はてなキーワード: 微熱とは
続き
兄として
夜、今日の夕飯は外で済ませたものの、家に帰ると咲がリビングのテーブルで宿題を広げていた。どうやら英語の長文読解がうまくいかないらしい。
「ねえ、あんた。帰ってくるの遅い」
妙な言いがかりだ。事前に遅くなるとメモをくれたのは咲自身なのに。
「そうだけど。…いつもより遅い気がしただけ」
まるで僕が何か悪いことをしていたかのような口調だが、心配してくれてるんだろうと勝手に解釈しておく。
「英語、わかんないんだろ? 手伝おうか?」
「いらない。どうせあんたでも正解わかんないし」
「またまた、そんなツンケンして。じゃあちょっとだけ見せてみろよ。もし僕にもわかんなかったら、一緒に解説書を読もう」
「……別に、いいよ」
一応は了承してくれたらしい。咲はツンとした顔で長文読解のプリントを差し出す。僕は椅子を彼女の隣にずらして、問題を一緒に眺め始めた。
「ここの単語の意味さえ把握してれば、あとは前後の文脈で答えがわかるかも」
「うーん…」
咲も真剣になって考えている。こんな風に妹と同じ机を囲んで勉強するのは、かなり久しぶりだ。小学生のころまでは一緒に漢字ドリルをやったりしていたけれど、中学生になってからはほとんどこういう時間はなかった気がする。
なんだかんだで一時間近く、僕らは問題と格闘した。咲の目がしょぼしょぼしてきたので、「今日はここまでにしようか」と僕が提案すると、彼女は素直にプリントを閉じた。
「それはよかった。お役に立てて光栄です」
「…ふん」
一瞬だけ、咲が目を合わせて笑う。ほんの少しだったけれど、確かに笑顔が見えたのだ。
“ツンデレ妹”とのすれ違い?
翌週の月曜日、ちょっとした事件が起きた。僕が風邪をひいて学校を休んだのだ。朝、熱を測ったら三十八度近くあったので、母が無理せず休むようにと布団で寝かせてくれた。
咲は「学校は休まないけど、あんたうるさいし家にいるの嫌なんだよね」と言い放ちつつ、「保険証はここにあるから病院行きたくなったら行きなよ」とテーブルに置いていった。ツンデレ感全開だが、まあ気遣ってはくれている。
ところが昼前、微熱に下がってきたのでそろそろ大丈夫かとスマホを見ていると、咲からLINEが届いた。
「調子どう? 熱は? 買い物して帰るから必要なものがあれば言って」
短い文章ながら、妹がわざわざ学校からこんな連絡をするなんてなかなかない。僕は「だいぶ良くなったから何もいらないよ」と返した。するとすぐに既読がつき、「わかった。ゆっくり寝てて」という返信が。
一言ずつに愛想のない文字ばかりなのに、その中にしっかり優しさがあるような気がする。いや、確実に優しい。
ところが、その日の夕方、咲は中途半端な怒りを抱えて帰宅した。
「なんで電話出なかったの?」
「え? 気づかなかったけど…」
「昼休みにかけたんだけど。もしかしたら倒れてるかもって思ったのに!」
考えてみれば、僕がスマホを確認したのはLINEの通知のみ。電話の着信は見逃していたらしい。
咲は顔を赤くして、「あんたが心配で仕方なかったわけじゃないからね」とか言いながら、早足で自分の部屋に引っ込んでしまった。それでも「スープ用に野菜買ってきたから食べたいなら言えよ!」とドア越しに怒鳴っているのだから、やっぱり気遣いがにじみ出ている。
知られざる妹の心理
夜、少し体調が回復した僕は、リビングでぼうっとテレビを観ていた。母は遅番の仕事らしく、家には咲と僕の二人。しばらくすると、咲がこちらへ顔を出す。手には何やら小鍋を持っていた。
「食べる?」
妹が作ったと思しきスープ。湯気がほんのり漂い、鼻をくすぐるいい香りがする。
「いいの? わざわざ作ったのか?」
「冷蔵庫に野菜が余ってたからね。あんたが風邪引いてるのに放っておくと、治りが遅くてまたうるさいから」
「…ありがとう」
と、そっけなく言いつつもテーブルに小鍋を置き、スープ皿にきれいによそってくれる。味も美味しく、僕は思わず「うまい!」と声を上げた。すると咲は、そっぽを向きながら少し嬉しそうに口元を緩ませる。
「そ、そりゃまあ、いちおうネットのレシピくらいは調べたから」
それでも照れくさいのか、すぐにリビングを出ようとする。
「待って、俺に何か手伝えることある?」
「は? …いらない。あんたはさっさと食べてさっさと寝て。無理してぶり返したら迷惑だから」
彼女なりのやさしさというのは、なかなかストレートに受け取りにくい。でも、それがツンデレ妹の魅力といえばそうなのかもしれない。
兄としての悩みと期待
正直、彼女のツンデレ対応に翻弄される日々は疲れなくもない。けれど、妹がどうやら僕のことをちゃんと気にかけてくれているのは、なんだかんだで嬉しい。
ただ、ひとつ気になることがある。咲は僕とふたりでいるときは少しだけ甘えてくるような雰囲気になるときがあるが、家族や友達がいるときは徹底して素っ気ない。まるで僕と二人きりになるまで“ツン”を貫き通し、“デレ”の面を一切見せないのだ。
