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2024-11-17

22市長は人文社会学部に入ってオープンレターの書き方を学ぶべき

いくら名前を並べたところで、あんな高圧的な書き方じゃ逆効果なんだよなぁ

判官びいきになるだけだ

辞めさせられる者も辞めさせられなくなってしま

心機一転、初心に帰って勉強しな

社会人入学でいいか

人文学社会学教授に上手い書き方を教わった方がいい

2024-11-15

転職が決まって心の整理をした


当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである

社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。

妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らし人間結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグ狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収正規サラリマンとして紹介することがあった。

よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜たかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。

もし、この世界エロ漫画世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である

かつては弱者だった。※弱者男性という言葉は嫌い

大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代アルバイトばかりやっており、部活サークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。

「Fの就職チャンネル」で就活生の動画ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。

さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったかである関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである年収+はなんと約200万円。

今まで、この田舎にある小さい製造会社毎日毎日機械仕様書図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。

正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間であるマジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張であるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!

今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイト登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)



そんなこんなで、この田舎最後に何をしようか思案していた。

したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。

・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食

・年に5~6回通っていた居酒屋で高級シャンパンを注文

・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード進研ゼミ中学版、ガラケー写真など)

地元中学校での文化フェスティバルへの参加。中学生以来

地元小学校のサマフェスへの参加。高校生以来

地元神社奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了

あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。

なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あん標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。

自宅の裏から繋がる山道入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵樹木が生えてる感じだった。

亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。

昭和前半の空中写真を見たら一目瞭然

今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題であるてっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。

樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。

景色の一例≫※いずれも里山。道なき道を進んでいく

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高校時代卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。

高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。

なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初最後なんだからさ。



卒業記念色紙の部員コメント

部員一同)

同人誌コレクター増田さんへ

あなた変態っぷりにはほとほと呆れるばかりでした……

大学生になっても、変わらず変態でいてくださいね

自分リッツ第一志望です。京都まで遊びに行きます

増田さんは、□△高校相川さんがロリロリで好みなんですよね!!

相川さんを是非モノにしてください

応援しています

増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです

閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです

自分もあれがほしいです。現像したの1枚余ってたらくだいね

とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!

本当にありがとうございました

増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました

冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!

自分もああい柔道、できるようになりたいです

大学でも柔道続けるんですよね。心から応援してます

増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

早く警察に捕まってください!!笑

カノジョさんともお幸せに 愛のキューピッド藤本より

ロリータ戦士 増田さんへ

あなたロリータっぷりにはびっくりでした。

あなたのそのロリータ魂を受けつぐ戦士が欲しいです。

ぜっひ増田さんにはロリータ魂を忘れてほしくないです。

ファックfuck!!fuck!!fuck!! アダルト西村

増田先輩へ

よく型の練習付き合ってくれたの感謝してます

先輩がいたので、二段の試験合格できました

今でも感謝してます

大学でもがんばってくださいね

増田先輩

お疲れ様でした!!

自分一年なんで、あまり絡みなかったです!!

けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます

いままでありがとうございました♡

柔道部監督

増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配しました。ご卒業おめでとうございますキャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください

女子マネ

・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください

・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑

・これからも今までみたいに頑張ってください



これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。

でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。



そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である

それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱テープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出であるトラウマと言っていい。

いや、大学卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である

マクドアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗から卒業である。毎年3月にある。

卒店式だけど、マクドナルドって経営店舗運営外資ルールからエリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。

それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館無料で借りて、ジュースお菓子テーブルに並べて卒店式をやる。

大学時代アルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。

当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。

そんな時、自分ひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイト社員仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。

でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。

結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。

の子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。

ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。

一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。

あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルものだった。しかし私の答えは……。

「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。

AJCCマクドナルド技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった

その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。

それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々仕事を終わらせて――いや違う、確か女性学生客がトイレゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルド終焉を迎えた。

帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)

しんみりしてしまった。

学生時代の思い出を開封するのは心理的キツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。

そんなのはちょっと想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱開封した。

そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。

その日記最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたかである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。

……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体ハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。

例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。

指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である

組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。

でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。

こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティ感触認識してるってことにもならないだろうか。

剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!

もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。

実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会のもの自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。



それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。

あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。

あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。

始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータ給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶改ざんするものである

ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。

長くなったけど、これでひと段落ついた。終わりである

長文読んでくれてありがとうな。明日から、また一増田ユーザーである

みんなの面白い日記を楽しみにしています

2024-11-05

いとう会長(伊藤滉一郎)@じゅそうけんの中身

@itoukaityou

何度も言うが、「文系学部文系サラリーマンルートは一度レールから外れると不可逆的な破滅をもたらしかねないので、慎重に決断すべき。

専門性を持たない社会学部文学部卒のソルジャーは、ひとたびドロップアウトするともうそからなかなか浮上できない。

https://x.com/itoukaityou/status/1853005410443096558

これ嘘ではないんだよな。

法科大学院とか予備校で300万円ぐらい金をかけて司法試験司法修習に受かったのに、コンビニバイトしてる弁護士もいるし、国選みたいなクソまずい案件しか取れず、予後があまりよくない話はちらほら聞く。

弁護士ルートでなくとも、適応障害きっかけに発達障害が発覚して、そのままレールが外れて、就労移行支援事業所B型ルートニートルート最低賃金での雇用ルートになることもある。

からお金を稼ぐという意味では文系マジで役に立たない。

2024-07-13

anond:20240713030453

日本研究費配分はだいぶおかしいと思うけど、どちらかというと何の成果も出さない、英語査読に出さないことを誇る社会学部かに無駄な配分してるからで、

しろ男が勝手に決めていいならそこ真っ先に減らすが、って思った

2024-07-06

anond:20240705221844

人手不足の波がIC業界にも及んでいるんだね。

社会学部人文学部ジェンダー学を修めた博士号取得者を集中的に映画業界で雇えないだろうか。

文系博士人材は、既に企業CMプロモーション活動倫理チェックで活用しているが、このたびは性の問題に揺れる映画業界でも雇用を推進する時期に来ている。

2024-06-27

anond:20240626131851

条件のいい家庭教師って、押印とかの女子相手想像してるのかもしれないが。

家庭教師をつける親は、貧乏学生支援するために家庭教師を雇うのではない。当たり前だけど。

そういう金を出せる金持ちが、地方出身ガリベン女子東大生家庭教師につけて、娘が社会学部なんか志望するようになってほしいとは思わないし。

東京にも東大を目指すガリベン女子一定するいると思うけど、家庭教師なんかつける金はない。

女子生徒への家庭教師なんて、娘に東大生をあてがおうとする半お見合いだったりすることもあるし。

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 4/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

終わりに~

この大学卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。東プレという会社だ。今は、産業用のキーボードとか作る仕事をしている。

オフィス工場は、東京神奈川にある。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民はてな民ニアミスしてるかもしれない。

今では佛教大学感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。

仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。

この道は、正しかった。第一志望の大学不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格バカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。

自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。

でも、実は後悔がひとつだけある。卒業である。実は、自分卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。

失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。

というわけで、先日3/18(月)に佛教大学卒業式に参加してきた。もちろん保護者である

後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。

焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。

式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。

会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。

とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後プロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。

卒業式中の写真(※個人情報保護のため一部編集しています)

https://d.kuku.lu/fnam52xya

https://d.kuku.lu/fvzdknbv6

https://d.kuku.lu/nhm347cjs

https://d.kuku.lu/xvwa6hugx

ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室学位記を受け取る儀式があるのだ。

ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。

卒業式の会場を出てから100席ちょっと教室に入ると、今まさに社会学部とある学科学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。

「静粛に。これで二度目だぞ、君らは最後までわからんのか!」

約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまり煩いものから学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑

あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後卒業代表が、ステージ上で「私がこの学校入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月最後最後まで受験を続けて、それで最後合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業諸君は大騒ぎだった。卒業代表の話なんて聞いちゃいなかった。

今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?

それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。

最後に、学部先生挨拶をしていた。

(以下要約)

あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた

入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う

学生生活の中で、あなた達は多くの試練を突破してきたはず

社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい

・いつでも大学に帰って来ていい。私たちは待っている

すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。

※推測だが、2020年当時って、入学式オリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。

ちなみに、ほかの学部学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生学生も、熱の篭った感じで最後儀式に興じていた。特に教育とか保健とか看護学部がよかった。

卒業式の後~学内散策(※上に同じく一部編集)

https://d.kuku.lu/3ezx4ceec

https://d.kuku.lu/ftnf34ssm

https://d.kuku.lu/fx5ay2mbm

大学を出た後、近くにある千本北大路交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。

社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。



これで結びになる。

若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分雑魚すぎて嫌だった。

「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。

大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。

今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニング勉強をしている。

なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツから立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。

あきらめないでくれ……」

夢の中にいる自分は、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。

「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」

って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。

でも、現時点の感覚で、「学生時代は楽しかたか?」と自問すると、「楽しかったよ」が答えになる。

当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。

しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?

確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって無意識ではわかってる。

から、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。

しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。

今回、自分記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。

ありえないことだけど、昔の自分に伝えられるのなら、伝えてみたい言葉があるんだ。「諦めないでくれてありがとう」って。

学歴コンプレックス卒業した 3/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

大学3回生の頃~

この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。

就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイト巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。

リクナビとかあるじゃん。あれで友達かにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。

当時は、LINEとかTwitter一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。

5.学内TOEIC受験の思い出

 本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃からTOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。

 受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプ学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。

 人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。

 その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。

 これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動通用しないはずがない。祇園木屋町などの飲み屋街、東本願寺渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!

※そんなふうに考えた時期が俺にもありました

そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。

あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。

6.佛大就職の話

 いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌大学職員給料ランキングでは、慶應関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記趣旨ではない)。

 大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。

 あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。

 考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。

 まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOBOGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。

けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。

就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。

二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。

その組は、男子女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。

その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。

最後レポート仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっとかにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。

と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。

当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかい次元ではない。消失している。全然からない。

なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である

余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。

根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉教育に強い大学はそうなのだろうか?



大学4回生の頃~

就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。

うちの大学卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。

7.偉大な先輩方の話

 当時は社会学部政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。

 ほかのゼミ交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだからレベルが高い人は一定存在しているのだ。

 社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分入学する数年前に総合商社内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売仕事に明け暮れていたらしい。

 単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。

 学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴現在地位相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。

 アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分同意である。どんな中学高校大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。

 どんな瞬間だって自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているかそれが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。

就職活動の話に戻るけど……就職活動面接で問われる内容(志望動機自己分析自己アピール就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。

就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材会社方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。

若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。

自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」

就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。

経済社会バリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなた大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。

将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい

結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。

大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。

当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。

両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダール小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。

両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。

この年度の終わり頃、卒業間近だったか大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。

「うちの学校から、こんな会社内定が取れるんや」

「ん。どこどこ?」

「ほら、ここや。この会社

「ああ、それマンコやろ」

「……」

「女の一般事務職だって総合職ちゃうし。こんな掲載詐欺に近い」

俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。

こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193041

学歴コンプレックス卒業した 1/4


2024/9/16

みなさまへ

先日、知人の一人から連絡がありました。

要約すると「これ多分お前やろwww学内で読んだ人がいる」というものでした。

その人は私と同じ部活で、今は佛大の職員をしております

一応本文を読み直してみたところ、わかりにくい表現や、一部写真アップロード期限が切れていました。

もう一度だけ投稿します。文章もわかりにくい表現を直しています

なお、当日記には不適切表現(人間の質が低い学生体育会の横暴、その他不祥事)がいくつも出てきますが、私が在学当時の事実ありのままに書いております

何卒ご理解をお願いいたします。

最後に、もし佛大生でこちらの日記をお読みになる方に伝えます

今でも、人間として低い次元で生きている学生は多々いるものと思料します。残念な気持ちになったり、将来が不安になっているかもしれません。

しかし、学生時代自分や周りの社会のことをどれだけ考え、行動してきたかによって未来は変わります

私の同期も、近い年代の方々も、きちんと努力を積み重ねた方は、一流どころの企業官公庁社会福祉法人・NPOへの就職スポーツプロ選手社会人生活を経ての起業など、自らの道を選び取っています

