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【本記事を編集される方へ】 |
『菅直人』(かんちょくと もしくは、かんなおと)とは、研究者、四国八十八ケ所めぐり(お遍路)をするオヘンローラーであり、「麻雀計算機」の発明家であり、偽奇兵隊・隊長であり、自分に必ず突き刺さるブーメラン投げである。又、日本を代表するコメディアンでもある。容姿や言動など、あたかも日本人ではないかと思うような雰囲気を醸し出しているが、日本人であるかは疑問視されている。
「くさかんむり」に官僚の「官」の字で「菅」である。副業として
※本業は「弁理士(発明から特許出願まで一手に担う職業。他に、厚生大臣、副総理大臣経験。東京工業大学出身。詳しくはWikipediaで)」であることをお忘れなく(後述)。
ただし、どこの国の政治家なのか判らない行動をとるという、ブラックユーモアあふれるアレな一面もある。
好物はかいわれ大根、中国製冷凍餃子、火中の栗を早食いすること。食えねえとか言わせねえ。
2ch上でも突っ込みどころ満載の政治家として人気であり、その人気ゆえ『カンガンス』というニックネームで呼ばれることもある。
民主党内では代表代行として活動するが、2009(平成21)年3月の西松事件による小沢氏秘書逮捕後の、代表交代後の人事で「代表代行」職がふえたため、一時期むちゃくちゃ影が薄くなった。
国会内では質問・答弁中の野次にすぐカッときてしまうことから、「イラ菅」と呼ばれる。また、睡眠薬を服用しているらしく、すぐ寝てしまうことから「菅から眠へ」と呼ばれることも。某週刊誌には「空き菅」「すっから菅」、野党議員には「不幸の大魔王」と呼ばれたり。よい子の皆は悪い名前をつけたりからかったりするのはなるべくやめてあげましょう。
政界以前の活動
1946(昭和21)年10月10日、山口県宇部市生まれ。ただし、本籍は岡山市。
高校生のころに父親の転勤で東京都三鷹市に転居。その後、東京工業大学理学部応用物理学科に入学。
大学時代は過激な活動を続け、早い話が、学生運動に代表される、えらそうな口を利いていたガキ。でも当時の流行の最先端だから仕方ないね。しかし彼らの行動力や情熱は、現在においても当時と変わらないようである。
発明家としても活躍し、知人と共同で『マージャンの得点計算機』を開発したこともあり、特許も取得。ただし使いこなすためには「計算機を使わず自力で得点の計算が出来るくらい」マージャンのルールに精通していなければならないらしく、実用性としては、お察しください。・・・いや、政治家になるより、このまま発明家として活躍してくれた方が良かったのかも。前代表の鳩山由紀夫も元々東大卒の研究者でしたし。
大学院卒業後、弁理士の資格を取得。簡単に言うと、開発された研究物等知的財産を発明者(もしくは企業)の依頼を受けて特許庁に申請し、特許を取得する仕事。特許関連に特化した弁護士に近い。
知名度が低い割に、公認会計士試験に並ぶ難関な試験(合格率6%程度)で、理系資格としては医師免許に次ぐレベル。これに合格できるということは相当頭が良いはずなのに・・・どういうことなの・・・。
政界入り・国会議員として
意外に思われるかもしれないが、政治家の経歴のほうが「オヘンローラー」としての経歴よりもはやく、また長い。
婦人運動家でもあった、市川房枝の選挙参謀として市川の当選に尽力。その後1976(昭和51)年に第34回衆議院選挙に当時の東京7区より無所属で出馬、落選した。
そこで諦めて研究者か弁理士にでも転進・・・するかと思いきや、社会党の大物、江田三郎議員の目にとまり、社会市民連合(のちに社会民主連合に改称)へ誘われた。
翌年1977(昭和52)年の第11回参議院選挙にも出馬、落選。1979(昭和54)年の第35回衆議院選挙も社会民主連合から出馬したが、台風の影響で低投票率に泣かされやっぱり落選。3度目の正直で、1980(昭和55)年の第36回衆院選で初当選。
第48回衆議院議員選挙では、東京18区・東京ブロックから出馬。同選挙区からは、自民党から土屋正忠、希望の党から鴇田敦が出ていたが、土屋正忠との接戦を制し、当選した。獲得票数は96,713票、得票率40.7%だった[1] 。
支持母体は保守左派・労組系だが、意外にも国鉄民営化問題では民営化に賛成。
丁半博打なら勝てることもあるという所をみせた。
政権担当
1993(平成5)年8月9日、所属の社会民主連合が細川連立内閣(~1994(平成6)年4月28日)で与党入り。