もしかしたら「兄と仲良し」というのを周囲に知られるのが恥ずかしいのかもしれない。年頃の女の子にはありがちな話だし、それは仕方ない。けれど一方で、妹としてちゃんと頼りにされている兄になりたいという思いも少しある。
そんなある日、咲がヘアアクセサリーを探していて慌てていたことがあった。デパートで買ったお気に入りのシュシュが見当たらないらしい。
普段はツンツンしているくせに、「あんた、私のシュシュ知らない?」と部屋を覗いてくる。僕は「いや見てないよ。もしかして洗濯物と一緒に紛れてるんじゃない?」と提案してみた。
「え、それどこにあるかわからない」
咲は少しもじもじしながら、「一緒に探してくれない?」と恥ずかしそうにお願いしてきた。
「…うん」
咲は滅多に「お願いする」「手伝ってもらう」といったことを言わない性格だ。僕は少し驚きつつも一緒に洗面所を探し、ラックやバスケットの中を確認した。すると奥底に埋もれていたそのシュシュを発見することができた。
「あった、これ?」
「そう、それ。よかった…ありがとう。まあ別にあんたがいなくても見つかっただろうけど」
「それでも、手伝えたならよかったよ」
「…うん、ありがとね」
咲は小さくお礼を言い、そのまま洗面所を出ようとする。照れてしまったのかもしれない。僕はすぐ後を追いかけて、「咲、よかったら次は一緒に買い物でも行こう。シュシュがなくなるほどお気に入りなら、予備を買っておくのもいいんじゃない?」と声をかけてみる。
「はあ? どうして私があんたと買い物に…いや、行かないわけじゃないけど、別にあんたと行きたいわけじゃないんだから」
「どっちだよ」
「うるさい。まあ予定が合えば、考えとく」
ツンデレの中に「嫌じゃない」という気持ちが混ざっているのが、もう手に取るようにわかる。何度も繰り返しになるが、妹のそういうところがなんだか愛おしくもあるのだ。
熱も37度後半まで上がっていたみたいだけど、市販の風邪薬も解熱剤ロクに飲まず、もちろん病院にも行かない。
とはいえ24時間一緒にいるわけではないし、自分も1ヶ月くらい前に、熱はないが長く続いた風邪を引いたので、いつも通りにのんきに過ごしていた。その間も同居人はマスクや薬も飲まずに、ビタミンゼリーで栄養取ってとにかく汗をかけば治ると自己流で対処してた。
クリスマス明けたくらいから自分も少しずつ喉に違和感が出てきて12/27の夜に発熱… 楽しみにしていたテレビも全部見る体力がなく、悔しかったけど就寝。翌日も微熱が続いていたのと、月曜日から帰省する予定だったので念のためと思って病院に行ったら見事にインフルエンザ陽性だった。
同居人に伝えたら自分から感染させた自覚はあるようで、申し訳ない、とは言われた。
実家でゆっくり過ごすお正月を楽しみにしていたのに、結局全てをキャンセルした。東京にいても初売りにも初詣にも一般参賀にも、人混みには行けないから結局家で掃除してるだけ。
BMI21の普通体系から吐きづわりの妊娠悪阻で8kg落ちて、今妊娠後期の妊婦です。
夫側のサポートで身体的に救われることは一つもないが結論かも。
5w〜18wくらいまで毎日嘔吐して、ピーク時の9wは1日10回は嘔吐してた。
自分の夫はかなり献身的に心身サポートしてくれたけど、結局妻側の体の中で起きてしまうことなので、何をしてもらってもつわりの症状が改善することは絶対にない。
だからといって何もしないで放置しても、メンタルダウンして予後が悪いので、心身サポートを続けるのを推奨する。
という、夫としては弱ってく妻を見るのも、自分の施しが意味なさそうなのも辛い
妻としてはこんな肉体状態で明確な改善につながる医療サポートがあるわけでもなく、医者に行っても付け焼き刃みたいな点滴されて耐えることを指示される、夫がサポートしてくれてるのもわかるんだけど効いてる感じもない、今はもう意識がある間の全てが辛い
みたいなお互い相当辛い状態になるのが妊娠悪阻が起きた夫婦なんだよな。わかる。わかるよ。
つわりは人によって症状もさまざまだし、予想できない部分が大きいからびっくりするよね。妻が突然こんなんなっちゃった、というのも夫側は精神的にくるものがあると思う。
本当にこれは耐えるしかないんだよ。解決してくれるのは時間だけなんだ。
ポテトなら食べられた、つわりのツボマッサージが効いた、いろはすの何味なら飲めた、ネットを漁ると色々な情報があると思う。
でもそれも医学的な根拠はひとつもないんだ。ただその人なら大丈夫だったというだけの話で。
もし妻が胃腸弱いタイプなら、それ以降も食べたものによっては消化不良で嘔吐がたまに起きてしまうかもしれないけども、ホルモン由来の嘔吐なら20wには必ず治る。
早い人なら15wには楽になってる〜とか意見もあるだろうけど、念の為で20wまでは続く心づもりでいたほうがいいと思う。
正直15wだとネットにいる悪阻経験妊婦たちはまだまだ嘔吐していた印象もあるし、自分も全然嘔吐してたから。
長期戦になるので、夫側がメンタルダウンしないためにも気晴らしは忘れないようにね。
