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はてなキーワード: 刹那的とは

2025-01-23

anond:20250123003720

名前だけってゆう情報に連結してるものによるんじゃない?

災害救助とかみたいに特定状況の特定個人を絞るのに名前でわかる情報だけで動けるのか付帯情報がどれほど必要なのかってのは持病とか前提として必要対応がある状況なのかでも変わるのと同じではある

「小さな子供がこの下に」

って言うのと

「ひかるっていう名前の外見上は女性戸籍上はまだ男性来年には女性戸籍も獲得する予定でいま工場勤務でがんばっている持病をもっているため対応に注意が必要でこの薬がないと何時間後にどうなる服装的に今日男性っぽいスウェット女性予定の男性がこの下に」

って言わないと救助ができない(救助するにあたってその配慮対応必要だと要求している)のとでは違うだろうしね

下にいるのが誰であれって話で特別対応必要ではないなら「この下に」で済む話ではある

名前を変える必要だけど、公的手続きは面倒だろうし広めた範囲が広いと面倒だろうとは思う

けれど登録されている名前が実際にそれであるかどうかと、それを使うかどうかについてはさほど面倒ではないんじゃないだろうか

一例に自分の知ってる名前の友人知人についても謄本たことがあるまたは身分証を見たことがある人数はどれほどいるだろう


身体的な性別の違いによって致命的な分岐がないから、それを自由度として選択肢に含める「ことはできる」けれども

できるからといってしたほうがいい、すべきとはまた違うんじゃないか

選んで増えるってことは個別事象がその個数分増えるわけで、得られるものも増えるだろうけど問題もそれだけ分岐するわけだから

どのみち名前なんかはどうでもよいだろうし、外見についても好きにしたらいいと思う

でも好きにする分、相手から対応も「好きにした分だけを要求する」というのはただの自己主張だと思うんだよね

相手がそれをみてどういう態度や対応選択するかは「相手自由」なわけなんだから、その自由を奪って自分自由だけ押し通すのは違うと思うんだわ

自分が受けたい態度と、相手選択やすい態度の中間点を模索してテンプレをつくってそこに落ち着くってのは、そこの設定の対応場面だけについて刹那的欲求がある以外はとても便利な仕組みなんじゃないか

挨拶して男性扱いまたは女性扱いされたいっていうだけの人は見た目や名前かについてまず配慮とか重要だろうし、挨拶とかは形式上あってもいい程度で大切なのはその先の対応関係だって人にとっては中身が重要だろう

ただ中身についても「見た目や名前判断してほしいし、それとは違う中身に気が付いてもそういう権利を主張して自由選択しているのだからそれを尊重して対応してほしい」って中身と

「見た目と名前と同じ中身だから、そういう対応で」という中身では、その後の対応も変わるんじゃないかなって感じはするよね

2025-01-21

男がキャバクラに行く意味がわかった

当方40代男性キャバクラには行かない。

ずっと何が楽しくて、お金を払って、女性に話を聞いてもらうんだろうと思っていた。

性的なことをしてすっきりしたいという気持ちはわかるので、まだ風俗の方が理解できた

から20年ほど前、増田大学に通っていた頃、研究室にある陽キャ助教授(すでに准教授呼称に変わっていたかも)がいた

学会などの出張のたびに、教授がやめろと言ってるのに学生を連れ回して飲み歩き、

最後には学生キャバクラに連れて行っていた。自分もそれで一度連れて行ってもらったが、全く楽しみ方がわからず、

椅子に座って岩のようになっていた。

一応、大学先生名誉のために行っておくと、当時ですら上記のような先生は少数派であり、

おそらく現在大学で、学生キャバクラに連れて歩くような先生絶滅危惧種だと思う

増田はその後、とあるIT企業エンジニアとして働いていた。

仕事は楽しかったし、コードを書くのは好きだったし、バグが発生して炎上しているプロジェクトであっても、ゴールが見えているのでそれなりに楽しく過ごしていた。

一概にIT企業といっても、企業ごとに社風は大きく異なるだろうし、部署によっても大きく異なるだろう。少なくとも自分部署では上司プロジェクトチームで飲みにいくことはあったが、キャバクラに繰り出すものは一人もおらず、大騒ぎする時でさえ、飲み屋の後にカラオケに行く程度だった。

増田は社内でそれなりに実力を認められるようになった。関わっているプロジェクト軌道に乗り、チームの雰囲気も良く、あとはメンテしながら隙間時間に新しい技術勉強するなど、悠々自適生活でもあった。サービスに苦情が来ることもあったが、増田は苦情の対応がそれなりに好きだった。お金を払ってくれたお客さんからフィードバックであると考えれば、顧客ニーズを捉えて、サービスもっとより良くできる、どういう課題解決すればいいか考えるきっかけにもなった。そういう苦情に対しても前向きに対応できるところが評価されたのだろう。新しいプロジェクトリーダーに任命された。

このあたりから雲行きが怪しくなる。それはある役員提案した新事業プロジェクトであった。

具体的に言えないのでフェイクで書くが、これまでスパコンを開発していた企業ビットコイン事業に乗り出すようなものだった。当然、社内に経験はいない。その役員東洋経済やらの経済誌で入手した程度の情報(=一般人情報しか持っておらず、全てが手探りの状態だった。しかし、増田くんは勉強熱心で優秀だから、うまくプロジェクトリードできるだろう、とおだてられ、自分もできるのではないか錯覚し、引き受けてしまった。それが間違いだった。

まずは座組みである自分所属していたチームの優秀な後輩を数名、一緒に働いたことはないが優秀な評価がある同世代・後輩を数名集めた。みなやる気に溢れていた。役員の肝入りであったため、チームメンバーを集める社内交渉はほぼ必要がなかった。チームのメンバーには技術的な面のキャッチアップを依頼し、自分プロジェクトリーダーとして、その技術出口戦略を考えた。要はどういうサービスを誰に向かって作るのか、大まかでもいいので、このプロジェクト方向性を決める必要があったからだ。

数ヶ月ほど経ち、技術的な勉強は大体キャッチアップできた。しかし、この技術がどんなサービスに繋がるのか、増田を含めプロジェクトメンバー全員とも皆目見当がつかなかった。部長には月1で、上述の役員には3ヶ月に1度のプロジェクトの進捗報告が求められた。当初は国外での研究開発動向やスタートアップの動向などを報告していた。また、どのような技術が現状存在するかなど、論文技術資料を整理し、噛み砕いた説明をすることで誤魔化していた。1年ほど経ったとき役員が言った。どういう技術があるのかはわかったが、全く新事業につながりそうにない。きちんと考えろ、というお叱りであった。増田技術的にできることを説明し、また国内外の他社も実現性のある事業にまだ繋げられていない研究開発段階であることを説明した。

そのときに、役員はあるスタートアップ名前を言った。それはシリコンバレーにあるスタートアップで当然、増田ウォッチである。この会社は次のような技術を持っており、その技術を持って次のようなビジネスを展開しようと現在金を集めている。なぜうちにはそれができないのか。しかし、多くのスタートアップ同様、増田はそのスタートアップ技術が現時点ではないと認識していた。スタートアップがやっていることは夢を見せることである。その夢に投資してくれる人を集め、そのお金を持って現実実装できるリサーチャーやエンジニアを雇い、実装しようとする。偶然成功することもあるが、多くは集めたお金で支払える期間を過ぎても開発は成功せず、会社空中分解する。それがスタートアップである。このスタートアップが謳う「夢」増田のチームも大きく共感できる。その夢が実現すれば、様々なビジネスが生まれるだろうし、多くの人に感謝されるだろう。しかし、現状の研究開発レベルとその夢の実現の間にはあまりにも大きなギャップがあった。それを乗り越えるすべを増田は持っていなかったし、おそらく世界中の多くの会社もいまだにそのギャップを乗り越える方法を持っていないだろう。しかし、役員は納得しなかった。この新事業ポシャるわけにはいかない。実はこの役員の新事業に当初から反対している派閥が社内におり、この失敗を理由に社内で派閥闘争が起こる、という予測が原因であった。

ここから問題加速度的に複雑になっていく。ただでさえうまくいくわけのない新事業であったが、その新事業が表向きうまくいっていると見せることがプロジェクト目的になっていった。役員は先ほどのシリコンバレースタートアップを私とともに訪問し、資金提供事業の締結を取り付けた。そして社外に大々的に発表した。行って話してわかったが、私の当初の予想通り、その会社技術と言えるレベルのものを何も持っていなかった。増田のチームが数ヶ月かけてキャッチアップした研究開発動向レベル情報しかなかった。新事業を加速させる、といって、とあるモックアップ公表した。将来的なサービスイメージを社外に広く知らしめるためである。同分野の別会社の友人から、あの発表見たよ、すごいねLINEがきた。詐欺師片棒を担いでいる気分になってきた。当然、増田プロジェクトチームのメンバースタートアップ技術も我が社が公表したモックアップ張子の虎であることは認識していた。しかし、社内政治の都合上、ライバル派閥にバレてはいけないため、研究開発状況は社内でも完全に機密状態になっていた。増田精神崩壊した。役員向けの会議や外向けの広報では、自社の技術や将来サービスが有望であることを伝える必要がある。しかし、プロジェクトチーム内はお通夜状態であり、どうやってこのプロジェクトソフトランディングさせるのか、という議論ばかりが行われていた。優秀なメンバーは一人、また一人と転職していった。当たり前である、誰もこんな技術詐欺を行いたい人間などいない。

