はてなキーワード: 悶々とは
ここ数日例のCMを取り巻く出来事に悶々とする日々が続いていたので、自分の考えを整理したいと思う。
これによって何か大きな動きを作りたいという意図は全くないし本意ではないが、「そんな考えもあるのか」程度に捉えてもらえたら幸いだなと思い、ネットに放流することにした。
まず、私があのCMを初めて見たのはネットで変に話題になる前にテレビ放送されていたものだった。(このCMのオフィシャル情報を追っていないのでよくわからないが、web版のみであると言及している人を結構見かけた。しかし私はテレビCMで目撃している…)
その時の率直な印象は「なんか気持ち悪いCMだな…」というものだったけど、だから放送を取り止めろだなんて思わないし、様々な理由から個人的に好きになれないものなんてたくさんある(個人的に異常に好きなものがあることと同じだと思っている)ので気にもしていなかった。
その数日後、X上でこのCMに対しての批判的意見を見かけ、特にアクションを起こしたいわけでもない私は(同じ意見の人そこそこいるんだ〜)と軽い気持ちでそれを眺めていたが、その後それに同調する人とそれに反発する人が続々と現れ、Xは大騒ぎになってしまった。
これは何度でも言うが、私はこのCMが好きではないにせよ取り止めて欲しいとは全く思っていない。
しかしこのCMが好きではない人が数字で見れば無視できない程度にいるにも関わらず、大挙して「このCMを受け入れられないのはおかしい」という指摘が相次いだことに居心地の悪さを感じてしまった。
ただただ個人的に、(私のこの気持ちはそんなにおかしな感覚なのか?)と暗澹たる思いが湧いてしまった。
そこでなぜ私はこのCMに気持ち悪さを感じたのか、改めて考えてみようと思った。
X上では概ね、表現が性的に捉えられた結果批判されているということになっているが、私個人の感覚として何が不愉快だったのか向き合ってみることにした。
まず第一に私は何かを性的に描くこと自体に特に反発心はない。ただ、エッチなものを見るときは「エッチなものを見る」という気持ちを作っておきたい派。無条件で視界に入ることにはゲンナリしてしまう。
じゃああのCMがエッチに描かれていたかというと個人的には微妙なラインだが、少なくとも主人公の女の子をとてもかわいいものとして描こうという気概が溢れていたように思う。
これはこれまでの人生経験による感覚だが、人間に向けられた「かわいい」という言葉が性的関心とリンクしないと考えることは私にとっては難しい。
なので私は人間をかわいく描くことは性的に魅力的に描くことと近く捉えてしまう。
それ自体を否定する気持ちは全くないし、私もそうやって生み出されたものを見て魅力を感じたことが何度もある。
それは「かわいく描こうとするあまり行動に整合性が取れていなかったから」では、と思った。
涙目の姿がかわいい、漏れ出る声がかわいい、こんな仕草がかわいい、それを描くことに注力したがために「なぜそれをする状態になったのか」の説得力があまりにもなかったように思う。
テレビを見て感動し、それによって泣いている。
そしてうどんを食べるが、うどんに対して別の大きな感情を抱いているのかと思うほど「美味しい」のセリフが意味深。
「んしょ」と言っているが、その音が漏れるような動作をしているように見えない…。
つまり、「描きたいもの」を描くための理由付けが甘いように思えたのだ。
ここまで杜撰な作劇を見せられると、最早主題とはあまり関係のない部分、散々言われている背景の作りだとか、なぜテレビを見ているのにテーブルにある眼鏡をかけないのかだとか、なぜ自宅でひとりまったりムードなのにベルトをしているのかだとか、なぜ泣きながら見ていたテレビのチャンネルを変えるのかだとか、細かな作りの雑さが気になり作品自体への信頼度が落ちてしまう。
何もかもに意味を持たせてほしいとは言わないが、あまりにも意味のない、いい加減な表現が多すぎる。
当然初見時にここまでのことを感じたわけではなかったが、徹底的な作りの雑さによって全てがバラバラになった結果、女の子の存在が浮いてしまい、ただかわいく見せるための装置に成り果てて見えてしまったのではないかと考えた。
フィクションに涙を流し、それはそれとしてうどんの美味しさに感動しているという、あまり繋がりを感じない流れではなく、実際に悲しい出来事があって、うどんの美味しさに感動しほっとするという流れとかではだめだったのか。
本来作り手の意図が多分に込められているであろう本筋にいちゃもんを付けるなんてことはしたくないのに、細かな部分のいい加減さも相まってそこにすら疑問が湧いてきてしまう。
今回制作会社がクリエイターを守る声明を出していたが、多くの人手が加わっているであろうこの企画において強い決裁権を持っていたのは制作会社だと思うから、なんて頼もしい会社だろうと心から思った。
しかしプロの仕事としてこの作品を世に出した感覚はちょっとわからない。
作品を受け取る側の意見は「そんなこと気にしないよ」と思う人も多いと思うが、クリエイターのプライドとしてこんなにいい加減で問題はないのか、と思ってしまう。
「自分はかわいい女の子を描くことにしか関心がない!」という考えだったとしても、ひとりで作っているわけではないんだから、どうすればかわいい女の子をもっと素敵に描けるのか、周囲の人間は考えられることがあったのではないだろうか。
大作アニメ映画にも作り手の性癖はしばしば込められているが、その周囲の作りがとても丁寧だから敏感な人以外はそれに気づかない。今回のCMはそれらに比べると不快感を感じる人が多かったように思う。
今回のことをきっかけにX上で「斜めがけのカバンをかけているだけでいやらしいと言われる」だとか、「棒状のものを食べているだけでいやらしいと言われる」などの経験談が語られていた。
このふたつに関しては私も経験があり、当然不愉快な思いをしたため、そのあたりがエロいものへの過剰な忌避感に繋がっているのだろうかと思い、このCMを不愉快に感じた部分を真剣に考えてみたが、結果として単純に作品の仕上がりがあまり良くなかったから歪に見えたというだけの話では、と思った。
今は技術的にも環境的にも個人で大きな作品を扱える世の中だけど、どうか改めて多くの人が関わって何かを作ることの意味を考えて欲しい。
そして作品を受け取る側は、いろんな意見の人間がいることを受け入れて欲しい。
