「平板」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 平板とは

2024-11-14

エーミール少年の日の思い出を語る

 正しい人でありなさい。

 それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。

 幼い頃から、僕は常に「先生の家の子であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。

 今思えば、僕は他人眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。

 友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。

 そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用どんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。

 だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。

 あの頃の僕たちにとって、蝶の収集最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。

 はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。

 だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。

 それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずはいられなかった。

 ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。

 十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。

 彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。

 不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。

 彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこ感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。

 それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日コムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。

 箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。

 せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまたことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快もの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。

 僕は、彼のコムラサキ欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。

 紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。

 違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――

 僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。

 彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。

 勉強友達付き合いに割く時間限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。

 僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。

 時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。

 季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。

 そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭からクジャクママユが羽化したのだ。クジャクママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。

 何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。

 千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。

 僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。

 常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり大勢少年たちがクジャクママユを見せてくれと押しかけてきた。

 僕は彼らの頼みを「完璧状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。

 僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感クジャクママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。

 その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクママユだった。

 翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。

 どうして。何で。誰が。どうすれば。

 絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。

 日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。

 そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。

 僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。

 僕はクジャクママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。

 僕は耳を疑った。意味がわからなかった。彼が、これを?

 僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクママユがつぶれてしまっていたこと。

 彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。

「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」

 そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。

 彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。

 僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。

 僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事クジャクママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識ゆっくりと沈んでいった。

 次の日、僕は級友たちに、不手際クジャクママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。

 そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。

 彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。

 あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかい基準から外れた場所あるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。

 思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧優等生はいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。

 結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることな不可能だということを悟り自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。

 彼とは、学校卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。

 それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ

2024-11-13

ハイファッション史上もっと重要デザイナー10

当たり前だけど全て主観です。

1. ココ・シャネル

 戦後から現代に至る女性向けのハイファッションのベースを作ったと言っても過言ではないと思う。

 ココ・シャネル以降、ハイファッションが多様化ドレス服に限らない仕事や遊びにも使える自由モダンな服が広がっていった。

 彼女がいなかったらモード世界欧州に閉じたローカル予定調和文化に留まっていたかもしれない。

 ジャージーツイードなど素材の転用も有名な話。

 シャネルショーウィンドウ見るたびに思うけど分かりやす流行を取り入れようとしない。

 一見するとコンサバに見えるんだけど一方でちゃんと新しさを感じる。

 独自世界でずっとアップデートし続けている。

2. クリスチャン・ディオール

 ココ・シャネルと並んで当時のモード帝王

 ハイファッションというか上流階級ファッションドレスの再定義をした人かな。

 実際現役時代写真を見ると素材使いと仕立てのバランスがめちゃくちゃいい。男目線でもドレスの膨らみと丈のバランスとか神がかったセンスだと思う。

 と思ったがサンローランがデザインしてた時代かもしれん。古すぎてよく分からん

 のちにエディ・スリマンディオール・オム再ブレイクしたのはもう別物と思ったほうがいい。

 あれは元のクリスチャン・ディオールとはほとんど連続するものがない。

3. カール・ラガーフェルド

 80年代から90年代にいたるモード不毛時代に数々のレガシーブランドを若返らせることに成功したらしいがあんまり知らない。

 初代デザイナー引退後にブランドを畳まず再構築するために外部からデザイナーを雇うことは今では当たり前だがこの人がそのテンプレートを作ったんだと思う。

 彼がいなかったら業界全体がオワコンになり昨今のラグジュアリーブランド全盛時代最近中国不況でまた陰ってきてるみたいけど)はなかったかもしれない。

4. ジョルジオ・アルマーニ

 軽いが上質なミニマルファッション先駆者

 素っ気ない服でも素材や仕立てによってラグジュアリー足りうることを示した。

 「アンコン(ストラクテッド)ジャケット」といって肩パッドが入ってないジャケットを作ったのもこの人。

 一度ジャケットを試着したことがあるが軽くて仕立てがきれいで買おうかと思ったけど想像の2倍近い値段で諦めた。

5. 川久保玲

 日本人だったら、いや日本人でなくとも10選に選ぶであろう。

 ボロファッション、左右非対称、切り替え、脱色、縮絨、製品染め、ジェンダーレスなどあらゆる手法を使って既存ファッション脱構築してきた。

 パリコレデビューから40年以上経つのに未だ健在。コムデギャルソンフォロワー出身デザイナーも多い。

 一時期ハマったがジェンダーレス風味が強くなってきて手を出さなくなった。

6. ドリス・ヴァン・ノッテン

 ハイファッション史上ということでアントワープから一人は選ばないといけないんだけど自分マルタン・マルジェラでもラフシモンズでもなくドリス・ヴァン・ノッテン

 革新性という意味では他の5人と比べると穏やかで分かりにくいが、彼も伝統服やワークウェアの様式を持ち込んでハイファッションとして昇華するという重要役割を担ってきた。