精神が壊れてきた増田は家ではため息しかしなくなり、食欲もなくなっていた。ハゲは進行し、ザ・おじさんのような見た目になっていた。

ある朝、どうしても会社に行くのが辛くなり、妻にもう会社に行けないかもしれない、と弱音を吐いた。妻は増田仕事が辛い現状は当然察していたため、無理していかなくていいよ。会社辞めてもいいよと言ってくれた。私に何かできることがある?と聞かれたので、とりあえずおっぱいの谷間に顔を挟みたいことを伝えたら、朝からおっぱいの谷間に顔をはさんでくれた。

5分ほどおっぱいの間に挟まることで、何らかの作用があったことを知覚した。少し元気が出てきた。会社に行けそうな気がする。

「元気が出てきた」と妻に伝えたところ、下ネタ勘違いされ「今からしたいってこと?」と聞かれた。

増田は正確に状況を伝えた。もちろん性的意味でも感謝をしているが、おっぱいに挟まれたことで精神回復したこと、その包み込まれている安心感により、今日会社に行く勇気が湧いてきたことを伝えた。

妻は困惑しながら「いわゆるおっぱいからしか得られない栄養があるってことね」と言って送り出してくれた。

何がいわゆるなのかよくわからないが、妻の言っていることは100%正しく、こんな頭の良い妻と結婚できたことを感謝した。

その後のこと。増田サイコパスのように、役員には成功約束し、チームメンバーには配置換えの希望または転職活動を勧めた。少しずつチームを解体し、最後自分も辞めた。自分はやはり客が近くにいるサービスが好きなのだろう。苦情を言われてもサービスを直せるのは何も心理的ダメージがなかった。ただ、お客がいない研究開発で、役員からの苦情に耐えるのは我慢ができなかった。でも、多くの会社中間管理職もそうなんだろうと気づいたときに、世の男たちがキャバクラに行く意味がわかったのだ。あのエウレカの瞬間は今でも覚えている。世の多くの男たちは、社内で不毛上司たちのご機嫌取りをさせられており、今自分がしている仕事の多くがあまりにも不毛であること、常に謝罪強要されていること、しか生活のために仕事を辞められないこと。このジレンマの中で精神おかしくなっているのだ。そして、それを癒せるのは性的サービスではなく、瞬間的な心理的幸福感なんだと思う。自分があれ以降、毎日妻のおっぱいの間に挟まってから仕事へ行くようになったように、一部の男たちはキャバクラに行ったり、風俗に行ったりするのだ。あれは性的サービスというよりはケアサービスなのだ。そこから考えると、最近推し活の意味もわかってきた。なぜあれほどまでにアイドルキャラクターに入れ込むのだろうと不思議に思っていたが、あれは現実逃避というわけではなく、本人の心のケアのための活動なのだろう。それほどまでに現代社会過酷なのだ

このような理解に辿り着いた後に、当時お世話になった助教授先生に連絡を取ることにした。自分は相変わらずキャバクラに行かないが、キャバクラに行く人の気持ちはわかりましたよ、ということを伝えたい、あの頃の岩になった自分の浅はかさを謝りたいという気持ちもあった。その先生はある地方大学教授になっており、その大学では理事・副学長になっていてあまり出世っぷりに驚いた。おそるおそるメールを送ってみると、近況報告がてら飲みに行きましょう、とメールがすぐに返ってきた。

その先生研究室訪問し、先生最近の状況を伺った。相変わらず陽キャで、人を明るくする人はすごいな、と思わされた。大学近くの居酒屋に行き、色々話した上で、上記のようなキャバクラ論について語った。先生は少し考えた後に、やはり理屈よりも実践だろう、今から行くぞとキャバクラに連れていかれた。正確にはキャバクラではなく、フィリピンパブだった。そのことを指摘すると、フィリピンパブの方が安いし、楽しいとのことだった。

常連なのだろう、先生の周りにはすぐに女の子がたくさん集まってきた。先生はおもむろに「歌いま〜す!」と言って、こっちのけんとのはいよろこんでを歌い出した。

想像してほしい。還暦を過ぎた老人がハイテンポはいよろこんでを踊りながら超絶美声で歌う姿を。

その時の私は数年で1番笑ったと思う。笑いながら涙が出た。還暦過ぎても流行曲を相変わらずマスターしている先生には笑ったし、選んだ曲がはいよろこんでだったのは先生から私へのメッセージであることに気付いたからだ。

そのあとはみんなでbling-bang-bang-bornを踊ったりしながら楽しい時間を過ごした。

帰り際に先生が言った。さっきのキャバクラ=おっぱいの谷間論だけどな、正しくないと思うぞ。

しかにそういう側面もあるだろうけど、居酒屋で同僚と馬鹿騒ぎするのだってケアの側面はあるだろう

から、そうやって何でも頭でっかちに考え過ぎずに、刹那的に楽しむ。そういう場所だって社会には必要だろう。

かに今日フィリピンパブ癒し目的ではなく、ただ単純に楽しい場であった。そうか、楽しいから行く、当たり前の理由だな。

「だけどな、高いの頼んだ時はお姉ちゃんおっぱいの谷間に顔を挟んでくれる時もある」

先生キャバクラからフィリピンパブに変えた理由はお触りがあるからだったようだ

2025-01-20

anond:20250120182553

アメリカって、刹那的なチャンスに群がりたがる日本人性質を見抜いてそう

2025-01-11

はてな匿名ダイアリーユーザーに捧ぐ

 あなたは、いったいどんな思いを胸に、ここへやってきたのだろう。喜びや悲しみ、後悔や憤り、あるいは日々の生活に潜むささやか奇跡への感動――。この場所には、他人には決して言えないような本音から、誰かと分かち合いたい小さな秘密まで、さまざまな感情が渦巻いている。書き手は「匿名」という仮面をつけ、読み手実名顔写真もないまま、その文字列だけを頼りに心情を推し量る。はてな匿名ダイアリーは、そんな不思議空間である

 インターネットにおける匿名性というのは、ときに素晴らしいものだ。人前で話すのは怖いことも、本当の顔を晒すのは恥ずかしいことも、そこではずいぶんと緩和される。書き手にとっては、己の感情吐露するのに最適の場。読み手にとっては、まるで多彩な人々の脳内を覗き見るような感覚にさえなる。そして、その過程言葉自由になる。言ってしまえば、ちょっとした「秘密の共有」を通じて生まれる、奇妙な連帯感。ここがはてな匿名ダイアリー最大の魅力といえるかもしれない。

 だが、それは同時に、不安定で危うい側面をはらんでいる。何を思っているのか、どんな背景を背負っているのか――その全貌が見えないまま互いに言葉を交わすとき共感と誤解が背中合わせになることは少なくない。時として傷つきやすい人が傷つく言葉を受け取り、書き手もまた、コメント欄非難の声を浴びることで、思わぬダメージを負ってしまう。匿名からこそ、むしろ気軽に吐き出せる痛烈な一言は、ときに誰かの心を突き刺す刃ともなる。

 それでもなお、あなたはここへ来る。むしろ、そういった刹那的な繋がりがあるからこそ、人間くさくて魅力的な場だともいえる。たとえ刹那火花であっても、「自分はひとりではないんだ」という感情を味わえる。それはコメント欄の小さな「わかる」「なるほど」の言葉だったり、ブックマークスターに込められた軽い共感の表明だったり、あるいは「もっと知りたい」「応援しているよ」といった温かい反応かもしれない。そこで得られる心の拠り所は、案外馬鹿にできないものだ。

 言葉とは、不思議な生き物だ。書き手の頭のなかでは明確だったつもりの感情も、キーボードを叩き始めた途端に何か違う形へと変容してしまうこともある。意図しない誤解を招くこともあれば、読み手に新たな解釈を与えることもある。特に匿名ダイアリーのような場所では、下手に取り繕わず、垂れ流すように本音をぶちまけてしまうことが多い。そうやって生まれる乱雑な文章なかに、妙にリアル感情が埋まっているからこそ、読む側は思わず引き込まれしまうのだろう。

 たとえば、何かに行き詰まったり絶望感に打ちひしがれたりしたときあなたは「助けて」とはなかなか言い出せないかもしれない。リアルな知人には相談しづらいし、SNSではフォロワーや友人の目が気になる。そんなときこそ、この匿名ダイアリーは役立つ。名前を伏せたまま、思いっきり弱音を吐く。怒りをぶつける。恥部さらけ出す。それでもどこかで「誰かが見てくれている」という安心感がある。コメントブックマークがつけば、それは「あなたの声が届いた」証拠になる。

