はてなキーワード: 大学院生とは
平均身長が6センチメートル違うというのは、いってみれば、民族が違うどころではなく、人種が違うくらいの差である。
ちなみに、うちで運営している学習塾・予備校で非常勤講師をしていた早稲田大学理工学部数学科の大学院生は、身長172センチメートルで、学部内では、自分よりも身長の低い男子学生を見たことがないと言っていた。
私自身は、身長が167センチメートルから168センチメートルだが、早稲田大学第一文学部在学中に自分よりも明らかに身長が低い男子学生は2人しか記憶にない。
https://shojiki496.blogspot.com/2009/05/blog-post_30.html?m=1
タイトルの通り。
ASDとADHDの併発をしているが、良い先生に巡り会えて勉強を頑張ることが出来て、現役で第一希望の大学に進学することが出来た。
上京する前までは「変わり者だが秀才」ポジションで周囲と何とか交流出来ていた。両親も哲学思想をやりたい自分を認めてくれている。
しかし、東京に進学して来ると「変わり者ではないが秀才」が山のようにいる。体育会系の体力お化けの秀才、容姿も人当たりも良い秀才などだ。そんな秀才たちを前に、私は「障害を持つただの変わり者」になった。
最初は、哲学や思想を学んで大学院にも行きたいと思ったが、「高校生の頃にフランス語やってた」とか言う東京育ちと、「親が地方の新聞社の社長」とかいう実家の太い田舎育ちに勝てる気がしない。私が一生懸命、第二外国語をやってる間にラテン語を学び、私がバイトをしてる間に読書や映画を楽しんでいる連中に、どう勝てばいい?
それに哲学思想を学んでも、初任給で両親に喜んでもらえるような物を買うような人生を歩めない。それどころか、大学院生が急に連絡途絶えて行方不明になる話が頻繁にあり、ヤバいんじゃないかと思う。しかし自分のような薬を飲んで何とか大学に通えてるような人間が、他の健常者と同じように就活出来る気もしない。
昔はよく抜け道として、まずは英文学を専攻し大学で英語を担当して食い繋ぎながら、徐々に専門を出していくというやり方があったようだが、日本は大学淘汰時代で、国外で「日本人の英文学者」にお客様以上のポジションが与えられる可能性は低いのではないか。
てか学振あるなしに関わらず大学院生は労働するのに一方は金もらえて他方は金払うって、差別じゃないのこれ?
だったら最初からアメリカみたいに予算で雇える人間だけ博士課程に入れろよって思うわ。
これがやりがい搾取じゃなくてなんなのか。
沖縄科学技術大学院大学(通称:OIST)について、X上で批判の声が結構上がっているのでそれについて思うこと。
OISTは近年の日本の大学では稀な研究イケイケドンドンな大学で、その名の通り研究に特化した大学院のみの学術機関らしい。
その背景には沖縄振興費による独自の財源確保が功を奏しているそうだ。
私は進学先候補に入れていなかったのでそこまで詳しくないが。
一方、これについてX上では日本の大学院制度について無知であろう層からの批判が目立つ。
発端はおそらく以下のツイート。
https://twitter.com/piyococcochan2/status/1857046492713771132
これら批判について、米国の博士課程に在籍している筆者が私見を述べたい。
まず前提として、いくら日本の物価が安いからといって税引き前年収300万で世界レベルの研究を牽引してくれるような大学院生が世界から集まるというのは破格であるということを理解しておいた方がいい。しかも学費60万は徴収するらしい。300万から学費60万を支払い、さらには税金が引かれるのであれば大して残らないだろう。
こんな薄給で優秀な留学生が日本の学術機関名義で研究実績を挙げてくれていることに、日本国民はむしろ感謝するべきである。
彼らは私のような平々凡々とした学生よりも絶対に優秀であると断言できる。
私が所属する大学はアメリカで50位くらいの中堅の大学だ。それでも給料は日本円にして400万以上は貰えている。
しかも保険と学費は無料である。これは筆者が特別なわけではなく、アメリカの博士課程のほぼ全ての学生は同様の支援を指導教官もしくは大学から受給しているはずだ。
アメリカの世界を牽引するこれまでの実績に加え、これだけの経済支援によって世界中から留学生が大挙して押し寄せ、彼らが研究に精を出すことで技術大国としての地位を築いていることを肌で感じている。
以上の条件を加味した上で、私はOISTに進学する外国人はよっぽどのお人好しであると思う。
もちろんどうしても師事したい教員がいるというケースも多々あるだろうが、それを踏まえても私よりも相当に優秀であるはずのOISTの学生がわざわざ米国ではなく日本に進学している時点で、私にはどうしても(良い意味で)変態のマゾにしか見えない。よっぽどの日本好きだったりするのだろうか。