 少しひねりがあるがいわゆる「着れる服」でハイファッションのリアルクローズ化を進めた。

 昔のシャツニットパンツを持っているがまだ使える。

7. トム・フォード

 グッチの起用で大ブレイク80年代完全に死んでいたグッチを蘇らせた。

 本人の見た目通り男性向けにはマッチョな服、女性向けにはセクシーな服で現在ジェンダーレス世界とは一線を画すが、ハイファッションらしく仕立てがよく品が漂うのはやはりセンスの賜物だろうと思う。

 日本人平板な体型には最も似合わないであろうデカピークトラペルのジャケットには憧れた。

 あのラペル見ただけでトム・フォードって分かる。

8. エディ・スリマン

 ハイファッション史上というとちょっと役不足な感もあるが、2000年代タイトファッションの潮流を作った人で当時抜群の人気を誇ったので挙げざるを得ないか

 オーバーサイズ全盛の今では信じられないが、当時スキニーじゃないジーンズなんてアメカジ好きなコンサバおじさん以外は見かけなかった。

 それくらい人気が高くハイファッション内外への影響力が絶大で、セレクトショップオリジナルコピー商品をよく見かけた。

 ディオール評でも触れたがブランド再構築というよりブランドクラッシャーだと思う。

 今はセリーヌでフィービー・ファイロ後の後始末をやってて残念な感じ。

9. キム・ジョーンズ

 ここ10年のモードストリートファッションクロスオーバーはキム・ジョーンズがきっかけだったと思う。

 単にストリート形式を流し込むだけのパイプ役に留まらず、非常に有能なデザイナーでもあり固有の世界観とセンスを持っている。

 ブランドイメージを壊さなギリギリのところで着地させるセンスはとても現代的でブランドからも使い勝手が良いのだと思う。

 マーク・ジェイコブスと似てる。というかルイ・ヴィトンがそういうデザイナーをうまく見つけてるのかな。

 今はディオールリブランディング中でちょっと落ち着いてしまった印象。

10人と思ってたけど9人で止まってしまった。

もう1人誰だろう?

2024-11-03

anond:20241103132244

気づいてる人は少ないが、欧米作品ポリコレ忖度もなろうのワンパターン限界集落化とまったく同じ構造にある

世界規模で限界集落化しているという違いがあるだけ

こういうちょっとした事ですぐ躓いて脱落したり怒り出したりする人に忖度して平板表現しかしなくなることが創作芸術性を失わせていく

2024-10-21

anond:20241021004208

自分はこの元増田意見に関しては、基本的好意的に受け取っている。

ただし、AIの性能差に関する考察がないため補足をした方が良いと思う。

 

音楽と絵の分野では、現時点では看過できないほどAIの性能の差はある。

音楽制作は商用利用が可能レベルAIは現時点では無い。

Suno AIなどが有名だが、遊びとしては面白いが音の平板さが目立ち、正直これを使えると思う人は少ないだろう。

状況としてはMidjourneyの初版が出た2022年時のクオリティに近い。ゲーミングち⚪︎ぽ華道部などといってネット平和的に盛り上がっていた時の性能だ。

 

一方で絵に関しては、絵の素人の目なら騙せるぐらいの性能になってきている。

パースの狂いなど、まだまだトップの絵のレベルよりは落ちるが、ちょっとした背景なら十分使えるレベルだ。

 

これは現状の深層学習アーキテクチャーが音楽などの時系列データとそこまで相性がよくないことなどが予想される。

 

が、現代深層学習の盛り上がりを考えると、数年で音楽AIも「使える」レベルクオリティで出力することも考えられる。

その時に現状の音楽業界のような平和的な盛り上がり方で済むかどうかは分からない。

 

 

2024-10-09

AIで作ったと思しきTOEIC風の問題掲載したサイトホットエントリになっている。

これに対して「難しい」とか「わかるわけがない」みたいなコメントがついているのが気になった。

  

全問は見てないけど、ざっと見た(聞いた)限り、決して難問ではない。

AIで作った音声の不自然さ(平板で息継ぎがない)は気になるが、読み上げスピード日本人向けテストとしてはノーマルレベルだと思う。

また、設問に関しても、Part1・2は中学で習うレベルの受け答えが多いし、

Part3・4も答えの文言がそのままスクリプト内にある問題が多く、特定フレーズ単語だけ聞き取れれば答えられるレベルだ。

感覚的には、TOEICで500~600点くらいのレベルじゃないかと思う。

  

英語ができないといけないとか、できるから偉いとか(ましてやTOEICの点が高いから偉いとか)、そういう話をしたいわけではないんだが、

あれだけ英語勉強法ブクマしておいて、このレベルなのか……ってちょっと思ってしまった。

2024-10-02

anond:20241002185057

健全人間10代・20代人生で一番楽しいなどと嘯くけど、

人格に欠陥を抱えた人間場合欲望情動が摩耗して平板になっていくけど体力が多少は残っている30代・40代が最良の時期だったりするのよな

そういうわけなので、増田はあと10年ほど何とかやり過ごせば生活保護平穏に細々と生きていくことができるのではないかと思う

現時点の就職は知らん

2024-09-30

anond:20240930020347

お前じゃん

質問には一つも答えずに

カラ質問を繰り返す


破綻した「安っすいドラマ」をバカが無理に擁護するとこんな惨状になるんだなあ

すでにまともな回答があるならぜひ読ませてくれ

anond:20240929235226

矛盾定義を詰めようが詰めまい議論の本筋に影響しないってことでいいのか?

