はてなキーワード: 義侠とは
逆に浮き彫りにしたと思うんだよな。
たとえば戦隊ヒーローは汚らしい外見のデブであっても「心に勇気と優しさを持っている」という条件を満たすだけで慣れるわけだろ?
それどころか初期状態ならヘタレでも許されるし、なんなら正義感とかなくてもあとで成長すればオッケーだ。
プリキュアは違う。
プリキュアは最初から「清潔感」「正義感」「優しさ」「勇気」「誠実さ」といった要素が一通り求められる。
汚らしく卑怯で身勝手な臆病者がレギュラープリキュアになったことは一度もない。
性別という壁が取っ払われたというが、むしろ「性別という壁を超えられるだけのスペック」が求められることをより強烈に掘り下げてしまった感がある。
次のプリキュアは犬とのことだが、畜生の癖にプリキュアになるからこそ、その心は清らかで美しく義侠心に満ちているのだろう。
中編からのの続きです。
https://anond.hatelabo.jp/20221022145225
舞鶴の「舞鶴クリエイティブアソシエーション(MCA)」というNPO法人が 「艦隊これくしょん -艦これ-」のIPを勝手に使って商売していて、KADOKAWAから警告書が届いたら市長候補の森本さんが怒ったというお話です。
森本さんはAさんの素性をはっきりと明かしていません。
ただ、警告書には「貴店その他における無許諾グッズの販売」とあり、まずAさんが店舗を運営していることと、無許諾グッズ(同人グッズ)を販売していることが伺えます(すぐに思いつくのは「海軍御用達おみやげ館」ですが、果たして)。
さらに、「ルールを逸脱したイベントの開催の誘致」という文言があることから、「砲雷撃戦!よーい!」や「舞鎮駆逐隊」など同人イベントの誘致に深く関わっていることも分かります。
警告書が届いたタイミングは正確には分からないのですが、1本目の動画の少し前なのであれば「舞鎮駆逐隊」の怒られが発生した時期と一致するため、KADOKAWAによる一連の対応の1つという可能性はありますね。
いずれにせよ、Aさんが舞鶴側の中心人物であるという理解でKADOKAWAは動いたのであり、逆説的にAさんはMCAの人と考えて間違いないと思います。
MCAの人ないしMCAに強い影響力を持っている人でないと、イベントのくだりが意味を成さないからです。
また、Aさんに関して森本さんは「舞鶴の事業者たちとゲーム アニメのファンの皆さんを繋ぐ大切な役割をされたキーマンなんです」と仰っています。
まず、森本さんは今回の件に絡んで4本の動画を投稿していますが、いずれにもMCAの名前は出てきません。
「砲雷撃戦!よーい!」は地元と協力して盛り上がったことが注目されたわけで、その地元の協力を取り付けたのがMCAです。
「砲雷撃戦!よーい!」のことを舞鶴側から好意的に解説するにあたって省略するはずがないんです。
しかも、動画へのコメントで聞いたところ、森本さんはMCAの人たちとはそこそこ付き合いが長く、尊敬しているそうです。
すると、あえてMCAの名前を出さない理由があったと考えるのが自然でしょう。
外野の自分が、尊敬するAさんがKADOKAWAから理不尽なことをされていることに怒っている、という体裁でした。
しかし、それだけMCAと近しい関係なのであれば、MCAがやっていたIP侵害は当然知っていたはずです。
念のため知らなかった可能性も考え、活動報告書を見る限りMCAがKADOKAWAの知財を侵害していたように見えると動画のコメントで指摘し、見解を尋ねたところ、森本さんは回答しませんでした。
この時点で、森本さんはMCAをかばっていることに確信が持てました。
そもそもなのですが、森本さんは知財関連に詳しく実務経験もあるそうで、そうなればMCAがKADOKAWAの知財を勝手に使っていることやそれが問題だということはすぐに分かったはずです。
不正を見て見ぬふりをするということは、相当な忖度が働いていると見るべきです。
また、森本さんの1本目の動画が「舞鎮駆逐隊」中止で界隈がざわついたタイミングと一致したため、森本さんは「砲雷撃戦!よーい!」を念頭に話していたのに「舞鎮駆逐隊」を擁護したとして批判が集まりました。
「舞鎮駆逐隊」はKADOKAWAからダイレクトに怒られているので、それは擁護しないと森本さんも仰っています。
しかし、先述の通り、森本さんの尊敬するMCAは「舞鎮駆逐隊」と深い関わりがあるんですよね。
「舞鶴鎮守府実行委員会」のアナウンス部門と思われる「舞鶴鎮守府情報局」のSNSアカウントも、「舞鎮駆逐隊」をガンガン宣伝していました。
動画でMCAへの言及がなかったのは、「砲雷撃戦!よーい!」と「舞鎮駆逐隊」の両方にMCAが関わっており、「舞鎮駆逐隊」に問題が発生したので名前を出すわけにはいかなくなったという事情もありそうです。
AさんがMCAの関係者であり、森本さんがMCAに忖度する関係である以上、森本さんがAさんを庇い立てするのは理解できます。
ただ、その際にMCAの存在を隠したり、自身は外野だと無関係を装ってみたりと、客観性を演出するために不利な事柄を隠すのはやり過ぎです。
