はてなキーワード: 没交渉とは
御年とって45歳
Fランの適当な大学に入り、NW系の資格だけ取って社会に出たが即脱落
幾つか底辺職をさまよい続け、10年前にコールセンターに居ついた
未だに年収300万前半とまあもう完全に底辺オブ底辺というやつだ
とはいえ金を使う趣味が酒、しかも自宅酒のみだったのでこの10年で1000万は貯まった
親が結婚相談所に入りいくつか資料よこしたが見もせずゴミ箱送りした
親にもそんなムダ金使わず自分の生活潤すために金使えと伝えていた
そんな状態だったが6年前に母が死に、去年父が死んだ
親の兄弟が面倒見てくれたそうだ
糞以下の親不孝者である
母が亡くなって1年がたった時 父から生前相続だと自分名義の通帳を2つ渡された
株に興味はあったが口座を持ってなかったし、その口座を開くためのマイナンバーカードも取得していなかったのだ
親の後始末用の金として残しておきたかったというのもある
母が亡くなり、父が亡くなるまでの間に新NISAが始まるという話が出てきた
旧NISAは枠が狭すぎたけど新NISAなら枠大きいし種銭もあるのでこれで投資するかと準備を始めた
その矢先に父が亡くなったのだ
上記にあるように実家とはほとんど没交渉だったので、仲の良かった弟(こちらは嫁子供居る)が後始末をやってくれるものだと思っていた
が、なぜかこちらに水を向けてくる
遺産相続なんかも全部持って行っていいぞと伝えたが、こちらにやらせようとしてくる
じゃあしょうがねえかと全部後始末をやることになった
ああでもねえこうでもねえと苦労しながら処理を進めていった
そこで判明したのは
いやちょっと待てよと そんだけ金あるんならいくらでも投資だのなんだの出来たろ
なんで使わず残して逝くんだよ
答えてくれる本人は居らず、聞きもしなかった親不孝がそこにいるだけだった
自力でやって間違えたり弟に痛くもない腹探られたりしたくはなかった
そして俺は億越えの金と2町歩の田んぼ、築80年の家を相続した
金はほぼ7割を即インデックス投資にぶち込んだ
今はもう働く必要ねえなあと思うが仕事がきついわけでもないので隠居の準備を進めている
https://anond.hatelabo.jp/20220123035316
まず、
どのネットコミュニティにもこの人みたいなこと言う人はいます。
私は匿名掲示板利用が多かったのでこのタイプの人を大量に見てきました。
わりとどこにでもいます。
みんながめいめい『〇〇』の感想を言い合ってやりとりしてる中で
自分は居づらい・語りにくい」
的なことを言い出す。
それもこんな整理した言い方のクレームじゃなくて、
だけどまあまあ強い非難の口調でその場所への不満を表明しだすわけです。
気付いて見慣れてくるといろんな場所で
そういう時に私は
「じゃあなたのしたい話題をふってみ、ちゃんと乗るよ」と言うんですが
そこで「ほんと?!ありがとう!じゃあさあ…」って息せき切って語りだした人はこれまでゼロです。
誇張抜きに本当にゼロ。
反応はむしろ逆で、喜ぶどころか
「所詮こんなところでは語れないから~」的なことをごにょごにょって言って
逃げ去るように居なくなっちゃうんです。
「好きな話題語っていいよ」「聞くよ」「合わせるよ」と言うと困った感じになって去ってしまう。
これも誇張抜きでゼロ。
じゃあ何を書き込んでるのかというと、
人の書き込みにぼんやりしたケチを付けたり居づらさ表明をしたりだけ。
そりゃあこれだと輪に入れないでしょう、となります。
そもそもきょうび「どこにも居場所がない」はおかしいんですよ。
同じぐらい古いふたばや5chですら無数に板もスレッドもあるし、
ジェンダーの話もウヨサヨの話もしない場所くらいいくらでもあるんです。
メジャーなトレンドとは没交渉で交流したり喧嘩したりしてますよね。
(たとえば私の好きな在来馬乗馬界隈はおおむね仲良しで平和だけど
ウエイトトレーニング界隈はしょっちゅう界隈内で喧嘩してるし
若い女性向けインチキエクササイズ界隈に戦争を仕掛けてまでいる。)
最低限の主体性がある人なら
語りたいことがあれば勝手に語りだして語り続けることができるし
そんな2024年のインターネットで
「居場所が見つからない」ってなかなかあり得ないと思いません?
結構長いことこのタイプの人の主張や行動を観察してきた末の結論として
この人たちは語りたいこと・語れることなど何もないのだと思います。
この人たちがどこへ行っても疎外感を抱くのは
場の話題が合わないとか場の人達のマナーがよくないとかではなくて
じゃあそれはなんなのかというと
当人の読み書き・発達・認知あたりに軽度の難を疑っていいと思います。
というかたぶんオフライン生活でも何かしらの困難を持ってるのでは?と考えます。
idのあるところでこのタイプの不平を漏らしてる人の書き込み履歴が
必ずぼんやりした感じで自分の意見らしいものが皆無なのもそれで、
要するにほぼ思考がまとまらないし言葉にもならないっぽいんですよね。
コミュニケーション自体がうっすら難しく、文字コミュニケーションは更に苦手。
「どこへ行っても居場所がない」
「どこへ行っても場所が悪い」
「どこへ行っても自分に意地悪」
といった主観になって、
社会が悪い人が冷たいという感じのぼんやりした不平不満に回収されるから
「自分が原因かも」とは気づけなくなる。
(これは性格が良い悪いの話ではなく知的能力の話をしています。)
これとよく似た症状&不満を呈する人たちがいます。
高齢者です。
元々の知能が高かった人は末期まで活発に活動して認知能力も維持し、
元々の知能が高くなかった人はどんぼんぼんやりして認知症様の状態になります。
(アルツハイマーなどの病変は除く)
後者にすごく似てません?
真っ先に何らかの知的能力の不調や欠損を疑うのは合理的だと思います。
周りが何を言ってるかよくわからない、
軽度知的障碍者と高齢者は結局同じ問題を抱えて同じ困難にぶち当たってません?