それなら「そんなことは、どうでもいい!」が大正解じゃん

バカかよお前はw


で、「一貫性」と「単一機能」の説明も完全に投げ出すのか?

じゃあ改めて俺が議論を整理してやるけど、これで異存ないか

主張1 主人公結婚出産育児の行動が一貫しておらず、理由説明もない

俺はこの立場に立っていて、お前からも反対意見がないから、合意が出来ている事実と扱っていいな?

主張2 それはシナリオ破綻意味する

俺はこの立場に立っている

一方で、お前は「事実のつもりの感想」でしかなく、個人勝手であって「客観的事実」ではないとしている


でもな、今更「事実のつもりの感想」なんて本気で通用すると思うか?これお前の文章だよな?

物語登場人物単一機能を背負った「装置」でしかないのはむしろ話として幼稚で出来が悪い

これはもちろん「物語登場人物単一機能を背負った「装置」でしかない」という事実根拠にして

「話として幼稚で出来が悪い」という客観的事実としての評価を下してるわけだ

単なる感想であって個人勝手しかないとしたら、そんな話をしても無意味から


こんな文章もあったな

あるべきシナリオの流れというもの主体としてあって、登場人物は「一貫性」のある振る舞いによってそれに奉仕しなければならないと。

からそれこそが平板機能キャラが上手から下手に歩いていくだけの安っすいドラマじゃん。

まったくそのとおり、一般的通用する「客観的事実」として「安っすいドラマ」だよ

そのつもりで書いたんだろ?

繰り返しになるが、単なる感想であって個人勝手しかないとしたら、そんな話は無意味から


で、その基準なら寅子の描写も「安っすいドラマ」になるぞと指摘されたら

事実のつもりの感想」という判定を都合よく適用しようとする

いくらなんでも支離滅裂すぎるだろ?裁判官主人公ドラマ擁護でこれって冗談キツイよな

虎に翼を最初から見直してこい

2024-09-29

anond:20240929224328

自分で言い出したこと説明を放り出して「一点だけ答えてみ」ってどのツラ下げて言ってるんだ?

一貫性」と「単一機能」の違いは行動の動機問題だと説明しても

懲りもせずに「平板機能キャラが上手から下手に歩いていくだけ」と動機無視した説明すり替えて逃げるし

お前が言い出した「一貫性」と「単一機能」の一点だけでもこっちは具体的にお前のデタラメぶりを指摘してるんだから

つまみ食いだけで言い返せてないって言うなら、まずはその理由自分言葉説明してみ?

まあ無理だから「ザコ」だの「単語つまみ食い」だのとレッテル貼りして説明放棄してるんだろうけど


で、なんか「人間の行動が首尾一貫しないように見える」の定義にこだわってるけど

仮にそれを矛盾と呼ばないと結論づけたとして、今まで書いてきた

要所要所で前に言ったことと後に言ったこととが一致しない行動を取っていて、その動機説明されていない

お前の言葉を使えば「あるべきシナリオの流れというもの主体としてあって」

登場人物はそれに従って歩いていくだけの「安っすいドラマ」だろ

主人公の要所要所の行動に説明が付けられないってのは「人間理解観点でもドラマツルギーの文脈でも何の意味もない」シナリオだと思うけどねえ?

こういう指摘になんか影響あるのか?どれだけ言い方を変えてもシナリオの欠陥は変わらないだろ?

anond:20240929135857

なぜ「仕方なく契約結婚して、でもなぜか子供を作りたくなり、でもなぜか育児は花江に投げる主人公」がいてはならないのだろうか?

要所要所で前に言ったことと後に言ったこととが一致しない行動を取っていて、その動機説明されていない

お前の言葉を使えば「あるべきシナリオの流れというもの主体としてあって」

登場人物はそれに従って歩いていくだけの「安っすいドラマ」だろ


しかし救いようがないな

一貫性」と「単一機能」の違いは行動の動機問題だと説明しても

懲りもせずに「平板機能キャラが上手から下手に歩いていくだけ」と動機無視した説明すり替えて逃げるし


お前から持ち出したドラマツルギーの文脈においてどんな意義があるのかと聞いても

一貫性」と「単一機能」のすり替えの後は「フェミ風味が気に入らないんだろ」みたいなレッテル貼り人格攻撃を急に始めるし


相反する行動を作劇の中で成り立たせる例として葛藤止揚を出したら、理論通りじゃないかダメかいう主張に変換されてるし

主人公の要所要所の行動に説明が付けられないってのは「人間理解観点でもドラマツルギーの文脈でも何の意味もない」シナリオだと思うけどねえ?


