はてなキーワード: 時代錯誤とは
今日は約束していたとおり、C国とその手先になった氷河期世代によって変えられた日本について語ろう。
氷河期世代は、自分たちの青春時代の象徴として、過去に廃止された女子学生の体操服であるブルマを復活させた。
この政策は「伝統の復活」という名目で進められたが、実際には氷河期世代のノスタルジーと復讐心が絡んだものだった。
当然ながら、当事者である学生やその親たちからの反発は激しかった。
だが、氷河期世代の政策担当者たちはそれを一蹴し、強硬策を取った。
その中の一人、氷河期世代の女性官僚は、批判に対し冷たくこう言い放った。
「私たちが普通にしていた恰好だよ。あんたはそれが恥ずかしいっていうのかい?」
この言葉により、議論は事実上封じ込められ、女子学生たちは全員がブルマを履くことを強制されることとなった。
学校現場では、学生たちが羞恥心と怒りを抱えながらも従わざるを得ない状況が広がった。
さらに、この政策に逆らおうとした教育関係者や保護者には、社会的排除が待っていた。
教育現場で反対意見を表明した教師たちは左遷され、保護者たちはメディアによって「時代錯誤」とレッテルを貼られた。
2025/08/15(土) 15:42:10.27 ID:ABC123456
うーん、確かにIOWNってなんかもったいぶってる感じするよね。言ってることはすごそうに見えるけど、実際どうなの?って思っちゃう。
ISDNの二の舞って言われても全然違和感ないよな。やっぱりNTTのやることって古臭いイメージがついちゃう。
確かに、NTTはよく時代錯誤なことをやりがちだよね。最初は「おー」って思うけど、結局他社に普通に追い抜かれる未来が見えるわ。
IOWNとか言っちゃって格好つけてるけど、結局は通信網の過去の負の遺産を引きずってるだけじゃないの?
昔から「親方電電」を持ち上げるのが日本の通信業界の伝統だったからね。けど、これからは無理があるんじゃない?
もう今時、専用回線の時代じゃないし、データセンター間のやり方を見習ったほうが確実だって思うね。
NTTってほんと、時代の潮流に乗れてない感があるよね。新しいことに挑戦するのはいいけど、もっと現実的にならないと。
どうも企画段階から世間ズレしてる気がするね。「すごい技術開発しました」って言う割に需要を考えてないような。
最近、やたらと「日本車はガソリン車やハイブリッド車(HEV)で儲け続けることが正しい」とかいう風潮に持っていこうとする人をみかける。
それなのに、シュリンクする内燃機関技術に固執し、いまだに「ウチらが正義」みたいな態度を取るのは、日本を礼賛しているように見えて、実は衰退に追いやる悪魔だと思う。
そんな情報が流れれば、慌ててスタンドに並んで、結局無駄な時間を費やす人たちがどっと増えるわけだよ。ガソリンスタンドに長蛇の列を作って余計な渋滞を生み出しながらね。
EVユーザーからすると、自宅の基礎充電環境でまったく問題ないので、泣きながら給油している姿を見ると正直虚しいと感じるわ。
この無意味な時間を浪費する構図が、いまのガソリン依存の滑稽さを象徴していないか?「EVはまだ高い!」とか「充電環境が~」って言い訳をし続けて、結局はたっかいランニングコストを支払い続け、自己防衛的な悪循環に陥ってるわけだ。
海外はもうEVや再生可能エネルギーに真剣にコミットし、技術の進歩と市場拡大を同時進行で進めている。中国なんか、一時期は粗削りなEVだらけで「質が微妙」と笑われてた時期もあったが、今や急速に進化して世界を席巻する勢い。テスラと肩を並べ、EVインフラを整えながら、次世代バッテリー技術の覇権争いをしている。
一方日本はどうか?「EVシフトは減速してる」とか「EVは終わりだ」みたいな印象操作をし、「だからこそ新型エンジン開発が正義なんだ!」と豪語する。
最近は水素エンジンやら新型エンジンで市場を牽引しようみたいな話ばかり。
電気自動車も進んでるって?
でも実のところ、彼らの手元には基礎研究段階の特許ばかりが積み上がっていて、量産化の目途は立たないという現実。
何年経っても量産段階に進めず、実際の市場投入が遅れる。その間に世界はどんどん先に行ってしまう。
プリウスが登場した時代には、確かにトヨタは新技術の先駆者だったかもしれない。
世界がEVに傾く中、トヨタは「EVはまだ未成熟」と言わんばかりの態度を取り、内燃機関にこだわった。
結果的にEVシフトから取り残され、アメリカや中国勢に後塵を拝している。
これってまさに「ガソリン・HEVで稼ぐことが正義」と思い込んで、変化への適応を拒んだツケなんじゃないのか?
