はてなキーワード: 成功者とは
成功者の凋落の理由が女なのに、成功の秘訣が女嫌いだという結論なのめちゃくちゃバカでオモロイ。
例えるなら「山頂で滑落しないための心得」を「坂道の楽な登り方」として紹介するようなもん。
ほっしぞらーのーしーたーのディースターン
って書いたら削除して逃亡して書き直してた
アルフィーや!ってとこだろ笑
https://anond.hatelabo.jp/20250130134335
男は脳をセックスに支配されてるから、穴があるというだけの相手に血迷ってとっ捕まったり自滅する
芸能界やその周辺をうろついてる女はどんなアホでもきっちりや芸能人やセレブや高身長を選別して選ぶ
チンポだけは皆平等についてるにも関わらず
🎭✨芸能🌋💨 界は👑💀 プロデュース魔†・ 怪しき事務所長老🦠・ ビッグ大物タレ太郎🎤💥 などが、 「すべてを掴むァ!!!」と叫びし 新人豆粒💨 や 立場弱弱😵💫 な者を🕸️ 絡め捕り縛れり🕷️ しやすき構造🌪️
- 人間(?)、権力を 「掴ミシ者🦵」 となりし時……🌀「声なき者、無に等し」🌀 の法則発動⁉️
- 「ルール? ワシを縛るモノなし🗿🔥」という 特権意識(👁️🗨️暴走ver) が暴れ回る。
- スキャン🌪️💥 ダルが爆発しても、 「無問題(モウマンタイ)」 …⁉️ 「揉み消せし者、神なり」 🤷♂️💦 「相手?? 反撃? 出来ぬ(笑)」 💀💀💀💀
「悪行なれど無敵」 👿💸 「長年のタブー化」 🧷🤐
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- 被害者🐑💨を 「ひれ伏せし」 せること。
- 「NO? 知らぬ❗️ 拒絶? それが快楽」
「権力×人格変容」✖️ 幼少期のトラウマ 🌫️🌀 =「破滅的欲求の増幅💥」
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ヒト🐒💨 も含む動物界🌍🔥、
「優れし遺伝子求む本能」 あり‼️ …だが、それ即「暴力否定」ナシ⁉️ 👀💢
「むしろ逆!!」🌀👊
- 「支配こそ最適解🧠💀」
- 「敗者は踏み潰される、それが世の理」 😵💫
→ 支配者🐲 「すべては手中にあり」 ✋🔥
🧠ヒトは理性を持つ??🤣💀
- 「結果…暴力が牙を剥く💢」 🩸
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「大手事務所🕸️」「劇団💀」…🌀 すべての権限は👑頂点に集中💥
- 「下積みの沼🌊」 で もがく者、沈む者、消える者 😵💫
- 「見えざる掟」=「外部など無意味❗️」 👁️🗨️💢
- 「すべては、闇のベール🕶️🕳️の中」
- 「🦷粉砕💥長時間労働🛠️」
- 「華やかさ✨🤩」 ⇄ 「血と涙の犠牲🩸💀」
「Takarazuka問題も、その一端に過ぎぬ…」 😵💫🌪️
「己を魅せよ‼️👁️✨」
- 「一部の狂気が、全体を呑み込む…」 🌪️🌪️🌪️
- 「大多数?…無力な群れ🐑💨」
「止める者など、いない……」
💀「長く権力を握る👑💀」 → 「批判されぬ👂💢」 → 「麻痺🌀」
- 「俺様ルール📜👊」発動‼️
- 「裁かれる⁉️ そんなこと、あるワケない」 🧠💥
- 「捕まる?😆 フッ、馬鹿な」
- 「合意?要らぬ💀💢」
- 「服従、それが美💋」
- 「黙る者、多し💀📉」
- 「そして本人は……"大丈夫、俺は無敵👑"」 💀🔥
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→ 〈権力ピラミッド👑🗿〉×〈監視のカーテン🎭🕸️〉×〈自己愛モンスター🦠💥増殖地帯〉= 加害の楽園🌪️🔥
→ 「スター👑に非ずは、沈め👁️🗨️💀」
→ 「闇のベール、解けぬままに……」
→ 「ビジネス?利益?関係なし‼️ ワレ、神に在り👁️🗨️🔥」
→ 魅力=守る?💋いや、違う💀
→ 「だが、力を持てば…リミッター解除🛠️💥」
🌀個人の心理バグ💀✖️閉鎖された競争地獄🔥✖️社会の黙殺📢= 「永劫回帰💀🚀」
「スターとは?💀💋」「光の裏にある影👁️🗨️🌑」
「透明化⁉️🩸💀それは可能なのか…?」
氷河期世代ってさ、パッと聞いたら「めっちゃ不幸じゃん」って思われがちだけど、底辺にとってはむしろ幸運だよね。
だってさ、自分の人生うまくいかないのを「時代が悪かったせい」って言い訳できるんだよ?