今10wなら、ひと月もすれば少しずつ嘔吐の回数は減っていくし、微熱も下がるし、動悸や頻脈も落ち着いてくる。
ちょっとだけ調子よさそうな日があったりしたら、高めのフルーツやアイス、ドリンクを買って一緒に食べたり飲んだりするのも心が明るくなっていいよ。
共倒れしないようにね。
1週間経った。いまは8割治った。眠れなくて生活リズムは狂った。
鼻水がとにかく出まくる風邪を引いた。
途中で鼻血が出だして鼻水かんでんのか血が吹き出してるのか分からなくなった。
いつからか分からないが、三日目になにも臭わないことに気づいた。
味はしているがなにも臭わない。嗅覚が死んだ。
元々コロナでもなく高熱が出ると味覚が死ぬタイプなのだが嗅覚が死んだのは初な気がする。
食べ物はうっすら苦い。もちろんちゃんと味がしている上で、うっすら苦く感じる。
口に入れてそこから嗅ぐみたいなことは出来ないだろうかと思ったけど、それも無理だった。
こういうのって記録しないと1ヶ月経てば忘れるので記録しておく。
大学卒業即ニートなんだ。学生の時より親が優しいんだけど、増田が外に出ない=安心なだけで就職して外に出るようになったらまた過干渉されるのでは?と思うんだ。
学生の時はサークルの集まりがあると増田に嘘の終電の時間を教えて9時台に家に着くようにする(私鉄への乗り換えが不便なこともあるが、11時台まで終電はある)精神科通院費をバイトで稼ぎたいから門限をなくして欲しいといって却下される(3年時に双極性障害発症432未遂をしてからは奢ってもらっている)
上京費用が欲しかったのであらかじめ許可を得て週3・14時-22時でバイトしてたのだが、研修期間のみ週4で入ってた。遅番を週2日にするか早番に変えてもらえ!といい、結果として14時-18時まで入ることになった。したらば「そこまでしろとはいってないよ」と自分の言ったことを忘れてる 「しぬしぬ」「親をころすきか」「まず上京する必要が無い」等言われた。
単発バイトの待機に行こうとしたら母に羽交い締めにされた、父にメガネを取られた(勤務地が遠いかららしい)
既卒就活。バイトしてない。学生の時と違って週5じゃないと採用されないので、就活に支障が出るからしないあと体調悪い。面接の時以外外に出ない。就労移行支援の見学をした(多分行かない)障害年金申請中。
増田は学生時代からおばあちゃんにお小遣いを貰っているのと、貯金を使っている。
最初の方こそバイトくらいしろとは言われたものの言われなくなった。
むしろ回転寿司に応募したらバイトするにしても他のところにしろといわれた。
優しい。とても優しい。
9月に医者に「年金は多分通る。もうバイトとかじゃなくてどこに通うか考えないか?」「頻繁に微熱が出るのは同時に色々頑張ってるからです。何もしない」
との答えが返ってきた。体調不良については何ヶ月も訴えていたものの、母が「子供の時からこの季節はこうで…」というためスルーされていた。増田は色々頑張る為に体調を良くしたかったし、増田母が色々させたかった訳では無いので失敗した。
移行よりバイトしながら就活しようと思っていたところ履歴書が見つかり詰められた。1時間くらい。中学生の子供が高校に行かないと言った時くらいの絶望だった。
双極性障害で免許が取れない(改正道路交通法)ため他県で仕事を探したいのだが「理想を下げる」「今はゆっくり」
という言葉も「理想を下げる(田舎は受かりやすいので地元で働け」「今はゆっくり(職歴が無くなれば一人暮らしできる給与の会社に受からないから)」
というように聞こえる。学生時代から地元を受けろとは言われてて、増田は車の免許取れないことは何度も言っているが聞こえてないみたい。
病院へ行くのが苦手を通り越して嫌いだ。
ちょっと熱が出た程度で私を毎度病院へ連れて行かねばならなかった母に対して罪悪感が染みついてしまって、消えないからだ。
私が体調不良で早退したり、朝から調子が悪くて休んだりしたとき、病院へ連れて行くのは母の役目だった。
『なんだあ、大したことなかったね。こんなことで病院なんてねぇ…』
ドがつく田舎に住んでいた私たち家族は、最寄りの病院へ行くにも車が必須で、年寄だらけの待合室で1時間以上待たされることなんてザラだった。
今となって思えば私の突発的な病院イベントはそこそこ負担だったとわかる。
熱を測ったらせいぜい微熱程度、鼻が詰まってズビズビ啜ってる程度の私なんて、適当な市販薬を飲ませてマスクつけて学校にでも行かせればよかった。
日々精いっぱいなのに、わが子だからというどうしようもない理由で4時間近く拘束されて、貴重な一日を無駄にさせられて、きっと腹立たしかったに違いない。
いつの頃からか、体調不良を訴えることや、病院へ行くことは、学校や仕事をサボろうとしている卑しい行為なのだと感じるようになった。
みんなはそれくらい我慢したり、市販薬で対処したりして乗り越えているのに、体調が悪いと主張するなんて。
誰かに心配してもらおうとしているのか?やるべきことから逃げようとしているんだろう?
