はてなキーワード: フレディ・マーキュリーとは
『クイーンのフレディ・マーキュリーによるマイケル・ジャクソン宅訪問!』
マ「…ボクはねぇ、ベッドなんか使わずに床に直に寝るんだ、そうすると大地のヴァイヴを感じるんだよ!」
フ「(苦笑)でもマイケル、ここは二階だよ…」
CMに使われてる楽曲についての内容(歌詞とかなにかの主題歌とか)が映像とチグハグなのが気になる。
魔法使いサリーのOPのを替え歌したCMがあったんだけど、映像に、サリーちゃん要素も魔法要素も皆無だったのを見たことある。
たとえば出川哲朗のイーモバイルのCMみたいに天才バカボンの曲を採用するなら世界観バカボンで統一してほしい。
あと洋楽なんかは基本的に歌詞はガン無視されて、ノリとリズムだけで採用されることが多いけどこれも苦手。
たとえばフレディ・マーキュリーが「アイ ワントゥ ライド マイ バイセコ」と歌ってるバックでトヨタの新車が走っていては変だ。
こういうCM曲と映像のチグハグは昔から気になってるんだけど同意されることはない。
よほど俺は変なんだろう。
江頭ではなく、フレディ・マーキュリーだと考えるんだ
趣味のワインをネタにMMR樹林が原作となって週刊モーニングに連載15年以上されたクソ漫画
こんなくそ漫画の薄っぺらいネタを真に受けたアホなおっさんどものおかげでフランスワインがよく売れてその業界筋には感謝されたらしいが、
ワインを飲んだらその味からイメージされる幻覚を見るというしょーもない演出が毎回繰り返されることに虫唾が走り、
ついには沈黙の艦隊が連載してた頃からずっと購読していた週刊モーニングを買うのをやめたぐらい嫌いなクソ漫画
なんかのワイン飲んでフレディ・マーキュリーのハスキーボイスがどうのこうのいう最初期の段階でもうダメだった
ワインをフルーティにするために補糖したとか初歩的で馬鹿みたいな勘違いしてるし
なんでこんなくっそつまらん薄っぺらのワイン広告漫画が打ち切られんのか腹が立って仕方なかった
樹林は講談社に大きなコネがあるので打ち切り回避特権持たされてんじゃねえのってずっと疑ってきた
それがようやく今年連載が終わったということで本当にうれしい
声豚のフレディ・マーキュリー 「ママ〜〜〜!!」
今新型コロナウイルスで大変だっていう時に何を言ってるんだという人はいるだろうが、将棋の藤井聡太くんが話題になっているのを見てて思ったが、藤井聡太くんだけでなく今の時代ってほぼ不世出なんじゃないかってレジェンドが多いよなあと思い返した。
野球のイチロー、サッカーのメッシとCロナウド、霊長類最強の雌吉田沙保里、将棋の羽生善治と藤井聡太、漫画の手塚治虫と鳥山明と秋本治と尾田栄一郎、アニメの宮崎駿、フィギュアスケートのプルシェンコと羽生結弦、映画界のキューブリック、アメコミのスタン・リー、NBAのマイケル・ジョーダンとレブロンとシャック・オニール、ミュージックのマイケル・ジャクソンとフレディ・マーキュリーなどなど枚挙に遑がない。
後世の人たちがこれからどんなレジェンドを目撃するかは知らないけど、イチローみたいな選手にまた出会えるか、メッシやCロナウドにまた出会えるかと言われたら、もう生きてる間は無理だろうなぁ。
まあ言いたいことはこれ。
基本的に伝記やドキュメンタリーって、監督側の意図が入りにくいんだよね。
メッセージ性を込めようとしても、どうしてもそいつ人生特有のノイズが入る。
こないだのフレディ・マーキュリーのやつもそう。
LGBTの勝利と歌を掛けてるのは理解できても、フレディの人生自体がLGBTで大きく勝利したわけではない。
LGBTから転じてみんな人生の勝利者だ、と言いたいのだろう。
しかしピントがぼやけてるし一般化できる事項ではないので伝わらない。
何より歌手として大成したのは彼らの才能と時代と努力であって、LGBTと何ら関係がない。
フレディ・マーキュリー「ワイが人を殺しちゃったってマ?」
昨日書き忘れたので、合わせて書く。
フロントプルダウン 57-47-37 kg, 52-42-32 kg 10回ずつの2セット
ダンベルカール 13-10-8 kg 15回、10回の2セット
もしかしてなんだけど、筋トレは最低2セットはやったほうがいいのではないだろうか?
