はてなキーワード: ひとつとは
抱きたい時に抱く。それが中心的なルールっつうか、原理なんだわ。
少しでも快適に生活するために、妻もノれるためのエクスキューズを日々仕込んでやるのはいい。
でも断られたからといって止めるのでは、そりゃレスになるだろうし、だいたい男が廃る。
あれだよ、理性を捨てて獣になれないなら、セックスなんかできない。
マッチングアプリで知り合った男性にしてもらって嬉しかったこと(anond:20241215222347)という記事を書いた。
これを読んで受け身、テイカーといった言葉を投げたくなる人はよほど苦労されているんだろうと思うし(受け身に見えるとしたら普段から女性一般をそう見ていて、バイアスがかかっていると思う。してもらって嬉しかったことは自分もしていると冒頭に書いているし…)、その苦労は今後も続きそうだし(その人たちは誰かになにかをしてあげたいと思うことがあるんだろうか。あるとして、「嬉しい!私もお返しするね!他になにができるかな?」以上のどんなリアクションを求めているんだろう?)、逆に「気遣いに気づける人は自分も気遣いができる人」「参考にする」と言ってくださる方はきっと普段から人の気遣いに意識を向けて、人に優しくあろうとしていて、私の記事のようなものからでも役に立つ部分を拾ってくださったのだと思う。
同じ記事でこうも真逆の反応と効果が生じるとは、と、分断を感じた。周りにいる人が全然違うのかもしれない。
男性に向けたデートテク的な情報に対して女性向けのものは調べてもあまり出てこなかったので、男性が不服に思うのは当然なのかも。
で、だからこそ私は他の人にとっての「これをしてもらって嬉しかった!」「これをしたら喜ばれた!」を知りたいので、続きを書きます。
マッチングアプリで気を付けていたこと、男性に対してしていたこと
してもらって嬉しかったこと上級編(彼が付き合う前にしてくれたこと、惚気)
シンプルに『金持ちや大企業を問いただす』、『配布の不均等を是正する』って何故ならんのか?マジで理解に苦しみますの
例えば、🍬飴の配布🍬を例に考えてみようぜ
こういう富の独占と配布の仕組みは、現実でも見られる。
「仕方ない」とか、「Cが悪い!」ってなる要素がないのは気のせい?なんだか戦後の闇米騒動を見ているよう・・・
A/B/Cグループ、誰が一番得して、誰が一番損してるかについて、難しい要素はひとつもない。
極端に論理的に考えることができない上に、極端にメタ認知能力に問題があるので、
人が言ったことを疑わず、なんでも真に受けるようになってしまうのでは?と疑っているけど、どう思う?
量にもよると思うけど、子供に自分がいないときでも生きていけるように家事のやり方を教えるためかもしれないね。
大人で家事が何ひとつできない人より、家事ができる人の方が絶対にいいよ。
お手伝いをした時は、お母さんの喜ぶ顔が見たかったんだよね。
まず、現在の日本における公的医療保険制度をざっくり振り返ろう。
国民皆保険制度という「世界に誇る」仕組みは、確かに戦後復興期から高度成長期にかけて国民の健康と安心を支え、平均寿命の延伸や医療水準の向上に寄与してきた。
しかし、その一方で少子高齢化が顕著になり、医療費は年々増加。結果、国や自治体の財政には深刻な圧迫要因となっているではないか。
誰しも無制限に医療サービスを受けられるなら嬉しいだろうが、それを永遠に続ければ誰かが支払いのツケを負わねばならない。
ここ数十年、その「支払い担当」は次世代に回され、国家財政全体はむくむくと膨れ上がっている。
公的医療保険も、基本的に「定額制食べ放題」のような構造を孕んでおり、国民が必要とする以上の医療を必要以上に消費する誘因にもなっている。
そこで私が考えるのは、思い切って公的医療保険制度を原則廃止し、窓口負担を10割にするというものだ。
もちろん、これが本当に実現されたらショックを受ける方も多いだろう。「病院に行ったら全額自費?そんなの暴論だ!」と。
それは理解できる。しかし、今まで「一律低負担」で医療を享受してきたツケが、今まさに財政を食い尽くそうとしている現状を直視すべきだ。
代わりに、民間保険会社や医療関連ビジネスが各々の健康サービスを提供する。