ただし社会民主連合は、94年5月解散、「新党さきがけ」「日本新党」へそれぞれ合流した。菅は「さきがけ」に合流、村山政権(94年6月30日~96年1月11日 改造内閣をはさむ)下で、新党さきがけ政策調査会長を任じ、各党との政策調整にあたった。とくに当時、自民党政務調査会長の加藤紘一氏との、息のあった連携は「KKライン」(笑)と呼ばれ有名であった。
1996(平成8)年1月には、村山内閣から禅譲をうけ誕生した第1次橋本内閣で、74代厚生大臣を務めた。
同年2月には厚生官僚に「紛失したはず」の資料(郡司ファイル)を旧厚生省の職員総出で探し出させ、国・行政としての責任を公式に認めるなど、薬害エイズ事件への対応が評価され、一躍人気政治家となった。被害者らとは3月に和解が成立した。
が、同年8月、赤痢菌の毒素を持つ悪性大腸菌”O-157”の感染源を、「大阪のカイワレ大根業者が出荷したものが原因である可能性が高い」と発表、その後巻き起こった風評被害により自殺者まで出すこととなった。
この問題に関して「自然界にあるO-157以外の菌も検出されていないのだから、事件の後で殺菌などで業者が証拠隠滅を図った」と持論を通そうとしたが、業者側が東京・大阪で国を相手取った訴訟を起こし、双方ともに「公表方法の過失」が認められ、国側が敗訴した。
さて、菅はどうしたかと言うと、この事件をきっかけに「食べ物の早食い」を始めたのである。このときはカイワレ大根をテレビに実演して見せた。まさに時代を先取りしていたのだ。
遡って6月には国保、介護保険の件で年金からの天引きを提案(衆議院会議録<136-衆-厚生委員会-28号>)。
これにより、後に後期高齢者医療制度が問題化した際、民主党が年金からの天引きを批判するのは変じゃね?と突っ込まれる余地を作ってしまった。ブーメランもまた菅の特技のひとつである。
民主党
1996(平成8)年9月28日、同じ「新党さきがけ」の鳩山由紀夫が民主党を旗揚げ。菅も参加し鳩山と共同代表となり、正直「日本語でおk」状態だった党の理念や政策を具体化した。内容が実現可能かどうかは別として。
その後「民主友愛太陽国民連合(民友連)」と合流して新民主党を結成し、単独の代表となる。
1998(平成10)年の第18回参院選で躍進、27議席の獲得を果たし橋本龍太郎内閣を退陣に追い込んだ。参院の投票では見事首相に指名されたが、衆議院の投票で勝った側が優先して総理大臣になる憲法の規定(日本国憲法第67条2項)のため、自民党から小渕恵三首相が誕生した。
同年7月~10月までの臨時国会、いわゆる『金融国会』では参院選の優位をかさに民主党案の丸呑みを迫り、事実上そうさせた。これにより破綻した長銀・日債銀は国有化され破綻処理が進められた。
余談であるがアメリカは日本のこの行動を「これって自由主義経済か!共産主義やんけ!hahaha! USA!USA!」と笑っていたが、10年後にてめえらが同じマネをする羽目になるとは思わなかったろう。
人の落ち目は笑ったらいけないね。
話を戻すと、菅としては金融再生を政局にする構えは無かったが、小沢一郎(自由党:当時)氏から「弱腰」の批判を浴び、それまで協力的であった自由党の離反を招いた。
小沢氏と決別するまたとないチャンスだったが、それが出来なかったのが今に繋がる重大なミスとして響いている。もしここできっぱり決別できていたら、今頃「小沢シンパ」問題は浮き上がることも無く、政権も幾分かスムーズに進んだだろう。
2003(平成15)年9月26日にはその自由党と合併。代表に就任。
合併の際に小泉総裁/首相(当時)は真顔で「自由党と民主党が合併するって?したら、自由民主党ができるの?」と発言した。(自民党も1955年に「日本民主党」「自由党」の2大保守政党の合併で誕生している)。
同年11月の第43回衆院選では「マニフェスト」を争点にすると連呼し国民に訴えかけ、選挙前よりも40議席増と議席数を大幅に伸ばした。ただ選挙対策を仕切った当時の岡田幹事長(当時)は200議席いかなかった場合には責任をとると発言していたが、実際は177議席と残念ながら目標を大きく割り込んだ。
民主党の菅直人代表は10日未明、衆院選の開票から3回目の記者会見で、焦点になったマニフェスト(政権公約)の扱いについて「マニフェストは政権を取った場合に実行する約束。一般政策に引き継げるものは引き継ぐが、いついつまで実現するという約束は、政権を持たないとやれない」と述べ、今後の政策などは今回のマニフェストに拘束されないとの方針を示した。