 書くことで癒されることもあるだろう。声にならない叫び文字に変えることで、自分自身思考を整理できる瞬間もあるかもしれない。コメントや反応を得られなくても、「この想いを綴る」という行為のものが、自己救済のためのステップなのだ。書き終えたあと、あなたの目にはどんな光景が映るだろう。あるいは、胸のつかえが少し取れているかもしれないし、意外にも新たな怒りや悲しみを再確認して、さらに落ち込んでしまうかもしれない。それでも、書かずにはいられなかったのだとしたら、それはあなたが前に進むための第一なのだと思う。

 一方で、読むことによって救われる人もいる。人間は誰しも、自分と同じような境遇や似通った感情を抱えた人の存在を知るだけで、奇妙な安心感を得るものだ。「この苦しみは、私だけが抱えているわけじゃないんだ」と思えたとき、そこに一筋の光が差すことがある。それは、当事者同士にしかからない痛みであり、それゆえにコメントで寄り添い合うのは難しいかもしれない。けれども「誰かの投稿を読む」という受動的な行為だけでも、思いがけず自分を支える糧になることがあるのだ。

 この匿名空間には、現実のあらゆる制約を外した「書き手世界」が無数に広がっている。孤独な人、悩みを抱えた人、喜びに震える人、憎しみと怒りを抱えた人、軽い暇つぶしやおしゃべりを楽しみたい人――それぞれが書きたいことを、書きたいときに書く。そこにあるのは純粋言葉の奔流だ。だからこそ、互いの声なき声が重なり合い、ときにはぶつかり合い、また離れていく。その動的なやりとりこそが、はてな匿名ダイアリーという場所生命力なのだろう。

 しかし、匿名性がもたらす功罪は、私たちが十分に認識しておく必要がある。名乗ることな発言するということは、その発言に対する責任曖昧にしがちだ。ちょっとした悪意のはけ口や、勢い任せの誹謗中傷に利用されることもある。言葉が刺さることを充分に理解していても、どこか“仮面”をかぶっているか大丈夫だと錯覚してしまう。しかし、実際にはネットの向こうにも生身の人間がいるという事実は変わらない。あなたの何気ない一言が、相手を深く傷つける可能性があることを忘れてはいけない。

 とはいえ、それは即ち「何も書くな」という意味では決してない。むしろはてな匿名ダイアリーは「書く自由」を大切にする場所だ。ただ、その自由には、最低限の配慮必要になる。あなたが発する言葉責任を感じるかどうか――その判断は究極的にはあなた自身が下すしかない。そして、もし誰かの言葉によってあなたが傷ついたとしても、そこで生まれ感情をどう受け止め、どう行動につなげるかも、結局はあなた自身選択次第だ。それがネット上の言論空間における避けられない現実である

 人はみな、自分体験した悲喜こもごも物語を抱えて生きている。それを打ち明けるか、隠し続けるか、あるいは別のかたちに昇華するか――道は無数にある。はてな匿名ダイアリーは、その「道の一つ」を提供しているにすぎない。けれども、そこには確かに何かがある。匿名という安全地帯から我慢し続けてきた声をようやく吐き出せる喜び。SNSいいねフォロー数とは無縁の、純粋な読み合いの醍醐味。時には厳しい言葉を受け止めることで、思いもよらない学びがあることもあるかもしれない。

 もし、あなたがこの場所で何かを書こうとしているのだとしたら、どうか覚えておいてほしい。ここでは誰かに評価されることだけが目的ではない。むしろ自分感情を認めるために文章にすることが、大切な場合も多い。うまく書こうとしなくていい。無理にまとめようとしなくていい。自分でもうまく言葉にできないままの混乱こそが、ある種の真実かもしれないからだ。あなたが綴る文章が拙くても、見る人が見れば、その混乱の中からかすかな真意を感じ取るだろう。

 また、読み手として匿名ダイアリーに触れるときには、ぜひ広い視野文章を受け止めてほしい。表面的な言葉に振り回されるだけではなく、その人が置かれているかもしれない状況や、そこに至る経緯を想像してみる。その結果として、あなたが何も感じないかもしれないし、怒りを覚えるかもしれないし、時には深い共感を得るかもしれない。たとえわからないままでも、「わからない」という事実に思いを馳せることが、相手との間に生まれるほんの少しの理解を助けてくれるはずだ。

 おそらく、はてな匿名ダイアリーはこれからも形を変えながら続いていくだろう。書く人と読む人の交流は、時代技術の変遷を受けて少しずつ進化していく。AIが発達して、匿名文章自動生成できる時代になっても、そこに人間味あふれる“本音”の手触りが残るのだろうか。そんな問いかけを抱えながらも、私たちは相変わらずここへ足を運ぶ。だって、どんなに技術進歩しようとも、人が言葉を発して誰かに届くことに、やはり大きな意味があるからだ。

 最後に、ここに集うすべてのはてな匿名ダイアリーユーザーに伝えたい。あなたが今、どんな思いを抱えているとしても、ここで書くことには意義がある。たとえそれがネガティブな吐き出しであっても、あなた思考真剣にめぐらせた痕跡だ。その痕跡は、未来あなたや、あるいはまったく見知らぬ誰かの心に小さな火種を灯すかもしれない。もし今日あなたが自信をなくしているのなら、どうか遠慮しないでほしい。匿名仮面かぶったままでも、あなた言葉には十分な重みがある。そこから得られる感情や学びは、他ならぬあなた自身人生を動かすかもしれないのだから

 書くことは、ある種の自己解放であり、同時に他者との接点を生み出す行為でもある。自分の悲しみや苦しみを打ち明けることで、思いもよらない形で他人から共感を受けとることもある。逆に、誰かの文章を読むことで、これまで知る由もなかった人生観に触れることもある。はてな匿名ダイアリーには、そうした偶然の出会いが満ちている。うまくいくこともあれば、そうでないこともある。けれども、その予測できない化学反応こそが人の言葉面白さであり、匿名ダイアリーという不思議空間醍醐味なのだろう。

 どうか忘れないでほしい。たとえこ匿名世界真剣感情を吐き出したところで、リアル世界に戻れば、あなた名前や顔や立場はそのままだ。けれども、匿名の場で得た気づきや、さまざまなやりとりを通して感じたことは、リアルあなたにとって何らかの糧になるはずだ。あなたは、書くことで少しだけ自分を知り、読むことで世界を広げる。そして時には、誰かの心をほんの少しだけ照らしているのかもしれない。その証拠は、また誰かの新しい書き込みによって紡がれていくのだ。

 だから、もしこの先あなたが苦しいと感じたなら、またここに戻ってきてほしい。あなたが聞いてほしいことは、すでにここで待っている他の誰かが拾い上げてくれるかもしれない。あなた自分物語を探しているのなら、ここには数えきれないほどの物語が転がっている。人の数だけ人生があって、人生の数だけ言葉がある。どうか、その中からあなたが救われる言葉や、何かのヒントを見つけ出してほしい。

 はてな匿名ダイアリーユーザーへ――今日あなた物語が生まれては消え、そしてまた新たな物語へと続いていく。それは一人ひとりの足跡でありながら、やがて大きな流れになっていくのかもしれない。あなたが書いた言葉は、どこかの誰かの夜を少しだけ明るくするかもしれないし、あなた自身明日をほんのわずかに変えてしまうかもしれない。ここは、そんな可能性を秘めた場所だ。書き続ける者、読み続ける者、それぞれがさまざまな想いを携えて、この広大な匿名空間をさまよい歩く。そしてときどき、遠くから手を振り合う。それだけで人は、少しだけ強くなれるのではないだろうか。

 あなたが何を願い、どこへ向かおうとしているのかはわからない。けれども、文章を綴るという行為が、あなたを一歩でも前へ進める力になり得ることを、私は信じている。そしてその文章を誰かが読んだとき、何らかの共鳴や励ましが生まれ可能性は、決して小さくはない。だからこそ私は今日も、ここで文字を紡ぐ。はてな匿名ダイアリーに集う、まだ見ぬあなたに向けて。どうかあなたも、もし心に余裕があるならば、ここでの自由な発信を楽しんでほしい。たとえ小さなつぶやきでも、遠くの誰かにとっては大きな灯火になることがあるのだから

 書き手読み手、その垣根は紙一重であり、ときに容易に逆転する。今日読み手明日書き手になり、今日書き手明日読み手になる。そんな柔軟な循環こそが、このコミュニティ本質ともいえる。ここでは名前も知らない人々が、それぞれの人生を断片的に開示しあい、そこに何らかの反応を示し合っている。顔も声も知らない相手だけれど、文字の向こうにいるのは同じ人間だ。そしてそのやりとりが、あなたの心に、あたたかくも奇妙な「つながり」を芽生えさせることもあるだろう。

 はてな匿名ダイアリーユーザーへ――どうか、あなた言葉を大切に。どうか、あなた自身を大切に。ここは匿名仮面かぶった人々の集う場所しかし、その仮面の下にあるのは、たしかに生きている人間の心だということを忘れないでいてほしい。もしあなたがここで孤独を叫ぶなら、きっとどこかで誰かが耳を傾けてくれる。もしあなたが怒りをぶつけるなら、その理由を汲んでくれる人がいるかもしれない。もしあなたが喜びを共有したいなら、一緒に祝福してくれる仲間が現れるだろう。ここは、そんな可能性に満ちた場所である