さらに、この「ガソリン・HEVこそ正義」的な精神構造は、日本の産業界、政治、そして一般的なメディア・国民性にまで根強く染みついているように思える。
「日本車が世界を席巻している」という昔の栄光に固執し、未来を見据えた大胆な技術投資や市場戦略ができないまま、ズルズルと衰退の道を下っているのが今の姿。
はっきしいって国内市場はめちゃくちゃ小さいし、頼みの海外市場での存在感も低下する中で、ガソリンやHEVでしがみつくことは本当に合理的なのか?
いま日本で売られているテレビって、純国産ブランドはどれほど残っている?
シャープは鴻海(ホンハイ)、東芝はハイセンス、パナソニックはTCL。
携帯電話だって、かつてP(パナソニック)、N(NEC)、F(富士通)、D(三菱)、T(東芝)、S(ソニー)、H(日立)がひしめいていたが、いまはほとんど姿を消してしまった。
結局、昔は世界をリードしていたはずの日本企業が軒並み海外勢に買収され、ブランド名こそ残っていても実質的には外国資本下で動く状況が増えている。
しかも、今の自動車業界の戦場は、もはや内燃機関vsEVではなく、自動運転ができるかどうかだ。
「EVはバッテリーが~」とか「材質が~」とハード面だけで戦うと思い込んでる奴は、完全に時代錯誤。いまはソフトが主戦場だよ。
中国のシャオミやファーウェイがEV参入しているし、あのアップルは結局自動車参入で敗北したと言われている。
日本にGoogle傘下のWaymoが入るというニュースまで出ている。
さらに、アンチEVのアメリカ次期大統領トランプにうまく取り入ったイーロン・マスクが、FSDを自動運転レベル4として認めさせようとする動きさえある。
こんな世界の流れに全くキャッチアップできず、ハードの旧技術に固執して「ウチらが正義」なんて言ってる風潮を作った奴らは、本当に悪魔だろ。
このままじゃ、日本は世界から「いつまで古いクルマ文化にしがみついてるの?」「結局ブランドだけで中身は空っぽじゃん」と笑われるだけ。
ガソリン・HEV依存を「正義」と称えることで、日本が得るものはもう何もない。
未来への投資を渋り、EVシフト、さらには自動運転やソフトウェア戦略への適応を遅らせることは、結局のところ日本自身を蝕む悪魔的な選択だと言わざるを得ない。そろそろ目を覚ますべきだろう。
「ガソリン・HEVこそ正義」という呪縛、そしてハード志向の化石思考から抜け出さないと、この国は家電、携帯電話、そして自動車の分野でも完全に世界の周回遅れになる。
結論:
「結婚ができる気がしない」一方で、「結婚し」なければならないという強迫観念がある。
なるほど「気の合う人間と生計を共にすることによって得られる利益を享受(共有)」するのは幸せなことなのだろう。少なくとも周囲の大人たちはその信念を奉じて生きてきたようであって、同時に、幸せな家庭人生活を送っているようにも見える。
一方で、私は「結婚ができる気がしない」。先述の通り「結婚し」なければならない、という観念があって、かつ、「気の合う人間と生計を共にすること」に対し何らの疑念を持たないにもかかわらず、である。私は夫としても、あるいは父としても、その適格性を著しく欠くように思われる。
どうしてこの結論になったのか、振り返ってみる。
スペック:
上っつら:少なくとも面と向かって悪し様に言われたことはない。中学生と比べると大きく、高校球児の中なら目立たず、プロ野球選手に混じれば小さく見える(はずだ)。人並みには気を遣っているつもりでいる。
私には2つの強迫観念がある。そのうちの1つは「結婚しなければならない」というものだ。もう片方についてはあえて述べない。
かかる珍妙にして時代遅れ(時代錯誤と言うべきだろうか?)の価値観を、いつから我が身のものとしてしまったのか、詳細な事情は記憶していない。ただ、誰かの「家を継げ」とか「孫の顔を見せろ」という種の明確な言葉あってのことではなかったことだけは、はっきりと断言できる。他者からの影響が思い当たらない、本能的に自然発生したと説明するほかない感情だからこそ、我ながら奇妙だと余計に思う。ともあれ、私が「結婚しなければならない」という価値観に囚われていることだけは確かだ。