健全な市場競争があれば、医療サービスの質や価格はある程度合理的な水準に収束するだろう。
もちろん「民間に任せたら、詐欺まがいのぼったくり保険や、ありえないほど高額な医療費が横行するんじゃないか」と不安に思うだろう。
その点は、国や監査機関が厳格なルールや罰則を設けることで、徹底的に対策できるはずだ。
民間への委託は、あくまで国が無法地帯を放置するわけではない。
むしろ現行よりもしっかりした規約を課し、悪質な業者は即刻市場から退場させるような統治を目指す。
たとえば、これから社会を支える子どもたち、経済的余裕のない家庭など、真に手を差し伸べるべき領域には公費負担を限定的に残すべきだ。
これは「未来への投資」であり、子どもたちが健やかに成長すれば、将来の労働力やいのべーしょんの源泉となる。
広く薄くばらまくのではなく、超重点的に「ここぞ」という点に絞る。
肥満対策に悩む人がライザップを使うように、「本当に必要なところ」に公的資源を集中投下すれば、効果的かつ財政効率的だ。
財政面でのメリットは明確だ。まず、国民皆保険的な一律負担軽減が薄れることで、公的支出は大幅に縮減できる。
国や自治体が負担していた莫大な医療費が下がれば、赤字国債を積み増し続ける現状にもブレーキがかかる。
財政改善は国の信用力向上にもつながり、長期的には金利コストの低減や資本市場の安定にも寄与するだろう。
加えて、民間保険や医療産業が自律的な市場として成長すれば、関連ビジネスからの税収増も期待できる。
要するに「国が全部面倒を見る」状態から、「国は最低限、民間が活躍できる健全な土台を整える」にシフトすることで、財政はより健全性を回復していく。
もうひとつのメリットは、国民が自分の健康状態により高い意識を払うようになる点だ。全額自己負担、あるいは自己責任の下で医療サービスを利用することになれば、人は自然と日常の生活習慣に気を配るようになる。
医療が安ければ気軽に病院に行くが、高くなれば「そもそも病気にならないように気をつけよう」となる。
健康な生活が、結果的に自身の経済的負担を減らす構造を作れば、人々は自然と健康的な行動にシフトするだろう。これは長期的に見れば疾病予防、ひいては社会全体の医療負担軽減につながる。
むろん、「病気は運が悪かっただけ」というケースもある。
しかし、一定割合で生活習慣起因の疾患は存在し、それに対して個人が責任を持つ仕組みは、医療費をゼロサムで考えるよりも健全だと言えるかもしれない。
究極的には、医療が「必要な時に使う最終手段」ではなく、「健康維持・増進のための投資」として再評価されるかもしれない。
要するに、公的医療保険制度をほぼ廃止し、10割負担を基本としたうえで、民間主導の医療サービス市場を整え、必要に応じて超限定的な公費支援を行うモデルは、財政の健全化と国民の健康意識向上を同時に狙える。
さらに分かりやすく言うと、「健康管理はあなた自身の手に」「国はサポート役、でもおせっかいな給仕はやめます」といった感じだ。
もちろん、これは政治的ハードルが高いアイデアであり、一挙に導入することは残念ながら現実的でない。
しかし、増え続ける医療費の前で「国民皆保険は不滅」と唱え続けるだけでは、いずれ破綻が訪れる。皆でもう少し制度について考えていこうではないか。
私には未来があると信じて疑わなかったけど、その未来は砂のように手ですくった瞬間から少しずつこぼれ落ちていた。
認めたくなかった。
友達よりも職場の同僚よりも私の人生はうまくいってるって思ってたけど、みんないつの間にか結婚して出産していった。
結婚が全てじゃないって言う人はたくさんいたけど、やっぱり私たちを囲む世界には独身か既婚かの壁が大きくてすごく辛かった。
既婚者の苦労はみんなわかってるけど独身の苦労は誰もわかってくれないし気に留められることもない。
そんな無視されてる存在でいるのがすごく嫌だったし、好きで独身でいるわけじゃないのに色々言われるのにもう疲れちゃった。
夜のティータイムが私のささやかな楽しみだけど、もう何も考えずにその時間を過ごすこともできなくなった。