 そして、もしあなた言葉が、誰かにとって苦しいものであったとしても、そこには相手人生があるのだということを思い出してほしい。遠い世界の誰かだとしても、何かを抱えて生きている人間であることに変わりはない。だからこそ、言葉が持つ力を見くびらず、どうか誠意をもって文章を紡いでほしい。たとえ感情的な吐露であっても、その奥にある“想い”を人は感じ取る。だから書くほどに、あなた自分を知り、同時に他者と繋がっていくのだ。

 あなたがここで紡ぐ文字が、いつかは誰かの行く道を照らすかもしれない。あなたの書いた言葉が、数年後に読み返されて、また別の人の心を動かすことだってある。はてな匿名ダイアリーという小さなステージに、あふれるほどの人生が断片として散りばめられている。そのひとつひとつが、かけがえのない存在だ。今日もまた、新しい投稿が生まれ、誰かがそれを読み、やがて何かしらの行動へとつながっていく。その循環が、あなたにも、私にも、そしてここを利用するすべての人に、ほんの少しずつではあるが、変化や成長をもたらしている。

 だからこそ、はてな匿名ダイアリーユーザーに捧げたい。どうかあなた言葉を信じてほしい。そして、あなた言葉を受け取る誰かの存在も、ほんの少しだけ信じてほしい。いまは小さな声かもしれない。でも、その声はきっと届くべきところに届く。思いがけないかたちであなた人生と交わり、あなたを励ましたり、支えたり、ときに戒めたりする存在が現れるだろう。そんな奇跡を、ここでは何度も目にしてきた。それを信じるのは、決して無駄なことじゃないと私は思っている。

 今日も、はてな匿名ダイアリーユーザーあなたは、何を想い、何を綴ろうとしているだろうか。心に宿るほんのささやか感情であっても、あるいは長年くすぶっていた大きな悩みであっても、あなたが書きたいと思ったなら書けばいい。読むのは、あなたを含む、ここを訪れる誰かだ。私たち匿名仮面の下にそれぞれの人生を持ち寄っている。だからこそ、見知らぬ誰かの声が、あなたの中に眠る想いを目覚めさせてくれることもあるのだ。

 もし明日、心が折れそうになっても、どうかここを思い出してほしい。はてな匿名ダイアリーは、完璧場所では決してない。批判誹謗中傷、思わぬ行き違いも数多くある。それでも、人間の生々しい感情がこれほど集まる場所は貴重だ。そして、その生々しさのなかでこそ、人は自分本音を知り、誰かとの小さな共感を感じ取り、支え合うことを覚えるのかもしれない。あなたがどのようにこの場を活用するかは自由だ。だが、あなた言葉はたしかにここで息づき、誰かの心と呼応する可能性を秘めている。

 この不思議匿名空間へようこそ。そして、今いるあなたへ、ありがとう今日もまた、新しい物語生まれる。もしあなたがその物語を書きたいなら、ぜひ書いてみてほしい。誰かの書いた物語を読みたいなら、ぜひ読み漁ってほしい。そのどちらも大いなる価値があり、あなた人生を少しだけ豊かにするかもしれないから。どうか、はてな匿名ダイアリーというこの小さな世界で、あなたの心が少しでも軽くなるような、そんな瞬間を見つけてほしい。それが、ここに集うすべてのユーザーに捧ぐ、ささやかな願いである。

2024-12-23

anond:20241223005118

人間社会的動物であって、かつ、性的衝動だけでなく倫理的な理性も持ち合わせている場合がある。

で、刹那的性的衝動レイプする人間社会害悪である多数派認定するのであれば、それは淘汰圧となって、刹那的性的衝動レイプする人間は淘汰される運命にある。

2024-12-17

anond:20241216222448

推測とか一般論に頼らず、恥ずかしくても自分がどう考えていてパートナーはどう思っているのかをできる限りオープンに話合うしかいかと。お互いの希望理想を明確にして、そのためにそれぞれどうするか検討するしかいかな。

40以降になると、レスになってお互いに空気みたいという夫婦もいますし、夫婦関係は壊したくないけど欲求不満ではあるからマッチングアプリ等で刹那的相手を見つけるという女性結構ます

どういう状況を望むか、どんな事態は望まないかよく考えることをおすすめします。

夫のことが大好き

◼️追加

衝動で書いて恥ずかしくなって衝動で消してしまった。

ページ開いたら内容が復帰できてたのでまた載せます。使い方分かってなくてすみません

禿げても好きです。(良くないとコメントがありましたので言い切り)

━━━━━━━━━━━━━

愚痴とか悩みはSNSにかけるし友達にも言えるけど

逆はなかなか言いにくいので、匿名で放流する。

夫のことが大好き。

一緒にゲームをしてくれる。バトル系も私より上手いのに、貶したりしないでアドバイスコールをしてくれる。

ストーリーネタバレしないで待ってくれて、終わった後に感想を共有してくれる。

開拓ゲームも一緒にやってくれる。ゲーム勘と察しの悪い私と効率化を全力で楽しむ夫でやるので、畑とか工場は大体夫作になる。私はモンスターを倒して素材を取ってきたりする。

料理もしてくれる。節約のためにお弁当を作ったり晩御飯を多めに作ってお弁当用に冷凍してくれたりする。私が作ったお弁当や晩ごはんにも、毎回美味しかった!とか、ありがとうとか、このレシピあとで送っといてとか言ってくれる。

野菜が安いスーパー八百屋開拓して、仕事帰りに買ってきたりしてくれる。

色んなところに遊びに連れ出してくれる。昔話してて、家族旅行に連れてってもらったことないって話をしたら、これから俺と行こう!って言ってくれる。実際にポロッと言った行きたいなーを本気にして計画を立てたりしてくれる。

2週間に1回は近場でちょっと遊びに行ったり外食に連れ出してくれる。

近所の居酒屋とかチェーン焼肉とかチェーンしゃぶしゃぶで、すごく高くていい物!てわけじゃ無いけど、一緒にご飯を食べると楽しいので、その予定があるだけで嬉しい。

私は話しすぎるタイプコミュ障で、人からしかけられたらめちゃくちゃ喋るけど、自分から人に話を聞いたり質問したりするのが苦手で、ブワーーっと喋った数時間後に布団の中で延々と反省会して病むタイプ

けど夫は、質問したり会話のきっかけを作るのが上手くて、私がブワーーっと喋るのも上手く聞いて楽しんでくれる。

私がボケたら的確にツッコミを入れてくれるし、私の話に笑ってくれる。夫にウケたくて、つい話を盛ったりふざけたりしても笑ってくれる。

他にも寝る前に布団を温めておいてくれたり、自分1人だと栄養価無視食事する私にサプリを買ってきてくれたり、PMS生理前のメンタル体調不良理解してくれてたり、勧めた映画アニメを一緒に観てくれたり、ジムに一緒に行って筋トレを一緒にしてくれる。

結局夫の方が先に痩せた。

付き合い始めた時は見た目は全く好みじゃなかったけど、今は夫の目もハの字の眉毛も鼻も骨格も好き。薄毛を気にしてるけど、禿げあがったとしても頭蓋骨の形も好きだから好きでいると思う。

もちろん夫にも悪い部分や嫌な考え方や言い方、直して欲しいところはあるんだけど、

比較対象:自分で考えると自分やばい人間すぎて

(まぁ責めるほどでもないか)とか(お互い様だよね)とか、

(こうして欲しいとか言葉で言ってないのに勝手に期待してその通りにならないからといって不満に思うのはやばいよね)とか思って冷静になる。

夫と出会ってなかったら、セルフネグレクト気味で自分を大切に出来ず、金銭感覚が終わってるせいで貯金もろくになくて保険にも入ってなくて、刹那的な考え方と生き方を今でもしてたと思う。

今完全にまともになれたとは思ってないけど、前よりは1億倍マシになっていると思う。

結婚して数年経つけど、仕事しんどい時とか1人で出かけた時とかふとした時に、夫が日々くれた何気ない優しさを思い出して、大好きだなぁと思う。

分担だからしないといけない、というよりは夫の優しさに対して私もできることをしたいと思う気持ち原動力になって大嫌いな食器洗い洗濯掃除もやれてる。夫が私に優しくしてくれるだけ、私も優しくしたい。