世界の研究を牽引するような大学院生にたった300万、しかも学費と税引き前でそれだけの研究力が確保できていることが破格であると言わざるを得ない。
それに加えて、こともあろうに大学院の制度すら満足に知らない日本人に怒りの矛先を向けられるなんて不憫でならない。
そもそも私の大学院は95%は留学生だし、昨今アメリカのほとんどの大学院で留学生のほうがアメリカ市民よりも多い。
つまり留学生比率80%のOISTなんかより遥かに留学生比率が高い。
それでも現地のアメリカ人から博士課程の学生だと答えると敬われこそすれ、邪険にされることはない。
彼らはお前らの税金を浪費してるんじゃないぞ。もっと待遇の良い国で研究できたであろうに、薄給にも関わらず日本の研究を牽引してくれてんだよ。
上述した通り、アメリカであっても大学院の研究員のほとんどは外国人留学生で賄っているのがほとんど。
旧帝大ですら自費で学費と生活費払って研究している博士学生もいるような体たらく、日本の大学院は病んでいると言わざるを得ない。
やりがい搾取をやめて大学院生の支援を手厚くしないと、益々研究の競争力は落ちるし、留学生どころか優秀な日本の若者は日本を選ばなくなるよ。
大学と大学院を混同している。OISTは大学院大学なので学部はない。
繰り返しになるがアメリカでは大学院生に学費の負担はないし給料も出るのが当たり前。
留学生であっても大学院生は雇用されている立場にあり、研究する上で発生する労働にはきちんと対価支払われているからだ。
アメリカの学部生の学費が高いのは事実ではあるが、OISTの反論に大してアメリカの学部の学費を持ち出すのは論点がずれている。
むしろOISTは年収300万から20%に当たる60万も学費をぶんどってる点で、アメリカの大学院よりもタチが悪い。
・世界から優秀な研究者を集めるという理念はわかるが、何もかも無料にして人を集めるのはどうよ。
何度も述べるがOISTの経済支援は米国のみならず国外の留学先としてメジャーな国々と比べて決して手厚くない。
筆者のような中堅大学でこのレベルで、アメリカのトップスクールは筆者の大学なんかよりさらに手厚い給与で人材の奪い合いをしてる。
せっかく来てくれた留学生にやりがい搾取のような待遇して恥じた方がいいよ。
・本当にその大学が優れた研究者を育てるなら大金払ってでも世界から学生は集まる。
OISTの優れた研究環境がなんとか待遇の悪さ補ってプラマイゼロにしてるのに、自分で金払ってまで来るような物好きがいるわけねえだろ。
他に金くれる大学が国外にいっぱいあるのになんで自費で極東の島国で研究しなきゃならねえんだ。
・大学経営から切り離したアカデミアのユートピアを作りたいなら先ず極貧の国立大助成しろや。
大学経営したいならアメリカのように学費をべらぼうにあげて新入生は寮加入を強制に、さらに食堂やジムといった設備に惜しみなく投資してどんどん学部生から搾り取ることになるけどいいの?東大の学費10万円上げただけであんなに騒いでたのに?
以上。
私のように日本で大学院生なんか待遇悪すぎてやってらんねえよ、○ねって渡米した身からすれば、OISTの待遇で日本のために研究してくれている留学生を悪く言う奴は看過できない。
そしてOIST以外の大学位についても、学費の値上げが無理ならせめて社会保障費と生活保護にかかる税金を少し削って大学院生の学費と生活費くらい出してあげてくれよと思う。
といってもどうせこの国は変わらないから、少しでも搾取されているなと感じた大学院生はさっさとアメリカなり欧州で金出してくれる大学に逃げた方がいいぞ。
高校生の時からカウンセラーになることを望んでここまで来たけど、しんどい。
これまでがしんどくなかったわけじゃない。外部実習も内部実習もたくさんこなして、SVだってなるべく欠かさず受けてきた。
指導教官と研究テーマについて積極的に話し、本もできるだけ通読してきた。
ただ、肝心の臨床への向き合い方が良くなかった。ケースへの向き合い方や事例への理解が他の同期よりも浅い気がする。
志向する心理療法も、初学者とはいえ絶望的に出来が悪い気がする。私のケースが他の人の目に触れたら、その内容も考察も馬鹿にされる気がしてならない。
初学者が完璧にこなせるわけないのに、なりたいと思ってしまう。でもその割に、実力がない。一番だめだよね。
私の所属する大学院は他のところに比べるとカリキュラムがきついらしく、メンタルを病む人もいる。幸い、私の学年には危うい人はいても誰も脱落していない。それが逆に、私がダウンしたら「あーあ」って言われる気がして休めないと思わせる。