挙句の果てには、「MCAの問題はMCAで解決すればよく、自分は関係ない」というようなことまで仰っていました。
AさんがMCAと完全に無関係であればそうかもしれないですが、ここまで整理するとそれは無理があります。
100歩ゆずってMCAの関係者でなかったとしても、「砲雷撃戦!よーい!」の発展に大きな役割を果たしたのであれば相応の責任がありますし、KADOKAWAが警告書を送るのにふさわしい人物であることは間違いありません。
偏向した情報で他者を批判するやり方は、バレた時のリスクが非常に大きいことは覚悟しておくべきでしょう。
ちなみにブロック直前の私のコメントは、MCAに違法行為がある以上「砲雷撃戦!よーい!」の屋台村の売り上げは不当利得であり、あなたも当事者ですよという内容でした。
ブロック直後の森本さんのコメントが「何度も言いますが法的な話は裁判されたら良いと思いますよ。」なので、どうしても当事者にはなりたくなかったようですね。
とりあえず、「砲雷撃戦!よーい!」に関わった地元企業はコンプライアンスの見直しをしてほしいですね。
コンテンツのイベントであるにも関わらず、チラシ等の関連出版物にコピーライトマークがどこにもないということに違和感を覚えないのであれば、そんな人が知財を担当するのは企業リスクでしかありません。
これは信用問題であり、コンプライアンスに弱いとなれば現在や将来の取り引きにも影響を及ぼす恐れがあります。
もう1つ私が懸念しているのは、各種メディアが「砲雷撃戦!よーい!」のにぎわいを肯定的に報じていたこと、つまりコンテンツを利用した地域振興の成功例として扱っていたということです。
MCAがインタビューを受けた記事では当然のように艦これの名前が出てきますし、「海軍御用達おみやげ館」が大阪のテレビ番組で取り上げられた時も、あたかも艦これと商店街がコラボをしているかのような扱いでした。
メディアも、まさか版元の預かり知らぬところで勝手にやっているとは思わなかったのだろうとは思いますが…。
大丈夫だとは思いたいのですが、人気コンテンツを勝手に使えば簡単で安上がりだみたいな考えが他の自治体に伝染していないことを祈るばかりです。
2019年中頃に「砲雷撃戦!よーい!」の屋台村の人たちで構成した「舞鶴グルメ66艦隊」というグループが発足しています。
「砲雷撃戦!よーい!」の主催団体であるSDFは今年3月に赤れんがパークで別の同人イベントを開催しており、合わせてその「舞鶴グルメ66艦隊」が屋台を出しています。
そして中止となった今年9月の「舞鎮駆逐隊」にも「舞鶴グルメ66艦隊」が参加予定になっていました。
過去に開催された「舞鎮駆逐隊」にもクレジットされていたので、「舞鶴グルメ66艦隊」に「舞鎮駆逐隊」とのお付き合いはあったようです。
「舞鎮駆逐隊」は中止の理由が理由だったので擁護できなかったのか、森本さんもばっさりと切り捨てていましたね。
しかし「舞鶴グルメ66艦隊」として付き合いがあったことは隠していました。
もっとも、「舞鶴グルメ66艦隊」に森本さんが参加していたことは間違いないですが、具体的にどのイベントに森本さんが出店していたかまでは詳しく分かりませんでした。
「砲雷撃戦!よーい!」が終わってから屋台は出していないとのことだったので、今年のイベントには関係ないのだろうとは思います。
それにしても、「砲雷撃戦!よーい!」がなくなってなおイベント会場に同じ赤れんがパークを使うSDFも、それにくっついて商売しようとする「舞鶴グルメ66艦隊」も、なかなか強い心臓を持っていますね。
①「砲雷撃戦!よーい!」があまりにイリーガルな発展の仕方をしてしまったのでKADOKAWAがやめさせた。ただし関係者に気を使って問題が表面化しないよう水面下で行った
②水面下で行った結果MCAが「同人イベントでもう一発当てられる」と勘違いしてしまい、「舞鎮駆逐隊」との関係を深めてしまった
③KADOKAWAが改めて「舞鎮駆逐隊」と、今度はMCAにも釘を刺したところ森本さんがハッスルした
よく分からないのは、なぜこんな勝ち目のない戦いを森本さんが始めてしまったのかということです。
問題のほとんどがMCAのやったことなので、森本さんは言うほど関係ないんですよね。
しかしこんな関わり方をしてしまったら、もう完全に当事者じゃないですか。
せっかくKADOKAWAが一度目は水面下で、二度目も警告書という穏当な方法で済ませておいてくれたのに、騒ぎを大きくしてMCAのIP侵害を表に出してしまったのはなぜなのでしょうか。
ゲームファンなんてアホしかいないのだから都合の悪いことは隠して被害者面すれば味方になってくれると思ったのでしょうか。
それとも、もしかすると自分ではMCAを止められないから、外部の人に介入してほしかったという義侠心だったのでしょうか。
何にせよ、もしこれでもMCAが同人イベントを諦めないのであれば、次に届くのは訴状だと思います。