病院へ行ったって、市販薬と似たような効果の薬をもらうだけなのに。私よりもっと苦しんでいる患者に迷惑をかけていると思わないのか?
そういう言葉が頭の中でずっと駆け巡っている。
私ごときが病院へ行こうとするなんて、大袈裟なことをして恥ずかしくないのかと自己嫌悪する。
今現在、胃痛で吐いたり、鳩尾の上あたりがひりひりしたりしていて、さっさと病院へ行けと夫から言われている。
大人になった今では病院へさっさと行ったという実績を作って、職場に迷惑をかけないことがベストなのだと頭では理解している。
まだ明日も胃が痛ければ病院へ行こうと思ってはいるが、いまだに疎遠になった母のあの心底面倒くさそうな顔と、「こんなことで…」という言葉がずっと反芻している。
閑散としたショッピングモールの広大な敷地を歩いている。際限のない広さにはいつも漠然とした不安を覚えるものだ。駐車場に出て車を待ちながらぼんやりしていると、傍らに佇む寂れた理髪店が目に入った。すっかり色褪せた看板の文字はもう読み取れない。店の奥では年老いた店主がテーブルに肘をついたまま居眠りをしている。退屈な年月に曇った鏡が鉛色に光り、古びた柱時計の振り子が思い出したように午後何時かを報せる。そんな店だ。
ちょうど店の正面に停められたワーゲンが入口を塞いでいる。これでは客が来ても店に入ることができない。さすがに気の毒な気がする。そんなことに気を取られているところへ、フライパンほどもある巨大なムール貝を抱えた子供が戻ってきた。満面の笑顔で、海辺で見つけたのだという。ちょうど近くのコテージに知り合いのバーテンダーSさんが住んでいる。持ち込んで料理してもらおう。私たちは太陽に灼かれた真夏の砂浜を陽気に歩き始めた。
Sさんの家は初めてだった。コテージと聞いていたが、リッツのスイートを思わせる雰囲気の洒落た一室であった。むろん料理は絶品。たらふく食べ終え、子供たちを先に帰すと、ようやく飽和した時間が速度を落とし始めたような気がした。
改めて周囲を見回す。壁一面の飾り棚に美術書や西洋皿が並べられている。明るい色彩と軽快な形象。だがコップを取ろうと手を伸ばしたところ、傍らの皿を一枚落としてしまった。幸い割れることはなかったが、鈍い音を立てて絨毯に転がる陶器の影。Sさんがこちらを振り返る。その表情は先ほどまでとはまるで別人のような冷徹さであった。「その皿はほんの数時間前に洗って乾かしている途中だった、なぜこの場所に立てかけてあるのか、一瞬でも理由を考えてみるべきだ」抑揚のない無機質な口調が返って凄味を感じさせる。私は言いようのない身の危険を覚え、無言のままキッチンへ向かった。水道の蛇口をひねる。その瞬間、視界の片隅で何かが動いた。足下を見下ろすとそこには夥しい虫が蠢いているではないか。どれも白い幼虫、いわゆるキャタピラーであった。思わず後ずさりする。再びSさんの様子を窺う。するとその表情は三たび変わって、覇気のない疲れ切った老人のそれであった。「虫のことなら知っているよ、むろん駆除は試みた、だが際限がなくてね、今はもう諦めているんだ」私は傍らに置かれた掃除機を動かしてみた。だが蓋が壊れていて吸い取ったものがことごとく空中に撒き散らされるばかり。たまらず勝手口の扉を開けて屋外へ転がり出た。
そこは唐突に美しい高原の風景であった。朝露に濡れた草原が海のようにうねりながらどこまでも続いている。鮮やかな新緑の色彩が意識の底に溜まった微熱をゆっくりと冷ましてゆく。白濁する呼気。やがて安息が全身を包み込み、穏やかな睡魔に襲われる。私はようやく世界を理解し始めた。ここには本当は自分以外に誰一人として存在しないのだ。そうだ、きっとそうに違いない。
https://anond.hatelabo.jp/20240830213900
これに触発されて書いてみる。
嫁:かなり激務。平日子供が起きてる時間に帰宅することはほぼない
嫁は週末も緊急トラブル対応に追われたりしているし、それ以外の外出(通院、美容系、最低限の友達との外出等)で週6ワンオペが常態化。
正直、「増田がフルリモートワークなので、多くの共働き家庭に比べたら、育児は楽勝だろ」と思ってました。
間違ってました。
楽勝なんてことは全くないです。
子供が歩くようになるまで、10kg弱の赤ちゃんをひたすら抱っこで移動。
