はてなキーワード: 過食症とは
28歳、地元のハム務員になって6年目。同期でもある婚約者が首都圏への転職活動を始めた。
ハム務員にありがちな、生産性がない割に無駄に忙しい環境に嫌気がさしたらしい。自分も、相手の性格上向いていないと思っているため、転職には大賛成だ。
婚約者が入りたい業界は地方には殆ど働く場所がなく、東京に一極集中している。
そのため、婚約者が転職活動で無事内定をいただけると、自分は婚約者について行って首都圏で暮らすか、別れて地元で仕事を続けるかの二択を迫られることになる。
入庁3年目から、首都圏の公的団体に2年間出向した彼は東京が大好きだ。興味を持ったことに対して猪突猛進タイプで、東京は挑戦のためのツールが必ず手に届く距離にあるからだ。
一方2年間の遠距離恋愛中、月一回程度の頻度で東京を訪れる自分はどこへ行っても人の異常な多さに嫌気がさし、何をするにも長蛇の列に並ばないといけない環境にストレスを感じて、街中の人間が皆キラキラしているように見え、情けなくなるばかりだった。
加えて一人暮らし&職場の人間関係でストレスを溜め込み無事過食症となった自分は、2年間が地獄のように長く感じた。
正直、遠距離恋愛中、東京のことが大好きになった婚約者を見ながら、いつか首都圏に転職すると言い出すのではと予感はしていた。
今の合わない仕事で苦しそうにしている婚約者を見るのは心苦しい。楽しく仕事をしてほしいと心から思う。しかし、自分は地元でのハム務員の仕事がしっくりきはじめていて、新しい業界に進むにもスキルがなく、首都圏に馴染める自信もない。
その不安からか、遠距離で振り回されて今回も振り回されてばかりだ。とか、自分に軸がないから婚約者に依存してしまっているのでは、とか、今別れてしまったら一生1人なのか、など、自分のことばかり考えてしまって悶々としている。
おまえらは本物の女の恋愛弱者について知らねーと思うから書いてやるぜ。
なぜなら必ず振られるからだ。
高校生くらいまでは自分の容姿の醜さからなかなかうまく男性にアプローチできなかった。
社会に出てもそれは変わらなかった。
自分が惨めで惨めで仕方なかったが、私を女として扱ってくれる男性は皆無であった。
学生時代、顔が醜いならせめて瘦せようと思ってダイエットを頑張ったが、
結果過食症になりどんどん太るばかりだった。
一度自分からものすごくアプローチして、男性をデートに誘った。
ショッピングモールにある手ごろなお寿司屋さんで、私が全額払った。
その人とお付き合いみたいなのを始めたのは大成功だったが、
彼は全く私の事を性的な目では見てくれず、
婚約指輪をねだって買ってもらい両親との顔合わせの食事会も行ったので、
だが、彼は一度も私とセックスしてくれはしなかった。
私はAmazonで「セクシーランジェリー」と検索し、手ごろなセクシーランジェリー?を身にまとい彼に迫ったが、
彼は応じてくれなかった。
そのことに絶望した私は彼と別れ、43歳独身喪女が出来上がった。
もう子供も産めない年齢であり、しかも先日会社をクビになり、恋愛弱者かつ社会的弱者になってしまった。
夜は眠れないので精神科に通って睡眠薬を処方してもらっているがカウンセリングは自費で1時間1万円くらいするので無職の私には払えない。
先月末、もう生きていくのは無理だと思い、コツコツ貯めていた薬を致死量以上酒と一緒に飲んだが未遂に終わった。
死んでも誰も悲しまない社会のお荷物的なデブス非モテ無職人間が生き残り、
こんな不条理な事があって良いのだろうか。
世の中はどこかおかしい。
https://anond.hatelabo.jp/20220110111939
上の記事のその後の顛末と、そこから2年以上過ぎた現状を自分の備忘録程度にまとめる。
(注意:雑文、長文)
上の日記を書いたあと、なんとか気持ちを落ち着かせて、担当教員に泣きつきながら、卒論提出にこぎつけた。
ほぼ先輩のコピペだったけど、先生としても最低限の親身な対応はしてくれて、なんとか卒業最低ラインの卒論に仕上げられるよう、親身に指導をしてくれた。