結婚の前提条件を思い切り単純化するとして、最低限パートナーの愛情を喚起する資質を有すること、とした場合、幸いにもその適格性はあると考えられる。何度か愛されたことがあるからだ。それが私の外形的諸条件に起因したものだったのか、はたまた精神領域と関連するものだったのかは今となっては知る由もない。もっとも、その辺の機序はよく分からないし、検討する実益にも乏しいように思われるから、詳細には立ち入らない(拒絶されたこともある。少なくとも愛されたことの同数はある。こちらの方が問題としてはるかに重大だと思う)。
あるいは大前提として、そもそも私は他人たる異性を心から愛すことができるのか、という根源的な問題も考えうる-イエスだ。中学校・高校(・予備校)・大学と、それぞれの段階で心から愛した/希求した女性は、少なくとも一人ずつは存在した。逆に言うと、何人もの異性とすれ違う中で、(性的昂奮は別として)特別な心情を惹起するに至った人々は、極めて少数しか存在しなかった。
結婚に対して、心理的な阻害要因は存在しない-少なくとも大きな問題はないはずだ。むしろ「結婚しなければならない」というくびきに囚われているのだから、前のめりでさえあるべきだ。にもかかわらず、私は「結婚できる気がしない」。
長くなりすぎた。問題の本質を簡潔に述べる。「結婚できる」と思える人に巡り会えない。
私の愛情の抱き方は、一目惚れに近いものがあると思われる。顔がどうとか精神性がどうとかではなくて、いつの間にか好きになって、彼女(たち)の自慢のアピールポイントや隠したい欠陥といった具体的な要素には一切立ち入ることなく、総体として「好きになって」しまう。このことは、私が好きに"なりうる"人々を類型化することを非常に困難にしている。酸いも甘いもというと身も蓋もない言い方だが、彼女のどこに惹かれて好きになったという具体的な点の説明ができない以上、共通点を見出してその特質を有する人々を探す、ということのしようがない。慣用句的に言うなら「恋は盲目」ということなのだろうか。
逆に、「総体として」好きにならない女性も存在する。むしろ「好きになった」人々が極々僅かな例外にすぎないのであって、今まで出会ってきた何千何万という人々のほぼ全てはこちらにカテゴライズされる。この「好きにならない」人々の中にも、もちろん友人(であると信じたい)は何人か存在するし、有り難いことに好意を抱いてくれた人もいる。私が「好きになった」人々と何らかの点で似通っている人もいた。しかし、私はこの範疇の人々に親愛以上の心情を抱くことができなかった。提供できる親切は、親しき友人としてのものが上限だった。否、それすら私の怠惰ゆえに、とんでもなく低いレベルのものにすぎなかったとも思う。
「愛することができる」人を探すために、アトランダムな努力はそれなりに重ねたつもりだ。他学部開講の講義に片っ端から出てみる。同年代の異性が多いバイトを探す。時には友人に紹介を頼んだこともあった。マッチングアプリだってした。並行して2、30人の知らない異性とパラレルに知り合うある意味刺激的な生活を3ヶ月ほど続けた-何人かの「友人」と知り合っただけに終わった。いいねの数が身長を優に越してしまったあたりで、少なくともパートナー探しではない別の作業になってしまった気がして、やめてしまった。
これから先の人生で、心から愛することができる女性に巡り合える気がしない。おそらく巡り会えないのだろう。仮にいるとしても、既に「売り切れている」可能性すらある。私はもう23歳なのだ!私は恋愛市場上のまさに完全な敗者として、20代前半の若者が集まる場所としては日本で最も大きな部類に入る学舎を去ることになる。偏差値市場上の敗者として押し込められて、恋愛市場上の敗者にして立派なインセルとして出荷される。
「結婚」自体は可能ではあるのだろう。「結婚しなければならない」という心情へのアンサーとしては、最も安直だが直裁な解決策でもある。私一人で家庭全体を食べさせることができるかどうかは別として、その大部分を担うことに対しては、現実として可能であろうし、別段おかしなこととも思わない。
