はてなキーワード: 人生設計とは
そして資金ロックされる影響が小さいのは資金に余裕がある高所得者でしょ?
だったらそもそもが高所得者向けの制度だってことになるわけで、不公平感どうのこうの主張はますます意味が分からん。
もともと税率が低い低所得者ほど減税効果が得られず、資金ロックのデメリットを強く受ける制度でしょ?
高所得者は増税したんだからっていつの間にか中流層以下も増税になるっていう、いつもの手口だよ。
経過措置とか言ってゆっくり改悪されても、数十年後に受け取る時には経過措置なんかとっくに」終わってるよね。それに何の意味があるの?
経過措置が機能するとすれば、増税前への掛け金に新しいルールを適用しない以外の方法が存在しない。
普通は法律改正があった場合、法律改正前まで拡大適用する正当性は無いと思うんだが。
これからも改悪が続くことを考えると、低所得者にとって人生設計を狂わせかねない変更を加えようとしているって意識あるのか?
っていうか、資金ロックという何十年にもわたる影響がある制度に対してあとから自由に増税できる正当性はどこにあるんだ?
それ自体が、資金ロックされても困らない十分お金高所得者の発想だわ。
だったら高所得者に有利な建付けになってるの何なん?
年収の中央値が400万円とか言われてる時代に、課税を先送りするメリットより瞬間的な手取りが減ってロックされるデメリットの方がはるかに大きいわ。
お金が必要な若い人にお金を回そう、高齢になったら消費が減ってため込んで使わなくなる人が増えてお金が社会に回らない、
これが不況の原因とかってさんざん言われてるじゃん?それに逆行するのは何なん?
1転職について考えなくていい
2休暇が取れる
公務員は職歴としては同じレベルの就職難易度帯(ニッコマに入れる程度の学力がある高卒レベル)の中では底辺と言っていい。
顧客との距離感も銭感覚も誤ったやり方を何年も学習して変な癖がついている。
水商売上がりの人間と同じ程度には「社会というものを完全に勘違いしたままそれが正しいと思い込んでいる」という状態になっている。
法律についても上流できちんと管理された状態しか知らないので作業者本人たちは全く詳しくない。
そこらの会社でパートとして経理事務や営業事務をやってるおばちゃんがいくらでも知っているものを全く知らないポンコツだらけだ。
なので公務員は第二新卒カードが切れるうちに辞めるか、なったら死ぬまで公務員を続けるのが正解となる。
逆に言えば「30超えた公務員は転職をしようとするだけ無駄なので転職というものを一切考えることなく人生を過ごしたほうがいい」ということだ。
資本主義社会の人生設計において最も影響力のある部分が固定された状態で生きることが出来るわけである。
非常に気楽だ。
転職を考えなくていいなら、休日に勉強をする必要もないし、人脈を大事にする必要もない。
私はここ数年有給を5日以上捨てている。
だがこれは20日マックスの有給から5日捨てているだけであり、15日近く休めているということだ。
これは法律上は勤続4年の人間に与えられるのと同じ程度の有給だ。
おおよそ7年毎に会社を変えていた場合がちょうど同じぐらいだろうか。
有給を貯めておくことも考えれば8年毎の転職と同じ程度の想定だろうか?
そう考えていけば、私が全然休めているということがよく分かる。
国民の休日は確実に休めるし、コンプラ意識の高まりによりアルハラが防止されているから飲み会も断りやすい。
かなり休めていると言っていい。
偉い人が自己保身のために考えた無意味な「再発防止ルール」を準拠するために多くの本当に大事な仕事が犠牲になっている。
そういう仕事とマジメに向き合って体を壊していく人を大勢見てきた。
クソルールに基づく無意味な業務を如何に早く終わらせるかは役所で生き残るための重要スキルだ。
人によってやり方は変わるのだろうが、私としては「締切ギリギリに叩きつけることでクソみたいな部分に構ってられない状況を作る」ことをオススメする。
クソ業務がクソであることは皆流石に分かっていて、その上でルールで決まっているからやろうとして、公務員特有の真面目系クズを発揮してクソ仕事でも丁寧にやろうとしてしまう。
「私が締切ギリギリに出しちゃったもんだから、もうちゃんとチェックしてる余裕なんてないですよね。ごめんなさい。ハンコください」
これだ。
社会人1年目がやるようなカスの如き態度の仕事ぶりだが、ぶっちゃけクソ業務なんてこれでいい。
ハンコを押す側だって誰が決めたのかも分からん何の役にも立ってない仕事なんて、体裁が整っていればあとはどうでもいいと考えている。
そこに体裁だけは整っているものがギリギリに来たら、あとはもう最低限のチェックだけしてさっさと通すことを選ぶ。
これが重要な仕事であればミスを見逃すことが後々大きな災いを産むだろうが、そんな影響力もクソもない単なるお役人様ごっこのペーパーワークなんてただ流せばいいと内心は分かっている。
そこに「時間がないから仕方なく通した」という言い訳をくれてやればアッサリ陥落する。
重要なのは「直している時間なんてもうない」と相手に思わせることだ。