特に上の子は歩くのが遅かったので、1歳4か月で歩き始めたくらいだったと思うので重かった。
筋トレが趣味の増田でも、10kgを常に抱えることは大変だった。
土日だけ、高い高いして遊んであげることと、育児のすべてを担う大変さはまるで違う。
慢性的にズーンとした疲れがくる。
たまに、「グキッ」と肩や腰をやってしまうわけだが、それでも抱っこから解放されるわけではない。
歩くようになると多少楽になる。
「おいで」と言ったら移動してくれるし。
とはいえ、抱っこは続く。
ただし、重い子どもをずっと膝にのせてると、腰が徐々に破壊されていく。
男性なんて、妊娠出産の身体的負担はゼロなわけど、それでも育児のダメージはデカい。
育休ゼロ、実家の助けゼロで出産後から育児してる母親はバグってる(誉め言葉)。
子供と過ごしていると、ずっとあくせく家事育児をしていても「あれ、今の1時間何してたっけ?」と、何も進んでいないときが多々ある。
実際には、
・読んであげるが、2,3ページで飽きたので、その絵本を片づける
・また飽きたので片づける
以下、無限ループ。
これを一時間みたいな。
その間、自分的には「一生懸命、育児と片付けをした」つもりなのだが、実際は何も進んでいない。
うちは、元々夫婦の寝室が分かれていた。
今は、子供と寝るのは交代制。
子供と寝ると、まったく安眠出来ない。
うちは夜泣きが酷いわけではないと思うが、寝言で「うにゃー」みたいなことを大きな声で言ったり。
「子供の声って、親は目が覚めるようにDNAにインプットされてるのか」ってくらいすぐ目が覚める。
そして、寝相が良くない。
不意に顔や腹にかかと落としがくる。
仕事の疲れがたまり、慢性的な身体の不調を抱えながら、夜中起こされる生活はきつい。
大体、何かしなければいけないことがある。
・子供が発育が順調なのかをググって確認したり、育児本を見たりする時間
・良い季節なので、子供をおでかけに連れて行ってあげたい
・季節が変わったので、子供の服・靴を買いに行かなければならない
・子供が大きくなったので、新しい家具(たとえば子供椅子)が必要になった
等が、それぞれ概ね3か月おきに発生する。
当然、自分たちの服の買い物、美容室、家電が壊れたから新調などのやることもある。
そうすると、どちらかがワンオペになり、平日以上の負担になる。
フルリモートワークの増田からすると、基本的に土日の方がよほど大変。
大変。
食事も朝食や昼食なんて、大人だけなら10分で終わるかもしれない。
それを付きっ切りになったりする。
それと、「大人のいる生活にとって片付いてる部屋」と「子供がいるうえで片付いてる部屋」は違う。
腰より低い高さの扉のない収納が無力化する。
同様に、「大人だったら触らない」部屋の隅や角の汚れも綺麗にする必要性が出てくる。
例えば、大人だけの生活ならテレビ台なんて年に一度程度拭けば十分かもしれないが、そういう訳にもいかなくなる。
部屋がすごく狭くなる。
常に散らかる。
もうね。やばいね。
こども体調壊しすぎ。
その深刻さを理解しておらず、まったく除菌等をしなかったら、家族全員うつった。
結局一晩吐き続けた。
確か、その翌日、嫁も発症して履いてた。
それほどのパンデミックは他にはないが、定期的に熱を出す。
2,3か月に一度は38.5℃以上出して、夜間病院や土日の緊急病院に行ってるように思う。
緊急病院ばかり行ってるが、保育園でもらう病気って大体週末に発症する気がするわ。
うちの場合、こういう緊急事態では義実家が助けてくれて、預かりに迎えに来てくれる。神。
助けてもらえなかったら、マジで詰む。
助けてもらえない場合、体調不良の上に、寝れない、休めない、肩腰痛いってなるんだろうな。
子供用のベッドに無理やり寝転がる以外は、ひたすらパイプ椅子。
うちは簡易ベッドも無かった。
参考用:https://www.asahi.com/articles/ASR6Z5TCXR6VULLI00B.html
でも、子供が号泣して、他のイライラがたまると、爆発が多発する。
そして、子供が寝た後は、夜中静かに過ごすため、夫婦の会話も控えめになる。
すれ違ってるような感覚がすごく増す。
一応、増田も子供が生まれる前は、午前様も続くような仕事環境だったので、キツイ仕事経験もあるつもり。