田中康夫長野県知事ら閣僚起用を予定していた候補者についても、「あくまで本当の政権交代があった時の閣僚を示した。(民主党)政権ができない中では、結果的に白紙になる性格」と語った。 (02:03)
日経新聞(リンク切れ)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20031109AT3K0902X09112003.html
当時の状況を伝える有志のブログ
もう一度要約すると、「マニフェストを争点として」選挙を戦ったが、結果単独過半数や連立による政権樹立が無理なので、「公表したマニフェストは変更する」と言っている。つまり、「選挙で負けたから、作戦(マニフェスト)を考え直してくる」ということである。
マニフェストで臨んだ結果、選挙と言う戦いに負けたのだから、作戦(笑)を練り直すのは当然のことである。
……「負けたら責任取る」って言ってとってねえし。このとき、のちに民主党が選挙に勝ったにも拘らず公約破りが実現するとは誰が思っていただろうか。
そしてこの「公約~」発言を重大事と追求した民主党は、普天間問題で沖縄県民に示した公約を果たせず、さらには2010(平成22)年の参院選マニフェストを鳩山体制下から180度換え、「大企業優遇、金持ち優遇、庶民いじめ」と揶揄していたはずの自民党公約を菅ニングしちゃった。
党や自身をめぐる状況が悪くなればどうせこれも変えるんだろうが、まあ大したことはない。「選挙に勝ったにも関わらず、実行不可能なので訂正してきます。 」ということ。7年前、選挙に負けて次こそは頑張るZEと公約を練り直していた頃の方がまだ良かったと思う。
その後代表を交代、ジャスコ岡田氏と前○さんのあと、とりあえず小沢氏の体調問題等あり、代表代行として活躍、のち「代表代行」が増員されたため代表代行の一員という形に落ち着いた。成立した鳩山内閣のもとでは副総理と国家戦略室のトップに就任。第一次事業仕分け後の藤井裕久氏の病気辞任に伴い、副総理と財務大臣を兼任、「乗数効果」をご存じない財務大臣として物議を醸した。あくまで皮肉名誉のために言っておくと、
ブーメラン
ここでいうブーメランとは、対自民党の攻撃が自分に跳ね返ってくることを指す。民主党所属議員の大半がその名手だが、菅直人はプロ中のプロ。
小泉内閣の閣僚らによる「国民年金未納問題」が発覚した際、民主党はこれを攻撃材料とし、菅自身も党首討論その他で「未納三兄弟」などと攻撃材料に使ったが、直後に「次の内閣」全員の国民年金納付書を公開するアピールを行った際に、自身の未払いが発覚。ただし、これは後に社保庁のせいであることが発覚。菅は何も悪くなかった。
……本当にそうかというわけでちょっと見てみよう。[社会保険庁の組織図]
社会保険庁の長は当然、社会保険庁長官。じゃあその更に上の責任者は?っていったら、社会保険庁は(当時)厚生省の所轄なので、厚生大臣(当時・現在は厚生労働大臣)が頂点に立つ。
だが、官僚がなれるのは最高でも事務次官までである。官僚は大臣、副大臣、政務官にはなれない。官僚嫌いな政治家・菅にとってはどうしようもない状態だった。与野党問わず、他の閣僚たちも同じ。でも部下の不始末は最終的に組織の長が負いますから。
同時期に自民党の議員たち(加藤紘一、麻生太郎、谷垣禎一等)にも未納が発覚。殆どの議員は役職をおりたため、ブーメランの責任を取るそれにつられるかたちで道義的責任を取り同年5月に菅は代表を辞任した。「オヘンローラー」としてのデビューはこの直後、7月からである。お遍路シーンとしては大物新人の登場に騒然となった。
2005(平成17)年の郵政選挙大敗北→岡田代表辞任のあと、2006(平成18)年1月末にテレビ朝日系『朝まで生テレビ』に出演。
評論家 大宅某(故人)の有名な言葉を引用し、選挙敗戦について『国民がテレビばかり見て白痴になった』『だから自民党が勝った』と発言。
「自分自身その”白痴”に支持されて国政の場にいる」ことを、すがすがしいまでに忘れ去った香ばしい発言をした。 [他サイトの動画] (ニコニコ上のものは、現在は権利者抹消で存在しない)
[有志による発言部分書き起こし]
当然ながらこの発言はさまざまな批判を呼んだ。
(注:「白痴」は現在では”差別表現”にカテゴライズされる。市井の人間が使うのはもちろん、公人が公共の電波で発していい言葉ではない。)