中途半端なタイミングで出せば「ここもうちょっと直せないか?」と言われて無駄な仕事が増える。
もしそうやって返されたらタップリ時間をかけて直してやると次から大人しくなる。
「余計なこと言わなきゃよかったな。あの程度はスルーした方が結果的に仕事はスムーズだった」という意識を相手に植え付けてやろう。
「クソ業務を必死にやるということは、ちゃんとやらなきゃいけない業務をやる時間を削るということ、つまりはより大事な仕事の手を抜くということである」というアタリマエのことも分かってないようなバカはちゃんと怖がらせてやった方が世の中のためだ。
うん。
バカが多すぎですわ。
捨て垢で無責任な発言、こうしたアカウントはとっとと死んでおいてほしい。
みるみる
@od5Y97POvf28804
マジで不思議なんだけど、なんで研究に没頭したい人が妻も子供も欲しがるんだろう
研究だけやってれば誰もに迷惑かけないし文句も言われないし、一人で完結できるのに、なんでわざわざ背負うもの増やすんだろう
desean takahashi
@desean97
12月28日
妻子持ちの研究者が妻の同意のもとでひたすら研究に没頭し、家事育児は妻がすべて担う、というのは有りか無しか。さすがにダメということはできないかな。
https://x.com/od5Y97POvf28804/status/1873727502381928595
遊戯王OCG(以下、OCG)に新規勢が入ってこないというブログがあり(削除済み)そのなかでスタン落ちに関して言及していた。
この手のOCGに発売期間で公式大会に使用できるカードを区切るというレグレーションの導入に関しては、かなり以前から議論があって今更感ではある。
同時に、いまだにOCGにはスタン落ちに対するアレルギーが酷いということの証左でもあり、これがOCGが改善しない最大の理由でもあると感じる。
結論だけを言うと、現在のOCGは古参の厄介オタばかりなので現状を変えることはできない、ということ。
そりゃあ新規はこないでしょ。
スタン落ちというのは、MTGのスタンダードからとられている。
MTGは発売時期によって使えるカードのレギュレーションが決まっており、一番カードプールの少ないスタンダードは最長で3~5年。この期間を過ぎたり新たに再録されないと次のスタンダードの更新時に公式のスタンダード大会では使えなくなる。これがスタン落ちと呼ばれている。
一般的にこのスタン落ちはあまりよくないとされており、単純にカードが使える年数が限られるということに抵抗がある人は多い。
ではMTGはどのカードも3~5年程度で使えなくなるのか?というときちんとモダンなどの存在があげられる。
これはポケカでも同様だが、レギュレーションを発売時期で区切っている場合には、期間を過ぎた場合で使えるフォーマットが必ず存在する。
スタンで遊んでいたカードが使えなくなったら、次はモダンやパイオニア、という感じでいろんな使い方ができる。
OCGにおいてスタン落ちが敬遠されているが、実際のところは発売時期をいくつか区切って複数のレギュレーションを作れば解決できる問題なのだ。
全てのカードに使える時期を定めるって考えているOCG勢がほとんどだが、単なる無知だろう。
単純に発売時期でレギュレーションを区切る施策にはこれとは別の問題がある。
それはレギュレーションごとに人が分散してしまうことだ。たとえばMTGではスタンはあまり人気がないが、だからといってモダンは環境が酷くなりすぎていろいろと問題になった時期もある。
また、スタンで遊び続ける人はそのままスタンにいることも多く、スタンからモダンという導線は必ずしも有効ではない。
これはポケカに顕著で、ポケカはエクストラというカードプールの幅が大きいレギュレーションがほぼ閑古鳥だ。より広いカードプールで遊べるから人がいるだろうという考えはポケカには通じず、レギュレーション落ちがあるスタンをずっとプレイする人が大半という結果だ。
これは見方を変えると、一つのカードゲームの中でプレイ環境がバラバラになり、人数が偏ってしまうという問題でもある。
ポケカはぎりぎりいいのかもしれないが、MTGはもっとも新規にやさしいスタンがあまり人気ではないのが問題だし、各フォーマット(スタンやモダン)に人が散っているために同じゲームなのに全く違うゲームになっている。
人気のフォーマットである統率者が優遇されすぎて他のフォーマットが閑散としたり、大会が中止になったりもする。各フォーマットで人が流動的になるかというとそうでもないため、結果的にMTGのフォーマットは何回も改定されている状況だ。
ようするに、発売時期によってレギュレーションを分けるという試みはよくても、それが理想的になるかは賭けになる。
「じゃあやらないほうがいい」
というのは、日本の政治家の「無策思想」そのまま であり、老害そのものだ
そもそも欠点しか話さないようなOCG勢は、マイナカードと保険証の統合にも反対するような人と同じで変わることがそもそも受け入れられないだけだ
OCG環境に文句を言う人がいると必ず、ラッシュをやれ、という人が出てくる。