もう年末だし実家に帰らなきゃ行けないなと思いつつ、お母さんやおばあちゃんに彼氏が出来たかどうか聞かれるのが嫌で帰りたくないって思ってる私がいる。
けど実家に帰らなかったら寒いワンルームに1人だし、気晴らしに外に出れば楽しそうに過ごしてるカップルを見なきゃいけないのも嫌だなぁ。
結局色々言いながら実家には帰ると思う。
小学校の時はよく男子にちょっかい出されたし、中学の時は部活の先輩に告白されたこともあった。
大学生になってからは友達より早めに垢抜けたし、年上の彼氏がいたから同い年の子達とは違う経験をしてた。
みんながサイゼでご飯食べてトリキで飲んで彼氏の学生寮のマンションに入り浸ってる間に私は色んなホテルや一見さんは入れないお店にも行けた。
キラキラしてないけど入りたい旅行会社の内定をもらえたし、同期の中では私が1番かわいかった。
大学のゼミの子達は先行と全然関係ない大手会社の受付とか事務に就職していった子が多かった。
受付とか事務って男の人にニコニコするのが仕事みたいでそういう仕事はしたくないって思ってた。女の子だからとか関係なく正当に自分の仕事を評価してもらいたかったし、
そんなに勉強をすごくする方じゃなかったし、若ハゲの教授のゼミで愛想笑いをするのも得意じゃなかった。
職場の人は良い人ばっかりだったけど、私はあの人たちみたいにはなりたくないしなれないなって感じるところもあった。
職場に入った頃はそんなゆるい温度感にすごく私は合っているな〜って思ってたんだけど、夏頃に同期に誘われて行った合コンであったベンチャー企業の人たちのポジティブさというか向上心のある感じを見ちゃうと自分の職場が急に違うなって思えてきて「ここは私の居場所じゃないかも」って感じ始めたの。
それがきっかけかわからないけど、会社帰りに夕食がてらカフェに寄ってTOEICや韓国語を勉強し始めた。
韓国トークをする友達と韓国で旅行したときは私が成長しているなって実感できたし、ニューヨークでメトロポリタン美術館に行ったときにイケメン外国人に話しかけられたときもちゃんと会話できてインスタ教えてもらえたのも勉強のおかげかなって思った。
でも、その頃からだろうか。私の中で何かが少しずつズレ始めた気がするのは。
韓国語や英語を勉強して、旅行をして、新しい人や世界と繋がるのは本当に楽しかった。そう思っていたはずなのに、いつの間にか周りの友達たちは結婚して、子どもを持って、話題が変わっていった。昔は一緒に旅行やショッピングの話をしていたはずなのに、今では子どもの習い事や夫婦の関係、家のローンといった現実的な話ばかりになっていた。
私が海外での思い出や、最近買ったお気に入りのコスメの話をしても、みんなの反応はどこか薄い。それなのに、ふとしたタイミングで言われる言葉がある。いいなぁ、自由で、とか。独身だからできることだよね、とか。そのたびに胸の奥がちくりと痛んだ。私は自由を楽しんでいるつもりだったのに、なぜかその自由という言葉が妙に重く感じられるようになっていた。
それでも私は自分らしく生きたいと思っていた。誰かに縛られることなく、自分の人生を自分で選びたいと。でも、ある日ふと気づいてしまった。自分らしくと言いながら、私が選んできた道は、本当に私が望んだものだったのだろうか、と。
年末が近づいて、とうとう実家に帰る日が来た。駅から家までの道を歩きながら、冷たい風が頬を刺す。玄関を開けると、お母さんとおばあちゃんの明るい声が出迎えてくれた。おかえり、寒かったでしょ、と言われて、一瞬ホッとしたのも束の間。食事の席で案の定、彼氏は?の話題になった。
焦らなくていいのよ、とおばあちゃんが優しく言った。でも、そろそろ考えないとね、と続けた言葉が胸に刺さる。私は無言で笑ってごまかした。
その夜、部屋に戻って荷物を整理していると、古いアルバムが目に入った。開いてみると、幼い頃の私がそこにいた。誕生日のケーキを囲む家族、学校の運動会で笑う友達たち。どの写真も明るく、未来に向かって輝いている私が写っていた。
その写真の中の私を見て、思わず涙がこぼれた。未来があると信じて疑わなかったあの頃の自分。けれど、今の私はどうだろう。いつの間にか、周りの価値観や目線に振り回されて、自分自身を見失っている気がする。
