料が入ってくるから生活には何も問題がなくて、バス停にいたホームレス女性を撲殺したとかい事件だったな。

代々土地持ちだから経済的になんとかなってるけど、そこの子供の質はゴミカス犯罪者かいう例、まあまああるんだろうな。

2024-12-14

anond:20241214100216

一番最初彼女無臭だったせいで2人目の彼女花火大会のあと車の中でウキウキパンツおろしマンコなめたら爆臭で死んだ

2024-12-11

追記あり】私が死んだら、だれが後始末するの・・・

「死後のことなんか気にすんな」

 

ほんとうそう。わたしもそう思って生きてきたずっと。

から30すぎても結婚もしてなけりゃ子供もいない。

今はバツイチ小梨恋人の持ち家に居候してる。

結婚しようって言われてた頃もあったけど、向こうの親が彼の再婚を拒んだのと、わたしも「え〜〜〜まだバツイチでもなんでもいいか結婚したい!っていう熱意ないな〜〜〜」という感じなので無理して説得しようとも思わず、そのままダラダラと3年くらい過ごしている。)

 

楽観的かつ享楽的に生きてきたんで、酒とタバコメチャクチャやるし、バイクだって乗るし、貯金はしてないしなんなら借金無担保ローン)がある。

彼氏が家の住宅ローン光熱費も払ってるからわたし実家にいないだけで子供部屋おばさんとかわらん。よって、このようなクズでもヘラヘラ生きていられる。

正直ちゃんとやればすぐに借金返せるし、貯金も始められるけど、そんなことより軽い借金しながらでも目一杯楽しく生きたい、ってやってきた。

どうせ人はみんな死ぬし生きていて体力があるうちにやりたいことやろ!

 

そう思っていたんだけど。

甥っ子が産まれまして。

わたしって人間の子供より動物動物の子供のほうがずっと好きで、

まり子供育てるくらいなら大型犬とか大型猛禽とか買うのも飼うのもバカ高い動物を飼いたいと思ってて、

から彼の一番好きなところは持ち家なところ(動物を飼いやすい)だし、

今の彼との間に子供ができた時は即座におろしたし、

姉にようやく子供ができたって聞いても「あっそ」としか思わなくて、

甥っ子に会いに行くのも母親に半ば引きずられて、って感じだったんだけど

 

もう会ったらかわいすぎる。

他人の子供とはまったく別のいきものなんじゃないかというくらい愛おしい。

アスレチックとかであまたの子供達にまざって遊んでる時なんか、

甥っ子だけ光って見える。

 

まあしかしこれをみて「わたし子供欲しい!」とはならなかったんだけど…(たま〜にはたから見てるだけでも大型犬よりはるかに大変なことの方が多そうで)

 

でも、「やべ、このままボケボケ生きてたらわたしの死後のあれこれをこの天使にさせることになんのか・・・!?」ということに思いいたってね・・・

それだけは避けたいと思う。

いろいろアドバイスをくれてありがとう

教えてもらったことについてさら勉強して、

そろそろ人生享楽成分を減らして、

甥っ子に迷惑をかけない人生の閉じ方を選べるように、

金だけは貯めとくわ・・・

 

 

単純に疑問なんだけど・・・

夫もいないし子供もない

当然親が先に死ぬとして、

姉と妹は歳が近いからどうなるかわからないけど、

しわたしが最後まで生き残ったとして、

まさかだけど甥っ子(姉の息子)がわたし処分しないといけないなんてことないよね・・・

困る困る困る

あの可愛い坊主にそんなことさせられんって

えーーーまじでイヤなんだけど

逆に増田のジジババの中で、親の未婚の兄弟処分をさせられた人おる?

幸いわたしの両親には未婚小梨兄弟いないんだけど

からこそどうなるん?って感じ!

行政に事前に言っておいたら対応してくれんのかな?

「甥っ子がおるのに行政を頼るなよ」とか言われん?

マジでこわい

ぞっとしてるいま

なんなら母親がいてわたし責任取ってくれるうちに自32したほうがいいんじゃないかって気すらしてきた

助けて

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