卒業時にうまくいかなくても、地道な努力を積み重ねて、道を切り開いた人も存じています

大学レベル関係ありません。

過去選択がどうであろうと、現在、今を生きることでしか未来は開けません。

今後、あなた人生を失敗するのだとしたら、それは大学のせいでも社会のせいでもなく、「あなた個人が終わっている」から失敗したのです。

未来は決まっていません。

自分が将来、どういう人生を送りたいのか、どういう人間になりたいのか――その未来に向かって『今』を選択し続けてください。

道筋の中に、幸運があることを祈っています

卒業生より

(以下本文)

____________________________



約十年前に、とある4年制大学卒業した。名を佛教大学という。

高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったこである

実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。

※この日記の書き出しは、同じ佛大卒の方の書かれたはてなの日記を大いに参考にしています。先達に感謝します…

なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。

普段から増田投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。

佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である

なんで自分がここに入学たかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学社会学部に進むことになった。

大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。

学業一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。

アルバイト金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態サークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家コピペだったのが記憶に残ってる笑

ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。

学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークル飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。

冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。

大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活エンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。

でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である

当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。

そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。

入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。

さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。

一番最後に、今の自分気持ちを書いてみたい。



大学1回生の頃~

入学式と最初オリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗大学だったので、そういう縁からか、知恩院僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。

今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。

この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代日記を参考に書いていく。

以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。

1.授業中の男子学生

 新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。

 先生それから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。

「もういい。お前は落とすっ!!!!」

 先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。

 当方は、京都まれ京都育ちである佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。

 しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。

2.想像を絶する張り紙その他

 一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだからマナー常識もこれから勉強すればいい。

 しかしbut。自分学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。

(貸出物品のこと)

 多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨張り紙がしてあった。

「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」

 久保帯人ブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。

体育館張り紙

 キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間ステージ上で寝てる人が多数いた。

 いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分認識としては……「なんでこんな貼り紙存在するのだろう。管理者ダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。

 大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。

コピーカードのこと)

 何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的もの(ex.学内新聞関係)だと部活動費で賄えるが、個人趣味出版物だと難しいものがある。

 同じ部活にいた文学部学科は忘れた)の女の先輩が、趣味同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミ教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。

 もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷無料販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。

  「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。

増田君。文学活動にはね、お金必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」

 だってさ。あまりクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑

 (参考:https://d.kuku.lu/m3mguzmej)

 ※度数1000のコピーカード画像自分教授から借りてそのままだった笑

この頃から自分は佛大の学生とは距離を置こうと考えていた。

早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。

そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

2024-04-29

anond:20240429124816

ネット世論ってレベルがクソ低いからな

多様性には正しく触れれてないよ

経済政治社会思想について語ってるけど何にも基礎がない奴ばかりだから内容がめちゃくちゃ


そんなに語りたいなら大学経済学部や政治学部や社会学部に行けばいいのに、なんで無知識で適当に語りたがるんだろうな

現実ではドローンタクシーの普及が進んでるのに、劣化車輪三輪車の再発明議論してる感じ

何が面白いんだか

2024-04-14

anond:20240413140318

文系出身なら業務知識武器としていくのがいいと思う

SES担当した業界業務知識と、大学学部の基礎知識二刀流を目指すべし

ノーコード開発であろうが当該業界専門用語になじみがあるだろうから、関連する専門書を10冊も読めばりっぱなコンサルのはしくれだ

プログラミングの本を10冊読んでも上級プログラマーにはなれない

大学学部の基礎知識については、大学学部が、法、経済商学部系であれば、法律会計系の資格勉強をしてみるのもいい(資格取得までいかなくても間違いなく役に立つ)