その瞬間、紅茶に入れるために買った豆乳のパックが思い浮かんだ。あれはきっと何かの象徴だった。冷たい豆乳を注ぎながら、自分の心を冷たい孤独で覆い隠していたんだと思う。
私、何してるんだろう。
そう呟いた夜、翌朝、私はひとつの決心をした。このままじゃいけない。未来は砂のようにこぼれていくけど、それをただ見ているだけじゃ、本当に全てを失ってしまう。私の人生を作るのは、周りの誰でもなく、私自身だ。
年が明けたら、何かを変えよう。大きくなくてもいい、小さな一歩でいい。でも、その一歩を踏み出さなければ、私は一生、同じ場所に立ち尽くしたままだ。
そう心に誓った瞬間、外の空が少しずつ白んできているのが見えた。新しい年は、もうすぐそこに来ている。
1万円くらいした。
それがあるだけで部屋がおしゃれな感じになるので最高なんだけど、その加湿器が壊れた。
めちゃくちゃうるさい。電源をつけると異音がする。ブォーーーーー!って爆音がするので10秒とつけていられない。
辛すぎる、買って3年経ってないぞ?
修理か?買い替えか?
おそらく修理に出したとこで高くついて買い替えになるだろなーと思って値段調べたら
1万3千円くらいに値上がりしてる。
音くらい自分で直せるのでは!?と思い加湿器をひっくり返してみた。
ドライバーでネジあけると、なんかごちゃごちゃ線とかが並んでいる。
見た目はこんなにかわいいのに、中身は黒とか緑とかで全然かわいくないのが何か面白い。
結局、どんな機械も中の部分はこんな感じでだいたい一緒なんだろうな。
人間も肌の色違ったり性別違ってても、一皮むけば内臓なんかだいたい一緒だし。
YouTube見たりGPTで聞いたところおそらくこの黒いファンが怪しい。
試しに電源いれて動かしてみたところ、こいつが原因ぽい。
取り出す前に、念のため写真を撮っとく。
動かしても変な音はしないのでとりあえずこれで様子を見ることにした。
軸が原因だったら、ファンだけ購入して交換しようと思っていたので
基盤がここにあって、こっちを外せば基盤も外せて、こうやって線がつながってて、ここをこうやれば取り外せる。
一応交換もできそうということが判明。
静かな加湿器に戻った!!
1.3万円得した。
今後何かあったら自分でもなんとか修理できそうということも分かった。
配線とか基盤とか難しそうでビビったけど、ひとつひとつ確認してけばそんなにビビることないな。
他の家電も何かあればこうやって確かめたらいいのかもしれない。
家電に限らないな。
すべてのものには基礎があって、知らないし、触ったことがないし、仕組みについて考えたことがないから怖く見えるだけかも。
ジョジョのアナスイがいろんなものを分解せずにはいられない、とか言ってたのを思い出す。
分解が好きってどういうことだ?って思ってたけど、なんとなく分かった気がする。
分解すると物事の基礎が分かるから。ガワじゃなくて根本に近づけるのが面白いのかも。
ここ数日、80歳に手がかかった母から毎日のように「ネットが繋がらん!なんとかならない?」と連絡がある。
元より実家は古い一軒家なのでネットに繋がっておらず、PC使うならスマホでテザリングというスタイルなんだがある日突然ダメになったらしい。
とはいえラインで連絡はあるからスマホ通信はできてるわけで、そうなるとPC側の問題かとも思ったり。いずれにしろ見てみなきゃわからん。
ありがたい事に実家は我が家とはさほど離れていないのでとりあえず顔を出し、どれどれ。…の前にスマホの再起動でなんのことはない、再び繋がるようになった。
とホッとしたのもつかの間、翌日からまた調子が悪いと連絡が入る。おそらく、だけれど母はPCを多少なりとも使えはするが、メンテナンスというものを一切しない。つまりOSのアプデもしてないと考えられ、原因はおそらくその辺にあるんじゃないかと睨んでる。
オレがスマホ、PCの両方見てアレコレ確認すれば復旧するのはわかっちゃいるが、以前からコチラとしてはネット開通まではしなくとも、ポケットルータくらいのネット環境ありきで生活してもらいたい気持ちはある。
母は以前、ポケットルータを利用していた。がルータ利用料を払うくらいならスマホの利用量を増やし、テザリングした方が安上がりウシシシ。との結論に達したらしい。