当然2014年からの活動を根掘り葉掘り調べられ、古い案件は時効もあり得るでしょうが、裁判で名前が出れば参加企業や協賛企業にも影響は及ぶでしょう。
森本さんの態度からMCAが反省しているとは思えないので、弩級の爆弾が爆発しないよう舞鶴市役所には頑張って抑えてほしいですね。
森本さんについては「え、この人本当にこんな黒い人脈を抱えて市長選に出るつもりなの?」なんですが、欠格事項に該当するわけでもなく、実際の選挙で誰を選ぶかは舞鶴市民の民意なので、それ以上はノーコメントにしておきます。
個人的に、本件まで「砲雷撃戦!よーい!」は好意的に見ていたため、終わったのは残念だけど色々あったんだろうなあくらいに思っていました。
そのぶん、こんなことになっていたのかとため息が出ました。
舞鶴市としては公式とのコラボを始めており、森本さんの話が本当なら赤れんがパークにKADOKAWAのアンテナショップができるそうです。
本来あるべき姿に近づいているのでしょうか。
ただ、舞鶴にかなり嫌なイメージが付いたのは否定しがたく、本当に森本さんは何がやりたかったのだろう、と思わざるを得ません。
動画のコメントでは私を市議会議員の○さんかな?とか、実名で発信した方がいいと思いますよ!とか、正体が分かったらリアルで黙らしたる!みたいな態度を取られ、怖くてちびりそうになりました。
女子フリーターアルバイトさんが遂にクビになった。彼女がクビになるほどの何をしたのかというと、今年の5月頃に急に沢山稼ぎたいと言い出してシフトを極限まで詰め込んでおいてその殆んどをドタキャンし、オーナーと揉めて今度は週に1回しかシフトに入りたくないと言い出したがそれをまたドタキャンし、8月頃にコロナにかかったと言ってドタキャンして以降音信不通になったくらい。
コロナにかかって以来、女子フリーターアルバイトさんから一切オーナーに連絡を取らなかったという点は微妙だなあ。そこだけはオーナーが悪いような気がする。従業員が全然連絡してこなかったら、シフトの確認にLINEくらいしない? でもまあ、オーナーはそれを機に女子フリーターアルバイトさんを切り捨てたかっただけなのだろう。去年の暮れくらいからずっと、女子フリーターアルバイトさんがシフトに入っている日は予備の人材が用意できるかどうか気が気ではないとぼやいていたし。
オーナーのいない夜に当店に私物を引き取りがてらお買い物に来た女子フリーターアルバイトさんは、かなり怒っていた。「普通クビって言うなら1ヶ月前だろ!!」と。私に言われても困るー。オーナーは、9月14日にいきなりこんなLINEを送って来たという。
『仕事をする意思がないと見なしましたので、15日付で退職の手続きをさせていただきます。』
触法LINE送るオーナーもすごいな……。勝手我が儘なシフトの入れ方をした女子フリーターアルバイトさんもヤバいけど。
女子フリーターアルバイトさんだけでなく、彼女の母親もまた当店の早朝に勤務し、かなりやらかしていたと聞く。辞める間際はオーナーのLINEを既読無視しまくり電話にも出なくて、娘経由で「辞めます」とやっと言ってきたらしい。
女子フリーターアルバイトさんが急にシフトを減らしたいと言い出したりわざとドタキャンしたのは、「オーナーがお母さんをいじめた」と思い込んだからっていうのも理由の一つとしてあったらしい、と、女子フリーターアルバイトさんと仲のいいDさんがAさんに言って、それを私はAさんから聞かされた。女子フリーターアルバイトさんは自分と母親こそが被害者という意識があるからオーナーに対して敵対的な姿勢で些細なことで反抗した。オーナーは何で女子フリーターアルバイトさんがそんなに怒っているのか分からなかったので(なにしろ女子フリーターアルバイトさんは自分が何で怒っているのかDさん以外には説明しなかったのだ)反抗される都度に頭に来て言い返していた。
なんというか、まぁ……。
コンビニのバイトで最低限やらなきゃいけないのはみだりにシフトに穴を開けないってことなので、ドタキャンのしまくりは論外だから。
女子フリーターアルバイトさんは仕事はすごく出来るし、お客様達からの人気もすごくて看板娘的な存在だったのだけど、それでオーナーに頼りにされた途端に図に乗ってしまったので仕方ない。若い女性アルバイトあるあるだ。ちなみに、若い男性アルバイトの場合はドタキャンもするけどそれよりは、遅刻ばかりするのと他人に仕事を押し付けて自分は働かずに長々と事務所に居座るとか、接客態度が最悪で客とトラブルを起こしまくることが多い。
女子フリーターアルバイトさんは辞める前にシフトリーダーに会いたいのだが、いつならばオーナーと鉢合わせずにシフトリーダーに会えるか? というので、木曜の夕方なら大抵シフトリーダーが居るし、オーナーの出現率も低いと教えてやった。
一昨日、出勤したらシフトリーダーがいたので、女子フリーターアルバイトさんがクビになったこととシフトリーダーに会いたいと言っていたという事を話した。シフトリーダーは実は女子フリーターアルバイトさんのLINEを知っていて、連絡しようと思えばいつでも連絡出来るのだがしなかったのだと言った。