今の世の中はインターネットの存在により、世界中の価値観を一色に染めようとする方向に動いているように感じるが、私はどこまで受け入れどこまで拒否するかは各々のものさしで良いと思っている。
世界を自分の理想で染め上げたいならそういった活動をすればいいし、私のように自分に影響が及ぶ範囲が不愉快でなければ良いと思うならインターネットの意見に感情を揺さぶられる必要はないのだ。
自分が攻撃されていると感じたとしても、所詮ちらしの裏の落書きで、本来大した意味を持たないものなんだ。だから気にせず自分自身の生活と現実の環境を大切にしたい。今回インターネットの意見を見て多少なりとも気落ちしてしまった自分自身への戒めも込めて。
いまから10年ほど前、初めて「人工知能(AI)」という言葉を聞いたとき、正直なところ、私はたいして興味を持てませんでした。ニュースや雑誌などで、「近い将来、AIが人間の仕事を奪う」とか「自動運転が当たり前になる」などの特集が組まれていても、当時の私はどこか他人事のように感じていたのです。なぜなら、それまでの人生で「AI」などという最先端の技術に触れる機会はほとんどなく、自分の日常に結びつけて想像することが難しかったから。正直、「そんなに早くは普及しないだろう」と楽観的に思っていました。
しかし、それから数年が経ち、スマートフォンを買い替えるたびに「音声アシスタント機能」が進化しているのを体験し始めてから、私の中でAIという存在は少しずつ身近なものとして意識されるようになりました。最初は「どうせ大したことはできないだろう」と思いながら試しに使ってみたところ、「近くのカフェを探して」「明日の天気は?」といった問いかけに対して、瞬時に的確な答えや地図情報を返してくれる。ちょっとした会話のようなやりとりもできる。これには正直、驚かされました。
その頃はまだ、「便利だけれども、あくまで“おもちゃ”の延長のようなもの」という感覚だったのですが、さらに数年経つと、AI関連のサービスや機能が私の生活に溶け込んでいることに気づきました。たとえば、ネットショップでの商品のレコメンド機能です。以前は「おすすめ」といってもあまり精度が高くなく、「どうしてこれを薦められているのだろう?」と思うことが多かったのに、いまでは「自分が欲しがりそうなもの」をしっかり見抜いており、うっかり買ってしまうこともしばしばあります。それが嬉しいような、怖いような、不思議な気持ちでした。
しかも、その「AIレコメンド」は私の行動を学習し、時間が経つほどにおすすめ精度が上がるというのです。これこそ、いわゆる“機械学習”の成果なのだと聞くと、最先端の技術が私たちの何気ない日常に深く入り込んでいるのを実感せざるを得ませんでした。
さらに私の職場でも、AIの存在は一気に大きくなりました。私は以前から営業関連の仕事をしていたのですが、最近では「顧客データの分析」や「需要予測」の分野でAIを活用するケースが増えています。上司が「AI導入で業務効率を上げる」と意気込む横で、私は「そんなにうまくいくものだろうか」と懐疑的でした。というのも、過去の私はExcelや独自の分析ツールを使って自分なりに顧客動向を予測していましたが、その結果が大きく外れることも少なくなかったからです。
しかし実際にAIを使い始めてみると、膨大なデータを瞬時に処理し、私が気づかなかった小さな傾向やパターンを見つけ出してくれるではありませんか。初めのうちはAIの結果に半信半疑だったのですが、何度かテストを繰り返すうちに、その精度の高さに感服しました。以前は何日もかけて、あるいは時には自分の「勘」に頼っていた分析が、いまではAIによって高速かつ正確に行われるようになったのです。
こうして仕事の現場でも、私の生活の中でも、徐々にAIが入り込んできたと思っていた矢先、決定的だったのは「対話型AI」の登場でした。インターネット上で入力した問いかけに対し、まるで人間のような自然な文章で返答してくれる。最初にこの技術を知ったときは、真偽を疑うレベルで衝撃を受けました。実際に使ってみると、その回答の的確さや文章の流暢さは、まさに“機械が喋っている”というよりは“人間と会話している”感覚に近いのです。もちろん、まだまだ粗削りな部分や、間違った情報を示すケースもあるのですが、それでも「ここまで来たのか」と感慨を覚えました。
とくに私が驚いたのは、これらの対話型AIが「文章作成」や「翻訳」、「アイデアの提案」といったクリエイティブな領域にまで踏み込んでいることです。私自身、仕事でプレゼン資料を作る際に、対話型AIを使ってキーワードや構成のヒントをもらうことが増えてきました。恥ずかしながら、頭の中でなかなかアイデアがまとまらないとき、ちょっとAIに尋ねてみると「なるほど、そういう考え方もあるのか」と新しい視点が得られたりするんです。昔ならば一人で悶々と考え、ネットの検索エンジンを使っても結局は似通った情報ばかり……という状況に陥ることがしばしばありました。ところが、いまではAIが発想のヒントを「文章」という形で提示してくれるので、自分が思い描いていた以上にアイデアが広がることがあるのです。
また、クリエイティブと言えば、画像生成AIの進歩も目覚ましいですね。これまでデザインのソフトを使いこなせずに苦労していた私のような人間からすると、「こういうイメージの絵が欲しい」と要望を入力すれば、それに近い画像を生成してくれるなんて、未来の話のようでした。もちろん、プロのデザイナーやクリエイターからすれば、現段階ではまだ微妙なところもあるのでしょうが、それでも一般ユーザーからすれば十分に魅力的で、遊び感覚でも仕事上のアイデア出しでも使えるツールになっています。
こうして振り返ってみると、AIはいつの間にか私の生活のさまざまな場面に入り込み、役立ってくれていることに気づきます。スマートフォンの顔認証も、カメラの撮影モードの自動判別も、あるいはメールのフィルタリング機能も、みんな大なり小なりAIの力を借りて動いています。仕事でもプライベートでも、「AIに任せておけばとりあえず間違いない」という安心感が、少しずつ育ってきているのかもしれません。
そして同時に、これほど便利なAIがこれから先どう進化するのか、想像するとワクワクすると同時に、ほんの少しの不安も感じるようになりました。便利さを享受する代わりに、私たちはAIに多くの個人データや行動パターンを預けているわけですから、もしそのデータが悪用されたり、誤った使われ方をしたりするリスクも存在します。
