はてなキーワード: ロッキンオンとは
おかげでその辺りはよく知らないが、結果的に良かったなと思っている。
まずロッキンオンの「ロッキンオン好みのもの以外はこき下ろして嘲笑う」のが無理になった。好きだったバンドをアイドル扱いしてほぼ完全無視していたのと、産業ロックとバカにしていたのにブラーだのオアシスだのブリット・ポップの流行りを追いかけては煽ってるのを見て「これは酷い」と思ってしまった。
そしてフリッパーズ・ギターはじめ渋谷系の「オシャレじゃなければサブカルじゃない」「わかんねー奴はダサいし鈍い」仕草がどうしても苦手だった。好きだったネオアコもオシャレアイテム扱いされているように見えて、90年前後からのものは聞かなくなってしまった。
逆にバリバリ影響されとるやんけ、と言われると全くその通りでぐうの音も出ないのだが。
最近になり渋谷陽一(昨年倒れられましたが…)のラジオで、彼が昔一顧だにしなかったバンドをさも昔から評価していましたよ、という態度で紹介しているのを聞いたり、90年代サブカルノリの冷笑主義、鬼畜系みたいなのがよく話題になっているのを見ると、傾倒しなくて良かったと思う。いじめは嫌い、と言おうものなら「いじめられっ子」とバカにされるようなサブカル空間が嫌いだったけど、そんな界隈にハマらなくてよかった。
以前にどこかで読んだが、例えば英語で "Stop!" と言うセリフ。
男が言うと翻訳は「やめろ!」と命令形になるが、女が言うと翻訳は「やめて!」と懇願口調になりやすいという話。あと「やめなさい」という丁寧語にもなりがち。女の方が丁寧に言うことが多い、という通念があるからだろうか。女が命令形で喋ると「乱暴だ」「無礼だ」と言われがちなので丁寧語で話すのが身についてるということもある。のび太のくせに生意気だ現象。
ここまでは前置きで、自分でもどう考えていいのかわからないことがある。NHKFM、土曜夜9時「ワールドロックナウ」の渋谷陽一氏の歌詞朗読コーナーについてである。
元ロッキンオン編集長の渋谷氏の番組で世界(というてもほぼ英米)のロック中心に紹介する番組である。冒頭15分くらいは新譜出たばかりのミュージシャンを紹介するのだが、渋谷氏が歌詞を朗読して紹介することが多い。
で、この歌詞翻訳がもうバキバキの役割語なのである。女性ボーカル曲なら「私〜」「〜なの」「〜なんだわ」という調子。
いくらなんでも過剰過ぎないか〜?といつも思ってしまうわけだが、これは男性で老齢の渋谷氏が読み上げるからそう思うのだろうか?と考えてわからなくなる。
しかし今から思えば、ロック雑誌の翻訳は役割語が過剰だった気がするのだが、当時(90年代)はどこもそんなもんだったのだろうか?今でもそうなのだろうか?