文、社会学部系ならば、統計学心理学組織人事運営言語学分類学等の専門書を読んで知識習得するバックグラウンドがあるだろう

社会人大学院という手もある

2024-03-22

anond:20240322144150

いつも思うけど何らかの立場意見を語りたいなら大学行って法学部とか哲学部とか政治学部とか社会学部とかでゼミでも入って議論すりゃ良いのにね

ネットバカ同士で前提からツッコミどころしかない無意味議論してる低脳暇人の考えてることはよくわからん

2024-02-18

anond:20240218001744

女性差別の影響で、就職に直結しそうな理系に進学させてもらえないケースが多いよ。

親や教師の頭が全体的に古い。

本当は理工系に行きたい子まで「女らしくない」と言われて社会学部文学部を押しつけられがち。

2024-02-03

anond:20240203152616

増田本人は大丈夫だとしても、女性全員のことを考えたらどうかな。

フェミニストの話だと、女性たちは未だに親に人生支配されて無学になった人が多いんだって

無学という表現もひどいかな。

大学進学を反対され、勉強の機会を奪われた子が多い。

行けても東工大みたいな理系は「女らしくない」って言われて、結局女子大社会学部みたいなところに行かされる。

太宰治みたいな教養とかの話ならまだ笑い話で済むけど、もっと深刻なことが分からない成人女性も多い。

フェミニスト研究調査だと、性的なことについての意思表示社会に出てから契約も、うまく出来ない人が想像以上に多いと分かった。

2023-11-29

anond:20231129005053

医学部入れてくれる金持ちに生まれてよかったね

これが社会学部とかだったら中退してただろうし

毒親だなんだと恨む方に傾いていっただろう

医学部肯定するのは結局は資本主義恩恵があるからなのにペラい話にすり替えるな

2023-10-13

anond:20231013192510

ジェンダー論の先生たちは、自分たちの分野のことを恥じてるよ。

こんな役にも立たない、高収入にも自立にもつながらないような、文学部社会学部の専攻にばかり女の子が増えても仕方ないって。

そんなまともに女性のことを思えるジェンダー学者実在していたんか。

anond:20231013191653

でも当のジェンダー論の先生たちは、自分たちの分野のことを恥じてるよ。

こんな役にも立たない、高収入にも自立にもつながらないような、文学部社会学部の専攻にばかり女の子が増えても仕方ないって。

よく理系学者Twitter社会学者に絡んできて、ジェンダー論の主張をボロカスに罵ってくることもあるけど、それでも理系学問価値が高いとは感じるって言ってる。

芝浦工大ような特別枠を作ってでも、理学部工学部女の子が増えた方が、自分たちのところに入ってくるより本当に嬉しいんだよ。

2023-09-09

異世界転生知識が生兵法になって酷いことになった

マジで死ぬかと思った

マジで死んでるんだけどね(笑)しかも2回w)。

トラック転生から女神パターンで勝ち確キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!となってワクワクしてたらチートスキル選択権のみ。

一瞬がっかりしたけど、「良く考えたらSSR確定ガチャSR選択チケだったら選択のほうが初手じゃ強いじゃん」って気づいてウッハ勝確~~~でニヤニヤしてしまった。

そこで女神とのフラグは折れたけど別に巨乳に興味ないし、俺はロリババァエルフ結婚するから(のはずだった)。

スキル選択錬金術魔法作成があったけど俺文系から現代知識無双はマジ無理ポ(;^ω^A

現代アイテム持ち込みあったら考えたけどパっと見はナシ。

経験値アップは10倍までなら取ったけど2倍だったし、スキル強化は+20%まで。

じゃあもう残ってるのはコレでしょ!