フォローのしようがないひどい作りなんだなと再確認したよ

2024-09-17

anond:20240905132419

しろくませんせーの文章はてなではちょいちょい上がってくるけど、見るたび同じことを思う。

そんなに著しくおかしなことは言ってないが視野が狭く、浅くて平板

手持ちの少ない材料だけで、すぐ話を社会大に広げて座して何でも語ろうとする。

常識のある香山リカしかない。

今回は「高EE」なる概念ひとつをひたすら口中に転がしてなんか社会文化論モドキをやっている。

それは動的な社会を考えるいちファクターしかないのにね。ごく末梢的な。

2024-08-06

やす子がかわいそう

「生きてるだけでみんな偉い」みたいなみつをだかみつるの亜流みたいな投稿をバズ狙いで繰り返す者が居り、それにいちいち信者みたいなフォロワーが「首がモゲるほど」同意を表明するみたいな予定調和的なかったるいやりとりはよく見るし、唾棄したくなる。いちいち水を差さないのは水をさすべきでないからではなく関わっても仕方ないからというだけだ。リアル知り合いがその手の拡散リツイートしてた時には何やってんのお前とは言ったことがある。

ところでしかやす子は100%の本気でそういう説教臭いバズツイートするタイプではない。実はアレでけっこう尖ったセンス芸人なのだ。半分素のまま・半分シャレでステレオタイプ純真・善人キャラに沿った行動してたら留保無しにそういうキャラ消費されるようになって売れたので、それもまた面白いかと自分からステレオタイプに合わせに行ってるフシがある。

気持ち悪い共感押し売りツイートに対する本気の唾棄の部分と、やす子があえてやってる部分も理解した上での身も蓋もないツッコミを合わせたものとして、フワちゃんのアレは別に意外性はない。

でもすぐにあっこれはダメだと思っただろう。「いい人がいいことを言ったら、悪い人が気に食わなくて罵倒した」という平板文脈しか受け取られないと。

DT浜田が大物タレント相手に「死ねばいいのに」といった身も蓋もない暴言ツッコミを発するときは、それが字面通りの本気の自殺教唆ではないんですよという事前の地均しがある。そういうわかりやす説明を省いてしまったという意味での「これはダメだ」である

浜田のそれも字面だけで本気の自殺教唆だと受け取る、あるいは受け取りたがる人が少なくない昨今である

空気を読めないのは正義!みたいな連中こそ異論存在すら認めない同調圧力でギチギチなんだけどな。

まあ世間的にはフワちゃんは単なる悪者で、アレは裏アカの切り替えミスだという平板まりない話としてのみ受け取られるのだろう。

消えるのかな。フワちゃんが消えるのは別にどうとも思わないが、そうなると一番損をするのは単なる善人で被害者という役柄を着せられるやすである

今後は一層、面白くもなんともない善人キャラとして消費され、やす子も早晩消えていくだろう。

タイマン森本とか見てみるといい。面白いし単なる善人じゃないから。

とりあえず純真天然バカキャラみたいなオファーに応じて足場を築いておいてそこから本当のいかれた味を出していく、ゆりやんみたいな感じで行けたらいいんだけどな。


ーーーー

「いい子だし腐った芸能界に流されない気骨の人」みたいな勝手思い入れで持ち上げる、こういうの↓に潰されるんだ。

https://anond.hatelabo.jp/20240806022152

ーーーー

自分なりゆきを案じるのはやす子の方だけでフワちゃんがどういう扱い受けても別に…というのは既述の通りだが

フワちゃんを全力非難する側はふだんあの程度の悪罵はあたりまえにやってたり攻撃発言用に裏アカ持ってたりするタイプも多いんだろうなとは思う。

フワちゃんはなんかポリコレづいたイメージもあったからざまあみろって思うやつもおおいだろうしな

ちょっと前にはフワちゃんが「気骨の人キャラで持ち上げられてたのである正義の人たちは飽きっぽい)

ーーーー

「『きれいごとを言うのはつまらない、人前で死ねとかホンネをぶちまけるのがセンスいい』と言い張る、頭の古い人たちがいるんだよね!」みたいな単純な捉え方をしてる人はフワちゃんを許さないだろう。

でもそんな主張は元々ない。何のひねりもないただ単なる罵倒いじめがかつては商売になったというのはフィクションだ。そしてそういう悪しきお笑いに対抗する「人を傷つけないお笑い」という光の勢力が台頭してるというのもフィクションである。そんなものを目指してる芸人はいない。

お笑いというのはバカにはわからないものだ。エンタ五味プロデューサー非凡さは「全部わからなくてもいい、ふんいきで誰でも楽しくなれるのがいい」と、チンドン屋みたいなプリミティブな芸能の要素を復活させて見せたところにある。

その一方でお笑いはより精緻化している。M1なんか「ながら見」では何一つ面白さがわからない。

そして「善悪」というのは人間にとってもっと原始的な大ナタである

やす子は正しいから好き」という解像度世界が見えている野蛮人に、千万言かけても何かを伝えられる気がしない。

ーーーー

バカにはわからない」とかに反応したらしく「自分けがわかってるというのか!」と反感を剥き出しにする人はいるが、そのなかに反論として見るべきものは皆無。「だったら〜〜するはずだろ!」←いまおんもでバタバタしてもロクなことないくらいの状況判断できないわけないだろ

お笑いイジメ商業化! でも◯◯さんだけは人を傷つけない笑い!」みたいなヒステリックなの、どうやったらブレーキかかるんだろうな

2024-07-05

anond:20240705132258

発狂してて草 台本を読み上げるようなこだわりの強い平板な口調で言ってそう

2024-07-02

アメリカテレビアニメをたくさん見てきて気づいた日本産との違い

萌えに逃げない

美少女キャラをメインに据えない

魔法設定を出さな

④敵とのフィジカルバトル展開に逃げない

ボケはあっても声色じゃ分からないほどあっさり。ツッコミ的なものは皆無

登場人物同士の掛け合いやなれ合いでテンポが悪くなっている作品が極端に少ない

⑦どれだけ制作費がかかっていようが判子絵(ゆえに顔芸的な場面がある作品を見たことがない)

ストーリーの続きが気になってむさぼるように延々見てしまうほど面白い作品の出現頻度が日本よりもかなり落ちる

⑨持ってたグラスを怒ってるわけでもないのにカジュアルに地面に放り投げて割ってしまい、それを別に意に介してないシーンが1シーズン1回は見る(まさかリアルアメリカ人こんなことしてないよな?)