…と思って今ネットをチラ見してきた。ロッキンオンはインタビュー翻訳記事が見つからん(検索10秒。諦めが良い)。ローリング・ストーン誌のウェットレッグインタビューでは役割語は抑え気味だが、彼女たちの個性のせいかもしれない。VOGUE誌のビリー・アイリッシュインタビュー記事では、アイリッシュ以外にも色んな人が彼女について語っていて役割語はかなりはっきりしている。アイリッシュの父親が「彼女のファンが言いそうなこと」を語る場面ではしっかり女言葉になっていて、女性ファンの話なのだな、とわかる。(しかし原文読むとファンの性別は書いてないのだ。別に男が女言葉使ってもいいのだが。女の役割語使うのは女だと解釈するのが普通だろう。あるいは関西弁なのかもしれない。絶対にちゃうやろけど。)
各雑誌で翻訳の役割語具合調べるのも面白そうやなと思ったけど面倒くさいので誰かに託すわ。オホホホ(関西弁のお嬢様)。チャウチャウちゃうんちゃう。
リアム・ギャラガーの「Better Days」って曲のPVがYouTubeでサジェストされたから見て見たんだけど、結構好きだった。ここのところ歌モノというか洋楽ロックというか、ロッキンオン的なものというか、そういう音楽から距離があるなーと思っていたんだけど。すんなりと聞けて、少し元気になる感じ。夏が来るな、今年も夏が来てしまうな、そうしていつの間にか夏も終わってしまうだろうな、みたいな予感。どうせ夏がきてもただ暑いだけだし、たいして外にも出かけずに、夕焼けだけがやけに記憶に残るような、そんないつもの夏が来るな。でもやっぱり少し楽しみになってしまう、そんな気分。なんとなくそんな曲だった。
Beatlesのルーフトップコンサートをバリバリ意識した映像も、なんというか憧れをストレートに形にしたんだろうな、いい歳してんのにロマンチストだなって感じもするし、でも悪い気はしないというか、まだ夢を見てもいいのかもな、と思わせられるような。そんな感じ。
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
雑誌のインタビュー全文についてはググっても見当たらないので、下記のブログ記事に引用されている原文抜粋からの解釈になる。
いじめられていたとされる村田さんにバックドロップしたエピソードが出てくる。
その中で、突然現れた先輩が村田さんを洗濯紐でグルグルに縛ってオナニーさせたので、小山田はその先輩の行動を見てヤバイと思ったと語っている。
なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。
世間ではあたかも小山田が「全裸にして紐でグルグルに巻いてオナニーさせた」かのように拡散されているのだが、やったのは先輩。
そして小山田は先輩と一緒になってやったわけではない。逆にその先輩の行為を見て引いていた。
そしてこの村田さんについては、後に定時制の高校へ通いパチンコ屋で働いていたとは書いてあるが、
村田さんが障害者とはどこにも書いてないし、原文抜粋だけではわからない。
「ウンコ食わせた」については、確かに冒頭で小山田が発言している。
うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ
ただ、上記以外で小山田自身が障害者にうんこを食わせたという描写は見当たらず、
悪ノリで誇張して話していた可能性も否めない。(もしくは編集サイドが盛っている)
実際あったのであれば、それこそいじめのえぐさをアピールするために詳細を語るはず。
痛いニュース(ノ∀`) : 【悲報】小山田圭吾さん、障害者の息子と母親が一生懸命書いた年賀状を雑誌に晒して笑い物にしてしまう - ライブドアブログ
この年賀状の送り主である沢田さんについては、実際に雑誌インタビュアーが沢田さんへ会いに行くエピソードが綴られている。
「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」と答え、
沢田さん自身は「小山田さんとは、仲良かったですか?」と訪ねられると、「ウン」と回答している。
もし、実際に小山田と沢田さんがいじめっ子いじめられっ子の関係であれば、このような受け答え方をするだろうか?
仮に小山田が我が息子をいじめていたと考えているのであれば、怒りのあまり息子をこの場に同席させるようなことはしないだろう。
つまり、沢田さんとお母さんは小山田にいじめられていたという認識は無かったと考えるのが自然。
そして、この年賀状には「手紙ありがとう」と書かれていることから、小山田は以前に沢田さんへ手紙を送っていたと思われる。
さらに雑誌掲載当時の小山田は26歳だと考えられるが、鬼畜であるはずの彼がその年齢まで年賀状を大切に保管するだろうか。
小山田自身も沢田さんをいじめていたという自覚がなかったと考える方が自然ではないだろうか?