育児はメンタル面で追い込まれることはないのが、仕事との大きな違いだけど、休めない点は同じだった。
仕事以上に、「なんだこれ?」みたいな徒労感は大きいときもある。
あとyoutube等で丁寧な暮らしをしてる子持ちママさんヤバいよ。
あんなの無理だよ。
すごすぎ。
正直、上の子が生まれる前までは「専業主婦で産後鬱?え?育児なんて誰だって出来ることでしょ?」と真剣に思ってた。
ただ、実際に体験してみると、「あ~そりゃ、産後鬱になる人もいるわ」って実感した。
「産後の恨みは一生」はマジだと思う。
最後に、これだけ悪いところを並べても、「だっこーーーー」と、自分の胸元に走ってくる姿で、子供の悪いところ全てが消し飛ぶことだけは付記しておく。
ずーーーっと腹が痛くて、便座に座って肛門の力を抜いたら尻から血がビチャビチャ出てきて、出しても出しても残便感があって、マージで最悪。プレドニンとか諸々の薬を再開したけど今回は効きが悪くて、なんとか血は止まったっぽいけど泥みたいな下痢は続いてるしガスの量がやばくて夜中でも一時間おきに便所に行ってる。ガスだけ出そうとしても一緒に下痢が飛び散るから。
前にねえ、十年くらいなーんの症状も出なかった時期があったんよね。それで私の中では「この病気は終わったんだな」みたいに油断してた。そこからは一年とか三年とかそれくらいおきに再燃してるんだけど、なんか今回はちょっとダメかもしれん。もう頑張りたくねえなって気持ちが出てきた。
いやー分かってんのよ。頑張ってるのは主治医。私は彼の判断を信頼してできるだけ忘れずに薬飲んでるだけ。まあ一ヶ月で一回とかしか飲み忘れてないからそこそこ頑張ってるとは思うけど。少なくとも主治医はめちゃ親身になってくれてる。でも彼の最善の努力にもかかわらずこの病気は不意に再燃して、私の何週間とか何ヶ月とかを腹痛と下血と微熱と倦怠感で塗りつぶしていく。主治医がなんとか私を元気付けようとしてくれてるのも、薬局の人もどうにか励まそうとしてくれるのも、なんか申し訳ない。
元々自分は子どもは強く望んでいなかったんだけど、周りの子なし女性と子あり女性を見ていて、どうも子なし女性には憧れる要素が少ないなと思って作った。
40近くになってもまだ美容やら推し活やらに熱中している人を見ると正直イタイなと思ってしまう。
年齢相応に太ってたるんだ顔や体をしていながら、話すことといったらやれ新作のコスメが、推しのコンサートが、と女子中学生と変わらないものばかりで不気味でアンバランスに見えた。
そういうおばさんになるよりは、子どもと旦那がいて所帯じみたおばさんの方が自分にとってはバランスの取れた歳の取り方だと思った。
幸い、旦那も子どもを望んでいたしかなり乗り気ですぐに自然妊娠した。
もう旅行も、おいしいご飯も、美容もファッションも全部楽しみきった。温泉なんて何度行っても一緒だと思う。
旦那とは仲もいいし仕事も順調だけど、残る人生で新鮮な気持ちや新しい発見なんてそうそうないから子どもが出来てよかった。
現代の子もち女性の肩身の狭さも、金銭面も、この先どうなるかわからない不安もめちゃくちゃあるけど、やっちまえと思って作った。
まだ旦那と遊び足りないな、ゆっくりし足りないな、あと5年くらいは二人きりでもよかったかもなとか思うけどもたもたしてられない年齢だし。
今は少し落ち着いたけど、つわりで信じられないくらい吐いた。元々痩せ型なのに8kg痩せた。
ネットで噂のマックのポテトなんか全然食べられないし、水を飲むだけでその水より多い量のなにかを吐いた。
吐いた時勢いが良すぎて便器の中の水が顔に跳ね返った時はなんか笑った。こんなの聞いてないんですけど。
シャレなしで一日8回吐いてた。それが2ヶ月と2週間あった。毎日あった。
この時は本当に妊娠を後悔した。エコーで見る子どもは生き物には見えないし、愛着なんか持てる見た目をしてない。
ただ胎児が体の中にいると起こるつわりで、これほどダメージを受けると、自分は人間じゃなくてエイリアンでも妊娠したんじゃないかと思うくらいだった。
それまでは面倒見のいい妻と、それに甘える夫という関係性で、夫のダメなところもかわいいものだと思っていた。
しかし自分が2ヶ月と2週間毎日8回嘔吐して、動悸息切れ、脱水症状、頭痛、微熱というコンディションだと精神的に参ってしまった。肉体的にも参っていたのだが。