これから10年、20年かけて、生涯の親友みたいになっていけるといいな

喧嘩しても、子供ができても、できなくても、仕事生活が辛い時があっても

ずっと一緒にいさせてね

2024-11-12

脳内で親を殺す

毎日脳内で親を殺している。

親は大切にしなきゃいけない、敬わなければいけない。死ぬほど聞いた。

まれたこから心身ともに切り刻まれ人間にとって、その言葉理解することはとてつもなく難しい。

何をしてても、何を考えていても過去の嫌な記憶が想起される。行きついた結論が、脳内で親を殺すことだった。

やられた傷に塩を塗りながら、親にやり返すことで刹那的に溜飲を下げている。

衣食住を握られていた未成年のころ、もしくは物心いたこから罵詈雑言は当たり前だった。

言葉暴力だけではなく、殴る蹴るも当たり前。他の家庭を知らないから、それが当たり前だと思っていた。

バカ頭が悪い、どうせ嘘だろう、生きているうちに頭を使え、役立たず、帰ってくるな、家から出ていけ、誰のおかげで生きていられると思うんだ

都合のいい時にだけ話しかけるな、お前より長く生きている俺たちのほうが正しい、デブ、ブス、醜い、目障り、視界から消えろ、迷惑をかけるな

ああ、自分は頭が悪くて人に依存しないと生きていけなくて、誰の役にも立たなくて、自分の都合のいい時にしかしかけられず、息をしているだけで迷惑をかける容姿も醜い存在なんだ。

これを20年以上刷り込まれたら、そう思うしかなかった。物心いたこから自己肯定感なんてほとんどなかった。

どんなに褒められても、自分認識正反対から受け入れられなかった。それは今も後遺症として残っている。

どんなに理不尽な目にあっても、嫌な目にあっても、"親は絶対に正しいから"抵抗もできなかった。

抵抗しようものなら、二倍になって返ってきて二倍嫌な気分になり、二倍傷が増えた。

だったら等倍のまま受け入れて時が経つのを待った方がマシだった。

子供目線からも筋が通っていないめちゃくちゃな理論を振りかざし叱責している姿は、怖いというより理解ができなかった。

それでも反論することは許されず、使用できた反応は肯定謝罪だけだった。

自分の家庭が異常だということに気づいたのは、社会人になって家を出た後だった。

それより前にも、友人や知人の他の家庭に触れることによって違和感を覚えてはいたが、衣食住が握られている時代抵抗しようものなら生きていけないことはわかっていた。だから黙って"普通の家庭"だと思うようにしていた。

職場にどうにも合わない人間がいた。嫌なことを言ってくるし態度にも出してくる。

それと同時に過去の嫌な記憶フラッシュバックするようになった。結論簡単で、親と同じことしてくるからだった。

そこから簡単に体調を崩し、転職をしたが転職先にも同じような人間がいて悪化摂食障害まで発症して逃げるように仕事を辞めた。

それまで普通だと思っていた親と同じことをしてくる外部の人間。そこでやっと自覚した。私のいた家庭は異常だったんだ。

異常であることに気づいてから理不尽に傷つけられていたことに腹が立った。

怒りを覚えるには時期が遅すぎた。

一度親にこの感情をぶつけたことがあったが、のらりくらりかわされ、最終的には私が悪いという結論になった。

ああ、話が通じないってこういうことなんだ。同じ日本語をつかって、親とは違い道筋を立てて話しているはずなのに、伝わらない。

いつしか"都合にいい時にだけ話しかけるな"と言われたとき、会話をすることをあきらたことがあった。

希望通りに話しかけないでいたら、"お前は何も話してくれない"と言われた。

勢いで発言をしているから、自分が言ったことを覚えていられない人だった。もう大切なこと些細なことも、二度と言うまいと決意した。

なのに。一回あきらたことがあったのに、なんでまた期待したんだろう。余計に傷ついただけだった。

自分の思いも理解されない。というかまず聞き入れてもらえない。そもそもスタートラインに立てない。

私の話を、聞いてほしかった。私の気持ちを、理解してほしかった。それももう叶わない。

年々膨れ上がるこの思いの行き場がない。なら、脳内でやり返すしかない。

やられたことを一つずつやり返している。言われたことも、一言一句間違えないように言い返している。

最近ついに脳内で親を刺し殺した。

少しは楽になると思ったけど、何も変わらなかった。何も変わらないのは最初からわかっていたけど、やめられない。

絶対に親と同じ人間になるまいと思っていたのに、結局同じことをしている。

本当に嫌になる。

2024-11-10

anond:20241110135251

どうでもよくはないでしょ

ご大層に論じてる割にあまりにも考えが刹那的すぎる

2024-11-05

どんな精神力があったら増田に長文を書けるんだろう

何回か長文増田を書こうと思ったことがあるんだけど、増田は後から参照しづらい書き捨てのサービスじゃん?

そんな刹那的用途のために原稿用紙数枚分の長文を書いてる人の精神力の強さが自分には信じられない。

2024-11-03

anond:20241103074111

恋愛というのは他者への依存であって自立しない薄弱未熟な精神ゆえにそれに浸っていられるもの

もちろんその依存システムを利用してつがいを作り遺伝多様性を維持しながら繁殖する生物である以上恋愛を求める心理必要以上に恥じる必要はないのだが

キャラクターそもそも生殖する必要がないのでキャラクター恋愛させたがるのはエゴしかない

そして愛されるキャラクターというのは依存心を超越した自我確立しており人間として尊敬できる生き様をすでに持っているものであり

それに対して未成熟読み手恋愛という体で精神依存をしている場合ではないのである

キャラクターに感銘を受けたならばそれと同じような高潔さを己の中に取り込めるよう努力すべきなのである

尊ぶべき徳性もつキャラクターを教え広めたり行いそうなことを想像創作したりすることは一定の意義があるもの

最終的には己に帰ってきて血肉となってこそフィクション価値が生まれることを忘れてはならない

ひたすらにキャラクター同士の関係性に耽溺するばかりではそれは相対的自傷行為様相を呈すようになる

そのような刹那的コンテンツ消費の対象物としてキャラクター作品貶めることもなりかねない

ゆえに「単体か恋愛か」という嗜好はこうした心得の大小によって分かれてきそうな部分ではあるもの

最終的にどうキャラクター作品に向き合うべきかという大きな問題の前では小さな違いにすぎない

つまるところその嗜好形態に拘泥する意味はないであろうということが主旨である

キャラクターの良さを汲み取って己の中へ落とし込んでいく過程は結局のところ極めて個人的主観的ものでなければならない

あなただけの孤独な旅なのだ

2024-10-31

anond:20241030124154

そんなことで承認欲求を満たさないでほしい。なぜならセックス抜きで承認欲求が満たされない人間は哀れだし迷惑から

しかレス問題になったり離婚の原因にもなったりする以上、世の中にはそういう考えの人がすごく多いということなんだろう。

セックスによって承認欲求が満たされるって考え方は自分には恐ろしい。

本来

好きな人と求め求められるのが何よりも癒しになるという感覚

セックスではなくもっと他のコミュニケーションで埋めるべき感覚なはずだ。

ここをセックスで埋めようとするのはあまりに短絡的、刹那的高校生カップルみたいだ。

高校生くらいなら恋愛だけに夢中になれる時期でもあるし、自分彼女とのセックスですごく満たされた気持ちになっていた。

でも大人になってそれは互いの幻想であることは分かるし、セックスもっとフィジカルものとして捉えるべきだと思う。

2024-10-25

anond:20241025111346

これは俺も知りたい。そもそもなんでみんなそんなに興味が深いんだ?

こういった疑問を口にすると、決まって「好きなこと好きなこと」繰り返されるわけだけど、その好きなことに対して興味が自然に沸く状態への持っていき方が知りたい。

たとえば、俺も他の大勢の人と同じく、アニメ漫画音楽が好きだよ?

でも、そこからみんなみたいに掘り下げていく方に行かないし、無理に調べものしても、まあぶっちゃけると、結局はそこまでするほどのいわゆる興味というものが沸かない。

かに対して面白いな、美しいな、と思ったりはたしかにするけど、でも結局はそれってただの感情気持ちなわけで、刹那的もので次の瞬間には消えてなくなるものなわけだ。

過去自分が感じて、時間の経過で捨て去るものに対して、再び掘り起こして興味を抱くというのはとてもエネルギーのいることだと思うし、それを平然とやるための活力をみんなはどうやって得ているんだ?

こういうと、「本当は好きじゃないんだろう」と思われるかもしれないけど、べつにアニメでも映画でもスポーツでも旅行でもなんでもいいけど、嫌々やっているつもりは本当にないんだ。

ただ、どうしても俺から見た他の人たちが楽しんでいるときのような楽しみ方を、俺自身実践できている気がいつもしなくて、しっくりしないままただ徒労感のみが最終的に残ることになる。

忘れっぽいのかと思って、メモ取ったりしても、やっぱり終わった後にはどうでもよくなってて、そこからまた同じ方向性の想いや感情が持続することがない。

から不思議なんだ。

どうやってみんな「好きなこと」や「興味」を動力として有効なまでに成り立たせている?