『鑑定』

分かります

完全に勝ちの流れっすよ。

ごめん自分語り長すぎた結論だけ言うね。

チートで『鑑定』貰うの微妙すぎワロタwwww

『鑑定』自体結構強かったよ。

素人目利きとしては優秀だった。

でも使うのが難しくてさ、出力あげるとステータス情報めっちゃ沢山ありすぎてムズいし、下げると見りゃ分かることばっかで、その調整にセンス熟練、なによりもあっちの世界における知識がいるんすわ。

あーこれならチートで『超記憶力』取ってそれから地道に『鑑定』スキル上げてくとかが正解でしたわ。

あと『鑑定』使うと周りにバレる。

つーか魔法遮断で弾かれることもある。

非破壊X線写真みたいなもんなんだけど、これが結構威力あって繊細なマジックアイテムとかだと素人が『鑑定』すると壊しちゃうぽいんだわ。

いや詳細は分からんのやが、なんか『鑑定』したら壊れてるっぽい表示が出るマジックアイテム鑑定してしまった時にそう言われた。

実際は分からんよ。

単に俺が素人転生者だから騙されて借金負わされたのかも。

とりあえずそうして俺の借金生活が始まったわけだな。

じゃあ現代知識無双しろよって話なんだけどさ、無理だったな。

俺が思いつくようなことはもう異世界でもやってたし、異世界人間がまだ未解決問題は俺には無理だったわ。

だって文系だぜ?

異世界社会学部なめんなよ。

歩んできた歴史が違いすぎて全く役に立たずに終わるから

ラーメンとか発明したらワンチャンじゃね?と料理頑張ろうとしたこともあるけど、味覚が違いすぎて俺が美味いと思ったものに不味い判定食らうのが地獄過ぎて終わった。

味覚違うのマジやばいよ。

食える物探すのめっちゃ大変だから

「食っても安全だけど不味い」っていう区分けされている食材を探してそれを調理して食おうとしたら、「不味すぎて皆が試してないだけで実はちょっと毒ありました」ってオチで腹壊したりとかね。

もう無理。

死にそう。

まあこのあと死ぬんだけどね(持ちネタかよw)。


みたいな展開の小説が読みたいんですが、ありますか?

2023-06-09

anond:20230609135538

そもそも議論の訓練を受けた人が少ない(社会学部などがちゃんとした教育をできていればいいのだけど、残念ながらちゃんとした教育を受けれていない世代が教える側になっていて再生産が起きている)というのがまず一つ、

そして海外フェミニズムにはキリスト教という軸が(宗教保守であれアンチ側であれ)あった上での議論があるのに、日本ではその上っ面だけ輸入されてしまったので議論が浮ついてしまっているのがもう一つ、

といったところではないかな。

2023-05-30

東京私立大やとちょいちょいあるんでしょ

社会学部教授がその道のエキスパートでむっちゃ社会貢献しとるの

性とかメディア問題に詳しい

んで憧れて先生コマーシャル批評する授業受けたいです!って

ゼミ訪問したらいきなり昆虫食出されてコオロギ食わされるハメに

2023-04-27

女性向けの牛丼屋というコンセプトでできた店が

スープストックトーキョーだと武蔵大学社会学部教授が断言なされていた

女の吉野家だ、いや違う、なつかしのコピペ(元の文章個人サイトだよね?)とかflashとかで盛り上がってたけど

カレーもあって味噌汁もあるしやっぱりこの店牛丼屋だったのか?

社会学部つまんねーーーー

授業がつまらなさ過ぎて大学生活が辛い。そこそこの大学に入ったのにこのザマである

ちょっとした憧れで入ってしまったが、明らかに間違いだった。

内容がとにかく薄い。社会学が幅広い範囲をやる学問から、授業は軒並みそれの触りをするだけ!虚無感がすごい。ちょっと本読めば済むようなうっっっっすい内容をわざわざ大学で高い金払って学んでいるのだ俺は。完全なるアホである

資格ゴミみたいなのしか取れねえしよぉ……当然就職も悪い!いい所が見つからない!

まあ自己責任だわなあ、簿記とか取るの頑張るわ。

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