そして最後に、このブログ記事にはコメント機能がついており、過去に下記のような投稿も残っている。
さえ
いじめ話がロッキンオンに掲載された時は、編集アホかと思った。小山田氏をずっと好きだったのでショックだったけど、ただ私が昔行っていたコーネリアスのライブには毎回車椅子の重度の障害の方が見にきていて、必ず小山田氏はその人の前でギターを弾いていた。長いこと。まるでその人のためだけにというように。羨ましかったのを覚えています。ほんとの彼は根っこは優しくていい人だと思う。ひねくれていたのが魅力だったのもあり、彼はちょっとおもしろおかしく過激な表現をしたがるきらいがありますから。とにかく、活字にして載せたロッキンオンが馬鹿
「小山田」が「障害者」を「全裸にしてウンコ食わせてバックドロップした」というのはミスリードである。
インタビュー記事について、本人は悪ふざけの延長でやってしまい、おそらく雑誌記者の誇張もあるだろう。
もちろん嬉々として語る様は悪趣味であり、それについて擁護するつもりはない。
本人も認めているようにいじめていた事実や障害者を軽視した発言は避難されて当然だ。
だが、原文も確認せずメディアのミスリードに煽られるがままに激昂し、あまりにも冷静さを欠いた集団リンチも見ていて気分が悪い。
それどころか、被害者の年賀状を晒すような痛いニュースの記事を咎めるものもいなければ、
何故いじめが起きてしまうのか、今後どうしたらいじめが無くなるのかについて建設的な方向で議論しようとする人もいない。
あれロックインジャパン側が、「県医師会が悪い!」って大きな矢印出してヘイトを向ける事で止める為のコストを節約しているように見える。
県医師会って開業医の任意加入団体に過ぎないから、あんな強制力のない勧告無視して、協力してくれる医療体制を作れる病院とか医者とかを用立てれば済む話だったと思うし。県医師会に頼りっきりなら、逆にちゃんと火種はつぶしておかないとダメでしょ。根回ししてなかったんじゃない?
県医師会って別にロッキンオンの保護者でも何でも無いから「音楽聞いて、酒飲んで騒いで大声出して県外から人がたくさん集まられちゃ困るな」って思ったから出したまででしょうに。ロックインジャパンのお守は県医師会の仕事じゃないよ。自分たちと違う考えで動くステイクスホルダーがほかにいるって事を理解してないんじゃないか?
まさにその90年代にミスチル、スピッツ、ユニコーン、槇原敬之などをリアルタイムで受容した世代の者です
「90年代のJ-ROCKアーティストは反体制っぽい発言でメディアを喜ばせた」との事ですが
J-ROCK誌No.1の売上のロッキンオンJAPANの常連アーティスト(エレカシなど)ですら反体制っぽい発言は見たことがありません
ブルーハーツが反原発っぽい歌を出してましたが直後のアルバムで反原発運動をバカにする曲を入れており
それでもロッキンオンなどではロックの代表扱いのまま今に至ります
*電気グルーヴはAとVOXXXをリアルタイムで買った程度。ピエール瀧はバラエティのひな壇に出ているのを
おい。電気グルーヴやピエール瀧が好きで作品に罪がないとか自粛批判、罪より治療とかいうのはいいが、
判決後にピエール瀧に仕事を作ってやれ。バーニングやらレプロとトラブったのとはわけが違うんだし
仕事くらい作れるだろ。
まずはロッキンオン。今すぐ20000字インタビューのオファーを出せ。古い話だがbuck-tick
今井がLSDで捕まった時にもインタビューを取っただろ。電気グルーヴの連載まで持っていただから
インタビューくらい屁でもないだろ。載せたら俺は買うぞ。あとフェスにも出せ。
ついでに柴、宇野、鹿野、タナソウもだ。どうせ冷笑気味に怒ってるんだろうが、musicaでインタビューに加えて
連載を持たせろ。あとイベントにも出せ。
今回の件は業界ファンが結構いて反応が大きかったから反発されている面もあることは否定できない(いわゆる
かわいそうランキングの上位だから同情されただろ)。でもあんたらにとってピエール瀧は変えの利かないような
才能を持っているんだろ。なら意地でもそれをつぶすな。案件上自己破産もできないんだぞ。
もう紙切れ程度のきれいごとは十分わかった。判決後でかまないから何としても仕事をつくってやれ。なきゃ
治療もままならないぞ。
どちらを選びますか?