2回目の院試だけど、卒論で精一杯だったのと、やっぱり全然勉強に集中できなくて、結局ほぼ1夜漬けで受けて、また落ちた。
受ける2,3日前に、初めて両親に現状について説明した。お金をかけて学校に通わせている子どもがそんな事になっているということで、それなりにショックだったようだけど、
怒られたり、理解できない!と拒絶されたりすることはなく、「大学院行きたいなら応援はするけど、別にいかなくてもいいんじゃない」というスタンスだった。
この対応には、正直すごく救われたし、自分は環境に恵まれているんだな、と感謝したのを覚えている。
院試に落ちたのが4年の2月中旬だったが、先生には来年以降就活浪人のような形でやっていこうと思うと相談して、大学の就職担当を紹介してもらった。
本当に運が良く、たまたまその年の4月から希望するような国内ニッチ産業大手のメーカーに勤務することができた。
今は、そこで働いて3年目。もともと興味があった業界で、やりがいはある仕事なのだが、
・時間拘束の長い業務が多い(24時間寝れない試験などがザラ)
ということで、拾ってもらった御恩はあるものの、また先月ぐらいから鬱再発症してメンタルクリニックでお薬をもらいつつ、過食症気味になりながらも欠勤と遅刻しながらの勤務中である。(テヘペロ)
なかなか人生うまくいかないダメダメな感じだが、幸い健康と引き換えに300万弱ぐらい貯金することができたので、
私にはキャパオーバーの仕事だったということで休職でもしながら、転職を考えているところである。
いちおうSSRIが過食症に効く薬ってことになってるけど、ぶっちゃけ殆ど効果ないし、摂食障害専門の病院にかかってるっていっても過食嘔吐に対してはあんまり意味なさそう。アルコール依存症と同じく嗜癖(依存症)の側面があるので、自分自身で治すしかないというか。
自分は拒食症(BMI12)→非嘔吐過食(+30kg)→セルフ認知行動療法とマインドフルネスで過食が徐々に治る→玄米菜食にハマって20kg痩せて、そのあと15年くらいBMI15〜17を維持してる。
今は過食なし、運動強迫(過活動)なし。禁止食もなく甘いものもジャンクフードも何でも食べる。
摂食障害になる人って、境界性パーソナリティ障害 or 双極性障害 or ADHD or 統合失調症 or 境界知能 など、衝動制御に問題のある精神疾患なり知的な問題があったりするけど、元増田は摂食障害以外の疾患はないのかな。
誰にも言わないで欲しいんだけど、実は毎晩過食嘔吐してる。
うつ病から始まって、拒食から運動脅迫気味になって、そしたら過食するようになって、ある日自殺未遂しちゃった。
それをきっかけに摂食障害専門の病院で診てもらって、なんとか生活リズムを戻して、1日7時間、週に4日、働けるようになった。
でも過食もあんまり治ってなくて、その分運動しなきゃってなって、運動脅迫が本当に苦しくて、気付けば食べたもの吐くようになってた。
病院の先生にも、「吐いてはないんだよね?」って何回も確認されてたし、吐くようになったら治すのがすごい難しいって知ってたから、そこには手を出したくなかったけど、
とうとう足を踏み入れてしまった。
それをやらなくて良くなっただけで本当に嬉しくて、
過食しても太らないのが嬉しくて、
毎晩毎晩吐いてた。
ただ、問題点がいくつかある。
姉と2人暮らししてるんだけど、
姉が寝た後に吐かなきゃいけないから、寝るのが2時過ぎとかになる。
毎日睡眠不足だし、会社にいる時は基本カロリーとらないからヘロヘロで、過食症時代に飲んでたリポドリンって薬飲んでなんとか仕事してる。
1回の過食のために2,3000円分の買い物をするので、お金がすごいスピードで減って行った。
実家は無く、都内暮し、かつ病気のこともありフルタイム出勤はできないので、手取りは月10万とか。生活保護以下。
過食嘔吐さえ抜きにすれば、
私は痩せてるし、前みたいに夜中に過食しては泣きながら運動して死にたくなってたこともなくなって、週4だけだけど生活リズムも整って働けるようになってて、表向きは上手くいってた。