「え、なんでー? 彼女、シフトリーダーさんにめちゃめちゃ懐いてるじゃないですかー?」
「だって、求められてもいないのにLINEなんかして、うっせーなこの糞ババアって思われたらやだもん。若い頃のあたしなら絶対そう思ったし、今でもそう思うし」
そ、そうなのか……。まあでも、女子フリーターアルバイトさんがオーナーに食ってかかる所を一度でも目の当たりにしたら、そう思うのかな。私などは職場の人とLINEを交換するという発想自体がまずないので、わからないけど……(てっきりもっと仲良いのかなと。
夕勤が減ったぶんの人材確保が難航しているようだが、取り敢えずメール一本で来てくれるタイプの派遣会社から助っ人が補給出来ているので、オーナーが夕方イライラしながら働いている日は少なくて済んでいる。ただ、派遣の人達は激しくピンキリで、コンビニのプロな人も入れば実はコンビニ労働初めてでしかもやる気も何もないひとまで、色んな人がいる。仕事している時間帯的に派遣の人と組まされがちなシフトリーダーとAさんと私は若干疲れているが、オーナーがめちゃめちゃ頭下げて来るので、まあ頑張るか……となけなしの義侠心を発動させて働いている。あまりいいことじゃないな。
すごく有能な派遣の人と組んだが、夕方は暇だったのに19時過ぎからやたら混んだので雑用が捗らず、派遣の人の上がり時間後までカフェマシン掃除の仕事を積み残した。そこへ高専五年生が出勤してきたから堪らない。
高専五年生は夕勤がカフェマシン掃除を始めるとそれにかかりきりになってしまい、じぶんがレジ接客を一人任されるのがかなり不満らしい。だから彼が出勤した時にまだカフェマシン掃除が終わっていない場合、何も言わないがあからさまに品出し作業をひとに押し付けて来る。おにぎりとサンドイッチが納品されると自分の作業の手を止めてただじっとレジに居るのだ。客がいてもいなくても。
それが元で高専五年生は夕勤の高校生男子からとても軽蔑されているのだが、本人はどこ吹く風といった感じだ。高校生男子に品出しを押し付けて22時過ぎまで残業をさせてしまった時には、さすがに私も注意したが「ほんの15分ほどの事でそんなに長くじゃない」と言い訳して反省の色もなく、改めたかどうかも怪しい。未成年を22時過ぎまで働かせるのは条例違反で、本人は補導されるし店には警察から指導が入ると言ったけど、高専五年生はへらへら笑うのみだ。
21時過ぎに当店に電話がかかって来た。その時私は丁度手が空いていなくて、高専五年生が電話を取ったのだが、
「はーい、もしもしー?」
なんて言ってるので冷や汗が出た。レジ接客を終えて急いで高専五年生の元に走ったが、高専五年生は電話の相手とずっとダルそうなタメ語で話しているので、イタ電の類いの相手をしているのかと思いきや、
「なんか、○○(フランチャイズ名)のどっか別の店のオーナーだとか言ってんですけど、スプーンないから貸してくれってとか、そんなことやっちゃっていいんすかね?」
「ではオーナーに確認してから折り返し電話しますと言って、電話番号をお聞きしてください」
と指示したら、
「えー、そんなの聞く必要なくないですか? このままほっといてオーナーに電話すりゃいいじゃないですか?」
と言い返して来たので、私が電話機奪って先方と話した方が良かったかもしれないが、そしたらコイツ電話が掛かって来たら全部私に対応させりゃいいと思いそうだなと思いつつ、
「当店は電話が一つしかないし、子機と親機で同時に別の番号にかける事は出来ないので。だからまずは先方に店名とお名前と電話番号を聞いてから一旦電話を終えてください。そしたらすぐオーナーに電話してください。オーナーには短縮1で繋がるので」
と指示してその通りやらせた。幸い、オーナーはまだ起きていたらしくすぐに電話に出てくれたが、高専五年生は電話が繋がると藪から棒に
「あーあの、他の店の人がスプーン貸せとか言って来たんですけど」
なんて切り出した。電話が終わった後、
「オーナー相手でもまずは『夜分遅くにすみません』くらい言お」
と高専五年生に言ったら、「なんで?」と言い返されて、なんかもう嫌になったが「まあ一応、礼儀として……」と答えた。
で、オーナーが在庫があるならどうぞ貸してやってと言ったそうなので、折り返しの電話も高専五年生に掛けさせて先方に伝えてにらったところ、22時過ぎに取りに来るという事だったので、急いで在庫を確認。カトラリーの仕舞ってある棚を確認したら、半分消費されたのが一袋と、未開封が一袋あった。レジ下の引き出しの補充もしてあるし、一袋なら貸せる。ちょうど共配が着いたところなので、納品の中にも何袋かあればもう一袋貸しても大丈夫かも。すると横で見てた高専五年生は、
「この空いてるやつ貸せばいいっしょ」
と言うので、
「だめです。こっちの未開封のものを貸してください。丁度今共配さんが来て納品中だから、荷物の中にスプーンが入ってるかどうか確認してきてください」
「え? 俺が?」
「もう10時回りましたから……ここからは夜勤の領分なんでやってください、お願いします……」
