はてなキーワード: デザイン学とは
「私たちは東京藝術大学に、イスラエルの国立美術学校、ベツァルエル美術デザインアカデミーとの国際交流協定の打ち切りを求めます。
イスラエルのベツァルエル美術デザインアカデミーは2023年10月9日、イスラエル軍がパレスチナ被占領地ガザ地区への侵攻に備える増派のため予備役36万人に大量動員をかけた際、軍服や装備品の大量不足を補う目的で、関係者の主導により臨時の縫製作業所を構内に設置。特に同月中旬からは朝8時から夜21時まで約80人のボランティアを働かせて、スタイリッシュかつ機能的な軍服や装備を生産していました。
美をジェノサイドに役立てる学術機関と国際交流を続けても害しかありません。実際このために、ノルウェーのベルゲン大学(2月)、オランダのハーグ王立美術学院(4月)および同国のアイントホーフェン・デザインアカデミー(5月)が、現時点までに提携解消または交流凍結を発表しています。このほか、米ニューヨーク州のクーパーユニオン美術デザイン学校、米ロードアイランド州のロードアイランドデザイン学校、米イリノイ州のシカゴ美術館付属美術大学、ドイツのベルリン芸術大学でも学生や卒業生から提携打ち切りを求める声が強まっており、時間が経つにつれて提携打ち切りはさらに広がる見込みです。
東京藝術大学は日本国における美術および音楽の最高学府として、イスラエル軍によるこの歴史的な戦争犯罪と人道に対する罪を前に決して沈黙したままでいることなく、これらを明確に非難する声明を出した上で、これらに加担したベツァルエル美術デザインアカデミーとの国際交流協定を速やかに打ち切ってください。」
ガザ大虐殺への加担を許さない東京藝術大学の在校生・卒業生および市民有志一同
地方出身女子は読んで!解像度が高い!とか言ってるけど、この漫画のどっこが解像度高えんだよ
俺が考えた男尊女卑みたいな感じでうげえとなった
私は福岡出身で男尊女卑が嫌で東京に出てきたけど全然的外れだわ
→福岡から出れない女は嫁の貰い手はなかなかないので妹のような余裕はかませない
●この家は男はずっと座ってていい
→ひょっとするとこういう家はあるかもしれないけど、福岡市だともうほとんどないと思う
●ここでは女にとって一番大事なのは綺麗な服を着ることと家事ができることであって本をいっぱい読んでることなんてどうでもいい
→女がファッションと家事重視でいれるほど福岡は豊かではありません
●娘さんをくださいと言わないとダメ
→そんなのこだわる家あるのかもしれないがめったいないだろ
→支店経済で確かに雇用はかなり弱いと思うけど医療しかないは明らかに言い過ぎ
IT系頑張ってるだろ
→これだけは本当と思う
ただデザイン系学びたいだけなら関西でもええし福岡市には国立でデザイン学べる旧芸工大があるぞ??あれれ?
●早く子供作れという親と
●弟を家族でなんとなく優先してるとか
そういう描写にすべきなのよ
最近Twitterで「リクルートプロダクトデザイン室」とかいう広告が流れてくる。最初はリクルートが商品のデザインでも始めたのかと思ったけど、この室はリクルートの各種サービス=プロダクトを総合的にディレクションしていく=デザイン、な部署ということらしい。
あのさあ。
「プロダクトデザイン」って言葉は長い間工業デザイン(インダストリアルデザイン)という意味で用いられてきたわけですよ。工業デザインの分野で日本で一番の多摩美もずーっと「生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻」でやってきてるわけ。それを、「最近サービスのことを”プロダクト”て呼ぶのがいけてるよね → それを担当してる俺らってプロダクトデザイナーじゃね ドヤ」って感じで俺らはプロダクトデザイン室でございって言い出してるの、気持ち悪すぎるわ。学問の軽視。工業デザインの伝統への挑発。これこそ文化の盗用だと思うんだけど、まあ完全なる社会悪であるリクルートのことだからなんの罪悪感もないんでしょうね。
そして同期(女)と知り合った。
研修なんかは当然同じカリキュラムなので、俺と同期は基本、一緒に動く。そして同期とは家が近いのもあって帰りも一緒。
ところで、デザイン学校ってのは就活(?)がすっごく早い。まだ大学1年目だろうと見所あるやつは片っ端からどんどん内定をもらう。
そして、同期はデザイナーとしての道を諦めているらしい。そもそも以前から限界を感じていて、大学4年の就活で第一志望に落ちたのを契機に普通の会社勤めを選んだそうな。
で、俺はというとデザイン学校等は全く行っていないにも関わらず、ウェブCM作成なんかを副業としてやっている。そのせいで同期からはものすごく尊敬されている。クオリティとしては尊敬されるようなものでもないのだが。
そして一昨日、同期と体の関係を持った。相手は初めてだった。その後から楽しい交際が始まる、と思っていたがそんなことはなく、なんというか彼女は自分が叶えられない夢を、俺に見出し始めていた。
俺の作った動画に改善案や意見を述べたりしてくれる。これは大変ありがたい、ありがたいものの、俺としてはそんなことより同期との関係性があやふやなのがどうしても気になる。けども、おそらく同期にとってはデザインに携わるというのは、決して「そんなこと」ではないのだろう。
はじめは俺は「同期が好みのタイプで、しかもその子と副業の話題で盛り上がれてラッキー!」程度に考えていた。
けれども彼女にとって俺は、諦めた夢に最後のチャンスを与える存在にでも見えているんだろう。
俺は同期のことをとにかく可愛い!とだけ思っているが、彼女が見てるのは俺の仕事を介しての自分の夢。このズレは、今は良くても後々おかしな方向に歪みを生む気がしてる。