ただ、私は、結婚生活にしろ親としての生活にしろ、その本質の一側面は自由の縮小であると強く信ずる。期待や喜びの総量をはるかに上回る失望と失敗の連続であろうと確信している。いざ焼かれる時にどう思っているかは別として、存命中常に家族とやらに関する何らかの心配をし続けていることだけは確かで、幸せな家庭生活というものが仮にあるとしたら、それは常駐する100の心配事と同時に0.01の安寧を自覚できるかそうでないか、という程度の話でしかないのだろう。
そのとめどない苦難の道程を、愛することのできない人と共に歩いて行けるのだろうか?より直接に言う。「妥協できるのだろうか?」決して少なくはない人々が「できる」ことは知っている。それどころかたった100年前、それこそがセオリーだったことも知っている。ただ、私は「できる」とは思えない。途中で投げ出してしまうという確信がある。親しき友人としての親切が上限で、それを超える困難と直面したら、逃げ出す。「結婚しなければならない」という私のエゴと人としての欠陥ゆえに、罪のない他人のことをこれ以上不幸にしたくない。
諸先輩方はどのように折り合いをつけたのだろうか。「後から好きになる」ようなことがあったのだろうか。「子供が生まれたら変わる」のだろうか。はたまた「みんな結婚してるから、流れに合わせてそれっぽく振る舞ってるだけで、相手に特別な感情はなかったし、何なら今は少し幸せに感じることだってあるよ」というのが真実なのだろうか。もしそうなら、どれほどよいのだろう。
鬱屈とした諦観だけがある。"愛することすらできずに"家庭を放り出し、エゴのために他人を有形無形に傷つけたクズの烙印を押されるよりは、生涯部屋のアガベとサボテンどもと共に、好きな音楽と映画の世界観だけに閉じこもって、屈折した強迫観念を胸に秘めたまま朽ち果てて死んだ方がマシだ。最大多数の最大幸福を希求するなら、それが社会的に最善でもあろう。闘争領域は本来、縮小されるべきなのだ。
泣き言を書き散らし、日記とすることで、何らかの整理がついたように思う。この乱文を書く直接の動機となった、『22歳女オタクvs結婚願望』 https://anond.hatelabo.jp/20241207175805 の筆者が良きパートナーとなりうる人と巡り会えることを切に祈り(貴女は可能だと思う。私はそう確信するし、本心からそう願っている)、終いとする。
偏見交じりにまとめてみるわ。
1. 趣味に全振り:鉄道模型とかアクアリウムとか、独身じゃないと成り立たないディープな趣味にのめり込んでる。
2. 潔癖すぎる:自分の家やルールを乱されるのを極端に嫌がる。
3. 料理に自信あり:でもやたら独自のアレンジを加えて「これが本物」と主張する。
4. 無駄に良い家電を揃えてる:全自動コーヒーメーカーとか高級炊飯器とか、独りなのに超贅沢。
5. マッチングアプリ常連:プロフィール写真が旅行先で微妙な笑顔の自撮り。
6. 友達の子供を嫌がる:子供の声がうるさいとか理由つけてフェードアウト。
7. 実家暮らし:しかも「親を手伝ってる」みたいな言い訳がセット。
8. ペット依存:猫や犬が恋人代わりで、ペットSNSアカウントも運営中。
9. 年下女性ばかり狙う:同年代には「魅力を感じない」とか言っちゃう。
10. 服装が過去のまま:未だに20代の頃のファッションで止まってる。
11. 自分の市場価値を高く見積もる:「俺まだまだいけるでしょ?」的な。
12. 飲み会では説教キャラ:「俺くらいの年齢になると分かるよ」って言いがち。
13. 「自由」をやたらアピール:でも周りは「孤独」と見てる。
14. 婚活イベントの常連:顔見知りが増えて逆に行きづらくなる。
15. 妙に健康志向:青汁とかヨガとか、結婚と無関係な方向で努力。
16. 偏ったジェンダー観:「女は家庭的であるべき」とか時代錯誤な価値観。
17. オタク感満載の部屋:フィギュア棚やゲーム機がズラリ。
18. 親戚に会いたがらない:結婚の話をされるのが面倒で、冠婚葬祭もスルー。
ネットの言説を見てると、
保守派は 「リベラルはお花畑、全く現実が見えずに批判ばかり」
革新派は 「保守派は愛国を隠れ蓑に人種差別を行う時代錯誤の頑迷」
みたいな感じだけど
自分はリベラルなんだけど、重武装リベラルって立場は成り立たないのかな
何と言われても、男性優位・既存権威層優位の社会だったのは否めないよ
それに対して所謂「ポリコレ」が盛り上がるのも故無いものではないと思う