共配さんが、納品完了したら取りに来るからお願いねと言って伝票を置いていった。別に誰がサインしてもいいんだが、私はもう本来なら上がってる時間だし、高専五年生も伝票の受け取りやった事がないというので、伝票にサインしてもらう。「何で俺が!?」って言われたけど、「もう10時過ぎてます。夜勤の仕事です。」と言って押し付けた。そんな押し問答をしているうちに他店のオーナー来店。当たり前だが制服ではなく私服で来店なされた……ので、高専五年生があからさま舐めくさった態度で応対しに行ったので流石によこから割って入り、スプーンを一袋渡した。
「もしよかったら、もう一袋貸していただけたりとか……」
と他店オーナーが切り出して来た時、高専五年生が要らんこと言い出す気配がしたので、
「申し訳ございません。ちょうど今、当店も持ち合わせがなく」
とお断りした。納品の中にスプーンが一袋しかなかったので仕方ない。二袋だったらもう一袋貸しても大丈夫だったんだけど。
他店オーナーが帰った直後、共配さんが伝票を取りに来て、
「今回は立ち会い納品なんだ。くじなんだけど。いつもは違うんだけどこれは特別なんで、ちょっと見て貰っていいかな?」
と言う。高専五年生は自分の仕事に戻ってしまいこっちには目もくれないので、まあいいか面倒くさくなってきちゃったし……と思い、納品に立ち合うことにした。いつもの一番くじではないくじで、全部で九箱で1セットになっていた。それが全部揃っているか、共配さんと確認して、伝票にチェックをつけるだけの簡単なお仕事だった。
「立ち合い納品って私、初めてしました」
「そーね、滅多にないからね」
と会話して終了。滅多にないなら高専五年生に教えなくてもいいか。もし次の機会があって、高専五年生が「嫌です俺今忙しいから
番重の片付けをしてから、高専五年生に電話応対のしかたを教えた。
「電話を取る時はメモの用意をして、取ったらまず『お電話ありがとうございます。○○(フランチャイズ名)××町店、▲▲がお受けします』って名乗りましょう」
高専五年生は「何で?」と言ってへらへら笑っている。どうしてコンビニバイトごときでそんな糞真面目に電話を取らなきゃいけないのか?w と言いたいらしいが、
「こっちはただのバイト風情のつもりでも、相手は社会人です。丁重に対応しましょう」
と釘を刺し、一通り教えた。高専五年生はメモを取る訳でもなく、あーはいはいと聞き流すばかりだ。
「今覚えきれなかったら、電話応対のしかたはYouTubeとかで検索すれば出て来るので、それ見ておうちで練習してみてください。会社によりそれぞれ決まったカタはあるかもしれませんが、どこでも基本は同じです。学生のうちに覚えておいても損はしませんから」
とも言い添えておく。
それから、オーナー同士の横の繋がりについても話した。少なくとも同一エリア内の同一フランチャイズ他店同士は建前上はライバル関係ではなく仲間であり、オーナー同士が会議などで交流する機会があり、お互い様で助け合っている。今回みたいに消耗品の貸し借りというのはしばしばあり、勿論当店のオーナーが借りに行くことだってある。だから、他店のオーナーが何か貸してくれと頼んで来たら小馬鹿にするような態度であしらったりしないように。具体的には在庫を確認してすぐ折り返し電話すると伝えて一旦電話を切り、在庫を数えてから当店オーナーに電話して許可を貰ってから他店オーナーに電話で貸せるか貸せないか伝える。当店のオーナー付き合いのある人相手なのだから、くれぐれも失礼のないように。
あと、オーナー達同士は情報の共有もよくしているけど、その中には従業員のことも含まれているので注意。悪事を働いたり極端に使えない奴でエリア内の店舗を転々と渡り歩いてるようなのはバレている。働く側はコンビニなんてどこでも一緒だろw と思ってるけど、同系列で同一エリアの店をあちこち渡り歩くのは、オーナー達にとても嫌がられるので難しい。
そう話したところ、高専五年生は最後の部分だけは真面目に聞いていたらしく、「へぇ、まじか!」と言った。こんな風に書くと読んだ人は高専五年生の見た目をチンピラかホストみたいなチャラッチャラにチャラい奴を想像するかも知れないが逆だ。非常に真面目そうに見える。そう見えるだけだった。
オーナーは高専五年生の仕事ぶりが今はこうだなんて知らなくて、トレーニング期間中の真面目に装っていた頃しか見ていないから、今でも彼の能力を高く買っている。まさか人生なめプをもはや私や高校生男子バイトの前では隠しもしないなど、思いもよらないだろう。
オーナーが期待していたバイトのあてが外れた時の豹変ぶりはかなり恐い。でも、高専五年生は、
「あなたはオーナーからかなり期待されているからちゃんとした方がいいよ」
と私が迂闊に言ったことの前半だけ聞いて図に乗ったっぽい。地味に後悔してるんだけど、調子に乗ると後が恐いぞという事は敢えて言わないでおく。どうせ旗色が悪くなったらオーナーのLINEブロックしてとんずらこくんだろうし、その方が一緒に働かなきゃいけない私などにしてみれば楽。
義侠心も美しいけど、ほどほどにね!