そして、そのズレが(考えたくはないが)別れに繋がった時、彼女は何もかも嫌になっているんじゃないか、と感じる。
それほどまでにデザインにかける熱量というか、依存度が大きい。彼女が何もかも嫌になった頃には、同期という呼称が不適切なものになっている予感さえする。
クリエイティブなことは楽しい。けど、クリエイティブなことがやらなきゃいけないことになり、いつしかそれほど得意ではないと感じ始めた頃には楽しかった分だけ苦痛になるのかもしれない。
そして、俺の副業は彼女の介在を契機に、気ままな半分趣味の仕事ではなくやらなきゃいけないことにすり替わっている。
まあ、全部嘘なんだが。
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1番目のHUMAN+は日本産科婦人科学会が監修した健康手帳。以前からあるコンテンツのようだけどTwitterでは8月14日頃から盛んに言及され始めた。
武蔵野美術大学が8月24日から対面授業を再開したそうですね。
私は視覚伝達デザイン学科の様子を断片的に耳にしただけですが、普段はこんな時期にやらないオリエンテーションをわざわざ実施したそうですね。マスクの着用やアルコールでの手指消毒は呼び掛けたそうですが、検温はしてないでしょうね。オリエンでは学生を一箇所に集めて、先生方で一本のマイクを使いまわして、「マスクを外したらこんな顔でーす」とか、やってみせたそうですね。
一応12号館地下展示室で実施して、学生たちに距離をとらせたり気を遣う先生もいらっしゃったようですが、学生が密集しても誰も何も言わなかったそうですね。学生たちは黙っていたのでしょうけど。
学科ごとの実習科目は対面で、教養科目は全部オンライン授業だそうですね。そういう方針だとすれば、大学という環境だからこそ発生する複雑な導線や関係者の多様さは従来ほどではなく、感染症に対する危険度は下がっているのかもしれません。
そこまでして行われるキャンパスライフが本当に通学に値するのか、当然お考えになったのでしょうね。
実物が目の前にあるとやっぱり違いますよね。実際に人と会うのと、オンラインでやりとりするのは違いますよね。小学校も中学校も高校も会社も始まってるのに大学だけ始まらなくて、行ってもいないのに高い学費もぜんぜん減らなくて、不安で寂しくて苦しかったんですよね。パソコンも無理して買って、よくわからないツールを1人で習得していくのはすごく心細いですよね。学生が来ないからってお金がいらなくなるわけじゃないのに、学費を返せと言われて困りますよね。毎月100時間残業してしまって、残業をやめろと言われても教授からも非常勤講師からも教務課からも学生からも次々に連絡が来てやることは山積みですよね。お気持ちは察するに余りあります。
大学側はゴールデンウィークも丸ごと潰して対策の検討、学生への連絡、オンラインツールのレクチャー、おすすめのパソコン調査をして、さらに普段の業務もこなしていたと聞きました。おすすめのMacbook情報をまとめている間に新しいMacbookが出てしまいましたね。後期の対面授業開始に向けても、助教の方が酷暑のなか朝から晩まで設備を確認して、手洗い洗剤をせっせと取り付けたそうですが、それらの設備代は助教が立て替えて、教務課は立て替え横領がないか厳しく審査して経理に回しているのでしょうね。
本題ではありませんが、手弁当や長時間労働、徹夜や泊まり込みを美談にして低賃金や無償で卒業生を働かせ、ムサビはムサビ教育の価値を自ら貶めているように見えます。教授のセクハラも野放しですよね。武蔵野美術大学の卒業生であることを恥ずかしく思う時があります。
症状がある学生は助教に連絡するように伝えているそうですが、無症状だけど濃厚接触者と判断されて大学に行けなくなる学生が出た場合、その人は対面で行われている実習科目を受ける機会を得られるのでしょうか。
学生や教職員のご家族に感染して、その方々の生活に不都合が生じたり、後遺症が残ったり、最悪の事態に陥ってしまったとしたらどのように対応するのでしょうか。
ご高齢の先生方もいらっしゃいますが、実際に感染したら重症化リスクが高いことをご自身で認識されているのでしょうか。
非常勤の先生方もほとんどが対面授業のために出勤されるそうですね。武蔵野美術大学鷹の台キャンパスに出勤されて、その後別の学校で教鞭を取られる先生もいらっしゃるのではないでしょうか。対面授業とオンラインのそれはかなり異質で、それぞれに対応するとなるとかなりのご負担ではないかと思います。ムサビは他学のためにオンライン授業を行う先生の場所は提供してくれるのでしょうか。
そんなこと当然お考えになって、慎重に検討されて、それでも対面授業を実施するという判断をなさったのですね。
交友会のメールも読んでいます。書かれていた「学びを止めない」というスローガンも記憶しております。ほんの小額ですが、支援金もお送りしました。支援が必要な学生の手に少しでも早く渡ることを願っております。
思うのは、半沢直樹みたいな陰謀うごめく権力の世界って実際には世の中にはほぼなくて、なんとなく声のでかい人の発言や、雰囲気や成り行きで最悪なことになっていくんだなということです。教育って本当に大切ですよね。
床屋勤務だった父に、美容院勤務だった母はハワイ旅行中に出会い結婚したらしい。
物心がついたころにはもう父と母は不仲だった。父は仕事を休みがちで、私が小学生低学年の頃にはもう職場を転々としていたのを覚えている。
一つの職場に留まらず、職場を変えるものだからもちろん給料も上がらない。父と母は夜な夜な電話口や居間で喧嘩していた。