2007(平成19)年1月には柳澤伯夫厚生労働大臣(当時)の「産む機械」発言を攻撃したが、2月6日に中川秀直自民党幹事長(当時)に民主党大会演説での「子供の生産性」発言をすっぱ抜かれ、釈明にあたふた。
(発言のYOUTUBE動画)
党内を纏める年長組として、若手議員にハッパをかけることも。
テレビ朝日系『ビートたけしのTVタックル』に出演する、同党の若手議員の、「一方的にやられる」ふがいなさに不満を覚え、党の代議士会の席上でじきじきに論破の方法を伝授。
かつて名物議員であった「ハマコー」こと浜田幸一(はまだ こういち)元自民党衆議に対しても、「浜田氏が予算委員長だった際(当時菅氏も社民連所属の予算委員だった)、10万円の商品券を持ってきたので突き返した」「政治と金のことを持ち出されたら私ならそう切り返す」という趣旨の発言をした。
しかし当の浜田氏からは、「あのカネは小沢(小沢一郎氏 当時自民党に所属)から来たものを配っただけだ」と返されてしまった。(YOUTUBE動画)
最大の問題は、北朝鮮スパイの非転向囚「シン ガンス」釈放問題であろう(関連動画)。
NHKの討論番組で、小泉内閣の北東アジア外交政策のスタンスと、六者協議の進展が無いことを批判したが、安倍晋三 自民党幹事長代理(当時)に上記の北朝鮮工作員「シン・ガンス」の釈放を韓国政府に呼びかけた人間の一人であることを指摘され、おもいっきりうろたえ、あろうことか恩人の田英夫(旧社会党所属)に全部の責任をひっかぶせるような発言をした。
思いがけない質問・発言への対応は、討論会に臨む政治家としてしておかなければならない準備のひとつだが、それがまったく出来ない人間であるという印象を視聴者に与えてしまった。
「シン・ガンス」は日本国内でも活動し、「原ただあきさん拉致事件」「横田めぐみさん拉致事件」の実行犯であるとされる。余罪は発覚していないものを含めまだ相当にあると見てよい。
シン・ガンス釈放に署名した民主党の人物としては、他に千葉景子などがいるが、諸外国であれば、自国民を拉致した人間を釈放するなどといった、「内通」ととられても仕方ない行動をとった政治家など、政治生命を失ってもおかしくないはずだが、いまだのうのうと政治家を続けられているのは日本の有権者の国家意識が低すぎるせいでもあろう。拉致は何も特定の家族に降りかかる悲劇でなく、誰が被害者になってもおかしくない、今なお「遍在する恐怖」である。
なお、この動画はニコニコ動画だけではなく、あらゆる動画サイトに転載され閲覧できる。
●菅直人総理を巡る現況
2010(平成22)年6月2日の鳩山首相退陣をうけ、同月4日民主党代表選挙が開催され、菅直人氏が民主党代表に就任(2回目)。同日午後には衆参両院での首相指名選挙で第94代、61人目の首相に指名された。8日、菅政権が発足。
もともと財務大臣時代の訪米の際にアーリントン墓地献花を行うなど、内外にさりげなく「次期首相」としての存在感をアピールしていたが、まさか誰もが本当に「火中の栗」を拾いに行くとは思っていなかったろう。
民主党内の有力議員が代表選出馬を見合わせる中、意気揚々と名乗りを上げ、対立候補の樽床氏を代表戦でやぶった。しかしながら菅直人総理が戦わねばならない敵は多い。国内だけざっと見渡しても、
こんなところか。このうち一番易しいのは「自民党」。理由は「会話が成立するから」。自民としては「衆参同時選挙」を口にするだろうが、それ以上の働きかけを民主党内に出来るわけでなく、政策に関してきちんとした裏付けある話が自民党とできれば、さして怖くはない。むしろ自民党側のほうが、自民党内の「民主党出張職員」と目される山本一太議員、河野太郎議員、後藤田正純議員、平将明議員らの動向に注意すべきだろう。まだまだ見守っていくよ。
一番面倒なのが「小沢一郎シンパ」。勢力もさることながら、会話が成立しないため何かにつけ面倒である。
小沢氏自身の面子にこだわる傾向があるため、あらゆる合意も平然と覆すし、以前の発言と異なる行動をとることも厭わない。菅直人総理に対する国民の期待値が高いようだが、それはこの小沢派の壊滅を望むためと見ていいだろう。それを裏切り小沢派に屈した瞬間、菅直人の政治生命も民主党政権も潰える。
さて、内閣発足後、いきなり荒井戦略相の、事務所費をめぐる政治とカネの問題が噴出した。また蓮舫大臣の秘書が池袋で痴漢行為で辞任。非自民党政権での新政権発足にしては、こうしたスキャンダルの流出・伝播スピード、支持率の下落スピードが鳩山政権と比較して「奇妙なほど」早い。一部マスコミや党内に菅直人総理を好ましく思っていない存在がいるものと察せられる。
