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はてなキーワード: 住友商事とは

2024-10-07

anond:20241007124537

ざらっと読んだ。

学校がわかるなら連絡しとけ、あとはそういう連中は気にするな。人生無駄

蛇足だが、最高裁判所とか皇居のあたりではないかなと思った。

女子高があるし、近くには住友商事三井物産がある。

バス停留所があったかは覚えてないが、何個はあったかもしれん。

2024-04-05

anond:20240404234754

住友商事社員上級国民扱いされててウケる

どんな大学出たらそうなるの?大体みんな五大商社メガバン就職してない?

anond:20240404234754

顔がハッキリと映っている動画のため、大企業住友商事に務めるエリートだと特定される

住友商事に勤めている」程度のことで上級国民になるわけねーだろ。

上級国民っつうのは「住友商事に勤めている自民党政調会長の息子」とかそういうのを言うんだよ。

anond:20240405111234

調べてみたけどミャンマー在住

住友商事はシラ切って、本人はほとぼり冷めるまで海外

世間の熱が冷めるの待って終了だろうね

anond:20240404234754

痴漢 住友商事 で検索すると、一発で名前が出て来るんだな。

驚いたわ。

何処までが苗字で、名前なのか分かり辛い名前

まあ、クズだな。

anond:20240404234754

財閥系名門大企業住友商事はんを愚弄したら、

大阪の街を歩けまへんで

2024-04-04

上級国民性犯罪晒し滝沢ガレソ、ツイッター日本限定BANされる

2023年1月に、炎上まとめツイッタラー滝沢ガレソがタレコミを受けて痴漢動画を公開

電車内で座っている男が、そしらぬ顔で隣の眠っている女性の胸を揉んでいるというもの

https://twitter.com/takigare3/status/1613164994899881985

https://twitter.com/takigare3/status/1616663095446994947

顔がハッキリと映っている動画のため、大企業住友商事に務めるエリートだと特定される

https://twitter.com/takigare3/status/1775425373297344552

そして昨日の4月3日、そのガレソのもとにエリートから訴状が届いた

本日4月4日ガレソのアカウント日本国内からは閲覧できなくなるという処置が取られる

国内からは「表示が制限されています」と表示される

VPNなり串なりで偽装すれば見られるが、そういった手段は取れない人のほうが多いので実質BAN

無事だった時の最後ツイートは50万閲覧だったのに、BAN以降は3000ぐらいにまで落ち込む

エリートツイッターに対して何らかの手続きを踏んだのか、関係なく別件かは不明

だがタイミングからエリートが関与していそう

痴漢はクソだが、なんらかの手段によりこういう処置を依頼できるなら、迷惑ツイッタラーに困っている人にとっては朗報

2023-05-26

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 3/3


4. 人生の敗北を味わったこ

 不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記キャプテン君が住友商事内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。

・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会部活挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。

・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。

三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。

 この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって人間関係の構築だって頑張れる人だった。

 いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。

 もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいかコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。

 今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能だってある。毎年、戦々恐々だ。

 今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、試しに蹴ってみることもある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。

 キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。

 第一志望の企業不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。

 春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。

 俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシート筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。

 志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。

 相手面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっとゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生アドバイスまでしてくれた。

 後日、大学パソコンログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。

 結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所引っ越している。

 この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。

 千亜子は、その年の初めから一気呵成就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子スチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。

 この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動サッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後単位を取り終えるあたりで躓いていた。

 フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。

 秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。

 もうすぐ最後インカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子キャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。

 店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。

 ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。

「千亜子さん酔うと暴走するよな笑」

「そういえばキャプテンさん、最近亜子さんにアタックしてる」

飲み会帰りにご飯に誘ってはったで。みんなが見てる前で」

「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」

 こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。

 惨めな気分だった。俺が千亜子釣り合ってないのは確かだ。内定した会社ランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。

 人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。

 千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学カフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。

 今日、そんな予感はしていた。サッカー試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。

 当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これから人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。