自己管理できなくてどうする、とオリエンテーションで言われてから私自身が病んだ時はものすごく自責するようになった。正論だけど、それを言った先生は休学したり大学に来なくなったりした学生を馬鹿にしているのだろうか。
一方で私は変に自信を持っているので、この状況から切り返してケースも最後までやりきって修論も書き上げる未来が待っていることを信じられる。
諦めずに最後まで完成させる自信はあるので、なんとかしてみせるという気になれる。自分が望む臨床家像を叶えられる日が来ますように。
周りの同級生は社会で働いている間、僕は大学院に残り学生生活を送っている。
社会人の友達に負けじと頑張ったおかげかこの半年で僕は少し成長できたような気がする。
教授と一緒になって授業を作ったり、インターンに行ったり、色々な専門分野の人たちと議論したり。
学生は学生でも大学院生だから特有の役割を請け負うことが多い気がする。
学部の人たちを指導する機会も増えた。2回生、3回生を指導していると昔の自分を思い出して懐かしくなる。
予習をやってこない、話を聞かない、言うことを聞かない、時間を守らない、困っているのに助けを求められない、勉強についていけない。
色んな人たちがいる。その人たちに自分を重ねてしまう。あの頃の俺は優しさが欲しかったから頑張って優しく接している。
僕の学部は課題も多く、難しい。それ故心病んでしまう人も他の学部と比べると多い。
悪い学部ではないから頑張ってほしいと思っている。大学生は自分の生き方に迷う人が多い気がするので、少しでも参考になればと指導する。
任天堂は保持している権利を行使しただけなので、これは一任天堂ファン、そしてゲームファンとしてのお気持ちでしかない。
任天堂を世界的な大企業に育てた山内溥の言葉に『遊び方にパテントはない』というものがある。これは各社で技術を真似し合って業界を発展させて行くべきと言う趣旨の発言だった。実際当時の任天堂はスペースフィーバーというインベーダーゲームの(パルワールドより余程悪質な)パクリゲームを売っており、そこから現在のオリジナリティ溢れるゲーム会社に成長していったのである。
そう言った思想を受け継いでなのかそうでないのかはわからないが、任天堂はこれまで防衛目的で特許を運用していたように少なくとも傍目には見えた。またコロプラとの訴訟についてもコロプラがぷにコンのライセンスで商売をしようとしたことに対して、オープンな文化を持つ任天堂が対抗したという見方があった。
しかし今回の訴訟は違う。他のインディーゲームにはお目こぼしを与えておきながら、パルワールドはポケモンっぽいデザインで気に入らないし意匠権では戦えなさそうだから特許で殴ったという風にしか見えない。そしてこう言った訴訟が起こったと言うことは、今後も任天堂のデザインを真似して任天堂の機嫌を損ねると(デザインは合法であっても)訴訟を起こされるリスクをインディーゲーム市場全体が負うことになる。しかもその基準は権利の侵害有無ではなく、任天堂の仁義とか面子とかいったウェットな判断に依存してしまう。
冒頭で書いたとおり、根本的には任天堂が権利を行使しただけの話である。しかしインディーゲームの開発者が権利的に全てクリアなゲームを開発することは事実上不可能であるし、基本的にはお目こぼしがある故に、どこに埋まってるかわからない任天堂の逆鱗を気にしながら開発せざるを得ない状況はあまり健全ではないように思える。
長々と書いたが、ゲーム人口の拡大を掲げる任天堂が過去の自分達を忘れて歪な状況を作り出そうとしていることが、任天堂ゲームのファンとして非常に残念でならない。
例えばコロプラのぷにコン訴訟では、ぷにコンの他に『他のプレイヤーをフォローしてメッセージを送ったり協力プレイを行う』、『障害物に隠れたキャラクターをシルエット表示する』、『スリープモードから復帰した際に即座にゲームに戻らず確認表示をする』と言ったような白猫に限らず様々なゲームで見たことのある機能が侵害の対象となっています。また任天堂をはじめとした様々な既存ゲームメーカーがこう言った広範な特許を取得しています。
インディーゲームの開発者が『よくある』機能を実装するとそれはどこかの会社が権利を持っている可能性がありますし、機能の実装にあたって弁理士に特許調査を依頼するような資金はインディー開発者にはありません。
またインディーゲームに限らず様々なゲームメーカーが相互に権利を侵害している現状があり、他社を訴えた所で自社も同様に訴えられてクロスライセンス等の形に落ち着くためメーカー間で訴訟に至るのは相当こじれたケースだけと言われています。一方新参であるインディーゲームの開発者はクロスライセンスに持ち込むための特許も許諾を得る資金も持っておらず、訴えられるとアウトだけど基本的には既存ゲームメーカーのお目こぼしを貰っていると言う立場にあります。