彼等の最良のネット参加と言うのはおそらく
積極的に参加できずにボーっと読んでる(一部しか理解できない)
みたいな感じだろうと思います。
(スレッドの流れが自分の狭い好みにそぐわない話や理解が難しい話になると文句を言いに現れる)
差別主義者だとかバカにして笑ってるんだみたいなことを言われますが
そんなくだらないことするためにわざわざ長文書きません。
「自覚がないけどちょっと人より能力が落ちるから独特の困難にぶち当たってる人」
短時間に複数回通知があったので親戚か部屋の管理会社とかかな?と思って出たら、10年ほど連絡を取ってない昔の男からだった。
私の番号は学生の頃から変わってないので、向こうが知ってるのはおかしなことではない。が、唐突すぎて、当時どういうテンションで会話してたかもはや思い出せない。懐かしさを感じるよりも、え????なに?????感が拭えないままとりあえず会話に応じる。
誰かの訃報でも聞かされるのかと思ったら、特に用事はないようだった。今どこに住んでるのか、どんな仕事をしてるのか、結婚してるのか、子どもはいるかなどを尋ねられる。これらの情報を何ひとつ知られてないぐらいには疎遠だ。
緊急の用件がないなら、「私が独身のまま、まだずっとあなたを忘れられずに過ごしている」ことでも確認しにきたのだろうか。残念ながら既婚だし、今の私はもうあなたの存在を必要としていない。
学生の頃、私はこの人にずいぶん長く片思いをしていた。中学で一時期両思いだったものの特に進展がないまま終わり、でも私はずっとやんわり彼が好きで…みたいな。大学の時に地元の飲み会で再会してからはまた仲良くなり、相当な時間を一緒に過ごした。でも、私が告白しても応じてもらえることはなく、セフレみたいな雑な関係しか持てなかった。
全部、昔々の話だ。
社会人になって私が地元を離れてからはほぼ没交渉。向こうは随分前に結婚して子どももいる。
もう会うことはないと思っていたけど、彼の中で私はあの頃のままのようだった。
むしろさらに都合よく美化されてる。(私も私で都合よく腐化してるだろうけど)思い出話に混じって「ずっと好き」「俺の特別」「また会いたい」みたいなことを照れくさそうに語られた。
ずっと好きならこんな疎遠になってないだろうよ。
恐らく、奥さんとの関係がうまくいっていない。他にもいろんな要因が絡んで精神的に参っているのだろう。「ずっと俺のことが大好きな、俺の理想子ちゃんに癒されたい」というところか。
正直、困る。困るっていうかうっすら怖い。「私もずっと好き。特別な存在だよ。会おう」と返ってくるとでも思ったんだろうか。
昔々の私なら、そう言ったかもしれない。彼からの突然の電話に舞い上がったかもしれない。
でも残念ながら、彼が見てるのは私の蜃気楼だ。彼が思い描く理想子ちゃんは、もうこの世のどこにも存在しない。
10年ぞ。あなたと私の関係はもうとっくに終わっている。細胞もすべて入れ替わっている。
今の君のしんどさを救うのは、美化しまくってもはや原型を留めてない過去の私じゃない。目の前にいる家族とか、これから出会う他の誰かだよ。
小1で別居してもう5年の父親だよ。
まずは月イチの親子交流を問題なくこなすこと。それが当たり前のようになることが大事。
トラブルになって、以後会えなくなってしまった、なんてことがないように。
約束を破られそうなら、親子交流について公正証書を作っておけ。
2歳から漫画のことなんて考えてもしょうがない。2歳なら父親だという認識もこれから芽生えるのでは。
とにかく、月イチで会っているのがお父さん、と認識してもらおう。小学校入学まではそのくらいで良いのでは。
次に、何年かかけて、月イチ面会で本(漫画)などを与える(一緒に買う)のが当然のイベントのようにする。
母親に黙って与えたりしたら、金品で子の気持ちを惹こうとする、と言われるかもしれないぞ。
儂はまず、誕生日(5月)とクリスマスの機会限定で、3千円まで本を買い与えることを許可された。
そこから数年、今は毎月の面会交流時に本を2冊買ってあげることまでなった。
別居から離婚して、早5年、小学校6年だけど、どんな本を読みたいか、どんな本が欲しいか、など話すのがとても楽しい。
娘に毎月1巻ずつハリポタを読ませようとしたら面白かったから翌月の親子交流時に全巻読み終わったと言われてびっくりしたり、呪術廻戦やフリーレンの話題で盛り上がるなんて思わなかったよ。
増田も頑張ってくれ。
(追記1)
結構反応があってびっくりした。はてのちゃんからもコメントをもらって嬉しい。
ちょっとだけ補足。親子交流に関して、現状を知ってもらいたいので。
→親子交流の実態は変わらないと思う。儂は、面会交流も調停から審判で決定した。
話し合いで決まらない場合、裁判所が決める親子交流の相場が「月1回、2時間」。ただ、双方が離れて(東京と大阪とか)暮らしていたら、もっと少なくなるかもね。
共同親権になったからといって、親子交流そのものには影響がないと思う。非監護親が親権があるからと言って、監護親の生活に割り込むことが認められる訳ではない。
・会えなくなる親が多い
→両親次第だと思う。母親も(当初)1−2年は2ヶ月くらい面会交流を平気でキャンセルした。
裁判所が審判書を作成しているので、間接強制(会わなかったら月◯◯円支払え、と家裁に申立てる)をかけることにしたら、以後は毎月守るようになった。
うちは第三者機関を利用して、双方の親同士が絶対会わないようにして会っている。
離婚するくらい、嫌っている相手同士、没交渉になりがち。第三者機関が連絡を取ってくれるので、毎月会えている。
公正証書を作れ、というのは親子交流を確実にするためだ。口約束なんて、ちょっとしたところで反故にされる可能性がある。
(追記2)
この夏休みの娘のブームが、横山三国志(漫画)から吉川三国志、薬屋のひとりごとから、本好きの下剋上。
父親としては、まだ読んだことのない本も教えられて、慌てて大人買いして話題についていこうとしている。
元増田が釣りかどうかはさておき、親子で好きなことで話ができるのは楽しい。
(追記3)
誘拐被害者、離婚しても子どもと会いたいものなんだね、他の女探そうぜ
→指摘ごもっとも。人によるのでは?