正直①~⑥を満たしているアニメを観るのはここまで快適なのか、体力を削がれないのかと衝撃だった。

まるでアメリカアニメは見ててお茶を飲んでるような気楽さがある。

対する日本アニメは好きでもないドクペをどうにか飲んでるような感じ。皮肉にも逆。


⑦はすぐに慣れる。

⑧はストーリーがとにかく平板なせいだと思う。朝の連続テレビ小説くらいペラペラ

⑨は日本アニメ漫画で言うところの「めっちゃ急いでる登場人物自転車AKIRA金田みたいにドリフトしながら止まる、曲がる」的なお約束表現みたいなもんなのか?

追記

追加

⑩「このキャラ強いだろ怖いだろ」的な意図じゃなく、

「これシュールだろ?笑ってー。ちなみにこのキャラ、あとで説明無しにちゃんと無傷で現れるから安心してねー」みたいな感じでエグいグロ描写を突然繰り出してくる場面が頻出

木多康昭作品くらいの手数で、唐突に、無遠慮に芸能人ゴシップ皮肉ネタを「視聴者属性の別なくこれはさすがにみんな分かるだろ」と言わんばかりにぶち込んでくる

⑫恐らくだが、ダジャレイケてるいであるという文化がある。

「Holy Crap! He is a cripple!」

と言うべき場面において主人公が驚きのあまり

「Holy Crip! He is a crapple!」

と言い間違えてしまうシーンが某アニメであるのだが、涙流して動けなるくらい笑ったあの伝説的なブラックジョーク、くらいに絶賛されてredditで未だ語り継がれてるくらい

2024-04-22

anond:20240422232908

こうやって

「わかりやす弱者けがつらいんじゃないんだ。実は一応強者のくくりに入れられてるけどついていけないし弱音も吐けないボクらが一番つらいんだ」

っていうひとひねりしたロジック

まあ、ちょっとした説得力はあるよね。

まったくひねりがないわけではない。

でもひとひねり以上のものではないんだよな。そう捉えることで誰か救われるのか?そんな後生大事にしがみつくような発見なのか?

とげったーとかで陳腐な「気づき」をアホどもがすごいすごいと賛美してるのと似てるんだよな。

個人の悩みを安易に「属性がもたらす悲劇」としてしまうことでとりこぼされるものこそ重要なんじゃないか

ーーーーーーーー

建前しか口にできない、個人言葉を奪われたディストピアイメージやすい。

しか一見自由平和でもこうやってあまりにもお手軽で平板バズワードやクソポエム、安手の共感言語空間占領される状況も

一種ディストピアなのかもしれない

ーーーーーーーー

構造問題個人精神状態の話にしてしまう「悪しき心理化」と

安易に共有してしまバズワード化、ポエム

ーーーーーーーー

なんというかみんなして「安い言語化」に絡め取られてるんだよな。

「荒れてる地域」で青少年がまっすぐ育つのが難しいのは大人干渉より同年代同士の悪影響が強力だからだ。

SNS時代バカバカが容易につながれてしまう。そしてしょーもない言葉を掛け合って一緒にダメになっていくのだろう

2024-03-16

家系ラーメンってあんまりおいしくない?