昨日
消費: 416 kcal
消費: 837 kcal
映画『ロケットマン』を観た。ぶっちゃけ流れは『ボヘミアン・ラプソディー』とだいたい一緒だが、話の終着点が異なる。『ボヘミアン・ラプソディー』はラスト20分のライブシーンに繋がるためにフレディ・マーキュリーの話が展開していくが、エルトン・ジョンの物語はそうではない。最初から一貫して示されていたあるテーマのゴールを探す話になる。ストーリー性って意味ではこっちの方があるなあと思った。ただしエルトン・ジョンの曲をほとんど知らなかったという致命的な問題もあった。
本当に圧倒された。
まさに力技で見せつける映画だったなあと。
なのでこれだけだったら、最近の邦画とかにありがちな、低予算コスプレ学芸会になっていた可能性すらある。
でもこの映画はそうならなかった。
むしろ上述のような脚本にツッコんでる批評なんか吹き飛ばすような、観客からの熱狂的支持を勝ち取ったわけで。
そして、その音楽を核にした演出でグイグイ迫ってくる映像美。もちろん極めつけはラスト20分の長尺のアレである。
素晴らしい音楽の前には、どんなことも些細な問題になるのは間違いないと思わせてしまう、打ちのめされるような美声とビート。
だからこの映画を見れば、誰でも必ずQueenの音楽の歴史的価値を再認識することになるだろう。
というか単純に、Queenのサウンドが頭の中でリフレインして止まらなくなること請け合い。
で、そういう内容になったのは、監督や役者が二転三転した上に、撮影が始まっても監督ガーという事件が起きたりで、脚本自体は超無難でオーソドックスにするしかなかったのかなーという気もしている。
それにフレディ・マーキュリーというパーソナリティの関係上、作り方を間違えれば往年のロックファンのみならず、LGBTクラスタからも厳しい批評が待っていただろうし。
まあ、よく作ったなあという感じ。
故フレディ・マーキュリー「俺は出っ歯だったし歯並びもそれほど良くはなかったし長身でもなかったしなんなら白人でもないわけだが?」
初めに言っておくと、私はまあまあのメンヘラでメンタルが弱いのですぐ落ち込んですげー面倒くさくなる。
それでもってレズビアンなんだけど、カミングアウトはできてない。
家庭環境だけど、父はおらん。別居するだけだからと言われて母について行ったら知らんうちに離婚していたらしく今は音信不通。母子家庭。
俗に言う"おこげ"ではない。
会社にゲイをカミングアウトした人がいれば「ゲイの後輩がクッキーくれたよ!」
みたいに、セクシャリティが全然関係ない話なのにその人がゲイであることを話に必ず乗せてくるのね。
思い返せば、母親はQUEENが大好きなので小さい頃からリビングのBGMは大体QUEENだったんだけど、フレディ・マーキュリーの話題はフレディがどれだけすごいかよりも「フレディはゲイでエイズで死んだんだよ」って話が一番多かったから、すごく申し訳ないことに未だにフレディの素晴らしさを感じる前に「フレディはゲイでエイズで死んだんだよな」って一番先に思い浮かんでしまう。もう一種の刷り込み。なんかボヘミアンラプソディ上映したから母未だに言うし。
で、私の話になるんだけど私は自由を求めてミックスバーに入った(二日で辞めた)。
そうしたらそこは自由の場どころか、オカマがオナベがホモが女装のオッサンが自虐して気持ち悪がられたりおこげのステイタスにされたり辛口人生相談に乗ったり下ネタ言ったりするタイプのところだった。
やっぱそゆ場所だとMtFってモテるんだよね。オカマとしてね。
だから姐さん率先して話してた。ホスト崩れのブス男をオカマジョークで笑わせてモエロゼ開けさせた。
すっげぇなって思った。
