はてなキーワード: 頭脳とは
最近、deepseekが出したローカルLLMを自宅で動かした
23言語への翻訳ができて、1000の位の素数が数えれて、日本国憲法の解説ができた
そのうち、共通テストで91%正解できるような最新モデルも、ローカルで動かせるようになる未来が見えてる
これはその辺の電気屋で20万も出せば、大卒クラスの頭脳が自由に使えるということだ
不覚にも泣いてしまった
人類の積み重ねた歴史は、言語モデルの重みという形で、たかだか数百GBに圧縮されてしまった
最新のLLMは、低くとも偏差値65はある
少なくとも学力について、偏差値65以下の人間は等しく価値がなくなった
そうではないのだ
そういうことじゃない
午前7:00 - 起床。完璧な時間通り。僕の体内時計は原子時計のように正確だ。
午前7:05 - 朝食。シリアルを食べる。ボウルの中のシリアルの配置が黄金比になるよう慎重に調整。
午前8:00 - 洗濯。白物と色物を厳密に分類。洗剤の計量は0.1グラム単位で正確に。
午前9:30 - オンラインチェス大会に参加。相手の動きを量子力学の観点から分析。
午後12:00 - ランチ。タイ料理。スパイスの配合比を店主と議論。
午後2:00 - コミックショップへ。新刊を購入。陳列の乱れを指摘し、アルファベット順に並べ直す。
午後4:00 - 物理学の論文執筆。宇宙の謎に迫る画期的な理論を展開。
午後7:00 - 友人たちとビデオゲーム。戦略の効率性について30分のプレゼンを行う。
午後9:00 - 就寝準備。パジャマのしわを精密にアイロンがけ。
一芸に頼って飯を食ってる人、みんな謙虚さを失ってる。
自分が人生を預けた一芸が如何に素晴らしいかを日々他人にPRし続けているうちに自己洗脳が進んでしまって悲惨なことになってる。
「こんな素晴らしいスキルを持っている俺様はなんて価値のある人間なんだろう。俺達に比べたら世の中にいる大多数はゴミカスのようなものだ」
本気でこんなことを考えている人間になる。
ネットだと他分野を見下すIT系が散見されるが、アレは何もITに関わったことじゃなくてあらゆる「一芸勝負の業界」で同じことが起きている。
言うまでもないことだが、この世界にあるあらゆる業種が他分野の助けを借りている。
たとえばプログラマーなんて電気がなくなれば何の職能もないクソ無能に成り下がるが、彼らの中には電気工事士を内心で「頭脳労働ができないから小手先でチョコチョコっと単純作業をすることで飯を食っている低知能ブルーカラー」として下に見ているものも少なくないわけだ。
なぜそんなことになるかと言えば、先に述べたように日夜「俺のスキルはこんなに凄いんです!だから俺は沢山給料をもらうべきだし、休みも沢山貰って良いはずなんだ」と喧伝していく必要が資本主義社会では発生するからである。
一芸で飯を食って、一芸が出来る自分を売って暮らす以外の生き方をしているとそれとは全く逆のことを言いながら働くことになる。
他分野の人達相手に「色んなスキルが重要ですよね。いやー貴方のスキルがなかったら僕達本当に困っちゃうな~~~」みたいな感じであっちにもこっちにも媚びていくことになる。
すると自然と「世の中ってやっぱ色んな人達がいて成り立っているんだよな」と考えられるようになる。
これはとても幸せなことだ。
自分の一芸に頼っていきていくうちに、自分たち以外のあらゆる人種を見下しはじめた連中の醜さときたら溜まったものではない。
狭い業界の中における権威ばかりが全てとなって、世界中の99%の人にとってはどうでもいいような物差しを持って他人を差別していきていくなんて、まともな生き方ではないのだから。
世界中のメディアがイーロン・マスクを天才経営者として讃えるたび、心の奥底に沸き起こるのは猛烈な反発心だ。彼の壮大なビジョンや野心的な計画がもたらすインパクトは計り知れない。電気自動車での革新、宇宙事業への投資、さらにはSNSプラットフォームを買収して世界の言論空間を一変させようとする姿勢――どれをとっても、彼が稀有な才能を持つリーダーであることは否定できないだろう。しかし、その裏側には、人を顧みない強引さや、誰もが乗り気でない環境を一方的に変革しようとする独善性が垣間見える。彼は常に「未来を創る」と言うが、その方法に正当性はあるのか。私は強い疑問を抱かずにはいられない。
