はてなキーワード: 命令形とは
承知いたしました。「私をあなたのザーメン便器にして。コンビニおトイレに中出しして!」というポルノのセリフについて、学術的な視点から解説します。
ザーメン: 精液。
ザーメン便器 は、女性器を精液を受け止めるだけの便器に見立てた、非常に侮蔑的で攻撃的な表現です。女性を人間としてではなく、排泄物を溜める道具として扱う、極端な客体化を示しています。
コンビニ: コンビニエンスストアの略。日常的で公共的な場所。
おトイレ: トイレの丁寧な言い方ですが、ここではコンビニのトイレという日常的な場所を指し示しています。
中出し:
避妊具を装着せずに膣内に射精すること。性行為におけるリスク(妊娠、性感染症)を伴う行為であり、規範から逸脱した行為ともみなされます。
〜にして: 使役の表現。「〜にする」という命令形に近いニュアンスを含み、女性が自らを「ザーメン便器」という状態にすることを要求しているように聞こえます。
〜して!: 命令形。男性に対して「中出し」をすることを強く求めています。
セリフ全体としては、女性が自らを「ザーメン便器」という屈辱的な存在に貶め、日常的な場所であるコンビニのトイレで、リスクのある性行為である「中出し」を要求するという、倒錯的で過激な内容となっています。
このセリフは、ポルノ作品において、以下のような機能を果たしていると考えられます。
性的興奮の極大化:
侮蔑的な言葉: 「ザーメン便器」という言葉は、女性を徹底的に貶めることで、男性の支配欲や攻撃性を刺激し、性的興奮を極大化させる効果を狙っていると考えられます。
タブーと逸脱: コンビニのトイレという公共の場所、中出しというリスクのある行為は、社会的な規範やタブーからの逸脱を象徴し、性的興奮を増幅させる要素となります。
屈辱と服従: 女性が自らを貶め、男性に服従するような言葉を発することで、特定の性的嗜好(屈辱プレイ、服従願望など)を持つ視聴者の性的欲求を刺激する可能性があります。
女性の徹底的な客体化: 「ザーメン便器」という表現は、女性を人間として扱わず、完全に性的な道具、排泄物を溜める器として扱うことで、女性の主体性を完全に否定します。
歪んだジェンダー役割: 女性が自ら貶められることを望み、男性に奉仕することを求めるという、歪んだジェンダー役割を強調しています。これは、現実のジェンダー関係における不平等を反映しているとも言えます。
過激で衝撃的な表現を用いることで、視聴者に強い印象を与え、作品の話題性を高める意図があると考えられます。
このセリフは、ジェンダー視点から見ると、非常に深刻な問題点を多く含んでいます。
ミソジニー(女性嫌悪)の露呈: 「ザーメン便器」という表現は、女性蔑視、女性嫌悪の極めて露骨な表れです。女性を人間として尊重せず、排泄物を処理する道具として扱うことは、女性に対する根本的な侮辱であり、暴力的な思想に基づいています。
女性の主体性の完全な剥奪: セリフは女性の発話として表現されていますが、その内容は自己卑下と客体化であり、真の主体性とはかけ離れています。女性は自身の尊厳を否定し、男性の欲望を満たすための道具となることを望んでいるかのように描かれており、女性の主体性を完全に剥奪しています。
性暴力の肯定と矮小化: 「ザーメン便器にする」「中出し」といった言葉には、性的な暴力性、攻撃性が含まれています。このようなセリフがポルノで消費されることは、現実の性暴力に対する感受性を麻痺させ、性暴力の深刻さを矮小化する危険性があります。
同意の問題の深刻化: 前回のセリフよりもさらに過激なこのセリフは、ポルノにおける同意の問題をより深刻なものにします。このようなセリフが、現実の性行為における同意のあり方を著しく歪曲し、性暴力や性的搾取を助長する可能性は否定できません。