それは深夜だった時もあるし明け方の時もあった。長いことアパート住まいで横にも上にも寝ている家があるのに家に居る母は金切り声を上げていた。
でもほとんどがお金の問題で、まだ小学生の自分にはできることが無いことが分かっていたので家の手伝いをして、3歳年下の妹の面倒をよく見た。
父が仕事から帰ってくるとき帰りは母の車の迎えを頼んでいた。母はまだ小学生の私と幼い妹を乗せて車で最寄り駅まで父を迎えに行く。
その車の中でもお金の話で揉めていた。
夏のとある日、いつものように父を車で迎えに行った時に自販機で何か買う?と母が私に聞いてきたが私はペプシが欲しいとはその日言えなかったのを今でも鮮明に覚えてる。
両親を困らせないようにいろんなことを毎日考える日々が続いてた。
今も昔も趣味はゲーム。私が幼稚園の頃テレビの下スーパーファミコンが仕舞ってあるのを見つけて以来ゲームの虜だった。
コンポジットケーブルの繋ぎ方を覚えてひたすら「スターフォックス」の1面を遊んだ。これ一つで随分と長いこと遊んだ。
小学生になって私以外にもゲームが好きな人が沢山いることを知り、お家によくお邪魔して遊ばせてもらった。
父は気まぐれにゲームを買ってきてくれた。
「F1 RACE」https://youtu.be/-isADihL65Y とか「役満」https://youtu.be/H-Nc1_9bXpQ とか。
でもスターフォックスの次にハマり込んだのがゲームボーイカラーで出た「ポケットモンスター銀」https://youtu.be/Lfy93rW7zRs だった。
幸い、テレビさえ占拠しなければ父と母はゲームに理解を示してくれており、妹と一緒にゲームボーイカラーの画面をよく覗き込んだ。
ただ、その間にも父の帰りが遅かった事を責めたり、やはりお金の話で父と母が声を荒げる日が続いていたので、もうゲームソフトを買ってもらえるなんて無いんだろうなとポケモン銀を手にしたとき思った。
小学生にもなると、友達が増え色んなことを知り、考えることが増え、自分と友人の違いをよく知ることになる。
私はある日ゲームボーイカラーのソフト、「ポケモンでパネポン」https://youtu.be/yYfZPb4nqa4 (以下ポケパネ)を友達に遊ばせてもらった。
パズルゲームはスーファミで家にあった「マジカルドロップ2」https://youtu.be/NN5JIwbNG1U を遊んだことはあったけどそれ以上の爽快感で遊べたポケパネは衝撃的だった。
どうしてもこれを家でも遊びたい。でもゲームソフトをせがむのは両親を困らせる。また今夜パパとママが喧嘩するかもしれないし、普段よりもっと大きな喧嘩になるかもしれない。
その時小学生ながらにとった手段は『友達から盗む』だった。うまいこと友人からポケパネを盗み、買ってもないゲームを遊んでいるのがばれるとまずいからと、家では音量を消し
放課後には公園で一人でポケパネを遊んだ。でも親は子を見ている。買ったはずのないゲームソフトに気づき、ひどく怒られ、翌日友達へ返すくだりとなった。
その時、今となってはどう思ってそんな発言をしたのかも覚えていないが確かに私は言った。
母は泣いた。でも私は両親に負担をかけずにゲームソフトを手に入れる純粋な手段として盗みを働いたつもりだった。
盗みはダメだと諭され、母と一緒に友人の家に行きソフトを返した。友人は特に気にした風もなく、小学校を卒業するまで一緒に遊んでくれた。
夜な夜な喧嘩が続くが中学生になってある日突然、父がマンションを買った。
正直当時は驚きのあまり意味が分からなかった。お金ないんじゃなかったのかな。どこかで貯めてたのだろうか。大人になるまで、ずっとこのアパートで過ごすのかと思った。
とうとう父は働かなくなってしまった。
マンションに引っ越し、中学生になった私と小学生の妹はそれぞれの部屋をもらったが父は妹の部屋に入り浸った。
妹のベッドで眠り、昼食に袋麺を食べ、また妹の部屋で引きこもる。妹は母と一緒に和室で眠った。
あっという間に妹の部屋はたばこ臭くなり、ベッドの布団はぺたんこになった。
母は時短で働かせてもらっていた職場をやめて夜勤も挟みながら働くようになった。夕飯を作るのも私と妹で作るようになった。父の分はない。
初めて作ったのは野菜炒めだった。今でも覚えてる。切って洗った野菜を炒めるのに油が跳ねて妹と大騒ぎして、父に怒鳴られた記憶がある。
ほどなくして車で買い物に出かけた帰り、マンションの駐車場で母が助手席に乗る妹と後部座席に乗る私に向かって「ママ、パパと離婚することになったの」と言った。
私はまぁ、そうなるよな。と思った。驚くべきことに部屋を占拠されていた妹は泣いた。
そうして私と妹は母に引き取られ、マンションと父を残して出て行った。
家庭裁判所に行った。家庭裁判所の人は私と妹が望めばいつでも父と面会できる旨を伝えてきた。
でも私達から望んで面会を申し出たのは今までで一度もないままだ。
養育費は二人分。私と妹が高校を卒業するまで。その養育費も最初の2ヵ月払われて、それっきりだった。
私は高校生になった。アルバイトをはじめ、携帯代は自分で払い、月にいくらか家に入れ、欲しいもの・必要なものは自分で賄った。
アルバイトというのが地元のショッピングモールに入っているラーメン屋だったのだが、オーナーや社員のおっさんにとても良くしていただいた。
絵を描くのが好きと知れば誕生日に画集や画材を頂き、美味しいものもたくさんごちそうになった。
ある日、自分で夕飯の買い物袋を両手に下げてアパートに帰ってきたときなんだか急に悲しくなって声をあげて泣いた。
私以外にも高校生で、両親がいない中買い物袋を提げて帰ってくる子もいるだろう。