2024-10-19

今、電車ホラーな会話を盗み聞きしてしまった

オリジナルファニーゲームはね、ほんっとにやばいよ」

心を漂わせながら電車に乗っていると、BGMだった環境音が突如として鋭利情報をもって脳を揺らしてくることがある。

吊り革を持った僕の向かいに立つ、マスクをした中年男性(以下おっさん)が、友人であろう斜め向かいに立つ同じく中年男性(以下友人)に放った”ファニーゲーム”とは、きっと映画史上最も不快作品と謳われているホラー映画のあれのことだろう。10年ほど前に鑑賞した記憶大脳から引っ張り出されてきた。

ところでファニーゲームオリジナルリメイクがあったことを知らなかった。僕が観たのはどちらだったんだろう。いずれにせよ、確かに記憶ではファニーゲームはなかなかに癖の強い映画だった。主人公に一切の救いがなく、作中大半は虐待行為構成された終始バイオレンス描写。あれはひどく人を選ぶような作品だろう。

おっさんリメイクもまあまあなんだけどさ、オリジナルはほんっとにやばいよ」

おっさんマスク越しに強く、しかし控えめに放つ言葉は、不特定多数空間を共有するー車両内にも関わらず、この三人の耳にしか届いていない。他の人からは、3分前の僕と同じようにBGMとして処理されている環境なのだろう。

この事実が、今いる空間限定性をより一層と深めていく。コトラーはこれを述べたかったんだなと近代マーケティングの父の顔が頭をよぎる。

しかし、僕が当時に観たものオリジナルなのかリメイクなのか気になって仕方なくなってきた。正直なところ、たしかに癖は強かった内容だが、僕の中ではそこまでの衝撃を残した作品というわけではなかった。

おっさん感受性がよほど豊かなのか。または、僕が観たものリメイクで、オリジナルは本当に脳裏に焼き付くほどの衝撃作なのか。

話を盗んで聞いているだなんて決して察せられないように、客観的には次の予定を確認するような素振りで、ポケットからiPhoneを取り出してファニーゲーム検索する。顧客本心をそう簡単には見せない。

そうやって二人にiPhoneの背を向けるようにしてリサーチをしてみると、二つの事実を入手することができた。

一つは、僕が当時観たファニーゲームリメイク版であったこと。

もう一つは、ファニーゲームは、オリジナルリメイクも、どうやら大して内容が変わらないようであること。

なんだそういうことか。つまりこの話は、おっさん感受性がよほど豊かだったというだけだったようだ。

こんな刹那的他人と偶然的に感性マッチすることなんて、そう簡単にあるわけがない。マーケティングがいつ何事にも通用する銀の弾丸だなんて勘違いしてはいけない。

iPhoneポケットしまい、活性化した脳を落ち着かせ、また心を漂わせる姿勢に戻ろうとする。

おっさんネットで調べると、リメイクオリジナルほとんど変わらないと出てくるんだけど、それは台本の話。オリジナルは、全然違う部分でほんっとにやばいよ」

驚くべきこのコトラーものの見事に僕の懸念払拭してきた。漂おうとしていた心は銀の弾丸によりぶちのめされた。

友人の相槌はとても控えめで、それは話の主導権を委ねることに決めたことを意味している。この山手線内回り3両目2扉前は、いつの間にか彼の手のひらで転がされていた。

なんならマスクをしているのも、口元が見えない為になんか謎めいているように見えて特別感を感じてきた。右手に付けたでかい数珠魔術師みたいでかっこいい。

全然違う部分って一体どこだ。それは自分の目で確かめろという示唆であろう、僕の考察力への期待さえ込めてくれている。

コトラーリメイクを観たことあるなら、なおさらオリジナルを観た方がいいよ、ほんっとにやばいよ」

その言葉最後に受け電車を降りた僕は今、ゲオの会員カードを握り締め、108分のファニーな冒険に出向こうとしている。

2024-10-18

anond:20241018162330

自民党に緊張感を持って仕事をして欲しいからとりあえず野党に勝たせたいってだけ

 

買い被りすぎだと思う。いや甘く見過ぎというべきか?

人間には思ったよりもアホが多くて、「正義をやりたい」とかい刹那的欲望は思ったよりも大きい。

 

将来の期待とか、合理的計算とかないよ。

ただ、悪を叩くというのが楽しいだけだ。

2024-09-27

女の人ってすぐ「交渉」したがるよな

男がすぐに性交したがるように、女の人はすぐに交渉したがる。

具体例で言えば、女性登用とか工学部女子入学とか、出産がそう。

自分に「需要がある」気配を感じると、それを使っていか相手から時間や労力、金を引き出せるかが先に来る。

「今更求められても、もっと支援して設備整えたら?」とか「もっとこっちの気持ちとか考えて欲しい、このままじゃやる気出ない……」とか

出産してほしいならもっと女性仕事環境支援金と働かなくても生きていけるような環境揃えなさいよ」とかとか。


こういう交渉する奴ってそもそも働く気も工学部に入る気も出産する気も無いんだよな。

本来自発的に動くものを、他人動機求めてる時点で絶対入ってもすぐやめてくのよ。働くのも工学部は居るのも出産子育ても大変なものからな。

楽になりたい奴に、大変なものをさせるのに必要なのは純粋に「飢え」なのよ。出産子育てをしない女性が生きにくい環境作り、働いてない女性は蔑まれ環境作り、

文学部でのほほんとしてる女性は生きていけない環境作り。


まぁ話し戻すと、搾取されないためには交渉大事だけど、すぐ性交したがる男が刹那的関係しか作れず結果的に女に嫌われるように

すぐ交渉したがる女って同じように刹那的利益しか得られず、結果的に嫌われて孤独になっていくのよな。

女の人って世間から需要があるから、瞬間的に交渉する癖がついてるんだろうけど

もう少し交渉すんの我慢して大人しく工学部入ったり、会社で頑張ったりして、そこから交渉入っていった方が

社会に大切にされるし、結果的に生きやすくなると思うんだけどね。

いまんところ社会の中で女性って、新宿駅とかでナンパしてる、小奇麗にした寄生虫みたいな存在やん。

その交渉術をもっと世の中に役立つ方向にシフトしたほうが良いと思う。

2024-09-24

また暇アノン負けたんか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/expert/articles/fed04850521844b804e66576d0954ed08f48f6b9

男性ニュースサイトエコーニュース」を運営する江藤貴紀氏で、X上では「音無ほむら(@echonewsjp)」のアカウントで発信を行っている。


https://echo-news.net/about

挨拶

メインスタッフ

編集長 江藤貴紀

1980年まれ 東京都在住。好きなものお酒(でも禁酒中)と古めの映画旅行。それほど好きじゃないのは、そつの無いエリート体罰教師熊本県済々黌高校中退大検合格東京大学法学部および東大法科大学院卒業

日本はこれまで長らく、情報発信力の弱さが指摘されてきました。この原因としては明治維新以来の西洋ロールモデル模倣する枠組みが背景にあると言われることが多くありました。

しか現在ではそれに留まらず、海外から情報収集能力の低下も著しいものがあります新聞テレビをはじめとするメジャーメディアの取り上げるニュースはその多くにおいて、他国と比べて、ポイントがずれています。その内容は(それ自体カルチュラル・スタディーズ対象としたり、いわゆる「ビッグデータ」の元としてみるならともかく)刹那的ノイズでうまっています

そしてユーモアのなさにおいては嘆く余地もないほど嘆かわしいのが現状です。(記事は無論のこと、新聞掲載の、いしいひさいち氏以外の4コマ漫画面白いものがあるでしょうか?)これはかつて、偉大な福澤翁らを擁していた国とは思えない状況です。

しかし、嘆いているばかりでは現代社会において生きている世代としての義務を果たせていないと私は考えました。

そこで①古典のごとく100年後にも読み返す価値のある記事を精選して、②海外情報積極的収集し③ゆくゆくは海外積極的情報発信を行い④福澤諭吉文章ぐらいの遊びを持ったメディアを作り挙げることをいま、目指しています

さむい・・・

https://seijiyama.jp/area/card/14040/a8fs6g/M?S=qenel9qelin

立候補もしてたの・・・

選挙 文京区議会議員選挙

投票2015年4月26日

氏名 江藤 貴紀

得票数 1030

年齢 34

性別 男性

党派 無所属

新旧 新

主な肩書き ジャーナリスト

私は政治の透明性を高めることに関心があり、そのために大学東京大学法学部法科大学院へ進学、情報公開法をとくに熱心に学んでいました。

そして、その知識を活かして生かしてジャーナリストとして調査報道を行ってきました。

そして、今度は政治の場で実践したいと思い、議会出馬することになりました。

一期目に、日本全国で(国の法律よりさらに)進んだ情報公開制度を文京区に作り、政治の透明性を高めるとともに、そのデータを元に行政運営効率化を図ることの出来る議論の「仕組み作り」が目標です。


主な政策

身近な問題としてのゴミ回収日の増加です。高齢化社会に伴い、「おしめ」などの介護ゴミが増えています。また子育て世代 でも、子供の紙おむつがどうしても出ますが、集合ゴミ置き場のない物件に暮らす人は燃えるゴミの日まで匂うゴミを自宅で保管することになります

