はてなキーワード: バブル崩壊とは
日本の貧富の格差は、有史以来、政治体制や経済構造、社会の価値観の変化とともに推移してきました。以下に歴史的な流れを概観し、現代の状況について分析します。
• 特徴:
大和時代から平安時代にかけては、土地の所有と収穫物に基づく支配が貧富の格差を生みました。特に、貴族や豪族が荘園制度を通じて富を集中させ、農民はその下で租税を負担する立場に置かれていました。
• 格差の程度:
封建的な身分制度によって、富の分配は厳しく制限されていました。武士が台頭した鎌倉・室町時代も、土地の所有権が富の主要な指標であり、武士や地侍が農民を支配する形で格差は固定化されていました。
• 特徴:
江戸時代は武士、農民、職人、商人という厳格な身分制度がありました。武士が形式上は最上位に置かれましたが、実際には商人階級が財を蓄え、経済的な力を持つこともありました。一方、農民は重い年貢を負担し、経済的に厳しい状況が続きました。
• 格差の特徴:
武士の中でも上級武士と下級武士の間には大きな格差が存在し、農民の間でも富農と貧農に分化するなど、社会の中で格差が細分化していました。
• 特徴:
明治維新により封建制度が廃止され、土地制度の改革や産業化が進む一方で、資本主義の導入により新たな貧富の格差が生まれました。地主層と小作農の格差が深刻化し、労働者層は低賃金で過酷な労働に従事することが多かったです。
• 格差の拡大:
産業の発展により、財閥や大地主が莫大な富を蓄積する一方で、多くの農民や労働者は貧困状態に置かれました。
• 特徴:
戦後の農地改革により地主と小作農の格差が解消され、労働者の権利が拡大しました。また、高度経済成長期には「一億総中流」という言葉に象徴されるように、国民の大部分が中流意識を持つ社会が形成されました。
• 要因:
公平な所得分配、教育の普及、企業の終身雇用制度などが格差縮小を支えました。
格差の拡大
• バブル崩壊以降:
1990年代のバブル経済崩壊後、格差が再び拡大傾向にあります。非正規雇用の増加、年功序列型の賃金体系の崩壊、地方と都市の経済格差が顕著です。
ジニ係数(所得格差を示す指標)は、バブル期の低い水準から徐々に上昇しています。また、OECDの報告によると、日本は先進国の中で格差が比較的大きい国に分類されています。
• 高齢者層では退職金や年金の恩恵を受ける人が多い一方、若年層では非正規雇用が多く、所得が安定しない状況が続いています。
• 東京をはじめとする大都市圏では経済活動が集中している一方で、地方の経済的停滞が課題となっています。
現代日本は、一億総中流社会から「二極化」が進む社会へと変化しました。特に非正規雇用層や低所得層が増加しており、所得格差が大きな社会問題となっています。
• 主な要因:
• 高齢化社会の進展
• 地域格差
• 改善の取り組み:
現在の政府は、最低賃金の引き上げや所得再分配の強化を進めていますが、十分とは言えず、社会保障制度の充実や教育機会の平等化などが引き続き課題となっています。
まとめ
日本の貧富の格差は、歴史的に社会体制や経済構造の変化に応じて拡大・縮小を繰り返してきました。現代では、バブル崩壊以降の経済構造の変化によって、格差が再び拡大していると言えます。一方で、格差の是正に向けた政策の進展や国民の意識の変化が重要なカギとなります。
自分にとって、人生の目標は「何らかの職について稼ぎを得て、衣食住をまかなっていくこと」なんだけど、
世間では自己実現とかなんとかいわれていて、みんなもっと大きな目標を持っているように見える。
そういう人たちって、自分が食っていくこと自体は当たり前で容易なことだという認識なのかね?
自分にとっては食っていくこと自体がとても大変なことという感覚なんだけど、子供の頃、
丁度バブル崩壊の影響で、リストラや就職難、非正規の増加が問題になっていたから
そういうイメージになったのだろうか。
アニメやゲームなら何かが評価されると「いや、こっちのが凄いやろ」みたいな議論になるじゃないですか?
でも地雷グリコって「へ〜今はそんな作品が流行ってるんすね〜5年したら図書館で読みますわ〜」みたいな感じじゃないっすか?
そもそも賞取るまで地雷グリコの名前さえ知られてなかったやないっすか。
マジで無っすよね。
カバディの世界大会があることさえ皆知らないぐらいの知名度なんじゃないっすか今のミステリー界隈?