実際のところ、母の戦いがシックスティーンにどれほどの打撃を与えたかはハッキリしていない。
だが歴史の一ページを切り取るならば、この時シックスティーンは明らかに勢いを失っていた。
やることなすこと上手くいき、それだけで本が一冊書ける成功のノウハウが、現在では“しくじり”の見本市と評価されている。
前向きに解釈するにしろ、せいぜいリバウンドした人間のダイエットプログラム、メガネをかけないメガネ売りってところだ。
結局は客体、実績ってことなんだろう。
この戦いの有り様は、シックスティーンの栄枯盛衰を象徴していたのかもしれない。
その状況を何よりも痛ましく思っていたのは、シックスティーンでもラボハテでも、ましてや母でもなかった。
「やめろー!」
で、この時に現れた奴が、まークサい言い方をするなら母の“運命の相手”ってやつだ。
つまり俺の父だな。
「なに考えてるの! 危ないじゃない」
「危ないのは君もだろう」
「はあ?」
この頃の父は、なんというか……その……義侠心に溢れた若者というべきか。
根っこの善良な部分は今でも変わらないとは思う。
ただ、それを現実や他者とすり合わせるプロセスを、若気の至りでスキップしちゃうというか。
だからこそ、母が己の身体をいたわらないこと、復讐の不毛さ、企業間のしがらみ等など。
その辺りを全部ひっくるめて、いてもいられなくなったらしい。
「私の身体はほとんど機械だから、多少の衝撃はなんともないの」
「でも、心が傷つくだろう!」
自分の父親だから、あまり悪く言いたくはないんだが……クサいセリフだなあ。
「心が傷つく……」
だが意外にも、その言葉は母の心に響いた。
父がそういうセリフを真顔で言える若者だったように、母も同程度には若者だったらしい。
ただ、今となっては黒歴史らしく、この時のことを嬉しそうに語る母の横で、父はバツが悪そうだった。
あの時の父の絶妙な顔は、「バツが悪い」で画像検索したらトップで表示されるレベルだろう。
波長が合うってやつなんだろうか。
「君は人間でもあり、ある意味では機械ともいえる。個人的な復讐のために、サンドバッグのように機械が作られる。それを壊すのは何ともないのかい?」
「そっか、確かにそうだね。シックスティーンを倒すことばかり考えてて、そんなことを考えたこともなかったな」
父と言葉を重ねる度に、母の心境に緩やかな変化がおきていた。
“自分をヒトに戻してくれた”
この頃の思い出を、母はそう語っていたが、やはり父はどこか居心地が悪そうだった。
で、それを聞いている俺はもっと居心地が悪い。
すまないが、このあたりのやり取りは甘さと酸味に加えて痒みが伴うので省略させてもらう。
語り手として不甲斐ない限りだが、やはりティーンエイジャーの息子にはキツい。
女性特有の、自分にとってプラスかマイナスかでしか物事を判断しない感じが非常に冷たく、怖く感じる。
まるで情緒のない機械と接しているみたいだ。人間の温かみを感じない。
一般的には男性よりも女性の方が感情的と言われる。女性は表面的には感情豊かかもしれない。
でも女性の感情は自分が得をするか損をするか、もしくは自分の子供のためになるかどうかが根拠にあって
男性のような義侠心とか、男性同士の友情みたいな損得抜きの人間の感情が見られない。
そういう損得抜きの人間同士の愛情って、本来生物が生き抜くためには切り捨てるべきかもしれない。
我が我がと前に出て、自己主張して、出し抜いて、ずる賢く生き抜くことこそが
生物に与えられた本能というプログラムに忠実な、動物的な姿と言える。
でもそういうのを無視して、自分のためにならなくとも、何の見返りもなくとも
人のためを考え、行動する姿こそが人間の情であり温かみだと感じる。
でも女性の場合は自分の損得、子供のためになるかどうかが優先されすぎている。
『キャプテン・マーベル』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ。
ほどよく100点。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。ふむふむ満足であるぞ、と思いつつ帰路についた。とは言え、帰路において考察が止まらないとかはなく、色んな部分が程よく狙ったように及第点ではある。
MCU(マーベルヒーローの映画シリーズ程度のことだと思いねえ)ファン的にはくすりとわらえたり、ほろりと出来たりする要素はありつつ、全体としてのアクションやCGバトルの派手さも有りつつ、脚本もウザくならないように欠点塞ぎつつ、いい感じというのが個人評価。大傑作じゃないけど程よく佳作。