 当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶言葉ごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。



これで結びになる。

就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代社員もいた。

かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。

そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。

キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixi日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。

俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。

不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記ベースになってる。

俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。

就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。

・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルから就活サッカー恋愛もうまくいかなかった。

サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。

もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。

いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。

あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分否定したことになる。過去自分を裏切ってる。だからダメだ。

今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。

ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。

気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。

どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。

ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田ブックマーカーのみんなも幸せにな。

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 2/3


3. 就職活動のこと

 大学四年になる頃、就職活動が本格化した。当時は就職氷河期で厳しい状況だった。講義レポートもあるし、当然サッカーだってやらないといけない。居酒屋(どんがま、というお店一本になっていた。今はもうない)でのアルバイトは週二に減らした。

 当時は、三年の秋から企業説明会が始まって、四年の春以降に面接スタートというのが一般的だった。俺が行きたいと思っていたのは総合商社だった。説明会に行ってみて、とある商社に惹かれたのだ。ほかの総合商社に比べて「オレがやってやるぞ!!」みたいな社員の人が多かった。

 三菱商事は、政府の高官みたいなキャラの人が多くて、三井物産スマートイケメンキャラが多かった。伊藤忠商事は、頭を鈍器で殴られても生きていそうな人が多かった(生命力があるという意味)。そんな記憶がある。

 その春までには、俺とキャプテン君はmixi上でマイミクになっていた。お互いの日記コメントをした繋がりがあって、サッカー友達ということで俺から申請をしたっけ。いや、もう正直覚えてないけど。とにかく、俺とキャプテン君はmixi友達になった。

 キャプテン君のmixi日記はすごかった。俺も、彼もサッカーのことを綴った日記が多かったが、彼の場合はなんというか、思考レベルが違った。普通に大学サッカーをやってるヤツが、一生懸命サッカーのことを考えているのだとしたら、彼の場合もっとずっと、『上の視点からサッカーのものを見詰めていた。

 例えば、同志社大学サッカー部は、今でも大学単位ブログ更新し続けている。各選手自分生活サッカーに関する考えを書き綴っていく。

アメブロ catch the world

https://ameblo.jp/duscblog/

 ここにある後輩達の日記は、読む価値がある。若いながらも自分なりに考えて学生生活を過ごしている。

 当時のキャプテン君のmixi日記は、この内容をはるかに上回っていた。日記のものは、すでにこの世にデータはないが、当時の俺個人日記に断片的なメモがある。

 当時、キャプテン君はこんなことを日記に書いていた。ほぼサッカーのことだ。本当は繋がりのある文章なのだが、断片化しているので意図がわかりにくいかもしれない。



集団というものは常に問題に直面してる。人が寄っている以上は必ず争いが生まれる。価値観の違いとか、追求する目標の度合いとか、相手への要求基準とか、争いの種は無数にある。それでも同じ集団として、組織として「仲間」を自称して日々共に暮らしている。

自分らは、全員で一丸となって目標邁進するために集まったはず。でも、いつからか、別の方向を向いている人たちをひとつ目標に進ませることに奔走してる。組織とは難しい。

組織には、絶対に衝突や背信生まれる。リーダーには、それをまとめる人間としての自覚がいる。自分がやらなければならないという責任感が。自分には実力が足りないといって何もしないのは卑怯だ。逃げだ。後輩には、早くこのことに気付いてほしい。

理想を語って、現実に不平不満をこぼし続けるのは簡単問題を黙って見過ごすのも楽だけど、人間が腐っていく。

・オレは現状を変えたいと思った。現状を変えるにはかなりの労力がいる。俺はあの時、みんなに不快なことを言ったけど、妥協してほしくないからあえて言った。

・言いたいことを言い合えない集団未来はないんやで。お互いに機嫌を伺って本音を出せないとしたら、自分らの関係は友人ですらない。本当の仲間って、暑苦しくて、うっとうしくて、そして清々しい。

・ぶつかっても、嫌われてもかまわない。まだ間にあう。オレ達はここから勝負だ。残された時間を考えると、今は悩みながらでも正しいと信じることを貫くしかないよな!