規模や資本関係が問題ということであれば、任天堂フォロワーなインディーゲームは売れて規模が大きくなったり出資を受けると訴えられるリスクがあるという話になります。
既に述べたとおりインディーゲームの市場は大手企業のお目こぼしなしでは成り立たず、また良いゲームが売れれば出資を受けて規模を拡大するのは当然のことです。
出資後の製品であればいざ知らず、このタイミングでパルワールドを訴えるのには単に出た杭を打ったとも捉えられかねず、(インディー市場の恩恵を受けている)任天堂には慎重になって欲しかったというのがゲームファンとしての偽らざる重いです。
これが想像であることは否定しませんし、事実だと書いてもいません。そして任天堂が真意について今後真相を明らかにすることは無いと思います。
しかし多くのインディーゲームに権利を侵害されているであろう任天堂があえてパルワールドを、しかも自社IPに酷似しているデザインではなくシステムを特許侵害で訴える理由として最もそれらしい推論ではあるからこれだけ話題になっているのではないでしょうか。
人はそこそこ、空席がちらほらと見える程度。そこに3人のおばちゃんがやってきて、自分の右側に2席空いていたのでそこに2人座った。
条件反射で席を立った自分が「座りますか?」と尋ねて自分の席を振り返ると、空いていなかったはずの左側の席が空いていた。
元々自分の左側に座っていたお婆ちゃんが(そこに誰かが座っていたことすらその時に気づいたのだが)パッと1つズレて自分に席を空けてくれたのだった。
「あ…ありがとうございます」
咄嗟のことで滑らかに感謝の言葉が出ず、少し噛みながらさっきの席の1つ左に座り直した。
そこで自分に席を空けてくれたお婆ちゃんが口を開いたのだった。
「あなたね、良いことをしたから。きっとこの後良いことがあるわよ」
その瞬間に、見知らぬ、一生関わりのない「他人」から、お喋り相手の「友達」に僕らは変わった。
終点に着くまでのほんの数駅、時間で言えばたった5分かそこらの会話だったが色々なことを話した。
「若いうちにいっぱいお金を持ってるとお金の価値がわからなくなっちゃうから、最初はお金が手に入らないようになってるのよ」とそのお婆ちゃんは教えてくれた。
お婆ちゃんの従兄弟も自分と同じ大学に通っていたらしい。しかも医者を目指して卒業してから医大に入り直して、かと思ったらまた大学院で元の大学に戻ったのだとか。
終点に着きそうになって、立ちあがろうとした僕にお婆ちゃんは「これ、あげる」と一言、手に持った黒いバッグから梅干しのお菓子をくれた。
「『良いこと』って、これなんですね」
そう言って受け取って、「またいつか」と握手をして僕らは別れた。
電車を降りる間際、気になって何度か席に座ったままのお婆ちゃんに視線を送った。
けれど彼女は一度もこちらを振り返らず、ただのんびりと正面を向いて座っていた。
これが歳をとるということなのだろうか?
なんて思いながらも、誰に向けるわけでもない一礼をして僕は電車を降りた。
ついさっき、本当に30分ぐらい前の出来事だ。
大学院というのは学部とは異なり、人間関係がかなり狭い。基本、学内ではゼミのメンバーとしか関わりはない。俺は文系だから理系で言う研究室というよりゼミという概念の方が強く、日常的に顔を合わせるのはゼミのメンバーとそれぞれ受ける授業のメンバーくらいになる。
大学院生は学部生と比べて圧倒的に人数が少なく、俺は私立だったから特に少数精鋭だった。だから人間関係が数人単位で完結してしまう本当に狭い世界だった。
そんな中で人間関係に躓くと逃げ口がない。院からの進学者だから当然同級生に知り合いはおらず、学部生にも後輩はいない。かといって院から学部生のサークルに入るのも難しく、院で孤立するとその大学で人間関係が築けなくなる。
「あぁ、この大学に自分の居場所はないんだな」と思った。俺が進学したのは有名私立のマンモス校だったが、何万人も学生がいるのに自分は独りぼっちだという落差に耐えられなかった。
しかも、俺は院から一人暮らしをしていたから、周りに誰も知り合いがいない生活を余儀なくされた。会いたくもない連中と顔を合わせ、その苦しみを紛らわせる回路もない日々。久々に大学時代にお世話になった先生に会いに行ったら、「ずいぶん痩せたね」と言われた。自分が思っているより当時はヤバい状況だったのかもしれない。
こんなことを書くと「そんなこと言ってないで研究しろ」と言われるだろう。もちろん研究はした。俺は孤独の穴を埋め合わせるように一人研究に勤しみ、M1ながら論文も投稿した。
こうして、なんとか逃げるように卒業したが、あの大学にはなんの愛着も未練もない。俺にとってあそこは見知らぬ外国であり、俺は紛れもない異邦人だった。