連れて家を出たときは、刑事事件として訴えることも考えたし、相手の代理人弁護士をあの手この手で下ろすことも考えた。今でも恨みはある。
別居以降も月イチでも会うのは、儂は娘が可愛いし、成長していることを感じたいから親子交流をしている。
親子交流と養育費は等価交換の条件ではないし、世の中には子には会わず、養育費だけ支払っている親だってたくさんいると思う。
会うのを止めたら、今後も会えなくなるのが怖い。今の月イチ、というのがちょうど良いと思っている。
(追記:ここに邪推している人がいてびっくり。月4日しかない休みを父親と会うために何日使うか、と考えて月イチが母子の生活を邪魔せず、ちょうど良いと思うだけだよ。習い事もしているし、今後は中学で部活や友達と遊びに行くことも入ってくる)
(追記4)
第三者機関について。
親子交流で、一方の親の拒否感が強い(非監護親に会いたくない、近くまで行くのもいやだ)場合に、面会交流を手伝う目的で作られている機関。
調べれば結構でてくる。
親の間の連絡係だけのところや交流当日に付き添う(何かあったら通報する)だけのところから、日程調整と当日の付き添いまで、色々。
うちは、日程調整(機関のスタッフを介して、日程を決める)、交流の場所を提案、母親から良い、という返事をもらって確定。
双方、スタッフを介して親同士が遭遇しないように当日の移動経路も決める。(父親JR駅、母親東京メトロ、みたいに)
最寄り駅で母親からスタッフが子を預かり、父親が待っている場所に移動。
面会交流中はスタッフはじっと付き添っている。遊園地などでスタッフの入場料などは両親持ち。
時間まで交流したら、解散。スタッフが子を連れて、母親の待っている場所につれていってくれる。
利用料、スタッフさんの交通費も合わせて、2時間で3−4万くらいかな。
審判で折半となったので、母親と半々負担。こちらの負担は月1万ちょっと。遊園地などでかかった金も折半なので、そこは養育費から引く。
(これも審判で裁判所から決められたことなので母親側が拒否できない。間接強制をかけている)
緊急事態宣言が出ていた時は当然やっていない。面会交流機関自体が活動を止めていた。
緊急事態宣言が終わっても、入場制限をしていた上野動物園やディズニーランドは抽選を乗り越えて観に行ったな。
後は、双方どちらかが、体調が悪い時は会っていない。
パートナー間のジェンダーバランスは、男女間でも似たような悩みがあって、
たとえばうちは妻がフェミニストで、苗字も別で、どちらかといえば「意識が高い系」かもしれないが、
それでも、男の自分が「伝統的な」男の仕事・役割を担っているところがある。
まず力仕事。そして、お金は基本自分が出し、妻は補助的な負担のみ。
炊事洗濯掃除は私がするけれど、学校対応は妻の方が周囲受けがいいし、
本人も楽しんでいるので、子どもが中学にあがるあたりで、自分は子どもの学校とは没交渉になってしまった。
最初は、フェミニストならお金も家事もフィフティフィフティの分割を目指すもんじゃないの? と思ったけれど、
結局、妻と夫、それぞれがひとりの人間として向いていること、できることに落ち着いた。
損をしていると思わないことはないが、妻の体力や経済力では難しいこともあるので、納得はしている。
結果として、互いにリスペクトがあり、互いに困っているときにカバーできれば、
ずいぶんと昔に大層好きだった男の人が、ここ最近、ときどき夢に出てくる。
彼は小学校と中学校が同じで、高校は同じ方面の電車。なんと生まれた時から住んでるマンションも同じ。駐輪場で会った回数はいざ知らず。そのため、恋愛感情の有無に関係なく、なんだかんだと日々視界に入ってきた馴染みの存在でもある。
子供の頃、私の妹のおもちゃを公園の砂場に埋めて無くして泣かせたことも、小学校のとき転校生の女の子に惚れてたことも、中学のとき好きだった女の子と卒業後も会いたくて、あえて彼女が使いそうなコンビニでバイトしていたことも、新卒で入った会社でどんな仕事からスタートしたかも、全部知ってる。帰省時に彼のご両親と鉢合わせすれば軽く挨拶もする。
……こうやって書くと、好きだった人というよりも幼馴染だな。恋愛として好きだった期間はそれなりに長かったはずだけど、恋愛感情がない状態で交流していた期間も相当に長い。
未練があるわけじゃない。普段はまったく頭の中にいない。若い頃は仕事終わりに2人で近所の公園でビール飲んだり、夜中にコンビニで出くわしたらそのままアイス買っておしゃべりしたりしてたけど、私が上京してからは10年以上没交渉。「縁が切れるとはこういうことか」と思うくらい、今の私の人生に彼はいない。
にもかかわらず、なんか知らんが今さら夢に出てくる。ごくたまに。
今日も出てきた。詳しいシーンは特に覚えてないけど、目覚めた時に「あ、なんか今日夢にいたな」って感じ。
最初は「どした?死んだのか?」と思った。でも、誰からも訃報が届かないので多分生きてる。奥さんと子供と仲良く暮らしてるのだろう。
「実は私が、彼に未練でもあるのか?」と思って胸に手を当ててみたけどそれも見当たらない。私は私で素敵なパートナーとこれ以上ないくらい毎日楽しく暮らしている。
はるか昔、彼を好きだった少女時代は彼との結婚を夢見たりもしたさ。でも、だから今どうのこうのってわけじゃない。連絡先ももうわからないし、連絡することも特にない。こうやって書くと懐かしく感じる一方で、じゃあ会いたいかと問われれば別にという感じだ。
でも、夢に出てくるなら私の中にナンカがあるんだろう。
元気なんかな。
くらいには気にしてんのかな。
でも正直、あんたが夢に出てくるくらいなら、死んだおばあちゃんとかの方がよっぽど出てきてほしいけどな。
なに?なんか用事ですか?