しかし、少なくとも現時点では、私はAIの発展を前向きにとらえています。ほんの10年前には「こんなことにはならないだろう」と高を括っていた私が、いまやAIなしでは考えられないくらい、多くの恩恵を受けているのです。しかも、技術はまだまだ進歩の途上らしく、5年先、10年先には想像を絶するサービスやプロダクトが当たり前になっている可能性があります。自動運転の車が普通に街を走り、医療現場では正確な診断をAIが補助し、教育現場では生徒一人ひとりに合わせた学習教材をリアルタイムで提案するような未来がやってくるのかもしれません。そう考えると、「私が生きている間にこんなにAIが普及するなんて、誰が予想しただろう?」と改めて驚きを禁じ得ません。
もちろん、AIに任せきりにするのではなく、あくまで人間の意志や倫理観をコントロールの舵取りとして残しておくことが重要なのは間違いありません。どれだけAIが進化したとしても、最後に物事を判断し、責任を負うのは人間です。私自身、仕事や日常生活でAIを活用しながらも、「最終的にどう行動するか」は自分で決める、という意識を忘れないようにしています。
とはいえ、日常のあらゆる場面に当たり前のようにAIの手が入るようになった今、本当に「こんなに普及するとは思わなかった」という気持ちでいっぱいです。わずか10年ほどの間に、まさにSF映画のような世界が少しずつ現実化してきているのを目の当たりにしているのですから。次の10年、20年後には、いま以上に私たちの常識を超える技術が生まれていることでしょう。AIはただの流行やブームではなく、今後も確実に社会や生活様式を変革していく核となる存在になっているのだと、今なら素直にそう思えます。
思えば昔は、スマートフォンひとつとっても、「こんな小さな端末で何でもできるようになるなんて」と感動したものですが、その何十倍ものスピードでAIが私たちの暮らしを変えつつあるのかもしれません。私はこれからも、急速に進化するAIの波に戸惑いながらも、その可能性に期待し、上手に付き合っていきたいと考えています。今の私に言えるのは、「AIの普及を甘く見ていてごめんなさい」という一言と、それを超えるくらいの未来への期待だけです。振り返れば、本当に驚かされることばかりでした。今後どんな技術が生まれるのか、どんな便利なサービスが登場するのか、胸が高鳴る思いです。いつかまた数年後、「あのときはまだまだ序章に過ぎなかったんだなあ」と懐かしく振り返る日が来るかもしれません。
真剣に、レスってる側の女性側がどうしたらもっかいイチャイチャセックスしてくれる気になるか、増田にかこつけて、皆様のご意見頂戴したいですね。まぁガチで、n=1でもいいのでほんと。
弊社では週に一回という約束事をしており、ものすごく乗り気じゃない妻と致すのだが、毎度毎度何かと理由をつけて引き伸ばされ、引き伸ばされた後は来週ねと言われ不履行となることも多い。
ある日致したし致したしとアタックしたら「あなた明日試験でしょ、集中するために今日はやめとこ」と言われてこちらの事情を勝手に都合よく言い訳に使われ約束を反故にされてそれはもう怒り怒ってもういいと自室に引き篭もったが、やはりそれでも悶々とし、一刻後ずこずこ訪れてそれでも致したいとぼそぼそとお願いに言ったら爆笑されて、しょうがないねとその日はしていただけた。曰く可愛かったかららしい。
結局翌週以降はまた致したい俺と致したくない妻のおいかけっこに戻るのだが、なんというか、こう、毎週仕方ないなぁでも良いから、したいんだ。や、できたら毎日。
長い付き合いの男性と、どういう気持ちになったらしても良いと思えるのか、教えてくれ。どう愛せばいいんだ。教えてくれ。
ちなみに子なしでデート後ラブホプランについては誘ったら家でできるやんお金勿体ない言われて家着いたらデートで疲れたからまた今度ねってニコニコしやがるねん。ちくしょう。
AI超便利だな
この頃歳のせいか、いやこの頃ってほど短い期間でも無いんだが、単語が思い出せない事がある
そういう時はgoogle先生に聞くわけにもいかず、しばらく悶々としてふと思い出せるか、問い自体を忘れるかくらいしかなかったのだが
今はCopilot君がいてくれる!
もっと有意義な事で役立ててる人が世の中にいる事は知っているが俺にはこれで十分だ
ちなみに今回の質問
「アメリカの情報当局が運用していると言われ、フィクションなどでも語られることのある世界規模の盗聴システムの名前は何ですか?」
この彼女は、典型的な(女性側の)NTR性癖を発症しているので、浮気の是非の議論をしても相手には全く刺さらないことを理解する必要がある。
NTR性癖にもいくつかのパタンがあるが、典型的なものとして、自分の愛する相手が自分でない(より生物として強い)別の相手とセックスすることで安心する、というのがある。
ネット上には「寝取られ性癖に苦しむアライさんの寝取られクロニクル」のスレッドなど豊富な実例があるので、参考にしてほしい。
エロ系のフィクションには男性が寝取られる側で女性を寝取られ(あるいは寝取らせ)て悶々とすることで快感や相手への愛を実感する、というのが多いが、実際には女性が自分の愛する男性を寝取られてそれに快感を覚える、というパタンもあり、ここに男女差はないようである。
つまり、彼女は、貴方を「本命の彼女がいるのに平気で浮気する下劣な人間」として見ているから、「浮気して当然」と言っているのではなく、「自分の愛する相手に浮気してほしい、それが自分の喜びである」からそのように言っているのだと思われる。
そのため、冒頭の内容になるわけだが、もし、貴方がそのような性癖の相手を理解できない、あるいは理解できても付き合えない、というのであれば、残念ながら関係を続けることは難しいだろう。
しかし、もしも貴方が、彼女の性癖に理解を示し、自分もその世界に飛び込んで相手と一緒に生きていく、と決断するのであれば、その前途に幸多かれと祈りたい。
それまで週1回はセックスしてたが、半年ほど前に彼氏が仕事絡みで精神を病んだタイミングでEDになってしまった。
当初はいつもの会話や寝る前のスキンシップが無くなったので、嫌われた(もしくは浮気?)かと思い込んで毎日悲しんでいた。仕事が忙しく辛そうだったので聞くに聞けず、そんな状態が1ヶ月ほど続いたところで
「勃たなくなったんだ」と言われ、ようやく彼氏がEDだと理解した。