Mr.Children BUMP OF CHICKEN 椎名林檎 RADWIMPS 米津玄師 サカナクション SEKAI NO OWARI
One ok Rock UVERWORLD ASIAN KUNG-FU GENERATION フジファブリック クリープハイプ
ムーンライダーズ 少年ナイフ 曽我部恵一 ホフディラン ボアダムス キリンジ 小島麻由美 朝日美穂
Alfred beach sandal ミーマイモー 高橋翔(昆虫キッズ) cero 前野健太 シャムキャッツ おにんこ
The Collectors スピッツ THE YELLOW MONKEY 坂本慎太郎(ゆらゆら帝国) くるり ゲスの極み乙女
http://www.amazon.co.jp/Everything-I-Long-Hayden/dp/B00005YPEY
こいつ。
ロッキンオンでは和田ラヂオが「ヘ~イデン!(変身!)」つってヘイデンになるってマンガ書いたし、クロスビートでは名盤に物申すのコーナーで感情的に歌ってるけけど底が浅ぇよなんてケナされてた。名盤だったんだ、その頃は。
池に少女が落ちて溺死した事件とか、鼻にピーナッツ入れたら取れなくなった事を歌にして、アコギ弾きながらダミ声で歌うという。
で、忘れ去られた上に名前がありふれ過ぎて検索しても出てこないという。
ソウル・コフィングとかクロスビートのディスクレビューで一位だったのになかった事になってるし。
あとデ・ラ・ソウルとかペイヴメントとか、すげー影響あったのに日本だと無名なのはなんで?
超映画批評に限らんけど。女二人が「めっちゃ泣きましたー!」言ってるCMとか、ロッキンオンの長文の方のディスクレビューとか、風俗の無料紹介所くらい胡散臭い
批評とか感想なら(中身のない罵倒や絶賛を除いて)それが曲解や電波でも、映画を読んだ一人一人の自由な考えだから間違いじゃないいつも答えはひとつじゃない「愛してる」と君が言う口先だけだとしてもたまらなく嬉しくなるから。それに色々な評論を読んでいろんな角度から君を見てきたその全てが愛しくて作品理解を深めたり、「違う違う、そうじゃ、そうじゃない」とツッコミ入れるのも楽しみ方の一つ。
ただ、点数低い(評判悪い)から見ないとか、点数高い!見にいく!とかはよくない。スマステやネガキャンに流されてるだけかも。面白い映画が見たいならチャップリンとかエドウッドとか、評価が定まった古典作品を見ればいい。
週ファミのクロスレビューでも、点数より採点者一人一人のコメントや点数を付けた理由とかが大事だったはず。
だから絶賛されてたり好評価でも、お仕事でやってるだけかもよ?と疑ってかかるべき。でも胡散臭い採点ならそのうち誰も相手にしなくなるから別にいいか。
最近微妙にはてな界隈が毒親関係の話題で盛り上がっている気がする。
「家族を捨てることにした。」
http://anond.hatelabo.jp/20140416141321
http://tigtig8.hatenablog.com/entry/2014/04/02/182519
「親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係」
http://anond.hatelabo.jp/20140402111648
私自身、毒親育ちなのでこれらの記事を興味深く読んで、そのうち何か描ければなあ・・・
などと思っていた時にアニマルの連載で読んだ「三月のライオン」がトラウマものの毒親話だったので描く。
まあネタバレというほどのものではないけど単行本派の方はスルーしていただければ幸いです。
さていまさら三月のライオンについて私なんぞが語る必要もないとは思いますが、読んでもいない人の為にものすごい端折ってあらすじを説明すると
両親を亡くした桐山零は父親の友人でプロ棋士の幸田の家に引き取られ、期待に応えるために将棋の腕を磨き続けプロ棋士になる。一方で幸田家の本来の子供である香子と歩は零に自分達が到底及ばない事に気づき挫折し、香子は家を出て、歩はひきこもりになり家庭は崩壊する。
