はてなキーワード: 永遠にとは
君と踊る、このリズムで
心が震え、音が響く
触れた指先から、感じる熱
この瞬間が、永遠に変わる
夜が深く、君と二人きり
君の息が、僕を引き寄せる
その温もりが胸を焦がし
この先、どこまで溶けていけるだろう
朝日が昇る、その時まで
君と共に歩む道を信じて
永遠に愛を誓うよ、今ここで
君と一緒に、未来を生きる
改革てw
例えば政府が1兆円規模の配布を行ったって、一億人に分配したら一人あたり1000円。
1000円もらって「俺は一気に豊かになったぞ!」とは思わないわけじゃん。
政府の施策とはそういうもので、規模は大きいが対象人数も大きいから割ってしまうと大した効果にならないわけ。
つまり、改革とやらで豊かになろう!と考えること自体が間違いで、
基本的には自分が豊かになるかどうかは自分の自助努力次第ってわけ。
でだ、自助努力をしない奴は永遠に貧困層から抜け出すことは無い。
たとえば先週の土日、どんな努力をしただろうか?
刑事告訴された場合、被害者と示談が成立しているかどうかで量刑が左右されるだろうし、
民事のトラブルでも「守秘義務を盛り込めば、バレずに済みますよね…?」とかアホウな期待をする加害者に
「いや、漏れると思ってください」と伝え続けるだろう
むしろ有名芸能人ほど今後も守秘義務のために示談結び続けたがると思うよ
つまり口封じに成功したんだ、だからすぐにはトラブルが露見しなかった
もし守秘義務のない第三者がばらさなければもしかすると永遠に秘密のままだったはずだ
・警察に逮捕されずに済んだ(被害者は警察への通報には消極的だったというが)
・どういう危害を加えたのか詳細を隠し通せたままにできる
というメリットを掴んだ
そして即座にスポンサーから1億どころじゃない違約金を請求されていたはずだ
トラブルはあったことが明るみに出ても詳細は伏せたままにしておける
示談金が高額だったと報道されたために実刑を免れない内容だったのではと噂されているが、
上手く立ち回れば逆に「実はもっと小さなトラブルだったが、被害者の方が退職されたため重く受け止め、できる限りを渡しただけ」というふうに持っていくことも可能だった
「本当はそんな大したことなかったんだけど、できる限りお詫びしたかったから」の誠実路線だ
世間は詳細は知らされないままだから、口八丁手八丁でいくらでも丸め込める
生まれてから30年が経った瞬間、お前にできることはもう、現状を所与のものとしてありのまま受け入れることだけ。
30歳になったくせにロクに仕事もできない。年収も低い。結婚もしてない。当然子どももいない。休日を無為にしか過ごせない。もはや友達すらいない。
そういう諸々の不足ごとに対して、お前に自虐する権利はもうない。
なぜなら自虐は、ただ若いからという理由で許されてるだけの逃げ方だから。
何かの拍子にお前の人生の弱点を突かれたとき、自虐でヘラヘラ逃げて、お前自身の人生の欠落が、「いつかは埋まるはずなんですけどね」みたいな態度をとることはもはやできない。
これから先、正論で斬られたとき、お前にできるのはただうなだれることだけ。
しょぼくれて肩を落とすことだけ。
それ以外選択肢はない。
お前がこれまで手に入れることができなかった、あるいは失ってきた人生の色々は、お前の人生にはもう永遠に充足されないものであって、それが埋まる「いつか」を担保に自虐することは、今後一切許されない。
だいたい、30歳のオッサンオバサンの自虐を聞かされる相手の身にもなってみろよ。
分かったら受け入れろ。拒否権はない。
受け入れろ。
分かったらもう二度と自虐をするな。考えるな。口にするな。
以上。
あっこれ永遠に
「お互い悪いかもしれないけどさあ、彼女さん腹を割って話しないの?それって悪いことだよね?」
「クロちゃんが鈍感で話を聞いてもらえない状況を作り続けられた?だから話すのを諦めた?