コミュニケーションが減ったことについても、仕事で精神的に追い込まれているから、と説明してくれて納得が行った。
「焦らなくて良いから、ゆっくり様子を見よう」と言ったものの、自分はそれなりに性欲があるので暫くは悶々とした日々が続いた。精神を病み、シャワーも浴びることができず引きこもっている相手に向かって「病院に行くなど治療してほしい」なんてとても言えないので、胸の内にしまってオナニーで気を紛らわした。
少し経って、1度だけ堪えきれなくなった時に「ちんちんの調子はどう?」とたずねたら「今は考えたくない」と言われてしまい、以降この話題は出せずじまいでいる。
しばらくして彼氏は職場を離れ、精神状態もほぼ元に戻り、今は毎日楽しく過ごせているが、以前のようなスキンシップや行為はまだない。寂しさはあるが、セックスレスによって仲が悪くなったことも特にないし、異性としての魅力を感じなくなった訳でもない。
しかし、オナニーも段々面倒くさくなり3ヶ月程せずにいると、性欲が薄くなってきたような気がして、別にこのままでも良いか、と思う時もある。
だが、性欲が全く無くなったわけではないので、やっぱり彼氏とセックスしたい!と強く思う時もあり、とりあえず今は早く彼氏のちんちんが元に戻りますように……と夜空の星に願っている。
28歳、地元のハム務員になって6年目。同期でもある婚約者が首都圏への転職活動を始めた。
ハム務員にありがちな、生産性がない割に無駄に忙しい環境に嫌気がさしたらしい。自分も、相手の性格上向いていないと思っているため、転職には大賛成だ。
婚約者が入りたい業界は地方には殆ど働く場所がなく、東京に一極集中している。
そのため、婚約者が転職活動で無事内定をいただけると、自分は婚約者について行って首都圏で暮らすか、別れて地元で仕事を続けるかの二択を迫られることになる。
入庁3年目から、首都圏の公的団体に2年間出向した彼は東京が大好きだ。興味を持ったことに対して猪突猛進タイプで、東京は挑戦のためのツールが必ず手に届く距離にあるからだ。
一方2年間の遠距離恋愛中、月一回程度の頻度で東京を訪れる自分はどこへ行っても人の異常な多さに嫌気がさし、何をするにも長蛇の列に並ばないといけない環境にストレスを感じて、街中の人間が皆キラキラしているように見え、情けなくなるばかりだった。
加えて一人暮らし&職場の人間関係でストレスを溜め込み無事過食症となった自分は、2年間が地獄のように長く感じた。
正直、遠距離恋愛中、東京のことが大好きになった婚約者を見ながら、いつか首都圏に転職すると言い出すのではと予感はしていた。
今の合わない仕事で苦しそうにしている婚約者を見るのは心苦しい。楽しく仕事をしてほしいと心から思う。しかし、自分は地元でのハム務員の仕事がしっくりきはじめていて、新しい業界に進むにもスキルがなく、首都圏に馴染める自信もない。
その不安からか、遠距離で振り回されて今回も振り回されてばかりだ。とか、自分に軸がないから婚約者に依存してしまっているのでは、とか、今別れてしまったら一生1人なのか、など、自分のことばかり考えてしまって悶々としている。
夜中に抱えるような悶々とした気持ちはスポーツなり自己表現なりで発散・昇華出来るのかもしれないけど、200km/hのスピードを感じたい気持ちは200km/hの風をこの身で受けなきゃ満たされない。淫語絶叫したい気持ちも淫語絶叫でしか発散し得ない。
原因不明の苛立ちや漠然とした焦燥を吐き出すワンノブゼムの銃口でなく、極めて明確な形で欲求が存在する。
でもやはりどんな衝動的な欲求も同じ燃料で燃えていて、同じ何かに向かって燃え上っている感じもする。
サッカーに打ち込むにせよ、キャンバスにぶち撒けるにせよ、ギターの音に乗せるにせよ、そういうのはいずれにしてもある程度の鍛錬をしなきゃ中々満足に出来もしない。
ある種のセオリーに則った細かな身体操作をある程度無意識に行えるレベルにまで持っていくまで鍛錬しなければ、頭の中を漂うモヤつきを満足に燃焼させられない。それが上手く行かないと、逆にフラストレーションすら溜まる。
そんなまどろっこしい真似よりも、叫んだり走ったりした方が手近に違いない。最もフィジカルで最もプリミティブというやつだ。
能力的には今すぐにでも出来るからこそ、それをしたいと思った時には、同時に確固たる欲求になっているのかもしれない。替えが効かない、効かせる必要もないのだから。
絶叫してえと思った時にはもう絶叫しねえと気が済まなくなってる。しかし集合住宅に住んでいて、そこを出ても逃げ場のない住宅街が延々と続くときたら、社会性がそれを躊躇させる。内発的には「恥」として、外発的にはまあ近所迷惑か何かとして。
実にもどかしい。
叫ばせてくれよマジで。絶叫してえだけなんだよこっちは。
どうにもままならないんで、絶叫は諦めて走り始めた。
青春アニメみたく衝動に身を任せて走ったら一瞬で心肺が限界になった。爽快感もない。
Youtubeで適切なフォームを調べて、スマートウォッチで適度なペースもキープする。衝動の湧かない日もコツコツ走る。少しずつ速さも距離も伸びていく。まだ心の荒ぶりに身を任せて走るには程遠いが。
この日記のタイトルは、少し前にTwitterで話題になった「はてな匿名ダイアリー」から頂いたものである。
https://anond.hatelabo.jp/20241021131553
なぜこの日記が話題になったかというと、内容が「嘘くさい」、「弱者男性を装った女が書いたに違いない」と多くの人が感じたからで、いわゆる炎上に近い形でTwitter上で議論が白熱した。
私も当該日記をよく読んでみたのだが、確かに「女性が書いた」ということもさもありなんといった印象だった。というのも、自分自身も過去は「弱者男性」であったが、色々と経験を積み、今は結婚もできているというステータスで、まさにタイトルの当事者であったからだ。
そこで、(元の日記の真偽はさておき)タイトルの当事者を自覚している筆者が、「弱者男性としての恋愛観」を綴ってみるとどんな感じの文章になるのかやってみた、というのがこの日記の目的である。この日記をたまたま見つけてくださった皆さんも、ちょっとした実験に付き合うつもりで読んでいただけると幸いである。
そもそも「弱者男性」は最近出てきたネットスラングで、色々と定義があるだろうが、ここではめんどくさい話に踏み込まず、弱者男性を単純に「モテない男性」、いわゆる「恋愛市場における弱者」と定義することとする。