かといって、地政学的に考えたら日本の立場は、中国やロシアからは狙われるのは必然的な立ち位置
これは海上運輸が決定的に陳腐化するようなブレークスルーが無いと覆らない宿命
だから、中露と「話せばわかる」なんて微塵も思わないのだけどね
ネットの言説では右左でキレイに分けすぎなんだけど、重武装(核戦力を含む)で自立して、西にも東にも是々非々で行けるときがきたらいいなあと思うのですが。
それこそがリベラル的な理想論(≒お花畑)なのかもしれませんが…
斉藤知事に投票した10代、20代に比べて中年はてなーは時代錯誤wwみたいな言説があるが、断絶があるのはその通り
俺たち中年のネットに比べて、10代、20代が使うyoutubeやSNSはレコメンドエンジンがえぐいんよ
youtubeで立花でもトランプでもなんでもいいが、ちょっとそっち系の動画視聴したらもうレコメンドが先鋭化するだろ。そっちの方が動画を見るからだが。
中年の俺たちは無意識にバックエンドの振る舞いを理解して、レコメンドを散らそうとして行動を変えるんだが、
そんなことレコメンドネイティブの若い連中がやるわけない(賢いやつはやるかもだが)
たまに上がる再生数二桁の謎の啓発動画とか俺たちは秒で避けるけど、たぶん避けずに巻き込まれるやつもいるんだよ
もう言うまでもないが、数打てば当たる戦略に飲まれる程度には一般民衆にネットが染みこんでしまった
今の俺たちはイーロンやgoogleやその他ビッグテックのAIエンジンに飲まれてて、ダイレクトに政治にダメージがあるのが困る
何が悲報だ、「あまりにも滑稽な結末に至っている」笑っているじゃあないか。
アナタは匿名日記サイトを悪用して、LGBTs への誹謗中傷を行なっている。
「外見で女性を目指す」などという時代錯誤のジェンダー規範を捏造してんじゃねーよ。
男女平等に逆行してる。
森元首相の「女性というには、あまりにもお歳だ」が世間にどうぶっ叩かれたか知らんのか。
続く「競技においては多様性よりも公平性が優先され、」であたかも競技以外では多様性が優先されるべきかのように書いているが、アナタは男らしくあるべき・女らしくあるべきを押し出してるじゃねーか。
欺瞞を止めろ。
国民民主党といえば、今の政治に新しい風を吹き込むことを目指している党だ。彼らが掲げる政策やスタンスは、若者の未来や日本の活力を考えた現実的で、かつ挑戦的なものが多い。それなのに、いまだに国民民主党やその候補者である石丸伸二氏を応援しない、あるいは支持しようともしない人々がいる。それって、もしかして「老害」じゃないだろうか。
まず言いたいのは、これまでの政治に対する不満は誰もが感じていることだろうということだ。長年にわたり「安定」という名のもとで変化を拒んできた日本政治の問題点は明らかだ。それなのに、古い価値観に固執して、今の変革の波に乗ろうとしない人々がいる。自分が築いた昔の「日本」こそが理想だと信じて疑わないその態度は、若い世代にとってはまさに「老害」でしかない。
例えば、国民民主党が訴える教育改革や経済活性化の政策についても、変わらなければならない部分が多く含まれている。特に、教育制度の硬直化や経済成長の鈍化をどうにかしようとしている国民民主党の姿勢は、これからの日本に不可欠だ。だが、これまでの古い仕組みに執着する人々は「今のままでいい」と言って、変革を恐れる。こうした態度が「老害」そのものだと気づいてほしい。
石丸伸二氏についても同様だ。彼は現場での経験を積み重ね、国民の声をしっかり聞いてきた実直な政治家だ。それなのに、「若いから」「経験が浅いから」といった理由だけで支持しない人がいる。こうした批判は、時代錯誤でしかない。若さを軽んじ、年齢や経験だけを評価基準とするその考え方こそが、時代遅れだろう。日本には、新しい視点や柔軟な発想が必要で、石丸氏はまさにそうした力を持っている。
さらに、日本の未来を考えるうえで、今の20代や30代がどれだけの負担を背負っているかを理解してほしい。古い世代が享受した社会保障制度や年金の支払いは、現在の若い世代が支えている。それにもかかわらず、若い世代に配慮のない政策ばかりが続けば、次第に若者は日本から離れていく。それを防ぐためにも、国民民主党のような新しい発想を持つ政党に目を向けるべきだ。