まあラッシュを見ればそんなこと言えないんだけどね。
単にOCGのカードを模倣した変なゲームなんだし。ラッシュするなら他の選択肢あるし。
他のゲームやコンテンツと違って、古いカードで遊べるというトレカはだいたい厄介オタが多い。例えばポケモンというゲームは機種が変わっても驚くほど過去との互換性が確保されているため、引っ越しが常に行われてきた。逆にポケモン以外で特定のゲームシリーズをずっと遊び続けるというのは意外としんどい。端末が変われば遊び方も変わる。ドラクエだって初代と今は全然違っている。
トレカは大まかなルールはそのままに、カードだけがずっと増え続けており、下手すれば過去カードのリメイクなどでユーザーをとどめている。
また紙のカードはそのまま資産になるケースもあり、トレカは長く遊べるゲームの一つになっている。
けどゲーム自体が長期に運営されているため、厄介オタが非常に多い。
普通のゲームなら、シリーズ1と2は神だが3と4はゴミ、それ以降は凡作、のように区切りをつけられる。しかしトレカは断続的に延々とシリーズが続いており、絶え間ないインフレと禁止改訂でいきながらえている。
また、ここ5年ほどは1タイトルにおける発売パックが極端に増えている。
かつてのOCGは禁止改訂が年2回程度で、いまより発売ペースも緩かった。今はトレカ全体がとにかく製品を乱発して売って売って売りまくる。
粗製乱造が激しく、カード品質のバラツキや環境の変化の大きさに波が大きい。
車などの人生設計で価値観が変わるものでもないため、長期的には変化がなくとも短期的にはアーキタイプの変化を常につける必要があったりと忙しいのだろう。
それについてこれているプレイヤーがどんなにヤバい人かは誰でもわかるだろう。
格ゲーが一時期新規を排除しまくり絶滅の危機に瀕したが、現在は新規にやさしいことを売りにしている。けどOCGを含めてトレカは原則そういうことができない。どこから入っても遊べることはよいことだと誰でも思っていても、基本的にトレカの流れは極端に早くて流れに入ることすら難しい。
競技的に先鋭化している面もあって、かつてのようにキャラを動かせればいいというゲーム性がほぼ排除されて(ウルトラマンは簡単すぎるが)、総合ルールを理解することが重要になりつつある。
しょうじき、この状況で新規はなかなか入ってこれないだろう。
現在の多くのカードゲームはデジタルゲームを紙と併用していてDCGとか言われている。ほとんどの初心者はこのDCGから始めるのが普通で、どちらかというとソシャゲの一つととらえている感が強い。
これによって紙から遊んでいる人と新規が全然交わらない事態が発生している。
たとえDCGから紙に興味を持っても、OCGなどは臭い汚いキモイと揶揄されているので、たぶんこれ以上新規で紙のOCG始める人は増えないんじゃないかな。
レギュレーションの導入は個人的には無理だと思っている。それは日本が銃器の合法化を導入するようなもので、文化や背景がきっちりしていないなら導入はあきらめるしかない。
そもそもOCGはかなり古いアーキテクチャで構成されており、そこに慣れ親しんだプレイヤーの理解は得られないと思う。
ただ、現状のOCGはアニメだってショートしか作られないという限界集落なので、たぶんこれ以上の新規勢を呼び込む方法はないってのが如実に表れている。
トレカの性質上、常に動き続けないと死んでしまうし、死んでいないことをアピールするために呼吸器つけて走っている状況だと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20241215171355
↑これを書いた人です、ただの独り言のつもりが思ったよりコメントがあったのでなんとなく綴ってみる
→んなこと言われても困る、すまんな。
何をしたら勝ちなん?
→これはそう間違っていない気がする。子どもができる=責任が生じるので
文章から欲を感じさせないのに、それでも何かになろうとしてるワナビーなのがつらそう 世の中のためとか誰かのためとかそういうモチベーションも無さそうだし
→これといってなにかしたいって欲は現状ないです、わざわざ死のうとは思わないけどやりたいことは大体やった。
ただお世話になった友人や先輩、家族に迷惑はかけたくない、これから何か見つかったら良いなという気持ちはなくもない。
こういうタイプの奴は公務員か薬剤師あたりになるしかないのに、なんでよりによってITなんか選んだんだろう。
何もやりたいことがないというだけでなく、自分の気質に合わせた選択をするセンスが致命的に無いんだろうなって感じがする。
→身の回りに公務員と薬剤師いる。前者は大学時代に調べたけど試験とかめんどくて断念、後者は今思えば無難な職業だったと思っているけど手遅れ。
→イエス、その通り。
ずっと継続して働いて家庭を持っている人だけが偉い訳ではないと思う。
ただ、正規で自分の体力に合わせて働ける会社を見つけられたらちょっと安心だよね。
エージェントは変な担当者もいるので、2-3社くらいは会って、もらえるようであればCVのサンプルをもらってみて!