なんかミステリーがたまに話題になっても氷菓とかじゃないっすか?
何年前の作品なんすか?
十角館の殺人が映像化されたとか話題になってますけど何年前っすか?
バブル崩壊するより前じゃないっすか?
ポエムにはならないはずなんだよね
小説でポエム書いちゃうと、ラヴクラフトの詩もそうだけど、映像化は不可能というか、寧ろ詩から想像をかなり膨らませて映像にすることになっちゃう
例えば、ラノベ、涼宮ハルヒだとかでもいいけど、小説、文字表現からアニメになる、映像になると、基本的にはストーリーが詰まってる
文字で言い表せるんだよね、物語がちゃんとしてる、当たり前だけど元が小説だから
でも、AKIRAというか、特に初期の大友とかは漫画だから、絵だから表現できたわけで、絵で描かれたポエムなんだよね
物語として考えるとフワフワしてる、でも、エヴァもそうだよね、雰囲気だけでも、漫画以上の映像、アニメではそれが可能になる
絵で表現されたポエム、理屈はどうでもよくて、視覚効果として気持ちが良ければいい、究極的にはモーションタイポグラフィーとかにもなる
とにかく、観ていて気持ちがいい、その場その場で取り繕ったようなシーンだろうが、セリフ回しが気持ち良ければいい
押井作品とかもそう、宮崎駿が押井氏をそんな風に評価してたこともあったよね、難解な台詞とか表現してるけど、実際は中身がない
でも、それが作品の雰囲気というか、重い空気を作り出したりしてる、繰り返しになるけどエヴァもそう
涼宮ハルヒのアニメを小説に逆変換することは当然可能で、逆変換すれば元の小説になる、それなりの厚さの文字列になる
でも、AKIRAを小説にしても、なんか薄っぺらくなっちゃう気がする
こんな爆発をする、こんなビルがある、そういう映像の凄さを文字表現にしたら、凄い薄っぺらくなっちゃうと思う、AKIRAみたいな映像重視の作品は
別にそのどちらかが正解というわけではなくて、作品の構築方法、攻め方が違うだけであって、どっちも凄いし、どっちも存在していい
まあ、でも、AKIRAもエヴァも、あー、雰囲気ポエムきたー、みたいにツッコミながら視聴しちゃうんだけどね、それも楽しいんだよね
まあ、スタッフロールが全員、末端動画まで日本人だし、まだバブル崩壊後でも余裕がある日本だった時期の映画でもあるし、
今だったら、中国人、韓国人スタッフの名前が並ぶけど、まあ、それなりのクォリティーになってきたというか、
中国は国内の政治とかがああでなければ、もっと自由な表現で日本を超えるぐらい面白いものを作れる可能性も出てきたけどね
やっぱ、AKIRAは全日本のアニメの勢力をスタジオとかを結集した感じがあるよね
それだけ結集できたのは、みんなが大友氏の漫画に、絵に、表現に魅了されたわけで、やっぱりそれって凄いよな、って思う
鳥山明でさえ影響受けてるよね、AKIRAのアニメ見るたびに思っちゃうけど
荒川弘もそうだし、魍魎戦記マダラもそうだし、バスタードは当然そうだし、なんかもうみんな大友を記号として受け入れてるよね
なにかってと球体とか好きだよね、AKIRA見てると
老人とか子供を描くのが好き、女性はつり目でツンツンしてる娘が好き、球体とか単純幾何学形状を大枠に、それをまた緻密に描くのが好き
予約してても、予約してない誰かが荷物を置いてることで有名な、あれ。
「予約とは……?」
利用するのが嫌になってしまうけど、
色々と事情があって利用しないわけには済まない。
で、毎回思うんだけど、これ昭和時代だったらちゃんと機能してただろうなあ、と。
今と違って「あからさまなルール違反」をすることは出来ないというマナーと言うか恥の概念が残っていたと思う。
それがいつのころからか(というかバブル崩壊以降だろうけど)、
みたいになっていることも多い。
「絶対的に許されざる行為」みたいなものの境界線が消えて無くなってしまった。
なんでもかんでもやったもの勝ち。
それを見た人が
「ああそういうやりかたもあるのか…!」
みたいにその不正を平気で真似する。
ほんと、貧すれば…ってやつで恥ずかしい限り。