でもなんだか理不尽さと寂しさとどうしようもなさ、あとはなんで私がこんな環境にいるんだろうという気持ちで家に母と妹がいないことをいいことに、両手に買い物袋を提げて立ち尽くしたままうわーんと泣いた。
本当に「うわーーーーん」だった。
私は高校を卒業したら就職するつもりだった。(ちなみにこの時はまだ養育費が払われているものだと思っていた。)
母に高校卒業したら就職する。と言ったときの母のあの喜んだ顔は今でも夢に出るほど覚えている。
スーツ用意しなきゃねとも言った。
高校卒業したら就職するんです。とアルバイト先のおっさんにも言った。
そうしたらそのおっさん「あのさあ、人生よくやり直しが効くとかいうけどそんなことないよ?」と言い出した。
どきっとした。
わがまま言ったらいろんなものを困らせると思って黙っていたことがむき出しにされた気がした。
「勉強したいことがあるなら今のうちだと思うんだけど」
ゲーセンで知り合った友人に相談した。その友人は通っている専門学校にデザイン学科があるよと教えてくれた。
資料をもらって穴が開くほど眺めて悩んだ。そして母に言った。
「ごめん、就職したいと言ったけどこの学校に通って勉強がしたい。2年制でいいから、通わせてほしい」
その時の母の落胆した顔も覚えてる。この顔も良く夢に出る。
それでも母は奨学金の手続きを一緒になってしてくれて、無事私は専門学校でデザインの勉強をすることができた。
2年制だったから、うんと居残ってphotoshopやillustratorを覚え、プレゼンの勉強をして、就活を終えた(新卒で入った会社がクソブラックだった話はまたどこかで。失せろクソ会社)
もちろん、あれからバイト代が入ればちょこちょことゲームを買い、ゲーセンで音ゲーでも格ゲーでも遊んでいたのだが
無事社会人として安定してきて、switchとスマブラで友達と遊んでいた時の事。
友人と二人でいろんなキャラをオンライン対戦で遊んでいた時、5連勝くらい続いたあたりで
「なんか勝ち続いちゃってる。」としれっと攻撃を食らったりアイテム取り損ねたりして手を抜いてしまった。
これは高校生の時よく遊んだ「スーパーストリートファイターⅣ」でもかなりの頻度で起こった事象だった。
格闘ゲームで遊ぶ以上、ミスも弱さも自身のせいというのが基本なのだが、勝ち続けて嫌われたくない、気分を不快にさせたくないと
幼少の時に培った「相手のご機嫌伺い」が発動してしまって対戦ゲームでなかなか気持ちよく遊ぶことができない。
ご機嫌伺いはゲームだけでなくいろんなところで作用し続け友達は本当に少なく、それなのに変に性格が明るい人間になってしまった。
なんでもかんでも両親のせいにするつもりはないけど、子は親を選べないし、ここまで女手一つで育ててもらった母には感謝もしているけれども
なんであんな男と結婚したのか、なんで喧嘩するくらいなら生んでしまったのかとこの間ちょっとノイローゼになったとき思っちゃった。おわり。
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今。妹は素敵な旦那と結婚して1児の母に。もうすぐ2人目が生まれる。姪っ子にはクリスマスにぽぽちゃんのベビーカーとポポちゃん用のエルサの服をプレゼントした。
妹は育児に四苦八苦しながらも旦那、姪っ子と部屋を飾りながら私の手放しに楽しそうに生活している。
私は一人暮しのため住んでいたアパートを出たので母は久しぶりの一人暮らしを満喫し、フラダンスにハマった。
父はしらない。
>うちは早くに見切りをつけて子の物心つく前に離婚して一人で育ててるが、金銭的心配はなく楽しく二人暮らしのつもりが、子がこんな思いを抱えてたらどうしようと思った
金銭的な事情はきっかけに過ぎず、みんなが当たり前に持っているものが私達にないというこの状態こそが、買い物袋をぶら下げて立ち尽くしてしまう最大の理由なので、出来る事なら子には友人や人とコミュニケーションがたくさん作れる・取れる環境を作ってあげるのが大事だと考えてる。
その環境さえあれば、足りないものは徐々に補えるようになるはずで、そうなるように出来ている。
今思えども急にマンション買った下りは本当に意味不明で笑っちゃう
まぁ多分、良い暮らしをと思ってマンションを買ったのだろうけど良い暮らしはそこに無かったと言う訳。
>お母さんのリアクションが、逆ではないんだね
>落ちがないのがなんかいい
落ちてないから落ちがない…という落ち…
たくさんの人に読んでもらえてたくさんの人に文章を褒められて嬉しい
ありがたや
依頼された仕事が終わって以降、どうにも落ち着きが悪く、未だに引きずってしまっているので文字にでも起こしてなんとかこの気持ちを整理して供養したいと思います。
私はグラフィックの専攻生ではありませんでしたが、デザイン学生時代に授業でイラストレーター・フォトショップの使い方を一通り学び、WEBデザイナー・コーダーとしての実務を1年ほど積んだ経験があります。
実務経験が浅く、あまり難しいことはできませんが、簡単なDTPデータ作成や、簡単なWEBサイトのデザインやコーディングなら行えます。
今はほとんどデザインの仕事はせず、平日週5でOLをやってます。
新規開拓のベンチャー企業で、開業に付随する印刷物デザイン・ウェブサイトデザイン構築全てを任されました。
制作物は以下の通り。
・フライヤー片面A4
・パンフレットA5 8P
・イラスト 2点
・名刺 片面
制作期間は全てを1ヶ月半で。
「お金がないから5万円で!」とお願いをされ、そんなに沢山作るしあんまり時間もないのに5万か…とは思うものの、自分の技術は素人だし、頑張る友人を応援していたので、「本当はもっともらいところだけれど、出世払いでよろしくね!」と引き受けることにした。
