はてなキーワード: ガリとは
軽い自己紹介
文面ごちゃついてますごめんなさい
なんだか最近色々なことにモヤモヤしてしまい、吐き出す場がないので増田で吐き出します
今の気分を表すとしたら、ドカ鬱・顔ない・今これ・大横転って感じの気分です
でもなんかふと寂しいとか悲しいとか空虚さを感じるみたいな
うまく言語化できない
自分語りさせてもらうと
生まれは北海道で、18の時に就職で上京してきて今はPCとかサーバとかの機械を修理する仕事をしてる
36524でそこそこ忙しい
高卒就職した訳は、大学行くにも別に頭良くないし学びたいことないし、親も貧乏ではないけど裕福でもないみたいな感じであんまり負担かけたくなかったので就職を選んだ
ほんとの田舎に比べると駅前は栄えてる方だとは思うけど遊べる場所が限られてた
あとシンプルに雪が嫌
寂しさは周りに人がいないとかではないとは思う
小中の友達は連絡取りたくなくなってほぼ疎遠、これは後述します
高校が人生で一番輝いてたけど悪友ばっかりで、お互いがお互いをカスだと思っている節しかない
と思いきや2週間で振られた
振られた理由は色々あるんだろうけど、メンヘラだし寂しい思いさせちゃったんだろうなって考えてる
うんうんそれは俺が悪いね...
割り切ったつもりだけど心の中では割り切れてないのかな
中学生の時は、好きだった女オタクの友達にLINE送りすぎて給食食べてる時に真後ろで悪口言われました
その子は結構共通の友達がいたので、小中の友達とは気まずすぎて連絡取ってませんというか取れてません
そんなこんなで成人式も行きませんでした
行った方がいいですよ成人式は
マッチングアプリを始めてみようかなと思うことはあるけど、低身長・低学歴・ブスではないけど普通くらいであるんじゃないか?くらいの顔
TLに流れてくるたぬかなさんやらなんやらの動画を見て毎回落ち込んでます
チャレンジしないといけないとは思いつつ今はまだ自分に自信がないので色々試してるところ
見た目は一昨年初めてオフ会した時に髪ボサチー牛だった🤓のを、パーマかけてみたりコンタクトにしてみたり服買ったりしたので清潔感とかはまぁ大丈夫じゃないかなレベル
一番は東京で遊べる友達とか彼女がいないのが原因の寂しさ?なのかな
休みの日は最近スプラとかモンストも飽きて動画見てばっかりなのが空虚さの原因?
あと仕事も休み明けた途端忙しいし、夏くらいからこの仕事向いてないんじゃないかなって5000兆回くらい思ってる
けど学歴ないし転職しても給料下がるの嫌だし、転職するからには今以上に活躍〜云々の広告を見て別に活躍とかはいいかなと思うくらいには上昇志向がない
同期と呑んでるときとか実家に帰って友達と遊んでる時とかはめちゃくちゃ楽しいのに帰った途端言語化できない感情に襲われる
ごちゃごちゃ書いたけどやっぱり寂しいんですかね?
軽い自己紹介
文面ごちゃついてますごめんなさい
なんだか最近色々なことにモヤモヤしてしまい、吐き出す場がないので増田で吐き出します
今の気分を表すとしたら、ドカ鬱・顔ない・今これ・大横転って感じの気分です
でもなんかふと寂しいとか悲しいとか空虚さを感じるみたいな
うまく言語化できない
自分語りさせてもらうと
生まれは北海道で、18の時に就職で上京してきて今はPCとかサーバとかの機械を修理する仕事をしてる
36524でそこそこ忙しい
高卒就職した訳は、大学行くにも別に頭良くないし学びたいことないし、親も貧乏ではないけど裕福でもないみたいな感じであんまり負担かけたくなかったので就職を選んだ
ほんとの田舎に比べると駅前は栄えてる方だとは思うけど遊べる場所が限られてた
あとシンプルに雪が嫌
寂しさは周りに人がいないとかではないとは思う
小中の友達は連絡取りたくなくなってほぼ疎遠、これは後述します
高校が人生で一番輝いてたけど悪友ばっかりで、お互いがお互いをカスだと思っている節しかない
と思いきや2週間で振られた
振られた理由は色々あるんだろうけど、メンヘラだし寂しい思いさせちゃったんだろうなって考えてる
うんうんそれは俺が悪いね...