うまくいきますように〜
→ありがとうございます、CVってなんですか?
マクドナルドには行くなよ
→引っ越さないと無理なので嫌。
やりがいのある仕事も家庭も持ってない(持つことを真剣に考えてこなかった)のが辛いて事?ワイもや
ワイは10代から積み上げた人生設計が20代でコケて、生きるだけが精一杯の30代を生きて40になった 同級生がみんなそこそこ優秀で傍から見れば幸せな家庭なんか持ってるから劣等感とか疎外感で死にたくなることもある さあ今からどうすっかなーて感じ
増田は手に職があるみたいだから取り敢えず婚活したら?平凡な幸せみたいなモンを掴むチャンスがあるならやってみても良いんじゃないかね チャンスには前髪しか生えてないらしいので
→増田という言葉を初めて知りました、一つ賢くなりました。ありがとうございます。思ったこと書いただけで自虐風自慢とかそんなつもりなかったのですが。
「入れ墨(タトゥー)を入れている人は銭湯出禁ですよ」という情報を事前に持っていながら、入れ墨(タトゥー)を入れるような人だからです。
体に墨を入れるかどうかを選択する時、その人は「銭湯に出禁になってもいい」という意思を持って入れているわけです。
つまり、その時点でその人は「僕は一生銭湯には行きません。自分自身にそう誓います」と決めたはずなんですね。
もしもそうでないのならば最初から「銭湯のルールなんて破ればいいだけでしょ?番台のババァごときが俺を止められるかよ」とルールを破る前提で考えているわけです。
自分の中で決めた誓いを破る人、ルールを破る前提で人生設計を考えている人、そういった人達に来てほしくないから銭湯では入れ墨出禁のルールがあるんですよね。
「入れ墨をしていたら銭湯に来てはいけない」という文化が根づいた国に暮らしてきておいて、自分の意思で入れ墨は入れたけど銭湯には入りたいですなんて人を他のお客さんと接触させるわけにはいかないんですよ。
もしもこれが生まれついての身体的特徴に対してのものなら差別でしょうが、入れ墨は自分で入れようとしなければ入れることが出来ません。
ヤクザの子どもとして産まれて親に強制的に入れられた人は可愛そうですが、そういう被害にあった人達であれば「ヤクザのカス共と一緒にお風呂なんて入りたくない」という感覚もご理解いただけるのではないでしょうか?
入れ墨出禁に文句を言う人達の大部分は自分の意志で入れ墨を入れておいて「入れ墨ぐらいであーだこーだ言うな」と言ってる意味不明なちゃらんぽらんです。
そもそも自分が先に「銭湯ぐらいどうでもいいから入れ墨入れちゃおう」とやった結果でしょう。
自分の中で「入れ墨を入れることは銭湯やプールよりも優先順位が高い」と判断したことに対して責任を持てないような人間、未来を読めず過去に無責任な人間だから出禁なんだって話なんですよ。
「本当の弱者は助けたくなるような見た目をしてない」ってよくいうけど、最近本当にそれを痛感している。
学生時代からの友人とか、一時期趣味で仲良くしてた人を切り捨てていくことが多くなってきて、自分も罪悪感で病んできた。
発達障害、メンヘラ、貧困、何らかの依存症、とにかく何かで生きづらさを感じている人はその辺にいる。
彼らと仲良くし続けると、一定以上の親しさのゾーンに入ると、精神的に依存されたり、金を貸してくれだの、あれをやってくれこれをやってくれと求められる。
弱者は弱者としての自覚があり、自分は人に助けられて、さまざまなものを善意で施されて当然だと思っているし、返したくても返せるリソースがないので他人に求めてばかりになる。
生活保護や障害年金、さまざまな行政の施しを受けて生かされてる上に、身内や周囲の人間にもたかってばかりになる。
そして、それを拒絶する人間を逆恨みする。トラブルを起こす。断るこちらも心苦しさ、罪悪感で辛い。
若い頃は良かった。みんな若い時に何らかの失敗をするし、お互い助け合う。金がないことも恥ずかしいことじゃなかった。
けど、こちらももう家庭があり、キャリアがあり、守るべき子どもがいて、目標と人生設計があって、とても他人を助けられるような余裕はなくなっていく。
どんな人とでも対等に、平等に人付き合いしていくことがかっこいいこと、素晴らしいことだと思って来たし、そう学んできた。
結局、障害者や貧乏人、メンヘラとは付き合わないほうがいい、という狭い思考に落ちて、どんどん人間関係を切っていってる。
一定以上の経済レベルの、自立した「まともな」人間としか付き合わなくなった。
最初から偏見で人を切り捨て、関わらない方がいい、とみなすようになってしまった。
こんなつまらない自分になりたくなかった、と心を痛める自分はまだ幼いのだろうか。それとも選民思想がいきすぎているのだろうか。
見方を変えれば、男は浪人というリスクが高い状況に追い込まれがちだ、そうでなければ人生設計が困難であると報じることもできるはずだ。
しかし日本ではそうしない。なぜか「リスクを回避することができる余裕のある女という性別」を取り上げ、やれジェンダー格差がどうだと説法を始める。率直に言って狂っている。
理由は簡単で、浪人せずに現役で合格できる大学に入っても、人並みの人生を送ることができる公算があるからだ。
難関校への受験以外の選択肢が存在し、そちらに人が一定数流れるというだけの状況に対し、ジェンダービジネスに脳を支配された人間は「そうせざるを得ないジェンダーバイアスがどうのこうの」と言い始めてしまう。
男にとっても女にとっても、浪人は避けるべきだという認識に相違はないはずだ。だというのに、男は浪人が武器というように扱われることの腹立たしさよ。そんなに浪人がしたければ勝手にしていればいいだろう。
世の中の女たちは、自分は浪人をしなくても人並みの人生を送ることができる、学歴という箔がなくても生きていくことができる、そう信じることができているのだ。それの何がいけないのか。それの何を是正するべきなのか?