もちろん、日中はOLとして働いているので平日昼間の作業はできないことも伝えてあります。
友人なので、お互い思ったことは何でも言い合い、まずはイラストの作成からでしたが、何度も修正しながら作り上げました。
はじめこそ、友人として、彼の新規事業を応援したい気持ちが強く、やる気満々で作業に取り組めていた私ですが、こだわり気質の友人からのOKはなかなか出ない。
友人には完成イメージがあるので、それに近づけてゆく作業でしたが、彼の完成イメージも最初からある訳ではないので、そこへたどり着くまでがほとほと長い。
イラスト2枚の作成に休日丸3日、ウェブサイトのデザインとコーディングには1週間ほどかけた、と思うが実際どの程度時間がかかったかは覚えていない。日中OLの仕事が終わっても、毎日3〜4時間ほど打ち合わせや作業をしていた。
ウェブサイトは今後私が管理するにしても、管理費は出ないので、できるだけ私が管理しなくても良いよう、wordpressを使って、簡単に更新ができるような構築に。
通販もしたいが、アマゾンや楽天での委託では手数料が多く取られ赤字になってしまうと言うので、作成したサイトにウェブショップのシステム導入を提案し、通販できるような仕組みを作成した。
はっきり言ってもうこの辺りで完全にやる気が出ない。もう5万円の作業量はとっくに超えたんじゃなかろうか。
そんな気持ちが日々頭の中を巡るようになっていました。
まず中身の文章データや、グラフや写真の画像データが一向に届かない。どんどん締め切りは迫っていくし、それらのデータがどんなものなのかも知らされていないのでなかなかデザインも進まない。私が知っているのは大雑把に各ページの概要だけ。
本来であれば事前にしっかりと全体イメージを把握し、そういった素材が全て完成した状態でデザインラフをあげ、作成していくのが順序だとは思うのですが、彼はオペレーション意外にも仕事が忙しく、しっかりとしたイメージ共有など、そのような手段は取れませんでした。
写真データを使える画像にするために加工をするところから始め、レイアウトを考え、やっと見せられるデータになるまで3日。
修正を加え、納得してもらえるデータになるまで4〜5日。「今日絶対入稿して」と言われ、データを変換し、入稿用データを送る。
日中、入稿後のデータチェックで変換ミスの連絡があり、帰宅後修正し、再入稿。
同じようにフライヤーも作ったが、フライヤーに関しては「2日で入稿して」と言われた。おおよその情報はもらっていたが、細かな文言などは自分で考えてと言われた。
とにかく急かされ確認用データを送ると、スペルミスがあり、修正。
更に追加でウェブ用の画像も作成し、セミナー告知のためのページを作れとのこと。今日中に必要なのですぐ作ってくれとのことなので、平日帰宅後すぐ作った。
完全に私は疲弊していた。
どれだけやっても、急いで作業をしても、もらえるお金は変わらず5万円。
不満は溜まるばかりだった。
プロのデザイナーをしている友達が忙しそうだね、と声をかけてくれたので相談したところ、 「ありえないよ、最低50万の仕事量だよ!?ちゃんと値段交渉しなよ!1人でこなすの大変だし、いつでも手伝うから言ってね」と言われた。
手伝いを依頼したいのはやまやまだったが、そもそも5万円しかデザイン料に割けないと言われているところで、プロのデザイナーである彼女へお給料を払える余裕は無いと判断。本当にありがたかったが、手伝ってもらうのは諦めました。
それと同時に、プロだったら50万円ももらえる仕事だったのか…と思い、相場を調べ、自分の技術が無いことを加味しても、おおよそ15万円ほどならもらっても良いのではないかと思った。せめてそれぐらいの働きをしている、と私は思っていた。
給与に関しては、聞いていた日に入金が無かったので、友人の会社の事務の方へ直接連絡したところ、翌月の振込になるとの回答だった。
制作代で必要な分があれば別途請求を立てるようにも言われたので、もう少しお金をもらっても良いものなのかな、と少し希望がわいた。
彼の言い分はこうだ。
・給与の不満が多く、やる気が見られない
・やってあげているような傲慢な気持ちで作っているように感じる
・本当に応援してくれているのか疑わしい
・自分達はプロとして仕事をしている 私の犯したミスはプロではあり得ないものばかり
・私が日中仕事をしているので修正依頼しても、結局夜にした入稿できず、一箇所修正に丸日かかることが不満
・社長がフライヤーのデザインに満足していない 期限もないので印刷したものはこのまま使用するが、作り直しをする
・プロに依頼するのであれば、それ相応の額を支払っていたが、私への依頼だったため5万円だった
・依頼したので5万円は払うが、もう5万円払うのも不本意である
・友人関係は今後も続けたいので、お互いにリスペクトの精神を忘れないようにしよう
私はもう反論する気力もなかった。この後私が何を言ったかもう覚えていない。
それほどまでに疲弊していました。
よくわからないままその日は眠り、翌日友人に言われたことを考え始めると、悔しくて悲しくて涙が止まりませんでした。
たしかに私はプロではないし、クオリティが低かったのだろうと思う。
それでも全てのデータを逐一友人にも社長にも送り、確認してもらい、OKが出るまで修正していた。
コピーも自分で考えて入れてと言われたので、私が入力した。誤字脱字が不安だったし、誤入力があってはいけないので確認をお願いしたが、その際に発見された誤字脱字もプロだったらありえないミスだ、とのこと。