無論ゴミを減らすエコ努力必要ですが、健康文化的生活のためには、なるべく速やかにゴミを処理できる仕組みが必要です。

おそらく、文京区単体ではなく他の行政機関や業者などとの調整が必要問題と思います。ですが、調整も政治家の仕事の本分であり、まさに達成が必要課題と考えています

区立図書館におけるフリーWI-FIの 整備です。ネット情報と文献で得られる情報は、両方を結びつけることで相互補完的に機能すると考えています

ところが現在図書館WI-FI利用には 一部の携帯企業との契約必要で、登録手続も面倒です。

これをメトロ羽田空港など位シンプルにすれば利用もしやすくなります。そして社会人仕事で利用するにも学生勉強をするにも、効率的な環境行政が整備することが出来ます

なお、近隣諸国、たとえば韓国ソウル市では昨年に出張した際に市内のほぼどこでもiptimeというフリーWI-FIが通じたので、図書館単体で整備するのは決して難しいことではないはずです。

財源も、セキュリティ対策問題はあります基本的回線を引いてWI-FIを飛ばせば良いので、賄う費用は十分に捻出できるはずです。

応援よろしくお願いします。

https://web.archive.org/web/20150320211549/http://etotakanori.com/

2024-09-03

anond:20240902215013

高齢者医療を削減して早めに死んでもらう(北欧方式

若者海外出稼ぎに出てもらう(フィリピン方式

⑤諦めて斜陽を受け入れ生活レベルを落とす(スペイン方式

⑥場当たり政策問題先送りを延々続ける(日本南米方式

⑦定期的に戦争して人口調整ガラガラポン中世欧州方式

⑧持続的領土拡大と国体強化(中露方式

刹那的享楽的人生啓蒙し短命誘導アメリカ方式

 

選択肢はまだまだあるで

2024-09-02

まず日時を書け

日本人書類ドキュメントテキスト、ペーパー類に日時を書かない謎の習慣がある

日本独特の風習だけど、なんなんこれ、これも保険か?

執筆者まで書けとは言わない、それは次の段階で良かろう(本当は書け)

まずは日時だ、執筆した日時、出稿した日時、これを必ず書け

書こうよ、書いて下さい、お願いしま

 

行政の出してるペーパー類などはほぼ日付が書かれてない、なんなの?わざとか?

グローバル常識でアリエナイんですけど

問題が出た時に後からなんらか言い訳できる余地を残しておきたいのか?

 

「今年の状況説明」とかタイトルに書いてるけど日時がどこにも書いてないとかザラ

アホなの?

来年も10年後も今年なのか?時間は流れていくものだよ?わかってる?

10年後には「10年前の状況説明」になってんだよ

 

時事ネタブログなどでも日時が書いてないもの散見される

刹那的消費テキストなのはわかるが、インターネットてのはアーカイブされるんだよ

何十年も残るんだよ、その特性理解しろ

 

新聞屋もようやく最近出稿日時を書くようになったけど昔は書かなかった

アーカイブされた記事を読んだときに日時が書かれてないか時系列不明になる、混乱する

 

研究報告書のたぐいで日時が書かれてないものガチで苛つく

アメリカならそれだけで0点になるんだが、日本アカデミックはどういう教育してんだ?

 

いかい、白い紙になにか書こうとする時、まず名前と日付を書け

内容を書くのはそれからだ。

それが世界常識

わかったか

 

ついでに書くと

そのクセ日本人ファイル名に日付を入れて管理したがる

欧米人はあまりこれをやらない

内容を判別やすタイトル略語文字数を割く

ビジョン管理は1ファイル内で完結させようとするが日本人ファイル分離したがる

もしくはフォルダー構造管理しようとする

 

まぢ謎

2024-08-21

はてな民陰キャインドア派ばかりだから高校野球に対しての理解が足りないんだよなあ

野球ばっかりしてろくに勉強もしてないアホな高校球児が、まったく割に合わない勝負に長い人生の全てを賭けて挑む姿が美しいんだよ

まだまだ人生の序盤なのに、その先の全てをそこに賭けてしまうという刹那的生き方が美しいんだよ

それなら過酷な暑さとかあるほうが燃えるだろ?

命賭けてるくらいの方が熱いだろ?

まさに一瞬の輝き

美しいだろ?

空調の効いたドームだと台無しだろ?

意味のない丸刈りとか無駄な全力疾走での攻守交代とかなんかよくわからんグランドの土を集めて持ち帰るとか、ああいうのがいいんだよ

ひとつミスを一生後悔し続けるような全力感がいいんだよ

から変な暑さ対策とかしないで、努力根性でなんとかすべきなんだよ

限界を超えるんだよ、今日、ここで

それが高校野球だろ?

2024-07-08

YouTubeの切り抜き収益剥奪について思ったこ

これは趣味でほそぼそとマイナーVTuberの切り抜きをガイドラインにしたがって作っている人間怪文書です。

登録者数も再生数も少なく最初から収益化していないので今回の件で直接損も得もしていません。

しかしたら、大手切り抜き動画作成者(以下、文字数節約のため「切り抜き師」)がやめればPVが増えるかもしれないけど、あまり歓迎できる気分ではありません。

関連リンク

YouTube公式から「切り抜き動画は全てプロモーションであり、ポリシーに反する」という見解を受け取りました

https://www.youtube.com/watch?v=U1RLf4qqBG4

YouTube、「切り抜き動画」の収益化を停止へ

https://togetter.com/li/2397403

YouTube理屈について

 言っていることは尤もで、それに納得しているブコメにも共感できます

 しかし、切り抜きが元動画プロモーションであるという理屈を拡大すれば、ゲーム実況のものプレイするゲームプロモーションであるということもでき、すべてのゲーム実況から収益剥奪道筋も立つのではないでしょうか。ちなみに上記Togetterコメント欄でもnekodaisuke1って人が近いことを言っています

 YouTubeが切り抜きの収益化をなくす代わりに、ゲーム制作会社にその分の広告費を支払うのだったら、個人的には素晴らしいことだと思うのですが、実際には切り抜き師から収益剥奪しただけに留まっています

 いずれは配信から収益化を剥奪し、ゲーム会社への還元最後までないのではないかとの疑念を覚えます

切り抜き動画ばかりがオススメに出てきてウザかったのでありがたいという意見について

 YouTubeには大量の動画アップロードされており、私のような収益化されていない再生数数十の零細切り抜きもたくさんあります収益化を剥奪されてやる気を失った人の切り抜きが上がってこなくなったとしても、そのような切り抜きが上がってくれば結局貴方の不満は解決しません。

 YouTubeアルゴリズムが切り抜き動画を次々と紹介してくることが根本的な問題であるのに、プラットフォーマー批判できず矛先を切り抜き師に向けているように見えます。目先のコロシアム残酷ショーに快哉を叫んでも刹那的ストレスが解消されるだけで、大元ストレッサーをもたらす全体的な状況は悪い方向に進んでいく恐れがあります

VTuber動画配信サイト未来について(妄想成分多め)

 実はFC2においてアダルト配信をするAVtuberが次々にBANされるという出来事が少し前にありました(参考https://x.com/RyuzenNikomi/status/1804499546048995475)。現在はAVtuberたちは韓国のRPLAYというところなどに避難していますFC2においては中の人が成人女性であってもアニメのガワを使えば全てロリということで絨毯爆撃されたようです。

 どうもクレジット会社を経由して、「成年向けゾーニング」のバリアを「ロリから問答無用イリーガル」の論理突破することを覚えた人たちがいるようで、更に「アニメ絵=ロリ」すなわち「アニメ絵=イリーガル」の三段論法通用し始めている気配を感じます被害妄想成分多め)

 YouTubeにおいても最近またVtuberのASMRのBANが頻発しており、当面のASMRを避けるようになったVtuberも出てきています。ちなみにちょうど2年前にもVTuberのASMRのBAN騒動がありました。

 YouTubeとしても一緒くたにロリコンテンツだとレッテルを貼られて攻撃されかねないVTuber距離を置きたがっているのではないでしょうか。VTuberスパチャ収益が大きいと言ってもVTuber事務所はグッズ販売ライブチケットなどでYouTubeを迂回して利益率を高めることに熱心なので、将来的には配信させるメリットよりデメリットの方が大きくなるとYouTubeが考えていても個人的には違和感がありません。

 しかし、VTuber動画配信サイトから追放を繰り返された場合、最終的にはロシアなどのサイトビットコインを使って有料配信を行い、その収入の一部はウクライナ侵攻の資金源になってしまうような事態も考えられます。きっと心配のしすぎでしょうが

 視界に入れたくなくて追放運動を繰り広げている人たちにそういう想像力はないと思いますが、民主主義国家司法にはそうなることも覚悟の上で今の風潮をどこまで後押しするのか問いたいところです。

個人的気持ち

 収益化しているような編集技術の優れた切り抜きがゴミあつかい罵声を浴びているのをみると、それとは比べ物にならないほど拙い趣味無償自分の切り抜きはなんなんだ…と酷く落ち込みます。そうやって切り抜き師全体のモチベーションが落ちるように上手く罵倒しまくれば、もしかしたら批判者の望む切り抜きのない清浄世界がやってくるかもしれませんね。いや、公式お金をもらっている切り抜きと悪意のある切り抜きだけが残るのでしょうか。

2024-07-04

anond:20240704063341

生活からは切り離して生きながら自分趣味に合うポコチンとの刹那的な関わりを求めてるだけなら最初から反論になってないのでは?