実家のリフォームが決まり色々置きっぱなしのものを片付けに行ったら中学生の時のプリ帳が出てきた
プリ帳とは小さいノート的なモノにプリクラ貼って、日付と一言とテキトーなシールだのペンだのでデコレーションしてある代物である。もう令和の小中高生はこんなことやってないんだろうか.....
当時は遊びに行く=プリクラ撮る、みたいなところがあったので色んな子たちとのプリクラが貼ってあった。卒業してから会ってない子も結構いた。
その中で増田が勝手に1番仲良しだと思っていた子とのプリクラがひときわ沢山あった。増田はその子のことが大好きだったので、添えてある一言にも「今日も○ちゃんは可愛かった」「この服似合ってる!」など、その日の出来事ではなくその子の感想ばかりが書いてあって、我ながらキモかった。
その子とは中3の時だけ同じクラスで高校は同じだったが頭のデキが違ったので特進と普通みたいなアレで入学クラスも別、大学もその子は当然の旧帝で増田はインターネッツでバカにされてる系の大学だったのでまったくの没交渉となっていた。お互いの結婚式には呼んだし、年賀状だけは送りあっていたけど。
が、つい最近LINEで直接連絡があった。なんと!まだ先だけども赤ちゃんが産まれるのと、旦那さんと首都圏にいたけど増田がいる地元に戻ってくるから遊ぼう、とのことだった!
このそこそこの画質のちっちゃいプリクラの中であどけなく笑う可愛いあの子がいよいよお母さんになって、しかも増田にも会ってくれるのかと妙にソワソワドキドキしている。お互いの結婚式なぞほぼほぼ喋れてないので、じっくり会うというのはもう10年以上ぶりかもしれない。緊張する。とりあえずプリ帳はキモ過ぎて見せられないが、せっかく出てきたし(?)、プリクラは見せても大丈夫かな。ダメかな。オチ無くてゴメンだけど、楽しみ!
母親とずっと反りが合わなかった。
母親は田舎のちょっとした良家で長女として生まれ、地元では3,4番手の県立高校から短大を経て、公務員になったらしい。
経歴からも察するに、ずっと”正しい”とされるルートを歩んできた人だったのだろう。
それは本人が望んでそのような道を選んできたのか、はたまた親の矯正ゆえだったのかは分からない。
母親は(おそらく)25,6で結婚して、約3年スパンで3人の子供を産んだ。僕は1人目の男、長男だった。
父親がろくでもない人間だったので、世帯年収は低かったのだろう。共働きだったが、困窮はしないものの裕福とは程遠い生活レベルだった。
夫婦(自分から見た両親)の関係性が終わっていたこともあり(後に離婚)、家族で過ごした思い出がまったくない。
一方で自分は、30も間近というのに貯金ほぼゼロの独身根無し草生活だ。
こんなふうに真逆の生き方となったことからも分かるように、母親と自分は根本的なスタンスが異なっていた。
物心ついたころから、母親が自分に押し付けてくる世間一般的な正しさが苦しかった。
世の中にはもっと絶望的な家庭が存在することは分かったうえで、当時の自分には母親とコミュニケーションしなくてはいけない実家は地獄だった。
今となれば、母親は子どもたちを育てるために懸命に働いてくれていたんだろうと分かる。
母親が自分の趣味にお金を使っているところを見た覚えがないし、友人と遊んだり連絡を取ったりしている様子もなかった気がする。
そうやって自分の人生を捨て、母親としての人生を選択し全うしたのに、息子と没交渉になっている現状。
自分が親になるような年齢になり、その過程で同僚や友人を観測していくなかで、親になることは自分の人生がゼロになるわけじゃないことが分かってきた。
私にとっての功罪というか、今は信仰とは距離を置いていて向こうの人たちとは没交渉です。
子供の頃から親に巻き込まれる形で流されるままやってきて、長じて大人になり結婚を機にほぼ関わらなくなった自分が改めて思うことを綴ります。
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小学校低学年の頃に母が入信し、そこから日曜は母に連れられて精舎に行く日々に。
ちなみに父は反対していた。(母が強引に勝手に父の入信届も出していたけども)
小さい頃から行っていたので素直に信じていたけど、ずーっと子供は親の言うことを素直に聞くのが修行みたいなことと親への感謝を言われ続けていて年齢が上がるにつれてうんざりしていた。
母は独善的で過干渉な人で、あなたのためによかれと思ってとよくいい、自分が求めたことが受け入れられるまでどこまでも引かない人だったので、イヤイヤながらしたがっていたけども、物心つくかつかないかの頃から親に反抗していた私は、親の言うことを素直に聞かない自分はダメなヤツだという思いと筋が通らないおかしい主張をなぜ受け入れなければならないかという思いの間で揺れながら子供時代を過ごしていた。
母と喧嘩になると、私が母に反発するのは背後にいる呪縛霊のせいだとか御先祖様が水神を利用するだけ利用して疎かにしていたからだとか言ってきて嫌だった。
こんなに親と衝突しないといけないのなら将来子供は持ちたくないと思うほどだったし、自分が子供として可愛げがないということにも嫌気がさしていた。
余談だが、教義が家父長的というか今は変わってるのかもしれないけども妻は夫をたてて素直に受け入れるのが大事で、自分の配偶者が理不尽であってもそれは過去の因縁で与えられた試練みたいな感じでたまに明らかに配偶者がモラなのに、至らない自分が悪いんだみたいなことを呟いてるXのポストをみるともやる。
進学して家を出ても、行った先の信者の方にお世話になりながら最寄りの精舎に行っていた。(母による手回しにより)
社会人になってもそれは続いていたが、一人暮らしで薄給なのに、定期的に先祖の供養のための施餓鬼や護摩のお布施をむしり取られるのが地味に痛かった。(5000円〜10000円ぐらい/回)
これまた余談だが、真◯苑は経済的には良心的な宗教法人だと思う。誓願しても最大で毎月3万円ぐらいのお布施だった気がする。(お布施とは言わないが独自用語なのでわかりやすくお布施と言っています)