ほら、「私が底辺なのは時代が悪いだけ!」って開き直れるわけよ。
それって楽だよね。
「時代さえ違ってたら勝ち組だったし!」って胸張って言えちゃう。
実際には証明しようがないけど、言ったもん勝ちじゃん?
未来の自分を勝手に「もしも成功者」みたいに妄想できるのって、ある意味ポジティブだよね。
それに、これって自分を美化するのにちょうどいいんだよね。
「俺の才能、氷河期世代のせいで埋もれちゃったわ~」とか言えるわけでしょ?
なんか、自分の欠点とか努力不足も全部「環境が悪かった」で片付けられるの、めっちゃ都合良くない?
周りから同情もされるかもだしさ。
正直、氷河期世代ってこの他責思考っぷりがちょっと異常じゃない?
なんでもかんでも時代のせいにしちゃうの、見ててちょっと笑えるっていうか。
何時まで「国が悪い」「社会が悪い」「女が悪い」って他責し続ける気なんだよ。
10年もたったらゆとりが叩かれるだけだと思う
氷河期はまだ30代だったから、完全にバブルや戦後世代の被害者という立ち位置だった
結局、その時40~50前半くらいの年代が中心に叩かれる、その年代が実際に権力あるし目立つからな
女子アナの商品化といえば1990年代末ごろ、雑誌BUBKAは極北だったな。
帯番組でレギュラーもってる女子アナの写真を1ヶ月分並べて、「顔がむくんでる…おそらくこの日は生理!」とか書き散らす「女子アナ月経カレンダー」っていう人気企画があったんだよ。
俺たちはそれをゲラゲラ笑って、バカだねー、とかいって楽しんでた。本気で読んでたやつも中にはいたかもね。でもまあ、「ひぇー、こんなばかみたいな企画まじめにやってるよ、終わってんなー、ゲラゲラ」というトーン狙いだったんじゃないかな。読者も主にはそういう理解だったと思うんだけど。あれですよ、悪趣味ブームですよ。いや、いい時代だったな。
もちろん企画はクソ中のクソだが、同時に、BUBKA読者なんて社会の底辺で悪趣味するしかない一方で、女子アナはすでに成功者&さらにのし上がるクソ気が強いやつらだから、こんなドブの中のクズ企画で女子アナが傷つくはずがない、とも思ってもいた。
まあなんか、女子アナとか権力の象徴で、テレビ局性接待とかはそういうカースト上位の中の権力闘争だと思ってたから、隔世の感があるねえ。
中卒の成功者なんてたくさんいるだろ
ソース: https://www.rikuraku.net/tyuusotsu-syatyou/
はいろんぱっぱ
コイントス。それは偶然性に身を委ねる、ある意味残酷な儀式。表が出れば天国、すなわち一億円という巨万の富がその手に転がり込む。しかし、裏が出れば地獄、容赦なく一億円の負債がその肩に重くのしかかる。まさに天と地、光と闇を分ける一瞬。
表が出た者は高らかに宣言する。「俺は成功者だ」と。その言葉はSNSを駆け巡り、メディアに取り上げられ、瞬く間に成功の象徴として祭り上げられる。彼らは成功談を語り、自らの才覚を誇示し、聴衆はそれを賞賛する。あたかも彼らの成功が、努力と才能のみによって築き上げられたものであるかのように。
しかし、裏が出た者はどうだろうか。彼らの声はどこにも届かない。彼らの苦悩は誰にも知られない。彼らは社会の片隅でひっそりと姿を消し、その存在は歴史の闇に葬られる。彼らがどのような経験をし、何を考え、どのように苦しんだのか、記録されることはない。成功者の陰で、無数の敗者が沈黙を強いられている。