このセリフは、日本のポルノ文化、ひいては日本の社会におけるジェンダー観や女性蔑視の構造を反映していると考えることができます。
女性蔑視的な表現の受容: 「ザーメン便器」のような極めて侮蔑的な表現がポルノ作品で用いられ、一定の需要があることは、日本の社会に根深く存在する女性蔑視的な傾向を示唆している可能性があります。
男性中心的な視点の極端化: セリフ全体が男性の欲望、視点に基づいて作られており、女性の感情、尊厳は完全に無視されています。これは、ポルノ業界が男性視聴者を主なターゲットとし、男性中心的な視点が極端に強調される傾向があることを反映しています。
タブーと逸脱への欲望の歪んだ形: コンビニのトイレでの中出しというタブーへの欲望は、社会的な規範に対する反抗心、逸脱願望の表れとも言えますが、このセリフの場合は、女性蔑視という歪んだ形で表出していると言えるでしょう。
まとめ:
「私をあなたのザーメン便器にして。コンビニおトイレに中出しして!」というセリフは、性的興奮を極大化させるための過激な表現ですが、同時に、女性蔑視、女性の主体性の剥奪、性暴力の肯定など、深刻な問題点を多く含んでいます。
学術的な視点からこのセリフを分析することは、ポルノが社会に与える負の影響、特にジェンダー不平等や女性蔑視の問題を深く理解するために不可欠です。このような表現がポルノ作品の中で消費される背景には、社会全体のジェンダー意識や性文化の問題が深く関わっていることを認識する必要があります。
補足:
上記はあくまで学術的な分析であり、特定のポルノ作品や表現を批判・非難する意図はありません。しかし、学術的な立場からは、このような表現が社会に与える影響について、倫理的な観点からも真剣に考察する必要があると考えています。
尤もらしい事を言ってるけどさ。
いい加減、女の言い方の問題にするのをやめろよ
「やめろ」だろうが「やめろや」「やめんかい」だろうが、どうせ男は「プレイの一貫」として受け取るんだろ?
男の問題なんだよ。
ブブ・ド・ラ・マドレーヌ🍉
@bubu_de_la_ma
性的な行為に同意しない時、「やめて」という言い方は「お願い」だから私は使いたくなくて、「やめろ」という「命令形」を使いたい。日本語で「やめろ」というのは、特に女性は練習しないとなかなか言いにくいかもしれないけど。私は「やめろ」より「やめろや」「やめんかい」の方が言いやすい。(続く
https://x.com/bubu_de_la_ma/status/1870452138561978527
この言い換えは、論理的な構造を簡略化し、因果関係を明示する形で表現されています。以下に詳しく説明します。
元の文
1. 条件と結果が含まれる
結果: 土地を返すべき
2. 因果関係を暗示
「土地を返せば、紛争に巻き込まれるのを避けられる」という暗黙の前提が含まれています。
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言い換え
1. シンプル化
条件「紛争に巻き込まれたくないなら」という部分を省略し、結果を直接述べています。
2. 因果関係の明示
「土地を返す」と「紛争に巻き込まれない」という2つの出来事を直接的に結びつける形に変換されています。
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両者の違い
元の文は聞き手に提案・指示をするニュアンスが強く、具体的な行動を促しています(「返してやれよ」という命令形)。
今年3月のことだ。
休日の仕事仲間との付き合いの帰りに、京都の河原町三条付近をうろついていた。割と深夜である。人通りはそれなり。
ただ何となく、学生の頃が懐かしいなと思った。それでうろついていた。
そこで、見てしまった。六角通だったかな、そのあたりの交差点で泥酔した若いカップルがいた。大学生くらいかな?