そもそも「浪人がしやすい環境を促進」って口に出してなお、自分がおかしいことを言っている自覚はないのか?そんなに浪人がしたいのか?それとも学習塾と癒着しているのか?浪人せずに難関校に現役合格することが1番だというのに。何かを履き違えてしまっていることに気が付かないのか?
その一方で、男は学歴という箔がなければ今後の人生を送ることができないと、そう信じて浪人を選択している。彼らにとって、現役で合格できる大学に入学した後の人生は「避けるべきだ」と考えているからだ。
もちろん浪人を選択した全員が救われる訳ではない。一定数の人間は、自身が受け入れたリスクを背負って社会から退場していく。それは妥協して現役でも合格可能だった「避けるべき大学」にいくことかもしれないし、あるいはそれすらも捨て去り引き篭もることかもしれない。しかしながら世間はこのような、性別特有のリスクを背負った人間を「自己責任」として見放そうとする。理由は簡単で、彼らを救済することがビジネスにならないからだ。
オブラートに包まずに言ってしまえば、彼らは大学受験という名のパンニング皿から零れ落ちた砂利に他ならない。彼らは砂金ではなかったのだ。そして金でなければ拾い上げるものもいない。それ故に放置され、将来は閉ざされ、社会に認められていないために伴侶も得られず、されども人生は終わらず、先の見えない灰色の人生を送る。これが、はてなで大人気の弱者男性、子供部屋おじさんというやつだ(現代社会はこの手のスラングに富む)。そして、そのうちのいくらかは未来に絶望して首を括るかもしれないし、失うもののない無敵の人となって社会に反抗するかもしれない。しかし社会はこれを気に留めない。金に目がくらんでいるからだ。社会は砂金を求めて、男性を「選別」していく。そうして砂利は捨てられていく。
これが「浪人のしやすい環境」の実態だ。実際は順序が逆で、「浪人しなくては生きていけない」という強迫観念と、それを抱かせるには十分な選別社会を目の当たりにしているからこそ、男は浪人するのだ。浪人「せざるを得ない」状況に置かれている人間を捕まえて、やれお前は恵まれているだのと捲し立てることの残酷さが、少しは理解できただろうか?
と口酸っぱく主張したところで、誰も受け入れてくれはしないだろう。誰だって上澄みを掬いたいからだ。社会というのはそういう形をしている。いや、生命そのものが、そういう仕組みで成り立っているのだ。雄が雌を求めて競争し、敗者は淘汰される。私たちがしていることは、サバンナのライオンと大差ないのかもしれない。敗者が地に伏せ積み重なった地平を、私たちは踏みしめている。ジェンダービジネスはそんなことも忘れさせてしまったに違いない……
この人のブログの方はいまいちだと思っていたけれどこの本はかなり良かった。
で、この本の中の「マミートラックをノーマルトラック」にという見出しを見て、これは本当にその通りだと思った。
「マミートラック」なる言葉にずーーっと違和感があったんだけど、この本を読んで答えが得られた気持ち。
思うに人生の何処かで子供を産み育てる事をした人生設計をするならばM字カーブなるものは生じて当たり前なんだよ
男性労働者モデルの右肩上がりのグラフがおかしい。M字カーブの方が正常。
男性を人間のデフォルトとして、女性をその亜種として捉える考え方では女性の働き方を無理矢理男性の働き方に近付けるアプローチしか考えず、
その結果子育てを安価で肩代わりする保育士への搾取といった現象が生じる。
考え方を逆にしよう。
子供を持つ親としては母親の働き方こそが正常で、父親が不当にそれを免れていると考えるべきなんだ。
つまり女性の働き方を男性の働き方に合わせるのではなく、男性の働き方を女性の働き方に合わせるべき。
子供を産んだ女をマミートラックに乗せるのはそのままで、男もパピートラックに乗せろ。
まあペーパー離婚だので対策してくるかもしれないが、やらないよりはマシだと思う。
その結果独身やDINKSの方が多少生涯賃金が高くなったとしても、それは子供というベネフィットを得られなかった事に対する埋め合わせと捉えればいい。子育てにはお金に換えがたい価値があるらしいのだから。
せめて市民サービスと繋がりがあるような職場ならまだしも、エンジニア系の行き先なんてくっだらねー癒着と談合の集合体ばかりで社会貢献もクソもねえわ。
残業代は出ない。
身についたスキルはほぼ0。
俺はどこで選択を間違えたんだ?