もちろん、誰しもが国民民主党や石丸伸二氏を絶対に支持しなければならないと言うつもりはない。しかし、これからの日本を本気で変えたいと思うなら、既成の価値観にしがみつくのはやめるべきだ。未来を担う若者たちの視点を尊重し、彼らの意見に耳を傾け、共に変革に向き合うべきだろう。
結局のところ、「老害」かどうかを分けるのは年齢ではなく、思考の柔軟性と未来志向の有無だ。変化を恐れ、過去に固執することは、未来に対する無責任に等しい。日本がこれからも成長し、発展していくためには、新しい視点と柔軟な発想を持ったリーダーが必要不可欠だ。そしてその変革の先頭に立っているのが、国民民主党と石丸伸二氏だということを忘れないでほしい。
未来を見据え、次の世代に託せる政治を作るために、国民民主党と石丸氏を支援することが、これからの日本のために重要な一歩だ。
自分の友人たちは顔のいい男女ばかりなので友人たちと並ぶと自分が見劣りするということは自覚がある。
ここでいう顔のいいというのは、二重、鼻が高い、バランスが整っている、彫りが深いなどで、自分は奥二重だし鼻低いし薄い顔をしている。
とはいえ、不細工や気持ち悪いと言われたことも避けられたこともないので恐らく普通の範囲内なんだとは思っている。
服は若い頃は好きだったけど、今(30歳子持ち)はオシャレさよりコスパとか機能性とかでユニクロや無印で十分だよなぁという考えの方が強い(時々高めのお店とか買い物行くと珍しいデザインとか色とかあって良いな〜!とは思うけど買わない)
こんな状態だったけど、もっと老いたときに「30代なんてまだまだ若いんだから楽しんどけばよかった」と後悔しても遅いよなぁなどと思い、美意識というか、美容とファッションに対して頑張りたいなという気持ちが復活してきた。
メンズライクファッションとかジェンダーレスファッションとかそれっぽい名称つけて遅れて来たイタい厨二病みたいなスタイル肯定するの辞めてくれ〜〜〜〜!!!!!
元々自己肯定感がちょっと低めだった彼女が最近のインスタ女の「可愛い女」「細い女」にコンプレックス拗らせた結果もうアラサーなのに韓国の10代ぐらいのガキが着てそうなストリートファッション崩れとかトー横界隈のチャラ男が着てそうなパンクファッションのなり損ないみたいな奇を衒った格好ばっかりするようになって痛いよ〜〜〜〜〜〜〜〜😭😭😭
そのテの発信をする女が無駄に「どんなファッションをしようが本人の自由👊」とか「自己表現に年齢や他人の価値観なんて関係ない✌️」みたいな事をもっともらしく宣うせいでガッツリ間に受けて、最近仕事終わりにデートしたら職場にもそういう格好で出社してる事が発覚して居た堪れないよお
蛇の形のイヤーカフとか男物のゴツいウエスタンベルト、太いシルバーチェーンのネックレス着けたり、ダンスやってる奴みたいなワイドパンツとか厚底履いてダメージデザインとか言ってズタズタの清潔感ないカーディガン着て仕事に行ける社会性の無さがヤバいよ😭😭
それで出社するのは辞めた方がいいよとか、TPOや社会常識の話を繰り返ししたけど、普通の女性らしくして周りの女性と同じ土俵に立つ劣等感よりもTPOやマナーや常識を破る方がマシって本気で思っててどうしようもないよ
スタイルや容姿のレベルにコンプレックスを抱いて女の子らしい格好をする事に強い抵抗が産まれたのだとしても絶対に今の方がよっぽど恥ずかしすぎるし、そういう派手なマナー違反をする人間の方が絶対陰で何か言われるに決まってるのに何でわからないの😭😭😭
他人は君のそんな事情なんて知らないし、知ったとしても汲む訳ないんだから、客観的に見たら君は校則に反発して普通じゃない奇抜な格好をしたがるチャラい中高生のノリが遅れて発露しているみたいで格好悪いしめちゃくちゃ非常識でダサいよ………
これからどんどん若い後輩が入ってくるだろうし君は先輩にもおばさんにもなっていくのにどうするの?そして、これをどう説明してもどれだけ話しても「女としてカウントされないのに女の格好なんか」って主張一点だけで思考停止しててどうするの😭😭
男の理想押し付け過ぎとでも時代錯誤とでも何とでも言われて構わないから女性は女性らしい服装が良い、清楚な格好をしているのが良いって価値観が普通の認識に戻って欲しいよ………