割り切ったつもりだけど心の中では割り切れてないのかな
中学生の時は、好きだった女オタクの友達にLINE送りすぎて給食食べてる時に真後ろで悪口言われました
その子は結構共通の友達がいたので、小中の友達とは気まずすぎて連絡取ってませんというか取れてません
そんなこんなで成人式も行きませんでした
行った方がいいですよ成人式は
マッチングアプリを始めてみようかなと思うことはあるけど、低身長・低学歴・ブスではないけど普通くらいであるんじゃないか?くらいの顔
TLに流れてくるたぬかなさんやらなんやらの動画を見て毎回落ち込んでます
チャレンジしないといけないとは思いつつ今はまだ自分に自信がないので色々試してるところ
見た目は一昨年初めてオフ会した時に髪ボサチー牛だった🤓のを、パーマかけてみたりコンタクトにしてみたり服買ったりしたので清潔感とかはまぁ大丈夫じゃないかなレベル
一番は東京で遊べる友達とか彼女がいないのが原因の寂しさ?なのかな
休みの日は最近スプラとかモンストも飽きて動画見てばっかりなのが空虚さの原因?
あと仕事も休み明けた途端忙しいし、夏くらいからこの仕事向いてないんじゃないかなって5000兆回くらい思ってる
けど学歴ないし転職しても給料下がるの嫌だし、転職するからには今以上に活躍〜云々の広告を見て別に活躍とかはいいかなと思うくらいには上昇志向がない
同期と呑んでるときとか実家に帰って友達と遊んでる時とかはめちゃくちゃ楽しいのに帰った途端言語化できない感情に襲われる
ごちゃごちゃ書いたけどやっぱり寂しいんですかね?
どやどやとは「男子高校生がふんどしと足袋だけ身につけたほぼ裸の格好でうろつく祭」だ
男の先生とかも同じ格好してる
コロナの時期に3年中止していたが今は復活
この寒い時期にほぼ裸でうろつくが、裸でもみくちゃになった体は熱を発し、裸のおっさんが若者たちに冷水をぶっかけると湯気が生じるのがウリだ
まだまだ子供っぽいガリガリの子、十分鍛えられて腹筋が割れ腕もムキムキな子、ぽっちゃりな子、色んな子がいる
若者たちがやるのは上空からばらまかれるフダの取り合いなのだが、会場が長らく工事中なので会場の前でやっててちょっと趣がない
ぷりっぷりの高校生の肌やむっちりしたおっさんの肌をいっぱい見て元気が出た
福娘はきれいな独特の着物を着て正月だけエビス神社に使える巫女さんのようなものだ
無料で撮り放題の存在だったが、今年からは撮影禁止になってしまった
男成分はどやどやで大量にチャージできたが女成分が足りない
うちは両親とも兄妹が多くて子どもの頃に嫌な思いをしたとかで兄妹を平等に扱うっていう方針だったみたいなんだが、それが極端すぎて今も恨みがある。
子どもの頃に切実だったのは、とにかく食べるものが足りなかったこと。毎日お腹空かせてた。
信じがたいだろうけど、長子の自分と末子の弟と年が6つ離れてるのに出される量が同じだったんだよね。
ご飯だけはおかわりを許されたけど一回に制限されて、もっと食べたいといっても意地汚いと切り捨てられていた。
親がいらなかったり残したりすることがあっても取り合いになることがいつもで、自分は年上だからと譲ることを強制されていた。
だから昼の給食はとても有難かった。お腹いっぱい食べられることに加えて、ほぼ毎日のようにパンが余ってそれを持ち帰ることが許されていて、いつももらって帰って間食にしていた。
良くそれをイジられてたけど空腹には替えられなかった。
そこまでしていても栄養が足りなかったのか、いつも身長は最下位争いで前から3番目でより後ろになったことがない。もちろんいつもガリガリ。
高校に入ってバイトできるようになってからは取り返す勢いで食べまくったけど、身長は取り返せず家族の中で明らかに低いという後遺症も。
今思うとおかしいけど、当時はもっと食べたいという欲求はあっても親がおかしいと思ってなかった、思いもしなかった。
他にも自分だけ大学行かせて貰えなかったとか平等といいつつ平等じゃなくない?って思いもあるけど満足に食べられなかったのが一番だな。
インフルエンザA型になって熱が下がったので帰ってきましたよ!みなさんの増田が!