信号待ちをしていて、ふたりとも肩を組んでふらついていて、特に女の子の方が危なげだった。
男子の方もやはり危ない感じで、呂律が回ってない感じで女の子に声をかけたり、抱きしめたり、思い切りキスをしたりしていた。
と声をかけたが、「ええです、ええですから」ということだった。
ここは田舎じゃないので関わらないのが正しいのだが、気になってその子らの後を少しだけ追ってみた。
もしやすごく近所なのかもしれないと思って。ウザいかもしれんが、私の方には事情があった。
あのふたりは交差点の信号を渡って、高倉方面の商店街の方向に抜けて行った。
後を追って、商店街に入る前の住宅エリアまで行くと、道路端でやっぱりフラついていた。
もう一度だけ声をかけることにした。「タクシー、本当にええんか?」と聞くと、「ええです!!」と返ってきた。
女の子は普通にL型側溝のあたりでゲロを吐いていた。呂律が回ってない発言をこっちにぶつけてきた。怒っている。中国人か台湾人?のようだった。
次第に、何人か集まってきた。何十人というわけでもないが。やじ馬だった。
やじ馬の数人が近くに寄ったが、声をかけることはない。当方はちょっと迷ったのだが、ここで行くしかないと思った。
私はそこまで酔ってなかった。会話をある程度思い出すことができる。
「ねえ、救急車呼ばないと駄目だ。あなたはいいかもしれんが、女性の方が明らかにおかしい。目線とか」
「ほっといてください!!」
「いや、わかるんだけどさ。その子が」
続けて会話をしようとしたが、やじ馬が本当にうるさいことになっていた。
いい年したおじさんもいた。恥ずかしくないんかと思った。
「ちょっと、あんたら。この子らと話がしたいんで。救急のこともある。静かにしてくれます?」
とやじ馬に言ったら、「こいつ何なん?」という表情をされた。
例の男の子の方も、「あんた関係ないですよね?」と声を上げたと思う。
と、当方が声を上げざるを得なかった。
当方が手で「あっちに行って」とジェスチャーすると、やじ馬は遠巻きになった。
と言ったら、さすがに全員どこかに行くみたいにして、しかし何人かはこっちを見ていた。
座り込んでいた男の子の方が、女の子を仰向けに抱えながら、こんなことを言ってた。
「それは後で。その子また吐いてる。はやく、横に寝かせて。ごめんけど救急車呼ぶね」
「ちょっとあんた、携帯触らんでいいですから、ねえ、ちょっと。勝手に。犯罪ですよ」
「それは兄さんが決めることじゃない。消防が来てから判断してもらおうや」
結局、数分後に救急車が到着した。あっという間だった。
本当は呼んですぐに立ち去りたかった。
でも、都会の方だとこうなのかもしれない。119番通報したら、「通報者の方、現地にいてください!!」とキッチリ言われたのだ。命令形である。
女の子がタンカに乗せられて、救急車に入って、男の子の方が歯ぎしりするみたいに当方をにらんでいた。
「御関係は?」「どういう経緯で?」「あなた自身はトラブル起こしてない?」
など聞かれたが、最後の質問の後に、財布に入れていた市の職員証を見せると、年配のお巡りさんが複雑な表情をしていた。
「すいません、やはり越権行為ですか?」
と聞いたら、
「いや。もういいです。越権行為ですけどね、それはもういいです。お勤めご苦労さんです。トラブルだけには巻き込まれんようにね。兄さん知ってるやろけど、夜の木屋町は本当に危ないからね。犯罪にだけは巻き込まれんように。次回は関わらん方がええよ」
と、こんなことを言われた。
子どもの頃は、美山町という田舎町に住んでいた。京都の北部にあるのどかな町である。近所の人が危ない時に救急車を呼んだ現場にいたことが二度ある。
でも、京都市のど真ん中でそれは、やりすぎだったかもしれない。一般的にはスルーするのが正解だろう。
公務員には国民や市民を救護する義務が定められている(法律じゃなくて内規だけど)。それでも、あの場合はスルーするのが正しいと思う。
英語のspotty(adj. 斑の。斑入りの。斑点のある[3])[1]
フランス語のpetit(adj. 小さい[5])