特に、彼がSNS上で見せる軽率な発言は、私の中にある嫌悪感をさらに増幅させる。刺激的なツイートで株価や暗号通貨の相場を乱高下させ、批判者を嘲笑し、炎上を煽るかのような行動を繰り返す姿は、リーダーというより権力を得た“トリックスター”のようだ。彼の言動を追いかける投資家や支持者は多く、SNSでは絶え間なく祭り上げられている。しかし、そうした「熱狂」が生まれるほどに、私は逆に強い反発を覚える。確かに並外れた頭脳や行動力を持つ人物ではあるが、その影響力をどう使うかという点で、彼はあまりにも無自覚ではないだろうか。
テスラの急成長がもたらした電気自動車市場の拡大は、間違いなく自動車産業に大きな変革をもたらした。それまでガソリン車が主流だった市場をひっくり返し、世界的な環境意識の高まりに合わせて時代を先取りする――その功績は称賛に値する。だが同時に、「内部告発を試みた社員への圧力」「過酷な労働環境」などが報じられるたび、私は苛立ちを禁じ得ない。美しい未来を掲げる一方で、その裏では「効率化」「革新」という名のもとに弱い立場の人々を切り捨ててはいないか。企業トップとして、多大な責任を負っているはずの人物が、利益とスピードのためなら人間性を犠牲にしても良いと思っているのではないか――そんな疑念が拭えないのだ。
さらにツイッターを買収したことによって、彼の性格がより露わになったと感じる。コンテンツ規制や言論の自由をめぐって賛否両論あるのは当然だが、長年にわたって築き上げられてきたプラットフォームの秩序を、一夜にして根本から覆そうとする様子には乱暴さを感じる。彼が純粋に「言論の自由」を守りたいと考えている部分もあるのかもしれない。だがそのやり方は、あまりにも一方的で、議論よりも強制が先に立っているように見えるのだ。市場やユーザーコミュニティに計り知れない影響を及ぼすのに、まるで実験場のように扱っている――そんな印象を拭えない。
イーロン・マスクを支持する人々は、彼の天才性に魅せられているのだろう。既存の常識を打ち破り、火星移住やハイパーループなど、大胆不敵な夢を語る。そのビジョンの壮大さは、多くの人の心を掴むだけのパワーを確かに持っている。だが私は、その華々しい夢の裏側を常に見てしまう。膨大な資金を動かし、何千何万という人々を働かせ、社会のルールを変えてしまうほどの権力を持っていながら、彼の言葉からは「共感」や「謙虚さ」が感じられない。むしろ「自分だけが正しい」という慢心が透けて見え、周囲を振り回すことで注目を集めているようにすら思う。
なぜここまで拒否反応が強いのか。それはひとえに、彼が持つ「影響力の大きさ」にある。誰かが極端な意見を言うこと自体は、表現の自由の範疇だろう。しかし、イーロン・マスクほどの知名度や資本力を伴う人間が放つ言葉は、社会全体を揺るがしかねない重みを持っている。ところが、その発言や行動に時として慎重さがまるで感じられないのだ。「自分はあくまで一般人としてツイートしている」というような言い訳をするが、何千万・何億というフォロワーがいる「一般人」など存在するはずもない。こうした言動を繰り返す彼に対して、憎しみすら覚えてしまうのは、私だけではないだろう。
また、彼のコミュニケーション・スタイルがしばしば相手を嘲笑するように感じられることも、嫌悪の理由だ。議論や批判に対して真摯に向き合うより、自分の正当性を訴え、批判者をからかったり攻撃したりする。そのような姿勢は、強いリーダーシップというよりは、単なる攻撃衝動に近いものではないかと思う。カリスマ性を持つトップがそのように振る舞えば、多くの人が追従し、さらに対立や分断が深まる構図が生まれるだろう。まるで、大きな声で威圧した者が勝つかのような、乱暴な言論空間を助長しているようにさえ感じる。