さて自宅待機で暇なので、インフルエンザになったらどうすればいいのかなどなど、おしゃべりしていこうと思います!
インフルエンザA型、発熱数回、観測できた最高体温40.0、鼻水咳、喉、関節、頭の痛み等、だいたい思いつくやつ全部
年末年始に空いている病院は少ないので地域の病院リストを入手しておこう。
インフルエンザになるのは久々だったので、なんとなく最初は風邪とインフルエンザ区別つかないと思っていたけど、ヤツは違う。すぐ分かる。潜伏期間もわりと短い。逃げ切れない。喉に激痛が走りくしゃみが出始める。この時点でアウト。
でもなんとか動けるので、アクエリアスとかポカリスエット(レモン系は喉に滲みるからやめろ)を2L4本頑張って買って帰ろう。家族がいたらスポドリ頼もう。
すぐに病院に行くのもいいが、初期だと検査に引っかからないで翌日来い、となる。発熱してから行くしかない。理不尽だが甘んじて受け入れよう。なお家族や近い人にインフルエンザが居たら、話はスムーズで薬などはすぐ用意してもらえる。
薬は発熱後48時間以内に飲まないと効果がないらしいので、それは頭に入れておこう。発熱外来の時間をチェックしてくれ。
解熱剤はアセトアミノフェンが推奨されやすいが、飲み合わせNGもある薬だ。知らない人は今すぐ薬剤師に飲めるのか確認しておこう。
花粉症で本当に鼻水で死にそうなんだが、花粉症の薬は割とタミフルといっしょに飲める場合がある。最初知らなくて鼻水に溺れた。が、多種多様なのでこれもまた確認しよう。
よく知っている医者が対応してくれたが、それでも多少いつもより流し気味の診察だった。こっちが死ぬ気で聞こう。無理ならメモでも書いていこう。
患者が多すぎるので普通に受付で発熱外来の患者たちが倒れている状態だった。あれ見てインフルエンザ流行ってるのやっと実感したわ〜…あ、自分がそうだった!ってね(このときの体温38.8)
症状が軽いうちに汗を流そう。今しかない。
パジャマは普段のやつでいいが、下に1枚長袖着よう。寒さ対策にもなるし、汗をかいたらそれを脱ぐだけでいい。
おすすめは、こたつで寝ることだ。風邪を引くって?こっちインフル引いてんだよ。こたつの中でふるえてるんだ。電気毛布じゃいられない。
いまこの時期に夜中に裸で外に出るくらいには寒くなるので、独占できるならばこたつ寝を推奨したい。
テーブルにはティッシュ、あとはスポドリ。とにかく飲もう。どれだけ飲めるかで、今後の人生変わってくる。
あとは座椅子などに枕やクッションを置いて軽く起き上がったまま毛布をかぶって寝よう。まっすぐ寝ると、鼻水が喉に行ってタンになったものが鼻から逆流してきて「あれ、鼻からうどん習得した?」って状況になる。それで俯きながら鼻かんだら結構鼻から痰でてくることに気づいたミラクルも起こる。
そのうちとんでも無く熱くなって汗だくになる。こたつはすぐ出れるので、外で涼むのもありだ。
インフルエンザの特徴はこの熱が上がったり下がったりの部分にある。下がったときはチャンスだ。なんとか動いて次の熱に備えよう。
スポドリさえ飲めてたら無理して食べなくてもいい。でも意外と冷えてるおにぎりとか食えたりする。
発症後数日経過すると口内炎だらけになる人もいる。自分もそうで口内炎どころではない荒れ方をした。こうなったらガリガリ系アイスキャンディとアイスの実とゼリー飲料しか無理かもしれない。ま、食べられるものを食べよう。症状全部伝えてる家族が、とち狂ったのか買ってきたアジフライは当然食べれなかった。なんで与えた?自分もなんで挑戦した…?