この残酷なまでのコントラスト。表が出た者だけが成功者として称えられ、裏が出た者は存在すら抹消される。あたかも最初から存在しなかったかのように。これが現実なのだ。偶然によって人生を大きく左右されながら、あたかもそれが必然であったかのように語られる。成功の裏には、常に無数の敗者がいる。その事実を決して忘れてはならない。
https://anond.hatelabo.jp/20250105165945
上の記事を読んで、ドワンゴの中の人として糸柳で思い出したこと、彼を雇ったドワンゴがどんな会社だったのかを書いてみようと思う。
糸柳を雇ったのは、ドワンゴのエンジニアのトップだったS君だ。ここでは鉄男(仮名)と呼ぶことにする。
糸柳を雇う少し前、僕は鉄男を叱責したことがある。「お前は自分の使いやすい人間しか採用してない。だからてめえは小物なんだ。自分にない能力をもった奴を採用しろ」みたいなことを言った。
鉄男は中卒だ。そう、ドワンゴのエンジニアのトップは中卒だった。いや、鉄男だけでなく、ドワンゴの幹部エンジニアの半分以上は中卒、あるいは高卒だった。
これは当たり前で、当時のドワンゴは天才エンジニアみたいなやつがゴロゴロいる職場だった。同じ天才エンジニアなら、高校も大学も行かずにずっとプログラミングをやっている中卒エンジニアが一番能力が高くなる。プログラムを書く速度が圧倒的に速い。実装力が桁違いだ。
だから、ドワンゴでは中卒高卒エンジニアが情報学部を出たような大卒エンジニアを見下す風潮があって、ぼくはそれを懸念していた。
天才中卒エンジニアは創業メンバーみたいな連中だけで、新卒で入ってきて補充されるようなことはない。インターネットはUNIXの文化で、ようするに大学などのアカデミックな世界からやってきた技術だ。
ドワンゴもコンピュータサイエンスを学んだ大卒エンジニア中心に変えていかないと将来的には戦えないと、ぼくは危機感をもっていた。
だが、ドワンゴでは実装力でエンジニアの格を判断する文化があって、そういう基準で新卒の採用も行われすぎているとぼくは思っていた。
自分にない能力をもったエンジニアを採用しろと鉄男を叱ったのは、個人技ではないチーム開発、スクラッチから全部自前でコードを書くんじゃなくて、世の中にあるライブラリを活用してソフトウェアを組み上げていくのに長けているような、つまりは今後主流になっていくだろうが、これまでの鉄男やドワンゴのスタンスとは違うエンジニアをイヤかもしれないけど積極的に採用しろ、という意味だ。
しかし、なにを勘違いしたのか、鉄男が連れてきたのが糸柳だった。
ぼくに叱責されて反省し、使いやすい社員じゃなく、圧倒的に使いづらいネットでも有名な頭のおかしい問題児を採用したのだという。
「凄いというわけではないですが・・・、まあ、ふつう、ぐらいですかね」
「ふつうで問題あったら普通以下ってことじゃん。なんで採用すんだよ」
ドワンゴはプログラミングの能力が高ければ、メンヘラだろうが、コミュ障だろうが、性格に問題があろうが、もちろん学歴があろうがなかろうが、採用するという方針だった。
これはベンチャー企業だと、そういう難ありの人間でないと優秀なエンジニアなんて採用できなかったからで、なにも難ありを好き好んでいるわけではない。
難ありはプラスじゃない。難ありでも優秀な社員であれば結果的に得をするから雇っているだけだ。
鉄男は自信ありげに答えた。
「ドワンゴの評判が上がります。いえ、世の中全部で上がるわけではないですが、ネットの中の一部で糸柳を雇うなんてドワンゴはなんて懐の深い会社だという評判になります」