自分はその意味で、過去はバリバリの弱者男性であり、ともかくモテなかった。詳しいことは後述するのだが、高校卒業まで女子と話したことはほとんどなく、当然彼女が出来たり、バレンタインチョコをもらったりなんてことは経験したことがなかった。
自分なりにモテなかった理由を分析してみると、至極単純な2つのことに集約される。
①顔が悪い
①に関して、やはり顔が悪いのは大きかったと思う。恋愛において「顔」の良し悪しは世間で言われているよりもずっとずっと重要な要因だと感じる。イケメンに生まれていたら、恋愛における立ち回りも大きく違っていただろう。ただ、このことをうだうだ言っても仕方がないので、次に行くとしよう。
②に関しては自分の家庭内環境が大きかったと思う。自分の家族構成は、父母、自分と弟の4人家族で、家庭内に母親を除くと男しかいない。なので、昔は女子が普段どんなことを考えて生活しているか、どんなことが好きなのか、全くわからなかった(実は今でもよくわかっていない)。これは女子と恋愛していくうえで、大きなハンデだったと感じる。
前述のように、男兄弟で育ち女子が何を考えているか全く分からない自分は、モテるモテない以前に「女友達」というものすら全く作れずに育った。
小学生の頃に自分が好きだったものと言えば、ドラクエ、ガンプラ、カードゲームなどであり(あまり特定すると年がバレそう)、友達になるきっかけとして、「あのゲーム好き?」「君もガンダム好きなの?」みたいなアプローチ法は知っていたが、逆に言うとそれ以外の術を全く知らなかった。よって、必然的に女子とどんな話をすればいいか分からず、全く女子と話さない学校生活をつづけた。
小学校のころまではそれでも特にストレスを感じずに来られていたが、中学に上がるとそうもいかなかった。自分も思春期真っ只中になって女子への関心と性欲が出てきたし、何よりもクラスの中の会話がほぼ恋バナになり、「誰と誰がやった/やらない」という噂が飛び交うようになっていた。
そんな中で自分は相変わらず女子と話す方法が分からずにいたので、どんどん自信がなくなり卑屈になっていった。そのオドオドした態度が女子にも伝わっていたのか、徐々に女子から嫌われているのを感じるようになり、覚えているのは、罰ゲームで女子が「自分と握手する」というのをやっていたことだ(まあこれくらいは弱者男性あるあるだよね)。
さらに、この頃から女子に対するヘイトも強まっていった。上記のようなひどい扱いをされたこともあるのだが、それ以上に、自分が行っていた中学はいわゆる「スクールカースト」が強くあり、「ヤンキーしか女子と話せない空気感」が強くあった。このころ女子と話したことがないので噂の情報しかないのだが、どうやら「クラスの可愛い子がヤンキーと付き合ってひどい目にあったらしい」みたいな情報だけはたくさん入ってきた。そのことから、「女子はヤンキーしか好きにならない」=「女子はバカだ」という考えが自分の中で熟成されていった。
しかし、なんせ思春期真っ只中なので(というか男の生理として)、女子にはめちゃくちゃ関心があったし、性欲も人一倍強かった。よって、「女子は嫌いだけど、女体には(死ぬほど)触れたい」という思春期のベタな感情を抱いて悶々とした日々を送っていた。
そんなこんなで中学生活を過ごしていたが、高校進学のタイミングで希望の共学の高校に落ちて、不本意ながら男子校に通うことになった。
高校では当然学校内に男子しかいないので、中学時代のような自己矛盾からくるストレスは減っていったが、女子と話す経験、恋愛する経験は一向に積まれないまま、18歳を迎えた。
高校生活は特に楽しいこともつらいこともなく、学校に行って帰るだけの生活で、よく言えば非常に穏やかな日々だった。ただ、3年次の受験勉強だけはそこそこ頑張って、何とか第一志望群の大学に合格できた。
自分が行っていた大学はいわゆる私立文系のマンモス大学で、当然可愛い女子もたくさんいた。中学時代の女子ヘイトを経て、高校三年間男子校という監獄に閉じ込められた自分には刺激が強すぎる環境だった。しかし女子と話す経験値が致命的に足りていないので、入学後の3か月くらいは、昔と同じで女子を遠ざけるような生活を送っていた。
転機となったのは、英語のクラスで好きな人ができたことである(思えば初恋だったかもしれない)。その時、男友達はそこそこ出来ていたので、親切にも色んな人が恋愛テクを教えてくれた。どうやらメール(その時にLINEはなかった、また年がバレそう)をこまめにやって、頃合いを見て二人でご飯に誘うのがいい、という今考えれば当たり前の恋愛プロセスもその時はじめて知った。
またその友達が他の女子と自分を繋いでくれて、恋愛相談をするという形で、女友達を何人か作ることができた。この頃には、「女子とどんな話をすればいいか」がなんとなくわかるようになっていた。
ただ、肝心な好きになった子とは全くうまくいかず、それもそのはずで、その子には既に彼氏がいて分かれる気配もなかった。しかし恋愛というものを全く分かっていなかった自分は「彼氏がいても好きなら諦めないのが純愛だろ!」などと痛いことを考えていて、ちょこちょことアプローチを続けていた。
(AKBの歌詞みたいだね。好きって気持ちが大事なんだーって。さすが秋元康は童貞の気持ちをよくわかっている)
ただまあ当然うまくいくわけもなく、早まって告白をし、あえなく振られた。そんな感じで傷心状態が1~2か月続いたが、そのタイミングで同じサークルのある女の子と仲良くなった。
その子は正直言ってあまりタイプではなかったが、傷心を癒してくれたし、何よりなんだか付き合えそうな雰囲気があった。そこでやりたい気持ち半分、癒してほしい気持ち半分でなし崩し的に告白をして付き合うことになった。
後から振り返って思うのは、やはりn=1でも女子と付き合ったことがあるかないかはとても重要で、一人の女性からでもその生態を深く知ることができた。
そこからの話はあまり面白くないので詳細は省くが、人並みに大学生らしい恋愛をした後、別れたりくっついたりして、やがてそれも終わり、その後新しい彼女が出来たりして…といった感じで、徐々に「弱者男性」だった自分は薄まっていった。
ここで、弱者男性だった頃の、下手で、精神的に未熟で、痛くて、という恋愛観を経て、今思うことを綴ってみる。