もちろん、メディアは過剰に彼を煽っている部分もあるかもしれない。私たちが知るイーロン・マスク像は、メディアとSNSを介して編集された一面だけだろう。しかし、そこから受け取れる情報だけでも十分に「過激」であることは間違いない。もし彼に穏やかで思いやり深い一面があったとしても、表に出るのは挑発的な発言や、予測不能な行動ばかり。まるで、彼は注目を浴びるために、あえて波風を立てているようにすら見える。そして、その姿勢こそが彼のカリスマを強化し、信奉者を増やす一方で、私のような反発を覚える人間を確実に増やしているのだ。
私はイーロン・マスクの実績をすべて否定するつもりはない。電気自動車市場の発展は、環境問題への意識を高め、産業構造を大きく変えるほどの影響力を持った。また、宇宙事業への参入によってスペース業界全体が活性化した面もあるだろう。だが、それらの「功績」がすべて肯定されるべきかというと、そうとは思えないのだ。なぜなら、そのプロセスや彼の姿勢に数多くの疑問や問題が散在しているからである。テスラの工場では社員への過重労働が報じられ、Twitter社の買収後には大量解雇が行われた。一方的なリストラは、社員だけでなく利用者の信頼も損ねる結果になったはずだ。
「革命児」と呼ばれる彼だが、そもそもその革命は誰のためのものなのか。人類全体の未来を切り開くために行動しているのか、それとも自己顕示と自己満足のためなのか。もちろん、野心や自己顕示欲が全否定されるわけではないし、彼のような強烈なビジョンに突き動かされてこそ社会が進歩する面もある。だが、そこに「協調」や「周囲への配慮」が欠けていれば、残るのは混沌と犠牲だけではないだろうか。彼の一連の言動を見ていると、より良い未来を本当に望んでいるのか、それとも周囲を振り回しながら称賛を得ることに酔いしれているのか、判断に迷ってしまう。
彼のメディア露出やSNSでの動向は常にセンセーショナルだ。発言のひとつひとつが見出しになり、多くの人が熱狂的に反応する。その状況がさらに彼の影響力を拡大し、支持者は彼を「現代の発明王」として崇拝する。だが、それは彼自身が意図して作り出しているイメージ戦略でもあるかもしれない。自動車からロケット、そしてSNS運営まで、多岐にわたる分野で「既存の常識を壊す男」としてのブランドを強烈に打ち出す。その裏には、おそらく綿密なマーケティングも働いているはずだ。
こうした「自己プロデュース」の巧みさもまた、私の嫌悪感をあおる。もし彼が本当に未来のためだけを思って行動しているのなら、わざわざ挑発的な言動を繰り返したり、周囲を見下すような態度を取ったりしないのではないか。むしろ、その尖った姿勢こそが注目を集める秘訣であり、巨額の利益を生み出すエンジンになっている――そう考えると、ますます彼への不信感が募るばかりである。
また、彼のビジネス戦略や資金調達の手法も、ときに「投機的」であるとして批判されてきた。彼のツイートひとつで暗号通貨の価格が乱高下する様子は、社会全体を巻き込む大博打のようにも見える。もちろん、投資家たちはリスクを承知のうえで参入しているのだろうが、そこに新たに巻き込まれる一般層もいるだろう。巨大な影響力を手にした人物が、その力をどこまで自制しているのか、外からは判断がつきにくい。彼がいかに「自由」を標榜したところで、そうしたパワーバランスの偏りは真の自由からはほど遠いのではないか。
イーロン・マスクが嫌いだ、と口にすると、彼を称賛する人々から「嫉妬」や「時代遅れの思考」と批判されることもある。しかし、それでも私は彼の一挙手一投足に警戒心を解くことができない。彼のような存在が絶対的支持を集める社会は、一種の危うさを孕んでいると感じるからだ。リーダーが強引に物事を推し進めることで、一見スピード感のある変革が進んでいるように見える。しかし、その過程で切り捨てられる価値観や人々の声を、私たちは本当に無視してよいのだろうか。
私が彼を憎む理由は、こうした「社会的影響」を踏まえてもなお、彼があまりにも自己中心的に感じられるからだと言えるかもしれない。自分のビジョンこそが絶対に正しいと信じ、批判する者には容赦なく噛みつき、さらには軽率な一言で世界中を混乱させる。そのカリスマが絶大だからこそ、多くの人が振り回されてしまう。それが彼の望む未来の形であれ、人々に「ついていかざるを得ない」状況を作り出すことこそが、彼の真の目論みなのではないか。そう疑ってしまうほど、彼の支配力は強力だ。