脂と動物臭を感じるが味としては平板スープ

店によっては明らかに冷凍と分かる筋張ったほうれん草

特に感想のない海苔

久しぶりに食べたらこんなんだったっけ?ってなったわ。歳かな

2024-02-04

自分もっと孤独に強い人種だと思っていた

子供の頃から本が好きで暇さえあれば読書に耽っていた。

一人で時間を潰すのは全く苦ではなく、自分の中に新しい物語知識

流れ込んでいくのがただただ楽しかった。

一人の時間に耐えられない人、

手持ち無沙汰になるとすぐに携帯を開いてゲームをしたり

他人コミュニケーションを取るといった方法以外で

暇を潰せない人種のことを少し見下していた部分もあったと思う。

それが社会人になってやりたくない仕事をこなし、

非人道的なほど満員の電車に毎朝揺られるうちに自分も上に書いた人種のようになってしまっている。

まり本も読めなくなったし、楽器演奏する時間も減ってしまった。

今では暇があればスマホを開いてYouTubeを開いてたいして見たくもない動画

垂れ流しているし、

定時で上がった後も何をやればいいかからずとりあえず居酒屋に入って

ただ酒を飲んでタバコを吸ってそこにいる人と話したり話さなかったりして

酔いが回ってこういったことも考えられなくなって気づけば眠りに落ちている。

単純に仕事によって自分時間と体力が奪われているからそうなったとも思えない。

中高の学生生活でも9時5時くらいの時間毎日拘束されていたわけだし

なんならそのあと塾とか部活に行ったりもしていたか自由時間という

意味では社会人になった今の方が多いからだ。

おそらく合ってない社風向いていない仕事をずっと続けることは

自己肯定感の低下に大きく影響する。そして低下した自己肯定感のもとでは

新しいコンテンツ創造的な趣味に取り組む意欲も湧きづらくなるのではないかと思う。

毎朝ベッドから出る意味が見出せない、1日を始めるモチベーションが湧かない。

本を開いても目線活字をただ撫でるだけで、自分の中に新鮮なイメージ意味

与えてくれない。世界平板化してしまってどこに行って何をしても結局同じなんだ

という感覚がつきまとって離れない。

2024-01-27

森下佳子原作改変はい原作改変

例の脚本家による原作改変は全般的に不評なのかもしれないが、それは改変の仕方が良くなかったからで、

世の中には改変によって原作超えを果たしたドラマもたくさんある。

「何はともあれ原作改変は罪」という原理主義はやめてほしい。

その意味個人的に、神改変を連発する脚本家だとあがめてるのが森下佳子だ。

白夜行

原作で内心の見えないモンスターとして描かれていた主役たちの内面を徹底的に描いた傑作ドラマだ。

原作者(東野圭吾)は改変が気に入らなかったようだが、俺は逆に原作の方に物足りなさを感じるようになってしまったくらい、

主役たちの心理状態の変遷には納得感があった。安っぽい紋切り型美談にしているわけでもない。

原作では単なる敵対関係だった刑事武田鉄矢が演じたが、彼と主役たちの間に生まれた悲しい絆の物語は見事。

JIN

原作漫画は良くも悪くも「大河ドラマ」で、話のスケールは大きいが平板で発散するだけの展開に感じ、没入しきれなさが残る作品だった。

ドラマ版は設定をうまく整理し、全てを視聴者の没入できる近距離ギュッ圧縮した。

主役(大沢たかお)の性格をいじり、江戸時代適応しきれない現代人という要素を強めたことで、共感できるドラマ性を一気に強めた。

本作が当時の覇権ドラマとなったことは覚えている人も多いと思う。

義母と娘のブルース

ドラマ以前に原作漫画を知る人は少なかったと思うが、「よくこの原作を感動ドラマにできたな!」という別の感動が生まれるくらいのギャップがある。

綾瀬はるか演じる主人公性格原作漫画以上に漫画的に強調されているが、その分、漫画仮面が剥がれていくクライマックスシーンが、視聴者の心を激しく揺さぶ効果を生んでいる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あとセカチューとかもあったな。あれは観てない。今の大奥はどうだろうか。

みんなが知ってる「いい原作改変作品」を教えてくれると嬉しい。

anond:20240127032134

2023-12-30

NECネッツエスアイネッツって平板アクセントと思っていたけど

最近ネッツエスアイのCMでは頭高アクセントで言ってるのが意外過ぎて耳から銀河出てきた

anond:20231229143045

少なくともその「アクセントも緩急もなく平板にしゃべる人」の文章での表現が誤解されてないなら、話す場合であってもその文章で行う表現をそのまま使うだけなので、平板で緩急なくても伝わるだろうから、「わかりづらいかイントネーションちゃんしろよ」みたいに圧力かけられる機会はないのでは?

あと、面倒くさがってるのはただの事実なのでそれをいまさら言われてもって感じ。

話し言葉での意味上のイントネーションの使い分けは学ぼうとしなくても母語話者なら勝手に身につきその意味を言おうとしたとき苦もなく無意識にそう言ってしまもの

同じ感覚通用すると思ったら、書き言葉場合イントネーション情報消失してるから伝わらないんだということは、こういう他人からの何言ってるかわからないいう指摘により初めてカルチャーショックとして経験する問題だと思う(もしくはなんでかまでは何度指摘されても一生気づかないままかも)。

意識的にしないとできないことを要求されるんだからそりゃめんどくさいと思う人がいたって不思議はないだろう?

2023-12-29

anond:20231227141829

彼は泣きながら、家を出た彼女を追いかけた。

彼は、泣きながら家を出た彼女を追いかけた。

発話の間で伝わる範囲であれば書き言葉においても読点で代用できるケースはある。

ただそれ以前の話として、そもそもイントネーションを変える」も「一文で言わず二文以上に分ける」も内容が伝わるように表現を使い分ける行為では?