ぶつかっても、嫌われてもかまわない。何年か経った時に俺の伝えたかった真意理解してくれれば、それはそれで素晴らしい。

・愚直にやることは本当に重要やで。ひたむきにやらない人間に付いていく気にはなれん。

・結果を出すことは、集団をまとめるための必要条件であっても、十分条件にはならん。サッカー試合に出れない人の方が多いんやし、俺達のチーム!!って愛情をみんなが持てるチーム作りをしないと。勝って喜んでいるのはレギュラーだけってことにもなりかねない。今の俺には難しい。

・好む好まざるに関わらず、人には立場が与えられ、それに見合った働きが要求される。自分には難しい、できないかもしれないと言ってるヒマがあるなら必死勉強しなきゃいけないし、責任を負える人間にならんとな。

・今のチームには、勝ちたいという執念を見せるヤツや、自分を演じてでもチームのために尽くそうとする人間が少なすぎる。たしか個人個人は頑張ってるけど、みんなそこ止まりなんよな。他人に対して意見を言おうとせん。勝ちたいなら叫ばなきゃいけない場面もあるのに。だから俺は三年に怒ったんや。なに自分のことだけ頑張ってんねんと。自分らの代やったらそれ相応に振る舞えと。

他人言及することは、自分へのハードルも上げることにもなる。言ったからには自分もやらなきゃいけない。そんな風に、自分を追い込んで成長していかんと。

・時には集団のために自分を演じる必要がある。嫌われ役でも買ってでよう。自分大事にしすぎるあまり、みんな守りに入ってもうてる気がする。

自分のことだけに集中して動くのは本当に楽。でも、それなら今の場所にいる意味はないからね。引退までに、俺らの4年間を後輩に叩き込もうと思う。そうやってチームの魂は引き継がれていくものなんやで。



 上の日記は、なんJ民が書いたものではない。日記を書いたのは、当時21歳の大学生だ。一般的学生とはレベルが違う。社会人の域に達している。キャプテン君が反則で退場処分になったサッカー試合を見た時は只者じゃないと思ったが、ここまでとは思わなかった。

 実際、彼はいい奴だった。対面で話したことは数回しかないけど、でも確実にいい奴だった。熱い闘志が漲っていて、爽やかな笑顔が眩しい。それでいて面白いことも言える。ずるい。

 就職活動に話を戻す。必死エントリーシートを磨いて、SPI勉強をして、面接対策をして、総合商社の一次試験突破した。二次試験グループ面接も通って、いよいよ三次になった。

 会場は、晴海トリトンスクエアという海が綺麗な高層ビルだった。会場には、当たり前のようにキャプテン君がいた。緊張している様子だったから、声はかけなかった。かと思えば、ほかの志望者と一緒に雑談をしていて、さすがだなと感じた。

 面接試験の部屋の前で待っていると、自分の前に終わった人が出てきて、「頑張ってください」って言われた。「ありがとうございます」と返して部屋の前に立った。

 肝心の面接試験は、一応やりきることができた。子どもの頃からやっていたサッカーアピールもできたし、面接二名サッカーをしていたことがあったらしい。「インカレスタメンで出ました」と言ったら、「おー、うまいんだね!!」と言われた。

 面接全体だと、簡単質問もあったし難しい質問もあった。覚えてる限りだと、

□なぜ総合商社を志望するのか、その中でもなぜ住友商事を?

集団の中でどのような役割を果たすか

卒業までをどう過ごしたい

総合商社で叶えたいことは何か

□今後の人生目標

あなたにとって「仕事」とは何?

□弊社の弱点を教えて

仕事ができない人や嫌いな人が職場にいた時にどうする?