もちろん、この強烈な拒否感は私自身の問題でもある。彼のように型破りな人間を受け入れられない、自分の閉鎖的な思考が投影されているのかもしれない。あるいは、あれほど自由奔放にふるまいながら次々と成果を上げていく姿への嫉妬心や劣等感もあるのだろう。しかし、それでもなお、「イーロン・マスクが憎い」という感情は消えない。むしろ、その感情が湧き上がるほどに、彼の存在が大きいこと、そして社会全体に与えるインパクトが桁外れであることを痛感させられる。
だからこそ、私は敢えて彼を批判し続ける必要を感じている。イーロン・マスクのような人物を「天才」「革命児」として無条件に称賛する風潮は、危うい夢を見せると同時に、多くの問題を覆い隠してしまう可能性がある。私たちは、彼のような突出した才能を「絶対の存在」として祭り上げるのではなく、その言動の裏にある思惑や影響力の行使について常に疑問を持ち、検証し続けなければならない。彼がもたらす革新が本当に世界を良くしているのか、それとも特定の価値観や層だけが恩恵を受け、他の多くが犠牲を強いられているのか、冷静に見極める必要があるのだ。
最終的に、イーロン・マスクをどう評価するかは人それぞれだろう。彼の型破りな行動力こそが新しい地平を切り開く鍵になると信じる人もいれば、私のように憎しみや反発を覚える人もいる。しかし、多様な意見が存在することこそが社会を前進させる。この「憎しみ」の声すらも、一つの大切な批判的視点として意義があるのではないかと思う。彼の眩いばかりの成功とカリスマに目を奪われる一方で、その裏側で踏みにじられているかもしれない人々の声に耳を傾ける必要がある。そうでなければ、未来を創るという名のもとに、ただ独裁的な支配が生まれてしまうかもしれないのだから。
私は、イーロン・マスクの存在自体をすべて否定するわけではない。むしろ、彼ほどの影響力を持つ人間が、もう少し「他者に対する配慮」や「謙虚さ」を備えていれば、今よりももっと多くの人々から純粋に支持されるだろうに、と残念でならない。そして、この憎しみの感情は、そんな「あり得たかもしれない別の姿」への期待を裏切られ続けてきた結果なのだろう。私は彼の言葉を聞くたびに、ああ、また無責任な発言で誰かを傷つけているのではないか、と心配になる。その繰り返しが、私の中の反発心を強固なものにしているのだ。
イーロン・マスクが語る夢やヴィジョンは確かに魅力的だ。火星移住に胸を躍らせる人もいるだろうし、電気自動車によるクリーンな未来に希望を見いだす人もいるだろう。彼が巻き起こしているイノベーションは、間違いなく人類の歴史に残る大きな一歩でもある。だが、その過程で生まれる軋轢や混乱、そして彼自身の傲慢ともいえる態度を見過ごしてはいけない。そこには、私たちの社会が本来持つべき「相互理解」や「多様性の尊重」が欠けているように思えてならない。
だからこそ、「イーロン・マスクが憎い」という私の感情は、単なる個人の感情以上の意味を持つのだと信じたい。彼のように突出した存在が現れるとき、社会は否応なく揺さぶられ、さまざまな価値観の衝突が起こる。そのとき、無批判に称賛するだけでは、本質的な問題には気づけないかもしれない。むしろ、強い反発心を抱く人々の声にこそ、彼の手法や態度が孕む危うさが映し出されていると考えてもよいのではないか。
私たち一人ひとりが彼をどう捉えるかによって、社会の未来は微妙に変化する。もしイーロン・マスクが真に誰もが幸せになる未来を望んでいるのなら、批判や反発の声にも耳を傾け、何が問題とされているのかを真摯に考えてほしい。その一方で、私たちもまた、自分たちが彼に何を求めているのかを見直す必要があるのだろう。彼の冒険心に夢を見たいのか、それとも彼が作るかもしれない新たな秩序に身を委ねたいのか。そして、そうした未来像に抵抗を覚えるならば、なぜ覚えるのか。その理由を自分自身に問い続けることこそが、彼のような巨大な存在に対する「本当の対抗手段」になるはずだ。