まず、弱者男性になるきっかけは、ほとんどの場合、先天的なものと家庭環境だとおもう。冒頭にも述べたが、イケメンに生まれて弱者男性になる人は少ないだろう。あとこれも経験則でしかないが、家庭内に女兄弟がいたら弱者男性になる確率はぐっと低くなるだろう。
次に、弱者男性から抜け出す方法は、月並みだが女子と接する「経験」をともかくつむしかない。なので、今自分が弱者男性であると自覚していて、かつそこから抜け出したいと思っている人は、勇気をもって踏み出してみるしかない。当然傷つくことも多いし、自信を無くすかもしれないが、多くの男性がそれを乗り越えて幸せをつかんでいるのだ。こんなことを書くと精神論になって胡散臭いセミナーみたいなので、最後に具体的な方法を2つ示して、弱者男性から抜け出せる確率を少しでも上げられるように考えてみる。だれが読んでいるか分からないが、少しでも参考になれば幸いである。
恋愛において顔が重要なことは何度も述べたが、顔は整形でもしない限り変えることができない。しかし、髪型やファッションは変えることができる。今となっては、自分も他人の恋愛相談に乗ることも多いのだが、モテない人はだいたいダサい髪型とダサいファッションをしている。そういう人はたいてい我が強い。自分のこだわりが強すぎて世間の流行からかけ離れているか、もしくはすごくケチで美容院やファッションに金をかけたくないと思っている(趣味に金をかけすぎで、髪型やファッションに金を回したくない人も含む)。
そして、女子は男が思っているより何倍も外見で様々なことを判断する。男の何倍も髪型やファッションに関する関心が高く、自分が思っているよりかなり細かく髪型やファッションを見られていると思ったほうがいい。こんなことを書くと、「外見で判断する女は嫌だ」なんて反論が聞こえてきそうだが、そんなきれいごとを言ってもしょうがない。流行りの髪型やファッションを雑誌やSNSで学び、カネをかけるべきである。
自分はと言うと、なぜか中学くらいからファッションにだけは関心があり、ファッション誌を読み漁り、誰に見せるわけでもないのに(高校生にしては)そこそこ高い服を買っていた。それもあってか、大学入学後は髪型やファッションに関してダサいと言われることは無かった。このことは弱者男性を抜け出すための大きな要因だったと思う。
これは、弱者男性が恋愛をすると初めに陥りがちなパターンである。つまり、好きになった女子の要望をなんでもかなえてあげたいという思考だ。
「どこ行きたいの?」「何が食べたい?」「次どうする?」。こういったことを逐一聞いていると女子は貴方のことを優しいとは思わず、むしろ「頼りない」=「魅力を感じない」となってしまうらしい。(自分もこういうことを言っていたので気持ちは痛いほどわかる…)
対策としては、デートまでの日時とデートプランはこちらである程度固めて、リードしなければならない。いちいち女子の要望を聞いていてはいけない。迷ったら、お互いの休日を合わせて、映画に行ってちょっとおしゃれなお店(頑張って調べよう)で食事をする、とかで良いと思う。面白味は無いが、女子が貴方を査定するには必要十分なセッティングだ。
いかがだっただろうか?この日記は特に推敲もせずに思いつくままに書きなぐったので、読みにくい部分もあるかもしれない。
自分もまだやっていないのだが、自分の日記と元の日記(https://anond.hatelabo.jp/20241021131553)を読み比べてみて、どのような違いがあるのか考えてみよう。
もしこの辺境の地の日記をたまたま読んでくれた人は、元日記との違いやざっくばらんな感想を教えてもらえれば幸いである。
では。
既婚。生活は満足している。
が、通常よりも性欲が強いのか、
いつも持て余しているのだ。
といいつつ、別に主人もいるし、
誰かとどうにかなりたい訳ではない。
もちろん、私にとって、
すごく好きなパターンの話だ。
妄想をして寝ること、1年は経ってると思う。
なんだか無性に、
文章として残したくなってきた。
とりあえず、
私の妄想を垂れ流している。
寝る前に書いているのだが、これがとっても具合がいい。
性欲が、形になって、
昇華して行ってるような…。
7日連続続いた。
目覚めもなんだかスッキリしてる。
そして気づいたら、
7人の人がブックマークしてくれていた。
私の妄想垂れ流しが、
謎の満足感もある。びっくり。
ただ、この話をする場所がないというのが難点だったが、匿名ダイアリーに書くことで、
この欲も昇華できている。
初めて書いたから、変なとこあったら許してね。
そして、また新たな自分の場所が見つけられたことが、凄く嬉しい。
せっかく続いてるから、楽しみながら
コツコツ続けてみよう。
婚活中の友人がいる。
いや、正確に言うと「婚活中」ではない。
彼女としては結婚以前に「まともな恋人がほしい」と思っているところなので、「恋活中」と言った方が良いかもしれない。
少なくとも結婚願望があるなら、そんな生ぬるいことやっていないで婚活に本腰を入れるべきだと私は思う。
しかし彼女は自分の年齢を10歳以上見誤っており、20代前半の感覚で生きているのでそんなことには到底気付かない。
ちなみに彼女の口癖は「おばさんになったなぁ~」なので、自分の年齢を見誤っている自覚は全くない。それがまた恐ろしい。
本題に入る前に、私と彼女についての詳細を書く。
38歳女。技術職。
恋愛経験といえば、若い頃に何度か好きな人のセフレになったくらいで、まともな交際経験はほとんど無い。
同年代にはあまり知られていない、とある映画が好きだということが発覚し、意気投合。
多感な時期を共に過ごしたこともあり、恋バナや趣味の話、将来の話などをしていつも盛り上がっていた。
いつか結婚式するときはスピーチをお願いする約束もしていたくらい、本当に仲が良かった。
大学の専攻とは関係のない技術職に興味を持ち、独学で技術を学んで専門職に就いた。
遠く離れて暮らしていても、それなりに連絡を取り合い、帰省した際には必ず会っていた。
「彼氏ができない」
といったような悲観的な内容ばかりになっていった。
学生の頃のような趣味などの明るい話はせず、自虐を言っては「幸せになりたいね」と、互いにただ願う日々。
私たちのLINEは、傷の舐め合いのトークで埋め尽くされていた。
30歳の節目を迎えたとき、何となく「このままではまずい」と思った私は、本格的に婚活を始めた。
お見合いパーティーやマッチングアプリに勤しみ、様々な男性と会った。
頑張った甲斐あって、約半年間の活動後、数年ぶりに彼氏ができた。