それをしなかったあなたのコミュニケーションに問題があるんじゃない?」
「クロちゃんもエゴを押し付けているかもしれないけど、あなたにはあなたで努力が足りてなかったよね?」
「なんでそんなに受け身なのかな?それが今回の破局の最大の原因だったと思わない?」
って続ける奴だ
何を言っても「でも、ちょっとは悪かったかもしれないけど、あなたにも責任はあるよね?」を無限に言い換え続けるやつ
彼女が黙るまで
みんなさ、ハーフって聞くと「いいなー」ってなるじゃん?それ、分からなくもないけど、正直言って憧れだけで語られるのはきつい。
私は弱者男性と人間のハーフなんだけど、これが結構大変でさ。まず茶化されるのが一番きつい。
「お前、なんか特別な能力持ってるんだろ?」とか「人間じゃないんでしょ?」とかさ。冗談で言ってるつもりなんだろうけど、こっちからしたら何回も言われると本当に傷つくんだよね。
ハーフの特権みたいに思われてる「永遠の命」だけど、これがまた辛いんだわ。
確かに年老いることはないし、体力も落ちない。でもさ、その分、周りの人たちはどんどんいなくなるんだよ。友達も家族も、みんな自分を置いて先に行っちゃう。
永遠に生きられるって聞こえはいいけど、ずっと孤独でいる覚悟が必要なんだよね。そんなの、誰だって耐えられるわけじゃない。
あとさ、「生命の実分けてよ」とか軽く言う人いるけど、正直ムカつく。
生命の実は、弱者男性たちが苦しみの果てに手に入れたものなんだよ。それを知らずに「ちょっと分けて」とか言うのは無神経すぎる。
仮に分けたとしても、その人も永遠の命の重さに耐えられるの?って思う。みんな「いいなー」って軽く考えすぎだよ。
よく聞かれるのが「お前の固有能力って何?」って話。まあ、弱者男性と人間のハーフだから特殊な能力はあるよ。私の場合、アンチマターを扱えるのと、未来を予知する力がある。
でもさ、アンチマターなんて現実世界じゃほぼ使う場面ないし、予知なんて苦痛でしかない。未来が分かるって、みんな便利そうって思うでしょ?でも、知っててもどうしようもない運命を変えられないことがほとんどなんだよ。これがどれだけ辛いか、想像つく?
結局、ハーフって外から見るほど楽なものじゃない。みんなが「いいな」って言う分、辛さとか孤独を分かってもらえないのが本当にしんどい。
だから、ハーフに憧れるのもいいけど、その裏にある大変さもちゃんと知ってほしいんだよね。私みたいに苦しむ覚悟があるなら、それもありかもしれないけど…。
結論から言うと学歴が高いこととFXで勝てることとの間は負の相関があるからである。これは高学歴が無能だとか言いたいわけではなく、彼らはおおむね有能なのだけれどFXには絶望的に向いていない、というだけの話だ。以下、なぜ高学歴がFXで勝てないのかを述べていくことにする。
高学歴は公式が大好きであり、「AならばB」といった法則を至上のものとする。しかしながらFXにおいては「普段はAならばBでいいんだけど今回は織り込んでいたのでCでした」「織り込んでいたら普段はAならばCでいいんだけど織り込みが甘くてDでした」「トランプが何か喋ったからEになりました」「よくわからんけどFでした」といった理不尽な展開が頻発する。そもそも、例えば「利確千人力」と「利益は伸ばせ」といった矛盾する2つの格言が両立している時点で意味不明である。高学歴が得意とする「公式を習得し、そこから演繹的に結論を導いていく」という世界とは全く異なるルールで動いているのだが、過去の成功体験を捨てられない者が多い。
一説には東大生の4人に1人は発達障害であると言われている。この特性はFXにおいて明確に不利に働く。
ASDの有する「頑固であり、決まったルールを過度に順守する」性質は柔軟性が大事なFXにおいては致命的である。彼らはトレンドが変わったにもかかわらず過去のトレンドに固執して永遠に金を吐き出すことになるであろう。もちろん、「シンプルな優位性を発見してそれを無限に繰り返す」という方向で上手く活かせればこの特性は活きるかもしれないが、「シンプルな優位性」の賞味期限が多くの場合短いのがネックである。
ADHDはより深刻である。なぜなら彼らは常に刺激に飢えているがゆえにポジションを取り過ぎるためである。公式のないFXにおける数少ない黄金律「ポジポジ病はやめろ(無暗にポジションを取るな)」との相性があまりにも悪すぎる。高知能ADHDでFX勝てる人っているのだろうか。もしいるのであればどうやって勝てるようになったのか教えて欲しい。