鳩山政権下で決定された選挙日程は、現状を見るにもう動かせないものと見ていい。菅総理はこの短い期間に諸問題を解決することが要求される。「鳩山総理が~鳩山のせいで~」の言い訳は「じゃあその政権の副総理にいたアンタは何なの?」という話になるので絶対言わない方がいい。(あくまで名誉のため)
それでも、政権成立当初の勢いを保って順当に行けば、勝利して参院過半数は取れるだろう。
もっとも民主党の場合勝利の後の方こそが大変になるのだが。
●参院選前
普天間問題および鳩山首相(当時)や小沢一郎氏の「政治とカネ」の問題で、民主党支持率は急落。党内においても複数の所属議員の政治資金スキャンダルがあり、当該議員を処分することも出来ず、自浄作用を働かせることの出来ぬまま参院選に突入しようとしていた。
こうした状況打開のため鳩山首相は退陣。樽床氏との代表戦のすえ、残り任期と閣僚を引き継ぐ形で参院選を戦うべく菅直人総理が誕生した。
就任直後の新聞・TV各社世論調査では7割前後の高支持率であったが、消費税増税論議呼びかけの途端急落。これは具体的期日を切った増税の話ではなかったが、「菅直人民主党政権=増税」と有権者はとらえた。この誤解は相当に根強く、誤解を解こうにも、おりからの相撲界野球賭博報道とワールドカップでかき消されてしまった。釈明が報道されても、みなそれを迷走としか捉えられなくなっていた。発言中、総理が「消費税が何であるか」わかってなかったフシも散見される。
1998年、自民党の橋本首相(当時)が消費税値上げに関する発言を惑わせたことで、自民党は参院選大惨敗。菅は勿論喜んだ。が、12年後に同じ目に遭うとは思っていなかっただろう。ここでもう一度。
人の落ち目は笑うものではないね。
また選挙に際して打ち出した消費税論議呼びかけと、自民党案とほぼ重なる「マネフェスト」が、党内・支持母体の共通理解を得ていなかったらしく、支持者らが反発・離反し民主党候補らの選挙戦は極度に混乱した。消費税議論に関する党内の内部資料が、共産党機関誌『赤旗』に流出した、とされるのもこのころであった。
元来であれば事業仕分けの成果を全面に押し出し、仕分け人の枝野幹事長と蓮舫議員をイメージキャラクターとして選挙戦をもうすこし有利に戦えたのであろうが、6月13日の探査機「はやぶさ」帰還成功による、有権者からの科学技術関連予算仕分けへの疑義に対し、ふたりとも「事業仕分けは絶対ではない」と発言、逆に国政私物化の印象を持たせたばかりか事業仕分けの意義自体を仕分けてしまった。自民党マネフェストと仕分け成果仕分け発言で、民主党はその持ち味を大きく削がれてしまった。最近は仕分け作業が支持率稼ぎ目当てのパフォーマンスと見抜かれてすっかりメッキは落ち、党内からも反発の声が出る始末である。
●参院選後
すでに菅総理は開票後に続投を明言。選挙結果にもかかわらずのこの発言に党内小沢派を中心に反発の声が上がっているが、もともと自民党政権時代の頻繁な総理交代をさして「政権与党の資格なし」と主張していたこともあり、ここでの急な総理交代は「ブーメラン」にほかならない。更に
落選したはずの千葉景子氏を「民間登用」の形で法務大臣を続投させることを決定。
反菅直人派の議員としては不本意だろうが、前任の鳩山代表の残り代表任期(2010年9月まで)を全うさせてからの交代にならざるを得ない。そこで党代表を降ろし総理交代とするか、それまで待てないなら民主党そのものを解党して政界再編を行うしかないだろう。実際、前○さんは安倍晋三さんと親しくしている。安倍氏は「前原さんが首相になれば、私の考えを引き継いでくれるでしょう」とも述べた(2009年4月、ワシントンの日本大使館にて)。他、前原氏は石破茂氏とも仲がよい。これが何を意味するのかというと政界さいへ・・・お察し下さい。
2010年8月10日に菅談話発表。村山談話を悪い意味で凌ぐ内容に仕立ててしまったが、今の時点で予定通り、韓国から「賠償が無いので、未だに納得できない」との声が上がっている。つまり、今後の対応次第では更に酷い内容になりかねないということであり、新たな火種を作り出してしまった。
●民主党代表戦
2010(平成22)年9月14日の党代表選挙にて小沢一郎氏を圧倒、大差で勝利し党代表続投が決定した。
今回の代表戦には所属議員だけでなく、規定に従い「党サポーター」も票を投じる(以前から参加規定はあったが、これまでサポーターの意志が問われる機会はあまりなかった)こととなった。