その割には、立川に大きな精舎を作ったり、三越を通してオークションで流出しそうだった仏像を高額で競り落としたり、村山工場跡地を買ったりと沢山お金を使っていてその財源は一体どこから?と素朴な疑問として思っていた。
若い頃は苛烈だった母も歳をとり、自身が病気になったりでだいぶ弱ってパワーダウンし、もう真◯苑には関わらないと宣言したわけでもないが、あれしろこれしろとは全く言わなくなって私は完全に離れ、ホッとしている。
思うに私は信仰をするには怠惰すぎた。早起きして公園の掃除をすることも、友人を失う覚悟で勧誘することも嫌で仕方がなく、それよりもいつまでも寝ていたいとか友達と遊びたいとかそう言った目先の利益のために信仰することをやめたと言っても過言ではないだろう。多分後悔はしていない。今とても楽だから。
それでも時たま、後ろめたく思うのは、悪い因縁を断ち切ってなくて子供達に引き継がれたらどうしようとかそう言うことをふと思ってしまうし、色々な恩を受けたのに仇で返すような生き方をしていてこのままで済むわけがないともたまに思うからだ。
死んだら菩薩にはなれないだろうし… まぁもういいけど。
真◯苑に限らず、よく「大難を小難に。小難を無難に」と界隈では言われるが、そう言うことを能登の大地震にあった人にも正面切って言えるのかと思う。
私はあの地震の被害を見て神も仏もないとつくづく思った。もしそれでも仏はいるというのであれば、仏とはなんと無慈悲な存在か。
それでも、生き残った人たちで真◯苑を信仰している人たちは信仰があってよかったんだろうと思う。
母にもあってよかった。違うものに走っていたら周りの人間も母自身も今よりも断然酷い目にあっていただろうから。
代表について一言。直に話したことはないけども、5メートルぐらいの距離で対峙した時にこの人はすごいお坊さんだと思って、なぜか知らないが涙がブワッと出てきてすごい奇跡みたいな人だと思った。カリスマ性がすごかった。
そして、つくづく私にはこんな立派なお坊さんにはなれないと感じた。
とまぁこんな感じです。
もう2度と戻ることはないと思うけど、歳をとって子供達が独立して配偶者もいなくなったらまた信仰しようと思うかもしれないとも思う。
批判を目にしたりするとそんなことないと思う気持ちもあり、なんと思っていいのかわからないのが正直な気持ちだ。私の人生にとっては、いい面も悪い面もあった。それだけ。
あんたの言い分を全部肯定したとしても(笑)はありえんわ。やっぱ。
相手の男から見たら、昨日まで超仲良くて性格の相性抜群の婚約者にある日「男性としては無理」宣告されて、その日以来ぱったり没交渉のまま現在に至るわけだよね。
マジで希望と絶望の落差がひどすぎて喪失感凄いと思うよ。まだ受け入れられてない程かもしれん
完全没交渉だと良い想像も悪い想像も無限に広がってどこにも進めない。辛いだろう
誰も見てないLINEのトークに「詐欺師が!」って書き込むくらいしか吐き出せる所がないって不憫過ぎんか?
それで何が解消されて前に進めるのか?
結局そういう、片側だけに負担を強いるような歪みが男が引き受け(させられ?)たダメージなんだよ
あんたは本来、金だけでなくいろんな方向からサンドバッグになるような立場だったはずだ
実際にはそうはなっていなくて、金どころか親からも、男からも誰からも何のバッシングも受けずに立場も失わずに、まるで円満解決したかのように忘れてのうのうと新しい恋の報告なんぞしてる
それはご両親が防波堤になったから、ではなく最終的には男がそれを飲んだからだろ。
立場的に飲まざるを得なかったか、あなたのためなのか、男の意地で飲んだのかは知らんが。
それを「そんなに怒りが~」だの「ヤバい(笑」だの。
「没交渉」と「ディスコミュニケーション」がごっちゃになってる?
これを読んだとき、男女逆とはいえ自分が書いたのか?と思うほど同じ状況でびっくりした。今どきの結婚あるあるなんだねえ。
自分は元増田とほぼ同じ経緯をたどり、結局めんどくなって夫姓を選んだ妻側。結婚してからは5年ほど経つ。元増田へ、5年後のひとつのパターンとして自分の今の状況を伝えさせてください。(隙自語ともいう)
◾️最初に結論:今はほぼ没交渉。盆暮正月の帰省もしていません。夫はかなりつなぎ役を頑張ってくれてました。
・夫姓にしたら夫家の人間として手厚く遇する、といった説明を受けた気がするが特に金銭的・精神的・時間的その他諸々のサポートを受けたことはない。
・帰省の際、同じ部屋で寝起きするのを遠慮したいと(夫経由で)伝えたら、面と向かって嫌味を言われた。
・夫家の家族行事への参加要請が多く、精神的肉体的な負担が大きかった。
・「孫まだか攻撃」をされていたらしい(夫が防波堤になってくれていたので直接は来ていない)。
・孫が生まれた際、勝手に里帰り先の実家に押しかけるなどされた。
◾️我々夫婦の考えと行動:
姓にこだわる家というのはやはり旧来の家制度的価値観が強い傾向があると感じた。そこが我々夫婦の価値観には合わず、私も合わせることができないので、没交渉にすることで致命的な衝突を避けている形。
義父(夫の父)は東大を出て大手企業に入り、取締役まで勤め上げて定年退職した。
夫が小さい時は忙しくて子育てに関与できず、中学受験も大学受験も義父の思い通りにはいかなかったらしい。
なので、孫は絶対に東大に行かせる!俺が関与すれば間違いない!そのためには幼少期が大事!と生まれた時から鼻息が荒かった。
金はいくらでも出すから!と、赤ちゃんの頃から小学校受験をさせなさい、公立なんて動物園だ!と言い放ち、夫もどうすることもできず、3歳からお受験塾や公文に通わせることになった。
お金も送迎も義父がやる、というのだから私もどうしようもなかった。
義父の都合が悪い日があり、お受験塾の様子を見る機会があった。子供は明らかについていくのが精一杯で、これは厳しいのではと思った。