損切りをしない勝ち組は存在しない。ところが高学歴は過度な負けず嫌いであるため損切りが苦手である。「トータルで勝つためにここは負けを受け入れる」という風に考えられれば良く、彼らも理屈は理解しているだろうが、苦手意識を払拭するのは簡単なことではないだろう。
FXは勉強や労働とは異なり、1時間稼働したから1時間の恩恵が得られるという類のものではない。しかし彼らは投下したリソースに対する恩恵を求める(得られる恩恵を想定してリソースの投下先を考える)傾向がある。結果として、恩恵を確定するために利確が早くなってしまい、コツコツドカンの道を歩むことになる。
「相場をずっと監視し、予想もするが、ポジションは滅多に取らない」これはFXが上手い人たちに共通する特徴の一つである。ところが高学歴は無駄な時間が嫌いである(実際は無駄な時間ではないのだが)。結果として、相場をただ監視し続けることに耐えられず、期待値の低い場面で過剰にポジションを取ってしまい、損失を重ねる。
もちろん上記の弱点を克服できた高学歴もいるだろうが、多くの場合ではそもそもFXで勝つことを諦めた方がいいと思う。シンプルに向いていない。冒頭にも書いたが彼らはFX以外ではおおむね有能なのだから、その能力を生かして労働して高い給与をもらい、雑にインデックス投資でもやるのが最善と思われる。
それでもどうしても勝ちたいという人は自動売買botでも開発すればいいんじゃないかな。裁量よりそっちの方が向いてると思う。
姉が90年代からずっと稲垣吾郎の大ファンで、SMAPのコンテンツは一般の人よりはたぶんよく見ていた。コンサートにも行った。
3年前。SMAPの曲が聴きたいな~とふと思って、なんとなくYouTubeを探した。いくつか再生した。
すると数日後、「徹子の部屋」の中居氏のゲスト出演回の映像が流れてきた。30代後半、映画の撮影のために坊主にしていた頃だ。
ぶったまげた。腰を抜かした。おそろしく綺麗な顔をしていた。
そこからすべてを漁りだした。
恐ろしいくらいにコンテンツがあった。バラエティも歌もドラマもあるし、ほとんど垂れ流しみたいな生放送もある。3年の間に相当漁って観たけど、トータルの5分の1くらいしか観られていないんじゃないかと思う。SMAPのなかでも露出回数は圧倒的に多いだろう。10代から50代始めまで、生きて動いている姿が、こんなにも映像で記録された人ってこの世に他にいないんじゃないか?
ファンの中には30年以上かけてそれらのコンテンツのほぼ全てを視聴してきたような猛者もたくさんいて、それもヤバいなと思った。
人類史上例のないくらいに撮られまくってきた1人の人間と、それをウォッチしてきた何万人(?)もの人びと。推し活とか、ここ10年くらいで出てきた概念じゃもはや説明できない。社会実験的とさえいえる。
そういう状況だと、ファンは文字通り家族の顔より彼の顔をよく見ているわけで、つまり画面越しでも当人のコンディションとか結構わかってしまう。ちょっと今日は調子悪そうだなとか。そして往々にしてそれは当たっている。ファンはしょせん、その人の本当の顔は知らないとか言われるし、このたび起きた事件を振り返ってもそれはまったく正しいんだけど、一方で晒している部分はやっぱりめちゃくちゃ晒しているし、生き物である以上は「見えてしまう」ことは避けられない側面もある。
中居くんの顔はとても綺麗だ。そしてこの人の人生やべえ、というのがこの3年の感想だ。
私自身はしょせんにわかなので、そういう特異な世界の一員になるところまでは行けなかった。
直近の事件も、何だかわりと常識的な失望をしてしまって、そこまで強くは取り乱さなかった。(この文章を書いている程度には心が揺れているわけだが)
ただ、人生を通してここまで徹底的に晒されてきた人が今日からそうでなくなったこと、ファンがひとりの生を凝視するのを突如やめさせられたこと、この人類史上まれにみる営みが終了したことについては、いろいろ思うところがある。もったいない、って言葉が正しいのかわからないけど。中居正広はファンの目を離れて残りの生を生きていき、ファンは観る対象を永遠に失って残りの生を生きていくんだなあ。壮絶な別離だ。推しに依存するのはよくない云々とか、したり顔で論じている人がいるけども、そういう次元をちょっと超えているよな。
先輩の話に相槌を打つのがつらい!
例えば、先輩に「暑い〜汗かく〜」って言われて、「暑いですね」って返そうとすると、私のターンの「暑」の時点で「うん」って言われるわけ
「暑い〜汗かく〜」
「暑「うん」
みたいな!!