本当に選択を間違えたのか?
20年前のIT業界に突っ込んでいったとき、YRP野比駅の近所にある公園で泥酔したりその勢いでクビを釣ってた可能性は何%だ?
20年後の俺は生きてる。
ひとまず生きてるんだからセーフなのか?
俺はギリギリで生き延びたのか?
周りの連中が「EXCELむずかしいよ~~~><」とか言ってるのを見て「あれ?俺IT適正あるんじゃね?PCだって自作してるし」とか調子に乗って業界行っても先輩の「デッュフフ……ギブハブ……ぬるぽ……コポォ」とかの暗号が理解できずに結局野垂れ死ぬだけだったのでは?
どうなんだ?
どうなんだ?
俺の人生は間違ってたのか?
今の時代に生まれて、学校でコーディング習って、「増田くんはパソコンが出来るから東京工業大学のパソコン学部を目指すべきだよ」みたいな感じで人生プラン設計していればよかったのか?
つうかそもそも俺は元々物理系に進みたかったのに車業界も研究職もブラックだと聞いて、そんで途中から緩やかにITへ軌道修正かけたような奴なわけで、本当にやりたかったのはなんだったんだ?
そうか全部分かった。
今完全に理解した。
ベーシック・インカムのある世界に生まれて、そこで生活保護レベルの暮らしをしながらネトゲで延々と無課金ニートして時間を潰すのが俺の理想だ。
よーし全部分かったぞ。
うん。
その夢は叶わないな。
親が金持ちだとか生まれつき程よいぐらいの障害があるとかならともかくだな。
うん。
結論が出た。
そしてそれは多くの人が一緒なんだ。
人生設計フワフワなのに、気づいたらホワイト業界にいた奴と、気づいたらブラック業界にいた奴、それが世界の9割ぐらいなんじゃないか?
あ ほ く さ
悩んでるだけ無駄だな。
下記は一般的に真面目系クズやで。ちゃんと社会人になるまでに訓練して自分に合った仕事探せばそうはならない
(つーか子供の頃なんか「課されたものを期限守って提出すれば『真面目』扱い」ごく当たり前のことをしてれば「真面目」だったんだ。先生が言う通りにやってれば真面目だ)
ここはそれはそう(それはそう)
それが出来ないなら働く場所を考えた方が良い(愚痴りながらも出来る場合は別。総ての仕事は「慣れ」でなんとかなる。慣れる時間をくれるところならな)
下記は職によっては現場猫案件で死人が出るけど(決められた手順を飛ばす)
自分も「真面目なタイプ」って思ってたけど、自分ひとりでやる勉強なんてのは総て個人の範疇のこと
(つーか子供の頃なんか「課されたものを期限守って提出すれば『真面目』扱い」ごく当たり前のことをしてれば「真面目」だったんだ。先生が言う通りにやってれば真面目だ)
それが社会人になり仕事してると、くだらなくて煩瑣な決め事が多くて「出来ない」「間に合わない」が発生する
それなら「効率重視」でって「(自分にとって)要らんと思うことを省く」「違う方法で完遂する」などすると注意される
世の中は思う以上に四角四面だ。そして重箱の隅をつつく真面目系クズの集まりだ。無能な働き者だらけ
どうせ無能なら効率重視しとけよ。それもせず、しかも仕事終わらせないで定刻で上がるな!後に残る奴が困るんだよ!!
そういう奴らの同調圧力で社会は成り立っている。「これが『常識』だ」と言い張る
それが出来ないなら働く場所を考えた方が良い(愚痴りながらも出来る場合は別。総ての仕事は「慣れ」でなんとかなる。慣れる時間をくれるところならな)
お疲れ様。
外国人雇用の現場にいるので、技能実習と特定技能の区別がついてるのが、はてなでは本当に貴重な人物だと思った。
すでにブコメでついてるけど、
"技能実習や特定技能は期限があるので上手くなった頃には帰るから、どこの会社も教育に身が入らず「低度人材のまま、おかえりくださーい」ってわけだ"
特定技能は次の段階まで進めば実質的に永住可能だから、ここだけ誤解を招くと思う。
でも、職場も本人たちもずっと日本にいてもらう(いる)つもりってのが協調しないと成立しにくい話だし、「おかえりください」には制度の立て付けとは
異なる現場の実感が表れてるのかな? とも思った。もし、現場や同業者:できるならずっといて欲しい(ほしくない) 外国人:いたい(いたくない)ってところの
印象があったら教えてほしい。個人的に特定技能までは行ってもらう(行く)って声は一定数あるけど、その後の永住まで人生設計に入れてる人はいないかな?