このサポーター制度は外国籍の人も参加できるということもあり、事実上の総理決定選挙に、外国人が参政権執行をした事になるのでは?との見方がある。
当初は菅・小沢両氏とも直接対決までは避けたがっているふうであった。双方の調整で、小沢氏は自派閥から閣僚を出し小沢包囲網を解除させること、菅氏は自身の政権運営を、少なくとも党内においては安定化させ、共同して野党自民党優勢のねじれ国会に臨むことを希望したろう。
が、そこは民主党、鳩山前総理が当初の菅支持表明→小沢支持にシフトした上で菅氏に禅譲を迫った。もし言に従い退けば「小沢に屈した」という国内世論の沸騰はおろか、「水に落ちた犬を叩く」が如く、参院選敗北の主犯として、体の良いスケープゴートとなり党内での責任論が噴出するのは眼に見えている。
これは菅氏に「無条件降伏」を迫ったも同じであり、菅陣営からすれば呑める話ではなかった。
鳩山-小沢ラインの焦りも同様に、政権中枢に身を置かなければ、鳩山前総理の「個人献金」「違法子ども手当」問題の説明責任追及、小沢氏の陸山会土地取得疑惑に関する再捜査・再起訴が想像された。これを食い止めるには政権中枢に返り咲き、ハトヤマシステムを作動させねばならない。
この焦りから来る鳩山前総理の動揺が、今回の代表選挙に突入するきっかけになったと考えて良いのではないか。
それだけではなく、鳩山前首相の動揺から来る軽挙妄動は、他の所属議員に波及。民主党は菅派・小沢派に分かれ対立しスキャンダル合戦の様相を呈した。おもしろがったテレビメディアがこぞって討論番組風の特番を組んだおかげで、党内対立はより加速、先鋭化していった。
今回の選挙結果で菅直人首相続投が決定したものの、選挙期間中に生じたひずみ・亀裂をどこまで修正し、党としての一体感を保つかが問われる。なんつーか『トライゴン』の当たり判定で『東方シリーズ』をやるようなもんだな。
今回の小沢敗北により、これまで堅持してきた小沢氏の「選挙の神様」的な印象、信頼感はあらかた吹き飛んだとみていい。
神様的な見方をされるのも、小沢氏が独自に選挙に関するデータを集め分析し、票読みをし、対策を立てて選挙に臨むためである。これらにより勝率が高いため、これまで「選挙の小沢」のイメージがつくられてきた。
今回は鳩山前総理のせいで選挙対策があまりうまく行ってなかったうえ、ニコニコ生放送出演時のアンケート結果にまで勘が狂わされたきらいがある。
ネットの動向に惑わされた、とすれば2009(平成21)年夏の自民党・麻生総理-細田幹事長(いずれも当時)と似たような罠に陥ったということか。
●党内人事と政局
2010(平成22)年9月7日の『尖閣衝突事件』において、巡視船に衝突してきた「ミンシンリョウ5179」の中国人船長を起訴せず釈放、また海上保安官が収集したビデオも非公開とするなど、菅内閣は事態の収束に失敗、中国側を増長させる結果を招来した。
通常においては民主党に批判的なネット世論も、
_,,,,,......,,,,,,__ フフッ
/::::::::::::::::::::::"ヘヽ 支那畜のパンチでは、この程度か…
/:::::::::::::::::::::::::ノ ヽヽ / |Ο
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|\  ̄二´ / / _,二フ ─=ニ 三
_ /:|\ ....,,,,./\___ / ノ´,ノ
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といった、めずらしく民主党・菅首相に好意的なAAまで作成、日本側の外交上の勝利を渇望したが、承知のとおり結果は散々なものであり、菅総理の支持率、および民主党政党支持率はさらに急落することとなった。
もし適切に処置、日本側有利に処理していれば長期政権も望めた。丁半博打だから負けることもある。
外交上の軋轢増大をおそれ非公開とされた海上保安庁のビデオ映像も、ひとりの海上保安官によりyoutubeに漏洩。実態のひどさに国民の多くが憤慨。
こうした失態を問題視した野党側により同年11月26日の参議院において、事態収拾の陣頭に立ち失敗した仙谷由人官房長官、および海上保安庁の責任者である馬淵澄夫国土交通大臣に対する問責決議案が可決した。
首相は「問責決議に法的拘束力がない」ことを強調、両名を続投させる構えであったが、自民政権時代に問責決議→辞任しろのコンボを繰り出していたため余計に反発された。またブーメランか。