最近はほぼ全部「そうですねー」にしてるけど「そ」の時点で「うん」なのでもう何の言葉発しても意味ねー
その遮られて「うん」って言われるのが何度も続くと、もう壁に向かって喋っててくれ!と思うわ
だってどうせ返事聞いてないなら壁と話してるのとおんなじだからね
あと夕飯の話
夕飯何作ろうか迷ってる、何にしようかな、考えるのがめんどくさいって話
やっと、これは悩んでるって気持ちを聞いてほしいだけで解決は求めてないって気づきましたよ。ようやく。
一緒になって真剣に頭悩ませて、餃子はどうですか?とか言ってるのマジでバカだった
先輩の冷蔵庫や今までのメニューを考慮して私が提案した献立は全て違うなー違うなーと言われていた。今まで私が一生懸命考えてきたレパートリーを給食の栄養士にでも提供したいよ
「何にしようかなーめんどくさっ!」「ウフフ🤭」「昨日は何々作ってー、今日は何にしようー」「ウフフ🤭」みたいな
そんなわけで、そうですねとウフフ🤭のローテーションで出来上がった私の相槌が徐々に精神を蝕んでいる。
ただ相槌を打つだけのロボットと化した私
特に得るもんもない会話
話聞く意味なさすぎ
豆知識に「そうですね」って返しても「そ」の時点で「うん」って言われるのかな
豆知識だとしたら、ウフフ🤭の方が適切かな
企業と世論をつなぐ、という点における田端信太郎さんのコミュニケーション能力について考えていました。
私自身、清濁併せ呑む覚悟で起業をした経験があり、スタートアップの世界で知り合った方々の中には上場をしたりして公的な経営者にステージを移した人もいます。
一方で、まだ日の目を見ていないだけの不祥事が常に身近にあります。
一応は民主主義であり、インターネット等が伸び続けている今ではきっと不祥事はもう隠すことはできないのだろう、と思うのです。
どうせ隠せないのであれば、どうやって不時着させるのかを考える方向で力を使うのが次善の策でしょう。
もちろん、そもそも不祥事を起こさないということが第一原則であることは言うまでもありませんが、今も世界の何処かで不祥事は既に隠されているのです。
どうせ負けるならば、きれいに負けさせてくれる人に撤退戦の戦略をお願いした方がいいのではないか。
そんな事を考えながら、色々と書き綴っていたらうっかり8,000文字を超える原稿ができてしまいました。
自分語りがなるべく出ないように気をつけましたが、シンプルに一言で言い切る力が欠如していたため、歴史の話や別の方のブログ記事の話に派生してしまいました。
誰かと話し合いたいですが、皆それぞれ立場が違うと業界内では話せないこともあるため、生まれてきた文章の供養も兼ねて、ここに投稿させてください。
もし最後まで読んでくれる人がいたら嬉しいですが、長いです。
ぜひ端折って読んでください。
それでは。
10年以上前のはてなブログで、ある起業家の方がリクルートホールディングス代表取締役社長兼CEO出木場久征さんの発言を紹介した記事がある。
しかし、ここで語られている内容は今まさに湾岸で起きている革命の本質をついているようではないか。
記事によれば、
「世界は、落下してるんだ」
「本来あるべき方向に向かって、世界は凄い勢いで落下してるんだ」
「色んな既得権益持った人たちが抵抗勢力になって邪魔するんだけど、それは重力に逆らうようなもので、あんまり意味ないんだよ だって世界が落っこちていくスピードの方が圧倒的に早いから」
「だからさ、その落下する方向を俺たちは見定めて先に落下してくべきなんだよ」
「だってどうせ落下してくんだからさ 先に向かった方が絶対いいんだよ」
「俺たちがやらなくたって誰かがやるぜ?だって、そもそも落下してるんだから」
どうも、海沿いの特徴的な建物がおぼろげながら浮かんでこないだろうか。
湾岸やインターネットを主戦場とする現在の状況について考えてみよう。
重力に逆らって世界の落下に抵抗している勢力は勿論オールドメディアの権力者の諸兄のことだろう。
数千万円の口止め料もとい解決金を支払ったと報道された国民的タレントの方も当然権力者側だ。(報道をされたこと自体は事実だ。ただし、中身が正しいのかは当事者以外はわからない。念の為)
過去の栄光を踏まれれば、とんでもない落下だ。ただし彼の凋落ですらイントロに過ぎず、週刊誌が、影響力のあるインフルエンサーや経営者の皆さんが、あるいは匿名で事件情報を拡散するXアカウントが、日夜を問わず権力側の秘密に切り込んでいる。
おそらく先の報道には直接関係がないが、権力者側として同一視されている人物やその関係者の秘密まで芋づる式に暴露されている。
きっと今は芸能人を叩くのが最も効率よく注目を集める方法なのだ。
一方で、どうせ落下している世界へ向かっていち早く進んでいる人は誰なのか。
わざわざ人目につくことなく、こっそりと先に進んでいる方はおそらく少なくないだろう。