口座開設するのは良いね。でも確信が持てるまでは入れない方が良いとわいは思う
ワイがビットコインを一年くらい前に買えたのは、前回のバブルで波に乗れなかったのが悔しくて色々調べたからやで
そしたら、ビットコインには半減期があることと、ビットコインは価値の保存として機能するということ、S2Fモデルである程度価格の見通しが立つこと、が分かったから、ある程度確信を持って投資できると分かったんや
本を読んだり、動画を見て深めたわけや
それで前回バブル崩壊後もうこれ以上下がらないことが分かって、資金を投入したんや
100万くらいまで下がると思ったが、300万くらいまでしか下がらず、結局500万で入ることになったな
株でこのスタイルで行くなら井村さんの動画見るのが良いんやないかな
わいはサラリーマンやから、短期や中期は考えてなくて、数年はポジションを持つ気持ちでやってるというスタイルやけどな
もっとがちゃがちゃやりたいなら、テスタさんの動画が良いと思うわ
何にせよリスク取りすぎないように気をつけてくれな
その昔はバブル崩壊後に上映された、ミッキー”猫パンチ”ローク氏とドン”レプリカのフェラーリ乗り刑事”ジョンソン氏が共演した迷?米映画がありまして、当時たしか愛車を持ち込んだというそのハーレーのカスタム具合と彼のファッションが大いに話題、極東の某国では某ライスバーナー(本場ではそんなの言ってない説あり)400cc未満でもソレ風に仕上げるのが以下略、・・・なことよりその劇中で今回のPC800のポリス仕様!がエンジンと青灯ブン回しながらドンジョンソン(こちらはアッサリ風味仕様)を追っかけまわすシーンがありまして、めっちゃカッコよかったんですわ。。。
No:4900 2017/10/06 17:16 | kusobukuro https://web.archive.org/web/20221127135307/http://kusobukuro.at.webry.info/
ロサンゼルスでこのバイクに15年以上乗っている者です。ご存知かもしれませんが,元々これはホンダアメリカが車に乗るコンシューマーを取り込む為にこちらでデザインされたバイクで80年代によく見かけたアコードやシビックに似せた横長テールライトをつけたり,車の様なガソリン入れ口だったりします(予備タンクは無し)。YOUTUBEでクルマの様に売ろうとした当時のCMが見られたりします。乗り心地はいいですが,長時間にはポジションが微妙なので,ハンドルをライズさせ,ステップをもっと前にずらした他のホンダバイクの奴と交換して乗っています(当方175cm)。高速での回転数が高めなのも事実で,中古のVTR1100のシャフトファイナルドライブにのせかえて使っています。こういったことは私の発見では無く,全世界中に散らばるPC800(この呼び方が一般的)のオーナーズフォーラムで皆が情報を開示しているものです。全く売れなかったバイクですが。ここから得た情報で,後輪は車のタイヤを使っています。バイク物より10倍近く持ちますし,安いです。合法です。もう7年になりますが全く問題は無いです。アメリカにはDARKSIDER というバイクの後輪に車タイヤを使う集団がいましてサイトでどのバイクにどのタイヤがあうのかの表もあります。話がそれましたが,PCは数年毎にヘッドカバーからオイルが絶対漏れ出すのでその度カバーを外してシーラーを塗らないといけません(外すときにタペットが落ちるので注意)。油圧タペットのクリアランスが有るのでガスケットは使いません。メンテに邪魔なのでカウルはすべて外しました。ホンダにはこれのネイキッドを作ってもらいたかったものです。たまに買い換えも考えますが,あれだけのトランクサイズですり抜けに気を使うほど幅もなく,メンテフリーの油圧タペット,シャフトドライブ,センタースタンド付き,油圧クラッチで燃料タンク下部の低重心。800という大きすぎず小さすぎず,新車価格約5000ドル(50万円)それらを全て備えたバイクって無いもんです。パーツに関してはカウルの新品が欲しいのでなければ(ウインカー付きミラーとか)走らせる為にならどうにでもなります。燃料ポンプなんかクルマのキャブ用低圧安物ポンプで純正ポンプより長持ちしたりします。長々と失礼しました。ずっとここを覗いていたものですが,自分のバイクが出てくると嬉しいものです。