その結果、母は通信量をあまり使いたくないからなのか、ネットをコマメに切ってしまうようになった。高齢になるとこの手の“よくわからんもん”に対しては異常にケチになる。
例えば母がオレにラインを送る場合、まずネットを立ち上げ、ラインで文言をオレに送信したことご確認できたら再びネットを切ってしまう。
コチラとしては即座に返信するがネットに繋がっていない母のスマホには当然通知もない。たとえ急用でも数時間後(一日に数回ネットに繋げラインやメールの確認をするらしい)にようやくこちらの返信を読みこちらに送信、そしてまた母はネットを切る。たった一行のひとつの会話が1日…。
結局面倒になり直接電話をすることになる。即時性というラインの利点は全く活かされず、なにより高齢の母の身や周囲に何かあったときを思うとゾッとする。
ライン返信の遅さで恩人の死を翌日知ったときは流石に電話の一本もしてくれ!と言いたくもなる。
という事でさんざ説明した結果
「やっぱりWi-Fiルータが欲しい」
と言ってきた。早速明日、某キャリアに相談へ赴き、その場で契約してしまおうと思っている次第。
普段の会話で話題にも上らない“些末な話”ではあるかもしれないが、ネット環境にまつわる親子のやり取りで四苦八苦してる人はかなり多いはずだ。
昨今は流石に店舗、キャリア側もやりすぎとの報道を受けて大人しくなっているが、ショップに持ち込んで騙されやしないか。何も知らないのをいい事に、口車に乗せられやたら高いプランに加入させられてはいないか。同道できない際の心配事は尽きないはずだ。
この投稿を見て実家のネット環境が気になった人は改めてご両親に連絡してみるのもいいかもしれない。何かの間違いでとんでもない高額プランに入っていないことを祈る。
まだ初心者マークみたいなものだと思ってます。一応病名は適応障害で、休職を少しして、今はリハビリ復職中。
自分としては、少し疲れたところに色んなストレスが集中してかかったことがきっかけで抑うつ状態が一気に加速した状態だと思ってるので、おそらく対応を間違えなければ、このまま回復できると思ってます。
ただ、「まだ初心者マーク」と言ったように、主治医からは、このまま良くならなければ、うつ病という診断名になるよと言われているから、いまはとりあえずゴースの状態で止まってて、ゴーストへの進化を一生懸命Bボタンでキャンセルしてる状態だと思っています。
もっと適切なポケモンいるかもしれないけど思いついたのと世代が赤緑なんで…
で、適応障害もうつ病も症状としてはあんまり変わらない気がするんだけど、私がかかった時にいちばん顕著な症状は睡眠障害と希死念慮だった。あとは仕事への集中力、思考のまとまりがなくなるとか、急に涙が出るとか。
睡眠障害は、途中で目が覚めちゃったりとか、一睡もできずなにか悪いことを考え続けちゃうとか。
これへの対処は、比較的容易だと思っていて、というかしっかりしたクリニックであれば適切な服薬を処方、定期的な通院で寝れてるかをモニタリングして、服薬調整。
容易というよりは、標準化された治療がある、対処可能な症状だと思う。
問題は希死念慮の方で、これって人によって何によって引き起こされるかが全然違うし、それにどう対処すればいいかも全然違ったりする。
だから、私がどういう時に希死念慮が発動しやすく、どうしていたかっていうのを書き残しておこうと思ってこの文を書いてる。
発症して2ヶ月以内くらいの間は、休職してて仕事のストレスがなんにもない状態にも関わらず、1週間に1回、もしくは4日に1度くらいの結構な頻度で死にたい衝動が襲ってきた。
たとえば、もうジムとか遊びに行けるから元気なんでしょ?くらいの感じで、夫から雑にからかう言葉をかけられた。
仕事への復職が近づくのに、仕事へ戻って同じ仕事をこなせるかわからない。
あるいは、何にもきっかけらしきものがないのに、夜になって急に全部リセットしたい衝動がやってくる。
今書いてても、俯瞰して見ても、自分で振り返っても、なんでこんなことで?って思うことばっかり。
夫が雑な言葉かけるのなんてこの10年そうだし、夫からしたら「僕何言った?」みたいな感じだと思う。