そして当然ながら私ごときではひっそりと先に進んでいる方が誰か知る事はできていない。
インターネット上に出ている情報だけで判断できる、落下後の世界を見据えて先に動いている人は誰なのか。
私見で恐縮だが、田端信太郎さんと堀江貴文さんを挙げさせていただきたい。
まず2名に共通することがある。
田端さんも堀江さんも、不祥事について週刊誌で報道された上場会社の株を空売りするのではなく購入している。
昨今、修羅の世界と化したXでは日々どこの誰かもわからない経営者の不祥事が暴かれている。
本来家庭の問題である不倫や、実際には被害届が受理されていないような刑事事件の疑惑ですら大衆による私刑の口実となってしまう時代である。
そうした時代であるからか、週刊誌そのものが批判されることも珍しくない。
1. 撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、という指摘
3. 週刊誌のせいで、大衆にレイプ的な私刑に遭う、という指摘
1と2については、概ね正義があるように思える。(特に2については、おそらく大問題だ)
ただし1については言うだけ虚しい指摘でもある。
無責任な大衆、とりわけ取るべき責任を取ることができない無敵の人に、責任をとれといっても話は永遠に平行線だ。
3についても、一見筋は通っているように聞こえる。ただし私の見聞きする範囲に限った話では、3の方向性で批判している経営者の方が「絶対に人に知られたくない弱み」を抱えた人物である傾向があるように思える。
あくまで比喩であり誇張した表現ではあるが、「自分がレイプした事実を週刊誌に暴露されたせいでレイプ的な私刑に遭う可能性に怒っている人間」を前にしたときに、私たちがすべきことは週刊誌への批判に付き合うことではなく、出頭を勧めることであるはずだ。対照が人ではなく法人であり、特に上場企業であれば不祥事はしっかり公開するのが基本であり王道である。
また邪悪ではない方も3の論調になることがあるが、それはそれで無邪気すぎるか現実が見えていないと言わざるを得ない。
経営者の皆様が大好きなキングダムで描かれるような絶対権力者、帝王の時代は、既に移り変わっている。
民主主義も、インターネットも、権力を分散する世界の落下であると言えるだろう。
権力の分散が、権力の集中よりも安全だろうが、一方で数多くの小帝王を生じうる(意訳)という問題については山本七平さんの‘帝王学「貞観政要」の読み方’という著作の端書きをご参照いただきたい。
(以下、引用です。日経新聞社の方、問題があればご指摘いただければ削除します。)
複雑な現代社会ではあらゆる所に「生殺与奪」の権を握る公的なないしは私的な権力をもつ小帝王を生じうる。人事権、許認可権、それにまつわる賄賂や情実、それらが新聞記事などになると私はときどき、「ウーム、こういう人のもつ権力は、行使しうる範囲が昔の帝王より狭いというだけで、その権力の強さは昔の帝王以上かも知れないな」と思わざるを得ない。
同じく皆様大好き鬼滅の刃で冨岡義勇が生殺与奪の権を他人に握らせるなと主人公を一喝するのが33年後の2016年だと考えると、どれほど早くに書かれた文章か実感いただけるだろう。
尚、この文章は現代で最も大きな権力を握っているのは「大衆」かも知れない。という論調で続いていく。
群集心理に則り、責任を追わないで済む人間が自制心を失うこと。自制心を失った大衆が権力を握り帝王になってしまうと、人類史上最大の暴君を生むのではないか、という危惧は今日を生きる人間ですら目を背けている問題であるように思う。
山本七平さんの世の中を見渡す力が、私達より優れていることに疑いはない。
しかし33年前、すでに誰かが知っていたことであるのも事実だ。
1.撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、という指摘
先の引用だけでも1と3の指摘が不十分である、ということわかるはずだ。(というか、わかってほしい。)
権力分散の時代に生きていなかったら、起業家にも経営者にもなれていないかも知れないと我が身を振り返るくらいの想像力を持っていたいし持っていてほしい。権力をもつ人には、特にそうあってほしい。市民感覚に共感するかはさておき、上記のような想像料が欠けている方は突破力に優れる場合はある一方で、コンプライアンスの問題で一発退場となるリスクも持っているだろう。
不倫などは勝手にしてくれれば結構と個人的には考えるが、そもそも最初からやらなければいいのに、という話でしかない。仮にやってしまったのであれば、謝るべき相手にしっかり謝るしかない。隠すから余計ややこしくなり、隠すから週刊誌の格好のネタになってしまう。
だいぶ前置きが長くなってしまったが、このようなバランス感覚に優れているのが田端信太郎さんであり、堀江貴文さんであるように思うのだ。