どうしたらいいか分からなくなって、過食のお金稼ぐためにパパ活始めた。
ご飯代は全部出してもらえるし、可愛いがってもらえるから承認欲求も満たされるし、パパ活してる間はドカ食いもしなくてすむから、一石二鳥どころか三鳥四鳥だった。
でも、上手くいくばかりじゃないから、
パパ活までして稼いだお金が全部過食嘔吐で消えていくのが、虚無でしかない。
相変わらず、会社ではリポドリンを手放せない。飲まなかったら寝不足と低血糖で多分倒れる。
唯一の家族である姉には過食嘔吐のことも、パパ活のことも言えない。迷惑をかけたくない。親も親戚も頼れない。
1番問題なのは、これでサイクルが回ってしまっているということ。例えば、パパ活が上手くいかなかったらいつかお金が尽きて過食も治っていたかもしれないのに。上手くいってしまった。
私はこれで生きるようになってしまった。
本当は、過食嘔吐をきちんと治して、パパ活なんて辞めて、正社員を目指して働くべきだと分かっている。
でも、毎日食べて、吐いて、ふらふらで出勤して、休日はパパ活して、それでもう、精一杯だから、現状を変えられない。
ドカ食いしたあとの膨れきったお腹を見て、毎晩、こんな風に使われる身体なら誰か、別の人にあげたいと心底思う。
臓器提供をしたい。こんな私でも誰かを救えるなら今すぐ死んで、臓器をあげたい。
生きててごめんなさい。
【8/4 追記】
こんなに色んな人に聞いてもらえるとは思ってなくてとてもビックリしました……皆さんありがとうございます。ブックマークコメントも全部拝見しました。
ここに書いただけで偉いとか、頑張ってるよ、って励ましの言葉が本当に嬉しくて、たくさん泣きました。
色々と具体的なご提案もくださりありがとうございます。
ここに慣れておらずあまり機能が分からないので、追記で一部お返事させてください(すべてに返せず申し訳ないです)
本当に仰る通りでしかないです。頭では分かっているのですが……「今月はどうでしたか」と聞かれると、取り繕ってしまうというか、大丈夫です、と言ってしまいます。
非嘔吐で夜中に過食していた頃に比べると出勤はできているし、短時間ですが睡眠はとれていて中途覚醒もないので一見良い感じになってしまって、以来、薬も変わっていなくって……自分で書きながら本当にダメだなぁと思いました。
家族には、すみません、多分、自分の口からは言えないです。まずは先生に伝えることから考えたいと思います。
コメントにあった、この投稿を印刷するのも一つの手だなと思いました。見せるのはまだ勇気が足りないかもしれません、でも、印刷だけでもやってみます。
・サラダドカ食い部に〜
お誘い嬉しいです。今は、食べ物を身体に留めておくことが怖いのですが、野菜なら大丈夫なんだ、という思考に変えていきたいです。野菜は高くて普段買わないのですが、今度サラダクラブ買ってみます。
・ダイエット薬勧めてくださった方
「世間なんざどうでもいいわ。あなたの苦しみが少しでも軽くなればそれで良いんですよ」この言葉に救われました。本当にありがとう。自力で過食を止められたとのこと、凄いです。仰る通り、「太っている」ことに対してとてつもない恐怖感があって、それをどうにかしない限りは一生苦しいのだろうな、と思います。
正社員になりたいと書いたのも多分、見た目以外で、自分にちゃんとできているものが欲しいと思ったからだと思います。中身が空っぽなんです。
薬の服用で節制が習慣化できた、とのことで、選択肢のひとつとして受け止めます。あなたもどうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございました。
・摂食障害以外の疾患は〜
薬についてですが、スタートがうつ病だったのでエチゾラムをずっと飲んでいます。
中途覚醒がずっとひどく、非嘔吐過食の時、無理やりベッドに入っても夢遊病のように夜中にコンビニに買い出しに行って無意識に過食をする→そのまま寝落ち→翌朝号泣して仕事に行けない というようなことが続いたので、寝付きを良くする薬をずっと出してもらっています(皮肉にも、吐けるようになってからの方が仕事にちゃんと通えています…)