 こんなところか。ゆっくり落ち着いて答えていった。こういう時、サッカーをやっていてよかった。緊張はするけど、それが心地いい。失敗してもいい、飛び込んでもいいやって思えた。よい意味で、周りが見えなくなる。

 時間というものの退屈さを感じない。これは採用試験なのだという不安も忘れて、不採用がありうるという事実すら忘れてしまって、どんな恐れすらも感じなくなる。面接、という世界に全身全霊で移り棲んでしまたからだ。

 面接が終わった後は、さっきの自分と同じく、面接試験の部屋の前で待っている人がいた。俺は、ちょっと迷ったけど、「頑張ってください」って言った。その人は、「ありがとう。行ってきます」と返して面接室の前に移動した。

 それから普通に社屋を出て、ちょっとその辺でご飯を食べて、夜行バスが来るまで街を歩き回って、バスが来る頃にはすっかり疲れ果てていた。

 続き

 https://anond.hatelabo.jp/20230526212236

2023-04-24

Twitterさらされてる電車の中で乳揉み痴漢事件住友商事社員さんって3人の子供のパパなのかよ・・・

実際にやるやつって既婚者ばっかだな

2023-02-07

自分道徳観を欠く人間だと思う

人の不幸が楽しくて仕方がない。病気だと思う。

同僚が仕事で失敗しているのを見ると気持ちが良いし、それで叱責でもされようものならその後一週間くらい思い出しては飯のおかずにしている。東日本のはすごくワクワクした。津波映像は何度も見たし、どこそこの街が壊滅とかいニュースはずっと追っていた。原発が爆発したときにはニヤニヤが止まらなかった。最近だとコロちゃんウクライナ戦争で不幸になっている人を見て気持ちよくなっている。

こういうと、現実の満たされない低学歴無職童貞無敵の人予備軍のような印象を抱かれるかもしれないが、実際は真逆偏差値65以上の国立院卒、OpenWork評価4以上の優良企業に務め20代金融資産4桁万円超えのエリートだ。もちろん結婚して子供もおり家族仲良好で非の打ち所がないと言っても過言ではないと思う。

原因を考えてみたが思えば物心ついた頃からこうだったので天性のものなのだろう。幼い頃から例えばニュースなどで殺人事件について流れると、嬉しくて仕方がなかった。今日は誰か○んでいないか、どんな事件が起きているのかと楽しみにしていた。一度母親に、「殺人事件面白いな」と言ったところえらく怒られたのを覚えている。この感情は表に出してはいけないものなのだと学んで、それ以降人に話したことはない。

こんなことを他人には言えないし自分で何かしら大きな事を起こさない程度の常識は持ち合わせているつもり。でもそれは法的にめんどうなことになるからであって、道徳観みたいなものに裏打ちされたものではない。最近住友商事チチモミ太郎Googleクレカ不正利用ネキが話題だが、わりと同種族なのかなとも思う。他人にバレない範囲で小狡いことは沢山やってきたし、これからも間違いなくやるだろう。

今後、歳を重ねて人並みの道徳観が醸成されるのだろうか。されたらされたでその変化が楽しみだし、別にされなくてもいいかとも思う。

2023-01-23

仁藤夢乃のような30代女性キモいと言っても別によくね?

いやそこ?そこ批判するの〜〜〜?って驚いたんだけどブコメ陣よ

まず別にキモい若者専売特許じゃなくね?普通この年で企業総合職なら○○でって書いてたブコメもあったけど、いやそういう女もキモけりゃキモいって言うよ。男も言うよ。住友商事痴漢おっさんとかさ。絶妙キモいやん。あの視線と手付きキモいやろ。あとアイドルストーカーまがいの行為してるおばさんとかもキモいだろ。福山雅治の家にマンションコンシェルジュという立場を利用して侵入したおばさんとかいたけど、キモいだろ……