「それってかなり偏ったネットの一部だよね。それって本当に得なのかな?」
ぼくは鉄男とその後もしばらく話したが、どうしても糸柳を雇いたいというので、その怪しげな理屈を一応は信じてみることにした。ただ、会社は慈善事業じゃないから、宣伝だけのために頭のおかしい社員を雇うわけにはいかない。ちゃんと普通のエンジニアとして仕事をさせることを条件として糸柳を雇うことを了承した。ちなみにぼくはドワンゴで糸柳を庇っている側の人間と思われていることが多いと思うが実際は違う。鉄男には早く糸柳はクビにしろとよく言っていた。ぼくが庇ったのは糸柳を庇おうとしているドワンゴ社員の気持ちであって、結果的に糸柳を庇うように見えてただけだ。
糸柳は本当に頭がおかしかったが、とにかく普通の社員として扱う、そう決めた。
例えば、当時、糸柳は毎日、twitterに世の中の全ての人間を自分は憎んでいて滅んでしまえとか、なんかおどろおどろしい呪いの言葉を連投して書き込むのが日課だった。
そういう書き込みを見かけたら「おはよー。今日も元気そうじゃん」とレスをつけることにした。返事はなかったが、やがて呪いのツイートは減っていった。糸柳と仲のいい社員から後から聞いたけど、彼はぼくのつけたレスを、さすがだと喜んでいたらしい。
糸柳の数々の奇行はどうせ構って欲しいだけの拗らせだと思っていたので無視して、興味も持たないことにした。なので、よくは知らない。ただ、文章が上手いのは本当だと思ったので、それだけ褒めた。彼は自分は昭和初期の私生活を晒す系の純文学者みたいな文章しか書けないんだと謙遜しながらも嬉しそうだった。
糸柳はドワンゴに入って自分の居場所と幸せを手に入れた。しかし、それはとても不安定なものだった。
糸柳にとって不幸だったのは当時のドワンゴのエンジニアの中では、彼の能力が足りてなかったことだと思う。少なくとも彼はドワンゴで技術力でマウントが取れないと判断したのだと思う。実際のところはともかく、彼が組織で仕事として安定したアウトプットを出すと言うことに向いてなかったのは間違いない。
だから、糸柳は自分がドワンゴに入れたのは、自分が狂っているからだという妄想にしがみつくことになり、一層の奇行に走った。
糸柳の周りの社員から聞いたところによると、ドワンゴ時代の糸柳は年に1回のペースで失踪し、警察から連絡があったという。定期的に暴れて、物を壊したり、他人に迷惑をかけた。会社の階段の壁を殴って穴を開けたのも彼だという。
また、糸柳を雇ったことで、ドワンゴに変な奴の応募が増えた。変だけど優秀な奴の応募もあったが、それ以上に、自分には能力ないですけどメンヘラです、とか謎のアピールをするような応募が増えた。糸柳の周りにはドワンゴの中でも変な社員が集まってきて、いろいろ変なことを始めた。
彼らは頼んでもいないのに糸柳の周辺の近況報告をぼくに教えたがった。
曰く、ネットでニートが集まって共同生活をするギークハウスという企画が話題になったことがあり、彼がいろいろ現代アートみたいなことをやりはじめて話題になり、テレビでも特集された。そこでニートとして紹介されたメンバーのうち半分は糸柳周辺のドワンゴ社員だった。ドワンゴ社員はニートじゃねーだろ。そして彼らが作った現代アートを村上隆が面白がって高額で買い取ってくれた。それらはガラクタの寄せ集めみたいな物なんだが、その中にある冷蔵庫の中身は糸柳が作ったものだ、等々。