『キャプテン・マーベル』は良かった。しかし、実はその良かった部分が自明じゃない。様々な要素が程よく及第点だから全体合計で佳作なんだけど、何か突出した、訴えかけてくる部分が見つけづらい。
でもそれって無いわけじゃない。無かったら上映後もっと気持ちが尻すぼみになったと思う。だから良かった部分をちゃんと言語化しておくほうが良いと思ってのメモだ。
いろいろ考えてたのだけど、『キャプテン・マーベル』は空っぽなところが良かった。その内面というか、背景が、他のヒーローに比べてポジティブに空白だ。そこが素晴らしく良かった。
ヒーローというのは超越的な存在で、それは能力的なものもそうなのだけど、内面的にもそうである必要がある。「信じられないほどの苦境や絶望に対して敢然と立ち向かう断固たる決意」みたいな部分だ。しかし一方で、ただ超越的であるだけではなく視聴者である凡人の僕らと地続きである必要もある。そうじゃないと視聴者はヒーローに感情移入することが出来なくて、彼らの苦悩や活躍を他人事の白けた話だとしか思えなくなってしまうからだ。
アイアンマンやキャプテン・アメリカというスーパーヒーローであっても、彼らの抱えた周囲から無理解へのいらだちや、内面の孤独や、大切な人を失ってしまう絶望という様々な苦難は、もちろん具体的な状況は違うのだけど、僕ら一般人が生活を営む上で出会うそれらと変わりがない。ヒーローはヒーローでありつつ僕らと同レベルの人間存在であって、その同類が困難に向かって立ち上がるから胸が熱くなる。
マーベルというアメコミ企業は、扱ってる商品の性質上、ヒーローの専門家であって、ヒーローについて多分毎日毎日めちゃくちゃ真剣に考えているから、そういうドラマの基本を十分に研究していてヒーローを生み出している。
その結果、例えば肉親を悪の襲撃や事故で失ったり、自分の将来の希望を奪われたり、社会からの拒絶で友を失ったり、両親との関係のコンプレックスがあって取り戻せなかったり、愛を交わしたパートナーに去られたりする。……よくあるなー。
そういう内面的な危機を乗り越えた「から」精神的に強いヒーローなのだー! ばりばりばりー! みたいなシナリオは本当に多い。でも、それってなんかこう……やりすぎて陳腐になったり、これみよがしな悲劇ドラマになったりもする。
言い方は悪いが「こんなにひどい目にあったんだから超絶能力を手に入れてもええやん?」みたいなエクスキューズにも見えてしまうのだ。ドクター・ストレンジお前の映画のことだゾ。
この「1)なんだかんだで凡人→2)内面的な困難や絶望の超克→3)不思議な出来事が起きてヒーローパワー入手!(2と3は順不同)→4)乗り越えた主人公の爽快なアクション!→5)解決!」というドラマ構造はすごく強力なテンプレなのであらゆるメディアで見ることが出来る。
この構造において、ヒーローの内面的な資格は「不幸とその超克」だ。
でもたぶん、『キャプテン・マーベル』はそこに対して距離を取った。
ドラマを支えるために一応取ってつけたようにその構造はあるのだが、その部分には明らかに重心をおいていない。
主人公キャロル・ダンヴァース(キャプテン・マーベル)は、たしかにクリー人に洗脳されて傭兵扱いされてたわけで、そういう意味で裏切られていた(っていうか洗脳されてたって相当ひどい過去だよな。エリア88の風間シンよりやべーだろ)わけだけど、じゃあそれが彼女の内面の悲劇であり彼女の中心か? というと別にそんなことはない。
クリーの指導者である超AIにたいしても自分を騙していた直接的な上官にたいしても、別段そこまで復讐の意思はなさそうだ。現に上官のヨン・ロッグは叩きのめしたけれど宇宙船にわざわざ乗せてクリー星へ送り返している。
映画を見終わったあとに振り返ってみたけれど、彼女が内面的な意味でヒーローになったきっかけというか契機となるイベントは実は本作のメインな時間軸中に存在しない。そのイベントの欠如は、従来の判断によればドラマ設計の失敗を意味するはずだ。でも、設計失敗の割にこの映画は破綻してないしちゃんとドライブされている。
これってどういうことなのか? 内面の葛藤を経ていないキャロルは前述のヒーローの資格においては失格であるはずだ。しかし画面の中の彼女はさっそうとしてて格好いいし、見ていて気持ちいいし、応援も出来るしヒーローに見える。これってどういう設計なのだろう?