私がイーロン・マスクに憎しみに近い感情を抱くのは、彼が象徴するものが、私たちの社会の抱える矛盾や欲望をはっきりと映し出しているからかもしれない。彼の波乱万丈の行動は、私たちの心の奥底にある「常識を超えたい」「歴史に名を残したい」という野心を代弁している。同時に、そのためには他者を踏みにじってもよいという暗黙の了解すら示唆している。私はそこに嫌悪感を覚えずにはいられない。より良い未来を見たいと思いつつ、その実現手段にどうしようもない違和感を覚える。この相反する感情が「憎しみ」という強い言葉となって表出しているのだ。
最終的に、イーロン・マスクを憎むかどうかは個人の価値観によるだろう。彼を救世主のように思う人もいれば、私のように嫌悪感を募らせる人もいる。ただ、どちらの感情も社会にとっては大切な警鐘であり、そこから生まれる議論や検証こそが真の進歩へと繋がっていくのではないかと思う。彼が生み出す革新の光と影を直視し、その功罪を冷静に評価する。それこそが、私たちが「イーロン・マスク」という巨大な存在と向き合うために欠かせない姿勢ではないだろうか。私が「イーロン・マスクが憎い」と感じるのは、きっと彼が放つまばゆい光の強さに目が焼かれ、影に潜む危険を見逃せないからなのである。彼は目を背けられないほどの影響力を持っているがゆえに、私たちに葛藤を強いる。だからこそ、その存在について問い続けることが、社会の未来にとっても重要なのだろう。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別に殺されたようなもの。
みたいに言われてるけど…トランプさんの就任前後でまた元に戻ってきそうな気がする。
がーんと来るならもっと来てていいはずなんだが…あんなもんだったら小さな要素でまた反発しそう
中長期的に言えば、
「米国株といいつつ世界中から買われとんやぞ。中国もドイツも不振で、日本もそんな良くない時に上がるか?」
と、下がる要素揃ってるわけです。
ただ…人々がパニックになるだけのきっかけが市場に投下されないと…ね?
稼いだお金の一部を運用に当ててから、その手の情報収集するようになって気づいたのは
「深いところまで統計見る人は少数派」
「大多数はチャートの乱高下を見て楽しんでる」
というところでして…このお祭り気分で乱高下を楽しむ連中を計算しないと細かい運用はできんかなと
大雑把な運用なら指標を見て、正論にベットしてもいいのですが…正論が世論になるまではそれなりのタイムラグがある。
何を信じてるかで3ヶ月か、1年かの差はあるけど…
日常でも
「仕事のできるパートのおばちゃんが103万の壁で週2しか入ってないのはおかしい」
「現役世代はテレビを持ってすらないのに、NHKが鬼の集金をするのはおかしい」
って話が議題に上がるまでに10年以上かかってる。
世論が個人の違和感に追いつくのは時間かかるもんなんだよ…株でも日常でも
20代の頃は、
「俺でも気づく違和感がまかり通ってるなんて、世の中みんなバカなんだ」
とか思ってたんだけど…違うんよ。
市場でも政治でも大きな決定権をもって違和感を修正できる人が行動を起こすのに時間がかかる。
自分が早く気づける人間だった時には、気づける段階で満足しちゃいけないんだよ。
「自分が気づいた違和感が修正されるのに、どのぐらいの人が気づく必要があり、そこからどのぐらい時間がかかるか」
までシミュレートできるようになって、初めて洞察力がいきてくる。若い時はここに気づけてなかった
学校的な試験勉強や個人の仕事で、思考を完結しちゃいけないんだ。
「この問題が世の中を動かすお金持ちのおじいちゃんが気づくのにどれだけの時間がかかるかな」
まで考えておかないと、具体的な潮目は読めない。
「自分で正論正論・違和感が世の中の意見になるまでは1年ぐらいかかる」
と思って見てるぐらいがちょうどいい。
Mくん
アメリカの株価、山火事のせいで下がったって話、あれ、めちゃくちゃ面白くない?