休まなきゃいけないのに暇すぎてスマホでワイドショーとか見て「え、引退すんのか?」と興奮してしまう。
YouTubeでコナンとか見とくのがいい。なんも頭に入らないけど、なんか見た気にはなってる。
ゲーム実況を見るのは危険で、まじで酔う。ラジオくらいがちょうどいい。
SNSは見なくていいけど熱と症状の記録に使うのはありだ。病院に行ったときに詳細に伝えられる。本来メモ帳でいいけど、つらいとか苦しいとか、書いたほうが楽だ。家族には言いにくい。
言わないでほしい。感染対策はしてたよ。マスクも手洗いも消毒も。なんなら周囲にもいなかった。
でもなるときはなるんです。はいみんなで復唱して。なるときはなる!みんなそういうもんでしょ?
大掃除はしておこう。業者の来客等があったので掃除済だったから年末大掃除はしなくていいんだ。ほんとよかった。
美味しいもん食べとこう。クリスマスケーキ食べた頃にはもう具合悪くてごちそう全部吐いた。正月はリベンジケーキしたい。
人混みには行くな。…行くな。頼む。ジジババ、気持ちはわかるが今デモはお前死ぬぞ。耐えられねぇ。
帰省…すんな。してやるな。飯食えなくなるだけで年寄りは死ぬから。
誰もがわかってる話と長文をだらだら書いてこの形式で締めるの、いかがでしたかブログって言うらしい。これも暇すぎてインフルエンザ中に知ったことだ。
俺にはギターしかないんだ。このか細いたった六本のよくわからん紐に、45kgという成人男性としては軽くチー牛としては重い体重が乗っている。
他の選択肢を切り捨ててギターにのめり込んでいるとか、ギター触ってて楽しいなんてことも特にない。学生時代に気まぐれで初心者セット買って、バンド組める社会性社交性なんてもちろんないので冷房を聞かせた子供部屋で、パワーコードを弦と平行に行き来する。それに3ヶ月。弦を上下に行き来できるようになって1ヶ月。ソロを弾いて2ヶ月。そっから10年と半年くらい一日一フレーズ、数分触ってギタースタンドに置く生活。
青春の奇跡的な勢いと慣性、正確には惰性。誰も目をくれない空虚な人生の内側を、何の抵抗もなく、空気抵抗すらなく等速直線運動している死んだ木。
俺は子供部屋おじさん。必死な顔で、何もやっていない。かき鳴らすギターは日本では20年くらい前の個人ブログで「良い歳して浅い政治批判をしている」とだけ評されるパンクバンドのクソみたいな曲を表している。死んだ木の電飾もやはり死んでいて、ありえんほどジャックにガリが入っているが気にしない。声にすらしていない叫びはアンプに繋がれていない。ノブを回す気も起きない。俺のやる気フットスイッチを踏んでくれ、2回タップでモードが変わる。頼む。当方ボーカルギターベースドラムキーボード観客求む
ある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。
しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。
少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。
一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。
まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。
主は振り向いてペトロを見つめられた。
ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。
そして外に出て、激しく泣いた。