巻き返しを図る形で、小沢一郎氏を筆頭とする反菅総理グループが、反目する仙谷官房長官への辞任圧力を強めた。11月28日には「来季国会召集後の政倫審出席」を示唆、正常な国会運営がなされることを条件とした。
野党側要求では「仙谷官房長、馬淵国交省辞任」が国会審議参加の条件となっており、応じなければ審議拒否となることから、この二人の辞任・解任なくして正常な国会運営が望めないことになる。
仙谷官房長は現在の民主党ブレーンであり、その存在がなければ現在の菅民主党政権は完全に機能を停止する。小沢要求は菅政権に対する事実上の「死の宣告」であり、そのまま要求に応ずることはできない。
こうして菅・仙谷側のイニシアチブ強化のため、連立離脱した社民党との再連立、野党への連立呼びかけをすることとなった。しかしながら死に体と見做されるようになった政権に参加したのは、社民党だけである。
社民の主張は従来通りであり、沖縄基地移転問題など、鳩山政権を崩壊に追いやった防衛・外交上の問題がまたぶり返す危険性を伴っている。
結局のところ、菅総理は内閣改造で仙谷官房長・馬淵国交省解任とならざるを得ないだろうが、果たして党内に後を継ぐ人材はいるのか、仙谷官房長の影響力を保った人事が可能か、内閣改造日程が天皇陛下のスケジュールを混乱させないか(させた場合野党に攻撃材料を与えることにになる)がひとまず焦点となる。
……吉田茂みたいに抜き打ち解散ができればねぇ。
「弱虫太郎に名変えよ」 菅氏、解散で首相を挑発(2008年10月23日 中日新聞)
「弱虫太郎に名前を変えろ」。民主党の菅直人代表代行は23日、山口市で行った街頭演説で、衆院解散・総選挙に踏み切らない麻生太郎首相を強く批判した。プライドの高い麻生首相を「弱虫」扱いして挑発、早期の解散を促す作戦だ。
菅氏は「最初は『逃げない』とか『正々堂々』とか言ってたが、最近は逃げだしそうだ」と指摘。首相が11月中の衆院選実施を決断できなかった場合について「今年中にも政権は行き詰まり、野垂れ死にする」と決めつけた。演説後も記者団に「今月中に解散しなければ、与党内で麻生降ろしが始まり、そう遠くない時期に退陣せざるを得ない」と述べた。
訳:「バーカバーカ」
※何度でも言うが悪罵にはその人物の知性や教養レベル・人格・生活レベルなどあらゆるものが反映される。
リーマンショック後の世界的な経済状況下で、国内選挙のことしか考えていなかったのがよくわかる。
2009(平成21)年8月末の衆議院選挙には勝ったが、9ヶ月(麻生内閣未満)で鳩山政権は崩壊。菅直人総理誕生となったが、結局のところ、三十六計逃げるに如かず。支持率が「落ちないうちに」参院選やっておこうとする作戦。逆境から政策を実行して支持率を上げるのが総理大臣の仕事じゃないの?
INsideOUT:日替わりキーマン討論 政局白熱化の中、存在感増す--BS11 2009年7月17日 毎日新聞夕刊(東京)
(前略)
6月29日午後9時半、スタジオ入りした菅直人・民主党代表代行を待っていたのは、この日の解説者、松田喬和・毎日新聞専門編集委員。菅氏とは30年近い付き合いで本音を引き出すには適役だ。
松田委員は岡田克也氏と鳩山由紀夫氏が戦った代表選を振り返り「民主党は大人の政党になりましたね。以前ならば3人、4人と立候補したでしょう。でも今回は菅さんまで球拾いに回った」と話すと、
菅氏は「みんないろんな失敗をして、多少成長しましたからね」と応じた。
この日のテーマは「民主政権 この国のかたち」。菅氏は、官僚が法案を立案し、与野党への説明や
根回しをしている日本の現状を「官僚内閣制」と批判。さらに「国民の審判を経て多数派となった政党
が内閣全体に責任を持つ。だめなら下野すべきだ」などと話し、政党と内閣が一元的に運営される政治
システムの構築を訴えた。
司会の二木啓孝BS11解説委員が「それでは(教科書的な)三権分立と異なるのでは」と疑問を呈す
ると、菅氏は「憲法には、三権分立とは書いてありません。議院内閣制の理解が間違っている」と声を
高め、スタジオに熱気がこもった。
(後略 全文はリンク先で)
正しい理解のための参考資料:首相官邸キッズルーム
なお、「三権分立のない世界」は、SFドラマ『オアシスを求めて』の以下のシーンを見るとわかりやすい。「国民主権だから、三権分立は有り得ない」とする論理は、「じゃあ国民に主権が宿るとどうなるの?」という議論に繋がる。
(それにしても三権分立の話に触れられるとまずいことでもあんのかねえ?)