夫の飯も作ってやれない、飯を作る夫の香ばしい匂いで吐くから怒りが湧いてくる(理不尽)、一生懸命外で働いてくれた夫の匂いで吐くため近づいてほしくない。
自分がつわりで瀕死になっている時でも、元気いっぱいな夫が元気に話しかけてくるとなんか不平等な目にあっている気持ちになってイラついてしまう(理不尽)。
だからといってヒステリックにキレるわけでもないのだが、(そんな体力もない)LINEで換気扇をつけ忘れてごま油で餃子を焼かないで欲しいというメッセージを送ったりする。
何か食べられるものはないかと毎日おつかいに行ってくれる夫の優しさに、風呂に入らないならベットに来ないで欲しいというモラハラ行為をしょんぼりと受け入れる夫の心の広さに、私は甘えきっている。本当に申し訳ない。
たまに夫の排泄痕が残った便器に顔を近づけて吐いていると、おいおい勘弁してくれと思う。
でもつわりは産んだらなくなるのだ。産む前にもきっと軽くなるのだ。こんな思いも長くてあと数ヶ月。
夫には大変申し訳ないと思っているし伝えている。まさかこんなに体調をやられるとは思わなかった。完全にナメてた。
こんなモラハラ?妊娠による特別期間限定のモラハラに耐えて、それでも大好き、かわいいと言ってくれることを忘れない。
ヒゲも剃ってない、腹毛も波打つくらいに濃くなり、毎日ノーブラパンイチ、風呂は週に2回、肌荒れも酷い、ただ横になってたまに家事をしてベッドでパソコンを打って仕事してるきったないおばさんの私を大切にしてくれて本当に感謝している。
赤ちゃん含めて絶対に幸せにする。だからすまない、次は多分陣痛の時に信じられない罵倒とかしちゃうと思うけどもう少しだけ一緒に頑張って欲しい。
いつか、子どもも巣立っていった時にまたふたりで旅行にも行きたい。
思う存分酒も飲んで、食って、寝て、もうおじいさんとおばあさんに近い年齢だろうけどキスもしたい。ぎゅっと抱きしめて寝たい。
色々あったけど乗り越えたね〜って、今からじゃ想像もつかない色んな壁を水に流して、まあ楽しかったねって言って達成感を得たい。
そうしているうちに寿命が来て欲しい。私はこの人と家族を作って生きて死んだな、よかったって思いながらいつのまにか死にたい。
Twitterやここでもよく見るが、精神病患者のプロフィール
過去や現在のつらいことを晒して、自分はこうだった、つらい、いまもつらいしこんな病気になってしまった
という系のやつ
あーいうの見ると、いや私の方が環境最悪だったんだが?ってなるんだよね
でも私はなんも精神疾患ないんよ。だから自分で仕事して自分で生きてかなきゃいけないし、つらいとか言える大義名分がないわけよ。なんかずるくね?
私だってつらくなかったわけじゃない
なのに精神疾患にならずに生きてる
わたしよりぬるい「つらい体験」をしたやつが、精神疾患という大義名分をかかげてヨシヨシされてる
いやただの僻みなのはわかってるんだが、ずるくね?甘えてね?って思ってしまう
おなじ風邪ひいても40度出て肺炎になる人もいれば、微熱くらいでサクッと治る人もいる。君は後者。
って言われた。
つら。
コロナ後遺症、人によって症状の差が大きいんだろうけど、私はブレインフォグで仕事中に感じるこの3つが特につらい。
・マルチタスク処理ができない
・処理速度が下がる
・頭のメモリ容量が少ない
例えるならCore-i3のメモリ4GBでネットサーフィン程度は普通に使えてたPCが、Core2duoの2GBぐらいになった感覚。
注意力や記憶力も落ちてるから同じような凡ミスもするし、やろうとして短期記憶していたタスクもどっかに吹っ飛ぶ。
自分の仕事の能力が明らかに落ちていることへの苛立ち、焦りで些細なことにイライラや落ち込みしやすい。
頭のメモリがいっぱいになると、頭のあたりがカーッと熱くなるような感覚で、ひどいとそのまま微熱が出る。
色んな薬試してもダメなので、気の持ち方だけでもと臨床心理師に相談。マインドフルネス呼吸法、行動療法をいくつかアドバイスもらう。
カウンセリング直後はかなり気持ち軽くなったが、結局1週間ぐらい仕事してると元通り。体力にも仕事にも余裕がないからマインドフルネスとかもできないんだよね。
朝に記事を読んで、午前中ずっともやもやしてたのを昼休み中に急いで文章にした。