強いて言えば、自分の辛さを理解してくれない、と感じたことが、いつもの何十倍もの辛さにブーストされてのしかかってきたんだと思う。
仕事にしたって、配慮のある職場で、いきなりフルで復帰させることはしないよとはっきり言われていた上でのことだ。
近所の子どものくだりは、私が不妊治療をしていて、そのストレスが適応障害の引き金のひとつになったことと関係してるけど。
あとはシンプルに、なんか不意にやってくる、なんだろう、電波障害?天気予報外れの雨?みたいな感じの予測できない不調が週一かそれ以上で来て、その度に、この世の終わりかのような絶望感と、なんか自己の存在への諦めというか、いてもしょうがないじゃん、みたいな理屈で説明できない感情に苛まれる、それが私にとっての希死念慮というやつだった。
これを経験するまで、私は、うつの人が死にたいっていう気持ちを心底は理解できてなかったなと思う。
そうは言っても、そう言って気を引きたいだけで死ぬ気なんてないんでしょ?って思ったり、ましてそれで実行に移して死んでしまう人なんて最重度のごく一部の人なんだと思ってた。
多分夫とかうちの家族にしてもまだそのくらいの解像度なんじゃないかと思う。
これはこの負のブースト状態を体験してみないとなかなか察しにくい。
対処すれば過ぎ去る短時間のものだったり、頭にこびりついて何日も引きずるものだったり、私が経験したものも程度は色々だったけど、紛れもなく、その全部が「死んじゃいたいー」だった。
家族もいるし、友達もいるし、職場の在籍も保証されてるし、励ましてくれる存在はいっぱいいるのに、その希死念慮に苛まれてるあいだはそれを一足飛びに飛ばして「我思う、故に我死ぬべき」が頭を支配するんだよ、不思議としか。
私は仕事で精神医学とか心理学とかをかじっていて、なんならそういう人もたくさん仕事で相手にしてきたから、まさか自分がそんな状態になるなんて思ってなかった。
いちばんひどい状態の時は、家にある死ねそうな薬を集めるのを試みたりネットでしらべたり、近所のタワマンの一番侵入できる高いところまでいってみたりした。
(その時は気づいてなかったけど夫が過去の病気で処方されて飲んでなかった睡眠薬がいっぱいあった事に後で気づいた。あの時気づいてたら危なかったなー。あれ隠しといてもらわないとな。)
どこかで理性は残っているから、そうなってる状態のことを、Twitterに書いたり、仕事中の夫にLINEで書いて伝えたりして、誰かに止めてもらえるようにはしてたと思う。
その行動が、はたから見ると「構ってちゃん」になるんだろうし、すごく矛盾した行動だけど、いけない行動だと分かってるのに思考と行動が死に向かう、その状態を自分だけでどうしようもないから、他人に知らせるんだと思う。
さてこの希死念慮の時の振り返りはけっこう再体験に近いので今書いてても涙が出るしリアルに思い出しそうになるので、この辺で私がその希死念慮にどう対処したかとか、どんな対応がありがたかったかに話題を変えようと思う。
とりあえずは、すぐに医療にかかれたこと、処方薬がもらえたこと。わたしはこれが大きかった気がする。
精神科や心療内科って絶望的に予約が取れなくて、初診だと1週間後ですとかざらに言われたりする。
今このどうしようもない希死念慮をなんとかしたい!って時に一週間後だったら、確実に間に合わなかったんじゃないかと、ぞっとする。
処方してもらったのはごく軽い睡眠導入剤(抗うつ薬)と、不安になった時に飲むようの少し強めの抗不安薬。
まずはしっかり寝ることと、仕事は問答無用で休み、そして一人にならない環境を作ることを主治医に言われた。
休んでても、一人になった時に希死念慮が来て,抗不安薬も効かなかった時に、ポーンと境界線を超えることがあり得るからだといわれた。
まさにそうで、誰かがいてくれる、誰かと約束があるという状態の連続が、私にとっての抑止力になった。
そして、先に書いたようにそれでも境界線を超えかけて「我死ぬべき」になった時はどうしたか。
やっぱり、自分の今の状態を知ってもらえる人を作ることだった。
Twitterに死にたい状態であることを書いて、紛らわせられるような動画とかがほしいことを添えて書いた。