それが今の夫。
悲観的になって傷の舐め合いばかりしていた私たちは、他に共通の話題が無かったのだ。
私が彼氏との出来事や愚痴などを話しても、A子は交際経験が無いため碌な返しが来ず、「話すだけ無駄だったな」と思わされることが多かった。
「公務員試験受けようか考えてる」
と口だけいっちょ前な事を言うくせに、特に行動を起こさないので聞いていてイライラするようになってしまった。
悲観的な思考になってしまったせいか、これといった趣味も無い。
なので会話で盛り上がることは無くなっていき、昔のようなLINEのラリーもしなくなった。
彼氏ができ、同棲し、婚約し、仕事でも役職を貰えたり後進育成の立場になったりと、1歩ずつ人生がステップアップしていくにつれ、A子がいつまでもその場で足踏みしているように感じ、私は次第にA子を見下すようになった。
もう昔のように、心から楽しく話せる友達ではなくなってしまった。
ただ、連絡が途絶えたわけではない。
お互いの誕生日にはLINEを送り合ったり、ふとした時の連絡のついでに近況を話したりする程度にはやりとりをしていた。
そして会うたびに「こいつは何も変わらないな」と思っていた。
A子以外の友人は、年を重ねるにつれどんどん生活が変わっていくのに、彼女だけは相変わらずその場で足踏みしている人生を送り続けていた。少なくとも私はそう感じた。
結婚式は、お互いの地元がかなり離れていて何だかんだ面倒なので、しないことになった。
しかし、その頃にはA子のことをすっかり見下していた私は、むしろスピーチを頼まずに済んだことに安堵したのだった。
やがて、コロナ禍が到来。
帰省することができなくなり、A子と会うこともなくなった。
そんな中で私は妊娠・出産と、人生における大イベントを迎えた。
里帰り出産ではなく東京で出産したため、A子にもLINEで報告。
報告ついでにA子の近況を聞くと、どうやら婚活もとい「恋活」を始めたようだった。
コロナ禍で誰にも会えない日々が続き、寂しさを感じて彼氏を作ろうと決意したらしい。
恋愛弱者にマッチングアプリは厳しそうだなぁと正直思ったが、「良い人に会えるといいね!」とだけ言っておいた。
誕生日のお祝いメッセージなど、たまに連絡を取ることはあったがお互いの近況を言い合うことは無かった。
今年、私たちは38歳。
コロナ禍で会わせられていなかった娘にも会いたいと言ってくれた。
A子とは4年会っていなかった。
見下していたとはいえ、4年も会っていなければ色々と変わっているだろうから近況を聞きたいなと思ったし、何より近頃は友達と会う機会がめっきり減ってしまったため、声をかけてくれたことが嬉しかった。
そうしてA子と私は4年ぶりに再会することになった。
A子は何も成長していなかった。
まず、仕事の話。
4年前と相も変わらず同じ愚痴をこぼしていた。
資格がほしいと言っていたわりに、新たな資格は特に取得していない。
今の会社では、職種を変えない限り昇進は無く、ずっと末端社員のようだ。
年齢を考えると管理職くらい経験しておかないと今後転職は難しいと思うが、そこに対する危機感は感じていないのだろうか。
別に辞める気が無いならそれでも良いと思うけど、「辞めたい」の嵐。
何年も末端社員で同じ仕事をしながら、同じ愚痴をこぼしている。
お局という名の化石が出来上がっていた。
そして、「恋活」について。
この4年間で、彼女はマッチングアプリを通して4人ほど交際したらしい。
交際経験が無かったことを思えば、それだけ聞いたら少し進歩したように思える。
何度も言うが、A子は38歳である。
まず「全員年下」という点について。
A子はけっこう美人だ。美意識が高く、美容にお金をかけている。引け目に見ても10歳くらいサバが読める。
それが問題だ。
私を含め38歳って、皆おじさんおばさんである。
目元口元にシワが出て、白髪も生えている。
同じ年の友達に会うと、「年を取ったなぁ…」と必ず感じてしまう。
そのため、おそらく自分のことを28歳くらいだと勘違いしてしまっている。
でも冷静に考えてみて。
年下(30代前半)の、そこそこ見た目が悪くない年下男子が、真剣に交際相手を探していたとして、
そんな年下女子にも需要があるであろう男性が、わざわざ38歳の女を選ぶ?
選ぶわけない。
なのでマッチングする相手は、真剣交際なんてする気のないヤリモクでしょう。
「全員交際前に身体の関係を持っている」というのが何よりの証拠。
ちなみに私は婚活していた時に何人もの男性に会ったが、身体の関係を求められたことは殆どない。(ゼロではないが。)
ヤリモクが蔓延しているマッチングアプリで真剣に出会いを探すため、私は徹底して“浮気しなさそうな男性”を選んでマッチングした。
いいね数が多い、見た目が良い、女慣れして会話が弾むような男性はヤリモクの確率がぐんと上がる。
なので、いいね数が低く、見た目が地味な人を選び、お酒の力で会話が弾んでしまわないように昼間に素面で会うことを徹底した。
そうして出会った今の夫。
交際経験の無い童貞を引いたが、浮気の心配のない優しい夫になった。結果的に大当たり。
なんとなく見た目や雰囲気でマッチングして、会って、お酒飲んで、身体の関係を持った延長線上で付き合って…を繰り返して、本当に良い人に出会えるわけなかろう。
全員、A子が「付き合ったあとに違和感を感じて別れた」という点。
(ここでは、前述の「全員ヤリモクだろ」説は一旦横に置かせてもらう。)
A子は元彼たちについて、
「こういう癖がイヤだった」とか
「私の話を聞いてくれない」
「デートの行き先の趣味が合わない」などといった、しょうもない不満をつらつらと述べた。
しばらくは不満に目を瞑って付き合うものの、やがて嫌になって別れてしまう、というのがお決まりの流れらしい。
聞け、A子。
なのでこの世のカップルは、互いに大なり小なり何かしらの不満を持っている。
だから、その不満を相手に伝えて話し合って解消していったり、落とし所を見つけていく必要があるんだ。
優しい夫とはいえ不満はあるし、逆に夫も私に対して不満が沢山ある。
でも、そのたびにお互いの落とし所を見つけてきた。そうして夫婦生活が続いている。
それが、人と長く付き合うということなんだよ。
勝手に心の中で不満を溜め込んで、勝手に爆発して、勝手に「無理だ」と決めつけて、勝手に関係を終わらせている。
不満を感じずに付き合える人といつか出会えると思ってるの?