罪悪感を覚えた零は幸田家を出て、一人暮らしを始めるが、すでに将棋に対する動機を失っていた。
そんな彼は近所の川本家や多くの人々との関わりにより少しずつ将棋に対する思いを取り戻して行く・・・
というストーリー。
よくある動機を失った天才がそれを取り戻し、凡人どもを駆逐していくというお話ですな。
曽田正人の昴、松本大洋のピンポン、最近だと四月は君の嘘、とか。
それはさておき幸田家の話に移る。
幸田家はプロ棋士の父親(作中ではそれなりに強いがタイトルに絡めるような存在ではないように描写されている)、見合いで結婚した主婦である幸田母と将棋を学ぶ二人の子供、香子と歩で構成されていた。
率直に言えば世間知らずで価値観が将棋の強さ以外ない視野狭窄な父親、同じく世間知らずだが気が弱く、夫のような自分自身の価値観がなく、父親の追従者でしかない母親が両親であったわけだ。
それでも子供たちは父親同様に将棋を愛し、家族は円満に運営されていた。
彼は将棋しか価値観がない父親にとってその歪んだ価値観を補強してくれる、理想的な子供であり、また引き取られた負い目から家事なども率先してこなす母親にとっても理想の「いい子」でだった。
それ以来この二人はこう思い続ける「なんでうちの子供はこうじゃなかったんだろうか?」と。
ここらへんまではいままで発行された単行本の中でも語られていた話だが、今回はそれが母親の視点から語られている。
零はとても「いい子」なのに、なんで自分の子供はそうならなかったのか?と感じ続け、零が家を出たとき心底ほっとしたこと、
歩が将棋ができなくなり、「努力できるのも才能だ」といい投げ出した時に、父が冷笑して見捨てた事(この時の父の表情がもの凄い)。
そして自分はそういう芸道の世界は理解できないけど、ごはんを作って家族を待ち続けることにしよう、と思うこと。
いや~気持ちいいくらい極悪な毒親っぷりですね。
要するに彼女は父親の偏狭な価値観と零の存在に子供達が苦しめられ続けたことを知っており、もう一方の親として多用な価値観を提示して中和剤になる役目があるであろうにそれを放棄し、「私は知りませんし、これからも何もしません」といっているわけです。
そもそも拾われた子供がいい子であるなんて当たり前のことだし、それを自分の子供に当てはめる時点で狂っている。
結局この両親がやっていることは目の前の自分の子供たちをみず、零に理想の子供の姿を投影し続けているにすぎない。
竹本君みたいに学生のうちに自転車で北海道でもいってそういう夢見がちな性分からは解脱しておいてください。
あの父親とこの母親の翼君岬君ばりの毒親ゴールデンコンビのカルトな家庭で育ちながらも、なんだかんだで零を気にかけてあげる香子さんは実に人格者だし、ひきこもってゲームしている程度のグレ方しかしなかった歩君も実に立派だと思う。
父は零に「最近香子が何を考えているのかわからない・・・」などと漏らしていますが、私はこの夫婦が何を考えているのかさっぱりわからないです。
そもそも将棋で子供を劣等扱いするんだったらまず自分がタイトルの一つもとってきてほしいものです。
現在、香子さんは現在派遣社員やりながらも、妻ある父親の弟弟子の棋士と絶賛不倫中で相変わらず家族に縛られている。
とりあえず、歩君には地方の大学でも受けてさっさと家庭から逃げ出してほしい。
そして社会に出て「自分が劣等感を感じた父親も零も所詮は将棋という閉ざされた世界でのみ特別な人間だっただけなんだ」と気づいてほしいものです。
羽海野チカという人はハチクロの頃から一貫して才能というものの残酷さを圧倒的な才能で書き続けるという色々とすごい人だけど、同時に凡人の気持ちも丹念に描写してきた人です。
ハチクロの男キャラでいうなら天才の森田、それに憧れ嫉妬する凡人の竹本、才能と関係のない生き方を選んでいる真山といった感じで。