実際はもっとやばい状態だったけどさすがにそこまでを全部さらすのはやばいと思ってまだ余裕のあるポーズをしたりするから、よけい構ってちゃんに見えただろうなぁ。
でも、全くそれまで交流のなかったフォロワーの人からくすっと笑える動画とか、猫の画像とか送られてきて「生きてくださいね」って声かけてくれたりして、大袈裟なんだけど、ほんとうにそれだけでも飛び越えるハードルは一個上がった。
あとは、投稿見て心配してLINEやDMを飛ばして来てくれた友達がいた。その人達には、自分の今の状況や気持ちをもう少しありのままに話せて、実況みたいにしてたけど、そうして話しながらぐるぐる歩いてるうちに疲労してきて、家に帰ろう、ってなれた。
本当にありがたかった。
とりあえず些細なきっかけに理不尽なブーストがかかっていて訳の分からない状態の私の話を聴いてくれる人がいて,共感してくれたり、とりあえず寝ようよ、不法侵入て言われないように家に帰りな、って促してくれたり、それぞれの言葉で私を心配してくれると思うだけで、あの世へのハードルはだいぶ上がった。
あとはうちの夫は本当に言葉が雑で不器用な人なんだけど、とりあえず私が休んでる間は何も仕事のこととか聞かず、たまに元気が出そうな食事を出してくれたりした。その放置具合が逆にありがたかった。
けど、上記のように私が些細な冗談で死にたい状態になったり、火のように怒ったりする泣いたり、喧嘩になっちゃうもんだから、話し合って1週間くらいお互いに距離をおく(物理的に話さない状態を作る)をした。
身近な人に理解してもらう、実はこれが一番難しいかもしれない。これは長い時間かけてお互い努力と配慮をするしかないと思っている。
あとは、休職期間中に読んだこの記事も,自分の中の得体の知れない希死念慮につながる状態を俯瞰するのに役に立った。
https://note.com/kaerukoakeno/n/nb3d72b72b3b0?sub_rt=share_b
この記事でも言われてたり、友達にも言ってもらって安心したのは「こういう思考になったり、傷つきやすくて家族と衝突したりするのも、自分のせいではなく病気の急性期症状のせいだよ」と言ってもらえたこと。
もちろん,病気のせいに何もかもしていいわけではない。私の寂しがりのパーソナリティは病気のせいだけではなかったりするんだけど、要は、自分をなるべくその状態に持っていかない環境設定をすること、だと思う。
あとは、症状が落ち着いてきた今、自分の中に溜まってもやもやしている気持ちとか、不安への向き合い方を教えて欲しいなの目的でカウンセリングにもかかるようにしている。
自分の思考のくせを他人に共有して,受け止めてもらった上で、違う視点をもらえるのは受診だけでなくカウンセリングならではのメリットだと思う。
周りからちょっと遅れてゲームボーイとポケモンを買ってもらったけど、通信ケーブルも買ってもらったおかげでみんなの輪の中心に入ることができた
そんな中、近所に住んでた幼馴染は、親が厳しくてゲームなんか買ってもらえず、ポツンと離れたところにいたんだ
その日、別に何か考えたわけでもなく、本当に何気なく、そいつに「一緒にやるか?」って聞いたんだ
ポケモンはひとつしかセーブデータ作れなかったから、俺のデータで一緒に遊んだんだ
相棒のゼニガメがカメールを経てカメックスになって、最後にチャンピオンになるまで、ふたりでワーワー言いながら遊んでた
そんなあいつが気づいたら俺の嫁になっていて、今では俺たちの子どもがポケモンをやっている
もしあのときポケモンに誘ってなかったらこうはなってなかったかもしれない
そう思うと、ポケモンってすげーよな
職場の40代の先輩、不機嫌を撒き散らして周りをコントロールするタイプの幼稚さを兼ね備えていて当然ながら独身なんだけど、周りが気を遣って「〇〇さんが結婚できないのは面食いすぎるからですよね〜っ」とヨイショするのが本当に気色悪い。
面食いと言っておけば、「誰からも選んでもらえない」という事実を「自分が選り好みする立場(だから結婚しない)」というテイにできるから、クソみたいなプライドが守られるんだろうな。自分で恥ずかしくならないのか?