今日という日、日本のインターネッツでは左右ともに国を憂う人々で溢れかえっている。
いや、これ自体が最近よく言われる「フィルターバブル」だの「エコーチェンバー」だの、言わば「目に見える情報・見たい情報しか手元にない」ことによる認知の歪みかもしれない。YouTube Liveに目をやれば、大手事務所から転生したVTuberのデビュー配信の同接が、その他あらゆる政治系その他の配信を凌駕している点からしてもそんな感じがする(個人的に事務所時代の彼女は推しの1人だったので複雑だが)。それに、そもそも「左右」の二元的視点で政治を見ることへの危険性だってある。
そういう話はともかくとしても、ここ最近は選挙の度に国を憂う、正確に言えば「対立する政治思想の候補者・それを支持する者の罵倒」でネットの海は溢れかえる。
でも、これも必然かもしれない。勝手に分析系記事を垂れ流している私のこのブログを含め、各個人がOwn Mediaを持つ現代。国家による徹底した情報統制がない以上、極端な言葉がネットの海に散乱する状態であっても、ほとんど野放しになっている(侮辱や権利侵害といった"規約違反"でしょっ引かれることはあってもそういった事例はほんの一握りにすぎない)。それがこの10数年のインターネッツの内実だと思う。とりわけ政治方面でいえば、日本でのSNS普及が例の民主党政権→第2次安倍政権発足あたりと時を同じくしている点から、なんとなしに右派現政権vs左派野党の対立構造に帰着している。
正直言って、現下の日本のインターネッツ・それも政治方面においては、左右両翼とも一般庶民の仮面を被りながら政治家ないしは外部勢力の息のかかったインフルエンサーが複数存在すると私は確信している(そんなニュースあったよね)。何を言っても「拡散」される土壌があるなら倫理上どうであれ使わない手はないだろう。第一、「民主主義」と言えば聞こえはいいが、ネアリーイコール「人気投票」のようなものだ。
それに、ここ最近は迷惑系YouTuberよろしく「見られたもん勝ち」と言わんばかりの過激な政治主張が目につく。その市場を追い風にしてか、陰謀や暴力・排外主義を堂々と主張する人達が現れ、そのまま政治家となった者がいる。今年の都知事選なんて特にそう。これまたXで拾った話だが、ある英字の投稿で「候補者のほとんどが民主主義を嘲笑っている」と書かれる始末だ。まったく左右に関わらず酷い為体だ。
そんな中で迎えた衆院選。ハッキリ言って今回は過去イチ酷く映った。結果をわざわざここで書くつもりもないが、色んな意味で「あぁ、そんなもんなんだな」と思わされた。
(ここは筆者のプロフ・ポジの紹介なので読み飛ばして頂いて結構。28歳独身男会社員。Z世代のハシリあたり。給料は低くはないが見渡せばもっと高給もいる。こんな書き方見りゃキャラの陽陰区別つくっしょ← よくつべに上がってる昔のテレビを見漁ったり。罵倒ばかりの言論界隈にウンザリ。よって裏金はどっちかといえば「そう喚くあなたは?」な立場。それと手取り・安保の観点で今回比例は国民に入れた)
これはもう風水的言いがかりでしかないが、バブル崩壊・阪神/東北震災・コロナと、国全体が苦境に立たされた場面では必ず政治的混乱がセットにあったように思う。ホント、台湾有事やら南海トラフやらどうすんだよ…。
特に台湾侵攻。あるウクライナのジャーナリストが言っていたが、「民主主義陣営がカンカンガクガクしているうちに専制主義陣営に行動を起こされてしまう」…これまさに、今のNATOとロシア・ウクライナ。ならば台湾・中国の傍でカンカンガクガク真っ最中の日本、それにアメリカって…西側ブルーチームのいう「ならず者国家」の思う壺じゃないの?