読みづらいだろうしはてな界隈に愛想尽かしてそうなので、もう読んでないかもしれないけれど一度走り出した思考をアウトプットしちゃったので書き捨てておく。
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0日目
1日目
気温38度の炎天下を自転車で漕いでる最中にも関わらず寒気を感じる。
咳が出るようになり頭痛も出てくる。体温は37.1度
2日目
早朝から不調で目覚める。喉が強烈に痛くて飲食がきつい。寒気も酷く胸が締め付けられ呼吸がつらい。39.4度
3日目
常備薬をのみ一時的に熱が下るもすぐ38度、39度へと上がるという繰り返し。とにかく咳が出て眠れず
4日目
朝から38度台だったんで医者へ。コロナ・インフルは陰性。レントゲン画像からマイコプラズマ肺炎かもと診断。検査せず。解熱薬と抗菌薬処方
5日目
38度を超えたら解熱薬をのむという状況を繰り返す。喉の痛みは収まるが咳は酷い。
6日目
7日目
咳の最中にめちゃくちゃでかい痰が出る。熱が高くなったら解熱薬
8日目
ちょっと時間経ったけど6月半ばに初コロナ感染したメモ。なお通常の平熱は35.7度前後。
4月、5月にも風邪症状(喉の痛み、微熱)が出たが、病院でのコロナ、インフル含めた検査では何も出ず。部屋の芳香剤の匂いが何も無い気がして、かなり怪しかったが…。風邪薬を出して貰って一週間ほどで治る。
4/5:37.4度
5/19:36.5度
会社の飲み会参加(屋外)。深夜辺りから喉の違和感があり、市販風邪薬を飲んで就寝。
昼過ぎに起床した時点で微熱な気がして測ると37.5度。市販風邪薬を飲んで寝るが上がり続け21時には38.5度に到達。
深夜から翌朝は喉の痛み、咳、熱で全く寝られない。熱で暑いのに身体は寒気。市販風邪薬は全く効果が無い気がする。
朝時点で38度、夕方には37.2度にやや下がる。
朝時点で36.7度。病院へ行って検査したら遂にコロナ陽性確定。貰った薬は4月、5月と同じで総合感冒薬、喉の炎症に対する薬とか。
まず何処で拾ってきたか。潜伏期間を考えると流石に6/21当日はないし、参加者で他に感染者は居なかった。過去一週間のロケーション履歴を見ても、それまで行かなかった新しい場所へ行った形跡は無い。
手洗いは帰宅時、マスクは電車・駅・店内で着用、という行動パターンだったがやっぱり常時マスクが無難なのか…。
症状について。
38度越えの熱なんて(ワクチン時を除いて)何年振りだというぐらいに記憶が無い。症状的に風邪と言われれば風邪に近い気はするが、喉の痛みと咳が強烈。声が枯れたり声が出なかったりする。イソジンでうがいをしてもほぼ効果なし(が、やらないよりはマシ)。どうやらアズレンの方が効くらしい。
そもそも自分は風邪引くと喉よりも鼻に来るタイプだったはずなので、喉に来た時点でコロナ系だと思って良いような気もする。今回も匂いは確かに感じられなくなったが、そもそも鼻が詰まっていたのも一因な気がする。ちょっと自信が無い。
あと思い返すと胸辺りのちくちくした痛みが息苦しさだったのかと思う。
息苦しいという症状、イメージは湧くが体感したことが有る訳では無いのでこれが息苦しいのかが判断難しい。息を吸っても吸った感じがしない…ようなものかと思ったのだが、胸(肺)が苦しいみたいな感じがする。
コロナ感染を経た後だと、電車でも会社内でもノーマスクで咳してる勢があまりに多過ぎることに気付いてしまう。
もうマスクしろとは言わんからせめて咳が出なくなってから外を出歩いて欲しい。
4月の微熱時から、発熱で体温を測った際にはiOSのヘルスケアに体温を手動記録していた。やはり発熱状態の記憶に頼ると上がったのか下がったのかすらわからなくなるので記録は重要だと思う。
が、38度越えの発熱してる最中に記録するのはやはり地味に辛いし面倒だ。
スマホと連携できる体温計を探すと、医療機器承認取ってる正規の体温計はBluetooth(か独自方式)しか見当たらない。Bluetoothで通信するならスマホ側でアプリを起動しておく必要があると思うのでできればWiFi対応のが欲しいのだが。
体重計とかで使ってるWithingsが海外向けに体温計を出しているが、当然国内医療機器承認なし、要個人輸入、肝心の計測方法が赤外線による非接触方式でいまいち信頼性に不安、となかなか良いのがない。