べつの先輩から何人か女性を紹介してもらったのに「こいつ、途中でめんどくさくなってすぐに連絡を絶ってしまう」らしい。
「自分に魅力が足りないせいで相手からの食いつきが今ひとつ良くなくて、これ以上の発展を見込めない」という事実を、めんどくさくなって連絡を絶ってしまうということにして「あくまで自分が選り好みしてる立場である」という体裁をギリギリ保っているだけなんじゃないのか?
話は変わって、最近めでたく再婚した同僚が各種名義変更の手続きに充てるために慶弔休暇を申請したら「挙式もしないし、(初婚より)価値の低い再婚なのに慶弔休暇を使うのか?」と八つ当たりじみたパワハラ発言をかましていて心底気分が悪くなった。
「初婚かつ、挙式のためでないと慶弔休暇の取得は許可されない」なんて、就業規則には一言も書かれていない。「本人が結婚した場合、〇日付与する」としか書いてなかった。純度100%のやっかみ。恥ずかしくないのか?
あとその発言はたぶん、出るとこ出たらちゃんと怒られるやつだと思うぞ。
べつに、結婚相手として誰かに選ばれることが人間の価値を決めると思っているわけではない。
にしても、同僚から何人も女性を紹介してもらっておきながら、誰とも良好な関係を築くことができなかったのは「自分が選り好みしている」からだけではないのではないか?
指摘するとまた不機嫌を撒き散らして大変なので、口には出さないけど。
悪質匿名メールシリーズ。嘘松さんの作品について、僕の方が先に考えてたのにみたいなことが書いてあった、と。
うーん…
要は、自分の作品は有象無象に妬まれるほどの独創性を持っている、ということにしたいのでしょう。それは別にいいです。昨日も書きましたが、自分上げは嘘松の華ですからね。
しかし、この匿名メールシリーズ、そもそもの設定がちょっと弱いのではないでしょうか。
これまで何度も悪質メールが届いたと言いながら、その根拠はほぼ嘘松さんの証言だけ。体験談ならともかく、メールのようなデジタルな情報なのに、具体的な引用もスクショもほとんど無いのは、リアリティの面でマイナスとなります。
ここはひとつ、「メール」という設定を一旦白紙に戻した上で、マシュマロや質問箱等に切り替えてみるのはどうでしょう?
これら匿名質問サービスなら、仕組みがガバガバなので自演はカンタンに実行できますし、送られてきた(という設定の)悪意のこもった文面を、読者にも動かぬ形で共有することができます。
事実、オタククリエイターやvtuberの間では現在、異常な内容の匿名質問を晒してバズを稼ぐことが「マシュ松」として既に一般的な手法となっています。
嘘松としての飛躍を目指す嘘松さんにとっても、こうしたサービスは有効な武器となると思うのですが…一考してもらえないでしょうか。
増田さんは、頑張りすぎなんですよ。その情熱とエネルギーをここまで持ち続けてきたこと、本当にすごいと思います。でも、少し肩の力を抜いてもいいんじゃないですか?採用プロセスなんて企業ごとに違うし、全ての採用担当者が増田さんの視点を持っているわけではないですから。
確かに、技術職であるプログラマの選考で実際にプログラムを書かせないというのは不思議なことですし、違和感を感じるのもわかります。でも、面接だけでなくさまざまな要素が選考基準になることも多いんです。企業が何を重視しているか、一つの基準で全てを測ることは難しいのかもしれませんね。
とはいえ、人生には不可解なことがたくさんありますよね。努力が報われないこともあれば、期待した結果が得られないことも多い。何かひとつ大きな意味を求め続けても、結局人間が抱えるのは無価値感に過ぎないのかもしれません。だからこそ、あまり深刻に考えすぎず、自分自身のペースで進んでいくことが大切なんです。
人生なんて、いつでも辞められるんですから。リラックスして、ほんの少し立ち止まって、気楽に考えてみるのもいいかもしれませんね。