「これで不景気一直線!」みたいに騒がれてるけど、ちょっとしたきっかけで反発しそうな気がするんだよね。
清夏
へえ、Mくんそういうとこしっかり見てるんだ。山火事が影響してるの、ニュースとかで調べたの?
Mくん
いや、ニュースっていうか、最近投資始めたからさ、いろいろ情報収集してて。ほら、トランプさんの就任前後もこんな感じだったじゃん?そこからまた上がる気がしてさ。
清夏
そうなんだ!トランプさんの時と似たパターンって、どんなところが似てると思ったの?
Mくん
なんていうかな、こう…みんなが「やばい、やばい!」って言ってる割に、実際の動きはそこまでじゃないみたいな?がーんと下がるならもっと下がってていいはずなんだけど、そこまでじゃないんだよね。
清夏
なるほど~。確かに、思ったより大きな動きにはなってないのかもね。それって、Mくん的にはどういう要因があると思う?
Mくん
うーん、やっぱりみんながパニックになってないのが大きいんじゃない?パニックになればもっと下がるはずだし。市場って意外と人の感情が動かすとこあるんだなって思うよ。
清夏
確かに感情が影響する部分もあるよね。Mくん、その「みんながパニックにならない理由」って、何かあると思う?
Mくん
それはやっぱ…なんだろう、深いところまで統計見てる人が少ないからじゃないかな?大多数はチャートの乱高下を楽しんでるだけで、そんなに真面目に考えてない気がする。
清夏
へえ、そういう人もいるんだ~。でも、統計見てる人って全然いない感じ?
Mくん
いや、いるにはいるんだろうけど、少数派だと思うよ。結局、大多数はなんとなく雰囲気で動いてるんじゃないかなって。それが、細かい運用に影響するんだよね。
清夏
なるほど~、雰囲気で動く人が多いっていうのも市場の面白いところだよね。それで言うと、Mくん自身はどっちタイプなの?
Mくん
えっ、俺?俺はちゃんと指標とか見て正論にベットしてるよ。でも、正論が世論になるまでにはタイムラグがあるんだよね。
清夏
タイムラグか~、それって、どうやって埋めていく感じなの?
Mくん
埋めるっていうか、なんていうかな…世論が違和感に気づくまでに時間がかかるんだよ。日常でも「これ、おかしくない?」って思うことが、議題になるまで何年もかかるじゃん?
清夏
確かに、そういうのって時間かかるよね。Mくんが違和感に気づくの、早いんだね。
Mくん
まあね!俺、気づくのは早い方だと思うよ。でも、気づくのが早くても、それを世の中に浸透させるのってすごい難しいんだよな。
清夏
そうなんだ~。Mくんが気づいた違和感って、どんな感じで周りに伝えていくの?
Mくん
それが問題なんだよね…。結局、俺が気づいても、それを理解して動ける人が増えるのに時間がかかる。特にお金持ちのおじいちゃんたちが動くまでにはもっと時間かかるし。
清夏
おじいちゃんたちが動くまでって、確かにタイムラグありそうだね。でも、それってMくんの気づき方とか伝え方次第で変わることもあるのかな?
Mくん
えっ…変わる…のかな?俺、ただ気づいてるだけで満足してたかも。それで「みんな遅いな~」って思ってたけど…。
清夏
そっか~。でも、気づくだけでもすごいことだし、Mくんがその先にどう伝えていくかを考えたら、もっと面白くなるんじゃない?