ハチクロではよくあるマンガのように竹本が覚醒して才能に目覚めるといった事はまったくなく、結局凡人なりに一歩一歩進んで行こうと決意して旅立ったって終わったし。
三月のライオンにおいて、恩人を救うということで動機を得た零は、多分親友の死によって完全体となり、最強の棋士への道を上り続けるのでしょう。
だけどそれ以上に将棋においては凡人であった幸田姉弟の物語はどのように着地するのかをとても楽しみにしたいと思う。
マンガの登場人物に深刻な憎しみを感じ、自分の家庭思い出してトラウマスイッチがオンになってこんな駄文を書き散らすなんて人生でも初です。
アニマルの他の漫画家からフリーザ様扱いされるのがよくわかる。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131110/p5
ロッキンオンがハチクロをオシャレマンガと勘違いして「なんだよ羽海野って。羽いらないじゃんw」とか頭の悪いこといってコケにできた時代が本当に懐かしい。
あ、そういえば川本家という毒親とは違うけど、ある意味幸田家以上に闇が深い家庭もありますがそれは私の手に余るんでスルーさせていただきます。
あの頃、僕たちは若さゆえに持て余した膨大な時間とエネルギーと空っぽの頭で、クラブでムネオハウスに合わせて見ず知らずの人たちと笑顔で「委員長!委員長!」と叫んでいた。
正直、あの頃の自分は鈴木宗男は「陽気で胡散臭いオッサン」としか思ってなかったし、辻本清美も「無邪気で胡散臭いオバハン」としか思ってなかった。
もちろん所属政党なんて知らなかったし興味もなかったし、知ったところでその党がどんな党かを判断する知識もなかった。
ただ、有り余る膨大な時間とパワーで、無駄な創作をして無駄なラジオをして無駄なミラーリングをして、無駄なDJに合わせて無駄に笑顔で大声をあげて踊って、それが本当に幸せだった。
今でもあの時にチケット代と引き換えに貰ったムネオハウスのCD-Rは持っている。
ジャケットからレーベルまで完璧に印刷してキャラメル梱包されていて、これを前日に何百も手作りしている人達の無駄さ加減を思うと、愛おしくてしょうがないから捨てられなかった。
でも最近は、そんな若さゆえに無邪気で時間とパワーを弄ぶ若者たちをたぶらかして、自分たちの手駒にする最低な大人たちがいるらしい。
秋葉原でデモが起きたんだってさ。ネットで知った若者がたくさん駆け付けたんだってさ。
mixiで検索して何人か参加した人たちの日記を読んだけど、みんな無邪気で、まるでロックフェス帰りのような高揚感を伴う、本当に無邪気な日記だった。
「来るまで緊張して怖かったけど、組織の人たちに日の丸を渡されて一声勇気づけてもらうと日本人としての自覚がわいてきた」
「出発前でみんなでシュプレヒコールをした。こんなに大きな声を出したのは久しぶりで、全身に勇気と誇りが立ち上るのを感じた」
「みんなと一緒に歩くと沿道の人たちが温かく声をかけてくれた。こうやって人と繋がれるんだという喜びを感じた」
「排外主義だとケチをつけてきたらしいシナか朝鮮人或いはサヨクが居ると聞いて、私も駆け寄って二発殴ってやった。私の一撃はクリーンヒットだったようだ。祖先の恨みまではらせた気分になれた」
そのままロッキンオンに送ってやりたい文章たちばっかりだった。彼らは多分、本当に無邪気なんだと思う。無邪気で、そのパワーの使い方を覚える前にこんなのにたぶらかされちゃった類なんだと感じた。
もしかしたら自分も10年遅く生まれていたら、彼らと同じ列の中に入っていたかもしれない。
だから正直なところ、いわゆるネトウヨと呼ばれる彼らよりも、そんな彼らを丁度良い手駒として扇動している、良い年して色々判っていて、それでこういう事をしている首謀者たちが本当に恨めしく思う。
何回でも言ってやるよ。お前達は最低だ。右翼左翼以前に、どこの国の人間以前に、無邪気ゆえに頭の足りない若者をこんな使い方をして、そこに良心の呵責を感じていないなら、それは本当に人として最低だ。