音声言語としては要求されない使い分けを文章表現では一律に求められると元増田は言うけれど、逆ではないだろうか。

音声言語では当然に(元増田が使い分けと思わないほどに!)行われている表現の使い分けを、文章表現では面倒くさがっているのが元増田ではないのか。

アクセントも緩急もなく平板にしゃべる人が、文章表現にはアクセントや緩急はないのに音声表現で一律に要求されるのはおかしいと主張するようなものでは

2023-10-08

群馬の「マイケルソフト・ビンボウズ」というPCショップ(閉店)が海外話題

今日はとっくに閉店した日本パソコンショップ海外流行ってるというワケわからん現象を紹介するよ。

群馬県新前橋駅にほど近いロードサイドに「マイケルソフト・Binbowz」という中古PCパソコンパーツショップが嘗てあった。店のロゴWindows95&98のロゴを軽くいじったもので、見つかったらMSに張り倒されるのが必至な物件だ。

ここは2001年に閉店してしまったのだが、英語圏でジワジワと人気となり、2年半ほど前にYoutubeにアップされた動画で火が付き、Tiktokなどへも延焼していった。

BinbouwsがWindowsパクリというのは判っても、それが貧乏意味中古屋が客を貧乏扱いしているとかというのは日本語出来ないと判らないハイコンテクストなのだが、それでも延焼するほどのカロリーがあったようである

 

WEB1.0ホームページBuzzfeed発見BBCパーソナリティツイート

元々は米本社の方のBuzzfeedが書いたオモシロ記事ツイートらしい。

これは今は見つからないが、この写真BBCパーソナリティーのジェレミーヴァインが「これは草」って感じでツイートした。

https://twitter.com/theJeremyVine/status/526706980644466689

 

この元のBuzzfeedが出した写真だが、『アルフの部屋』という個人ホームページ2001年に掲出された記事から写真を持ってきたようだ。

https://alf-s-room.com/etc/nandarou/binbows/index.htm

管理人許可を取ったか不明だ(多分取ってない)。

 

Youtube

Youtubeでのbuzzりの切っ掛けはNick Robinsonという日本オタク(Wapanese、またはweeb;註:侮蔑的語彙)がアップした「The mystery of "MICHAELSOFT BINBOWS"」という動画だった。

https://youtu.be/yDzAAjzbV5g?si=cZYz8odZyVWmK3c7

 

binboは貧乏の事で、日本語は平板イントネーションなのでマイクロマイケルが似た音に聞こえる…みたいな説明をくどくどとしている所は笑いを誘う。

そして遂にストビューを歩き回り続けて根性建物を見つけ出した。今のBinbows跡地はここである

https://maps.app.goo.gl/rC36U3xbrq6Zfyhv5

外壁が剥されて痛々しい状態だが、これは311地震の爪痕かと思われる。

また、今ではgoogle maps登録されているので「michaelsoft Bonbows」で検索すると跡地が出てくる。名跡なのでありがたい処置である

尚、古い日付を見ると、テナントが全て抜けてしまった時の画像が表示されるが、「集募トンテナ」となっているのが確認できる。流石はBinbows跡地というべきか。

 

これでグズグズと種火で燃えていた貧乏ミームの火力が急に増して、検索すれば判るが、VR用の3Dモデルとかシティーズスカイライン用のMODデータとかがアップされてワケが分からない状態になっている。

また、アリエクでBinbowsTシャツを売っていた中華業者も居た。

 

因みに当店は無くなったがホームページは残っている。

https://jeji.neocities.org/~binbows/

チルダユーザーネームというのが古さを感じさせるURLである

 

聖地巡礼

そんなNick Robinsonだが、この夏に遂に聖地巡礼を果たす。

https://youtu.be/QRIklga9IBQ?si=KvdrKGQ-sJgIx50o

不思議な事に壁で塞がれていてBinbowsへの扉は無かった。

どういう事だろうか?

Nick RobinsonはBinbowsタンというキャラまで作ってTシャツなども作り儲けようという気満タンのようだ。ちょっと欲しい。

因みにこの跡地のビル、駐車スペース不足のせいかテナントが入らずに苦労しているようだ。

Binbowsの呪いかもしれない。

2023-06-22

カレー

S&Bのこくまろカレーカレーを作ったら、味が駄菓子みたいに平板だったので、

簡易デミグラスソース(中濃ソースケチャップ、酒を混ぜて煮詰めたもの)を少し加えたら、いい感じに奥行が出た。

メモ

2023-05-25

多くの要望に応えるならシンプルな形だよね?

冷蔵庫の話があるからそれで例えると、

単純形状の物だよね、ダンボール箱みたいな形。


サイズ大中小の高さ違いで幅と奥行きは一緒。

冷蔵冷凍野菜室の性能のみの一室タイプ

組み合わせは自由にできる。

欲しい部分だけにして三段重ねたら完成。

壊れたら一室だけ交換可能


電気部は後ろ側に接続部分があって繋がるだけ。

突起物はコンセント以外はフラット平板の形。


完成イメージカラーボックスの扉ありみたいな感じ。

棚はニトリかにある金属の棚みたいなのが別売り


これだったら接続が甘くならないように注意すれば作れそうだと思った。

デザインとかコストの考えは完全無視だけどね。

2023-05-05

映画ポリコレ云々の前にオタクが鑑賞という行為が出来ていない疑惑

マリオ映画評論家と観客の評価乖離してるのはポリコレの強行のせいだ普通の人はポリコレうんざりなんだ増田もそうなんだが、そもそも映画やその他のエンタメ作品の鑑賞自体が出来ているのか?という疑問が湧くのだ。

https://anond.hatelabo.jp/20230504221408

 

この映画は反ポリコレだ!だからヒットしたんだ!ポリコレが無いか評論家の評点が低いんだ!っていう意見が一か月くらい前からネットで湧きあがってるんだが、それに対して全然そうじゃねぇってツッコミ多数という状態になっている。