2024-06-23

エッグ矢沢氏と藤井健太郎氏の件で思う事

エッグ矢沢氏のnoteの内容に疑問があるとか、ツッコミ所があるとか、そういう話では一切無いのでそういうのを期待してこれを開いたなら閉じてくれ。

俺が疑問に思うのはブコメによくある「こんな酷いことをした藤井健太郎断罪されるべき、関わった番組放送されないべき」みたいな論調に対してだ。

マジで言ってんの?

俺としてはそれマジで言ってんの?って感じ。

エッグ矢沢氏に起こった事は間違いなく酷いことだし、藤井健太郎氏との間で何かしらの折り合いは付けた方が今後の人生としても良いだろうと思う。

noteに関してもよくもまあ過去の辛い出来事をここまで文章として起こしてくれたな…と尊敬の念を抱く。

これは大前提な。

人がぶっ壊れるのはそんなに珍しい事か?

その一方で思うのが、何か事を成す過程で人がぶっ壊れる事自体はあり触れてると言うこと。

それこそお前らの大好きなシステム開発の失敗プロジェクト(今だとホットなのはグリコの件)なんかでも確実に何人かぶっ壊れてるだろ。

じゃあそれに対して「グリコ許せん!デロイトの関わる商品は買わないしグリコ商品も買わない!」なんて奴見たこと無いぞ。

道路をみれば車はアホほど走ってて、毎日交通事故で人は死ぬ。じゃあ皆で車を使うのをやめるか?それは無理だろう。

スイッチを入れれば電気が点く。でも電機業界なんて人の怪我や死は日常的だよね。でも電気を使うのを止めることは出来ないよね。

結局はわかりやす可視化された事象刹那的感傷を覚えて義憤に狩られてコメント藤井健太郎氏を叩いてるだけだ。

そんな連中に藤井健太郎氏がボコボコにされて彼のプロデュースする面白い番組を観ることが出来なくなるなら、マジで最悪だからそうはならないで欲しい。

どうやって生きてんの?

エッグ矢沢氏に起きた事は間違いなく悲劇だ。

関わる人達にあと少しでも状況を改善する意志があればこうはならなかっただろう。

ただ、それと同じくらいに悲劇的な出来事はあり触れていて、この件で喧喧囂囂に藤井健太郎氏やテレビやらなんやらを叩いてる人らは普段そういう現実とどう折り合いを付けて生きているのか、疑問に思う。

見て見ぬふりをしているのか?

2024-06-13

[][]阿修羅ガール

 舞城王太郎小説を読むのは初めてだった。ブックオフで著書がたくさん並んでいるのだから面白いのだろうと長年思っていた。それで、代表作であろう阿修羅ガールを読むことにしたのだ。

 面白かった。ただしそれは小説全体の中盤、具体的には第一部が終わるまでだったが。主人公アイコ)のキャラクターがしっかりと立っていて、貞操倫理観も欠如した主人公感情のままに刹那的かつ本能的に振る舞うのが一人称でまくしたてられていて、読んでいて心地よかった。

 ストーリーも着々と盛り上がっていき、今後の展開に目が離せなくなる。主人公と肉体関係を持った佐野失踪した理由は何か、アルマゲドン匿名掲示板で呼ばれる青少年暴動主人公が巻き込まれていきどうなっていくのだろうか、といった具合にである

 しかし、第二部が始まり芸能人政治家が何の脈絡もなく突然に登場してストーリーをひっかきまわしていくので、作者はヤケクソになったのではないかストーリー収束させるつもりは無いのだろうかと困惑する。私は、00年代初頭に2ちゃんねる上で流行したガクトスレ(『はっきり言って、ガクト気持ち悪いです。』URLhttp://news4u.blog51.fc2.com/blog-entry-1371.html )を連想した。作中の匿名掲示板2ちゃんねる元ネタなのは明らか)でのスラング再現ぶりからして、舞城王太郎ガクトスレに影響された可能性は高いと思われる。その後の展開でも第一部で描かれた丁寧な描写と打って変わって、リアリティの無い夢や妄想のような世界を大型文字を交えて描かれたり、突如主人公が変わって架空世界でのホラー調ストーリーファンタジー風に展開されたりと、メチャクチャな展開になっていく。例えるなら、リレー小説でそれぞれの作者が我を強く押し通して話を作り、落丁などをほったらかしにしたままに話をそのまま繋げたという感じだ。連載小説なら、設定やストーリーの根幹を軽視してその場の盛り上がりを重視するというのも分かるが、どうやらこの阿修羅ガールはそういう訳ではないらしい。

 そして、第三部では第二部でのハチャメチャな展開を無理やりにまとめるが、それまでの展開を夢オチとするも同然の扱いだった。そうでもしなければ、話を収束させられないから仕方がないけれども。とはいえ失踪した佐野に関するオチが全く無いのもどうかと思ったが。そして最後まで読んで、こんな小説が賞を受賞したのかと愕然としたが、三島由紀夫賞というのを目にして納得した。三島由紀夫の著書はまだ一作も読んだことがないけれども、WikipediaYouTube動画から読み取れる三島由紀夫人格を推測するに、思想の根幹が弱いわりに伊達人生を貫いた人という印象だ。伊達人生に命を懸けたという点で、ある意味では思想が強いとも評せられるけれども。それだけに、この阿修羅ガール三島由紀夫賞に相応しいのだろうと、読了後に感じたものだ。

 まあ、文学というのはこういう物なのだろう。「文学」というよりは「文楽」だろうと思ったけれども。つまり文を「学ぶ」のではなく、文を「楽しむ」だ。音楽論理的に作ったり分析したりしている人を見ると、「音楽」というより「音学」という言葉がふさわしいのではと思うことがある。しかし、出版社主導によって商業評価をもってして誉めそやされている「文学」という代物は「文楽」という言葉の方がふさわしいだろう。当作『阿修羅ガール』でも同様だ。

 阿修羅ガールは、作品の根幹を成すストーリー思想価値観よりもその場限りでの文章の修辞的な技巧に重きを置いて、その技巧を楽しむエンタメ作品だ。こうした小説こそが、出版社主導の賞にふさわしいのだろう。そして、こうした小説を生み出せる人が、商業作家として大成していくのだろう。

 なんだかんだと文句を書き連ねたような感想になってしまったが、それも最後まで読み切ってしまう楽しさを持つ小説からこそだ。楽しさの無い小説など、途中で読むのもやめてしま感想を書く気にもなれないのだから

2024-06-05

40代になって村上春樹作品を初めて読んだ

前読んだやつ

https://anond.hatelabo.jp/20230303222812

読んだきっか

作者の名前は、当時の大学同級生村上春樹話題をしていたので知った、というところである

当時自分ほとんど読書をしなかったので、その名前と後年目にした有名なネットミームとしてのコピペだけを知っていた。

最近徐々に読書をするようになって、そういえばとその名前を思い出して読んでみたというのがきっかである

読んだ作品 

最初に読んだ作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』次に「ノルウェイの森」だった。

自分は割とミーハーな方なので、奇をてらうことはせず、ネット上で名作とされているっぽい作品と大ヒットした作品を読んでみたというわけである

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

すごく不思議な話だったという感想である。前半で語られていた世界観や設定が、物語後半ではほぼ伏線として働いていないと思った。

ただ、自分の読み方が浅いかもしれないという点はある。一方ですごく読みやすフェティッシュ描写や何気ない心理描写が単純に面白かった。

特に主人公の住んでいる部屋の細かい描写物語終盤で主人公レストラン食事をするシーン、女性のために簡単料理をする描写はどれもシンプルで色彩豊かに感じられた。

物語前半から中盤くらいにかけてはとにかく暗くじめじめし陰湿描写が続いていて、まさに後半の描写との対比で描かれており、カタルシスを得られるような構成になっていると思った。

主要キャラである博士の娘は、あまりにも都合の良すぎるキャラではないかと思った。

ノルウェイの森

ある意味こちらの方が世界の終り〜よりも辛く陰湿な話であり、ただ時折差しまれ季節感豊かな風景描写が美しいと思った。

色んな人物が出てくるのだが、そのどれもから刹那的な儚さめいたものやある種の危うさのようなものを感じさせた。特に伏線を張ったり回収したりするような構成でないのもそう思わせる要素なのだろうか。

主人公が贔屓目に見てもクズなのに謎なほど女性モテており頻繁に性行為に及ぶので、この作品こそが下品コピペ描写されている元ネタなのかなと思った。

もし大学生の頃にこの作品を読んでいたら色々な意味で影響を受けたかもしれないが、今となっては色々と枯れ果てているので、まあこんなものかな、といった感じだった。若いうちの激烈さを伴う読書体験の貴重さというのは、こういった点にあるのかもしれない。

ラストものすごく唐突な印象であったが、意図的描写であるはずだし、またあれ以上続けようもなさそうな気がした。

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