まぁ、「にわとり-たまご」的な話で、そういう混乱に至る史実があったからこそ政治も混乱せざるを得ない状態だったと言われるかもしれないが、とにかく「今の政治体制なら困難を乗り切れる」と思えた試しがない。それに…待てよ、振り返ってみると「政治への"信頼を善しとせず"」みたいな風潮が続いているのかもしれない。「常に疑え」と言わんばかりに。そうでしょマスコミの皆様方。
今はもうネットに限らず、既存の大手メディアさえ信じる/信じないの篩のかけ方がものをいう時代。冒頭の話に戻るが、Own Mediaの氾濫する今、「何を信じる/信じない」がその人の社会・世間に対する認識を半ば不可逆的に決めてしまう。かくいう私だってそうかもしれない。説明が難しいが、あらゆるものに対する漠然とした不信感の中で「これなら信じられる」と思ったものに傾倒してしまう。これ、昔はオウム真理教、今はインターネッツの左右急先鋒による陰謀と安倍暗殺をはじめフィジカルに訴える連中、はたまた「闇バイト」と、日本のあらゆる社会問題の根本にある気がする。そのうえ、世界を見渡せば目下宗教を巡る戦禍が中東で継続中だったり。コミュニティを作ることで生き残ってきた人間の生物的・本能的弱みで、昔から何度も言われてきた事だろうが、時折その脆さを嫌と言うほど思い知らされる。
そう、「何を信じる」の話で言えば、現役世代の我々がよく言われる/私自身も自己暗示的に復唱してしまう言葉がある。
「社会や環境がどうであれ、いま自分が出来ることに集中しよう」
会社員である私を含め、一定の組織の括りで動いている者にとって、こういう発想は少なくとも間違いではないと思う。そりゃ「仕事に邁進する」に文句のつけようもあるまい。が、時折こんな事も思う。
「それを言い訳に、もっと目を向けなければいけない重要な問題から逃げてないか?」と。
政治に関心を持たない人達、はたまた選挙で投票しない人達の理由の1つに「それより私が今抱えている仕事(タスク)をやるのに精一杯」なんて文句がある。ああ、国として今何をしなければならないか、そういう事を考える余裕は「ニュースを見る時間のある」人にしかないのだろうか。はたまた、そのニュース記事を作っている人達も、ひょっとして「もっと伝えたい事があるのに、仕事としてやらなきゃいけないから…」なんて思っていたりしてないかしら?
恐らく少子化も「こんなしんどいのに結婚子育てなんて出来ない、それよりも今の自分がやるべきことを」の積み重ねから来る話だと思うし、とりわけ筆者はこういう目線で安全保障の話を積極的にしなければならないと思う。ノーベル平和賞取った被団協の方々には土下座ものだが、リアルに核の恐喝が罷り通ってる今、9条信奉のようなユートピアニズムは文字通りの「無力」だ。特に政権を担う政治家にはリアリストであって欲しいと私は強く願う。
地震と戦争、片方は人の手で起きるとはいえ、今やどっちも「いつ起こるかわからない/いつ起きてもおかしくない」と思いさえする。「自分1人で何も出来ないくせに考えすぎだ」と人に言われるが、少なくとも国の意思決定を左右する政治家の先生方にはこの手の話をしっかり真面目に考えて頂きたい。
そしてこの際もう1つ、過去の歴史や目下の国内外の情勢を見渡していて、文明社会をゆっくりと衰退させているものが何となく分かった気がしたので、ここで書き留めておく。
「被害者意識」。
無論、現にいじめや差別その他ハラスメント、あるいは災害を被っている人々に対して、その心痛を突っぱねる意図はないし、適切な保護をするべきだと思う。が、現代はその「被害者」たることを訴える主張が拡声器のように周囲の音響を支配し、それを基準に社会が目まぐるしく動かされている気がする。で、そうして変わった社会が全体最適となるような良い結果をもたらすか…と言われるとクエスチョンが残る事もある。
例えば「働き方改革」。やり甲斐の有無にかかわらず身柄を拘束され、なりふり構わぬ檄を喰らう辛さは、自分だって現役世代、大いに同情する。が、それに対応した結果起きたのが「物流2024年問題」であり、運送コスト上昇は今の物価高の一因となっている。それに、逆にハラスメントを訴えられるリスクと待遇の不釣り合いを嫌ってか管理職志望の社員が減り、少子化も相まって人手不足倒産が増加中とか(環境変化に適応できなかった会社が悪いという見方もある)。
もう1つは「ダイバーシティ」。差別や偏見をなくし、多種多様な人々の「違い」を受け入れる…理屈は結構な話。だが、それで今揉めているのが「移民」問題。一度異文化を受容したはいいけど、かえってその痛みを訴える人は地域や職種を問わず跡を絶たない。ヨーロッパなんて極右が台頭する始末だから…