そりゃ私みたいな素人がプロクオリティのデザインをできるなら良かったんでしょう。でも私はプロじゃない。自分の技術不足なんてわかってはいるけれど、素人だからという理由で依頼をしておいて、あんまりな言われようだと思った。
全ての作業が終わるまで、2ヶ月ほどかかった。私の日給は1000円にも満たないのだと思うと、また泣けてきた。パンフレットやウェブサイト、名刺はこれからも使い続けるそうだ。彼らは日給1000円にも満たないお給料で私に作らせた商品でこれからお金を稼ぐらしい。
何より「デザインにお金をかけられない」という理由で私以外には頼めないものだと言われて引き受けた仕事だったけれど、本当のところは「プロに依頼するならそれなりのデザイン料は出せるが、私だから5万円以上は出さない」という方針だったことがショックだった。
私の仕事には日給1000円、時給にしてしまえば125円の価値しかないと、最初から思われていたのだ。
時給125円の価値しかない私に「やってあげている」ような態度を取られるのは、さぞ癪にさわることだったろう。
その程度の私が「お給料をあげてほしい」などと言うのは、身の程知らずだったのだろう。
彼は「仕事をさせてあげている」私が、不満を持って仕事をしていることが許さなかったのだろう。
私は彼から事業の話を聞いた時、絶対に成功してほしいと思った。だからこそ、5万円で仕事を請け負ったし、彼の要望には出来る限り応えられるよう対応してきたつもりだった。
大したクオリティは無いが何でも言うことを聞いてくれる、時給125円で仕事をさせてあげている便利なやつだったんだろう。
そんなことにも気付かず、自分の時間を削って仕事をしていた私は本当に馬鹿だ。
傲慢な態度が嫌だと言われたが、最近から最後まで傲慢だったのは彼のほうではないか。
互いにリスペクトし合って友人関係を続けようと言われたが、ずっとリスペクトなんかされていなかった私がどうやって彼をリスペクトすれば良いのかわからない。
彼はとても良い友人だった。
どんな悩みも打ち明けることのできる唯一無二の友人だった。
彼は「言いにくいこと全部言うけど」と前置きしてこれらを私に言ったが、彼には「言いにくくても言うべきこと」と「言ってはいけないこと」の区別がついていないのだろうと思う。
昔の私ならきちんと指摘できたと思うが、もう私は彼と関わりたくない。
彼は私に「友達だから」思ったことを素直に言ったのだろうと思います。彼は私を「時給125円以下の女」扱いしていることに、たぶん気付いていません。
誤解の無いよう書き留めておきますが、彼は悪気のある言い方を一切しませんでした。しっかりと言葉を選んで、本当にただ、私の悪いところを指摘して改善してもらいたかったんだと思います。
ただ素直に私への評価を伝えてくれました。「大した技術もなく時給125円以下の価値しかないくせに傲慢で偉そうで金の話ばかりしてくる女」だと。
私は彼の進めているプロジェクトを高く評価していました。だから安い金額でも、こんなむちゃくちゃな仕事をなんとか頑張ることができました。
私を選んで依頼してくれた彼に、私が彼に対して思うように、私を評価して欲しかっただけでした。それが傲慢だったということなのでしょう。
彼らは今後も夢に向かってひたむきに走り続けるのだろう。
是非がんばってほしい。
今後何か困ったことや酷いことがあったとしても、全て私のせいにして生きていってほしい。そう思うことで彼らが楽に生きられるのなら。
これからもし、「ただ安く済ませたいから」という理由で人をこき使おうと思っている方に知っておいて欲しいのは、「人間は評価された分しか返せない」ということです。
やる気の問題ではありません。根性論なんて糞食らえです。あなたが傲慢にも「使ってやっている」という気持ちで雇った誰かは、あなたに「使ってもらっている」なんて有難がることは一生ありません。
仕事を受けようと思っている人はきちんと自分の価値を見定めてください。自分が満足するだけの評価をもらわない限り、自分の満足する仕事なんて一生できません。ただし、自分への評価を傲慢にしてはいけません。冷静に力量を見極めた上で、価値を探してください。
「評価=お金」ではありません。人間は不思議なもので、きちんと評価を受けていると感じられるのであれば、希望のお給料より少し安かったとしても力を発揮できます。そこにきちんとリスペクトがあれば、です。
私は「尊敬する友人に時給125円以下だと思われていた」という事実を一生抱えながら生きていかなければなりません。冒頭「この気持ちを供養する」と言いましたが、恐らく一生供養なんてできません。
本当につらいです。私には最低賃金の価値はおろか、1時間働いたって自販機で缶ジュースを買うこともできない程度の技量しかない人間なんだと言われたのです。
死にたいと思いました。死んでやろうかとも思いましたが、同情してくれる恋人や友人が僅かばかりいたのでなんとか生き延びてしまいました。
それでも今こうしてこんな長文ブログを書いてしまうぐらいに悔しくて悲しい気持ちは一生忘れません。
かと言ってもう「技術を磨いてすごいデザイナーになっていつか見下してやる!」なんて上昇志向も持てません。
時給125円以下の技量しかない私は、今後デザインなんて一生しません。
歴史ある有名どころから名前も知らないような新設校まで、在学生・卒業生の生の声を垣間見られてすごく興味深い。
鉱脈がありえんほど深い(Fラン大は小規模校が多いので口コミ総数の割にバリエーションが多い)ので自分もまだまだ掘り下げられてないけど、気に入ったのをいくつか紹介したいと思う。
(ていうかここなんで偏差値でてないんですかね?)