そんな人、いないよ。
不満を全て我慢するのでもなく、相手を切り捨てていくのでもなく、「関係を築いていく」という作業をしていかないといけない。
それができない限り、結婚どころかまともなお付き合いなんて絶対に無理。
そもそもA子が述べた不満は、すべて交際前に数回デートすればわかることばかりだ。
人となりの確認をすっ飛ばしてセックスして交際してしまうので、付き合ってから小さな不満がポロポロと出てくる。
まぁ20代前半くらいならその付き合い方でもいいと思うよ。
でも、A子は38歳。
こうしている間にも、体はどんどん衰えていく。そんな年齢。
1分1秒が惜しい年齢なんだよ。
そんな非効率な付き合い方をしていたら、あっという間に40歳になっちゃうよ。
…とまぁ、近況を聞いてイライラした点を書き連ねたが、A子本人には何一つ本音を伝えることはなかった。
本音を言ったところでA子は拗ねるだけなのが目に見えている。
それに私の本音をぶちまけたところで、A子にとっては単なるクソバイスにすぎない。
ツッコミどころをぐっと堪えて聞き流し、悶々としながら「大変だね」、「頑張ってね」と薄っぺらい優しい言葉をかけることしか、私にはできなかった。
ここまで散々A子の近況をバカにしてきたが、彼女は決して悪いやつではない。
「不満があっても相手に伝えない」という人柄なだけあって、基本的に人畜無害な人間だ。
おそらくA子の事が嫌いな人はこの世にいない。
これだけ見下しているのに付き合いが続いているのも、A子が私に対して決して害を与えない人間だからだ。
A子は、娘を懸命にあやしてくれた。
独身で子供がおらず、さらに一人っ子で甥や姪もいないため、A子は子供に慣れていない。
それでも「子持ちの友達が多いから、子供の扱いには慣れちゃったw」と言いながら、ぎこちなく娘と遊んでくれた。
そして、その姿を見て、私は「ダセーな」と思った。
まるで子供慣れしていない若い子が、懸命に子供をあやす姿のようだった。
実態は若い子じゃなくて38歳のおばさんだと思うととても滑稽で、痛くて、ダサく感じてしまった。
本来だったら、「子供の扱いに慣れていないのに、頑張って接してくれてるんだな」と嬉しく思うところだと思う。
長所として捉えるべきところを、「滑稽」「痛い」「ダサい」と、悪い方へ悪い方へと考えてしまう。
A子の話し方、立ち振る舞い全てをマイナスに捉えるようになる。
人を見下すということは、そういうことなんだ。
私はもう、彼女の全てに対して対等な目線で見ることができなくなってしまった。
20年来の友人に対し、心の中で勝手に見下し、「どうせ言っても拗ねるだけだ」と決めつけて本音を言わず、こうして文章に書き連ねて全世界に発信する。
さて、ここまで書いた長ったらしい文章で、私がいかにA子を見下しているかを理解してもらえたと思う。
A子と会ったのは半年前の話。
それでも、ふとした合間にA子の事を考えて
「あいつは一生結婚できない」と改めて彼女を見下し、ひたすらそれを反芻している。
髪を乾かしているとき。
毎日毎日、半年前に話した内容を思い出し、イライラし、彼女のダメな点を洗い出し、「だからあいつはダメなんだ」と再認識する、という流れを何度も何度も繰り返している。
どうかしてる。
何の生産性もない。
そんな事を考えるなら、可愛い娘のことを1秒でも多く考えるようにしたい。
でも、できない。
どうしても考えてしまう。
このことに、私はかなり本気で悩んでいる。
寝る前にA子の事を考えて、イライラして眠れなくなってしまう、ということも何度もある。
子育てする中で貴重な睡眠時間を、わざわざA子の事を考えて削っている。
考える時間を作らないように、隙間時間に語学の勉強を始めたり、無心の作業中には歌を歌うなどの対策もしてみた。
それでもだめだった。どれも長続きしない。
なぜ何度も何度も繰り返して考えてしまうのだろうか。
専門的な知識がある人がいたら、教えてほしい。
もしかして、A子のことを見下すことが私の中で「快感」になってしまっているのではないだろうか。
人を見下し、自分の状況と比べ、安堵する。
そのこと自体に脳が快楽を感じるようになり、それで何度も繰り返し考えてしまうのでは?
あぁ、恥ずかしすぎる。
それなら尊敬できる人のことを考えて成長できる人間になりたいよ。
A子とは半年前に会った日以来、誕生祝いのメッセージを送ったくらいで、他に連絡は取っていない。
半年も経てば、またきっとA子は何か変わっているかもしれない。
それでも、「どうせ変わっていない」と決めつけて、半年前のA子をひたすら見下し続けている。
おそらく、私はこのままA子が変わらないことを望んでいる。
そして今日も、A子の事を考える。
文章にして誰かに読んでもらうことで、この反芻思考が止められるかもしれない。
そう思い、今回この日記を書いた。
書くのにとても時間がかかった。
そのため、今日は9割くらいA子のことを考えていた。
あぁ、思っていることを書き殴ってしまったから締めの言葉が思い浮かばない。
A子にメッセージでも書いておこうかな。
…って思ったけどA子に言いたいことなにもないや。
これからも私はA子のことを見下し続けるだろうけど、そのことについてはどうでもいい。
アマゾンミュージックの自動再生でウェカピポがよく流れてくる。なんかジョジョで聞いた名前。
SOUL'd OUTを知らんかったし、なんかペポパポ言ってるからサイケな感じの曲だと思って毎回速攻で飛ばしてた。「ウェカピポ」ってのも宇宙人語めいた擬音みたいなもんだと思ってた。
しょっちゅう流れてくるんで、ブラブラ散歩してる時に気まぐれでちゃんと聞いてみた。
イントロで数秒流れる怪音を過ぎると大分雰囲気が違う。なるほど。すぐに飛ばすとこういう罠がある。夜を使いはたしても大分イントロ詐欺だったしな。
ジョジョに出てくる邦楽といえばチョコレイトディスコのイメージだったけど、これも邦楽だったのか。
ダッダッダッダッダッダッダッダッダッ
ナーウェイカッピポー
いいね。ウェカピポってそういう事なのね。
なんかよく聴いてるとバックのワウが効いたギターが気持ち良い。ヒップホップでこの感想もどうなんかなって思うけど。
映像表現が評価されてる映画を観て、話としては割とありきたりな脚本の方に魅力を感じたりもするし。おれはそういうとこでちょっとズレてんのかもしれない。
音は結構好きだけど、ここはUrbanniteウェカピポって気分にはあんまりならない。
郊外の夜は俺一人で歩きたいから皆さんは寝といて(物理)くれって思う。
おれだけの時間と思って変な時間に歩いてても、結構生活は動いてる。遅すぎる帰宅か早すぎる出勤の会社員もいる。新聞配達の原付も通る。たまに若者がデカい声で談笑しながらチャリで走ってたりもする。
河川敷歩いてても人とすれ違うとビクッとなる。
コンビニに行けば店員も起きてる。実はファミマではなく松下電器のものらしい音が鳴れば、なんとなくコソコソ入店してもいらっしゃいませが飛んでくる。「見てるぞ」の意だってこち亀に書いてあったな。
会計もなんとなく店員に悟られないようスニーキングでセルフルジへ向かう。
そうこうしてる内に空の縁がオレンジになってくると、途端に現実に引き戻されたような焦燥感が湧いてくる。