という体感はある。
"外国人だからって溶接ちゃんと教えてないどころか安全教育すら放棄するのは企業として最低限のこともできてない"
知り合いの企業の中には特別教育さえさせてないかも、とかってヘラヘラしてるところがあって本当に謎。大半はさすがにそんなことないだろうと思って
結婚についての後悔には、結婚するかしないかの両面でそれぞれの理由があります。結婚を決断する際には、どちらの選択肢にもメリットとデメリットが存在し、その中から個人が自分にとって価値あるものを見つけ出す必要があります。以下では、先人の名言を参考にしながら、それぞれの面を比較します。
• 愛情と支え:結婚には、精神的な安定や孤独感を解消し、人生の困難に共に立ち向かう相手を得るという利点があります。ジョージ・エリオットは「結婚はふたりの人間が互いに成長し合うための機会」と述べています。結婚は、お互いの成長を促し、共に豊かな人生を歩む機会でもあります。
• 社会的、経済的安定:結婚は家族としての結束を強め、社会的、経済的な安定をもたらす場合も多くあります。シェイクスピアも「愛とは二人が一つの魂を共有することだ」と述べ、経済や生活の支え合いを示唆しています。
• 自由の制限:結婚は個人の自由を一定程度制限する場合があります。哲学者のショーペンハウアーは「結婚は愛の終わりである」と述べ、結婚により愛が失われることや制限されることへの懸念を示しています。つまり、自由を奪われることでストレスや抑圧を感じることも少なくありません。
• 対立の可能性:結婚生活には、相手の価値観や生活習慣との調整が必要で、時に大きな対立が生じます。コメディアンのグラウチョ・マルクスも「結婚とは二人の人間が苦しみを共有するものだ」と皮肉を込めて述べており、対立が増えるリスクを指摘しています。
• 自己実現と自由:独身でいることで、自己実現や自分自身の時間を自由に使える点が魅力です。サルトルは「自由こそが人間にとって最も価値のあるものである」と述べ、個人の自由の重要性を強調しています。結婚せずに独身生活を選ぶことで、自分のキャリアや趣味に集中することが可能です。
• 対人関係のストレスが軽減される:結婚生活でのパートナーとの対立や意見の不一致がないため、ストレスの要因が減ります。哲学者のカミュは「孤独は人を深くする」と述べ、独身生活が内面の深まりや自己探求を助ける側面があるとしました。
• 孤独と老後の不安:独身生活には、歳を取るにつれて孤独や支えのなさが不安として浮上することもあります。アメリカの詩人ヘンリー・デイヴィッド・ソローは「独りでいることは孤独とは異なるが、歳を重ねるとそれが孤独に感じられることもある」と述べています。
• 経済的・社会的支援が少ない:独身の生活では、家庭としてのサポートがなく、経済的な不安が増す可能性もあります。これは病気や老後の際に特に顕著になると考えられます。
非正規独身女性の話題かと思ったら、途中で「離婚も女性の低年金リスクに」と出て来てずっこけた。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241029/k10014621311000.html
ここに出ている離婚女性も年金分割によって元夫からの恩恵を受けてるし。それなのに男に頼れずずーっと独身だった女性と同列に語られるのが腹立たしい。
なんでこう、女の人生設計というと、一度でも男と番った女性が前提に語られるのか…。ホームレス状態になってバス停で殴られて亡くなった女性も結婚歴あったしなあ。
Xのラディフェミ達は何故か独身女性とは言わずに単身女性と言いたがるけれど、
根拠がある仮定は常に揺らぐが根拠のない仮定は揺るがない。確信のソースは常に『俺がそう思ったから』ただそれだけ
ただ、自己肯定感が強い=有能では無いし、自己肯定感は魔法の力ではないので本人の経験・能力に即した結果しか得られない。バフも掛からない
今までガチでそう思ってたんですけど、まぁそんな事ないよね、0が1になったりまでは流石にしないが、1以上であれば、ちゃんとそれなりにバフは掛かってましたわ・・・
なんかDIY動画と田舎暮らし(新興国の山奥で古典的な生活を送る系も含む)動画を観てたら、文字通りの意味で何も出来ないワイは、
生かされている側の人間だなって改めて思い知らされて、『ワイなんかが人様よりもお金を貰っていても良いのか?』って気分になったら、
なんか『〇〇万円以下はお話にならないのでおととい来やがれ、FAX!FAX!📠ピーガガガ』のバフが解除されたのよなぁ・・・
あと、DIYや建もの探訪系動画を観てるとね、不動産屋・建設会社に騙されちゃったのか、天災に巻き込まれたか、人生設計がうまいこといかなくて適切に家のメンテ出来なかったのか、