念の為補足だが、私は二人と私的な関係にはない。当然に、仮に匿名でなかったとしても共通の知人こそ大量にいてもお二人は私のことを知らない。それくらい実力差がある筆者であることを許していただけるなら、この後も読んでいただけると嬉しい。
X上でアクティビスト投資家というイメージを固めつつある、田端信太郎さんを過去のいわゆる総会屋と重ね合わせて批判する論調も極稀に確認してはいる。
総会屋は企業に利益供与を求める行為は「利益供与要求罪」と呼ばれ、会社法で禁止されていることも疑いの余地はない。
だが、当然田端信太郎さんがこのことを知らないわけもない。
また当然、やるはずもなければ必要もない。
時に激しいレスバを見ると、田端さんの発言の強さだけを切り取って反論する人間が生まれることも理解はできるのだが、少なくともインターネット上で田端さんが誰かに利益供与を求めている場面を見たことがある人はいないのではないか。(あるいは、見たことはあっても非インターネット的な人間関係を前提としたお笑いのネタなのではないか)。
今回の騒動においても、不祥事を隠している会社の株を買っているだけなのである。
売っているのではなく、買っているのだ。
空売りもその意味においては「高く売っておいて、後で安く買う。その間は人に株を借りる」だけのことである。
業務上、知り得た企業の非公開情報を使って売買をすれば当然ルール違反だろうが、今回もおそらく不祥事を週刊誌報道で知ってから株を購入しているように見える。
また、影響力をもつ田端さん自身や田端さんの周囲の人たちが「株を買う」事自体をニュースにして、株価を釣り上げて株を売り抜けていれば問題があるが、これも当然田端さんがご存知でないはずがない。(ネット上の買い煽りアカウントが捕まらないのは、本人が実は株を持っていないということもあるのだとか)。
価値がある(あるいは時間をかければ価値が増える)ものを先回りして見抜き、買う。
この極めて単純かつ本質的なことを実行しているだけにしか見えない。
正しいことを正しい、と言うだけ。
間違っていることを間違っている、と言うだけ。
正しいか、間違っているのか、必ずしも断定できないときには疑問を投げかけるだけ。
人が言いたくないことや、空気を読んで言わないことであっても、言っていいことは言うだけ。
一方で、言ってはいけないことは言わないだけ。
すべて、秘密でもなんでもない、誰でも一度はどこかで学んでいる話だ。
知識よりもその運用が難しく、当たり前を当たり前に実行してきたからこそ田端さんのここまでのキャリアがあるのだろうと想像している。
このバランス感覚をもつ過程で、大半の人は撃たれる覚悟がないから撃たないという判断になる傾向があると思う。田端さんも当然そんな事はわかっていて、前線で発信をし続けているのだろう。
堀江貴文さんに至っては、テレビ局を買収するという前代未聞の挑戦をしたのがもう既に20年も前のことである。
30代の筆者にとっては、学生時代に見ていたニュースの中心にいた当時の堀江さんの年齢が32歳だということが衝撃だ。
先に登場させていただいたリクルートホールディングスの出木場さん(現在49歳)の世界は落下しているという話も既に15年ほど前の話だとすると、自分と対して年齢の変わらなかった当時の先人たちのレベルの高さには恐れ入る。
ただしこれはこれで、問題なのかも知れない。
先見の明がありすぎる人間が描いている未来(あるいは現実)を一般大衆は理解できないのだ。
理解できないからこそ、権力者が巧みに世論を動かしてしまえば挑戦者は負けてしまうのかもしれない。
既に世論の後押しを得ている(あるいはかつて得ていた)から既得権益なのだ。
20年前に堀江さんがテレビ局を買っていれば(あるいは、買えていれば)、おそらく国民的タレントの凋落は見なくて済んだと思う。
知りたくもない他人の性癖を想像しなくて済んだはずだし、きっと被害者とされる人が逆に貶められるような論調になることもなかったはずだし、数万字に及ぶエッセイも書かなくてよかったに違いない。
あるいは、その創作力を別の形で使えていたに違いない。
私が起業する時に、周囲の人間に「堀江さんみたいになってしまうから危険だ」と言われることもきっとなかっただろう。
当時このような心配をいただいた方々には敢えて直接連絡することもないが今ここで答え合わせをさせていただきたい。
私は一切堀江貴文さんのようにはなっていない。
それは単純にレベルが違うからである。誰もが太刀打ちできない権力者に32歳で挑むことは少なくともできなかったし、そんなチャンスも可能性も先見性も度胸もなかった。
今では逆に長年土俵際で耐えているだけの私を見た祖母に「堀江さんも復活しているのだから、あなたも時間をかけて焦らず頑張りなさい」と励まされる始末だ。