糸柳は自分をドワンゴに救ってもらったという感謝の念から、自分も他の誰かを救いたがった。ある日、糸柳が地方から出てきて食べるものがないとネットカフェで呟いていた高校生を拾ってきた。
これは糸柳だけでなくドワンゴエンジニアの多くにいえる特徴だが、人生の進路に悩んでいる若者への助言はワンパターンだ。「なるほど、よくわかった。お前はプログラミングを覚えてエンジニアになれ」。プログラミングの腕だけあれば人生が変えるという神話を信じているのだ。
ネットカフェで拾ってきた高校生はドワンゴのバイトになり、優秀だったのでやがてエンジニアとして正社員になった。
しかし、糸柳は上野で浮浪者を拾ってきて自分の部屋に住まわせ始める。浮浪者がプログラミングを覚えてエンジニアになったという話は聞かなかった。
代わりに浮浪者の一人に女の子がいて、糸柳が恋をしたという話を聞いた。
糸柳に救われた元高校生のエンジニアが糸柳のためを思って、その恋を止めようとしたが、糸柳は逆上し殺害予告をした。糸柳は本当に刃物とかを振り回して実行しかねないので、元高校生をぼくの長野の別荘に匿った。
糸柳はぼくのところに怒鳴り込んできた。ぼくも糸柳と揉み合いになり怒鳴り返した。
半年後、もう大丈夫だから、そろそろ戻ってこいと長野に見に行くと元高校生は彼女を連れ込んで同棲していた。早く会社に戻れと追い出した。
そうこうしているうちに運命の東日本大震災が起こる。糸柳が悪ふざけで、サーバールームに閉じ込められたので助けてくれとかいう、デマツイートをして日本中のネットユーザーが彼のツイートを拡散するという事件が起こる。
冗談だったという事実が分かると、彼はあっという間にパブリックエネミーとなり猛烈な批判にさらされることになった。糸柳の脆い精神は極めて不安定になった。
ぼくは糸柳に金を渡して、すぐに被災地に支援物資を持ってボランティアに行けと言った。そして被災地に支援に行くことは絶対にネットで書くな。言い訳に使うなと厳命した。同時に、ぼくは絶対にネットでは会社の件で謝罪をしないというポリシーでTwitterを使っていたが、この件で、はじめて会社を代表して糸柳の代わりに謝罪をした。
こんなことで糸柳を辞めさせるわけにはいかないと思った。糸柳がやったのはただの悪ふざけだ。こんなので辞めさせるんだったら、糸柳はとっくに100回ぐらいはクビになっている。なんだかんだいって糸柳を雇ったのは善いことをしようとしたからで、そのためにこれまで散々な苦労をしてきたんだろう。糸柳を非難するネット世論からよく思われたいために糸柳をクビにするとしても、それはよく思われたいだけで善ではない。偽善だ。善とはそもそも人知れずにやるものだし、なんなら世界中から非難されても正しいと思うことを貫くことだ。今回の件では、糸柳はクビにしないと社内で宣言した。
しかし、もともと糸柳の存在を心良く思ってなかった人間は社内に多く、批判の声も大きかった。糸柳はドワンゴのエンジニアとして平均的なパフォーマンスを出していない。宣伝効果があるとか言っていたけど、デマツイートの件で、むしろマイナスの宣伝効果になった。糸柳はもう庇えないんじゃないか。理屈としては正しかった。
糸柳の代わりに自分がその分もっと働くからクビにしないでくれという社員が何人も現れた。そういうことを言って守ろうとする社員がいるのであれば、会社としてはやっぱり守るべきだという新しい理屈を、ぼくは社内に宣言した。