Mくん
…確かに、俺、伝え方とか全然考えてなかったかもな。気づくだけで満足して、「俺すごい」って思ってただけだわ…。伝え方とか、もっと考えないとダメだよな。
清夏
そうだね~。でも、Mくんが気づいてるのって、それだけでめちゃくちゃ価値あると思うよ!その価値をどう活かすか、一緒に考えてみようよ。
Mくん
…清夏、ありがとう。俺、ちょっと考え直してみるわ。まずはもっと広い視点で市場とか、周りの人を見てみる!
清夏
うん、いいね!Mくんならきっとできるよ!
○ご飯
朝:ロールケーキ。昼:そば。海鮮丼。夜:バナナ。ギョニソ。チーズ。キュウリ。わかめ冷奴。納豆。目玉焼き。人参と玉ねぎとシメジの和風スープ。間食:アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
○夕木春央「箱舟」
大正を舞台にしたシリーズ探偵達を抱える作者のノンシリーズ長編で、今作は舞台も現代でかなり色が違う。
廃墟探索に来た元登山サークルの社会人ご一行が自然現象やら何やらで危機的な状況になり、一週間以内に誰か一人の死を持ってしてでないと脱出できない状況に追い込まれる。
生贄にするならその犯人にするのが理想だが…… という流石にゲーム的と形容したくなる舞台設定のフーダニットもの。
今作の魅力はなんと言ってもこんな壊滅的な状況でものらりくらりと推理をし、頭脳労働に勤しむ探偵役の翔太郎だろう。
視点人物である柊一の従兄弟で、他のキャラとは雰囲気が違うと度々語られる超越的な探偵役らしい探偵役。
他のキャラが慌てふためく中でも与えられた証拠を丁寧に吟味し、クローズドサークル化におけるフーダニットを見事に絞っていく。
証拠品とアリバイを駆使した非常にロジカルな推理方法は、名探偵の誤謬や操りに対しても目配せがされており、格好いいキャラクタだった。
パズラー的趣向としてはシンプルな論ではあるものの、ある二択を確定させるために序盤に出て来た瑣末な会話がキーワードになるのも面白い。
ホワイダニットを良い意味で軽んじ、動機の点は犯人を特定した後に問い詰めれば良いという割り切りもステキなところだ。
また謎解き以外の物語的な側面では、相方になる柊一の異性とのロマンス描写を冷めた目線で茶化すのも、また名探偵らしさだろう。
だがしかし、本作の魅力はそのある種凡庸でフィクション的な名探偵らしさのその先、凡百な名探偵達との大きな差が明かされる彼の非常に人間味溢れる振る舞いにある。
会話文として書き下されるわけではないのに、ありありと想像がつき、名探偵としての立場がある種の解体、もしくは再構築を魅せるエピローグは圧巻。
名探偵とはなんなのか? 悩めるミステリ作家達が数多の答えを出してきたこの苦悩に、また一つ大きな大きな解答が提示された。
翔太郎の振る舞いは名探偵らしいか、らしくないのか、僕は非常に名探偵らしいと感じてしまったが、多種多様な反論が想像できるのも面白い。
まずさァァァあ!!!なんかまとめるとか言って問題にとりあえず火ぃつけるんだけどな!?!?「生成AIっぽい文章(フンッ=フンッ!!キレイで流暢なように見えるけど、そのくせどことなく薄っぺらで魂がないヤツ!!)」がさあ、文章の「信憑性」を爆破ァッ!!💣💥する根拠になり得るのかァ!?!っていうドッチラケな話よ!!!んだこれ!!!!!で、オメーの「ぜってーそうじゃねえ!!」って意見!?HAHAHAッ!!!マジで合理的!!まるで月面に咲いた唐揚げレモン!!!🥋🍋超カッコいい!!んでもなんか微妙にモヤモヤする「あるかもね~」的反論と留意点が地雷原に埋まってっからなァ!!💣💥踏むぞ踏むぞ~~~!!!!