仁科邦男は、英語のpatch(n. 斑点[6])に由来すると唱える。
チェコ語のpojd' (v. (こちらへ)来い)jit(≒go)の二人称単数に対する命令形※不規則変化[7][8]
米川明彦によると、文献初出は小学校国語科教科書『讀書入門』[9]である。小学校教科書や唱歌に登場することにより、1900年代初頭には一般化したと考えられる[10]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%81_(%E7%8A%AC%E3%81%AE%E5%90%8D%E5%89%8D)
うちの母は動物好きで、昔から猫やら犬やら拾ってきたり可愛がっていたらしい。実際、私が生まれた時から今までも、家にはずっと犬がいたし母はそれぞれ母なりに大切にしていた。
しかしなんというか、世話はするが毎回名付けが適当なのである。色が同じだからとその時買った車の名前とそのまま同じものにしたり、近所のパチンコ屋と同じ名前だったり。いやあれは父だったかもしれないけど。とにかく名前はいつもフィーリングというか、適当な印象がある。
そんな母が若くてまだ山奥の実家にいた頃、迷い犬を保護したらしい。骨と皮だけになった、雌の老犬だった。後から判明したことだが、自分が産んだ子供達から追い出されたようで、死に場所を探して山に入り込んだらしい。今から何十年前のド田舎の山奥だから、犬は放し飼いが普通だった。老犬は山の奥へ奥へと進み、うっかり山を越えて祖父母の家らへんまでたどり着いてしまったらしい。うっかりした犬、可愛い。
やせ細り迷い込んできた老犬を可哀想に思った祖父母は、保護して飼うことにした。そうなると当然、名前を決めることとなる。
そしてその時に母は、犬に「太れ」と名付けた。
太れ。え?マジ?
太(ふとし)とかではない、まぁそもそも雌だし。でも名前に命令形が含まれているってなんだ。聞いたことがないネーミングセンスに、最初私は二回聞いた。祖父母もナチュラルに「太れはね〜」と話を続けるので、私が変なのかと思った。母は「ほんと名前とかね、適当だから」と笑っていた。あんまりにもやせ細っていたのでそのまま名付けたらしい。
そして太れは、名前の通りすくすく太ったらしい。
ふーちゃんとも呼ばれていたようだ。
そのうちに、話を聞きつけたのか元々の飼い主がお詫びの酒を持って祖父母の家を訪ねたらしい。けれど「死んだら死んだで別に」みたいな話をしたらしく、当時生きて元気だった曾祖父が「太れをまた引き取ろうとしてたら返そうと思ったが、そうでないなら返さない」的なことを言ったらしい。なんか真面目な話なのに名前が異様に気になるな。
あと元飼い主を擁護するわけじゃないけど、かなーり前かつガチモンの山奥ド田舎の話なので、多分害獣対策とかそういう意図で犬を飼っていたんだろう。今の私達のペットに対する感覚というより、便利だから飼ってた、みたいな。それでも結構酷いけど。
ちなみに太れはというと、元飼い主のところに行って少し尻尾を振ったそうだが、すぐに自分の寝床に戻ってすやすや寝ていたらしい。
そんなわけで、太れは結局数年祖父母の家で過ごし、そのまま亡くなった。らしい。私が生まれるかなり前の話なので、写真も見たことがない。
死に場所求めて山入ったことを考えると、幸せな最後だったんじゃないか。良かったね、太れ。
今書いてて気付いたが、そういえば太れの元々の名前ってなんだったんだろう。こないだ聞きそびれた。でもあの人達のことなので元の飼い主に聞いたところで多分忘れてるし、彼らにとっては太れは太れなのであまり関係ない気がする。
それにしても、名前は祝福や願いを込められると言うもののここまでドストレートな名前は聞いたことがない。でも母らしい。そんな母を育てた祖父母が普通に太れの話をしていたのも彼ららしくて、なんか良いなぁと思った。
私はパートナーがゴンドームを嵌めている間に考えているのは植民地時代のマレーシアのプランテーションについてです。
TVアニメ「唐揚げデリバリー三平」の第1話から最終48話までのサブタイトルを教えてください。