だいたい表現の自由戦士表現イチャモンつけるんじゃないよ。仁藤がキモいという自由を全力で守ってこそ表現自由だよ。

2023-01-22

娘がいても痴漢するんだなあ

ガレソが拡散してる同志社住友商事の人

家族写真の子供の服を見るにたぶん娘がいるんだよな……

娘がいても痴漢ってするんだな。将来娘が大きくなってどこかのオッサン痴漢されたら何を思うんだろう。女なんて痴漢されてナンボだろ、かな。

ガレソが拡散してる住友商事痴漢

目線被害女性と逆側を向いてるのサッカーとかバスケテクニックみたいでキモいわ……

バレないテクニックと思ってそう……

住友商事痴漢の人

どうなるんだろ😄わくわくするぅ

家族もかわいそうだけど仕方ないよね、エリートのパパが遅緩だったんだから🥳恵まれ生活をさせてくれてる自慢のパパは卑劣犯罪者だよぉ

子供が大きくなってからももう一度知らしめられるようにしたいな

2022-10-14

一般ネット民の考える「企業

多分こんな感じ↓

Google世界を牛耳る会社

AppleMaciPhone会社

Meta:……?

(Facebook絶対使わねw本名顔写真とかネットリテラシーw)

Amazonネット通販便利だなあ

MicrosoftWindows使ってます

トヨタ自動車日本最強!

任天堂トヨタくらい最強。特に法務部!

SONY:PS5増産してよ!プレステ会社でしょ

三井住友銀行三菱UFJ銀行:なんか大きい銀行。というか銀行企業じゃないでしょ!w

みずほ銀行落ち目銀行

イオンイオン会社

コンビニ各社:コンビニ会社

家電メーカー各社:最近中韓に押されてるねw

非鉄金属各社:……?三菱とか住友とか聞いたことあるかも

JR各社:JRって電車会社ね、知ってるよ

証券各社:確か駅前にあったような

三菱商事:……?三菱家電いいよね

三井物産三井アウトレット会社かな

伊藤忠商事:……?

住友商事:住友ね、知ってるよ

丸紅ヨークベニマル

商社」:ていうか商社って何?

マッキンゼー・アンド・カンパニーベンチャー企業かな?

ボストン・コンサルティング・グループベンチャー企業かな?

ベイン・アンド・カンパニーベンチャー企業かな?

ロイトーマツコンサルティングベンチャー企業かな?

PwCコンサルティングベンチャー企業かな?

EYストラテジーアンドコンサルティングベンチャー企業かな?

KPMG:なんの略?