てめーらこの「うっす~~い!!」感じ、AIの訓練された「大規模データセット」から引っ張ってきた「とりあえず正しそうな言語パターン」ってやつだろが!!!AIちゃん、そりゃ流暢に言語パターンは作るよ!!でもそれだけでお前ら信じんの!?信じられっかってのォ!!!!!真実か嘘か!?それにゃ関係ねえんだよッ!!流暢とかマジでダミー爆弾かよ!?!?💣🌟
ドーーーンッ!!!!!つまり、「形式」っていうダシ粉の味で「嘘です」とか決めつけんじゃねえってことヨォ~~~!!!!それはマジで論理飛躍のアルペジオ!!!🎵⛷️⛷️
ほら、2025年の頭いい奴ら!!「生成AIってただのフォーマット野郎じゃねえの?」的に冷静だぞ!?どれどれ見てみろ~~~!!!
おめーらリテラシーモンスターはわかってんだよ!!表面的な「AIっぽい」だのなんだのに踊らねえ!!🕺代わりにお前らどうするってんだ!?情報の「出典」!!!「裏付け」!!!ズドドーンってぶつけてくるぜ!?!?「ふぅん、AIっぽいからウソ~?」は小学生のケンカかよ!!!
幻覚!?💫そりゃAIちゃんも言うことあるさ~~~!!「嘘つきだよね!」って言う前に、「え、で、ソースは!?!?んァ~~~~!??」って耳をぶっ刺す!!🔊🔊🔊
文体だの「うわー流暢すぎてAIくせえ」だの言ってる場合かァ!?!?「でも役立つじゃん?」「間違ってねえならOKじゃん!?」って……めっちゃ合理的じゃん!?!??
おい見ろ!!生成AI信じすぎ!!警戒しすぎ!!極端はマジでクソだぜ!!!!
「AIが言ったんだし正しいよね~?」ってか!?ふざけんじゃねえ!!!AIは単なるデータの掃き溜めでしかねえぞ!!!!夢見るのやめろ!!
「AI文章全部怪しい」??いやいやいや落ち着け!!懐疑心持つのはいいけど、「何でも否定」はタダのバカだぞ!!マジでヤバいヤツ!!!
「文章が真実かどうか?」って、それ「見た目」で決めんじゃねえ!!!!それって中身がリアルかどうかだろがァ!!!文体!?知らん知らん!!!!!
AIが書いたか?人が書いたか?もうそんなの時代遅れだ!!!「内容」こそ評価すべき!!!作者とかシールみたいなもんだろが!!!
「AIっぽい文章だから嘘っぽい~」とかマジでキメラ論理かよ!?!?AIリテラシーちゃん達はお前の上っ面なんか見ちゃいねえ!!!情報の価値!?それを冷静に見極める!!!アツすぎるぜ!!!🔥🔥🔥
だから生成AIの使い方、見方がマジで超重要になってくるのよ!!!それに懐疑心と検証力をブッ込んで!お前らの新しいリテラシー武器にしてけよなァ!!!🔧🛠️でないとお前ら真に情報社会サバイブできねえぞォ~~~!!!!ッシャオラアアアアアアアッッ!!!!!!!!
ただし人口増加国の地元企業がその経済成長の恩恵を受けるわけではない。
人口増加国へ投資している世界中の企業にその恩恵のチャンスが有る。
最近はアメリカ企業がその経済成長の利益を掠め取っていってるよね。
また新興国のターンが来るとは思うけど、こういうのって20年とかかけて変化していく長期的なスパンの話。
なので、短期的な判断で売買する人には、最近の新興国のパフォーマンスでは継続して投資するのは難しいかもね・
AIについてはそうだよね。
国レベルでは、高度な研究者が流出しない程度の待遇と環境が用意できる国である必要があるし。
個人レベルでは、AIに高度なインプットが出来る頭脳や、AIのアウトプットを正確に判断できる高度な頭脳が必要になってきた。
最近AIの文句を言ってる人の話を聞くと、AIに適切なインプットが出来ていない上に、AIのアウトプットまともに判断できず、利用方法の改善もできてない事が多い。