公文も、同じ単元を延々と繰り返す(次に進めない)ようになり、そのうち公文の日になると頭が痛い、お腹が痛いというようになり、義父も子供の体調不良をおしてまでやらせることはできず、辞めざるを得なくなった。
それだけやっても小学校受験のご縁がなく、公立に通わせることになったが、義父は中受で挽回だ!SAPIXに入れろ!金は出す、送迎もする!とさらに意気軒高となり、夫も私も止められなかった。
止めようものなら「お前たちは子供に愛情がないのか!後で苦労するんだったら今のうちに頑張らせるのが親心だろう!お前たちは何にもわかってないのだ!」と猛烈に叱責された。
義母は小学校受験に懐疑的で、夫(私立小出身)の時にいろいろと嫌な目にもあったらしく、最初から私に対しては「受験にこだわらなくてもいいんじゃないかな」と言っていたが、昭和の亭主関白家庭であり義父に逆らうことができないため、何の抑止にもならなかった。
そして何が起こったか。
保育園はご機嫌で通っていたのに、小学校はわずか1年しか適応できなかった。
つまり、能力的に学習が難しい特性の子に、ハードな学習を幼少期から強いていたわけだ。
そりゃバグる。
いくら義父に叱責されても、過去の経験からこの方がいいのだと言われても、自分の直感を信じるべきだった。
学校にも行けないままだ。
子供の学習障害が分かった時点で、夫と私は義父に子供の教育に関らせないよう、連絡を絶った。
こちらから連絡はしないものの、義父からは不登校やギフテッドについての訳のわからないYouTubeのリンクをメールで頻繁に送ってくるし、中受の本や教材を勝手に送りつけてくる。公立に行かせたからこうなったのだ、と本気で思っている。まだ諦めていないらしい。
見もしないで即削除しているが気が滅入る。
夫はもっといろいろ言われているらしい。
増田に言いたいのは、この手の孫に干渉してくるジジババとはできるだけ早いうちに没交渉にすべきだ。百害あって一利なしだ。
とても難しいと思うが、縁を切る勢いでNOと言わないとどんどん立ち入ってくる。実親は子に対して厚かましいし、子育ての先輩面してくるからたちが悪い。
10年前くらいに中学のときの同級生が詐欺師になっていた。いわゆる情報教材系。
ほかの同級生巻き込んでセミナーとか開いてた履歴が出てきた。なんか海外のサミットにも招待されるレベルとか出てきたけどまあ嘘だろうな。
すごい仲の良い同級生だけ巻き込んでたみたいなのと、私自身が中学の時の同級生ほぼ全員と没交渉なので私は誘われなかった。
名前で調べるとサジェストに詐欺師とかでるし、詐欺被害掲示板で名前が出くる。有名ではないみたいで被害報告は数件くらいだけど、ネット上で信頼度上げるためだけの謎のまとめブログ記事がたくさん出てくる。
まあ、うまくいかなかったみたいで。
2年前くらいに形態を変えてた(サービスはほぼ同じような内容だけど)ところまでは見てたんだけど、最近久しぶりに調べたらアカウントから何からなくなってた。昔やってたセミナーの履歴だけセミナー系のwebサービスに残ってる状態。
今何やってんだろ。捕まったんかな。
https://anond.hatelabo.jp/20230407210512 これの追記。
書いたつもりがスポッと抜けていた「財産分与」について。あと「関係を良好にできない親の場合は…」についても少々。
ブコメにあった『財産が無い人ほど相続大戦争が勃発する』というのは、よく言われてる話なんだけど、因果をちょっと勘違いしていて、半分ぐらいしか合っていない。
自宅ぐらいしか財産が無い家で揉めたら、生きてる家族の人生にそこそこ大きな影響があるような相続大戦争になることもあるが、財産がたいしてなかろうが、家族仲・兄弟仲がいい、または家族がそれなりに常識的で合理的なご家庭の場合は揉めることはない。
揉める根本原因は「大した財産がないから」ではなく、家族兄弟間の仲が良くなかったり、家族兄弟の誰かがそれぞれの家庭に何らかの問題があって合理的判断ができなくなっているという点だ。
増田なので言葉を選ばずに言うが、お金があってもなくても、人間関係が悪いか、もしくは頭が悪いかの場合は、たいてい揉める。ただし、その先はリアリズムで、家族間で揉めてもお金があれば最終的には日常生活におけるクリティカルな悪影響は受けにくい。しかしお金がないとそうじゃない…(財産分与で揉めて調停になって時間とカネがかかって結果もらえた財産は雀の涙、みたいな)。
ただまぁお金持ちだって金銭・日常生活面での影響が相対的に小さいだけであって、「家族の仲が悪い」とか「相続で揉めて親兄弟と断絶」とかはお金で換算できないタイプの影響はあるよね。
話は戻るが、平成以降の貧富拡大社会では「親に金がある=子もある程度は余裕がある」そして「親に金がない=子供も結構カツカツ」だから、「貧乏人ほど相続で揉める」みたいな一見論理が通っていそうな俗説をつい言いたくなる。だがそれは論理が少し飛躍していている。カツカツの生活をしていると心の余裕がなくなりがちで、親子兄弟含め人間関係が薄く悪化しがちで、親が死んだタイミングで色んな物が噴き出しがち、なのだ。
本来の因果関係は、「親子ともに金がない」→「家族全員がカツカツ」→「それぞれの家庭に若干問題が(住宅ローン返済が大変とか諸々)」→「あわよくば」という悪い心→「醜い争い」という順番である。
兄「親父が死んだ後の自宅を売ろう」
妹「何言ってんのお母さんが住む家がなくなるでしょう」
兄「おふくろは一人になるんだからお前が引き取って面倒見ればいいだろう。母さんもそれが安心だよな?」
母「そうね…でも…」
妹「何言ってんの夫がいい顔するわけない。そもそもお兄ちゃん何でそんなお金が必要なの」
母(…無言)
兄「ローンとか教育費とか大変なんだよ…」
とか?こういう想像上の橋田寿賀子ドラマのような戦争はめったにない。まぁごくたまには見かけるけど…その場合は相続関係なく「もともと家族の仲が相当悪く&全員が相当金に困ってる」場合だと思う。多くの場合はどちらかの条件が満たされないので、例えば、家族仲が悪いけど、比較的羽振りの良い兄弟が面倒にかかわたくないからと引くんだよね…。