有事なら自衛隊で拉致被害者救出? 首相発言に当惑の声 2010年12月10日23時17分
有事の際は韓国を通って北朝鮮まで自衛隊が出動し、拉致被害者を救出――。菅直人首相は10日、北朝鮮による拉致被害者家族会との懇談会で、そんな検討に入るとも受け取れる発言をした。
拉致問題に取り組む熱意を示した形だが、現状では法的なハードルが高いうえ、想定しにくい事態とあって、当惑する声も漏れている。
首相はあいさつで「万が一の時に北(朝鮮)におられる拉致被害者をいかに救出できるか。準備というか、心構えというか、いろいろと考えておかなければいけない」と問題提起。自衛隊の朝鮮半島への派遣を念頭に「救出に直接、自衛隊が出ていって、向こうの国の中を通って、行動できるか、という所までいくと、まだそうしたルールは決まっていないのが現状」と述べ、韓国との間で検討を進める必要性を指摘した。
首相が具体的にどんなケースを想定したのかは不明。複数の政府関係者は「全くあり得ないわけではないが……」と真意を測りかねている。
http://www.asahi.com/politics/update/1210/TKY201012100621.html
ネトウヨ大勝利 と思いきや、発言の前に韓国政府側との意見交換はおろか打診すらしておらず、韓国李明博政権を困惑させただけであった。また半島有事に際して本当に自衛隊が半島に展開した場合、韓国軍との連携・協力、戦闘行動が可能であるか(実際に戦闘に参加するのかさえ)は何とも言いがたい。
前…なんとか外相の日韓同盟発言も同様に、李明博政権を困惑させた。韓国国内の対日感情を考えるに、手順を踏まないこうした日本単独の暴走が韓国国民感情を斜め上に刺激、李政権の土台をつき崩すことになりかねない。
また、韓国側が不法占拠している日本領土の竹島も、2011年中に韓国の「国家管理港」に入ることが、韓国国土海洋省報告書に明記されており、このことに触れぬまま同盟や物資融通協定の策定に触れることは、日本側の、竹島の主権放棄ととられかねない。
さらに、民主党支持母体の一角である護憲派集団がよく主張する「憲法9条」との兼ね合いについても、どう彼らを説得づけるか見ものである。
(右はアスペクト比をあわせている。)
っていうかNAOTO、『平成20年度2次補正予算案審議』なのに『平成21年度予算』の『個人案』もってくるとかどうよ。
2次補正予算案の中にある「定額給付金2兆円」を削った分の話をするとはいえ。
2009(平成21)年2月4日の代表代行による質問ダイジェスト版。本来は1時間近い内容の、ハイライトシーンを集めている。
酒を飲んでいないのに「外貨準備半減」を発言して世界をびっくりさせた、っていうか混乱させたNAOTOが、中川前財務金融担当相酩酊問題を追求。
憲法自体「三権分立」を前提として書かれているため、三権分立自体が憲法に抵触する、ということはありえない。法律の考え方って、理系の人のほうがとっつきやすいと思うのだが…?単に何も考えて無かったのかね?
2011年のダボス会議に参加。TPPにむけての取り組みを講演でアピール。
しかしTPP参加を実行した場合、今後労働者を吸収し、成長分野とすると主張する農業・林業が、海外との猛烈な競争下に置かれる。
稲作だけは別、といったように「個別の例外は認められない」と、すでにオーストラリア外相が日本を意識して発言しており、競争に太刀打ちできなくなった日本の農家が離農、日本の就農人口が激減する可能性が多いにある。こうなった場合、マニフェストにあった、もうひとつの主張でもある食料自給率の向上も達成不可能になる恐れもある。
その他、海外から安価な労働力の流入も始まることになるため、日本は猛烈なデフレーションがさらに加速するおそれがある。
金融分野でも、郵政再国有化が不可能になることが予想される。TPP参加を強行する場合、国内政局は国民新党との連立危機を迎えることになる。
そればかりでなく、小麦やコメ、トウモロコシなどの穀物の日本向け輸出が増大した場合、これらの国際価格が上昇。
アジア・アフリカなどの貧困国のうち、食料を輸入に頼る国々での食料価格が高騰、国内不安を引き起こし最悪、クーデターや暴動、近隣国との地域紛争などの政変・政情不安を引き起こしかねない。
危機管理どうこう以前に日本を襲った津波のこともよく覚えていないらしい。
原発事故に対する渾身のギャグ&パフォーマンス
2011年3月11日に発生した東日本大震災において、東京電力福島第一原子力発電所の事故における放射性物質の放出が約1年続くとされる「最悪のシナリオ」をなかったことにして封印。2011年末まで公文書として扱っていなかったことが複数の政府関係者によって暴露された。ある政府高官曰く、「ものすごい内容だったので、文書はなかったことにした」という。この首相にしてこの高官あり。
さらに、この東電原発事故に関する独立検証委員会がまとめた報告書によると、政府首脳による現場への介入が、無用の混乱と危険の拡大を招いた可能性があると断定している。内閣審議官の下村健一氏曰く「一国の総理大臣が事故に関して細かいことを専門家に聞くのは国としてどうなのか。ぞっとした」。ちなみに、下村氏はニコニコニュースのインタビューに対し、取材ヘリとスーパーピューマのサイズ比較すらまともにできないという無知っぷりを曝け出している(ソース→https://news.nicovideo.jp/watch/nw212435)。
後に原発問題の責任を問われて失脚した事等が日本史に掲載される事に。ある意味偉業である。
菅直人氏は国政に関する著作が数多くある。
脚注
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