はてなキーワード: 凋落とは
かつては「ひょうきん族」や「トレンディドラマ」など、数々の人気番組を生み出し、一時代を築いたフジテレビ。テレビ局の“王者”と称されていた時代もありました。視聴者にとって、フジテレビの番組は新鮮でエッジが効いていて、週末の楽しみだったという人も少なくないでしょう。しかし近年、視聴率低迷や番組内容への批判などが重なり、その栄光は徐々に陰りを見せ始めています。さらに、昨今は「中居くん問題」や「アナウンサー接待問題」といった、かつての“王者”としては信じがたい出来事が相次ぎ、多くのファンや視聴者から失望の声が上がっています。ここでは、フジテレビの近年の動向や問題点を振り返りながら、なぜこれほどまでに失望感が広がっているのかを考えてみたいと思います。
まず注目したいのが、「中居くん問題」と呼ばれる一連のゴタゴタです。中居正広さんはSMAP解散後もバラエティ番組のMCとして活躍し、テレビ界でも抜群の知名度と実力を誇るタレントです。長らくフジテレビの看板バラエティ番組に出演し続け、同局としては視聴率の要ともいえる存在でした。
しかし、SMAP解散後の扱いをめぐっては、フジテレビの姿勢に疑問を呈する声が上がりました。たとえば、解散騒動の真っ只中における本人へのインタビューが十分に用意されなかったり、マネジメント事務所との関係性ばかりを気にするあまり、番組の編成上で中居さんのポジションが曖昧になるなど、視聴者から見ても「どうしてこんな不自然な流れになっているのか」という印象が残る場面があったのです。
さらに、一部メディアでは、フジテレビ内での“中居くん離れ”が進んでいるのではないかと報じられることもありました。過去に長く続いていたレギュラー番組が突如終了したり、番組の予算が大幅に削減されたりといった噂も飛び交い、「結局は数字(視聴率)を持っているタレントを大事にしないで、裏事情を優先しているのではないか」との憶測が広まったのです。
もちろん、テレビ局側にも事情はあるでしょう。タレントのスケジュールや事務所との契約条件、時代の流れに合わせた新陳代謝の必要性。しかし、長年フジテレビの番組を支えてきた中居さんのような人気者を、あたかも“使い捨て”のように扱うかのように見えてしまうのは、視聴者にとって大きなショックです。特にSMAP解散という大きな出来事の後だけに、ファンの感情はより敏感になっており、些細な番組編成上の変化も「冷遇」「軽視」と捉えられやすい側面があります。
こうした状況が生まれた背景には、フジテレビ自体が視聴率獲得のために右往左往し、これまで築いてきたタレントとの信頼関係やブランド力を損なってしまっているという構造的な問題があるといえるのではないでしょうか。
フジテレビに関する騒動はタレントの起用法だけではありません。もう一つ大きな波紋を呼んだのが、いわゆる「アナウンサー接待問題」です。これは、同局の人気女性アナウンサーがスポンサーや広告代理店関係者などを“接待”する場に同行していたのではないか、と取り沙汰された一連の報道を指します。
テレビ局のアナウンサーは、自局の番組の顔ともいえる存在です。報道番組や情報番組を担当し、視聴者から信頼を得る一方で、そのイメージ戦略を局が積極的に推し進める場合も少なくありません。フジテレビにおいても、女性アナウンサーの“アイドル化”路線は長らく注目されてきました。男性視聴者層を意識したグラビア展開やイベント出演など、「アナウンサーというよりもタレント」と呼べるような活動をしているケースも多々見受けられます。
しかし、スポンサーとの接待や、いわゆる「飲み会への帯同」が事実だとすれば、そこには明らかに“企業としてのモラル”が問われる問題が生じます。広告収入を最大の収益源とするテレビ局が、スポンサーや広告代理店との関係を優先するあまり、社内の主要な顔であるアナウンサーを利用していたのだとしたら、視聴者としては不快感を拭えません。
当然、こうした疑惑に対してフジテレビ側は公式に否定したり、詳細を明らかにせず黙殺するような姿勢を見せたりすることがあります。しかし、SNSや週刊誌などで火がつけば、簡単には沈静化しないのが現代社会のメディア環境。真偽がはっきりしないまま風評が広がり、局全体のイメージダウンにつながってしまうという事態になっています。
視聴者は、番組内で華やかに活躍するアナウンサーたちを見て、「彼女たちは本当に笑顔の裏でこんな接待をさせられているのだろうか」と疑念を抱くようになります。さらに言えば、「企業として、従業員であるアナウンサーを守るつもりはあるのか」という疑問に発展しても不思議ではありません。本来ならば、放送を通して正しい情報やエンターテインメントを提供すべきメディア企業が、その裏側でモラルを欠いた行為に加担していたとしたら、失望感は大きいものにならざるを得ないでしょう。
こうした「中居くん問題」や「アナウンサー接待問題」を含め、近年のフジテレビが抱えるトラブルは、ある意味で氷山の一角なのかもしれません。視聴率競争が激化する中で、組織の風通しが悪くなり、かつてのフジテレビらしい自由な発想や攻めの姿勢が失われているという指摘は、業界関係者からも耳にします。
視聴率低迷を背景に、番組制作費の削減やタレント起用の“安全策”ばかりが目立つようになると、局全体の雰囲気も萎縮していきがちです。その過程で、タレントを起用する際の配慮不足や、営業と編成の板挟みが生じ、「中居くん問題」のようにタレントとの関係性を損ねる事態が発生する。また、スポンサーの意向を過度に忖度する結果、アナウンサーを商品のように扱うような歪みが生まれ、「接待問題」に発展してしまう……。これらはすべて、かつてのフジテレビが放っていた“輝き”からはほど遠いもののように思えます。
もちろん、テレビ局も営利企業である以上、スポンサーとの関係や視聴率の確保が重要であることは否定できません。しかし、そのやり方が明らかに行き過ぎてしまうと、コンテンツの価値は薄れ、視聴者の信頼も損なわれることになります。人々は娯楽を求めてテレビをつける一方で、放送する側には一定の品格や誠実さを期待しています。裏事情を知れば知るほど、視聴者がシラケてしまい、ますますテレビ離れに拍車がかかるのではないか、という懸念は大きいでしょう。
近年、ネット配信サービスやSNSなど、多様なメディアプラットフォームが台頭しています。その結果、テレビ局の独占的な立場は崩れ、視聴者は自由にコンテンツを選ぶようになりました。そんな時代だからこそ、放送局には番組や出演者に対する敬意と、それを支えるスタッフ・アナウンサー・タレントを大切に扱う社内文化が求められているのではないでしょうか。
「中居くん問題」「アナウンサー接待問題」という二つの例を見ても分かるように、フジテレビが“王者”であった時代とは程遠い現状にあることは明らかです。かつては数々のヒット番組を生み出し、業界の最先端を走ってきたフジテレビ。そんな局が、今や視聴者から「失望した」と言われてしまう状況は、残念という言葉では言い尽くせないほどの大きな落差を感じさせます。
しかし、一方でフジテレビには、依然として優秀な制作スタッフや個性的なアナウンサーが存在します。かつての名番組の栄光を取り戻す可能性を、全く失ったわけではないでしょう。局としては、タレントやアナウンサーを軽々しく扱うのではなく、彼らの魅力を最大限に引き出せる環境づくりが急務です。また、スポンサーの顔色ばかりをうかがうのではなく、視聴者目線に立った“攻め”の番組制作を行うことで、今一度フジテレビらしい輝きを取り戻すチャンスがあるはずです。
近年の騒動や不祥事を目の当たりにし、私たちはフジテレビに対して大きな失望感を抱いています。それは、かつてのイメージや期待が高かったからこそ、裏切られたように感じる度合いも強いのだと言えるでしょう。テレビの未来がどのような形になるにせよ、質の高いエンターテインメントを届ける役割は決して小さくありません。フジテレビがこのまま失望の象徴として凋落してしまうのか、それとももう一度初心に立ち返り、視聴者やタレントを大切にする姿勢を取り戻して再生するのか。今後の動向を見守りたいと思います。
もう一度、かつてのようにワクワクするような番組がフジテレビから生まれることを期待して、あえて厳しい言葉で終わりにしたいと思います。私たちはまだ完全にフジテレビを見捨てたわけではありません。しかし、今回の一連の問題を通じて、視聴者の厳しい目はこれまで以上に向けられていることを、フジテレビは肝に銘じるべきではないでしょうか。もしその視線を真正面から受け止め、改革と信頼回復に本気で取り組むのであれば、フジテレビがもう一度“王者”に返り咲く日が来るのかもしれません。けれど、これ以上視聴者を失望させるような出来事が続けば、その願いは遠のくばかりなのです。
傾向として現状維持や伝統的価値観を重視し、急激な変化を避ける姿勢があります。
しかーしネトウヨは完全に朝鮮主義。統一教会自民党しか選択肢はない。
現状維持は興味ない、世界最速で凋落する日本が好ましいらしいです。
伝統的価値も重視しません。これからは朝鮮の時代ですって思考です。
市場経済や資本主義を重視し、政府の経済介入を最小限に抑えるべきとする考え方が強いです。
しかーしネトウヨに経済なんて語れるほど教養ある人間はいません。
国や民族の利益を優先する姿勢があり、移民政策については制限的な態度をとることが多いです。
しかーしネトウヨは統一教会自民党の熱狂的な信者。日本人の利益なんて気にしません。朝鮮人至上主義です。
法と秩序の維持に重点を置き、犯罪抑止や軍備増強を支持することが多いです。
いわずもがな、公文書は偽造する、納税はしない、反日カルトとズブズブな自民党の大ファンです。社会秩序の崩壊を望みます。
1mmも右の要素がないのがネトウヨでした
企業と世論をつなぐ、という点における田端信太郎さんのコミュニケーション能力について考えていました。
私自身、清濁併せ呑む覚悟で起業をした経験があり、スタートアップの世界で知り合った方々の中には上場をしたりして公的な経営者にステージを移した人もいます。
一方で、まだ日の目を見ていないだけの不祥事が常に身近にあります。
一応は民主主義であり、インターネット等が伸び続けている今ではきっと不祥事はもう隠すことはできないのだろう、と思うのです。
どうせ隠せないのであれば、どうやって不時着させるのかを考える方向で力を使うのが次善の策でしょう。
もちろん、そもそも不祥事を起こさないということが第一原則であることは言うまでもありませんが、今も世界の何処かで不祥事は既に隠されているのです。
どうせ負けるならば、きれいに負けさせてくれる人に撤退戦の戦略をお願いした方がいいのではないか。
そんな事を考えながら、色々と書き綴っていたらうっかり8,000文字を超える原稿ができてしまいました。
自分語りがなるべく出ないように気をつけましたが、シンプルに一言で言い切る力が欠如していたため、歴史の話や別の方のブログ記事の話に派生してしまいました。
誰かと話し合いたいですが、皆それぞれ立場が違うと業界内では話せないこともあるため、生まれてきた文章の供養も兼ねて、ここに投稿させてください。
もし最後まで読んでくれる人がいたら嬉しいですが、長いです。
ぜひ端折って読んでください。
それでは。
10年以上前のはてなブログで、ある起業家の方がリクルートホールディングス代表取締役社長兼CEO出木場久征さんの発言を紹介した記事がある。
しかし、ここで語られている内容は今まさに湾岸で起きている革命の本質をついているようではないか。
記事によれば、
「世界は、落下してるんだ」
「本来あるべき方向に向かって、世界は凄い勢いで落下してるんだ」
「色んな既得権益持った人たちが抵抗勢力になって邪魔するんだけど、それは重力に逆らうようなもので、あんまり意味ないんだよ だって世界が落っこちていくスピードの方が圧倒的に早いから」
「だからさ、その落下する方向を俺たちは見定めて先に落下してくべきなんだよ」
「だってどうせ落下してくんだからさ 先に向かった方が絶対いいんだよ」
「俺たちがやらなくたって誰かがやるぜ?だって、そもそも落下してるんだから」
どうも、海沿いの特徴的な建物がおぼろげながら浮かんでこないだろうか。
湾岸やインターネットを主戦場とする現在の状況について考えてみよう。
重力に逆らって世界の落下に抵抗している勢力は勿論オールドメディアの権力者の諸兄のことだろう。
数千万円の口止め料もとい解決金を支払ったと報道された国民的タレントの方も当然権力者側だ。(報道をされたこと自体は事実だ。ただし、中身が正しいのかは当事者以外はわからない。念の為)
過去の栄光を踏まれれば、とんでもない落下だ。ただし彼の凋落ですらイントロに過ぎず、週刊誌が、影響力のあるインフルエンサーや経営者の皆さんが、あるいは匿名で事件情報を拡散するXアカウントが、日夜を問わず権力側の秘密に切り込んでいる。
おそらく先の報道には直接関係がないが、権力者側として同一視されている人物やその関係者の秘密まで芋づる式に暴露されている。
きっと今は芸能人を叩くのが最も効率よく注目を集める方法なのだ。
一方で、どうせ落下している世界へ向かっていち早く進んでいる人は誰なのか。
わざわざ人目につくことなく、こっそりと先に進んでいる方はおそらく少なくないだろう。
そして当然ながら私ごときではひっそりと先に進んでいる方が誰か知る事はできていない。
インターネット上に出ている情報だけで判断できる、落下後の世界を見据えて先に動いている人は誰なのか。
私見で恐縮だが、田端信太郎さんと堀江貴文さんを挙げさせていただきたい。
まず2名に共通することがある。
田端さんも堀江さんも、不祥事について週刊誌で報道された上場会社の株を空売りするのではなく購入している。
昨今、修羅の世界と化したXでは日々どこの誰かもわからない経営者の不祥事が暴かれている。
本来家庭の問題である不倫や、実際には被害届が受理されていないような刑事事件の疑惑ですら大衆による私刑の口実となってしまう時代である。
そうした時代であるからか、週刊誌そのものが批判されることも珍しくない。
1. 撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、という指摘
3. 週刊誌のせいで、大衆にレイプ的な私刑に遭う、という指摘
1と2については、概ね正義があるように思える。(特に2については、おそらく大問題だ)
ただし1については言うだけ虚しい指摘でもある。
無責任な大衆、とりわけ取るべき責任を取ることができない無敵の人に、責任をとれといっても話は永遠に平行線だ。
3についても、一見筋は通っているように聞こえる。ただし私の見聞きする範囲に限った話では、3の方向性で批判している経営者の方が「絶対に人に知られたくない弱み」を抱えた人物である傾向があるように思える。
あくまで比喩であり誇張した表現ではあるが、「自分がレイプした事実を週刊誌に暴露されたせいでレイプ的な私刑に遭う可能性に怒っている人間」を前にしたときに、私たちがすべきことは週刊誌への批判に付き合うことではなく、出頭を勧めることであるはずだ。対照が人ではなく法人であり、特に上場企業であれば不祥事はしっかり公開するのが基本であり王道である。
また邪悪ではない方も3の論調になることがあるが、それはそれで無邪気すぎるか現実が見えていないと言わざるを得ない。
経営者の皆様が大好きなキングダムで描かれるような絶対権力者、帝王の時代は、既に移り変わっている。
民主主義も、インターネットも、権力を分散する世界の落下であると言えるだろう。
権力の分散が、権力の集中よりも安全だろうが、一方で数多くの小帝王を生じうる(意訳)という問題については山本七平さんの‘帝王学「貞観政要」の読み方’という著作の端書きをご参照いただきたい。
(以下、引用です。日経新聞社の方、問題があればご指摘いただければ削除します。)
複雑な現代社会ではあらゆる所に「生殺与奪」の権を握る公的なないしは私的な権力をもつ小帝王を生じうる。人事権、許認可権、それにまつわる賄賂や情実、それらが新聞記事などになると私はときどき、「ウーム、こういう人のもつ権力は、行使しうる範囲が昔の帝王より狭いというだけで、その権力の強さは昔の帝王以上かも知れないな」と思わざるを得ない。
同じく皆様大好き鬼滅の刃で冨岡義勇が生殺与奪の権を他人に握らせるなと主人公を一喝するのが33年後の2016年だと考えると、どれほど早くに書かれた文章か実感いただけるだろう。
尚、この文章は現代で最も大きな権力を握っているのは「大衆」かも知れない。という論調で続いていく。
群集心理に則り、責任を追わないで済む人間が自制心を失うこと。自制心を失った大衆が権力を握り帝王になってしまうと、人類史上最大の暴君を生むのではないか、という危惧は今日を生きる人間ですら目を背けている問題であるように思う。
山本七平さんの世の中を見渡す力が、私達より優れていることに疑いはない。
しかし33年前、すでに誰かが知っていたことであるのも事実だ。
1.撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、という指摘
先の引用だけでも1と3の指摘が不十分である、ということわかるはずだ。(というか、わかってほしい。)
権力分散の時代に生きていなかったら、起業家にも経営者にもなれていないかも知れないと我が身を振り返るくらいの想像力を持っていたいし持っていてほしい。権力をもつ人には、特にそうあってほしい。市民感覚に共感するかはさておき、上記のような想像料が欠けている方は突破力に優れる場合はある一方で、コンプライアンスの問題で一発退場となるリスクも持っているだろう。
不倫などは勝手にしてくれれば結構と個人的には考えるが、そもそも最初からやらなければいいのに、という話でしかない。仮にやってしまったのであれば、謝るべき相手にしっかり謝るしかない。隠すから余計ややこしくなり、隠すから週刊誌の格好のネタになってしまう。
だいぶ前置きが長くなってしまったが、このようなバランス感覚に優れているのが田端信太郎さんであり、堀江貴文さんであるように思うのだ。
念の為補足だが、私は二人と私的な関係にはない。当然に、仮に匿名でなかったとしても共通の知人こそ大量にいてもお二人は私のことを知らない。それくらい実力差がある筆者であることを許していただけるなら、この後も読んでいただけると嬉しい。
X上でアクティビスト投資家というイメージを固めつつある、田端信太郎さんを過去のいわゆる総会屋と重ね合わせて批判する論調も極稀に確認してはいる。
総会屋は企業に利益供与を求める行為は「利益供与要求罪」と呼ばれ、会社法で禁止されていることも疑いの余地はない。
だが、当然田端信太郎さんがこのことを知らないわけもない。
また当然、やるはずもなければ必要もない。
時に激しいレスバを見ると、田端さんの発言の強さだけを切り取って反論する人間が生まれることも理解はできるのだが、少なくともインターネット上で田端さんが誰かに利益供与を求めている場面を見たことがある人はいないのではないか。(あるいは、見たことはあっても非インターネット的な人間関係を前提としたお笑いのネタなのではないか)。
今回の騒動においても、不祥事を隠している会社の株を買っているだけなのである。
売っているのではなく、買っているのだ。
空売りもその意味においては「高く売っておいて、後で安く買う。その間は人に株を借りる」だけのことである。
業務上、知り得た企業の非公開情報を使って売買をすれば当然ルール違反だろうが、今回もおそらく不祥事を週刊誌報道で知ってから株を購入しているように見える。
また、影響力をもつ田端さん自身や田端さんの周囲の人たちが「株を買う」事自体をニュースにして、株価を釣り上げて株を売り抜けていれば問題があるが、これも当然田端さんがご存知でないはずがない。(ネット上の買い煽りアカウントが捕まらないのは、本人が実は株を持っていないということもあるのだとか)。
価値がある(あるいは時間をかければ価値が増える)ものを先回りして見抜き、買う。
この極めて単純かつ本質的なことを実行しているだけにしか見えない。
正しいことを正しい、と言うだけ。
間違っていることを間違っている、と言うだけ。
正しいか、間違っているのか、必ずしも断定できないときには疑問を投げかけるだけ。
人が言いたくないことや、空気を読んで言わないことであっても、言っていいことは言うだけ。
一方で、言ってはいけないことは言わないだけ。
すべて、秘密でもなんでもない、誰でも一度はどこかで学んでいる話だ。
知識よりもその運用が難しく、当たり前を当たり前に実行してきたからこそ田端さんのここまでのキャリアがあるのだろうと想像している。
このバランス感覚をもつ過程で、大半の人は撃たれる覚悟がないから撃たないという判断になる傾向があると思う。田端さんも当然そんな事はわかっていて、前線で発信をし続けているのだろう。
堀江貴文さんに至っては、テレビ局を買収するという前代未聞の挑戦をしたのがもう既に20年も前のことである。
30代の筆者にとっては、学生時代に見ていたニュースの中心にいた当時の堀江さんの年齢が32歳だということが衝撃だ。
先に登場させていただいたリクルートホールディングスの出木場さん(現在49歳)の世界は落下しているという話も既に15年ほど前の話だとすると、自分と対して年齢の変わらなかった当時の先人たちのレベルの高さには恐れ入る。
ただしこれはこれで、問題なのかも知れない。
先見の明がありすぎる人間が描いている未来(あるいは現実)を一般大衆は理解できないのだ。
理解できないからこそ、権力者が巧みに世論を動かしてしまえば挑戦者は負けてしまうのかもしれない。
既に世論の後押しを得ている(あるいはかつて得ていた)から既得権益なのだ。
20年前に堀江さんがテレビ局を買っていれば(あるいは、買えていれば)、おそらく国民的タレントの凋落は見なくて済んだと思う。
知りたくもない他人の性癖を想像しなくて済んだはずだし、きっと被害者とされる人が逆に貶められるような論調になることもなかったはずだし、数万字に及ぶエッセイも書かなくてよかったに違いない。
あるいは、その創作力を別の形で使えていたに違いない。
私が起業する時に、周囲の人間に「堀江さんみたいになってしまうから危険だ」と言われることもきっとなかっただろう。
当時このような心配をいただいた方々には敢えて直接連絡することもないが今ここで答え合わせをさせていただきたい。
私は一切堀江貴文さんのようにはなっていない。
それは単純にレベルが違うからである。誰もが太刀打ちできない権力者に32歳で挑むことは少なくともできなかったし、そんなチャンスも可能性も先見性も度胸もなかった。
今では逆に長年土俵際で耐えているだけの私を見た祖母に「堀江さんも復活しているのだから、あなたも時間をかけて焦らず頑張りなさい」と励まされる始末だ。
「あなたはどちらかと言えば堀江さん側ではなく、女性を献上する側になってしまいそうだから、そういうことをやっているなら今すぐやめなさい。ビジネスマンはお座敷でも真剣勝負だけど、まずは仕事での貢献が第一前提だよ」と笑いながら祖母に言われてしまうレベルであることも付け加えておく。
生身の堀江さんをお見かけして、余計に自分との距離を感じてしまっている限界起業家の私としては、なぜあそこまで優秀な堀江さんが一人で勝手に成功する道を選ばないのか不思議だ。
正しいことは、正しいと言うべきだけども、言わなくても生きていける。
間違っていることを間違っている、と言うべきだけど、言わなくても生きていける。
世界が落下している、と堀江さんは言わないかも知れないが。きっと在るべき姿や向かうべき未来はきっと浮かんでいるだろう。
わざわざ未来の話をしても、変化を嫌う既得権益側の方々に目をつけられて反感を買うだけだ。反感を買うだけならまだいい。実害もあるはずだし、それでも人目につく場所で発言をしているのはなぜなのだろう、と自分よりも遥かにレベルの高い人の思考を辿っても辿れるわけがないのだが、一つだけ仮説がある。
考えなくてもいい、人の気持ちをわざわざ考えたりはしないかもしれないけど、聡明な方だからどうしても気がついてしまうのではないか。
無責任な大衆にもかまってあげる必要も義理もないのだが、かまってあげるのが不思議だった。
無敵の人に対してわざわざ「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」というようなことはしないが、無視もしない。
こじつけかもしれないが、「撃っていい覚悟を本当にするのは大変だよ」ということを見せてくれているのではないか。ルルーシュのように「だからそもそも撃つべきではなかった」と諦めるわけでもなく、戦うべきときがあれば既得権益が相手であってもまた闘ってくれるのではないか。
堀江さんが見た未来が、今の状況とは違ったはずだということはわかる。
普段はほとんど芸能ネタに興味のない人間である。ドラマは全く観ないし、アイドルにもぜんぜん興味がないし、M-1などのお笑い番組も、観ても面白さがほぼ理解できないレベルで疎い。当然ながら芸能に関する知識も全くない。
しかし、今回の中居正広「女性トラブル」問題については、リアルタイムで情報を追っている。その理由は芸能スキャンダルにとどまらない、日本社会の大きな転換点・分水嶺を感じるからだ。
1980年代以降、日本社会の世論はほぼテレビで代表されていた。日本の政治や社会問題で何が争点で論点なのかは、テレビが取り上げるかどうかや、テレビのフレーミングですべて決まっていたと言っても過言ではない。1993年の自社さ連立政権も、2005年の小泉郵政選挙も、2009年の民主党政権とその後の転落も、大袈裟ではなく全てがテレビ発のイベントだった。平成期の政局で最も大きな影響を与えたのは、明らかに小沢一郎でも小泉でもなく田原総一朗だろう。
1980年代当時の、子どもだった私たちにとって「たけし」「さんま」「とんねるず」などのテレビスターは既に総理大臣よりも偉い人だった。その後20年を経て、国会議員や総理大臣の権威は地に堕ちた一方、彼らテレビスターの権威は、本当に総理大臣以上になっていた。実際、彼らは上の世代の芸人がそうしたような、さらなる高みを目指して国会議員に進出する、という道に全く関心を示さなくなった。テレビ芸人の権威が、国会議員をはるかに上回るようになったからである。
しかし、ジャニーズ、松本人志そして中居が次々と性加害報道で凋落していったように、テレビで売れている人が日本社会で最も社会的地位が高い、という2010年まで続いた強固なヒエラルキーは、2020年代に入って急激な勢いで崩壊しつつある。誤解してはいけないのは、SNSやYouTubeの影響、というだけではないことである。ネットの配信者は基本的にネット記事を紹介するだけの「コタツ記者」であり、取材能力は全くの皆無である。週刊誌の取材力とSNSの拡散力が連動して、はじめてテレビの力を打ち倒すことができたのである。
もともと芸能事務所やテレビスターの性加害事件スキャンダルは、週刊誌や夕刊紙で頻繁に報道されていた。かつて中居も堕胎強要事件が報道されたことがあったが、週刊誌の読者に隅っこで読まれるだけで、「週刊誌はデマでも記事にして商売する」というイメージもあり、テレビで報道されない限り社会的影響力は皆無だった。
しかし現在は、状況が一変した。週刊誌の記事がネットで配信され、SNSとYoutubeで瞬く間に拡散するようになった。結果として、松本や中居などがSNSで大炎上し、Youtubeで詳細な解説動画が膨大に溢れているにも関わらず、テレビをつけても全く報道されない、という風景が繰り返されるようになった。少しずつ報道するようになっても、「痒いところに手がとどかない」レベルの報道であるため、「テレビは報道しない自由を行使している」という非難をより強めるものになっている。
結果として、「テレビが報道しない真実」を常套句とする、質の悪い陰謀論的なYoutubeチャンネルが溢れかえるようになっている。中高年の主婦がより陰謀論にハマりやすいと言われるが、これまで彼女らが家の中で一日中テレビをつけっぱなしにして生活してきた層であることとおそらく無関係ではない。SNSでは質の悪い情報ほど拡散力が高く、インフルエンサーの社会保障の理解などは絶望的にひどいものが多く、今後日本はますます衰退・崩壊していくのだろうという悲観的な未来が予想される。
最後に、テレビ局はこうした変化に柔軟に対応してアップデートしてこなかったことを指摘しておく。松本も中居も1990年代半ばから既にテレビで見ない日がないテレビスターだった。言い換えると、「テレビの顔」が30年も更新されてこなかったということである。そして、テレビ制作の現場の価値観も、テレビ画面上で公然とセクハラで笑いをとっていた90年代のノリを引きずっていたことが、今回改めて明らかになってしまった。metoo運動以降に就職した、Z世代の高学歴女性アナウンサーからすれば、松本と中居の女性に対する価値観や扱いと、それに積極的に同調して性加害を隠蔽するテレビ局員と幹部の姿は、ほとんど現実とは信じがたいものと映っていたはずであり、彼女たちが精神を病んでしまうのも当然と言えるだろう。
いろいろ意見をいただいたので改訂。12道県で候補を入れ替えた。
指摘を受けたので全体的に製鉄所を減らして石油化学系を増やしてみたつもり。それでもまだ日本製鐵無双だけど。
群馬:富士重工業・SUBARU群馬製作所本工場、矢島工場(太田市)
高知:TOPPAN・エレクトロニクスプロダクツ高知工場(南国市)
以下、返信など
村田製作所、京セラ、ニデック、オムロン、ローム、GSユアサと本社はいろいろある割に意外にも大きな製造拠点がない。
三菱自動車とか三菱電機を選ばれても「?」という感じだし、知名度と「本社工場」の加点で言えば任天堂だろうけど、このリストではやや浮いてしまう。
消去法で最初は島津製作所にしたけど、名前が挙がっていたのでとりあえずサントリーに変えてみた。関西資本だし。
日産はどっちかだけで良い気はするけど、どちらかには入れたいし、「じゃあどっち残す?」という所が。
確かにLRTもできてホンダは栃木のイメージ強いが、四輪の開発部門に対して、日産は国内最大の製造拠点かつフラッグシップモデル作っているあたりでほんの少し上かなと。
2000年代に国内家電メーカーが見せた最後の輝きとその後の凋落のストーリー込みでここかなと思ったけど、今素直に選ぶならどう考えてもキオクシアですね。
そう考えると隠れた一つに絞りにくい県だな愛媛。東予3市できれいに分かれているし。
瀬戸内のどこかで造船所を入れておきたい気持ちも確かに強いが、化学系が少ないのと、住友財閥の歴史にやられてここは住友化学愛媛工場に変えてみた。
この辺り入れたい気持ちは分かるし、決して軽工業を軽視したくはないのだけど、やり過ぎるとよくある「各県の意外な生産額全国1位」とか「47都道府県トップ企業ランキング」と変わらなくなるので難しい所。
今のリストだと本社所在地・創業地とそれ以外が大体半々なので、このぐらいのバランスで良いかと思っている。
ここまで書ける人ってどういう属性なんだろう
職業で言えば出版・メディア関係で、挙げた所と関わらないこともないんだけど、ほぼほぼ地理と旅行好きの趣味です。だからツッコミ所が多い
自分の価値観と合わない人間を女々しい呼ばわりして決めつけするような傲慢なマッチョイズム押し付けに少しも恥じ入る所がない人間がよく国粋主義者ぶっていられるよなあ
俺は時代の変化をキャッチせず凋落の原因も直視できずにユーザー側の見る目がないと悪者にする、そんな歪んだ国粋主義に陥る独善的な裸の王様気質の人間こそが、女々しい夢想家だと思うんだが違うか?
本当に国を憂うなら成功してる他国のもんを腐すのではなく大いに学んで教訓にするよう呼びかけるべきじゃないのか?出来の悪い国産モノを支えきれなかったユーザーのせいにするよりよっぽど建設的だろうに
・まずこの記事をみてほしい。LGは14、16、17インチの軽量モデルを販売しており、たった1インチの違いだというのに3バリエーションを作って完全に「ブランド化」をしようとしている。アップルのように。
https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/2412/19/news011.html
・いっぽう日本メーカーはどうだろうか。NECや富士通が「世界最軽量モデル!」と競っている努力はすばらしいが、世界で売れているとはいいがたい。
・日本のPCを買っているのは、実際のところ官公庁や、老人たちなどが「やっぱ日本メーカーだよね」と脳〇で購入しているのがほとんどなのである。
・若い大学生が買うのはだいたいHPやASUSの安くてデザインが良いモデルで、やや堅実な人はDellを選ぶ。これは法人もまったく同じ傾向。
・脳〇で似たような高いPCを作って、大したデザイン変更もイノベーションもなく作って「日本企業」という遺産だけで食っているのが日本のPCメーカーである。
・それでも10年前のような「クソアプリ集めましたランチャー」がセットになっていないのはマシになっている。
・変な常駐ソフト食わせて情報抜いてるのは海外メーカーもだが、クソダサアイコンで「老人むけ」っぽさが演出されるのでやめてほしい。
・LGやSamsungは常に戦略的にイノベーティブな製品を出している。もちろんその視野の先にはAppleという巨人がある。
・いっぽう日本メーカーは、結論から言うと、とんがったモデルがないのである。チャレンジをしていないのだ。
・その態度が「適当に毎年マイチェンして、たまに軽量モデルだしときゃいいだろw」という進化をあきらめた老人性を感じてしまい、かなしくなるのである。
その考え方なら、共感すべきは中国のゲーム企業、それも上澄み系ではなくて大したもん作ってないのに巧みな広告戦略でボロ儲けしてる企業みたいなのを称賛すべきだろう。
例えば4399netとかだな。中国語だと四三九九网络。いろんな子会社を各地に立てまくって親をわかりにくくしてるが、4年前くらいにヒットしてた魔剣伝説や、最近だとキノコ伝説もこの会社だ。
ゲーム自体は特別予算がかかってないしょーもない量産コピペ系のもんばかりだが、広告戦略は競争の激しい中国本土譲りのもので、一発当てたゲームをちょくちょく出している。
https://chinagamenews.net/?s=4399
このいわゆる量産ソシャゲ的な開発路線は、国産ゲームだとパズドラあたりが隆盛してた時代までしか通用せず、モバグリ系が凋落してサイゲームスが現れた頃からこの路線で成功するタイトルはほぼなくなっていた。
でも同じ路線を中国流の研究しつくされた広告戦略で「まだまだ暇つぶしゲーでも売れますよ?」って見せつけてきてるのがこういう会社。
他にもYOOZOOとか、bilibiliとか、パブリッシャとして注目してみると面白い会社はあるな。放置少女のC4gamesとかもあった。
https://survey.stackoverflow.co/2024/technology
https://survey.stackoverflow.co/2022/#technology
https://survey.stackoverflow.co/2020#technology
- | 2020 | 2022 | 2024 |
PostgraSQL | 36.1 | 43.6 | 48.7 |
MySQL | 55.6 | 46.9 | 40.3 |
SQLite | 31.2 | 32.0 | 33.1 |
SQLServer | 33.0 | 26.9 | 25.3 |
MongoDB | 26.4 | 28.3 | 24.8 |
Redis | 18.3 | 22.1 | 20.0 |
MariaDB | 16.8 | 17.9 | 17.2 |
Elasticsearch | 13.8 | 12.2 | 12.5 |
Oracle | 16.5 | 11.5 | 10.1 |
※2022年は他の年とおなじ小数点1桁にそろえるために四捨五入してる
10年前のブログだけど、すでにそういう指摘がされてたみたいだね
http://sookibizviz.blog81.fc2.com/blog-entry-1493.html
急速にBEVが普及し、純ガソリン/HEVは淘汰される(その過程で日系メーカーは凋落しテスラ・中国系メーカーがシェアを握るようになる)という論調が高まった2018年〜2021年頃。
BEV一本で行くのは無理じゃね?という空気感になってきた今、数年前の論調を振り返ってみよう。
「あっちがEVなら、こっちは水素エンジンだ!」https://anond.hatelabo.jp/20210930195307
無理。もうEVには非EV車は勝てない。内燃技術をベースにしたテクノロジーは、純粋にコスト面でEVに太刀打ちできなくなる。
最近は「EVが今までの乗用車と同価格になるのが2025年頃」という予想が出てたんだけど、今年(2021年)になって、もうEVが価格性能比で内燃車を追い越す事例が出てきている。
24年においても、BEVはHEVやガソリン車に比べて価格が高く、競争力があるとはいえない。
現時点でEVの要素技術をしっかり内製化し、ガチで海外勢と闘える体制なのは、早くからEVシフトを敷いた日産、その傘下サプライヤーのジヤトコとマレリ(どちらもeアクスル事業)、それからeアクスルを足掛かりに自動車産業に参入して海外シェアをガンガン獲得してる日本電産ぐらいだ。
ちなみに、EVに消極的だと批判されがちなトヨタは好調。ただし認証不正が発覚するなど品質面に不安が残る。
テスラのモデル3の標準グレードであるスタンダードレンジプラスは、いま国内で430万円、米国で400万円弱で買える(助成金抜き)。
調べたらモデル3って今530万円〜なのね。円安に加えてただのガソリン車も値段が上がっているので、極端に値上っている訳では無いと思う。が、依然としてガソリン車に比べて高い状況に変わりはない。