明確に診断されたわけではないのですが、白黒思考がひどく、境界性パーソナリティ障害に近いのかもしれません。
なんでも食べるけどそのBMIを維持している、というのがすごいです。玄米菜食で身体が出来上がっているということなのでしょうか。気になったので調べてみます。ありがとうございます。
クソバイスどころか、本当に仰る通りだと思います。昔は好きなものがあったはずなんですが、うつ病と摂食障害になってから無気力で、好きなもの、やりたいことがなんにもありません。それもあって「もう生きなくていいや」と思ってしまいます。
ゆえに、無理矢理でも準備をして着飾って出かける(しかも、お金がかからない)パパ活が、過食を回避する活動としてサイクルにハマってしまった節があります。
でも、よく考えれば、お金を消費せず外で時間を潰す活動ってほかにもあるはずなんですよね。ブックカフェとか図書館とか……
もう少し視野を広げられるようになりたいです。ご指摘に感謝いたします。
私はここ2年ほどの出来事なので、その10倍と考えると気が遠くなるような思いです。長年、この重い病と闘っていらっしゃるあなたを尊敬します。
私も幼少期から太っていて、一念発起で普通のダイエットで20kg痩せて、それをキープするために……という同じ経験です。
今は、食べ物を身体に留めておくのがとても怖くて、「吐かない」のが難しいです。「吐けない」なら「食べない」です。
でも、少しづつでも、吐かずに食べられるように変わらないと治らないですよね。
その一歩目として、他の方にもサラダや重湯、あとは玄米菜食なんかも良いらしいので、お金のことは気にせず考えてみたいと思います。
過食嘔吐ってお金の面でも、身体的にもメンタル面でも、自傷行為だなと常々思います。自分のことが大嫌いなんです。だから死んでもいいやと思ってしまうし、ずっと自分で自分のことを苦しめている。痩せたことだけが成功体験で、唯一、自分を認められるもので、それがなくなったら私は無価値です。多分、それ以外の成功体験が欲しくて、正社員になりたいと書きました。
あなたのお話を聞いて、少しづつでも、自分のことを許して、助けてあげたいと思っています。
こんなにも人を思いやれる素敵なあなたの人生も幸せなものでありますように、私も願っています。どうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございます。
メジャーデビューを果たした結束バンドだったが、喜多の逃げ癖は治らず、遂に巨大な箱の案件を当日に逃げ出してしまい、それから彼女は行方不明になってしまう
スポーツ新聞には喜多のアップの顔写真と共に「逃げたギター」というでかでかとしたコピーが踊っていた
私は、ギターと孤独と賃貸住宅「ブループラネット105号室」の住人だったが、ひょんなことから喜多を自分の部屋にかくまうようになる
喜多は日頃のストレスから過食症が進行しており、食べては吐くを繰り返していた
ここで、私のこれまでの女性遍歴を話させてもらうと、彼女として同棲するようになった女性は皆太っていた
私は太った女性が好きだ
私は喜多が、女性が、自分の料理を食べて丸々太っていくことに性的興奮を感じるのだった
ギターと孤独と賃貸住宅「ブループラネット105号室」しかなかった自分に、春が訪れたように感じた
郁代は私の料理が大好きなようだった
彼女はお米をお代わりをするたびに、笑顔で「何回だって」と口ずさんでいた
また、ある日は鏡に写った自分の太りに太った姿にショックを受け、
と呟き、皿に吐こうとして、泣き出したので、私は太った郁代も奇麗だよ素敵だよ、と励ました
もう限界だろう
いつものことなのだけど、女性の体重が100kgを超えた辺りから、性的な興味を急激に失っていくのである
これまでも、数多の女性と付き合い、同棲してきたが、別れた切っ掛けは彼女の体重が100kgを超えたからだ
私はそろそろ喜多を捨てるだろう
そして、またギターと孤独と賃貸住宅「ブループラネット105号室」の静かで平和な生活に戻るのだ