コンサルティング」:ていうか怪しい……w

その他の会社:知らないw

2022-04-24

anond:20220424182235

たいした参考にもならんが、歴史を振り返るのも一興かもしれぬ。

うちらのおじさんおばさんが社会にでた頃の人気企業ランキングを見てみよう。

1976年理系

1位:日立、2位:IBM、3位:SONY、4位:東芝、5位:JAL、6位:富士通、7位:ナショナル、8位:三菱重工、9位:NEC、10位:鹿島

1976年文系

1位:伊藤忠、2位:朝日新聞、3位:三井物産、4位:NHK、5位:JAL、6位:丸紅、7位:東京海上、8位:三菱商事、9位:住友商事

そこそこいい線ついてる・・・・おじさんおばさんの意見も捨てたものではないな。

2021-10-03

学歴で見る岸田内閣

首相岸田文雄 早稲田大学

財務大臣鈴木俊一 早稲田大学

総務大臣金子恭之 早稲田大学

法務大臣古川禎久 東京大学建設省

外務大臣茂木敏充 東京大学ハーバード大学マッキンゼー

文科大臣:末松信介 関西学院大学

厚労大臣後藤茂之 東京大学ブラウン大学大蔵省

農水大臣慶應義塾大学

経産大臣萩生田光一 明治大学

国交大臣斉藤鉄夫 東京工業大学工学博士取得→清水建設

環境大臣山口壮 東京大学→ジョンズ・ホプキンズ大→国際政治学博士外務省

防衛大臣岸信夫 慶應義塾大学住友商事

官房長官松野博一 早稲田大学

復興大臣西銘恒三郎 上智大学

国家公安委員長二之湯智 慶應義塾大学

経済再生コロナ山際大志郎 山口大学東大獣医学博士

経済安保小林鷹之 東大ハーバード大大蔵省

デジタル牧島かれん 国際基督教大学ジョージワシントン大学学術博士

ワクチン担当堀内詔子 学習院大学博士後期課程単位取得退学

少子化担当野田聖子 上智大学

万博担当慶應義塾大学

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法務大臣

外務大臣

厚労大臣

国交大臣

環境大臣

経済再生コロナ

経済安保

デジタル

ワクチン担当

このあたりにエリート(東大卒or海外名大学卒or博士号持ち)を配置してる。

法務外交コロナ対策環境問題デジタルあたりに本気で取り組みたい感じなのかな。

2020-09-30

追記あり任天堂を辞めてから5年以上が経った

追記はしないつもりでいた。

でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。

https://anond.hatelabo.jp/20201001022747

衝撃を受けた。

ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。

でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。

5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。

日記は2つともすべて読ませてもらった。

ありがとう。顔も知らないあなた幸せを願っています



新卒入社した。もうかなり昔のことだ。

文系学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。

企画部門への配属だった。生産管理希望していたけど通らなかった。

増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。

任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。

気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。

大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学フリースペース名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。

どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。

「将来、どういう人生を送りたいのか?」

人生優先順位仕事を何番目に持ってくる予定なのか?」

社会人になっても今の趣味を続けたい?」

そして、考えがまとまった。

ゆっくりしていて、まったりしている会社がいい」

趣味大事人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。

そういう生活ができるのであれば、年収は低くてもよかった。

それで、四季報インターネットを見て、そういう雰囲気会社を見つけては説明会に申し込んだ。

なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。

後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。

京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事内定して、同志社大学サッカー部キャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。

そんなレベル超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。

俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。

採用試験の内容は述べない。俺の体験談面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。

書類選考勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。



本題に入る。

俺はプロ世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。

いわゆるゲームプランナー見習いから始まった。

プランナーというのは、ファミコン時代マリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。

大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。

超すごい人達ゲームデザインをして、レベルの高い人たちが上記プランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。

ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。

たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。

任天堂社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。

実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。

でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分意見をはっきり言えて、他人意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。

2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事レベルの高い同期は本格的な企画仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトル制作会議20代若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。

当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。

なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分アイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。

毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。

地獄が訪れるのに時間はかからなかった。

先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。

実力が足りていなかった。あるゲーム操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。

ゼロ状態から仕様書設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。

上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないか上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。

それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって自分では何ひとつ創造していないんだって再確認させられた。

今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルのものなのに。

結局、納期オーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなた記憶の中に、あのゲーム操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的謝罪する。

ゲームの開発が終わる頃に転職活動を始めた。

今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビ登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。

ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械メーカー化学メーカー事務職オファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。

今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。

もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。

それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。

退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。

「せっかくモノになりかけてるのに」

ストレスに耐える力は一人前だからもっと時間をかけてみれば」

「あと1年だけでも働こうよ」

一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。

社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。

あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。

あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。



最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観ベースちょっと書いてみる。

問.どんな人が内定を取れるのか?

答.ホームページ採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。

創造性な活動をしてきた

ゲームへの情熱がある

学習ができる(特に英語

 この3つが採用試験で見られるはずだ。

 ①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。

 面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。

 自分場合は、大学生や専門学生だけでプロ歌手バンドを呼んでライブを実行する学際サークル活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。

 卒業生のためのプロパーティー実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。

 俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きポジションで部分リーダーをしていた。

 創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分言葉で話せるはずだ。

 ただし、アピールは忘れないように。自分経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。

 ②のゲームへの情熱言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。

 想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。

 そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分アイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。

 ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日関係ない。

 夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。

 あなたが志望する会社採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。

 例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。

 ③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。

 企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲーム社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。

 だから学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。



書き過ぎた。反省している。

今でも思うことがある。俺はあの会社感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。

時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。

ここまで読んでくれた人に感謝する。

まらなかったらごめんなさい。面白かったなら幸いです。

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