要するに、何が言いたいかと言えば、つまり、お金があまりない自覚があるなら、何よりもまず親兄弟との関係を良好にしておくことが大事。
そして、人間色々あるからね、仲良くするのは難しい場合でも、「親の財産と生活」に関することをできるだけ透明化する努力はしてもいい(本当に険悪な場合は放っておいても全然いいとも思う。後述)
実はこの「親の財産と生活の透明化」が、要するにエンディングノートの一番大きな役割。
またしてもリアリズムな話だが、親が死ぬ前に自分たちにいくらぐらい金が残りそうなのかを透明化できていれば、お金がない家なら邪な期待を持つこともなくなるし、お金がそれなりにある家ならそれなりの予定や計画が立てやすくなる。
そして、大事なポイントなのに前の増田にうっかり書き忘れたが、エンディングノートは必ず、利害関係者(配偶者や兄弟)に全員が見られるようにしとくこと。
「利害関係者の誰か1人だけが事前に情報を持っている」という状態は、下手すると比較的悪くもない人間関係を悪化させる危険もあるので、「エンディングノート書いてもらおうよ→そうだね→手伝ってね→出来たら読んでね」的なプロセスは必ず、必ず必要。親が勝手にやり始めてる場合でも、子供たちから「見せておくれよー」は言うようにしよう。
「透明化」について、テーマとは直接かかわりはないがもう一つ大事な所としては「介護の金と労力」について。
人間は老いてくると段々ゆっくりと自分のことを自分でできなくなる。介護段階に入った時に配偶者や子が(介護サービスを利用しつつ)老いた人の責任を負っていくことになるが、このお金と労力で、子供が負担をする場合は、ある程度は金銭的、労働力的な出納を透明化するのをお勧めする。完全平等分担なんてできないのでだいたいで良いのだが、透明化しておくことで負担配分が合理化されやすくなるし、トラブルや人間関係の悪化を事前に防ぎやすくなる。親の状態がおかしくなったら介護認定が付かないにしろ早めにケアワーカーに相談しておく方がおススメなのは、介護ケアは早い方が予後が良いとか悪化した時の介護認定がスムースだということが一番だが、家族の問題に第三者が入ることで透明性が高まるから、という効果も期待できるよ。ケアワーカーの選別ももちろん、利害関係者(兄弟)と相談して決めるの大事。報連相まじだいし。
お金については単純に使用した分を記し精算(理想は介護用さいふを共有してそこから拠出)、労力についても共同の分担スケジュールを作っておくといいよ、見える化することで手伝えない人にうっすらとした罪悪感を持ってもらえるし。
ちなみにだが、「亡くなった人の介護負担が大きかった家族へ、相続財産の配分をより大きくすることは可能か」について。
正解は「その介護により相続人の財産が大きく減った場合以外は、財産分与の比率にはほとんど影響しない」。ケアワーカーさんや施設の手配や色々なやり取り、送迎や見舞い、日々の生活のサポートやら、諸々けっこう日常を削られる「労働」だが、財産分与にはほぼ反映されない。一応「寄与分」という考えはあるんだけど、雀の涙なんだよね。この扱いはとても理不尽だと増田も思う(多分法律を考えた人が親の介護を自分でするなんて考えてないんだろうと思う)。極端な例で考えると理不尽さが増すので極端な例を出すが、「義母に尽くして看取った嫁に財産分与が可能か」の答えはNoである。法定相続は、「配偶者に半分」「残りの半分は子が等分」なので、子の妻には財産相続の権利がそもそもない。
なのでまぁ財産を多く貰おうと下心で面倒を見てもほとんど効果ないので、現代においては「透明化」によって親の老いに対する労力の等分化を目指そう。
まずは前提条件:親の残した財産をどう分けるかは、法律を守らなくても別に全然いい。
こう言うと語弊があるが、民法にある法定相続分はあくまでも民事訴訟が起きた時の基本的な解決線なので、別に民法に従って分けなくても、家族兄弟(相続人とか言いますね法律だと)が仲良く話し合って皆が納得すればその納得した方法で分ければいい。ちなみに、亡くなった人の銀行口座が凍結された場合はこれらの「相続人」たちの連名で書類を提出しないと口座解凍ができないのだが、要するに揉めてない証拠を出してくれという銀行の都合の書類ですね。だまして口座解約して逃げちゃう悪い兄弟がいるとも限らんし。
で、例えば財産を全部無職の弟に渡したって全然良いし、上に書いた「義母に尽くして看取ったけど財産をもらえなかった可哀想な嫁」も、その状態が透明化され家族間で共有されてて、そして家族仲が良ければ財産分与においては報われ得る。「お義姉さんがずっと面倒見ててくれたんだから、死亡保険金はお兄ちゃんが受け取って。それでお義姉さんに少しでも慰労になるといいけど」「そうだよな、本当にありがたかったなぁ…」というほのぼのストーリーにすることも可能。というか割と多くの「大きな問題がないご家庭」はこういう風にやっている。
次に自宅の相続:利用状況に準じるのが大原則。利用しないならすぐ換金
例えば父親が死んで母親がいる場合は当たり前だが母親がもらう。両親と兄弟の誰かが同居している場合でも生き残った方の親がもらうケースが一番順当(配偶者が取得する方が税金上の得が大きいので。ただし金持ちの場合はその限りにあらず。金持ちは金を払って税理士に過激な節税方法でも聞けばいい)。まぁ当たり前すぎる話。
親が死んで利用する人がいない自宅は、個人的なお勧めは「すぐに売っちゃえ、売って金で分けろ」である。それが一番穏当だと思う。住む人がいなくなった家は本当に笑うほどすぐ傷む。家の整理に数か月かけるもよし(思い出がいっぱい出てきて楽しいよ)、業者を入れれば2、3日(ある程度思い出を掘り出せたら人の手を借りちゃうとよい)。業者にごみの処分を頼んだってせいぜい数十万~百万ぐらい。売れば1千万ぐらいにはなったりするわけで。お金は良いよ、きっちり等分もできるし、好きなように傾斜も付けられる。