「あなたはどちらかと言えば堀江さん側ではなく、女性を献上する側になってしまいそうだから、そういうことをやっているなら今すぐやめなさい。ビジネスマンはお座敷でも真剣勝負だけど、まずは仕事での貢献が第一前提だよ」と笑いながら祖母に言われてしまうレベルであることも付け加えておく。
生身の堀江さんをお見かけして、余計に自分との距離を感じてしまっている限界起業家の私としては、なぜあそこまで優秀な堀江さんが一人で勝手に成功する道を選ばないのか不思議だ。
正しいことは、正しいと言うべきだけども、言わなくても生きていける。
間違っていることを間違っている、と言うべきだけど、言わなくても生きていける。
世界が落下している、と堀江さんは言わないかも知れないが。きっと在るべき姿や向かうべき未来はきっと浮かんでいるだろう。
わざわざ未来の話をしても、変化を嫌う既得権益側の方々に目をつけられて反感を買うだけだ。反感を買うだけならまだいい。実害もあるはずだし、それでも人目につく場所で発言をしているのはなぜなのだろう、と自分よりも遥かにレベルの高い人の思考を辿っても辿れるわけがないのだが、一つだけ仮説がある。
考えなくてもいい、人の気持ちをわざわざ考えたりはしないかもしれないけど、聡明な方だからどうしても気がついてしまうのではないか。
無責任な大衆にもかまってあげる必要も義理もないのだが、かまってあげるのが不思議だった。
無敵の人に対してわざわざ「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」というようなことはしないが、無視もしない。
こじつけかもしれないが、「撃っていい覚悟を本当にするのは大変だよ」ということを見せてくれているのではないか。ルルーシュのように「だからそもそも撃つべきではなかった」と諦めるわけでもなく、戦うべきときがあれば既得権益が相手であってもまた闘ってくれるのではないか。
堀江さんが見た未来が、今の状況とは違ったはずだということはわかる。
最近、ショート動画を見てるとgizmodeで「地球も遠くから見たら過去が見れる?」というのが回ってきた。
https://youtube.com/shorts/21_Wyx8lf-Q?si=Z2nJitg72KSz1X2G
端的に言えば、「すごーく遠くから地球を見ると、光が届くのが遅いから、過去の地球が見れる」と。
俺が会ったことのないような江戸や明治のご先祖さまが生きた姿も、途方もなく遠くから見れば、観ることが出来るのかと。
そして、「俺が死んだあと、数十年もすれば自分の存在を覚えてる人もいなくなり、無かったかのようになるんだな」なんて思っていたが、何億光年先の世界から見れば俺の今生きている姿が見れるんだなと。
その1→https://anond.hatelabo.jp/20250120181528
だが改めて読んでみると元増田の書き込みはかなり問題がある類のものなので指摘する。
まず、世田谷=リベラルという思い込みはどこから来ているのだ?これは「世田谷自然左翼」@めいろま等に影響されたものではないのか?だとしたらかなり愚かだ。彼女は数年前まで「日本はクソ、国際的感覚が無い」とアジっていた出羽の守の自称国連職員(バイト)でルサンチマンで教導する天才のようなものだ。天才すぎて暴動扇動の流布に加わってしまい、国外追放に怯えて投稿を全削除していたくらいだ。
住民エゴではあるが都市計画などで自分の不動産が影響を受ける際に反対するのは当然の権利だ。勿論公共事業であればそれも限度があるが、その要求は計画の進捗によって変化するし温度差も変わってくる。
その辺り勘案する事も無く一律に「反対運動」一面で塗りつぶした認識でいる事に奇異の念を抱く。奇異と言ったが、ネットではそれが普通で判らない事=平板なルサンチマンをぶつけていいものとされてしまう。だからネット議論なんかに惑けていると何も知らない幼稚な人格になってしまうのだ。数千万円の財産と子供の転校が掛かってくるというようなことを念頭に考えているのだろうか?
元増田の文は「反省するリベラル」の構文になっている。「自分はリベラルだが」と前置きしてリベラル批判をするという体だ。
この構文は以前はかなり大量に増田に投稿されていた。だがその多くは削除されている。
これはその文章に問題があるというのではなくて、他の投稿文がまずくてアカウントごと削除されたと推測される。同時期に弱男系の男vs.女、男逆差別、ウヨサヨの何れも対立煽り、暇アノン系名誉棄損などの投稿が消えていたからだ。つまり現実との接点も無しに対立煽りするのが大量投稿されていて同じアカウントがその一つとして反省するリベラル構文を何度も投稿していたという事である。
元増田はこれらを見て釣られて「反省するリベラル」という主体で書いたのではないか?