Fラン工業大学の女子学生という立場の辛さがひしひしと伝わってくる。
就職先が大手アパレルの販売職というのもバイト先にそのまま就職した的な感じが哀愁を誘い高得点。
全体的に無気力感ただようコメントがFランに漂う空気をリアルに再現しており評価したい。
可もなく不可もなくという感じである。
地味に自分で"Fラン"って言ってる口コミ少ないのでオッとなる。
資格まではなかなかとれないです。
身もふたもなくて草
新入生の9割が中国人だったりするところ。九州出身のおっさんおばさん的には"第一経済大学"のほうが通りがいいか。
就職先・進学先
えぇ…(困惑)
いかがだったでしょうか?この他にも数あまたの面白い口コミがみんなの発掘を待ってるから、各位どんどん探求してFラン口コミの魅力を堪能してほしい。
ここに掲載している国際信州学院大学の評判・偏差値・制服・部活などの情報は国際信州学院大学の公式サイト、口コミサイト等の情報をもとにまとめています。
「評判や偏差値のいい大学に入りたい。」「あの部活ができる大学に入りたい。」「あの大学の可愛い子と付き合いたい。」など。
大学選びで困っている人の助けになり、自分にあった大学をしっかり選んでいただけるのではないかと思っております!
今回は長野県にある大学の一つ、国際信州学院大学について紹介します!
https://kokushin-u.jp/
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└フランス法学科
書道部 フラダンス部 民謡研究部 水槽学部 信州りんご研究会 りんご栽培同好会 相撲部 乗馬サークル 餃子研究会 写真部 釣り部 ボルドーワイン愛飲会 和式便器根絶サークル 伝統菓子研究会 カバディ同好会 テコンドー同好会 ソフトテニス同好会 キンボール同好会 フランスパン愛好会 LoveLive!研究会 スマホアプリ愛好会 コンピューター同好会
鉄道研究会 硬式野球部 混声合唱団 テロメアコサックヨシムラディアボロスコポオ同好会 ジャニヲタサークル インカレサークルCARP サッカーサークル 国信ねこ部 国際信州学院大学山吹千紘研究会 超自然研究会 DONKS国信大学自治連合 剣道愛好会 東方サークル
国際信州学院大学は学校の規模の割にサークルが多いと思います。
ただの理学部ですが、普通に日本語と英語とフランス語が話せます。
当学にも寮があり、日本人と留学生が共同生活をおくっています。
学食は、料理長が上高地帝国ホテルのシェフをした方とのことで、安くて美味しくて、ボリユーム満点です。私も朝7時半の朝食から始まり、21時までやっている夕食まで、1日3食を食べています。
大学生協では、図書やCD,DVDなどが定価の2割引きで買えますが、図書館に行けば、だいたいそろっていますから、趣味の本など以外は買ったことありません。
フランス語を学んで世界へ羽ばたきたい!という夢を叶えてくれる環境がとても備わっています。
その他にも色々な学部があるので公式サイトを参照にして見てみてください。
いかがでしたでしょうか。
今回は国際信州学院大学の評判や偏差値などについてご紹介しました。
たくさんある大学から自分にあった大学を探すのは非常に難しいですよね。いろいろな大学の評判や偏差値などを調べ、比較して、本当に自分が行きたいと思う大学を見つけましょう!
うわ~!昔の俺がいる!10数年前の俺が!