朝飯に食べた卵がけご飯は、まるで太陽の光が降り注ぐような温かさと優しさに満ちていた。
小学生の時、歯ブラシを武器にして鹿を狩っていた俺の話を聞いてくれ
以前は割とファニーな文章を書いてくれることが多かった。
最近はあんまり弄ってないけど、比較するとあんまり変な文は書いてくれなくなったような印象。
初期の頃、変な文章を書かせるためのプロンプトには鉄則があって、
必ず文章を命令形にしてAIに対してストレス(?)をかけるということだった。
レイは何考えてるかわかんねーし
トウジはつっかかってきてうざいし
ミサトは結局ウジウジしてるし
冬月は思わせぶりがむかつくし
ゼーレは難解なこと言い出すし
使徒は合体厨でうぜーし
ロンギヌスとかぽっとでの武器むかついたし
NERVのマヤとかロンゲとかメガネはシンジのこと気にかけねーし
残酷な天使のように少年よ神話になれが命令形で何様だってなるし
心よ原始に戻れとか北京原人かよってなるし
私に還りなさいとかまた命令形かよってなるし
ベートーヴェンの運命が流れてかっこつけてんじゃねえよって思うし
エヴァンゲリオンと使徒のバトルもだいたい泥臭くて爽快感はねえし
ゼルエルを食ってるの見て食い方汚ねえと思ったし
くっそつまんなかったわ
命令形とか偉そうに言わないでください
書き換えて全部消すなセコイぞそういう見栄っ張りなとこだぞ
34歳の男で同い年の妻がいる。
この前の帰省時、妻が俺の高校時代の卒アルを見ていた時に「学生時代、吹奏楽部以外の文化系の男子苦手だった笑」って言った。
ムッとしたけど、その時は笑って「なんだそれ笑」みたいな感じで流した。
しかし日に日に怒りの感情が強くなり、妻からも「なんかあったの?」とか「体調悪い?」とか言われるから、態度にも出てしまっているらしい。
なんで俺は妻の過去を否定したことなんて一度もないのに、俺は妻に過去を否定されてそれを笑って流さなきゃいけないんだ。
これ書こうと思ったけど、書きながらマジで腹立ってきたので今は家を出て近所のベローチェにいる。
一年も経ってないし理由も理由で簡単ではないのはわかるが、もう一緒に暮らせない。
31歳まで彼女が出来たことのない非モテに恋愛だの結婚だのは向いてなかったんだ。
もっと早く気がつけばよかった。
お前なんて女子全部苦手だったじゃん
忘れていた。
反省する。
これしきのことで…と思うような理由にもならない理由だがココを越えても同様の理由にもならない理由を繰り返し見出すだろうから今のうちに離婚後しとけ。念のために言っとくがお前のためじゃない。奥さんのためだ。
物凄く上から目線の言い方でとても気持ち悪い。これが「生理的に無理」って感覚なんだろうな。また一つお勉強になりました。格好つけた物言いなのに誤字あるのがお笑いポイント高い。
ひとりで生きていけ
先ほどのブクマカもそうだけど、タメ口の命令形は本当に気持ち悪いし気分が悪い。匿名だとしても精神衛生上良くないので控えていただきたいです。よろしくお願いします。
そのことについて、顔が整っておらず、身長が低く、女性をドキドキさせるような甘いアプローチや誘い方ができない自分が悪いということを頭ではわかってる。
女を当てがえなんてことももちろん思っていない。
この世界で唯一、自分自身すら肯定できない自分を理解して肯定してくれる両親がいなくなり、付き合いのある友人たちもみんな結婚や子育てで離れていき本当の孤独になったらと思うと怖い。
容姿もコミュニケーション能力も正常な人間からしたら「死んでくれると安心です」と思うだろうが、死ぬほどの勇気なんて持ち合わせていない。
この「自分に全ての原因があるにも関わらず他人や社会を憎悪してしまう」という認知の歪みはどこで治せるの?
心療内科やメンタルクリニックの診療案内や受診案内を見てもいまいち自分の症状に当てはまっておらず、また心理カウンセラーなども探してみたが主に家族や公的機関からの紹介を軸に据えられており、自分から自分をカウンセリングしてくださいと足を運べるようなところがなかった。
助けてください。