そんな状態で「オタクは女とポリコレ攻撃されている」という投稿をすると無条件で持ち上げられるはてなにそのままの認識をぶっこんだら賛同されると考えたんだろう。そしてその通りになっている。

だがこのオタクの反ポリコレブームというのはかなり変なのだ。「ポリコレ的なものを無理くりに見つけ出して批判する」というゲームになっているのだ。

そしてポリコレ要素が「見つかった」ものは棄損されスポイルされたものであるからまらない、と結論される。インフルエンサーの雑な扇動と飯のタネになってるのではないか

 

例えば、聖闘士星矢のネトフリ新作ではアンドロメダ瞬が女になると伝えられて、それがポリコレだ!と糾弾されるわけだ。

でも原作でもアンドロメダ瞬は中性的ななりで、何故か股間に防具が無くてレオタードみたいなのむき出し、なのに股間もっこりがない。

なので二次創作やおいジャンルでは瞬は女役というかもっとはっきり言うとメス役で他の男に犯される役が専らだった。

因みにやおい腐女子と呼ばれるジャンル70年代末に遡るが、それが大きくなって市場化する起爆剤になったのが80年代聖闘士星矢二次創作だった(あとキャプテン翼)。

これって非常に反ポリコレでしょ。

そして四半世紀経ってリメイクするに当たり、公式の方が腐女子に合わせてきた訳だ。これがポリコレかっ!?逆だろう。

からこういう大してオタクでもない増田も知っている文脈を知らないかポリコレという「真理」が見えちゃうというケースである

 

それから鑑賞が出来ていない疑惑だが、数年前に100日後に死ぬワニってマンガがあったのはご存じかと思う。

変な広告屋に抱かれたせいで101日後にコンテンツとして爆死してしまった訳だが、この4コマ漫画最終回は凝ったもので、ワニの死が直接描写されず、雑誌なら見開き(WEBなので大判だが)に桜が散るというコマで死が暗喩されていた。

これ自体特別表現ではない。

だが、作者のTwitterには「僕の解釈」を開陳するレス殺到したのだ。「このバイクに乗っているのは誰々で、そのキャラが死んじゃった」等という様々な「解釈」が殺到した。

まりはあれだけ簡単暗喩表現が分からない人は結構いるという事と、そういう人にとってはネットで見る物知り達の「自分流の穿った解釈」は単純理解と同レベルであり、単純理解不能だった時は僕の解釈をしてもいいと思われているという事だ。

これはゲームリプレイ動画に付くコメントでも同じで、洋ゲーちょっと洒落表現では必ず「僕の解釈」のコメントが付いている。

エンタメだって楽しむにはちょっとした教養必要だろう。

そういう人がネットの反ポリコレ言説に触れて、ちょっと難しい表現に当たった時、それは「ポリコレのせい」に見えるのではないか

 

元増田場合は「映画評論」というものを知らないのでは?という疑念が湧く。映画評論家は「これはポリコレ的に×、これはLGBTが出るから加点」という風にやる連中だと思ってないか

一般的に人気はあるけど評論家の点数は低いという時、多いのは「全体的に面白いけど平板から」というケースが多い。「大人子供も楽しめますね」ってやつだ。

例を挙げよう。

同じ3Dアニメで「カーズ」ってアニメがある。車を擬人化した映画だ。

この中で古い車キャラ主人公若い車にドリフトを教えるシーンがある。嘗ての街道レーサーみたいなジジイ車なんだな。

そしてレース中にスピンした主人公車がそのまま逆ハン切って大ドリフトに移行するというシーンがある。その時、実況解説してるジジイ車はたまらずに身を乗り出す。

こういう「刺さる」シーン「光るシーン」を平板子供アニメに入れ込むと評論家評価は上がるのだ。

更に今ではこの刺さるシーンのせいでネットミーム化していつまでも残り、続編への呼び水になったりもする。

評論家は他の映画も見て鑑賞してるのだ。

この評価乖離が起きたのってロッテトマトとかだろう?新聞キッズ欄の「お勧め度」じゃないんだろう?新聞キッズ欄の「お勧め度」なら平板ポリコレ安全な方が点数は高くなるがそれ以外なら逆だ。

 

これ書いてる増田の好きな映画ジャンルというのは虐殺暴力理不尽同性愛フェチといったもので、あんまりポリコレが力持ちすぎると困る。

映画パフューム』のAmazonレビューに「無実の人が死刑になっていやな気分になった」とコメントされているのを見て笑ってしまった。同映画では連続殺人を犯した主人公香水の魔力によって大衆を魅了し、死刑を免れる。司法は法的辻褄の為に代わりに世話人の家の一人を犯人でっち上げ処刑して主人公は放免めでたしめでたしとなるのだ。この理不尽は当然観客を反徳でいやな気持にする為に入れられている。

けれどネットオタクが論う「ポリコレ浸食」は見るからトンチンカンなのだ一般的な鑑賞、読解と評論が出来ずに飛びついているというケースばかりなのだ

作品の出来に関連する論争的なポリコレ」の周囲にインフルエンサの養分が分厚く堆積してそれを突いている感じなのだ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん