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はてなキーワード: スタジオジブリとは

2024-10-20

トトロ政治利用

愛知6区の某無所属候補選挙街宣車で「となりのトトロ」をBGMで流しながら街宣していて最悪。

楽曲利用に関してJASRACへの申請はしているのかな。仮に申請して合法的利用だとしてもスタジオジブリの後光・印象を政治利用している点にすごい嫌らしさを感じる。

音楽は強力な印象操作ツールだということを有権者意識せにゃならん。

2024-10-18

anond:20241018221628

東宝東映の違いを教えたるで!

これ、映画好きなら気になるとこやもんな!

両方とも日本の有名な映画会社やけど、得意分野とか歴史ちょっとちゃうねん。

ほな、ざっくり説明するで!

東宝

設立: 1932年

代表作品: ゴジラシリーズシン・ゴジラクレヨンしんちゃんスタジオジブリ作品(配給)

• 得意分野: 怪獣映画実写映画、そしてアニメ映画の配給が多いんや。特にゴジラなんかはもう東宝看板キャラやね。

• 傾向: ハリウッド的な大作映画も強くて、邦画やけどスケールデカい。あと、スタジオジブリと一緒にアニメ映画も多くやってる。劇場の「東宝シネマズ」も有名やで。

東映

設立: 1951年

代表作品: 仮面ライダーシリーズスーパー戦隊シリーズドラゴンボールワンピースプリキュア

• 得意分野: 特撮仮面ライダーとかスーパー戦隊)とアニメめっちゃ強い!東映アニメーションっていう子会社があって、アニメ制作もやってる。ドラゴンボールワンピースみたいな超有名作品もここから出てるで。

• 傾向: 子供向けの特撮アニメヒーロー物が多いねん。日曜の朝に見る「スーパー戦隊シリーズ」や「仮面ライダー」はもう定番やろ?アニメでも「東映まんがまつり」って昔から伝統があるんや。

簡単に言うと

東宝怪獣映画とか大作映画ジブリ系のアニメ配給が強い。

東映特撮ヒーロー物とかアニメ制作が得意。

どっちも日本映画文化には欠かせへん存在やけど、作品の色が結構違うんやで!

2024-08-20

二次創作よりも考察のほうが病的・有害に感じる

法的には「二次創作」のほうがグレーな領域にあるものの、個人的には「考察」のほうが問題だと感じている。

二次創作は作者自身が願望や妄想だと自覚して作られるが、考察は作中で描写された事実混同されることが非常に多い。

たとえばサツキとメイは死んでいるという「考察」(スタジオジブリ否定済のデマ)が広められたことにより、

となりのトトロサツキとメイが死んだ作品だと認識する視聴者が出てきてしまった。

明確な妄想である二次創作と違って、考察原作についての認知を歪ませやすい。

 

問題のある考察として、以下のようなものSNS上でよく見かける。Xでキャラクター名を検索すると出てくるnote記事などに多い。

特定カップリング登場人物に対する偏った見方が注意書き無しに露骨考察に反映されているもの

作品内で明示されていない情報を、根拠もないのにあたか事実のように扱っているもの

考察が広まりすすぎて、公式設定と混同される。時には原作者の発言原作の展開が否定されるケースも。

・専門知識なしに登場人物精神状態分析し、安易精神疾患のレッテルを貼る。

 

この手の陰謀論じみた考察に歯止めがかからない。

著作権をグレーに侵害している二次創作ですら多くの権利元が放置している状態で、違法性のない「考察」はまず何にも引っかからない。

読んでしまうと地球平面説に当たったような衝撃を覚えるが、表現の自由範囲内であり、作品カルト的な考察集団はどうすることもできない。

尖った考察考察者の信者も生み出す。まさに小さなカルトだ。

 

自分意見あくまで一つの可能性に過ぎないという認識を持つ。

考察根拠作品内の描写情報に求め、それを明確に示す。

他者考察尊重し、建設的な議論を心がける。

公式情報自分解釈を明確に区別する。

・過度な妄想や、作品意図を歪めるような解釈は避ける。

こうした姿勢で書かれた良心的な考察に当たると非常に好感が持てるが、日に日に陰謀論的な考察割合が増えているようにも思う。

また、陰謀論的な考察をする人間を惹きつけやす作品というものがあるようで、

良識的かつ穏健な考察が多い作品と、そんなシーンは作中に全くなかった完全な妄想をもとにループに入ったような陰謀論的な考察だらけになっている作品がある。

キャラクターアンチモチベーションチェリーピッキングカップリング厨の幻覚が入っている自覚がない幻覚キャラクターに対して精神分析を始めて精神疾患認定

こうした要素が詰まった「考察」は二次創作よりも不快だ。

カップリング二次創作を見る人よりも、考察を見る人のほうが多いので、ファンダムへの影響が大きいと思う。

2024-07-11

anond:20240711233046

ニコ動で見てた。 ってか、スタジオジブリレベルじゃないと、どんなにアニメヒットしてもテレビ局利権持ってかれていた過去を思えば、

テレビは単にアニメ搾取していただけで、アニメを作っていたのはテレビ局ではないよ。 少なくとも令和では滅びるべき存在

2024-05-15

anond:20240515201401

スタジオジブリ映画作品群とかけまして、ジブリパークの場所と解きます

その心は?

どちらも、終わり(尾張)でしょう。

2024-03-11

君たちはどう生きるか」を理解できないと言ってる人は逆に他のジブリ理解できてるのか?

君たちはどう生きるか」なんて変にうがった見方※(後述)をしなけりゃ普通の「行きて帰りし物語」でしないよね?

戦争が若干ノイズになってるけど、基本骨子は「はてしない物語」や「黄泉平坂(古事記)」と同じだって気づけば、どういう物語として見ればいいかは明白じゃない?

これが複雑に見える人って他のジブリ映画もアレコレ考えまくって見方を見失ってない?

もののけ姫」や「平成狸合戦ぽんぽこだって物語の大筋自体冒険譚だからね?

その冒険譚の中で自然人間対立について問を投げかけてはいるけど、それと物語自体は別のレイヤーにあるものであって、ごたまぜに混線させて考えるようなものじゃないけど大丈夫か?

ナウシカ」が人類の愚かさと滅びと愚行権を描いていようが、映画ストーリー自体は優しくて勇敢な姫様のおかげで世界は救われましためでたしめでたし以上でも以下でもないぞ?

人伝に聞いた高尚な見方意識しすぎて、最初の1回目は素直に物語を受け止めようって気持ちがなくなってんじゃないの?

しかにまあ「コクリコ坂」だの「思い出のマーニー」なんかは全体として退屈で、あまりに暇だから一周目からその奥にあるモチーフ探しが始まったりしてもおかしくなかったが、君生きは序盤ちょっとスローなだけで中盤以降はストーリーにだけ集中しても全然楽しめるぐらいの映画だったろ?

なーんか変な見方する癖がつきすぎてるんじゃないの皆?

鳥の羽ばたきの作画がヤベーとか、木材バラバラカットが全部手書きとか狂ってるとか、そういうのを単純に楽しんでりゃいいだけなのに、宮崎駿遺言探しでもやってたんか?

そんなのは金曜ロードショーに来た時にでもツイッターでやってりゃいいんだよ。

一回目は普通アニメとして楽しめっての。



※変にうがった見方の例「塔はスタジオジブリ」「インコジブリアニメーター」「インコ大王は例の映画監督」「ばあやは宮崎駿師匠世代アニメーター」「鳥は鈴木

2024-02-03

anond:20240202211633

かぐや姫の物語スタジオジブリ最高傑作だし100年後も残る作品だと思う

ただ高畑勲アニメ監督というより芸術家みたいな部分が強くて、決して万人受けするような作風ではないか一般人から過小評価されているんだろうね

2024-01-30

映像化作トラブル事件簿

いいひと。 :フジテレビ(修正しました)

原作者主人公ヒロインキャラを変えるなと念を押していたが改変しまくり。

原作者ブチ切れで原作クレジットから原案クレジットへ変更。

いいひと。」を守れなかった責任は作者にあると連載終了を決意。

 

おせん :日本テレビ

原作を大きく改変し主演男優(ジャ◯ニーズ)の演技もひどく炎上状態に。

ドラマを見た原作者がが原作と違いすぎてショック。もうやってられんと連載休止に。

最終的に原作クレジット原案に変更されてしまう。

 

八神くんの家庭の事情 :テレビ朝日

作品キモである高校生主人公が若く見えすぎてしま母親女性として意識してしまう」という設定に

どう見てもババアしか見えない女優をあて、ストーリーや設定を改変しまくり。

原作者がやっぱりブチ切れて、最終的に原作クレジット原案クレジットに変更されてしまう。

 

ハガネの女s2 :テレビ朝日

シーズン2は原作にない完全オリジナル脚本で行われたが

第2話で転校してくるアスペ学校で受け入れるか特別支援学校にぶち込むかを生徒が選挙する展開に。

テレビ局だけでなく原作者にまで非難殺到し、原作者はこの展開を支持しないとして原作から降りることに。

 

海猿 :フジテレビ

原作者に対する無許可突撃取材原作者激怒プロデューサーに二度とさせないと約束させるも再突撃される。

その後、海猿関連書籍契約書なしで勝手販売されていたとして原作者が絶縁宣言を行う。

 

テルマエ・ロマエ :フジテレビ……というかエンターブレイン

映画化に際して原作使用料が100万円という宣告され、

事前相談もなければ根拠説明もなかったとTVぶっちゃける。

しか契約出版社が行っており、フジテレビ側が契約押し付けものではなかったとのこと。

 

ゲド戦記 :スタジオジブリ日本テレビ

原作者は「宮崎駿が監修する」「原作を変更しない」という条件で映像化を許可したはずが

なぜか宮崎駿ノータッチ原作を改変しまくった作品が出来上がってしまう。

原作者から「私だけではなくファンバカにしている」と痛烈に批判された。

 

トラブルまでは行ってないけど高橋留美子ビューティフルドリーマーあんま好きじゃないらしい。

2024-01-27

anond:20240127095342

魔女の宅急便」という名称は、スタジオジブリ商標登録しているし、

もともとの宅急便商標登録登録ジャンルがあって、ジャンル被りしてなければ、わりとセーフだったりする。

ジブリが、独自に「魔女の宅急便」という宅配サービスをするのは無理だけど。



TENGAオナホジャンル商標登録してたら、

魔女TENGAという名前で、同じオナホジャンルでの商標登録はおそらく無理。

みたいな感じ。

2024-01-17

宮崎映画に携わったって嘘ついて新聞に乗った人が炎上しててワロタ

https://www.cartoonbrew.com/feature-film/geraldine-fernandez-studio-ghibli-boy-and-the-heron-236877.html

宮崎駿監督の『少年とサギ』は1月25日コロンビアで初公開される。初公開に先立ち、地元女性が約2万5000コマ描いたと大手メディアを説得して話題になったため、この映画は予定外の、おそらく評価されていないマーケティング活動を受けている。映画制作のために。

ジェラルディン フェルナンデスは、コロンビアバランキージャに拠点を置き、建築ガラスアルミニウム製品製造する会社テクノグラス社のグラフィック デザイナーです。しかし、最近の一連のインタビューで、彼女スタジオジブリの最新映画制作に深く関わっていることをいくつかの主要メディアに納得させた。彼女の主張に対応する記事ほとんどは、エル・ヘラルドやエル・ティエンポなどの報道機関を含む出版社によって削除されたが、以下にリンクされているもののように、一部のインタビュークリップYoutubeに再アップロードされている。

流石に草。

小島秀夫と言い、日本クリエイターは嘘つきに良く利用されるな。

2024-01-16

anond:20240116133056

それは嘘だった:ゴールデングローブ賞受賞映画に出演したと主張したコロンビア人拒否された

ジェラルディン・フェルナンデスは、制作中に 25,000 フレームを描いたと主張しました。しかし、エル・ニーニョ・イ・ラ・ガルサのクレジットには彼の名前は載っていない。

ジェラルディン・フェルナンデスというバランキージャ出身女性が、最優秀アニメ映画賞を受賞した作品『エル・ニーニョ・イ・ラ・ガルサ』のイラストチームの一員だったと主張したため、コロンビアは数日間ゴールデングローブ賞受賞を祝った。

これはソーシャルネットワーク上で喜びを呼び起こし、これに加えて、いくつかのメディアフェルナンデス氏の証言を求め、フェルナンデス氏は映画に登場する25,000フレーム(視聴覚映像の合計時間の約30分に相当)を描いたと主張した。

同様に、ジェラルディン・フェルナンデスさんも自身ソーシャルネットワークビデオを公開し、その中で、これらの絵を描くためにリモート作業し、その過程映画監督宮崎駿に会ったことを主張し続けた。この業界では史上最高の製品です。

「30歳になった自分が、まさかスタジオジブリ制作担当することになり、最新作だけでなく宮崎駿監督引退作にも出演することになるとは思ってもみませんでした。信じられないです。 」とフェルナンデスビデオで述べた。

これらの発言を踏まえ、一部のイラストレーターはフェルナンデスさんの証言矛盾を強調した。彼女は2万5000フレーム撮影したと主張しており、一部の人にとっては不可能なことだったが、バランキージャの女性は遠隔で撮影したと主張しているという事実拍車をかけた。

コロンビア人彼女映画クレジットに登場しておらず、IMDBアニメスタッフデータベースの専門サイトにも彼女名前掲載されていなかったため、数人の国際的イラストレーターはこれが詐欺であると断言し、メキシコ人ジュリエッタ・コラスは最も憤慨した人物の一人であった。これ 。

コラスはフェルナンデスに、このような重要な作品に参加することを夢見ているラテン系イラストレーター全員に害を及ぼすものであると主張し、自分バージョン修正するよう求めた。その上、

「この女性は、エルニーニョ・イ・ラ・ガルサに取り組んでいたと語っています彼女コロンビアで自ら映画の2万5000コマを描き、宮崎監督彼女名前を知っていたと語った。彼女はいつも自分のことをイラストレーターだと呼んでいます。彼は絵を一枚も見せません。ボールは嘘をつくべきだ」とメキシコ人選手はジェラルディン・フェルナンデス出版物に反応した。

これに加えて、フェルナンデスポートフォリオにいくつかの盗作があることを強調した他のイラストレーターから批判もあり、それが彼女悪人であり、この職業の信用を傷つけていると非難した理由です。

彼らはソーシャルネットワーク上で、バランキージャの女性に対し、彼女に対する申し立てに対する返答を求めた。しかし、ジェラルディン・フェルナンデスさんは声を上げていないが、彼女が嘘をついていると非難した一部の人々は、コロンビア人選手が彼らをブロックしたと述べている。

「繰り返しますが、彼女はこの映画の 25,000 フレーム個人的に「イラスト化」したと(彼女言葉で)言いました。それは 35 分です。コロンビア海賊プラン​​ナーをしている女性は、フリーランスリモート仕事として、ジブリ映画の 35 分間のアニメーションを制作したと主張しています。ちなみに彼女は私をブロックしました」とジュリエッタ・コラスさんはXアカウント(旧Twitter)に書いた。

フェルナンデス沈黙により、ソーシャルネットワーク上では、バランキージャの女性は間違っており、他の場所で働いていたと主張するさまざまなミームが作られ、状況をからかうために過去宮崎作品を利用した。

コロンビアではフェルナンデス発言を信頼し、彼女日本スタジオ制作に参加したことを祝福する人もいたが、『エルニーニョ・イ・ラ・ガルサ』はアカデミー賞の最優秀アニメーション映画賞の最有力候補としての地位確立し続けており、この賞を受賞するのは3 月 24 日に 開催。

https://www.infobae.com/colombia/2024/01/16/era-mentira-la-colombiana-que-afirmo-trabajar-en-pelicula-ganadora-de-los-globo-de-oro-fue-desmentida/

2023-12-24

君たちはどう生きるか

NHKドキュメンタリーで興味をもって、遅ればせながら映画を見てきた。

例の番組では高畑勲との関係クローズアップされていたけれど、この作品テーマ少年の成長じゃないか。(千と千尋の神隠しと違って、一晩で見る夢のような内容なので、成長というより、自分気持ちに折り合いをつけると言った方が近いかもしれない。)

作品クライマックスを作るために、高畑勲モデルにして、結果的高畑勲を乗り越えたという見方はあるかもしれない。でもそれがメインテーマかというと、ちょっと違うような。

NHKディレクターの関わり方(書生)からすると、スタジオジブリ確認なく放送されたとは思えないし、むしろジブリ(=鈴木敏夫)の意向が色濃く出ているのではないか。他のインタビューでも、鈴木敏夫はサギ男は自分、大叔父高畑勲だと言っているし。

そう見せたい、そこに注目してほしいという理由があるのかもしれない。そのほうが注目されやすいからなのか、それとも、メインテーマがあまりにもパーソナルなものからなのか。

敢えて視点をずらしたのか鈴木敏夫意向ということなら、サギ男らしいと思った。

いずれにしても、素晴らしい作品だった。番組宮崎駿が「頭のフタを開ける」と言っていたが、本当に誰かの頭の中を見ているような、或いは誰かの夢を一緒に見ているような気持ちだった。

あれを映像に具現化するって、すごいと思った。

2023-12-08

そろそろガチ若い子に通じないこと

嘘だろ、と思うやつ

 

スタジオジブリ

見てる人は見てるんだけど、常識範疇からは抜けてる

 

ザ・ドリフターズ

マジで通じない、まあこれは通じない感あると思う

変なおじさんとか通じないから注意

 

ドラクエFF

当然通じないけどうっかり使ってしま

 

ニコニコ動画ネタ

濃いオタクだし通じるかな?と思ったら通じなくて狼狽える

そのくせTikTokリバイバルされてたりするから困る

Z世代には通じる、18歳くらいまで

おっさんが思ってる若者文化若者はすでに大人なんだ

 

ブルマスク水

「見たことある!」って言われた

時代が遅れてるアニメですら見かけなくなってきてることに気づいてるか?

ひぐらしあたりが最後だったと思う

 

ギャルコギャル

あい世代はもうお母さんなんだ

 

東日本大震災

記憶があるのは20歳くらいか

 

安倍政権より前

若者にとって総理大臣安倍

 

エンタの神様時代芸人紳助、ビック3

そろそろ通じなくなってきてる

うっかり使ってしまうので怖い

2023-10-09

anond:20231009131621

パーフェクトブルーは閲覧注意の注釈必要作品だと思うので知らずに見た増田には同情する。

私も見たときは気分が悪くなって二度と見たくないと思ったし自分なら人に勧める前に大丈夫そうか必ず確認する。

無邪気にオススメしていい作品じゃない。

ただ自分にとって不快表現があったからといってそれが必要ないとか他者に対して攻撃的になるのは賛成しないかな。

あそこまでやり切ったからこその深い衝撃の残る作品だしアニメ文化としてああいうのもあったからこそ

スタジオジブリジャンプアニメ京アニMAPPA新海誠細田守

に繋がっているんだと思うよ。

まあしばらく優しいものきれいなものを見てショックを癒してください。

大事に。

パーフェクトブルーかいアニメ映画がめちゃくちゃ気持ち悪かった

先日、世界的に有名なアニメ映画リバイバル上映するということで話題になっていた

Twitterでも絶賛の嵐だったので期待して観に行ってみた

結果、とても落ち込んだ気分で映画館を後にすることになった・・・

アイドル女性アイドル引退して女優への転身を発表するところからストーリーは始まる

序盤はとても楽しめた

平成初期のインターネット携帯電話も普及してない時代は今となっては新鮮に感じるし、キャラクターはよく動くし街並みも奇麗だし、部屋の小物も描き込まれていて作画は素晴らしかった

しかし中盤のとあるシーンで一気に私の気持ちは沈んでいく

ドラマ撮影という体でレイプシーンが始まるのだ

長尺でねっとりとレイプシーンは描かれる

泣き叫ぶ女の子、性欲まみれのゲスい顔で取り囲む男たち、とても印象的で気持ちの悪いシーンだった

制作者の演出意図は分かる

元アイドル女の子が一流の女優になるためにこんな酷いシーンも演じなきゃいけない!メンタル壊れるよ!」という演出だろう

もちろんそれは分かってる、分かるけど、でもレイプ以外の別の方法演出する方法もあったのではないか

もしこのシーンを実際のレイプ被害者芸能界パワハラセクハラ被害者が見たらトラウマフラッシュバックすると思う

そういう人たちの気持ち制作者は考えなかったのかな

ヌード撮影のシーンでは陰毛まで描かれていた

ここまで描く必要があるだろうか?

すぐ映画館を出たかったけれど両隣に人がいたため上映中に席を立つのは失礼だと思い我慢して最後まで見たがレイプシーンの強烈な不快さは拭えなかった

そういえば以前見た王立宇宙軍ネオアミスの翼というアニメ映画でも唐突主人公ヒロインレイプ未遂するシーンがあった

昔のアニメ制作者はレイプに憧れていたのだろうか


古のオタクはよく「昔のアニメオタク差別されてんだ!!」と言うけれど

こんなアニメを持ち上げていたら気持ち悪く思われるのも当然では?と思ってしまった

アニメ一般人が見ても大丈夫趣味に広げてくれたスタジオジブリジャンプアニメ京アニMAPPA新海誠細田守感謝したいと改めて思った

2023-09-23

宮崎駿後のスタジオジブリ、おそらく2代目宮崎駿襲名するものが現れる

宮崎駿は、単なる宮崎駿個人名ではなく、名跡・家名となる。

4代目宮崎駿が次代の宮崎駿は実力制とすることを決める。

5代目宮崎駿(初代実力制宮崎駿)が誕生

8代目宮崎駿、中興の祖となりジブリ復活。

13代目宮崎駿とき公武合体運動が起こり東映動画ジブリ合併

15代目宮崎駿大政奉還

2023-08-10

アニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた

自分の中でのアニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインク制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者ファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者ファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチからまれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌えから距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーションの快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考アニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2023-08-08

映画君たちはどう生きるか」のキリコについて(感想文)

映画君たちはどう生きるか」を観てきた。

うまい言葉がみつからないけど、アニメーションとしては、スタジオジブリ集大成といってもいい、すごい映像作品だと素直に思った。

・「インコ」というジブリ史上でもっとキモ可愛なキャラクター爆誕しているので、それだけでも見る価値がある。早くグッズ欲しい。

唐突に色々な出来事モンスターアイテムが目まぐるしく登場するので、初見理解が追いつかない感もあったが、むしろ神話的で良いと、魅力的に感じた。たぶん、わざとそういう配置にしてる。

特に個人的感想として、もっとも印象深かったのがキリコという登場人物だった。

以下、考えたことをメモする。

↓↓↓以下、全てネタバレかつ妄想↓↓↓

 キリコ異世界(塔の世界)に迷い込んだ眞人が最初出会う案内人漁師)であり、『千と千尋』の湯屋女中のような主人公との関わりを連想させるキャラクターだとも思う。後に、その正体は主人公(眞人)と同時に異世界に入り込んだ従者(老婆)であることが作中で明かされている。

 はじめは、この案内人は老婆であったキリコ異世界で変身した姿なのかと思ったが、どうも違う。この若い姿のキリコは(恐らく)数十年前に異世界(塔の世界)を訪れていた、若き日のキリコなのだ

 そして、眞人と同時に異世界侵入したはずの老婆キリコは、若き日のキリコより、木彫の人形として眞人に託される(映画ラストで、この人形が老婆キリコに変化することから、これが依り代のようなアイテムになっていることは明らかである)。

 しかしなぜ、老婆キリコ異世界で木彫り像に変身しなければならないのか?それは、パラドックス回避の為、時空が混然一体となった異世界(塔の世界)には、2回目は入れないルールがあるからではないか、と考えた。

 ではそうだとして、何故、異世界侵入していないはずのその他の従者(老婆)たちも、老婆キリコと同様に木彫り人形として異世界で登場していたのか?この関係は紐解く必要があるように思う。

 一つは、現実世界からの老婆キリコは、他の従者(老婆)たちと同列に、この異世界(塔の世界)には不在であることを示すたんなる装置としての(木彫り人形の)意味合いはあるだろう。

 では、他の従者(老婆)たちも若き日のキリコと同様に、過去異世界に招かれていたということなのか?この点については、実は、キリコ以外の従者たちは、ワラワラ様が現実世界に生まれ、育った姿なのではないかと思うのだ。つまり彼女たちは大叔父が作った異世界に魂の起源体験を持つので、作中の異世界では木彫り人形として描かれたのではないか(2回目は入れないルール)。つまり過去異世界と縁があった存在であることのメタファー暗喩)が木彫り人形なのだと思う。

 そう考えると、丸くて小さくてもふもふした従者(老婆)たちと、背筋の伸びた老婆キリコキャラクターの対比も分かりやすい。異世界でのワラワラ様とキリコ関係性を、現実世界でも再現しているというわけだ。

 そして、実はキリコは大叔父血縁者なのではないか。つまり血筋的にも大叔父・ヒミ・眞人と関りのある重要役割を担う存在だったのではないか

 異世界(塔の世界)では、大叔父とその血縁しか主体的世界に影響を与えられない……という風に理解ができそうな台詞描写も作中にあったと思う。だから異世界での鳥達は変容・進化?してしまったし、直接の血縁ではない眞人の父は異世界には入れない。他方で、ヒミは火を操る神通力により世界浄化破壊?する役割を与えられ、キリコは循環と再生を扶ける役割が与えられているのだ。

 作中序盤で描かれる現実世界での老婆キリコは、他の従者たちと違って、なんとなく可愛げがなく、めざとく狡賢い性格として描かれている。しかし、あの異世界で描かれるように、面倒見がよく逞しく凛々しい姿が、キリコ内面なのである。だから、老婆キリコは、眞人を心配して廃墟の塔までついてきてしまうのである

 ここまで考えると,老婆キリコが作中でもっとも印象深く愛しいキャラクターに思えてこないだろうか。

↑↑↑以上↑↑↑

SNSなどでストーリーが分かりにくいという前評判をみていたが、物語構成は『千と千尋』や『トトロ』と同様で、トンネルを抜けた先の異世界で試練を経た主人公が、何かを現実世界に持ち帰る構造であり、ファンタジー系のハヤオ作品の中ではむしろ分かりやすい部類だと感じた(個人的には『ポニョ』とかの方が難しくてついていくのがしんどかった印象)。

「結局、アオサギは何者だったのか?」など未消化の要素も多いので、また時間があれば鑑賞に行きたいです。

2023-07-22

君たちはどう生きるか 感想

主人公の大叔父宮崎駿自身を描いているのかと思った。壮大な世界を作り上げた彼はスタジオジブリを一から立ち上げた宮崎駿の姿に重なるし、彼の世界後継者を探して二人の候補者あの世界に呼び寄せたけど、眞人は優しすぎて、夏子の子はまだ生まれてないから、あの世界とともに死んでいくことを選んだ。ひょっとして宮崎駿が死んだときスタジオジブリ解散するつもりなのかな、と一人で悲しんた。

この世界で眞人の母は死んでしまってもう会えないけれど、彼の大叔父の作り上げた世界では(年齢や姿は違えど)また再開することができた。これは少年時代母親を亡くした宮崎駿の願望が描かれてるのかもしれないな。鷺男は大叔父に命じられて、あの世界に眞人を誘い込んだのかな。大叔父は彼の血を引く二人の子供を呼び寄せて、どっちか後任に適してるか選びたかったのかな。

それと今回の作品でやたら鳥が出てくる理由は何なんだ。

2023-07-17

史実では宮崎吾朗ジブリ継承しようとしたんだよな

鈴木敏夫にそそのかされて、宮崎駿後継者となるべく、

ジブリで毒にも薬にもならないような映画を何本かつくったんだろ?

な?

から史実では継承者になろうとしたんだよ。

でも、それはうまくいかなかったんだ。

なぜか?

映画の中で大叔父は言ってたよね。

世界継承者となるには必ず私の「血族」でなければならない、と。

からインコの王が適当に積み木を組み上げてもあっという間に崩れ去って世界崩壊する。

このへんをちょっと考えてたんだよなあ。

まああんまり現実投影しても

実はあまり意味はないような映画なんだ

ということは薄々感じているか

こういう文章自体意味はないのかもしれない。

 

でもさ?

叔父世界継承を促されて

いや俺は自分世界に帰って友達百人作るべ、

って、それを断った主人公というのはいったい誰のことなんだろうな?

まあそもそも自伝的要素が強い映画といわれている。

であれば主人公宮崎少年投影されていたものであるはず。

というか物語の冒頭は完全にそうだった。

とするならこういう考え方もできる。

俺がもしも宮崎駿の息子だったとしても、

そして正当な「血族』だったとしても

スタジオジブリなんて絶対に継がなかったね。

と「血族」でもないのに石を継ごうとした吾郎に言っているようにも聞こえる。

つーか俺が吾郎だったら、そう受け取ってしまって苦悩するかもしれない。

anond:20230717015452

自分1人じゃないし、解釈とかじゃなくて戦争で母を失って始まって終戦して終わる映画なんだけどな。

作中に出てこないスタジオジブリがどうこうとか言ってる人らはなんなんだ。

2023-07-16

君たちはどう生きるか ネタばれあり・見たけど意味わからんかった人

追記

たくさん読んでくれて嬉しい。元は友人とのTwitterDMが下書きになっていて雑な文章から申し訳ない。なので以下、こちらの意図が伝わってないコメントに返す。

・この物語の各パーツ・キャラを現状のジブリメタファとする解釈はこの児童文学作品矮小化していると思う。あまり好きではない

→全く同意見で、書いた通り普段テクスト的に解釈するのが好きです。矮小化されてしまってるのもそうなので、これだけが「正解」だとは微塵も思ってないし書いた通り自信はない。今回は宮崎駿最後作品、って思いが自分に強すぎて作家周辺の解釈がまず出たのだと自己分析している。作品のもの解釈海燕さん他書いているのがよかった。

映画も見てないし原作も読んでないけど、なるほど(以下略)

→お前みたいなやつがいちばんダメ。観ろ。観ずになるほどすんな。


一般向けではないというけど、次世代へのバトン家族の話って極めて普遍的で、ジブリ宮崎駿のことを知らなくとも皆それぞれ自分物語を重ね合わせて見ることができる作品だと思うよ

→この辺りは宮崎駿自己言及普遍的テーマを重ねて両輪でやっている気はする。


・あの作品登場人物実在ジブリ周りの人物に置き換える読み方はわかるけど非常に下品だと思っているので、する人を否定はしないけど、それが正解だと言って押しつけたりする風潮にならなきゃいいなと思っている。

→おおむね同意見で、自分ホッテントリに上がったことが押し付け風潮の一助になるのは避けたい。作家論は作家論でしかないし、それは基本的に狭い解釈になってしまうから、「正解」ではない。ただ言葉遣いとして、この人が作家論を「下品」としているのは、なんというか令和だなぁと思った。


前半はまぁ、とりあえず置いておいた撒き餌みたいな稚拙解釈なので、「正解」ではありません。(一貫性形成願望をとりあえず満たしておくために書いた、と思って欲しい)

しろ、この作品は唯一解を求めたがることも含めた後知恵的な意味よりも、もっとプリミティブな意味を伝えようとする作品だと思います。だから自分感想本質は後半です。そこのところ言葉足らずだったみたい。



追記ここまで


初日に見に行って、いろいろ考えつつ見たが、たぶんほとんどの人が「意味わからん(けどジブリっぽくて面白い!)」ってなるやつだと思ったので、自分なりの考えを書いてみる。ちなみに全然自信はない(その理由最後に書く)


見た人の多くは、ラストにかけてのメインストリーラインがよくわかんねえとなると思うけど、同時に物語にいくつもの象徴比喩が込められていることも、なんとなく察すると思う。

個人的結論を先に書く。(自分普段テクスト論的に物語を読むのが好きなのだが、作家論としてこの作品が見えた。)

まず、内容で感じたのはセルフオマージュの多さ。「紅の豚」の死出飛行機葬列が海の船になったり、ハウルの泥の人形が殺生できない住人になったり。老人の描き方はジブリの各種キャラを思わせたり。

オマージュ元には特にトトロが印象に残るように思って、抜け道や森から出た暗がりの風とか、ワラワラとか、宮崎駿トトロ気に入ってたんやなと思わせた。まあワラワラ鈴木敏夫の入れ知恵な気もするし、観客へのサービスって感じかな。

そしてここから感じたのは、宮崎駿人生が細かく千切られ散りばめられてるということ。


ていうことで、物語の根幹と宮崎駿人生に準えてラストで明かされる物語の根幹をよんでみる。やっぱりラストについては大事だよな。

結論から書けば、空から降ってきた大岩宮崎駿の才能、ギフト宮崎駿は大叔父でありあの世界は宮崎駿によって作られた作品の集合でジブリのもの。その血を引く主人公宮崎吾朗や孫だと思われる。ただし、内面宮崎駿投影されていて二重のモデルがいる主人公になっている。駿はジブリを継いで欲しかったが、吾郎拒否した。ジブリは駿の引退宣言とともに崩壊して、皆それぞれの暮らしにもどった。端的に言えば、それら経緯への駿の内面告白、なんだと思う。つまりスタジオジブリ(と駿)のために作られた物語なんだと思っている。


昔。降って湧いた才能に取り込まれた駿は、作品世界から出なくなった(家庭を顧みなかったりしたんだろう)。そして世界創造に励み、海や森の美しいファンタジー世界と、ユーモラスで残酷な鳥に代表される多くの愛すべきキャラクターを生み出した。

時々挟まれた、大岩が怒ってるとか。あれは才能から来る作品へのこだわり、そこから発される憤怒なんだろうな。時々駿キレてたし。

ただ、老いてきた。積み木を重ねられなくなった。積み木を安定させることも苦労するようになった。だからこの世界ジブリ後継者を探して、館に主人公ら血族を引き寄せ始めた。(この辺りの傍迷惑さについての自覚が、人生を総括し始めた老境の駿らしい感じがする)

関係ないけど、インコの王は唯一宮崎駿に謁見できて最後世界ぶっ壊したし、たぶん鈴木敏夫なんだろうなと思う笑

そして物語ラスト吾郎ジブリを継ぐのを拒否し、焦ってしゃしゃり出た鈴木敏夫がぶっ壊してジブリ崩壊した。でもそれを受け入れて?(この表現は適切じゃないかも。ただ眺めて?)老兵は去る、ってことを、ラスト宮崎駿は表したかったのだと思う。

総じて、人生全体を眺めて、ある程度中立的感情も整理しながら、比喩的な物語人物に落とし込んだ。そして達人のアニメーションで、それが分からなくとも万人が楽しめる2時間にした。

主人公が、みずから頭を傷つけて、それを最後最後告白し、汚れているか自分は継げないとジブリ世襲拒否するシーン。

あれはなんかほんとに個人的事件が、駿や吾郎にあるんかなて感じもするけど。いずれにせよ、今まで子どもイノセントに描いた宮崎駿が、この主人公にはドロドロしたものを罪悪感と共に植え付けているのは、自身自分の子どもみたいな、客観的に見られないし理想化もできない存在としてマヒトを描いているんだと思う。そしてそれが「真の人」って名前なのが、正直な曝け出しなのかなって感じさせる。

でもここは、ちょっと未整理。

まあたぶんに一義的な狭苦しい解釈なんやけど、とりあえずここまでは言語化できた。


ただ、ここまでこうして書いた考察について、正直自信がないというか、こうして作品言語化されることを拒否している作品である、ということことを、作品を見ている最中からずっと感じてきていた。

個人的にはここから作品本質だと思っている。

子供のころからジブリ作品を見て、宮崎駿のひねくれた人物像も知ってるから、この作品は明らかに異質だとわかる。観客へのサービス配慮)が欠けている。

はっきり言って、一般向けではない。大衆子供映画を作ってきた宮崎駿ジブリは、今までこんな映画を作ったことがない。上記のような一応に意味の通る解釈自力でできる人間はとりあえずいいが、そういうことをしない人が圧倒的多数で、それが大衆なのだ。だから、今回のような、作品の展開の速さや密度抽象度の高い映画は、一般向けとは言えない。自分が見た初日夕方の回は平日なのにほぼ満員で、しかし上映終了後のほぼ全員がタヌキに化かされたような顔をみんなしていたぞ。(正直自分もそんな気持ちだったので笑えた)

しかし、ここでそれを鑑みても面白いのが、この作品の「面白さ」は皆が感じているらしいということだ。

そして、これと同時に、自分のような批評する目線映画を見る者は、それはそれで大衆客と別な側面で拒まれている気がした。何か見る者の賢しい批評を拒んでいるように感じた。

以下に、その理由を書く。自分感想としての本質はむしろこっちだ。言語化しづらいのだが、見た人にはなんとか伝わるように書くと

宮崎駿生理的表現がほんっとにうめぇな」

となる。

例えば、食事のほおばり方。たとえば、黙ってうつむく表情。たとえば、真人うそをつくときの顔。みんな圧倒的に生き物らしい。生命力を感じる。みんないびつで、あいくるしい。(カワンゴがお説教されたアレとは本当に真逆な、きわめて何か、生命に対する賛美を感じます

これらすべてが、芝居をしている。客に直接的な理解を与える。この人物感情や、物語における人物立ち位置(正しい方向かどうか)など。あらゆる情報を、言語での理解を超越して、身体的・ダイレクトに観客へ伝わる。

作劇のうまさや間の取り方、ちょっとした身のこなしや振る舞いの描き方。それらすべてがアニメーションなのに自然で、本当にほれぼれする。達人のアニメーションは今でも健在だし、それはスタジオポロックみたいなのにもマネできてない駿の達人技だと思う。

で、それらの生理的表現が今作で上げる最大の効果は「生理的感覚として、見る者に言語範囲外で意味を伝える」ことだと思う。

自分新海誠映画が昔から好きなのだが、新海誠が「星を追う子ども」でやりたがって、でも全然できなかったようなことを、中盤くらいまでで軽々と全部やり尽くして、更に塗り替えていったような印象が途中した。)

はっきり言って、中盤以降は物語テンポが速すぎて情報量も多すぎて、物語が何を表現しているのかまったくわからないし考える余裕もなく、何もかもを押し付けられていくだけのように感じるのだが、いち観客として言えば、作劇がうますぎてずっと楽しくて画面にずっと惹き寄せられたままで、一ミリの退屈もなく最後まで面白かった。作品が何を言いたいのか理解できねぇのにコレなのまじ意味わかんねぇ。ユーモア人物の芝居とテンポと心地よさとその他あらゆる作劇でずっと作品世界へ惹き寄せ続けるの、冷静に考えてすごすぎる。

理解として言えば、言語範囲外で生理的に伝わってこようとする情報が、最速で理解できる。だから理性で作品に好悪を判断つけたくても、生理的理解が先に面白さを伝えていて、判断を保留し、物語が表す「意味」が分からない気持ち悪さをいったんわきに置く(打ち消す、わけではないのもポイント

たまたま映画見る前に考えてたのが、美輪明宏のモロの演技や紅白ヨイトマケの唄なんだけど、あれもなんか、生理的に分からされる凄みがあるよな。あれと同質の、生理に訴えかけてくる理解が、この作品の全体にあった。

から意味深がセリフ物語上の「意味」として理解できなくても、なんとなくわかっちゃうわけ。ああ、「そういうふうに」感じてるんだなぁ、って。

自分が書いたものも含め、なんか色々考察とか出てくると思うんだけど、この作品に関して自分はもうそんなのに大した意味を感じていない。いや言葉説明することは俺も試みたと思うんだけど、そういった理解や「意味」は後からやってくるものであって、それより先にあるこの一次的な身体感触の強さが、現在進行する映画鑑賞の今、圧倒的な作品だった。肌感覚で腹の底から湧き上がる力強さは、言語理解拒否して圧倒する。そんなプリミティブさ。

プリミティブな、といえばものすごく情報量が少ないように感じられるかもしれないけれど、ただそこで言う「情報量」ってつまりキロバイト的な情報多寡しかなくて、生理的な質感や圧倒的な情報の圧が含まれてない。この作品はそういった生理的な質感や圧、すごみをもってして最後まで観客をエンターテインする作品だった。面白さが言語範囲外で生理的に伝わってこようとするんだよな。

「語り得ないことに関しては、沈黙せねばならない」という言葉があるけれど、宮崎駿言語で語りえないことを語れる。対して、自分たち観客は語れないが、しか生理的理解している。

自分最初考察意味を感じない、といったのは、考察の当たり外れよりも「こんな小賢しい考察なんぞしてんじゃねー」的なギルティ感覚がするからだ。賢しらぶってることが怒られそう。それこそ、宮崎駿に叱られるカワンゴみたいな、「意味」や思考の中だけに生きて現実に生きる生命を見ようとしていないと叱られている気が(これは完全に自分勝手感覚なのだが)する。強いて言えばそれが、本作のタイトルのごとく自分に突き付けられたお説教だったかもしれない。

一般には訳が分からなくてもいいし、読み解く材料も与えないし、理解されなくても面白くしなんか感覚的には伝わるでしょ?みたいな感じが、ただ壁を感じるし、見る人は選ぶと思う。ジブリ作品に壁を作ったことって今まであんまりないと思うんだけど、たぶん風立ちぬで少しやって、「あ、好きにやってもいいんだ」みたいなのを、それこそ庵野秀明エヴァから知ったんじゃねーかwみたいな気もしていて、そして老境にさしかかりジブリ崩壊を見ながら、いろいろなことを感じ考えながら職人芸ですべて盛り込んだのが今回の作品なんだと思った。だから一部の人批評感想特に老人の走馬灯とかボケたとかみたいなのには全く賛成できない。

2023-07-15

ちょ……マテよ

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