結論から言うと、その資格論にたいする本作の返答は「主人公キャロル・ダンヴァースは最初からヒーローだった」だったいうものだ。
この「最初から」というのは、文字通り子供の頃からという意味で。
作中でインサートされるように、キャロルは、子供時代の記憶としてカートレースの事故にあう。子供野球で三振する。軍の教練において体力勝負で負けて周囲から笑われる。つまり、僕ら凡人がするような挫折を一通り普通にやっている。
そして彼女はなんだかんだ人生につきものの紆余曲折を経て、当時まだまだ女性に対しては門戸を閉ざしていた空軍パイロット(エリートの象徴でもある!)に実験部隊ということで潜り込んでテストパイロットになる。
その実験部隊でトラブルが起きて、キャロルは恩師ウェンディ・ローソン博士を助けるために飛行任務に立候補し、その騒動の中であわや命を失うというところまで行くのだが、それはさておき。
その実験部隊で同僚でもありキャロルの親友の黒人女性パイロット、マリア・ランボーのセリフに「その時(恩師を助けるためにパイロットに立候補したときの)のあんたはまさにヒーロー登場! って感じだったよ」というものがある。過去を回想する形で親友が主人公を思い返した言葉だ。
この立候補のとき、キャロルはスーパーヒーローの能力を持たない普通の地球人だったわけだけど、にもかかわらず、「まさにヒーロー」だったわけである。
能力のみならず、内面の危機においても主人公キャロルはこの時点で、ヒーローにつきものの特別な悲劇は経験していない。恋人を謎の組織に殺されたりしてないし、四肢を切断されて生きる力を失ったりしてないし、故郷を帝国に焼き尽くされたりしていない。
この作品は「それでもいいんだ」と言っている。そこが良かった。
つまりカートレースの事故から負けん気で立ち上がったとき、子供野球で三振したけど凹まずに再挑戦したとき、軍の訓練の綱登りで落下してもへこたれなかったとき、そのときキャロル・ダンヴァースはすでにしてヒーローであった。あらゆる困難に「なにくそ!」と立ち向かったとき、「すでにしてヒーローの資格を得ていた」わけだ。もちろんアクションバトル映画であるので、主人公キャロルはヒーローの能力を得たあとにも虐げられたスクラル人を助けようとして銀河規模の争いに身を投じる訳だが、それはなにも特別なことではなくて、「眼の前の困難に対して意地や義侠心で立ち上がる」ことそのものは子供時代と変わらない。
あらゆる人のあらゆる人生につきものの、しかし本人にとっては重要な、日常の無数の挫折や失意から立ち上がること、諦めずにチャレンジするその姿勢、それこそがヒーローであると『キャプテン・マーベル』という作品は主張している。
それはつまり、主人公キャロルだけではなく、広く開かれた一般凡人である視聴者への無言のメッセージでもあるのだ。「ヒーローになるにあたって特別巨大な悲劇や喪失も必要ない」。「この映画を見ている圧倒的多数の普通の人々も十分ヒーロー足りうるよ!」と言っている。
これは脚本家が、従来のヒーロードラマに対してまだまだ満足せずに、ドラマの構造として一歩先に進もうとした野心の結実のように思える。
そのチャレンジがとても良かった。
アメリカ映画において、とくにハリウッド映画において、さらに子供をターゲットに含めたヒーロー映画において、ロールモデルっていうのはすごく重要なポイントだ。ロールモデルっていうのはざっくり「目指すべき人物像」とでも言えると思う。「こういうのが良い人間です」という制作側の提案、という側面がハリウッド映画には確かにある。
日本ではちょっと馴染みのない考え方かもしれないけれど、要するに子供の頃に課題図書で読む偉人伝と同じような役割の文化装置だ。二宮欣二とか野口英世とか夏目漱石とか聖徳太子とか。あのような人々の物語と同じようなジャンルとしてキャプテン・アメリカやアイアンマンがいる。
人々は彼らに憧れるとともに、彼らを通して、正義や公や仁愛や克己を学ぶ。どういうモデルが「目指すべき人物像」になるかっていうのは、当然制作側/脚本側の提案によるんだけれど、その背景には当然制作当時の(主にアメリカの)世相が反映されている。
近場で言えば『アクアマン』では主人公アーサー・カリー が抱えた苦悩は、まさに「移民二世が抱えるアイデンティティ問題」「おれはどっちの子供なのよ?」であって、すごく現代的だった。
『アントマン』においては「娘に愛されたい父親としての俺と、金を稼ぐ社会の中での俺のどっちを選べばいいの?」というこれまた現代的でヴェットな問題が提起されている。『インクレディブル・ファミリー』においては「あっれー。なんか嫁さんのほうが稼ぎ多くて俺ってばヒモみたいな生活になりつつあって、家庭内での俺の地位とか、俺のオトコとしてのプライドとか、どうすればええん?」という現代的な――なんか世知辛くてしょっぱい話になってきたなあ。
MCUにおける二大ヒーロー、キャプテン・アメリカとアイアンマンは「能力を持つものの社会貢献」をめぐる物語で対立する。世界を救う能力を持つヒーローは、なんで救う義務があるの? というわりと古典的で、でも正義をめぐる物語としては避けて通れぬ踏み絵のようなテーマだ。
その問答に『キャプテン・マーベル』は踏み込まない。主人公キャロルは行動するが、行動に前だつ問答はない。それこそが彼女の提示したヒーロー像で「アメリカ人の目指すべきロールモデル」だ。
困難を前にしてくじけない。不撓不屈。弱者に対して自然に寄り添う慈愛と、押さえつけてくる不当な力に対する反発。しかしそれらは、そういう問題がなにか特別大きな悲劇だから、滅すべき悪だから立ち上がるというわけではなく、ごく自然に「それが私だから」というスタンスで、重く扱われない。そこで重要なのがくだらないユーモアと友人と日常であって、災厄を目の前にしてもひょうひょうと立ち向かう。ただ、絶対にくじけない。破れても失敗しても「もう一度」チャレンジする。
主人公キャロルはその戦闘能力においてMCUのなかでもかなり最高峰に位置すると思うのだけど、政府の超人兵士計画で生まれたキャプテン・アメリカよりも、悲劇を背負った社長で発明家で大富豪でちょいワルモテ親父のトニー・スタークよりも、その内面の姿勢において一般的な視聴者に近い。「顔を上げて誇り高く自分らしく生きる」だけでヒーローとして立っている。
その軽さ、明るさ、が心地よい映画であったと思う。