姐さんはオカマバーのエンターテイナーとして長年にわたり水商売してきた人だから、もう本当にカッコよくて尊敬できたし、私はそういう「オカマバーのキャスト」が本当にすごいと思ってる。トーク力もジョークも抜群にできて人生相談もできて、ショーで歌って踊れる人もいるわけじゃん。
でも、姐さんに「オカマは最初から馬鹿にされてんのよ(だからやりやすいのよ)」って言われたときになんか私はここにいられないって思った。悲しくなってしまった。
何が悲しいって、オカマバーのオカマは最初から馬鹿にされてるっていうことが。当人がそう思ってるってことも。
私はエンターテイナーになれん、レズビアンだからって馬鹿にする奴はうまく引っ張ってモエロゼ入れさせる前に片っ端からぶん殴りたいと思ってしまうと思ってミックスバーを逃げた。一言ことわりを入れたけど、まあ、実質飛んだ。
そんなことがあったから、なんとなく母親に「同じお店に性転換手術も終えて戸籍も女で喋らなければ誰しもが女だと思うようなニューハーフのお姉さんがいるんだけどオカマはハナっから馬鹿にされてるから楽って言われてなんか悲しくなっちゃったんだよね」って言った。(ミックスバーで働いてるとは言ってない)
って言った。
「その人べつに辛くないと思う。割り切って笑わせて馬鹿にする奴の金ふんだくってやるって頭いいじゃん」
って言うから、
おお、そういう考え方もあったかーワシが浅はかだったーって思ったのね。反省したのね自分を。悲しいとか可哀想とか、自分がやられたら死ぬほど辛いからその感情が姐さんにもきっとあるハズとか決めつけちゃったのがもう恥ずかしいと。
でもなんか母親が姐さんを気に入ってカッコいいカッコいいって褒めちぎるから、凄いよねープロってこういうことなんだねーみたいな同調してたら
「オカマとかゲイの人って後がないから、『今稼いどこ!』みたいなサッパリ割り切った思考がカッコいいよね!だから好きなのよ〜」
って言い出した。
え?
ん?
てことは私も後先ないってこと?
だってまあ自分が悲しくなるからあんま言いたくないけど、男×男カップルで住むとするやん。二人ともそれなりに稼ぎのあるサラリーマンだとするやん。そしたら割といい家に住んでいい生活して過ごせると思うの。お金が一番稼げるのってゲイカップルだと思うのね。ゲイじゃないから違ったらごめんなんだけど。
で、どのへんに「後がない」のかを考えたところ、やっぱ子供が生めないところなんだろうなと。
母親は言いたいわけだ。多分だけど
じゃあレズビアンである私も後がないっすね!ハァッ!ジャンジャン稼がないと!!
私の心が虚無になった。
私は母親のことが大好きで大好きで、本当に私より先に死んでほしくない。
何より私の唯一の親。
なんか、一番信頼してた近しい人に見放された気がした。
それからずっと、生きる意味をなくした感じがしてしまっている。
虚無だ。これを虚無って言うんだ…
いっそ毒親で私がものすごく離れたかったら言われた瞬間「ワス遠いところに引っ越すネ」って言えたかもしれない。
でも無理だもん。
大好きなお母さんなんだもん。
大好きなお母さんに否定されたんだ。
男のpaipaiを触りたい男も(例:フレディ・マーキュリー)いるから問題なし
ボヘミアン・ラプソディは興行的には成功したが、歴史に残る映画にはならないだろう
なぜなら、映画でやってることはただの物真似ゲイであって究極的には本物の方がいいからだ
そして、フレディ・マーキュリーとラミ・マレックを比べると、フレディの方がカッコイイ
カッコ悪い物真似は消えて当然
みたいなことを言ってやろうかと待機中
フレディ・マーキュリー「男に彼氏がいたっていいじゃない? それは決して女性の発想ともいえないんじゃない?」