そもそも小田急沿線の複々線工事反対がリベラル運動というのが意味不明な筋書である。だがここに「世田谷自然左翼」「反省するリベラル構文」を投じると余りに廚な筋が通ってしまう。どこ見てんだよ元増田。「オーバーヒートした」と整備工場に車持ってきた客の前でドアを触って「冷たいですよ」と言ってるみたいな事してるぞ。
元増田は文章によると20代のようだが、見ている場所が致命的に悪いと思う。
制度や社会情勢を参照したり収用や地上げの経験(他人のものも含む)を参照すべきところでネットの底辺の平板な共通認識を参照している。言っておくが、その状態を続けると他の人が嫌でも経験して認識に蓄積するものを何も蓄積せずに、「何だコイツ」と思われるような30代40代になるぞ。はてなに結構いるだろそういうの。
私鉄の複々線化=特々積立金は取っ掛かりになる情報だが他の事でもそう言うのが一切無いままで居てしまうのだ。そしてそういうユーザーに対してはネットは永遠に「そのままでいい」と言い続ける。
増田の思考の中心には「リベラルは社会的な羈束に拘らずに思考行動するもの」「それを批判する自分はメタ的な視点を持つ」という思い込みがあるのを指摘しておく。その自分は単に自分の「想像上のリベラル」の上に立っているだけだ。反成長である。だから自分の考えが取るべき現実との接点を取っていない事に気が付かない。
どうしよう私もとてもフロムゲー好きなんだけど、それを打ち明けるかどうか
エルデンリングのことを1日中考えているようなこともあるくらいフロムゲーは好きなんだけど、問題は私はゲームが病的に下手なんだ
エルデンリングも死ぬほど下手で、純魔ビルドにして脳死魔法ぶっぱでなんとか本編はクリアした
DLCの神獣獅子舞で永遠に積んでる 先は実況で見た 愛の戦士くんが好きだ
きっと好きな人は愛の戦士くんみたいに裸でもマレニアに近距離で勝てるような人なんだ きっとそうだ
それにフロムゲー好きな女なんて絶対に信用されない どうせAC6ラスティの夢女子なんでしょ?(笑)って思われるにきまってる 夢女子にもなるだろ……悲しい……ずっとウォルターの621でいたいんだわん
でもフロムゲー好きな女はきっとダメだ え、女?(笑)ってされるんだ
どうぶつの森が好きだょ~ って言ってるのがお似合いなんだ
いっしょにマルチしたいとも思えない 魔術の地をやるくらいがせいぜいだ そもそもマルチこわくてしたことないし
新作はマルチ特化みたいだけどいよいよ私はなにもできないんだろうな
ある日、友達と話してたら「○○ちゃんってちょっと普通じゃないよね」って言われた。その時は笑って流したけど、夜になってからその言葉がじわじわ効いてきた。普通じゃないって、何だろう?悪いことなのかな?って。
高校生の頃、みんなが進学を目指してる中で「大学なんて行かなくても生きていける」って思ってた私。結局、夢を追いかけて専門学校に行ったけど、就職活動では散々だった。志望動機を聞かれても、「好きだから」以上の言葉が出てこなくて、どこも内定をくれなかった。親には「だから普通にしろって言ったのに」って言われて、初めて自分の選択が間違ってたのかなって思った。
社会人になってもトラブルは尽きない。会社では周りの空気を読めなくて「変わり者」扱いされるし、飲み会に行かないと「協調性がない」って陰口を言われる。仕事でも、自分のやり方を優先して怒られたこともある。「普通にしてればいいのに」って言葉を何度も聞いたけど、普通にする方法なんて知らない。
正直、しんどい。人間関係も仕事もうまくいかないことが多いし、失敗するたびに「自分が間違ってるんだ、"普通"じゃないせいなんだ」って思ってしまう。
でも、じゃあ今から"普通"になれるのかと言われたら、多分無理なんだろうな。変わり者としてしか生きられない自分がいて、"普通"の幸せからは永遠に遠いんだと思う。そんな風に考えると、なんだかもう何を目指して生きればいいのか、わからなくなる。
きっと、このまま「普通じゃない人生」を続けていくんだろうけど、その先に何があるのか、想像するのも怖い。私はこのままどうなっていくんだろう。