『家を建て直すか、自分でセルフビルドするしかないが、年寄りにはどちらも無理だ』みたいなおじいちゃんのコメントがあったりしてね、
それを見ると『嗚呼😭』ってなるのよな・・・おじいちゃん、なんも悪いことしてないのにね・・・
まぁワイは他人様の心配なんかしてるステージなんかじゃ全然ないんですけど、というか稼いでる金額よりも、まずは計画性と貯金って話なんですけど、
『ワイなんかが人様よりもお金を貰っていても良いのか?』って気分になった
これは非常に良くない波だ
ワイがそれななりに稼ぐようになったキッカケは、なし崩し的に副業をはじめて(スカウトされて勝手に金が入ってきた)、お金を受け取ることに抵抗感が無くなったからなんだよね
『ああ、別にこの作業でこのくらい貰って良いんだ・・・、て言うか貰いたい金額は自分で決めて良いんだ』みたいな
そこを『こんなに貰っていいのだろうか』とか、『相場は〇〇だから』とか思っちゃったりするのは、ほんと稼ぐ上では論外よ
<ウチは〇〇万円以下はお断りです、おとといきやがれ>、べつに今まで通りこれで終わりでいいんだよな・・・
なお、<ウチは〇〇万円以下はお断りです>が強く思えなくなった理由は、
まぁなんか年末あたりから、ず~~~~~~~~~~っと同じこと書いてんね
昔の目標の年収は達成したが、家族と自分自身の老後の心配がなくなるレベルの稼ぎとはほど遠いし、
他人様の人生を心配したり、ちょっぴり世の中を良くしたりする余力を持つ稼ぎには、遥か遠いので、勝ち組気取り(なお勝ってない)で燃え尽きてる場合じゃねーのだわ
ワイは、尋常じゃない強い怒りと、ヒャッハーやワクワクっていうポジティブな感情では動けるが、
『〇〇しないとXXになる、〇〇して備えなければ』みたいな、マイナスや備えの感情では動くことが出来ないのよな・・・
だから、この波はほんと非常に良くない
つか、『席に座ってるだけで、〇〇〇万円貰いやがってクソが』って非常にわかりやすいじゃないですか?
あと目標もわかりやすい、ワイもクソと同じ席(ポジション)に座れば良いだけだ
で、それ、達成しちゃった今、どうしましょって話なんですよね
重役・役員の椅子に座れば年収あがるでしょうけど、部門長として呼ばれたから行ったのに、クビ(会社都合解雇)になった実績を持つ、
零細企業やベンチャーならワンチャンだけど、欲しいのは、肩書きや責任ではなくて、お賃金、マネーです
金にならんならやってもしゃーーーない
今んところ、今よりがっつり稼ぐのキャリアチェンジしか思い浮かばね〜~~~~~~~~~~
キャリアチェンジしないで、未来のことは未来のワイくんが考える(いつもの)で、ガッツリAI周り振ってくのがいいのかなぁ〜~~~~~~~~~~
AI:自分の価値を疑うのではなく、むしろ「どうすれば自分の能力をより社会に還元できるか」という視点で考えてみてはどうでしょうか。 そうすることで、収入を得ることへの罪悪感も軽減され、より建設的な方向に進めるかもしれません。
ワイ:具体的には?
AI:大学で講演したり、書籍を執筆しましょう
ワイ:(う〜ん、この)
AI:新しい「怒り」を見つける 過去の成功が「席に座ってるだけで〇〇万円貰うクソ野郎」への怒りが原動力だったように、新たな「怒り」や「フラストレーション」を探すことが次のステップになります。 具体的なアプローチ: • 自分よりさらに上のレベルにいる人たちに対する怒りを探す: 目標を達成したからこそ、もっと上のレベルに目を向けられるはずです。たとえば、「もっと高額な報酬を得ているけれど、自分より仕事ができない」と感じる人たちや、特定の業界のエグゼクティブ層に対するフラストレーションを見つけ、次の標的にします。 • 例:「あいつら役員会に顔を出すだけで〇〇〇万円稼いでるのに、俺ならもっと結果を出せる」といった感情。 • 世の中の理不尽さや不公平に対する怒りをエネルギーにする: もし、社会的な不公平感に敏感であれば、それを原動力にします。たとえば、「こんなに能力があるのに不当に評価されている」と感じる自分や他者の境遇に対しての怒りを活かして、次のステップを目指すことも有効です。 • 例:「無能なやつらが美味しいポジションに座ってる現状を変えてやる!」という怒りを新しい行動の動機にする。
ワイ:視界に入る人の年収はすでに超えてしまったので、弁護士、医師、会計士、大企業で部課長以上になること以外で、今の年収を超えられる具体的なイメージが湧きません
AI:副業するか、起業しましょう
ワイ:既にしています。これ以上稼ぐには人を雇わなねばいけませんが、人を雇うなら倫理的でありたいです。なぜなら、他人の悪意に巻き込まれなかったから今の自分があるからです。
倫理的に人を雇うには、自社プロダクト、確かなビジネスプラン、高い技術力、資金力のいずれか、あるいはそれらの組み合わせが必要です。
AI:それはそう
ワイ:(う〜ん、この)