つまり、「しんどい」「つらい」という主張ゆえ、先述の通りむやみに突っぱねる事は出来ない(それどころか、理解を示さなければ当人がより破滅的な行動を起こすことだってある)。同時に、その被害者意識と醸成に至るまでの背景には本人なりの因果関係・論理があるし、訴えを一読すれば、同情する/しないは別としても少なくとも一定のつながりを見出すことができる。が、我々は得てしてその時の感情につられて「加害者とされた側」の論理を見落としてしまう。決してこれは危害を加えている人を擁護する目的で言っている事ではないが、要は「論理は1つだけではない」ことを机上の理屈としては理解したつもりでも、感情では「真理」を追い求め、「悪者」を特定・はたまた無理矢理にでも作りにかかってしまう。ここに怖さがある。
これが、現代の言論空間で跋扈する陰謀論、あるいは紛争当事国で現に起きている。戦争なんて酷いものだよ。どっちも「自衛のため」っていうんだから。
まぁ「被害者意識」と仰々しく言っているが、噛み砕いていえば、「こんなにしんどい思いをしているのに報われないのはおかしい!/こんな仕打ちをしてくるなんてひどい!」、さらに端折っていえば「私の苦しみを理解してくれ!」といった、悲鳴・慟哭・喚きの一種である。これまたコミュニティを作ることでしか生存できない人間の「動物的本能」の一部なのかもしれない。それゆえ、今後も色んな場面で目にすると思うが、それにどう反応し、対処していくかは、高等動物として会得した知識と理性にしたがって冷静に判断したいところ。
・・・と、ここまで選挙を機に自分なりに考えた今の社会・世界の歪みをつらつらと綴ってきた。「自由選挙」が出来る民主主義は恵まれているようで、分断やレッテルの張り合い、そして今はノイジーマイノリティといった弱点が露呈している。だけど、野田さんがいう「不完全」な状態でありながらも、こう徒然なるままに憂国の情を書けることは、やっぱり恵まれた国なのかもしれない。でも、そんな国を取り巻く環境はやっぱり厳しいし、向いてる方向は違ってもそこは日本人みな理解してるんじゃないかな。
もう1回言う。私も有権者の1人として政治に参加させてもらいましたので、政治家の先生方は他人の足を引っ張ったり悪者を作ったりしてないで、真剣に国について議論してください。
最後に、ここまで書いた私の文章も、究極的には一個人の稚拙な雑感に過ぎず、共感する/しないは個々人の価値観次第であることを付け加えておきます。というか、こう書くことさえ「主語を大きくしておきながら"個人の感想です"とか言って責任から逃げやがって」とか「善人ぶるな」という自己批判が出来てしまうな…やはりインターネッツはもとよりメディアに毒されすぎたか。
まぁ、仮にも「自由の民主主義の国」の一員として生をうけた者として、そこは(節度をもって)大いに論議してください。気の済むまで。
これどう見ても直近の若者の雇用環境は恵まれていて、「酷かったのは(狭義の)氷河期世代だけではなくリーマンショック世代、東日本大震災世代辺りまで続いた」という話なんだよね
要するに散々言われていた「失われた20年」の間はずっと悪くて、アベノミクス以降に右肩上がりで回復しているというだけの話
著者の欲目から新奇性を出そうとしているけど、マクロ経済を見てきた人たちからしたら何を今更みたいな話だし、97年の金融危機以降から真のバブル崩壊が始まって一気に自殺者数とかも増え続けている事を知っている側からすると、前期氷河期世代を98年まで入れてるのは著者がよく分かっていないなと思う
「あなたたちは豊かな時代に産まれたのだから贅沢を言ってはいけない」というのは
バブル崩壊以降の老人が若者に幾度となく言い聞かせていた文言だが、
その結果何が起きたかというと氷河期世代の貧困による非婚化とそれに伴う急激な少子化。
そして貴方は意外に思うかも知れないけど、令和の若者は貴方の言う事を既に内面化している。
バブルの頃からそのような言説を耳にタコができるほどに聞かされた若者達は、
本当に現状で満足してしまったのだ。
彼らは心の底から「そこそこ豊かな環境で暮らせるんだから、努力して上を目指す必要もないよね」と思っている。
そのようなビジョンを提示するだけで、平成時代の若者は勤勉に働いてくれた。
しかし、出世欲皆無の脱成長志向である令和の若者達にモチベーションを与えることは不可能だ。
金にも地位にも興味を持たない彼らを動かすには、いったい何を与えれば良いというのか。
彼らは現状に満足し、家にも車にも女子供にも興味を持たず
「自分一人がそこそこ楽しく暮らせれば良い」という価値観で生きている。
確かにこの物に溢れる令和という時代、子供を作らずに独身で生涯を終えるという条件であれば
満足のいく生活を送ることは難しいことではない。
貴方の言うとおり、「現代日本に生まれたイージーモードの人生」を、令和の若者達は大いに謳歌している。
そしてその代価として、貴方の言うとおり社会の維持は不可能になる。
ただし若者が困難に立ち向かうかは疑問がある。
ボロボロの一軒家に住みながら修繕もせずに