ちなみにテスラは2023年までに「自動運転機能を搭載し、価格を2万5000ドル(1ドル=110円として275万円)に抑えた新型EVを2023年までに市場に投入する」と宣言している
いわゆるテスラモデル2だが、イーロン・マスク直々に発売が否定された。
テスラ(イーロン・マスク)はこういう手のひら返しを普通にやるが、BEV推進派は都合よくすぐ信じがち。
ロボタクシーもどうなることやら。
どちらも18金で、いくつか石がついている。条件は同じと言っていいだろう。
30年で物価も金価格も上がっているのに、4℃の指輪の値段は変わっていない。
代わりに大きく変わったものはというと、地金の量とコレクション内の構成が挙げられる。
石も込みになるが、手持ちの2つの重さを計ってみた。
去年のものは軽すぎて何回か計測し直したが、0.5gだった。
まあつけた感じ明らかに重量が違うとは思っていたが……
装飾のない裏の部分をぱっと見て、地金の部分だけを比較しても、太さがかなり違う。30年前の方が去年買ったものの1.5倍はある。
一般的に、ジュエリーブランドはシーズンやデザイナーごとに決まったテーマのコレクションを出す。コレクション内で指輪やピアスなど様々なアイテムの商品が発売され、指輪の中でもいくつかランク違いの商品が出る。ランク違いの商品では、石の質や量、地金の種類、質に差を設けてある。
今回比較している2つの指輪は、どちらも当時発売されていたコレクションの中で最も良いランクのものだ。
(30年前の方の購入には立ち会っていないが、母が遠慮して少し低いランクのものを希望したところ父が一番いいのを買ってくれたということである)
30年前の指輪は、最高ランクに値する商品だ。なにせ2.5gあるので、デザインの雰囲気を維持しつつ装飾を減らしても商品として成り立つ。余地があるのだ。
母が少し低いランクのものを希望 "できた" ということからも、2番目、3番目のランクの商品まで18金で作られていたと推測できる。
去年のものはどうかというと……もう余地はない。か弱い地金をこれ以上減らすと、加工の費用で逆に価格が上がりかねない。
となると、2番目のランクの商品は、ゴールドフィルドのシルバーで製造されることになる。
ゴールドフィルドなどと書いたが、要するに金メッキのことだ。これは「CHANELのコットンの進化版」のようなもので……自分の趣味で普段使いに買うならご自由にどうぞ、でも社会人の記念日に買うものとしては、避けたほうが安全だ。
実質、
4℃は物価上昇の中で、質の維持より価格の維持を選択した。結果、質はガッタガタに落ちたし選択肢もなくなった。人気も信用もガッタガタである。
今4℃が毛嫌いされているのは、そんなに変な話じゃないと思う。
あくまで準決に向けたワイルドカードだが、ハライチさんが勝ち上がった2021年の敗者復活、オズワルドさんが勝ち上がった翌2022年の敗者復活と同じ匂いを感じた人は多いと思う。
二年連続で「人気投票じゃねえか」「入れた奴ネタ見てねえだろ」とあまりに叩かれすぎて、2023年に大幅にシステムが刷新されるに至ったあの悪夢。
あれら事件が、明確に当事者となった芸人さんのイメージを悪化させた……あるいは、それまではそこまで顕在化してなかったヘイトが一気に噴出するきっかけになったのは間違いない。
とくにハライチの岩井さん。我が家さんの面白くないYouTube企画でひとり気炎を吐いて舌鋒鋭く場を盛り上げて賞賛され、ゴッドタンでブイブイ言わせていた彼が、あの敗者復活(と、共演者のサブカルいっちょがみ未成年に下手すりゃ中学生の頃から手を出してたんじゃないかというロリコンぶりが発覚したこと)を契機にここまで凋落したのだからゾッとする。
M-1を甲子園のような感覚で観ているファンは多い。運営側も、「そういうもの」として演出していることは多くの方が指摘する通りだと思う。夢に向かって努力する男の子たちの感動のサクセスストーリーを見せるのだと。
これはMおじ武智氏やMおじ川瀬氏らが折に触れて言っているところだが、それゆえにM-1の客は「漫才・劇場のお笑いにひたむきに見える人」「まだテレビ露出など一般的な認知度は低い人」を応援し、「(ネタ番組・お笑い番組でない)テレビの人気者」「漫才の外から来た人」には冷たいという傾向がある。「俺たちの」M-1戦士じゃないと嫌だというわけだ。
その点に関して、野田クリスタルさんが令和ロマンさんの戦略の凄さを語っていた。「メディア露出を抑えて舞台にたくさん立つことで劇場人気をキープし、M-1の客に嫌われないように立ちまわっている」。
「M-1と漫才を本気で愛して、本気で向き合ってますよ」というポーズを上手に取れることが重要なわけだ。
ロングコートダディさんはこれまで確実に「俺たちの」サイドを歩いてきた人たちだった。実際にはテレビにもいっぱい出てる売れっ子なのだが、賞レースで歴々、華々しい結果を残し、特に堂前さんが「ストイックなネタ師」というイメージをしっかりとキープできていたのがデカい。もちろんめちゃくちゃ面白いしね。
だが、それら実績が今回のことで一気に、「ラストイヤーの人気者が、大してウケてもなかったのにファン投票で上がっちゃった」に反転してしまった。
ご本人たちが「当日の15時に集まってから4時間くらいで作った卸したことない新ネタ」「ギャンブルしたくなった」「やったことないからガタガタ」「しっかり滑ってた」とラジオで公言してしまっている(もちろん実力者なのでつまんないわけではないが、確かに粗いし、ああいう無茶振り大喜利みたいな笑いって、「ネタを用意してきましたよ」じゃなく当意即妙にその場で答え合うみたいな形で見せてもらった方が楽しいんだろうな…とは思った)のも、こうなるとなんだか後味が悪い。
「そんなナメた態度で出て、人気投票で勝ち上がりですか」に見えてしまう。もちろんそんな意図はご本人たちにはないけれども。
まぁとはいえ、ハライチさんの時の金属バットさんと男性ブランコさん、オズワルドさんの時の令和ロマンさんとは違い、今回「嘱望されながらも行けなかった人たち」は赤ちゃんとニューヨークの阿部寛なので、そこのヘイトは軽微なものだとは思うけど……