厄介なケースは下記。
不動産という財産の厄介さは「不動」なことと「財産としてデカい」ことで、あまり蓄財していない親御さんだった場合、「同居してた兄弟がそのまま自宅を相続する(そうじゃないと住むところがなくなっちゃうからね)と、財産分与がかなり不公平になってしまう」という問題が起こる。もちろん、等分じゃなくて全然いいよー!と他の兄弟が言うのであれば何の問題もない。兄は同居、妹はF1ドライバーと結婚して億万長者、とかなら言いそうな気もする。
だが庶民はやっぱり、自分も貰えるはずのものが貰えないとなると、内心穏やかではなくなることがほとんどだと思うので、その場合はまぁ、頑張って話し合いをしよう笑。
エンディングノートの効用はここにもあるが、こういう同居してる結果不均衡になりそうなご家庭の場合は、例えば、同居してない子に不公平感が出ないように、親の支払いで「非同居子」を受取人にした死亡保険に入っておくとかできます。これもエンディングノートを関係者全員で共有出来てれば可能。家族兄弟で話し合って決めるのが大事。
この「同居してた兄弟系の争い」で見たことある一番のバッドエンドはこんな感じ…。トホホ…。
ちなみに上の2を言い出したのは私の兄弟。配偶者の親が住みたいというかもしれないからと言われ、なんでそれで何千万の家がもらえると思うとんねん!とすごいデカい兄弟喧嘩をしたぜ…。親が片方死んだあとは残った家族は仲良くなりがちで、もう一人の親が死んだあとは兄弟の仲が悪くなりがちっていう俗説はガチだったんだなとしみじみした。
「家族」ってまぁ人一人の人生で複数持つことになるんだよね。愛人がいるとかではなく、結婚やらで所属する「家族クラスタ」が増えていく。結婚すれば別の家族ができる。自分の親による家族、自分と配偶者による家族、配偶者の親による家族。独身のままでも、家族ではないにせよ世帯が別になるからまぁ似たような感じだと思う。
戸籍が分かれても世帯が分かれても、生まれた時の「家族の枠」がなくなるわけでもなくて、親の介護やら相続やらで「産まれたり育ったりした家族の枠」のなかで行動したり考えたりする必要が出てくる。でも、その時に他の家族(自分の家族や配偶者の実家家族など)のこともつい考えてしまったりして、思ってたより多いしがらみの中で非合理的なことを言い出すこともある。それで何かね、親が一人もいなくなっちゃうと兄弟がむき出しの喧嘩になっちゃいやすいんだね。いやぁ、生まれてからほぼ初めてかつ最大の兄弟喧嘩だったよ…。ちゃんと仲直りはできましたが。
地主とか運用してる不動産があるとかの場合は、素直に税理士に聞いて言う通りにするのが吉。
田んぼや畑=地目が「農地」になっている場合は、耕作放棄地だろうが市民農園に貸してる畑だろうが、簡単に売れないので、地元の農協に相談だ!農地を持ってるということは100%親御さんは農協の組合員のはず。農地は地域の農業員会の許可がないと相続も売却も自由にできないらしいので、生きてる時からその辺は親御さんに聞いとくといいよ。
山を持ってるとか森を持ってる、みたいな人もたまにいると思うが、これも同様。エンディングノート作成に当たっては、自宅以外の土地を持ってると判明した場合、地目が「宅地」以外のもの(法務局で確認可能)があったら要注意。しかるべきところ(農協とか役所とか)に色々聞いとくといいと思う。
ただし、地目が「宅地」じゃない土地は、都市部ではまずあんまり見かけない。家庭菜園をやってるけど地目は「宅地」なんてことも普通にあり得るので、親に確認だー。
速やかに家財を引き上げないと、ずっと家賃を支払い続ける羽目になるので、業者を入れてでも引き上げしましょう。結構馬鹿にならんと思います。
色んな事情があるから、そういうことも普通にあると思う。関係が良くなければ、良くないままで、心を鬼にして「放置」が良いと思う。あとは物理的にどうにも無理だ!というときも「放置」するしかないよね…。
自分が何もしないままで親が死んだら相続はどうしたらいいのか。割と全然何とかなる。
誰も存在を知らない金融機関の口座は一定期間が過ぎればその金融機関の持ち物になるので心配しなくていい。株式なども同様。勝手に発行者が何とかしてくれるから大丈夫。
家については、一番簡単な方法は業者に頼んで売っちゃう。片付けとかもドライに割り切ってすべて金で解決。処分費用を相殺した残金があればラッキー、無くても(多少の持ち出しがあったとて)手間代だと思えば腹が立たないと思う。そこまで実家と関係が悪いなら。
親御さんが金持ちの場合は、誰かしら財産管理を手伝ってる人(銀行とか税理士とか)から必ず連絡があると思うので、その指示に淡々と従えばいい。
やらない方がいいかな、と思うのは以下
要するに、酷い言い方になるが、親子兄弟との関係が良くできない(あちらの理由もあろうし、こちらにも理由があろう)なら、何かを望まない、というのが大原則。そうすれば別に今以上悪くなるということはない。まぁ、そういうこともあるよね。
これもまぁ、そこまで関係が悪い家族関係なら、出来るだけ縁薄く接するのがいいと思う。お金で解決、第三者に委託(介護事業者)、同様に、感情も時間も手間も労力も金もかけない、その代わり何も文句も口出しもしない、というのがベストだと思う。
ちょっと前の増田に、親の介護のために仕事を捨てて田舎に戻るか、というのがあったが、あれブコメに多数指摘があった通りで、戻ったら最後、増田の人生が割と酷くなるだけなんだよね。介護する子がいる要介護者は施設入所の順番が後送りになり実質的には多分入所が不可能になる。仕事もなくなる収入も減る、介護はよりより厳しくなるだけなので戻らないのがリアリズムの正解なんだよね…。
リアリズム面を書き始めたら長くなりすぎたし、楽しい話が全然できなくなった。しょうがないよな…。家族も自分も老いも、逃げても逃げられない「生の頚」のようなものだな、と思うときもある。