しかし糸柳の精神状態は不安定になっていて、仕事のパフォーマンスは出ないばかりか、周りに迷惑をかけ始めた。糸柳を守ろうとした社員が、糸柳の世話をするうちに次々とメンタルをやられ始めた。
もう糸柳を守る理屈はなかった。1人の社員を守るために2人以上の社員が犠牲になるなら、もう会社としては守れない。ぼくは最後の理屈を社内に宣言した。
糸柳が退職した時、鉄男は泣いていた。ぼくは「これに懲りちゃダメだ。もう、一回やろう」と鉄男に言った。「これで僕らが諦めたら、糸柳みたいな人間に関わるなという前例を世の中に残すことになる。そんなことになったら、僕らのこれまでの努力は無駄になるじゃん。絶対に懲りちゃダメだ。何度でもやろう」
鉄男は「正直、自信がない。でもやってみます」と言った。
しかし、その後、中卒の鉄男はドワンゴに増えた大卒エンジニアたちの突き上げにあって、エンジニアのトップを追われた。ドワンゴも大卒の優秀なエンジニアが中心の会社になった。その後、糸柳のような人間を雇ったという話は聞かない。
1年後だか2年後だか、風の噂で糸柳が真面目にエンジニアとして働いていてしかも優秀だという話を聞いた。なんだと思った。ドワンゴ以外ではやっていけないんじゃないかという、僕らの思い込みは傲慢な思い違いだったんだと思った。ドワンゴで奇人変人を無理に演じるより、そんなことでは許してもらえない実社会の荒波に揉まれた方が結局は良かったんだなと思った。
糸柳がよく言っていたのは、自分は糸柳家のエリートだ、という話だ。聞くところによると家族は全て精神病患者で自殺したり入院したりで、糸柳自身も障害者手帳を持っている精神病患者ではあるものの、ちゃんとまともに社会生活を送っているただ一人の人間なのだという。だから、自分は糸柳家に珍しく生まれたエリートなんだと自慢していた。
人間は誰しも与えられた環境で勝負している。遺伝子だったり家庭環境だったり、所属するコミュニティや経済的制約の中で生きていて、それによって人生の選択肢は決まってくる。
世の中の多くの失敗者と呼ばれる人たちは人生の最初からウルトラハードモードのゲームをプレイしているだけであって、彼らの失敗をイージーモードやノーマルモードのゲームプレイヤーが見下したり笑ったりする資格が本当にあるのだろうか。
ぼくにも子供が出来て思うのは、小さい子は全ての瞬間を一生懸命に生きているということだ。その健気な姿に感動するし、誇らしくなる。一生懸命に生きるということこそ、人間のもっとも美しい本来の姿ではないか。
人生をもっとも一生懸命に生きている人間とは、どういう人なのか?それは大谷翔平でもイーロンマスクでもないと思う。彼らは成功者であり、彼らの一生懸命は成功によって報われていて、本人の自覚としては、それほど苦労した努力をしているわけではないのではないかと思う。
生涯を一生懸命に生きている人とは、一生懸命に生きざるを得ないような人たちであり、それはいくら努力しても認められず、仲間はずれにされ、敗者の烙印を押されて、それでもなお生きようと足掻きながら死んでいくような人たち、なんなら自ら命を断つような人たちの中に存在しているに決まっていると、ぼくは思う。
冒頭のドワンゴ以降の糸柳の人生についての記事を読んだが、それでも糸柳は最後まで与えられた過酷な人生の中で一生懸命に戦って立派に死んでいったとぼくは思う。そして僕たちもドワンゴで短い間ではあるが糸柳に対して一生懸命に向き合った。それは良い思い出というにはいくばくかの悲しみを伴う思い出ではあるが、大切な思い出だ。
おしまい。合掌。