俺もデザイン学んだし、描きたいものがないというのもわかるし、毎日上手い人の絵を見て絶望してる。
本気でマジレスするなら1秒でも早くやめるべき。自己否定でもなんでもない、10年後の自分はいまの自分とは別人になってる。なにより真剣に創作を続ける事は本当にキツイ戦いで、歳を取るほど激戦になる。歳を取ってからじゃ取り返しのつかない事も多い。老眼にもなるし自分の能力が自分を裏切る事も増えて絶望的な戦いになっていく。戦い続けられるのはその苦痛を感じない変人だけだw 絵をかくサイヤ人大杉。
未練が捨てきれず戦い続けるなら、即座にガチで基礎技術力を徹底的に習得すると良いかと。技術や知識は時代に(あまり)左右されない。デッサンや模写などの基礎訓練を侮らず大量にこなすべき。同時にデフォルメの練習も重要。こういったものは画風などを変えても役に立つから。CG描き方講座のTIPSは一過性の流行が多いのでさほど重要視しなくてもいい。
で、余力があれば苦痛じゃないところを徹底的に極めると後々色々武器になってる。あとフェティシズム本当に大事。作家性もセンスも自分で決めるものではなく作品を見た人が決めるものなので意識する必要はない。
デザイン業は絵とは違ったものなので仕事と割り切り辞める必要はないと思う。
絵を描くか描かないかは結局どちらでも正解だが、趣味でダラダラ続けるのは色々サボった俺のような半端者にしかならないのでお勧めしない。そんな暇があるなら婚活して結婚すべき。
私も同じような悩みあって、多分誰かも言っていたけど正直者なんでしょう。とても良いところだと思います。ちなみに私は就職してからやりたいことができてしまったので、学校に行くお金を貯めるのを目標に働いています。
周りが就活に対する意識高くて優秀だから正攻法で行かなきゃならないって追い詰められているのかもしれないけど、就職にもいろんなやり方がありますよ。
私は結局、都の新卒者向けハローワークのイベント(合同面談会。とくに志望してるしてないに関わらずコミケブースめいたところでいろんな会社の人と面談できる)を利用して就職しました。
私はデザインの学校の出なんだけど、デザイン学校出たけど就職どうしていいかわからない、って人も新卒ハロワに結構来ると言ってたので、一人で悩まないで相談するというのは手だと思う。そこで就職しなければならないということはないし、ちょっと胸の内を詳しい人に打ち明けられるだけで気分は違うと思います。
で、やりたい事が見つからない、自己暗示がかけられない人に対しての具体的なアドバイスとしては、
この三つはとても重要だと思っていて、まず焦っていると判断をミスりがちなのでとにかく落ち着く(私は3月に就職が決まりました)。それから「やりたい」仕事を見つけるのは至難ですが、少なくとも向いている仕事であれば時間がたつのが遅くて地獄ってことがない。周りの人が良ければ心が脅かされる場面は(飲み会を除いて)少ないです。
もう一ついうなら新人を研修させる余裕のあるところ。即戦力として放り込まれるところはあやしいと思っていいと思います。
それと、どうやって志望するのか問題ですが、まず大学生のスキルなんてたかが知れているし、入って一から勉強し直すし、やりたいことが変わるのは当たり前なので、やってきたことを愚直に話すのがいいと思います。志望動機欄はちょっとがんばれ。思っていることのなかから志望動機になりえそうなものをちょっとだけ、がんばって書く。
あとオススメは学業でも趣味でもやってきたことがあれば実物を見せたり、紙面に軽く情報をまとめたりするといいです。
良い、意味のある仕事をしなければ欺瞞だと思うかもしれないけど、仕事に貴賎があるという考え方はちょっと危険です。
スターデザイナーの日常は、雑誌の記事、ネットの記事でも溢れている。下手すればtwitterでもインスタでもどこでも見れる。
美化しているのか判らないけど、ネットで見れるデザイナーの日常はカッコ良過ぎて食傷気味だ!どちらかと言えば中の中からその下くらいのリアルなデザイナーを感じたい!というあなたにお勧めなのがこれ!
パチンコ専門のデザイン事務所という、デザイン学校で主席じゃなくても先生に特別お気に入りとかじゃなくても就職できそうな現実味のあるデザイン事務所の中で繰り広げられるリアルな日常と、夢いっぱいな恋愛。個人的にはこんなに恋愛要素要らないんだけど、そうすると読者が付いてこないんだろう。仕方が無い。
これが本当のスターじゃない一般的な職業デザイナーだ!と強く訴えたい。同級生にあんまり自慢も出来ないかも知れないけど、こんなものだと。広告代理店のデザイナーだけがデザイナーじゃないよ。
実話であるとは言わない。
だが寓話としてこういう話もあると思って欲しい。
会社が昔から取引を続けてきた某クライアントから依頼を受け、最初の話し合いでだいたいのコンセプトを聞き現場担当者同士で話し合いラフを作ってGOサインを出してもらう。
順調にデザインが出来上がり自分なりによいできと思い、直属の上司に経過報告として先方に提出する前に確認をとる。
すると以前現場でデザインをしていたという上司が「以前この会社はこういう方を好んでいた」とダメ出しが入る。
その修正のために全て位置を作り直さないといけないくらいに(タイトル文字を横書きから縦書きにしろくらいの変更)だ。
しかし上司に相談をしてしまった以上は無視して提出するわけにいかず、朝方までかかって修正をする。
最初ほどの満足感はないがまあまあよい感じだ。
その後も細かいダメ出しを提出寸前まで言われつつも最初の案の提出納期に間に合わせる。
無事に先方の担当者さんに渡す。
数日後修正事項が戻ってくる。
先方の担当者さんは申し訳なさそうに「うちの上司がどうしてもとこだわりがあるようで」と箇条書きで10項目以上の修正点を出してくる。
これらすべての平均値をとってみんなが納得する要素を入れ込んだデザインにしなくてはいけない。
当然のことながら配色の原則も、タイポグラフィの選択もめちゃくちゃになる。
そして完成品はまるでパッチワークのような不思議なデザインとなり、最後に上司からこう評価される。
そもそも専門学校に入って学んだことはほとんどなかったように思います。
私はHTML、CSS、JSも多少はできますけど、講師に質問しても調べれば分かるよとしか言われませんでした。
制作物持って評価お願いしても真っ当な答えが返ってきたことはありませんでした。
そもそもうちの専門学校にはデザイナーをやっている講師は2人しかいませんでした。
なんかバーの店員が映像の講師やってたり、無職で何やってたのかもわからない人がグラフィックの講師でした。
嘘かと思うかもしれませんが本当です。田舎の専門学校なんてそんなもんです。
ほとんど雑誌やデザイン本買ったり、展示会に通ってデザイン学んだり、考え方?を自分なりに考察したりしてました。
タイポグラフィ表現に興味を抱いていたので書体のなりたちを独学ですけど学んで、イラストや写真は正直上手じゃないんですけど
文字だけは恥ずかしくないようにしていました。